【少女たちの晩餐】(4)
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(C) Eriko Kawaguchi 2021-12-11
「なんか凄い話聞いた」
と神社でお正月の縁起物を作っている時、恵香が言った。
「何?」
と美那が訊く。
「あのね。昔神様が人間を造った時、最初は人間には、ちんちんもヴァギナもあったんだって」
「へー」
「でも人間が『私はひとりでは寂しいです』と言ったので、神様は人間からちんちんを切り取って」
「ちんちん切っちゃったんだ!」
「それで、そのちんちんを元に男というものを造り、最初に造ってちんちん切られた人間は女と呼ばれるようになったらしい」
「ふむふむ」
「だから女は最初自分に付いていたちんちんを求めて男とくっつきたがり、ちんちんも自分が元居た場所に戻りたくて女に近付きたがるんだって」
「その話、ツッコミ所は多いけど、確かに男の本体はちんちんじゃないかという説はあるからね」
と笑って小春が言う。
「ちんちん切られるくらいなら死んだ方がマシとか、ちんちんと首のどちらかが切られるなら首を切ってくれと言う男はわりといる」
「首切られたら、ちんちんも扱えないじゃん」
と美那が言う。
「そのくらい大事なんでしょ?」
「男の子の心理が分からないなあ」
と千里は言う。
「そこまでちんちんが大事だから、そのちんちんを切っちゃうオカマさんを男は嫌うのよ」
「嫌うまでしなくてもいい気がする」
「オカマさんを見ると、自分もちんちん切られるのではという不安を感じるからじゃないの?いわゆる去勢不安(castration anxiety)。男はみんなこれを持ってる」
「なるほどねー」
「anxietyって不安だっけ。願望かと思った」
「願望は desire とか envy だと思う。自分のちんちん切って欲しい子は castration desire, 自分にちんちんが欲しいという子は penis envy」
「前者は沙苗で、後者はるみちゃんだな」
「極端にオカマさん嫌う男性は心のどこかにむしろちんちん切られたいという願望を持っていたりする」
「それもありそうな気がするよ。好きな子にいじわるするのと同じ心理だ」
そういえばオカマを極端に嫌う父は「自分は中学生時代“美少年”で女ばかりか男からまでラブレターもらったんだぞ」とか以前言ってたなあ、というのを思い出していた。
11月8日(金).
千里たちの学校に札幌の巡回オーケストラがやってきた。地方の子供たちに本格的なクラシックを聴いてもらおうというので、ずっと道内の主として田舎を巡回しているのである。今週は留萌市内を回っている。2002年現在留萌市内には小学校が10校あるが、近隣の小学校はまとめて聴くことになっており、留萌市内では5つの小学校で演奏する。それで千里たちのN小に、隣の**小学校の児童も来て、体育館で一緒に鑑賞した。
隣の小学校の子たちのために、N小の5-6年生で体育館にパイプ椅子を並べ、N小の児童自身はこの日は早めに給食を食べ、昼休みに自分達の椅子を持って教室から体育館に移動した。
コンサートは13時に始まった。
まずはモーツァルトの『きらきら星変奏曲』を演奏するが、これで大半の児童は眠ってしまう!
『きらきら星』ならみんな知ってるだろうという選曲なのだろうが、お昼を食べた後で、こんな単純繰り返しの多い曲を聴いたら寝るなという方が無理というものである。どうもこのコンサートの企画者は“分かって”ない。
ここでオーケストラの楽器の紹介があるので、みんな目を覚ます。
コンサートマスター
その他第1ヴァイオリン 4名
第2ヴァイオリン 4名
ヴィオラ 2名
チェロ 1名
コントラバス 1名
以上弦楽器 13名
「弦楽器奏者は13名だ」
「不吉だ」
と囁いている子たちがいる!
フルート 3名
ピッコロ 1名
クラリネット 1名
オーボエ 1名
ファゴット 1名
以上木管 7名
トランペット 2名
トロンボーン 2名
ホルン 1名
チューバ 1名
以上金管 6名
「管楽器奏者も13名だ」
「何て不吉だ」
と囁いている子たちがいる!
ハープ 1名
ティンパニ 1名
シンバル 1名
指揮者 1名
以上その他 4名
「4名だって」
「死の数だ」
と囁いている子たちがいる!
合計30名
「司会者も入れたら31人だな」
「ひっくり返すと13だ」
「やはり不吉だ」
と囁いている子たちがいる!
しかしケチつけてたらどんな数字にでもケチ付けられそうな気がする。
ハープは実物は初めて見たという子も多く、かなり注目を集めていたようである。またホルンの説明で、この楽器はフレンチホルン、つまりフランス式ホルンとも呼ばれ、もうひとつイングリッシュホルン、つまりイギリス式ホルンという楽器もあるとして、実物を見せてくれる。
「見た目も音もオーボエとよく似ています」
と解説者さんは言って、楽団のオーボエ奏者の楽器と並べ、またオーボエ奏者さんが両方吹いてみせてくれた。
楽器解説でみんな起きた所で2曲目はベートーヴェンの交響曲6番『田園』を全曲(約40分)演奏するが、これでまた半分くらいの児童は眠ってしまう。こんな長い曲に小学生が耐えられる訳が無い。
小品でサティ『ジムノペディ』(ドビュッシー編)で更に睡眠率は高くなり、リストの『愛の夢』でほぼ全員が夢の中に導かれる。
コンサートは児童が寝ていても続き、ムソルグスキー『展覧会の絵より“牛車”』、ラヴェル『ボレロ』、と続いて行き、最後の曲・プッチーニ『トゥーランドットより“誰も寝てはならぬ”』が演奏された時は児童は1人も起きていなかった。聴いていた先生たちでさえ半分は寝ていた。
蓮菜はかなり頑張って起きていたのだが、牛車で落ちた。千里は最初から最後までひたすら寝ていた!
