【娘たちの再訓練】(2)

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「それで今日はちょっとご相談がありまして」
と藍川真璃子は言った。
 
「はい」
と高田コーチは答える。
 
「実は数日前、JI信用金庫の経営が事実上破綻し、来年4月付けでKL銀行に救済合併されることが発表されました」
「ああ、報道されてしまたね」
 
「JI信金の《ミリオンゴールド》は現在関東実業団2部、KL銀行の《ジョイフルサニー》は4部なのですが、JI信金側では経営のスリム化のためバスケ部は廃部にするつもりでした」
「ええ」
「しかしこのチームは3年前に2部Aで優勝した経験があります。それでちょっとある人が介入して今度の秋のリーグでも2部で優勝し、1部にあがることができたら、存続させてもいいということになったんですよ」
 
「結構厳しいですね」
「ええ。でも今季存続させることができれば、来年の4月には母体の会社が合併するので、チームも合同という話にできます」
「なるほど」
 
「熊野サクラの就職先をお探しになっているとのことでしたので」
「その件は数人の知人に声を掛けました」
「その中のある人が私の友人だったので」
「なるほど」
 
「それで熊野にKL銀行を紹介できないかと思いまして。あそこの副社長の奥さんが私の友人なんですよ」
 
「ほほぉ! でもその2部で優勝しなければならないJI信用金庫ではなく4部のKL銀行なんですか?」
 
「お給料が違うので。KL銀行でしたら給料は税込み20万円ほどありますが、JI信用金庫はとりあえず3月までは月給5万円なんですよ」
 
「5万円なんですか!?」
「数日前に通告されて、大半の部員が辞めるようですが、私の見込みでたぶん3〜4人残ってくれるみたいなんです」
 
「ほんとにバスケが好きな子たちでしょうね。でもそれではチームの体をなしませんね」
 
「それでJI信金には私が今面倒を見ている選手を3人送り込むつもりです」
「はい」
「これがその3人のプロフィールなんですけどね」
 
それを見た高田は驚く。
 
「佐藤玲央美が今あなたの所にいるんですか?」
「村山千里も別口で練習させています。ふたりとも実際しばらくバスケから離れていたんですよ。それでリハビリが必要だったので」
「なるほど」
 
「ふたりとも基礎的な力は戻って来ています。ただバスケの勘みたいなものは本来の調子に戻るまでもう少し時間がかかるかも知れませんが、それをこれから1ヶ月、世界選手権までにそちらで鍛えて頂ければ何とかなるかと」
 
実際にはタイムシフトが起きる直前2009年12月の時点では、千里はローキューツで半年ほど活動して関東クラブ選抜で優勝しており、玲央美はJI信金で3ヶ月ほど活動して2部優勝をなしとげている。しかしふたりともまだ世界と戦うための勘は取り戻していなかった。
 
「では佐藤と村山はU19に参加してくれるんですね?」
「はい。それは私が保証します。ふたりは7月1日朝、そちらに顔を出します。鞠原江美子に迎えにきてもらえればよいかと」
 
「ああ、鞠原が連絡を取っていたのはあなたですか」
「ええ。そうです。それでKL銀行の方には少し時期が遅れますが、もうひとりこちらから送り込むつもりです」
 
と言って、プロフィールシートをもう1枚見せる。
 
「この子(池谷初美:旭川L女子高)も、こちらの近江満子(旭川R高校)の方も知ってますよ。P高校と何度もやりました」
と高田は言う。
 
「池谷は1月に怪我したのが完全に治りきってないんですよ。この夏の間には何とかなると思うんですけどね」
 
「なるほど。ではサクラの就職の件、進めて頂けますか。本人には世界選手権が終わってから話したいと思うのですが」
 
「はい、それで結構です。よろしくお願いします」
「はい、今日は有意義な話ができました」
 
と言って高田は笑顔で藍川真璃子と握手をした。
 

時間を戻して7月1日。
 
NTCでの初日の練習が終わった後、千里と玲央美は取り敢えず交代でシャワーを浴びる。玲央美が先にシャワーを浴びたが、千里がバスルームから出てきた時、玲央美はもう寝ていた。千里も玲央美に「おやすみ」と声を掛けてから、ベッドに入り、そのまま深い眠りに落ちた。
 
翌日は朝6時頃起きた。熟睡していた感じだ。トイレに行ってくると玲央美も起きたようで交代でトイレに入る。
 
お茶を入れて少しおしゃべりした。
 
「しかし藍川さん、何か色々暗躍してるね」
と玲央美が言う。
 
「とりあえず現金を送ってもらったのは助かった」
と千里。
 
「うんうん。それで実は私、白邦航空が倒産してチームが解散した後、藍川さんと一緒にずっとトレーニングしてたんだよ」
「あ、そうだったの?」
 
「練習のパートナーが、千里も知ってるよね?母賀ローザさん」
「うちのチーム(千葉ローキューツ)の設立者だ!」
「夏から近江満子さんも加わった」
「それでその3人でミリオン・ゴールドに加入したのか」
「事実上チームを乗っ取ったようなもんだけどね。実際試合の指揮もほとんど藍川さんがしていたし」
と玲央美は笑って言う。
 
「なるほどねー。いや、近江さんが変な会社に入ってしまって苦労してると聞いたから、どこか適当な転職先を紹介して千葉ローキューツに勧誘しようなんて言ってたらさ、『ごめーん、実業団2部のチームに入った』と言うからびっくりしつつも『おめでとうございます』なんて言ってたら、チームメイトに玲央美が居ると言うから、さらにびっくりして」
 
「藍川さん、私と千里をまとめて鍛えるとか言ってたから、千里もミリオン・ゴールドに勧誘するつもりかと思っていたんだけど」
 
「私、去年の12月以来、藍川さんとは会ってなかったんだよ」
と千里は言う。
 
「でも藍川さん、千里と接触のある人物と頻繁に連絡を取ってるふうな言い方していたから、別途鍛えているのかと思った」
 
「うむむ、それって誰だろう?」
「それは私も分からないんだけどね」
「うーん・・・」
「何か大学に男の振りして行っているという話は聞いた。というか千里と接触している人物は千里のことを男の子と思い込んでいる雰囲気だったらしい」
 
「あれはなりゆきで」
「大学には男子学生として登録された訳?」
「ううん。女子学生として登録されてる」
「だったら、なぜわざわざ」
「いや、話せば長いことながら」
 
と言って千里は自分と貴司の関係、そして登校初日に雨漏りで服が全滅してやむを得ず男装で出て行って、ノリで『ボク男ですよー』などと言って、みんなに真に受けられたという話をした。
 
