【娘たちの再訓練】(上)

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「本当に手術していいですね? もう元には戻せませんよ」
と医師が最後の確認をした。既に硬膜外麻酔によって下半身の感覚は無くなっている。
 
患者は
「早く女の子になりたいです。手術お願いします」
と言った。
 
それで眠くなる薬が投与され、患者は次第に眠りに落ちていった。
 

2009年6月中旬。佐藤玲央美から、バイト先の電話オペレータ会社から九州センターに1ヶ月ほど行ってきてくれと言われたのでと聞いた藍川真璃子は、これは1ヶ月間にわたって《現在の佐藤玲央美》と《半年後の佐藤玲央美》が顔を合わせる事故を防ぐための《大神様》のご配慮だなと感じ、出羽の方に向かって『感謝します』と内心つぶやきながらも、
 
「じゃレオちゃん、練習の仕方はここ1-2ヶ月で分かってきたろうから、福岡では毎日これやってね」
と言って練習メニューを渡した。
 
そして彼女が九州に行っている間の母賀ローザの練習パートナーを誰か調達したいなと思い、少し考えた末に、旭川L女子高出身の池谷初美を思いついた。 
彼女は高校卒業後、関東の有力大学に勧誘され182cmの長身を活かして昨年1年間、大活躍。インカレでも注目された。ところが1月のオールジャパンに出た時、試合中に足を痛め、しかも無理して試合に出続けたことから悪化させてしまう。更に彼女の怪我問題をめぐって監督とコーチが大喧嘩する事態が起きて、チームの分裂をおそれた池谷は責任を感じて退部届を出してしまったのである。 
「あの子、そろそろ怪我も治ったんじゃないかなあ」
と独り言を言いながら、彼女と接点のある子に連絡を取ってみると
 
「初美ちゃん、今大学を休学しているんですよ」
と言う。
「あらら」
「怪我の具合があまり良くないみたいで、どうせ治療するなら旭川に戻っておいで、とお母さんから言われたらしくて」
「そんなに悪かったんだ!?」
 

それで藍川は彼女の怪我の様子を聞こうと羽田から旭川行きの飛行機に乗った。 
藍川は実は15年ほど前に航空機事故で死んでいて、現在は世間一般で言うところの「幽霊」なのだが、あまり幽霊らしい生き方(?)をしていない。ほとんど肉体のある人間並みの行動をする習慣が付いているので、本当は飛行機など使わなくても旭川に移動することは可能なのだが(何度か遠隔地への一気の移動はしたことがある)、とりあえず人間の真似をして飛行機に乗る。
 
機内サービスでドリンクが出てくるので「ありがとうございます」と笑顔で受け取り、暖かいコーヒーを飲む。肉体を持たない藍川は当然消化器官なども存在しないはずである。それなのに藍川はふだんから飲み物も飲めば食べ物も食べる。むしろ食べないとお腹が空く。そして出す方も、小・大ともにする。食べたものがどうやって消化されるのか、またどうして大や小が出るのか、その仕組みは自分でも疑問だが、考えすぎると自分の存在が消えてしまうかも知れない気がして、深くは考えないようにしている。
 
藍川は自分の年齢的な外見を自分の意志でコントロールできるので40代前半程度の外見に調整している。本当は1955年5月22日生れで、生きていたら54歳だが、事故で死亡した時は38歳であった。死んだ時より少し年齢を進めているのである。
 
外見年齢が調整できるんだから、幽霊って性別も変更しようと思ったらできるんじゃないかなあ、などと思ってみたこともあるが、男になってみて、その後女に戻れなくなったら困るのでそういう危ない実験もしたことはない。 
どうにもならなくなったら性転換手術?でも幽霊って手術受けられるんだっけ?? 
「性転換手術って痛そうだし」
 
ちんちんはおしっこする時便利そうだけどなあ、とは思う。それにセックスも男の方が気持ち良さそうだし。
 
結婚していた頃、夫は自分とセックスしていて本当に気持ち良さそうにしていたが、自分は一度も快感を感じたことがなかった。いつも「まだ終わらないのかなあ」とばかり思っていた。まあ、暴力とかふるわれたこともないし、大事にしてもらった気はするから、結婚したことは後悔してないけどね。
 
夫もスポーツ選手だったので、子供もきっと凄い選手になる、などと周囲から期待されたが、子供ができないまま夫は数え年42歳の厄年に他界した。私も幽霊になっちゃったし、もう子供はさすがに産めないよね?などと考えてみるが、そのあたりも深く考えるとやばそうなのでやめておく。
 
ただプロ選手だった夫が遺してくれた莫大な遺産のおかげで、自身も死んだ後はまともに仕事もせずに、出羽の修行に参加したり、口コミで霊能者みたいな仕事をしてみたり、気が向いたらどこかでバスケのコーチをしたりしていた(スポーツ関係のコネだけは多い)。夫の遺産を含めた自分の資産は株や債券で運用しているし、年間200万円程度で質素な生活をしているので毎年資産は増えて行っている。
 
千里が在籍していた旭川N高校で体育館の建て替えをやるという話を聞いた時は、ほんの気まぐれで3000万円寄付したのだが(本当は300万円寄付するつもりが桁を入力し間違ったのである。理事長・校長・宇田先生の物凄く丁寧な直筆お礼状を受け取ってからネットで明細を確認してギャッと思った)、しかしその結果、回り回って千里が3年生のウィンターカップに出られるようになり、あの子と敵として対戦することができたのは、楽しいオマケだったなあ、などとも藍川は回想していた。またやりたいなあ。
 
「自分の能力に無自覚だってのは、若い頃の私に似てるんだよね、あの子」
などと藍川は独り言をつい口に出して言ってしまった。
 

旭川に到着し、タクシーに乗って、予め連絡を入れておいた池谷さんの実家に行く。
 
「初めまして。どうもお邪魔します」
と言って藍川は東京ばな奈を手土産に彼女の実家を訪問した。
 
「すみません。お名前は聞いていたのですが、どういう御用でしょう?」
と彼女は戸惑うように言った。
 
藍川は正直にスカウトしに来たのだと言った。
「どういうチームなのでしょうか?」
と彼女は少し興味は持ったようである。
 
「実はまだチームは決めてないんですよ」
「え〜〜!?」
 
それで藍川は詳しい説明をする。有能な選手を現在2人抱えているが、2人とも少し心理的なトラブルが起きていてすぐには現役に復帰したくない気持ちでいること。それで今はずっと基礎的なトレーニングをさせているが、秋頃にどこかのクラブチームか実業団チームを「乗っ取って」やろうという魂胆で幾つか目を付けているチームがあること。
 
