【娘たちの年末年始】(2)

前頁次頁目次

1  2  3  4 
 
留萌では1月1日の朝、千里D(てんちゃん)が朝からお雑煮を作っていた。千葉で千里が作ったのと同じレシピである。但しこちらは切り餅をストーブの上で焼いて入れる。その餅を投入した所でみんなを起こした。
 
「ああ、ごめーん。すっかり寝てた」
と母が言っている。
 
お屠蘇を、両親と玲羅に注ぎ、千里自身はサイダーにさせてもらう。
 
「なんでお前はお屠蘇を飲まん?」
「この後、運転しないといけないし」
「堅いこと言うな。正月はみんな酒飲むんだぞ」
「飲んだら運転できないのが日本の法律だからね」
 
と言って、逃げておいた。
 
母とふたりで雑煮を盛る。黒豆、かまぼこ、伊達巻き、煮染めなどを並べるが、こちらはほとんどスーパーで買ってきたものである。
 
食べて人心地したところで、近所の稲荷神社に参拝する。
 
「ああ、千里ちゃん里帰りしてたんだね」
と優に80歳を超えているものの、まだまだ元気な宮司・翻田常弥さんが声を掛けた。
 
「昇殿してよ。祝詞くらいあげてあげるから」
というので、あがらせてもらう。
 
宮司の孫・和弥さんが数年前に皇學館を出て、禰宜としてこの神社に奉職している。その和弥さんが太鼓を叩き、宮司が祝詞をあげてくれた。
 
『千里』はそのベテラン神職ならではの心地よい祝詞にとても気持ちがよくなった。《千里》とかもけっこういい雰囲気で祝詞をあげるけど、さすがにこういうベテランさんにはかなわないよなあ、などと思ったりする。宮司さんのお話が終わった所で、『千里』は初穂料と書いた封筒を宮司さんに差し出し、神社を辞した。
 
「幾ら入れたの?」
と帰り道に父から訊かれる。
 
「5000円だよ」
と『千里』。
「もったいない!お賽銭なんて10円でいいのに」
と父。
「さすがに10円はないでしょ」
と母。
 
実際には千里の直筆の手紙付きで5万円入れている。この神社は千里にとって原点になる場所なので、参拝したら渡しておいてと頼まれていたのである。
 

宮司さんが元気なのは、80歳を越えても男性として現役なので、そのパワーで精神的にも若いままで居られるのが大きいが、これは実は宮司さんの身体にくっついているのは、本来千里の父(49歳)の睾丸であるためである。そして千里の父の身体にくっついているのは、本来千里の睾丸である。千里の父はこの弱すぎる睾丸に交換されてから、それ以前のように家族に暴力をふるうことが無くなった。
 
また、宮司の孫・和弥の身体にくっついているのは、実は彼の父(宮司の息子)民弥の睾丸で、民弥にくっついているのは、リダンダンシー・リダンジョッシーの鹿島信子が《こうちゃん》の“悪戯”で「突然性転換」されてしまう前の男性時代に付いていた睾丸である。ちなみに信子のペニスは直接和弥に移植されている。これは和弥が交通事故で陰茎と睾丸を失ったことに対する“治療”なのである。
 
この一連のドミノ移植は2000年の秋(千里は小学4年生)にこの稲荷神社の大神様の手で行われ、千里はそれ以来、睾丸の無い状態で生きて来ていた。千里の身体が男性化しなかったのは、思春期前に去勢されているからである。それどころか、癌の治療で放射線療法を受けていた津気子の性腺を守るため、一時期津気子の卵巣と子宮まで体内にあったので、千里はむしろ女子的に思春期の発達が起きている。その卵巣と子宮は癌治療が終わった所で津気子に戻したのだが、現在も千里に卵巣や子宮があるカラクリについては、多分来年(2018年)くらいに書くことになる。
 
しかしこのドミノ移植のことは、中学2年の時に眷属になった12人の子たちも美鳳も知らないことであり、知っているのは小春と大神様だけである。千里は本来知っているべきなのだが、別の大神様(小春の上司)の作用で、千里自身しばしばそのことを忘れている。
 

神社からいったん自宅に戻ってから『千里』は玲羅に
 
「振袖着せてあげようか」
と言った。
 
「え〜〜!?」
と玲羅は言うが、千里が小さな声で
 
「私の代理で」
 
と言うと、玲羅は頷いた。それで『千里』は玲羅に自分の振袖を着付けしてあげた。このために玲羅用の肌襦袢と長襦袢をあらかじめ郵送しておいたのである。なお和服の着付けは、《きーちゃん》《たいちゃん》《いんちゃん》《てんちゃん》の4人が出来る。《びゃくちゃん》は武闘派なのでおしとやかな服は好みでない。スカートさえ滅多に穿かない。《すーちゃん》は洋装派で和服を着ない。
 
玲羅の着付けは奥の部屋で玲羅と2人だけでやって、その後、襖を開けて両親に見せたのだが、
 
「玲羅も似合うね!」
と母が言ったのに対して、父は
「おお、馬子(まご)にも衣装だな」
などと言っていた。
 

お昼を取ってから出かけるが、お昼を食べる間は、玲羅にはエプロンを着せておいた。
 
千里が借りてきたインプに乗り、4人で出かけてQ神社に来る。参拝していたら貴司の母・保志絵が寄ってくる。
 
「今日は玲羅ちゃんが着たのね」
と言って笑顔で玲羅に言う。
「代理ということで。でもこんな服もいいですね〜。2年後の予行演習も兼ねて」
「うん。2年後には理歌にも振袖着せてあげないといけないけど、今から頭が痛い」
「でも貴司さんには振袖着せる訳にもいきませんし」
「あの子が振袖を着たいと言ったら着せてもよかったけどね。結局あの子、去年、成人式は出なかったみたいだし」
 
「今年は帰省なさらないんですか?」
「年末年始は韓国に出張らしいのよ。その後で来ると言ってたから、千里ちゃんとは入れ違いになっちゃいそう」
 
保志絵が昇殿していってというので、こちらでも昇殿してお正月の祈祷を受けた。こちらは市内中心部にある神社だけに一度に昇殿する人数も多い。祈祷のリストには保志絵が自分で、村山武矢と名前を書いていた。
 

高岡に帰省していた桃香は、お正月はおせちなんて面倒だし、ビールにケーキでも食べていればいいかなと思っていたのだが、洋彦夫妻がそういう怠惰な正月を許してくれなかった。
 
一夜飾りはいけないと言って、30日の日にイオンモールまで買い出しに行き、越後製菓の鏡餅を買った他、黒豆(乾燥)、大量の卵、はんぺん、鶏もも肉、ゴボウ、レンコン、タケノコ、人参、里芋、生椎茸、きぬさや、数の子、海老、そば、などを買う。
 
いったん自宅に戻って荷物を置いた上で、今度は氷見漁港まで走り、ここでブリの10kgほどのものを1匹買う。この時期のブリは“寒ブリ”といって、いちばん脂が乗った状態である。
 

そして自宅に帰って、鏡餅を神棚に飾った後は、恵奈の指導のもと!桃香はひたすらおせち料理を作ることになった。
 
「お嫁さんに行ったら、このくらいできないといけないから」
「済みません。私、嫁に行く気は無いです」
「でも万一ってこともあるでしょ?」
 
黒豆はいったん洗った上で醤油・大量の砂糖を入れて煮てから、半日鍋ごと放置する。ブリをさばくのは、桃香はさすがにできないので恵奈がしてあげた。2〜3日中に食べる分を除いては小分けして冷凍する。しかしこれで冷凍室が一杯になってしまった!
 
