【娘たちの震災後】(4)

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千里はスリファーズの春奈に連絡した。
 
「春奈ちゃん、とうとう去勢することにしたんだって?」
 
「はい。手術してくれる所が見つかったんですよ。本当は16歳以上らしいんですけど、私がずっと女性ホルモン飲んでいて、睾丸が既に死んでいるので、このままにしておくと癌化したりする危険もあるということで摘出してもらえることになったんです」
 
「なるほどー。ちゃんと正統な医療行為になるわけだ」
「そうなんですよ」
「あ、それでさ、震災とかもあって遅くなってしまったけど、12月に言っていた、気の巡りの性別変更、7月19日ならできるけど。睾丸を取った後なら、特にやりやすい」
 
「ほんとですか?お願いします」
「7月19日の予定は?」
「念のため、手術の後1週間はお休み頂いたんですよ」
「よかったね」
「ですから、自宅に居ますので」
「了解〜」
 

A代表の合宿は継続中ではあるものの、6月25日(土)から今度はU21の合宿も始まるので、U21(Under 21)のメンバーが24日の夕方から東京北区のナショナル・トレーニング・センターに集まってきた。
 
U21チームの常で合宿に入る前日の夕食後にミーティングが行われる。それで千里・玲央美・王子の3人は24日の20時で、A代表合宿から外れ、そちらのミーティングに出席した。
 
U21のメンツはこのようになっている。
 
入野朋美(PG 愛知J学大)、鶴田早苗(PG 山形D銀行)、村山千里(SG Rocutes)、佐藤玲央美(SF JoyfulGold)、前田彰恵(SF 茨城TS大)、渡辺純子(SF 札幌C大)、湧見絵津子(SF 札幌F大)、鞠原江美子(PF 大阪M体育大)、大野百合絵(PF 神奈川J大)、高梁王子(PF 岡山E女子高)、中丸華香(C 愛知J学大)、熊野サクラ(C JoyfulGold)
 
補欠:海島斉江(PG シアトルF大)、竹宮星乃(SF 神奈川J大)、橋田桂華(PF 茨城TS大)
 
PG:Point Guard
SG:Shooting Guard
SF:Small Foward
PF:Power Foward
C:Center
 
U21はこれまで12名だけで活動していたのだが、選手が病気などになった時のために今回初めて補欠の3名も召集された。
 
但し海島はアメリカのシアトルF大学に留学しており、アメリカ在住なので、今日は来ていない。サンフランシスコで合流の予定である。
 
星乃と桂華は本人たちはお互いに複雑な気持ちを持っていた。U18の時は星乃が直前骨折したので、桂華は自分は星乃の代わりに代表になったと思っていた(実際には桂華は最初から確定だったと高田コーチは言っていた)。昨年U20の時は桂華が直前に盲腸になり星乃が代わって代表になった。しかし今回は2人仲良く補欠として同行することになった。
 
今回のメンバーの中でA代表と兼任しているのが、千里・玲央美・華香・王子、またU19と兼任しているのが、王子・純子・絵津子である。
 
例によってドーピング検査にひっかかる薬の再確認をし(念のため所持している薬を全部チェックされた)、パスポートを持っているかも確認してパスポートはいったん回収した。今回は誰も忘れている人はいなかった。
 
忘れ物の常習犯の王子も今回は大丈夫であった。19日にインターハイ予選で優勝した後、夜の飛行機で東京に向かう時、高田コーチから連絡を受けていたお母さんが、しっかり荷物をチェックしてくれていた。もうひとり前科のあるサクラはチームメイトの越路永子(旭川N高校出身)がチェックしてくれたらしい。
 
ジョイフルゴールドには運動能力は高くても生活能力が微妙な子がひじょうに多いので、越路永子や門脇美花などがチェック係になっているようである。割とよく気がつく越路永子は、他の選手たちから
 
「永子ちゃん、私のお嫁さんになってくれない?」
などと、しょっちゅう求愛(?)されているらしい。
 
「私、できたら男の人のお嫁さんになりたいです」
「それなら、私が性転換してもいいよ」
 

6月23-26日(木〜日)、旭川市の旭川大雪アリーナをメイン会場にして、今年のインターハイ予選が行われた。
 
札幌P高校、旭川N高校、帯広C学園、札幌D学園の4校がブロック決勝に勝って決勝リーグに進出する。そして札幌P高校が優勝。旭川N高校は札幌D高校との第3延長までもつれる死闘を制して、準優勝。
 
P高校とN高校の2校がインターハイに出場することになった。
 
これで2007年から2011年まで5年連続でこの2校が北海道代表である。
 
今年の札幌P高校は久保田希望(くぼた・のぞみ)や宮川小巻を擁している。この2人は昨年U17に召集され世界選手権5位の快挙をあげるのに貢献している。今年のP高校は圧倒的な強さであった。
 
旭川N高校は主将の原口紫、副主将の松崎由実、2年生の徳宮カスミといった面々を中心とするチームである。原口紫(揚羽の妹)は昨年U17で久保田希望たちと一緒に世界5位を経験した。松崎由実は今年U19に召集されており、来月、絵津子や純子たちと一緒にチリに行ってくることになる。
 
松崎由実は昨年のインターハイまではまだまだだったのだが、ウィンターカップでリバウンド女王を取り、N高校の銅メダル獲得に大いに貢献して、完全に開眼した。この急成長で多数の有力センターをおさえて日本代表入りを果たした。
 
なおN高校の原口紫、P高校の久保田希望は今年はU19の補欠として召集されていて、松崎たちとともにやはりチリに行く。彼女らは7月3日から国内合宿を経て6日にはブラジルに渡り、南米の環境での事前合宿に入る。
 

千里たちU21代表は、6月25-27日にNTCでみっちりと練習を行なった。この時期、男子Univ代表も合宿をしていたのだが、城島さん率いる「ひたすら走る練習」の女子A代表の練習、全く休む暇も無く次から次へと基礎練習と連携練習をしている女子U21代表の練習を見て、男子Univ代表のメンバーたちが
 
「こんな激しい練習をして壊れないのか?」
と心配していた。
 
3つのチームが同時期に合宿しているので、女子のA代表、U21代表、男子Univ代表で練習試合もした。
 
すると女子U21代表が女子A代表、男子Univ代表に勝ってしまった!
 
