【娘たちの年末年始】(1)

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2010年のウィンターカップ。女子の試合は28日の3位決定戦と決勝戦で幕を閉じ、札幌P高校の優勝(3連覇)、旭川N高校は3位で銅メダル獲得という結果に終わった。
 
打ち上げの席で、この後の新チーム体制作りと4月からの新コートに早く慣れたいという意見が出た。そこで千里はローキューツの事実上のオーナーとしての権限を使って、ローキューツが練習に使用している房総百貨店の体育館を(百貨店の許可を取って)年末年始のN高校合宿に提供することを決めた。体育館に付属する宿泊施設も一緒に借りられることになった。
 
ただこの宿泊施設はもう4年も使用していない。どういう状況かは全く不明である。そこで、千里は打ち上げの後、ひとりで千葉に行き、取り敢えず状況を確認することにした。
 
『明日朝からもう一度来て、明るい光の中で再度チェックする必要があるけどね』
と千里が半ば独り言のように言う。
 
『霊的な問題は俺たちで処理できるけど、物理的なものは守備範囲外だ。ムカデとかの忌避剤は撒いた方がいいと思う』
と《こうちゃん》が言う。
 
『うん。刺されたら怖いもんね』
 
それで体育館まで来てみたのだが、この日はまだ月が昇っておらず(この夜の月出は0:21AM)、星明かりの中、宿舎は不気味な姿を曝している。
 
『なんか幽霊でも出そうな建物があるなあと思ってたのよね』
『幽霊というか妖怪のスクツになってるな』
『・・・・・』
『どうした?』
『スクツ(巣窟の故意誤読)なんて死語じゃないかなぁ』
『そうか?』
『で、それ処理できる?』
『OKOK』
 
それで、《とうちゃん》《せいちゃん》《りくちゃん》《こうちゃん》《げんちゃん》《びゃくちゃん》《すーちゃん》の7人で飛んで行って“処理”を始めてくれた。千里はこういうものが全く見えない体質なのだが、7人掛かりということは相当凄い状況かなと思った。
 
『まあ中に入ってみるか』
 
宿舎の鍵は、体育館の管理室の机の引き出しに入っているということだったので、千里がまず自分がいつも持っている体育館の合鍵で体育館を開け、管理室から宿舎の鍵を持って来て、宿舎を開ける。
 
「かびくさーい」
と思わず声に出して言う。
 
「換気すればだいぶ変わると思う。お掃除に1日掛かるかも知れないけど」
と《たいちゃん》。
 
「うん。1日置いた方がいい気がする」
と千里も同意して言った。
 

入口入った所に部屋の配置図がある。入ってすぐの所にキッチンがある。ここに電気の大元のスイッチがあるのでそれを入れる。通電自体おそらく1〜2年ぶりではないかと千里は思った。電気のメーターはどうも体育館と一緒になっていたようだ。それなら電力会社に何か言う必要も無さそうだ。
 
キッチンには机、棚、冷蔵庫などがある。全体的にかび臭い。ポットなどが置いてあるが、このあたりの備品は新しいのを買った方がいいかもと判断。買出し用品のメモを書いた。《いんちゃん》と《たいちゃん》にも意見を出してもらって書き加える。
 
そして《すーちゃん》と《りくちゃん》を呼び戻し、買物を頼む。
 
「これとこれはドラッグストアにしかないと思う。これはホームセンターで買える」
「閉店時刻まで間が無いから2人だけでは手に負えん。あと2人くらい要る」
「じゃ、いんちゃんと、びゃくちゃんも連れて行って」
「じゃ、朱雀と大陰はホームセンターに行ってくれ。俺と白虎でドラッグストアに行く」
「了解」
それで4人は飛んで行った。
 
結局、妖怪の処分は《とうちゃん》《こうちゃん》《せいちゃん》《げんちゃん》の4人で、買物を《すーちゃん》《りくちゃん》《いんちゃん》《びゃくちゃん》の4人でしてもらい、千里のそばには《たいちゃん》と《きーちゃん》だけが残ることになる。《くうちゃん》はこのような細かい事には関わらない。
 
なお《てんちゃん》は千里の代理でファミレスに行っているが、《きーちゃん》は28-29日が神社のバイトはお休みなので、今日はここに来ている。
 
この後、ファミレスは31日から3日までお休みになる。
 
神社の方は、30日から5日まで連続勤務になるものの、30,3,5 は早番、31,2,4 は遅番(13:00-19:00)の予定である。但し1日は0:00-3:00 9:00-12:00 18:00-21:00 というハードな勤務になる予定だ。(31日午後から2日朝までは龍笛担当は、引退していた巫女さんにもお願いして4人体制で回す)
 

「水道がかなりサビが出てる。しばらく出しっ放しにしよう」
と《たいちゃん》が言う。
 
「うん、そうしよう」
 
キッチンの隣にお風呂、トイレ、2階に上がる階段と並び、その向こうには1階の居室が並んでいる。最初の部屋に入ってみる。何も無い。下は板張りである。これはかえって畳などが敷いてあるのより掃除は楽だぞと千里は思った。押し入れがあるので開いてみる。かび臭いのはもうやむを得ないのだが、中にも物が無い。この宿舎の使用をやめた時に、中にある物品を全部撤去してくれているのなら、ほんとに掃除するだけで何とかなるはずである。物が色々残っていたら、その処理が大変な所だった。
 
「千里、廊下と全部の部屋の窓を開けてしまおう」
「それがいいかもね」
 
それで《たいちゃん》と《きーちゃん》で手分けして窓を全部開け放ってくれた。
 
一応全部の部屋に入ってみたが、どの部屋にも物は無かった。管理室のそばにトイレ、お風呂・階段がある。トイレは洋式が設置された個室が4つあるが、朝とかは混みそうだなと思う。個室しかないのは、女子選手たちの泊まり込み用として建てられたからだろう。体育館には男子トイレもあったので、男性スタッフはそちらを使っていたのかも。
 
「個室しかなかったら男の人はおしっこできないよね?」
と千里が言うと
「そんなことはない。洋式便器の前に立ってできる。便座は上げる」
と《きーちゃん》が言う。
「え?そんなことできるの?」
と千里が驚いたように言う。
「千里ってほんと男の子の生態を理解してない」
「でもこちらのトイレは女子専用にした方が良いと思う」
 
部屋が12個と聞いていたので、1階・2階に6個ずつかと思ったのだが、結局1階に4室、2階に8室であった。1階の管理室・トイレ・お風呂で4室分のスペースを取っている。お風呂は洗い場の蛇口(混合栓.シャワーヘッド付)が6つである。広さを見ても実際6人くらいずつしか入れないと見た。60人ほどの合宿メンバーの入浴には厳しそうである。
 
