【女の子たちのインターハイ・高3編】(4)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-04-06
2008年8月2日(土)。冬子は早朝から車のクラクションの音で目を覚ました。冬子はここのところずっとサウザンズの制作の補助をしていて結構疲れていたのだが、そういえば今日は政子がバイトで甲府の設営をするので一緒に行くことにしていたのだった。
急いでポロシャツとキュロットにハイソックスなどという服装に着替え、両親の寝室の外で「ちょっとバイト行ってくるね」と言ってから飛び出す。
「お待たせしました」
と言って花見さんの車の後部座席に乗り込むが政子は居ない。
「あれ?政子さんは?」
と訊いたら
「30分ほど電話鳴らしたり玄関のドア叩いたりしてやっと起こしたんだけど、唐本を先に連れてこないと俺の車には乗らないと言うんだよ」
「ああ」
「それに何だか唐本がそばに居たほうがあいつ機嫌がいいみたいでさ」
「へー」
「じゃ、これからまた政子の所に行って甲府な」
「はい、よろしくお願いします」
やはり春にレイプされかけたので、本当に政子は花見さんに対して不信感持ってるんだろうなと思い、信用できない相手なら別れればいいのにとも思いつつ、まだ寝足りない分を政子の家までの道筋、目をつぶって意識を半分眠らせて補った。
しかし政子の家に着いて冬子が彼女を呼び出すと、政子は設営スタッフをやるのには不向きなくらい可愛い服を着て笑顔で出てきて助手席に座り、甲府までの道すがら花見さんと何だか楽しそうに話をしている。うーん。政子、やはり花見さんのこと一応好きなのかな?どうも政子の気持ちは分からないなどと思いながら、雨模様の空を眺めていた。そして心の中に軽い嫉妬の気持ちが湧くのを抑えきれない気分でもあった。
私、もう男の子の機能無いし、政子のこと好きになってもしょうがないからな。そんなことを冬子は考えていた。その脳裏に春にレイプされそうになった政子を助けたあと、彼女を抱きしめてキスした時の甘い記憶がリフレインされていた。
同じ8月2日(土)。伊香保温泉の旅館で目覚めた千里は左手の封印の梵字が随分薄くなっていることに気付いた。それで美鳳さんからもらった筆ペンできれいに書き直した。そして、暢子のもそろそろ消えているだろうから、書いてあげようと思ったのだが、暢子を起こそうとした時、突然
「キャー」
という悲鳴が窓の外で聞こえた。
びっくりして千里がベランダに出てみると、同じ階の、少し離れた部屋の窓の外に手だけで窓の下の配管の所にぶらさがっている女性がいた。
「誰か助けて!」
と窓から顔だけ出しているもうひとりの女性が叫んでいる。
ここは4階である。落ちたら死ななかったとしても大怪我するであろう。
「なんだなんだ?」
と言って暢子も起きてきた。留実子も続いて出てくる。
「そこの人、僕がそちらに行って引き上げるから、部屋の鍵を開けて!」
と留実子が叫んだ。
「分かりました!」
と言って窓から顔を出していた女性の姿が消える。
「私も行く」
と言って暢子と留実子が急いでそちらの部屋に向かった。
千里は
「今助けが行くから頑張って!」
と窓からぶら下がっている女性に呼びかける。寿絵も起きてきて様子を見る。
その時、千里は窓の外にロープが垂れているのに気付いた。
「あのロープ何だろう?」
と千里は半ばひとりごとのようにつぶやいた。
「窓から脱出しようとして失敗したのでは?」
と寿絵が言う。
「脱出?何のために?」
と千里。
「宿代が払えなくて逃げようとしたのでは?」
と寿絵。
「うーん。4階から逃げるのは忍者の修行が必要かも」
その時、かなり辛そうな顔をしていた女性の手が窓枠から離れてしまった。
「あっ」
と寿絵が声を挙げる。
『りくちゃん!助けてあげて!』
と千里が心の中で叫ぶ。
《りくちゃん》は即飛び出して行くと、女性の身体をぐいと持ち上げた。そして彼女の手が窓枠の所に掛かる高さまで持ち上げてやった。
そしてちょうどそこに、留実子が到着して、窓枠そばにあった彼女の手首をがっちりと掴む。続けて暢子も到着し、ふたりは女性の手を一緒に持つと、ぐいと引き上げ、部屋の中に倒れ込むようにした。《りくちゃん》も手伝って外から押してあげた。
「ね、今、女性の動きが変じゃなかった?」
と寿絵が言う。
「留実子が飛びついて引き上げたのでは?」
と千里。
「あ、そうか。それで上に上がったのか」
と寿絵も納得したようであった。
千里と寿絵もそちらの部屋に向かった。
助け上げられた女性はハアハア大きな息をしている。暢子と留実子も大きな息をしている。もうひとりの女性は涙を浮かべている。そこに旅館の人も到着した。
「いったい何事ですか?」
「この人が窓から落ちそうになったので、私たちで助けました」
と暢子が簡単に状況を説明する。
「落ちそうになった?」
と聞くと旅館の人は窓の所に行く。そしてロープを見付ける。
「あんたたち逃げようとしたのでは?」
「えーっと天気を見ようとしていただけなんですけど」
「このロープは何です? それに29日から4日分の宿賃をいったん精算してくださいと先ほどお願いして、ちょっと着替える間待ってとおっしゃるので、それを待っている間のこの騒ぎ。あなたたち、お金が無いんですか?」
と旅館の人が厳しい顔で女性たちに言う。
暢子や千里たちはお互いに顔を見合わせた。
「私たち、歌手なんです。ちょっとマネージャーが来るのが遅れているんですよ。宿賃はちゃんと事務所が払いますから」
とひとりが言う。
「なんて名前ですか?」
「リリー・フラワーズといって東京じゃ中高生に人気なんですけど、知りませんか?」
旅館の人が千里たちを見て訊く。
「あんたたち知ってる?」
「知りません」
と千里が答える。暢子も留実子も知らないようだ。
「事務所はどちらですか?」
と千里は彼女たちに訊いた。
「△△社と言って、創業30年くらいの老舗(しにせ)なんですけど」
と彼女たち。
「その会社なら知ってます。そちらに問い合わせてみられたらどうでしょう?」
と千里は旅館の人に言った。
「電話番号は?」
「ごめんなさい。今携帯のバッテリーが切れててアドレス帳が見られない」