玲央美や王子の破壊力でまだ若くて経験の浅い男子Univ代表は吹き飛ばされてしまったし、千里が鬼気迫るプレイで、エレンにも亜津子にも全く仕事をさせなかった。交代で出場した星乃なども、居並ぶ体格の良い男子たちを巧みに抜いて、独走ゴールを決めたりもした。星乃のようなソフトタイプの選手というのは男子の日本代表レベルにはあまり居ないだろうから、不慣れな相手にうまくやられてしまった感じだ。星乃が背が低いのでやりにくい面もあったろう。
 
A代表監督の城島さんが
「U21とA代表を丸ごと入れ替えようか?」
などと言い、
 
男子Univ代表の監督も
「これは全員性転換してチーム交代だな」
などと言っていた。
 
「性転換しても年齢が21歳越えてるんですが」
「じゃ女子Univ代表と交代」
 
「しかしマジで高梁君は男子チームに欲しい」
と男子Univのアシスタントコーチが言う。
 
「私、性転換して男になってもいいですけど。ちんちん欲しいし」
と王子が言うと
 
「いや、それは困る」
と高田コーチが言っていた。
 

千里たちU21女子日本代表のメンバーは渡航予定日の6月28日にも朝8時から10時まで2時間練習をした後、あがって各自の部屋でシャワーを浴び、荷物をまとめて成田に向かった。
 
(バスケ協会の女性が忘れ物が無いか各自の部屋をチェックしてくれ、王子の着換えとおやつが半々入ったバッグを見つけて持って来てくれた!)
 
出国手続きをした後で、昼食を取る。メンバーは下記の連絡でサンフランシスコに移動する予定である。
 
NRT 6/28(Tue) 15:25-9:40 LAX (JL7016/AA170 777 10h15m) 到着時刻はJST 6/29 1:40
LAX 6/28(Tue) 12:05-13:30 SFO (JL7556/AA2005 737-800 1h25m) JST 6/29 5:30
 
(NRT:成田空港 LAX:ロサンゼルス空港 SFO:サンフランシスコ空港)
 
ここで成田→ロスは日付変更線を越えるので、28日15時に出発したのに同日朝9時に到着するのである。この到着時刻は日本時間では29日の午前1:40である。そしてサンフランシスコ到着の時刻は日本時間の朝5:30になる。
 
U21チームはすぐに練習用に確保してもらっている体育館に行き、ウォーミングアップの上で、16時頃から練習を始めた。これが日本時間では6/29 朝8時頃である。
 
千里はこの移動時間(日本時間で6/28昼〜6/29朝)を利用して“集まり”に出るつもりでいた。
 

先日、大船渡の避難所で5つのボランティアグループが偶然遭遇したのだが、そこに多数のMTF/MTX(CD?)の人がいた。それでこんなに多数が遭遇したのはレアだから、後日どこかで集まりませんか?という話をしていたのである。
 
6月29日(水)に横浜で「震災遺児を励ます会」という催しが開かれることになり、津波で両親・祖父母・姉を一気に失った青葉は招待されたので、28日の午後を早退してこちらに出てきた。
 
火曜日はあきらが勤めている美容室がお休みである。ケイもその日はオフだということだったので、28日の夕方、あの時遭遇したメンバーが若干の付き添いと一緒に川口市内のビストロに集まったのである。
 
(ずっと後から分かったことだが、ケイはまだ手術明けなのに6月中の避難所回りがあまりのハードスケジュールで体力的に辛すぎたので、当時ローズクォーツをもう辞める決意をしていたようである。28日も実は津田さんに頼んで予定をキャンセルしてもらい休んでいた。実質サボタージュだったようだ)
 

この日、出席したメンバーは下記である。
 
青葉、千里、桃香、あきら、小夜子、和実、淳、胡桃、ケイ(冬子)、マリ(政子)。
 
(小夜子はあきらの妻で妊娠中、胡桃は和実の姉)
 

千里は朝の練習が終わり、シャワーで汗を流すと、《すーちゃん》を分離して代理を頼む。先日ヨーロッパまでの移動を代わってもらったのと同様、今回もアメリカまでの移動を代わってもらうのである。
 
合宿所前に集合した時、千里の代わりに《すーちゃん》が来ているので、玲央美がニヤニヤして「あんたも大変ね〜」と言うと、《すーちゃん》は照れていた。
 
千里本人は予め千葉に行ってもらっていた《きーちゃん》と交代で千葉に飛び、桃香を誘って成田ではなく羽田に行き、富山空港から飛んできた青葉を迎えた。
 
富山空港14:50-15:55羽田空港
 
それで一緒にモノレールと京浜東北線で川口市まで移動した。
 
なお、千里は予め東北の方を向いて「安寿さん、お願いしまーす」などと言っておいたのだが、青葉に会う直前、16:00に男の子の身体に切り替わった。
 
(千里の身体の男女切り替え:正確には時間の入れ替え:は、安寿さんという東北在住の霊能者が計画して切り替えのプログラムコードを書き、実際の切替えは“八乙女”の誰かがしてくれることになっている)
 
普通、女の子の身体と男の子の身体が切り替わるのは午前4時なのだが、今日は朝の練習は女子の身体でしなければならず、夕方青葉に会う時は男の子の身体にしておかなければならないので、微妙な切り替えが必要だったのである。
 