「以上で演奏は終わりです」
と司会者が言った時、児童たちは
「終わったらアンコールの拍手してね」
と言われていたのをきれいに忘れていて
「ありがとうございました」
と大きな声で言って、椅子を片付け始めてしまったので、オーケストラはアンコール用に用意していたラベル『亡き王女のためのパヴァーヌ』とマスネ『タイスの瞑想曲』を演奏することもできず、そのまま帰ることになってしまった。
「私は立場上何とか頑張って我慢したけど、私でさえ眠かった」
と馬原先生は後で笑って言っていた。
「あれ選曲した人のセンスが悪すぎますよ。自分たちが聴かせたい曲を選んでいる。そうではなくて、聴いてもらえる曲を選ばなきゃダメなんですよ」
と松下先生は言う。
松下先生は、かなり頑張ったものの『ボレロ』で落ちてしまったらしい。
「ぼくはもう何度もトイレに立った」
などと教頭先生は言っていた。
「校長先生は居なくなっちゃうし」
「眠ってしまうより席を外した方がいいと判断したんだと思いますよ」
「**小の校長は眠っちゃいましたね」
「お年寄りには辛いよ」
「でもどんなにいい選曲をしてもやはりクラシックは寝るよ」
という意見もある。
「イベントを入れないと無理でしょうね。指揮者体験とか、第九をやって歌わせたりとか、天国と地獄でラインダンスさせたり、新世界よりでハンドベル持たせて鳴らすとか」
「ああ。そういうアクティブなイベントはいいですね」
「パッシブだけなら、どうしても寝ますよ」
「私は自分が好きな楽曲を作り、好きな曲を演奏すればいいと思うなあ」
と千里は言った。
「最初から最後まで寝ていた人がよく言うよ」
と蓮菜。
千里は楽器紹介の時でさえ寝ていた。
「だって他人に迎合した作品なんて、たかが知れてると思う。究極に到達できるのは、ファンも大衆も置き去りにした自己探究の極みの所にあるものだと思う」
と千里は言う。
「そのあたりは昔から結構議論のある所だよ」
と美那は言った。
「だって大衆に迎合するものばかり作っていたら、柿右衛門とかピカソは生まれてないよ。自分が満足できるものを厳しく追い求めて行った人だけが、最高の芸術的ポイントに到達できるんだよ」
「確かにピカソは大衆を無視してるかもしれん」
と恵香。
「でもそれは売れないかも知れないよ」
と蓮菜。
「まあそれは仕方ないね。実際一時物凄く売れて稼いだ人が、やかてレコード会社や出版者の意向を無視した自分だけの世界の作品を書き始める」
と千里は言った。
「あ、それはあるかも」
と美那。
「枯渇して書けなくなるタイプと、敢えて売れなくてもいいから自分の世界を切り開いて行く人とがあるよね。ごく少数のファンだけが付いていく」
と恵香。
「ゴッホとかは?」
と美那が訊く。
「ピカソは大衆を無視してる。ゴッホは最初から何も考えていない。本能のままに制作してるだけ」
と恵香。
「ああ、確かに。“本能の画家・ゴッホ”とか言ったっけ?(*16)」
と千里。
「ゴッホって3m以内に寄ると妊娠したらしいね。だから村長は女にゴッホの絵のモデルになることを禁止した」
と蓮菜は敢えて誤りは訂正せずに言った。
「そっちの本能かい!?」
と美那・恵香は呆れた。
(*16)きっと“炎の画家・ゴッホ”の間違い
2002年11月10日。
最近、自分の扱いが段々適当になってきつつあると感じていた高岡猛獅は
「ああ、俺来年くらいにはクビになって別のボーカルが登用されるかもしれんなあ」
などと呟きながら川縁を歩いていた。
「首になったら、夕香と龍子を入籍して、夕香と2人だけで、新しいバンド立ち上げるのもいいかも知れないなあ。夕香はキーボード弾けるから、誰かベースとドラムスをスカウトして」
などとも考える。
その時、ワンティスの『漂流ラブ思い』のメロディーをヴァイオリンで弾く音が河川敷から聞こえてきた、歌っているのとかCDを再生しているの、ギターで弾いているのまではよく聴くが、ヴァイオリンは珍しいと思って河川敷に降りてみる。すると、見覚えのある少女がヴァイオリンでこの曲を弾いていた。
演奏が終わった所でパチパチと拍手する。そして
「リズミトピア!」
とリクエストをした。
少女は「はいはーい」と返事をして、その曲を弾き始めた。そしてこちらを見て驚いたような顔をした。
高岡は凄いと思った。
この曲は今日ワンティスがリリースしたばかりの曲なのに。なぜもうヴァイオリンで弾けるんだ?彼女は譜面も見ていない。
終わった所で拍手する。
「こんにちは、TTさん」
「FKちゃん、凄いね。今日出たばかりの曲なのに」
「2-3日前からFMとかで流れてましたから」
「どこかの雑誌に譜面とか載ってた?」
「いえ。でも聴けば弾けますよ」
この子は天才じゃないのか?と思う。
15歳頃のモーツァルトが門外不出の“9声”の合唱曲を1度聴いただけで全パート楽譜に書いちゃった!というエピソードは有名で、これがてきる人は超天才と思われがちだが、実際には音楽家にはこれができる人はザラに居る。音楽家でなくても、アニメの主題歌を1度放送を見ただけで翌日学校で歌っちゃう小学生は相当数居る。上島や雨宮も一度聴いた曲をピアノで再現してみせるが、演奏家というより詩人の高岡にはできない。
フロイトは原稿無しで公演をした後で、その公演でしゃべったことを完全に書き留めることができた。高岡も大学で講義を聴いた後で、教官がしゃべった内容を完全にノートに書き出すことができたし、映画を見た後で、その映画のセリフを丸ごと書き出すことができた(実は筆者も27-28歳頃まではできた:当時映画のセリフ録ノートがたくさんあった)。しかし上島や雨宮にはこういうことはできない。
人それぞれ脳の得意分野は異なる。
千里はその双方ができるが、算数や理科の公式は全く覚えきれないし、地理歴史や生物の暗記も苦手である(“いい箱作ろう鎌倉幕府”を1852年とか書いたりする)。
プロ級の囲碁や将棋の棋士は見ていた対局を完全に並べ直すことができる。画家には一瞬見た風景や他の人の絵を完全に再現して描いてみせる人がいる。
人間の記憶力というのは本当に凄い。ただし各々特定の分野にだけ、このような“イメージ記憶”とでもいうべきものが働く。
高岡は久しぶりにFKちゃん(高岡自身はTTと名乗っている)と話している内に彼女が持っているヴァイオリンが物凄い安物であることに気付く。
これは・・・形がヴァイオリンであるだけのおもちゃだ。こんなヴァイオリンで、あれだけ音を出せるのはこの子がヴァイオリンの天才だからだ。でも天才ならせめてもう少しまともなヴァイオリンで練習させてあげたいと思った。
「君、そのヴァイオリンは凄い安物という気がする」
「はい、150円で買ったものですから」
「150円なの〜〜!?」
とさすがに驚く。これインテリアの装飾用か何かに作られたものでは?
