【娘たちの震災後】(1)

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2011年1月、千里はU21日本代表の活動でフランスに遠征していたのだが、帰国して自分のアパートに行ってみたらアパートが崩壊していて呆然とする。渡仏中に大雨があって崩れてしまったのだという。
 
それで取り敢えず不動産屋さんが瓦礫の中から回収してくれた荷物をいったん桃香のアパートに持ち込み、パソコン・楽器類や賞状・メダル類などについては、その不動産屋さんに探してもらい、江戸川区葛西のワンルームマンションを借りてそこに運び込んだ。ここは以前から使っていた駐車場に近い場所だった。
 
そういう訳でこれから2015年3月まで、約4年間、千里と桃香は同居生活(千里的見解)をすることになる。
 
なお、ファミレスへの“通勤”に使っていたスクーターは偶然葛西の駐車場にインプと一緒に駐めていたので無事であった。
 
2月27日、千里は貴司と一緒に伏見に行き、京平と会ったのだが、その時京平は3月の上旬は絶対に東北に行かないようにと言った。何があるのだろうと千里と貴司は顔を見合わせた。
 

3月5日(土)。バスケット協会から、女子U24代表、女子U24(Univ)代表の候補者が発表になった。
 
この2つの代表は同世代の代表だが、ユニバーシアードに出る資格のある選手がU24(Univ), それ以外の選手がU24に呼ばれている。
 
先日予告されたように、千里は(一応)大学生なのでU24(Univ), 佐藤玲央美は社会人なのでU24に召集されていた。
 

3月10日の夕方。雨宮先生が仙台の居酒屋さんでトラブルを起こし、千里にお金を持って来てと電話して来た。千里が《くうちゃん》を見ると
 
『確実に今日中に帰って来い』
と《くうちゃん》は言った。
 
千里は「今日中に戻って来い」ということは、明日、何かとんでもないことが起きるのではと思ったが、ともかくも仙台まで急いで往復してきて、居酒屋で支払いを済ませ、雨宮先生は回収して三宅先生宅に“投下”してきた。
 
それが3月10日(木)夜23時頃であった。
 

三宅先生のご自宅の後は、葛西のマンションに入って、頼まれていた曲の調整をしていた。そのまま眠ってしまい、起きたらもう11時である。調整していた曲を再度聴いてみて、これでまあいいだろうと思ったので送信する。
 
今日の夕方からはU21の合宿があるので、千里はその準備で服をスポーツバッグに詰めたり、財布の中身を確認したりしていた。昨夜居酒屋さんに雨宮先生の会計を60万円払ったので現金が残り40万円しかないが、週末の合宿でそんなに使うとは思えないので、まあいいだろう。それで非常食でも買ってこようかと思っていたら、桃香から電話が掛かってくる。
 
「お腹空いたんだけど、千里帰ってこないよね?」
 
千里は苦笑して
「じゃ、何か買ってそちらに行くよ」
と言った。
 
それで近くのケンタッキーでチキン6ピースとビスケット3個のセットを買い、インプを運転して行って、桃香のアパート近くの月極タワー駐車場に駐める。ここは桃香のアパートに当面同居することを決めたことから、たいちゃんが見つけてくれて契約した駐車場である。
 
そして千里は歩いて桃香のアパートに入った。
 
「おお!ケンタッキーとは豪華だ」
と言って桃香は喜んでいる。
 
「仙台で買ってきたずんだ餅もあるよ」
「あ、それも好き!千里、仙台に行って来たの?」
「昨夜ピンポイントリターンで行って来た。これは途中のSAで買った」
「へー」
 

それでチキンを食べた後でずんだを摘まみ、食欲の満ちた桃香がセクハラしてくるのはキッチリと撃退し、お部屋の掃除などしていた時のことであった。
 
いきなり物凄い揺れがある。
 
「地震!?」
「これかなり大きい」
「逃げる?」
「おさまってからの方がいい。揺れている間は動くの危険」
 
揺れがおさまるまでは結構掛かった気がした。
 
「逃げなくてもいいかな?」
「うん。いいと思う」
 
「これきっと震源地はすぐ近くだよ」
などと言って、桃香はテレビをつけた。
 
地震速報がテロップで流れている。
 
「震源地宮城県!?」
「嘘!?」
「宮城の地震でこんなに揺れる訳!?」
「もしかして宮城と相前後してこの付近を震源にした地震も起きたのでは?」
 
しかしすぐにアナウンサーが出てきて、宮城県沖を震源とするマグニチュード8クラスの地震が発生したこと、津波に注意して欲しいなどといったニュースが読み上げられる。
 
「マグニチュード8!?(*1)」
「なんかとんでもない規模じゃない?」
「いや、だから千葉でもこんなに揺れたんだよ」
「阪神大震災より大きいよね?」
「あれは7だからね」
 
(*1)後にマグニチュード9と訂正された。マグニチュードが2つ増えると地震のエネルギーは1000倍になる。
 

千里と桃香はその後、次々と入ってくるニュースに釘付けになり、そして息を呑んでいた。
 
16時頃、高田コーチからメールがある。U21の合宿は中止になったこと。また当面日本代表の活動そのものが自粛になるのではないかということであった。実際に追って須崎さん(U24-Univ監督)からも予定されていた合宿は中止になったというメールが翌日届いた。
 
「何か連絡のメール?」
と桃香は、高田コーチからのメールが到着したのを見ていたら訊いた。
 
「うん。参加しているバスケチームの明日の試合が中止になった」
と千里は答える。
 
「中止だろうな!これは」
 
夕方《てんちゃん》から電話が掛かってくる。
 
「うちのファミレスで東北地方に炊き出しに行く方針が決まったんだよ。参加してもいいという人は、連絡してくれというんだけど、どうしよう?」
「私自身が行く。連絡してくれる?」
「了解」
 
