【女の子たちの夏進化】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-04-11
83対82で再開される。残りは21秒。旭川選抜の攻撃である。麻依子から矢世依にスローインのボールが送られたが、ここで佐藤さんが派手に矢世依をホールディングした。完璧に身体をつかまれて矢世依はボールを取れなかった。
審判が笛を吹いて佐藤さんのファウル。
ここで札幌は伊香さんを下げて早生さんを入れて来た。つまり選手交代をするためのファウルであった。ゲーム時間の最後の2分間は得点された側は選手交代ができるのだが、得点した側はできない。タイムも既に使ってしまっている。すると選手交代をするためにはファウルなどにより時計を強制的に止めるしかなかったのである。
試合時間は0.3秒だけ消費されて再度旭川のスローイン。
さて、ここで旭川は通常のゴールをひとつ奪えば逆転勝ちできる。さっきの伊香さんのシュートで3点入っていたらこちらもスリーを入れない限り勝てない所であった。3点シュートと2点シュートの違いはゲーム終盤になるほど重い。
24秒計は停まっている。札幌選抜は当然のことながら強烈なプレスに来る。こういう展開ではマッチングがあまり巧くない伊香さんではなく、そのあたりが強い早生さんという選択をしたのであった。
札幌が本当に必死のプレスを掛けてくるため、旭川はボールをフロントコートに運ぶのに7秒掛かってしまった。8秒ヴァイオレーションぎりぎりである。
取り敢えず橘花がドリブルをしながら札幌側の呼吸を伺う。
今入って来た早生さんが橘花の前で激しいガードをしている。しかし橘花は早生さんの一瞬の呼吸の隙を狙って、自ら右側から制限エリアの中に走り込んだ。
目の前に寄ってきた宮野さんがブロックのためにジャンプするが橘花は空中で体勢を変えて相手のタイミングを外すダブルクラッチをやってボールをきれいにゴールに放り込んだ。
と思ったのだが、ボールはわずかにリングの内側に触れて、反動で反対側に飛んで行ってしまった。そこに長身の麻依子が必死で飛びついてボールを確保する。河口さんの股の下を抜いて低い弾道のパス。それを容子が取り、早生さんとの短時間のしかし複雑なフェイント合戦を制してシュート。
しかしいつの間にか回り込んできていた佐藤さんがブロックする。
そのこぼれ球を宮野さんが確保した。
そして宮野さんは外側に居る徳寺さんにパスした。
と思ったのだが、徳寺さんはボールを受け取れなかった。
音も無く駆け寄っていた千里が宮野さんがボールをキャッチしてから投げる体勢に移行する間にできたわずかな隙に、彼女の手の中から巧みにボールをスティールしていたのである。そのまま山なりのシュートをする。ゴール真下に居た佐藤さんがジャンプしてブロックしたが、千里にはゴール・テンディングのように見えた。つまり、佐藤さんは落ち始めたボールを叩いたように思えた。(そもそもブロックできないように山なりにシュートしている)
しかし審判は笛を吹かなかった。
そして佐藤さんがボールをゴールのそばで弾くのとほぼ同時に、そのそばに走り込んできた橘花が力強く床を蹴って飛び上がっていた。
橘花は空中で手を伸ばして佐藤さんの弾いたボールを掴むと、素早く身体を縮めると同時に回転させ、佐藤さんと衝突しないように身体を交わす。そしてゴールの向こう側で落下しながらボールをゴールめがけて置くように軽くトスした。
彼女の手からボールが離れた瞬間、試合終了のブザーが鳴る。
ボールは今度はきれいにネットの中に飛び込んだ。
佐藤さんが着地した次の瞬間橘花も着地する。ふたりは大きく息をつきながら見つめ合っていた。
審判は得点を認めるジェスチャーをしている。矢世依がそれを見て「やった!」という感じにガッツポーズをしている。しかし佐藤さんと橘花はまだじっと見つめあっていた。
あのプレイはゴールテンディングを取ると旭川のスローインからの再開になるので、弾いたボールを札幌が取ったら笛を吹くが、旭川が取ったら流そうという審判の判断だったのだろう。
千里は橘花に歩み寄って背中をポンポンと叩き「ナイスシュート」と声を掛けた。そして千里も佐藤さんと見つめ合った。やがて橘花が手を出すと佐藤さんは初めて悔しそうな顔をして握手に応じた。
審判が整列を促す声を聞きながら、佐藤さんと橘花、そして佐藤さんと千里もハグした。
整列する。
「84対83で旭川選抜の勝ち」
「ありがとうございました」
こうして旭川選抜は国体本戦の切符を手にしたのであった。
この国体決勝が行われた8月15日は世間的にはお盆である。礼文島の貴司の父の実家には6月に亡くなった貴司の祖父(貴司の父の父)の供養が行われていた。本来は初盆になるのだろうが、亡くなった時期が盆に近かったため、話し合いの結果「初盆供養」は来年のお盆にすることになったものの、一応親戚一同集まりお線香をあげて・・・・宴会であった!