「でも千里の男装ってたぶん不自然すぎて、それ誰も信じてないよ、きっと」
「そうかも知れないという気が少しずつしてきている」
 
「元の時間の流れに戻ったら、年明けから女装で学校に行ったら?」
「うーん。。。どこかで女に戻りたい気はしているんだけどね」
「冬休みの間に性転換しました、とか言っておけばいいじゃん」
「そうだよね〜」
 

2日目の練習では千里は昨日よりは随分と身体が動くような気がした。やはり昨日の練習で身体が1年前に日本代表やウィンターカップをしていた頃の記憶を取り戻してきたのだろう。
 
それでもまだまだみんなより遅れがちだ。ただ、この日はかなりスリーが入るようになってきたので「お、覚醒してきたね」などと彰恵から言われた。昨日はやはり、スリーを撃つ時の相手ディフェンスの動きが、この1年間半ば趣味のクラブチームでやっていたのとは、全然レベルが違っていて、かなり戸惑いがあった。しかし今日は壮絶強い人と相手をする感覚が蘇ってきたのである。実際、高梁王子とマッチアップする場合も、昨日はほとんど向こうの勝利だったのが、今日は半分くらい彼女を抜くので、むしろ彼女の方が
 
「あれ〜、私、今日は何だか調子が悪いみたい」
などと言っていた。
 
彼女もたぶんアメリカで鍛えられて相当自信を持っていたのだろう。
 
玲央美のほうもやはり昨日に比べて明らかに動きが良くなっていた。玲央美も千里も紅白戦をする場合Aチームに入れられていたのだが、高田さんが
 
「村山も佐藤もだいぶ良くなった。昨日の動きならBチームにした方がいいかとも思っていたんだけど、これなら何とかAチームでいいな」
などと言っている。
 
「大丈夫です。明日はもっと良くなります」
と千里は言った。
 
「うん。今の4−5倍の動きはしてくれないと困る」
と高田さんも言っていた。
 

コーチ陣はセンターの2人の動きに不満があるようであった。華香は2月から5月まで全くバスケをしていなかった。6月になって大学に復帰してJ学園大のバスケ部で練習をしていたが、まだ完全に勘が戻っていない。サクラの場合は合宿直前までバスケをしていなかったので、ボールそのものに対する勘が鈍っている感じであった。
 
「サクラと華香は今回の合宿が終わったあと12日まで特別合宿だな」
と高田コーチが言う。
「何をやるんですか?」
「7日になってからのお楽しみ」
 

2日目の練習が終わった後、22時頃、千里と玲央美がコーヒーを飲みながら話していたら彰恵が部屋にやってきた。
 
「いや、昨夜も来たんだけど反応が無かったから」
「ごめーん。昨日は完璧に熟睡してた」
 
彰恵が差し入れでチキンを持って来ていたのでそれを摘まみながらおしゃべりする。
 
「いや、レオちゃんと千里がほんとに来てくれるか結構ハラハラしてたけどエミが、ふたりは間違いなく来ると断言してたし、高田さんも確信があるようなこと言ってたからね。エミが朝になってふたりを連れてきたから、大したもんだと思った」
と彰恵は言っている。
 
「ごめんねー」
 
「万一ふたりが間に合わない場合は風邪で本日欠席とでも言わなきゃと思ってたのよね〜」
 
彼女はこのチームの副主将なので色々責任感もあるようである。主将は朋美だが千里たちより1つ年上なので、どうしても同い年の彰恵のほうがみんなと壁無しで話せる感じになる。
 
「まあ逃げようとしていたのは認める」
「でも捕まっちゃったね」
 
「高田コーチも鬼ごっこだったって言ってたな。でも2人とも昨日の合宿初日は調子悪そうと思ったけど今日はだいぶエンジン掛かってきたみたい」
 
「私、練習の仕方を忘れていた感じ。ここしばらくのんびりとやってたから」
と千里は言う。
 
「千里は一時期筋肉も落ちてたみたいだけど、また復活してきたね」
 
と玲央美は言いながら千里の腕に触った。玲央美が千里の「腕が細い」と言ったのは8月3日のことであり、それは時間の流れの上では今から1ヶ月後だ。ふたりにとっては逆に4ヶ月半前のことだし、実は千里の肉体はあれから3年近い年月が経っている。千里は多数の時間の流れが紅茶に落としたミルクのように混ざり合っているのを感じた。
 
「レオちゃん、どこかのチームに入らないの?」
「秋から関東実業団の2部のチームに入る予定」
「2部なんだ?」
「1部は戦力が固まっているから」
「それはあるなあ。でもレオちゃんが入ったら2部優勝でしょ」
「まあ優勝するつもりでやるよ」
「うん」
 
「千里はあれ何かクラブチーム?」
「うん。けっこうのんびりとやってる」
「秋から私と一緒にその実業団のチームに入る予定の母賀ローザさんが作ったチームなんだよ」
と玲央美が言う。
 
「母賀ローザって、母賀クララの妹?」
「そうそう」
「凄いじゃん」
「幽霊部員が多くてね。でも私が入ったからには全日本クラブ選手権くらいまでは行けるように頑張るよ」
と千里は言う。
 
「全日本クラブ選手権とか言わないでオールジャパンまで行きなよ」
「まあ今年の戦力ではそこまでは無理かなあ。でも来年くらいは行きたいね」
 

千里は今自分と玲央美が「特別な状態」に置かれていることを認識した。
 
ひとつは、携帯が特定の人としかつながらないのである。時間が7月に戻されているので履歴を見ても6月末までに送受信・発着信したところまでしか表示されていない。当時は知り合いではなかった小杉来夢や、まだアドレスを交換していなかった花園さんがアドレス帳に登録されていない。更に、掛けられる相手がほぼ今合宿に参加しているメンバーに限られているのである。例えば麻依子や浩子、大学の友人の友紀や桃香、また貴司や玲羅などに掛けようとしても発信もできないのである。玲央美も同様のことを言っていた。お兄さんやバイト先で知り合った友人(実は桃香である)などに電話しようとしても掛からないのだという。
 
そしてふたりとも藍川さんには電話がつながらないことを知る!
 