と彼女。
「私が分かりますよ」
と言って千里はデータとして携帯に保存している業界関係の住所録を開くと、△△社の電話番号をメモ用紙に書いて旅館の人に渡した。
それで旅館の人はそちらに電話した。
その日、△△社で、徹夜で市ノ瀬遥香の新しいアルバムの音源をミックスダウンしていた須藤美智子は、事務所の電話が10回ほど鳴ったのを、やれやれという表情で取った。「今日は甲府まで往復だから少し寝たいのに」などと文句を言いながら電話を取る。
「はい。△△社です」
と答える。
「すみません。こちらは伊香保温泉の**楼と申しますが、そちらのタレントさんにリリー・フラワーズという女性の2人組、おられますか?」
「はい居ますよ」
「宿代を頂きたいと言ったら、事務所が払いますと言っておられるのですが」
須藤さんは少し考えた。
「イカホ温泉ってどちらでしたっけ?」
「群馬県渋川市ですが」
群馬か・・・だったら宇都宮の近くかな?じゃ明日のイベントの前泊だっけ?と考える。自分は前泊しろという指示は出していないが、社長か遠藤君あたりが言ったのかも知れないな。もし違っていてもこちらで代わって払っておいて、あとでギャラから引けばいいしと考える。
「分かりました。こちらで払いますから口座番号を書いた請求書をFAXしてください。番号は03-XXXX-XXXXです」
それで須藤さんは電話を切ると、音源の方の作業に戻った。
須藤さんは群馬県と栃木県がしばしば頭の中でごっちゃになっていて、この電話応対をした時も、群馬県のほうが栃木県より東側にあり、宇都宮も群馬県のような気がしてしまったのであった。
一方△△社に電話した旅館の人は
「疑って申し訳ありませんでした。ちゃんと先方は払うとおっしゃってます」
と言う。
「じゃ、私たち帰ってもいいですか」
「はい、失礼しました」
それでリリー・フラワーズの2人は荷物を持つと帳場の方に行く。成り行きを見守っていた千里たち4人も引き上げる。留実子たちが助けてあげた女性が
「さっきは本当にありがとう。もう死ぬかと思った」
と言ってお礼を言った。
その時彼女の鞄から、何か手帳のようなものが落ちた。
「落ちましたよ」
と言って寿絵が拾って渡す。
「わあ、ありがとうございます。パスポートなかったら飛行機に乗れない所だった」
と彼女は言った。
「お気を付けて」
と言って千里たちは彼女たちを送り出した。
そして千里はこの騒動で、梵字を暢子の掌に書いてあげるのを、きれいさっぱり忘れてしまったのであった。
その頃、花見さんが運転する車は非常駐車帯に寄せて停まっていた。花見さんが地図を見ている。
「やはり道を間違ったようだ。上里サービスエリアというのは中央道じゃなくて関越道だ」
などと花見さんは言っている。
冬子も若干責任を感じていた。サウザンズの制作疲れがあったのと、政子とのことをぼんやりと考えていたので、外の景色についても深く考えなかった。色々思い起こしてみると、花見さんの車は中央道の甲府方面に乗ったのは良かったのだが、何を考えたのか八王子JCTで圏央道に分岐してしまい鶴ヶ島JCTから関越道下りに入ってしまった。そして上里SAの標識を見た所で「こんなサービスエリア、中央道にあったっけ?」などと言い出したのである。
「国道140号線を突っ切って行けば早い気がする」
と花見さんは言っている。
国道140号線??
「やめましょう。それって有名な酷道、過酷の酷の方の道ですよ」
と冬子は言った。
以前蔵田さんの運転する車の後部座席に乗り、楽しそうに運転する蔵田さんに対して樹梨菜さんとふたりで悲鳴をあげていた時の嫌な思い出が蘇る。
「藤岡の近くなんだっけ? そしたらそのまま上信越道に入って長野自動車道経由で甲府に行けばいいんじゃない?」
と地図をのぞき込んでいる政子が言う。
「私は来た道を戻った方がいいと思います」
と冬子は主張した。
「それやると高速料金で今日のバイト代が赤になる」
などと花見さんは言っている。
そんなことを言っていた時、パトカーが近づいて来た。窓をノックするので開ける。
「故障ですか?」
と警官が尋ねる。
「いいえ」
「いや、故障だったら三角停止板が出てないなと思ってね。免許証見せて」
高速で非常停止して三角停止板を出していないと1点である。花見さんは免許証を警官に渡した。もうひとりの警官に渡して照会しているようだ。
「済みません。道に迷ってこのあとどう行けばいいか悩んでました」
と花見さんが言う。
「そういうのはサービスエリアでやりなさい。こんな所に停めたら危険だよ」
「済みません」
「でもどこに行くつもりだったの?」
「甲府です」
「全然方角が違うじゃん。どこから来たの?」
「都内なんですが」
「なんで関越に乗ったの?」
「すみません。ぼーっとしてました」
冬子は頭を抱えた。今花見さんは漫然運転(安全運転義務違反)を自己申告したも同然である。点数は2点だ。
警官はため息をつく。
「適度な休憩してないんじゃないの?」
「済みません。昨夜遅くまでバイトしてたので疲れてて」
冬子は首を振った。過労運転の自己申告だ! これは酒気帯び運転並みに重い罰則が待っているので警官には絶対に言ってはならない言葉のひとつだ(と冬子は蔵田さんから教えられていた)。しかし花見さんは
「ここから甲府に行くにはどこ通って行くのがいちばん速いですかね?」
などと警官に尋ねている。
「うーん。本当はいったん下りて関越の上りに乗り直して、鶴ヶ島JCTから圏央道を通って中央道に行った方がいいと思うけどね。さっき本庄付近の上り線で事故が起きたんだよ」
と人の良さそうな警官は言う。
「あらぁ」
「だとすると、上信越道・長野道を回った方が速いかも」
と警官。
「私の言った通りだ」
と政子が言う。
「あるいはね。佐久ICで下りて国道141号を南下する手がある。但し途中から清里高原道路に分岐する必要があるんだけど分かるかな」
と警官。
「その道、友人の車に同乗して通ったことがあるので、私分かります」
と冬子は言った。
「通ったことある人がいたら大丈夫かな」
と警官も言う。
「ありがとうございました。それではそのルートで行きます」
と花見さんは言ったのだが
