【娘たちの再訓練】(3)

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千里たちは12日(日)の夕方までD銀行との練習に出て、その日の内に荷造りを済ませ、一部の荷物は16日からの三重県での合宿所に宅配便で送る。13日(月)の朝になってから王子(きみこ)が「荷物が片付かない!」と騒いでいたので、整理を手伝ってあげた。
 
「これバンコクに持って行く必要ないんじゃない?実家に送ったら?」
「あ、それでもいいか」
 
などという感じで彼女の荷物の整理だけで2時間掛かった! 一週間居ただけなのに、なぜこんなに荷物が増殖したのかは謎である。
 

千里と玲央美は一部の荷物をNTCに駐めている千里のインプに置いていきたいので、名古屋に直行する早苗・王子と別行動になった。千里たちがJ学園大学の研修施設に着いたのはもう20時頃である。荷物を部屋に置いてから体育館に行くと、みんな練習しているので、それに参加する。
 
「千里も玲央美も凄い進化してる!」
と彰恵が声を挙げる。
 
「TS大学組でかなり練習したつもりだったから、スターター枠をぶん取れるかもなんて言ってたのに、この仕上がりはちょっと焦るね」
と桂華が言っていた。
 
しかし千里は何と言ってもサクラと華香が凄く良くなっているのに安心した。正直、先の合宿の様子を見ていたら、センター陣にかなりの不安があったのである。
 
もっともそれを言うなら、みんな私の仕上がりに不安を持っていたろうなというのも考えた。
 
「何気にサクラのフリースローが確率良くなってる」
と江美子が言う。
 
「一週間でミドルシュート練習2000本やったから」
「すごーい」
「リバウンドも4000本やった」
「おお、頑張ったね」
 

この夜の練習は集まったメンバーが勝手にやっていたものだが、翌日の朝から本格的な合宿が始まる。最初にJ学園大学のチームとの練習試合をする。向こうには花園さんと同学年だった日吉紀美鹿や、昨年U18候補に入っていたものの直前で落とされた大秋メイなどがいる。
 
スターターは各々こうなった。
 
J大 柳本/広瀬/大秋メイ/日吉紀美鹿/発坂
U19 朋美/千里/玲央美/王子/華香
 
向こうは取り敢えず3年生中心のメンツで出てきたようだ。1年のメイや2年の紀美鹿を入れたのは、多分こちらの選手のことをよく知っているからということであろう。しかしU19側の朋美と華香もJ学園大で、つまりこの2人も相手プレイヤーのことをよく知っている。
 
メイは昨年の9月15日まではU18で千里たちと一緒に練習していたものの落とされた。人数の関係で誰かが落とされるのは仕方なかったとはいえ、自分だってU18に残る力はあったのにという悔しい思いを持っている。彼女はこの日の試合でリベンジに燃えている感じであった。
 
しかしメイにマッチアップした玲央美は彼女を完璧に圧倒した。そしてその対決を通じて、メイは自分の心の中にあった屈折した感情を次第に昇華させていったようにも見えた。彼女は第1ピリオドだけで交代したが、ピリオド終了時に玲央美にハグを求め、玲央美がメイの背中を数回叩くと
 
「私もまた頑張るね」
と言っていた。
 
さて、試合の方は第1ピリオドが終わった所で、14対28とダブルスコアでU19のリードである。
 
やはり千里と玲央美が覚醒してきたし、王子も強い人たちとの戦い方を少しずつ覚えてきたし、華香は第1次合宿の後でどこかでやってきたらしい特訓で昨年までの感覚をかなり取り戻している。手強いメンツである。
 
そこで第2ピリオドでは相手はメンバーを一新して4年生を中心とするチームで出てきた。但し日吉紀美鹿(2年生)だけが残る。一方のU19側も早苗/渚紗/彰恵/江美子/サクラ、とラインナップを一新した。
 
J学園大学の4年生中核メンバーは高校時代に何度も全国の頂点に立ったことのある人達である。さすがに手強い。しかしU19側もかなり強烈なメンバーが揃っている。第1ピリオドに出たAチームがパワー勝負ならこの第2ピリオドに出たBチームはテクニックのチームである。
 
そして点差はどんどん開いていった。
 
「これ40分やらなくてもいいかな」
とこちらの片平コーチと向こうの藤崎コーチで話し合い、試合は第2ピリオドまでで打ち切られ、30-54でU19の勝利となった。
 

練習試合の後は基礎トレーニングやポジション別練習、1on1などをする。このあたりの練習がなかなかハードである。例によって王子が「きつーい」などとすぐ弱音を吐いていた。
 
実際には、千里やサクラなどの方がよほどきつそうな顔をしていた、と後から彰恵に言われたが、千里は辛いのは辛いが、これを乗り越えないと自分で納得の行くプレイができるようにならないと思い、必死で頑張っていた。
 
練習は朝8時に始まり、お昼と夕食をはさんで夜8時まで続けられたが、大学生の方は日吉さんやキャプテンの蔵敷さんなど数人を除いてはみんな軒並み途中でダウンしていた。
 
練習が終わった後は大学生たちと一緒に近くのスパに入りに行った。例によってフロントの人が
 
「すみません、男性はこちら、女性はこちらに並んで下さい」
と言うものの、全員女性の方に並ぶので、特に数人に
 
「男性の方はすみません、こちらに」
と声を掛け
「私、女です」
と返事するというやりとりが起きていた。王子など
 
「あなた男性ですよね?」
「こないだセックスチェックされたけど女だと言われましたよ」
 
などとやっていた。
 
このスパではマッサージをしてもらう子も結構居た。千里もアロマオイルを使った全身マッサージをしてもらったが、凝っていた筋肉が優しく揉みほぐされていき、至福の気分であった。
 
王子も
「気持ち良さそう。でもお金持ってないし」
などと言っていたので
「お金は出してあげるから、受けといでよ」
と言って、受けさせた。
 
彼女の筋肉は無茶苦茶硬かったようで、最初やっていたセラピストさんが音を上げてベテランの人に交代していた。
 
本人は途中で眠ってしまっていたようだが、翌日
「すごく身体が軽い〜」
などと言っていた。
 

7月3日に国内某所で性転換手術を受けた湧見昭子は13日に退院して旭川に戻った。まだ夏休み前だが、昭子は7月1日以降学校を休んでいた。このまま夏休みいっぱい自宅で静養する予定である。傷の治り具合などは旭川市内の某病院で見てもらえることになっている。そのあたりの手配も藍川さんがしてくれたのである。
 