「今練習しているのはアンダーエイジの日本代表だった子と、元プロ」
と藍川が言うと
 
「それ強すぎる気がします。私は多分そんなレベルじゃないです」
と池谷さん。
 
「いや、あなたは充分強い。それより怪我の状態はどうですか?」
「もうほとんど治っていると思うんですけどね。医者からはまだ練習開始の許可が出ないんですよ」
「日常生活はできる程度?」
「ええ。ふつうに歩く程度はできるから、今とりあえず毎日2km歩いています」
「だったら復帰は近いね。池谷さんは大学には復帰するつもり?」
 
「復帰すると、バスケ部に復帰できない気がして」
「だったら大学やめちゃったら」
「え〜?」
「充分な給料出せるようにするよ」
 
「それもいいなあ。実は大学に行くのに、私立の授業料って高いから親に負担掛けているのが心苦しかったんですよね」
 

帰り際、池谷さんのお母さんがホテルまでお送りしますよと言うので好意に甘えた。それに本人が居ない所でお母さんと少し話したかったのである。 
お母さんは正直昨年1年間は仕送りするのに苦労したことを語った。池谷のお父さんはごくふつうのサラリーマンだそうである。旭川L女子高ではバスケが優秀なので授業料を半免してもらっていたので何とかなっていたものの、大学はやはり高額の授業料や寄付金などが重くのしかかっていたので、娘が怪我をしたのを機会に取り敢えずこちらに呼び戻したのもあったらしい。 
更に本人もあまり勉強する気が無いようで、実際問題としてこの1年間はバスケばかりやっていて、単位をボロボロ落としたので、少なくとも4年間で卒業できないことは既に確定しているらしい。
 
だったらいっそどこかお給料もらいながらバスケのできる所があったら、本人にとっても、うちにとっても助かるんですけどねとお母さんは言っていた。藍川は「とりあえずしっかり怪我を治すようにしましょう。それからですね」と言い、その日は「また連絡しますよ」と言って別れたものの、藍川はこの子は使えそうだけど、今すぐローザのパートナーにはならないことを認識した。 

それでいったんホテルに戻ってから、旭川ラーメンでも食べるかと思って街に出る。青葉に入って「醤油らぅめん」を頼み、ぼんやりとしながら食べていたら、近くの席にどこかで見たことのあるような女子が居る。藍川は自分の丼を持って彼女の隣に移動した。
 
「ね、ね、あなた誰だったっけ?」
「へ?」
 
「あ、ごめん、ごめん。私、藍川真璃子と言うんだけど、バスケの強い子を探しているのよ。あなたの顔、何かで見た気がして。違ってたらごめんなさい」
 
「あ、はい。旭川R高校女子バスケ部出身の近江と申します。いや、全国大会とかには出たことないんですけど、どこで見られたのかな?言葉のイントネーションが・・・関西方面の方ですよね?」
「うん。生まれは島根だけど滋賀県に長く住んでたから。そうか。一昨年の国体道予選に出てたよね?」
 
「はい。予選なら。決勝で札幌選抜に負けてしまったんですけど」
「ちょっと気になる子がいたんで見に来てたのよね〜。そうか。それで記憶があったんだ。あなた今どこのチームに居るの?」
 
「フリーです。高校を出た後、関東方面のチームに入りたいと思って、神奈川県の大学を受けたんですが、落ちちゃって」
「あらら」
「この大学に落ちる奴がいるのか?って高校の進路指導の先生に呆れられました」
「どこの大学?」
「T女子大なんですけど。一応関女2部で」
「あそこに落ちる人いるの?名前書けば通ると聞いたよ」
「名前は書いたんですけど」
と言って近江は頭を掻いている。
 
「男と間違われたんじゃないよね?とか言われたけど。まあ性別間違えられるのは慣れてるけど」
「まあバスケ選手やバレー選手には多いね」
 
「それでどうしようと思っていた時、千葉県のフドウ・レディースという所に居た先輩が誘ってくれたので、その人を頼って出て行って入れてもらったんです」
 
「そこかなり強い所じゃん」
「そうなんですよ。実業団やプロのOGも入っていて。でもそこはお給料とか出ないので生活費を稼ぐのにと思って、福祉介護施設にバイトで入ったら、そこの仕事が凄まじくて」
 
「あぁ・・・・」
「仕事が終わったら、次の勤務時間帯までひたすら寝ていても体力が回復しない感じだったんです。私を誘ってくれた先輩には本当に申し訳なかったんですが、完全に幽霊部員になっちゃって。バスケするのに関東まで出て行ったのに、そのバスケが全然できなくて」
 
「で結局帰ってきたの?」
「その施設が1ヶ月間の業務停止命令くらったんで」
「あらあら」
「それで取り敢えず実家でしばらく休ませてもらおうと思っていったん戻ってきたんですよ。来月また出て行かないといけないです」
 
すると藍川は言った。
「そこ辞めちゃいなよ」
「え?でも生活費稼がなきゃ」
「だって、あんたそこに居たらバスケできないじゃん」
「それはそんな気もしていたんですけど」
 
「生活費は私が何とかしてあげるからさ。それでうちのチームに入ってよ。あなたの籍はまだフドウ・レディースにあるの?」
「いえ、3月末で外してもらいました」
「じゃこちらに入っても問題無いね」
 
「どういうチームなんでしょうか?」
「まだ決めてない」
「え〜!?」
 

近江満子は藍川が作る予定のチームに入ることを了承してくれた。そしてバイト先の福祉施設は退職して、来月ちょうど佐藤玲央美が福岡に出張するのと入れ替りくらいに千葉県に出てきてくれることになった。藍川は思わぬ拾い物をしたなと楽しい気分であった。
 
それでその日は良い夢を見て眠ることができた。
 
(藍川は幽霊なのに眠るし、夢も見る。そのあたりの仕組みも本人はやや不思議に思っている。私、ひょっとしてまだ生きているのでは?と思うこともあるが、彼女はその気になると壁なども何の抵抗もなく素通りすることができるので、やはり自分には実体は無いようだとも認識している) 
翌日、藍川は北海道まで来たついでに、インターハイの道予選を見に行こうと思い、釧路市に移動した。昨日のうちに借りていたレンタカーで朝4時に出て現地に8時に到着した。この日はインターハイ道予選の男女決勝リーグ第2戦・第3戦が行われるのである。
 

会場に着いた藍川はまずは9:00から行われた女子の決勝リーグ第二戦を見る。自分が多額の寄付をしている旭川N高校はやはり気になるのでそちらを中心に見るがN高校は釧路Z高校相手に苦戦していた。
 