「待った待った。ここに不必要に車を停めていたから駐停車違反。点数2点」
「えー!? ここ停めちゃいけないんですか?」
「ここは故障した車が待避のためやむを得ず停める場所。はい、これ署名して」
どうも漫然運転の方は取り敢えず勘弁してくれたようだし、過労運転のことは聞かなかったことにしてくれたようだ。
冬子がやれやれと思って窓の外を見た時、一瞬空を飛ぶ龍の姿が見えたような気がした。へ?と思って目をゴシゴシすると、どこにもそのような影は見当たらない。何かの見間違いだよね?と冬子は思ったが、その時、冬子は身体の中に何か強い衝動が沸き上がってくるのを感じた。
N高校のメンバーは、朝食前に全員で軽くジョギングや簡単なパス練習などをし、8時半頃旅館を出て会場に向かった。千里たちはJRで移動しているのだが、携帯でニュースを見ていた薫が「関越上りの本庄児玉ICで事故だって」と言う。
「今日は雨が降ったりやんだりしてるからなあ。微妙に滑りやすいよね」
この日は本当に小雨が降るかと思うと晴れたりする変な天気であった。
「会場の床も濡れてるかもね」
と寿絵が言う。
「みんな滑らないように気をつけろよ」
と暢子がみんなに注意する。
「まあコートはこまめに掃除してるだろうから大丈夫だろうけどね」
と薫は言った。
「だけどそんな場所で事故が起きたら、会場に向かっていて立ち往生しているチームがあるかも」
「試合に遅刻した場合どうなるんでしたっけ?」
「バスケットのルールでは15分たっても5人そろわなかったら没収試合」
千里は心配になり
『ね、りくちゃん、ちょっと様子見てきてくれない?』
と言った。
『P高校かJ学園の車が引っかかってたら、会場まで運んで行けばいい?』
『昼間にそれやると騒ぎになるから』
『じゃ見てくるだけ?』
『うん』
この日は準決勝2試合が行われる。千里たちは第2試合(11:40)だが、第1試合(10:00)は愛知J学園と札幌P高校の試合が予定されていた。
「あれ?まだ始まってない」
と夏恋が言った。
P高校のメンバーがコート上で軽く屈伸運動などしているのだがJ学園の選手がまだ居ないのである。
場内アナウンスが流れる。
「愛知J学園の選手のバスが高速道路の事故の影響でインターチェンジから下りることができず、到着が遅れています。しばらくお待ち下さい」
「わぁ、ホントに引っかかっているのか」
「万一そんなんで準決勝不戦敗なんてことになったら前代未聞ですね」
「間に合わなかったら、誰か応援団の子を選手に仕立てて」
「バレるよ」
「バスケ選手はみんな背が高いから、女子高の普通の子には無理」
「じゃ、そのあたりの通りがかりの男子をつかまえて女装させて」
「それもっと無茶」
しかし幸いにもJ学園の選手は10:14に会場に姿を見せた。すぐにスターティング・ファイブがコート上に走り込む。それですぐティップオフして試合は始まった。
「良かった、良かった」
「J学園のバスはそのまま花園ICまで走って行って、そこで高速出口Uターンで本庄児玉ICの下り線から降りたみたい。事故が起きた場所が高速本線から料金所に向かうランプ口だったんで、下り線からは降りられたのよ」
と千里が言う。
「ああ、なるほど。それで間に合ったのか」
と声が上がるが
「千里、なんでそんなのが分かるの?」
という声。
「え? あ、ちょっと見て来たから」
「うーん・・・」
と寿絵が悩んでいた。
試合は序盤からP高校がリードする展開となった。
「J学園の動きが硬い」
「やはりウォーミングアップ無しで試合始めたからでは」
「いや、それよりも伊香さんが凄すぎる」
第1ピリオドだけでも伊香さんのスリーが6本も入り、そちらを警戒しすぎると佐藤さんや猪瀬さんが近くからゴールを奪うという展開で29対11と大きくP高校がリードを奪う展開となった。第2ピリオドでJ学園が必死に反撃するも、前半を終えて55対32と点差が更に拡大する。
「伊香さん、かなり巧くなってますね」
と蘭が言う。
「やはりこの大会でQ女子高、T高校と強いチームとの対戦を経験して彼女の中で何かが開花したんですよ」
と志緒も言っている。
千里は明日P高校と戦うことになったら、かなり手強いなと思ってコート上の戦いを見ていた。試合は第3ピリオドでP高校が主力を休ませている間にJ学園が猛追したものの、第4ピリオドではJ学園側に疲れが見えるところにP高校の主力が戻って突き放し、結局101対71の大差でP高校がJ学園を下した。
千里たちの近くで大学生っぽい人たちが
「やはり今年のJ学園は見劣りするね」
「去年が花園亜津子とか日吉紀美鹿とか居て凄かったからなあ」
などと言っていた。千里は今年のJ学園だって充分強いと反論したい気分だったが、やはり負けたら無茶苦茶言われるんだよなと思った。その千里の気持ちを見透かしたように薫が
「まあ、人は勝手なこと言うさ。気にしてたらスポーツ選手なんかできないよ」
と言った。
千里は頷いた。
「ところでさ、薫」
「うん?」
「やはり薫はもう性転換手術済で女の子の身体になっているという確かな証拠を、私、持っているんだけど」
「私はまだ性転換してないから、それは何かの間違いだね」
と薫は言ってから手を振って向こうに歩いて行った。
清掃が行われた後、旭川N高校と静岡L学園の第2試合が始まる。千里たちはチアリーダーたちのエールを受けてフロアに降りた。
トップエンデバーで会っている赤山さん・舞田さんと視線が合うので軽く会釈し合う。その赤山さんと暢子で握手をして試合が開始される。
L学園はPG.竹下/SF.赤山/SF.赤田/PF.舞田/C.上村というやはりシューターの居ない布陣、こちらはPG.雪子/SG.千里/SF.寿絵/PF.暢子/C.留実子という標準的な布陣で始める。
「なんか赤とか田とかいう名前が多いような」
「赤田さんが田赤さんだったら、舞田・田赤・赤山と尻取りになっていた所」
「いや、その3人が中心選手だよ」
