【娘たちの震災後】(2)

前頁次頁目次

1  2  3  4 
 
そういう訳で青葉は4月25日から高岡で女子中学生として地元の中学校に通い始め、千里と桃香は25日の夕方高岡を発ち、26日に長野市で採精をしてから千葉に戻ることにしたのだが、別れ際に青葉は千里に頼み事をした。
 
「お数珠のいいのを見つけたら買って送ってくれない?玉が108個あるやつ」
 
青葉は震災で亡くなった家族や友人たちのため、毎日般若心経を108回唱えたいので、そのカウントに数珠が欲しいと言ったのである。
 
「OKOK。適当なのを見繕って送るよ」
と千里は青葉に笑顔で答えた。
 
4月26日の朝一番、長野市で採精をした後、千里は桃香に
「悪いけど、青葉に頼まれた数珠を買っていくから、先に帰っておいて」
と言った。
「長野にいいの売ってる所があるの?」
「ちょっと東北方面なんだよね」
「へー」
 
それで桃香と長野駅で別れた。
 
実際には千里は夜中の内に《りくちゃん》に鶴岡に飛んで行ってもらっていたので、彼とポジション交換で鶴岡の羽黒山麓・随神門の所に移動し、そこから遊歩道を30分ほどで駆け上がり、その日は厳島神社の所に居た美鳳さんの所に行った。
 

「昨年預かって頂いていた数珠玉ですが、そろそろできあがっていませんか?」
と千里は訊いた。
 
「昨日できあがった所だよ。これを渡すね」
 
と言って、美鳳はローズクォーツ、グリーンアメジスト、藤雲石(薄紫色の水晶)の数珠を渡した。
 
「千里は藤雲石の数珠を使いなさい。青葉にはローズクォーツのを渡して。そしてグリーンアメジストは桃香に」
 
「正直な話、私は神社体質だから数珠ってよく分からないんですけどね」
 
「ローズクォーツを持つ青葉が前線の戦闘員なんだよ。藤雲石の千里はそのバックアップ。だから、ローズクォーツの数珠が消耗していたりした時は、千里の数珠からパワー充電してあげればいい。千里の数珠までやられた場合は桃香の数珠から充電する」
 
「じゃ私は充電要員、予備バッテリーですね」
「そうそう。千里は巨大バッテリーだからね。まあ桃香の数珠まで起動することになる事態は、めったに起きないとは思う」
 
「でもバックアップがあることを知っていれば心強いです」
「そういうこと」
 

それで千里は美鳳に御礼を言い、この場には居ないものの、この工作をしてくれた佳穂にも御礼を言っていたと伝えて欲しいと言って、羽黒山を降りた。そして随神門の所で、再度《りくちゃん》と入れ替わる。千里が遊歩道を往復して美鳳に会っている間に《りくちゃん》は東京に移動していたので、千里は東京に来る。それですぐに佐川急便の営業所に飛び込むと、美鳳からもらった3つの数珠の内、ローズクォーツの数珠を箱に入れて発送した。
 
なおグリーンアメジストの数珠を
「これ3人で色違いのお揃い、3人姉妹の証」
と言って桃香に渡したものの、桃香は
「そんな大きな数珠は私には扱えん」
と言って机の引き出しに放り込んでしまった。
 
「千里はそれ扱えるの?」
「まあ持っておくだけなら問題無いね」
 
それで結局桃香はダイソーの100円の数珠を法事などには使用していたようである。
 

 
2011年4月29日(祝)から5月7日(土)までU21の第四次合宿が行われた。本当はこの日程は第五次合宿になる予定だったが、3月12-14日に予定されていた第四次合宿が震災のため中止になったので1つずれてしまった。
 
合宿所に行ったら、千里はいきなり玲央美からお尻を蹴られた。
 
「何するの〜?」
「こないだのA代表の合宿をサボった罰」
 
代役はもちろん玲央美にはバレている。
 
「だって、全然練習にならない合宿だったし」
「それはそうだけど、広報も代表選手の大事な役目だよ」
「私は練習していたい。でも実はサボったおかげて、面白い子と出会ったんだよ」
「へー!」
 
「その子と姉妹の契を結んだ」
と千里が言うと
 
「姉妹の契って、レスビアンのこと?」
などと玲央美は言う。
 
「そういう意味じゃないよー。ほんとに姉妹。向こうは女子中学生だし」
「ほほぉ」
 
「ただし戸籍上は男の子なんだよ」
「へー!身体は?」
「おっぱいは大きくしているけど、下はさすがに中学生だから何もいじってないと言っている。でも睾丸の機能は停止しているらしい」
 
「でも千里は小学生の頃に性転換したんでしょ? サーヤ(花和留実子)が証言していたし」
 
「うーん。。。サーヤとは色々組んで悪いことしているからなあ」
 

先日のA代表・大村合宿は、玲央美とも話したように、合宿とは名ばかりのただの広報活動であったが今回のU21の合宿は、いつものように中身の濃い本格的な合宿である。
 
篠原HC・高田ACの厳しい声が飛ぶ。特に緩慢なプレイなどすると
「コートの回り3週!」
などと言われる。それで王子は随分走らされていた。
 
今回の合宿で練習相手になってくれたのは、昨年9月にも相手をしてくれたW大学の男子チームである。前回の篠原チームの練習の凄さを見ているだけに今回は向こうもかなり気合いを入れてきてくれた。
 
それで休憩無しの濃厚な練習が続く。今回はそういう練習に慣れている子ばかりなので、弱音を吐く子もいない。
 
結局はやはりW大学男子の方がバテて
「ごめん。少し休ませて」
と言って休憩を取る場面が多かった。
 
むろん彼らが休んでいる間も、U21女子は1on1をしたりシュート練習をしたりなど、ひたすら練習である。
 
さすがに濃厚な練習が終わった後は、各自の部屋でみな爆睡していたようであった。
 

2011年5月1日(日)。
 
千里に扮してファミレスのバイトをしている《てんちゃん》(千里D)は芳川店長から呼ばれた。
 
「実は今、火曜・木曜の夜間店長をしている佐々木君が退職するんだよ」
「あら、そうですか。佐々木さんは結構長かったのに。私もだいぶ指導してもらいました」
 
「それでね。その後任の火木の夜間店長を村山君に頼めないかと思って」
「それ、無理ですー。私は未熟ですし」
「そんなことはない。1年半も勤めている子はベテラン」
 
確かに人の入れ替わりが激しいもんなあと《てんちゃん》は思う。
 
「何も難しいことを頼む訳ではないよ。今までと同じように勤務して、後輩から何か尋ねられたら教えてあげればいいだけだし」
 
「それだけでいいんですか?」
「そうそう」
 
「だったら、今まで通りのことしかできませんよ」
「うん。充分それでいいよ」
と芳川さんは笑顔で言った。
 

5月8日。ゴールデンウィークを利用して岩手・青森・高知と駆け回っていた青葉が千葉に寄ってから高岡に戻るということだったので、千里は8日朝合宿所を出ると千葉の桃香のアパートに行った(合宿は7日夜遅くに終わっている)。
 