千里はさっさと性転換してしまいたいよと思った。
 

この日川口市のビストロに集まったメンバーで戸籍上男性であったのが、青葉、千里、あきら、和実、淳、冬子、の6人だが、全員女性の格好をしている。生まれながらの女性であったのは桃香、小夜子、胡桃、政子の4人である。お世話をしてくれたビストロのオーナーと娘さんも(天然)女性なので、結局この時ビストロに居た12名が全て外見上は女性であった。
 
この時“ちんちんは何本あったのか”が後に、このグループではしばしば議論された。
 
冬子はこの4月にタイで性転換手術を済ませており、10月の誕生日が来たら戸籍の性別変更を申請する予定だったが、残りの5人は性転換手術の予定自体が無かった。
 
・・・というのが、各自の主張なのだが、政子やすぐ後にこのグループに参加して中心メンバーのひとりになった若葉などは、実際には、おちんちんは2本しか無かったのではと思っている。
 
和実→どう考えても高校生の頃までに性転換済み
千里→友人たちの話を聞く限り、小学生の内に性転換済み
青葉→どう考えても幼稚園くらいの内に性転換済み
 

そもそも青葉は幼稚園には女児の制服で通っているのである。これは本人もそう言っていたし、小さい頃からの友人である早紀も証言している。早紀は青葉の下着姿までは小さい頃から見ているが、おちんちんがあるようには見えなかったと言っている。
 
和実が高校生の時女子制服を着ていたのは和実の親友・梓や照葉たちが証言している。高校3年の時には、一緒に温泉に行って女湯に入っているし、修学旅行でも女湯に入っているので、その時には性転換済みだったのは間違い無いと梓は言っていた。
 
千里の小学3年生以来の親友である花和留実子は千里と何度もお風呂やプールに行っているものの、千里にはちんちんは無かったこと、千里が小学4年生の時以来、生理用ナプキンを使っていたことを証言している。だいたい千里は小学校で女子だけの合唱サークルに入っていたし、学習発表会の劇では白雪姫を演じているらしい。また留実子が友人から聞いたのでは、幼稚園の時に千里は巫女舞を扇の要(かなめ)の位置で舞っているという。
 
また冬子もこの年の4月に性転換手術をしたと主張しているものの、若葉も政子も「それ絶対嘘」と考えている。2人の見解によれば冬子も小学校の低学年の頃までには性転換済みである。冬子の従姉・明奈は冬子が幼稚園の時に一緒に温泉に入り、当時既に、ちんちんが無かったのを見たと証言している。またこの4月に冬子は性転換手術を受けると称してタイに行っているが、一緒に付いていった政子は、病院に入院したのは見ているものの、手術の日には病院に居なかったらしい。
 

この時のビストロでのおしゃべりでは、まず全員の性別を確認、連れで来ている人たちの関係(恋人とか夫婦とか姉妹とか)を多数決認定?した上で、性転換済みを公言している冬子が、随分と他の子に、さっさと性転換してしまおうと煽っていた。それで実際、和実と千里は性転換手術を考え始めたように見えた。青葉はこの時点でGIDの外来を受診しており、性転換に向けての治療を開始していた。
 
一方青葉は冬子が胸に入れているシリコンがひじょうに良くない状態にあるとして、除去することを勧め、実際冬子はこの集まりの直後に美容外科に行ってシリコンバッグを除去したのである。また性転換手術の跡もかなり酷い状態だったのをヒーリングしてあげて、そちらも随分楽になったと言っていた。このヒーリングはその後数ヶ月にわたって行われ、冬子の体調が回復した時点で、実はローズ+リリーは活動を再開することになるのである。
 
なお、桃香と千里の関係は、桃香は恋人と主張して千里は友だちと主張し、政子と冬子の関係も、政子は恋人と主張して冬子は友だちと主張していた。しかしこの時点でどちらのペアも、肉体関係を結んだことがあったのである。
 
淳は性転換したい気持ちはあるものの、少なくとも5-6年以上先だし、結局は性転換しないかも知れないと言っていた。
 
あきらは自分には女性志向は無いと主張。女性の服を着るのは単なるファッションと言っていたが、奥さんの小夜子は「子供が何人かできたら、もう男性器は用済みだから、取ってしまえばいいと思う」などと言っていたので、実際には彼女の男性器は、それまでの命だね、などとみんな言っていた。
 

ビストロで2時間ほど過ごした後、冬子のマンション(当時冬子は新宿区戸山の賃貸マンションに住んでいた)に移動して、夜通しおしゃべりする態勢になったが、そこでローズ+リリーの活動再開問題についても、色々意見が出ていた。
 
この時冬子は、あきらと小夜子の結婚に辿り着くまでの紆余曲折あった恋愛の話を聞いてLong Vacationという曲を書いた。この曲は、その後、出会いから結婚までに時間の掛かったカップルの結婚式で歌う歌として定着していくことになる。
 
深夜遅くになると“普通の生活”をしている人は、どんどん帰るなり眠っていく。この日帰ったのは、淳・胡桃・あきら・小夜子の4人で、ここに住んでいる冬子と政子の他に、青葉・千里・桃香・和実が残った。しかし桃香、政子に和実まで途中で眠ってしまい、最後まで起きていたのは、青葉・冬子・千里の3人だった。後から考えてみると、これはなかなか凄いメンツである。2020年前後の歌謡界を牽引することになる3人だ。
 
その3人も2時頃には寝た。
 
そういう訳で、この日千里は16:00から深夜2:00までの10時間、男性の身体でいたのである。
 

千里は実際に冬子のマンションで寝せてもらい、朝7時半頃
 
「バイトがあるので」
と、唯一起きていた冬子に声を掛け、まだ寝ている桃香や青葉を放置して、マンションを出た。そしてすぐに《すーちゃん》と位置交換してもらう。
 
日本の6/29 7:30はサンフランシスコの6/28 15:30である。ウォーミングアップの途中だったので、千里もそれで身体を温め、その後の練習に参加した。
 
この日の練習から、アメリカ在住で補欠として召集されていた海島斉江が合流。元チームメイトの鞠原江美子とハイタッチしていた。
 
彼女は世界と戦う場合、貴重な戦力となる182cmの大型ポイントガードであるが、現在U21チームの2人のポイントガードが安定しているので、出番が来る可能性は必ずしも大きくない。むしろこのチームでは「仮想敵ポイントガード」として貴重な練習相手になる。
 