「だってお小遣い少ないし」
「ね、ね、僕がやってるバンドで今度、安いヴァイオリンをネタにした曲を作るんだよ(と今思いついた)。それで僕、古道具屋回ってこのヴァイオリン(鈴木製の中古)を3万円で買ったんだけど、君のヴァイオリンとこれを交換しない?ぜひとも150円のヴァイオリンを使いたい」
と高岡は提案した。
「でも150円のヴァイオリンと3万円のヴァイオリンでは申し訳無いです」
と彼女は言ったが、最終的には
「だったらこの私の愛用のボールペンも一緒に差し上げます」
と言って冬子は高岡に自分が使っていたボールペンを150円のヴァイオリンと一緒に渡した。
このボールペンをもらってから、高岡は詩の作風が変わり、それまでの孤高な詩から、もっと柔らかい詩を書くようになった。
このボールペンは元々は、冬子が小学2年生の時(1999)に漫画コンテストに応募した際、努力賞としてもらったセーラー製のボールペンである。それをこの時高岡に渡し、高岡と夕香はこのボールペンで多数の詩を書いた。このボールペンは2012年2月に冬子の元に戻ることになり、主として政子が使用してローズ+リリーの多くの名作を生み出すことになる。冬子と政子はこのボールペンを“青い清流”と呼んでいる。このボールペンは2029年に冬子と政子の子供である、あやめに渡されることになる。あやめがこのボールペンで最初に書いた作品は『女の子になっちゃった男の子』である!(モデルは大輝)
もうひとつの政子愛用ボールペン“赤い旋風”(これもセーラー製)は政子の死後、かえでの孫=冬子と政子の曾孫)キララに引き継がれる。キララが“赤い旋風”を引き継いだことを知ったあやめは、自分が使っていた“青い清流”を、冬子と若葉の曾孫(政葉の孫)やまとに託した。
政子と冬子は実際にはこの2本のセーラー製ボールペンに互換性のあるシェーファーの替え芯を入れて使用していた(ダマができにくい)。高岡は普通にセーラーの替え芯を使っていたようである。
(冬子の遺伝子上の子供は5人である。冬子を父とする子供が政子の産んだあやめ・かえで、若葉が産んだ政葉、奈緒が産んだミドリ。冬子を母とする子供がもも(父は正望)である。3人の女性が冬子の子供を産んでいるが、全員冬子の精子を勝手に使用して妊娠出産した子供である!)
なお高岡がこの時冬子と交換で入手した150円のヴァイオリンをネタにして制作された曲が高岡の生前にワンティスが最後にリリースしたシングル『秋風のヰ゛オロン』である。この曲は『秋風のフィドル』という名前で出す予定で、加藤銀河もそれで了承していたのだが、加藤の上司から
「フィドルなんて誰も知らんからヴァイオリンにしろ」
とクレームが入り、ワンティスのメンバー(と実は加藤も)が反発して『秋風のヰ゛オロン』の名前でリリースしたのである。
この曲を出した後、ワンティスは初めてのアルバム制作のためシングルの制作はしばらくお休みということになる(ライブ活動は続けて大きなセールスをあげる)。
高岡生前のワンティス名義のシングルと(本当の)作詞者
1 2001.04 無法音楽宣言(高岡猛獅)
2 2001.08 時計色の虹(高岡猛獅)
3 2001.11 琥珀色の侵襲(高岡猛獅)
4 2002.02 霧の中で(長野夕香)
5 2002.05 漂流ラブ想い(上島雷太)
6 2002.09 紫陽花の心(長野夕香)
7 2002.11 リズミトピア(長野夕香)
8 2003.07 秋風のヰ゛オロン(長野夕香)
初アルバムのために制作した楽曲は、高岡の死により発売停止になってしまい“幻のアルバム”と呼ばれた。そして更に、ワンティスの活動停止期間中にマスター音源データが行方不明になってしまい、結局2013年に再度音源を作り直し『グリーンアルバム』として発売された(一部入れ替えた楽曲や編曲変更したものもある)。この時、ギターを弾いたのは、結果的にワンティスの正式メンバーとなった中村将春(元クリッパーズ 1982生)である。
冬子が高岡と別れて歩いていたら、同級生の奈緒及びその母と遭遇する。
「冬、何してたの?」
「河川敷でヴァイオリンの練習してた」
「河川敷は寂しいから危ないよ。変な男の人に変なことされたらヤバいし」
と奈緒が言うと、母も頷いている。
「そうかなあ」
河川敷の“住人”さんたちはみんな親切だけど。
「奈緒たちはどこ行くの?」
「国分寺に出て、私のブラジャー買ってもらおうと思って。そうだ。冬も一緒においでよ。ブラジャー買おうよ」
「なんでー!?」
「冬、ノーブラのことが多いけど、ちゃんと着けてないと体育の時とかおっぱい揺れて痛いよ。私が選んであげるからさ」
「えーっと・・・」
「お金持ってない?」
「今手元にあるのは2万くらいかなあ」
この時期、冬子は民謡の大会で賞金稼ぎをしたり、民謡の演奏会の伴奏をしたりしていて、わりと資金力は豊かで、その資金を使って女性ホルモンの摂取を始めていた。それで胸が少し膨らみ始めていた。
「お金持ちじゃん。じゃ問題無いね。おいでおいで。**屋の駐車場に車駐めたまま郵便局行って、お金下ろしてたのよ」
「ああ、郵便局の駐車場、狭いもんね」
それで冬子はうやむやの内に奈緒親子と一緒に、国分寺のショッピングセンターでブラジャーを買うことになってしまった。
札幌での診察が終わって、マクドナルドでやっと御飯を食べられて一息ついた津久美は
「じゃブラジャー買おうか」
と母から言われて、
「うん」
と嬉しそうに答えた。
