【娘たちの逃避行】(4)

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千里は7日夕方にManhattan sistersに関する作業を全て終了して最終新幹線で東京に戻った。そして8月8-9日は玲央美とも話したようにシェルカップというバスケット大会が行われた。
 
「あ、千里しばらく連絡がつかなかったからどうしたかと思った。こちらにはいつ戻って来たの?」
と麻依子から訊かれる。
 
「うん。昨日の夜戻って来た」
「やはり色々行事とかあってたんだ。でも頑張ったね」
「あ、うん?」
 
千里は何の話だろうと思ったのだが、それよりも麻依子が「助っ人を呼んできた」と言って佐藤玲央美を紹介するのでびっくりする。
 
「レオちゃん、うちのチームの助っ人だったんだ!」
と千里は本当に驚いたように言った。
「まあ半年ぶりにボールに触るからあまり期待しないでね」
 
と玲央美が言った時に、麻依子がえ?という顔をした。麻依子にとっても彼女がしばらくバスケから離れていたというのは意外だったのだろう。
 
「佐藤さん、自分のチームの規定には引っかからないの?」
とキャプテンの浩子が心配して尋ねる。
 
「私、今どこにも所属してないから」
「うっそー!?」
 

シェルカップはオープン大会なので、中高生からクラブチーム、大学生まで様々なチームが出場している。クラブチームにしても、ローキューツのような一応本格的(?)なチームや実質企業チームという所もあれば、バスケ協会に登録していない趣味で好きな人が集まってやっているだけといったチームまである。
 
ローキューツは1回戦を中学生チームに快勝した後、準決勝でローキューツと割と似た感じのチームである東京の江戸娘と対戦。前半は苦戦したものの、その苦戦が玲央美を覚醒させた感じがあった。
 
本当に5ヶ月ほどボールに触っていなかった人とは思えないほど物凄いプレイが炸裂する。そしてこの玲央美の覚醒によって強豪の江戸娘に勝って決勝に進出した。
 
そして決勝で対戦したのが、TS大学女子バスケ部の1年生5人で構成した「TSフレッシャーズ」であった。松前乃々羽・中折渚紗・前田彰恵・橋田桂華・中嶋橘花というラインナップはU18日本代表を3人入れたとんでもないチームである。
 
「うーん。日本代表が向こうは3人、こちらは2人、苦しいな」
などと麻依子は言っていた。
 
お互い顔見知りなので試合前からハグ大会となり、前田彰恵など
「こないだはお疲れ様〜。またやろうね」
と言っていた。
 
千里はこないだっていつだろう?ウィンターカップのことかな?などと彰恵の発言に首をひねった。千里はおそらく彰恵たちはU19世界選手権に出たのではないかとは思ったものの、自分が出なかった後ろめたさもあり、その件について尋ねるのは憚られた。
 
この試合は、千里と玲央美がかなり本気になったものの、日本代表の人数でも3対2、インハイ経験者の数でも5対3というのはやはり、じわじわと効いてくる。
 
かなりもつれにもつれたものの最後は中折渚紗のブザービーターでTSフレッシャーズが勝利した。
 
試合終了後、玲央美は笑顔で「バスケットって楽しいね」と言った。
 
「楽しいでしょ?」
と麻依子。
 
「そろそろバスケの練習も再開しようかなあ」
と玲央美。
 
「どこか入るチームが決まるまではうちで練習してもいいよ」
「そうさせてもらうかも」
と言って、玲央美は実際その後、9月まで、しばしばローキューツの練習に姿を見せ、主として千里や麻依子とマッチアップの練習などをしていた。
 

8月中旬。熊野サクラはKL銀行の女子バスケット部《ジョイフル・サニー》の部員を前に挨拶をしていた。
 
「こんにちは。シーズンの途中からですが、こちらに参加させて頂くことになりました、熊野サクラです。福岡県のC学園高校の出身です。ポジションは」
とまで言ったところで
 
「あ、言わなくても分かる」
「センターですよね?」
「はい」
 
「これで今期、最下位じゃなくなるかも」
「万一優勝しちゃったらどうしよう?」
 
などと部員たちの間で声が出ているのにサクラは苦笑した。
 
「あのぉ、ちなみに女性ですよね?」
「確認してみたい人は僕と一緒にスーパー銭湯にでも行ってみる?」
「行ってみたーい」
 
「でもサクラさんがもし男湯の方に入って行ったらどうしよう?」
「そんな時はみんなで男湯に突撃だよ」
 

これより少し前、U19世界大会が終わって帰国した数日後、サクラは高田コーチに呼ばれた。U19の活動をしていた間に知人に頼んで適当な仕事先を探してもらっていたらしい。
 
「まあKL銀行って所なんだけどね」
「済みません。その銀行の名前は知っていますが、バスケ部があるというのは知りませんでした」
 
「現在関東実業団の4部なんだよ」
「4部ですか!?」
 
サクラはいくら何でもという気になった。4部のチームって、趣味でバスケやってますという感じの人ばかりではなかろうか。
 
「むろん、君がフェイントを入れてパスを出してもそれをキャッチしてくれるような選手は居ないと思ったほうがいい。君がひとりでリバウンドもシュートもしないといけないだろうし、ディフェンスでは君ひとりで相手3人くらいを相手にしないといけないかも知れない」
 
サクラは黙って聞いている。
 
「しかしね。このKL銀行は来年4月1日付けで事実上経営破綻したJI信用金庫を吸収合併することになっているんだよ」
 
「あれ?」
「うん。JI信用金庫の女子バスケット部は2部なんだよ」
 
「それどうなるんですか?」
「だから女子バスケ部も合併して来季は2部に所属できる」
「わあ」
「その前にもしJI信金が今期優勝して入替戦にも勝てば1部スタートになるけどね」
 