「やはり千里が抜けた穴は大きいな」
などと独り言を言いながら見ている。試合は終始Z高校がリードしていたものの、最後に相手ファウルから絵津子がフリースローを2本入れて逆転した後、雪子のスティールから久美子がスリーを放り込んで4点差で辛勝した。N高校は昨日旭川L女子高に負けているので、これで1勝1敗で暫定3位である。L女子高は昨日N高校に勝ち、今の時間帯の試合でP高校に負け同じ1勝1敗。しかしL女子高の午後からの相手はZ高校、N高校の相手は札幌P高校である。圧倒的にL女子高有利だ。
 
「千里が卒業したし、私も別にN高校に寄付する義理は無いから、もうやめようかなあ」
などとも考える。
 
続いて10:30から男子の決勝リーグ第2試合が始まる。
 
「ん?なんで女子がひとり出てるのよ?」
と思う。旭川N高校側は、男子チームのはずなのに、どう見ても女子にしか見えない子がひとり入っているのである。しかもその子がチーム内で一番巧い! 
藍川は興味を持ってその子を見ていた。彼女(彼?)は居並ぶ背の高い相手チームの選手を華麗なフットワークで抜くとスリーをきれいに放り込む。それで、全体的には相手が押しているものの、こちらもその子ひとりで頑張って得点を重ねていくのである。たまらず相手がファウルで停めようとしても、きれいにボールを放り込んで、バスケット・カウント・ワンスローで一気に4点取ったりする。
 
「この子が女子チームにいたら強力なのに」
 
などと思って見ている。しかし試合は結局相手チームとの全体的な力の差で負けてしまった。N高校男子は昨日も負けているのでこれで2敗である。この時点で他の3チームが2勝・1勝1敗・1勝1敗で、午後からはその1勝1敗チーム同士が当たり、どちらかは2勝になるため、N高校は決勝リーグ3位以下でインハイには行けないことが確定した。
 

12時から女子の決勝リーグ最終戦が行われる。L女子高とZ高校の試合は単純にL女子高が勝ったものの、N高校とP高校の試合は激戦となった。2点差で負けていたものの残り2秒でキャプテンの揚羽が得点を決め、ぎりぎりで追いついて延長戦となる。延長戦でもシーソーゲームが続くが、最後はソフィアのブザービーターのスリーが決まって5点差でN高校が勝利した。
 
「ん?これどうなるんだ?」
と藍川は一瞬思った。
 
L女子高もN高校も2勝1敗である。得失点差の勝負になるはずだ。しかし試合が終わった後のN高校が凄い喜びようである。そして15分ほど前に試合が終わって客席に移動していたL女子高の子たちが泣いている。それで藍川は今年のインターハイ代表がN高校になったことを認識した。
 
実際にはN高校はわずか1点の得失点差でL女子高を上回っていたのである。最後のソフィアのブザービーターがもし3ポイントではなく2ポイントであったら、両者は得失点差で並び、直接対決でL女子高が勝っているのでL女子高が北海道代表になるところであった。
 
藍川はあらためてスリーの重さを感じた。
 
「私が現役時代もスリーのルールがあれば良かったのに」
などと不平を言うかのようにつぶやく。藍川の時代にはどんなに遠くから入れても2点にしかならなかったのである。
 

13:30からの男子決勝リーグ最終戦を見る。N高校はやはりあの女子選手が出ている。そしてこの子が大活躍であった。
 
「本当になんでこの子、男子チームに出てるのよ。この子が女子チームに居たらあんなに苦労しなくても女子はスッキリと代表を決めていたのに」
などと思う。
 
しかしやはり1人だけ頑張っていても、他で完璧に負けている。どんどん点差は開いて行き、20点差で負けてしまった。これでN高校男子は決勝リーグ全敗で4位に終わった。
 
藍川はロビーに出て行くと、その男子チームに入っていた女の子がフロアから出たあと、女子トイレに入って行くのを見た。
 
「やはり女の子なんだよね?女子トイレに入るってことは。見た目が女子だけど男子というわけじゃないよね? あの子、何年生だろう?」
 
そんなことをつぶやきながら藍川は女子トイレの前で待つ。それで彼女が出てきたところで声を掛けた。
 
「ね、ね、今の試合で君、凄い活躍だったね」
 
彼女は突然声を掛けられて驚いたようだったが、返事した。
「ありがとうございます。でも負けてしまいました」
 
その声を聞いて藍川は驚く。彼女は外見はどう見ても女の子なのに声は男の子なのである。
 
「あれ?君、女の子?男の子?」
「すみませーん。自分では女のつもりなんですけど、性転換手術受けないと女子の方には出られないんですよ」
「嘘!?あなた男の娘なの?」
 
それで彼女は自分のバスケ協会の登録証を見せてくれた。パスケースに入れられた登録証を最初見ると
《湧見昭子・女・1991年5月15日生》

と書かれている。
 
「女子じゃん」
「自分では女のつもりだから、ふだんこちらを見えるようにしています。でも現在有効なのはこちらなんです」
と言って、その内側に入っていた、もうひとつの登録証を見せる。

《湧見昭一・男・1991年5月15日生》

と書かれている。
 
「あんた男と女の両方で登録されているの?」
「エンデバーには去年も今年も女子として参加しました。そういうのに参加するのに女子のIDが必要なので発行してもらったんです。こちらでも各種の割引特典や大会に無料で入場したりする権利は行使できますが、こちらでは公式戦には出てはいけないことになっています。それで公式戦にはこの男子のIDで出るんです」
 
藍川はしばらく考えていた。
 
「1991年生まれってことは、あんた今3年生だよね。去勢は?」
「2年生の時にしました」
「ということは、もしかして2年後の来年には女子選手の資格ができる?」
「その時点で性転換手術が済んでいれば女子選手として試合に出られるそうです。でもお金無いし、そもそもあの手術って20歳すぎないと受けられないんですよ」
 
「18歳以上で手術受けられる所知ってるよ」
「ほんとですか?」
「手術代も出してあげようか?」
 
「あのぉ、あなたは?」
「私はまああんたの高校の1年先輩の千里の先生かな」
「わあ、千里先輩の先生だったんですか!」
 
「今新しいバスケットチームを作るのに、選手を探しているんだよ。だからあなたが高校卒業した後、うちのチームに入ってくれるなら、性転換手術代も、出してあげる。まあ契約金代わりかな」
 