貴司の母・保志絵や、他の女性親族たちは、夫(貴司の父)の望信やその他男性親族たちの飲みっぷりに眉をひそめていた。千里は国体予選で来られなかったし、貴司もやはりサマーキャンプをしていて来られなかったのだが、貴司の妹の理歌と美姫も「酔っ払いって嫌い」などと言っていた。
「そういえば京平は元気?」
と保志絵は望信の母(故人の妻)淑子から尋ねられた。
「え?」
「貴司君とこの子供。何歳になるんだっけ?」
そういえば3月に旭川で望信の両親を貴司・千里に引き合わせた時、千里がそんなことを言っていたと思い出した。
「あの時、貴司君のお嫁さんの千里ちゃんが、じいさんだけに京平君の写真見せてくれたでしょ? 私も見たかったけど、千里ちゃん、ごめんなさいと言って見せてくれなかったのよね」
保志絵は少し考えて言った。
「京平はまだ生まれてないんですよ」
「え?」
「あの時、千里ちゃんがお義父さんにだけ写真を見せてあげたのは、お義父さんが逝く前に曾孫の顔を見せてあげたかったからだと思います」
「どういうこと?」
「たぶんあの写真はお義父さん以外の人がのぞき込んでも全然別の写真が見えてしまったんじゃないでしょうかね」
「そういうことがあるんだ?」
「あの子って、ほんとに不思議な子なんですよ。私、この子ってひょっとして神様なんじゃないかと思うこともあります」
「へー」
「だから、お義母さんは、ちゃんと京平が生まれてから生でその姿を見ることができると思いますよ」
と保志絵は微笑んで言った。ただ保志絵はそんなことを言いながら、子宮を持っていないはずのあの子がどうやって京平をこの世に連れてくるつもりなのだろうかと考えていた、
「そうか。じゃ、私も頑張らなきゃいけないね」
「故人には悪いけど、女はかえって夫が居ない方が長生きするとも言いますし」
「私、最近はやりのコンピューターゲームとかやってみようかなあ」
「ああ、そういうのなら理歌や美姫が」
「おばあちゃん、何かしたいのがあります?」
「どうぶつの森とかいうのが面白そうだなと思っているんだけど、そもそも何を揃えたらいいのかさっぱり分からなくて」
「あ、だったら今度DSと無線ルーターをお父ちゃんに買わせて持って来ますよ」
と理歌が言っていたら、向こうの方で未成年なのにお酒を飲みながらその話を聞いていたふうの従兄が
「理歌ちゃん、この島にはまだ光もADSLも来てない」
と注意してくれた。
「うっそー!?」
お盆の翌日(=国体予選が終わった翌日)8月16日から20日まで、N高校では四年制大学進学を希望する3年生を対象にした合宿が行われた。朝7時から夜9時まで、昼食と夕食の時間を除いた12時間勉強尽くしというハードな内容である。
「バスケの合宿並みだ」
などと千里や暢子は言っていた。ちなみに千里たち国体代表の5人(薫を含む)は講義が始まる前の朝5時から6時半くらいまで朱雀でバスケの練習をしていた。この練習には宇田先生が付き合ってくれたが、早朝からご苦労様である。
「さすがにこんなに勉強してると頭が真っ白になる」
などと夏恋などは言っていた。彼女は7月まではビジネスコースに所属していて専門学校を出て一般企業に就職するつもりでいたが、インターハイを終えて突然大学に進学して大学のバスケ部でインカレを目指す気になったのである。埼玉で最終日にもらった自由時間で東京の書店に行き参考書・問題集を買い込んできており、必死に勉強しているようだ。ただ彼女はインターハイ2年連続3位という実績があれば、どこかの推薦で入れる可能性が高い。
授業の内容としてはこの時期、高校1−2年の内容を徹底的に復習して基礎固めをするというのを主眼としていた。基礎をまずはしっかりしておかなければどうにもならないという趣旨である。
クラスは習熟度別の編成で、4クラスの内千里は最初は一番下のクラスに自主的に入っていたのだが、1日目を終わった所で「ここはもっと分かっていない子のクラス」と言われて結局上から2番目のクラスに移動された。
「えーん。このクラスの授業は難しいよお」
「C大に行くのなら、もうひとつ上のクラスまで浮上しないといけないよ、千里」
などと花野子から言われていた。
「花野子はこのクラスでいいの?」
「うん。私は今回はここで鍛えて、それを基礎にして浮上を狙う」
「なるほど」
8月18日(月)。桂木織絵は母と一緒に&&エージェンシーを訪問していた。
「織絵ちゃん、よく来てくれたね」
と白浜さん、麻生さんが歓迎する。斉藤社長とも挨拶する。
「この子が唐突にバンドでデビューしたいと言った時は何の冗談かと思ったんですが、熱心に父親を口説くし、社長さんも本当にいい方なので、父親も根負けしてしまいまして。取り敢えず半年くらいやってみて芽が出なかったら高岡に戻ってこい、という条件で認めたいという話になったのですが」
と母親は斉藤社長に言った。
斉藤社長は織絵の件でこの半月の間に3度も高岡まで来て礼儀正しい態度でぜひ娘さんを預からせて欲しいと申し入れた。
「でしたら、とりあえず3月までの契約にしませんか?うまく行けば4月以降もまた契約を更新。CDが5万枚も売れなかったら3月で契約終了ということではどうでしょうか? 今高校2年生ですから、3月で終われば4月から受験勉強に復帰して大学を目指したりもできますよね?」
「ええ、そうしてくださると助かります」
双方は事前に交換して内容も話し合っていた契約事項をひとつずつ再確認した上で契約することに同意した。来年の4月以降の契約については2月に話し合うことにした。
織絵は契約事項の中に24歳まで男性との交際・性的行為・男性との宿泊・婚約・結婚・妊娠を禁止するという条項があるのを見て「男性との」と断っているということは、女性との恋愛はいいのかなあ、などと漠然と考えた。正直このユニットに参加したいと思ったのは、桃香との関係をこれ以上続けると自分を見失ってしまいそうだったからというのもあった。桃香とのキスや抱擁、そして処女喪失寸前の快楽の時間の甘い記憶が蘇る。
それでもうサインしようという段階になった所で麻生さんが言った。
「実はね。XANFASのプロジェクトなんだけど、Parking Serviceが大変なことになってね」
と言って6人のメンバーの内の3人が脱落、もう1人も今度のライブを最後に引退することを話す。
「きゃー」
と織絵も母も悲鳴をあげる。
「それで逢鈴をXANFASからParking Serviceにトレードすることになった」
「彼女、歌がうまいですもん」
逢鈴はXANFASのリードボーカルの予定でここまで音源制作をしていたのである。
「それでね。織絵ちゃんも凄く歌がうまいよね」