ティップオフは留実子(公称180cm)と上村さん(175cm)で争い、留実子が勝ってボールを寿絵が確保し、雪子にパスして雪子がドリブルで攻め上がる。向こうは赤山さんが千里に、舞田さんが暢子に、赤田さんが寿絵に、ピタリとマークに付く。向こうの上村さんはゴールそばに居て、留実子が実質フリーになっているので、雪子はそちらにパスする。留実子がボールをドリブルしながら中に進入し、シュートを放つ。外れるので上村さんと暢子がリバウンドを争う。暢子が取って寿絵にパス。寿絵がシュートを撃つも赤田さんにブロックされる。しかしこぼれ玉を雪子が取って、千里の数メートル右にボールを送る。そこに千里が赤山さんを振り切って追いつきボールを確保。即撃って3点。
ゲームはN高校が先制して始まった。
L学園の攻撃は、基本的に竹下さん、あるいは赤田さんがボールを運んできて、赤山さん・舞田さんがシュートを狙うパターンだが、赤田さんが直接シュートをする場合もある。赤田さんは「ポイント・フォワード」的な役割をしていた。ガードが1人しかいないL学園で、PGの竹下さんに次ぐ「第2の攻撃起点」になっているようだ。
センターの上村さんは主としてリバウンド係だが、175cmの上村さんより背の高い177cmの舞田さんがゴール下に入って上村さんが外側に行く場合もある。L学園の攻撃は、どちらかというと「ラン&ガン」に近いスタイルで、各人の役割が固定されておらず、その都度どうもサインプレイによって、様々な攻撃パターンを繰り出しているようだ。
しかし向こうはみんなシュート精度がいい!と千里は思った。
昨夜ここまでのビデオを見ての検討会でも出ていた話だが、赤山さん・舞田さん・赤田さん、また今はベンチに居るが鳩山さんにしてもシュートの精度がとても良いのである。それでL学園はここまで外人センターのいるチームとも充分良い勝負をして勝ち上がってきたようだ。
バスケットではリバウンドの重要性が言われるし、長身の外国人センターはリバウンドで圧倒的な存在になりやすいものの、そもそもシュートを外さなかったたら、リバウンド以前のところで勝負が分かれる。
一方、N高校側も千里・暢子はシュート精度がかなり高い。特に千里はほとんど外さないし、暢子も8割くらいは放り込む。
それで第一ピリオドは両者接戦が続き、24対22とL学園2点のリードで終了した。
「千里ちゃん、暢子ちゃん、まだ昨日の疲れが残っているみたいだけど、次のピリオドは休む?」
と南野コーチから言われる。
確かに昨日の試合はふたりとも5ピリオドずっと出ていたので消耗が激しかった。
「じゃちょっと休んで後半に集中しましょうか」
と暢子が言うので、第2ピリオドは、雪子/夏恋/寿絵/絵津子/揚羽というメンツで出て行った。向こうも赤田さんと上村さんを下げて鳩山さんと枝野さんが入るオーダーで出てきた。
向こうはセンターの上村さんが下がっていると、どうも赤山・舞田・鳩山・枝野と4人ともが点取り屋という感じになった。リバウンドは誰が撃つ時は誰がゴール下に行くというのを決めているようでスムーズに取りに行くし、ゴール下では全員揚羽と割と良い勝負をして3割くらいは向こうが取っていた。
「あの4人、みんなセンターをやらせても充分強いよね」
とベンチで見ている敦子が言う。
「みんな専門職にならずに、全てのプレイの練習をしてるんだよ」
「うん、全員ボール運びもうまい。ガードでもやれる感じ」
「夏恋が4人いるようなもんだ」
「ああ、そういう感じ」
こちらも夏恋と絵津子が点をとりまくるので、千里と暢子が下がっていてもそんなに得点は落ちないのだが、結局このピリオドは22対19と向こうが3点リードする状態で終わった。前半の合計は46対41で、向こうの5点リードである。
ハーフタイム。千里たちが休んでいた時、審判が何かに気付いたような顔をして、こちらのベンチにやってきた。
「君、君ってまさか男じゃないよね?」
などと訊く。
「ん?」と言ってみんな審判が呼びかけた人物:留実子のほうを見る。
「あ、パンツがずれてたみたいです」
と留実子が言う。
留実子のバスケットパンツのお股の所に何やら盛り上がりがあるのである。
「それ何?」
「えっと、おちんちんです」
「ちんちんがあるの!?やはり君って男子?」
「あ、いえ付けちんちんです」
「は!?」
それで千里が代わって弁明する。この子は「男の子になりたい女の子」で、いつもお股のところに作り物のおちんちんを装着しているということ。女の子がバストを上げ底してブラジャーの下にパッドを入れているのと同様であると説明したのだが、
「でもバスケット選手は装身具の類いを付けるのは基本的に禁止なんだけど」
と言われる。
確かにバスケットでは、指輪・腕時計・ピアス・髪飾りなどの類いは相手選手に危害を与える可能性があるので禁止されている。プラスチック製のプロテクターでさえ(表面を柔らかい物質で覆ってあっても)禁止である。
「柔らかいシリコン製ですし、危険は無いと思うんですけど」
と留実子は言う。
「全部シリコンなの?」
と審判は訊く。
「えっと・・・・STPというか、おしっこを導く部分が硬化プラスチックかな」
「それ本部の許可取ってる?」
「許可が必要でした?」
「お医者さんの証明書か何かでもあれば」
「済みません。その類いのものは申請してないです」
「それは簡単に取り外せるもの?」
「取り外すことは可能です」
「じゃもしよかったら、この試合ではいったん取り外しておいてもらえない?それで明日以降も試合中に付けておきたいということであれば、本部に照会してもらえないだろうか?」
審判としても、その手のものの実物を見たことが無いだろうから、危険性のあるものかどうか判断できないのだろう。
「分かりました。取り外してきます」
それで留実子はトイレに行って、おちんちんを取り外してきた。
「キンが禁止されたんですね」
などと絵津子が言って
「絵津子、発想がオヤジだぞ」
と暢子から言われていた。
第3ピリオド、千里と暢子が戻る。雪子を休ませてメグミ/千里/敦子/暢子/留実子、向こうは赤山さん・舞田さんが休んでここまでインハイで一度も出ていなかったシューティングカードの1年生岡田さんが出てきた。こちらのメンバーに一瞬緊張が走る。
もしかして本当に秘密兵器??
敦子がその岡田さんのマークに付く。
そして岡田さんはボールをもらうと、いきなりスリーを撃つ。
が外れる!