と言いつつ、私、玲央美にもローザにも契約金払ってないなと思う。
 
「えっと、もしかして女子チームですか?」
「あんた、女子選手になりたいんだろ?」
「なりたいです!」
「じゃ、あなたのお母さんにも会わせてくれる?」
「はい!」
と昭子は嬉しそうに答えた。
 

男子の試合が終わって随分経ってから、昭子が旭川N高校女子の控室に戻ってきたので部長の揚羽が
「昭ちゃん、遅かったね。男子のミーティング長くかかったの?」
と声を掛けた。
 
「ううん。ミーティングは1分で終わっちゃった。細かい反省会は旭川に戻ってからするって。でもその後、スカウトさんに声掛けられちゃって」
 
「おぉ」
「やはりあのスリーを見たら勧誘したくなるよね」
「大学かどこか?」
と南野コーチが訊く。
 
「いえ。実はまだチーム結成前らしいです」
「へー!」
「実業団になるかクラブチームになるかは未定らしいんですけど」
「ああ、それは運営形態の違いにすぎないから」
「クラブチームも実業団も上位のチームは実質的な中身は変わらない」
 
南野コーチは悩むような顔をして尋ねた。
「真剣に訊きたいけど、昭ちゃん、それ男子チーム?女子チーム?」
「女子チームだそうです」
 
「やはり・・・・」
「ついでに私の性転換手術代も出してくれるって」
「おぉ!!!」
 
「それはぜひ出してもらって」
「うん。そして来年からは女子選手として活躍を」
 
「まだちょっと私自身としては手術受けるかどうかという点で迷っているんですけど」
 
「いや、それはぜひ手術しなさい」
とほとんどの女子から言われた。
「手術代も出してもらえるなんて、まず無い機会だよ」
「男子としてはインターハイ行けなくなっちゃったし、今日これから手術してもいいんじゃない?」
 
「今日手術ですか!?」
とさすがの昭ちゃんもびっくりしたような声を出した。
 

それから10日ほど経った(2009年)7月1日朝6時。東京都内某所。ふたつの都道が複雑な交わり方をしている所。ここに「時空の歪み」があることは、ある程度のレベルの霊能者の間では知られている。
 
藍川はじっと目を瞑って待っていた。
 
突然車のエンジン音が聞こえてくる。藍川は目を開き、目の前を真っ赤なインプレッサ・スポーツワゴンが通過していったのを確認し微笑んだ。そして電話をする。
 
「あ、江美子ちゃん。やはり玲央美と千里、一緒だよ。こないだ教えたA地点付近に行くと居ると思うよ。うん。じゃね」
 
そして藍川は自分のスカイラインGT-Rに戻ると、朝の便で羽田に到着するはずの近江満子を迎えに八王子ICの方に向かった。
 

2009年12月21日早朝。
 
ウィンターカップに出場するため東京に出てきた旭川N高校女子バスケ部のサポートをするためにV高校に来ていた千里は、朝食のサラダに掛けるドレッシングが無かったというのでコンビニに出かけていて、佐藤玲央美と偶然遭遇した。若干?のトラブルはあったものの、買ったドレッシングを宿舎に届けてから、千里は自分のインプで玲央美を札幌P高校の宿舎まで送ってあげるのに出た。V高校を出た時、千里の時計はMON 21 DEC 5:55 と表示されていた。 
しかしふたりは車の中で話していて、どうも「何か変なことが起きているようだ」ということで意見が一致する。
 
ふたりとも今年夏に行われたU19世界選手権に出た覚えがないのに、後輩たちから「U19世界選手権は凄いご活躍でしたね」と言われるのである。
 
そこで千里は車をいったん脇に駐めてふたりで更に話して悩んだ。
 
その時、千里の赤いインプのそばに赤いランエボが停まる。中から出てきたのは鞠原江美子である。
 
「いたいた。鬼ごっこは終わり。千里、玲央美、高田総統が待ってるからおいで」
と彼女は笑顔で言った。
 
「何があるの?」
「何って今日から合宿だからね。NTCだよ」
「何か大会があったっけ?」
「何言ってるの。今月末はU19世界選手権じゃん。ふたりとも代表として発表されているからね」
 
「U19世界選手権って終わったのでは?」
「まさか。今月23日からだよ」
 
そして千里がハッとして自分の時計を見ると、日付は WED 1 JUL 6:06 となっていたのであった。
 

「でも江美子、なんで私たちがここにいるって分かったの?」
と千里が訊くと
 
「千里の居る場所は私の携帯にいつでも表示できるから」
と言って江美子は自分の携帯を見せている。
 
あ! そういえば江美子と一緒に参加している冬山修行で、江美子が迷子になった時のため、千里の位置を江美子に報せるアプリを入れていたのであった。それで江美子は自分たちのいる位置を見付けたのだ。
 
「私も一緒にいるって分かったの?」
と玲央美が訊く。
 
「うん。冬山修行の参加者のひとりから連絡があったんだよ。今2人は一緒にいるって」
「参加者のひとり?誰?」
「藍川真璃子さんだよ。元日本代表シューターの」
「藍川さんか!?」
「玲央美も千里も藍川さんと一緒にトレーニングしてたんでしょ?」
 
千里は藍川さんのしわざか!と何だか合点が行ってしまった。しかし藍川さんひとりでこんな大がかりな仕掛けはできないはずだ。たぶん美鳳さんも絡んでるし、時間の操作までするとなると《大神様》の許可を取っているはずだ。 
「千里、これっていわゆるタイムスリップって奴だっけ?」
と玲央美が訊く。
「どうもそうみたい」
と千里。
 
「何スリップしたの? 千里、雪道走るんなら、スタッドレス付けるかチェーン用意してないとダメだよ」
などと江美子は言っている。
 
「じゃ私たちはこれから7月のU19をやることになるのかな」
「そんな感じだね」
「でもこの時期、私たちは元の時間の流れでも存在しているよね」
「たぶんそちらの私たちとは遭遇できないと思う」
「無理に会おうとしたら歴史から抹消されたりして」
「あり得る、あり得る」
 
「何かよく分からないけど、そうそう、千里にこれ渡してって藍川さんから」
と江美子が何かの紙を渡す。
 
それで千里が見てみると、どうもExcelのワークシートをプリントしたもののようで、こんな数字が並んでいた。
 
何これ〜!?
 