と麻生は言う。
「はい。割と自信あるかな。彼女にはちょっとかないませんけど」
と織絵。
「声も澄んだ声だし、かなり高い方が出るよね。こないだの歌唱テストではD#6が出てたし」
「声域は自分でもあんなに広いとは知らなくてびっくりしたんですけどね」
「それでさ。織絵ちゃん、ギター担当じゃなくてリードボーカルになってくれない?」
「え〜〜〜!?」
8月21日(木)。千里たちの学校では夏休みが終わって授業が再開される。もっとも20日の夕方まで千里たちは受験勉強の合宿をやっていたので、結局20日は一時帰宅してまた翌日出てきたような気分である。千里はこの日は学校に出たものの翌日22日は学校を公休にしてもらって午前中自宅で旅の支度をした上で、お昼過ぎ旭川空港に向かった。美輪子も会社を休んで千里を空港まで送ってくれた。
U18代表候補の第二次合宿・第三次合宿が連続して行われるのである。
国体の合宿の後、道予選があり、更に受験勉強の合宿、バスケの合宿と連続して行われたので、千里は全然帰宅できない! それで着替えを19日夜に美輪子に学校まで取りに来てもらい、美輪子は翌20日1日かけてコインランドリーで洗濯乾燥を掛けて21日までに全部乾くようにしてくれた。結局このために美輪子は20日から22日まで3日間会社を休んでくれたのである。
なお、蓮菜が定積分を知らなかった千里に呆れて「これを勉強しなおしなさい」と言って渡した数学の参考書と、自主的に少し頭に入れようと用意した歴史年数の暗記本、それに千里の英語が「感覚英語」でわりと文法が怪しいことから蓮菜から渡されたグラマーの問題集も荷物に入っている。また担任からも結構な量の「プレゼント」をもらっている。
今回の第二次合宿は8月23-24日(土日)の2日間で、この春に出来たばかりの東京ナショナルトレーニングセンター(NTC)で行われ、第三次合宿はその後、31日までの日程でオーストラリアで行われる。今年のU18強化日程の中でのエポックだ。
千里は羽田に着くと京急と都営地下鉄を乗り継いで本蓮沼駅まで行く。到着したのは17時半すぎである。駅前でタクシーでもつかまえようとしていたら
「こらー、さぼるな!」
という声が聞こえる。見たらU18のコーチにもなっている札幌P高校の高田コーチである。
「こんにちは、高田コーチ」
と千里が挨拶したら
「村山、お前、代表候補だろ? ちゃんと走ってセンターまで行け」
と言う。
「え〜? 荷物多いんですよぉ」
「だから鍛錬、鍛錬」
「分かりました!」
仕方ないので、千里は着替えその他の荷物(当然ながらいつものパソコンも含む)が入っているバッグ2つを肩に掛けてセンターまで約1kmの道を走り始めた。
それで走って行っていたら、前方で大きな荷物を4つも抱えて歩いている子がいる。見るとQ女子高の鞠原さんだ。
「お疲れさまー」
と声を掛けて走り抜こうとしたら
「千里ちゃん、元気あるねー」
と彼女が言う。
「江美子さん、荷物凄いですね」
「だって海外に行くんだもん」
「どのくらいの重さですか?」
と言って持ってみると量が量だけあって、けっこう重い。
「あんたのは?」
と言って鞠原さんも千里の荷物を持つが、2個なので大したことないだろうと思ったようだが「わっ」と声を挙げる。
「何この重さは?」
「中にパソコンと鍵盤が入っているので。私、音楽関係のバイトしてて、その指導してくださってる先生から、いついかなる時もパソコンを持ち歩けと厳命されてるんですよ」
もっとも千里にそんなことを厳命した先生本人はまだこの時期海外逃亡中である。
「あんた、それオーストラリアまで持っていく気?」
「もちろんです。コンセントのアダプターも持って来ました」
「頑張るねー」
などと会話を交わしたのだが、結局鞠原さんは走る元気が無かったので、千里は
「それではお先に」
と言って、先に走って行った。
送ってもらっていたIDカードを提示して中に入る。トレーニングセンター内で受付を済ませ、資料をもらうと部屋割りも書いてある。佐藤さんと同室になっているようなのでそちらに行く。佐藤さんは既に入室していて
「おっす」
と千里に声を掛けてきた。
「どもどもー」
と千里は答える。
取り敢えずU18にいる間だけでも「名前呼び捨て・敬語無し」ということでお互い同意した。
「タクシーに乗ろうとしたら高田さんが居てセンターまで走って行けというから荷物抱えて走ってきたよ」
「ああ。私も走らされた」
「江美子がへばって歩いていた」
「まあ、あの子もちょっとスタミナ足りないよね」
「でもこないだの国体予選の後は一晩眠れなかったよ」
と玲央美は言う。
「去年のウィンターカップ予選では私が一晩眠れかったな」
と千里。
「今年のウィンターカップではリベンジするから」
「ごめーん。うちは原則夏までの活動だから国体で部活は終わり。U18は特例だけどね」
「うーん。このまま勝ち逃げされるのは悔しいな。留年してでも出てきてよ」
「こないだ薫もそれをノノちゃんに言われていたけどね」
「ただ千里がウィンターカップに出てくるのであれば、東京体育館での決勝戦で対決ってことになるけどね」
千里は彼女のことばが理解できなかった。
「なんで?」
「実はさ、来週くらいに正式発表されると思うけど、今年からインターハイの1位・2位のチームは、ウィンターカップに無条件で出場できることになるんだって(*1)」
「え?」
(*1)本当はこの制度ができたのは2009年からですが、物語の都合で2008年からとしています。
「だからうちは予選免除で出場できる。そこでN高校が北海道予選を勝ち上がってくれば、同じ北海道勢同士は別の山に置かれるから、両者トーナメントを勝ち上がれば、夢の北海道勢同士の本戦決勝戦というのもあり得るんだよ」
千里は考えた。
「それ絶対やりたい」
「U18で実績をあげたら、理事長さんに直訴してみなよ」
「本気で何か画策できないかな」
佐藤さんもまだ夕食を取っていないということだったので、一緒に食堂に下りていった。食堂には合宿メンバーが何人も来ていてお互い
「よろしくー」
「インターハイの禍根は取り敢えず忘れよう」
「アジア選手権終わるまで凍結ね」
「じゃそのあと殴り合いということで」
「ボールのぶつけ合いだよ」
「バスケットって格闘技だよねー」
などと軽く言い合った。
どうも話していると、みんな本蓮沼駅や赤羽駅からジョギングをやらされたようである。赤羽駅の方には愛知J学園の片平コーチが立っていたらしい。もっとも(鞠原)江美子を含めて、けっこう途中から歩いて来たという子もいた。ひとり(山形Y実業の)早苗だけが、東京駅からタクシーで来たのでジョギングはしてないと言った。