「ここからいちばん近い銭湯はどこだろう?」
「8kmくらい先にスーパー銭湯があるよ」
と《たいちゃん》が教えてくれる。
 
「遠いなあ」
 
「8kmジョギングしてお風呂に入るとか」
と《きーちゃん》が結構無茶なことを言う。ここしばらく神社での勤務が結構ハードなようなので、それできついジョークが出てきたか。
 
「何てハードな入浴!」
「でもそれ帰りはどうするのさ?」
と《たいちゃん》が突っ込む。
 
「帰りだけバスに乗るとか」
と《きーちゃん》
 
「それしかないかも知れないなあ」
「ここの浴室は遅くまで練習した子が汗を流す程度で考えていた方がいいかも知れないね」
と《たいちゃん》も言った。
 
「もしかしたら、合宿の期間中だけでも、マイクロバスくらい借りておいた方がいいかも。どっちみち駅と体育館の間の交通も必要だし」
と《きーちゃん》は言う。
 
「誰か運転できるんだっけ?」
「29人乗りのマイクロバスなら中型免許で運転できるけど」
「きーちゃんかこうちゃん、運転できるかな?」
「私が運転してもいいのなら、するよ。私が神社に居る間は勾陳にさせて」
 
「ちょっと荒っぽいけど仕方ないか。でもコーチ陣で中型か大型の免許持っている人いたかも知れないけど、コーチ陣は指導でくたくたになっているから、事故とか起こすと怖いもんね」
「そうそう」
 

「でもこれ50人もの合宿者の食事をどこで取らせようか」
と千里は自問自答するように言う。
 
「50人が食事すると言ったら、できたら50畳欲しい。平米で言えば80平米」
「ここの廊下は何平米」
「千里凄いこと考えるね。ここは長さ20m弱だから、20平米くらい」
「全然足りないなあ。体育館のロビーはどのくらいあった?」
「あれは。。。」
と言って
「見てくる」
と《たいちゃん》が言うので
 
「いや、一緒に行こう」
と言い、3人で行って確認すると、玄関や控室などとして取られている部分を除くと2.6m x 28m = 72.8m2 ほどあった。場所によってはもう少し幅のある所もある。
 
「少し狭いけど何とかなるよね?」
と千里。
 
「うん。何とかしてもらおう」
と《きーちゃん》。
「机と椅子が必要だよ」
と《たいちゃん》。
 
「椅子無しで座って食べる仕様で」
「その方が空間を有効利用できるかも」
「旅館の宴会に使うような折り畳み式の長テーブルがあればいいよね?」
 
「それ持って来ても叱られない所知ってる。倒産した旅館が近くにあるのよ。長テーブルはあったはず」
と《たいちゃん》が言う。
 
「勝手に持ってくるのはまずくない?」
「後で戻しておけば平気」
 
「たいちゃんが言うなら大丈夫かな。じゃ借りて来よう」
「じゃ、妖怪の処分が終わったら、勾陳とふたりで取りに行ってくるよ」
 

それでその日はいったん引き上げることにした。いったん全ての窓を閉めた上でバルサン(ドラッグストアで買ってきてもらった)を焚く。
 
念のため、《りくちゃん》に朝までの見張りを頼んだ。体育館の管理室に居てくれる。そのほか、《こうちゃん》と《たいちゃん》がテーブルを取りに出かけて行った。
 
「冷蔵庫にあるビール飲んでもいい?」
と《りくちゃん》が言う。
 
「じゃ1本だけね。こうちゃんにも戻って来たらあげて」
「OKOK。そうだ。バルサンが終わった所で窓を全部再度開けようか?」
「あ、それお願い」
 
千里がV高校に戻って来たのは0時過ぎであるが、体育館の灯りがまだ点いている。行ってみると、絵津子と由実がひたすら1on1をしていて、南野コーチが付いていた。
 
「千里ちゃん、この子たちに言ってやってよ。そろそろ寝ろって」
「じゃ、2人とも私に勝てたら寝なさい」
「え〜〜〜!?」
 
それで千里は絵津子と由実を1回交代で相手にした。すると絵津子は15回目、由実は20回目にやっと千里の横を通過してゴールを決めることができた。
 
「お疲れ様。じゃ寝よう」
 
それで引き上げて行きつつ、千里は南野コーチに言う。
 
「向こうの宿舎を見てきたんですが、やはり最低限の掃除が必要なんですよ。明日一日掛けて掃除させますから、良かったら、利用は明日の夕方以降にしてもらえませんか?」
 
「そんなに早く使えるなら言うこと無いよ。今日はどっちみち、男子の決勝戦を見ようと言っていたし、午後はここの清掃とかをして、その後、移動かな」
 
「それでいいですね。食材の残りは明日の日中に私や司紗たちで移動させますよ」
 
「分かった。よろしく」
 

「ところで向こうの設備なんですが、トイレの個室が4つしか無いのは、体育館側のトイレも使えるから、何とかなると思うんですが。お風呂が狭いんですよね」
 
「まあ元々こういう多人数で泊まることを想定してないだろうからね」
 
本来は6畳の部屋1人1室だったのかも知れない。
 
「ですから、マイクロバスでも借りて8km先にあるスーパー銭湯まで運ぼうかと。それに、そもそも駅と体育館の間の交通手段も必要なんですよ」
 
「なるほど」
 
「それで私の友人が運転のボランティアをしていいと言っています。もう3年来の友人なのですが」
と千里。
 
「その人の年齢と運転経験は?」
「年齢はたぶん35-36歳くらい。大型免許持っていて、運転歴は15年ちょっと。年間走行距離は3万kmくらいあるはずです」
 
「そういう人なら安心かな」
 
「銭湯に行く時はジョギングで行って、帰りだけバスという提案もあるのですが」
「まさに地獄の合宿ね!」
 
と言ってコーチは笑っていた。
 

12月29日(水)。
 
合宿メンバーは朝軽く練習をしてから東京体育館に行き、男子の3位決定戦(10:00-)と決勝戦(12:00-)を見学する。その後、V高校に戻って、宿舎と体育館の清掃活動を行うことになっている。
 
一方千里は午前中、みんなが留守なのをいいことに、V高校の掃除道具を持ち出して、眷属のみんなにお願いして、房総百貨店体育館の宿舎に掃除機を掛け、モップ掛けをしてもらった。モップのヘッドはとても再利用できないくらい汚れたので、全部新品と交換した。掃除機のパックも全部新しいのと交換した。《いんちゃん》はカビキラーを持ってカビの出来ている所を見つけては噴射していた。
 
