【娘たちの年末年始】(3)

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桃香が実家に帰省した際に同行した洋彦伯父が、氷見漁港で10kgのブリを1匹まるごと買ったのだが、桃香が千葉に戻る時、母が「こんなにあっても1人では食べきれないから、あんた持って行って」と言って5kgくらい持たせてくれた。(洋彦も2kgくらい持ち帰る)
 
それをアパートの冷蔵庫の冷凍室に入れようとしたのだが、中に入っていた冷凍食品や氷などを全部出しても入りきれない。さて、どうするかと思った所で、たまたま来ていた千里に提案した。
 
「そうだ。妹よ。ここのブリを保存する方法だが」
「なあに?お姉様」
 
「千里のアパートにある冷蔵庫をここに持ち込んで、そこに入れるというのはどうよ?」
「うちの冷蔵庫をこちらに持って来てしまったら、私はどうすればいいのよ?」
「うん。だから、千里はここで暮らすということで」
 
千里もどっちみち、近い内にどこかに引越ししなければならないと思っていたので、取り敢えず一時的に冷蔵庫を桃香のアパートに置いてもいいかと考え、夜中にふたりでインプレッサで往復し、千里のアパートの冷蔵庫を中身も丸ごと桃香のアパートに運んだ。おかげで、何とかブリは全部冷凍室に入れることができた。それで千里は桃香に言った。
 
「このブリの入っていた発泡スチロールの箱、私にちょうだい」
「いいけど、何するの?」
 
「彼氏が来た時に、これでビール冷やしておく」
「すまーん」
 
「冷やす用の氷はこちらのアパートから持っていこう」
「それはブリを少し消化しないと製氷できんな」
「じゃ明日の朝御飯はブリの照り焼きで」
「千里が作ってくれるのなら歓迎だ」
 
桃香は割とあまり深く考えずに言ったのだが、千里はドキッとした顔をした。
 
「それって、朝まで私はここに居るということ?」
 
「どっちみち冷蔵庫がここにあるから、朝御飯作るのに困るだろ?」
「そうだね〜。じゃ泊まっていくか」
 

そういう訳で、千里は泊まっていくことにし、先日と同様、6畳に桃香が自分の布団を敷き、4畳半には客用布団を敷いて寝ることにする。例によって、夜中に桃香は夜這いを掛けて来たが、千里はしっかり撃退する。
 
「千里、撃退の仕方が容赦無さ過ぎる。これマジで痛い」
「正当防衛だからね。夜は寝なさい」
 
それで桃香も懲りたようで、その夜は朝まで安眠することができた。
 

朝(1月4日)、千里が起きた時、まだ桃香は寝ていたが、朝御飯を作ることにする。
 
最初お米を4合研いで、ざるにあけておく。
 
冷凍室から適当なサイズのブリのブロックを取り出し、食べる分だけ解凍できるように、アルミ箔で解凍したくない部分を覆ってレンジに入れ、解凍ボタンを押す。少し融けたところで、よく研いだ包丁で切断し、融けてない部分は冷凍室に戻す。
 
切り身のサイズにカットして(6切れ作った)、いったん冷蔵庫に入れておく。御飯のスイッチを入れる。携帯のタイマーを掛けて・・・仮眠する!
 
タイマーが鳴った所で起きて、ブリの照り焼きを作り始める。
 
先にタレを作りよく混ぜる。フライパンを熱して、そこにブリを、まず皮の方を下にして入れてよく焼く。ひっくり返してまた焼いた上で、ふたをして蒸焼きにする。充分火が通った所でふたを開ける。タレを掛けながら弱火で焼いて充分魚にタレが絡まるようにする。
 
だいたいできあがるかなあ、という所でアパートのドアが開く。
 
「なんかいい匂い」
と入って来た玲奈が言う。
 
「今照り焼きが焼き上がる所。御飯を3人分、盛ってくれる?」
「あ、うん」
 
それで玲奈が食器棚から茶碗を3つ出して御飯を盛り、箸も3膳持って来て並べた。
 
そして、千里は焼き上がったブリの照り焼きを2つずつ、3つの皿に盛って並べた。
 
「桃香〜、朝御飯できたよぉ」
と言って起こす。
 
「あ、いい匂いだ」
などと言って桃香は起きてくる。寝間着代わりのジャージの上下を着ている。
 
「あれ、玲奈来てたんだ」
「おはよう」
と言ってから、玲奈は尋ねる。
 
「あれ?千里と桃香だけ?」
「うん。誰か来そうだったから3人分焼いたんだよ」
と千里は言った。
 
「へー!」
 
「私、電話掛かってくるのとかも分かるんだよね〜。あと5分くらいしたら桃香に電話が掛かってくる」
 
「マジ?」
 

「千里、昨夜ここに泊まったの?」
「そうそう」
「した?」
「何を?」
「何をって、その、秘め事というか何か」
 
「まさか。私も桃香も各々恋人がいるし、桃香は女の子が好きだから私は恋愛対象外、私も男の子が好きだから、桃香は恋愛対象外。遅くなって自分のアパートまで戻るのが大変だったから、純粋に睡眠を取らせてもらっただけだよ」
 
「うーん。。。そのあたりに微妙な疑問があるのだが」
と玲奈は言葉を濁す。
 
「まあ夜中に桃香に襲われたけど、撃退した」
と千里。
「千里酷い。痛くてしばらく起き上がれなかった」
と桃香。
 
「まあレイプ魔は手痛い目に遭わせなきゃダメだよね」
と言って玲奈は笑っている。
 
しかし・・・桃香が千里に夜這いを掛けたということは、少なくとも桃香は千里を恋愛対象と思っているのでは?だって千里って、こんなに女の子っぽいんだもん、と玲奈はブリの照り焼きを食べながら思った。
 