2009/12/20 2011/02/24─→┐

2009/07/01 2008/04/17 2011/02/25

2009/07/02 2008/04/18 2011/02/26

(中略)    ↓     ↓

2009/08/03 2008/05/20 2011/03/30

2009/08/04 2008/05/21 2011/03/31

2009/12/21 2011/04/01←─┘

 
最後に「2.25-3.31の35日間は2009-2010年冬山修行に読み替え。安寿さんの了承済み」というコメントが付いている。数字はプリンタで印刷されたものだが、コメントの字は美鳳さんの肉筆だ。千里は毎年100日の冬山修行を暦日外ですることが課されている。その100日の修行の内の35日をこのU19選手権のための日程に振り替えるということのようである。千里の体内時刻の組み替えはどうも安寿さんの作ったExcelのワークシートで管理されているっぽい。それをプリントした巻物?を千里の体内にセットすると千里の時間が切り替わっていくのである。私って機械仕掛けなのかしら?と千里は思うことがある。
 
「どうも私たち8月4日までU19のお仕事してから12月21日に戻るみたい」
と千里はその数表を見て玲央美に言った。
 
「U19世界選手権は8月2日までだよ」
と江美子が言う。
 
「それって8位以内に入ったらだよね?」
と玲央美が確認する。
 
「そうそう。13位以下なら7月28日で終わり、9位以下なら8月1日で終わり」
と江美子は言った。
 

世界選手権のシステムは複雑である。
 
参加国16ヶ国が最初A〜Dの4つのグループに分かれて予選リーグを戦う。それで各グループの最下位は13-16位決定戦に回る。前回2007年日本はチェコ・カナダ・セルビアに3連敗、グループ最下位だったのでこの流れになって、早々にスケジュールが終了してしまった(13-16位決定戦で2勝して13位となる)。 
各グループの1〜3位はE(A1 A2 A3 B1 B2 B3), F(C1 C2 C3 D1 D2 D3)という2つのグループに分かれて2次リーグ(Eight Final Round)を戦う。このリーグ戦では各々予選リーグで戦わなかったチームと戦う。つまり各チーム3試合である。そして予選リーグの戦績と合わせて6試合の結果で各々1-6位を決定する。
 
ここで各グループの5-6位は9-12位決定戦に回り、1-4位が準々決勝(決勝トーナメント)に進出する。
 
準々決勝で勝てば準決勝へ、負ければ5-8位決定戦へ。
準決勝で勝てば決勝へ、負ければ3位決定戦へ。
 
最終日まで試合があるのは、決勝トーナメントに進出した8チームのみとなる。 

最終日まで試合があった場合、おそらく翌日8月3日に帰国、4日に解散式くらいのスケジュールになるのではなかろうか。その後、元の時間の流れに戻してもらえるのだろう。
 
ともかくも、千里と玲央美はここで逃げる訳にもいかないし、江美子に付いてNTC(東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンター)に行くことにし、江美子のランエボの後を千里のインプが追随する形でそちらに向かった。 
入口では江美子が3人分のIDカードを提示してくれたのでそのまま中に入り、駐車場に駐めた。車を降りてアスリート・ヴィレッジに向かう。
 
「はい。IDカード。さっき渡すの忘れちゃった」
と江美子は言ってカードを2人に渡す。
 
そして玄関の所には高田コーチが居て
「おお、来たな、待ってたぞ。朝飯食べたら記念撮影だから」
と笑顔で言った。
 

千里たちが江美子と一緒に食堂に入って行くと、赤い髪を男子みたいに刈り上げた人物が、千里を見て飲んでいる最中の牛乳を吹き出してしまった。それをまともに顔に掛けられたのが向かいの席に座っていた熊野サクラである。
 
「ちょっとぉ!」
とサクラ。
「ごめーん!」
とその人物。
 
「村山さん、その節はごめんなさい。殴らないでね」
などと彼女は千里に言っている。
 
「その節って何だっけ?」
「いや、12月のウィンターカップで、村山さんとこの山川さんだったっけ?を殴っちゃったから」
 
「ああ。あの件はあの時、高梁さんちゃんと謝りに来て話は済んでるじゃん。山川じゃなくて山下(紅鹿)だけど、本人も何とも思ってないよ」
「ほんとにー?」
 
「チームメイトになるんだし、仲良くやろうよ」
と言って千里は笑顔で手を出すので、高梁王子はおそるおそる手を出して千里と握手した。
 
「でも高梁さん、今年は倉敷K高校、インターハイに出られないの?代表に参加するって」
と千里は尋ねる。
 
インターハイに出る高校の選手は日程が重なっているため世界選手権に出られないのである。
 
「うん。K高校は今年はインターハイ出てない。今年のインターハイ代表は岡山H女子高。でもそれ以前に、私、K高校辞めちゃったから」
と彼女は言う。
「え〜!?」
 
「その件は私も聞いてる」
と佐藤玲央美が言う。
 
「なんか同窓会の内紛が波及して、女子バスケ部の監督とか女子バレー部の監督とか、強い部の監督が軒並み解任されちゃったんだよ」
「うっそー」
 
「それでかなり転校生が出たんだよ。転校生は半年間公式戦に出られないから。それで高梁さんもインターハイに出られなくて、結果的に日本代表に選ばれたんでしょ?」
 
「そうなんですよ。監督が解任されてコーチ陣も全員道連れ解任で、どうしよう?と思ってた時に、田中(真璃子・旧姓藍川)コーチの紹介でアメリカに武者修行に出ることになって。費用もスポンサーがいるからということで渡航費も含めて全部出してもらったんですよ。形の上では岡山のE女子高に転校して、そこから同じ系列のアメリカのR高校に留学してるんです」
 
「岡山ならH女子高がバスケ強いのに」
「ええ。K高校のバスケ部からH女子高に5人転校しました」
「わっ」
「あの子たちインターハイには出られないけどウィンターカップは出られるからベンチ枠争いが熾烈になったらしい」
「きゃー」
 
「今年のウィンターカップの台風の目になるね」
と他人事のように前田彰恵が言う。
 
「でも私はアメリカに行きたかったから、そのルートのあるE女子高にしたんですよ」
「なるほどー」
 
「それと私がE女子高に転校したのが1月中旬なんですけど、それを聞いて今年の高校受験生で倉敷K高校や岡山H女子高を受ける予定だったのをE女子高に変更した子が何人か居るらしくて」
 
「ほほお」
 
「だから今年のウィンターカップまでは私が不在だけど来年のインターハイ県予選では、やすやすとH女子高に優勝はさせません」
「うん、頑張れ、頑張れ」
 

「でもアメリカはどうですか?」
と橋田桂華が訊く。
 
「入った学校はほどほどに強い所なんですよ。まあ州大会の上位に食い込める程度」
「だったら、高梁さん、物足りなくない?」
「技術的にはそういう面もあるけど、なんといってもみんな体格が良くて」
「ああ」
 