《てんちゃん》からは30分後に連絡がある。
 
「参加してくれる人は今夜20時に一度お店に出てきてって。出発は明日早朝」
「分かった。行く」
 
それで千里が桃香に、バイトしているファミレスで東北に炊き出しに行くことになったと言うと、桃香は自分も参加したいと言った。
 
そこで千里は桃香をインプに乗せて一緒にファミレスに向かった。
 
「あ、この車は前にも乗ったことある」
「うん。ちょうど借りていたんだよ」
 

“千里”が勤めている店舗だけでなく、全店舗の志願者が集まっているようである。お店は今日は臨時休業になったようだ。
 
「最初に言っておきたい」
と言って、副社長が厳しい表情で説明を始めた。
 
「まだ現地の情報は錯綜している。政府ではまだボランティアの人は動かないで欲しいと言っている。しかし伝わってくる情報では、被災者の人たちは食べる物も飲み物もないということのようだ。政府の指示を待っていられないから動くことにした」
 
「現地ではかなりの死者が出ているようだ。大量に死体が転がっているという話もある。だから、人間の死体を見ても平気な人だけが参加して欲しい」
 
志願者たちが顔を見合わせている。
 
「多分今がいちばん悲惨な状態だと思う。余震もかなりきついのが来ると思う。だから危険もある。半月もすれば少しは落ち着くと思う。死体を見るのには耐えられないと思ったら、月末か月明けからの活動に参加してもらえばいいと思う。だから、自分には無理かもと思う人は、遠慮無くいったん退席して欲しい。正直な話、現地で気分が悪くなったりすると、足手まといになる」
 
副社長がそう言うと、顔を見合わせて退席する人たちがある。特に女子はかなり退席する。
 
それで結局3分の1くらいになってしまった。
 

「だったら参加者はここに、氏名、所属店舗、年齢、性別、所有する免許や資格の類いを書いて欲しい」
 
それで千里は「村山千里・千葉**店、20歳、女、普通運転免許」と書いた。
 
「ふーん、女と書くのか」
と隣で桃香が言っている。
「私、女だもん」
「確かに女にしか見えん」
 
桃香は「高園桃香、所属無し、20歳、女、普通運転免許」と書いた。
 
千里が所属するお店の店長・芳川さんが紙を回収して行く。千里の所で紙を受け取る際、訊いた。
 
「村山君は女でいいんだろうな」
「はい、私は女です」
「君、女子更衣室は・・・いつも使っているな」
「ええ」
「君、女湯には入れるんだっけ?」
「問題無いですよ」
「じゃ、そういうことで」
 
この会話を聞いて桃香が腕を組んでいる。
 
次に桃香の紙を回収しようとして
「あれ?君、所属店舗は?」
「すみません。どこにも所属していません。私は村山の友人ですが、話を聞いて、居ても立ってもいられなくて。ぜひ参加させてください」
 
「君、なんか丈夫そうだね」
「はい。それだけが取り柄です」
「じゃお願いすることにするけど、念のため、うちの店舗で数日経験を積んでから第二陣で行くというのはどう?」
「はい、ではそれでお願いします」
「だったら、所属は千葉**店と書いて」
「はい」
 
それで桃香が記入してから、芳川さんは紙を回収して行った。
 

そういう訳で、千里は明日12日早朝から現地に入り、桃香は数日間、教育を受けて2回目のボランティアに参加することにしたのである。
 
千里は来週に予定されていた全日本クラブバスケットボール選手権大会は中止になるのではと思ったのだが、これは翌日内々にその方針であることが出場チーム(ローキューツを含む)に伝達され、正式には15日に発表された。
 
千里は3月12日朝6時に千葉**店に集合、キッチンカー3台に分乗して出発した。
 
この時点で、どの道が通行可能か、通行不能かという情報も不明確である(数日中に自動車メーカーが中心になって情報の集積が行われ、かなり分かるようになった)
 
一応現地の協力会社(このファミレスに食材を納入してくれていた会社)の駐車場に駐められることになっている。ガソリンは現地での調達は困難なのでサポート車に載せてそれも運ぶことにしている。
 

この第一陣で入ったのはキッチンカーに乗った男子チーム2つ8人と、女子チーム1つ4人、それに食材や飲料水・ガソリンなどを載せたマイクロバスに乗った副社長を含むサポートの男子5人である。
 
この時点で東北自動車道も常磐自動車道も全線通行止めである。取り敢えず沿岸を走る国道6号より内陸を走る国道4号の方がマシだろうと考え4号線を走って行くが、福島県内に入ったあたりから、あちこちで通行止めになっており、迂回につぐ迂回を強いられる。
 
結局千里たちの女子チームがこの日の目的地であったS町に入ったのは夜20時頃である。町の職員さんと連絡を取り、何とか避難所になっていた小学校に辿り着く。炊き出しに来たというと、歓声があがっていた。
 
この日供給したのはカレーのみである。ラーメンなどもやりたかったのだが、水を使うものは取り敢えずこの日は避けた。お代わり自由という方針だったので、何杯も食べている子供がいた。
 
「今日はどちらどちらを回っておられますか?」
と町職員さんから訊かれる。
 
「今、東京から辿り着いた所なんですよ。私たちのチームはこの後、S町内のの全避難所を回る予定です。別のチームがM町とO町、別のチームがZ町に行っています」
 
「W町にはどこかのチームが行かれます?」
「それがW町は交通事情が分からずもう暗くなるので今日は断念しました」
 
「保存食などはお持ちじゃないですよね?」
 
「乾パンも持って来ました。それと赤ちゃん用おむつ、女性用ナプキンも持って来ています。おむつやナプキンは1袋ずつ避難所に置いていく予定です」
 
「それもし余裕があったら、うちで運びますから一部隣のW町にも持って行っていいですかね?」
「お願いします。慣れてないと暗い中では路肩が崩れていたりしても気付かない可能性がありますし」
 
それでそこに乾パンおむつとナプキンを5袋ずつ置いていった。
 

12日の作業が終わったのはもう0時すぎであるが、震災発生以来何も食べられずに過ごしていたという人達が多く、多数の感謝の声があがっていた。
 
「疲れたねー」
「私たちもお腹空いた」
「でも協力会社までは辿り着かねばならぬ」
 
千里は言った。
「私バスケット選手で体力あるから、私が運転するよ。だからみんな寝てて」
「そう?じゃ遠慮無く」
 
それで千里が運転席に就くとみんな寝てしまう。千里自身も《こうちゃん》に
『よろしくー』
と言って精神を眠らせてしまった。《こうちゃん》はぶつぶつ言いながらも千里の中に入って車を動かし、仙台市内の協力会社F社まで運転して行った。
 