そんな感じでおしゃべりしながら、朝御飯を食べていたら、桃香の携帯が鳴る。
 
「ほんとに電話掛かってきた!」
と玲奈が驚く。
 
それで桃香が出ると、バイト先から、急に来られなくなった人が複数あり、人数が足りないので、可能だったら出社してくれないかということである。
 
「分かりました。行きます!」
と桃香は答え、急いでブリの照り焼きの残りを食べると、着換え始める。
 
玲奈は何気なくその着換えの様子を見ていたがふと思って言った。
 
「千里がいても別に平気で着換えるのね」
 
「ん?」
と桃香は言って一瞬考えたものの、
 
「まあ千里は女の子の一種だから、別に気にしなくてもいい気がする」
と桃香は言った。
 
「まあ確かに」
 
実際、体育の授業の時も千里は女子更衣室で着換えていたもんなあ、と玲奈は思った。
 
それで桃香は
「食器はシンクに適当に放り込んどいて」
と言って出かけて行った。
 

それでしばらく千里は玲奈とおしゃべりしながら朝御飯を食べていたのだが、ふと千里は思い出して言った。
 
「あ、そうそう。華原先生には既に言っているけど、私、13日から28日まで合宿に入るから学校には出て行けないから」
 
「また日本代表の活動?」
「そうそう。フランスに行って来ないといけない」
「大変だね。今度はどこの大会に出るの?」
 
「6月にアメリカでU21世界選手権。U18から始めて4年目でこれが最後になる。U18,U20のアジア選手権で初優勝できたけど、実際このチームは物凄く強いと思っている。メンバーもU18の時から3人しか交替してないし。今年で解散するのが惜しいくらい。この後は、フル代表にマージされていくけど、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックから、2020年のオリンピックあたりが私たちの世代のピークになると思う」
 
(2020年のオリンピック開催地が決まったのは日本時間で2013年9月8日5:20AM)
 
「オリンピックかぁ。凄いな。頑張ってね」
「うん」
と千里は笑顔で答えた。
 

4日のオールジャパンは舞台を代々木第1第2体育館に移し、いよいよWリーグの上位チームが出てくる。センターコート仕様なので、第1体育館で1試合、第2体育館で1試合である。12:00からの時間帯では、第1体育館で札幌P高校−サンドベージュ、第2体育館でジョイフルゴールド−ハイプレッシャーズの試合が行われる。N高校のメンバーたちは第1体育館のP高校の試合を見た。千里もその時間に合わせて出て行って試合だけ見た。
 
圧倒的な試合であった。
 
Wリーグのトップチームに対してP高校は全くなすすべがなかった。スピード、パワー、シュートの精度、リバウンド、全てにわたってサンドベージュはP高校を圧倒した。110対73の大差でインターハイとウィンターカップの覇者・P高校は敗れ去る。
 
「マジでしたよね?」
と由実が訊く。
「うん。サンドベージュはマジ全開だった。この相手には油断したら食われると思ったから、全力で叩き潰しに行ったんだよ」
と千里は答える。
 
渡辺純子がほとんど放心状態でコートに立ち尽くしていた。
 
しかし彼女はこの経験で更に伸びるだろう。
 

なお、第2体育館の方は、ジョイフルゴールドがフラミンゴーズに勝った。この日の結果はこのようである。
 
札幌P高校(高校)___×−○サンドベージュ(W1)
ジョイフルゴールド(社1)○−×フラミンゴーズ(W8)
茨城TS大学(大3)___×−○ビューティーマジック(W5)
ビッグショック(W9)__×−○エレクトロ・ウィッカ(W4)
 
今日、勝ち上がり組でWリーグ上位に勝ったのは、ジョイフルゴールドのみである。橘花や桂華たちのTS大も負けてしまった。ビューティーマジックは攻撃大好きのチームでTS大とはお互いに相性がいい感じだった。ハイスコアのゲームになったものの、最終的には地力の差でプロ側が勝った。
 
明日は3回戦の残り4試合が行われ、栃木K大学などが登場する。
 

第1時間帯の試合だけ見て、N高校のメンバーが合宿所に引き上げようとしていたら、ロビーに札幌P高校の2年生・久保田希望が出ていた。こちらの紫とはU17日本代表で一緒になっているのもあり、お互いに手を振る。
 
「もう帰るの?」
と紫は何気なく声を掛けた。
 
「明日の試合まで見てからその先をキャンセルして帰る」
と希望。
「今日は残念だったね」
と紫は言う。
 
大差で負けているので「惜しかったね」とは言えない所である。紫はこの辺りの言葉の使い分けがしっかりしている。
 
「N高校はどこかで合宿してるの?」
「うん。千里先輩のチームの体育館が4月からの新しいコートのレイアウトになっているから、そこで練習してるんだよね」
 
それを聞くと、希望は驚いたような顔をした。そして
 
「N高校のみなさん、ちょっと待っていてもらえません?」
「あっと、いいけど」
 
それで希望が走って奥の方に行く。
 
「私、まずいこと言っちゃったかな?」
と紫が由実の顔を見ながら言う。
 
「紫にしては安易な発言だと思った」
「ごめーん」
 
「まあ十勝さんが飛んでくる気がするね」
と宇田先生も笑っている。
 
「ごめんなさい!」
と紫。
 
案の定、P高校の十勝監督が希望と一緒に走ってやってくる。
 
「宇田さん、新しいレイアウトのコートで練習してるって?」
と十勝さんが宇田先生に声を掛ける。
 
「うん。やはりこれはできるだけ早く慣れた方がいいという結論になってね。うちの高校自体も今週末には新しいレイアウトにするんですけどね。その前に新しいレイアウトの体育館があるというので、練習させてもらっているんですよ」
と宇田先生は説明する。
 