「みんなごめんねー。こき使っちゃって」
と千里は言うが
 
「たくさん“食事”できたから、この程度平気平気」
と《こうちゃん》などは機嫌良く言っていた。
 
また《びゃくちゃん》に頼んで、この宿舎の周囲、更には体育館の敷地そのものの外周にムカデの忌避剤を散布した。
 
「これはもっと早くやっておくべきだったかもね」
「まあ今の時期はムカデもあまり活動してないけどね。夏前にもう一度撒こう」
 

寝具のレンタルについては、新島さんに相談したら、知り合いのイベンターさんから安価にレンタルできる所を紹介してもらい、格安でレンタルすることができた。今日の夕方までには届けてくれるということであった。
 
お昼過ぎ、瀬高さんが29人乗りの小型バスを運転して体育館に乗り付けた。
 
「やっほー。呼び出してくれてさんきゅー」
「すみません。わざわざ鶴岡から」
「日給3万円に釣られて出てきたよ」
「その給料を払うことは一応内緒にしておいてください。ボランティアということにしておきますから」
「了解、了解」
「ちなみに大型持っておられましたよね?」
「大型二種持っているよ〜」
「だったら安心ですね」
「まあ大型免許を提示しないと、この車は借りられない」
「そうですよね!」
 
荷物の持ち運びや補助席開閉の手間を考えて、補助席を使わずに25人以上乗るものをと千里が要望したのでこの車種になったのだが、総重量が11.3tと、わずかに11tを越えるため、中型免許では運転できないのである。なお、このバスは立って乗る人も入れれば一気に(運転手を含めて)58人を運搬できる。
 
「そうそう。レンタル料は結局幾らになりました?」
「354,800円」
と言ってレシートを見せるので、千里はその金額を即瀬高さんの口座に振り込んだ。
 
「私クレカで払ったけど、支払日までにこれ使い込んじゃったらどうしよう?」
「危ない時は相談してください」
と千里は笑って答えた。
 

29日の午後、東京体育館で男子の決勝戦を見た旭川N高校のメンバーはV高校に戻ると、体育館組と宿舎組に分かれて掃除を始めるが、体育館のモップのヘッドが新しくなっているのに驚く。
 
「ああ。年末だから新しいのに交換するって言ってたよ」
と千里が言うと
 
「なるほどー!」
という声があがっていた。
 
「でもその新品のモップを最初に使うのは気が引けるね」
「いや、モップは汚れるのがお仕事だから」
 
一方で千里はV高校の先生に、モップをだいぶ汚してしまったのでヘッドを交換させてもらったと伝え、了承をもらっておいた。
 

生徒達が掃除している間に司紗・夜梨子たちは余っている食材をこちらまで持って来たバスに積み込む。ついでに千葉合宿の間、こちらの食器や調理器具を借りられることになったので、それも積み込む。
 
そして運転手の瀬高さんほか、司紗・夜梨子・留実子の3人が乗って、房総百貨店体育館へと運んだ。留実子が加わったのは、力作業が必要だからである!彼女がいるのといないのとでは戦力が大きく違う。
 
体育館に着くと、瀬高さんがあずかっていた鍵で体育館を開け、みんなで荷物を運び込んだ。
 
「あちらが宿舎ですか?」
「そうそう」
「窓開いているけど、いいんですかね?」
「2年間閉め切っていたから、せめてもの抵抗で窓を開けて換気しているんだって。夕方までにはだいぶかび臭さとかも取れるんじゃないかな〜って言ってたよ」
 

さてバスケ部員たちは掃除が終わると、みんなでV高校の職員室に行き、お世話になった御礼の挨拶をした。
 
「毎年お世話になって助かってます」
「いや、うちの宿泊施設を使ってくれて、それでメダル取ってくれたら、こちらも嬉しいよ」
とV高校の教頭はニコニコ顔で言った。
 
「来年も来れるといいね」
「はい!頑張ります」
 
「それではまだ食器等をお借りします。1月9日に返却に来ますので」
「うん。よろしく〜」
 

その後、電車とモノレールを乗り継いで、夕方やっと千城台駅に到着する。ここに瀬高さんがバスで待機していて、メンバーを2往復して体育館まで運んだ。なお、指導係のボランティアで来ている人たちは数台の車に相乗りして、こちらに移動している。
 
瀬高さんの運転するバスの第1便で到着した子たちが体育館の中に入る。この中には教頭や白石コーチも入っていた。
 
「これが新しいコートのレイアウトか!」
と声があがる。
 
「もしかして台形が長方形になっちゃったの?」
と教頭が訊く。
「そうなんですよ。だから全世界の体育館管理者が悩んでます」
と白石コーチ。
 
「凄い変革だね!」
「あとスリーポイントラインも50cm遠くなったんですよ」
「それって入る確率がだいぶ落ちない?」
 
「多くのシューターが入る確率が2〜3割落ちると言っています」
と薫。
「やはりね〜」
と教頭は難しい顔をして言う。
 
「もっとも、村山は全然変わらないらしいですが」
と薫が言うと
 
「さすが村山さん!」
と教頭は言って、納得するように頷いていた。
 

全員そろった所で2つのコートに別れて各々で紅白戦をしてみたものの、やはりローキューツのメンバーがそうだったように、みんな制限エリアの境界をレイアップシュートのステップに切り替える目安にしていたので、戸惑ってシュートを外す子が多い。由実やソフィアなども、行き過ぎてしまって「あれ〜」などと声をあげていた。
 
「これは少しでも早くこのコートに慣れなきゃダメだと松崎君が言っていたのが正解だね」
と宇田先生も頷きながら言っていた。
 
部員たちが練習している間に、炊き出しチームは体育館の管理室と、宿舎のキッチンを使って御飯を炊きながら、今晩のおかずのトンカツとお味噌汁を作る。ここにはガスなるものが無かったので、プロパンボンベを運び込み、コンロが使えるようにしている。ボンベとコンロはレンタルである。電磁調理器やポット、オーブントースター、オーブンレンジ、などは千里が買ってきた。他にお風呂を焚くためのボイラー用灯油も買ってきた。試しに点火してみてちゃんとお湯が出ることを確認している。
 
「千里にしては、よく1日でこういうものを抜けもなく手配したね」
と薫が感心したように言う。
 
薫は千里がこういうのが大の苦手であることを知っている。
 
「実は音楽イベントに色々関わっているから、そちらの会社の人からアドバイスしてもらったんだよ。寝具もガスもその人に手配してもらった」
「なるほどー」
 

「でも私もインターハイとウィンターカップに2回ずつ遠征して、自分もコートに立ちたいなあという思いが募ってきました」
 
などと練習の合間に倫代が言っていた。
 
「倫代ちゃん、去勢したのはいつ?」
と千里が尋ねる。
 
「今年の6月12日です」
「女性ホルモン濃度のモニターは受けてる?」
「はい。それは千里先輩から言われたので毎月1回測定してもらっています。毎回ちゃんと女性の正常値の範囲内です」
 
