【女の子たちの夏進化】(1)

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インターハイが終わった8月3日、千里は留萌に住む、貴司の母・保志絵さんに連絡を取った。
 
「お盆なのに、国体の予選があるので礼文島に行けないんですよ。代わりにお花か何かでも送ろうかと思うのですが」
「わざわざ気にしてくれてありがとう。どうせ貴司は何やらサマーキャンプとかで来られないみたいだし、いいのよ。それより、千里ちゃんインターハイ3位おめでとう」
「ありがとうございます。今年が最後だし、今年こそは優勝したかったんですけどね」
「いや、3位は充分立派な成績だよ」
 
保志絵さんは、せっかく東京方面に居るのなら、虎屋の羊羹でも送ってくれる?という話だったので「細川貴司・千里」の名前で礼文島の本家に虎屋の羊羹を30本どーんと送っておいた。若い人が多ければ東京ばな奈あたりが好評なのだが、年寄りが多いと羊羹のほうが受けは良い。代金は5万円を超すが
 
「あとで貴司からぶん取るからその分のお金、私から千里ちゃんにあげるね」
ということで、こちらの口座に手数料込みと言って6万円振り込んでくれた。
 
注文する時にお葬式の時のお花に続いて「細川千里」の名前を使ったが、次に彼と会えるのはいつだろうと思い、少し身体が火照るような気分であった。
 
『やはり女にも性欲はあるよね?』
などと心の中でつぶやいていたら
 
『そりゃ女に性欲が無かったら人類滅亡するよ』
と《いんちゃん》が言う。
 
『だけど私は子孫を残せないし』
と言ったら
『ふふふふ』
と何だか忍び笑いしている。
 
何何?なんでそこで笑う訳??
 

同じ8月3日の夕方。東京、&&エージェンシー。斉藤社長が頭を抱えていた。
 
そこに白浜さんが出先から戻ってくる。そして斉藤がただならぬ様子なのを見て
「社長、どうなさったんですか?」
と尋ねた。
 
「どうしよう?」
といつも冷静な斉藤さんらしからぬ発言である。
 
「何があったんですか?」
「Parking Serviceのミッキーとマジーンとカリユとテッカンが辞めた」
「は!?」
 
「ミッキーは友人と組んで出場したバンドコンテストで優勝して、そちらでデビューしたいから辞めさせてという話で、僕もおめでとうと祝福して辞表を受け取った。僕もその時はまさか更に脱退者が出るとは思いも寄らなかったんだよ」
「ああ、バンドの大会に出る許可をくれとか言ってましたね」
「まあ禁じるほどのことでもないからも。うちはこういうの緩いし」
「でも何てバンドですか?」
「えっとね・・・」
と言って斉藤はメモを見る。
「Purple Chaseというバンドらしい」
「へー」
 
「で、彼女の話を聞いた1時間後にマジーンが来て僕に謝るんだ」
「はあ」
「ボーイフレンドと同棲していたのがバレてしまったらしい。こちらでも情報収集したんだけど、どうも数時間以内にはニュースサイトに流れるようだ。彼女からはファンへの謝罪の直筆メッセージと辞表をもらった」
「ごめんなさい。マジーンちゃんの件は私が甘かったから」
「いや僕も気付かないふりしてたから」
 
「彼女の件の処理に追われていたら、カリユが来て言うんだ」
「はい?」
「実家のお母さんが倒れて、看病するのが彼女しか居ないらしい。それですぐでなくてもいいけど近いうちに辞めさせて欲しいと」
「なんかその話だと、取り敢えずすぐでないだけでも嬉しいです」
「全くだね」
 
「そして極めつけがテッカン。バスに乗っていてトラックがそのバスに正面衝突して」
「きゃーっ」
「死者が4名出てる。テッカンは命には別状無いものの肩と足を骨折して全治半年という話」
「うわぁ。それは助かっただけでも幸運ですよ」
「そうだと思う。リハビリとかまでしていたら1年掛かると思うからいったん辞表を出させてくれと本人が言っていると弟さんから連絡があって。今ツグミちゃんに病院に急行してもらった所。僕は取り敢えず預かると返事した」
「うーん・・・」
「籍だけは置いておいて彼女の治療費は事務所で出してあげたいと思う」
「そうしてあげてください!」
 
「そういう訳で1日にして4人抜けてしまったんだよ」
「どうするんですか? 今月末に大宮アリーナでライブがあるのに」
「カリユはそのライブまでは務めさせてくれと言ってる」
「助かります」
 
「ミッキーについては、前々から去年大学受験のために辞めたメイルに機会があったらまたやってみない?と言っていたので、ミッキーの穴埋めには彼女が使えると思っていたんだよ。それで電話してみたら、取り敢えず数ヶ月くらいなら一時復帰してもいいと言っている」
「凄く助かります!」
 
「それでも4人。6人で編曲もフォーメーションも作っているから、変えるとなると、それだけで時間がかかる」
 
と斉藤社長は言って、ふと思い出したように言う。
 
「何度かPatrol Girlsに入ってもらった柊洋子ちゃん。あの子、無茶苦茶歌もダンスもうまかったよね。あの子、話したらやってくれないかな?場合によっては数ヶ月の臨時加入でもいい」
 
「柊洋子ちゃん、先日会ったんですよ。私、XANFASの方に勧誘できないかなと思っていたんですが、実はデビューしちゃったんです」
「ありゃあ」
 
「∴∴ミュージックという所の4人組歌唱ユニットでカラヤンとかカリメロとか、なんかそんな感じの名前なんですけど」
「あの子はいくつもの事務所で争奪戦してたからなあ。残念」
 
この時2人はまさかその洋子本人が、この日の昼、KARIONとは別のユニットでもデビューを飾っていたとは思いも寄らなかった。そして、こんなことを斉藤と白浜が話していた時、XANFASのプロデューサー麻生杏華が入って来た。
 
「あら?どうしたの?まるでお通夜みたいな顔をして」
「麻生さん、実は困ったことが起きてしまって」
 
と言って斉藤社長は彼女に事情を説明する。
 
「この際、XANFASの逢鈴をそちらにトレードしようか?」
「おお!」
 
「逢鈴はPatrol Girlsのリーダー長かったし、Patrol Girlsからの昇格は過去にも例があったし。特に鉄観ちゃんが大怪我して、それ後で復帰するにしても時間がかかるということなら、リードボーカルになれる子が居ないじゃん。逢鈴は歌がうまいからさ。性格も温和だからParking Serviceリーダーのマミカちゃんともうまくやれるでしょ?」
 