父は車の中で休んでいるというので、母と2人で東急デパートの女性下着売場に行った。そして売場のお姉さんにサイズを計ってもらい、3Sのジュニアブラを買った。その他、冬に向けて暖かそうな下着を何枚か買ったし、普通の洋服売場に移動して、女性用の服もけっこう買った。
「じゃ今夜からはあんたは私たちの正式な娘だから」
「えへへ」
「将来は赤ちゃんも産めますよと先生は言ってたね」
「うん。元気な赤ちゃん産むからね」
と津久美は張り切っていた。
その日は札幌市内のホテルに泊まり、翌日、旭川の家庭裁判所に行き、審判の申立書を提出した。その場で面談室に入り、女性の事務員さん(と思い込んでいたが判事さんだった!!)からいくつか質問され、津久美はそれに答えていった。
午後には留萌に戻り、学校に行って、病院で書いてもらった診断書を提出。また性別の訂正を裁判所に申し立てたことを説明した。教頭も担任も、そして校長も急展開に驚き、その場で、学校のパソコンを操作して、学籍簿上の津久美の性別を男から女に修正してくれた。あわせて読みも“つくよし”から“つくみ”に変更した。
「続柄はどうなりますかね?」
「三男あらため長女になります」
「分かりました!」
この日は6時間目が学活だったので、そのまま担任・母と一緒に教室に行った。
担任の中沢先生がみんなに説明した。
「姫野さんは、最近どんどん女らしくなってきたので、札幌の大学病院で精密検査を受けた所、実は女性であるということが判明しました。それでこれ以降、女子児童として登校しますので、みなさん、女子として受け入れてあげてね」
教室内が騒然とするが、クラス委員の秀美は
「姫野さんのことはみんな女子だと思ってたよ。これまで通りだね」
と言い、それでみんな納得していた。
「ツクりんは、女子トイレ使ってるし、体育の時も女子と一緒に着替えてるし、これまでと何も変わらない気がする」
と生活委員の萌夏も言った。
津久美の母が補足する。
「私もびっくりしたんですが、津久美は卵巣も子宮も膣もあって完全な女だそうです。ホルモンの濃度も女性ホルモンが高く、男性ホルモンは低くて、どちらも思春期の女子の標準値だと言われました。既に生理も来ています。ただ外性器に混乱があって、一見男のようにも見える部分もあるので、冬休みに手術して完全に女の子に見えるように修正して頂く予定です」
津久美本人が言う。
「そういう訳で『あんたは女』と言われてびっくりしたんですが、私も自分は女だと思ってたので(←半分は嘘)、嬉しかったです(←本当は男を辞めるのが少し惜しい)。冬休みにちんちん切って完全な女にしてもらいます(←本当は切っちゃうのには少し抵抗があるけど仕方ないと思っている)」
「ちんちん切るんだ!」
と教室のあちこちから声があがる。
「実際には、クリトリスが大きくなって、ちんちんみたいに見えているだけなんだって。それを短くして、普通の女子のクリトリスのサイズに縮小する手術らしいです」
「なるほどー!」
と多くの児童の声。
「やはり私たちが言った通りだ」
と梨志や香織。
「じゃ冬休み終わったら、100%女子ね」
「うん。今はちんちん以外は女子」
「来年の修学旅行では女子みんなと一緒に女湯に入れるね」
「今年の宿泊体験では苦労したけど、来年は何も考えなくて良さそう」
「ツクりん、本当は宿泊体験でも女湯に入ったのでは?」
「お奉行様、どうかその件は追及しないでくださいまし」
「わいろ次第では考えよう」
「白い恋人買ってきたからみんなに配るよ」
「おぉ」
11月14日(木).
この日は雪だった。昨日午後から降り出した雪は夜中も振り続けて、朝にはかなりの積雪となり、バスが遅れたり運休したりして1時間目の授業に間に合わない子たちも結構居た。奥深い集落に住んでいる子は、除雪車が来てくれるまで身動きできないということでお休みの連絡があったりした。
雪はしんしんと降り続いているので校庭は使えない。用務員さんが午前中に除雪機でいったん除雪したものの、その後更に積もり、とても走ったりするのは不可能な状態だった。
千里たちは、この日の4時間目は体育だった。が校庭が使えないので体育館でバスケットをしますということである。例によって男子・女子ともに各々半分のコートを使って、男子は7人対7人(2人休み)、女子は6人対5人(1人休み)で試合をした。ここでむろん千里は女子に入り、留実子はむろん男子に入っている。
最初の方で、ボールをうまくつかめなかったり、ドリブルを失敗する子が相次ぐ。シュートをしようとしてボールをこぼしてしまう子も多発する。
「お前らどうした?」
と男子を指導している吉村先生が言う。
「寒すぎて、手がかじかんで、ボールが扱えません」
「シュートしようとしても指がまともに動かなくてコントロールできません」
「だいたいこの体育館、雪が舞ってますよ」
「もはやここは外と変わりません。窓際に雪が積もってるし。室内なのに」
「ストーブ入れて下さいよぉ」
これが本音だ。
女子からも賛同の声があがる。
「あまりにも寒すぎて、お腹がピーになりそう」
「避けすぎて足が凍結しそう」
吉村先生と桜井先生で話し合い、ストーブが4個搬入され(搬入したのは男子)、火が点けられると
「ストーブだ、ストーブだ」
と言って、みんなそこに群がり、手を温めている。
「そろそろ温まったろう。ゲーム再開するぞ」
「え〜!?」
不満の声は出たものの、さっきとはみんな動きが見違えた。というより、やっとまともなゲームになった。
男子の方では留実子がダンクを決めるわ、相手シュートをブロックするわ、リバウンドを取るわで、八面六臂の活躍でチームを勝利に導いた。
「花和〜、やはりお前、ミニバスに欲しい」
