【女の子たちの秋の風】(1)

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2008年8月下旬。湧見昭子は大人びたワンピース姿で札幌駅を出ると予め印刷しておいた地図を見ながら目的地に向かって歩いていった。心臓がドキドキしている。お母さんごめんなさい。ボクもう我慢できないんです。そんなことを心の中で思っていた。
 
通りで何か配っている人がいる。どうも見ていると若い女性だけに渡している感じ。ボクもらえるかなあ、と思っていたらちゃんと渡してくれたので嬉しくなった。見てみると新商品のシャンプーとリンスのようである。何だかふたりの女性の顔がプリントされている。Dogs×Cats? 知らないなあ。新人歌手かなあ、などと思いながらバッグに放り込んだ。
 
やがて病院に着き「予約していた湧見と申します」と言う。問診票を渡されたので記入した。湧見昭子・生年月日1988年5月15日・性別女と記入した。病歴やアレルギーなどに関する質問に全て「いいえ」と答える。熱・血圧などを測られやがて診察室に入る。わあ、女の先生だ。
 
「去勢したいって、卵巣取りたいの?」
「あ、いいえ睾丸を取りたいのですが」
「あんた、睾丸付いてるの?」
と先生が驚いたように言う。
「はい、すみません」
と言って昭子は恥ずかしそうにうつむいた。
 
「ちょっと見せて」
というのでベッドに横になり、ワンピースの裾をめくってパンティを下げた。
 
「へー。あんたみたいな子に、こんなものが付いてるのは間違ってるよ。玉だけじゃなくて棒も一緒に取っちゃおうか?」
「でもそんなに手術代がないです」
「分割払いにしてもいいよ」
「えー!?どうしよう」
 
「君にはこんなものふさわしくないよ。君みたいな可愛い子には割れ目ちゃんがあって、ヴァギナがあるべきなのよ。ヴァギナ欲しいでしょ?」
 
昭子は実際問題としてそこまで考えたことがなかったので、かぁっと顔が真っ赤になってしまった。ヴァギナ?そんなものがボクの身体にできちゃうの?嘘みたい。
 
「でもおちんちん取る手術って、回復に時間がかかりませんか?」
「君若いみたいだから、3ヶ月もあれば回復するよ」
「それでは困ります。私、バスケットの選手で13日には大事な試合があるんです。私、中心選手だから抜けたら叱られます」
 
「うーん。それなら仕方ないか」
と先生は残念そうである。
 
「じゃ、おちんちん切りたくなったらいつでもおいでよ。ほんとに手術代は分割にしてあげるからさ」
「はい!」
 

昭子が昨夜8時以降は飲食していないと申告すると、心電図のチェックをした上で1時間後に手術を始めますと言われた。病室に案内され、若い看護婦さんから剃毛されるとドキドキした。
 
「女性ホルモンやってるの?」
と訊かれる。
「いえ。やりたいけどまだやってません」
「ふーん。でもこれ立たないのね?」
「ボクの立ちにくいみたい」
「でも玉取っちゃったら、もう2度と立たなくなるよ」
「全然構いません」
 
やがて先生が病室に来て最後の診察と意思の確認をする。
「ほんとに手術していいね」
「はい、お願いします」
「じゃこれ忘れない内に先に渡しておくよ」
 
と言って先生は昭子に「手術証明書」というのを渡してくれた。
 
《湧見昭子。右の者は2008年8月**日、当病院にて睾丸の除去手術を受けたことを証明する》
 
「あんたバスケの選手と言ってたけど男子選手だよね?」
「女子の試合には練習試合とかには出してもらっているんですけど、公式戦では男子の方に出ています」
「これを持っていればたしか2年経過したら女子選手としてプレイできるよ」
「わあ」
 
と言って昭子はその証明書を抱きしめるようにした。
 
それでストレッチャーに寝かせられ手術室に運ばれる。部分麻酔をされる。
 
「最後の最後の確認。睾丸を除去してもいいね?」
「はい、お願いします」
 
「ね、ついでにおちんちんも切っちゃおうよ」
などと先生は昭子のおちんちんを弄びながら言う。
「これ邪魔でしょ?」
「邪魔ではあるんですけど・・・」
「じゃ切っちゃおうよ」
 
昭子はかなり心が揺らいだ。でも入院とかしてたらそもそもお母さんにバレちゃうし。
 
「いづれ切りたいですけど、今日はタマタマだけで」
「了解〜。じゃ手術始めるね」
 

ジーという機械音がして肉の焼けるような臭いがする。きゃー、今切開されてるんだ、と思う。
 
「今左の睾丸を取り出した。これを今から切るよ」
「はい」
「プチッ。切っちゃった。ポイ」
 
昭子はドキドキした。きゃー。ボクもう男の子じゃなくなっちゃった。
 
「じゃ次は右の睾丸も取っちゃうね」
「はい」
 
と昭子が答えた時だった。手術室のドアがバタンと開く。
 
「先生、今日は手術の予定は無かったはずですが」
と入って来た人物が言う。どうも年配の看護婦さんのようである。
 
「急患なのよ」
「去勢手術が急患というのはどういうケースです?」
 
などと言って昭子の顔をのぞき込む。
 
「だいたい、この患者さん、どう見ても未成年ですよ」
 
医師は渋い顔をして昭子に訊く。
 
「あんたいくつだっけ?」
「20歳です」
「生年月日は?」
「1988年5月15日です」
「えとは?」
「えとですか?」
「ネズミ年とかトリ年とか?」
「あ、えっと・・・・」
 