「いや、逢鈴はもともとマミカと仲が良かったはずです」
 
「でもXANFASの方はどうします?」
「うん。それは任せて。ちょっと腹案があるんだ」
「へー」
 
「もうひとりはね。新人を使いましょう」
「いい子がいる?」
「男の娘でもいい?」
「へ?」
「いや、充分女の子に見える子ならこの際、身体の性は気にしないことにする」
 
「だったらね、梨子ちゃんって子がいるのよ。XANFASの人選していた時に候補と考えていたんだけど。凄くダンスが巧いんだけど歌が微妙なのよね。実はそもそも女声の出し方が未熟なんだ。身長は163cmくらいだったから他の女の子と並べていても違和感は無い。中学生の頃から女性ホルモン飲んでたらしくて、それで身長が停まっちゃったらしいのよね。おっぱいも小さいけどあるよ。白浜さん、知らない? 高知に住んでいるんだけど」
 
「あっ。横芝光のバックダンサーしてもらったことがある子かな。凄くダンスうまい子がいましたね」
「うんうん。確かやってた」
「あの子、男の娘だったんですか?」
「うん」
「全然知らなかった!」
「白浜君が気付かないくらいなら大丈夫だな」
 

千里はまた夢を見ているなあと思った。千里は車を運転していた。クラッチ・ペダルを踏んでギアチェンジするので、マニュアル車のようだ。これこないだ運転したRX-7みたいと思う。瀬高さんの車かなあ。
 
やがて車はトンネルに入る。そのトンネルの壁面にいろいろな模様があるのを千里は感じていた。警察の検問がトンネル内で行われていた。やばー、私免許持ってないのにと思う。前に居るドライバーの多くが警官に停められ、そばにある駐車場内に誘導されていた。へー、トンネルの中に駐車場があるのか。
 
やがて千里の番になる。免許証見せてと言われて千里が見せたのは、美鳳さんからもらった出羽の女山伏の鑑札である。百日山駆けを2年達成したので、蜂の文様が2つ入っている。千里はその時、その2つの模様が何だか左右に並ぶ卵巣のように見えた。
 
「はい、どうぞ」
と言われて千里は先に進むことを許可された。
 
あれ〜?山伏の鑑札があれば車を運転してもいいんだっけ?などと考えながら先に進む。そのうち、地面がアスファルトだったのがいつしかコンクリートになり、やがて砂利道になる。そして目の前で工事をしている現場に達する。
 
嘘。このトンネルって開通してないの?
 
と思ったら
 
「今から最後の発破を掛けます」
という声が響く。
 
きゃーっと思って運転席で身を縮めていると大きな爆発音がある。そして歓声が起きる。
 
「やったー。つながったぞ!」
という声。
 
思わず千里は車から降りて、発破の現場に行く。向こうに大きな空洞があり、あちらにも多数の人が居て、こちらの人たちと握手をしている。
 
千里も行ってその列に加わった。
 
その時、向う側に居た人たちの中に瀬高さんの姿があった。
 
「瀬高さん、ごめんなさい。瀬高さんの車を運転してここまで来ちゃった」
「ああ、いいよ、いいよ。私はそれで帰ろうかな」
と瀬高さんは言う。
 
「あ、そうそう。これ私が交通事故で壊しちゃった卵巣だけど、村山さん、欲しかったらあげようか?」
「ください!」
 
それで千里は瀬高さんから何か生暖かい器官をもらった。でもたくさん血が出てるよ!?
 
そんなことを思っていたら、そこに見知らぬ少女が出てきて
「千里姉ちゃん、治してあげるよ」
と言う。
 
その子がその壊れた卵巣を手の中に入れて目をつぶっていると、千里の身体から何だかエネルギーを奪われる感覚がある。
 
しまった!例の封印の梵字を書いてなかった!
 
と思ったものの、彼女はやがてニコッと笑い、千里にそれを返した。
 
「治りましたよ。大事にしてね。卵巣は女にとって大事なものだから」
 
それで千里がそれを受け取ると、その卵巣は千里のお腹の中に吸い込まれていった。
 

「トンネルの夢を見たんだよ」
と薫は言った。
 
「へー、どんな?」
 
「私が彼氏とデートしてて、彼氏はキャデラック・エルドラドのコンバーティブルを運転してるの」
 
「ふーん」
と言いながらも千里にはそれがどんな車かさっぱり分からない。千里はあれだけ(無免許で)運転をしていても、実はセダンとステーション・ワゴンの区別も付いていない。
 
「ずっと高速道路を走っていたんだけど、前方にトンネルがあるんだよね。だけどそばまで行ってみると、トンネルの穴が開いてないんだよ」
「ふむふむ」
 
「すると彼氏が『まかせろ』と言って、すると突然キャデラックの先端がドリルになっちゃうんだよ」
「サンダーバードのジェットモグラみたいなの?」
「そうそう」
 
「それでかなり掘り進んで、まあこのくらい掘っておけばいいかな、というので彼氏と一緒に乾杯したところで目が覚めた」
 
「それ向こうに突き抜けなかった訳?」
「うん」
「落盤で埋まってしまうというのに1票」
 
「だいたいコンバーティブルだったんじゃないの? 上から土が落ちてくるじゃん」
「たぶん幌を出したんだと思うけどなあ」
「やはり土の圧力で曲がりそうだ」
 
するとその話を聞いていた寿絵が言う。
「そのトンネルって心理学的にはヴァギナの象徴だと思う」
 
「おぉ!」
という声があがる。
 

この日旭川N高校女子バスケ部一同は、登校日の全体集会でインターハイ3位を報告し、学校からも表彰されるのに体育館のステージ脇・用具室に集まっていた。
 
「だからきっと薫はもうヴァギナが出来たんだと思うな」
と寿絵。
「性転換した人の人工ヴァギナって、子宮が無いから向こうに突き抜けてないですもんね」
などと志緒まで言う。
 