「ということは、来年のインターハイとウィンターカップの道予選までは出られる可能性がある」
「はい。今回東京に出てきた機会に、バスケ協会に呼ばれまして、向こうの指定のお医者さんにも診察を受けたんです。それで2年前から女性ホルモンを飲んでいたこと、その投与の記録が病院にちゃんとあることを評価してもらって。直前の検査は必要だけど、道大会までなら出られるかも、ということなんですよ」
 
「やはり本戦はだめなんだ?」
「性転換手術済みというのが条件みたい」
「じゃ、せっかく東京に出てきたついでに性転換手術しちゃったら?」
 
「え〜〜〜!?」
 
「すぐ手術してくれる病院紹介できるけど」
「ちょっと待って下さい。心の準備が・・・」
 
私は女の子にするよと言われてから心の準備をする時間って1分くらいしか無かったよなあ、と高校2年の時のできごとを思い出しながら、焦っている様子の倫代を見ていた。
 

寝具は夕方トラックで配送されてきたので、各自自分の布団を持って部屋に入る事、ということになった。泊まり込むのは女子部員35名(3年生を除く)、OGグループ11名(3年生3人を含む)、宇田先生・白石コーチ、南野コーチの合計49名である。結局男性2人は体育館の管理室で寝ることにし、宿泊棟の方は女性だけで使うことにした。夜間施錠して出入りを無くすためでもある。
 
部屋割りは、南野コーチ、性別が微妙な部員・横田倫代と留実子を1つの部屋に割り振り、以下下記のようにする。
 
1号室 南野コーチ、留実子、薫、横田倫代
2号室 暢子、千里、紫、由実
5号室 ソフィア、不二子、胡蝶
6号室 夏恋、川南、司紗、夜梨子
3-4,7-12号室 残りの32名を4人1部屋。
 

桃香は29日のバイトを終えると、帰省の準備を始めた。藍子は何とかなだめて浮気疑惑を解消することができたものの、千里とは結局25日の朝以降全く遭遇していないのが心残りではあった。
 
帰省の手段については、藍子とのデートに予定外の予算を使ってしまったので、格安ツアーバスで帰るつもりだったのだが、あいにくこの時期は利用者が無茶苦茶多い。結局桃香は格安バスの予約も取ることができなかった。
 
困っていた時、千葉県館山市に住んでいる伯父の洋彦(きよひこ)夫妻が
「今年の正月は車を運転して高岡に行こうと思っているんだけど、桃香ちゃん一緒に乗っていく?」
と言ってきたので、相乗りしていくことにした。
 
桃香の父の十七回忌(2008)の時に洋彦が入院していて顔を出せなかったので、一度線香を上げに行っておきたかったのだという。
 
「俺もいつお迎えが来るか分からんし」
なとと洋彦は言うが
「おじさん、あと40年は大丈夫って顔してますよ」
と桃香は言っておいた。
 
洋彦は現在60歳であるが、糖尿で2年前は大変だったのである。現在禁酒禁煙の上、1日1800kcalというカロリーコントロールをしている。ただ幸いなことにカロリーコントロールだけで済んでおり、食塩などの制限は無い。禁酒禁煙も自主的に決めたものである。
 
「桃香ちゃんの孫がお嫁に行くまで頑張る」
などと何度か言っていた。
 
「孫が男の子だったら?」
「その時は女装させて」
 

今回洋彦が
「運転は僕と桃香ちゃんの交替でいいよね?」
と言ったので桃香は免許証を母に取り上げられていることを言う。
 
「ありゃりゃ。でも1人で運転するのは辛いから、運転してよ。免許証は僕が言ってみるよ」
と言って、桃香の母に免許証の件を言ってあげた所、母は免許証を桃香に郵送で送って来た。
 
おかげで、桃香は免許を取った1週間後に母から取り上げられて以来、1年半ぶりに免許を手にすることができたのである。
 
「1年半運転してなかったら、結構忘れてない?」
「忘れているかも」
「じゃ最初少し練習しようよ」
 
と言って洋彦は桃香を館山に呼び、田舎の交通量の少ない道路で練習させてくれた。すると元々運動神経が良いこともあって2〜3時間運転しただけで、感覚をほぼ思い出すことができた。
 
そしてこの経験が3ヶ月後に大いに役立つことになるとは、この時点で桃香は知るよしも無かった。
 

29日夕方から、洋彦・恵奈夫妻と桃香の3人でカローラSE Saloon Riviere 1498cc 4AT に乗り込み、千葉から高岡までの旅に出た。
 
「東名経由ですか?関越経由ですか?」
と桃香は訊いた。
 
東京方面から高岡に行くには、関越→北陸道(上り)というルートと、東名→東海北陸道というルートが主としてある。他に上信越道を通るルート、中央道から長野道へ行くルート、中央道から東海北陸道に行くルートなどもある。なお、料金は実際にどこを通っても最短ルートの料金でよい。
 
「東名は絶対混むよ。関越を通ろう」
と洋彦は言う。
 
それで最初洋彦の運転で外環道経由で関越に入り、上里PAで休憩して夕食を取ってから桃香が運転して関越をひたすら北上する。
 
なお上信越道は一車線区間がある上に、夜間は妙高高原で濃霧が発生するから辛いよと洋彦が言うので避けることにして、遠回りにはなるものの、長岡まで関越で北上してから北陸道に乗るルートを選択する。
 
越後川口SAで休憩。ここでまた洋彦に交替し、長岡JCTを通って北陸道に入って西進する。もう既に恵奈は眠っている。米山SAで運転交替。深夜ではあるが、深夜に起きているのは桃香は全く平気だし若くて体力もあるので、ここから有磯海SAまで桃香が1人で運転した。トンネルの多い区間でラジオが入らないよと言われていたので、MP3プレイヤーからトランスミッターでカーラジオに飛ばしたものを聴きながら運転していた(この車にはカーナビなどといった上等なものは付いていない)。
 
桃香は1年半運転していなかったにも関わらず結構うまく運転できるなあと自分では思っていた。しかしこれは一般道より高速の方が運転しやすいこと、夜間で車の量が少なかったことがある。
 
有磯海で朝食を取った後は、洋彦が運転して、小杉ICを降り、30日の朝9時頃、桃香の実家に到着した。
 

30日は桃香が持って来た振袖を早速着てみる。恵奈が振袖の着付けもできるのでやってもらう。朋子はこの振袖の実物を見るのは初めてだったこともあり、涙していた。
 
「お母ちゃん、泣くのは少しおおげさ」
「だって、お前、成人式の時は男の子になっていて背広でも着るんじゃないかと思っていた時期もあったから、ちゃんと女の子として成人してくれただけで嬉しくて」
と朋子。
 
