【娘たちの逃避行】(1)

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誰かさんと誰かさんがライ麦畑を通ってきて出逢ったら、
誰かさんが誰かさんにキスしたら、誰かさんは叫んだりする必要ある?
女の子はみんな彼氏がいるのに、私には誰もいないみたい。
ライ麦畑を通ってくると男の子はみんな私に微笑みかけてくれるのに。
 
Gin a body meet a body, Comin' thro' the rye,
Gin a body kiss a body, Need a body cry?
Ilka lassie has her laddie, Nane, they say, hae I.
Yet a' the lads they smile on me, When comin' thro' the rye.
 
(Gin=If, Ilka=Every, hae=have, a'=all, nane=none, lass(ie)=girl, lad(die)=boy)
 

2009年3月末、釧路市で阿寒カップが行われ、旭川N高校は男女ともこれに参加したが、湧見昭一は男子チームには出ずに、湧見昭子の名前で女子チームに参加した。また行き帰りのバスも女子のほうのバスに乗り、他の子たちとふつうにガールズトークしていた。
 
帰りのバスが旭川に戻ってきてから南野コーチは北本志緒と湧見絵津子を呼んで言った。
 
「あなたたちさ、湧見昭一をずいぶん唆して女装させているみたいだけど」
「あの子の心の中の願望を実現させるお手伝いをしているだけです」
「単に手伝っているだけ? ひたすら唆しているように見えるんだけど」
「ひとりではなかなか女の子として行動できないのを背中を押してあげてるだけですよ」
「私が見るに、背中押してるというよりロープ付けて引っ張ってるような気がするんだけど。あんたたちのってパワハラ・セクハラじゃないかってどうも気になってさ」
 
「昭ちゃん、何か不満を訴えました?」
「ううん。あの子は訊いても『ボク女の子で居れて嬉しいです』と言うけどね」
「やはり本人の希望ですよ」
「でもあんたたち、あの子の男子制服取り上げてるでしょ?」
 
志緒と絵津子は顔を見合わせた。
 
「いや。そうしないと、なかなか女子制服を着る勇気がないみたいだから」
「そのあたりって、周囲が無理強いするのではなく、本人の自発的な行動に任せるべきじゃないかと、私は思うよ」
「そうですね・・・」
 
「男子制服、返してあげなよ」
「うーん・・・」
 
とふたりは悩んでいる。
 
「でもそうかも知れないね。本人に再度男として生きるか女として生きるか選ばせるべきかもね」
と志緒が言う。
 
「まあ選ぶも何も、既に男としては生きられない状態になっている気もするけどね」
と絵津子。
 
玉も取っちゃったしね〜と絵津子は思う。
 
しかしともかくも、それで絵津子たちは昭子に男子制服を返してあげたのである。
 

4月1日、大学の入学手続きの後、運転免許を取得し、東京からいったん旭川に戻った千里は、まずは引越の作業を始めた。
 
「高校の制服はどうするの?」
と美輪子叔母が尋ねる。
 
「今年N高校に入る女子バスケ部員で、あまりお金が無い子がいるのよ。その子にもらってもらうこと確定済み」
と千里は言う。
 
「男の娘が着たものでもいいのかね?」
と美輪子は心配するが
 
「大丈夫。その子も男の娘だから」
「え〜〜〜!?」
 
千里はコートは大学に入ってからでも使えるかなとも思っていたのだが、その話を聞いたので、コートも含めて全部あげることにしたのである。通学用のローファーも、気にしないならあげてもいいと思っていたのだが、その子は足のサイズが26.5cmということで、24cmの千里の靴は全く入らないので、ローファーは千葉に持って行くことにした。その子は背丈は177cmあるもののスリムな体型なので、千里の制服がきれいに着れるのである。
 
さて千里の引越の荷物整理だが、バッシュは実は中学の時に使っていたもの、高校1年から3年の夏まで使ったものもまだ取ってあったのだが、この機会に捨てることにして、1月にウィンターカップの健闘の記念にもらったものだけをずっと部活で使っていたスポーツバッグに入れた。このスポーツバッグにはいつも着替え数枚と、サロンパス、生理用品などが入れてある。入れてみると少しスペースが余るので何となく下着数枚にTシャツ・スカートなどを何枚か入れた。
 
千葉でも使いそうな衣類は数個の段ボールに分けて詰めたが、どう考えても千葉では使いそうにない強烈な防寒服は玲羅に送りつけることにして「玲羅行き」と書いた箱に詰めた。
 

「あんた、入学式は何着るつもり?」
と美輪子は千里に訊く。
 
「そうだなあ。背広上下にネクタイかな」
「あんた男に戻るつもり?」
「まさか。そもそも私、おっぱい大きいから男物の背広なんて着られないと思うなあ」
 
「レディスフォーマル、1着買っておいたら? けっこう使う機会あると思うよ」
「ああ、そのあたりが私もよく分からない」
 
今までは形式張った集まりなどにも、高校生ということで全部制服で押し通していたのである。春風アルトさんの結婚式だけは向こうが用意してくれていたドレスを着せられたが。
 
それで美輪子と一緒に町に出て、フォーマルを売っている店で色々見てから、5万円のピンクのフォーマルスーツを買った。またフォーマルでは堅苦しすぎるような場所で着るものとして、別の店で8000円のライトグリーン色のレディース・スーツも買った。フォーマルの方は入学式で着ることにして手荷物で持って行くことにし、普通のスーツの方はオリエンテーションの日に着ることにしてそちらは荷物に入れて送ることにした。
 

4月7日。旭川N高校では始業式が行われる。湧見昭一は11月に志緒に取り上げられてしまっていたものの、やっと戻って来た男子制服を見て、ふっと息をついた。ここ4ヶ月ほど、男子制服が無いのでやむを得ず(?)女子制服で通学していたのだが、ほんとに恥ずかしかったなあ、と思う。トイレも男子トイレには入れず、ずっと女子トイレを使っていたものの、列に並ぶ時は恥ずかしくて、いつも俯いていた。
 
それでほんとに久しぶりにワイシャツを着ると男子制服のズボンを穿き、それで朝御飯を食べに出ていく。
 
「あら、昭ちゃん、それワイシャツじゃないの? しかもズボン穿いてるし」
と母が訊く。
 
「うん。やっと男子制服をえっちゃんが返してくれたから、今日からはこちらを着て行く」
「ふーん」
と母は何か考えるように声を出した。
 
朝食が終わって、茶碗を洗い、昭一は自分の部屋に戻って出かける準備をする。今日は授業は無いので春休みの宿題と筆記用具だけ鞄に入っていることを確認。そして部活はあるので部屋の中に干していた練習用のユニフォーム上下、替えの下着・・・と思ってブラとショーツ、キャミソールを手に取った時、ドキドキした。自分が今実際にワイシャツの下に似たような下着を着けていることを忘れて、手に持っただけでドキドキした。
 