なお千里は8日朝からまた男の子の身体に戻っていた。
 
セーラー服姿の青葉は先日見た時より随分顔に表情が出るようになっていた。東北と高知のお土産を桃香に渡す。
 
「一関のごますり団子、八戸の南部煎餅、高知の土左日記」
「おお、ごますり団子好きだ!」
「八戸・高知はそうそう行かないけど、一関・大船渡は頻繁に行くと思うから、好きならまた買ってくるよ」
 
「よろしく、よろしく。ついでに大船渡なら酔仙の大吟醸を」
と桃香は言うが
「酔仙は津波で壊滅したんだよ」
と青葉は言った。
 
「津波でやられたかぁ」
「でも社長さん、必ず再建すると言っている」
「おお、それはぜひ期待しておこう」
 
などと言っていたのだが
 
「そもそも中学生が日本酒は買えない」
と千里が指摘する。
 
「そのあたり適当に年齢を誤魔化して」
と桃香。
「さすがに20歳以上には見えない」
と千里。
「そうだなあ、私服なら18-19に見えないこともないが」
と桃香。
「無茶言ってる」
と千里。
 
青葉は千里と桃香のまるで漫才のようなやりとりを楽しそうに見ていた。桃姉って、どうも天然のボケっぽい、と青葉は思った。
 

明日また精子の保存をするということで、青葉はこの日も千里の睾丸を超活性化してくれた(それで武矢が異常に元気になり、千里は生理痛に似た頭痛を味わうことになる)。
 
青葉はこの日(5月8日)夕方電車で新宿まで行き、夜行バスで高岡に帰還した(その帰る途中で嵐太郎の襲名披露のパンフレットを見ることになる)。
 
千里と桃香も新宿まで一緒に行ってお見送りしたのだが、青葉は「お見送り」をしてもらうのが初体験だとか言って、泣いていた。
 
この時期の青葉は千里や桃香から見ると、いつも嬉し泣きをしているイメージだった。
 
青葉を送った後、千里は
「ごめん。ちょっと用事があるから」
と言って桃香と別れる。
 
「明日の朝までには戻って来る?」
「直接水浦産婦人科9時とかでもいい?」
「いいよ」
「でも桃香寝過ごさないでね」
「それだけが不安だ」
 

千里は実際には、青葉がバスに乗り込んだ直後、青森に予め行っておいてもらった《せいちゃん》と入れ替わりで、発車直前の《はまなす》に乗り込んだ。
 
青森22:42→6:07札幌
 
《はまなす》で隣に座っていたのは50代くらいの女性だったが、千里を見てビクッとした。
 
「あれ?あなたずっとここに座っていた?」
「ええ、そうですけど」
と千里は答える。
 
「いや、さっきまでここには男の人が居たような気がして」
「ああ。私、今、性転換してきたんですよ」
「え!?そうなの?」
 
女性は実際にはお父さんかお兄さんが荷物を持ってきてくれていたのだろうと思ったようであった。
 
「でも夜行列車の隣が男の人だと緊張しちゃうから、女の子で助かった」
「ああ、私も同性の方が気楽です」
 

千里は、そのまま《はまなす》の車内でぐっすりと眠り、翌朝札幌に到着。すぐにタクシーで玲羅のアパートに行った。
 
「おはよう」
「おはよう。今起きた」
 
「今日入学式だね。4年間頑張ってね」
「うん。私、英語とか数学とかはダメだけど、音楽は少しは頑張れる気がする」
 
玲羅の大学では震災の影響を考慮して、入学式が1ヶ月延期され、今日5月9日が入学式なのである。
 
「これ良かったら朝御飯に」
と言って、札幌駅で買ってきたお弁当を渡す。
 
「さんきゅ、さんきゅ」
 
「それから、これ遅くなってごめんね。練習用のフルート」
「わあ、ありがとう」
 
「ヤマハの白銅製フルート。まあ安物だけど、それで物足りなくなった頃に、もっといいのを買ってあげるよ」
「じゃ、飽きない程度に頑張らなくちゃ」
 
「他にも必要な楽器があったら言ってね」
「うん。頑張るね。ついでにご祝儀とかないよね?」
 
「あっと、忘れる所だった。はい」
と言って、ポチ袋を渡す。
 
「さんきゅー。助かる」
「授業料はそれ専用の口座を作ってくれる?そこに振り込むから」
「ああ、それがいいと思った。普段用の口座に振り込んでもらって使い込むとやばいから」
 

結局、そのまま大学まで玲羅と一緒に行き、校門の所で別れた。
 
昨日池袋で位置交換した後、長野市に行ってもらっていた《きーちゃん》と位置交換する。桃香はもう来ているかと思っていたのだが、まだ来ていないようである。結局9:10頃になって来たので、それから病院に入り、採精の作業をした。
 
これが終わったのが9:30頃である。千里はちょっとやばいかな?と思った。
 
採精が終わって採精室の中で服を着た次の瞬間、身代わりにNTCに行ってもらっていた《すーちゃん》と位置交換してもらう。
 
いきなりボールが飛んでくるので千里はギョッとしたものの、しっかりそのボールを掴むと、自分がスリーポイントラインの所にいるのを認識して、シュートする。きれいに入る。
 
「お、今日は調子悪いみたいだったけど、今のはきれいに決めたな」
と高田コーチが言った。
 
実は今日9日から15日まではA代表の第一次合宿が行われている。本来はA代表を指揮するヘッドコーチ・アシスタントコーチが出てきて指導すべき所なのだが、それがまだ未定という困った状況なので、今回の合宿は暫定的にU21のスタッフで練習の指導をしているのである。
 