3月13日(日)。
 
昨夜は疲れていてみんなお風呂にも入らずに寝てしまったので、この日は朝からお風呂に入った。千里たちが泊まったのはF社から歩いて5分の所にある会社の女子寮である。小さな寮の空き部屋に泊めてもらったので2人1部屋である。朝御飯を食べた後。誘い合ってお風呂に行く。お風呂も定員5名という感じの小さなお風呂だ。
 
「この中に男の子が混じっていたとしても、今日は特別に容認してあげるね」
「そうだね。ここでは男の子は絶対的に戦力になるもん。ちんちんくらいついていても平気平気」
「女湯に特別ご招待だね」
 
などと言い合って服を脱ぐが
 
「残念。男の子は居なかったようだ」
「全員女であることを確認」
などという話になる。
 
それで浴室に入る。身体を洗ってから浴槽に浸かるが
 
「念のために本当に女なのか、触って確認」
などと言って、おっぱいの触りっこになるが、こういうのに慣れてない子が悲鳴をあげていた(充分セクハラである)。
 

昨日サポートチームが運んで来た食材を使ってF社のスタッフの手によってカレーと牛丼が作られているので、それをキッチンカーに積んで、この日は宮城県の北部を中心に回った。
 
また仙台市に戻ってF社女子寮に泊まる。
 
14日は東京に帰るのに8-10時間見た方が良さそうだということでお昼で切り上げようかと言っていたのだが、組織的なボランティアについては東北自動車道や仙台道路・三陸道などの特別通行許可を出すという話が入って来た。
 
それで東北道が使えるなら少し遅くまでしてもいいかということで15時までやろうということになった。
 
ところがその後、第二陣でボランティアに来る子たちの中で欠員が生じたという話が飛び込んでくる。家族などに反対されて参加を見送った人たちがいるというのである。それで第一陣で来ている人たちの中で消耗が少なく、続けて第二陣に加わってもいいという人は現地に残ることになった。
 
それで女子では千里と亜衣華が残留することになり、結果的に15時以降も残留組と現地協力スタッフの手でキッチンカーを昨日同様深夜まで動かすことになった。結局14日も作業が終了したのは22時すぎである。
 
「いや、これはホントに体力を削られるねー」
と一緒に残った亜衣華とお風呂の中で千里は語り合った。亜衣華は大学生で、今はやっていないものの、高校時代にソフトボールをしていたということで体力があるのである。
 
「へー、千里ちゃんはバスケやってるのか」
「まあ趣味程度だけどね」
「やはり普通の子には結構辛いよね」
「**ちゃんなんて、最初は元気だったけど、もう今日のお昼くらいには相当参っているような顔をしていた」
 
「体力もだけど精神も削られるよ。死体はこの3日間で30体以上見た気がする」
「中には酷い状態のもあったね」
「私たちが行っている時に避難所で亡くなった人もあったし」
 

15日はボランティアの第二陣が来るが、お昼からになるので午前中はまた千里・亜衣華と現地の協力者2名で救援車の特権で通してもらえる東北道を北上して築館(つきだて)ICを降りる。午前中は栗原市内の避難所を巡り、お昼過ぎにマイクロバスでやってきた第二陣を迎える。その後、桃香たち第二陣の3名を入れて、登米市を通過して沿岸の南三陸町の避難所を回った。
 
「これはなかなかハードだな」
と桃香も言っていた。
 
「これは感情の動きを止めてないと、耐えられない」
と今日来た歌恋が言っている。
 
その日は22時過ぎ、気仙沼市内の協力会社G社まで行き、ここでも女子寮に入る。
 
「千里、女子寮に泊まるんだ?」
「昨日までは岩手県内のF社の社員寮に泊まったよ。また男子は男子寮や家族寮に、女子は女子寮に」
「ふーん」
 
ここの女子寮は50部屋ほどもあるかなり大きな建物であった。広い食堂があり、そこで遅い夕食を食べる。部屋数にも余裕があるようで1人1部屋割り当ててもらった。いったん部屋に入ったあと、お風呂に行く。
 
「桃香〜、お風呂行こう」
と千里は桃香を誘った。
 
お風呂場の前まで一緒におしゃべりしながら来たのだが、千里がお風呂のドアを開けて入って行くと、桃香は何か探しているよう。
 
「どうしたの?」
「いや、女湯はどこかなと思って」
「女湯も何もここは女子寮だから、男女に分かれている訳が無い」
「千里、女湯に入るの〜?」
「こないだ、桃香、私のヌード見て、私は女湯に入れると言ってたじゃん」
「うむむむ」
 
桃香は千里がさっさと服を脱いで浴室に入っていくので、何だか悩んでいたようである。
 

浴室も昨日までの所より広い。15-16人入りそうである。しかし入って行った時は誰もいなかった。ふたりとも身体を洗ってから浴槽に入る。
 
「今、他に誰もいないみたいだけど、誰か来たらどうする?」
「そりゃここは共同浴場だから、みんな来るよ」
 
「千里、ほんとに平気なの?」
「何が?」
と千里は涼しい顔をしている。
 
「まあいいや、私は悩んで損したようだ」
と桃香は言っている。
 
桃香もまさか千里が男湯に入ったことなんて、数えるくらいしかないとは夢にも思っていない。
 
やがて亜衣華と歌恋もやってきたが、おっぱいの触りっこが始まってしまい、千里が平気で他の子の胸に触っているので、桃香は頭が痛くなってきた。
 

そして3月16日(水)。
 
千里は起きた時、男の子の身体になっていたのでトイレに行った時仰天した。
 
『これなんで男になってるの〜?』
と《いんちゃん》に訊くが
『私にも分からない。ただこの春は頻繁に男になったり女になったりするという話だったんだよ』
と彼女も答える。
 