はんぺんはスピードカッターで粉砕し、溶き卵と混ぜる。これを卵焼き器に入れてふたをし、蒸し焼きにする。冷めない内に巻き簀に取ってくるくると巻くと、伊達巻きのできあがりである。
 
最初恵奈がやってみせて、次に桃香にやらせるが、焦がしてしまうし、巻こうとして形を崩してしまう。それでも「たぶん伊達巻きかな?」と思えるようなものはできたので、それでいいことにした。
 
鶏肉や野菜を全部一口大に切り、厚手の鍋に入れて炒め、酒・みりん・醤油、天然出汁の素を入れて30分煮込む。これで筑前煮のできあがりである。
 
白い寒天を水で煮る。溶けるまで煮るが、溶けた所で砂糖をたっぷり入れてよく混ぜる。更に常温に戻していた牛乳をゆっくりと入れながらかき混ぜる。型に入れてから冷やす。
 
一方緑色の寒天も同様にして煮て溶かして砂糖を入れた後で、こちらはみかん缶のみかんを入れて冷やす。
 
これで牛乳寒とみかん寒のできあがりである。
 
ブリの刺身で晩御飯にした後、黒豆を煮始める。電磁調理器に鍋を乗せ、中火で加熱して、沸騰しそうな所で弱火にし、落としぶたをしてタイマーで1時間煮る。そのあと自然に冷えるのを待つ。その後、また加熱して沸騰直前に弱火にして1時間煮る。この過程を豆が柔らかくなるまで繰り返す。
 
どっちみち桃香は夜中過ぎまで起きているので、タイマーが鳴ったら行って加熱のスイッチを押したりというのを繰り返していた。これが31日の朝までには充分柔らかくなった。黒豆は1袋買ってきて作ったのだが、鍋いっぱいの黒豆ができあがる。
 
「これだけの黒豆って、たぶん買ったら5000円くらいするよね?これ材料費はたぶん500円もかかってないのに」
と桃香が言う。
 
「お店に売ってるのは高いよね。さすがにきれいにできているけど」
と恵奈。
「でもこれすごくうまくできてる。私が昔やった時は色も褪せちゃったし、しわも寄ってしまった」
と朋子が言う。
 
「うん。黒豆はけっこう難しいのよ」
と恵奈は言っていた。
 

31日の晩御飯は
 
「これは難しいから私がやってあげるね。あんたは見学」
 
と言って、恵奈がエビ天を揚げてくれて、それを使った年越しそば、それにおせちで作った筑前煮、それとブリのあらを大根と煮たものを食べる。このあら煮が物凄く美味しくて、桃香がたくさん食べてくれたので、あっという間に無くなった。
 

1月1日はまた振袖を着せられる。4人で食卓を囲み、おとそを飲んで
 
「明けましておめでとうございます」
と言い合う。
 
「今年はいい年だといいね」
「ももちゃんに良い彼氏ができるといいね」
 
「すんませーん。私は彼氏を作る気は無いので」
「あら、勉強ひとすじ?」
「この子は彼女を作りたいんですよ」
「あら、ももちゃんがお嫁さんに行くんじゃなくて、お嫁さんもらうんだ?」
「あはは。そちらが希望です」
 
と言った時、なぜかチラッと千里の顔が浮かんだ。
 
「まあそれもいいかもね。可愛いお嫁さん来てくれるといいね」
と恵奈は笑顔で言っている。
 
「でも、そしたら、ちんちん付けるの?」
「いや。女同士が好きなんです」
「そっちか!そのあたり色々なパターンあるよね〜」
「ええまあ」
 
お雑煮を作る。黒豆、伊達巻き、なども並べる。10時頃、振袖を着たまま近くの神社に行き、初詣を済ませた。桃香としては、寝正月にパチンコでもなどと思っていたのが、今年はその手の計画は全部実現しなかった!
 

2日はこの地区の成人式が行われるので、また叔母に振袖を着せてもらい、母校の◎◎中学へと出かけて行った。
 
集まってきているのは、ほとんどが、この中学と隣の中学の卒業生たちだが、高校進学の時にバラバラになってしまったし、高校卒業後は東京や大阪に出て行った子も多い。桃香も久しぶりに見る昔の友人たちと交歓していた。
 
もっとも多くの子から言われる。
 
「桃香が振袖着てきたのは驚きだ」
 
「何着てくると思った?」
と桃香が訊くと
 
「紋付き袴」
「男性用ビジネススーツ」
「セーターとジーンズ」
「体操服の上下」
「自衛隊の制服。もちろん男子用」
 
どうもみんな桃香をよく理解しているようである。
 

そろそろ式が始まるという時に入って来た振袖を着た人物に、みんなの視線が集まる。
 
「誰だっけ?」
と桃香の友人、弓菜が言う。
 
誰も彼女を認識できないのである。
 
桃香は頭を抱えている。その様子を見て弓菜は
「知ってる人?」
と訊いた。
 
「まあね」
と言うと、桃香はその人物のそばにつかつかと歩み寄った。
 
「明けましておめでとう」
「明けましておめでとう」
「随分可愛い格好してきたね」
「そう?緋那にも褒められたんだよ」
「寛容な子だね」
 
「ね、その子、桃香の知り合い?」
と少し嫉妬めいた顔をした望江が言う。彼女とは一時期付き合っていたのだが、もう別れてからかなり長いことになる。なぜそんな嫉妬するような顔をするんだ?まだ私に気があるのか??
 