「私、初めて自分より体格のいいチームメイトや対戦相手とやることになって、脳内革命が起きている感じ」
「そういう経験は貴重だね」
 
「それとやはり日本とはゲームに対する身構えみたいなのが違うんです。凄くポジティブだしアグレッシブだし合理的だし大雑把だし。何したっていいから点数取った方の勝ちって考え方。変な作戦とか無いんです。とにかく相手に勝てって。それだけ。シンプル。日本に居た時より水が合う感じです」
 
「確かに高梁さん、アメリカ向きの性格かもと思うよ」
 
「それとなにより、男に間違えられることがないのもいいです」
「ああ、それは良いことだ!」
「私より男らしい子が何人も居るし」
「さすが、アメリカ!」
 
「そうそう。私、実際にはE女子高には全く通(かよ)ってなくて、制服さえまだ作ってないんですけど、いったん在籍する形にするから、転入試験を受けに行ったんですよね。それと面接と。その時、いきなり言われたんです。『すみません。うちは女子高なので男子の転校生は受け入れられないんですけど』って」
 
「ああ・・・・」
「ありがち、ありがち」
「その手の話って、私たちみんな事欠かないよね」
 
「私は春先にバイト探してたとき、オカマさんと思われた。電話オペレータの仕事だったんで、これだけ女らしい声が出せるなら採用してもいいかな、って」
と玲央美。
 
「ボクは就職先でふつうに男と思われていた」
とサクラ。
「ほら、これボクの健康保険証」
と言ってサクラが見せてくれた健康保険の保険証は「熊野サクラ・平成2年4月8日生・性別男」と書かれている。
 
「おお、すごーい!」
「任意継続するから、この保険証もうしばらくは有効」
「へー!」
「性転換しても行けるね」
 
「この合宿に入る前に健康診断受けたけど、『胸がまるで女性のように膨らんでいますね。肝臓の検査してみましょうか』と言われた」
「うむむ」
 
「確かに男性でも肝機能の低下で乳房が女性みたいに発達することがあるみたいね」
「へー」
「男性の体内にも女性ホルモンはあるけど、ふつうは肝臓で分解されてしまう。でも肝臓が弱っていると、その分解がうまく行かなくて、女性ホルモン過剰になっちゃうんですよ」
「ふむふむ」
 
「それで、私は女ですから、と言ったら女性ホルモンの注射してるんですか?と」
とサクラ。
 
「あははは」
 

食事をしている間に高田コーチが千里と玲央美のユニフォームを持って来てくれた。千里は1年ぶりに手にする日本代表のユニフォームに思わず頬ずりをしてしまった。
 
千里的には2008年11月にU18日本代表をした後、14ヶ月近くたった2009年12月の気分である。しかし今居る時間の流れは2009年7月であり、あれから経過した時間は8ヶ月にすぎない。千里がもらったユニフォームの番号は6番で、U18の時と同じである。玲央美もあの時と同じ10番のユニフォームだ。それを言うと彰恵が
 
「基本的に番号は去年と同じ。ただ誠美が出られなくて代りに王子(きみこ)ちゃんが入ったから、王子ちゃんが誠美の付けていた13番を付ける」
と説明してくれた。
 

しかし合宿に参加するとなると、全然用意が無いぞ、と千里は思った。取り敢えずバッシュが無いのは困る。それと生活費はどうすればいいんだ?とも思う。おそらくキャッシュカードなどは(使うとタイムパラドックスを起こすので)使用できないだろう。
 
千里は現金をいくら持っていたか確認した。雨宮先生が突然無茶を言うので千里はいつも結構な金額の現金を持ち歩いている。
 
「うーん。30万円か。1ヶ月の生活費活動費としては微妙だなあ」
などと言っていたら、玲央美が
「すごーい。お金持ち〜」
と言う。
 
「玲央美はいくら持ってた?」
「いやコンビニに焼きそば買いに来ただけだったから財布には1000円くらいしか入れてなかった。それで五百円玉寄付の瓶に入れたから所持金300円」
 
「じゃ、取り敢えず少し貸してあげるよ」
などと言っていたら
 
「村山さん、佐藤さん、荷物が届いていますよ」
と事務の女性が言う。
 
それで行ってみると、まずは現金書留を渡される。
 
「藍川さんから!?」
 
藍川さんから千里と玲央美に各々現金書留が2つずつ届いていて、中身を見ると各50万円ずつ入っていた。現金書留で送れるのが50万円までなので、2つに分けたのだろう。しかしこれだけあればU19をしている間の生活費や諸経費には充分だ。 
「親切だね〜」
 
「お荷物はこちらなのですが」
と事務の女性が言うのを見ると、なんと見慣れたバッグが来ており、その中に着替えやバッシュ(ウィンターカップの記念にもらったもの)が入っていた。 
「あ、このバッグ、今年の春に見当たらなくて探していたやつだ」
「ここに届いてたんだね」
「うん。おばちゃんが送ってくれたみたいで送り主が奥沼美輪子になってる。でもこれ賢二おじさんの字だな。やはり旭川に忘れてきていたのか。玲央美のそのバッグは?」
 
「これ私もどこかに忘れてきていたと思ってた。送り主が小平京美だ。たぶん寮か部室に忘れてきていたんだろうな」
と言って玲央美は中を見ていた。
「ウィンターカップでもらったバッシュだ。取り敢えずバッシュが無いと困るところだった。あ、パスポートもここに入ってたのか」
 
「パスポートは無いとまずいよね」
「千里、パスポートは?」
「いつも持ち歩いているバッグに財布や運転免許証などと一緒に入れているんだよ。私に突然地球の裏側まで来いなんて言う人がいるもんだからさ。現金もそれで30万円入っていたんだけどね」
 
「ふむふむ」
 

それで千里と玲央美はいったん部屋に行ってから日本代表のユニフォームを着て、厚手の靴下を履き、送ってこられていた荷物の中にあったバッシュを履いて、体育館に行った。全員並んで記念写真を撮るが、キャプテンの朋美・副キャプテンの彰恵のすぐ後ろ、2列目中央に千里と玲央美が並んだ。 
U19日本代表はこういうメンバーになっていた。
 
4.PG.入野朋美(愛知J学園大学)

5.PG.鶴田早苗(山形D銀行)

6.SG.村山千里(千葉ローキューツ)

7.SG.中折渚紗(茨城県TS大学)

8.SF.前田彰恵(茨城県TS大学)

9.PF.橋田桂華(茨城県TS大学)

10.SF.佐藤玲央美(バスケット協会)

11.PF.鞠原江美子(大阪M体育大学)