練習は9時から始まっていた。後から聞くと最初はウォーミングアップをしていてドリブル練習の後、9:25くらいから紅白戦を始めたらしかった。
 
千里がシュートを決めた後で、どうも千里にパスしたらしい玲央美が腕を組んでこちらを見ていた。
 

今回の合宿はフル代表やユニバーシアード代表の合宿の倍ほどの密度がある篠原チームの指導なので、これを未経験の上の世代のメンバーたちが悲鳴をあげる。しかし篠原さんは
 
「これに耐えられんという選手はどんな有名選手でも即代表から落とすから」
と言うので、みんな必死であった。
 
今回、練習相手になってもらったのは、何と男子NBLに所属するサンダンカーズのメンバーたちである。都内に本拠地を置くプロチームである。
 
かなり濃厚な基礎練習をやった所で30分だけ休憩を取ってから、手合わせしてもらったが、さすがに男子は身体能力が違いすぎるので、ほとんどの選手がまるでかなわない。
 
しかし、その中で、三木エレン・花園亜津子に千里といったシューター陣は相手が近づいてくる前に撃ってしまうし、フォワード・センター陣の中でも馬田恵子・佐藤玲央美・高梁王子(たかはし・きみこ)といった面々は男子にも当たり負けないので
 
「君たち凄いね!」
「負けそう」
などと彼らが言っていた。
 
しかしそういうのを見ると高田コーチが
 
「こら、男子。女子選手に負けるなら、性転換して入れ替わってもらうぞ」
などとハッパを掛けていた。
 
「もし、私男子に勝てたら、男子リーグに行っていいですかね?」
などと王子は言っている。
 
「ああ、プリンは男子チームに入りたいかもね」
「念のため訊くけど、元々男子だったのを手術して女子になったとかじゃないよね?」
とサンダンカーズの中でもお調子者っぽい選手が言う。
 
「それどこに行っても訊かれるんで、母に尋ねたら、あんたあんまり荒っぽいから、1歳の時にちんちん切り落として女の子にしたんだよと言われました」
と王子。
 
「キーミン、それ冗談と思ってもらえないから、やめときなさい」
 

なお、今回このA代表と重なる日程でU24,U24(Univ)の合同合宿が愛知県安城市のステラ・ストラダの体育館で行われていた。千里はU18の時にそこで1度合宿したなと思い、その名前を聞いて当時のことを思い出した。
 
ちなみに千里も玲央美もU24よりA代表が優先なので、愛知県には行かず、東京のNTCでの合宿に参加している。
 
今年はA代表、U24,U24(Univ),U19,U16といくつもの代表が活動しており、兼任者も多いので、スケジュール調整がたいへんである。
 
A代表 8.21 アジア選手権(五輪予選)大村市
U24 7.31 William Jones Cup 台湾
Univ 8.13 ユニバーシアード 中国
U21 7.3 U21世界選手権 アメリカ
U19 7.15 U19世界選手権 チリ
U16 12.4 U16アジア選手権 中国
 
A代表の合宿は5月15日に終わったが、この濃度の合宿初体験の世代は
「1ヶ月くらい休みたい気分(石川美樹)」
などと言っていた。
 
5月16日(月)。千里はまた長野に行き、精子の採取を行った。これまでの採取はこのようになっている。
(旧)1=3.07 2=3.31
(新)1=4.25 2=5.09 3=5.16
 
(新)が青葉による睾丸活性化操作の後の採取である。
 
千里はほとんと合宿の合間に採取をやっているなあと思った。
 

5月17日、バスケ協会は女子日本代表で引退を表明した簑島さんの代わりに月野英美(1986)を追加招集したことを発表した。千里は順当な人選だなと思った。彼女は3月末に発表されたメンバーに入っていてもおかしくなかった実力者である。
 
5月18日から22日まではA代表の第二次合宿、そして23日から6月14日まではヨーロッパ遠征というスケジュールになっていた。月野さんは18日からチームに合流する。この国内合宿・ヨーロッパ遠征に付き合うのも結局篠原HC, 高田AC, 高居代表という、U21のスタッフである。
 
実は本来監督をする予定になっている城島さんは、現在インターハイ県予選の直前なので、フル代表の面倒を見る余力が無いのである。
 

「でも今年は休む暇が無いと思わない?」
と玲央美が言う。
 
5月から8月まではひたすらどれかの代表チームの合宿が続くので本当に休む暇が無い。今年は海外遠征も多い。
 
「うん。ずーっと代表活動していて、学校にも行けないしデートする間もない」
と千里はマジで言う。
 
「学校はまだ籍を置いてるんだ?」
「もう“私は”大学に行かないことにした」
「なるほどね〜」
と玲央美は千里の言った本当の意味をちゃんと理解しているようだった。
 
「ちなみに細川さんと最後に会ったのは?」
「2月下旬」
「そんなに会ってないと彼浮気しない?」
「浮気潰すのを下請けに出してるから」
「下請けさんたちも大変ね」
 

ヨーロッパ遠征の最初の目的地はスペインのアビラである。千里たち代表チームは5月23日に、このような便で移動することにしていた。
 
NRT 11:05 (JL405 B773) 16:40 CDG (12h35m)
CDG 20:00 (AF1400 A321) 22:05 MAD (2h05m)
 
(NRT:成田空港/CDG:パリのシャルルドゴール空港/MAD:マドリードのアドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港)
 
マドリード空港からアビラまではバスで1時間半ほどである。アビラのホテルには深夜0時前後に到着予定である。
 
ここでフランスやスペインでの16:40は日本時間の23:40, 22:05は日本時間の5:05であり、翌日の練習開始は現地時刻の9:00 CEST = 16:00 JSTである。
 
(JST=Japan Standard Time, CEST=Central European Summer Time)
 
つまり日本時間で23日の朝から24日の夕方までは“練習しない”時間帯である。
 
さて、千里は桃香から5月22日の青葉の誕生日に高岡に行くよ、と言われていた。しかしさすがに代表練習を休むわけにはいかないので、青葉には悪いが欠席させてもらおうと思っていた。ところが青葉本人が霊的なお仕事で緊急に岩手に行ったため、結局誕生会は5月23日におこなうことになった。
 