「いや、沢居だよ」
と桃香は言った。
 
「沢居君?・・・・の妹さん?」
「いや、研二本人」
と桃香が言うと
 
「え〜〜〜〜!?」
という声があがる。
 

多数の女の子が彼の回りに集まる。
 
「沢居君、女の子になっちゃったの?」
「まさか。これはコスプレだよ」
「コスプレ?」
「そうそう。成人式に出る女の子のコスプレをしてみただけ」
 
「意味が分からん」
「そんなのあり〜〜!?」
 
「でも凄くきれいに着こなしてる」
「お化粧もきれいにしてる」
 
「この振袖はどうしたの?」
「普通にレンタルだよ」
「男の子に貸してくれるもんなんだ?」
「男とは思わなかったかもね。セーターにスカートって格好で借りに行ったし、名前は、沢居みゆきって書いておいたし。僕、こうやって女の子の声出すの得意だし」
 
「みゆきって誰?」
「僕の女装名。郵便局にも登録してるから、その名前で郵便物届くよ」
「覚えておこう」
 
「でもほんとちゃんと女の子の声に聞こえるね」
「だいぶ練習したからね」
 
「でも着付けは?」
「僕、着付け教室に通っているんだよ。だから自分で着た」
「すごーい。振袖の着付けは難しいのに」
 

そんな感じで騒いでいる内に、着席してくださいというアナウンスがある。それで全員適当に着席する。
 
桃香のそばには、それまで向こうの端の方で美奈代と話していた優子が寄ってきて座った。桃香は彼女からのメールを読まずに捨てたので、ちょっと後ろめたい気分になる。
 
「ありがとう。受け入れてくれて」
と優子は言った。
 
へ?何?受け入れてって?? メールに何か書いてあったのかなあ。。。
 
やがて式典が始まる。
 
最初に◎◎中学の吹奏楽部による祝福の演奏がある。
 
スクエアの『OMENS OF LOVE』に始まり、SMAPの『夜空ノムコウ』、AKB48の『桜の栞』と演奏し、最後にエルガーの『威風堂々』で締めくくった。
 
桃香は演奏を聴くのに集中していたのだが、優子はそばでなにやら色々話している。しかしよく聞き取れない!
 
その中に「私が受け入れてくれるなら赤いバッグを持って来てとメールに書いたのに、ちゃんと赤いバッグ持って来てくれたし」と言ったことばがかろうじて聞き取れた。
 
確かに今日桃香は赤といわれれば赤にも見えなくもないような博多織のバッグを持って来ている。しかしそれで何か(?)に同意したと思われたら困るぞと思った。これは早々に逃げ出した方がいいか?
 
そんなことを考えている内に、吹奏楽部の演奏が終わる。拍手が贈られ部員たちが退場する。急いで椅子や指揮台などが片付けられ、演台がステージ中央に置かれる。最初に市の助役さんが出てきて、祝辞をし始める。
 
その時であった。
 
近くの席にいた望江が席を立ってこちらにやってくる。
 
「優子、あまり桃香とベトベトしないでよ」
と言う。
 
「あんた、桃香と付き合ってるの?」
と優子は返す。
 
「別に付き合っている訳ではないけど、目の前でそんなにイチャイチャされると不愉快。せめて会場出てからにしてよ」
 
待て。私はイチャイチャなどしてないぞ〜〜!と桃香は思う。
 
「この後、もちろんちゃんとホテルに行く約束してるよ」
 
してない、してない。
 
「桃香、こんな性悪女と付き合うのやめなさいよ」
と望江。
「あんたに言われる筋合いは無い」
と優子。
 
「ちょっと、あんたたち静かに」
と桃香は注意するものの、ふたりの口論は納まる所かますますエスカレートしていく。
 
会場のスタッフが寄ってきて
「あなたたち、式典中なんだから静かに」
と注意するも、ふたりは全然やめない。ついに、望江が持っていたコーヒーの飲みかけを頭から、優子に掛けてしまった。
 
桃香は反射的に飛びのいたので何とか無事っぽいが、優子は着ている振袖がひどいことになってしまう。
 
「望江!」
とさすがに桃香が注意する。しかし優子はそんなことをされて、完璧に頭に血が上った。
 
「何するのよ。この売女(ばいた)!」
などと言って、望江につかみかかる。
 
「あんたたち、やめて」
と桃香が言うが、ふたりはつかみ合いの喧嘩になってしまった。
 
スタッフも数人集まってきて
「やめてください」
と言うが、ふたりは殴ったり、噛みついたり!の凄い喧嘩になっている。とうとう男性のスタッフが寄ってきて、
 
「君たち、やめなさい」
と言って、ふたりを引き離そうとするものの、ふたりから殴られて倒れてしまった!
 
桃香は・・・逃げることにした!
 
実際悲鳴をあげる子もいるし、近くに座っていた子はみんな離れて見守っている。周囲の椅子も倒れて無茶苦茶である。桃香はその混乱に乗じて、体育館から出てしまった。
 

「いやあ、参った参った。警察沙汰とかになったらどうしよう?」
 
そしたらきっと自分も呼び出されて事情聞かれるよなあ。一緒に始末書かなあなどと思いつつも、とりあえず通りに出てタクシーを停めると、自宅に向かった。桃香がタクシーを使うなんてのは極めて珍しいことである!
 
でもこちらは振袖汚されずに済んで良かった!
 
70万の振袖にコーヒーとか掛けられてはたまらん。
 
優子の振袖はコーヒーを掛けられたし、そのコーヒーで濡れた振袖で望江につかみかかっているから、望江の振袖もコーヒーで汚れたはずである。それ以上にあの喧嘩で、両者とも振袖はかなりのダメージを受ける。裂けたりする可能性もあるだろう。2人ともレンタルと言っていたけど、まあ全額弁償だろうなと桃香は思った。金額は想像するだけでも恐ろしい。
 

留萌。
 
1月1日は、近くの稲荷神社と、貴司の母が奉職するQ神社に初詣に行った他はこたつでテレビを見ながらのんびりと過ごした。しかし、受験生の筈の玲羅が勉強もせずにイヤホンで音楽を聴きながらこたつでテレビと雑誌を見ながらDSでゲームしている(よく同時にできるものである)のは、他人事ながら、どうなんだ?と千里D(てんちゃん)は思った。
 
一応母が千里に玲羅が受験する予定の大学のパンフレットを見せてくれた。玲羅は結局、札幌B大学の芸術学部音楽科を受験する。
 
音楽科の中でもピアノ、歌唱、木管楽器、金管楽器、打楽器、作曲、音楽療法とコースが別れているが、各コースごとの定員というのはなく、音楽科全体で80名ということで、その枠に入れば、あとは自分の希望のコースを学べるらしい(但し作曲コースのみ10名制限)。ヤマハ音楽教室と提携しており、そちらの課程も受ければ、指導グレードの5級が取れるということ。また所定の単位を取得すれば中学・高校の音楽教師の資格も取れるということである。幼稚園教諭の資格を取ることも可能だが、かなりの追加受講の必要がある、と学校説明会では聞いたらしい。
 