「男の子に戻っちゃったら、こういう下着も着けられなくて、トランクスとシャツなのかなあ」
などと独り言を言う。実は昭ちゃんは、ずっと女の子の下着を着けていたので、男子下着はもう持っていない。
 
その替えのブラやショーツをユニフォームと一緒にスポーツバッグに入れた。インターハイやウィンターカップの予選で男子チームに参加して試合をした時のこと、そして先日の阿寒カップや昨年も何度か女子と一緒に試合に出た時のことを思い出す。
 
ボク、女の子の方がいいなあ。。。。
 
そっとお股に手をやる。タックして女の子の形に擬態しているのだが、その中に指を突っ込んで、もう玉が存在しないことを確認しホッとする。実は3月の連休に唐津の祖父の家で親戚の集まりがあったのに、絵津子とふたりで出席したのだが、その帰り福岡市内の病院で、昨年夏に1個だけ取ってもらったものの残っていたもう1個の睾丸も除去してしまったのである。病院には絵津子が「姉」として付き添ってくれた。
 
「お姉さん?お兄さんじゃないの?」と絵津子は医師から言われたので本人は開き直って「私はもう性転換済みなんですよ」などと言っていたが!? そもそも唐津行きの行程ではずっと女の子の格好をしていた。向こうの親戚にも女の子姿を披露して「可愛い!」とみんなに言ってもらった。たくさん写真撮られちゃったし、今更もう男には戻れないよなあとも思う。
 
でも「性転換済みなんですよ」か。ボクもそんなこと言える日が来るかなあ。。。などと考えながら、昭子は取り敢えず学生服を取って袖を通した。
 

「昭ちゃん、そろそろ出ないと朝練に間に合わないんじゃないの?」
と母親が声を掛ける。
 
「ごめーん、私また頑張るね」
と昭子は返事をして、女子制服の上着とスカートを穿いて部屋から出てきた。制服の下に着ているのもワイシャツではなくブラウスになっている。
 
そして母親は昭子が初めて「私」と自分のことを言ったのを聞き「へー」と思った。
 
「うん。行ってらっしゃい。車で送らなくてもいい?」
と笑顔で母は訊く。
「うん。走って行くから大丈夫だよ」
 
それで昭子はお弁当のバッグを持つと、通学用のローファーを履き
「いってきまーす」
と言って飛びだして行った。
 

その日の朝練は、いつものように最初に久美子が来てひとりで練習を始めた。その内ソフィア、永子がやってくる。そのあと来た不二子と雪子が更衣室で着替えていた時
 
「おはようございます」
と言って女子制服姿の昭子が入って来た。
 
「おはよう」
「おはようございます」
と雪子・不二子が挨拶する。
 
「今日はちょっと遅くなっちゃったけど、明日から私、また頑張りますね」
と昭子が言う。
 
「うん、頑張ろう」
と雪子は言ったものの、今の昭子のことばに何か違和感があって何だろう?と思った。その疑問を不二子の言葉が解決した。
 
「昭子先輩、自分のこと『私』と言うようにしたんですか?」
 
「だって私、女の子だもん」
と昭子は笑顔で答えた。
 
ちなみに朝練が許可されているのは女子バスケ部だけであり、男子バスケ部は他の部同様に禁止されている。昭子は湧見昭一の名前で男子バスケ部に在籍しているのと同時に湧見昭子の名前で女子バスケ部にも在籍しているので、朝の練習に出ることができるのである。
 
朝練に付き合って教官室に居た南野コーチは昭子が女子制服姿で更衣室に入って行ったのを見て頷いていた。
 

4月10日の朝、千里は千葉のアパートで目を覚ましてから絶句した。
 
昨日は散々だった。引越の荷物を整理している最中に貴司が来たのはいいのだが、彼女連れで、しかも自分のことを「村山君」などと呼ぶ。確かに千里は先日大阪で貴司と会った時、彼女を紹介してよ、私男装して会ってあげるから、などと言うには言った。
 
それで荷物の片付けで、髪はまとめてショートカットみたいな感じにアレンジし、服装もラフなポロシャツとジーンズであったのをいいことに、そのまま男の振りをして貴司の話に合わせてやった。
 
しかし貴司は3人で居酒屋に行って話し込んだ後、自分の目の前で彼女をホテルに誘った。ショックで頭がよく働かなかった千里はその場を離脱し、そのあと何時間も雨の中、夜の町を彷徨した後、やっと自宅アパートに辿り着いてそのまま台所で眠ってしまった。
 
ところが起きてみると、昨夜の雨のせいで、居室に置いておいた着替えの入った荷物が全滅していたのである。とりわけ今日のオリエンテーションに着て行くつもりだった、旭川で買ったライトグリーンのレディススーツがずぶ濡れなのには困った。そして荷物をチェックした千里は、今日学校に着て行くことができるのは、今自分が着ている男物にも見えるユニクロのポロシャツとジーンズしかないことを認識したのである。
 
「えーん、こんな服で学校に出て行きたくないよぉ」
と千里は昨夜の失恋のショックの余韻が色濃く残る中で泣き出したい気分だった。
 

歌子薫は2007年7月、父親の定期預金を勝手に解約して去勢手術を受けたのがバレて怒った父親に金属バットで殴り殺されそうになり、北海道深川市の祖母の家に逃げ込んだ。そのまま結局旭川N高校に「女子生徒」として転入した上で「男子バスケット部」に入るが、その後祖母や兄の取りなしで父もかなり怒りの鉾を納めることになる。12月にN高校女子バスケ部がオールジャパンに出場するために東京に来た時に実家を5ヶ月ぶりに訪問。父に土下座して取り敢えず「預金の無断使用」については許してもらった。
 
更に「女の子になるのなら」ということで、母に連れられて美容外科に行ってヒアルロン酸によるプティ豊胸の施術を受け、女の子らしいボディラインを獲得した。薫はオールジャパンのエキシビション・マッチで女子チームの一員として出場して活躍したことから、北海道エンデバーに招集されるが、その時女子選手としてのIDカードを持っていなかったことから取り敢えず暫定カードが発行されるとともに、性別に関する診察を受けてくれと言われる。
 