パソコンは不思議で、ディスクの中には千里が夏以降に作った楽曲のデータも入っている。メールも12月20日に受信したメールが入っている。しかし千里のパソコンはネットにはどうしてもつながらなかった。なんとも微妙なブロックをされているようだ。
 
そしてあらためて認識したのだが、千里も玲央美もU19に関わる情報を全く持っていなかったのである。千里はバスケット協会のメンバー専用のメルマガにも登録している。そのメルマガにはU19関係の情報も入っていたはずなのに、幾つかの号が歯抜けになっている。たぶんその歯抜けになっている分がU19の選手が発表されたのや、合宿の情報、そして試合の結果などではないかという気がした。
 
つまり自分はそもそもこの春頃から、この「時間の重複」を前提とした操作をされた状態に置かれていたようである。その件について千里の時間の管理をしている《いんちゃん》にも訊いてみたが
 
『私でも分からないことがいくつかある。そして知っていることも多くは話すことを禁じられている』
と言っていた。
 

「でも玲央美たちのチーム凄いね。わずか6人で実業団2部優勝って」
と千里は3日目が終わった後、部屋で言った。
 
「まあメンバーが凄いからね。私とローザと近江満子。それに元々居た川崎美花もインターハイ・インカレの経験者。けっこう巧いし、私たちと合流して以降、更にどんどん巧くなっている」
 
「強い人と一緒にプレイしていると伸びるよね」
「そうそう。それが強豪でプレイするメリット。4月からはサクラと池谷初美さんも合流するし」
「かなり充実するね」
 
「サクラの件は、今の時間の流れのサクラはまだ知らないことだから言わないでね」
「たぶんそれ言おうとしてもブロックされて言えないと思う」
「なるほど、なるほど」
 
サクラの就職先に関しては、おそらくU19世界大会が終わった後で話が出てくるのではないかと玲央美は言った。
 
「あと、千里の後輩の湧見昭子ちゃんも合流するから」
と悪戯っぽく玲央美は言った。
 
「え!?そうなの?」
「やはり知らなかったか」
「日曜(12月20日)N高校の合宿に応援に行って、性転換手術を受けたことと、春から実業団の女子チームに入るというのを聞いたばかり。そうか。それが玲央美のチームか」
 
「うん。私やローザが10月から参加するチームが《ミリオン・ゴールド》、サクラが10月から加入するチームが《ジョイフル・サニー》。池谷さんは少し遅れて加入する。そして両者は4月から合併して《ジョイフル・ゴールド》になる。そこに昭子ちゃんが参加する」
 
要するに4月からのジョイフル・ゴールドはこんな感じの陣営になるはずだ。
 
PG.近江満子 PG.伊藤寿恵子(JS) SG.湧見昭子 SF.佐藤玲央美 SF.向井亜耶(MG) PF.門脇美花(MG) PF.豊田稀美(MG) C.熊野サクラ C.池谷初美 C.母賀ローザ
 
中核選手10人の内5人が藍川さんがスカウトした人材である。そしてこのチームの発足とU19の活動とが微妙に絡み合っているのである。
 
「藍川さん、かなり手広くスカウトしてるなあ」
と言ってから千里は昭子の《参加資格》に疑問を感じた。
 
「昭子って、いつから女子選手として活動できるんだったっけ?」
 
「2008年8月30日付けの去勢手術証明書を持っていたから、2010年8月30日以降の試合に参加してよいという許可が出ているらしい。だから春のリーグ戦には出せないけど、9-10月に行われる東京都実業団選手権からは出場できる」
 
「それまではどうすんの?」
「ふつうに4月に入社させる。女子制服を着せて窓口業務をさせる」
「できるんだっけ?」
「あの子、声が男だったでしょ。それでは困るから今、というか7月以降ずっとボイトレ受けさせているんだよ」
 
「わあ、それは卒業までに頑張って女の子の声を獲得してもらわないと」
「うん。女の声が出せるようにならなかったら、入社の話も保留、性転換手術代も返してもらうぞ、と藍川さんが脅してるから必死になって練習してるみたい。まあバスケの練習も頑張ってるけどね。就職先が決まっているしということで、10月以降はウィンターカップに向けてN高校女子チームのレギュラー組の練習相手をしていたらしい。ウィンターカップの遠征には同行しなかったみたいだけどね」
 
うむむ。N高校OGの自分が知らなかったことを玲央美が知っているとは!
 
「手術代返してもらうぞって、もしかして手術代を出してあげたの?」
「そうそう。100万円なんて、そう簡単に払える人はいないよ」
「そうなんだよねー。みんなそれで苦労している」
「確か7月3日に手術を受けたとか入ってたよ」
と玲央美が言う。
 
「7月3日か。。。今日じゃん」
「あ、ほんとだ!」
「じゃ今日、昭子はとうとう本当の女の子になっちゃったのか」
 
「この世界の人口から男が1人減って、女が1人増えたんだね」
と玲央美。
「そうそう。ちんちんが1本減って、ヴァギナが1個増えたんだよ」
と千里。
 
「あれ、ちゃんとヴァギナまで作るんだ?」
「作らなきゃ結婚できないじゃん」
「確かに」
「実はそのヴァギナを作る部分の手術がいちばん痛い」
「ああ、やはり痛いんだよね?」
「うん。何しろとっても敏感な場所を切り貼りするからね」
「切ったり貼ったりか・・・」
 
「そしてその痛みに耐えないと性別を変えられないんだよ」
 
「大変だなあ。私も男になりたいと思ってた時期あるけど、手術痛そうだしと思って諦めた。まあちんちん付いてたら付いてたで面倒くさそうだしね」
 
「手術はせざるを得ないけど、無茶苦茶痛いし、手術後何ヶ月もその痛みが収まらないと聞くと、憂鬱な気分になるよ」
「手術はとっくにしてるんだよね?」
「もちろん。でなきゃ女子選手として出場できない」
 
実際には千里が体験しているのはまだ手術後3ヶ月〜半年経った時期の手術跡の痛みのみである。それでも結構ズキズキしていたので、手術直後の痛みって、どれだけなんだ?と当時千里はかなり憂鬱な気分だったのである。
 
「でも考えてみると、千里はよく手術代を払えたね。おうち貧乏だみたいなこと言ってたのに」
「私は音楽の仕事をしているから、その印税で払えたんだよ」
 
「千里、音楽の仕事、いつから始めたんだっけ?」
「2007年の2月」
「性転換手術はいつ受けたんだっけ?」
「2006年の7月(ということにしておこう)。去勢はその1年前」
 