「こんばんは〜。身体の調子はどう?」
と言って、14日の夕方、絵津子・久美子・揚羽・雪子・志緒、それに1年生の横田倫代の6人が御見舞いに来てくれた。もっとたくさん「本当の女の子になった昭子ちゃんを見たい」という希望者はあったものの、大勢で押しかけてもということで、このメンツになったらしい。実は朝練のメンツに近い。
 
「少しは痛みが減ってきた」
と昭子は答える。
 
「手術したあそこを見た?」
「見た」
「どうだった?」
 
「すっごく嬉しかった。これが私のお股なの?すごーいと思った。本当に女の子の形になってるんだもん。痛い手術をした甲斐があったと思った」
 
「おお、それは良かった」
 
「ちんちんに触る度に憂鬱な気分になってたから、もう付いてないといのうが嬉しくて嬉しくて」
「ふむふむ」
 
「病院は男性の患者も女性の患者もふつうに居るんだよね。それで手術前はネームプレートは湧見昭一で男性と一緒の部屋だったんだけど、手術が終わった後は女性と一緒の部屋に入れられてネームプレートも湧見昭子になったの」
 
「なるほどー」
「画期的だね」
 
「おめでとう。女の子になれたよ。これでお嫁さんにも行けるよ、と言われてもう感動しちゃって」
 
「昭ちゃん、ほんと可愛いし、結婚してもいいという男の人は現れると思うよ」
と雪子が言う。
 
「羨ましい」
と言ったのが倫代である。
 
「みっちゃんも早く女の子になれたらいいね」
と揚羽が言う。
 
「うち貧乏だから去勢とかも受けられる目処が立たないんですよね」
「高校卒業したら、貯金して手術受けるといいよ」
「はい、私も頑張ります」
 

千里たちの愛知での合宿2日目・7月15日は、明日からのサマーリーグにも参加するステラ・ストラダの若手メンバー6人に来てもらった。指導料6万円(但し負けたら無料)+交通費という約束だったらしい。
 
相手はこちらが高校出たばかりのメンバーがほとんどということで、最初は冗談を言いあったりして、とっても軽い感じであった。
 
しかし試合が始まると20秒で顔色が変わった。
 
最初のティップオフで華香が勝ってボールを玲央美が取ると、既に全力疾走している千里の背中めがけて鋭いボールを投げる。千里はボールが到達する直前に振り向いてキャッチし、1秒で体勢を立て直してスリーを撃つ。わずか7秒で3点取る。相手がスローインして攻め上がってきた所に早苗と千里が連係プレイで相手の死角を巧みに利用したスティール。千里から王子にパスが渡ると、王子は居並ぶプロを蹴散らしてダンクシュート。
 
そういう訳で試合開始から20秒で既に0-5になってしまったのである。
 
向こうはいきなりタイムを取って何か激論していた。それでその後は向こうもかなり気合いを入れてきた。指導料はともかくプロが18-19歳の子たちに負けたら恥とばかり必死のプレイを見せる。
 
しかし玲央美のパワーとスピードには簡単には抵抗できない。王子の頑丈な身体にはファウルに行った方が弾かれて倒れてしまう。千里のスリーはタイミングが読みにくくてブロックできない。
 
第1ピリオドが終わった所で16-24とU19側が8点リードしている。
 

最終的に試合は58-82でU19が勝利した。試合終了の時に向こうのメンバーの顔がこわばっていて、キャプテン同士以外では握手も無かった。その後、高居さんが彼女たちをお昼御飯に連れて行ったようである。
 
その日も千里たちはJ学園大学の人たちを相手に基礎的な練習を続けた。日吉さんは「とにかく欠点の多い」王子が凄く気になるようで色々声を掛けていた。
 
「王子ちゃん、無駄なファウルが多いんだよね。動体視力はいいみたいだから、相手の手の動きを把握した上でボールを狙えば、ファウルせずに結構スティールできると思うよ」
 
などと言って、道下さんとマッチングさせて彼女からボールを奪う練習などをさせていた。
 
夕方、唐突にステラ・ストラダの選手たちがやってきたが、何と16人全員で来ている。
 
「リベンジしたいから練習試合させて」
などと言う。こちらはそういうのは大歓迎なので、早速試合をすることにする。
 
片平コーチは朋美/渚紗/彰恵/江美子/サクラといった技巧派中心のメンツを先発させた。このメンバーが相手と結構よく渡り合う。彰恵も江美子もプロ相手に全く臆することなくプレイし、マッチングも気合い負けしない。リバウンドでも、サクラは相手正センターと五分五分の勝負を演じた。
 
第2ピリオド、早苗/千里/玲央美/百合絵/華香とパワーのあるメンバーを出すと、相手は千里や玲央美を抑えきれない。いちばん上手い人が千里、次にうまい人が玲央美に付くのだが、どちらも振り切られてしまう。千里は一瞬気を抜いた隙に目の前から居なくなるし、玲央美はパワーとスピードを兼ね備えているし、どんな距離からでもシュートする。
 
そして後半投入した王子は破壊力バツグンである。
 
最終的には70-78でU19側が勝利した。
 
「君たち朝より強くなってる!」
と朝来た時に中心選手だった人が嘆くように言った。
 
「この子たちは時間単位で進化していってるんですよ」
と審判を務めてくれたJ学園大学の満島コーチが言っていた。
 
そして
「負けたから私たちが君たちにおごるよ」
と言って夕飯を焼肉店に招待してくれたが、王子やサクラ・華香の食べっぷりに向こうの選手達は「凄い凄い」と喜んで?いたようである。
 

2日間の愛知での合宿はこのステラ・ストラダの人たちとの会食で終了。メンバーは食事から戻ると、荷物をまとめて一緒に明日からのU19第2次合宿のある伊勢市へと近鉄を使って移動した。
 
到着したのはもう夜の10時半であったが、高居さんが簡単なミーティングをしたいというので、ホテルの会議室に集まった。
 
あらためてこの後のスケジュールの確認をする。そして航空券がいったん配られてパスポートと名前の綴り、年齢・性別が一致しているか確認してくれと言われた。万一間違っていたらとてもまずいので、隣の人のもチェックしてあげてというので、千里と玲央美はお互いのチケットを確認した。ふたりの所には特に高居さん自身が来て、パスポートの記載と一致しているかを見ていた。いちばん最後に合流したので不安だったのだろう。
 
「Reomi Sato, Sex:F, 28 DEC 1990」
「Chisato Murayama, Sex:F, 3 MAR 1991」
とパスポートの記載を小さい声で読み上げながら航空券と見比べている。綴りは完全に一致しているし、千里の航空券も玲央美の航空券も性別はちゃんと MS になっている。
 