それで旭川市内の病院で診察を受けた結果、薫は睾丸も無く、全体的に見て、むしろ女子であると判定され、本人の希望も確認した上で女子チームに移籍され、2008年の国体道予選・ウィンターカップ道予選に女子選手として出場を果たした。但し全国大会の出場は2010年2月20日以降と言われている。
 
また父親がかなり軟化してきたことから、薫は大学は実家に戻って東京近辺の大学に進学することにし、紆余曲折の末、都内のA大学に進学することにした。A大学の女子バスケット部は関女3部のチームで、事前に監督とも会ったが、薫が出生時は男性であったこと、実質翌年度からしか選手としては活動できないことを理解した上で歓迎と言われた。
 
それで推薦入試で合格したのだが、その直後、不祥事をきっかけにA大学の女子バスケット部で内紛が起き部自体が分裂してしまって、混乱の責任を取って監督やコーチも退任してしまった。
 

「あんた、バスケどうするの?」
と1月中旬、わざわざ北海道まで来てくれた母親は心配して薫に訊いた。
 
「分裂した両者がお互い非難しあってる状態でさ、自治会からも双方が登録拒否されたし連盟側は統一されるまで大会参加は認めないと言っているんだよね。選手も嫌気が差してかなり辞めちゃって、実質崩壊状態。それで考えたんだけどどこかのクラブチームに入ろうかと思ってる」
と薫は答える。
 
「ああ、そういうのがあるんだ」
「クラブチームにも、ほんとにレジャー的なサークルみたいなのから、実質プロみたいな所まで様々なんだけどね」
 
「でもあんた結局来年の2月までは大会とかに出られないんでしょ?」
「うん。去勢していることを確認してもらったのが高校2年の2月だったから。去勢手術した直後に、手術した病院でなくても良かったからどこかで診断書取っておいたら7月から参加できたんだけどね」
 
「だったらさ、あんたいっそ今の内に性転換手術を受けちゃったら」
 
「・・・・いいの?」
「こういうの、できるだけ早く手術しちゃった方がいいんでしょ?どうせなら」
 
薫は少し考えてから言った。
 
「私、手術したい。でもお金は?」
「お父ちゃんと話し合ったんだけど、JR東海の株を売ってもいいとお父ちゃんも言ってくれたから。150万円になるはずなのよね」
 
「ありがとう。ね、ひとつ打ち明けてもいい?」
「うん?」
「お父ちゃんには内緒で」
「・・・あんた何したの?」
「実はね、私の学資保険を勝手に解約しちゃって」
「ちょっとあんた」
「それで実はもうおちんちん切っちゃった」
 
「あんたじゃ、もう女の子の身体になってるの!?」
「ううん。単純に切っただけ。だから女の子の形にはなってないんだよ。それでヴァギナを作って割れ目ちゃんも作って女の子の形にする形成手術を受けたいの」
 
と言って薫はその部分を母親に見せた。今日は最初から見せるつもりでいつもしているタックによる女性器偽装は外している。母親は息を呑んで「元息子」の股間を見つめた。これは男でも女でもない形だ。
 
「普段はこうしてるんだよ」
と言って薫はその場でペニス代わりのFUD(排尿器具)を尿道口に後ろ向きに装着した上で、それを陰嚢の皮で包み込み10分ほどで美事に女性の外陰部にしか見えない股間にしてみせた。母親は
「面白ーい」
と言って、結構喜んでいた。
 
「でもその手術、いくらくらいかかるの?」
「たぶん80万円くらいかなぁ・・・」
 
母親は考えた。
 
「ちょっと待って。それはJR東海株を売れば払えるけど、あんた学資保険が無いならA大学の授業料が払えないじゃん」
「あはははは」
 

4月上旬。
 
TS大学女子バスケ部ではこの日新入部員を迎えたのだが、
 
「うっそー!?前田さんが居る!」
と叫んだのが中嶋橘花である。
 
「どうもどうも」
 
橘花と前田彰恵は今年のオールジャパンを観戦に行って遭遇している。
 
「なんか大阪の大学に進学する予定とか言ってませんでした?」
「うん。実はギリギリになってから志望校を変えたんだよ。あの時点ではこんな偏差値の高い大学に合格する自信無かったから、恥ずかしくて言ってなかったんだけどね」
 
「凄い。日本代表が3人もいる」
と松前乃々羽が言う。
 
3人と言うのは、前田彰恵・橋田桂華・中折渚紗である。
 
「なんかそこの5人、ちょっと凄いオーラを放ってるね」
と3年生の井手さんが言う。
 
「5人?」
と言って橘花が左右を見る。
 
「あんたと、あんたと、あんたと、あんたと、あんた」
と言って井手さんが指さしたのは、その日本代表3人と橘花・乃々羽である。
 
「んーん。じゃその5人と、2−3年生チームで試合してみよう。10分ハーフの20分間ね」
と4年生の部長・光田さんが言うので、2−3年の中核メンバー5人と、この新入生5人とで試合をしてみる。
 
すると45-38でこの1年生5人が勝ってしまう。
 
「強ぇ〜〜〜。参った」
と井手さんが言っている。
 
「じゃ君たち5人にはTSフレッシャーズの名前を与えよう」
と光田さんは言った。
 

4月上旬に交通事故に遭い2週間も入院するハメになった愛沢国香は病院のベッドの上で暇をもてあましていた。病気による入院と違って怪我による入院というのは、本人としてはあまり苦しかったりというのが無いので、概して暇である。
 
「しかし参ったなあ」
とつぶやく。折角今年は溝口麻依子を引き込むことができて、かなりいい所まで行けるぞと思っていたのに、自分自身が怪我してしまい、先週の春季大会にも出場することができなかった。今回の大会は麻依子の活躍で1回戦・2回戦を勝ち上がったものの準決勝で敗れてBEST4に終わった。自分も出られたら決勝まで行けたろうし、ひょっとしたら優勝できたかもと思うと悔しい。
 
「夏の大会にも微妙だよなあ。間に合わなかったらうちの弟を女装させて代役させる訳にはいかんかなあ」
などと半ば冗談のように独り言を言う。
 
取り敢えず月末までに退院できそうなので、退院したら頑張ってリハビリして鍛え直して、9月の裏関では上位に食い込めるようにしたいな、などとも思い、上半身だけでも鍛えねばと思ってダンベルもしている。
 
国香をはねた(というより正確には国香がぶつかった!)車のドライバーさんはとってもいい人で、毎日のように本人か奥さん、または高校生の娘さんが色々差し入れを持ってきてくれる。おかげで国香はおやつには事欠かずに済んでいた。
 
でも私、太っちゃうかも!?
 