「うーん。それ自分でも悩んだんだけどね〜。私はFTMじゃなくてレズみたいだから」
と桃香は言った。
 
「だからウェディングドレス同士、あるいは白無垢同士の結婚式するかも」
「まあいいよ、そのくらいは」
 
「でも精子が確保できるかも。そしたら赤ちゃん産むかも」
「彼氏ができたの?」
「いや、友だちの男の子に精子だけくれないかと交渉中」
 
「へー!」
と言ってから、朋子はハッとする。
 
「もしかしてそれ9月に連れてきた子?」
「そうそう」
「あの子と恋愛中なの?」
「いや、恋愛関係は無いよ。あの子とはあくまで友だち。私が男の子を好きになるわけない。精子も人工授精のつもり」
 
と桃香は言いつつ、それは「千里が男の子である」という条件下だよなあとも思う。
 
「ただ問題はあの子に精子があるかどうかなんだけどね」
「ああ・・・」
 
と言って、朋子は難しい顔をした。
 
「あの子、もう睾丸は取っているのでは?」
「本人はまだ取ってないと言っている。ちんちんの存在は確認したが、睾丸の存在は確認してない」
「あんたたち、やはりそういうことする関係になってるんだ?」
「いや、私があの子の性別に疑惑を持ったので、その疑いを晴らすのに見せてくれたんだよ。別に恋愛はしてないしセックスもしてないよ」
 
「うーん・・・」
 

12月30日(木)。
 
千里は絵津子と一緒に東京に出て、渋谷区の岸記念体育会館内、バスケット協会の一室に入った。ここに集められたのはこの12名である。
 
PG.入野朋美(愛知J学園大学←愛知J学園)
PG.鶴田早苗(山形D銀行←山形Y実業)
SG.村山千里(ローキューツ←旭川N高校)
 
SF.佐藤玲央美(ジョイフルゴールド←札幌P高校)
SF.前田彰恵(茨城県TS大学←岐阜F女子高)
SF.渡辺純子(札幌P高校)
SF.湧見絵津子(旭川N高校)
 
PF.鞠原江美子(大阪M体育大学←愛媛Q女子高)
PF.大野百合絵(神奈川J大学←岐阜F女子高)
PF.高梁王子(岡山E女子高)
 
C.中丸華香(愛知J学園大学←愛知J学園)
C.熊野サクラ(ジョイフルゴールド←福岡C学園)
 

10:00に篠原ヘッドコーチ、高田アシスタント・コーチ、片平アシスタントコーチ、高居チーム代表が入ってくる。
 
「みなさん、ウィンターカップお疲れ様。オールジャパンに出る人は今練習で忙しい所を呼び出して申し訳無い」
と高居さんが言った。
 
オールジャパンに出るのはこの中では、佐藤玲央美、熊野サクラ、前田彰恵、大野百合絵、渡辺純子、の5人である。
 
「そういう訳で、正式の発表は年明けになるけど、この12名をU21世界選手権の代表として派遣する方向なので、みなさんよろしく」
 
「U20の時と少しメンバーが変わっているようですが」
と前田彰恵が発言する。
 
「この12名に加えて、森田雪子君、中折渚紗君、海島斉江君、竹宮星乃君、橋田桂華君、森下誠美君、花和留実子君、夢原円君、吉住杏子君、の9名も候補としてその21名のこの1年間の公式戦および国際練習試合を全部チェックさせてもらった。評点は機械的に試合の成績から出した数値と、僕たち4人を含む10人の選考委員で主観的に採点したものを半々にして集計した。試合の成績はその試合の重要度、相手チームの強さで重みを付けている。その集計結果で、この12名が上位になったので、選ばせてもらうことにした」
 
と高居代表は言った。
 
ざわめきがある。結構初めて出てきた名前もある。しかし確かに納得のいく候補ラインナップだ。今年の高校3年生で“四天王”と言われた渡辺純子・湧見絵津子・加藤絵理・鈴木志麻子の内、加藤と鈴木が候補にも入らなかったのは、やはり渡辺・湧見の2人が一歩進んでいると見られたためか。それに渡辺はインターハイとウィンターカップを、湧見は国体を制したのも大きい。
 
「前回までは実はポジション別に選考していたのだけど、今回はポジションを無視して単純得点で上位12名を選ばせてもらった」
と高居さんは補足する。
 

取り敢えず今日は新しい代表の顔合わせということで、この後、近くのしゃぶしゃぶのお店に行き、早めの昼食を取りながら、親睦会ということになった。むろん食べ放題の設定である。
 
絵津子・純子・王子の3人は隣り合う席に座って、食べ比べなどして、かなり盛り上がっていたようである。純子は結構クールだが、王子と絵津子はふたりともお調子者なのでいったん壁が崩れるとフレンドリーになる。千里も玲央美も、あの3人が早い時期に仲良くする機会を与えられたのは大きいと話し合った。
 
その千里と玲央美は、彰恵・百合絵・江美子と5人でウィンターカップの総評などを話した。
 
「世間では準優勝の福岡C学園の評価が低かったみたいだけど、元々あそこは集団戦法だから、ひとりひとりの選手がそう目立たない。桂華みたいなスタンドプレイヤーはむしろ珍しい存在だった。その集団の力が充分準優勝に値すると思う」
 
と彰恵が分析するように言う。千里や玲央美も同意見だった。
 
「1+1を3にしろとよく言うけど、1×5を7くらいにしちゃうのが、あそこの戦術だよね」
「その代わり1になってくれない選手は居づらい」
「そうそう。だから桂華はうちに来てから伸びつつあるよ」
と彰恵は言っている。
 
「それにC学園が決勝戦で精彩を欠いたのは、N高校との死闘の翌日で、みんな疲れていて実力が出せなかったのもあるよ」
と千里は同情するように言う。
 
「しかしその死闘を演じた翌日にE女子高を倒したN高校は凄かったと思う」
と百合絵。
 
「絵津子がゲーム終了後に倒れたことで、選手の体調管理に問題があったのではないかと、宇田先生が運営に呼び出されて注意されたよ」
と千里。
 
「いや、うちの十勝さんも注意された」
と玲央美。
 
「しかし王子を抑える仕事はあのクラスの選手にしかできないからなあ」
と江美子。
 
「うん。日本代表は日本代表にしか抑えられない」
と彰恵。
 
考えてみれば、自分も社会人選手権でシャット・トリコロールにあの戦法をやられたんだよなあ、と千里は思った。
 
「まあこの戦法が通用するのは今年までだね」
「うん。来年のインターハイではもう使えない」
 
その会話を聞いて千里は思った。そうだ。あの戦法が通用しないほど自分は強くならなければいけない。それがオールジャパンへの道だ。千里は今自分が王子と同じ課題を与えられていることを意識した。
 