玲央美はもう千里が女性のパスポートを持っていることを気にしていないが、高居さんは千里が元男の娘ってことを知らないのだろうか?とそれを見ながら玲央美は疑問に感じていた。
 
「ふたりともまだ18歳なんだね」
「はい、そうです」
 
などと言っていた時、サクラが声をあげる。
 
「すみません。パスポートがありません」
「何〜〜!?」
 
昨年インドネシアに行った後は見ていないというので、実家にあるのでは?ということになり、すぐ実家に電話させる。
 
「ごめーん。僕がもっと早く確認させておくべきだった」
とサクラにずっと付いていた高田コーチが恐縮しているが、海外の大会に参加するのに、ここに至るまでパスポートを持って来ていないことに気づかなかったサクラが悪い。
 
実家ではお母さんと妹さんが必死に探してくれて、見付かったという連絡が入ったのはもう夜1時すぎであった。時間も無いし、郵送などでトラブルがあってはまずいので、高居さんが「私が交通費出しますから新幹線で持って来てもらえませんか」と言い、サクラの妹さんが明日届けてくれることになった。
 
「ところでサクラのパスポートは性別どうなってんの?」
「去年使った時は女だったけど」
「変更されてなければそのまま女かな」
「あれって性別変更した時はパスポートはどうなるんだっけ?」
「結婚で苗字が変わった場合と同じと思うけど。追記ページにそのことが記載されるだけ」
「そうか。性を変えるのも姓を変えるのも似たようなものか」
 
「でもそれって入出国する度にトラブると思う」
「航空会社からも性別が違うと言われるよね」
 
そういえば5月にドイツに行った時、雨宮先生が性別でトラブってたなあと千里は他人事のように思いながらその会話を聞いていた。
 

その日はパスポートの確認に手間取ったサクラ以外はみんな0時前後に寝て、千里も熟睡する。
 
次の日は朝6時に起きてホテルの朝食を食べた後、玲央美とふたりで散歩にでも出ようかと1階に降りて行く。
 
ちょうどホテルのロビーで彰恵と遭遇したので、彼女も誘って3人で出かける。バスケの話もせずにExileの誰が格好いいとかHey!Say!JUMPとKis-My-Ft2はどちらがいいかみたいな話をしながら歩いていたら、バッタリと花園さん・柏田さん・森下誠美の3人と出会う。3人はエレクトロ・ウィッカのチームメイトである。
 
「ごぶさた〜」
「ごぶさた〜」
と言い合う。
 
「私、U19に参加できなくてごめんねー」
と誠美が言う。
 
「おとなの事情だし、仕方ないよ」
とU19副主将でもある彰恵は言う。
 
「千里、日曜日は調子良くなかったみたいだけど、明日までにはもっと調子あげて来いよ」
と花園さんが言った。
 
今日から3日間、U19代表はWリーグの3つのチームと対戦するのだが、明日はエレクトロ・ウィッカとの対戦が組まれている。
 
「日曜日?何かしたんだっけ?」
と玲央美が訊く。
 
「うん。私、7月12日に大阪で亜津子さんと少し手合わせしたんだよ」
と千里は言う。
 
「あれ?千里たち山形に行ってたんじゃないの?」
と彰恵が訊くので
「うん。友人が急病で、その日だけちょっと看病に行ったんだ。その時偶然亜津子さんと遭遇したんだよ」
と千里は説明する。
 
その説明に彰恵は納得したようだが、玲央美は「へ〜」という顔をしている。この場に高梁王子か鶴田早苗が居なくてよかったという気がした。居たらまた話がややこしくなっているところである。その日花園さんに大阪で遭遇したのは元の時間の流れの千里(千里A)である。その千里Aは14日まで貴司の看病をしてから千葉に帰った。こちらの時間の流れの千里(千里A′)は12日は山形で練習していた。
 
   千里A 千里A′
1-6  千葉  東京NTC
7-8  千葉  山形
9-11 大阪  山形
12 花園と遭遇 山形
13  大阪  山形→愛知
14  大阪  愛知
15  千葉  愛知
16  千葉  サマー初戦 ←★今ココ
17  千葉  サマー2戦目
18 塾の講師 サマー3戦目
19 東京→_ タイへ出発
20 _→奄美 タイ
21 奄美観光 タイ
22 日食観測 タイ
23 _→沖縄 選手権初戦
24 →鹿児島 選手権2戦目 (千里Bが千葉で塾の講師)
25 音劇博_ 選手権3戦目
 
しかしこの時間の流れの自分が東日本から西日本に移動してきたと思ったら、元の時間の流れの自分は西日本から東日本に移動したなんて、ほんとにうまくできていると千里は思った。
 
7月1-6日が今の自分が東京で、元の自分は千葉に居て結構ニアミスっぽいのだが、こちらはNTCで事実上缶詰になっていた。遭遇の可能性は極めて低かったのである。
 

「でも誠美、Wリーグでもかなり頑張ってるじゃん」
と彰恵が言う。
 
「うん。5−6月のスプリングリーグでは何とかなったかなという感じ。でもプロの世界は色々勝手が違って戸惑うことばかりだよ」
 
「いや、誠美ちゃんは既にうちの大黒柱ですよ。誠美ちゃんがリバウンド全部取って亜津子ちゃんが遠くから放り込むから相手はなかなか対抗できない」
と柏田さんが言う。
 
「まあ僕はリバウンドしか能が無いから。リバウンドは取ってるけど自分では全然得点できないんだよね」
 
「いや、それは柏田さんや平家さんもいるし、亜津子さんもいれば問題無い気がするよ」
と玲央美が言う。
 
「小杉さんは怪我の調子はどうですか?」
と彰恵が訊いた。
 
「だいぶ良くなっていると思うんですけどね。今回のサマーリーグまでは欠場しますけど、秋からのレギュラーリーグでは復帰できると思います」
「彼女も戻って来たら、優勝狙えるのでは?」
「そうなるといいんですけどねえ」
と柏田さんは言っていた。
 

この日の試合は夕方からなので、午前中はずっと練習場所に指定されている中学の体育館でずっと練習していたが、千里も玲央美も
 
「だいぶ調子上がってきたな」
と篠原監督から声を掛けられた。
 
確かに今月初めの状態を見たら、コーチ陣も随分不安を持ったから知れないなと思った。千里はしばらく眠っていたものが覚醒してきた感じだし、玲央美もセーブ運転していたのをやっと正常運転に切り替えることができた感じであった。
 