上村さんがリバウンドを取りに来たものの留実子が渡さない。しっかりボールを確保して、こちらの攻撃につなげる。
そして第3ピリオドの前半まで行った所でこのピリオドの点数は16対8になっていた。宇田先生がタイムを取った。
「やられました」
と暢子が言う。千里も同感である。
岡田さんは確かにスリーの確率はそんなに高くない。しかし入れば3点である。実際この第3ピリオド前半で12回のスリーを撃ち4本決めてひとりで12点取っている。L学園はこの前半の攻撃機会のほとんどで最後は岡田さんのスリーに持っていったのである。
「前半は全員攻撃・全員守備でやっていたから、そのイメージが残っていて、全員に警戒していたけど、向こうはこのピリオド敢えてスタイルを変えてきたんですね」
「うん。それに私もついさっき気付いた」
「確率0.33であっても、入る点数が1.5倍なら、確率0.5で入れているのと同じなんだよね」
と南野コーチが言う。
「スリーの怖さはうちと対戦するチームはみんな認識しているだろうけどね」
と寿絵が言う。
「まあ灯台もと暗しという面はある」
と暢子も言う。
「つまり岡田さんは赤山さん・舞田さんに続く第3のエースと考えないといけなかったんだ」
「たぶんL学園は昨日の山形Y実業との試合で赤山・舞田の両エースが消耗していたんですよ。だから休ませるのに今日は岡田さんを使った」
と千里は言う。
「えっちゃん入れるよ」
「ここからはもうラストスパートで」
それでメグミ/千里/絵津子/暢子/揚羽というメンツで出て行く。ここからは点の取り合いに行った方がいいので、センターは守備的な留実子ではなく攻撃的な揚羽にした。
千里が赤田さん、暢子が鳩山さん、絵津子が岡田さん、揚羽が枝野さんをマークする。すると絵津子が岡田さんをほぽ完全に封じてボールも渡らないようにしてくれたので、向こうは前半のような攻撃ができない。一方でこちらは相手のエース2人が下がっている間に、千里・暢子・絵津子の3人で猛攻を掛ける。
すると後半かなり頑張って追い上げて結局このピリオドは19対22と最終的にはこちらのリードで終えることが出来た。後半の相手の得点は絵津子のわずかな隙を見て岡田さんの撃ったスリー1回のみである。
第3ピリオドまで終わって点数は65対63と2点差である。
第4ピリオドは赤山さん・舞田さんが戻る。N高校はポイントガードを雪子に戻す。向こうは岡田さんを下げてしまったが、おそらくやはりこちらに完璧にマークされると仕事ができないのがわかったのと、そもそもあまり体力が無いのであろう。ポイントガードも橋本さんに交代する。
両者激しい戦いが続くものの、どちらもしっかりガードするので、なかなか点数が入らない。なかなかゴールができずに、このピリオドどちらも24秒ヴァイオレーションを1回ずつ取られたし、8秒ヴァイオレーションもN高校の激しいプレスでL学園側が1度取られた。
赤山さんは千里をかなり強烈にマークしてなかなかボールを取らせない。恐らくこの人はビデオを見て自分を相当研究しているなと千里は思った。
7分経過しても両者6点ずつしか取れていないという物凄いロースコアである。
しかし激しいマークをしているので、ファウルもかさむ。ふだんファウルの少ないN高校もこの試合では暢子と揚羽が1個ずつ、絵津子が2個ファウルを取られてN高校としてはファウルが多いのだが、向こうは赤山さんと舞田さんが3個、赤田さん4個、枝野さん3個とかなりのファウル数になっている。
試合は激しい攻防の末、残り50秒の所で絵津子がゴールを決めてとうとう78対79と逆転。しかしその後の速攻から赤山さんがゴールを入れて80対79。更にこちらの攻撃機会で舞田さんが雪子から暢子へのパスを根性でカットして、そこから自身で速攻。残り15秒のところでゴールを入れて82対79と突き放した。
N高校が慎重に攻め上がる。
向こうは千里に赤山さんと橋本さんの2人が付く。3点差でこの残り時間だからN高校は3点プレイをしない限り追いつけない。千里に仕事をさせなければ勝てるという読みである。暢子には舞田さん、絵津子には赤田さん、揚羽には枝野さんが付いていて、つまりボールを持っている雪子には誰も付いていない!
するとそれを見て雪子は自らスリーポイントラインの前で立ち止まり両手でボールを持ってシュート動作に入る。慌てて赤田さんがそちらにフォローに行く。が、それを見て雪子は片手投げに変えて、ボールをゴールのほうに向けて強く投げた。
ボールはバックボードの端に当たって、跳ね返り、絵津子の居る位置に飛んでくる。雪子は自分がスリーを入れきれないのは分かっていた。だから少しでも可能性のある絵津子か暢子にパスしたかった。赤田さんがこちらに走ってくるが、雪子と絵津子の間に入っていて、パス筋を塞いでいた。そこでバックボードを利用したパスをしたのである。
バックボードを利用したパスやドリブルはコントロールが非常に難しい。当然その会場のバックボードの性質によっても飛び方は違う。雪子ならではのパスであった。
絵津子はボールを取ると2歩でスリーポイントラインの所まで離れ、そこからシュート動作に入る。必死で走ってきた舞田さんがそれを停めようとした。
絵津子がシュートを撃ったのと、舞田さんがそれを停めようとして絵津子の腕に触れたのと、試合終了のブザーが鳴ったのが、ほぼ同時であった。
そしてボールはゴールに飛び込んだ。
会場がどよめく。
多くの人がブザービーターで延長戦と思った。
が審判はゴールは無効であるというジェスチャーをしている。
「ボールが青の15番(絵津子)の手から離れたのは、試合終了のブザーの後だったので得点は無効。しかし、その前、ブザー直前に白の7番(舞田さん)のチャージングがあった。よって、スリーポイントシュート動作中のファウルなのでフリースローが3本与えられる」
と審判は言葉で説明した。試合時間は終了しているので、このフリースローで試合は終わることになる。なお舞田さんはこれが4つ目のファウルである。
絵津子がフリースローサークルに行く。
客席から蘭の「絵津子!頑張れ!」という声が聞こえる。千里や暢子たちも声を掛ける。絵津子が審判からボールを受け取り、慎重にセットする。客席が静まりかえる。
撃つ!