男の身体なんて憂鬱だなあと千里は思った。
 
昨日が南三陸町だったので、この日は午前中にその北の陸前高田市、そして午後からは更にその北にある大船渡市を回った。南三陸町や気仙沼もそうだったが、この陸前高田や大船渡も悲惨であった。
 
「この付近は復旧するのに1年近く掛かるかも」
「海岸沿いは完全に壊滅している」
などと口々に言った。
 
ずっと市内の避難所を回り、夕方くらいにこの日最後の避難所に行く。海岸に近い場所なので、ほとんどの家屋が破壊されており、ひたすら瓦礫の山が続いていた。避難所の体育館が無事(完全に無事とは言えない)だったのが奇跡のようである。重機などもまだ入っていない。今は主要道路や電気などライフラインの復旧作業を最優先でしているはずだ。
 
彼女と会ったのは、ひととおり食事が行き渡り、千里が避難所内で食器を回収していた時であった。
 

「済みません」
 
と言ってその子は千里に声を掛けてきた。千里はその子を見た瞬間、
 
この子何者!?
 
と思った。その子は詰め襟の学生服を着ていたが、髪は女の子のように長く肩についていた。何よりもその子の声は、声変わりした男の子の声ではなく、ふつうの女の子の声に聞こえる声だった。
 
千里は最初てっきり男装女子と思ったのだが、あそこを透視してみると、男の子のものが付いている。凄く小さいけど。うっそー!?この子、男の子なの?と千里は信じがたいものを見た気がした。
 
しかしそのことより千里が興味を持ったのが、彼女(彼?)が物凄いオーラを持っていることと、多数の眷属を連れていたことである。
 
間違い無く霊能者だ。しかもかなり凄腕の。
 
むろんオーラも眷属も、普通の人の目に見えるものではないし、実は千里にも見えないのだが、千里はこの手のものを「感じ取る」ことができる。波動を丁寧に数えてみると、全部で8個あった。つまり眷属の数は8人(匹)ということになる。
 
波動の“色合い”から、どうもかつて人間であった眷属が多いようで、その中でも目立っているのが弁慶みたいな格好をした背の高い男である。また、大正ロマンのようなハイカラな服装をして腰には剣のようなものを下げている女性がいる。この2人がメインの眷属かなと千里は思った。
 
どうもこの子は“戦闘型”の霊能者のようである。千里の苦手な悪霊調伏のようなものができそうだ。少し天津子に似ているかもと思った。
 
そしてそれらの眷属とは明確に分離できる位置に江戸時代頃かなという感じの様式の巫女の衣裳をつけた女性がいるのを感じ取る。この人がこの子の守護霊かな。
 
目が合った瞬間、千里は瞬時にここまで読んだのである。
 

「お代わり?いくらでも頼んでね。お代わり制限は無いから」
と千里は笑顔で言った。
 
「ごはんはもう大丈夫です。美味しく頂きました。ここ2日ほど、おにぎりしか配給無かったから、お肉食べられてすごく嬉しかった」
 
と彼女(彼?)は無表情な顔、抑揚の無いひと昔前の自動音声のような声で言う。
 
「よかったね」
と千里は笑顔で語りかける。
 
「それで、ちょっとお姉さんに折り入ってお願いがあるんですけど」
「なにかしら?」
 
ここでは話しにくいということだったので、今やっている食器の片付けが終わったら聞こうかということにした。すると彼女(彼?)は片付けを手伝ってくれた。
 
キッチンカーの裏手で話を聞く。車のエンジン音があるので会話が漏れにくい。
 
「で、何かな?」
と千里は尋ねた。
 
「あの、凄く唐突なんですけど、女物の服を少し分けてもらえないでしょうか。新品でなくてもいいので。私、この格好で学校に居た時に被災してしまって。あとで家まで行ってみたけど流されていて服が調達できなかったんです」
と彼女(彼?)は言う。
 
「あなた、女の子?」
「自分では女の子のつもりなんですけど、その・・・お姉さんと同族です」
 
さっすが。私を男の娘と読んだのは大したもんだねと千里は思った。やはり結構な能力のある霊能者のようである。千里は今日は男の身体になっている。タックはしているので外観的には女ではあるものの、男性的器官は存在している。そのことで発生している微妙な“波動”の乱れを読み取ったのだろう。
 
「事情は分かった。それなら何とかしてあげたいけど・あ、名前は?私は村山千里」
「川上青葉といいます。来月から中2になる予定でした」
「青葉ちゃん、ご家族は?」
 
「両親と姉がいたのですが、地震から5日たったのに連絡が取れないのでたぶんみんな死んだと思います。避難所名簿とか死亡者名簿とか見ても見つからないし、電話会社の安否確認システムでもヒットしないのですけど」
 
千里はゾッとした。こんな話をこの能面のような顔で、抑揚の無い声で言うのは、感情が壊れているか、あるいは元々感情の無い子なのではと考える。
 
千里は青葉をハグした。
 
そして千里が青葉をハグした瞬間、青葉の波動が乱れるのを感じる。彼女は実際「あっ」という声を出した。
 
「青葉ちゃん、たいへんだったね。泣いてもいいんだよ」
と千里は言った。
 
すると青葉はそっと千里をハグしかえす。そして彼女の目に涙が浮かんだ。
 
そして千里が青葉をハグした瞬間、青葉が小学校の低学年の頃に掛けたまま自分で解き方が分からなくなってしまっていた、感情のロックが外れてしまったのであった。
 

千里は亜衣華に話して、自分の知り合いの女子中学生と遭遇し、彼女が家族を亡くしたと言っているので取り敢えず保護して今日の宿舎に連れて行きたいと言った。
 
「キッチンカーに同乗させていく?」
「違法は分かっているんだけど」
「うん。じゃ見つからないように」
 
千里は避難所の管理人さんにも、知り合いの子なので保護したいと言い、連絡先として自分の名前と携帯番号を届けた。
 
「ご親戚ですか?」
「ええ。遠縁なんですけど。又従姉妹くらいになるんですよ」
「なるほど」
 
と避難所の人とは会話したが、これは出まかせで言ったのではない。青葉の持つ固有波動の中に千里は自分の固有波動と似た成分が混じっていることに気付いていた。これは親族か、姉妹弟子にありがちなことなのである。
 