なおこの事故は原因の大半が国香の側にあるということを国香側も認め上申書を書いたこともあり、ドライバーさんは30日免停(講習で短縮されて実際には1日、要するに講習を受けた日のみ)で済んだようである。もっとも25年間も続けたゴールド免許がダメになったと嘆いていた。でもこれからまた無事故無違反を続けて20年後に再度スーパーゴールドを取るんだとポジティブに語っていた。20年後って63歳?凄いなあ。頑張るなあ。
 
そんなことを考えている内に喉が渇いてくる。あいにくお茶もコーヒーも切れている。
 
「私も頑張らなきゃ」
などと独り言を言って国香は松葉杖を突き、1階の自販機まで行ってこようと思った。
 
ここ数日、病院の中を歩き回るのが国香の密かな楽しみになっている。
 
エレベータの所で待っていたのだが、なかなか来ない。どこかで患者を乗せるか降ろすかしているのかな?などと思って待っていたが、ほんっとに来ない。国香はイライラしてきた。
 
階段で行っちゃおうかな?
 
松葉杖を突きながら随分と「平面」は歩き回ったものの、まだ階段は未経験である。でも階段ったって1つ1つのステップは平面なんだから、廊下とかを歩くのと変わらないよね?
 
国香はそんなことを内心つぶやきながら、エレベータの隣にある階段に向かう。1歩1歩慎重に降りて行く。なーんだ。簡単じゃん。
 
国香はこれ退院まで毎日登り降りして少し鍛えるのもいいなという気がした。ここ2週間、何も練習できなかったのが、すごーく不満だったのである。国香は毎日練習するのが生活の一部になっていた。
 
階段を半分まで降りて踊り場で方向転換する。そして後半を降り始める。その時のことであった。
 
松葉杖を突いたつもりが突く角度が悪かったのか、ツルッと滑ってしまった。
 
え〜〜!?
 
バランスを失った国香はそのままガタガタっと凄い音を立てて階段の一番下まで一気に滑り落ちた。
 
痛たたたたた・・・・
 
近くに居た看護婦さんが飛んできた。
 
「愛沢さん!?どうしたの!?」
 

2009年4月下旬。
 
U19日本代表の実質的な選考役を任された札幌P高校の高田コーチは困っていた。
 
候補者の中で所在の分からない選手が数名居るのである。
 
昨年のU18アジア選手権が日本の初優勝という素晴らしい成績となったことからバスケット協会の上層部から、昨年のメンバーをできるだけそのまま代表にして欲しいという指示が来ている。
 
しかし取り敢えず離脱確実なのが、森下誠美である。彼女は今春Wリーグのエレクトロ・ウィッカに加入したのだが、Wリーグはちょうど世界選手権と重なる日程でサマーリーグを行っているため中核選手の指名は遠慮して欲しいという要望が来ている。
 
「しかしこいつら、今いったいどこに居るんだ?」
と高田コーチは昨年の代表選手および数名の補充候補の現在の所属チーム一覧を見ながら、ぶつぶつ文句を言っていた。
 
4.PG.入野朋美(愛知J学園大学)
5.PG.鶴田早苗(山形D銀行)
6.SG.村山千里(???)
7.SG.中折渚紗(茨城県TS大学)
8.SF.前田彰恵(茨城県TS大学)
9.PF.橋田桂華(茨城県TS大学)
10.SF.佐藤玲央美(???)
11.PF.鞠原江美子(大阪M体育大学)
12.PF.大野百合絵(神奈川J大学)
13.C.森下誠美(エレクトロ・ウィッカ)出場不可
14.C.中丸華香(愛知J学園大学???)
15.C.熊野サクラ(???)
補充候補者
*.PG.海島斉江(愛媛Q女子高)出場困難
*.SF.竹宮星乃(神奈川J大学)
*.PF.高梁王子(???)
*.C.花和留実子(H教育大旭川校)
*.C.夢原円(愛知J学園高校)出場困難
*.C.富田路子(大阪E女学院高校)出場困難
 

要するに所在不明のメンバーおよび補充候補者が5人もいるのである。
 
村山と佐藤はなぜか連絡が取れない。高田は最初、村山が千葉県のC大学に入ったと聞いたので、てっきりそこの女子バスケ部に入ったものと思い照会したら、「当方にはそのような選手はいません」という回答が返ってきた。まさか男子バスケ部じゃないよなと思って念のため確認したが、そちらにも居なかった。
 
佐藤は入るはずだったスカイ・スクイレルが会社の倒産で廃部になり、その後十勝監督が他のチームを斡旋しようとしたのだが、その頃から彼女と全く連絡が取れなくなった。お兄さんに確認した所、都内の企業に勤めているという話だが「本人が今バスケ関係者と接触したくないと言っているので」という回答なのである。
 
村山も佐藤も、直接送ったメールは受け取られてはいる感じだが返事が無い。電話を掛けても取ってくれない。
 
中丸は愛知J学園大学への進学が決まっていたはずなのに、入学式にも姿を現さなかったし、授業にも全く出てきていないらしい。取り敢えず大学側では学籍を維持し、また彼女のお母さんの同意を取ってJ学園大学の女子バスケ部に登録だけはした。それで彼女は一応バスケット協会にも登録されている身なので姿を現せばいつでも大会にも出られるし代表にもなれるのだが、本人の所在がつかめない。メールでは連絡が取れているものの、誰も居場所を知らないようなのであ。
 
熊野サクラも似た状態だが、彼女は入学が決まっていた福岡C学園大学の入学金を支払わなかった。それで彼女は所属も曖昧なままになっている。お母さんによると「大学に行きたくなくなったので」という話で、彼女の所在も誰も知らないようだ。お母さんには「会社勤めしている」とメールや電話で連絡しているものの、どこに居るのかは聞いても答えないのだと言う。
 
また、補充候補者の中で高梁王子の所在もつかめない。
 
倉敷K高校を1月に退学したことだけは分かっている。倉敷K高校は同窓会の会長選挙から始まった激しい派閥対立の余波で女子バスケ部と女子バレー部の監督が解任され、あわせてスタッフも全員解任されてしまった。その混乱の中、他校に転校したバスケ部員やバレー部員もいる(転校した場合半年間高体連の大会には出られない。1月末に転校した場合、7月末まで出られない。しかし日本代表にはなれる)。高梁もどこかの高校に転入したのではと思い調査させているのだが、まだ居場所を確認できずにいる。
 