入る! 82対80。
どっと観客席がどよめく。
絵津子が1本でも外せばそこでN高校の負けである。凄まじいプレッシャーが掛かっているはずだが、絵津子は平気そうな顔をしている。再び審判からボールをもらう。客席が静まりかえる。
撃つ!
入る! 82対81。
また観客席がどよめく。
蘭も志緒も「絵津子ー!!!」と叫んでいる。千里は「落ち着いて、落ち着いて」と声を掛ける。暢子が「何も考えるな!」と声を掛けている。再び審判からボールをもらう。客席が静まりかえる。
撃つ!
入る! 82対82。
延長戦!!
揚羽が走り寄って絵津子を抱きしめる。暢子が絵津子の頭を小突いてる!千里も「よくやった!」と言って絵津子の背中を数回叩いた。
「絵津子、ほんとによくやった。うちの体育館に湧見という名前を刻んでやりたいくらいだ」
と暢子。
「もうひとりの湧見も一緒に名前を刻めたらいいね」
「あいつ、やはり強引に性転換しちゃおう」
「本人は喜ぶと思いますが」
これでN高校は準々決勝のF女子高戦に続く延長戦である。
少しの休憩のあと第5ピリオド(5分間)が始まる。
こちらは雪子/千里/絵津子/暢子/留実子という布陣であるが、向こうは正ポイントガードの竹下さんを戻して、竹下/赤山/赤田/舞田/枝野というラインナップ。シューティングガードも居ないがセンターも居ない!フォワードを4人入れた布陣である。
たくさん点数を取ってやるという態勢なのだが・・・・実際には点はなかなか入らなかった。どちらももう体力の限界を超えているのだが、それでも激しく相手をマークする。
それで3分経っても両者6点ずつしか入れていない。4分経ったところでL学園の赤山さんが1ゴール決めて90対88となりN高校の攻撃。(延長戦は5分である)
暢子が雪子からのパスを取ろうとするのを停めようとして舞田さんがファウルを取られた。これで舞田さんは5つ目のファウルで退場になってしまう。ここでL学園の両エースの片方が退場するのは痛い。
そしてこちらのスローインから再開と思ったのだが・・・
審判はフリースローを指示している!?
チーム・ファウルの数が5個目だったのである。
第4ピリオドで赤山さん・赤田さん・枝野さんが1個ずつファウルをおかしていた。そして終了間際に舞田さんのファウルがあった。それで既にチーム・ファウルが4つになっていた。この状況でディフェンスのファウルにはスローインではなくフリースロー2本が与えられるのである(オフェンス時のファウルは普通通り相手スローイン)。
通常チームファウルの数はピリオド単位で数えられるのだが、延長ピリオドは第4ピリオドの続きとみなされ、カウントが継続するのである。このあとL学園はディフェンスでファウルをする度にフリースローを取られることになる。
暢子がフリースローサークルに立つ。審判からボールを受け取り慎重にセットして撃つ。入る。
これで90対89。
もう一度審判からボールを受け取る。シュートする。
ボールは外れてリングの端で跳ね上がる。
がそこに留実子が飛び込んで行ってダンク気味にボールをゴールに叩き込んだ。
90対91!!
逆転!!!!
むろん暢子はわざと外して留実子のプレイに賭けたのだが、ゴールより上まで手の先が到達する留実子が居なければ選択できなかったプレイである。
相手が攻めて来るが、赤山さんを千里がマークしているので、向こうとしては攻め手に欠く感じである。なかなかシュートできないまま、結局24秒ヴァイオレーションになってしまいN高校のボールになる。
N高校はゆっくりと攻め上がる。残り時間は10秒を切る。N高校としては確実に入ると思えない限りシュートしなくても良い。無理なシュートでボールを取られるより、時間を潰して勝ち逃げしたい。
雪子から暢子にパスが行く。さっきまでは暢子のマークは舞田さんがしていたのだが、退場になったので代わりに入った岡田さんが暢子の前に行き激しいチェックをする。むろんそう簡単にボールを盗られる暢子ではないのだが、岡田さんは凄まじく厳しくガードする。暢子は巧みなフェイントで岡田さんの身体が左側へ振れた瞬間、右側を抜いた。
と思った時、暢子は滑ってしまった。
ふつう体育館の床はこまめにモップで拭いているのだが、ゴール近くは攻防が激しいため、この部分が偶然にも滑りやすくなっていたようである。
ボールが転がったのを岡田さんが確保して高速ドリブルで反対側のゴールめがけて走って行く。そしてスリーポイントラインの手前で停まると、美しい動作でシュートした。
彼女がシュートするのとほぼ同時に試合終了のブザーが鳴る。
ボールはきれいな放物線を描いてバックボードに当たり、それからいったんリングで跳ね上がったものの、落ちてきてきれいにゴールに飛び込んだ。審判がゴールを認めるジェスチャーをする。
最後の最後での逆転であった。
ゴール下まで走り込むだけの時間は無かった。この場面ではスリーポイントラインが時間内にシュートを撃てるギリギリの場所だった。千里は自分が今の岡田さんの立場でありたかったという思いが込み上げてきた。
岡田さんを追いかけていた雪子が床で跳ねているボールをつかんだが、試合はもう終了している。
悔しそうな表情でボールを審判に返した。
岡田さんがL学園のメンバーにもみくちゃにされている。
取り敢えず彼女はヒーローだ。
千里はまだ動けなかった。暢子も立ちすくんでいた。留実子が泣いていた。
審判が整列を2度にわたって促す。
それでN高校のメンバーは整列した。少し遅れてL学園のメンバーも(だいたい)整列する。
「93対91で静岡L学園の勝ち」
「ありがとうございました」
赤山さんと暢子は握手したあとハグし合う。千里は舞田さんとハグする。その後、赤山さんと千里、舞田さんと暢子もハグした。そして千里と暢子、千里と留実子もハグした。
N高校のメンバーはフロアから引き上げる。チアリーダーたちが迎えてくれる。「健闘を称えて」と言ってエールを送ってくれた。チアに入っている紅鹿や海音が泣いている。チアには入っていないものの必死で応援していた不二子やソフィア、蘭や志緒も泣いている。
「済まん。私があんなところで転ばなければ」
と言った暢子はほんとに落ち込んでいるようだ。
「いや、誰もあれは責められないよ。不可抗力だよ」
と千里が言う。