千里は我ながら予定調和だなあと思った。
 
千里は日本からスペインへの移動時間を利用して高岡に行ってくることにしたのである。
 

23日朝に、まず合宿所で《すーちゃん》を分離する。《すーちゃん》は千里の代わりに成田からフランス行きの飛行機に乗る。例によって玲央美が
 
「すーちゃん、お疲れ様」
と声を掛けてきて、《すーちゃん》は照れながらも、玲央美とおしゃべりしながらヨーロッパまでの旅をそれなりに楽しんでくれたようである。
 
一方、千里はファミレスに代理で勤めている《てんちゃん》にシャンメリーを調達してもらい、都内の洋菓子店でバースデイケーキを買って、桃香と一緒に新幹線で高岡まで移動した。
 
東京11:12-12:30越後湯沢12:39-14:51高岡
 
例によって桃香は格安ツアーバスで行こう、などと千里に言ったのだが、千里は自分が往復の交通費を出すから新幹線にしようと言い、かなり強引に新幹線往復を決めてしまった。
 
それで実家に着いたら千里が料理を作り、夕方、学校から帰ってきた青葉を迎撃して誕生会をする。
 
例によって誕生会などというものをしてもらったことのなかった青葉は泣いていた。この時期は青葉は涙を流す度に、表情や感情の封印が解けていくような感じであった。
 

この日の誕生会には青葉の新しい友人たちが4人来ていて、ケーキを切って、シャンメリーを開けて、色々作っておいたお料理も食べ、夜9時頃まで楽しく過ごしたのだが、ふと気付いたように青葉は言った。
 
「そういえば、お母ちゃんと、桃姉とちー姉の誕生日は?」
「私は1960年2月3日水瓶座」
と朋子。
「私は1990年4月17日牡羊座」
と桃香。
「私は1991年3月3日魚座」
と千里。
 
「わ、桃姉のお誕生日に何もしてない」
と青葉は言うが
「私がバースデイカード送っておいたから大丈夫」
と朋子は言う。
 
「青葉じゃないが、私も誕生会とかしてもらったことはない。まあ貧乏だったし」
と桃香も言う。
「うん。ごめんねー」
と朋子。
 
「桃香あまり友だち居ないしね」
と千里が言っている。
 
「うん。私は女の子は恋愛対象だから、なかなか友だちという存在ができないんだよ」
「まあ男女の友情がなかなか成立しにくいのと似てるよね」
「ああ、そんな感じ」
 

「だけど、お母さんが水瓶座、千里さんが魚座、桃香さんが牡羊座と星座がきれいに並んでいるのね」
と青葉の友人・明日香が言った。
 
「青葉の5月22日というのは牡牛座かな?」
「それがギリギリ双子座に入っているんだよ」
「残念!」
「誰かもうひとり牡牛座の人が姉妹になればいいね」
 
「ここに牡牛座の人いる?」
 
「私は天秤座」
と日香理。
「私は双子座」
と明日香。
「私は蟹座」
と美由紀。
「私は魚座」
と奈々美。
 
「牡牛座どころか、地の星座(牡牛・乙女・山羊)が居ない」
 

牡牛座といえば嵐太郎(らんたろう)が牡牛座だよな、と青葉は思った。
 
青葉が双子であるのに対して嵐太郎は隣の牡牛座なので、結婚すると友だちのように仲の良い夫婦になるだろう。一方、彪志は蠍座で、太陽星座だけ見るとふたりは相性が悪い。
 
ところが実は彪志の太陽が青葉の月とピタリと重なっているのである。物凄い縁があることを示唆する配置だが、天体上の関係だけから見ると、彪志が青葉の奥さんということになる!
 

「Earth, Wind & Fire ってバンドがあったけど、これだとWater, Wind & Fireになるかな」
「バンドする?」
「誰か楽器できる?」
 
「青葉はピアノと龍笛ができる」
と千里が言う。
「りゅうてき?」
「日本の伝統的な横笛の一種だよ」
「へー。聞きたいな」
「それが震災で津波に流されてしまったんだよ」
「それは残念」
 
「私が1本新しいの買ってあげようか?今度、東京方面に出てきた時にでも雅楽器店に行ってみる?」
と千里。
 
「あ、そうしようかな。でも結構値が張るよ」
「大丈夫大丈夫。桃香と2人で出し合うから」
と千里が言うと
「あ、うんうん」
と桃香も言っている。
 
「今日は来てないけど、世梨奈がフルートうまいよ」
「へー」
 
「私は歌は自信あるけど、楽器はあまり得意じゃないなあ」
と日香理。
 
「私は音痴で、楽器もできないのが自慢」
と美由紀。
「自慢なのか!?」
「その代わり絵は自信ある」
「うん。美由紀の絵はうまい」
 
「私はスポーツばかりだから音楽は微妙」
と奈々美。
「奈々美どういうスポーツするんだっけ?」
「今は卓球部だけど、小学校の時はスポーツ少年団でサッカーやってた。でも低学年の頃は剣道習ってた。幼稚園の頃はスケートだったんだけどね」
「色々やってるな」
「これまでやってきたスポーツの種類につながりが感じられない」
 
「じゃ高校になったら、きっとバレーかバスケットだ」
「私、背が低いから、そういうの無理」
「奈々美は背は低いけど足が速い」
「回転数が速いんだな」
「だったら、バレーならリベロ、バスケならポイントガードだ」
「守備範囲が広くてひたすら拾いまくるリベロ、背の高い選手の中をチョロチョロと動きまわるガード」
 
「明日香は小学校の時、ブラスバンド部だったね」
「うん。トランペット吹いてた。楽器も買ってもらったけど、中学に入ってから吹いてない」
「それはもったいない」
「練習できる場所が無いんだよ」
「確かに、普通のおうちで吹くと隣近所に迷惑だよなあ」
 
「じゃ青葉の龍笛、世梨奈のフルート、明日香のトランペット、日香理の歌でバンドを組むということで」
 
「そのラインナップの楽器をバックに歌うのはちょっと辛い」
 

千里はその日は高岡に泊まった。桃香と同じ部屋に寝たが、疲れが溜まっていて熟睡していたこともあり、気付かないうちに裸に剥かれ、やられてしまっていた(23日朝〜24日朝までの24時間、千里は男の子の身体になっていた)。千里はしっかり桃香をしばらく立ち上がれないくらい叩きのめしておいた。
 