(実際には千里と青葉は“又従姉妹違い”であることがずっと後に判明する)
 
なお、この避難所の記録を数日後、天津子が見て千里に連絡してくることになる。
 

青葉をキッチンカーの所に連れて行くと、亜衣華は
「男の子?さっき女子中学生と言わなかったっけ?」
と尋ねた。
 
「応援団の練習していて、詰め襟着ていた時に被災したらしいんですよ」
「可哀相!」
 
千里はとっさに言い訳を考えたのだが、実は本当にそれに近い状況であった。青葉はスキーの授業を体調不良で見学していたのだが、セーラー服で山に登るのが寒いので、学生服を着て見学していたのである。
 
「だから宿舎に行ったら私の服を少し分けてあげるつもりです」
「あんた大変だったね。トイレにも困ったでしょ?」
「はい、誰も居なさそうな時に、さっと入りました」
「学生服で女子トイレにいたら痴漢と間違えられるよね」
 
「まあ間違われたら、あそこを見せてあげれば女と分かるね」
と事情を聞いていない桃香は言っていたが、実際にあそこを見せると男と分かってしまうので、青葉は少し困ったような表情を一瞬見せた。
 

この日は大船渡市の西側にあり、高地なので津波の被害だけは免れた住田町のホテルに泊めてもらった。ここは“高原のホテル”という感じの素敵な外観の所だったが、壁などにけっこうダメージは来ていた。
 
休業中であり、電気も回復していないので、懐中電灯を照らしながら廊下を歩く必要がある。非常用電源は動いているのだが、発電用燃料の確保に不安があるので最低限の所にしか電気を供給していない。
 
なお個人の荷物はサポートチームが昨夜の宿舎の気仙沼市から、食材と一緒に回送してくれている。
 
女子用にシングルの部屋を3つ確保(各々エキストラベッドを入れて2人泊まれるようにしている)してくれていたので、リーダーの亜衣華は千里に
 
「千里ちゃんを青葉ちゃんと同室にしようか?」
と言って、このような部屋割りを提示した。
 
亜衣華・桃香/歌恋・英恵/千里・青葉
 
「これは危険です」
と言って千里はこう修正した。
 
亜衣華/歌恋・英恵/千里・桃香・青葉
 
「こうしないと、桃香はレイプ魔だから、同室の女の子を襲う」
「やはり、あの子って男の子?なんか男っぽいなあと思ってた」
「そっちではなくてレスビアンなのよ」
「そうだったのか!でも千里ちゃんたちは大丈夫?」
「私は慣れているから平気。そして私が青葉ちゃんを守るから」
 
「頑張ってね!でも3人で泊まるなら男性が泊まっているツインの部屋と替えてもらう?そちらもエキストラベッド入れて3人泊まれるようにしているし」
 
「青葉ちゃんは私と同じベッドに寝せるよ。桃香の毒牙から守るには同じベッドの方が都合いいから」
「大変だね!」
 
「だからこの後のボランティア活動でも相部屋になる時は桃香は私と同室にして。襲おうとしたら顔面に蹴り入れてやるし」
「壮絶だなあ。でも了解」
 

今夜このホテルに泊まったのは、千里たち、ファミレスのボランティアチーム20名(青葉を含む)のみである。22-23時の間だけボイラーを動かしますということだったので、その間に入浴する。入浴だけは3人で1時間は厳しいので、千里が亜衣華の部屋で入浴させてもらった。食事は亜衣華が1人分余分に確保してくれたので、それを一緒にお部屋で食べた。服は取り敢えず桃香が自分の着替えを渡した(千里の服では大きすぎるのである)。女物の服を着ればほんとに可愛い女子中学生である。
 
桃香も最初青葉が男の子と聞いてびっくりしていた。
「私は男装したり女装していても男女を見分ける力がかなりあったつもりなのに君は女の子にしか見えなかった。本当に男の子なの?触らせて」
 
「それセクハラだからダメ」
と千里が言って止めた。
 
その後、千里と桃香で青葉の話を聞いたのだが、千里も桃香も涙が止まらなかった。今回の震災で結局、両親・姉・祖父母の5人を一気に失ったということのようだが、それ以前に彼女の家庭環境が凄まじかった。
 
父親はほぼ常時不在。母親も家事拒否している中、青葉は姉と2人で何とか御飯を確保して生き延びてきたらしい。千里は青葉が無表情で声の抑揚も無いのは、そういう家庭環境のせいだろうかと考えた。
 

佐賀県におじいさんがいるということだったので、本人は嫌がっていたものの、取り敢えずそこに行くように勧めた。朱音に電話して、生きているバスや鉄道の路線を確認してもらった。その結果、住田町から一関までタクシーで移動した後、そこから山形へのバスに乗り、酒田へのバスに乗り継ぐと、日本海側の鉄道が生きているので、佐賀まで辿り着けることが分かった。酒田で1泊である。
 
気仙沼(タクシー)一関(バス)山形(バス)酒田(ホテル泊)
酒田542-749新潟755-1131金沢1156-1432新大阪1445-1713博多1732-1815佐賀
 
(この時刻は2011年当時調べたものですが、2018年現在は一関から山形への直行便は存在しないようです。実際には仙台乗り継ぎだったか、あるいは臨時に設定されていたものかも)
 
タクシーは一関のタクシー会社を頼んだのだが、交通事情が悪く所要時間なども読みにくいので交渉して6万円で貸切ということにしてもらい、それと別に実際には運転手さんにチップを2万円渡した。青葉には佐賀までの交通費と酒田での宿泊費、当面の小遣いにと合計10万円渡した。また桃香の着換え、千里の着換えの中で青葉が着られそうなのを全部渡したので、千里や桃香自身の着替えが無くなってしまう。でも明日にはいったん千葉に戻るのでいいことにした。
 
なお実際は青葉は酒田ではホテルに泊まらず公園のトイレで一晩過ごしてホテル代を浮かせたようである。18日夕方無事、佐賀の祖父宅に到着し、千里の携帯に本人から報告の電話があった。
 