「それは頑張ってもらわないといけませんね」
「だからまともなチームメイトが居ないのは今期だけ我慢して」
 
「でもどうせ一緒になるのなら、JI信用金庫の方には入れないんですか?」
 
「うーん。君がそちらがいいと言うならそちらでもいいんだけどね。但し向こうは経営破綻した会社だから月給5万円になるけど」
 
「私、KL銀行の方がいいです!」
 

それでサクラはKL銀行に入り、バスケ部のメンバーと練習しはじめるが、困惑したのが、ごく普通にパスを出してもみんな取り切れないということである。
 
「ごめーん。もう少し優しく出してもらえる?」
「うん。いいよ」
 
などといって、ボールをそっと投げてやるようにする。バウンドパスなどは反応が間に合わないようで、まず後ろにそらしてしまう。
 
相手の顔をしっかり見て
「○○ちゃん行くよ」
と声を掛けてからゆっくりとしたパスを出して、やっと受け取ってもらえる。また逆に他の子からサクラへのパスはコントロールが悪すぎて、全然こちらに飛んでこない。
 
おかげでプレシーズンの練習試合では、パスをカットされまくる。また相手はだいたいサクラに専用マーカーを付けて彼女を封じる作戦で来る。そうすると何もできないまま負けてしまう。
 
さすがに辛いぞ、と思い始めた秋のリーグ戦開始直前、
 
また1人新入部員が入って来た。
 
「池谷初美と申します。学歴は大学中退で英語とかもまともに使えなくて、I am a pen.と言って笑われたことあります。でもバスケは好きなので頑張りますのでよろしくお願いします。ポジションはセンターです」
 
と自己紹介する。
 
「初美さん、背が高〜い。サクラさんとどちらが高いかな?」
 
と言われて早速2人で並んでみると、初美の方が僅かに高いようである。
 
「大学中退って、どちらの大学ですか?」
「**大学です」
「すごーい!バスケの名門」
「ちなみに高校はどちらですか?」
「旭川L女子高といって。すみません。田舎の高校で」
「そこ、すっごい強豪ですよね?」
 
「すごーい。うちみたいな部にそんなに強い人が入ってくるなんて」
「いや、強いかどうかは」
 
などと本人は言っていたものの、彼女の加入でサクラはやっとまともなプレイができるようになったのである。
 
サクラと初美の間ではブラインドパスが通じるので、この2人でパスを交わしていると、味方でさえボールの所在位置を見失う感じであった。そしてサクラがシュートしたら初美がリバウンドを取り、初美がシュートしたらサクラがリバウンドを取るという連携ができるようになる。ディフェンスでも2人で左右を分担して守ると、簡単には相手の進入を許さないようになる。
 
そして会社はふたりが頑張っているのを見て数年前に結婚のため同社を退職・引退していたベテラン34歳のポイントガード伊藤寿恵子に声を掛けて契約社員として復帰してもらった。彼女の加入でサクラ・初美はまたやりやすくなった。
 
そのようにして、この春のリーグまで4年連続最下位を続けていたジョイフル・サニーは今季は一転して連戦連勝を重ねるのであった。
 

10月初旬。
 
花園亜津子が千里に相談したいことがあると言って連絡してきた。それは彼女が所属しているエレクトロ・ウィッカで、森下誠美と小杉来夢が解雇されてしまったので、取り敢えず3月まででも、ふたりをローキューツで引き受けてくれないかということであった。
 
ローキューツ側は彼女たちを受け入れ、結果的にはローキューツはかなりプロレベルに近いチームになる。更には春に交通事故で入院していた愛沢国香も退院の目処が立ったという報せも入り、来期は全国で上位を狙えるかもね、などという話をした。
 
「これだけ戦力が充実してきたのなら、あの子も勧誘しちゃおうかな」
と国香は言った。
 
それは同じ旭川出身で国香と同じ学年の旭川R高校・近江満子であった。彼女は仕事が忙しすぎて、なかなかバスケができないと嘆いていたのである。適当な仕事口を確保した上で勧誘しようと言っていたのだが、実際に国香が満子に連絡を取ってみたら
「ごめーん。先月末に別のチームに入っちゃった」
 
と言った。
 
「例の仕事は7月に辞めたのよ。そのあとずっとプライベートに練習してた」
「うん。辞めたほうがいいと思ってたよ」
 
「でも現役復帰おめでとう」
と国香は友人兼ライバルの復帰を喜んだのだが、その入ったチームの名前を聞いて、千里たちは驚くことになった。
 

2009年9月25日(金)。美花は閑散とした体育館でため息をついていた。
 
会社からは今期2部リーグで優勝するか準優勝して入れ替え戦に勝ち1部に上がることができたら女子バスケ部は存続させてもいいと言われた。しかし、同時に選手は全員プロ契約に切り替えることを要求された。しかもその報酬が年間60万円(取り敢えず10月から3月までは30万円)だと言うのである。
 
一応それ以外に1試合に出場する度に5000円の手当をもらえることになっている。しかしそれだけで生活していくのはかなり困難だ。
 
結果的に部に残ったのは、美花(PF), 亜耶(SF), 稀美(PF)の3人だけである。監督は無給を宣告されたが、当面残ってくれるらしい。
 
しかしバスケットは試合開始時に5人プレイヤーが居なかったら即負けになる。このままだとリーグ戦は全戦不戦敗となり、リーグ戦の成績が出るのを待つ前の段階で解散勧告が出かねないなと美花は思っていた。
 

ところがそこに監督が40代くらいの女性と、若くて背の高い女子3人を連れてやってきたのである。内1人は外人さんっぽい。
 
「紹介しよう。こちら藍川真璃子さん。元日本代表のシューティングガードで昨年は倉敷K高校のアシスタントコーチをしていた」
 
美花は目をぱちくりさせる。
 
「あのぉ・・・」
「こんにちは、藍川です。未熟者ですが、みなさんをしっかり鍛えてリーグ優勝を狙いたいので、一緒に頑張りましょう」
 
「コーチさんなんですか?」
「ええ。今期はスタッフにはお給料出ないという話だけど、私の弟子を3人入れてもらうことを条件にOKしました」
 
「佐藤玲央美です。ポジションはスモール・フォワードです。よろしくお願いします」
「アンダーエイジ日本代表の!?」
「はい」
と言って玲央美は微笑む。
 
「母賀ローザです。愛知J学園高校を経て、Wリーグのステラ・ストラダに一時期在籍していました。ポジションはセンターです。あ、私国籍は日本ですし日本語はふつうにしゃべれますからご心配なく」
 