ふたりは、翌5月24日朝、セーラー服を着て学校に出かける青葉を見送ってから高岡駅に移動し、10:39発越後湯沢行き《はくたか》に乗った。東京到着は14:20, 千葉到着は15:21という連絡である。千里は実際に桃香と千葉駅までは付き合い(実際にはほとんど寝ていた)、その後、バイトに行くと称して別れると、ここで《すーちゃん》と位置交換してもらう。
 
それでヨーロッパ遠征の練習に参加した。
 
朝食を取った時までは《すーちゃん》だったのが、練習場に来たのは千里本人だったので
 
「千里、遅刻だぞ」
と言って、軽くコツンと頭をげんこつで打っていた。
 

アビラ(Avila)は海抜1131mという高地である。ここに来た目的はこの高い標高での低酸素トレーニングというのがあった。
 
実際激しい運動をすると息が苦しそうな選手も多い。紅白戦をしていて、つい立ち止まったりして、高田コーチから注意される。
 
しかし千里・玲央美・王子の3人は、しばしば月山(1984m)の頂上の練習場でトレーニングしているので、今更1131mの標高など全く平気である。
 
それでこの3人が異様に元気なので
「やはり若さにはかなわん」
などと広川さんが言っていた。
 
しかし最高齢の、もとい、最も年上の三木エレン(35)も結構元気である。
 
「エレンさん凄いですね」
と言われて
「まあ、おばあちゃんはあまり呼吸しなくてもいいんだよ」
などと言っていた。
 

その日、桃香は東京に出ていて、久しぶりに元ガールフレンドの畑中君(FTMなので男装している)に遭遇し、一緒に飲んだ上に、勢いでそのまま彼のアパートに行ってセックスもしてしまった。
 
むろん桃香が男役、畑中君が女役である!
 
「ああ、でもこれが俺のヴァギナの使い納めかなあ」
などと彼は言っていた。
 
「テルはいつ手術するの?」
「秋のつもりだったんだけど、キャンセルが出た所に入れてもらって、来月1回目の手術をすることになったんだよ」
「おお、すごい」
「それで女は廃業して、1ヶ月後8月に2度目の手術をして、ちんちんを作る」
「じゃ、ちんちん出来たらフェラさせて」
「いいよ」
「ついでに入れてあげるね」
 
「俺、入れられる方にハマったらどうしよう?」
「テルはきっと、男になっても女役のままだよ」
「うーん・・・・」
 

「やはりタイで手術するの?」
「そうそう」
「テル、タイ語とかできるんだっけ?」
「できないけどコーディネーターさんと一緒だから大丈夫だよ」
「何それ?」
 
「タイで性転換手術する人が多いからさ。タイ語のできる付き添いさんを付けてくれる会社が幾つかあるんだよ。タイで手術する人はみんなどこかのコーディネーター会社を利用しているよ」
 
「へー」
「あれ?モモの彼女のMTFさん、あの子はそういう会社使わないの?」
「あ、聞いてない」
 
「もしまだコーディネーター会社に接触してないんだったら、紹介してあげようか?ここ、今俺が使っている所だけど、けっこう親切でいいよ」
 
と言って、畑中君は机の引き出しからパンフレットを出すと桃香に渡した。
 
「ふーん。こういう会社があるのか。確かにタイ語のできる人なんて、そうそう居ないから、そういう人がいないと不安だよね」
 
と言って、桃香はそのパンフレットを自分のバッグに入れた。
 

今回の千里たちの合宿日程はこのようになっていた。
 
5/24-26 アビラ
5/27-30 マドリード
5/31 ギリシャのコス島へ移動 MAD 7:05-9:30 FCO 11:00-14:00 ATH 16:20-17:10 KGS (MAD:Madrid FCO:Roma Fiumicino ATH:Athina KGS:Kos)
 
6/1-6 コス島 (6日夕方アテネに移動 KGS 1740-18:30 ATH)
6/7-12 アテネ
6/13-14 帰国
 
この間、次のような練習試合をしている。
 
5/25 スペイン代表(5) 74-54×
5/30 カナダ代表(12) 55-72○
6/02 ギリシャ代表(14) 81-75×
6/03 イスラエル代表(39) 68-76○
6/05 ギリシャ代表(14) 73-66×
6/11 U-20ギリシャ 57-89○
6/12 U-20ギリシャ 45-83○
 
ユースチームにも負けるようであれば話にならないので、一応広報的には「遠征中4勝3敗」ということになったが、実質2勝3敗である。
 
括弧内はFIBAランキングである。日本はこの時点で15位である。ランキングの近いギリシャに2敗したのは、やはり向こうも同程度のチームというので本気で掛かってきたからであろう。カナダはトップチームではないようであった。
 
そういう訳で今回の一連の練習試合では、負けた3つの試合こそが刺激になった。どうも協会側の意図とは違い、篠原さんや、ここに来ていない城島さんの意図はそちらにあったようである。
 

コス島はエーゲ海の東端付近、トルコのそばにある島で、ロードス島より100km北西、レスボス島より270km南南西の位置にある。小さな島だが標高の高い部分が多く、最高点は843mである。これはニシロス火山の外輪山の一部といわれ、かつては北側のカリムノス島(700m)やセリモス島とも地続きだったのが地震で分断されてしまったらしい。
 
篠原チームなのでこの標高の高い島でまた厳しい練習が続いたが、練習試合の無い6月4日(土)は、午前中だけ練習して、午後からは自由時間となり、当地で有名な考古学博物館(Αρχαιολογικο Μουσειο Κω、Archaeological Museum of Kos)に行った。
 
このコス島は「医学の父」と言われるヒポクラテス(BC460頃)の生地である。市内にはヒポクラテスが座ったというプラタナスの木も残っている。
 
博物館にはたくさんの彫像が展示されていたが、その中のひとつの像を見て、王子が異様に興奮している。
 
「どうかした?」
「いや、この像って、父・母・子の像かと思ったんですけど、母かと思った側にも、ちんちん付いてますね」
「ああ」
 
その像は2人の大人の像の間に小さな子供の像があるのである。
 
「これ母は男の娘で、男だけど子供産んだんですかね?」
「まさか」
「普通に同性愛で、子供は別の女性が産んだんだと思うけど」
「さすがに男の娘は子供は産めないと思う」
「だいたいどこから産むのよ?」
 