「薫、とうとう造膣術受けたの?」
「えー? まだその手術はしてないけど」
「もうおちんちんは取ってるんでしょ?」
「ごめーん。それもまだ取ってない」
 
「コンバーティブルに乗ってたというのが既に男性器は除去済みなのを表すと思う。屋根が無いんだよ」
と寿絵。
 
「おお、心理学凄い!」
 
「薫さん、もうほんとの女の子になっちゃったの?」
 
と昭子が言う。今日、昭子はみんなに乗せられて女子制服を着せられている。学校の生徒全員の前で女子制服姿をさらすのは初めての体験になる。
 
「うん、だから昭子も早く手術しちゃおうね」
と川南。
 
「ぼく、どうしよう・・・・」
 
「《わたし》と言おうよ」
 
「まだ恥ずかしくて」
と言って、またまた昭子は真っ赤になっていた。
 

全体集会で校長先生から夏休み中の心の持ち方などに絡めたお話があった後、インターハイの結果報告が教頭先生から行われる。まずは陸上の女子1500mに出場した2年生の子が7位入賞したこと、それから女子バスケ部の3位・特別賞、そして千里の得点女王・スリーポイント女王が報告された。
 
陸上部の子が壇上に上がって賞状を全校生徒に披露した後、校長からN高校敢闘賞のメダルをもらった。
 
その後今度は女子バスケ部員48名が壇上に上がる。ベンチに座った13人はインハイ3位のメダルを掛けている。そしてあらためて校長からN高校殊勲賞のメダルをその13人、および道大会でベンチに入っていた耶麻都・永子・薫も掛けてもらった。千里は昨年のインターハイ・お正月のオールジャパン(皇后杯)のスリーポイント女王、そして今回と3個目の殊勲賞である。暢子や雪子たちはオールジャパンは敢闘賞であったので2個目の殊勲賞になる。
 
プレゼンターは今年は昨年務めてくれた富士さんと共に10年ほど前N高校がインハイBEST8になった時の副主将・宮原さんがしてくれた。宮原さんは現在東海地方のクラブチームに所属している。
 

全体集会が終わってから2年5組の教室に戻った昭ちゃんはクラスメイト(の特に女子)から突っ込まれる。
 
「ねぇねぇ、さっき湧見君と似た子が女子バスケ部の中に居た気がするんだけど」
「さっき湧見君、クラスの所には並んでなかったよね?」
 
「う、うん」
と言ったまま昭ちゃんは恥ずかしそうに俯く。
 
「もしかしてやはりあれ湧見君?」
 
それで同じクラスのバスケ部員・聖夜(のえる)がバラしてしまう。
 
「昭ちゃんは湧見昭子の名前で女子バスケ部に登録されている」
「えー!?」
「でも湧見昭一の名前で男子バスケ部にも登録されている」
「へー!」
「それで性転換手術を受けて、完全に女子バスケ部に移行しないかと誘惑しているところ」
とやはり同じクラスのバスケ部員・夜梨子も言う。
 
「ほほぉ」
 
「でもさっき女子制服着てたよね?」
「うん。昭ちゃんは女子制服も持ってる」
「なんで教室では着ないの?」
 
「ちょっと恥ずかしいー」
「だって全校生徒の前で女子制服を着ておいて、今更恥ずかしがることないじゃん」
 
「インターハイにも女子制服を着て他の女子部員と一緒に埼玉まで行ったんだよ」
と聖夜。
 
「凄い凄い」
「お部屋も女子部員と同じ部屋」
「それで着替えとかどうすんの?」
「別にふつうだよ。みんなわいわい言いながら着替える。お風呂も他の女子部員と一緒」
「うっそー!?」
「でもちんちん付いてるんだよね?」
「見せないようにうまく隠してたよ」
「隠せるもんなの?」
 
「でも一緒にお風呂入ったということは、湧見君、聖夜や夜梨子の裸を見ちゃったわけ?」
「私たちは昭ちゃんは女の子だと思っているから平気だよ。私たちも昭ちゃんの裸を見ているしね」
 
「昭ちゃんって呼んでるの?」
「女の子同士だもん。名前呼び」
「私たちも昭ちゃんと呼んじゃおうか?」
「それでいいと思うよー」
 
「昭ちゃんはバスケ部女子たちのアイドルというか」
と聖夜。
「ほほぉ」
「いけにえというか」
と夜梨子。
「なるほどー!」
「少し実態が見えた気がする」
 
「でもそこまで女子化してるんなら、教室でも女子制服着たらいいのに」
と他の女子たちの声。
 
「私たちも唆しているんだけどねー」
と聖夜が言うのに、昭ちゃんは、また恥ずかしそうに俯いていた。
 

登校日の行事として各クラスでホームルームが行われた後、女子バスケ部員は昨年同様、南体育館に再度集合して48名全員に理事長さんからポチ袋が配られる。そしてお昼は理事長さんのおごりで市内の洋食屋さんに行った。
 
「みんな好きなの注文していいからね」
という声に歓声があがり、いきなりトンカツ・ビフテキ・メンチカツと注文している子もいる。
 
「ひとりでそれだけ食べるの?」
「あとでもっと追加するー」
 
寿絵は控えめにオムライスのハーフサイズなどというのを注文している。
 
「どうしたの?食欲無いの?」
「いや、今までみたいに日々運動はしなくなるから、食事も控えめにしないとすぐ太っちゃうよ」
 
「ダイエットは取り敢えず明日から考えたら?」
 

千里が昨年のインターハイの銅メダル、および昨年インハイとオールジャパンでもらった殊勲賞・敢闘賞のメダルも持って来ているのを見て、暢子が
 
「できたら、別の色のメダルも欲しかったな」
と言う。
「まあ、それは揚羽や雪子たちに任せて」
 
「やはり金メダルが欲しかったよね」
と隣から川南が言う。
 
「大会のもだし、学校のもね」
と睦子。
 
N高校の敢闘賞はブロンズ色で学校の校章の形をしており、殊勲賞は銀色で、旭岳をイメージした山の形のデザインである。この上に金色で女神の姿が刻まれたN高校名誉賞というのもあるのだが、過去に卒業生が5組(8人)もらっているだけで、在校生でもらった人はひとりも居ない。
 
するとその話を聞いていた絵津子が大胆に質問する。
 
「理事長さん!」
「何だね」
「全国大会でどこまで行ったら名誉賞をもらえますか?」
と絵津子。
「まあインターハイやウィンターカップ優勝とか、オリンピック出場とか」
と理事長さん。
 
「インターハイの2位ではダメですか?」
「うーん・・・・。優秀賞ならあげてもいいかな」
「それどんなのですか?」
 
「いや実は僕が先代理事長の秘書をしていた頃、何人かの理事さんと話したことがあるんだよ。過去に殊勲賞を取った人は200人近い、というか君たちでたぶん200人を突破したと思うんだけど、名誉賞はわずか5組。この中間のがあってもいいよねと話したんだよね」
と理事長さん。
 