「旭川R高校出身の近江満子です。なんか凄い人が2人も隣に居るので恐縮です。インターハイやプロ経験はありません。ポジションはポイントガードです」
 
「あのぉ、皆さんの報酬は?」
「半年30万円で」
 
「それでいいんですか〜〜?」
 
ともかくも、そういうことでJI信金《ミリオン・ゴールド》は土壇場で部員が6人になり、取り敢えず大会に参加しても不戦敗にならない人数となったのであった。
 

なお、玲央美・ローザ・満子の3人は月5万円の給料で生活するため住宅費節約で藍川コーチの2DKのアパートに同居することにしたらしい。
 
「2DKに4人寝られるんですか?」
「一応布団は敷けるんだけど」
「まあ朝起きた時はだいたい混沌としているよね」
「貞操の危機を感じたことはある」
「まあレズっ気は否定しないけど、当面自粛しているつもり」
 
「うーん・・・」
と美花は悩んだのだが、亜耶がこんなことを言い出す。
 
「すみません。私も給料5万円でどうやって暮らそうと思っていたので。もしよかったら、そこに泊めてもらえません?」
 
「もう布団を敷けないのでは?」
と稀美が心配する。
 
「そうだねぇ。台所には何とか敷けるかも」
と満子が答えた。
 
「6畳のほうにはあと1つ敷けると思う。台所はキッチンテーブルをどかせばたぶん布団2つ敷ける」
と玲央美が言う。
 
「じゃあと3人収容可能かな」
とローザ。
 
「私たち3人もコーチの所に泊まり込む?」
と美花も半ばヤケクソで言う。
 
「もう合宿所だな」
とコーチは笑って言っていた。
 

千里はこの年末に色々なイベントを経験している。
 
11.26 富士急ハイランドに行き絶叫マシンに乗せられる。
11.28-29 関東総合で3位。薫がローキューツに合流。
12.12-13 雨宮先生たちを大阪まで送る。緋那・研二・千里・貴司が遭遇。 緋那が千里に鍵を返す。貴司とふたりで伏見に行き京平と会う。
12.19-20 純正堂カップ優勝。
12.23-29 ウィンターカップ 23.1回戦 24.2回戦 25.3回戦 26.準々決勝 27,準決勝 28.3位決定戦・決勝・表彰式 (29.男子決勝)
 
千里自身にとってはやはり12月12-13日の大阪行きが大きかった。
 
貴司は5月中旬から新たに緋那という恋人と交際し始める。しかし千里の影が頻繁にちらつくことに緋那は次第にイライラを募らせていく。そこに緋那自身にも求愛者が現れたことから彼女はとうとう千里にマンションの鍵を返して半年間の戦いから事実上撤退したのである。但し緋那は完全に貴司を諦めた訳ではなく、この三角関係はこの先まだ2年ほどくすぶり続けることになる。
 
それでも貴司との夫婦関係を実質復活させた千里は、翌朝貴司と一緒に伏見を訪れ、(数年後に生まれる予定の)ふたりの子供・京平と会って彼にバスケットを教えるのであった。(この時、京平にあげたのは千里が5月に三宅先生からもらったミニバス用の5号球である)
 

純正堂カップが終わった12月20日(日)、優勝の後の打ち上げをまだ入院中の国香も加えて北千住の純正堂ケーキショップで行い、解散したのが19時くらいである。千里は薫に
 
「じゃ、行こうか」
と声を掛ける。
 
「うん。でも集合場所までどうやって行く?」
「車があるよ」
と言って千里は北千住ルミネそばの駐車場に入っていく。
 
「へー。インプ買ったのか」
「中古だけどね」
 
と言って、千里が運転席に座り、薫が助手席に座る。
 
「ね、千里」
「ん?」
「私たち北千住に来るって、表彰式が終わった後、急遽決めたよね」
「うん」
「偶然ここに駐めてたの?」
「うーん。私もそういうの分からない。私も今朝はなんで私こんなに会場から離れた駅のそばに駐めるんだろう?と思ったんだけど、都合良く行ったね」
 
「うーん・・・・」
薫が何だか悩んでいるふうなので千里はどうしたんだろう?と思った。千里にとってはこういうのは「日常的」なことなので、何も不思議ではい。
 

首都高・中央自動車道を走って調布ICまで行き、そのあと少し下道を走ってK市内の業務用スーパーまで行く。
 
先に、川南(K大学)・敦子(J大学)・夏恋(LA大学)が来ている。
 
「遅ーい」
と川南が文句を言う。
 
「ごめん。ごめん。もう少し早く終わるつもりが話が盛り上がっちゃって」
と千里は謝る。
 
「今日は何か試合やってたの?」
と敦子が訊く。
 
「うん。純正堂カップに出てきた」
「どこか強い所出てた?」
「準決勝は多摩ちゃんず」
「ああ、あそこは割と強い」
「そして決勝は伊豆銀行ホットスプリングス」
「そこは無茶苦茶強い」
 
「勝った?」
「うん。優勝したよ」
「さすが日本代表が入っているだけのことある」
「いや、なまってるよ。高校時代ほど練習しなかったもん、今年1年は」
 
「世界を相手に大活躍した人が何を言ってる?」
などと夏恋が言うので、千里は何のことだろう?と疑問を感じた。高3の時のアジア選手権のことかな? などとも思う。あの頃は自分もよく練習していたなあと、ほんの1年ほど前の出来事を思い起こしていた。
 
この1年は考えてみると、軽い朝練をする以外は、月水金に学校が終わってから体育館に行き、2時間程度麻依子や浩子たちと練習し、後はアパートに他に住人が居ないのをいいことに日々室内でドリブルしたり壁掛け式のゴールめがけてシュートしたりしている程度だ。
 