「うちは今月下旬に工事するつもりだった。ね、ね、そこで少しうちも練習させてもらえない?」
と十勝さん。
 
「いいですよ。合同合宿します?」
「しましょう。午後から行っていい?」
「いいですよ」
 

それで急遽、札幌P高校が千葉まで来ることになったのである。
 
結局、P高校も第2時間帯の試合は見ないことにして、一緒に電車で移動し、瀬高さんのバスが4往復して両校の選手を運ぶ。
 
「これは凄い」
「この体育館自体新しい?」
 
「いえ。築40年ですよ。でも床の表面を全部いったん削ってウレタン塗装しなおしたんです。元々がバレーボール用の体育館だったから、バスケットをやるには少し狭いんですよね。それで2コートレイアウトで使った時に、壁にぶつかっても怪我しないように壁にクッション板を張り付けているんですよ」
と千里が説明する。
 
「なるほどー。じゃ改造費けっこう掛かったでしょ?」
「改造費のほか、ボール買ったり、電子式の得点掲示板買ったりで1500万掛かりました」
「掛かるよなあ」
と十勝さんは言っている。
 
「P高校はラインだけ引き直すんですか?」
「最初それだけにするつもりだったんですけどね。よくよく検査してみると床がかなり傷んでいるんですよ」
 
「傷みますよね」
 
「それでうちも表面を削って塗装しなおしになりました。結局1000万です」
と十勝さん。
「ああ、やはり」
 
「うちのはあれいくら掛かるんですか?」
と紫が質問する。
 
「うちのは3000万円」
と宇田先生が言う。
 
「それはまた大改造ですね」
と十勝さんが驚いて言う。
 
「実はタラフレックスにするんですよ」
「それは凄い!」
 
「練習用の3コートレイアウト、試合用の2コートレイアウト、決勝戦用の1コートレイアウトと用意するんで、タラフレックスの枚数もかなりかさみました。かなりディスカウントしてもらったのですが、それでも3000万です」
 
「でもいいなあ。うちも頑張ってタラフレックスにしてもらえばよかった」
と十勝さん。
「こういうルール改訂の時がチャンスだというので、してもらったんですよ」
と宇田先生。
 

それでP高校のメンバーも新しいレイアウトでシュートの練習をするのだが、やはりみんなタイミングが取れない!
 
「これはかなり難儀だなあ」
と十勝さんが部員たちの様子を見て言う。
 
「これ新しいコート未経験で、新しいコートでの試合に出てきたチームは全く点を取れずに敗退しますよ」
と宇田先生。
 
「うん。どうもそういうことになりそうだ」
 
「大会関係の会場はどうなるんですかね?」
と南野コーチが疑問を投げかける。
 
「色々聞いていたのですが、インターハイ本戦はもう新しいレイアウトでやるらしいです」
と十勝さん。
 
「ですよね〜」
「道大会は今揉めているらしいですが、宇田さん、一緒に新しいコートを推進しない?」
「しましょう。やはり世界標準でやらせるべきですよ」
と宇田先生も言った。
 
結局P高校はこの後、5〜7日の3日間、N高校と合同合宿することになった。宿は、元々オールジャパンの終わる9日の前日8日まで念のため予約を入れていたので、それをキャンセルせず、最初の予約通り泊まることにした。そして毎日都内からここまで通ってきたのである。
 

4日の夕方、またいったん自分のアパートに戻っていた千里の所に母から電話が掛かってきた。
 
「実は市役所から電話があってね」
と母が言うので
「何かの督促?」
と千里は尋ねた。実家は色々なものを滞納しているっぽい。
 
「いや、それが千里さんは9日の成人式には出席なさいますか?という話で」
「留萌の?」
「そうそう。それで話を聞いたら、新成人の代表で『新成人の誓い』とかを話してくれないかとか」
「え〜〜〜!?」
 
「それとなんか市で表彰したいとか。お前、何かバスケの大会で大きな賞を取ったんだっけ?」
「うーん。。。優勝はしたけど、大したことはないんだけどなぁ」
と千里は言っておく。
 
「そうかい。でさ」
と言って母は言いにくそうに言った。
 
「最初電話した時、お嬢さんはご在宅ですかというから、私最初玲羅のことかと思っちゃって。それであの子、まだ札幌から帰ってきてないから、今市外に出ているんですよと答えちゃって。でも話している内に、新成人とかいうし、これって千里のこと〜?と思って」
 
「あぁ・・・」
 
しかしまだ帰ってないって、玲羅は札幌で何やってんだ?
 
「これどうしたらいいかしら?」
「じゃ私が直接話すよ。担当の人の名前とか分かる?」
 

それで千里は市役所の担当の人の名前と電話番号を聞いて掛けてみた。
 
すると最初にU20アジア選手権優勝おめでとうございますと言われ、ベスト5とスリーポイント女王を取ったお祝いを言われる。
 
「村山様、もし可能でしたら、1月9日の成人式に出席しては頂けないかと思いまして」
「何時からですか?」
「午後3時から文化センターなのですが」
「私、翌日10日には今住民票を置いている千葉市の方の成人式にも出たいので、その日の内に帰れるようでしたら」
 
「はい。だいたい2時間程度で終わるはずですので」
「だったら出てもいいかな」
「当日市内に入られます?」
「いえ。前日夜に戻ろうかと思います」
 
N高校のメンツは8日朝まで合宿をして、8日のオールジャパン準決勝(12:00-, 14:10- )を見た後、夕方の飛行機で帰るはずである。千里もそれに同行すればいいかと考えた。
 
「でしたら、もしよろしかったらその日の午前中に市役所までご足労頂けませんでしょうか?市長がぜひ激励したいと申しておりますし、式典の打合せとか新成人のことばについても打ち合わせて頂ければと」
 
多分、変なメッセージを読まれては困るから事前にチェックするんだろうなと思った。あるいはもう作文されていて、渡されるだけだったりして!?
 