千里と桃香は翌日17日も夕方近くまで炊き出しの活動をして、マイクロバスで千葉に帰還した。今回は英恵が残留して現地スタッフと一緒にキッチンカーを夜遅くまで運用した。
 
この後、千里と桃香は、3月21-23日、27-29日の活動にも参加する。この炊き出し活動は、現地に物資が行き渡り始めたことから、3月いっぱいでいったん終了した(6月に再開され8月まで続けられた。夏場の体力を使う時期の支援である)。
 

3月26日(土)、国内のバスケット大会が軒並み中止になる中、8月に大村市で開催される、バスケットボール女子アジア選手権大会に向けての日本代表候補18名が発表された。
 
PG 富美山史織(1981) 羽良口英子(1982) 武藤博美(1983)
SG 三木エレン(1975) 花園亜津子(1989) 村山千里(1991)
SF 早船和子(1982) 広川妙子(1984) 佐伯伶美(1986) 佐藤玲央美(1990)
PF 簑島松美(1978) 宮本睦美(1981) 横山温美(1983) 石川美樹(1986) 高梁王子(1992)
C 黒江咲子(1981) 馬田恵子(1985) 中丸華香(1990)
 
実際の代表に選ばれるのはこの中の12名であり、3分の2の確率の生存競争に勝たなければならない。
 
基本的には昨年の世界選手権の時の代表がベースなのかな、と千里は思った。その後のアジア大会では全く異なるラインナップの代表チームが組まれたが、あまりにも弱すぎて、指揮を執った風城HCもすぐに辞任している。
 
今回の発表で異例だったのは、選手だけが発表され、コーチングスタッフが発表されなかったことである。それはあらためて後日発表するというアナウンスであった。
 

その監督問題については、アジア選手権は福井W高校監督の城島さんが指揮を執るというのを千里は聞いていた。選手たちはだいたい知っている子が多かったようである。本来、日本代表監督は専任になるべき所を兼任でしかも今大会限りという条件で城島さんが引き受けてくれたのである。発表するのに、あちこちとまだ調整中なのかも知れないと千里は思った。
 
しかしそれよりも千里はSG(Shooting Guard)に3名選ばれているのを見て「うーん」と悩んだ。
 
1月にNTCでU24監督の東海さん、U24(Univ)監督の須崎さんに偶然遭遇した時、千里、玲央美、王子の3人はフル代表に呼ぶと言われた。しかし18名の候補の中でSGは3人選ばれている。実際には2人しか選ばれないだろうから、代表の顔ともいうべき三木エレンは確実として、結局亜津子と自分の競争になる。その場合、実績で勝り、しかもWリーグに所属している亜津子が絶対有利なのである。
 
「まあ、いいや。私は自分の実力を明示するだけ」
 
と千里は自分に言い聞かせるように言うと、ランニングシューズを履いてジョギングに出た。
 

3月27-29日の炊き出し活動に参加した後、30日はさすがに1日休んだが、31日には桃香と一緒に長野の水浦産婦人科に行き、第2回目の精子採取を行った。千里は今回も前回と同様、小春の協力で無事、精子を採取した。例によって、昼寝をしていた武矢は、唐突な射精感覚に戸惑うのであった。
 
(千里の睾丸は小学4年生の時に父・武矢(49-当時39)に移植されており、武矢の睾丸は実家近くの稲荷神社の宮司・翻田常弥(82-当時72)に移植されている。小春は桃香が千里の陰茎を刺激するのに合わせて昼寝中の武矢の陰茎を刺激して射精させ、その精液をこちらの精液採取容器に出したのである。この操作は小春が他の眷属には気付かれないようにやっている)
 
なお千里は3月30日に男の子の身体に戻っていた。男の子状態はこの後、4月28日まで約1ヶ月継続して、千里はかなり憂鬱になった。
 
4月4日(月)。先日日本代表候補に選ばれていた選手の中で、32歳の簑島松美(レッドインパルス主将)が、日本代表およびWリーグからの引退を表明した。
 
彼女はもう3月いっぱいで引退しようと思っていたので、日本代表候補に選ばれてびっくりしたと言っていた。
 
なおレッドインパルス主将は、副主将の黒江咲子が昇格するということらしい。
 

4月7-10日。日本代表の《大村合宿》というのが予定されていた。
 
なぜ大村市かというと、今年のアジア選手権が大村市の《シーハットおおむら》で行われるからである。その下見も兼ねたもののようである。今回の合宿にはアメリカに行っている羽良口と、スペインに行っている横山は参加しないので参加者は15名である。
 
しかし千里はその日程表を見て「うーん」と悩んだ。
 
●7日 日本代表記者会見
●8日 羽田空港→長崎空港
長崎空港でお迎えセレモニー。その後長崎県庁と大村市役所を表敬訪問。夜にはレセプション。
●9日 午前中三木・広川・馬田の3人が長崎市でテレビ出演後、市内で街頭募金。他の選手は大村市で街頭募金。14:00-15:00公開練習。その後、テレビや雑誌の取材。
●10日 9:30 バスケットボール・クリニック (シーハットおおむら)
11:00 ふれあいイベント。その後、長崎空港から羽田へ。
 
「これ合宿という名前のただの広報活動じゃん!」
と千里は思わず声に出した。
 
「ね、すーちゃん、すーちゃん」
と千里は気配を察して逃げようとしていた《すーちゃん》を呼び止める。
 
「すーちゃん、去年のU20アジア選手権で、私の代理を務めてくれたよね」
「えーっと・・・」
「今回の合宿は、すーちゃんが行って来てよ」
「そんな無茶だよぉ。アジア選手権の時は、千里が下手なふりできないと言うから、私が代わったけど」
 
「でも、すーちゃんって、あの時見てたけど、けっこう運動神経いいじゃん。中学生とかのバスケ指導くらいできるでしょ?」
 
「無理〜!」
「じゃ、どうにも私でしかできない時だけ交代するということで」
 
ということで、今回の“合宿”は《すーちゃん》に押しつけてしまったのである。
 

そういう訳で、千里は4月6日までは普通にローキューツの練習に出つつ、それ以外の時間は葛西のマンションで作曲活動をしていたし、4月7日は、本来は自分は大村に行っていることになっているので、千葉には姿を見せず、1日中葛西のマンションに籠もっていた。
 