12.PF.大野百合絵(神奈川J大学)

13.PF.高梁王子(岡山E女子高)

14.C.中丸華香(愛知J学園大学)

15.C.熊野サクラ(バスケット協会)

 

記念撮影の後、高居チーム代表から簡単?な説明があった。このあとの日程の話、世界選手権のシステム(言葉で説明されただけでは理解できなかった子が結構多かったようである)、予選リーグ・2次リーグの対戦相手とおおまかな実力など。また今回のU19代表の活動に関する報酬のこと、協会の支援体制のこと、ドーピング検査・セックス検査を含む健康面のこと、などこの付近の説明だけでけっこうな分量があり、王子やサクラは完璧に寝ていた。
 
「みんなセックス検査受けた?」
「私、受けたことなーい」
「ちんちんあるんだったら、見付かる前にこっそり切り落としておいた方がいいぞ」
「えー?それ痛そう」
 
また会社勤めの人にはその会社の代表宛、学生の人にはその学校の長宛てに、日本代表に招集するので、会社の業務・試験・行事などに掛かっている場合、特別な配慮のお願いをする麻生太郎(この時期は既に総理大臣にも就任している)バスケ協会長名の手紙が送られていることも説明された。
 
ただこの時点で、協会側が所属を明確につかんでいなかった、千里・玲央美については後から個別に呼ばれて今から依頼状を送りたいのでと言われた。千里は、ではC大学理学部長宛てでお願いしますと答えたが、なるほど〜、それで私の前期の試験はレポートに代えてもらえたのかと、千里は当時のことがやっと納得できた。
 
しかし依頼の文章では「バスケットボール・アンダー19女子日本代表」と書かれていたので、私、男子学生を装っていたけど、そのあたりは良かったのかなあなどと冷や汗を掻いていた。まあ学籍簿上は女子学生になってたみたいだし、結構多くの教官が私を女子と思い込んでいたみたいだし、などというのも考えたりしていた。
 
玲央美の場合は「バイトなので仕事しない分はどうせ無給だし、そういう依頼状は無くても大丈夫です。電話入れておきます」と答えたらしいが、この時期、元の時間の流れの玲央美はバイトを休むどころか九州で特別勤務に就いていたようなので、そんな手紙を送られては困る所であった。
 
他のメンバーで学生の場合は、けっこう試験の時期に掛かっていた子も多かったようだが、みんなレポートなどに代えてもらったようだ。早苗の場合はバスケの活動で勤務地を離れるのが日常茶飯事なので、この1ヶ月もふつうに勤務しているとみなされるということだった。
 
サクラは(この時点で千里は)今回の代表活動に参加する前に勤めていた会社を辞めたと聞いていたのだが、1ヶ月間の生活費は高田コーチが個人的に20万円出世払いで貸してくれたと聞いた。彼女は妹さんの学資も送金しているということで大変そうである。
 

記念撮影後早速練習開始になるのだが、高梁王子が
 
「すみません。皆さんのコートネーム教えて下さい」
と言い出す。
 
「決めてたっけ?」
と彰恵。
 
「去年のU18の時はだいたい下の名前で呼んでたね」
と朋美。
 
「うん」
と言って江美子が視線を遠くにやりながら名前をあげる。
 
「トモ:入野朋美、ツル:鶴田早苗、サン:村山千里、リト:中折渚紗、アキ:前田彰恵、ダイ:橋田桂華、ステラ:竹宮星乃、コメ:大秋メイ、レオ:佐藤玲央美、キラ:鞠原江美子、リリー:大野百合絵、マチ:森下誠美、ソラ:中丸華香、クララ:熊野サクラ、ロコ:富田路子、って感じかな」
 
「待ってください」
と言って王子が必死にメモする。
 
「必ずしも下の名前では無い気がする」
「むしろ少ない気がする」
「言われてみればそうだ」
 
「サナエでは長いから苗字から取ってツルになった」
「私、Y実業でもD銀行でもツルにされた」
 
「渚紗がリトなのは、昔チームにもうひとりなぎさちゃんが居て、大きいなぎさ、小さいなぎさで、こちらはリトになったらしい」
「リトルの略ですか」
「桂華は同様に大きいケイちゃんと小さいケイちゃんが居て、桂華は大きいケイ」
「こちらは日本語ですか」
 
「誠美はセンター仲良しグループの間でマチンコと呼ばれていて、長いから前半を取ってマチになった」
「チンコにしてもいいけどと本人は言っていたが、高田コーチからダメ出しくらった」
「どっちみち今回は来てない」
 
「クララはサクラの変形だな」
「華香は空を見上げるように背が高いからソラらしい」
「ミニバスの時に付けられた名前なんだけどね」
 
「江美子はミニバス時代からキラだったらしい」
「キラキラ輝いているからと本人は言っている」
 
「メイちゃんのコメは由来を聞いてない」
「まあどっちみち来てない」
 
「千里さんはどうしてサンなんですか?」
「チサトでは長すぎるから村山の山を音読みしてサン」
「スリーポイント女王だから数字の3という説もある」
「千里は平成3年3月3日生まれで、やたらと3という数字に縁があるんだ」
「スリーポイント女王になるべくして生まれたような子だな」
 
「王子(きみこ)ちゃんはどうしよう?」
「今所属してるチームではなんて呼ばれてるの?」
「ニモです」
「ディズニーアニメ?」
「それがワイルドだからジェロニモみたいと」
「ふむふむ」
「K学園では?」
「ラギでした」
「何だっけ?」
「桜木花道の略らしいです」
 
彼女は高校からバスケを始めて急成長したことから「女桜木花道」の異名を取ったのだが、赤い髪を男子のように刈り上げている姿も桜木花道に似ている感じはある。
 
「どっちにしても男キャラだな」
 
そんなことを言っていたら江美子が
「プリンだな」
と言い出す。
 
「何ですか?」
「王子(きみこ)がだいたい『おうじ』と誤読されるからプリンス。長いから略してプリン」
「私、プッチンプリン好きです」
「じゃ、それで」
 

それでやっと練習が始まったものの、千里は久しぶりの日本代表の練習に「きゃー」と悲鳴をあげたい気分であった。
 
千里はここの所(2009年12月頃)、毎日平均3時間程度しか練習していなかった。しかも練習相手は、溝口麻依子とか小杉来夢とか歌子薫とか、そこそこ強い選手ではあるものの、どうしても日本代表とはレベルの差が隔絶である。ローキューツでは森下誠美がU18日本代表だが、彼女はセンターであり、千里とはお互いにあまり練習相手にはなっていなかった。
 