さて、ケイのマンションで青葉が目を覚ましたのは、千里がもう出かけた後の8時すぎである。普段は朝4時頃に起きるようにしていたのだが、さすがに疲れが出たようである。
 
青葉はマンションのキッチンを借りて、この後起きてくるであろう人たちのために御飯を作った。それを作っている間に和実も起きてきたので、結局青葉・和実・冬子の3人で朝御飯を食べた。
 
「青葉料理のセンスいいね」
「でも私、絶対的な知識が不足しているんですよ。きちんと料理習ったことなかったから」
「ああ。そのあたりは少しずつ覚えていけばいいね」
 
和実がメイド喫茶に出勤して行くので青葉はそれにくっついてエヴォン神田店まで行った。和実がカフェラテとオムライスを作ってくれたのでそれを頂いた。お店に募金箱があるので、そこに1万円入れておく。
 
10時頃、お客さんが一段落したので、和実もコーヒーを持って青葉のテーブルに来てしばしおしゃべりをした。和実と青葉は6歳差なのだが、和実は敬語で話されるのは気持ち悪いと言って、ふたりの間ではタメで話すことにした。
 
(もっとも当時和実は青葉を高校3年生くらいと誤認していたらしい)
 
2人は震災当時のことをお互いに話した。和実が津波が来たので逃げていて、ふと後ろを見たら誰もいなかったということを話す。つまり和実より後ろで逃げていた人は全部津波に呑み込まれてしまい、和実はギリギリで生還したのである。
 
和実は本当に自分は助かったのか、疑問があると言った。
 
実はあの時自分は死んでいて、ここにいる自分は幽霊かなにかではないかと思ったりすると言う。すると青葉も自分も死んでいてもおかしくなかったと語り、ふたりとも死んでいたのなら、今自分たちは幽霊同士で話していることになるね、などという話をした。
 

この「生きているのか幽霊なのか」という問題については、後に冬子が2人が幽霊ではなく生きていることを保証できると言った。もし2人が幽霊なら、その2人と普通に会話していて、仙台の放送局で被災した自分も幽霊だ。だとすると日本中の何十万人もの人が幽霊の歌を聞いていることになり不合理。だから冬子が生きているなら、和実や青葉も生きている、と冬子は言った。
 

和実は昨日青葉がビストロで言った“予言”を話題にした。
 
「あの場にいた人全員に子供ができると言ったよね?」
「そんなこと言った気もする」
「全員ということは、ビストロのオーナーや娘さんも?」
「そうだと思う」
「冬子さんは生殖器を取ってしまっているけど、それでもできる?」
「・・・できる」
青葉は一瞬意識を彼方に飛ばして確認して言った。
 
「私にも子供できるのかな?私の睾丸は既に死んでいるけど」
「和実にも子供はできると思う」
「だったら青葉にもできる?」
「私に!?」
「だって青葉もあの場に居たんだから」
 
それは青葉の想定外のことだった。その問題について、青葉の守護霊は何も語らない。
 
「あはは・・・・産んでみたいなあ」
と青葉は言った。
 

12時をすぎるとお客さんが増え始めたので、会計を済ませてエヴォンを出た。山手線で東京駅に移動し、新幹線で新横浜まで行く。新横浜駅近くにある横浜エリーナで開かれる「震災遺児を励ます会」に出席する。
 
会は14時半に始まり、お偉いさんの挨拶があった後、地震の起きた時刻 14:46 に黙祷を献げる。その後、阪神大震災で親を失った人のスピーチがあった。彼は友人の親に支援してもらって大学を出て現在は外務省に勤めているということであった。自分の経験を交えて励みになるようなことを色々言っていた。
 
その後は中高生に人気(らしい)FireFly20が登場して30分ほど演奏する。が、口パクである。そして流れているのはCD音源であるにも関わらず青葉は参ったと思った。それで眠った! 青葉のように音感の良い子にとって、音の外れた歌は騒音でしかないので聴いているのは苦痛なのである。
 
その後は横浜市内の複数の高校の吹奏楽部の合同編成による演奏が披露された。これは素晴らしい演奏だったので、青葉も熱心に聴いていた。
 
イベントが終わったのは16:00頃だった。青葉は千葉の桃香のアパートに移動するが、途中で食材を買っていく。ちー姉は忙しそうだし、桃姉はあまり料理とかしないみたいだし、などと思う。
 
実際アパートに行くと、ふたりとも戻っていない。青葉は預かっていた合い鍵で中に入ると、まず物凄く散らかった室内を見る。
 
「うーん」
と声をあげて腕を組み、食材は冷蔵庫に入れて、料理より先に掃除をしようと思った。
 
御飯を研いで少し浸水させ、10分ほど経った所でスイッチを入れる。その間にお部屋の片付けをする。“おとなのもの”を見てギクッとするが(青葉はこういうものには無垢である)、見なかったことにして、適当な場所に移動させておいた。
 

20時頃、千里が帰って来た。
 
「すごーい。きれいになってる」
「勝手に掃除しちゃったけど」
「助かる助かる。最近私も忙しくてほとんどアパートに戻ってなかったしね」
「アパートに戻らない時はどこで寝るの?」
「私はファミレスの夜勤のバイトしてるから、夜はファミレスで過ごすことが多い」
「あ、そうか!」
「実際には夜中はあまりお客さんも来ないから、その間に厨房の隅で勉強しながら、自然に眠ってしまう。お客さんから呼ばれたら目が覚めるし」
「けっこうハードな仕事という気がする」
「でも夜勤は大学の勉強と両立できるからいいんだよ」
「そっかー」
「まあ体力はいるけどね」
「やはり体力いるよね!?」
 