「いいですよ。何時頃行けばいいですか?」
「はい。もしよろければ11時くらいに」
「では11時に」
「あ、村山様、当日は服装は、振袖ですか?」
「はい、振袖のつもりです」
 
これもあまり変な格好されては困るから確認したんだろうなと思った。
 
「分かりました。それではよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
 

千里は1分くらい考えてから、留萌市内の美容室に電話をした。
 
「ご無沙汰してます。村山です」
「もしかして千里ちゃん?」
と美容室のおばちゃんが言う。
 
「はい、そうです」
「ほんとご無沙汰ね〜。今札幌かどこかに居るんだっけ?」
「今千葉県なんですよー。それで9日の午前中って、セットの予約もう一杯ですよね?」
 
「もしかして千里ちゃん成人式だっけ?」
「はい、そうなんですよ。千葉の方で出るつもりだったんですけど、こちらにも出てくれと言われて。だから9日に留萌で出て10日に千葉で出ます」
 
「忙しいね!」
と言ってから、おばちゃんは少し悩むような言い方をした。
 
「千里ちゃん、成人式で何着るの?たとえば背広とか、羽織袴とか・・・」
「もちろん振袖ですよ」
「やはり、そっちなんだ!」
と言って、何だか少しホッとしたような空気を感じる。
 
「千里ちゃん髪の長さは?」
「腰くらいまでの長さなんですが」
「やはり長いままなんだ!」
 
高校入学時にいったん丸坊主にしてしまったのは、おばちゃんは知らないだろうなと千里は思った。
 
「でも予約いっぱいですよね?」
と言うが、おばちゃんは少し考えているふう。
 
「アップにする?それともダウンのまま?」
「ダウンのままがいいかな」
「朝7時ならやってあげるよ」
「じゃ済みません。それでお願いできますか?」
「OKOK。千里ちゃんが振袖で成人式かぁ。あんたはそうなるんじゃないかという気がしてたよ」
 
とおばちゃんは感慨深げであった。
 

千里はその後、貴司に電話した。
 
「セヘボン・マニパドゥセヨ」(明けましておめでとう)
 
「あ、えっと、セヘボンマニパダ・・・だったっけ?」
「それでいいと思うよー。帰国はいつになりそう?」
「多分明日には帰れると思う」
「そしたら留萌に帰省するよね?」
「うん。予定通り行けば5日の夕方までに帰国できそうだから、それで会社に報告に行って、6−8日は留萌に行ってくる」
「9日は?」
「別件で打合せがあるから大阪に戻らないといけない」
「大変だね!」
 
つまり自分とは入れ違いになってしまう訳か。
 
「ほんとはこの時期はオールジャパンで忙しいですと言ってみたい」
「貴司、JBLでもbjでもいいから、プロになる気は?」
「実績もないのに採ってくれる所は無いよ」
「実際のプレイを見て下さいとか言って売り込めばいいんだよ」
「それに今のチームに恩があるし」
「そんなこと言ってたら、いつまでも浮上できないよ」
「千里はほんとに煽るよなあ」
 
「あ、それでさ」
「うん」
「留萌に帰省する時にね」
「うん?」
「そちらに置いている私の振袖を実家に持って行ってくれない?」
「振袖を?」
 
「U20アジア選手権で優勝したことで、留萌市から表彰したいとかでさ」
「凄い!」
「成人式で新成人の誓いとかもしないといけないみたい」
「おお、頑張れ」
「だから、そういうことなら、バスケット柄の振袖で出ようかなと」
「ああ、いいね。分かった。あのバッグをまるごと持って行けばいいんだよね?」
「そうそう。肌襦袢と長襦袢は別途持って行くから」
「了解了解」
 

N高校が合宿している房総百貨店体育館では、5日以降、ローキューツのメンバーもちらちらと顔を見せるが、便利に使われる!
 
「麻依子、ちょっとこの子と手合わせしてみない?」
などと言って引き込むが、麻依子や岬などは
 
「この相手とやるとこちらも鍛えられる!」
と言って、けっこうハマっていたようである。
 
玉緒が1年生部員に電子得点板の操作の仕方を教えたりもしていた。
 
オールジャパンは5日に3回戦の残り4試合が行われ、下記のような結果となった。
 
フリューゲルロースト(W11)×−○レッドインパルス(W3)
東京Y大学(大1)____×−○ステラ・ストラダ(W6)
栃木K大学(大6)____×−○ハイプレッシャーズ(W7)
シグナススクイレル(W12)×−○ブリッツ・レインディア(W2)
 
全部Wリーグ上位が勝った。これでプロ以外残っているのは、ジョイフルゴールドのみである。
 

1月5日(水)の午後、N高校のメンバーが代々木から千葉に引き上げてきたら、そこに何と横田倫代の両親が来訪して待っていた。
 
「うちの子が性転換手術を今すぐ受けたいみたいなことを言っているようなので」
 
と言うので、宇田先生と南野コーチ、それに千里が応対する。
 
「部員たちの間で、性転換して女子選手としてインターハイに行こうよ、みたいなことを言い合っていたのは事実のようですが、むろん強要したりすることはありません。身体のことについては、ご本人の一生のことですし、むしろよくよく話し合って、進めて下さいね」
 
と宇田先生は両親に話す。
 
「本人としては、性転換手術を受けるのはもう決めていて時期だけの問題だと言っていました。私たちもその気持ちを尊重したいと思っていますし、色々調べてみて、この手術は受けるのであれば、できるだけ若い内に受けたほうがいいことも確認しています。費用的なものも少しずつ貯めてはいるのですが、まだ充分な金額の用意ができているとは言いがたい状況でして」
 
とお母さんが話す。
 
「いわゆるガイドラインに沿って治療していくというのでは20歳すぎてから身体の改造を始めるようにということになっているのですが、実際にはそれは拷問に等しいんですよね。特に多感な時期に、間違った肉体に閉じ込められているという思いは、本人に物凄い精神的な負荷を掛けます。それに堪えられずに自殺してしまう人も多いです。性同一性障害の人の死因トップは自殺だと、もう何十年も前から言われています。でも倫代さんの場合、高校1年の時に法的な名前を変えて、昨年は去勢もして、一般的な人に比べたら充分恵まれている部類ですよね」
 