実は彼女が学校を移動したことでインターハイには出られないことが確実なので、それなら日本代表に呼べるという思惑もある。世界選手権はインターハイと日程がぶつかるのでインターハイに出る高校の生徒は出場できない。2年前の世界選手権でも高校生選手がほとんど出られなかったことから、日本はアジア選手権より弱い選手構成で臨まざるを得なくなり惨敗したのである。インターハイの時期をずらしてくれというのは前々から要望があるものの、一向に改善される雰囲気は無い。
 
実際、他の高校生3人(夢原円・富田路子・海島斉江)も念のため打診してみたが彼女らの所属高校がインターハイに出場した場合は代表への選抜はできたらしないで欲しいという内々の回答をもらっている。E女学院は分からないがJ学園やQ女子高がインハイに出ない事態は考えられないので特に昨年のウィンターカップ以降頭角を表してきたパワフルなセンター夢原の使用は絶望的だ。
 
そして夢原が出られない以上、何としても中丸と熊野は見つけ出したいのである。
 

「とにかくひとりずつ捕まえて行くか」
と高田コーチは独り言を言い「鬼ごっこ」を開始した。
 

高田が最初に接触したのは橋田桂華である。彼女はどうも所在の確認できないメンバーの多くとの関わりが深いようなのである。
 
「すみません。わざわざ、こんな田舎まで訪ねてきてくださって」
と桂華は恐縮した。
 
「いやTS市もだいぶ開けてきたと思うよ」
と高田コーチは言う。
 
「僕の高校の先輩でTS大学に行った人がいたんだよ。その頃TS大学の学生には木刀が必需品だったらしい」
 
桂華は少し考えて言った。
 
「学生運動の時期じゃないですよね?」
「うん。それはもう下火になっていた時期。当時TS大学のある付近はホントに山の中でさ。野犬が出るんで、それに対抗するために木刀が必要だったんだよ」
 
「きゃー」
 

「熊野(サクラ)はほんとにどこかで働いているみたいです」
と桂華は言った。
 
「あの子、お父さんが年末に破産申告したんですよ」
「そうだったの!?」
 
「最近不況で仕事が減っていた状況で、あの子昨年は日本代表やったから個人的にもかなりの経済的な負担が掛かっていたみたいなんですよ。だから結構な経費をうちの監督が個人的に肩代わりしてあげていたんです」
 
「そうか・・・」
「日本代表の分は交通費とかは協会から出るからまだいいんですけど、それでもけっこうな個人負担はあるし、やはり強いチームだから遠征費とかも普段からどうしても大きいんですよね。それも結構家庭の負荷になっていたみたいで」
 
「うーん。それはスポーツ強い子みんなが苦しむことだなあ」
「実際、うちの学校でも経済的な負担に耐えられずにやめちゃった有望選手いましたよ」
「そういうの残念だね。本人としてもバスケ界としても」
「全くです」
 

「佐藤は習志野市、村山は千葉市内に住んでいます」
と桂華は断言した。
 
「ふたりと連絡取れてる?」
「村山とは4月になってからも何度かメール交換しました。でも私より鞠原のほうが頻繁に接触していると思います」
「鞠原君と!?」
「どうもですね。鞠原と村山は、一緒に秘密のトレーニングをしてるっぽいんです。高3の頃から」
「ほほお」
 
「その秘密のトレーニングに佐藤も誘ったっぽいんですけど、佐藤は別口みたいなんですよね」
 
「じゃ村山も佐藤はバスケやめてないんだね?」
 
「村山は公式には12月で部活から引退したことになっているんですけど、実は密かに3月中旬までN高校で練習していたみたいです。ある筋からの情報で」
 
「へー」
「ただ3月中旬以降は私も分かりません。佐藤は本人と4月中旬に1度新宿で遭遇したんですよ」
「おお!」
 
「スポーツ用品店で剣道の竹刀を買ってました」
「剣道やってんの?」
「トレーニングだと言ってましたから、剣道に転向する訳ではないと思いますよ」
「じゃ何かトレーニングはしてるんだね?」
 
すると桂華は笑いながら言った。
「私たちって、練習するのが日常生活の一部になってるんですよ。練習しなかったら、すごく変な気分なんです」
 

「でも鞠原が言っていたんですよ」
と桂華は言った。
 
「佐藤と村山は必ずU19世界選手権に参加するって。今回高田コーチから連絡があったんで、あらためて鞠原と連絡したんですが、鞠原は『ちょっと待って』と言っていったん切って誰かに電話している雰囲気だったんです。それでその人物に確認したみたいで、ふたりはU19の合宿には必ず姿を見せるから、その予定で進めていればいいですよって」
 
「何かふたりの鍵を握る人物がいるんだ?」
「です。その人と鞠原は接点があるみたいで」
 
「分かった。その2人は後回しにして、他の子の所在を探すのに全力を尽くすよ」
「お疲れ様です」
 

愛沢国香が病院の階段で足を踏み外し(正確には松葉杖を突きそこなって)転落し、大幅に入院期間が延びたというのを聞いて、国香のお母さんが旭川から飛んで出てきた。
 
お母さんは病院側の管理には問題は無かったのかと病院側を責めたが、国香は「これは自分が悪かったんだから」と母親をなだめた。取り敢えず階段から落下したことで肩甲骨を新たに骨折。交通事故でひびの入った「単純骨折」であったはずの箇所も、骨がずれてしまう事態となり、母親の同意が取れれば、骨の位置を正しく合わせ付け、金具で固定する手術をしたいと医師は説明した。
 
母は旭川で取り敢えず待機している夫とも電話で相談の上、その手術をしてもらうことにする。しかしこれで国香は半月で退院できるはずだったのが、最低でも3〜4ヶ月は入院してくれということになった。
 
お母さんはそんなに入院しないといけないのなら、旭川の病院に転院してはどうかと言った。お母さんはこの病院自体に若干の不信感を抱いていたのである。しかし国香は会社の健康保険を使いたいし傷病手当金ももらいたいから、そのためには千葉にこのまま居て「社員」状態を維持したいということ、また自分が所属している千葉ローキューツというチームの籍も維持したいから、そのためにはやはり千葉県内に居るのが好都合であることを主張した。
 
また元々の事故を起こしたドライバーさんも、「そもそもは私がはねたのが原因だから」と言って国香が退院するまでの治療費・入院費で、国香自身の保険でカバーできない分、またお母さんがもし国香に付いているなら、その滞在費、北海道との往復交通費は全部自分が出しますと言ってくれた。
 
それで結局国香はこの病院で治療を続けることにし、お母さんも国香が退院するまで国香のアパートに寝泊まりして滞在することにしたのである。もっとも、お母さんは最初は不機嫌だったものの、次第に新婚旅行以来の東京にワクワクしている様子で、半年間の都会暮らしを結構楽しんだようである。
 