「その話は矛盾しているのだが」
「時間が組み替えられているんだよ」
「なるほどー」
と行ってから玲央美は少し考えるようにしてから問う。
 
「千里、そういう時間の組み替えが起きているのなら、マジで去勢してから、インターハイに出たまで千里の体内的にはどれだけ経ってる?」
 
「ちょっと待って」
と言ってから千里は《いんちゃん》に確認する。
 
「去勢手術を受けたのは体内的には2007/11/01、インターハイに出た時は2008/10/01。だから335日経ってる」
 
10/01から11/01までは31日だから(2008年は閏年なので)366日から31を引いて335になる。このくらいは千里も暗算で計算できる。
 
「うーん。1年未満だけど、そのくらいはオマケしておくか。あれ?待って。2年のインターハイを2008年で出てるなら、3年のウィンターカップは?」
 
千里はこれも《いんちゃん》に確認する。
 
「3年のインターハイが2009/2/18-02/23、ウィンターカップは2009/3/26-3/31」
 
「3月31日! 高校生最後の日だったのか」
「うん。だから私はそれで自分のバスケ人生は終わりと思っていたんだけどねー」
と千里。
「お互い、簡単には辞めさせてもらえないみたいね」
と玲央美。
 
「日々くたくたになるまで練習して、手当はそんなに無いし、特に女子のお手当は安いし。それで自由にやめさせてももらえないってのは超ブラックなお仕事かも」
と千里。
 
「言える言える。名誉だけだよねー」
と玲央美。
 
「うまく行けば名誉だけど、失敗するとメチャクチャ叩かれる」
「割に合わないね」
「全く全く」
「でも取り敢えず千里は不正はしていないようだというのが確認できて良かった」
 
「私の身体を2年生のインターハイ直前に超精密検査してくれた協会のお医者さんが言ってたんだよね。あなたは骨格が完全に女子だって」
 
「ほほお」
「これは第二次性徴が発現する前に去勢したとしか考えられないと。普通は去勢してから2年経たないと女子選手として認めないんだけど、第二次性徴が出る前に去勢した場合は例外で、現在女性の形になっていれば即女子選手として認めるらしいんだよね。私はその基準で女子選手として認定されたみたい」
 
「なるほど。そういう例外規定があった訳か。実際、千里って声変わりもしてなきゃ、ヒゲも生えてなかったし」
 
「まあ声変わりは遅れて発生してしまったけど、ヒゲは生えたこと無いよ。実際問題として私の睾丸は未発達だったみたい。睾丸を取る前の時期に1度睾丸のサイズを測ってもらったら、思春期が始まる頃の男の子のサイズだと言われた」
 
「なるほどー」
「だから私の第二次性徴って、元々何らかの理由で遅れている内に大量の女性ホルモンが投与されるようになって完全停止して、それで停止している内に去勢手術を受けたのではないかと自分的には推測している。それで骨格が男性化してないんだよ」
 
「ふむふむ。しかし骨格というのはやばいな」
「ん?」
「センターとかやってる女子選手の中には間違い無く女だけど骨格は男子並みの子が結構居そうだ」
 
「ふふふ」
 

「でも今回のタイムスリップは玲央美も私の巻き添えになったっぽい」
と千里が言うと
 
「時間のずれは私も経験したことあるよ」
と玲央美が言う。
 
「ほんとに?」
 
「中学の時だけど、練習していて、あ、もう9時近いからそろそろ帰らなきゃ叱られると思ったのを覚えているんだよ。でもその日は練習していたダブル・クラッチがなかなかうまく行かなくてさ、夢中になって練習していて、たぶん時計を見た後で更に1時間以上は練習していた。でもその内、体育館にお父さんが来て声を掛けたのよね。わあ、これは殴られるかもと思ったんだけど、時計を見たら8時過ぎだったんだよ。2時間くらい時間が戻っていた」
 
「レオも巫女体質だからなあ」
「うん。それは自覚してる」
 

5日目の練習の時、王子(きみこ)が来て言った。
 
「村山さん、もしよかったら私にスリーを教えてもらえませんか? 近くからそれだけ高確率で入れる人がなぜスリーは全く入らない?と言われるんですよね。腕も太いから遠くから充分届くはずなのにと」
 
「王子ちゃんがスリーを覚えたら強烈に怖い相手になるなあ。でも今はチームメイトだし。少し見ようか。取り敢えず10本撃ってみて」
「はい」
 
それで王子がスリーポイント・ラインの所から10本シュートをすると、左右にずれたり、届かなかったり、バックボードやリングに当たって跳ね返って戻ってきたりする。1本も入らない。
 
「王子ちゃん、フリースローもあまり上手くなかったよね?」
「ええ。5回に1回くらいしか入りません。スリーは100回撃って1本入るかどうかです」
 
「要するにきちんと的(まと)を狙ってないんだな。スリーって物凄く遠くから撃つから腕力が必要みたいに思っている人も多いけど、実は腕力は大して必要無い。むしろセンスなんだよ」
 
「私、センスだけは無いと言われます」
「確かに苦手っぽいね。でも王子ちゃんの場合はそのセンスの弱さを腕力でカバーできるから、普通の人より楽にスリーを習得できると思うよ」
 
「そうですか!?」
 
「スリーが入るようになればフリースローはもっと確実に入るようになるだろうし。王子ちゃんみたいな子は相手が絶対ファウル仕掛けて来る。それでフリースロー入れられないと辛いよね」
 
「それは今までも結構あったんですよ。私にファウルを全くしなかったのはウィンターカップの旭川N高校だけですよ」
「まあ暢子がファウルを凄く嫌う性格だったからね。暢子が実質チームの中心になってからN高校のファウルは激減したんだよ」
「へー」
 
それで千里は王子に、むしろ腕力を全く使わず、置くように撃ってみるように言う。また彼女は両手で押し出すような感じに撃ち、その左右の腕のタイミングがずれてコースがぶれているようだったので、王子ちゃんの腕力ならこの距離でも片手で充分届くから、左手は単に添えるだけにして右手だけで撃ってごらんと言った。実際問題として彼女は近くからのシュートはいつも右手だけで撃っているのである。
 
それで撃たせると8本目にスリーが入った。
 
「入った入った! これ中学1年の時以来ですよ」
などと言っている。
 
4年間1本も入らなかったのか!?と千里は思ったのだが、話を聞いてみると、彼女は中学時代はサッカー部に所属していたらしく、その中1の時に入ったというのも体育の時間にしたバスケでの話らしい。
 
「今の感覚を忘れないで。王子ちゃんの手の力があれば、意識して力を入れなくても距離的には充分届くから。あとはゴールを狙う感覚を身につければ、結構スリーも入るようになると思うよ」
 
この日、王子はポジション別練習では、千里・渚紗といっしょにシューター組に入って練習したのだが、今日1日の練習で4−5回に1回はスリーが入るようになった。
 
「これは来年の岡山E女子高は怖いな」
と渚紗が言っていた。
 

U19日本代表の第1次合宿は7月6日に終了した。次の合宿は7月16日から三重県で行われる。この日から月末までWリーグのサマーリーグが行われるので、U19日本代表はこれの最初の3日に特別参加するのである。
 