「おお、ぜひ作りましょう」
と川南が言う。
 
「それ何色のメダルにするんですか?」
「金色にする。ただし名誉賞は金メッキに小さなダイヤまでちりばめているけど優秀賞は金色でも黄銅あたり、デザインは女神の顔にしようかとも話していたんだけどねー。名誉賞が女神の全体像だから」
 
「けっこう良いかも」
 
「君たちがインターハイかウィンターカップで準優勝になったら創設してあげるよ」
と理事長さんは言ったが
「でもどうせなら優勝を目指してよ」
と付け加えた。
 

翌日8月5日から9日までは午前中に夏休みの補習に出て、午後からは国体チームのバスケ練習に参加した。
 
補習は7月下旬からもやっていたのだが、千里はインターハイとその直前練習のため欠席していた。千里は一応高校3年生だし、国立理系コースなので、問題集などもハイレベルのものが指定されている。
 
他の生徒はみな半月前からかなり鍛えられていたものの、千里はここまで全く勉強していない。そして今日の補習でやる範囲も全く予習していない。
 
1時間目は数学で、微積分の問題だ。千里は頭を抱えた。
 
問題の意味自体が分からん! その頭を抱えていたところで当てられる。
 
「村山」
「はい」
「第5問。∫0から4の x√(x2+9)dx は?」
 
そんなの分かる訳ないじゃん!だいたいこの積分記号の上下に数字が入ってるのはどういう意味さ??
 
「32.66です」
と千里は適当に答える。
 
「え?」
と言って先生は何だか暗算をしている模様。
 
「合ってる」
と先生が言ったのに対して
 
「すげー!」
という声が教室のあちこちであがる。
 
「合ってはいるけど、この問題は小数ではなく分数で答えるように」
 
32.66が正解だったの?嘘みたい。これ分数にするのなら多分・・・
 
「98/3(3分の98)です」
 
このくらいの暗算はさすがにできるぞ。
 
「正解。インターハイ行っててもちゃんと勉強してたんだな、感心感心」
 
と言うと、先生はその問題の解き方を黒板で説明し始めた。
 
誰かぁ、この積分記号の上下に数字が入ってるのどういう意味か教えてよぉ。と千里が心の中で叫ぶと
 
『千里、進研ゼミの高2の数学あたりから勉強しなおしたら?』
と《きーちゃん》が呆れたように言った。
 

午前中(朝7時から12時までのたっぷり5時間)の補習が終わってから、国体の練習のためL女子高に行くのだが、蓮菜や京子たちと一緒に教室でお弁当を食べてから(蓮菜たちは午後は塾に行ったり図書館で勉強したりする)、初日、千里は南体育館に忘れ物があって取りに行った。するとそちらでは揚羽・リリカを中心とした20人程度の選手たちが汗を流していた。
 
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
 
とお互い声を掛け合ったが、千里はもうこのN高校女子バスケット部に自分は居場所が無くなってしまったんだというのを再認識して、物凄く寂しい思いにかられた。
 
昨日までは彼女たちの仲間だったのに・・・・。
 
もう自分の青春は終わってしまったのかな・・・・。そんな思いも心をよぎったが、気を取り直して、国体に向けて頑張るぞと思った。今からしばらくは自分が居る場所はその国体チームだけだ。
 

国体の練習は6月以来、L女子高の第2体育館(事実上バスケ部専用)で行っていた。そのため国体チームの子たちにはL女子高の門を通るためのIDカードが渡されていた。N高校もIDカードを使っているが、やはりL女子高も昨年の放火事件の後、セキュリティを強化したようである。
 
「ふーん。Chisato Murayama, Asahikawa N Highschool, age:17, sex:F か」
と千里のIDカードを覗いた橘花が言う。
 
「何か変?」
「いや、ちゃんと sex:F になってるんだなと思って」
「私、生徒手帳も女子だよ」
「そんなこと言ってたね」
「そもそも男性にはこの種のカードは発行しないらしいね」
「ああ、宇田先生は顔写真入りのカード持ってたね」
「うん。ICカードで指紋認証もされるらしい」
「きびしー」
「女子はこの通り磁気ストライプカード。将来的には生徒用のもICカードにするらしいけど、そのためには中等部も含めた全ての通用門にICカードの設備を設置しないといけないからお金が掛かるみたい」
 
「そうか。宇田先生は警備員さんが常駐している正門しか通過できないんだ」
「そうそう。私たちはどの門からでも出入りできるけどね」
 

しかし昨年はこういう練習も無しにいきなり当日呼び出されたなというのを考えると、今年は先生たちも本当に「勝つ気でいる」んだというのを感じる。
 
5日から9日までは基本的な練習は主としてこのチームでのコンビネーションの確認をした。またL女子高の新チームとの練習試合もした。L女子高も(溝口)麻依子や(登山)宏美などは部活引退となり、(鳥嶋)明里や(大波)布留子を中心とするチームに生まれ変わっている。但しふたりとも国体チームの方に参加しているので、この時期は(空川)美梨耶がキャプテン代行ということになっていた。
 
「N高組が凄く進化してる」
とR高校から唯一参加している(日枝)容子から言われる。
 
「私たち、N高校が関東方面に旅行している間に超進化して焦らせてやろうなんて言ってたのにね」
とM高校の橘花も言う。
 
「向こうで何か特訓でもしてた?」
とL女子高の(登山)宏美が訊く。
 
「そうだなあ。毎日315段の階段を往復したことかな」
と千里。
 
「うーん。旭川にはそんな長い階段は無かったかな」
とL女子高の(藤崎)矢世依は言った。
 

午前中の補習は続いていた。午前中に講義があるだけでなく毎日結構な宿題が出る。それは毎朝提出させられて、添削されて翌日返却される。先生たちも本当にお疲れ様である。千里は一応講義はしっかり聞き、宿題も頑張ってやっていたが、やはりここしばらく勉強などせずにバスケばかりしていたので、分からないことも多かった。
 
千里は英語は何とかなるし、化学はわりと好きなので結構いい線行く。数学はベクトルや連立方程式は悩むと何とかなるものの、やはり微積分がさっぱり分からなかった。また現国はその場で考えて何とかし、古文と漢文は想像力を豊かにして最後は勘で返り点を打ったりしたものの、さすがに世界史と生物は撃沈した感じであった。
 