しかし、玲羅が学校の先生というのは、あまり考えたくない気もするなあ、と《てんちゃん》は思った。どう考えても適当な授業をしそうだ。
 
「楽器とか買わなくていいの?」
「ピアノなら特に要らないかな。姉貴からもらったキーボードを弾いてるし」
と玲羅は言う。そのキーボードは千里の小さい頃の友人・リサが使っていたのを譲られたクラヴィア製の結構本格的なものであるが、そのあたりの事情は《てんちゃん》は知らない。このキーボードはとっても長持ちして、後に玲羅の娘が使うことになる。
 
「じゃ、もし管楽器とかを選択して楽器が必要な場合は私に相談してよ」
と千里Dは言っておく。
「うん。もしかしたらお願いするかも」
と玲羅も言った。
 

1日は最低限の火しか使わないということで、お風呂も沸かさなかったのだが、結構汗掻いたよね〜といって、2日は朝からお風呂を沸かした。
 
1番風呂は父が入るのかな?と思ったが、玲羅が
「私が先に入る!」
と言って入ってしまう。
 
父はぶつぶつ言っていたが、千里は
 
「まあまあお父ちゃん、お酒でも」
と言って、剣菱の特上限定品を開けて注いであげる。
 
実を言うと、先日貴司とのデートで帝国ホテルのレストランで飲んだのが美味しかったからといって、貴司が大阪で同じものを調達して、千里の所に送って来てくれたのである。それをここに持って来た。
 
「これそのまま飲むの?」
「そうそう。熱燗にしてもいいけど、冷やして飲むのも美味しい」
「なんか黄色いな」
「この色がここのお酒の特徴なんだよ」
「へー」
と言って、飲むが
「美味いな!」
と言って喜んでいる。
 
酒の肴(さかな)に「たこわさ」を出すと、これも美味しそうにつまんでいた。
 
「千里、お前も飲め」
と父は言うものの、千里は適当に誤魔化して逃げておいた。
 
お酒飲んでる状態で後輩の指導したら叱られちゃう!
 

玲羅があがった後、父が入ろうとしたら、母が
 
「あなた今お酒飲んでるから、後にした方がいい」
と言う。
 
それで結局千里が玲羅の次に入ることになった。玲羅は千里に小さな声で
 
「お父ちゃんの入った後には入りたくないし、私の直後にも入ってほしくないから、いつも私→お母ちゃん→お父ちゃんの順番なのよね〜」
などと言っていた。
 
村山家のお風呂は台所と直結されていて脱衣場が無い。それで母が居間と台所の間の引き戸を閉めた状態で玲羅はお風呂から上がり、身体を拭いている。千里は居るものの“女同士”という気安さで、裸体を曝している。千里もそのそばで服を脱いで裸になった。千里が裸になった頃、玲羅は服を着終える。
 
「でも姉貴、結局いつ手術したんだっけ?」
などと言って、玲羅は千里の身体のあちこちに触る。
 
「うーん。手術を受けるのは来年くらいかなあ」
などと千里が言うので
「意味が分からん」
と玲羅に言われた。
 

それで千里が朝練で由実とかなり濃厚な1on1をやって掻いた汗を流していたら、いきなり風呂場のドアが開くので、千里は「げっ」と思う。しかも父である。千里は慌てて身体をタオルで隠した。
 
「お父ちゃん、何?」
「玲羅がシャンプー切れてたと言ってたから、持って来たぞ」
「ありがとう。そこに置いて」
 
「なんだ。身体洗ってるのか?」
「うん。いいから、そこに置いたら出てってよ」
「そう邪険にするな。男同士なんだし。チンコちゃんと洗ってるか?」
「洗うから、出てって」
と言ったら、やっとドアを閉めてくれた。
 
この身体見られたら私、言い訳ができないよ! 今は面倒起こしたくないのに、と千里は思う。
 
玲羅が寄ってきて、ドアを少しだけ開けて小さな声で言った。
 
「ごめんね、お姉ちゃん。シャンプー使い切ったこと思い出したから言ったら、お父ちゃんが俺が持ってってやると言って。私が持って行くと言ったんだけど、兄妹でも女が男の入浴を見るもんじゃないとか言って」
 
「うん、いいよいいよ」
と千里は苦笑しながら答えた。
 

結局お風呂は千里の後、母が入り、最後に父が入った。千里は結果的に母とも再度裸体を見せ合うことになった。
 
「あんた、結局いつ性転換手術したんだっけ?」
と母からも訊かれる。
「それ結局私もよく分からないんだよね〜」
と千里は言っておく。
「手術代は足りた?」
「うん。それは大丈夫だよ」
と千里は笑顔で答えておいた。
 

旭川N高校のメンバーは2日は朝練をした後、瀬高さんの運転するバスに全員1度に乗って千葉駅まで出た。このバスの中では半数は立つことになるが、由実や花夜などは立つ方を志願した。その方が鍛錬になるからである。
 
電車で東京に出て、先日ウィンターカップで戦った東京体育館に行く。今日からオールジャパンが始まる。今日は札幌P高校、福井W高校、岐阜F女子高、福岡W高校、といった高校生チーム4つが登場する。
 
北海道の高校はウィンターカップに出場する高校は北海道総合に出場しないのだが、札幌P高校はインターハイ覇者なので、その枠でここに出てきている。今年の北海道代表は札幌C大学で、札幌P高校に居た広中紀子などが居る。渡辺純子も4月からここに入る予定である。
 
12時から2つのコートで同時に、札幌P高校−山形S大、福井W高校−神奈川J大の試合が行われる。
 
福井W高校といえば昨年U17女子日本代表を率いた城島さんが監督を務める学校である。対する神奈川J大は関女の常勝チームであり、大野百合絵・竹宮星乃がいるし、千里たちとN高校でチームメイトであった海原敦子も入っている。強い選手のいる中でちゃんとベンチ枠に入ってオールジャパンに出てきた敦子は大したものである。
 

N高校のメンツは両方の試合が見える場所に陣取って、両者を並行して見ていたのだが、福井W高校と神奈川J大学の試合はワンサイドゲームになっていた。これは実力差がありすぎて、どうにもならない所であろう。名将・城島にも打つ手がない感じだ。J大学は百合絵が、星乃が、そして敦子も調子よく点を入れる。結局80-124の大差でJ大学が勝った。
 