「N高校が勝てたのは、翡翠史帆を抑えられたのも大きいと思う。うちはそれができなかったから1点差での辛勝になった」
と玲央美が言う。
 
「偶然欠点に気付いたからね」
と千里。
 
「でもあれもインターハイまでには修正してくるだろうね」
と彰恵。
「史帆ちゃんはきっと死ぬほど練習して克服するだろうと思うよ」
と千里。
 

バスケ協会を出た後、絵津子は受験準備のため北海道に戻ることにする。千里は彼女を羽田まで送っていった。同じく受験のため北海道に戻る紅鹿が教頭と一緒に来ているのと合流する。なお、校長・理事長・保健室の大島先生は一足先に帰道している。
 
教頭は「湧見君がベスト5になったお祝い」と称して、高級寿司店に絵津子たちを連れていく。お金は理事長からもらっていたらしい。しかし結果的に紅鹿と千里も相伴(しょうばん)にあずかることとなった。
 
「ここのお寿司美味しいですね!」
と紅鹿が感激していたが、絵津子は値段が高いことには気付いていないようでもりもり食べ(さっきしゃぶしゃぶを5人前くらい食べているのに!)、傍で見ている千里のほうがハラハラした。千里も色々取り混ぜて10巻ほど頂かせてもらったが、本当に美味しかった。
 
お寿司をたくさん食べて満腹した所で、3人を手荷物検査場前で見送る。
 
そして千里はそこに寄ってきた《きーちゃん》に言った。
 
「神社のお仕事終わったばかりでごめんね」
「平気平気。機内で寝ていくから」
 
《きーちゃん》は今日30日の朝番で神社に出ていた。そして明日31日の遅番に入る。それで実は約1日空いた時間に北海道に千里の代理で“帰省”してもらうことにしたのである。
 
《きーちゃん》は細川千里名義の新千歳行きの航空券を持ち、セキュリティの列に並んだ。彼女を見送ってから、千里はインプを運転し、千葉の房総百貨店体育館に戻った。
 

《きーちゃん》は1時間半のフライトで、帰省の客で混雑する新千歳空港に降り立った。トヨレンで予約していたプリウスを借り、留萌へと走る。
 
夕方5時頃、留萌の貴司の実家に到着する。
 
「ただいま帰りました」
と千里の声で声を掛けて中に入れてもらう。
 
「これお土産です」
と言って、貴司のお母さんに銀座の洋菓子店で買ってきたロールケーキを出す。
 
ここに千里の母も来ていて、取り敢えず貴司の母・祖母、2人の妹と6人で紅茶(千里がインドで買ってきてお土産にと送っていたニルギリが出てきた)を入れて、頂いた。
 
「これ美味しい!」
「東京の友人のお勧めの店だったんですが、当たりでしたね」
 
ケーキを食べた後、《千里B》はその場で、渋谷の呉服店で作った友禅風の振袖を着た。帯だけは貴司のお母さんが締めてくれた。
 
「可愛い!」
と理歌・美姫からあがる。
 
「千里ちゃん、ほんとに可愛い」
と貴司の祖母・淑子も言う。
 
それでたくさん記念写真を撮ったりした。母と並んだ写真も撮ってもらった。
 

2時間ほど滞在し、仕事から帰ってきた貴司の父にも振袖姿を見せ、一緒に記念写真を撮ってから、貴司の家を辞す。
 
貴司の家で振袖は脱ぎ、ケースごと車の荷室に入れておいた。そしてセーターとジーンズという格好で自分の実家に戻るが、この時点で実は《千里F》こと《こうちゃん》と入れ替わった。
 
それで実家に「ただいま」と言って入って行き、
 
「お父ちゃん、これお土産ね」
と言って、東京のお酒・澤乃井を出す。
 
「おお、素晴らしい。千里も飲むよな?」
「ボクは未成年だからまだ飲めないよ」
「18すぎたら飲んでいいんだぞ」
「日本の法律では20歳以上です」
 
と言って逃げておく。
 
『千里』はこちらにも銀座の洋菓子店で買ったロールケーキを出す。母は結局2度食べることになったものの、
 
「ほんとこれ美味しいね」
と言いながら食べていた。玲羅も
「これ凄い美味しい」
と言って、お店の名前を手帳にメモしていた。
 
その後、母の作った鍋料理を玲羅も入れて4人で囲んで食べるが、父は澤乃井を熱燗で飲みながら楽しそうにしていた。
 

12月31日。朝、唐突に父が「温泉に行くぞ」と言い出した。
 
それは絶対やばいと思った母が
「確か今日はお休みですよ」
と言ったのだが、父は
「いや、やっていたはず」
と言い、電話を掛けて午後2時まで営業していることを確認してしまう。
 
母は困った顔をしていたが、『千里』は
 
「まあたまには温泉もいかもね」
などと言い、母には目くばせをした。
 
それで母も千里はうまく誤魔化すのだろうと判断したようで4人で千里が借りてきたプリウスに乗って近隣の温泉まで行った。
 
『千里』が4人分の料金を払ったが、係の人はこちらを見て赤い鍵3つと青い鍵1つを渡す。千里はそれをそのまま受け取り、青い鍵を父に、赤い鍵2つを母と玲羅に渡す。そして心配そうな顔をしている2人に手を振って『千里』は父と一緒に男湯の暖簾をくぐって行った。
 
年末なので人が多い。それでその人混みに紛れて『千里』はスタッフにとがめられないまま、男湯の脱衣室の中に入ることができた。
 
「しかし千里、お前髪が長いな」
「こういう髪が好きだから」
「そんなに長いと女みたいだと言われるぞ。俺が切ってやろうか」
「要らない要らない」
と言って笑っておく。
 