なお、それに先行して片平コーチ(愛知J学園高校)が主宰して7月14-15日にJ学園大学との合同ミニ合宿を同大のスポーツ研修施設を使って行うことになっていて、任意参加ということにしたのだが、12人全員が参加を希望した。
 
また、しばらくバスケから離れていて完全に勘が戻りきっていないサクラと華香については、その高田コーチが
 
「少し基礎を鍛え直そう」
と言って、U19合宿の終わった翌7日から片平コーチ主宰の合宿が始まる前日の13日までの7日間、関東近郊で「秘密の特訓」をすると言っていた。
 

その2人以外の多くのメンバーは13日までは各自のチームに戻って練習をするようであったが、千里と玲央美は行き先が無い。
 
千里はローキューツがあるものの、正直まともに練習相手になるのは麻依子くらいだし、そもそもそちらには元の時間の流れの自分が居る。玲央美はまだミリオンゴールド加入前である。
 
また王子も自分のチームはアメリカなので「自分のチームに戻って練習」というのができない。それで、どうしようか、などと言っていたら山形D銀行所属の早苗が
 
「適当な練習場所無いんだったら、うちに来る?」
と誘ってくれたので、
「行く行く」
と言って、そちらの練習に参加させてもらうことにして、インプレッサはNTCにそのまま置きっ放しにして(世界選手権終了まで置いておいてもいいよとNTCの事務の人に言ってもらった)、新幹線で早苗と一緒に山形に向かった。(王子の新幹線代は千里が出してあげた)
 

早苗が話してくれて、山形滞在中はD銀行の女子独身寮の空き部屋に泊めてもらえることになった。寝具もその間レンタルする。
 
「でもよく空きがあったね」
と千里が言った。4人は新幹線を山形駅で降りて、タクシーの相乗りでそちらの寮に向かうところであった。
 
「空いてるのは築65年のいちばん古い寮だから」
「65年!?」
「戦後間もない時期に建てられたものでさ。トイレ・流しが共同だし、お風呂は無いから銭湯に行かないといけないし」
「なるほどー。それで人気が無い訳か」
「あとね」
 
「ん?」
「出るという噂があるから、入居者が居着かないんだよ」
と早苗が言うと
 
「出るって、水牛とか熊とかですか?」
と王子が訊く。
 
「何かアメリカ的な発想だ」
と玲央美。
「まあ日本人ならキツネとかタヌキですか?と訊く所かな」
と千里。
 
「いや、出ると言ったらお化けとか幽霊とかだよ」
と早苗が言う。
 
「そういうのが出るんだ?」
「目撃したという例は後を絶たない」
「ふむふむ」
 
「でも一週間くらいなら何とかなるでしょう」
「そうだねー」
 

やがてタクシーがその寮に着く。
 
「わぁ・・・・」
と言って千里はその寮を見つめた。ふと隣を見ると玲央美が嫌そうな顔をして見ている。ああ、やはりレオちゃんって霊感あるよね?と思う。
 
「私たちが泊まる部屋って、どこ?」
「3階の左端、301-303を使ってということ」
「なるほどー」
 
と言ってから千里は《こうちゃん》に頼む。
『ね、聞いた?301-303だって。ちょっと《お掃除》してくれない?』
 
『いいけど。大漁だな。青龍、玄武、お前らも手伝ってくれ』
『よっしゃ』
 
それで3人は飛んで行って「処分」を開始した。3人が飛んで行くのを玲央美は目で追うようにしていた。
 
入口の所で寮母さんに声を掛ける。
 
「はいはい。佐藤さん、村山さん、高梁さんですね」
と寮母さんは言ってから
 
「あれ?女の子3人と聞いてたから許可したんだけど、男性は困るんですけど」
などと言う。
 
「ん?」
と言って3人はお互いの顔を見合わせる。
 
「えっと、おばさん、誰が男性に見えます?」
「男の人じゃないの?」
 
「ここにいる4人は全員女ですが」
「ホントに!?」
 
「男、男と15年言われ続けてましたが、取り敢えず高校は女子制服で通いました。村山です」
「しばしばオカマさんかと思われている気もしますが、出生届けは女で出ていたようです。佐藤です」
「男子と平気でオナニーの話はするけど、残念ながらちんちんを持ってないので実践してみることができません。高梁です」
 
「ごめんなさい!」
 
玲央美の提案で、左端の301号を玲央美、302を王子、そして他の寮居住者との境界になる303を千里が使うことにした。
 
「たぶんこれが平和的・・・だよね?」
と玲央美。
「うん。みんなが安眠できるようにするから任せといて」
と千里。
 
「えっと、玲央美さんと千里さんの間にはさまれるって、私、監視されるのかな」
と王子は不安そうだが
 
「王子ちゃんの安全のためだよ」
と玲央美は言った。
 

鍵を預かり、とりあえず各自荷物を置いてくる。それで日用品や着替えなどを買いに出ることにするが、玄関の所で集合すると玲央美が
 
「きれいになってた。ありがとう」
と千里に言った。
 
お店なども分からないだろうということで早苗が案内して街に出る。王子は寝てるという話だったので、千里は念のため《げんちゃん》を彼女の守りに付けておいた。でも「何か欲しいものがあったらついでに買って来てあげるよ」と言ったら「じゃ、これとこれと・・・」と言って結構大量のリクエストがあった。
 
「すみません。代金もちょっと貸しててください」
「うん。それはOK。気にしないで」
「王子ちゃん。あまり現金持ってないなら取り敢えず10万くらい貸しておこうか?」
「いや、私、目の前にあるお金は全部使ってしまう性格だから、もしよかったら必要な時に貸してください」
「なるほどー。じゃ要る時は遠慮無く言ってね」
「はい、すみません」
 

千里にしても玲央美にしても、偶然手に入った遠征用のバッグを先の合宿中は使っていたものの、やはり衣類が不足するので海外旅行することを想定したバッグとともに買い求めた。他に非常食、筆記用具、携帯の充電用の装備、衛生用品、そのほか洗濯物を干すタコ足や傘、食器など、一週間ここで生活するのに必要な細々としたものである。
 