「玲央美、この調子なら1月の入れ替え戦は勝てそうだね」
と千里は小さい声で言う。
 
「そのつもり。来期1部に昇格することにしてサクラたちを迎えないと叱られそうだから。千里も2月の関東クラブ選手権は優勝しろよ」
「うん。そのつもりで頑張る」
 
関東クラブ選手権は6位以内に入れば3月に福島で開かれる全日本クラブ選手権に出場できる。そこで3位以内に入ると11月に高知で開かれる全日本社会人選手権に出場できて、これで3位以内に入ると2011年1月のオールジャパンに出場できる。オールジャパンまでは県予選からすると16ヶ月も掛かる、本当に遠い遠い道のりである。
 
玲央美の方はとにかく1部にあがった上で5-7月のリーグ戦で4位以内に入ると9月の全日本実業団競技大会に出場できて、そこで3位以内に入ると11月の全日本社会人選手権に出場できる。
 
つまり2010年11月の社会人選手権で、千里のローキューツと玲央美のジョイフル・ゴールドは激突する可能性もあるのである。
 
オールジャパンへのもうひとつの道は来年11月(全日本社会人より後)の関東総合で優勝することだが、これは枠は1つである。
 

お昼少し前にサクラの妹さんツバキが到着して、サクラにパスポートを渡した。そっさく高居さん自身がサクラのパスポートと航空券の照合チェックをしていた。
 
「なんか対照的な姉妹だね」
と彰恵が言う。
 
「うん。だいたい姉妹じゃなくて兄妹だと思われる」
などとサクラは言っている。
「私は身体が小さいのが悩みで、お姉ちゃんみたいに大きくなりたいってずっと思っていたんですけどね」
などとツバキは言っていた。
 
「ツバキちゃん、スポーツはしないの?」
「実はバレー部なんです」
「ほほお」
「リベロなんですけどね」
「おお、凄い」
「でもほとんど試合に出してもらえないんです」
「あらあら」
「まあ頑張ろう」
「お姉ちゃんは私の自慢です。日本代表なんて凄いですよ」
 
と妹さんが笑顔で言うのをサクラは複雑な表情で聞いていた。
 

サクラの妹さんが来たのでちょうど練習は中断した感じになり、妹さんも誘って一緒にお昼を食べに行った。彼女はここまで来たついでに今日の試合を見てから博多に帰るということであった。
 
メンバーは思い思いに休憩を取った上で15時からの試合を見る。どの試合を見るかは自由とされたが、千里・玲央美・早苗・王子の山形組は山形D銀行と花園さんたちのエレクトロ・ウィッカの対戦を見た。
 
D銀行は実業団連盟には所属しているものの実質プロレベルのチームであり、かなり見応えのある試合になることが予想された。実際見ていたが、エレクトロ・ウィッカはかなり本気っぽい雰囲気だった。相手がちょっとでもボールを持ったままタメを作ったりするとすぐ厳しいチェックに来る。うかつすると身動きできなくなる。花園さんは凄い気迫でD銀行の選手と対峙し、少しでもフリーになるとどんどんスリーを放り込んでいた。
 
試合は90-64でエレクトロ・ウィッカが勝った。
 

16時半からU19代表は、Wリーグの名門フラミンゴーズと対戦した。1956年に創立されたチームで、何と第1回日本リーグ(1967)に参加したチームの中で唯一の現存チームである。
 
東京T高校出身の中橋さんがメンバーに居て、千里も見た記憶があったので会釈したが、他にも数人会釈している子がいた。
 
それで試合が始まるが、向こうは最初は軽く流すつもりで始めたようであったが、すぐにマジ100%になる。メンバーにしても最初だけ中核選手を出して後は控え組に入れ替えるつもりで交代要員をスタンバイさせていたのに、すぐにその交代要請を取り消したようで、交代席に居た選手達がベンチに戻った。
 
千里がいきなりスリーを2つ続けて入れたので、次のシュートの時ファウルして停めようとしたが千里はきれいにゴールに放り込み、フリースローも含めて4点を一気にもぎ取る。玲央美は相手プロ選手を巧みにかわして中に進入しては美しいフォームでボールをゴールの上に置いてくる。王子はパワフルに相手選手を蹴散らしてはダンクを叩き込む。
 
全く違うタイプの3人のポイントゲッターに相手は翻弄される。あっという間に10-20と大差が付き始める。たまらず向こうはタイムを取って激論して出てきた後、何とゾーンディフェンスを敷いた。
 
名門プロチームが18-19歳のほぼアマチュアのチーム相手にゾーンを敷くというのは異例すぎるし、観客席に大きなどよめきが起きたが、このくらいしないと対抗できない相手と踏んだようである。
 
それでここから先はけっこう得点が拮抗するようになるが、序盤でのU19側のリードが重くのしかかる。更に第2ピリオドで投入した彰恵・江美子のコンビが第1ピリオドの玲央美・王子とは全く異なるタイプで向こうは混乱する。じわじわと点差が開いていく。
 
そして第4ピリオド、向こうはフォワードを4人入れるという異例のシステムで猛攻を仕掛けてきた。それで一時的には2点差まで迫ったものの、ここでU19側は、千里・玲央美・江美子という雰囲気に飲まれないメンバーを入れる。するとこのメンバーで相手の猛攻を何とかしのぎ、第4ピリオド後半相手が少し疲れてきたところで玲央美と交代した百合絵の2連続得点などが出て、結局96-101でU19が勝利した。
 

試合後向こうのメンバーたちは
 
「あんたたち強ぇ〜。世界選手権は決勝トーナメントまで行けよ」
 
と激励してくれた。
 
あちこちでたくさんハグする選手の姿があった。千里も向こうの正シューターの人、向こうのキャプテンの人、千里をいちばんマークした人とハグした。それで笑顔で引き上げてきた時、千里は客席で花園さんが物凄い視線でこちらを見ているのに気付いた。千里が彼女に手を振ると、向こうも笑顔で手を振ってくれた。
 

試合後多くのメンバーは一緒に夕食に行ったが、サクラだけは妹さんと2人で別行動で夕食を取り、駅まで見送りに行ったようである。しかし戻って来た時サクラが悩むような表情をしていたのが千里はとても気になった。
 
翌日。サマーリーグ2日目。今日の相手は花園さんや誠美が所属しているエレクトロ・ウィッカである。千里は朝起きた時、携帯にメールが届いているのに気付き開けてみたら花園さんから
 
《今日はスリーポイント競争しようね〜♪》
 
というのが入っていて、千里は苦笑した。
 
《じゃ、今日は9本対8本で》
 
と返信しておいた。
 
少し経ってから
《それ、私が9本でいいんだっけ?》
という返信が返ってきていた。
 

今日の試合は12時からなので、朝の内に軽い練習だけした後は、11時までフリーということになった。王子などはそれまで寝てますと言っていたが、それも良い時間の過ごし方だ。試合前数時間の時間の使い方は難しい。
 