なお、この件では国香が入院しているフロアの婦長さんと、担当医師が始末書を書いたらしい。国香は自分のせいなのに、と恐縮していた。
 
国香が結局退院したのは12月の下旬であった(足の骨の固定に使った金具は10月に除去した)。小学5年生でミニバスに入って以来、ずっと足を酷使してきていたので、その疲労が蓄積して骨のあちこちが痛んでいたので、治癒にも時間が掛かったようである。しかし退院後国香は「何か足が軽い」と思った。結局翌年、国香はこれまで以上に活躍できるのである。
 

桃香は3月下旬、自動車学校の合宿コースに入学。3月31日にグリーンの帯の運転免許証を手にした。ところが桃香は免許を取って10日もしない内に信号無視とスピード違反で3点切符を切られ、初心者講習を受ける羽目になる。反則金と講習料金を払うのに母に泣きついたら、母は初心者講習が終わった翌日、わざわざ富山県から千葉まで出てきて桃香から運転免許を取り上げて行ってしまった。
 
「免許が無いとできないバイトがあるよぉ」
「免許の必要無いバイトを探しなさい。ブルー免許に切り替わる時に返してあげるから」
 
そういう訳で桃香は免許の要らないバイトを探すのだが、なかなか見付からない。最初飲食店関係を模索していたものの、どうにも学業と両立できないようなので断念。また髪が短く、言葉遣いや雰囲気も男性的な桃香は、どうも面接の際にオカマさんと誤解されている雰囲気があって「私、女ですけど」と言っても「うん、分かってるよ」などと言われつつ、適当な理由を付けて断られるようなこともあった。
 
「本当のオカマさんも仕事見付けるの大変なんだろうなぁ」
などとつぶやきながら、桃香は電話を掛け続けた。
 
それでゴールデンウィーク直前にやっと見付かったのが、電話受付をする会社のオペレーターであった。桃香は普段話している声はかなりトーンが低い(それでまた性別を誤解される)ものの、オクターブ上で話すこともできるので、
 
「あなた言葉がハキハキしていて聞き取りやすいし、その高さの声でも話せるのなら、お願いしようかな」
と言って採用してもらったのである。
 
「うちは戸籍上の性別は気にしないから」
と採用担当者さんが最後に言ったのは気にしないことにした。
 

電話センターという性質上、本来は服装は自由でもよいはずだが、セキュリティの関係で、携帯電話や電子手帳・携帯音楽プレイヤー・USBメモリー・インテリジェント腕時計、また個人の筆記具などの類いは一切業務エリアには持ち込み禁止である。それを徹底するため、勤務中はポケットの無い制服に着替えるようになっており、ロッカールームで小銭入れ以外の私物は置くとともに、制服に着替える方式になっている。チェックは事実上されないものの、生理用品を入れるポケットの付いたショーツも禁止である。
 
桃香は「女性と一緒に着替えられますよね?」などと尋ねられ「もちろんです」と答える。それで初日、その日の勤務開始時刻15:00に合わせて14:55くらいに会社に着いて女性用ロッカールームに入ったのだが・・・
 
入った途端。身長180cmはあるガッシリした体格の人物と目が合う。
 
「きゃー!」
と声を挙げたのは双方であった。
 
「何?何?」
と言って女性の課長さんが飛んできた。
 
「男が入って来たので」と中に居る人物。
「男が中に居たので」と桃香。
 
「うーん」と課長さんは一瞬どうしたものかと思ったが
 
「そちらの佐藤さんは身長が高くてガッシリした体格だけど間違い無く女性。高校時代は運動部で女子選手としてインターハイにも出場したらしいですよ」
「あ、そうだったんですか」
「こちらの高園さんは髪が短くてちょっと男性的な雰囲気だけど、一応女性だそうで高校時代も女子制服で通学していたそうです」
「あ、すみませーん」
 
ということで、佐藤さんと桃香はお互い相手の性別に若干の疑惑を残しながらも笑顔で会釈をしたのであった。桃香は課長の「一応女性」という言葉に引っかかりは覚えたのであるが。
 

千里は桃香同様に春休み中に運転免許を取り、雨宮先生にのせられて中古のインプレッサ・スポーツワゴンを購入した。この車で千里は最初道に慣れるのに千葉・東京・茨城付近をかなり走り回ったし、雨宮先生のドライバーも務めたが、この時期よくやったのが千葉と大阪の往復である。
 
この行程はだいたい片道5時間ほどかかるのだが、千里はこの時間にしばしば作曲をしていた。車を運転していると割と簡単にアルファ状態になりやすい。それでメロディーを思いつくと
『きーちゃん、運転代わって』
などと言って運転を《きーちゃん》か《こうちゃん》に任せて自分は後部座席に行き、五線譜に思いついたメロディーを書き留め始めた。
 
しかしそんな時に警察の検問などに遭遇する場合もある。
『千里、警察』
などと言って千里は一瞬にして運転席に戻される。それで運転免許証を提示してそこを抜けると、また運転を任せて後ろに移動し、作曲作業を続けるのであった。
 
要するに車を運転しているパターンには下記の3種類がある。
 
(1)千里自身が運転している。
(2)千里から分離した《きーちゃん》か《こうちゃん》が独立して運転している。
(3)千里の身体の中に《きーちゃん》か《こうちゃん》が入り込んで運転している。
 
千里はこれらのパターンを使い分けることで長時間の連続運転に耐えていたのである。なおトラブル防止のため《こうちゃん》が独立して運転している場合、必ず女の子の格好をして、運転者のすり替わりがバレにくいようにしていた。
 
《せいちゃん》は女装を嫌がるが、《こうちゃん》は割と女装を楽しんでいたようである。
 

千里が最初にインプで大阪まで走ったのは4月12日で、この日は貴司が千葉に来ていたところに、雨宮先生が先日買ったインプを持って来てくれたのである。つまりインプが来た初日であった。雨宮先生はそのまま自分を静岡まで送っていってくれと言ったのだが、この行程を実際には千里と貴司で交代で運転した。静岡から先では、貴司と途中のPAで「ご休憩」したりしてのんびりと走り、貴司を大阪に置いた後の帰りは《こうちゃん》と千里で交代で運転して夜通し走り、月曜の朝6時に東京に帰還。電車で千葉に戻った。
 
(千里のインプの駐車場はなぜか東京都江戸川区にあるのである!?)
 