高校時代はほんとにバスケ漬けだったしもっとハイレベルな人たちとの切磋琢磨もあった。自分はこんなんでいいのだろうか?千里は自分のあり方に少し疑問を感じ始めていた。
 
なお千里の「リハビリ」期間は9月23日で終了しており、その後現在は高校時代に鍛錬をしていた頃の身体に戻っている。腕などもちょっと悲しくなるくらい太くなっている。今の千里は8月上旬に玲央美から「腕が細くなっている」と言われた時の身体ではない。身体だけは、世界とも戦える身体である。
 
しかしU19を事実上ボイコットしてしまった以上、千里はもう2度と日本代表に呼ばれることもないだろうと思っていたし、今後はずっとローキューツのようなチームでのんびりとバスケットを楽しんでいくしか自分には道は無いのだろうと思っていた。それは自分で選んだ道ではあっても少し寂しい気も、しはじめていた。
 

業務用スーパーで大量にお肉、野菜、飲み物、お米などを買う。買ったものは千里の車と川南の車に分けて積み込んだ。
 
「千里の車はたくさん荷物が載って良い」
「これ高かったでしょ?」
「ううん。中古で54万」
「安!」
 
「川南のマーチは幾らしたの?」
「40万円。でももう少し大きな車買えば良かったかなあと後で後悔した」
 
「川南、例の龍虎ちゃんとはまだつながりがあるの?」
「うん。あの子今は元気に小学校に行ってるよ。定期的に診察は受けているけど再発の兆候とかは無いらしい」
「それは良かった」
「新しいお父さん・お母さんとも仲良くやっているみたいだし」
「それも安心した」
 
「女の子の服も色々送ってあげている」
「・・・・」
「女の子として生活してるの?」
「一応男の子として学校には行っているらしい」
「ふむふむ」
「川南さんスカートとか送ってこられても困るんですけどと言われる」
「ふむふむ」
「穿いてみないの?と言ったら、少しと言ってた」
「ああ」
「女の子パンティも穿いてみたことを告白した」
「まあ目の前にあれば興味は持つよね」
 
「やはりまた可愛いスカートやワンピ送ってあげよう」
「それセクハラじゃないの〜?」
「ふふふ。あの子はきっと可愛い男の娘に育つよ」
「うーん・・・・」
「外出先でトイレの場所を尋ねるとたいてい女子トイレに案内されるらしい」
「誰かさんみたいだ」
「それそのまま女子トイレ使うの?」
「その件については口を濁す」
「怪しいな」
 
旭川N高校は今年はウィンターカップ道予選で準々決勝で函館U女子高に快勝、「実質的な決勝」である準決勝で同じ旭川同士、旭川L女子高と延長戦にもつれる死闘を演じて最後は伏兵・1年生センター・松崎由実のフリースローで1点差勝利、ウィンターカップへの2年連続の出場を決めた。
 
更にその後ほんの2時間ほどの休憩を経て行われた札幌P高校との(名目的な)決勝戦で、その由実がリバウンドを取りまくり、自らも8点を取る活躍。この「想定外の戦力」のおかげでN高校はP高校に「まさかの6点差」で勝利したのであった。
 
インターハイ道予選に続くP高校に対する勝利で、N高校はP高校の今年の北海道高校三冠を阻止したのである。
 
それで今年もウィンターカップの北海道代表はP高校とN高校になったのだが、渡辺純子がかなり悔しがっていた。
 

そしてN高校の女子バスケット部員たちは今日20日夕方の飛行機で旭川空港を発ち、またまた東京のV高校にお世話になることになったのである。それで彼女らのお世話係兼練習相手として、東京近郊にいるOGに声が掛かった。
 
参加したのが、2003年のインターハイに旭川N高校が出場した時のメンバーで山口宏歌(PF 実業団2部のAS製薬)・麻野春恵(SF 同じく実業団2部のKQ鉄道)、蒔枝さんたちと同じ学年で結婚してこちらに出てきていた月原天音(SF 旧姓愛野 趣味のチームに所属)、今年もまた参加してくれたW大学4年の田崎舞(実業団2部JP運輸への入団内定済)、そして買出しに行ってきた千里(SG)・薫(SF)・川南(PF)・夏恋(SG/SF)・敦子(PG/SF)の5人、合計9人である。
 
レッドインパルスの靖子さんも時間が取れたら顔を出すと言っていたが、彼女は忙しいようなので少なくとも毎日という訳にはいかないであろう。
 
「でも私は高校時代は最後までスターターになれなかったけど、みんなの合宿に協力していて自分も頑張らなきゃと思ってW大学のスターターまで登り詰めたから、これって千里ちゃんたちのお陰かも知れないよ」
 
などと田崎さんは言っていた。
 

旭川N高校の一行約40名は昨年と同様、旭川19:50(ADO)21:35で羽田まで飛び、そのあと電車を乗り継いで深夜11時半頃にV高校に到着した。千里たちは彼女らの結構な人数が夜食を欲しがるだろうというので、消化が良さそうなサンドイッチとかおにぎりとかを用意して待っていた。しかし・・・
 
「お腹空いたぁ!ハムカツか唐揚げでもないですか?」
などと言っている子もいる。
 
一応そういう子たちのために唐揚げも2kgほど揚げておいたのだが、1秒未満で無くなり、川南が呆れていた。
 
部員たちには「遅くまで起きていたら強制送還」などと言って1時前に寝せたのだが、千里たちは南野コーチ、今年度から保健室の先生になった大島先生の2人と一緒に少しだけお茶を飲みながら歓談した。
 
「お疲れ様でした。この人数連れてくると神経使うでしょう?」
「うん。これまでは幸いにも事故もなく来ているけど、今年はインターハイに来ていた学校で選手がひとり急死した学校があったんだよ」
 
「そういうのは他の選手もショックだし親も辛いけど、引率している先生も立場がきついですね」
「うん。状況次第では引率者の責任を問われる場合もあるしね」
 

「でも1週間、2週間の遠征をしていれば、ふつうに病気や軽い怪我はあるよね」
と夏恋が言う。
 
「練習中の細かい怪我は日常茶飯事だしなあ」
と敦子も言う。
 
「やはり環境が変わって体調崩す子はいますね」
と川南。
「うん。どうしてもデリケートな子がいるからね」
と大島先生。
「でもドーピング問題があるから、うかつな薬は飲ませられなくて大変なのよ」
 