玲央美や江美子と一緒に近くのカフェで軽食を取り、その後、千里はコンビニで髪ゴムの予備を買っておこうと思い、彼女たちと別れてひとりで国道の方に行く。すると道路上でバッタリと思わぬ人に会った。
 
千里が会釈すると向こうも反射的に会釈してからしばらく考えているふう。誰だったっけ?と思い出せないのだろう。それで千里はそのままコンビニの方に行きかけたのだが、彼女は追いかけてきた。
 
「思い出した。あなた貴司の浮気相手だ。京田辺市の体育館で見た」
「私の見解としては緋那さんが浮気相手なんだけどね」
「私の名前知ってるんだ?」
「私の名前知らなかった?私は千里。貴司の妻だよ」
「まさか入籍してるの?」
「貴司が26歳になったら籍も入れることにしてる」
「6年先か。それまでには逆転する可能性もあるよね?」
「その時は私が再逆転するよ」
 
それでふたりはしばし睨み合う。
 
「あれ?でも確か千葉だったか茨城だったかに住んでいたのでは?」
「試合があるからこちらに来てるんだよ」
「試合ってまさかWリーグのサマーリーグ?」
「うん」
「バスケットのプロ選手だったんだ?」
 
「その内プロになるかも知れないけど、今はU19日本代表。合宿を兼ねてWリーグのサマーリーグに特別参加させてもらっているんだよ」
「日本代表なの!?」
「アンダー19だけどね」
「あれ?だったらもしかして私と同い年くらいかな?」
 
「私は1991年生まれだよ」
と千里。
「私は1990年生まれ」
と緋那。
 
「まあ似たような年齢かな」
「でも良かった。貴司が呼んだからここに来た訳じゃ無いのね」
「ああ、貴司も来てるんだ?」
「知らなかったの? 貴司がWリーグのサマーリーグを見に行こうというから。時間がうまく合わなかったから、別々の移動になったんだけど。あ・・・」
 
と緋那は言っていて自分で気づいた。
 
「Wリーグ見るって、目的は千里さんを見るためだったのね」
「私、まだ貴司の顔を見てないけど、その可能性はあるね」
「くっそー。何て無神経な奴だ」
「貴司の浮気は病気だから。それにね。緋那さん」
「ん?」
「貴司がわざわざ別行動しようって言ったってことは高確率で別の女と一緒にこちらに移動してきているよ」
 
「う・・・・」
と言って緋那はその可能性に今気づいたようだ。
 
「まあ、あいつはそういう奴だから。私もあいつの浮気にはもう達観してるけどね。ただし妻の座は誰にも明け渡さない」
 
「何か貴司の性格が少し分かった気がする」
 
「協定結ばない?」
と千里は言った。
「協定???」
と緋那は戸惑うように言う。
 
「私と緋那さん以外の女に手を出そうとしているのに気づいたら情報をお互いに流す」
「ふーん」
「とりあえず貴司が連れて来た女は今日中に私が排除しとくよ」
「へー!」
「これまで7年間付き合って排除してきた女の数は20人を越えるから」
 
「あいつ、そんなに浮気するの?」
「まああいつと私のゲームかもね。あいつはバレないように浮気をする。私はそれを見付けて潰す」
 
緋那は少し考えていた。
 
「千里さん、あなたと交渉するつもりはないけど、共通の敵への対処についてはお互いの利害が一致するよね」
 
「じゃアドレス交換しておこうか」
「いいよ」
 
それで千里は緋那とお互いの電話番号・アドレスを交換した。千里のアドレス帳に12月20日までは緋那のアドレスは入っていなかった。元の時間の流れではなくここでデータ交換したからだろうか。
 
「じゃ、また」
と言って千里は手を振って緋那と別れた。緋那は手を振らずにじっとこちらを見ていた。
 
やはり緋那さんって、ほんっとに頭の良い人だ。そして手強い! でも貴司は渡さないからね!!
 

その頃、貴司はほんとうに女子大生の女の子と食事をしながらおしゃべりをしていた。この子と一緒に12時からの千里の試合を見て、その後夕方からは緋那とデートし、そのままホテルでお泊まりするつもりである。
 
その時
「お水をお持ちしました」
という女性の声があるので、
「ああ、ありがとう」
と言って自分の分と彼女の分のグラスをそちらに寄せる。
 
がその女性の顔を見てあんぐりとする。
 
千里は笑顔でコップの水を頭から貴司に掛けた。
 
「わっ」
 
目の前の女子大生がびっくりしている。千里は彼女に言った。
 
「私、この人の妻なの。悪いけど帰ってもらえる?」
 
彼女は更にびっくりしていたが
「奥さんが居たの!?」
と貴司に言うと、怒った様子で帰って行った。
 

ずぶ濡れになって呆然としている貴司に千里は更に追い打ちを掛ける。
 
「ちょっと借りるね」
と言って、貴司の携帯を勝手に取ると、発信履歴を見て、ああこれだなというのを見付ける。
 
「こんにちは。今日予約していた細川ですが。はい、そうです。今日の予約、間違ってダブルで入れてたみたいなんですが、シングル2つに変更できませんか? はい。ああ、部屋は空いてましたか。良かった。はい、それでいいです。お願いします。お手数おかけします。ありがとうございました」
 
貴司は呆気にとられている。
 
「ダブルルームをデラックスシングルとエコノミーシングルに変更したから。デラックスシングルは女性専用フロアだから。貴司が夕方までに性転換でもしない限り、貴司がエコノミーシングルで緋那さんがデラックスシングルになるね。それとも今すぐ貴司のおちんちん切り落としてあげようか?。女の子になるのも悪くないよ。ちんちん無くなったら浮気もしなくなるだろうし」
 
貴司が思わずお股に手をやった。
 
「ごめん。でも、千里、なんで僕がここにいるって分かったの〜?」
「貴司のすることはだいたいお見通しよ。じゃね〜」
 
と言って千里は手を振って貴司から離れる。
 
「あ、待って」
と言って貴司が追いかけてきた。
 
「うん?」
「千里、今日の試合頑張れよ。それと世界選手権も」
「うん。ありがと。じゃ、試合前にセックスする訳にはいかないから、また今度ね〜」
 
と言って千里は貴司の唇に一瞬キスをすると、そのまま店を出た。
 
玄関の所に緋那がいる。後を付けられているなというのは気付いていたのだが放置していた。貴司にキスをしたのは緋那に見せるパフォーマンスでもあった。千里は笑顔で手を振って彼女の横を通り過ぎる。
 