一方の札幌P高校と山形S大学の試合は接戦になっていた。第1ピリオドでは山形S大がリードするも、第2ピリオドでP高校が猛攻を掛けて一気に逆転する。第3ピリオドでS大が反撃するも、わずかにおよばない。そして第4ピリオドは両者の激しい攻防が見られ、最後は渡辺純子が相手シュートをブロックし、そのまま自ら独走して2点を入れ、66-69の僅差でP高校が逃げきった。
 
「凄い試合だった」
と由実が言う。
「このフロアに居たいと思ったでしょ?」
と『千里』は煽る。
「ええ。でもオールジャパンよりウィンターカップに出たいから」
と由実は答える。
 
「インターハイで優勝すればいいんだよ」
と『千里』が言うと、由実はしばらく考えていたが、やがて大きく頷き
「はい」
と答えた。
 

オールジャパンの試合は夕方まで続くのだが、白石コーチと司紗が残って後でレポートをすることにし、それ以外は合宿場に戻ることにする。電車で千葉駅まで行き、瀬高さんの運転するバスに全員で乗って房総百貨店体育館に戻った。戻ったのは14時半くらいである。
 
誰も何も指示していないのだが、選手たちは自主的にウォーミングアップを始め、そのあと、ドリブル走、パス練習、シュート/ブロック/リバウンド練習などといった基礎練習を始めた。
 
自分たちがなかなか肝心な所で越えることのできない札幌P高校の大健闘を目の前で見て、みんな物凄く闘志が燃え上がっていた。
 
それに今の時期は、3年生が5人抜けて、これまでベンチ枠に入ることのできなかった子たちにとって、浮上の大チャンスでもある。特にボーダーラインの子たちは練習に熱が入るようであった。
 
千里はオールジャパンの試合の様子を《すーちゃん》から聞きながら、後輩たちに声を掛けていた。
 
今日の千里(本人)の行動は、朝練をした後で千里E(すーちゃん)を代役に残して、留萌に飛んで両親に顔を見せた上で、お風呂に入り!合宿所に戻ってきた所でまた交替して、その後、後輩たちの指導をしている。留萌には千里F(こうちゃん)を残して来た。《きーちゃん》は今日は遅番の勤務で、午前中は休んでいたので、複雑な位置交換の手順をしてくれた。
 
なお、今日の試合はこうなった。
 
山形S大学(大8)×−○札幌P高校(高校)
福井W高校(北信)×−○神奈J大学(大4)
愛媛みかんず(四国)×−○湘南自動車(関東)
奈良T大学(大7)×−○岡山RP大学(中国)
福岡W高校(九州)×−○秋田U銀行(東北)
女形ズ  (社2)×−○大阪HS大学(近畿)
札幌C大学(北海)×−○栃木K大学(大6)
岐阜F女子高(東海)×−○兵庫M女子大(大5)
 
岐阜F女子高と福岡W高校も消えて、出場した4高校の内、2回戦に進出できたのは札幌P高校のみである。
 

3日も朝練の後、東京に出てオールジャパンの第1時間帯の試合を見る。今日は、札幌P高校−愛知AS大(大2)、神奈川J大(大4)−ジョイフルゴールド(社1)という、また魅力的なカードであった。
 
神奈川J大学とジョイフルゴールドの試合は大方の予想に反して一方的な試合になってしまった。日本代表経験やトップエンデバー召集経験のある豊かな才能のある選手が多いJ大学だが、佐藤玲央美、熊野サクラ、母賀ローザ、堀江希優、ナミナタ・マール、それに湧見昭子といった攻撃陣は破壊力が凄まじく、またリバウンドでも圧倒的であった。15点もの差でジョイフルゴールドが圧勝した。
 
一方札幌P高校は今日も接戦であった。さすがに大学2位のAS大に苦戦するが、何とか食らいついていき、第1ピリオドも第2ピリオドも同点である。第3ピリオドはP高校が主力を休ませる戦略に出たのに対してAS大学は主力をそのまま出して猛攻を掛ける。これで10点差を付けたものの、第4ピリオド、休憩から復帰した主力が、さすがに疲れの見えるAS大学を圧倒し、最後は5点差で勝利を得た。これでP高校は連日大学チームを倒して3回戦進出である。
 
N高校のメンツはこの第1時間帯だけ見て合宿所に引き上げたが、今日の試合はこのようになった。左側が1回戦から勝ち上がってきたチームである。
 
札幌P高校(高校)○−×愛知AS大学(大2)
神奈J大学(大4)×−○ジョイフルゴールド(社1)
湘南自動車(関東)×−○茨城TS大学(大3)
岡山RP大学(中国)×−○ビッグショック(W9)
秋田U銀行(東北)×−○フリューゲルロースト(W11)
大阪HS大学(近畿)×−○東京Y大学(大1)
栃木K大学(大6)○−×ブリリアントバニーズ(W10)
兵庫M女子大(大5)×−○シグナス・スクイレル(W12)
 
勝上り組で今日勝ったのは、札幌P高校と栃木K大学の2者だけである。K大学はプロに勝っての3回戦進出となった。
 
千里は自分たちのローキューツを倒した湘南自動車が、松前乃々羽・中嶋橘花・中折渚紗・前田彰恵・橋田桂華といった自分の同学年の5人を中核とするTS大に大差で敗れたのを見て、新たな闘志を燃え上がらせた。湘南自動車はTS大ポイントガード松前乃々羽の自由奔放なゲームメイクに翻弄され、何もいい所が出せないまま敗れた。
 
「乃々羽ちゃん、相変わらず凄いね」
と南野コーチが千里のそばで言った。
 
「理論無視してますからね」
「味方でさえ、パスを取り損ねそうになるね」
「ここでそこにパス出すのは絶対不利でしょ、という所に出すから。それで特に初めて対戦した所はやられちゃうんですよ」
 

留萌。
 
2日の午後、父はホタテの養殖の仕事の社長の福居さんに、千里を紹介すると言い出した。千里を漁師にしたいという話、まだ諦めていなかったのか!と千里に擬態している《こうちゃん》は少し呆れたが、そんな話が進んだりしたら、千里に叱られる!というので逃げ出すことにした。
 
「ごめーん。僕、バイトの都合があるから、もう帰らないといけないんだよ」
「なんだ。慌ただしいな」
 
「あんた、何時の飛行機で帰るの?」
「20:50のエアドゥを予約してる。レンタカーを返却して搭乗手続きしないといけないけど、搭乗手続きは1時間前までにしないといけないから、新千歳まで3時間として16時半くらいまでに出ないといけないかな」
 