4月8日。この日も葛西にずっといようと思っていたのだが、午前中に桃香から電話が掛かってくる。
 
「千里、午後から花見やるから、来て」
「私忙しいのに〜」
「ああ、なんかバイトが入っているんだっけ?」
「うん。楽譜の清書を頼まれている。明日の朝までに仕上げないといけないものがある」
 
「明日の朝までなら、2〜3時間くらい、いいじゃん」
「え〜〜!?」
「紙屋君が東北方面のボランティアに行って来たんだよ」
「へー!」
「ひたすら瓦礫の片付けとかやってたって」
「あの子、あんまり筋力無さそうなのに」
 
「まあそれで向こうの福島県産の牛肉を10kg買ってきた」
「福島県産?」
「みんな放射能を怖がって買ってくれないというので、向こうは困っているみたい。ちゃんとガイガーカウンターでチェックして問題無いことを確認して買ってきたって」
 
「わあ、それはみんなで食べなければ」
「うん、だから食事するだけと思ってちょっと抜け出しておいでよ」
 
「じゃ夕方まで」
 

それで千里はその日、大学の友人たちの花見に出かけて行ったのである。
 
紙屋君はバイクで被災地を走り回り、主として福島県内で瓦礫の片付けをしていたらしい。除染作業も少しやったと言っていた。
 
「あれ1人の人があまり長時間はできないんでしょ?」
「そそ。時間制限がある。だから結果的に多人数が必要」
「大変だね」
 
しかし彼が買ってきたお肉は美味しかった。他にも東京都内で売っていた宮城県産の野菜を買ってきた子もいて、そういうのを焼いて食べながら、やはりこの日は復興論議や、エネルギー論議になった。
 
自転車を漕いで発電する、人力発電所という案も出た。500人で漕ぐと、原発一基分程度の電力を生み出せるという計算結果が出る。むろん連続して漕ぐのは無理だから、3000人くらいで交代して漕げばよいのではとか、ダイエットしたい人を集めようとか、スポーツ選手のトレーニングとか、更には交通刑務所の作業としてやったらどうかという意見まで出る。
 
しかしやはり新しいエネルギーの本命は太陽光発電・太陽熱発電だろうという意見が多かった。
 
日本中の建物の屋根(特に工場や学校の屋根が大きい)、休耕田・空き地などに全て太陽光パネルを敷き詰めると、実は日本国内の電力をほとんどまかなうことができるという凄い試算結果があることも、ひとりの子が見つけた。
 
かなり有意義な意見も出たので、ひとりの子がこの日の議論の結果をまとめてホームページに公開すると言っていた。
 

花見が終わった後は、いったん桃香のアパートに戻ることにし、一緒にそちらに行った。すると、アパートの玄関前に青葉が座り込んでいるのを見てびっくりする。
 
「お帰りなさい」
と青葉は言った。
 
「青葉ちゃん・・・・」
と桃香が驚いて言う。
 
「ごめん。戻って来ちゃった」
と青葉は照れるような笑顔で言った。先日は完璧に能面のような表情だったのに、僅かながら感情が顔に出るようになったようだ。
 
取り敢えず上に上げて甘いミルクティーを出して話を聞いたが、青葉は結局、佐賀の祖父から「男の子になる」よう強制され、髪を強引に切られそうになって逃げ出してきたらしい。
 
「こちらには新幹線で来たの?」
「お金無いからヒッチハイク」
「九州から?凄い」
 

「どうする?」
と言って、桃香と千里は顔を見合わせる。
 
「取り敢えず保護するしかないと思う」
と千里は言った。すると青葉が嬉しそうな顔をする。
 
桃香が仕方ないなあという顔をして、佐賀の祖父の所に電話を入れた。
 
本人がどうしても帰りたくないと言っているので、しばらくこちらで預からせてもらえないかと桃香が言うと、青葉の祖父は、素行不良で手に負えなくて困っていたので、預かってくれるなら頼むと桃香に言った。
 
それで結局桃香と千里で青葉を保護することにした。
 
「あ〜あ、とりあえず私は君の保護責任者になったよ」
と桃香は渋い顔で言うが
「私も青葉の保護責任者」
と千里はむしろ嬉しそうな顔で言った。
 
「すみません。ご迷惑おかけします。生活費とかしばらく貸してください。父の死亡が認定されたら、父の銀行口座からお金が引き出せてお返しできると思うので」
と青葉が言う。
 
「ねえ、桃香、そのあたりって色々手続きが必要なんじゃない?」
「うん。これ弁護士さんに頼んだほうがいいね。中学生が行ったって銀行は大人を連れてきなさいとしか言わないよ」
 

それで青葉の取り敢えず財産に関する案件で、千里は弁護士に依頼することにした。両親や祖父母などが、行方不明という状況であれば、法的な処理は結構難しい。また、この後、色々な処理を進めるにしても、誰かが青葉の後見人になった方がいいと弁護士は言った。
 
それで桃香か千里のどちらかが青葉の未成年後見人になる方向で手続きのための書類などを準備しはじめたのだが、ちょうどそこに4月13日、偶然にも朋子が高岡から千葉に出てきて、その話を聞くと、自分が青葉の後見人になりたいと言った。
 
未成年後見人というのは、いわば親代わりだが、青葉は現在13歳10ヶ月である。20歳になるまでの6年余の間に、千里や桃香が結婚しようとした場合、子供がいるのは障害になる、と朋子は主張した。
 