「東京駅からタクシーなんて、ブルジョワ〜」
という声が上がるが
「だって私、東京の鉄道路線図見ても全然分からない」
と早苗。
「あれは東京の人間でも分からないんだよ」
と(東京T高校の)星乃が言った。
翌日朝、最初にチーム代表の高居さんから話があった後、パスポートの再確認をする。するとお約束で忘れてきている子がひとり居る。秋田N高校の渚紗である。すぐに連絡してお母さんが東京まで今日中に持って来てくれるということになったが、わざわざ秋田からご苦労様である。
「オーストラリア行きの航空券をいったん配ります。自分の名前・年齢に間違いがないか確認した上で返してください」
と言われる。確かに今から持たせておくと、出発までに無くす子がいそうだ。
「名前のスペルも確認してください。パスポートと異なっていた場合、搭乗できない可能性があるので至急訂正させますので」
千里も渡された航空券を確認する。Chisato Murayama, Age 17, Sex F と書かれている。私の場合、名前のスペルが違ったりする可能性は無いだろうな、と思いながらチケットを見ていた。
これもお約束で違っているという子が出る。(大野)百合絵がパスポートと違いますと訴えた。彼女のパスポートは Yurie Ono なのだが、航空券は Yurie Oono になっていたのである。
「すぐに訂正させるね。大秋さんは大丈夫?」
「はい。私のはどちらも Oaki になっています」
「他はみんな大丈夫かな? 年齢も間違ってない?」
「性別が間違っている人いたりして」
「(熊野)サクラ、ちゃんと男になってるか?」
という声が掛かるが
「大変だ。Fって書いてある」
と本人も悪のりしている。
「そしたら女装して行かないといけないぞ」
という声が出て、場の雰囲気が和らいだ。
チケットを回収し、念のためパスポートもスタッフがいったん預かることにして一緒に集め、そのあとウォーミングアップを経て練習が始まるが、今回の2日間の国内合宿ではチームの一体感を高めるための練習がメインとなった。紅白戦を中心に練習したが5月の合宿とは少し組み分けが違っている。
A.朋美/千里/江美子/玲央美/誠美 +彰恵・星乃・華香
B.早苗/渚紗/メイ/百合絵/サクラ +桂華・路子
前回はAチームとBチームに若干戦力を分散させて競わせた感じもあったのだが、今回はどうもこのAチームのスターターが実際の試合でのスターター候補ということのようである。実際このメンツで試合をやると、Aチームが圧倒的に優位であった。
5月の合宿から成長している人も多い。特に(富田)路子は前回の合宿ではリバウンドをひとつも取れなかったのに今回は1〜2割取って急成長を印象付けた。やはりインターハイに来て強い所の試合をたくさん見たのが大きな刺激となったのだろう。
また(鶴田)早苗もかなり上手くなっていたし、(鞠原)江美子・(佐藤)玲央美は競い合うように成長しているので、Bチームの(大秋)メイ・(大野)百合絵が対抗しきれない場面が多々あった。江美子は本来はパワーフォワード、玲央美はセンターだが、ふたりともゴールに対して貪欲であり、また器用なプレイをするので、どちらもスモールフォワード的なお仕事もできるのである。実際玲央美はインターハイや国体予選などでも見せたように、副司令塔的な役割も果たし、ポイントガードの朋美とのアイコンタクトで、どちらが起点になるかを切り替えながら攻撃を繰り出すので、この戦い方にBチームは翻弄されていた。
「だけど指令系統が切り替わってもAチーム内では全然混乱が起きてなかったね」
と一息ついたところで百合絵が言う。
「千里は勘で切り替わりが分かっていたみたいだし、江美子は根性で状況に付いていくし、誠美は単純にボールが来たら取るだけだから」
と(橋田)桂華。
「つまり千里は巫女、江美子は野獣、誠美はロボットなんだな」
と百合絵が言うと
「それ当たっていると思うよ」
と星乃も言っていた。
「まあ千里は本当に巫女だしね」
と玲央美が言う。
「何?巫女さんのバイトとかしたことあんの?」
「もう5年以上やってるベテラン」
「すげー!」
「誠美も実はロボットなんだよ」
と同じ高校の星乃が言う。
「ほんとに!?」
「御飯を食べると体内でアルコールに変換して、それでディーゼルエンジンを回して稼働している」
「アルコールなら、酔っ払っているのでは?」
「うん。実は直接エチルアルコールを投入してもいい」
「それ完全に未成年飲酒」
誠美は笑っている。
その日の夜、千里が昨日担任から渡された「プレゼント」の問題集をしていたらトイレに行ってきた同室の玲央美が言う。
「今さ、トイレでふとサニタリーボックスのふたが完全にしまってないのに気付いてね」
「あ、ごめーん。ちゃんと閉めてなかった?」
と千里が謝る。
「いや、何気なくふたを開けてみたんだけど」
「うん?」
「使用済みのナプキンが入ってた」
「うん。今日生理が来たんだよ」
「千里、やはりマジで生理あるんだっけ?」
「女の子だもん。生理あるのは当然」
「生理があるってことは、卵巣や子宮もあるってこと?」
「まさか」
「ね、千里、元男の子だってのは嘘でしょ?」
「そんなことないと思うけどなあ」
第二次合宿は土日の2日間であったが、24日の夕方は早めに練習を終え、全員シャワーを浴びて汗を流したあと旅行用の服装に着替え、協会で用意したバスで成田空港に移動する。全員自分のチケットとパスポートを持ち、荷物を預けたあとセキュリティの列に並ぶ。
「国際航空券も国内航空券とそう違わないのね」
と千里は前に並んでいる玲央美と話していた。
「千里にしても私にしてもよく飛行機乗ってるよね」
「北海道は遠征するというと飛行機に乗らざるを得ないもんね」
「まあ津軽海峡を泳いで渡るのは辛いから」
「そんなの泳いで渡る人いるの?」
「いるよ。ドーバーより大変らしい」
「ひゃー」
などと言いながらチケットを見ていたのだが、玲央美はふと千里のチケットの《そこ》に気付く。
「ね。千里、性別がFになってるけど」
「え?だって私女だし」
「戸籍もう直したんだっけ?」
「ううん。あれは20歳にならないと修正できないらしい」
「ちょっと待って。だったらこのチケットでは乗れないよ」
「なんで?」
「だってパスポートと性別が異なっていたら出国審査で拒否されるよ」
「え? そうなの?」
「ちょっとパスポート見せてよ」
「うん」
それで千里がパスポートを玲央美に見せる。
「・・・・・なんであんた、性別女になってるのよ?」
「え?だって私女だし」