「遠征中は色々あるからなあ。カップル成立したり失恋したりってのもあるし」
 
「2年前は男子も一部連れてきたんだけどさ、あんたたちも気づいたでしょ?」
と南野コーチが言う。
 
「ああ」
「氷山君と寿絵がくっついちゃいましたよね」
「あれどこまでしたの?」
 
「セックスしたと思いますよ」
と夏恋が言う。
「やはりねぇ」
「避妊はしたはずです」
と敦子が補足する。
 
「つまり準備もしていたわけか」
「今はもう堂々と同棲しているし」
「ほほお」
 
「まあそんなことがあったから昨年も今年も女子だけにしたんだよね」
「なるほどー」
 
「遠征中に性別が変わってしまった子もいたし」
と敦子が言うと
「ああ、誰かさんが唆してたからね」
と夏恋。
「本人の持つ潜在的な欲求を顕在化させてあげただけだよ」
と川南は言っている。
 
「昭ちゃん、そういえばどうしてるんですか?」
と千里が訊くと
 
「あの子、性転換手術したよ」
と南野コーチが言うので、千里はびっくりする。
 
「もう今年は春から完全に女の子になっていた。2年生の時までは女の子たちと一緒に居るのを結構恥ずかしがっていたんだけど、3年生になってから完全に女子として溶け込んでいたんだよね。練習もほとんど女子チームと一緒。公式戦だけ男子の方に出る。オープン戦では許可をもらって女子の方に出していた。それでインターハイに行けたらその後、行けなかったら道予選の後で手術を受けるつもりだったんだって。今年男子は道予選の決勝リーグを全敗して4位に留まったから、7月上旬に性転換手術を受けた」
 
「わぁ・・・」
 
「千里ちゃんも7月上旬に手術受けたんでしょ?」
「ええ。あれは夏休みにぶつけるしかないんですよ」
「千里ちゃんはもう9月にはふつうに学校に出てきてたけど、あの子は回復に時間がかかったみたいでそのあと1学期いっぱい休んで、10月の連休明け、2学期から出てきたんだよ。期末テストは自宅に副担任の先生が言って自宅で受けさせた」
「あれ、時間のかかる人は半年くらい寝てると言います」
と千里はコメントする。
 
「それで戸籍上の性別は20歳まで直せないけど、名前は法的に昭子に改名したんだよ。だから学籍簿上も昭子になった。性転換手術を終えたということを重視して学籍簿上の性別も女子に変更した」
「ああ」
 
「女子選手としてはいつから活動できるんですか?」
「あの子、実は2008年8月に去勢手術を受けていたらしい。その手術証明書を持っていたんだよ」
「え〜!?」
「そんなに早くですか」
 
「だから2年後の2010年8月から女子選手として大会に出られる」
「じゃ1年生の内からインカレに間に合うんだ!」
「うん。でもあの子、大学には行かないって」
「そうなんですか?」
「関東の強豪実業団チームに誘われているらしいんだよ」
「それ、女子の?」
「そうそう。関東実業団選手権には間に合っちゃうからね」
「すごーい」
「いや、あの子のスリーを見たら、過去の性別なんか気にせず勧誘したくなると思うよ」
「ですよねー。さすが千里の愛弟子」
 
「結局、あの子は男子高生として入学して、女子高生として卒業していくことになるね」
と南野コーチは言う。
 
「千里や薫もかな?」
と川南が言うが
 
「私は、最後まで学籍簿上は男子だったんだよ」
と薫が言う。
「だから男子高校生として入学して男子高校生として卒業している」
「あれ〜?そうだったの?」
「男子高校生。でも女子制服を着てもいいよという扱い」
「へー」
「今は女子大生?」
「うん。そうだよ」
と言って、薫は自分の学生証を見せる。「歌子薫・平成2年6月28日生・女」と印刷されている。
 
「おぉ!」
 
「千里はどうなってたんだっけ?」
「私は最初から女子だったんだよ」
「ふむふむ」
「だから女子高生として入学して、女子高生として卒業している」
「つまらん」
「千里の学生証は?」
「うーん。うちの学生証は性別記載されてないんだよ」
と言って千里は自分の学生証を見せる。
 
「いや、ふつうわざわざ性別まで書かなくても、見れば性別はだいたい分かるから」
「まあ、千里のその学生証の写真見て男とは思わないよな」
 

「そうだ。千里ちゃん、例の賭けは千里ちゃんの負けだね」
と南野コーチが笑顔で言った。
 
「賭け?」
「去年のウィンターカップの時、千里ちゃん、この大会でバスケ辞めるなんて言うからさ、暢子ちゃんが本当に千里ちゃんが1年後までにバスケ辞めてたら暢子ちゃんが千里ちゃんに100万円払うなんて言ってたじゃん」
 
「あ・・・」
 
そういえばそんな話があったっけ?
 
「あ、聞いた聞いた」
と川南が言う。
 
「それで千里は1年後に現役続けていたら1000万円N高校バスケ部に寄付すると言ってたと」
 
うーん。。。と千里は悩んだ。そういえばそんなこと言ったっけ?でも今の自分の状態って現役なんだろうか?それで素直に訊いてみる。
 
「私って現役なんですかね?」
「バスケ協会に現役選手として登録されているでしょ?」
「ええ。でも好きな時に好きなだけ練習するだけのクラブチームだし」
「関東選抜で優勝したんでしょ?充分強豪チームじゃん」
 
「そのチーム、設立者が凄いよね。札幌P高校の堀江希優、愛知J学園の母華ローザ、岐阜F女子高の山高初子、福岡C学園の渡口留花。インターハイやウィンターカップで表彰されたことのある人ばかり」
と川南。
 