「私が結婚する事態はありえないのだが」
と桃香は言うし
「私が結婚するとしても、相手はそんなの気にする人ではないから大丈夫です」
と千里は言った。
 
しかし朋子が自分が親代わりで、あんたたちは姉代わりというのでもいいんじゃない?だから、青葉の生活費は3人で分担しようよと言うと、青葉自身も
 
「桃香さんや千里さんをお母さんと思うのは、年齢的にきついけど、お姉さんならいいな」
と言ったので、結局朋子が未成年後見人を引き受けることにした。
 
この件を再度桃香は佐賀の祖父に照会したのだが、そちらで後見人になってくれるなら幸い、などと向こうは言ったので、念のため弁護士さんが佐賀まで行き、承諾書を取ってきてくれて、それで朋子は正式に青葉の未成年後見人に就任することになる。
 

そちらの法的な手続きを進める一方で、桃香たちは青葉の就学についても作業を進めた。
 
朋子が後見人になるので、朋子の家がある高岡で就学することになるが、問題は青葉の“性別”であった。千里は青葉は“女子生徒”として就学させようと言い、作戦を提案した。
 
まずは美容室に行かせて、可愛い髪型にする。そしてとっても可愛い服を着せてそれで朋子に地元の中学へ連れて行ってもらった。
 
朋子は中学の校長に説明する。
 
今回の震災で両親・姉・祖父母を一気に失い、身寄りがないこと。それを縁あって保護することになったこと。実は遠縁の親戚でもあること。現在未成年後見人になるべく申請中であること。それで現在は保護者不在なので正式な住所移転などもできない状態ではあるが、高岡で自分の許で暮らさせるので、こちらの中学に就学させて欲しいこと。
 
そこまでは震災に伴う特例ということで問題無いと校長先生は言ってくれた。
 
また青葉の表情が乏しく、話し方も抑揚のない機械のような話し方であることについても、父親にずっと暴力を受けていて、感情を閉じてしまっていること、これは今後自分が一緒に暮らしていく中で、少しずつ改善していけるようにしたいことを言った。
 
その点についても学校側は、そういう生徒への対応はできるだけ頑張りたいと言ってくれた。
 
その上で、朋子はいよいよ青葉の性別問題を出す。
 
「こんな可愛い子なのに無表情だから損してるんですよね」
「ええ。笑顔になったら本当に美少女という感じですね」
 
「ね、先生この子美少女でしょ」
「ええ」
「まさか、この子が男の子だなんて思いませんよね?」
「え?」
「実は、この件がいちばんやっかいなお願いなのですが」
「まさか」
「この子、性同一性障害なんです」
「君、男の子なの?」
 
美少女の青葉が実は戸籍上男の子だというのは、向こうの想定外だったようで、校長先生もパニックになる。朋子は、この子は戸籍上は男の子であっても、下着姿になっても女の子にしか見えないと説明し、実際に男性の教員が席を外した中で養護教諭など、女性の教員に下着姿を曝した。
 
「女の子にしか見えない・・・」
「手術とかしている訳ではないの?」
「手術はしていません。隠しているだけです。おっぱいは女性ホルモンの作用でここまで膨らませてきました」
 
青葉は現在ホルモン的に実質去勢状態にあることを説明し、声変わりなども起きる可能性が無いと言った。
 
前の学校での扱いも訊かれたので、青葉は、前の学校では授業だけは男子制服で受けて、昼休みや放課後、部活などは女子制服で出ていたことを言う。また、体育の着換えなどは着換え用の個室を指定されて、そこで着換えていたと説明した。
 
学校側は職員会議をして青葉の性別の取り扱いについては決めたいと言ったので、その日はそれで帰って来たが、学校からの連絡はその日の内にあり、青葉を女子生徒として受け入れるということ、それですぐに女子制服を作って欲しいが、受け入れは、学校側での様々な準備のため1週間後からにして欲しいということであった。
 
これで青葉は、本当に女子中学生として、中学校に通うことができるようになった。
 

千里と桃香は、青葉の就学問題に対処するため、一時高岡に行っていたのだが、就学が1週間後になったので、その間、青葉・朋子とともにいったん千葉に戻り、ディズニーランドに連れて行ったり、朋子が映画とか落語の寄席などに連れていき、彼女の感情の動きを刺激した。
 
それでこの一週間だけで、完全な能面のような表情から、わずかながら笑顔が出るようになり、随分雰囲気が変わった。普通のぶっきらぼうな人程度には表情や言葉の抑揚が変化した。
 
そしてここ半月ほど、桃香・千里と一緒に行動していた青葉は、最初ふたりの関係を友人と思っていたが、もしかして恋人だったんですか?と尋ねた。
 
それについて桃香と朋子は肯定するが、千里は否定する。しかし青葉は千里が恥ずかしがって否定していると思ったようである。そして、千里が現在精子の採取をしていて、精液を4回採取して凍結したら、去勢するつもりだという計画を聞くと「その採精の前日に男性機能を強化してあげますよ」と言った。
 
青葉は4月25日(月)に地元・伏木の中学校に初登校していったのだが、千里と桃香は彼女の初登校を見届けてから千葉に戻ることにしており、その途中長野に寄って、採精をする予定だった。それで青葉はその前日に千里の睾丸を超活性化してくれた。
 
それで4月26日の採精では、前2回に採精したものに比べて物凄く濃い精液が得られた。水浦医師も驚き、このように濃い精液が取れるのなら、前2回のは破棄して、今日のを含めて新たに4回取りましょうということになった。
 
もっともこの青葉の作用で物凄く活性化されたのは、むろん千里の父・武矢の睾丸である。武矢が元気すぎるので、津気子は渋い顔をしていた。この後、採精の度に武矢は異様に活性化するようになる。
 
そして千里自身は、この睾丸活性化によって、漏れてくる男性ホルモンの影響で、またまた生理痛のような頭痛に悩まされるのであった。
 
「ここで男性ホルモンが大量に体内に入ったから、高校3年の時、千里は声変わりをしてしまったんだよ」
と《いんちゃん》が教えてくれた。
 
「あれは青葉のせいだったのか!」
「まあ実際には、千里の声変わりは必ず起きることになっていたんだと思う。千里があまりにも早く去勢してしまったから、その辻褄合わせの手駒として青葉が使われているんだよね、たぶん」
 
「ああ。青葉もそういう手駒に使われやすいタイプみたい」
と千里は嘆くように言った。
 
 
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【娘たちの震災後】(1)