「同性愛というより、日本の昔の若衆なんかと同じで少年愛だと思う」
「基本的に少年は女性と同じ扱い」
「少年を愛するのは女性を愛するのと同じだから変態ではない」
 
「昔は、少年愛の相手を務めた少年は、成人するとその男性の娘と結婚する権利があったらしいね」
 
「するとAさんが少年Bと愛し合って、その後、Aさんが別の女性Fさんと結婚して娘Gができる。Bは成人すると別の少年Cと愛し合い、やがてGと結婚するが、BとGの間に生まれた娘HはCと結婚する」
 
「複雑な関係だな」
「簡単に言うと、自分が見込んだ男と娘を結婚させるというだけなのでは?」
 
「それは簡単にしすぎている気がする」
 

桃香がその日千葉市内のバイト先から、夜間の受付作業を終えて出てきたら、ププッっという車のクラクションがする。
 
見ると向こう側の車線に真っ赤な三菱ギャラン・フォルティスが停まっていて、運転席から濃いメイクをした女性が顔を出して手を振っている。
 
桃香は誰だっけ?と一瞬考えたのだが
「桃香、どこか行くの?乗せて行こうか?」
などと言う声を聞いて、正体が分かった。
 
「研二か!一瞬分からなかった」
「今日はわりと念入りにメイクしたからなあ」
 
それで取り敢えず桃香は、研二の車に乗ったのである。
 
本当は後部座席に乗りたかったのだが、後部座席には研二が東京で買ったという何やら大きな荷物が載っていたので、仕方なく助手席に乗った。
 
「良かったら、西千葉駅の前で降ろしてくんない?その後は自分で帰る。夜勤明けで眠いから、帰って寝たい」
 
「アパートの傍まで送ってあげるよ」
「それは絶対嫌だ」
「じゃ、朝御飯でも一緒に」
「各自払うのであったら、一緒に食べてもいい」
「うん。それでいいよ」
 
それで結局、桃香は研二と一緒に早朝から営業しているファミレスに寄って朝御飯を食べた。傍目には女性が2人で朝食を食べているようにしか見えないであろう。
 
「成人式の時はありがとうね。研二が止めてくれたお陰で大事にはならなかったみたいだし」
「全くあれは参ったよ。だいたい桃香が原因なのに」
「ごめーん。でも私は80万の振袖をダメにされたくなかったし」
「ああ。あの2人は全額弁償になったみたいだよ」
「あははは」
 

「ところであんた、緋那ちゃんだっけ?あの子との関係はどうなってんのよ?」
と桃香は訊いた。
 
「12月にやっと指輪を受け取ってくれた」
「おめでとう!じゃ婚約したのね?」
「それがまだ渋ってる」
 
「指輪を受け取るって婚約するという意味じゃないの?」
「普通そうだと思うんだけどなあ」
「研二が女装ばかりしてるから向こうも不安がってんじゃないの?」
「僕の女装は可愛いと言ってくれるよ」
「よく分からん関係だ」
 
食事が終わった後は、ちゃんと朝食代は各々払ってから、車で送ってもらう。桃香の主張通り、西千葉駅前(C大学の南門前でもある)で降ろしてもらった。
 
この時、桃香は足元に置いていた自分のバッグから先日畑中君からもらった、性転換手術のコーディネーター会社のパンフレットが落ちたことに全く気付かなかった。
 

千里がスペインからギリシャに移動した5月31日(火)に、行方不明になっていた青葉の祖父母の遺体が見つかったという報せが入った。千里はアテネ空港から青葉に電話して話したのだが(時差6時間なのでギリシャの14時が日本の20時)、週末の6月3-4日に仮葬儀をし、本葬儀は全員の遺体が見つかってからにすると言っていた。
 
最初は青葉が高岡から来やすいように、4日(土)に仮通夜、5日(日)に仮葬儀と考えたのだが、あいにく5日が友引なので、3日(金)赤口に仮通夜、4日(土)先勝に仮葬儀ということにした。それで青葉は金曜は学校を休むことにして木曜の夜の高速バス(高岡→仙台)で移動することにした。
 
「私、4日は夕方から用事があるけど、14時半くらいまでは付き合えるから、そちらに行くよ」
と千里は言った。
 
「わ、ごめんなさい」
 
それで千里は6月2日の練習が夜9時に終わると、食事にも行かずにホテルの部屋に入って熟睡した。
 
明日はイスラエルとの練習試合があるが、それは14時からである。ギリシャの14時というのは日本の20時である。試合の前にはあまり激しい練習はしない。実際、明日は朝軽い練習をした後、試合前は休憩と言われていた。千里はこのタイミングを利用することにした。
 

6月3日0時(日本時間3日朝6時)、千里は目を覚ますと、まず《すーちゃん》を分離した上で、日本に置いてきた《こうちゃん》と位置交換で仙台に行った。《こうちゃん》はインプレッサを千葉から運転してきてくれていたので、そのインプを駅近くの駐車場に駐めて、青葉が乗った高岡からのバスが到着するのを迎える。6:30頃に青葉は到着した。
 
「ありがとう。わざわざここまで迎えに来てくれて」
「私は行く途中だし」
「そうだよね!」
 
長時間バスに乗って、疲れただろうから一休みしようよと言い、コンビニでお弁当を買って暖めてもらい、一緒に車の中で食べた。それで30分ほど休み、7時に車を出した。
 
朝御飯を食べながら、そして道中で、青葉は4月末以降の“女子中学生生活”のことを楽しく語った。
 
「良かったね。女子として受け入れてもらったなんて。羨ましいくらいだよ」
「ちー姉は、ずっと男の子してたの?」
「そうそう。大学1年生の時までは男の子だったよ。それどころか高校生の頃はバスケやってたから、丸坊主だったし」
「わあ、私坊主になれって言われたら死にたい」
「私も死にたい思いで髪を切ったよ。でも、去年の夏頃から桃香に唆されて女装生活になっちゃったんだよね。最初は人前にスカート穿いて出るのにも凄く勇気がいったけど」
「ああ、性別を切り替えるのって、ものすごく勇気がいるんだよね」
 