2度目は4月25-26日に雨宮先生を直江津まで送迎した時である。この時最初は雨宮先生の用事が終わるまで直江津で待っているつもりだったのだが、突然大阪に行きたくなった。それで運転は《こうちゃん》と《きーちゃん》に頼んで、大阪まで往復。貴司のマンションで1時間ほど熱い時間を体験して直江津にとんぼ返りしたのである。
 
次はゴールデンウィーク中かゴールデンウィーク明けに行きたかったのだが、貴司が仕事の方で忙しくしていたし、千里も別件で時間が取れない状態で、なかなか会えなかった。そして3度目に会ったのが5月29日で、インプで大阪まで走った後、貴司を乗せて更に敦賀までドライブした。
 
しかしここで千里は貴司から「恋人ができた」と打ち明けられる。そういう訳で千里と貴司の「蜜月」はわずか1ヶ月半で終了して、またもや千里はいったん振られてしまったのであった。
 

「うん。あれ、まだ18-19歳くらいだと思う。すっごく背の高い女の子。男でもあのくらい背の高い奴はそうそう居ないから目立つんだよね。みんな最初は普通に男だと思ってたんだけど、話し方が女っぽいんだ。それで声も男にしては高いからさ」
とその27-28歳くらいの作業服の男性。
 
「兄ちゃん、その子のこと詳しく教えてよ。まま、もう一杯どうだい?」
「お、サンキュサンキュ」
と言って彼は高田から焼酎のお湯割りを勧められて機嫌が良くなる。
 
「いや、どうも女みたいだぜって話になってさ。馬鹿な奴が1度夜這い掛けたけど、玉蹴られて悶絶してた。あの子腕も足も太いしさ。地引き網でも引いて鍛えたんかねー。でもいい奴だよ。素直だし。嫁さんにしたいくらいだと俺も思ったけど、うかつに強引なことしたら、こちらは男を廃業する羽目になりそうだったんで止めた」
 
「それでその子、今でもそこの飯場にいるの?」
「そこの工事はゴールデンウィーク明けに工事終了したんだよ。あそこの組の大半はT市かK市のトンネル掘削に移動したと思う。もしかしてあんた、あの子と訳ありなの?あんたも腕太いね」
 
「まあ妹みたいな子なんだよ」
「ふーん。妹ねぇ」
と言って彼は勝手な想像をしているようだ。
 
「まま、もう一杯どう?」
「すまねえ、すまねえ。正確な移動先は佐々木さんに訊いたら分かると思う」
「ほおほお」
 

桃香と佐藤さんは更衣室悲鳴事件をきっかけに、時々話すようになる。
 
「しかし佐藤さん、この腕がたくましくて惚れ込んでしまいそう」
と桃香が彼女の腕を触りながら言うと
 
「高校時代に結構腕フェチの子が部活仲間に居て、よくそんな感じで撫でられてましたよ」
と彼女は笑って言っていた。
 
「部活って運動部?そう言えばインターハイにも出たんだっけ」
「一応ね。出るには出たかな」
 
「へー。インターハイなんて凄い所ばかりだろうし。でもこんなに腕太いならソフトボールとかハンドボールとか?」
「ああ。ソフトボールは中学時代によく助っ人でピッチャーしてたよ」
「凄い凄い」
 
「今は何もしてないの?」
「うーん。何かよく分からないことをしている」
「分からないことって何だろう?」
「見学してみる?」
「するする」
 

というので、ある月曜日、桃香は佐藤さんにくっついて彼女の練習場所に行ってみた。
 
「今2人だけでやっているんだよ」
と彼女は言っていたが、連れて行かれた総合運動場で彼女は外人さん(?)のローザさんという女性、およびコーチっぽい40代くらいの女性と合流し、トレーニングウェアに着替えてまずは総合運動場の敷地内を5周走る。その後、陸上競技場に行って、80m走を20本やる。
 
ふーん。陸上部なのかな?
 
と思って桃香は見ていたのだが、その内、バック走・横走りなどの練習が入る。前を向いて走るのにも、大きく膝を上げて走るとか、大股で走るなどというのもメニューに入っているようだ。
 
「高園さん、来て来て」
と言われるので行くと、桃香とコーチさんが3mほど離れて立ち、更にいくつか道路工事などの場所に立てるコーンも並べて、そこを佐藤さんともうひとりの選手がジグザグに切り返しながら駆け抜けるという練習を始めた。
 
「私ってコーン代わり?」
と桃香が訊くと
「私もね」
と言ってコーチさんが笑っていた。
 
陸上競技場で2時間ほどの練習をした後、今度はプールに行く。そして泳ぎ始めるが、ふたりともなかなかスピードがある。佐藤さんは腕だけでなく足も凄く太い。ローザさんも身体はかなりがっちりした感じだ。結局ふたりともほとんど休まずに1時間ほど泳ぎ続けた。
 
その後今度はふたりは自転車に乗ってロードに出る。桃香はコーチさんの車(何か凄く格好いいスカイラインだと桃香は思った)に乗せてもらい、ふたりを先導するような形で走った。
 
「そうそう。紹介遅れました。私は藍川真璃子です」
「あ、すみません。私は高園桃香です」
 
「高園さん、車の運転は?」
「この春に自動車学校卒業して免許ももらったんですが、立て続けに切符を切られたら母が怒って取り上げていったんです。それで運転できないんですよ」
「あらあら」
「ブルー免許に切り替わる時に返すと言われました」
「完全にペーパードライバー化するね」
「既にマニュアル車の発進の仕方を忘れつつある気がします」
「あ、それはみんな忘れるから大丈夫」
 
そんなことを言いながらも藍川さんはスカイラインのシフトレバーやクラッチを巧みに操作していた。桃香はそれを「この人、格好えぇ」と憧れるように見ていた。
 
「高園さん、もしかしてビアン?」
「はい、そうです」
「私もビアンはしばらくやってないなあ」
「したことあるんですか?」
「若い頃ね」
「へ〜!」
「女の子同士やるのも結構気持ちいいよね」
「ですよ!」
「ふつうの女の子とも、男装女子とも、女装男子ともしたことあるよ」
「女装男子ですか?」
「私が男役したよ」
「それは私も未経験だなあ」
「すっごく良かったよ」
「う・・・・一度試してみたい」
「ふふふ」
 

「しかし走ったり泳いだり自転車とか、トライアスロンですか?」
「実は球技なんだけどね。ふたりとも基礎的な運動能力を鍛え直そうというので、7月くらいまではボールに一切触れさせないで練習しようということにしているんですよ」
「へー。確かにスポーツは基礎が大事ですよね」
「そうなんです」
 