と『千里』は言ったが、母が配慮してくれる。
 
「お正月だから道が混んでるよ。5時間くらい掛かるかも知れないから、もう出た方がいい」
「そうしようかな」
 
それで千里はすぐ引き上げることにした。
 
母がおにぎりを作ってくれて、おせちの料理を少しタッパに詰めてくれた。
 
「じゃまた」
と『千里』は笑顔で言ったが、母はこんなことを言った。
 
「身体、大事にね。また帰っておいでよ。次は、あんたがどういう姿であってもいいから」
 
母もいよいよ、千里の性別問題を決着させなければいけないと覚悟を決めつつあるようだ。
 
「うん。また帰ってくるよ」
と『千里』は笑顔で答えると、車を出す。玲羅が札幌に出たいというので、札幌まで同乗させることにした。
 
「玲羅、帰りはどうするの?」
「1泊して、明日の高速バスで帰るよ。札幌B大の下見もしておきたいし」
「ああ、それはいいね。ホテルの予約は?」
「まだしてない」
「じゃ楽天トラベルとかで予約するといいよ」
「そうする〜」
と言って、玲羅は携帯で空きのあるホテルを調べていたようだが、無事確保することができたようだ。
 
「ところで、お姉ちゃん、お年玉とかもらえないよね?」
 
『千里』は苦笑した。脇に停めて財布の中から2万円出して渡す。
 
「じゃホテル代、帰りのバス代と、あと余ったら適当に使って」
「やった!お姉ちゃん、大好き。お姉ちゃんが女の子になっちゃったこと、お父ちゃんが怒ったら、お姉ちゃんの味方してあげるね」
「はいはい」
 
と『千里』は苦笑して車を発車させた。
 

やはり道が混んでいて、札幌に着いたのがもう16時半だった。
 
「お姉ちゃん、飛行機、間に合う?」
「大丈夫、大丈夫。玲羅も気をつけて」
「うん。ありがとね」
 
と言って玲羅は降りて行った。
 
その後、《こうちゃん》は新千歳までドライブを楽しみ、車を返却した後、遊びに行った!!
 
千里からは明日の朝までに帰還すれば良いと言われている。飛行機の予約ははなっから取っていなかった。むろん自力で飛んで帰るつもりである。
 

旭川N高校の合宿は、31-2日の間、千里・留実子・暢子・司紗・夜梨子の5人で運用していたので、他のメンバーが3日の午後から戻って来るというのでその5人は3-4日はお休みということにした。それでも千里は3日お昼のオールジャパン第1時間帯の試合を見終えてからN高校のメンツと別れて千葉に戻った。暢子は結局オールジャパンを全試合観てから、都内のホテルでのんびりと一夜を明かしたようである。留実子もやはり全試合観てから、埼玉の親戚の所に顔を出すと言っていた。司紗は自分のアパートに帰ってひたすら寝正月をすると言っていた。南野コーチがおせちやお餅などを少し持たせていた。
 
夜梨子はジョイフルゴールドの応援でチアをやっていた。その後、玲央美たちと一緒に三鷹に移動し、練習の補助や1on1の相手なども務めた。メンバーの中には夜梨子とレベル的に大差の無い子もいる。
 
「つよーい!なかなか勝てない」
などと豊田稀美が音を上げる。
 
「夏嶺さんって、旭川N高校の出身なんでしょ?さすがですね」
などと向井亜耶が言う。
 
「銀河五人組と言われたんだよね〜」
などと夜梨子は苦笑しながら言う。
 
「なんか格好いい」
「その前は補欠五人組と言っていたんだけど」
「補欠から昇格したんですか?」
 
「いやいや。銀河というのは、星屑(ほしくず)の美称(びしょう)だよ」
「あらら」
 
「私たちは5人の中の1人を除いて、1度も公式戦のベンチに座らなかったから。でも楽しかったよ」
 
「夜梨子ちゃんたちは、他の学校ならレギュラーになっていたと思う」
と昭子が横から言う。
 
「でも弱小でお山の大将になるより、強いチームで揉まれた方が実力は絶対伸びますよ」
と昭子は付け加える。
 
「まあうちは公式戦に出られないような子を積極的にカップ戦とかに出してくれたからね。だから普通の学校の補欠よりは随分試合経験を積むこともできたと思う」
 
「そういうのいいですね〜」
「でも3年間でチアもだいぶ覚えたよ」
「なるほど!」
 

3日の14時頃、N高校のメンバーと一緒に千葉駅まで来て、そこで別れた千里は、バスで自分のアパートまで帰ると、窓を開けて換気をし、お掃除をした。しかしこのアパートは実質台所だけなので、すぐ終わってしまう。
 
うーん。。。と考えたあげく、桃香のアパートも掃除してあげようと思い至る。それで勉強の道具なども持った上で、車で桃香のアパートの所まで移動した。
 
お掃除をしている内にどんどん楽しくなってくる。トイレットペーパー、洗濯用洗剤、ガラス磨き、入浴剤、が切れているのに気付き、《せいちゃん》に頼んで買いに行ってもらった。
 
かなり掃除してゴミも2袋できた所で訪問者がある。その訪問者は“自分の鍵”でドアを開けて入って来た。
 
「あ、こんにちはー」
と千里は掃除機の手を休めて笑顔で挨拶した。
 
「えっと、桃香は?」
「実家に帰っているんですよー。私は桃香の同級生で千里です。勝手にあがらせてもらって仮眠していたんですけど、散らかってるからついでにお掃除してあげようと思って。藍子さんでしたっけ?」
 