青葉の言葉はかなりイントネーションが出るようになっていた。きっと新しい中学の友人たちが、ほんとに青葉に優しくしてくれているんだろうなと千里は思った。
 

10時すぎに大船渡の££寺に到着する。ここに取り敢えず遺体を運び込んでいるのである。
 
「遺体はかなり酷い状態なんだよ。見ない方がいい」
と住職の川上法嶺(65)は言った。
 
「いえ。見ます」
と言って青葉はふたりの遺体を確認する。千里も一緒に見たが、普通の女の子なら失神するだろうなと思う程度の状態であった。青葉が涙を流しているので手を握ってあげるとしっかり握り返してきた。
 
佐竹家(山間に借りている仮住まい)に行き、遺体の確認をしてくれた慶子に御礼を言った。盛岡の大学に行っている真穂も戻ってきてくれていた。
 
「へー、そちらが青葉さんの新しい保護者なのね」
と慶子。
 
「正確には私の友人の高園桃香というのの、お母さんが青葉ちゃんの後見人になってくれることになって、今認可待ちなんですよ。ですから桃香と私は青葉ちゃんの姉代わりということで」
 
「なるほどー」
「でもそちらも青葉ちゃんのことで色々として頂いているようで」
 
「私は一応拝み屋ということで活動しているのですが、私は大したことないもので、実質青葉さん頼りなんですよ」
と慶子は言う。
 
「ハニーポット、蜂蜜の壺という技術があって、私が青葉さんの端末になって、私が祈祷しているように見えて実際は青葉さんの能力で、クライアントの体調が悪いのを治したり、簡単な除霊とかまではできるんですよ」
と慶子は説明を続ける。
 
「慶子さんも真穂ちゃんも霊感があるので、拝み屋さんができるんですよね」
と青葉は言う。
 
「いや、私は拝み屋を継ぐつもりはない」
と真穂は言っている。
 
千里は2人を見て、確かに慶子はふつうの霊感人間程度だが、真穂は修行すると霊能者になれる程度の霊的な素質を持っているぞと思った。慶子のおじいさんが出羽の修験者でかなりの法力を持っていたと聞いたので、その隔世遺伝かなと思う。しかし出羽か・・・、と千里は腕を組んで考えた。
 
真穂にしても、青葉にしても、少し出羽っぽい色合いがあるのである。
 

真穂が言う。
「青葉ちゃんの霊的な能力は物凄いけど、千里さんもわりと霊感があるっぽい」
 
「え?そう?私は霊感があるなんて言われたことないけど。幽霊とかも見たことないし」
と千里は驚いたように言う。
 
「いや、ちー姉は霊感があると思う。占い師くらいならできるよ」
「そう?占いなんて、あんまり興味無いけどなあ」
「タロットとかすれば、割と当たると思う」
「へー。タロットってなんかトランプに似たカードだっけ?」
「そうそう。トランプは13枚ずつ4つのスートがあるんだけど、タロットは14枚ずつ4つのスートで、その他に大アルカナという22枚のカードがあるんだよ」
 
と言って、青葉は自分のバッグの中からタロットを実際に出してみせた。
 
「なんかきれいな絵柄だね」
「これはアクエリアン・タロットと言って、いわゆるライダー系のタロットなのよね」
「ライダー?」
 
「20世紀初頭に、アーサー・エドワード・ウェイトという魔術師が企画して、パメラ・コールマン・スミスというチャネリング能力の高い女性画家が絵を描いた名作タロットがライダー社という出版社から刊行されたのよね。これをライダー・ウェイトとか、単にライダー版というのだけど、それ以降、このライダー版に準拠したタロットがたくさん制作されたんだよ。これはその中の名作の一つ」
 
「裏模様もきれい。青海波というか」
「これをシャッフルしていると海の中にいるような気分になるのよね」
と言って、実際青葉はシャッフルしてみせた。
 
「ほんとだ。これは凄い。まるで水の中に吸い込まれそうな感じ」
と千里は“うっかり”言ってしまったのだが
 
「それを感じられるというのは、ちー姉はやはり霊感があると思う」
と青葉に言われて、しまった!と思った。
 
青葉の前では霊感なんて無い振りしてようと思ってたのに!
 

4人で一緒に市内の飲食店で昼食を取ったが、千里は夜通し運転してきたので、よかったら少し仮眠させてもらえないかと言い、佐竹家で仮眠させてもらった。その間、青葉は溜まっている霊的な相談事に応じるため、慶子とふたりで大船渡周辺を回っていたようである(真穂は自宅でゲームをしていたようである)。
 
千里が“仮眠”したのが、13:30-17:30の間で、これはギリシャでは7:30-11:30であり、この日の代表チームの朝の練習は8:30-10:30の間におこなわれたので実は千里はこの練習に参加した。千里がギリシャに行っている間に佐竹家の客間で寝ていたのは《すーちゃん》である。
 
代表チームの方は10:30で練習が終わった後、着換えてからお昼までの間は昨日のギリシャ代表との試合をビデオで振り返り、色々注意が行われたのだが、これには《すーちゃん》が出たので、玲央美がニヤニヤしていた。
 

千里は10:30で練習が終わりシャワーを浴びて着換えた後は日本に戻ってきて本当に30分ちょっと仮眠させてもらった。青葉が18時頃に慶子と一緒に戻ってきた。
 
全員、喪服に着替える。
 
「青葉はちゃんと女物の喪服だね」
「ちー姉もちゃんと女物の喪服だね」
 
青葉は喪主、千里はその姉なのでふたりとも和服の女性用喪服を着た。慶子・真穂は洋服の喪服である。一緒に££寺に行く。
 
18:30から仮通夜をおこなった。焼香するのも4人だけなので仮通夜は30分ほどで終わり、4人はいったん佐竹家に戻って、仕出しで取っていた精進料理を一緒に食べる。それで千里は
 
「ごめん。まだ眠いから少し寝てるね」
 
と言って19:30頃、客間に行って寝てしまった。実際には即ギリシャに居る《すーちゃん》と位置交換してもらう。日本の19:30はギリシャの13:30で、イスラエルとの練習試合が始まる少し前である。もう体育館に来ている。ウォーミングアップの途中だったようで、玲央美が千里の頭をコツンと小突いた。
 