「千里さあ、理科は何と何で受けるの?」
と蓮菜から訊かれる。
 
「うーん。化学と生物かなあ」
「千里、数学に関してはわりと勘が働くじゃん」
「うん。数学は微積分の所以外は考えれば分かるから」
「だったら物理を選んだら?」
「あんな難しいの無理〜」
「いや、物理の問題の大半は実際には数学で解けるんだよ。千里、数学の方程式が解けるんだから、絶対物理の方が生物より有利だから」
 
へー、そんなものかと考える。
 
「蓮菜は化学と物理?」
「うん。そのつもり。千里も同じ科目を選べば私も少しは教えてあげられるけど」
 
あ、教えてくれる人って貴重だ。
 
「お友達」
と言って千里は蓮菜の手を握った。
 
「よしよし」
「ついでに微積分教えて」
「いいけど」
 
「昨日の授業で当てられて焦ったんだけどさ、積分記号(∫)の上下に数字が付いてるやつ、あれどういう意味?」
 
「何〜!?」
 
蓮菜は難しい顔をして千里を見つめた。
 
横で京子が吹き出していた。
 

8月10日、千里は美輪子たちの市民オーケストラの定期公演に出演した。今回は「メイン・ディッシュ」は以前にも取り上げた横笛協奏曲『カムイコタン』の作曲者が書いた別の作品、組曲『サロルンカムイ』である。サロルンカムイというのはタンチョウヅルのことで、第1曲『ハラルキ(鶴の舞)』第2曲『チカップサイ(鶴の飛行)』第3曲『モコル(眠り)』という構成。その鶴の動きを表すのに布浦さんのピッコロと千里のフルートの二重奏を使用する。
 
千里は今回ずっとインターハイの練習に没頭していたので、オーケストラの練習には全く出られなかった。それでさすがにぶっつけ本番はまずいだろうということで、本番前に1回合わせてみたものの、きれいにかみ合って問題は無かった。
 
「優秀、優秀」
「じゃ千里ちゃんのラスト公演になる12月はメルカダンテをソロで吹いてもらうから、よろしくー」
「えーーー!?」
 
「あの曲知ってるでしょ?」
「知ってますけど自分で吹いたことはないです」
「知ってるなら吹けるよ」
 

それで幕が開き、演奏会は始まる。入りは50%くらいで、なかなか優秀である。前半は、今回はベートーヴェンの曲をダイジェストで演奏する。交響曲3番(英雄)、5番(運命)、6番(田園)、9番(合唱付き)の有名な部分だけ取り出して演奏し、そのほか、『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』のさわりだけ、『月光』『悲愴』『エリーゼのために』などのピアノ曲をオーケストラに編曲したもの、などを演奏した。
 
休憩をはさんで組曲『サロルンカムイ』を演奏する。布浦さんと千里が主役であるが、前半と違って観客のほとんどが聴いたことのない曲なので、睡眠客多発である。それで最後に『ソーラン節変奏曲』を、千里の篠笛をフィーチャーして演奏し、観客を起こした所で終了した。
 
後半寝ている客が多かったにもかかわらず、律儀にアンコールが掛かる。それで今回はヴァイオリンの演奏者で最も若い大学生の女子が出て行って『美しきロスマリン』を弾いたのだが、更にアンコールが掛かる。
 
「誰が出て行く?」
「やはりここは千里で」
 
やれやれと思ったが、龍笛を持って出ていく。そして先日、龍虎君を連れて群馬から仙台・青森まで飛行した時に「ウイタエ」で吹いた曲を演奏した。但し少し追加している。それは龍虎の手術成功を喜んで後から吹いた部分である。
 
例によって落雷があった。そして演奏が終わると物凄い拍手が起きた。
 
「千里、その曲は初めて聴いた。なんて曲?」
「Aqua Vitae」
「誰の曲?」
「こないだ私が作った曲です」
「すごくきれい。譜面もらえない?私も練習してみたい」
「すみません。まだ譜面は書いてないです」
「それはぜひ書かなきゃもったいない」
「そうですね。書いておこうかな」
 
「念のため録音しておいたから、分からなくなったらこれ聴くといい」
と言って、チェロの人がICレコーダを渡してくれたので、千里はいつも持ち歩いているパソコンにコピーさせてもらった。
 
「『アクア・ウィタエ』って、生命(いのち)の水ってこと?」
「そうですね」
 
と言いながら、あれで龍虎は寿命が延びたんだもんなあと思う。
 
「それって水銀のこと?」
「水銀もそう言うんですか?」
「どうだろう? ラテン語で《生きてる銀》argentum vivum、フランス語でもvif-argentというけどね」
「水銀って不老長寿の薬とみなされていたらしいですよね」
「それで権力者が長生きしようと水銀を飲み」
「それで水銀中毒になって死ぬ」
「よくあるパターンですね」
「現代でも健康のためなら死んでもいいという人いるし」
「それはちょっと違う気がする」
 
「あ、ブランデーのことを生命の水(*1)とも言いますよ」
とひとりが言う。
「確かにお酒を飲んで、生き返ったとか言う人もいる」
 
(*1)フランスでは二重蒸留方式で作った純度の高いブランデーをeau de vie 生命の水と言う。
 
「そういえば少し酔ってるような感じの楽しいフレーズもあったね」
「千里ちゃん、お酒飲んでないよね?」
 
「取り敢えず法令遵守で。実は先日、インターハイで埼玉に行った時、難しい手術を受ける男の子と知り合って、私たちみんなで励ましたんですよ。それで無事手術が成功したので、これは危機に陥るものの、助かるというストーリーの曲なんです」
 
「ああ、ハッピーエンドだなと思った」
「最後の方、凄く明るい音の響きで終わってたよね」
 
「でもその子、助かって良かったね」
「はい」
 
ちんちん無くなるぞと脅して、頑張らせたなんて言えないよね?
 