「あいつ、ほんとにダブルデートしようとしてたんだね」
と緋那が千里の背中に向かって言った。
「よくあることよ」
と千里は緋那に背中を向けたまま答えた。
 
「貴司とデートしないの?」
「私試合があるから」
「だったら私がこの後貴司とデートしちゃうよ」
「今日は特別に譲ってあげるよ。あ、ホテルは別々の部屋に変更しちゃったからね」
 
「ふーん。まあいいか。でもよく貴司の居場所が分かったね」
「私、人探しが得意なんだよ」
 
それで千里は緋那を置いたままコンビニの方に向かった。
 

さて、今日のU19日本代表とエレクトロ・ウィッカの試合は12:10に開始された。スターターは各々このようになっていた。
 
Wic 宮川/花園/平家/柏田/森下
U19 早苗/千里/玲央美/江美子/サクラ
 
お互いに挨拶した後、花園さんが千里に笑顔で手を振っていたのでこちらも振り返した。
 
U19がサクラを先発させたのは向こうの先発センターは森下誠美だろうと読み、ライバルの彼女にぶつけてサクラを目覚めさせるためである。
 
その森下とサクラはティップオフの時、お互いに睨み合っていきなり審判から警告を受けていた。しかしこの警告でサクラは本当に覚醒した感じであった。ジャンプボールに身長で劣るサクラが勝ち、江美子がボールを確保して早苗→千里とつなぎ即スリーを撃つ。0-3. 花園が「ふむふむ」という感じの表情である。
 
向こうが攻め上がってくる。宮川→平家とつないで花園にボールが渡る。千里がブロックしようとしたもののタイミングを外してスリーを撃つ。3-3.
 
試合は千里と花園のスリーの応酬で始まった。
 

千里は最初こそは花園にスリーを入れられたものの、その後は彼女を完璧に封じた。第1ピリオドで彼女が入れることができたスリーは結局最初の1本だけである。そこで向こうは司令塔の宮川から複雑にパスを回し、こちらの守備に穴を開けそこから平家・柏田が進入してゴールを奪うパターンを多用する。
 
U19側の攻撃は早苗と玲央美がサインプレイで司令塔を交代で務め、そのどちらかを軸にして江美子が近くからゴールを狙うパターンと千里が遠くから放り込むパターンを使い分ける。そして少しでも相手が油断しているとみると玲央美が直接、どんな距離からでもシュートする。
 
第1ピリオドで千里は3本のスリーを放り込み、点数も18-23でU19の5点リードである。
 
第2ピリオド、向こうは花園が封じられているというので、もうひとりのシューティングガード・辻口を出してくる。しかし彼女は千里に簡単に振り切られてしまうので、千里はほぼフリーに近く、スリーを5本も放り込む。あっという間に点数は28-48とU19の大量リード、ワンサイドゲームの様相になってしまった。
 
ハーフタイムから戻って来た時のウィッカのメンバーたちの表情が厳しかった。昨日のフラミンゴーズとの試合を見た感じ、どうもプロ側はU19の壮行試合だから手加減してあげてみたいなことを言われていたっぽいが、昨日の試合が点数としては5点差であっても内容的には圧勝であったことから今日のウィッカは割とマジな姿勢だったのだが、割とマジじゃなくむしろ相手もプロチームと思って掛からないと、恥ずかしい結果になるぞと考え直した雰囲気であった。
 
怪我の回復がまだ万全でないはずの小杉来夢を入れて来た。むろん花園を戻す。第2ピリオドで辻口を入れてみて、千里は花園でないと抑えきれないことを監督は認識したようである。
 
小杉を入れて来た意図はシュートの正確性だろうなと千里は思った。向こうの柏田・平家・森沢といったベテランフォワードの人たちは必ずしもシュートの精度が高くない。外れてもリバウンドをセンターが取ってくれることを想定している。そして森下誠美はリバウンドがさすがに強い。こちらのサクラや華香も充分頑張るのだが、やはり誠美が優勢である。
 
ところがU19の千里・玲央美・江美子・彰恵といったポイントゲッターはみな高精度でシュートをゴールに放り込む。ほとんど外れない。これではリバウンド以前の問題になってしまう。
 
エレクトロ・ウィッカでもっともシュート精度が高いのが小杉なので、彼女を使わないと、この相手とは勝負にならないと考えたのだろう。
 

向こうは前半でやっていたパス回しをやめて速攻ぎみの攻撃になる。若手ポイントガードの武藤を使い、素早くゴールを狙う人にボールを供給してシュートを狙う。第1ピリオドで千里に封じられていた花園にも敢えて渡す。それで花園はこのピリオド、千里を2回抜いてスリーを入れることに成功した。彼女は以前の対決の時にやって成功した目を瞑って千里に対抗する手法を使っていた。
 
これでじわじわと追い上げてきて、第3ピリオドが終わったところで54-62と点差は8点まで縮まる。
 
第4ピリオド、U19側はずっと出ていた千里を下げ渚紗を入れる。また玲央美も下げて、桂華と王子を出す。ここまで出番の無かった彼女たちにこの強い相手を経験させておきたいという意図である。
 
向こうは小杉が体調的に限界なので下げ、若手のフォワード2人を入れてきた。どうしても精度は落ちるのだが、第3ピリオド休んでいた森下がリバウンドを必死の形相で取りまくりカバーする。ポジション取りの争いで華香が何度か倒されたりして「負けた〜」と言っていた。
 
それで終了間際とうとう向こうは71-75と4点差まで詰め寄る。凄まじい猛攻であった。このピリオド、花園は3本のスリーを撃ち込んでいる。
 
残り36秒でU19が攻めて行き王子がシュートしようとした所を向こうがファウルで停める。フリースローは王子は2本の内1本を入れて71-76.
 
残り26秒からウィッカが攻めてきて花園が桂華と渚紗のダブル・ブロックをかわして放り込み74-76.
 