玲央身はしばらく悩んでいたが
「悩んでも仕方ないか。これで出国審査を通れることを祈ろう」
と言った。千里は何が問題なのか分からず、キョトンとしていた。
セキュリティではパソコンや携帯・財布などは外に出してくださいということだったので、パソコンとキーボードを外に出し、携帯・財布などはトレイに出す。
「このパソコン、起動してみてもらっていいですか?」
「はい」
それでちゃんと起動するのを見てOKとなる。キーボードも弾いてみせた。
「失礼ですが、音楽系の学校の学生さんか何かですか?」
「職業作曲家です」
「プロの方ですか。何か知名度のある作品とかはありますか?」
「そうですね。『See Again』とか」
「津島瑤子のヒット曲と似た名前ですね」
「その作曲者本人です。あ、名刺さしあげましょうか?」
と言って千里が鴨乃清見の名刺を渡すと「失礼しました!」と係員は言った。しかし係員はX線で浮かび上がったあるものに目を留めた。
「何か細い棒のようなものが多数入っているのですが」
「ああ、開けてみましょう」
と言って千里はそれを取り出す。
「これは何ですか?」
「筮竹です。占いの道具です」
「占い師をなさるんですか?」
「むしろ巫女(みこ)です。そちらの笛も神事で使用するものです」
「高価なものですか?」
「今回は高い笛は置いて来ました。それは樹脂製の5000円です」
「なるほど」
それでやっと通してもらった。
「巫女(みこ)って英語では何だろう?」
と佐藤さんが訊く。
「うーん。。。priestessかなぁ」
と千里も悩んだが、ふたりの後ですんなりと通過した(橋田)桂華が
「shaman(シャーマン)かも」
と言い
「ああ、そうかもね」
と千里・玲央美も頷いた。
「しかしその航空券とパスポートで本当に出国できるのかね?」
とさきほどのふたりの会話を少し離れた場所で耳にした桂華も不安そうに言う。
「何か問題があるんだっけ?」
と千里。
「いや、千里は男の航空券持ってた方がトラブルになる気がしてきたよ。実際千里は裸にしても男には見えないし」
と玲央美。
「千里の裸はまだ見たことがないな」
と桂華。
「見たければいつでも見せるけど」
と千里は笑って答えた。
セキュリティでは、百合絵はブラジャーのワイヤーが引っかかり、朋美は巨大なハサミが引っかかり(旅の途中で出たゴミの解体のために持っていたらしく、預ける荷物に移しておくのを忘れていたらしい。別途預かってもらうことにした)、星乃は何度やっても金属探知機が反応するので結局別室検査になってしまった。
「何が引っかかったの?」
と訊いても
「秘密」
などと言っている。何なんだ? でもそれきっと帰りも引っかかるぞ。
「金属製のおちんちんが付いてたとか」
と(鶴田)早苗が言ったら
「ナイロンストッキング丸めて作ったのしか使ったことないよ」
と星乃。
一瞬シーンとする。
「今のは武士の情けで聞かなかったことにしよう」
と(前田)彰恵。
「なんか大人の世界を垣間見た気がします」
と1年生の(富田)路子が言っていた。
その後、税関審査・出国審査と通る。出国審査は自動化ゲートを通るということで指紋登録をしてからゲートを通った。
「何の問題もなく通過したね」
と玲央美がホッとしたような顔で言う。
「いや、なぜ問題だったのかがよく分からないんだけど」
と千里。
「OKだったから、気にしなくていいよ」
と玲央美は言っている。実際考えても仕方ないと開き直った感じだ。
「万一千里が海外に行けないなんて話になったら罰金1000万円だな」
と桂華。
「そんなに払えないよ!」
出発ロビーで夕食のお弁当を食べる。お代わり無いんですか?という声があがっていたが、そういう子にはちゃんともう1個出てくる。さすがにもう1個は入らないという子たちが1個を2〜3人で分けて食べたりもしていた。
一息ついてから20時半発のシドニー行きに乗り込んだ。
フライトはシドニーまで約9時間(20:30成田発 6:20シドニー着だがシドニーは時刻帯がひとつ東側で6:20は日本時刻の5:20)かかるが、千里たちは練習のあと出てきたこともあり、全員熟睡していた。若干いびきの酷い子が近くの子から蹴りを食っていたようであるが、本人は蹴られたことにも気付かないくらいよく寝ていたようである。
入国手続きをして空港で朝ご飯を食べるが、星乃が
「なんでこここんなに寒いの? 真夏なのに」
などと言い出す。
「南半球は今冬なんだけど」
と桂華が言う。
「うっそー!なんで!?」
と星乃が驚いているので
「北半球が夏の時に南半球が冬だってのは、小学生レベルの話」
と百合絵からまで言われて呆れられている。
「まさか冬服持って来てないとか?」
「うん。夏用の服しか持ってない」
「私、たくさん持って来てるから貸してあげるよ」
と江美子が言っていた。
空港での食事のあと、一休みしてから市内の高校の体育館に行く。初日はここのチームと練習試合をすることになっていた。
ウォーミングアップ、準備運動の後、対戦する。やはりスターターは
朋美/千里/江美子/玲央美/誠美 というメンツが指名された。
相手チームのキャプテンと朋美とで握手をしてから始めるが、この最初の試合ではそんなに身長差は感じなかった。ポイントガードの人が170cmくらい、他の子もだいたい170cm代後半で、センターの子が185cmであったが、この程度であれば、ここに来ている子たちはみんな経験している。
ただ根本的に向こうの選手は「骨太」な感じである。ゴール下の乱戦でも当たりが強いので、やはり江美子(166cm)のような小さなフォワードは吹き飛ばされがちである。玲央美(181cm)はさすがに相手と接触しても平気だし、向こうのディフェンスの隙がほとんどない所を無理矢理こじあけて進入してシュートしたりする。途中で彰恵(169cm), 百合絵(174cm), 桂華(172cm), 星乃(167cm), メイ(174cm)とフォワードは代わる代わる使っていったが、百合絵や桂華はオーストラリア人フォワードともしっかり対抗していた。
ポイントガードの朋美(159cm)は向こうの選手からすると、小さいのがちょろちょろしている感じで、かなりやりにくかったようである。N高校の雪子がよくやるように長身の選手の手の下をさっとくぐって抜いてしまうので
「She is like a submarine!」
などと言われていた。その意味ではもうひとりのポイントガード早苗(164cm)だと、そういう効果はなく、長身の外人さん相手だとかえって小さい方が有利なのかもと思わせられた。