 
8月11日-12の2日間、正確には10日の夕方から13日朝までの約60時間は、旭川近郊の少年自然の家で国体チームのミニ合宿を行った。千里はオーケストラの公演が終わるとそのまま美輪子の車で少年自然の家まで送ってもらった(他の子はこの日の午後に送迎バスで先に入っている)。
 
この合宿の目的にひとつは、やはり寄せ集めチームなので連帯感を改めて深めておくことという感じであった。部屋も違う学校の子同士を同室にしていた。
 
千里は溝口麻依子(L女子高)・中嶋橘花(M高校)・日枝容子(R高校)と同室になったのだが・・・・
 
「前から確認しておきたかったんだ。千里ちゃんの性別問題」
と容子が言い、
「よし解剖してみよう」
と橘花が言う。
 
取り敢えず自主的に全裸になった。
 
「確かにちんちんは付いてないね」
と容子。
 
「付いてたら大変だよ」
と千里。
 
「全裸にしてみると、体つき、筋肉の付き方が確かに女子だというのがよく分かる」
と橘花。
 
「今回もインターハイ前に病院で検査を受けさせられたからね」
「大変だね」
「内診とかもされたの?」
「された。あれ何度やられても恥ずかしいよ」
 

そして合宿が終わった8月13日。千里たちはN高校のバスを使用して札幌市に向かった。このバスには定員に余裕があるので、この日の朝招集された男子チームも同乗した。
 
「えー?女子チームは合宿までやってたの?すげー」
とB高校から国体チームに参加した鞠古君が驚いたように言う。
 
「鞠古君、留実子から聞いてなかったの?」
と千里が尋ねる。
 
ふたりはちゃっかり並んで座っている。
 
「別に話す必要も無いし」
などと留実子はつれない。
 
「俺なんか昨日の夕方、国体予選に行ってきてと言われたのに」
と鞠古君。
 
「私たちも昨年はそうだったね」
と暢子。
 
「俺は前々から言われていたから、インハイの予選が終わった後もひとりで練習してたけど、女子みたいなチーム練習は無かったな、男子は」
と(N高校)の北岡君が言う。
 
「今年は6月にチーム結成して毎週合同練習をしてきたんだよ。5日以降は毎日午後から8時間くらい練習してたよ」
と千里。
 
「すげー!!」
「だって札幌チームは私たち以上にやってるよ。間違い無く」
「お前たち、本当に勝つ気でいるな」
「当然」
 

今年の国体の、少年男子・少年女子予選は、札幌市の美香保体育館(旧美香保屋内スケート場)と江別市の江別市民体育館を会場にして行われる。出場チームは男女とも14チームで旭川選抜と札幌選抜が男女ともシードされているので、試合は午後2時・美香保体育館での2回戦からである。(2面取られたコートで同時スタート)
 
千里たちの相手は留萌選抜を破って勝ち上がってきた北空知(深川市周辺)選抜であった。
 
「薫、深川市に住んでいるんでしょ?知ってる子とかいる?」
「私は去年まで東京にいたから」
「あ、そうか」
 
何人か道大会で見たような顔もあったが、実際対戦してみるとそんなに強い選手は含まれていなかったようであった。適宜交代しながら試合を進めて128対38で快勝した。
 
男子の方も北岡君たちのチームは南空知(夕張市や岩見沢市など)選抜に勝って、女子と同様明日に駒を進めた。
 

札幌市内のホテルに泊まり翌日の試合を迎える(男子はN高校のバスで旭川まで帰って自宅で寝て、また翌日朝からN高校のバスに乗り出てきたらしい。何だか男女で予算が違う!)。
 
この日は準決勝になるが男女とも会場は江別市民体育館である。先に女子の試合が行われたが、対戦相手は釧路選抜。顔を見ると半分くらいが釧路Z高校の選手である。キャプテンも松前乃々羽だ! 彼女はこちらの顔を見ると
 
「ダブルスコアで勝たせてもらうからよろしく」
 
などと言っていた。どうも千里や暢子の顔を見ると燃えるようである。
 
試合はかなり激しい戦いになった。序盤から点の取り合いである。一時は向こうが8点リードする場面もあったが、点差を付けられて薫にスイッチが入ったようで、176cmの長身を活かした空中戦でどんどん点数を重ねてあっという間に逆転。最後は89対87の1ゴール差で辛勝した。
 
試合終了後に握手した後、松前さんが薫にハグを求めたので薫も応じたのだが、松前さんは薫に抱きついたあと、いきなりお股に触った。
 
「ちょっ! 何するの?」
「やはりちんちん無いのか」
「なんでー!?」
「ちんちんある奴に負けたのなら不愉快だけど、ちんちん無い奴に負けたのならやはりわっちの修行不足だから、またウィンターカップに向けて頑張る」
「うん。頑張れよ。私は出てこられないだろうけど」
と薫が言うが
 
「留年して出ない?」
と松前さん。
「留年確実なほど赤点取ったら部活禁止されるよ!」
と薫は答えていた。
 
しかし松前さんと再度握手してこちらに戻って来た薫に暢子が訊く。
「やはり薫、もうちんちん無いのか?」
「ごめーん。そのあたりは内緒で」
「こないだまでは、あるけど隠していると言ってたけど、内緒でというのは、つまり無いんだ?」
「個人情報保護法で」
 

同時刻に隣のコートでは、札幌選抜(大半がP高校)が室蘭選抜をダブルスコアで倒していた。向こうが少し早く試合が終わったので、玲央美たちがこちらの試合をじっと見ていたようであった。
 
なおこの日の午後に行われた男子の試合では旭川選抜は函館選抜に敗れてしまった。これで北岡君の高校バスケは完全に終了となった。
 
「お疲れ様。残念だったね」
と千里は着替えて帰ろうとしていた北岡君に声を掛けた。
 
「なんか不完全燃焼」
「私も不完全燃焼のまま。やはりインターハイで最後まで辿り着きたかったという気持ちがまだくすぶっているのよね」
「俺もインハイに行きたかったよ」
「ごめんね。私にしても薫にしても女子になっちゃって」
 
「いや、村山にしても歌子にしても、女の子なんだから女子の試合に出るべき。だって歌子なんて、あいつ男子の試合に出してたら1年の時の村山と同様のトラブルに絶対なってるよ」
 
「まあおっぱいがあると、ホールディングしにくいしね」
「まあホールディングは反則だけどね。でもやはり1年の時、実際に練習の時、村山とは身体の接触が発生しないようにみんな気をつけてたから、女子の方に移ってくれて、ホッとした面もあったんだよ。得点力としては村山を失った痛手はあまりにも大きすぎたけどさ」
 