「掃除係の子たちが叱られていたみたい」
「いや、それを叱るのは可哀想だよ」
「掃除していても、どうしても試合の終わりの方では床の状態はよくないからなあ」
「特に延長戦だったもんね」
こうして千里や暢子たちのインターハイは終わってしまったのである。
その時、暢子がふと千里の左手に気付いた。
「あ、その護符」
「え?」
と言って千里は自分の左手を見た。梵字は今朝書き直したのでくっきりと残っている。
「あっ」
と千里も声を挙げる。
「私の護符はもう消えてしまっている」
と暢子が自分の掌を見た。
「ごめーん。自分のを描いた後、暢子にも書いてあげようと思った時にちょうどあの食い逃げ騒ぎがあったもんだから」
と千里。
「食い逃げ? あれ自殺未遂じゃなかったんだっけ?」
「宿代が払えないから窓から逃げようとしたんでしょ?」
「それ食い逃げというの?」
「うーん。。。泊まり逃げ?」
「それどういう護符なの?」
と寿絵が訊く。
「うん。パワーが逃げて行かないように封じる護符なんだけどね」
と千里。
「私はパワーが食い逃げして、あんな所で転んだのかも知れないなあ」
と暢子は本当に悔しそうであった。
試合終了後、例によって「3位の表彰式」が行われる。3位になったチームが明日の最終日を待たずに帰ることができるようにするためである。
今日敗れて3位になった愛知J学園と旭川N高校の選手が整列し、主催者から3位の賞状。そして銅メダルを授与された。
J学園の大秋さんとN高校の暢子が前に出て3位の賞状を受け取る。ふたりとも物凄く悔しそうな顔で賞状を受け取り、そして握手をした。
銅メダルは1人1人プレゼンターから掛けてもらった。千里はメダルを掛けてもらって握手した後、今年こそ他の色のメダルが欲しかったのにと心底思った。他のメンバーを見ていたが、暢子・留実子・夏恋・雪子・揚羽たちはみんな悔しそうな顔をしている。単純に喜んでいるのがメグミ・寿絵・川南・絵津子たちである。
ここで3位を喜ぶか悔しがるかというのは性格の違いなのかも知れないなと千里は思った。
表彰式が終わった後、千里は大秋さんに尋ねた。
「メイちゃんたち、今日帰ります?」
「まさか。明日まで居るよ」
「ですよね?」
「宿は最初から今夜の分まで予約しているし。千里ちゃんたちもでしょ?」
「もちろんです」
表彰式のあと、両チームとも、ベンチに入らなかった部員を全員入れて記念撮影をする。ここでは両軍の選手もみな笑顔で写真に写っていた。
千里は主催者さんから声を掛けられた。
「村山さん、それから若生さん、もう帰られますか?」
「いえ。明日の決勝戦を見てから最終便で帰ります」
「じゃ表彰式も見られます?」
「ええ」
「ではもしかしたら表彰式前にお声を掛けるかも知れませんので、よかったらもしチームの他の方が先に帰られる場合でも、お二方は表彰式が終わるまで残っておいていただけませんか?」
「いいですよ」
この日も伊香保温泉に戻ると、暢子はまた階段の往復をするぞ!と宣言した。
「試合もう終わったのに」
と寿絵が文句を言うが
「神社までお礼参りだよ。準決勝まで私たちを行かせてくれたお礼」
と暢子は言った。
それでまた全員頑張って階段を登り、今日は全員が上までたどり着いてから伊香保神社に一緒に参拝して、この4日間の加護に感謝した。
「私はみんなが大きな怪我もなくここまで来てくれただけでも充分神様に感謝しているよ」
と南野コーチは言った。
その日の夜は「残念会」と称して、豚しゃぶをしてもらい、お肉をたっぷり食べた。食べ過ぎて動けなくなる子が続出であった。
「雪子」
と暢子がまるで酔っ払ったように抱きついて声を掛ける。
「はい」
「ウィンターカップ出ろよ。そして今度こそ優勝しろ。今の1年が成長したらかなり強くなるぞ。きっと私たちより強い」
「頑張ります」
「よし、飲むぞ!」
「キャプテン酔ってるみたい」
「キャプテンはどうもコーラで酔えるようだ」
暢子は薫にも抱きついている。
「おい、薫」
「何?」
「なんでお前、千里みたいに高1の内に性転換しておかなかったんだ?」
「そんなこと言われても」
「お前が出ていたら負けなかったのに」
「老兵は死なず。消えゆくのみ」
「なんだそれ?」
「おばあちゃんは引退して若い子たちに任せようということだよ」
暢子が随分1−2年生に絡むので南野コーチからアルコールチェッカーで検査されていた。
翌日は伊香保温泉に泊まっていたメンバーは早朝から同じ伊香保温泉内の別の旅館に泊まっていたJ学園の選手たちの所を訪問する。そして近隣の小学校の体育館を借りて、両者で「裏の3位決定戦」などという危ない試合をした。結果は88対88の同点であった。
「負けたら3位の賞状と銅メダルを堂々と持ち帰られない所だったから、結構ドキドキだった」
とお互いに言い合った。
「じゃ国体かウィンターカップで会う選手も多いだろうけど」
「もうこれが最後の選手もあるかも知れないし」
などと言って、一緒に朝食を兼ねた懇親会をして、更に一緒に温泉で汗を流してから別れた。またオールジャパンの終了後に、1年前と同様に親善試合をすることも約束した。(場所は後日話し合うことにした)
N高校の部員たちはその後、いったん都内に行きV高校の宿舎に泊まっていたメンバーと合流して一緒に宿舎の片付けと清掃をした。ついでに校庭の草むしり・ゴミ拾いなどまでしたら、V高校で部活の練習に出てきている子たちも手伝ってくれた。
「インターハイ終わったんですか?」
「ええ。昨日負けました」
「それは残念でしたね。また頑張ってください」
「ありがとうございます」
千里は何か大きな喪失感を感じていた。一応まだ今月中旬の国体予選があるし勝てたら大分で国体本戦だ。自分はU18代表候補にもなっているので、そちらで代表に選ばれたらインドネシアまで行ってくることになる。
しかし。
そういう今後の話もインターハイに比べたら半ばどうでもいいことのように思えてしまった。
自分にとってインターハイこそが憧れだったし、この大会で優勝することを目標にここ2年近く頑張ってきた。
でもインターハイは終わってしまった。
明日から自分は今のようなテンションを維持できるだろうか。
夏恋が声を掛けてくる。
「千里、大学でもバスケ続けるよね?」
大学?大学のバスケ??