すると父はいきなり『千里』のお股に手をやってあれを握った。
 
「ちょっと何すんのさ」
「お前があまり女みたいな格好してるから、チンコあるのか確認したくなった」
「おちんちんあった?」
「あった。安心した」
 
ところがそのあたりまで会話した所で、千里はスタッフさんに見つかってしまう。
 
「お客様、ここは男性用脱衣室ですので、女性の方の立ち入りはご遠慮ください」
それに対して父は
 
「あ、こいつ、女に見えるかも知れないけど、男だから。チンコあるぞ」
などと言う。
 
「ご冗談はおやめ下さい」
 
「何なら握ってみるか?」
などと父は言っているが『千里』は言った。
 
「すみません。忘れ物を届けにきたんです。すぐ出ますね」
と言って、父にバイバイの手を振り、脱衣室から出てしまった。
 
そしてここで《きーちゃん》と交替する。そして千里に声を掛けたスタッフさんがまだこちらを見ているのを意識しながら、女湯の脱衣室に入った。
 
「お姉ちゃん、やはりこちらに来たんだ?」
と、もう下着だけになっている玲羅が言う。
 
「参った参った。何とか抜け出してきたよ」
と『千里』は言うと、玲羅の隣のロッカーを自分が渡された赤い鍵で開け、セーターとジーンズ、カットソーを脱ぐ。下にはブラとパンティを着けている。
 
「やはり、あんた女の子だよね?」
ともう裸になっている母が言う。
 
「何を今更」
と『千里』は笑って言って、そのブラとパンティも脱ぎ、美しい女体を曝した。
 
「お姉ちゃん、おっぱい何カップ?」
「一応Dのブラ着けてるよ」
「もっとありそうなのに」
と玲羅。
「Eカップくらいありそうに見える」
と母。
 
そんな会話をしながら『千里』は、母と妹と一緒に女湯の浴室に入った。
 
なお、この時期の千里のバストは、アンダー68・トップ85、くらいでアンダーとトップの差が17cmあり、確かに小さめのDカップなのである。しかし普通にDカップというと、アンダー80・トップ97.5くらいの体型を想像してしまう。アンダー80に対して17.5cmのバストは22%であるのに対して、アンダー68に対する17cmのバストは25%もある。アンダー80に対して25%なら100cmとなりこれはEカップだ。
 
千里が実寸より巨乳に見えるのは、アンダーが細いからである。
 
逆に言うとどうしてもアンダーが太い男性が女装する場合は、充分大きなカップのブラを着けておかないと、不自然に乳が無いように見えがちである。女装初心者は《自分にバストがある状態》に不慣れなため、恥ずかしがってAカップをつけたがるが、男性がAを着けるとほぼ絶壁に見える。最低でもBを着けられるよう、ブラに慣れる練習をしたい。
 

帰りの車の中で『千里』は父から訊かれた。
 
「お前、脱衣室から出て行って、その後どうしたの?。忘れ物届けたとか言ってたけど」
「え?だから言ったじゃん。私が忘れ物したって。それで車から取ってきて、お風呂に入ったよ」
「男湯だよな?」
「ボクは男なんだから、男湯に入るに決まってるじゃん」
と言って運転しながら『千里』は笑っている。
 
その会話を聞いて、母と玲羅は呆れたような表情で顔を見合わせた。
 
自宅に戻った後、《きーちゃん》はまた《こうちゃん》と交替し、午後から千葉L神社の奉仕に行った。
 

千葉で合宿中のN高校女子バスケ部の部員たちは31日は夕方4時で練習を切り上げ、年越しそばを食べた後、北海道から送って来た鮭を大量に使った石狩鍋を食べて今年の打ち上げとした。
 
この日はボランティアで来ている人たちは千里・暢子・留実子・司紗・夜梨子以外帰宅した。次は2日から来てもらう。
 
「瀬高さんは家に戻らなくても良かったんですか?」
と南野コーチが心配して訊く。
 
「平気平気。どっちみち私、おせちなんて作らないし。私が居ないと旦那もこれ幸いで羽を伸ばしていますよ」
と瀬高さんは言う。
 
「お子さんはおられなかったんでしたっけ?」
「いないです。新婚初期の頃は作ろうと頑張ったんですけどね〜。5年経ってもできないから、諦めちゃった。でも子供が居ない分、気楽にあちこちドライブして回ってますよ」
 
「ああ、そういう生活もいいなあ」
と南野コーチはマジで憧れるように言う。
 
「それに戻ろうとしても、新幹線も飛行機も高速道路も無茶苦茶混んでいるから、疲れるために往復するようなもので」
 
「ですよね〜」
 

2011年の年が明ける。この年がとんでもない年になろうとは、この時点で日本国内の誰1人として想像もできなかった。
 
千葉の房総百貨店体育館の宿舎に居る千里(本人)は朝5時に宿舎で目を覚ますと、台所に行きお雑煮の鍋を掛けた。
 
誰も居ないのをいいことに《てんちゃん》《すーちゃん》と手分けして、タマネギと人参、ゴボウ、こんにゃく、ワカメ、竹輪、焼き豆腐を大量に切って鍋に投入する。《りくちゃん》と《せいちゃん》にテーブルを並べ、食器を並べてもらう。
 
大晦日までに買っておいた、あるいは作っておいた、黒豆の煮物、昆布巻き、伊達巻き、ハム、かまぼこ、栗きんとん、寒天、煮染め、などを配膳していく。一通り配膳が終わった所で、ゴミなどがつかないようにポリエチレンのラップを掛けていく。
 
6時頃、誰かが起きてくる気配があるので眷属たちを吸収し、残りは千里が1人で作業する。出てきたのは南野コーチだった。
 
「すごーい。これ千里ちゃん、ひとりでやっちゃったの?」
「今日は人手が少ないですから」
「それで手伝おうと思って起きてきたのに!」
 
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます」
 
それでコーチと2人で後の作業を進める。時間を見て餅を雑煮の鍋に投入する。今回の雑煮は「切り餅を焼かずに」入れることにした。正直この人数ではとても焼いていられないのである。
 
南野コーチが全員を起こしに行く。千里が作業している体育館ロビーのすぐ傍、体育館管理室に居た宇田先生と白石コーチは「全然気付かなかった」と言って起きてきた。みんな熟睡していたようである。
 

1年生部員の手で雑煮が茶碗に盛られて配られる。宇田先生の音頭でおとそ代りの三ツ矢サイダーで乾杯し、今年の健闘を誓った。
 
食事が終わった後は、また1年生部員の手で茶碗が片付けられ、洗って所定の位置に戻される。手の空いた子たちによりテーブルが片付けられ、体育館には得点板やTO用のテーブル・椅子が用意される。
 
“オールジャパン”ならぬ“オールN高”と称して、35人の部員と、千里・暢子・留実子・司紗・夜梨子まで入れた40人をシャフルと称して抽選で5人ずつ8つのチームに分ける。これでトーナメントを戦い、優勝チームには豪華景品(?)が当たるということであった。
 