千里はあの頃のことを思い出して何故か顔が赤くなった。あの頃は実際に自分におちんちんが付いてたんだよなあと思うと何だか変な気分だ。
 
「この後はどうすんの? やはり大学進学コースに移る?」
と千里は北岡君に訊いた。
 
「まあ短大コースにいるスポーツ部の生徒はたいてい大学進学コースに転換だろうな」
と言って北岡君は笑っている。
 
「あのコースはスポーツ部用の大学コースだから。先生たちは最初からそのつもりで指導しているみたいだし」
 
「実は札幌のS大学から勧誘されてる」
「凄いじゃん」
「あんな強い所ではレギュラー取れる自信無いけどね」
「でも強い所で揉まれたら絶対伸びるよ」
「うん。それは思っているんだよね」
「インカレに出られるように頑張ってよ」
「うん。出たいね。村山も大学に行ってインカレ狙う?」
「まだ何にも考えてない」
「まあ村山はU18もあるし、その後でゆっくり考えてもいいかもね」
「そうだね」
 
千里は北岡君と再度握手して送り出した。
 

 
国体予選は最終日を迎える。
 
決勝戦は男女ともに12:00から、江別市民体育館で2つのコートで同時進行で進められる。もちろん千里たちの相手は札幌選抜である。向こうのメンツはこのようになっていた。
 
PG.徳寺, 伏山 SG.横川,伊香 SF 猪瀬,北見,早生 PF.宮野,河口,大空, C.佐藤,歌枕
 
PGの伏山さんとSFの早生さんだけが札幌D学園で、残りの10人は札幌P高校である。キャプテンの背番号4は(佐藤)玲央美が付けている。
 
「向こうのメンバーで2年生は猪瀬さんと歌枕さんだけか」
と暢子がつぶやく。
「向こうも来年は180cmトリオが居なくなってしまうのが辛いだろうね」
「たぶん来年のP高校は全く違うスタイルのチームになると思う」
「まあこちらも2年生は3人しか居ないから似たようなもんだけどね」
 
3人というのはN高校の雪子、L女子高の鳥嶋明里・大波布留子である。M高校の石丸宮子は予備登録になっていて、会場までは帯同しているがベンチには入っていない。もし今日勝てたら国体本戦に出場する時に全国大会に出場資格が無い薫と交代することになっている。
 

暢子と佐藤さんで握手して試合を始める。スターティングメンバーは、
 
旭川 PG雪子/SG千里/SF橘花/PF暢子/C留実子
 
札幌 PF徳寺/SG伊香/SF早生/PF宮野/C佐藤
 
というメンツである。コーチは旭川は宇田HC,瑞穂ACとN高校とL女子高の監督が務め、札幌は十勝HC,狩屋ACとP高校の監督・コーチがそのまま入っている。
 
ティップオフは留実子と佐藤さんで争うが背丈では劣る佐藤さんが技術の差でボールを確保して徳寺さんの方にタップ。札幌が先に攻めあがった。
 
札幌選抜はここまでの試合では偵察していた宮子によれば「普通に道内で見せる札幌P高校」のモードで戦っていた。しかし今日の相手は全国上位レベルと見て、最初から「本気モード」であった。インターハイのQ女子高戦で見せたような高速なパス回し、無用な溜めを作らない速い攻めを多用する。
 
しかし実は旭川選抜は、札幌選抜が当然そういう攻めをしてくることを予測して男子に練習相手になってもらって、かなり速いスピードの試合に慣れている。それで札幌側もこの「ブーストアップ」方式だけではこちらを圧倒することができなかった。
 
伊香さんのスリーはなかなか強烈である。千里が佐藤さんとマッチアップしているので、伊香さんは暢子がマッチアップしているのだが、抜けないとみると即スリーを撃って、高確率で入れるので、暢子はすぐにわざと抜きたくなるような隙を作り、スリーポイントラインの内側に誘い込んでから勝負する方法に切り替えた。しかしその作戦も向こうが佐藤さんが伊香さんの肩を抱いて、相手の戦術に引っかからないよう注意したので、向こうも抜けそうであっても敢えて中に踏み込まず、遠くから撃つ方式に戻した。
 
こういう微妙な心理戦を経て、前半を終わった所で48対44と札幌4点のリードという接戦になっていた。点数が多めなのは、どちらも千里・伊香さんのスリーでたくさん点を取っているからである。
 

第3ピリオド、向こうは徳寺さん・伊香さんを休ませて伏山さん・横川さんを入れてくる。しかし佐藤さんは出ているし、こちらも千里・暢子はそのままずっと出ている。そして徳寺さんが下がっているこのピリオドがこちらとしては勝負所とみた。
 
伏山さんがドリブルで攻め上がってくるが、予想通り徳寺さんに比べると速度が遅い。普通の女子高生ガードの速度である。河口さんに一度パスするも、明里が厳しくチェックしているので中に入ることができない。いったん伏山さんに戻し、伏山さんは佐藤さんに回す。千里とマッチアップだが、ここで薫が猪瀬さんを放置してこちらにヘルプに来る。佐藤さんは一瞬「え?」という顔をしたものの、フリーになった猪瀬さんへパスを送ろうとする。するとそこに横川さんから離れて猪瀬さんの近くまで走り込んできた暢子がパスカット。雪子にパスして、雪子が速攻で攻め上がる。
 
札幌が必死になって戻るが、雪子は自分を追って走り込んできた千里に後ろ向きにボールを放ってパス。千里がきれいにスリーを決めた。
 

旭川側の基本的な考え方はこうである。
 
札幌側の中心である佐藤さんは、登録上はセンターであっても、実際にはインターハイでアシスト女王になったように「ポイント・フォワード」的である。彼女は自分で何が何でも得点するというプレイをするより、その時最も得点を挙げやすいのは誰かというのを考えて、その選手を使う。
 
つまり佐藤さんが事実上の攻撃の起点なので、その佐藤さんを封じることができれば、向こうの得点力はガタ落ちするはずという予想をしたのである。
 
「元から絶つ」作戦である。
 
そのため、佐藤さんにはできるだけ2人で付くことにした。そうすると誰かをフリーにしてしまうので、素早くディフェンスポジションを交代することによって、数秒以上誰かがフリーになる事態は避けるようにしたのである。P高校の強い選手に対抗できるほどの粒よりの選手がそろっている国体代表だからこそできる戦術だが、このコンビネーションの練習にけっこう時間を取っていた。
 
また、これは凄まじい運動量が必要なので最初から40分間は続けられない。それで後半に仕掛けようということにしていたのであった。
 

佐藤さんが実質的にダブルチームを受けているので、普通なら誰かがフリーになりそうなのに、旭川の巧みな作戦で実際には誰もフリーになれない。まるで分身の術でもやられているような感じである。この戦術を宇田先生は
 