と千里は言った。
 
「それで実際問題として、性転換手術を受けた場合、どのくらい入院とかが必要なのでしょうか。そのあたりも、私たちもまだ先のことと思っていたのでよく調べていなくて。こいつは今すぐ手術を受けたいと言っていますが、それで、たとえば今期の期末試験を受けられずに留年とかになるとそれがまた辛いと思いますし」
 
と父親はやはり学業との兼ね合いを心配している。
 
「性転換手術といっても、色々な方法があるのですが、今すぐ手術して、学業とかバスケの活動とかに支障が出ないようにするのは簡易性転換手術しかないと私は思います」
 
と千里は言った。
 
「簡易・・・ですか?」
 
「通常の性転換手術では、ペニスと睾丸を取り、陰唇、陰核、膣などを形成します。しかし簡易性転換手術では、陰唇や陰核は作りますが、膣を作りません」
 
「作らないんですか!?」
 
「結局ですね。膣を作る手術がいちばん身体に負担が掛かるんですよ。身体に穴を開けて、そこに内張りをして男性との性交ができるようにしますから、膣の表面積の大きさの怪我をして、その自然回復を待つというのに等しい負荷がかかります」
 
「ああ・・・」
 
「ですから本式の性転換手術を受けると、どうしても回復に半年くらいかかります。むろん最初の1〜2ヶ月をすぎたらふつうの日常生活くらいはできるようになりますけどね」
 
「なるほど」
「バスケットの活動再開までには半年は休む必要があると思います。ですから今本式の性転換手術を受けてしまうと、結局夏まで静養していなければならないので、学校の授業には出られても、とても運動はできません」
 
「ですよね」
 
「ところが、開き直って膣を形成せずに、単に外見だけ女の子の形に変えた場合、侵襲の程度が小さいから、2ヶ月もしたら運動再開できるんですよ。ですから、今そういう手術をすれば春から練習再開できて、インターハイに間に合う可能性があります」
 
「インターハイに出られるんですか?女子としてですよね?」
 
と両親は驚いたように言う。千里は宇田先生の顔を見る。
 
「この基準は非公開なので、他では言ってほしくないのですが」
と宇田先生は前提を置いて話した。
 
「元男子であった選手が国際大会に女子選手として出られる条件を国際オリンピック委員会が示しておりまして。それによると物理的あるいは化学的に去勢して2年以上女性ホルモンを摂取していること、そして性転換手術を終えていることというのが条件になっています。倫代さんは高校に入ってすぐから女性ホルモンを摂取し始め、2ヶ月ほど経過した2009年6月頃には実質去勢状態になっています。その後の女性ホルモン投与の記録、毎月の女性ホルモン・男性ホルモンの血中濃度の記録が残されているので、もし性転換手術が済んでいれば、2011年6月以降、国際大会に女子選手として出ることもできる資格が出来ます」
 
「国際大会にですか?」
 
「まあ国際大会に出るためにはインターハイでベスト5に選ばれるくらいの実力を付けることも必要ですが」
 
「さすがに無理」
と倫代本人は言っている。
 
「そういう国際基準を念頭に置いて、高校に女子生徒として在籍していること、心理的に女性であるという診断書が取れていること、というのを前提として、バスケ協会の内部基準として、去勢後1年以上の女性ホルモン投与で都道府県大会まで、2年以上の女性ホルモン投与に加えて性転換手術まで終えていることで全国大会への出場を認めています。ですから、倫代さんが6月前に性転換手術を終えていた場合、6月の時点で女子選手として都道府県大会・全国大会に出場する権利が認められます」
 
と宇田先生は説明した。
 
「6月に出場するには、たぶん3月くらいまでには手術してないと無理ですよね?」
とお父さんが言う。
 
「体調の回復に掛かる時間を考えたらそれが限界だと思います」
と千里は言う。
 
お母さんが質問する。
「その簡易性転換手術を受けた場合ですね。ヴァギナが無いということは結婚できませんよね?」
「はい。男性とのセックスができませんから。ですから、後であらためて、造膣手術を受ける必要があります」
 
「なるほど」
「それは後で作ることも可能なんですか?」
 

それについては千里が説明する。
 
「一度に本格的な性転換手術をする場合、ペニスを膣の材料に使う方法が主流なんです。ところが簡易性転換手術をしてしまうとペニスは単純切除して廃棄してしまうので、いざヴァギナを作ろうとした時に材料がなくて困ることになります。ここで2つの方法があります」
 
と千里は言葉をいったん切った。
 
「ひとつの手は、膣を作るもうひとつの方法であるS字結腸法を使うことです。この場合、腸の一部を利用して膣を作ります。元々、発生的に膣と腸はひとつの器官が別れてできているんですよ。ですから腸を利用して膣を作ると、男性がインサートした時の感触もいいし、よく湿潤して、縮んだりもしない優秀な膣ができます」
 
「へー」
 
「逆にペニスを再利用して膣を作る場合は、ペニスは湿潤しないので、湿度の足りない膣になり、ローション無しではセックスできないという人もあります。そしてこの膣は萎縮してしまいやすいので、ダイレーションといって膣を拡張する作業を一生続ける必要があります。いわばシューストレッチャーみたいなものですね。腸を使う場合はこのダイレーションをする必要がありません」
 
「だったら、ペニスを使うより、腸を使った方が優秀なのでは?」
 
「ええ。でも腸を使う場合、大手術になりますし、侵襲が大きいので回復にも時間が掛かるんですよ。またどうしてもお腹に手術跡が残ります。それと腸はいつも湿潤しているので、実は湿潤しすぎてしまい、おり物が多くて、常時ナプキンを付けていないといけなくなります」
 
「一長一短があるわけですか!」
 
「更に最近はペニスを材料に膣を作る場合でも、粘性を持つ器官、例えば尿道を広げて貼り付けるなどの手法で、割と湿潤する膣を作ることが可能になっていまして、だいたい2006-7年頃から一部の病院でそういう術式が行われるようになっているんです」
 