「あ、うん」
と言って藍子は中に入ってきた。
 
「今、お茶入れますね〜」
と言って、勝手に紅茶を出してきて、“5分ほど前から”沸かしていたポットのお湯で入れて、藍子に出す。
 
「お砂糖、ミルクは自由にどうぞ。って人の家(うち)なんだけど」
と千里は言っている。
 
「いや、ありがとう。ここはなんかみんなの溜まり場になっているみたいで」
と言って、藍子は千里が入れた紅茶を飲んでいたが
 
「美味しい!」
と言う。
 
「それ、この夏にインド行った時に、私が買ってきた紅茶なんですよね〜。だいぶ友だちにも配ったから」
 
「へー」
などと言っていたが、藍子は掃除を続ける千里を見て突然
 
「あっ」
と言った。
 
「あんた、こないだ桃香をフェラーリに乗せてた」
と言う。
 
「ああ、こないだちょうど大阪まで行こうとしていたら、桃香が羽田に人を迎えに行くから途中まで乗せてというんで、送っていったんですよね〜」
 
「それだけ?」
「ですけど」
 
「桃香と恋愛関係とかはないんだよね?」
「まさか。私、男の子ですよ」
 
藍子は「ん?」と言って、一瞬、視線を天井に向け、考え込んだ。
 
「よく分からないのだけど」
「はい?」
「あんた、男なの?」
「そうですよ。何なら触ってみます?」
 
と言って、《きーちゃん》に頼み、自分をドラッグストアで買物中の《せいちゃん》と交換してもらう。
 
藍子の手を握って、お股に触らせる。
 
「ほんとに男の子だ!」
と言って藍子が驚いたような顔をする。
 
次の瞬間には元の千里に戻っている。
 
《せいちゃん》はいきなり位置交換されたかと思うと、女の子にお股を触られ、またすぐ元の場所に戻されたので「何なんだ〜?」と叫んでいた。
 
「それで・・・男の子だと恋愛の可能性無いんだっけ?」
と藍子が悩むように訊く。
 
「だって、桃香は女の子専門でしょ?」
「そうだと思っていた」
 
「そして私はストレートだから、男の子にしか興味無いし。だからどちらの側からも恋愛の可能性は無いんですよ」
 
「ストレート?」
と言って、藍子は困惑している。
 
「だって、私、心は女の子だから、男の子が好きだもん」
 
藍子は少し考えていたが
「なるほどー!」
と本当に納得するように言った。
 

「桃香は今夜くらいに戻るような話だったんですけどね〜。それまで待ってます?」
 
「あ、いや、私夕方からバイトがあるから、桃香が居ないのなら帰るよ」
「そうですか。あ、じゃお土産に」
と言って、千里は北海道で買ってこちらに転送しておいた『白い恋人』の小さなパックを藍子に渡した。
 
「もらっていいの?」
「友だち関係に大量に配ろうと思ってたくさん買ってきたので」
「じゃ、もらっとく。北海道の子?」
「そうなんですよ。今朝戻って来て疲れて自分のアパートまで戻るの面倒だったから、ここで仮眠させてもらってたんですよね〜」
「なるほどね〜」
 
それで藍子は「お茶とお菓子ありがとね」と言って帰っていった。
 

桃香は2日の地区の成人式の途中混乱の中から逃亡してきた後、呼び出されたりしないかとドキドキしながら自宅でビールを飲んでいたが、特に警察とかから呼び出しが来ることは無かった。
 
しかしその日の夕方、ニュースで
「成人式で乱闘。15分間中断。乱闘した新成人を厳重注意」
というのが流れると、あはははと内心冷や汗を掻いた。
 
乱闘した本人たちの顔こそ映らなかったものの、乱闘で倒れた椅子などがテレビの画面に映っていた。
 
「あら、これあんたが行った所じゃないの?」
「そうそう。もうこれは中止かなと思って帰って来たんだけど、何とかその後を続けたんだね」
「都会に出た子とかにとっては、ほんとに記念の式典だからね」
「だよねえ」
「最近は子供を甘やかしすぎなんだよ」
などと洋彦は言っている。
 
「へー。その場にいた新成人の女性が喧嘩している2人の間に入って喧嘩をやめさせたので大きな騒ぎにならなかったと」
「お手柄だね」
「女の子でよく停められたね」
「スポーツ少女なのかもね」
 
それでその“お手柄の女性”が一瞬映ったが
 
研二だ!
 
まあ、“女”ではないからね〜。中身は男そのものだもん、あいつは。中学でも高校でもテニスやってたから腕力はあるし。でもあいつがテニスやってたのは「スコートが穿きたいから」という理由だったんだよね〜。試合ではさすがにショートパンツだったが、練習の時はけっこうスコートを堂々と穿いていた。
 
そういえば千里はバスケットやってたとか言っていたなあ。やはりスポーツやってるから、こないだ朱音をひとりで背負って階段登ったりできたんだろうな。でも千里の場合は、研二と違って中身まで女の子だ。
 
研二は「スカート穿いて女子トイレでオナニーするのが最高の快感」なんてふざけたことを言っていたが(一度通報してやろうと思っていたのだが、現場を押さえることができなかった)、千里はこないだはオナニー自体したことないなんて話してた。オナニーしてないから、男性ホルモンも少なくて女性的なのかも知れんよなあとも思う。
 
そんなことを考えている内に、千里に会いたいなあ、という気持ちが生じた。
 

3日の朝から帰ることにする。
 
ブリの冷凍したのを持って行くことにし、結局半分くらいもらった。ブリを買った時に入れてあった発泡スチロールの箱に入れて大量に氷(母が知り合いの漁協の人に頼み、氷をもらってきた)を入れた上で車のトランクに入れる。
 
朝御飯を食べてから、まずは桃香の運転で出発する。S字状の美しい伏木万葉大橋、高い所に架かる新庄川橋を渡り、R415/R472と南下して小杉ICから北陸道の下りに乗る。上越JCTから上信越道に入るが、ここで車線が減るのでどうしても渋滞する。時間が掛かって体力も消耗するので妙高SAに入ってお昼御飯を食べて少し休憩した上で出発。運転は洋彦に交替する。
 
しかし妙高から先はわりとスムーズに流れる。甘楽PAで休憩し、洋彦が「ここに来る度にこれが楽しみ」という焼き饅頭を買って食べる。そして桃香と運転交替して、藤岡JCTから関越に入る。しかし関越は東京に近づくにつれ、流れが悪くなっていく。
 
「ここから先は初心者には厳しいから代わろう」
と洋彦が言うので、高坂SAで休憩した上で洋彦が運転。大泉JCTから外環道に行き、三郷南ICを降りてから一般道を走る。少し行った所にあったファミレスに入って晩御飯を食べた。
 
そして千葉市まで来て、桃香を降ろす。
 
ブリの入った発泡スチロールの箱は桃香ひとりでは持てないので、洋彦が階段を持って登ってくれた。玄関を開けて、その箱を中に入れた所で
 
「ありがとう。おじさんも気をつけて」
と言って、桃香は洋彦夫妻と別れる。
 
それでドアを閉めて、さてこのブリ、どうしよう?と思った所で6畳の間で、千里が勉強しながら、眠ってしまっているのに気付く。
 
「千里?」
と声を掛けると
「あ、桃香、お帰り〜。勝手に入ってたよ」
と言う。
 
「ああ、いいよ、いいよ。ね、このブリを冷凍室に入れるの手伝ってくれない?」
「ブリ?」
 
それで千里が入れてくれるが、入りきれない!
 
高岡の自宅冷蔵庫は500Lの大型だったからよかったが、桃香のアパートの冷蔵庫は85Lだ。全然サイズが違う。中に入っていた冷凍食品を全部冷蔵室の方に移してしまったのだが、それでも半分くらいしか入らない。
 
「冷蔵庫に入れるか、発泡スチロールの箱に取り敢えず入れたままにして、早めに食べるしかないと思う」
と千里が言う。千里は箱の中に溜まっている水を流し、桃香の家の冷蔵庫の中にあった氷を全部そこに追加した。どっちみち製氷皿は冷凍室に入らない!
 