「いや、確かに凄いメンバーで設立されたんだけど、その4人は実際問題としてみんな幽霊部員だったんですよ」
と千里は言うが、薫は
 
「いや。今だって凄い。U18,U19日本代表の千里、U18日本代表でインターハイ・ウィンターカップのリバウンド女王・元プロの森下誠美、国体優勝を経験している溝口麻依子。他にも元プロの小杉来夢、更に全国大会の経験は無いけど充分強い愛沢国香、一応インターハイ経験者の石矢浩子。それに私も入っていて、結構な強豪チーム」
などと言う。
 
「うむむ」
 
千里は薫が「自分のことをU18,U19日本代表」と言ったのが少し気になった。私、U18代表にはなったけど、U19には出てないのに。
 
「ということで、やはり千里ちゃんはバリバリの現役ということで」
と南野コーチ。
 
「じゃ、千里は1000万円寄付だな」
と薫。
 
「まあ1000万円は大変だろうから1万円くらいでもいいよ」
などと南野コーチは言っている。
 
「済みません、ちょっと考えておきます」
「はいはい」
 

「でも実際、私先月、千葉県秋季選手権(オールジャパン千葉県予選)で千里たちのチームと当たったけど、実業団の上位とやってるみたいな強さを感じたってキャプテンたち言ってたよ」
と川南が言う。
 
「佐藤さんは結局そちらから離脱したのね?」
と敦子が訊く。
 
「ああ、佐藤玲央美は一時期一緒に練習してたんだけどね。シェルカップには出たんだけど」
 
「そうそう、それ。私シェルカップを見学してたんだよ。さすが日本代表が2人も入ったチームは凄いと思った。決勝戦は日本代表vs日本代表になったし」
と敦子。
 
「うん。さすが彰恵たちは強い」
と千里も言う。
 
「前田さんにしても橋田さんにしても、やはり世界と戦ってきて一皮剥けたって感じがした。千里と佐藤さんはいまひとつ調子が良くなかったね。ふたりが万全だったら、勝負は分からなかったろうけど」
と敦子は言う。
 
「私は春以降、ほんっとにあまり練習してなかったんだよ。せいぜい週に20時間くらいでさ」
と千里が言うと
 
「それ、私のふだんの練習量より多いじゃん」
と川南が言う。
 
「玲央美にいたっては、あの時点で4−5ヶ月全くボールに触っていなかったらしいんだよ」
と千里は言うが
 
「んなこといっても、ふたりともそのシェルカップ直前に世界選手権やってきてるじゃん。選手権の前には1ヶ月間濃厚な合宿やってるしさ」
と敦子は言う。
 
へ?
 
千里は敦子の言葉が理解できなかった。
 
「でもやっぱり世界は強いよね。日本も頑張ったと思うけど」
などと言いながら敦子は部屋に置いてあるノートパソコンを操作して、やがて1枚の写真を表示させた。
 
「千里も佐藤さんも、こうやって並んでいるともう既に日本代表の顔って感じだもんね」
と敦子が言うので千里は覗いてみたが、そこには信じがたい写真があった。
 
日本代表のユニフォームを着た選手が並んでいる。見ると、前田彰恵・橋田桂華、鞠原江美子、熊野サクラなどと並んで千里や玲央美の顔もある。千里は一瞬これは高校3年の時のU18日本代表の写真ではないかと思った。しかし日付が2009.7.1となっているし、ユニフォームのデザインも違う。またそこには森下誠美の顔が無く、代わりに?U18代表には居なかった高梁王子の顔があった。
 
この写真何〜!?
 
7月1日といえば、千里はローキューツに入って間もない頃である。あの当時は実際には性転換手術からまだ3ヶ月ほどのボディ(まだ結構人工的に作ったヴァギナの傷が痛かった)を使って、トレーニングを再開したあたりで高校時代に本格的に身体を鍛える前であり、身体もかなり華奢だった時代である。千里は今年の5月から9月に掛けて、半ばリハビリを兼ねたトレーニングを積んだ結果、高校時代にインターハイで戦えるだけの身体を作り上げたのである。
 
千里の性転換手術→体内時 2007.11.12 歴史時 2012.7.18
手術後の療養期間→体内時 2007.11.13-2008.2.13 歴史時 2012.7.19-10.19
その後の練習期間→体内時 2008.2.22-7.10 歴史時 2009.5.7-9.23
高2インターハイ→体内時 2008.7.11-10.6 歴史時 2007.5.21-8.3
 
だから(歴史時刻)2009年7月1日の時点ではとても日本代表に入れるような肉体は無かったはずなのだ。
 
でも私って、U19世界選手権に出たの? 全然そんな記憶無いし。
 

千里はいったん頭を休めるべきだと思った。
 
「ごめん。ちょっと先に寝る」
「あ、おやすみなさい」
「そうだ。今日は試合があったんでしょ?」
「疲れてるよね」
「じゃ朝は5時起き、よろしくー」
 
それで千里は先に宿泊室に行って寝ることにした。
 

V高校の研修施設は4階建てで、基本的には3階は男子生徒、4階は女子生徒の宿泊用である。トイレも3階には男子トイレのみ、4階には女子トイレのみがある。1〜2階には公演や特別授業用の大教室、会議室などの他、職員用の宿泊室も1階と2階に10個ずつある。生徒の部屋は4人部屋だが職員用の部屋はベッド兼テーブル付き2畳ほどと狭いものの、とりあえず全室個室になっている。ここに宇田先生・白石コーチ・大島先生の3人と千里たちボランティア9人の内通いを選択した月原さん以外の8人が泊まり込んでいる。実際には千里を含む女性9人が2階の宿泊室、宇田先生・白石コーチが1階の宿泊室を使っている。南野コーチは女子生徒と一緒に4階に居て、しかも階段の傍の部屋なので女生徒が夜中に出入りしようとすると見付かる確率が高い。
 
なお、教頭先生は対外交渉が多いので都心部のホテルに泊まっている。
 
千里は自分の部屋に入ってから寝ようとしたものの、やはりどうにも気になるので、パソコンを開いて、U19バスケット女子世界選手権を検索してみた。
 
ところが千里が検索してもなぜかU19世界選手権に関する情報が表示されない。おかしいな。さっきは敦子はいとも簡単に写真を表示させてたぞ? 千里はバスケット協会のサイトにアクセスしてみたものの、なぜかU19世界選手権の情報を見付けきれない。
 
なんで〜〜?
 