「やはり進化しているんですね」
 
「それで簡易性転換手術をした場合の膣の作り方ですが、ひとつはこのS字結腸法を選択する方法、もうひとつが切断したペニスを冷凍保存しておいて、後にそれを解凍して膣を作る方法です」
 
「なるほど!」
 
「これは短期間、基本的には1〜2年以内に造膣術をする場合が想定されます。そうしないと長期間保存すると、保存するための費用も掛かりますし」
 
「ああ、それは高そう」
 

「でも簡易性転換手術をしても、後でちゃんと膣を作って結婚もできるんですね?」
とお母さんは確認した。
 
「はい、そうです。ですから、今簡易性転換手術を選択してもいいと思うんです」
と千里は答えた。
 
するとお父さんが少し考えるようにして倫代に言った。
 
「だったら、もうやっちゃうか?」
「手術してもいいのなら私、手術受けたい」
と倫代は言う。
 
「もしそういうことでしたら、わりとすぐ手術してくれる病院を紹介できますよ」
と千里は言った。
 
「その先生の技術は?」
「年間50人くらいの性転換手術をしてますから腕は確かです」
「そんなにしてるんですか!」
「ちょっと問い合わせてみましょう」
 
それで千里がその病院に電話してみると、最短の場合で12日(水)に手術可能だという。
 
「事前に最低1日入院してくださいということです。それで色々検査して、問題がある場合は手術は中止になります」
と千里はコメントしておく。
 
「取り敢えず診察だけでも受けてみます?」
「そうですね。手術費用は最悪銀行から借りますよ」
とお父さんは言った。
 
それで千里が付き添って、横田親子を都内の病院に連れて行くことにした。南野コーチも同行してくれた。
 

病院では採尿・採血された上で、心理テストのようなものも受けさせられた。それでその結果をもとに、両親を交えて、倫代は医師と話し合ったようである。
 
診察室から出てくると、お父さんが言った。
 
「12日に手術してもらうことにしました。11日火曜日に入院して、12日手術です」
 

「ご両親はどうなさいますか?それまで付いておられます?」
 
「私はこの子が退院するまで付いているつもりですが」
と母は言って夫を見る。
 
「私は仕事があるので、いったん今夜の《はまなす》で帰ろうと思います。それであらためて休暇を取って、火曜日に出てきて火水木と付いてようかと思います」
と倫代の父は言った。青函トンネルを越える急行《はまなす》に乗ると翌朝旭川で会社に遅刻せずに出ることが可能である。料金的にも北海道と東京を行き来するルートの中では苫小牧−大洗のフェリーを使う方法の次に安い。
 
東京1756-2059八戸2118-2218青森2242-607札幌652-812旭川
 
「お母さんは、どちらに泊まられます?」
「どこか千葉か東京かで安い旅館でも取って」
 
「もしよかったら千葉市内の私のアパートを使われませんか?何も無い場所ですが」
と千里は言った。
 
「えっと・・・」
「私はここに泊まり込んでいますから」
 
と千里が言うと、南野コーチが、なるほどー!という顔をする。
 
「それに私、13日以降は合宿に入るから、アパートを不在にするんですよ。ですから、倫代さんが退院するまで私のアパートを使っていいですよ。ご主人と2人で泊まってもいいですよ」
 
「でもそんなに長時間よいものでしょうか・・・」
 
「ただ、近い内に引越予定でかなり物を搬出しているんですよ。洗濯機はあるので気にならなければ使ってもらっていいですが、冷蔵庫はもう搬出してしまったので無いです。あと布団も2組あるので、気にならなければ使ってもらっていいです」
 
「助かるかもです」
 
「一週間ホテルに泊まればそれだけで何万も掛かりますからね。といって北海道まで往復するのもまたお金が掛かるし」
と南野コーチが言う。
 
「あ、それとうちのアパート雨漏りが酷いので、居室には入れないんですよ」
「へ?それではどこで暮らしておられるんですか?」
 
「台所だけが雨漏りしないので、台所に本棚とか衣装ケースも置いて、台所に布団を敷いて寝ているんですよ。それでも構わなければ」
 
「構いません!」
とご両親は言った。
 
更に南野コーチは言った。
「もしうちの合宿のほうの料理とか雑用とかボランティアで手伝って頂けたら、食事も出しますよ」
 
「あ、それはやります。娘がほんとにお世話になっているし」
とお母さんが笑顔で言った。
 
そして倫代は母親から「娘」と呼ばれたことで、はにかむような仕草をした。
 

オールジャパンは6日、準々決勝の4試合が代々木第1体育館のセンターコートで行われた。
 
ジョイフルゴールド×−○サンドベージュ
ビューティーマジック×−○エレクトロウィッカ
ステラストラダ×−○レッドインパルス
ハイプレッシャーズ×−○ブリッツレインディア
 
第1試合ではジョイフルゴールドがWリーグ1位のサンドベージュと激突した。サンドベージュは札幌P高校にもマジ100%だったが、ジョイフルゴールドとの試合も全力で来た。女王に全力で来られては、まだ今年のジョイフルゴールドには抵抗するすべがない。大差で敗れたものの、ゲーム終了時にサンドベージュの選手達に笑顔が無かった。点差は点差として本当に余裕が無かったのだろう。
 

1月6日木曜日。千里は午前中N高校の部員たちの練習に付き合った後、代々木に行く部員たちとは別れて羽田に向かい、旭川行きに搭乗した。
 
天津子からぜひ打合せに出席して欲しいと頼まれたのである。
 
冬休みの間に一度真枝三姉妹を会わせておこうということで、その日は函館の理香子、美幌町のしずかが各々保護者に連れられて旭川市内の、織羽が住んでいるD神社の一室に集まった。
 