「桃姉は遅いのかな?」
「多分今夜は帰ってこないよ」
「そうなの!?」
「誰かガールフレンドの所に泊まると思う」
「ちー姉、それ平気なの?」
「青葉何か誤解している気がするけど、私と桃香の関係はただの友だちだから」
「ほんとに!??」
 
「ただ、桃香も私も青葉の“お姉ちゃん”だから、結果的に私と桃香も姉妹だね」
と千里は微笑んで言う。
「だから青葉が私と桃香を結びつけているんだよ」
「あぁ・・・」
 

結局、晩御飯は千里と青葉で協力して作り、一緒に食べた。
 
青葉はこの日、彪志と嵐太郎の間で揺れている自分の心のことを話した。千里はじっと聴いていたが、やがて言った。
 
「青葉はもう自分でその結論を出していると思う」
 
青葉も考えてから答えた。
「もしかしたら、そうかも」
 
「きっと近い内に、明確に決めることになると思うよ」
と千里は笑顔で言った。
 
千里がそう言うと、青葉も本当にそうなりそうな気がした。
 
23時頃になると千里は、
 
「ファミレスのバイトがあるから行くけど、勝手に寝ててね」
と言って出かけて行った。それで青葉もこの日(6月29日)は24時頃には寝た。
 
(日本時間の20-23hはサンフランシスコの朝4-7h。なお千里のファミレスのバイトは火木土なので、本当はこの日はバイトが無い。しかしこの時期の青葉はそのようなことをまだ知らない)
 

6月30日(木).
 
青葉が“普段通りに”朝4時に起きると、朝御飯が作ってあって《青葉》、《桃香》と名前札まで書いてあるので、びっくりする!
 
「ちー姉、一度帰って来たのかな?全然気付かなかったけど」
と思ったものの、電子レンジで暖めて食べた後、軽くジョギングをしてきて汗も流した。
 
この日の午前中は、東京在住の霊能者・中村晃湖さんと連絡が取れたので、会って、震災で自分は無事であったものの、両親・祖母・姉を亡くしたことを話した。中村さんは
 
「辛かったでしょう」
と自分も涙を流して言ってくれて、青葉のヒーリングまでしてくれた。
 
菊枝は事実上の自分の師匠でもあるが、微妙なライバル意識もあるのに対して、中村さんの場合は、全てを包み込んでくれるような、いわば母のような優しさを感じてしまった。中村さんのヒーリングは青葉と同じ気功系のものだが、とても優しい波動だと思った。
 
中村さんは食品の味とかを変えるのも得意と言って、その場でパンの味を変えて見せた。
 
「凄く美味しくなった!」
「まあ、これは余技だけどね」
 
ヒーリングの後も1時間くらいお話をした。
 
「お母さんの遺体もおそらく1ヶ月以内には見つかると思う」
と中村さんは言った。
 
「そうですか。。。。母の遺体が見つかっても見つからなくても8月くらいまでには本葬儀をしようかなと思っていたんですよ」
 
「本葬儀の時は連絡して。私も行くから」
「お忙しいのに!」
「仕事は弟子に押しつけて行くから大丈夫」
と中村さんは微笑んで言っていた。
 

午後は都内ББ寺の住職をしている瞬法さんの所を訪れた。
 
アポイントなど無しで訪れたのだが、受付の若い僧が
「お待ちしておりました」
と言って、案内してくれた。青葉が来ることがちゃんと分かっていたようである。
 
瞬法さんは
「まあ読め」
と言って、青葉の前に華厳経を置いた。
 
それで読んでいたら、ぼろぼろ涙が出てきた。
 
善財童子はそのまま迷える自分だという気がした。
 
「お前は、色々なものを内に溜めてしまいがちだ。お前を支えてくれる者はたくさん居ることを忘れてはならない」
 
と瞬法さんは言った。
 
今回の震災のこと、家族を失ったこと、など何も言っていないのに、全てお見通しであったようだ。
 
この人も別の意味で自分より遙かに大きな人だなあ、と青葉は思った。
 

その日千葉のアパートに戻ったのは18時頃であるが、千里はもう帰っていた。
 
「今御飯作ってるから、テレビでも見ててね」
「うん」
 
この日は19時頃になって桃香が戻ってくる。
 
「桃姉、これ遅ればせながら誕生祝い」
と言って、紙袋を渡す。
 
「おっ。これはコムデギャルソンではないか?」
「あまり高くないものでごめんね」
「いや、嬉しい嬉しい。誕生日プレゼントなんて初めてもらった」
と桃香は言っている。
 
「それあまり女の子っぽくなくてユニセックスだから、桃姉も使えるかなあと思って」
「そうそう。私はあまり女っぽいものは使わないのだよ」
「いつもメンズのバッグ持ち歩いているね」
「落とした時に『お兄さんのですか』とか訊かれる」
「桃香自身がお兄さんに見えたりして」
「それもある!」
 

それで3人で晩御飯を食べた。青葉は桃香と千里の様子を観察していたのだが、確かに桃香は千里を恋人、というより奥さん!?のように扱っており、千里は桃香のことをあくまで仲の良い友だちと扱っている感じなのが分かった。
 
どうも桃姉の誕生日にプレゼントしたりとかもしてなかったようだし。
 
つまり桃姉の片思いなのかなあ。。。
 
と考えてから、桃香が昨夜は別のガールフレンドの所に泊まったらしいことを昨日千里から聞いたことも思い出す。
 
うーん。。。桃姉にとっても本命という訳ではないのだろうか???
 