「ふーん。千里もナプキン買うんだ?」
と玲央美が言う。
「まあ1ヶ月あれば、たいていの子が途中で生理来るよね」
と早苗。
 
「次の生理は下旬くらいに来そうなんだよね
と千里は言う。
「それ選手権にぶつからない?」
「どうかな?」
と言って千里は《いんちゃん》の方に意識をやった。
 
「あ、調整するから、選手権の直前に来るみたい」
と千里。
「ああ。ピルか何かで調整するの?」
と早苗が言うので
「まあ似たようなものかな」
と千里は答える。
 
「ふむふむ」
と玲央美はどうも分からんという顔で聞いている。実際には《いんちゃん》がこの日、7月7日に強制排卵を起こしてくれたので千里の生理は7月21日に来ることになる。
 
「でも終わった後はこの手の荷物、どうすればいいんだろう?」
「NTCにそのまま駐めさせてもらってる私のインプレッサに放り込めば一緒に《元の所》に持って行ける気がする」
「なるほど、そうさせてもらおう」
 

玲央美が「予備のバッシュを買っておきたい」と言うので、千里も付き合ってもう1足買っておくことにした。早苗も自分は買わないけど見るだけと言ってお店まで付き合ってくれた。
 
「え〜? 千里って1つのバッシュでずっと通してたんだ?」
と玲央美と早苗が驚く。
 
「玲央美は同じもの2〜3足を日々履き換えてたのか?」
と千里も驚く。
 
「うちの三山さんも玲央美と同じように2足を1日交代で使ってたよ。私は練習用と試合用を分けていた」
と早苗が言う。
 
「うん、そういう人も多い」
と玲央美。
「練習には耐久性のよい人口皮革のもの、試合には性能の良い天然皮革のもの」
と早苗。
 
「バッシュって痛みやすいから。特にナイキは痛みやすい」
と玲央美。
 
「あ、それはちょっと感じてた」
と千里。
 
「NBAプレイヤーで愛用者が多いけど、NBAの人たちって1試合で1足使い潰すらしいね」
と早苗。
 
「うっそー!」
と千里は驚く。
 
千里が中学3年間で1足、高校1年春から3年夏まで1足で間に合わせていたと言うと、玲央美も早苗も
「うっそー!!」
と言っていた。
 
「千里、アジア選手権とウィンターカップの成績がそれまでより上がったのは、新しいバッシュを使ったせいもある」
と玲央美が言う。
 
「あ、それは感じた。あのバッシュ、凄くクッション性が良かったのよね」
「いや、それより古いバッシュがかなり性能劣化していたと思う」
「う・・・」
 
「そんなに使ってたらインソールも痛んでいるし、靴底の凹凸も取れてしまっていたのでは?」
「千里滑ったりしてなかった?」
「うーん。氷の上を歩くのと同じ要領で足をまっすぐ着地すればそんなに滑るもんじゃないんだよね。よく滑ってたのはむしろ暢子だな」
「ああ、暢子ちゃんの滑りは試合の勝負所で出たね」
 
「でも普通の部活している子でも半年か1年、トッププレイヤーは3ヶ月で交換するのが常識だよ」
「そうだったのか」
 
それで結局玲央美のお気に入りというアシックスの製品から玲央美はクッション性重視のタイプ、千里は動き重視のものを選んだ。玲央美と早苗に勧められて千里も同じ物を2足買った。
 
「私、今年の春にはアシックスの****を買ったのよね〜」
「うん。それもシューターには良いと思うよ。日本人女性の足の形を研究して作られているから足にも優しいし。でもこちらの方がよりグリップ性がいいから、両方履き心地を比較してみるといいよ」
 
と早苗は言っていた。
 

寮に戻ると《げんちゃん》が千里の所に戻って来るが
 
『ここはとっても食べ甲斐がある』
などと言っている。
 
『お留守番、ありがとね』
『取り敢えずこの3部屋のメンテだけしてた。どんどん妖怪が流れて来る』
と《げんちゃん》。
 
『この町自体が奥羽山脈と朝日山地に挟まれた盆地にあるから色々なものが流れて来やすい。特にここは周囲より低いし川のカーブの内側だから集まりやすい』
と《とうちゃん》が言う。
 
『川のカーブの外側が凶というのはみんな意見が一致するけど内側は意見が別れるよね』
『良い気も悪い気も集まりやすい。商売やるなら何とかなるけど住宅としては微妙だと思う』
 
『霊道とかも通ってるの?』
『通ってるけど、この西側3部屋にはあまり関係無い。東側の方の住人は幽霊で悩むだろうな』
『ふむふむ』
『こちらの西側の方に寄ってくる奴は脅かしたりして悪戯する程度の小物だから住んでても命には別状無い』
『でも安眠できなかったりして』
『ああ、疲れやすいかもね』
 
実際あとで寮母さんに尋ねてみたら2階と3階の東側3部屋にはもう5年くらい人を入れていないという話であった。
 
「私もあのあたり掃除してて幽霊見たことあるんですよ」
と寮母さん。
 
「あそこ霊道が通ってるから絶対人を入居させちゃいけませんよ。自殺者が出ますよ」
と玲央美が言った。
 
「あら、あなたそういうの分かるの?」
「私、小さい頃は霊感少女だったんですよ。思春期過ぎるとさすがにあまり見えなくなりましたけど、あれだけ強烈なのは分かりますよ」
と玲央美が言っている。
 
「じゃ、やはりあそこには人を入れない方がいいんだね」
「ですです」
「実は6年前と10年くらい前にも自殺した子がいたのよ。その6年前の事件の時に、葬儀をしてくれたお坊さんから、この6部屋には人を住まわせてはいけないと言われて」
 
「なるほど、なるほど」
 
「ある程度霊感のある人なら、3日で退去すると思うけど、そういう勘が無い子だと、気づかない間に取り憑かれてってのがあるよね」
と千里も言う。
 
「うん、それが怖い」
と玲央美は言った。
 
「私、幽霊なんて見たことないなあ」
と王子が言うが
 
「うん、王子ちゃんみたいな子がいちばん危ない」
と玲央美は言った。
 

その日(7月7日)の夕方から練習に参加する。取り敢えず紅白戦をしようということになる。まずはD銀行の1.5軍レベルのチームと、千里たちU19組で対戦することにした。
 
「そちらのポジションは何何だっけ?」
とキャプテンの奥山さんが訊く。
 
「私がPG、村山がSG、佐藤がSF、高梁がPFですね」
と早苗が説明する。
 
「あ、その背の高い2人はどちらもセンターじゃないんだ?」
「高校時代はセンターで登録されてたんですけど、あまりセンターのお仕事してないです」
と玲央美。
「すみませーん。私、リバウンド取るの下手くそなんです」
と王子。
 