うーん。。。。。
 
千里は10秒ほど悩んだが結論を出した。
 
「寝よう」
 

12月21日の朝は4時半に起きた。取り敢えずお米を6升研いで2升炊きの炊飯器3個に入れる。
 
(御飯大盛1杯は半合程度なので6升は120食分。しかし朝から2杯食べる子が多いので朝食だけであっという間に4升くらいは消えてしまう。残った分は梅干しおにぎりとおかかおにぎりにして持たせる:これもお昼前には無くなってしまう)
 
塩鮭の丸魚3匹を発泡スチロールの箱から取り出して鱗を落とし、頭を切り落として各々三枚に下ろす。それをスライスして切り身にしていたら夏恋が起きてきたので
 
「私、今鮭を切ってるから、夏恋はお味噌汁の具を切ってくれない?」
と言う。
「OKOK」
と夏恋も言って、大根を切り始める。
 
「でもそんな大きな魚、三枚に下ろすの大変じゃない?」
と夏恋が訊く。
 
「魚を裁くのは小さい頃からやってるから。私、一応漁師の娘だし。お母ちゃんから、このくらいできないと漁師のお嫁さんにはなれないからねと言われてた」
と千里が答えると
 
「お嫁さんにね・・・」
と言って夏恋は何だか悩んでいた。
 
やがて川南も起きてきたので、彼女にはサラダを作ってもらう。レタスとかトマトを切っていたが、冷蔵庫を見ていて「あっ」と言う。
 
「どうしたの?」
「昨日、ドレッシング買うの忘れてた」
「ありゃー。じゃ、私コンビニにでも行って買ってくるよ。まだ少し魚を切り身にする作業が残っているけど」
「あ、切り身にするくらいなら私もできるよ。野菜切ってからそちらやろうかな」
 
と川南が言うので、千里はお任せして、宿舎を出、自分のインプレッサに乗り、近所のコンビニに出かけた。あいにくいちばん近い所には2個しか無かったので、更にもう少し先のコンビニまで行く。そこで更に4個買ってレジに並んだら・・・
 
「あ」
「あ」
 
「お久〜」
「お久〜、愛してるよ、千里」
「なんかまたレオちゃんに告白されちゃった」
 
そこに居たのは佐藤玲央美であった。
 
「私、近くで旭川N高校がウィンターカップで出てきて合宿してるからそのお手伝い」
と千里が言うと
「私は近くで札幌P高校がウィンターカップで出てきて泊まっているから、ちょっと顔出して練習相手」
 
「そういえば去年も宿舎はわりと近かったね」
 

列ができているので、商品の陳列をしていた他の店員さんがもうひとつのレジの所に入り「こちらどうぞ」と言う。千里と玲央美で譲り合い、結局玲央美がそちらのレジに行く。結果的に千里も玲央美も同じくらいで精算が終わる。
 
玲央美がカップ麺を買っていたのでお湯を入れるのに、入口近くのポットの所に行く。千里もそこに行って並ぶ。
 
「私の住んでる所の近所のコンビニにペヤング置いてないのよね〜」
と玲央美は言っている。
「玲央美がカップ焼きそばを食べている図って、高校時代からすると想像できない」
「うん。栄養管理てきとーにしてるから」
「それもいいかもねー」
 
「ところでさ、千里と一緒にシェルカップって出たよね? あれいつだったっけ?」
 
「8月8-9日」
と千里は答えた。
 
「その直前に福岡で会ったのはいつだったっけ?」
「8月3日」
 
「U19世界選手権っていつ終わったっけ?」
「日本がどこまで行ったか次第。決勝トーナメントに残ったら8月2日までだけど、そこまで行けなかったらもっと早く終わっている」
 
千里も昨夜、そのあたりの日程を再確認していたのである。ただどうしてもU19に関する情報を見付けることができず不思議に思っていたのである。
 
「私、シェルカップの時は半年ぶりくらいにボールに触った気がしたのよね」
と玲央美。
「スカイ・スクイレルに入団する時って実技テストみたいなの無かったの?」
「やってない。あんたなら文句なしに合格って言われて。年俸800万円でいい?はい、いいですって、それだけ」
「すごーい。800万円か!」
「まあ女子は安いからね。1000万円超してる人はWリーグ全体でも数人しかいないと思うよ」
「ああ、そんなものかなあ」
「破格の待遇だったと思う。でも倒産したから結局1円ももらってない」
「ありゃー」
 
ふたりはまた無言で微笑んだ。どうも玲央美も「その問題」に気づいているような気がする。でも、こんなこと言ったら頭おかしくなったとでも思われないだろうかと、少しためらう。
 
「そういえば高田コーチは私たちを拉致してでもバンコクに連れてくって言ってたね」
「そうそう。ショッカーの戦闘員みたいなのがでてきたりしてとか言ってた」
「改造手術されたりして」
「バンコクで手術って言ったら誤解を受けそうだ」
 

そんなことを言っていた時、突然コンビニのドアを開けてショッカーの戦闘員が入って来た。
 
千里と玲央美は思わず顔を見合わせた。
 
「まさか高田コーチの戦闘員?」
「実は高田総統という名前で多くの改造人間を支配下に?」
 
ショッカーの戦闘員のマスクを被った男(?)はレジの所に行くと包丁を出して「金を出せ」と言った。
 
千里たちはまた顔を見合わせた。
 
「最近のショッカーって強盗とかするんだっけ?」
「ショッカーも落ちぶれたのかなあ」
 
しかしコンビニの店員は非常ベルを鳴らす。すると戦闘員(?)は慌てたようでレジの所に置いてあった募金箱を左手でわしづかみにすると、逃げだそうとした。
 
千里は飛び出すと、男の後ろ側から右手の手首をガシッと掴んだ。
 
シューターの強烈な握力で握られた男は「ぅっ」と低い声を出して包丁を落とす。玲央美はその包丁を向こうの方へ蹴って飛ばすと、男を平手打ちした!
 