それで千里は最初みんなのペースに付いていけず
「こらこらサボるな」
と高田コーチや片平コーチに叱られた。
 
サボってません。全力です、と内心は思ったもののそんなことは口が裂けても言えない。
「済みません。気合い入れ直して頑張ります」
と言って千里は身体のパーツのあちこちが悲鳴をあげているのを我慢して必死にみんなに付いて行こうと頑張った。
 

練習はお昼休みをはさんで朝9時から夕方18時まで続き、夕食後はビデオを見て今度の世界選手権で当たる予定のチームの研究をした(例によって王子などは寝ていた)。部屋に戻ってきたのはもう21時すぎである。
 
「疲れた〜」
と千里が言うと、玲央美も
「自分が凄くなまっていたのを再認識した」
と言っている。
 
今回の合宿で、千里はいつもと同じように玲央美と同室になっている。女子の合宿は選手同士の相性を考えないといけないとので概して部屋割りが大変である。今回初めて参加した王子はサクラと同室になったようである。ふたりは 
「男同士仲良くしよう」
などと言っていた!
 
「まさか男性同性愛?」
「男子のオナニーのおかずの話では盛り上がった」
「**セリアちゃんと**マリモちゃんでは、どちらが可愛いと思う?」
「そんなの知らん!」
 
「でもあんたたち、おちんちんあるの?」
「誰か要らない子がいたらもらってきたいけど」
「ああ、最近要らないという子は増えてるよね」
 
「でも取り敢えず合宿中のセックスは自粛してね」
などとキャプテンの朋美が言っていた。
 

半月ほど前の6月19-21日、高田コーチ(U19アシスタントコーチ/札幌P高校アシスタントコーチ)は最後まで見付けきれなかった熊野サクラのことを案じながら釧路でインターハイの道予選に臨んでいた。
 
もうタイムリミットなので場合によってはお願いするかも知れないと内々に打診していたH教育大旭川校の花和留実子に会っていかないといけないなあと思っていた。彼女には念のためパスポートも作ってもらっている(彼女は貧乏なこともありパスポートを作るための費用は高田が渡してあげた)。ところが20日になってから大阪にいる鞠原江美子から「熊野サクラに似た人物が居酒屋の厨房に居るのを友人が見た」という情報が入った。
 
鞠原が所属しているM体育大学の顧問にお願いして、部員を総動員して3日間目撃情報のあった近辺の居酒屋に通い詰めて22日、とうとう発見。江美子が直接会って本人であることを確認。23日は仕事を休んでもらい、北海道から駆けつけて来た高田コーチと会わせてくれた。
 
それで彼女を説得して仕事を辞めさせ東京に連れて行く。彼女が精神的に不安定になったような場合に備えて、高校のチームメイトであった橋田桂華を呼び寄せて月末まで一緒に過ごさせた。この間、彼女を心配して、名古屋に戻っていた中丸華香と旭川の花和留実子も駆けつけて一緒に過ごしてくれた。おかげで過酷な労働で疲労困憊していたサクラは何とか精神力を回復させたのである。 
一方高田は24日にU19日本代表の発表を終えると翌日には大阪に向かい、福岡から出てきてくれたお母さん・妹さんと一緒にサクラの会社寮の部屋を片付けて引き払った。妹さんにサクラが高校時代に使っていたバッシュを福岡から持って来てもらい、彼女にはそのまま当面の合宿などで必要になる着替えなどと一緒にバッシュも持って東京に行き姉に荷物を渡してもらった。
 
その後高田は数人の知人にサクラがU19の活動を終えた後就職できてバスケができるような適当な会社が無いか打診してもらうようお願いした。また彼は大阪に行ったついでに札幌P高校がインターハイの間使わせてもらう予定でお願いしていた練習施設の管理者にも会って、P高校が道予選を突破したので正式にお願いしますという旨を伝えてきた。
 
彼が東京に戻ってきたのは28日である。19日から札幌→釧路→大阪→東京→大阪→東京と移動続きでくたくたになっていたのだが、NTCに顔を出して1日からのU19合宿の準備をしていたら、P高校の小平京美から電話が掛かってくる。何でも渡辺純子の部屋の掃除をしていたら、佐藤玲央美のバッグが出てきて、中にウィンターカップ優勝記念にもらったバッシュや着替えなどが詰まっているので佐藤の所に送ってあげたいのだが、住所を知りませんかというのである。
 
渡辺純子の部屋の汚さは高田も知っているのでつい苦笑したのだが、このタイミングで唐突にそういうバッグが見付かったということは、やはり鞠原江美子が言っていた通り、ちゃんと玲央美は合宿の日までには現れるなと高田は考える。そして小平にそのバッグをNTC気付で送ってくれるよう伝えた。
 
札幌から送られた荷物は30日に到着したが、その時宅急便屋さんがもうひとつNTC気付のスポーツバッグを一緒に持って来たことに気づく。
 
「そちらは?」
「こちらは村山千里さん宛てになってます」
「なるほどね〜」
 
それで高田は村山も合宿当日までに現れることを確信したのである。
 

29日、引き続き高田がNTCやバスケ協会などを行き来して合宿の準備をしていた時、彼に面会を求めてきた女性があった。
 
「倉敷K高校のコーチさんでしたね?」
「はい。1月に解任されましたが」
 
と言って彼女は
《バスケットボールインストラクタ・JBA公認A級コーチ・藍川真璃子》と書かれた名刺を出した。
 
「藍川真璃子って、もしかして昔の日本代表の?」
「古い話ですが。1970年から1983年まで日本代表をさせて頂きました」
「いや、全然気づかなかった。申し訳ありません」
 
「私、あまり表だった所には出てないので。倉敷K高校でも騒がれたくないので戸籍名の田中真璃子で登録していましたが、実際には旧姓で活動していることのほうが多いんですよ」
 
「なるほどー。そうだ、高梁王子の件では随分骨を折ってくださったそうで」
 
高田は高梁がアメリカに留学する際の様々な交渉・手続きを「田中コーチ」がしてくれて、費用も全部出してくれたことを聞いていた。
 
「あの子はちょこまかした日本のバスケより、荒削りなアメリカのバスケの方が水に合うんですよ。細かいフェイント合戦に勝つことを教えるよりパワーで突破することを覚えさせた方が、実力を伸ばせると思うんですよね」
と藍川が言うと
 
「それは結構同意しますね」
と高田も答えた。
 
「あの子、不器用なんですよね。女桜木花道なんて言われてましたけど、実際、あの子は女流川楓にはなれないんです」
「言えてます、言えてます」
 
 
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