千里はそれで14時からのイスラエルの試合に出たが、これが15時半頃に終了する。しかし篠原チームの場合は練習試合が終わった後も当然練習である。
 
16時半から21時頃まで、みっちりと練習が行われた。その後、千里は
 
「なんか2日分稼働した気がする」
などと玲央美に言って、シャワーだけ浴びて寝てしまった。玲央美は呆れるような顔をしていた。
 

夜中の1時に起こしてもらい、着換えてから日本に居る《すーちゃん》と位置交換してもらう。日本はもう朝7時である。4人で一緒に朝御飯を食べてから、また喪服を着て££寺に行った。
 
10時から仮葬儀をおこなった。
 
御住職が読経をし、青葉、千里、真穂、慶子の順に焼香した。その後、お寺の車で2往復して火葬場に棺を運び、11時半頃、火を入れた。
 
火葬場で青葉が一瞬ふらっとしたのを千里がハグしてあげると、青葉は涙が止まらないようであった。千里はずっと青葉を抱きしめていた。
 

焼いている間に、御住職と参列した4人で会食をする。
 
「御住職も川上だけど、もしかして親戚?」
と千里が訊くと
 
「今焼いている雷造じいさんと私が又従兄弟なんですよ」
と御住職が言った。
 
「そういう親戚があったのか」
 
「私の亡くなった父と3人が又従兄弟同士だったんです」
と佐竹慶子。
 
「なるほど。一族だったのね」
「もうひとり、川上法雲というのが、一関で住職やってるんですよ。この4人が又従兄弟同士になりましてね」
「へー」
 
「元々は雷蔵じいさんの父親がうちの寺の跡取りだったんですが、坊主やめてしまいまして。それで一関に行っていた、私の父がこちらに戻ってきて後を継いだんです。だから一関の寺の住職をしている法雲と私が従兄弟なんですよ」
 
「だったら、青葉が元々はこちらのお寺の血筋だったんだ?」
と千里は言う。
「この子、凄い法力あるんですよね」
と法嶺。
 
「へー!そうなんですか」
と千里は言う。
 
「だから、この子はぜひ頭を丸めさせて坊主にしたいと思っていたんですが、女の子として生きていきたいから、坊主頭は勘弁してと言って」
 
「だったら頭を丸めて尼さんになるといいね」
と千里。
 
「あ!それもいいですね」
と法嶺。
 
「ちょっと待ってぇ!」
 
と言う青葉は焦ったような表情をしていた。へー。こんな表情も出るようになったのかと、千里は楽しい気分でそれを眺めていた。
 

会食が終わった後、火葬室に戻り、青葉と千里の2人で一緒に骨を拾って2つの骨壺に収めた。
 
その後、千里はバイトがあるのでと言って、14時半頃、インプに乗って単独大船渡を離れる。青葉が帰る時は佐竹慶子に気仙沼駅まで送ってもらい、JRと夜行バスで高岡に戻るということだった。大船渡線は4月18日の時点で気仙沼と一ノ関の間が復旧している。
 
千里は大船渡を出るとすぐに《こうちゃん》と位置交換でギリシャに戻った。日本の6月4日14時半はギリシャの同日朝8時半である。
 
ギリシャでは朝御飯までは《すーちゃん》が千里の代わりを務めていた。《こうちゃん》は位置交換の直前までホテルの部屋で休んでいたので、千里が戻ってきたところで《すーちゃん》は練習用の服に着替えてくると言って部屋に戻り、千里と交代した。
 
「ふむ。今日もサボる訳では無いようだね」
と練習場に出てきた千里を見て玲央美は言った。
 
なお、日本に戻された《こうちゃん》はその後、途中でたくさん遊びながら3日掛けて!千葉に戻った。
 

その日、緋那とデートしていた研二は、自分たちの結婚問題について切り出した。
 
「良かったら、緋那、僕たちの結婚式の日程を決めてさ、結納とかも取り交わさない?」
「そうだなあ。。。もう少し待ってもらってもいい?」
と緋那は答える。
 
「いつまで?」
「うーん。。。だったら今年中には決断する」
「分かった」
 
それでふたりはいつものようにドライブした後食事をしてホテルに行き、普通の男女がするようなことをする。
 
「これって私が女役でいいんだっけ?研二、女役になりたい?」
「僕は男だから男役がいいな」
「本当に研二って女の子になりたい訳じゃないんだっけ?」
「僕は女装はするけど、自分では男のつもりだよ」
「そのあたりが微妙によく分からない」
「ともかくも僕は緋那が好き。それは絶対に動かない事実」
 
「研二、私の両親に会いに来る時、女装で来たりしないよね?」
「さすがにそんなことはしない。ちゃんとスーツを着るよ」
「スーツってスカートスーツ?」
「まさか。男物のちゃんとズボンのスーツだよ」
「ほんとかなあ」
 

緋那としては少し不安は感じるものの、研二が自分を愛してくれていることだけは確かに感じるので、やはり結婚しちゃってもいいかなあ、と思っていた。
 
ただ、結婚に踏み切るのに、何かあと1つくらい要素が欲しい。
 
そんな気もしていたのである。
 
その日は結局朝までホテルで過ごし、朝食を一緒に取った後、車で送ってもらう。
 
ギャラン・フォルティスの助手席に乗り、研二とおしゃべりをしながら、何気なく外の景色を見ていた時、足の位置を少し変えたら、足の先が何かに当たった。
 
何だろう?と思って拾ってみる。
 
《***コスメティック》という名前が書かれているので、緋那はてっきり化粧品か何かのパンフレットかと思い、ページを開いてみた。
 
1分後、緋那は無言になってしまった。
 

緋那が突然沈黙したので、研二は
 
「どうしたの?」
と訊いた。
 
「降ろして」
「え?」
「いいから今すぐ降ろして」
「なんで?」
「もうここに居たくないの。おろして」
 
「ちょっと待ってよ。どうしたの?」
と研二は言ったのだが、緋那はドアのロックを外してしまう。
 
「危ない!」
と言って、研二が急ブレーキで車を停める。
 
後ろの車が物凄いクラクションを鳴らし、ギリギリで衝突回避して追い抜いて行った。
 
そして緋那は手に持っていたパンフレットを研二に投げつけ、更にバッグの中から指輪ケースを出すとそれも研二に投げつけ、そのまま車を降りて走って行った。
 
「一体何なんだぁ!」
と叫んで研二は、緋那から投げつけられたパンフレットを手に取った。
 
 
前頁次頁目次

1  2  3  4 
【娘たちの震災後】(2)