「サッカー入ってるから無理」
「惜しいなあ」
「性転換は終わってるんだろ?」
「誰かちんこくれるといいんだけど」
「鞠古、お前のちんこをこいつに譲れよ」
と田代君が言ったら、鞠古君が何か考えているので、どうしたんだろうとみんな思った。
女子の方では優美絵がどんどんゴールを決めるのでとうとう「ゆみちゃんの邪魔はしない」という暗黙の了解が崩れてけっこう行く手を阻んだりする。しかしそれにもめげず、うまく相手の手の下をくぐり抜けたりして、この日20点も得点をあげた。
千里は、女子の中では比較的長身の自分が中まで入って行ってシュートしたら悪いかなあと思い(千里は細いが高い)、もっばら遠くから撃ったが、それでもシュートした内の半分くらいをゴールに叩き込み全部で18点も入れて
「千里は遠距離の天才だ」
「さすがソフトボールのエース」
などと言われた。実は杏子もロングシュートの成功率が高かった。
なおミニバスルールなので遠くから入れても2点にしかならない。
(千里は中学でスリーポイントのルールを知ってびっくりする)
「でも千里のシュートって距離が足りないってのがないね。上過ぎるのはあるけど」
「だって、ゴールより手前になったら、アウトになって確実に相手ボールになるじゃん。ゴールの向こうまで行くようなシュートだったら、ボードではねかえるからゲームは続く。誰か味方がそのボールを取ってくれるかも知れない。だから強めにシュートするんだよ」
「そっかー。気付かなかった」
「千里って意外に知能があるんだ」
「チンパンジーよりは頭がいいかも」
「うむむ」
その日、千里たちは理科の授業で電気の直列・並列の話を習っていた。この学校では5-6年生の算数・理科・国語・社会は各々それに得意な先生が教えており、理科は2組担任の伊藤先生の担当だった(我妻先生は国語と社会)。
「回路のつなぎ方には直列というものと並列というものがあります。例えばこれが電池を直列につないだものです」
と先生は実際の模型を示した。
「電池を直列につないだ場合は、そのパワーが足し算になります。1.5V(ボルト)の乾電池を2個直列につなぐと 1.5+1.5=3.0 で、3V(ボルト) の起電力が得られます。だから電池を2個・3個入れた懐中電灯は1個入れるものより2倍・3倍明るいですね」
「電池のつなぎ方にはもうひとつ並列つなぎというのがあります」
と言って先生はこれも模型を示す。
「この場合は、電池の起電力は上下に分かれた部分で各々1.5Vなので全体でも1.5Vの電源として働きます」
「だったら並列につなぐのは無駄ですか?」
と質問がある。
「並列につなぐと、起電力は電池1個の時と変わりませんが、倍、長持ちするんですよ」
「ああ」
「だから電池を長持ちさせて、あまり頻繁には交換したくないような所に並列つなぎは使いますね」
と先生は言う。
「断線にも強いですよね?」
と玖美子が確認する。
「そうです、そうです。並列回路は、どちらかが断線しても他方でつながっているので、それで動き続けるんです。ですから停まったら困るような所にも実は並列つなぎは使うんですよ」
「もし人間が電池で動いているなら、電池は並列にしておかないと恐いですね」
「全くですね。でないとどこか断線したらそのまま死んじゃうからね」
と先生は答えた。
「村山は電気で動いているという説があります」
「ああ、村山が電化製品に触ると壊れるよな」
「村山、並列回路にしといた方がいいぞ」
などと男子が茶化していたが、千里は手を振っておいた。
「村山、何か質問ある」
と伊藤先生が訊く。千里が手を振ったのが、質問か何かのために手を挙げたように見えたのだろう。
千里はさっきから疑問に思っていたことを訊いた。
「乾電池って1.5V(ボルト)なんですか?」
「いい質問だ。特殊な用途の電池には他の電圧のもあるが、普通に使用されているのは1.5Vに統一されてる。単一、単二、単三、単四、全部1.5V。ただしボタン電池はバラバラ」
「ああ」
その時、千里はなぜそういう質問をしたのか分からない。
「先生のお話を聞いていて、ふと思ったんですが、その直列と並列の中間の場合はどうなるのでしょう?」
「中間というと?」
「言葉でうまく説明できないのですが」
「黒板にちょっと書いてみて」
「はい」
と言って千里は前に出て行き黒板に絵を描いた。
「こういうふうにですね。並列にして、片方は直列にするんですよ」
先生がこの絵を見てうなったが、教室内も騒然とする。みんな分からないのである。
「みんなに訊いてみようか」
と先生は言う。
「沢田(玖美子)はどう思う」
先生がいきなり成績トップの玖美子に訊いたのはこの問題が凄く難しい問題であることを示している。
「並列した内の強い方の回路が効いて3Vになる気がします」
と玖美子は答えた。
「田代は、どう思う?」
「ひょっとしたら弱い方に引きずられて1.5Vになっちゃうかも。新しい電池と古い電池をうっかり混ぜて使うと、全体も弱くなるんですよ」
「意見が分かれたな。琴尾(蓮菜)はどう思う?」
「凄く不確かなんですが、もしかしたら平均で (3+1.5)÷2=2.25 で2.25Vになるかも」
先生は楽しそうである。
「ホントに色々意見が出るな。これ答え知ってる人いる?」
と先生が教室に尋ねると、鞠古君が手をあげた。
教室が騒然とする。
「おお。鞠古の意見は?」
「2Vです」
「凄い。正解」
「え〜〜〜!?」
という声が教室全体に響く。誰も思いもよらなかった数字である。どこをどうしたら2などという数字が出るのか?