結局この日は自転車を1時間走った後、体育館でマット運動と剣道の居合い?を1時間ほどやってから整理運動をして練習を終了した。
 
桃香はこんな感じの佐藤さんの練習に7月頃まで時々付き合い、計時などの補助や買い出しをしてあげたりなど、半ばマネージャー的な役割を果たしたのであった。
 

佐藤さんは時々桃香をじっと見ると
 
「ちょっと変なのがついてる」
と言って、肩を手で払ったりしてくれることがあった。
 
そういう時は不思議と体調や気分がよくなることが多かったが、そのことについて桃香は深く考えていなかった。
 

5月中旬。
 
千里は高校を卒業したらバスケもそれで終了と、本人としては思っていたので、大学のバスケ部にも入らなかった。
 
しかしずっとバスケットから離れていると、次第に千里はまた少し練習してもいいかなという気分になった。それでとうとうある日、通学路の途中にある体育館でボールも体育館のを借りて、その日はシューズを持っていなかったので裸足で、少しシュートを撃ってみた。
 
全然入らない!
 
千里は微笑んだ。歴史的な時間の上では自分が最後にバスケをしたのは3月中旬。「シューター教室」の最後の日なので、それから2ヶ月経っている。ところが今千里が使っている身体はあの時の身体ではない。
 
千里は5月7日から突然2008.2.22の高校2年生の身体に戻っていた。「時間の組み替え」の辻褄合わせの影響で、この身体はまだ性転換手術から3ヶ月ほどしか経っていなかった時期の身体なのである。まだ千里が充分全国で戦えるだけの肉体を造り上げ高2のインターハイに出る前の状態であった。
 

千里はともかくも少しバスケをやる気になったので、次回体育館に行く時はちゃんと自分のバッシュを持って行こうと思った。
 
ところが、部屋の中を探すもののバッシュが見当たらないのである。
 
「あれ〜、どこやったっけ?」
 
千里は3年生の国体までは、1年生の時に買ったイグニオの安いバッシュを使用していた。その国体で頑張った記念にと言われて貴司からアディダスの結構なお値段がしそうなバッシュをもらった。このバッシュでアジア選手権とウィンターカップを戦い、アジア選手権で優勝、ウィンターカップで準優勝という輝かしい成績を上げた。正直、あの健闘はバッシュの性能に助けられた部分も大きいと千里は思っている。しかし千里はこのバッシュをウィンターカップの後、貴司に返却してしまった。ところがこのウィンターカップの決勝戦が凄まじい激闘になったことからスポンサーさんから「感動賞」ということでナイキのカスタムオーダーのバッシュをもらった。1年生の時から使っていたイグニオのはもう限界に達していたので、千里の手元に残っていたのはそのナイキのバッシュのみのはずだった。
 
ところがそのナイキのバッシュが見当たらないのである。
 
考えてみる。
 
引越の時、あのバッシュはずっとバスケットの活動で使っていたスポーツバッグに入れて、ついでに着替えや生理用品なども放り込んだはずである。そういえばあのスポーツバッグ自体を引越以来見ていない。
 
あれ〜??
 
それで千里は美輪子に電話してみた。
 
「ああ、あのスポーツバッグ?ちょっと待って」
 
それで美輪子はアパートの中を探してくれたのだが、見付からないということであった。念のため母にも電話してみたのだが、留萌の実家にもそのバッグは行っていないようである。
 
本当にどこ行ったんだ??
 

取り敢えず何か無いと困るので、千里は新しいバッシュを1つ買うことにした。それで千葉市内のスポーツ用品店に行ってみる。
 
そういや、私、まともにバッシュを選んだこと無いな、というのに気づいた。それで色々並んでいるのを見て悩んでいたら店員さんが寄ってきた。
 
「バスケットシューズをお選びですか?」
「ええ。でもどんなのがいいか分からなくて」
 
それで店員さんはこちらを初心者と思ったようである。
 
「最近よく出ているモデルはこの付近なんですけどね」
と言って1つ取ってくれたが、千里は触っただけで硬すぎると思った。
 
「これ柔軟性に欠けるし、衝撃をあまり吸収してくれない感じです」
「そうですねぇ。低価格モデルはどうしてもその付近が弱いので、少しお値段張ってもよければこのあたりはどうでしょう」
 
「うーん。ちょっと重たいですね」
「ええ。重たいという問題はあるんですけど、クッション性がいいのでゴール下でジャンプを繰り返しても足に負担が無いんですよ。お嬢さん、背が高いからリバウンド取れと言われません?あ、リバウンドって分かりますか?」
 
「ええ、リバウンドは分かります」
と答える。取り敢えず「お嬢さん」と言ってもらって嬉しい!千里はここのところ結構中性的な服装をしていることが多かった。
 
しかし千里は168cmの身長で、日本代表などもやっていると自分としては背は低い方という認識だった。しかし世間一般のチームではこのくらいの身長でセンターやるケースは結構あるんだろうな、というのも店員さんの言葉を聞いて思う(実際には千里がリバウンド係をしたことがないのは、いつもチームメイトに長身の留実子がいたからである)。
 
「でも私、シューティングガードなんです」
「あぁガードですか」
と意外そうだ。
 
「でしたら、軽いものがいいですね。これなんかいかがですか?」
と出してくれたのはローカットのモデルである。
 
「これフットワークがとても軽快なんですよ」
と店員さんは言ったのだが、千里は履いてみてそのローカットに不安を感じた。
 
「ちょっと足首が不安です。ミドルカットがいいかも」
「そうですね。あ、こちらはいかがですか?けっこうシューター向きですよ」
 
それで出してもらったのはけっこうしっかりと足首を支えてくれるし軽い割りにはクッション性が良い。
 
「これは女性の足に合わせて開発されたモデルなので、履き心地の良さが長所なんですよね。プロのシューターの方でこれを使う人は結構おられますよ。お値段は結構張りますけど」
 
うん、確かに高い!
 
「高いけど、これ気に入りました。買います」
と言って、千里はアシックスのプロシューター向きという女性専用バッシュを買ったのであった。千里はその店でモルテンの6号ボールも購入した。
 
(バスケットのボールは2015年現在はミニバスが5号、中学生以上の女子は6号、男子は7号を使用する。ただし中学生男子はこの当時は6号であった。千里はミニバスの経験が無いので5号は使ったことがない。中学は男女とも6号だったので、7号を使ったのは男子の振りをしていた?高1の4月から11月までの間のみである。当時はボールが大きいなあと思っていたが、12月に女子に転向してすぐは逆にボールがとても扱いやすい気がした)
 
 
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【娘たちの逃避行】(1)