「じゃ、取り敢えず少し食べるか。でもこれ、どうやって調理しよう?」
「これまだ凍ったままだね。お刺身にしようか」
「できる?」
「お刺身にするくらい問題無い。私、漁師の娘だから、お魚さばくのとかも得意だよ」
「おお、それでは頼む」
 
と桃香は言った。しかし《漁師の娘》を自称するんだな、などと思う。
 

それでどっちみち冷凍室から出してしまった冷凍御飯(桃香は御飯を炊いたらすぐ食べる分以外、全部おにぎりにして冷凍してしまう)をチンし、その間に千里がブリを刺身にしてくれたので、一緒に夜食(?)にする。
 
「このブリ、美味しいね!」
と千里が言う。
「分かる?」
「うん。凄く脂が乗っているし」
 
「この時期の能登半島のブリは寒ブリと言って、わざわざ遠くから買いに来る人もあるんだよ。東京にも出荷して“氷見(ひみ)の寒ブリ”と言って売ってる。このブリも、その氷見の漁港まで行って買ってきたんだよ」
 
「すごーい。本場なんだ」
 

「そうだ。午後3時頃だったかなあ。藍子ちゃんが来たよ」
と食べながら千里が言う。
 
「うっ」
「桃香が居ないと言ったら、バイト行くからと言って、お茶だけ飲んで帰った」
「藍子、千里に何か言わなかった?」
「別に。え?男の子なの?と言われるから、触らせてあげたよ」
「あははは」
「それで納得していたようだった」
「いや、千里とできてるんじゃないかと、随分疑われたんだよ」
「まあ、私たちの間に恋愛が成立する可能性は無いしね」
 
などと千里がいうのを見た桃香はちょっとドキっとしてしまった。
 
「千里」
「うん?」
 

次の瞬間、桃香は千里を抱きしめてキスした。
 
「ちょっとぉ!何するのよ?」
と千里が抗議する。
 
「ごめん。ごめん。千里があまりにも可愛く思えたから」
「私、男の子だし。それに私、彼氏もいるから桃香との恋愛には応じられないよ」
「分かってる、分かってる」
と言いながらも、桃香は千里にときめきの気持ちを感じていた。
 
「じゃ恋人ではなくて、姉妹みたいなものというのはどうよ?」
と桃香は唐突に提案した。
 
千里はドキっとした。こないだ出羽に行った時、誰かと姉妹の契を結ぶと美鳳さんから言われた。その姉になる人とは既に知り合っているとも言われた。いやそもそも姉とか妹という話はインドで****からも言われたことだ。もしかしてそれって桃香のことだったの?
 

「それってどちらが姉でどちらが妹?」
「どちらでもいいけど、千里誕生日いつだっけ?」
「1991年3月3日魚座」
「私は1990年4月17日牡羊座」
「じゃ、桃香がお姉さんで、私が妹かな」
「うん、それでいい気がする」
 

「しかし妹よ、部屋の中が随分綺麗になってるのお」
「半日掛けて掃除したから。結構大変でしたよ、お姉様」
「うむ、大儀であった、妹よ」
 
「でも年末はけっこうここに泊めてもらったからね」
「妹よ、いっそうちに引っ越してこないか?あそこ遠いし、雨漏りも酷いということなら。ルームシェアだよ」
 
桃香としては、千里に少しときめきを感じているのはあったが、それでもお互い恋愛対象ではないし、お互いの恋人もいるのであればマジでルームシェアしてもいいような気がしたのである。
 
「ルームシェアかぁ。それも悪くないかな」
「ここで狭ければ、新たに3DKくらいの部屋を借りてもいいし」
「3DKを借りると、完璧に理学部女子の宿泊所になりそうだ」
「確かにそうだ」
「それにここの家賃が凄いし」
「そうなんだよなあ。こんな安い家賃の所は滅多に無い」
 
「でも、お姉様、ご機嫌がいいね。彼氏でもできたの?」
 
“彼氏”ということばにドキっとする。彼氏って・・・それ千里のことだったりして!?と桃香は考えてしまった。“彼女”とは別に“彼氏”も居てもいいよなあ、などと考える。
 
「昔の恋人と地元の成人式で会ってさ」
「縒り戻したの?」
 
「まさか。私には藍子もいるし。向こうは縒り戻したいと言ったけど、私はその気無いんで断って、でもしつこくされて。そしたら別の昔の恋人も出てきて、修羅場になっちゃって」
「あらあら」
 
「もう私は他人の振りして取り敢えず逃げてきたよ。あとでニュース見たら成人式で乱闘なんて報道されてるし」
 
「わー、危なかったね。下手したら逮捕されてるところだ」
 
「うんうん。幸い警察沙汰になる前に停めてくれた人があって15分くらいで納まったらしいけど。でも私は無事セーフ。私の振袖も無事セーフ」
 
「そちらのほうが痛いね。留置場で一晩すごすより」
「全く」
 
「ところで、今出て来た登場人物って・・・・みんな女の子だよね?」
 
「うん。私、男との恋愛経験はないよ。研二以外は。喧嘩したふたりはどちらも振袖だったけど、たぶんダメになったと思う」
 
「それレンタル?」
「レンタルだと言っていた。全額弁償だろうなあ」
「ああ、頭が痛い話だ」
 

その時、唐突に桃香は思いついた。
 
「そうだ。妹よ。ここのブリを保存する方法だが」
「なあに?お姉様」
 
「千里のアパートにある冷蔵庫をここに持ち込んで、そこに入れるというのはどうよ?」
「うちの冷蔵庫をこちらに持って来てしまったら、私はどうすればいいのよ?」
「うん。だから、千里はここで暮らすということで」
 
「まあいいや。冷蔵庫くらいは。じゃ持って来ようか」
 
というので、夜中ではあったが、千里は桃香と一緒にインプに乗って、千里のアパートまで行くと、冷蔵庫を中身ごと!インプの荷室に積み、桃香のアパートまで運んだ。それで何とか残りのブリも冷凍室に収めることができた。
 
「この発泡スチロールの箱、ちょうだい」
と千里が言う。
 
「いいけど何するの?」
と桃香。
 
「彼氏が来た時に、これでビール冷やしておく」
「すまーん」
「冷やす用の氷はこちらのアパートから持っていこう」
「それはブリを少し消化しないと製氷できんな」
「じゃ明日の朝御飯はブリの照り焼きで」
「千里が作ってくれるのなら歓迎だ」
 
 
前頁次頁目次

1  2  3  4 
【娘たちの年末年始】(2)