「ついでに言うと、そういうつなぎ方をすると電池が爆発することもあり、とても危険です」
と鞠古君は言った。
「そうそう、そうなんだよ。だからこれは絶対に実験してみてはいけない」
と先生は鞠古君の言葉を追認した。
「でもよく知ってたな」
「高校生の姉貴に習いました。こういう時は1.5と3.0の調和平均を取るんだって。平均速度を求める問題と同じだって」
「調和平均か!」
と叫んだのが、田代・玖美子・蓮菜の3人である。他の子は“調和平均”という言葉を知らない。
鞠古は平均速度という例を出したが、速度の平均を求める場合も、やはり調和平均が出てくる。数学的には電圧の平均を求めるのと同じ問題である。
120kmの行程を行きは 60km/h, 帰りは 40km/h で走った場合、平均速度は40と60の調和平均 48km/h になる。
「うん。これは高校の理科なんだよ。キルヒホッフの第2法則というのを使う」
と伊藤先生は言う。
こういう法則の名前がさっと出てくるのはさすが理科が得意の伊藤先生である。文系得意の我妻先生はきっと知らない。
「こういうアンバランスな回路を作った場合、上側と下側で電圧の差があるので、実はこの並列部分に循環する電流が流れてしまう。上の方が強いから下側は、電池の起電力と逆向きの電流が流れる。それでこれが蓄電池ならこの電池は充電されるだけだからいいんだけど、普通の乾電池の場合は過熱したり、最悪爆発する」
「そしてこの内部回路で消費されてしまうから、この回路全体の起電力は単なる直列の場合より減ってしまうのだよ」
と先生は概略を説明した。
「この内部回路について起電力を計算してみると、各々の電池の起電力をEとして−E+E+E=Eになる。一方この回路の電圧降下はひとつの電池の電圧降下をRとして3R。だからE=3Rとなる。この回路全体の起電力は、2E-2Rになるから R=E/3 から、2E-2R = 4/3 E になる。E=1.5 を代入して、回路全体の起電力は1.5×4÷3 = 6÷3 = 2V となる(*17)」
と伊藤先生は黒板に数式の羅列を書いた。
「分かりませーん」
という声が多数。
「うん。今は分からなくてもいい。高校に行った時にこの話をチラッと思い出してね」
と伊藤先生は笑顔で言った。
そしてこの話を聞いた瞬間、小春は千里を来年の春に死なせないとんでもない方法を思いついたのであった。
(*17)一般に並列回路の上にm個、下にn個の起電力 E の乾電池をつないだ場合の全体の起電力は、 ( 2mn/(m+n) )E になる。これは mE と nE の調和平均である。ただしこのつなぎ方は爆発の恐れがあり、とても危険である。
2002年11月27日、中国で新型コロナウィルスによる感染症 SARS (Severe Acute Respiratory Syndrome) のアウトブレイクが報告されたが、この時点ではごく一部の人以外、これが重大な問題であることに全く気付かなかった。
青葉の父もこれが自分が経営する会社(旅行代理店)の倒産につながる事態であるとは思いもよらなかった。そもそもこのニュース自体に気付いていなかった!!
12月1日(日).
千里がその日、恵香・美那・穂花と3人でバスに乗りジャスコに来て、買物もせずに(そもそもお金が無い)ぶらぶら見て歩いていたら、突然向こうから晋治が来るので仰天する。
「お母さんに電話したら、ここに来てると聞いたから」
「え、えーっと私、こんな格好・・・」
女の子同士で遊びに来ていたので、千里は全く適当なトレーナーに安物のブルージーンズ、そして裙が少しほつれているダウンコートを着ていた。
「服装は気にしなくていいよ」
と晋治は言うが、こちらは気にする! 会いに来るなら事前に言ってよぉ!!
恵香たち3人は
「じゃね」
と言って向こうに行った。
取り敢えずジャスコ内のフードコートでピザと紅茶を取って、ピザはシェアして食べる。
「いや、千里結局中学はどこ行くのかなと思ってさ。それを確認しておきたかったんだよ」
「私はこのまま公立のS中学に進学することになると思うけど」
「うちの学校に入らない?」
と晋治は言った。
「T中学なんて、私の頭では絶対無理。それにうちは貧乏だからとても私立なんて行くお金無いよ」
「千里の力があれば、野球部の特待生になれると思う」
ドキッとした。夏休みにデートした時、晋治の先輩?から性転換してうちに入らないか?なんと言われたっけ。
「それ男子として入るということ?」
「そこが難しい所なんだけど」
「野球部って丸刈りなんじゃないの?」
実際晋治は5分刈りにしている。私は丸刈りなんて絶対嫌だ。たとえ男になったとしても絶対そんな頭にはしたくない。
「丸刈りというのは選手が自主的にしているだけでルールじゃない。だからある程度の長髪は、特に実力のある選手では容認されると思う」
「でも私が男になっゃったら、晋治との関係も終わりだね」
と千里は言った。
いやT中に行かなくても、地元のS中でも、男子で自分の今の髪の長さは許されないのではという気がしていた。
「その問題はいったん棚上げしないか?」
と晋治は提案した。
「僕は千里との関りをずっと続けていきたい」
「でも私は中学になったら、どっちみち今のような性別曖昧な状態は続けられなくなると思う。きっと晋治が愛せない姿になってしまう。そして私はそういう姿を晋治に曝したくない。晋治のこと好きだから」
好きと言われて晋治はドキドキしている。
「僕は気にしないよ」
「私は気にする!」
と言ってから千里は少し前から考えていたことを言った。
「私たちの関係、3月いっぱいで終わりにしない?」
「終わり?」
「私は晋治の記憶の中では永遠に可愛い女の子のままで居たい。だから男みたいになっていく私の姿を見せたくない」
晋治はしばらく考えていた。
そして言った。
「少し考えさせてくれないか」
「うん」
「でも今日は遊ぼうよ」
「うん!」
それで千里は母に電話し、晋治と会ったので“ちょっと旭川に行ってくる”と伝えた。
「今日は泊まるの?」
「今日中に帰るよぉ。明日は学校あるし。でも晩御飯は適当に食べてて」
「分かった。あんた持ってる?」
「うん。持ってるから大丈夫」
晋治は旭川を朝1番のバスで出て来ていた(留萌8:57着)。それで千里の母の携帯に電話して、千里がジャスコに行っていると知り、晋治のお母さんに送ってもらつてジャスコに来たのが10時半頃だった。それからフードコートで話をしていたのだが、結局その間に買物をしていた晋治の母に送ってもらい、そのまま旭川に出た(いったん晋治の実家に戻り、冷蔵庫に買物を入れてあらためて2人を旭川に送る)。
千里は晋治の母に
「いつもお世話になっております」
と挨拶し、母は
「千里ちゃんほんと可愛いわね」
などと言うので、さっき晋治に3月で別れようと言ったのが自分を苛んだ。
でもそのことは忘れて!車の中では後部座席に並んで座り、楽しくおしゃべりした。もうこれ自体がデートという感じだ!出がけにお母さんがケンタッキーをドライブスルーで買ってくれたので、車内で食べたが、ケンタッキーはデート向きではないぞという気がした(モスとかもデート向きではない)。