おせちや、お餅にケーキなども食べさせてから、子供たちは天津子の友人・弥生が見てくれる。実際には神社の奥宮探検(?)をしていたようである。この神社の裏手には奥宮八社があり、ふつうにお参りして回るだけでも30分掛かるが、子供たちはひとつひとつの神社に興味津々だったようである。
 
さてこの場に集まっているのはこの6人である。
 
理香子の保護者 餅屋美鈴
しずかの保護者 桃川美智(春美)
織羽の保護者 海藤天津子・司馬光子(天津子の叔母)
3姉妹の父 真枝亜記宏
なぜか村山千里
 

「最初にこれを」
と言って、天津子が1枚の写真を出して来た。
 
「これは!?」
 
それは美智(春美)の若い頃の写真である。
 
「これを、亜記宏さんは自分の運転免許証入れにはさんでおられたそうですね?」
「はい、よくご存知で」
「これ織羽が持っていたんですよ」
「わっ、そうだったのか」
 
天津子は写真を裏返した。
 
それを見てみんな和(なご)む。
 
「織羽ちゃんの悪戯描きですか?」
 
そこにはパンダの絵が描いてある。まだ小さい頃のものだろうか。何とかパンダだろうと判別できる程度である。
 
ところがこの時、笑顔になったのは実際には3人だけであった。笑顔にならなかった1人、千里はその写真の裏をじっと見て言った。
 
「天津子ちゃん、それ何かおかしい」
 
天津子は頷くと
 
「おばさん、部屋を暗くして下さい」
と言う。
 
「うん」
と言って、光子が部屋の蛍光灯を消す。
 
「これを当てます」
と言って天津子は何かのペンライトのようなものを取り出し照射した。
 
「え!?」
 
写真の裏に何か紋章のような図案が浮かび上がったのである。
 

「呪(のろ)いの呪符です。内容までは説明しませんが」
「シークレットペンで書いたのか」
「そうです。それで紫外線のライトを当てると見ることが出来ます」
 
「誰がこんなものを?」
「分かるでしょ?」
と言って天津子は亜記宏を見る。
 
「実音子ですか?」
「免許証入れの、免許証とJAF会員証の間に昔の恋人の写真をはさんでおく。そんなのが奥さんにバレないわけないですよ」
 
「うーん。。。。」
 
「だから、実音子さんは、いまだに夫は美智さんのことが好きなんだと思った。それで呪いを掛けた。夫に気付かれないようにシークレットペンで呪符を描いた」
 
「それにもしかして織羽が気付いた?」
と美智(春美)が訊く。
 
「だと思います。だから織羽は、この呪符を無効にするため、その上にパンダの絵を描いてしまったんですよ。あの子、霊感がハンパ無いから気付いたのだと思います。美智さん、2010年の1月頃以降、運気が上がりませんでした?」
 
「『雪の光』を見つけてもらったのが2009年12月末だし、私がしずかを保護したのが2010年1月だし、お母さん(真枝弓恵)が私に遺産を残してくれていたことを知ったのが2月だし。確かに大きな転換点になったのかも」
 
「実音子さんの呪いが消えたからですよ」
「でも実音子さんは既に2007年11月に亡くなっていたのに」
 
「呪いは術者が死ぬと、最強のパワーで残されます。その呪いを跳ね返す処置ができた織羽は凄いと思います。かなり強烈な念を込めて、このパンダの絵を描いてます」
と天津子は言う。
 
一同顔を見合わせる。5歳の幼児にそれほどの霊的な操作ができたというのは驚異的である。
 
「この写真はどうするんですか?」
 
「美智さんがよかったら、処分させてください。霊的な影響が出ないような処分の仕方があるんです」
「ではお願いします」
 
「表と裏を剥離して分離することも考えたのですが、呪符のインクは表の写真の表面まで染み込んでいるんですよ。でも、表側をスキャンして、呪符の染み込んでいる部分をPhotoshopで丁寧に消去した上であらためてプリントして、美智さんにお返しすることもできます。作業できる人が少ないので、費用は写真本体の処分料まで含めて100万円ほど見て頂きたいのですが」
 
「分かりました、それでお願いします。100万円くらいでしたら出します」
と美智(春美)は言った。
 

天津子は紫外線のライトを消し、部屋の灯りを点けた。
 
「亜記宏さん、あなたが実音子さんと美智さんの二股になっていたのはいつ頃からいつ頃までですか?」
と天津子は単刀直入に訊いた。
 
「2000年の夏から暮れに掛けてです」
と亜記宏は厳しい顔で答えた。
 
「2000年の春に美智が大学を出て就職し、僕たちは『大人の付き合い』をするようになりました。美智もお金を貯めて性転換手術を受けたいと言っていました。当時は性転換しても戸籍上の性別を変更することができませんでしたが、それでもいいから、僕たちは手術が終わり、美智の身体が落ち着いた所で結婚式をあげるつもりでいました」
 
「僕はその年の春に札幌支店から***支店に転勤になりまして。その支店に居たのが実音子でした。何度か彼女からデートに誘われたのですが、僕は婚約者がいるから交際できないと言って断っていました」
 
「ところがその夏に泊まりがけの研修があった時、最終日に目が覚めると隣に実音子が寝ていたんですよ」
 
「うーん。。。。」
 
「今から思えばそれ自体がフェイクだったと思います。僕はした覚えがなかったけど、彼女は『とうとう私の思いを受け入れてくれたのね』とか言って」
 
「僕はしてしまったことは謝るし、場合によっては慰謝料も払うから別れて欲しいと彼女に言ったのですが、そんなこと言われたら死ぬとか言われて」
 
「よほどアキのことが好きだったのね」
と美智(春美)が言う。
 
この美智のひとことで、場はやや実音子に同情的な雰囲気になった。
 

「いや、僕がハッキリしなかったのが悪いと思います。当時、遠距離恋愛になってしまって、美智とは月に1度しかデートできない状態になっていました。寂しいという気持ちがありました。多分その心の隙間もあったのだと思いますが、結果的には僕は実質二股状態になってしまいました。でも当時僕は美智とはセックスしても、実音子とはその最初の一夜を除いては肉体的な関係は無かったんです。デートはしてましたが」
 