千里は司紗(SF)、2年生の弓江(F)、1年生の伸代(F)・鮎美(PG)と一緒の組になった。
 
「凄い。千里先輩がおられるだけで、優勝できるかもという気になります」
などと伸代(165cm)が言っている。
 
「じゃ、伸代ちゃん、このチームではセンター役ね」
「はい!」
 
ゲーム開始前に暢子が留実子と千里を呼び寄せて言った。
「私たちも手加減無しということにしようよ」
「了解〜」
 

それでゲームを始める。ゲーム時間は交代要員も居ないしということで10分ハーフである。
 
最初の試合だけは、南野コーチと白石コーチが審判、対戦チーム以外からテーブルオフィシャルと得点板係を選び、その後は「負けオフィシャル」方式とする。実際問題としてオフィシャルの経験をするのも訓練の一環である。
 
千里たちは1回戦で紫や不二子の入っているチームと激突する。
 
向こうもあまり背の高い選手が入っておらず、センターはこちらの伸代(165cm)と向こうの静鹿(166cm)の対決になった。ふたりとも頑張ってリバウンドのボールに飛びつき、この試合だけでもかなり感覚を鍛えられたと思う。
 
しかしなんといっても見応えがあったのは紫と鮎美の正副PG対決であった。正直、今年のN高校の成績は鮎美がどこまで紫のバックアップ・ポイントガードとして成長するかに掛かっている部分も大きい。紫は最初からフルパワーで来た。鮎美も今の段階では、どうしても紫にかなわないのだが、何度か紫を停めて「やった!」という顔をしていた。
 
試合は「手加減しない」という約束通り、千里がどんどんスリーを放り込む。一方不二子もリバウンドは基本的に静鹿に任せるものの、どんどん自ら点を取りにくる。試合は激戦となったが、最終的には42-45で決着。千里たちが勝った。
 
「やはり3点ずつ取られるのが辛い」
と不二子。
「まあゴール数ではそちらが多かったね」
と千里。
 

9:00からと9:40からの2つの時間帯を使って1回戦4試合が行われ、10:30から準決勝2試合が行われる。千里たちの相手は留実子、ソフィア、カスミらが入ったチームである。
 
この相手では、リバウンドは100%留実子が取ってしまうので、千里は伸代にリバウンドは取らなくていいと指示した。そして全員にシュートの精度を上げるように言う。できるだけ近くまで寄ってから撃つことが大事だが、寄りすぎると留実子にブロックされるので、その見極めが大事である。
 
むろん千里は遠距離からどんどんスリーを撃つ。
 
しかし向こうもソフィアがスリーを撃つし、留実子とカスミという2人の長身選手が左右から攻めて来ると、実際問題としてこちらはディフェンスのしようが無い。
 
それでこの試合はとんでもないハイスコアのゲームとなった。
 
結局20分間の試合なのに、86-92という40分の試合としても点数が充分多いスコアで決着。千里たちが勝った。ゴール数としては39-37、シュート数としては80-68で、8秒に1回シュート、16秒に1回ゴールしていたことになる。得点板係の子も大変だったが、選手達もくたくたになったようである。
 

早めのお昼を取った後で決勝戦ということになる。お昼の準備は1年生部員全員で協力しておこなった。おせち料理を配り、お昼は焼き餅にするので、コンロの上に網を置き、網の上で餅を焼く。コンロは3つしか無いので、一度に焼けるのは24個で、食べる速度に焼く速度が全く間に合わない。結局途中で選手交代し、2年生部員が焼いて、1年生部員が食べるというシステムに変えたが、何とかお正月気分を味わえたようである。
 
全員で協力して食器を片付けた後、決勝戦が行われる。決勝戦はセンターコート仕様にすることにし、得点板も電子式のを使う。このタイプのには触ったことがないというので、最初司紗が使い方を指導していた(千里には教えるの無理)。
 
そして決勝戦の相手は、暢子、3年生の夢野胡蝶、2年生の松崎由実・宮口花夜、1年生の倉岡鱒美というメンツである。籤引きというのは公平なシステムではないというのを如実に示すような強力過ぎるラインナップだ。1回戦も準決勝も圧勝で勝ち上がってきている。2回戦では横田倫代と松崎由実というセンター対決があり、由実が倫代を圧倒した。
 
「みっちゃんは負けたから性転換だな」
と試合後、由実は倫代に言ったらしい。
 
「もしかして負けた方が性転換という約束だったんですか?」
「そうそう」
「それじゃダメですよ。みっちゃん、性転換したいに決まってる」
「確かに!」
 
「でも負けたから、冬休みが終わるまでに性転換しておくこと」
「冬休み中にですか!?」
「私が切り落としてあげてもいいが」
「病院の先生にしてもらいたいです!」
 

決勝戦が始まる。両チームが並ぶ。
 
A 胡蝶/花夜/鱒美/暢子/由実
F 鮎美/千里/司紗/弓江/伸代
 
審判は南野コーチと白石コーチが務める。
 
ティップオフは貫禄で由実が取り、Aチームが先に攻めて来る。暢子が弓江を振り切りまずはシュートを決めて2-0.
 
しかしその後、今度は鮎美→司紗→千里とつないで、千里がスリーを放り込み2-3.
 
ゲームはこのあとシーソーゲームとなった。
 
Aチームにも花夜という優秀なシューターがいるものの、千里とマッチアップすることになるので、1本も撃たせてもらえない。ちょっとした隙にボールをスティールされてしまう。結果的に向こうは暢子・由実に頼る攻撃になる。しかしFチーム側も千里がスリーを撃ち込むし、この1年間ローキューツで鍛えられて成長している司紗がけっこううまく相手選手の少ない所からゴールを奪っていくので、お互いに譲らない。
 
めまぐるしくリードする側が変わるゲーム展開となったが、最後は2点負けている所から千里がブザービーターとなるスリーを放り込み、逆転でFチームが勝った。
 
点数としては46-47というわりとハイスコアのゲームであった。
 

それで表彰式をやる。宇田先生のことばがあった上で、優勝チームには全員に金メダル!と賞状(5人分ある)、副賞としてディズニーリゾートのギフト・パスポートが贈られた。
 
準優勝チームには銀メダルと賞状、副賞として旭川市内の洋菓子店のギフト券が贈られた。
 
「賞品の資金提供は理事長さんね。合宿費用とは別に出してくれた」
と宇田先生が説明する。
「おお、すごい」
「メダルは私がダイソーで買ってきた」
と司紗が言うと、笑いが起きていた。
 
「自分で買ってきたものを自分でもらったんだ?」
「まあでもメダルというのは物をもらうのではなく、名誉をもらうものだから」
などと司紗はけっこう意味深な言葉を発する。
 
「ちなみに《All N Highschool 2011》と書き入れたのは私」
と夜梨子。
 
司紗と夜梨子は宇田先生やコーチたちからすると、千里や暢子たちより声を掛けやすいので、けっこう便利に使われている感もある。
 
 
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【娘たちの年末年始】(1)