旭川の“雪の美術館”で下ろしてもらったのが14時頃である。
「ここきれいだよねー」
「来たことある?」
「去年の宿泊体験で来た」
「へー。お姫様衣裳つけた?」
「ううん。各クラス1名でジャンケンしたけど負けたから」
「ああ、クラスで1名は厳しい」
それでお姫様体験・王子様体験に申し込んでみると30分後なら揃ってできるということだったので、それまで館内を一緒に見て回る。
「ほんときれいな所だよねー」
などと言いながら見ていた。
時間になったので、お姫様体験・王子様体験の受付の所に行く。着替える場所はもちろん男女別なので手を振って別れ、スタッフさんに千里はお姫様の衣裳、晋治は王子様の衣裳を着けてもらった。何か素敵な気分だった。
それで記念撮影をして写真を撮ってもらった。
(最低料金ので申し込んだので自分のカメラでの撮影は禁止。しかしこの写真を後で晋治がパソコンでスキャンしてデータ化し、そのデータ(psd形式)と写真の“オリジナル”を送ってきてくれた)
普段着に着替えてから、時間待ちの時は降りてなかった地下への螺旋階段を降りる。それで氷の回廊を歩いて音楽堂に行くと結婚式をやっているようだった。それでそのまま戻ろうとしていたら、何か騒ぎになっている。
「どうしたんですか?」
「いや、ビアニストが螺旋階段で足を踏み外して怪我して救急車で運ばれて、誰か代わりのピアニストを手配しなきゃいけないけど、他の契約ピアニストはみんな市外で・・・」
などとスタッフさんが言っている。
フェイルセーフができてない!
すると晋治が言った。
「難しい曲目でなければ、この子、ピアノ弾きますけど」
などと言い出す。
「君ピアノ習ってるの?」
「まあ得意かな」
と千里は言った。
「ちょっと来て」
と言って引っ張って行かれる。
「これ演奏予定曲目なんだけど、弾ける?」
千里は曲目リストを眺めたが、知っている曲ばかりだ。
「全部レパートリーですね」
「だったら弾いてくれない?」
「いいですよ」
この時、係の人はデート中だっので、千里を高校生くらいと思ったようだった。女の子の年齢というのは分かりにくい。
「でも君、ひどい服着てる。ちょっと着替えて」
と言われる。確かにひどい服だと自分でも思う。
それで真っ白なシルクのドレスを着せられ、ダイヤ付きの銀のティアラまでつけさせられた。そしてメイクまでされる!
「おお、美人だ」
と晋治が感動している。
それで千里は真っ白いグランドピアノの前に座る。ピアノのそばに付いている女性が「メンデルスゾーンの結婚行進曲」と言うので弾く。
ドドドドー・ドドドドー・ドドドミッ、ミミミミッ・ミミミソッ、ソソソソッ、ソソソソッ、ドーシミ・ラソファレ、ド(trill)レソレミ
千里の演奏にあわせて新郎新婦が入場してきて、メインテーブルに就いた。この千里の演奏を聴いて司会者がホッとしているのが見えた。まあ練習とかを見る時間も無かったから賭けだったろうなと思う。でも結婚式はその先の予定が詰まっているから、他のピアニストの到着を待つ訳にもいかない。
新郎新婦紹介、長い主賓挨拶の後、乾杯となる。ここで千里は長渕剛の『乾杯』を演奏する。続いてウェディングケーキへの入刀となる。ここで演奏する曲はクライスラー『愛の喜び』である。通常ヴァイオリンで演奏される曲だが、千里はこれをピアノで弾むように楽しく演奏して、そばに付いているスタッフの女性が感心していた。
ゲストのスピーチが何人か続く。その間は“自由に”と言われたので、ショパン『ノクターン』、モーツァルト『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』、シューベルト『鱒』、ウェルナー『野ばら』、バッハ『主よ人の望みの喜びよ』、『G線上のアリア』、瀧廉太郎『花』、中山晋平『雨降りお月さん』、などと弾いていく。
そこからゲストによる余興を10組やったが、千里はこのような曲をリクエストに応じて弾いた。
宇多田ヒカル『First Love』
MISIA『Everything』
Mr.Children『君が好き』
Kiroro『Best Friend』
モー娘。『ハッピーサマーウェディング』
セーラームーンより『ムーンライト伝説』
松田聖子『赤いスイートピー』
牧村三枝子『みちづれ』
Stevie Wonder『I Just Called to Say I Love You(心の愛)』
Edith Piaf『Hymne a l'amour (愛の讃歌)』
このリクエストコーナー゛は、どーんと楽譜集が20冊くらい積み上げてあり、この中に無いものは断っていいと言われていた。しかし千里はほとんどの曲を暗譜で弾き、スタッフさんが感心していた。1つだけ楽譜を見て弾いたのは『みちづれ』だが、これについてはスタッフさんも
「さすがに今の若い子は知らないよね」
と言っていた。これを歌ったのは新郎の会社の会長さんらしい。
むしろスタッフさんは千里がスティービー・ワンダーもエディット・ピアフも空(そら)で弾くので
「よく洋楽まで知ってるね」
と感心していた。実を言うとフランス系はリサの家でたくさん弾いていたので、千里はシャンソン・フレンチポップスに元々強いのである。
その後、キャンドルサービスではパッヘルベル『カノン』の指定だったのでそれを弾く。この曲のいい所は終わりそうになったらまた適当に繰り返せる!ことで、不定長のイベントのBGMとして優秀である。
両親への手紙では『大きな古時計』、それに続く両親への花束贈呈でポルノグラフィティ『アゲハ蝶』と演奏する。
そして最後に新郎新婦の退場ではリスト『愛の夢』を弾いたが、よくこんな難曲をきれいに弾くね!と感心された(この曲だけ千里も“かなーり”本気になった)。それでセミプロ級の演奏者と思われたようでギャラが凄いことになる。
これでお仕事は終わったが
「ほんとに助かりました」
と言われて、宴席の料理2人分と、謝礼の封筒をもらった。
封筒の中を見たら10万円も入っていたのでびっくりした。
「これ山分けしようよ」
と言ったが、晋治は
「それ千里がもらったものだから」
と言う。
それで宴席の料理だけ1個ずつ分け、また早めの晩御飯を千里がおごることにした。
結局ガストに行って、のんびりと食事した。その後、旭川駅前に移動し17:00の快速バスで留萌に帰った。留萌駅前に到着したのが18:49 で、母に連絡しておいたので、駅前まで迎えに来てくれた。
「旭川のどこ行ったの?」
「雪の美術館」
「ああ、なんかきれいな所ができてるらしいね」
どうも母は行ったことが無いようである。
「お姫様体験とかいってドレス着て記念撮影したよ」
「へー。そんなのあるんだ」
「あと結婚式に出た。そうだ。これ披露宴の料理」
と言って紙袋を渡したら、その瞬間母が固まってしまったのだが、千里は母が固まったこと自体に気付かずそのまま自宅に戻り
「疲れたから寝るね」
と言って奥の部屋に行き、お風呂にも入らずに眠ってしまった。
12月4日(水).