残りは10秒。U19側は時間つぶしの作戦に出たのだが、ウィッカは凄まじいプレスに行き、柏田が王子からスティールに成功。スリーポイント・ラインの所に居る花園に矢のようなボールを送り、花園は受け取った次の瞬間撃つ。そしてボールが空中にある内に終了のブザーが鳴る。このスリーが当然入って77-76。ウィッカは最後の最後で逆転勝ちをおさめた。
 
終了後あちこちでハグし合う姿があった。千里も花園・森下とハグした。
 
結果的にはスリーの数は千里が9本、花園が8本で、朝、千里がメールで予告した通りになった。
 

最後スティールされた王子が「ごめーん」と謝っていたが
 
「こういうのも経験だから、また頑張ろう」
とみんな励ましてあげていた。
 
「そもそもフリースロー2本とも入れられていたらあそこで同点停まりだったのに」
「うん。それもまた練習しようよ」
 
「しかし花園君には村山しか対抗できず、村山には花園君しか対抗できないというのが、よく分かった試合だった」
と篠原監督が言っていた。
 
「花園さんのマッチングの技術ってほんとに高いんですけどね。その彼女が唯一勝てないのが千里なんですよ」
と江美子が言う。
 
「その千里を完璧に押さえられるのは実はうちの玲央美だけ」
と彰恵が楽しそうに言う。
 
「でも私では亜津子さんに勝てないんだよ」
と玲央美本人が言う。
 
「その《三すくみ》というのはもう2年くらい前から、一部で囁かれていたんですよ」
と桂華が言っていた。
 

「佐藤はU19が終わったら実業団に行くんだろ?」
と高田コーチが言う。
 
へ〜、高田さんはそれを知っているのか、と千里は思ったのだが
 
「ええ、そのつもりです」
と玲央美は少し驚いたような表情で答える。
 
「村山はクラブチーム。花園君はWリーグ。それぞれ別の舞台で活動するんだな」
と少し遠くを見るような視線で高田コーチは言った。
 
「まあオールジャパンに行けば3人が激突できるよ」
と彰恵は言う。
 
「まあそれと3人とも来年くらいには日本代表のフル代表で顔を並べるだろうしね」
と江美子。
 
「玲央美は今すぐでもフル代表行けるだろうけど私は無理だよ」
と千里は言う。
 
「そんことはない」
「三木(エレン)さんが凄すぎるもん」
「あぁ・・・」
 
三木エレンは1995年のアジア選手権で初めてフル代表になり翌年のアトランタオリンピックにも出場した。それ以来、14年間にわたって女子バスケ日本代表の正シューティングガードとして君臨している。
 
「千里、もしかして手合わせしたことあるの?」
「この2月にした」
「へー!」
 
「雲の上の人だと思ったよ」
「千里が雲の上の人と言うってのは、ほんとに凄いんだろうな」
 
「だったらさ、千里」
と彰恵は言う。
 
「三木さんが雲の上の人であるなら、千里に残る道はひとつだけ」
「うん?」
「花園さんを倒すしかないよ」
 
千里は少し考えてから
「うん」
と答えた。
 

この日の夕方「U19女子日本代表応援団」と自称するグループが合宿所にやってきた。メンツは応援団長が竹宮星乃、副団長が花和留実子、その他、大秋メイ、夢原円、富田路子、海島斉江、中嶋橘花、松前乃々羽、若生暢子、宮野聖子、山岸典子、萩尾月香といった面々である。
 
U18/U19代表候補に挙げられていた人や、今回代表になった人のチームメイト・元チームメイトである。どうも、「センターメーリングリスト」(森下誠美・花和留実子・熊野サクラ・中丸華香・富田路子)のメンバーが中心になって呼びかけて集まったもののようである。但し誠美はリーグ戦の最中ということで遠慮したようである。
 
全員ガクランを着て「フレーフレー」などとエールを送ってくれた。
 
「しかしガクラン着てると、全員男性と思われるかも知れん」
「いや、誰も女が混じっているとは気づかないかも知れん」
 

高田コーチの提案で、U19女子日本代表とU19女子日本代表応援団とで試合をすることになった。
 
「この試合で応援団が勝ったら、応援団が代表になって、今の代表が応援団になるから」
などと高田さんは言う。
 
「え〜〜!?」
と代表側から声が上がるが
 
「よし、頑張って私たちが代表になろう」
と乃々羽や星乃が張り切っている。
 
応援団の子たちはみんな「練習を全くしなかったら何か変」ということで軽く汗を流すつもりでちゃんとバッシュを持って来ていたので、みんな動きやすい服装に着替えてきた。
 
それで少し準備運動をした上で10分クォーター、40分の試合をした。
 
向こうは乃々羽もPGとしては割と背があるし、海島斉江など「センターですよね?」と言われるくらいの長身である。千里はこれは外人チームとやる格好のシミュレーションになるぞと思った。フォワードも橘花・暢子・星乃・メイなど一癖も二癖もあるメンツが揃っている。そしてセンターでは留実子や円の存在感は格別だし、路子もかなり強い。こちらの華香・サクラが向こうに圧倒されそうなのを必死でゴール下でジャンプしてボールに飛び付いていた。月香もウィンターカップで「スーパー月香」になった後遺症?で物凄くスリーの精度が良くなっている。渚紗が「負けそう〜」などと言っていた。
 
しかし代表側も負けてはいない。玲央美・江美子・彰恵といったメンツは確実に点数を取っていくし、王子もこの強烈な相手に気合い負けせずに何度もダンクを叩き込んでいた。そして千里は巧みにフリーになってスリーを撃ち込む。
 
結果は78-92でU19代表側が勝った。
 
「何とか勝てたぁ」
「惜しかったな」
 
と双方から声があがり、試合後はハグ大会となった。
 

その後、みんなで一緒にしゃぶしゃぶレストランに行く。入口の所で
「男性は4000円、女性は3000円なのですが」
と言われて
「実は男だという人は正直に申告するように」
などとお互い言い合っていた。
 
レストラン側は男性が、高田コーチ・片平コーチだけと聞いて「え〜!?」と半ば疑いのまなざしを向けていた。
 

「アメリカやロシアをぎたんぎたんに叩いて来いよ」
などと暢子が千里に言ったが
「さすがにその付近にはかなわないよ」
と千里は答える。
 
「組合せ見たけど、ロシアと予選リーグで当たるだろ?」
「うん」
「ロシアとかアメリカは予選リーグはなめてると思う。実際決勝トーナメントに行けさえすればいいと思っているし、日本は弱小だと思っているから、予選リーグのロシア戦というのが、日本が決勝トーナメントに行けるかどうかの鍵だよ」
と暢子は言う。
 
千里は少し考えた。
 
「それ言えるね。ロシアに勝てたら予選リーグを3勝で通過できる可能性がある」
「そしたら二次リーグのアメリカに負けても、5勝1敗で決勝トーナメント進出」
 
「日本が決勝トーナメントに行くにはそれしか道はないかも知れない」
「うん。だから頑張れ」
 

竹宮星乃は彰恵や江美子と同じテーブルに座って、またまたすべった話で笑いを取っていたようである。王子のそばには夢原円や富田路子、それに松前乃々羽など「ワイルド」なタイプの子が集まって、なんか殴り合い!?ながら楽しくやっていたようであった。しばしばパンチが出ているのでレストランの人が停めるべきかどうか悩んでいる雰囲気だった。このテーブルはお肉の消費量も凄まじかった。
 