千里も渚紗も遠距離射撃で充分な成果を上げた。千里はフリーで撃ったのは全て入れたし、向こうから激しいチェックをされても、相手の一瞬の隙で距離を取ったりあるいは相手を抜いたりして撃つので向こうも対処に困る感じであった。渚紗も千里ほどではないが、かなり高確率で入れるし、ふたりとも発射のタイミングが読みにくいので、180cm近い選手がジャンプしてもブロックできないようであった。
そういう訳で試合としては98対74で快勝した。点数が多めなのはスリーでの得点が多いからである。
向こうと交款を兼ねた昼食会をしたが、千里や桂華、早苗など英語がある程度できる子は向こうの子たちとけっこう英語で会話していたが、彰恵やメイなど実際問題として学校ではバスケ以外ほとんど何もやってないという子たちは同行している通訳さんや、英語のできる子に通訳してもらっていた。
「メイ、さすがにbreakfastくらいは覚えておこう」
「ブレイクというから何か壊すのかと思っちゃった」
「星ってステラかと思った」
と彰恵。
「スターだよ」
とステラこと星乃がコメントする。
「じゃステラってフランス語か何か?」
「イタリア語。フランス語ならエトワール」
「お、なんか格好良い。私子供できたらエトワちゃんにしようかな」
「キラキラ・ネームになりそうだ」
「レオちゃんはけっこう英語できるね」
「将来W-NBAを狙いたいから英語は勉強してる」
「そうか! W-NBAに行くなら英語できないといけないか」
「チームメイトとコミュニケーション取れないと辛いよ」
その玲央美からも
「千里の英語は feeling Englishだ」
と言われてしまった。
「千里の英語って通じるけど文法がメチャクチャ。それでアメリカで生活できると思うけど、大学入試とかTOEICでは点数良くないよ」
「うーん。やはりマジメにグラマー勉強するか」
「ネイティブスピーカーとの会話で鍛えた英語でしょ?それ」
「そうそう。子供の頃、スケトウダラの船に乗る外国人の船員さんが結構いたのよ。それでその子供たちと遊んでいて、英語とかフランス語とか覚えた」
「なるほどー」
と言ってから玲央美は更に尋ねる。
「そういう外国人の子供たちって、千里は男の子たちと遊んでたの?女の子たちと遊んでたの?」
「女の子だけど」
「なるほどねー」
午前中の練習試合の後、午後からはシドニー校外のスポーツ合宿施設に入り、基礎的な練習をする。今回の合宿の臨時コーチをお願いしているオーストラリア人の指導者に色々と教えてもらったが、発想がとても実践的で、みんな納得していた。
「小型のビジネスジェットがジャンボジェットと喧嘩したって勝てない。ビジネスジェットはジャンボの下をかいくぐればいいんだ」
とか
「バスケットは体格より速度。相手より2割小さくても3割速く動けば勝てる」
などといった考え方は、それこそ日本人チームの活きる道かも知れないと千里は思った。
コーチはファウルの使い方についても熱心に話してくれた。過去に日本人を指導したことが何度かあるが、みんなファウルを悪いことだと思っていると言う。無駄なファウル、相手を傷つけるようなファウル、暴力的なファウルはいけないが、作戦としてのファウルはありだし、特に体格的に劣っている側は効果的にファウルを使うことで、相手の勢いを止めることができるとして、またファウルに関するルールブックの条項をしっかり読んで正しい理解をしておいて欲しいとも言っていた。
合宿所での初日の夕食はバーベキューっぽい牛肉料理で、みんな美味しい美味しいと言ってたくさん食べていた。
「これが本場のオージービーフか」
「え?オージービーフってオーストラリアが本社なの?」
「何それ?」
「オーストラリア産の牛肉をオージービーフというのだが」
「え?それ一般名詞なの? オージーという会社で生産している牛肉かと思ってた」
「牛肉を工場とかで生産していたらこわいな」
「牛肉の素を攪拌して、香料や保存料を入れて」
「赤身と脂肪を適度に組み合わせて、成形してできあがり」
「いや屑肉を成形して売ってる安い牛肉ってのはあるよね」
「うん。すっごくまずい」
「値段が異様に安いし、見た目でも整いすぎてるから何となく分かるよ」
このあたりは普段家の手伝いで買物をしている子や、自炊している子たちから意見が出てきた。寮暮らしの子たちの多くは寮の食堂でいつも御飯を食べているということで、料理や買物のことは分からないと言っていた。
「へー、ステラちゃん、自炊してるんだ。えらーい」
「レオちゃんも自炊派だよね?」
「私は栄養管理してるから。自分で作る」
「練習量も凄いだろうに、よくそこまでやるね」
2日目、26日は地元のクラブチームと対戦した。年齢が22-28歳くらいが主力ということもあり、みんな身体がしっかりできあがっているし、パワーがある。身長も180cm台がずらりと並んでいる。
試合としては82対40のダブルスコアで敗れてしまったものの、千里や渚紗の遠距離射撃には参ったと言われたし、フォワード陣の中でも玲央美や桂華は体格の良い向こうのフォワードに充分対抗していた。
「レオミはフレキシブルで幻惑される。ケイカは緩急があって勘が良い」
と向こうの選手のひとりがこちらを評していた。
「フレキシブルって何だっけ?」
「柔らかいってことでしょ」
「フロッピーディスクのことをフレキシブル・ディスクともいう」
「フロッピーディスクって何?」
「確か40-50年前にコンピュータのデータ記録に使っていたメディアだよ」
高田コーチが頭を抱えている。
「柔らかいってソフトじゃないの?」
「うーん。豆腐みたいなのがソフトで、ゴムみたいなのがフレキシブルかも」
「ああ、玲央美はゴム人間かも」
「玲央美は抜いたはずが目の前に居たりするからね」
「幻惑というより分身の術」
「分身の術って英語で何て言うの?」
「うーん・・・ドッペルゲンガー・マジック?」
「ドッペルゲンガーはドイツ語かも」
「でも確かに桂華は勘が良いよね。誰かにパスしたいと思ったら、ちゃんとパスできる所に居ることが多い」
この桂華の勘の良さは、所属チームではあまりその性能を発揮できていなかったのだが、レベルの高いこのU18チームでは、桂華をちゃんと使える人が多く、結果的に桂華の評価は高まった感じがあった。
「だけど今日のセンターの子、ほんとにがっしりとした体格だったね」
「身長2m近くあったね」
「196cmらしい」
「ああ、あの子、元男の子だって」
「マジ?」
「正確には現在でも男の子らしい。手術はしてないから」
「うそ」