「さむーい」
と千里は声をあげた。
「これ着た方がいい」
と言って《きーちゃん》は防寒コートを渡してくれたので、それを着た。
「あ、これで少し暖かくなった」
と言う。
「今日はかずこさん来てないの?」
「うん。ちょっとお仕事してるんだよ」
「ふういんみたいな?」
「怪獣と戦ってるのかもね」
「すごーい」
「来年の封印を賀壽子さんにはやってもらうつもりだったけど、もっと大きな仕事ができてしまって」
「たいへんなんだね」
「千里も大変なことを2度もやりとげたよ」
「そうかな。えへへ」
「来年の封印を誰にしてもらうか悩んでる」
「ふーん。私じゃダメなの?」
「千里には別のお仕事ができると思う」
「怪獣と戦うの?」
「まだ分からないけとね」
「今日は金環食じゃないんだよね?金環食は来年と言ってたもん」
「うん。今日は皆既日食。これも楽しいよ」
「でもここどこ?インド洋か南極海っぽいけど」
「千里、近くに何か島が見える?」
「南の方、1070kmくらいの所にカエデみたいな形の島が見える」
「さすがだね。それがケルゲレン諸島だよ」
「へー」
千里は6時間目の授業まで終わった所でここ(40.6952 S 63.4120 E) に飛ばされた。それで太陽はその時点で少し欠けていた。欠けはどんどん大きくなっていく。そしてここに来てから1時間ほど経った16:38:56(日本時間:現地時刻は11:50くらい)とうとう皆既が始まる。
「わっ、何これ!?」
「すごいでしょ?」
「金環食とは全然違う」
「金環食はあくまで部分食にすぎない。これが真の日食だよ」
それはまるで唐突に夜が来たかのようであった。偶然近くで羽を休めていた海鳥が驚いて騒いでいる。千里の感覚で40-50km先は昼である。この付近のみが夜になっている。
16:41:04 皆既食は終了する。終了間際に端がキラリと美しく光った。
それを言うと
「あれをダイヤモンドリングというんだよ」
と教えられた。
「へー」
2分8秒も続く長い皆既食であった。
「凄かったぁ」
「結構長くて見応えがあったね」
「長かったんだ?」
「1分ももたないのもあるし」
「へー。そんなの見られたら、私2〜3年寿命が延びたかも」
「だといいね」
「来年5月の金環食も見せてね」
「OKOK」
「そうだ。津久美ちゃんの件ありがとね」
「うん。あの子は男の子にするのはもったいなさすぎるからね」
「冬休みにちんちん切る手術受けると言ってた。ちんちん切る手術って痛いのかなあ。1週間くらい入院するんだって」
「私や千里には分からない痛みだね。でもその手術は受けなくて済むようにしてあげるよ」
「ほんと?ありがとう」
それで千里は留萌に帰された。
12月5日(木)、教頭先生は千里に言った。
「君の学籍簿上の性別が女になっている件で、我妻先生に尋ねたんだけど、うっかりミスだという話だった。花和君も」
とうとうバレたか、と千里は思った。
「それで花和(留実子)君の性別は女に即訂正したんだけど」
あぁあ、るみちゃん、女の子になってしまったか・・・彼女はできたら男のままでいたかったろうなぁ。
「君の場合は、実際に女の子だよね」
「あまり追及されたくないんですけど、確かにそうです」
「一度、君も性別に関する精密検査を受けてきてくれない?」
「そうですね」
「桜井先生から君の家庭事情は聞いている。それでコソコソしてるみたいだけどお父さんの居ない日に、お母さんだけが付き添って札幌のS医大まで行ってこない?診察の費用・交通費とかは、僕と校長で個人的に出してあげるからさ」
千里は少し考えてから、教頭の好意に深々と礼をした。
桜井先生がわざわざ家まで来て母を説得してくれたので、千里と母は翌週の火曜日(父は月曜から金曜まで漁に出ている)、S医大に行くことになった。
12月9日(月)、津久美の性別訂正を認可する通知が届き、津久美の母はそれを即学校に提示した。津久美の学籍簿上の性別は既に女子に訂正済みだが、学校側はそのコピーを取らせてもらった。
「これで正式に女の子ですね。おめでとうございます」
と教頭先生は笑顔で言った。校長先生も祝福してくれた。
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【少女たちの晩餐】(4)