サクラと華香の所には留実子と桂華が座っていたが、話がやや深刻になっていたらしい(後で桂華から聞いた)。
 
華香もサクラも一時期バスケを離れていた時期の影響で昨年の勘を完全にはまだ取り戻していない。特にサクラは合宿の直前までバスケから離れていた。それで彼女は
「自分は日本代表を務める自信が無い」
と言い出したのである。
 
「ね、ここ数日思っていたんだけど、サーヤ、僕と代表を代わってくれないかな。サーヤはずっと春からバスケやってたのに、僕はずっと居酒屋のバイトしててバッシュに足も通していなかった。ここしばらくだいぶ鍛え直したけど全然ダメ。リバウンドかなり取れるようにはなったけど、まだ感覚が物凄く遠いんだ。ボールが落ちてきたのを見てから『しまった。このボールがそこに落ちてくるのは分かってたはずだ』と思うことばかりでさ。高校時代はそんなの瞬間的に落ちてくる場所が分かっていたのに。このままじゃみんなの足手まといになってしまう。今日の試合でも僕、完璧にサーヤにもマルちゃんにも負けてた。僕が病気とかいうことにすれば代表の差し替えは認められると思うんだ」
 
そういうサクラの苦悩に満ちた告白を聞いた留実子は黙って自分のバッグからパスポートを取り出した。
 
そして
「片平コーチ、ライターお持ちですよね?」
と声を掛けた。
 
「持ってるけど?」
「ちょっと貸してください」
「花和君、タバコ吸うんだっけ?」
などと言いながら片平さんは留実子にライターを貸してくれた。
 
すると留実子は自分のパスポートの端にそのライターで火を点けてしまった。
 
「え〜!?」
と片平コーチが驚いて声をあげる。
 
「ほら、僕のパスポート燃えちゃった。これで僕は海外に行けないから代表にはなれないね。仕方ないからクララ何とかしなよ」
と留実子は言った。
 
それを見たサクラはその場で泣き出した。
 
華香が背中を撫でてあげる。
 
「ごめんね。弱音吐いて。僕頑張る」
とサクラは言った。
 
「僕いっそもう性転換しちゃおうかなあ」
などと留実子が言うので
「それはまだ10年くらいは勘弁してよ」
と高田コーチが言った。
 
この日、サクラは華香・留実子・桂華・彰恵、そして高田コーチと一緒に深夜遅くまでずっとリバウンドの練習をしていた。
 

18日。サマーリーグ3日目の相手はシグナス・スクイレルであった。このチームはこの春に玲央美が入社したものの解散になってしまった白邦航空のスカイ・スクイレルを継承したクラブチームで、スカイ・スクイレルに所属していた選手4人と新人3人を加えた選手数わずか7人のチームである。資金力が無いので全員何かの仕事をしながら選手をしている。実態は実業団に近い。
 
この日の朝、篠原監督は
「今日の試合、センターは熊野で行く。交代無し。40分頑張れ」
と言った。
「はい」
とサクラは決意に満ちた声で答えた。
 
「中丸は休みな」
「分かりました」
「村山・佐藤・鞠原・前田も出さないから」
 
つまりこちらも7人で戦うことにしたのである。
 

試合開始は11:00である。
 
こちらは朋美/渚紗/百合絵/王子/サクラというメンツで始める。
 
そしてこの日のサクラは凄かった。竹宮星乃が「今日のサクラは鬼気迫るものがあった」と言っていた。
 
サクラはこの試合でオフェンス・リバウンドもディフェンス・リバウンドも9割以上取った。相手センターは180cmくらい、サクラと似たような背丈の選手なのだが、向こうはボールが落ちてくる場所に寄せてもらえないし、最初から居ても押しのけられて全部サクラが取る。そして自ら10点も点を取った。
 
こちらの中核的なポイントゲッター4人が出ていないと、王子の破壊力は目立つので、相手はしばしばそれをファウルで停めに来る。この日の試合だけでも王子は10回もファウルされたが、20投のフリースローの内12本をゴールに入れた。
 
「ウィンターカップでは16回ファウルされて、32本中成功したゴールは4本だったから、凄い進歩」
と言って片平コーチが褒めていた。
 
そういう訳で試合は58-88の大差でU19が勝った。
 

試合後、玲央美が向こうの元スカイ・スクイレルの選手の人と話していた。
 
「しかしさすが日本代表。高梁さんも熊野さんも凄いね」
と彼女たちは言っていた。
 
そばで聞いていた王子とサクラが嬉しそうにパンチを当て合っている。
 
「熊野さん40分間全くパワーが衰えなかった」
と言われると
「この春にスタミナを付ける特訓をしていたんですよ」
などとサクラは答えていた。
 
「ところで佐藤さん、U19代表の発表ではバスケット協会所属と書いてあったけど、今どこにも入ってないの?」
 
「しばらく浪人していたんですけど、秋には東京の実業団チームに拾ってもらうことになったんですよ」
 
「なーんだ。フリーならうちに勧誘しようかと思ったのに」
「すみませーん」
「今日は出場しなかったね?」
「ちょっと昨日頑張りすぎたもので、体力回復してなくて」
「ああ、なんか凄い試合だったみたいね」
 
「じゃまた〜」
と向こうの選手たちが手を振ってくれて別れた。玲央美は再度深くお辞儀をしていた。
 

次の時間帯、12:40から山形D銀行と三木エレンの所属するサンドベージュの試合があるので、これを多くのメンバーが見学した。
 
三木エレンは現在33歳。チーム最年長であるが、むしろ5歳・10歳年下の選手より、よほど若く感じた。動きが素早いしテクニックとパワーを合わせ持っている。
 
「千里や花園さんとは違うタイプのシューティングガードだね」
と桂華が言う。
 
「うん。この人はどんな距離からでも撃つ。ペネトレイトも上手い。そういう意味では私や亜津子さんより玲央美に近いタイプ」
 
「確かに千里や渚紗がいなければ玲央美はシューティングガードで登録してもいいくらいだもんね」
 
「うん。私は便利屋なんだよ」
と玲央美は笑いながら言っている。
 
試合は78-55でサンドベージュが勝った。
 
千里はじっと三木さんを見ていたが、三木さんを鋭く見つめる視線がもうひとつあることに気づく。見ると花園さんであった。千里が花園さんを見たので向こうもこちらに気づく。お互いに笑顔で手を振った。
 
明日はタイへ出発である。
 
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【娘たちの再訓練】(3)