「でも心は女だから参加認めているんだって。市大会までは出られるけどエリア大会以上に出るには、手術して最低でも玉を取っちゃうことが必要らしい。あの子も20歳すぎたら即、玉は取るつもりらしいよ」
「へー。付いてても地区大会までは参加認めるんだ?」
「そのあたりの基準はけっこう国や地域で違うみたいね」
「ああ、その件だけど、こちらとしてはたくさん強い相手とやりたいから、ぜひ出してくださいと言った」
と高田コーチが補足する。
「うんうん。こちらも歓迎」
「手術終えていても性別変更を認めない所もあれば、というか日本もほんの数年前まではそうだった訳だけど、本人が自分は女だといえば女だと認めてくれる所もあるみたいね」
「だけどその196cmの元男子センターに、うちのセンターは4人とも充分対抗していた感じがあった」
「うん、結構頑張ってた」
「3−4割取ってたよね」
今回の第二次合宿・第三次合宿の間、特に雨宮先生から唐突に「明日までに曲を書いて」などという連絡が入ることは無かった。実際問題としてこの時期は雨宮先生はアメリカに逃亡中だったのである。
それでも初めての海外旅行に千里は大いに刺激され、この一週間、毎日1-2曲の曲を書いていた。多くはメロディーだけだが、歌詞まで自分で書いたものもある。《きーちゃん》にあちこちの写真も撮ってもらったので、その写真とメロディをもとにあとで蓮菜に歌詞を付けてもらおうと思った。
自分で歌詞まで書いた曲の中に『Rock'n Rocks』という曲があった。これは合宿の息抜きに《こうちゃん》と散歩した時に海岸に立ち並ぶ奇岩群を見て書いたものである。《きーちゃん》が写真も撮ってくれた。
もうひとつ千里が歌詞まで書いたのは『メルボルンに吹く風』という曲でメルボルンに到着した時の印象を書いたものだが、この曲は後に『マルスに吹く風』と改題してKARIONの『大宇宙』というアルバムに収録されることになる。
代表チームは毎日向こうの高校生チーム、大学生チーム、クラブチームなどと練習試合をやりつつ、基礎的な練習を重ねた。中にはかなり体格的な差のあるチームとの試合もあったが、そういう相手にこちらは主としてスピードと小回りで対抗していった。
合宿の初期の頃相手に体格で負けていた江美子も元々が強敵に出会うと燃える性格なので、慣れるに従って相手をうまく「動体視力で」交わして攻めていくようになった。コーチたちはやはり玲央美と江美子の2人をフォワード陣の核と考えているようで、江美子が外人選手相手に充分戦えるようになってきたのを見て、ホッとしていたようである。
シドニーには25日から28日まで滞在し、29日から3日間はメルボルンに移動して、そちらのクラブチームなどとの対戦をした。
「どうもコーチたちの選手評価が微妙に変化してきてるね、ここだけの話」
とある日、玲央美は合宿所の部屋で千里に言った。
「私下がってる?」
と千里は訊いたが
「いや、ますます上がっている」
と玲央美は言う。
「協会も、千里や渚紗が、体格が大きくてフィジカルの強い外人選手相手にどのくらい実際に撃てるかというのを危惧していたみたいだけど、ふたりとも国内の試合と大差無い活躍しているから、やはりスリーというのが戦略の軸になってくると思う」
「玲央美は?」
「私は元々がセンターなのに、パワーフォワードあるいはスモールフォワードとして使う場合もある、とは最初から高田さんから言われていたんだげとさ」
「うん」
と答えながら、なるほどー、玲央美の情報源は高田コーチなのかと思い至る。
「試合の状況次第ではポイントガードもやってもらうと言われている」
「こないだの合宿では、シューティングガードの位置にも入れられていたよね」
「要するに、私は便利屋ということのようだ」
「いや、12人しか使えない状況では、そういう便利屋さんが居ないと厳しい」
「N高校でいえば白浜(夏恋)さんみたいなポジションだよね」
「あの子は器用だから」
「フォワードでは桂華はたぶん代表入り確定したと思う」
「へー」
桂華は背番号的には補欠要員である。
「本人には言わないでね」
「誰にも言わないよ」
「でもそれでは誰を落とすかは悩ましい所だろうね」
「みんな凄い子ばかりだもん」
「だけど全体的な傾向としては超強豪校の子の評価は下がり気味。私も含めてね。それほどでもない学校の子の評価は上がり気味。千里を含めてね」
「ふーん・・・」
「それほどでもない学校の子は、これまでその才能を充分に活かすハイレベルなチームメイトに恵まれていなかったんだよ」
千里は少し考えてみたものの、玲央美の言葉には直接返事ができないと思った。ただこう答えた。
「私、このチームでは上ばかり見ててあごが痛くなる感じだよ」
玲央美はまるで父のように大らかな雰囲気で微笑んでいた。
この時期、東京の某スタジオでは、随分とメンバーに変動があったXANFASがやっとデビュー予定曲『さよなら、あなた』の音源制作をおこなっていた。
当初の4人、逢鈴・碧空・黒羽・光帆のうち、碧空は不満を訴えて脱退、黒羽は喉のポリープの手術を受けたものの、回復が遅れていて、30分歌ったら1時間は休むように言われている。日常会話にも結構困るので、いつも友人の由妃が付いている。そしてリードボーカルの逢鈴はParking Serviceに転出してしまい、歌えるのは光帆だけになってしまった。そこに新たなボーカルとして富山県から出てきた織絵が「音羽」の名前で加わった。
またプロデューサーである麻生杏華の意向で生バンドと組み合わせてのパフォーマンスをすることになり、Gt.織絵(音羽)、Dr.由妃、KB:黒羽というメンバーで伴奏をする。現在は音源制作段階なので、音羽はボーカルとギターの兼任だが、ギターと現在欠員になっているベースは適当な人物がいないか調査中らしい。
取り敢えず現在はギターを音羽、ベースはスタジオ・ミュージシャンで鯛尾さんという30歳くらいの男性が弾いている。鯛尾さんはこれまで様々なアイドル歌手の制作やライブに関わっているということで、今回の制作ではけっこう麻生さんの相談相手にもなり、また若い光帆・音羽に歌い方のアドバイスなどもしてくれた。
なお、この時期光帆は音羽のことを
「思ったよりはマジメなタイプかな?」
などと思い、また音羽は光帆のことを
「思ったよりはとっつきやすいな」
などと思っていたらしい。
千里たちのオーストラリア合宿は31日、メルボルンの女子高生チームとの練習試合で終了し、帰国の途に就いた。31日の夕方、いったん国内便でケアンズに移動し、そこから成田行きの便で帰る。到着は9月1日の朝である。
成田空港で解散式を行い、9日間の合宿を終了した。それで千里が玲央美と一緒におしゃべりしながら、羽田空港行きのバスの方に行こうとしていた時だった。