その日の夜は、千里が《日本一周特急ゲーム》なるボードゲームを出してきて3人でずっと遊んだが、これがなかなかハマって楽しかった。
 
千里は冷凍していたクッキー生地を焼いておやつに出したが、これがまた美味しい。
 
「こういうの作れるっていいね」
と青葉が言うと
「この手のものって、レシピは簡単だから覚えるといいよ」
と言い、
「これ、あげる」
と言って、中高生向きのお菓子作りの本を渡してくれた。
 
なんか装丁にしても、中のイラストなんかにしても可愛い!
 
「可愛すぎてクラクラくる」
と青葉が言うと、桃香も
「ダメだ。私はこういう可愛い本には拒絶反応を感じる」
などと言っている。
 
「心から女の子になりたければ、このくらいの本は普通に読めなきゃね」
などと千里は笑って言っていた。
 

「しかし千里は、中高生頃に、こういう本を読んでいたのか?」
と桃香が訊く。
 
「小学4−5年生の頃から、友だちと一緒にこの手の本を読んで色々
作っていたよ。バレンタインのチョコをみんなで一緒に作ったりしてたし」
と千里は平気で答える。
 
「それって女の子の友だちだよね?」
「男の子がこういうのするわけない」
 
「千里、ひょっとして私と会う以前から、かなり女の子していたとかいうことはないか?」
「まさか」
 
「どうもそのあたりは今まで誤魔化されていたような気がしてきた」
「ふふふ」
と千里は軽く笑ってから
「一昨日の夜は、みんな自分の過去の生活について嘘ばかり言っていたね」
と言った。
 
「え!?」
 
「特に嘘が酷かったのが、冬子、和実、青葉だな」
 
「え〜〜!?」
 
「冬子もローズ+リリーを始めた時にいきなり女装させられたのが、こんなになってしまったきっかけなんて言ってたけど、あの子、実は小学生の頃から、女の子モデルとして活動していたから。知ってる人は少ないけどね」
 
「嘘!?」
 
「だから性転換手術もずっと前に受けているはずだよ」
「でも、青葉が手術跡をヒーリングとかしてなかった?」
「もしかしたら、あまりにも若い頃に性転換したから、今あらためて造膣だけやったのかもね」
 
「ああ、それならあり得るかも」
と青葉も言った。
 

千里はこの日も「バイトがあるから」と言って、23時頃、出て行った。出て行く時に桃香に
 
「青葉を襲ったりするなよ」
と言っていた。
 
え〜〜!?私襲われたらどうしよう?と青葉は一瞬思ったが
 
「大丈夫。さすがに女子中学生には手を出さない」
と桃香は言っていた。
 
私が中学生じゃなかったら手を出すってこと!??
 
青葉は一抹の不安を感じたので、寝る時に眷属の《海坊主》に言った。
『万一の時は私を守ってね』
 

7月1日(金)。
 
青葉がいつものように朝4時すぎに起きると、千里姉がいるのでびっくりする。
 
「あれ?青葉起きたんだ?」
「ちー姉、戻ってきたの?」
 
「このくらいの時間帯はお客さんが少ないから、スタッフの人数も少なくて大丈夫なんだよ。それで少し抜け出してきた」
「へー!それで昨日も朝御飯作ってくれたんだ?」
 
それで千里が作ってくれた朝御飯を一緒に食べた。こんな時刻に起きる訳がない桃香の分はラップを掛けて置いておく。
 
「昨夜は無事だった?」
「無事みたい!」
 
千里はお店に戻るからと言って、5時頃スクーター(中古というより大古のホンダ・ディオチェスタ)で戻って行った。このアパートからお店まではスクーターなら4〜5分で行けるらしい。
 
(日本時間の朝4-5時はサンフランシスコでは12-13時でお昼休みの時間である)
 

千里姉が出ていった後は、4月にこちらに来た時以来ずっと気になっていたことを確認しようと思い、少しアパートの近くを歩き回ってみた。
 
「なんかここ凄いな」
と独り言を言う。
 
アパートの周辺は風水的にあまりよくない環境である。実際、気のよどみのようなものを感じる。眷属たちが緊張しているのも感じる。アパートは8棟ほど並んでいるが、桃香と千里が住んでいるアパートの棟だけが、とてもクリーンなのである。
 
なぜそのようになっているのか確かめてみたかったのである。
 
周囲を歩き回って、この棟を含む帯のような領域がクリーンに保たれていることが分かった。
 
「こちらかな」
と見当を付けて歩いて行くと大きな道に出る。
 
「あれか!」
 
道路沿いにお地蔵さんが祀られている。そのお地蔵さんが、悪い空気を堰き止めてくれているようなのである。それでそこを出発点とした釣り鐘状の領域が守られていて、クリーンに保たれているようだ。
 
これは昔からあるものだろうか、それとも誰かが作ったものなのだろうか。青葉は判断をしかねた。
 

アパートに戻ってくると、青葉が2階に上る階段に足を掛けた時、1階の端の部屋から、80歳くらいになるだろうかと思う、お婆さんが出てきた。お婆さんは、白い装束を着て数珠を手に持っている。頭には女山伏がかぶるような頭襟(男山伏がかぶるようなもの:カラス天狗がつけてるもの:とは違い、ナースキャップに似ている)をつけている。
 
お婆さんは、青葉の方を見ると、ビクッとした顔をした。
 
「あんた、何者?」
「え!?」
 
「あんた、物凄い霊能者だね。眷属さんまで連れている」
 
それを一瞬で見抜いたというのは、このお婆さんもかなり凄い人だ。確かにオーラはかなり強い。
 
「お姉さんもかなりの使い手とお見受けしました」
「私は、孫娘を訪ねて田舎から出てきた所なんだよ」
 
「そうでしたか。私は、川上青葉と申します。富山県から姉の所に出てきました」
「私は、山形から出てきた藤島月華(つきか)」
 
「取り敢えず握手しない?」
と藤島さんは言った。
「はい、よろしくお願いします」
と青葉は言った。
 

「ここの結界は、もしかして藤島さんがお作りになったんですか?」
「ああ、この結界はなんか最初からあったんだよ。それでここ家賃も安いし、この棟なら安心と思って、孫娘を住まわせているんだよね。今朝はもうバイトに出てしまったけど」
 
「へー!ここ安いんですか?」
「うん。共益費込みで6000円だよ。2DKなのに」
「そんなに安かったんですか!?」
 
それなら桃姉好みだよなあ、と青葉は思った。桃香はとにかく安いものなら何でもよいという性格である。桃姉の困った所は安ければ品質を問わないことである!
 