「セックスしなくてもデートしてたら、充分浮気」
と千里が明快に言う。亜記宏の言葉が言い訳のようにも聞こえたので千里は注意した。
 
「ええ。僕の心が弱かったのがいちばんいけなかったです」
と亜記宏は反省の弁を述べる。
 
「でもこのままではいけないと思いました。だから僕は美智を***に呼び寄せようと思ったのです。そして結婚式も挙げて一緒に暮らそうと」
 
「思っただけなの?」
と美智(春美)。
 
その質問に、亜記宏は複雑な表情をした。
 
「僕は口頭で今の状態を説明する自信が無かったから、手紙を書いた。今こちらで知り合った女性と二股状態になってしまっていること。でも彼女とはきっちり別れるつもりだということ。だから、結婚して欲しいから、仕事を辞めてこちらに来てくれないかということ」
 
「手紙?」
と美智(春美)が怪訝な表情で訊く。
 
「やはり、その手紙、届かなかったんだね?」
「私は知らない」
 
「手紙の中で、僕は浮気してしまった僕を許してくれたら、そして結婚してくれるなら、1月6日土曜日の午前10時、札幌時計台の前に来て欲しいと書いた。でもそこに美智は来なかった」
 
「だってそんな手紙、私受け取ってない」
 
「そして・・・その場で2時間待って、待ちくたびれていた所に実音子が通りかかったんだよ」
 
「それで彼女とできちゃったの?」
 
「当時はやはり美智が浮気を許してくれなかったんだろうかと思った。そこに実音子が来て、どうしたの?誰か待ってるの?とか言うからさ。振られたかもと言ったら、じゃ私が代わりにデートしてあげると言われて」
 
「で、デートしちゃったんだ?」
 
「実音子と本当にセックスしたのはその日だけだった。その後、僕のは立たなくなってしまった」
 

「その手紙を投函したのは何日か分かりますか?」
と千里が訊いた。
 
「お正月明けてすぐに投函しました」
 
「お正月って、ポストは郵便物でいっぱいですよね」
「はい?」
 
「その手紙をポストに入れた時ストンと中に落ちる音がしました?」
「え?そう言われると、どうだろう・・・」
 
すると千里はこんなことを言った。
 
「こういうことが考えられませんか?お正月で年賀状などで満杯になっているポストに、亜記宏さんが手紙を投函する所をたまたま実音子さんが見かけた。寄ってみて、ポストの投函口に手を入れてみると、何か分厚い手紙が大量の葉書の上に乗っている。取り出してみたら、亜記宏さんから女性宛の手紙だ。だから、彼女は持ち去ってしまったんですよ」
 
「うーん・・・・」
 
「それで亜記宏さんが札幌の時計台の所で待ち合わせすることが分かった。実音子さんは、手紙の後で電話で連絡を取り合った可能性もあると思い、しばらく待ったが、相手の女は現れる様子がない。それで自分が出て行って亜記宏さんに声を掛けた」
と千里は当時の状況の推測を話す。
 
「あり得る気がしてきました」
と亜記宏は言った。
 

言われてみるとあり得るストーリーだが、普通なら思いつかないと天津子は考えていた。千里がこういうストーリーを語ったのは、おそらくチャネリング的に得られたのだろうと想像する。だからこそきっと真実に近い。千里は天然の巫女である。そしてこういうことを期待して、天津子は千里をこの場に呼んでいたのであった。
 
「その後、僕は美智に振られたと思ったのですが、実音子と結婚するつもりだということをあらためて話したら、美智が激怒しまして」
 
「そりゃ当然」
と美智(春美)は言う。
 
「でも僕は当時、そもそも僕が浮気したこと自体を怒っていると思っていたんですよ。あの時、僕と美智は長時間話し合いましたが、結局美智はその結婚を妹として祝福してあげると言ってくれたんです」
と亜記宏。
 
「やはり、自分が法的に女ではないからという負い目があったから」
と美智(春美)。
 
「母にも驚愕され、そして母も怒ったのですが、美智が母をなだめてくれて、それで僕は実音子と結婚式をあげました」
 

「ちょっとしたボタンの掛け違いって感じもするね」
と光子は言った。
 
「いっそのこと、アキちゃん転勤になった時に、美智ちゃんに、結婚して一緒に来てくれと言っていれば良かったのよ」
と美鈴も指摘する。
 
「ごめーん。言われたんだけど、私当時はアキと結婚する自信が無かったから同行を断っちゃったの。法的に婚姻できないから配偶者手当とかももらえないでしょ?そのあたり会社から尋ねられると、説明が面倒になるしとか考えちゃって」
 
と美智(春美)は言った。
 
「やはり、『そんなの気にするな。愛してるなら付いてきてくれ』とか強引に口説くのが男というものよ」
などと千里は言っている。
 
千里さんは結構男性の理想論を語るよな、と天津子は思う。おそらくは彼氏に対する不満があるのではとも思う。きっと彼氏はその「男というもの」から外れるタイプなのだろう。
 
「だけどアキが実音子さんと結婚したからこそ、あの3人は生まれたんだもん。私はアキの子供を産んであげられなかったから。こうなるのもひとつの運命だったかのかも知れないね。男の娘はみんな子供を産めないという重い十字架を背負っているんだ」
 
と美智(春美)は言った。そのことばに一同は少ししんみりとした表情をした。
 

この時、千里は考えていた。
 
何か割り切れないものを感じていたのである。天津子の様子を見ると天津子もやはり悩んでいるようだ。ただ、この時の千里にも天津子にも、ここで感じた違和感の正体は分からなかった。誰かが嘘をついている気もしたのだが、その「嘘」も漠然としすぎていて、掴み所が無かった。
 
 
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【娘たちの年末年始】(3)