「そうだ。携帯のスイッチ入れとかなきゃ」
と言って電源を入れると、何だか大量にメールが入っている。その中に新島さんから「帰国したらすぐ連絡して」というのが何通もあったので千里は玲央美に断って電話してみた。
「おはようございます。村山です」
「千里ちゃん、今国内?」
「はい、さっき成田に着きました」
「蓮菜ちゃんに聞いたけど、千里ちゃん、オーストラリア行ってたんだって?」
「はい。バスケの合宿だったんですよ」
「大変ね!実は千里ちゃんの帰国を待ってたのよ。私ちょっとアメリカまで行ってくるから」
「はい?」
「雨宮さんの仕事がたまってるし、あちこちから雨宮さんと打ち合わせしたいって話が来てるのに、電話にも出ないしメールにも返事しないからさ。千里ちゃんのおかげで所在は判明したから、毛利君を呼びに行かせたんだけど、あの馬鹿、うまく丸め込まれているみたいで、全く埒(らち)が明かないのよ。仕方ないから私が連れ戻しに行ってくる」
「それはお疲れ様です」
「それで帰国早々申し訳無いんだけど、あの風来坊と馬鹿を連行してくるのに一週間くらいかかると思うからさ、その間私の仕事の代行をしておいてほしいの」
「へ?」
「日々私のメールアカウントとマンションのFAXに仕事の依頼が入るからさ。それをできそうな人に割り振って依頼を掛けて、それから納品されてきた楽曲をチェックして、内容次第では再提出要求、ちょっとした修正なら自分で直して発注元に送る」
「私には無理です!」
「他に頼れそうな人がいないのよ。(田船)美玲も(鮎川)ゆまも、今アルバム制作が佳境で全く余裕がないみたいでさ」
「私も学校があります!」
「そこを何とかお願い。今回は自分で曲を書くんじゃなくて、割り振りだけだからさ」
でも私、意図した相手に正しくメールを送信する自信無いよぉ。
と千里が心の中で弱音を吐いたら《きーちゃん》が助け船を出した。
『千里、私がやってやるから』
『ほんと?助かる!』
「分かりました。何とか頑張ります」
と千里は答えた。
「ありがとう。千里ちゃん今から北海道に帰るんだっけ?」
「そのつもりでした」
「JR?飛行機?」
「飛行機です。10:40のエアドゥに乗るつもりだったんですが」
「第2ターミナル?」
「そうです」
「じゃ、羽田の第2ターミナルで会おう。資料関係渡すから。私はそのあと成田に向かう」
「ほんとにお疲れ様です!」
9月上旬、大阪。
国体チームの練習に出た貴司は練習の観戦に来て知り合った女性と深夜のデートをしようとしていた。取り敢えずスタバで待ち合わせて、今夜はまずはお話しだけ。次回以降はひょっとしたら、ひょっとした展開もあるかも、などと考える。
千里のことは好きだし、つい先日もオーストラリアで投函した向こうのスタンプが付いた絵はがきをもらった。千里との再会を切望しているものの、なかなか実現しない。インターハイの時期に関東方面に仕事で行ったものの、さすがに選手規律上、自分が千里の宿舎などを訪れる訳にはいかなかった。そんなことをしているとまたまた浮気の虫が騒ぐのである。
(但し中学2年以降貴司は浮気の機会をことごとく千里に潰されているので、千里以外の女の子とのセックスどころかキスも経験していない。また貴司は風俗などに行く気にはならず、同僚から誘われても『俺フィアンセいるから』と言って断っている)
激しい練習の後の身体が要求するので甘いコーヒーを飲みながら待っていたら、やがて彼女がやってくる。手を振ると向こうも手を振る。
「あ、もう注文してたのね」
「ごめーん。ちょっと疲れていたから、甘い物が欲しくて」
「ううん。私も注文してくるね」
と言って彼女は正面のカウンターの方に行った。どうも人が多くなっているようで、時間が掛かっている。貴司は携帯を取り出してメールをチェックする。千里から「もしかしたらウィンターカップに出ることになるかも」というメールが来ていた。へー、どういう経緯でそうなったんだろう?あとで電話してみるか、などと考えていた時、彼女がやっとカップを持ってこちらにやってくる。どうもフラペチーノを頼んだようである。
彼女は最初貴司を見て笑顔を作ったが、次の瞬間、怒ったような表情になる。
「あんた誰?」
と貴司の隣にいる女性に訊く。貴司は彼女の視線に驚き自分の横を見ると、千里だ!?
「私、細川の妻ですけど、あなたは?」
と千里が答える。
「奥さんが居たの!?」
「あ、いや、そのこれは・・・」
と貴司は言い訳を思いつかない。
「ひどい。奥さんがいる癖に私を誘ったのね。しかも待ち合わせ場所にその奥さんを呼ぶなんて、私に恥を掻かせて楽しいわけ?」
と言うと、持っていたフラペチーノを貴司に向かって投げつけた。
「知らない!」
と言うと向こうに急ぎ足で行ってしまう。
ところが彼女が投げつけたフラペチーノが貴司に当たった後、隣の席まで飛んで行った。
そちらの席に座っていた22-23歳くらいの女性がフラペチーノの直撃を受けて髪から着ていた服から、ひどいことになっている。
「すみません」
と言って貴司は彼女に謝った。
「あ、いえ。私がぼんやりしていたから。服は安物ですし」
と言う。
貴司は千里に
「ね、千里、何か拭くもの持ってない?」
と訊いた。
しかし反応が無い。え?と思って振り返ると誰もいない。貴司はカップが直撃した女性に尋ねる。
「今ここに女の子が居ましたよね?」
「え?おひとりだったと思いますが、今向こうに行っちゃった女の子以外は」
と彼女は返事した。
また千里の幻か〜〜!?と貴司は思わず天を仰いだ。そしてカウンターの方に行くと、お店の人に
「すみません。フラペチーノを隣の人に掛けてしまって。タオルか何か貸してください」
と頼んだ。
柱の陰でこそこそと話し合う声があった。
『ねぇ、浮気を潰そうとして、別の浮気の種作ってしまったのでは?』
『ちょっと失敗。あんなに怒りっぽい女だとは思わなかったのよ』
『まあどっちみち、貴司君は千里以外の女性の前ではアレが使えないんだけどね。本人自身が無意識に暗示を掛けちゃったし、妹連合も、おまじないを掛けちゃったし』
『男の前では使える訳?』
『・・・・その事態は想定してなかった』
『貴司君、けっこう怪しいよ、そちら方面』
『でも貴司君ってどっちよ?』
『そりゃ受けでしょ』
『じゃアレは無くても良かったりして』
『・・・・いっそ取っちゃう?』
『無くなると性欲が消えて浮気もしないだろうけど、無いと千里が困るからな』
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【女の子たちの夏進化】(2)