たしかに王子の欠点は勘の悪さだ。
 
「よし、そしたらそちらに交代要員も含めて2人回そう」
 
と奥山さんが言い、早苗と一緒に今年入った若手2人をこちらに回してくれた。取り敢えずこちら3人が自己紹介すると、向こうも自己紹介してくれる。
 
「東海林八恵(とうかいりん・やえ)です。ポジションは一応スモールフォワードなんですけど、結構ガードもやってます」
と165cmくらいかなという人。彼女はM大山形の出身らしい。早苗のY実業と並ぶ山形県の強豪校である。
 
「去年の国体でお見かけしましたね」
と千里が言う。
「はい、国体にも早苗ちゃんと一緒に出ました。あっけなく負けましたけど」
「まあ愛媛Q女子高は強いから」
 
ちなみに「東海林」という苗字は、有名歌手のおかげで「しょうじ」という読み方が広く知られているが、この苗字の発祥の地と言われる山形地方では「とうかいりん」とそのまま読むのが普通である。「しょうじ」という読み方は分派の秋田系らしく、東海林の苗字の人達に寺院の承仕(しょうじ)職をしていた人が多かったからとも言われる。東海林太郎も秋田市出身である。
 
「梅津真美です。ポジションはセンターです」
と180cmくらいの子が言うが、千里たちは内心『おっ』と思った。
 
「まあ、声を聞けば分かる通り、真美ちゃんは男の娘だけど、ふつうの女の子以上に女らしいから」
と早苗がフォローする。
 
「私、この身長で女装で出歩いていてもすぐリードされちゃうんですけど、あっリードって分かりますかね?」
 
「うん。分かるよ」
と千里も玲央美も言う。
 
「でもバスケチームに居ると、あまり目立たなくて居心地がいいんです」
と真美。
 
「背の高い人が多いもんね」
 
「ふだんは銀行のお仕事してるんですか?」
「はい。窓口業務やってます」
「ほほお」
「もう声のことは気にせず笑顔で対応してますけど、お客さんにすぐ覚えてもらって、けっこうお得ですよ」
「まあ声は開き直りだよね」
 
「真美さん、高校時代は女子制服着てたの?」
「男子制服でした。中学高校の6年間は黒歴史にしたい気分」
「なるほどなるほど」
「でもこの銀行の面接受けに来た時はバスケ部の先輩の女子から女子制服を借りて受けに来たんです」
 
「うちのバスケ部の男子チームの方に在籍してたんですよ。でも籍はそちらにあっても実際の練習はほとんど女子と一緒だったんです。女子チームとしても背の高い人は練習相手として貴重だから」
と八恵が言う。
 
「私、この銀行にもその背の高さのおかげで入れてもらった気がします」
と本人は言っていた。
 
「うん、貴重、貴重」
 
「真美さん身体はいじってるんですか?」
「女性ホルモンは高3の時から飲んでるんですけど、まだおっぱい小さいんですよ。今度ボーナスもらったら去勢しようと思って予約だけ入れてるんです」
「おお、頑張ってね」
 
「彼女は一応うちのバスケ部の正式部員としてバスケ協会にも登録はしているんですが、公式戦には出さないことにしています」
「なるほどー」
 

それで取り敢えず10分ハーフの試合をすることになる。
 
が・・・・2分経ったところで奥山さんからストップが掛かる。
 
「これ勝負にならないね。選手交代」
 
ここまでの2分で点数が0-14なのである。千里や玲央美がどんどん相手選手からスティールして、攻めて行くし、リバウンドも真美が張り切って取ってくれるので、完璧に一方的な試合になってしまった。一方的になったことで、相手選手が戦意喪失してしまった感もある。千里がスリー2本、玲央美と王子が2ポイント2本ずつ入れている。
 
ということで、向こうは1.5軍チームが下がってレギュラー組が出てきた。奥山さん自身も参戦する。奥山さんはPGである。
 
ここまでの点数をリセットして、また0-0から10分ハーフということにする。
 
するとさすがにレギュラー組はそうやすやすとはこちらにやられない。今の2分間のゲームを見ていたので、スティールにかなり警戒するし、千里のスリーはヤバいと見て、向こうのエース格と思われるフォワードの穂波さんが千里をピタリとマークした。リバウンド争いでも、さすがに向こうの正センター・門中さんは強い。真美より身長は低くても8割くらい取ってしまう。
 
それでも千里は穂波さんを振り切って早苗からのパスを受けてスリーを撃つし、玲央美も王子も体格がいいので、社会人の選手たちに全く負けずに中に進入してボールをゴールにたたき込む。更に玲央美はどんな距離からでもシュートするので、シュートに行くタイミングが読めず、相手選手がひじょうに守りにくそうにしていた。
 
結果的には36-42でU19側の勝ちである。
 
「あんたら強ぇ〜」
と奥山さんが負けを認めた。
 
「まあ初顔合わせだったから」
と千里。
 
「研究されると、こう簡単にはいきませんよ」
と早苗。
 
「よし。じゃ、明日の対戦は早苗ちゃん、こちらに入ってよ。私がU19側に入る」
と奥山さんが言う。
 
「あ、それも面白そう」
 

練習は21時半頃終わった。寮にお風呂が無いので、練習場所から銭湯に寄ってから帰宅することにする。
 
が、銭湯に行くとなると当然トラブる!
 
千里・玲央美・王子が、付き合ってくれた早苗と一緒に銭湯の女湯の暖簾をくぐると速攻で番台のおばちゃんから言われる。
 
「あんたたち、男湯は向こう」
「私たち全員女です」
「ふざけないで。警察呼ぶよ」
 
「いや、本当に女ですから、何でしたら裸になるところを観察してください」
 
するとおばちゃんは本当に番台から降りてきて玲央美たちが脱ぐところを見ていた。おばちゃんは早苗と千里はふつうに女だと思ったようである。しかし、玲央美と王子については、男だという疑いを持ったようで、主としてその2人を見ている。
 
トレーニングウェアを脱ぐと
「ふーん。女の下着つけてるんだ」
と言う。
 
そしてブラジャーを取ると
「ちゃんとおっぱいあるんだね」
と言っている。
 
そしてパンティまで脱ぐと
「ほんとにちんちん付いてないね!」
などと感心したように言った。
 
「あんたたち性転換手術したの?」
などと訊かれるが
 
「とりあえず生まれた時から付いてなかったようです」
「欲しいと思うことはありますけど」
「男装はさせられたことあるけど」
「生理もあるし」
などと2人は言っていた。
 