「でもこの結界、なんか人間業とは思えないよね。こんなもの作れるのはたぶん日本で五指に入るような物凄い法力を持つ山伏か何かだと思う」
と藤島さんは言った。
 
「山伏か・・・」
「なんかそういう臭いがしない?」
「そう言われてみれば修験道っぽい気もしますね」
 
と言って、青葉は腕を組んだ。
 
青葉は藤島さんと携帯の番号を交換したいと言ったのだが、藤島さんは携帯電話なるものを所有していないらしい! それでお互いの住所を紙に書いて交換した。藤島さんは自宅に電話も無いらしい!
 
「また会いたいね。川上さんは時々出てくるの?」
「はい。年に何度か出てくることになると思います」
「私も年に2回くらいは出てくるんだけどね。夏の大祭とかあるから帰らなくちゃ」
「新幹線ですか?」
「いや、歩きだよ」
 
「山形まで!?」
「うん。一週間もあれば着くよ」
「それは、お気を付けてお帰り下さい」
 
「うん。じゃ、またね」
 
それで藤島さんは歩いて去って行った。その歩くスピードが凄い!と青葉は思った。
 

7月1日の午前中は、東京に出て、山手線を一周してみたり、西新宿の高層ビル群を見て、空間が歪んでいるのを楽しんだり!した。
 
完璧な「おのぼりさん」である。
 
13:30(サンフランシスコは前日21:30で練習が終わった所)、都内某所で千里と待合せする。それで一緒に雅楽器を扱っているお店に行った。
 
龍笛を買いたいと言って見せてもらう。
 
樹脂製の安い物(五千円)、花梨製や合竹製の3〜7万円のもの、人工煤竹の15〜30万円のものとある。
 
「天然煤竹のものは置いてないですか?」
と千里が訊いた。
 
「それは材料がなかななか手に入らなくて、予約も一杯なんで、店頭には置いてないんですよ。予約して頂いても実際お渡しできるのは数年後だと思います」
とお店の人は言っていた。
 
千里はそういう状況なら、自分の龍笛(高校に入った時、貴司の母・保志絵が買ってくれたもの:代金は結局払っていない)はかなりレアなものだったのではという気がした。
 

なお、ここで合竹(ごうちく)とは、竹の集成材である。同じ合竹という字を書いても「あいたけ」と読めば、笙の重音演奏の意味になる。人工煤竹というのは、新しい竹を人工的に燻製にして!乾燥させ、結果的に煤もたくさん付着させたものである。燻竹(くんちく:いぶしだけ)とも言う。中でも風呂釜の上部に長期間置いて乾燥と煤付けをしたものは品質が良いと言う。
 
(なお「人工煤竹」と称するものの中には、煤竹に似た色合いが出るように染料で染めただけのものもある。染煤竹と書かれている場合も。インテリアとして使用されているものはほぼ100%染煤竹)
 
千里が持っている龍笛の素材、天然煤竹は古い民家で、囲炉裏の天井にあって何十年も掛けて囲炉裏の熱で乾燥するとともに煤がついた竹を素材としたものである。同じようなものを本当に作るには数十年必要である。
 
あの龍笛の値段を保志絵さんは40万円と言っていたが、本当に40万円で買えたとは思えない。ひょっとすると、個人的に実際、長年煤を浴びた古い囲炉裏のある民家を知っていて、そこから材料を調達して、制作してもらったものかも知れない。それで値段が付けられないので適当に40万円と言っていた可能性もあると千里は思う。
 
千里が持っている龍笛について笛に詳しい《きーちゃん》は、竹自体の年数は80-90年経っていると言っていたので、多分ほんとうに天然煤竹なのだろう。《きーちゃん》自身は普段は花梨製の龍笛を使っているが、150年くらい使っているものだと言っていた。500年ほど使っている竹製の龍笛も持っているらしいのだが、千里は見たことがない。
 

さて、青葉は、あまり裕福には見えない千里と桃香が買ってくれるということもあって3万円の花梨製のものを選択した。実は震災で失われた、曾祖母の遺品でもあったという龍笛も花梨製だったらしい。
 
実際の展示されている個体を見てみて、青葉は最も「固有振動」の美しいものを選んだ。千里が思わず頷いてしまったので、青葉は
 
「ちー姉もこれいいと思った?」
と尋ねる。
 
「うん、なんか美しいと思ったよ」
と千里が言うと
 
「私もこれ波動が美しいと思ったんだよ」
と青葉も答えた。
 
それで買って、千里は現金で支払った。
 
「ありがとうね。その内お金は返すから」
「返す必要はない。私たちが買ってあげたんだから。まあ少し遅くなった誕生日のプレゼントということで」
 
「そう?じゃ本当にもらっておくね」
「うん」
 

千里は用事があるということでいったん別れる。18:00に再度会うことにする。
 
それで青葉は、それまでの時間、東京タワーに行き、展望台からの景色を楽しんだり、蝋人形館を見たりして完璧に「おのぼりさん」として時間を過ごした。
 
(千里は実際にはその間寝ていた!)
 