「どうしよう?私、インターハイの後のこと何も考えてなかったよ」
「私は大学でもやるよ。そしてインカレで優勝を狙う」
と夏恋は決意を秘めた表情で言う。
そうだよなあ。夏恋は本当にこの1年半ほどで伸びたもん。
「私ももう少し頑張らないといけないかなあ」
「インカレで会おうよ。あるいはオールジャパンかも知れないけど」
「そうだね。オールジャパンあたりで対戦できるかもね」
千里はやっと笑顔になって夏恋と堅い握手をした。
決勝戦は13時からなので、その少し前に会場に入った。全員で札幌P高校と静岡L学園の試合を観戦する。今日は全員制服姿である。当然昭ちゃんも女子制服を着ている。
「昭ちゃん女子制服姿が様になってる」
と川南から言われる。
「蘭ちゃんから言われて毎日この服を着て買い出しに行ってました」
「おお、蘭もしっかりやってるな」
フロアでは激戦が繰り広げられていた。
「伊香さんは本当に成長したね」
「そしてP高校のこの動きが凄いよね」
「うん。男子並みのスピードだもん」
千里がボーっとした感じで試合を見ていたら、暢子がいきなり千里のお股に指を突っ込んでくる。
「ちょっと! 今のあそこに入るかと思った!」
「別に処女ではないから構わんだろ?お互いに」
「そういえば暢子の彼氏って知らない。どういう人なの?」
「秘密」
と言ってから暢子は言う。
「2週間後にはあのチームとうちが対戦しないといけないからなあ。どうやって倒すか、今日のL学園の試合を見て考えなくちゃ」
ほんとだ!
「うん。頑張って見なくちゃ」
試合は結局伊香さんや佐藤さんの大活躍もあって、89対73でP学園が勝利。インターハイ初優勝を飾った。P学園のメンバーが物凄く喜びあっているのを見て千里はあそこに居たかったなと思った。
主催者さんが来て、千里と暢子に下に降りてきてくださいと言ったのでふたりは降りて行く。J学園の中丸さんも呼ばれたようだ。手を振って軽く挨拶しておく。
表彰式が始まる。
「平成20年度全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会・第61回全国高等学校バスケットボール選手権大会女子、優勝・札幌P高等学校」
と呼ばれて佐藤さんが優勝旗を受け取る。客席から大きな拍手が送られる。賞状その他が送られ、選手とマネージャー全員に金メダルがひとりひとり贈られる。佐藤さんが、宮野さんが、猪瀬さんが、徳寺さんが、伊香さんが、嬉しそうにメダルを首に掛けてもらう。
続いて準優勝の静岡L学園が表彰される。そして今年も特別賞が発表された。
「特別賞を旭川N高校と札幌P高校に贈ります」
と大会長が告げる。
「旭川N高校は2回戦から準決勝までの4試合でのファウルが合計8個、札幌P高校は1回戦から決勝戦まで6試合のファウルが合計12個で、どちらもとてもクリーンな試合をしたので、特別賞を贈ります」
それでP高校の佐藤さんとN高校の暢子が前に出て賞状をもらい、ふたりは握手した。
その後個人賞が発表される。
「最優秀選手・札幌P高校・佐藤玲央美さん」
「はい」
と返事して佐藤さんが優勝旗を徳寺さんに預けて前に出る。
「得点女王・旭川N高校・村山千里さん」
「はい」
千里はぴっくりした。てっきりスリーポイント女王かと思ったのに!?とにかく前に出る。しかし続けて呼ばれる。
「スリーポイント女王・旭川N高校・村山千里さん」
「はい」
と千里は前に出たまま答えた。きゃー!両方取ったのか!
考えてみると今年は昨年の日吉さんのような点取り屋さんが最後の方まで残らなかった。Q女子高の鞠原さんは3回戦敗退、F女子高の前田さんも準々決勝敗退だ。おそらく自分と前田さんの点数差は僅差だったのではという気がした。
「リバウンド女王・愛知J学園・中丸華香さん」
「はい」
と答えて中丸さんが前に出てくる。
佐藤さんは試合が終わったばかりでユニフォーム姿だが、千里と中丸さんは制服姿である。
「アシスト女王・札幌P高校・佐藤玲央美さん」
「はい」
と佐藤さんが前に立ったまま答える。
へー!! つまり佐藤さんって自分で得点できないと見たら、宮野さんや河口さん、あるいは伊香さんにパスして得点を挙げていたんだろうなというのを千里は考えた。
そういえば佐藤さんって去年の12月に会った時「For the teamに目覚めた」なんて言ってたなと思う。
その瞬間、千里の頭の中に国体予選でのP高校との戦い方のイメージができてしまった。そうか!そうすればいいんだ。「元から絶て」ばいいんだ!!!
前に並んだ3人に5枚の賞状が渡された。佐藤さんと千里は2枚ずつもらった。お互いに笑顔で握手する。それで後ろに下がった。
大会長の挨拶などがあったあとで式は終了する。P高校、L学園のメンバーが試合に出ていない部員も入れて記念撮影をしている。バスケ雑誌の記者も写真を撮っている。
千里はそれを遠くから見ながらフロアを出た。
N高校のメンバーはもうみんな下に降りてきている。千里は個人賞の表彰をみんなから祝福してもらい、6日間の激戦の場を後にした。
「今年のインターハイは準決勝のJ学園・P高校戦が事実上の決勝戦だったね、などと言っている人がいたよ」
と寿絵が帰りの便を待つ羽田空港で言っていたが
「言わせておけばいいさ」
と薫は言う。
「うちが来年も再来年もその先もインターハイやウィンターカップに出て上位に食い込めば、そんなこと言われなくなるよ」
と千里も言う。
「まあ、そういう訳で、ウィンターカップ頑張れよ、次期キャプテン」
と言って暢子は揚羽の肩を叩く。
揚羽はキョロキョロしている。
「次期キャプテンって?」
「揚羽が次期キャプテンだよな?」
と暢子。
「同意」
と雪子が言っている。リリカも「賛成」と言っている。
「次期キャプテンは雪子じゃないの〜〜〜!?」
と揚羽。
「まあ、副主将くらいはしてもいいよ」
と雪子。
リリカや蘭・志緒などもパチパチと拍手をしている。
「決まったみたいね」
と寿絵も笑って言っていた。
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【女の子たちのインターハイ・高3編】(4)