「5/4(4分の5)分身の術」
と呼んだ。4人が素早く動くことで佐藤さんにダブルチームしているのに4人をマークし続けるのである。
 
この旭川の戦術が成功して、このピリオドで旭川は逆転に成功。60対64と逆に4点リードを取るに至る。さすがの佐藤さんも、千里と薫、薫と暢子、暢子と明里のようにレベルの高いプレイヤー2人に付かれると、どうにもならない感じであった。そして佐藤さんが働けないと、予想通り札幌選抜の得点力は著しく低下したのであった。
 

「さて向こうはどう出ると思う?」
と最後のインターバルで宇田先生は訊いた。
 
「並みの監督なら、佐藤さんを替えるか、佐藤さんにはフォワードに徹しろと言って、徳寺さんと横川さんを起点とする攻撃パターンに切り替えさせるでしょうね」
と暢子。
 
「十勝さんなら?」
「佐藤さんと心中です」
「僕もそう指示するよ」
「ですから宇田先生も並みではありません」
「そこ、お世辞言っても何も出ないよ」
 

こちらは雪子・暢子が消耗しているので、最後は矢世依/千里/橘花/麻依子/容子というメンツで出て行く。向こうは徳寺/伊香/宮野/河口/佐藤という超攻撃的布陣である。
 
こちらは佐藤さんに常に誰か2人付いている状態で、千里・橘花・麻依子・容子の4人で、伊香・宮野・河口・佐藤の4人をマークするという「5/4分身」を掛ける。しかし向こうも対抗策を考えたようである。
 
佐藤さんのそばに宮野さんまたは河口さんのどちらかが付くようにした。これでこの付近の局所戦を1対2ではなく、2対3にしてしまうのである。1対2でやるよりはずいぶん分(ぶ)のある戦いである。
 
この作戦が成功して、向こうは第3ピリオドよりは得点力を上げることができた。加えて伊香さんにボールが行くと、高確率でスリーを放り込む。それで第4ピリオド前半を過ぎたところで70対73と、点差はわずかながら縮む。
 
また第3ピリオドでこの分身作戦を始めた時は、マークを切り替えるタイミングや次に誰が抜けた所に入るかというのをランダムになるように気をつけていたのだが、さすがに長時間戦っていると疲れてきてタイミングや移動パターンがどうしても画一的になる。そうなると、佐藤さんは味方の誰のマークがいつ一瞬外れるかというのを予測して、そこにパスを供給するという方法を取り出した。
 
そうなると『分身の術』は破られてしまい、フリーの相手にボールが渡ってそうなると確実に点を取られてしまう。更にこの方法の最大の欠点は様々な組合せのマッチアップが生じるので、どうしてもミスマッチな組合せができてしまうことである。それで残り1分の所でとうとう、伊香さんのスリーが決まって点数は81対80と再逆転されてしまった。
 

旭川選抜が攻め上がる。
 
矢世依から千里にパスが来る。向こうは小細工無しで佐藤さんが千里にピタリと付く。千里は佐藤さんの右側に一瞬隙が出来たのを見てそのまま右側に突っ込んだ。普通なら、佐藤さんのレベルの選手に隙ができる訳がないのであって、それは絶対に罠である。しかし佐藤さんが相手にしているのは千里である。それで罠と思わせて左に突っ込んで行くことを予測してそちらに本当に警戒しているであろうと千里は判断し、敢えて右に突っ込んだのである。
 
(こういう心理戦は深く考えるとだんだん訳が分からなくなる)
 
それで美事に佐藤さんを抜いて千里はスリーポイントラインのすぐそばまで来ることができた。
 
しかし!佐藤さんはまた目の前に居る。
 
佐藤さんって、みんな言ってるけどマジでひとり分身しているよなあと千里は思う。物凄く軽いフットワークがこの彼女の異様に素早い動きを支えている。エンデバーやU18の合宿で一緒にお風呂に入った時に見た佐藤さんの裸体は太股が凄く太かった。その筋肉がこの動きの源だ。彼女はどういう鍛錬でここまで身体を作り上げたのだろうと千里は興味を感じた。
 
佐藤さんは千里にスリーを撃たせないように手を高く上げて近接ガードしている。しかし千里は敢えてスリーを撃つ体勢に入る。佐藤さんがブロックしようとして千里の身体の動きを見てシュートのタイミングを見計らう。
 
腰を落として身体を勢いよく伸ばす。
 
佐藤さんがジャンプする。
 
しかし千里は指先だけでボールをコントロールして、《アイコンタクト》ならぬ《雰囲気コンタクト》によって中に飛び込んで来てくれた麻依子にバウンドパスを供給した。
 
佐藤さんがそれでも瞬時に手を下に下げて停めようとしたものの、ボールは一瞬速くその手の下をかいくぐって麻依子の所に到達した。さすがの佐藤さんもジャンプ中には移動できない。
 
彼女が振り返り、また向こうから河口さんがフォローに来る前に麻依子はきれいにボールをゴールに放り込んだ。81対82と逆転! 残り42秒。
 

向こうが攻めて来る。こちらは最後の力を振り絞って「分身ディフェンス」をする。向こうは苦しみながらも何とか伊香さんにパスを供給する。近くに居た橘花がチェックに行くが伊香さんは橘花を避けるようにして2歩遠ざかり、その2歩目でジャンプしながら空中でシュートを放った。
 
入って3点、84対82。
 
と思ったのだが、審判はツーポイントのサインをしている。
 
「え〜!?」
という声があちこちからあがる。
 
「済みません。今のは3点ではないのですか?」
と札幌の宮野さんが、スマイルスマイルしながら審判に尋ねる。
 
ここで厳しい表情で詰問するように審判に話しかけたらテクニカルファウルを取られるので、ぐっとこらえてスマイルである。
 
「ジャンプした時に、わずかながら足がスリーポイントラインの端を踏んでいた。よってツーポイント」
と審判は説明した。
 
スリーポイントラインはそのラインの外側がスリーポイントエリアなので線を踏んでしまうと、外側に居るとは認められず通常の2点になってしまうのである。橘花に追われてうっかり踏んでしまったのだろう。伊香さんは「あちゃー」といった感じの顔をしている。本人も踏んでしまったことには気付いたのであろうが審判が見落としてくれることを祈っていたのかも知れない。しかし、審判はこういう所はしっかり見ているものである。
 
 
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【女の子たちの夏進化】(1)