すると男は座り込み「ごめんなさい」と言った。男の左手から募金箱が転がり落ち割れて小銭が散らばった。
 

110番通報で、5分ほどで警察がやってきて男を強盗の現行犯で逮捕した。割れた募金箱の中に入っていたお金を店長さんと一緒に拾い集め、店長さんが奥から持って来た適当なガラスの瓶に入れた。千里が追加で五百円玉を1枚入れると、玲央美も微笑んでやはり五百円玉を入れた。店長さんが「済みません!」と言って自分でも百円玉を入れていた。現場検証していた警察の巡査部長さんまで「協力」と言って百円玉を入れてくれた。そのあと、かなり伸びてしまったカップ焼きそばを結局千里と玲央美で分け合って食べた。
 
ふたりはその巡査部長さんから住所・氏名などを尋ねられ、身分証明書を求められたのでふたりとも運転免許証を提示した。あとでもしかしたらあらためて事情聴取させてもらうかも知れないということではあった。ふたりが解放されたのは事件が起きた30-40分後である。
 
「参った、参った。私ドレッシング買いに来たのに」
「今朝のごはんはドレッシング抜きかな」
「今から戻れば食卓には間に合うと思う。あ、玲央美の宿舎まで送っていくよ」
「サンキュサンキュ」
 
それでふたりは千里のインプレッサに乗り込んだ。
 
「でも玲央美も免許取ったのね?」
「うん。5月に取った。気分転換にもいいよと言われたから。車は買ってないけど」
「まあ都会に住んでいると、あまり車を使う必要は無いからね」
 
「あ、私を宿舎に連れて行く前にドレッシングを先に置いて来たら?」
「そうする!」
 
それで千里はそのままV高校まで走り、調理室に駆け込んで
「何やってたの?」
と言う暢子に
「ショッカーと戦ってた」
と言ってドレッシング6本を置くと
「ちょっと佐藤大幹部を送ってくるから」
と言って飛び出して行き、車に戻る。その時、車の時計は 5:55 であった。あ、数字がきれいだなと思い、念のため自分のスントの腕時計も見てみるとMON 21 DEC 5:55 という表示であったのを覚えている。
 

「ね。やはり言っちゃおう」
と玲央美は言った。
 
「昨日P高校のメンバーが来たからそれを迎えてさ、お疲れ様。私たちが実現できなかった高校三冠を今年こそは取ってねと言ったらね。佐藤先輩も凄い活躍でしたね、って言われるんだよね。私何のことか全然分からなくて」
 
と玲央美は言う。今年札幌P高校はインターハイと国体を制したのでウィンターカップも優勝すれば夢の高校三冠である。玲央美の時はインターハイとウィンターカップは優勝したが、国体は旭川選抜が出場したので三冠はならなかった。もっとも千里たちの旭川選抜が国体で優勝したので「北海道が高校三冠」という報道もなされていた。
 
「実業団関東2部で優勝したからじゃないの?」
「まあ2部だからね」
 
玲央美が所属するJI信金《ミリオンゴールド》はこの秋のリーグ戦2部Aで全勝。2部Bの優勝チームにも勝って2部1位が確定している。年明けに1部の最下位のチームとの入れ替え戦にも勝てば来期は1部昇格できる。部員がわずか6名のチームというのに凄い成績である。
 
但し来期からはJI信金がKL銀行に吸収されるため、今期は4部で優勝した同銀行のチーム《ジョイフルサニー》との合併が決まっている(そのためジョイフルサニーは3部には昇格せず廃部扱いとなり、ミリオン・ゴールドが手続き上は存続チームとなる)。
 
そしてそのジョイフルサニーには熊野サクラと池谷初美(旭川L女子高出身)が居る。
 
「それで話を聞いていたらさ、私はU19世界選手権に出て大活躍したらしいんだよね」
「なるほどねー。私もU19世界選手権で活躍したらしいんだよ。その時期、私は奄美に日食の観察に行っていたはずなのに」
 
「ああ、あの時期か!」
 
玲央美も日食は覚えていたようだ。
「その時期、私はずっと博多でバイトしてたんだよね」
「ああ、その頃から博多にいたのね?」
「それでちょうど夜勤明けに日食を見たんだよ」
「なるほど」
 
「U19世界選手権の日本代表の集合写真も見たよ」
「私も見た!」
 
それで千里はいったん車を脇に停めて言った。
 
「どうなってるんだっけ?」
「私も分からない。何か不思議なことが起きているっぽいけど」
 

ふたりが悩んでいた時、その車のそばに真っ赤なランサー・エボリューションが、やや荒っぽく停まった。千里の真っ赤なインプとその真っ赤なランエボが並んでいると、走り屋さん仲間か?と人は思うかも知れない。
 
そのランエボから降りてきたのは鞠原江美子である。
 
「あ、いたいた」
と言って江美子はこちらの車を覗き込んでいる。
 
「鬼ごっこは終わりだよ。千里、玲央美、高田総統が待ってるからおいで」
と江美子は笑顔で言った。
 
「何があるの?」
と千里は尋ねる。
 
「何って今日からU19日本代表の第1次合宿だからね。NTCだよ」
と江美子。
「何か大会があったっけ?」
「何言ってるの。今月末はU19世界選手権じゃん。ふたりとも代表として発表されているからね。性転換でもしてない限り参加してよね」
 
「U19世界選手権って終わったのでは?」
「まさか。今月23日からだよ。ふたりとも今月いっぱいは日本代表にたっぷりつかることになるから、所属チームにはほとんど顔出せないと思うし、覚悟決めてね」
 
千里は玲央美と顔を見合わせた。
 
「今日は何日だっけ?」
「ふたりともボケてる? 7月1日に決まってるじゃん」
「何年?」
「2009年だけど」
 
千里はハッとして愛用のスントの腕時計を見た。
 
そこには WED 1 JUL 6:06 という日時が表示されていた。
 
 
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【娘たちの逃避行】(4)