千里たちが山形で練習している間、サクラと華香は実は高田コーチが個人的にコネを持っていた茨城県内の高校に行ってそこの男子バスケ部員と一緒に練習をしていた。
 
ふたりはとにかく「勘」を取り戻すことが大事で、そのためこの一週間はひたすらリバウンドをやらせることにした。そこの部員たちにどんどんシュートを撃ってもらい、サクラや華香と、そのバスケ部の長身センターとでリバウンドを争わせたのである。男子なので180cm以上の部員が多い。特に向こうの正センターの人は188cm、サブの人が186cmある。サクラ(180cm)も華香(182cm)も女子としては物凄く身長が高いのだが、さすがに男子とやるとこちらが低い。その不利な条件の中でいかにしてリバウンドのボールを取るかという練習をさせた。
 
男子高校生が取ったリバウンド数とサクラや華香が取ったリバウンド数をカウントしておいて、高校生が勝ったらその差の分だけハンバーガーをおごるなどと言ったら高校生たちが張り切って取りまくっていた。毎日500本(土日は1000本)のリバウンド練習をしたのだが、初日は高田コーチは彼らにハンバーガーを200個もおごるハメになった(食べきれない分はギフト券で渡した)。しかし2日目以降は少しずつサクラも華香も覚醒してきて、数は減っていった。
 
高校生でまだ夏休み前なので、彼らが稼働できるのは16時くらいから20時くらいまでである。それで日中はふたりにはジョギングをさせたり、シュートの練習などをさせていた。
 
「これU19の合宿よりしんどい」
「そりゃ、そのくらい頑張ってもらわなきゃ」
と自分の高校(札幌P高校)を放置して、ふたりの面倒を見てくれている高田コーチは言った。
 

7月10日(金)、サクラが先月まで勤めていた居酒屋から給料が振り込まれていた。その金額を見たサクラは驚愕した。実は最初1桁読み違えていたのを華香に指摘されて「うっそー!」と叫んだのである。
 
すぐに高田コーチに見せたのだが
 
「なるほどね〜。多分こちらが訴訟をちらつかせたのと、日本代表になるような選手なら争うと手強いぞと思って、きちんと残業手当の計算をして本来払うべき金額を振り込んできたんだろうな」
と言っていた。
 
実際あとで取り敢えずの連絡先として向こうに連絡していたバスケ協会のU19担当宛てに送られて来た明細でも残業時間が4-6月分で896時間と書かれていたのである。高田コーチは、自分でも計算していたようで「その残業時間の計算には異議がある」とは言ったものの、サクラはこれ以上争わなくていいですと言ったので、この居酒屋に関する件はそれで終わらせることにした。
 
ちなみにサクラは向こうに「U19女子日本代表担当」と連絡していたのだが、向こうからの書類は「U19男子日本代表担当」に送られて来ていた。どうもサクラのことを向こうはずっと男性と思い込んでいたフシがある。
 
「でも助かります。これでU19が終わるまで生活できるし、妹にも学資が送ってあげられる」
 
「良かったね。じゃ君の仕事は世界選手権が終わってから考えようか」
と言われた。
 
むろんサクラは速攻で高田コーチに借りたお金を返したが、高田コーチはサクラにアドバイスした。
 
「妹さんにたくさん送ってあげたいかも知れないけど、たくさん送りすぎると向こうは無駄遣いをしがちだし、今月10万送ったら来月も10万送ってくれることを期待するよ」
 
それでサクラは先月より少しだけ多い5万円送るだけに留め、今回振り込まれた給料も半分は何かあった時のために定期預金にした。
 

そしてこの茨城での特訓では最終日はとうとうサクラ・華香が取ったリバウンドが男子高校生より上回り
「今日はおごらずに済む」
と高田コーチは言っていたが、サクラが
 
「それじゃ今日は僕がこの1週間練習に付き合ってくれた御礼に全員に2個ずつおごります」
と言って歓声が上がっていた。
 
それでサクラのおごりで向こうの部員40人と一緒にハンバーガー屋さんに行ったのだが
 
「でもU19日本代表の人たちとこれだけ競ることができたら僕たちもウィンターカップ県予選を突破することができるかも」
などという声が向こうの部員から出るので、高田が
 
「いや日本代表と言っても女子日本代表だから」
と言う。
 
すると向こうの部員たちはキョトンとした顔。
 
「女子日本代表に男子選手が出てもいいんですか?」
「へ?この子たちは女子だけど」
 
「うっそー!?」
 
「ね、もしかして君たち、僕たちを男と思ってた?」
とサクラが言う。
 
「ごめんなさい!」
「男としか思ってなかったです!」
「え〜!? 女の子だったらデートに誘えば良かった」
 
華香が目を瞑って額に手を当てて、声を殺して笑っていた。
 

千里は山形での練習で「練習の仕方」や「練習に対する姿勢」を思い出すことができた。この1年は「リハビリ」中心に練習してきていたので、軽い練習が多かった。それが実質プロの人たちに混じって練習していて、心構えを鍛え直されたのである。少なくとも彼女たちは30分単位で休んでおしゃべりしたりはしない!
 
「そうだ。私、高校時代はもっと練習していたのに」
「私も2時間くらいノンストップで練習していたよなあ」
などと千里はしばしば思った。
 
特に高3の時なんて実質バスケしかしてなかったもんね。
 
この一週間の練習では、取り敢えず「欠点だらけ」の王子については、実際に王子がこう攻めてきた場合にこう対抗されたらどうするか?というシチュエーションを設定して「そうか。それではダメだ」と彼女本人に気付かせるようにしてプレイを改良して行った。よくあるトリックプレイについても教えていった。彼女はその手のプレイに簡単にひっかかるのである。
 
千里と玲央美に関しては本人たちとしては考えさせられることが多かったものの向こうの人たちには「教えることはない」「経験をひたすら積むだけ」と言われた。マッチングについては相性の問題があるので、いろんな人と組んで1on1をやらせてもらったが、相手正SFの鹿野さんが千里と最も相性が良かった。つまり千里をいちばん停めた。
 
鹿野さんにとっても千里のようなタイプとはあまり当たったことが無いということで、彼女は「あんたとやる時は自分がふだんあまり使っていなかった脳味噌の部分を使う感覚」と言い、彼女も千里との対戦を望んだ。
 
それでふたりで毎日かなりの練習を積んだものの、対戦成績はあまり変わらない感じであった。
 
「またうちに来てよ。マッチングしたい」
「こちらもぜひさせて頂きたいです」
 
「ではまた伊勢で」
「はい、またあちらでもお互い頑張りましょう」
 
などと言葉を交わしてこの山形での練習を終えた。D銀行も16日からのサマーリーグに参加するのである。
 
 
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【娘たちの再訓練】(2)