夕方18:00(サンフランシスコは深夜2時)に、千里・桃香と待ち合わせる。
 
まずは夕食を取る。夕食は新宿の少しおしゃれなレストランで取ったが、千里が予約を入れてくれていたので、金曜日の夕方で混雑しているのにすぐ座ることができた。
 
料理もオーダー済みだったのでメニューも見ていない。
 
「何か少し高そうな気がするのだが」
と桃香が言っているが
 
「バイト代入った所だから、私がおごるから気にしないで」
と千里は言っていた。
 
(実際に千里は月末に印税を受け取ったばかりである)
 
青葉は千里が毎晩深夜にバイトをしているようなので、龍笛も買ってもらったのに、こういう高そうなレストランでおごってもらって悪いような気もしたのだが、ここはおごられておくことにした。こういうのを遠慮しないくらいには青葉も朋子や桃香たちに鍛えられてきた。
 
料理はとても美味しかった。盛りつけや素材の組合せが、青葉の経験したことのないようなもので、都会のレストランって、センスが凄いなあと思った。
 

食事が終わった所で、千里はバイト先から呼ばれたと言って先に帰る。千里は夜間店長なんだよと桃香が言っていた。そういう肩書きが付いてると大変なんだろうなと青葉は思った。
 
それで桃香と一緒に、21時前に東京駅に移動した。ここでお土産や夜食・朝食!用のお弁当やパンなどを買う。
 
青葉が乗る列車は、列車は22:00発の寝台特急・サンライズ出雲である。千里は帰ってしまったものの、桃香が出発をお見送りしてあげると言っていたのだが、その桃香に電話が入る。
 
「どうしよう?」
と桃香が言っている。
 
「どうしたの?」
「バイト先からなんだけど、風邪引いて休んだ人が3人も居て、今夜のスタッフが足りないらしい」
 
桃香は電話受付のバイトをしているらしい。
 
「私はひとりで大丈夫だよ。行って」
 
「うん。じゃ悪いけど、行くね。青葉気をつけてね。夜は冷えるから充分着込んで寝たほうがいいよ」
と言って、桃香は青葉にホッカイロも渡してから、バイト先に向かった。
 

なお千里の「男性時間」であるが、6/28 16:00-26:00(10h) 6/29 20:00-23:00(3h) 6/30 18:00-23:00(5h) 7/1 4:00-5:00 13:30-15:30 18:00-21:00(6h) ということで、4日間でちょうど1日分使用された。
 
調整に悩んだ安寿さんも、切り替えてくれた奈美さんも、ありがとうございました、と千里は東北方面を向いて御礼を言った。それから、サンフランシスコに戻った。
 
なお6月30日の朝御飯は、実際には女性体の千里が葛西のマンションで作ったものを千葉のアパートに持ち込んだものである。千里は料理を置くだけですぐ帰ってしまった。女性体のまま千葉のアパートで作っていると、青葉に見られた時、変に思われる。
 

さて、青葉はその後、ひとりでホームで待っていたのだが、桃香が言っていたように、確かに夜は冷え込む。青葉は暖かいコーヒーが飲みたくなった。
 
それで荷物は置いたまま《海坊主》に見張りを頼み、下に降りて自販機を探していたら、バッタリと彪志に遭遇する。
 
「青葉、こんなとこで何してんの?」
「彪志こそ、こんなとこで何してんの?」
 
青葉は東京に出てきてイベントに出席し、その後、出雲の知り合いの所に向かうところだと言った。彪志は岡山に法事に行く所だということだった。
 
ところが彪志は急に飛び出してきたので、実は東京から岡山までに行く便が無くて困っているという。
 
「出がけに乗換案内見たら、新幹線で東京まで出てきたら、その先岡山に6:27に着く連絡があるように思ったんだよ」
 
「それはサンライズ出雲・瀬戸を使う連絡だけど、彪志切符は?」
「席は全部埋まっていて空きが無いと言われた。俺、てっきりその連絡、新幹線だと思い込んでいて。だから自由席に乗っていけばいいと思っていたんだよ」
 
「夜中に走る新幹線は無いよ」
と青葉は最近仕入れた知識で答える。青葉は新幹線などというのはこれまで無縁の乗り物だった。
 
「そうなんだよね。さっき21:20に出た新大阪行きに乗るべきかどうか迷ったんだけど、新大阪まで行ってもどうしようもないし。新大阪駅は夜間閉鎖するから、中で夜は過ごせないしね」
 
「サンライズのチケット、私持っているよ」
「え!?」
 
「さっき行ったように、私、出雲の知り合いの所に行くところだったから、サンライズ出雲の切符を持っているんだよ」
 
「でもそれ青葉が使わないと困るでしょ?」
 
「ところが私が持っている切符って、シングルツインという不思議なチケットでさ、ツイン仕様の部屋なんだけど、1人でも利用できるんだよ。だから、私その部屋に1人で乗っていくつもりだったんだけど、彪志、特急券だけ買えば私と一緒にその部屋に乗っていけるよ、岡山まで」
 
彪志は驚いていたが、少し考えるようにしてから言った。
 
「でも個室なんだろう?青葉と俺と一緒に乗っていいの?」
 
すると青葉は思わず笑って言った。
「検札に来たら私のお兄さんって顔してればいいよ」
「お兄さんか・・・」
「お姉さんでもいいけど、私の服貸してあげるし」
「それは無理がある」
 

それで2人は、みどりの窓口に行き、青葉が持っているシングルツインの指定券と出雲市までの乗車券を提示した上で、同じ部屋に“自分の兄”が岡山まで同乗していくことになったので、東京−岡山間の特急券を発行して欲しいと言った。
 
彪志も自分の持つ岡山までの乗車券を提示する。それで特急券を発行してもらえたので、ふたりはこの夜、個室寝台の同じ部屋で一緒に夜を過ごすことになったのであった。
 
 
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【娘たちの震災後】(4)