昭子の本当の生年月日は1991年5月15日でヒツジ年である。それを3年誤魔化していたのだが、ここで昭子は焦っていたので3つ前を言わないといけないのを間違って3つ後を言ってしまった。
 
「イヌ年です」
「イヌ年なら14歳になるけど」
「あれ〜〜?」
 
医師はやれやれという顔をしていた。
 
「先生、手術を中止して下さい」
と看護婦。
「でも睾丸1個取っちゃったけど」
と医師。
 
「もう1個残っていれば機能に大きな支障はないはずです」
「仕方ない。このまま縫っちゃうよ」
 
え〜!?そんなあ。
 
そういう訳で昭子の手術は途中で中止され、代金も要らないからこのまま帰りなさいと言われて病院から追い出されてしまった。一応麻酔が切れた時に痛くなったら飲みなさいと言われて痛み止めをもらった。でも傷口保護のためにショーツに大型のナプキンを付けてもらったので、ドキドキする気分だった。
 

「先生、本人確認をきちんとして、きちんと手順書通りにしていただかないと、資格を失いますよ」
と年配の婦長が先生に注意する。
 
「日本って面倒くさいなあ。またアメリカにしばらく行ってこようかな。向こうなら、いくらでもおちんちん切りたい放題なのに」
 
「向こうでも未成年はダメでしょ?」
「本人が20歳以上だと言えばいいのよ」
「そんなことしてたら、向こうでも絶対訴えられますよ」
 
「面倒くさいなあ」
「それに日本はかなり事情が違いますし」
「だけどさ、日本でも早くおちんちん切りたいと思っている子はたくさんいるはずなんだよ。今の子みたいに」
「とにかく20歳過ぎて、最低2名以上の医師のGID診断書を取ってもらって」
 
「その20歳まで待てというのがどんなに酷なことか、あんた分からない?あの子たちは、日々自分の身体が男性化していくので、死にたくなる思いをしているんだよ。きちんとした統計は取られていないけど自殺しちゃう子もたくさんいると思う。私はそういう子たちを救ってあげたいんだ」
 
「手続きは踏んで頂かないと。そうしないと本当に資格を失いますよ」
「その手続きがおかしいんだよ。性転換手術は本当なら10歳、せめて16歳くらいでしてあげるべき」
「日本では認められていません」
「あぁあ、やはりアメリカ行ってくるかなあ」
 
と言って松井医師は伸びをしたが、ふと床に何か落ちているのに気付いた。
 
「何だろう?」
「今の患者さんが落としたんでしょうかね」
「届けてあげるべきかな。ん?シャンプーのサンプル?」
「道で配っているものでは?」
「じゃ別に連絡しなくてもいいか」
 
と言って、松井医師はそのシャンプーの成分表示を見ていた。
 
「ん?」
「どうかしました?」
「このシャンプーに使用されている成分、日本ではまだ認可が下りてなかったはずだよ」
「そうなんですか?」
「アメリカでは許可下りてるけどね。これ日本では発売できないはず」
「あら」
「通報してやる。楽しい楽しい手術を中止させられた腹いせだ」
「あらあら」
 
それで松井医師は厚生労働省の課長をしている友人の携帯に電話を掛けた。
 

千里はオーストラリアでU18の合宿をしている間、ずっとU18以降の自分とバスケットのことを考えていた。
 
思えばバスケットって中学1年の時に節子さんや久子さんたちに唐突に女子のチームの助っ人に借り出されたのがきっかけで始めて、その後貴司との出会いから正式に女子バスケット部に入ることになったんだった。あれから5年半。いつの間にかインターハイまで行ってBEST4になり、こうして今はU18日本代表候補にまでなってバスケをしている。
 
でも自分にとってバスケットって何なんだろう。
 
千里はオーストラリアのコートを走り回っていて、自分のバッシュがかなり傷んできているのを認識していた。最初のバッシュは貴司のお母さんに買ってもらった。今履いているバッシュは事実上、旭川Q神社の斎藤さんに買ってもらったようなものだ。
 
このバッシュの寿命が自分のバスケット人生の寿命なのかも知れないな。
 
中学・高校で5年半もバスケやったら充分だよね。
 
この合宿に来ている子たちはみんな高校を卒業しても大学や実業団などでバスケ続けるみたいだけど、私は彼女たちみたいに大した才能も無いし。U18代表に選ばれたらそのアジア選手権で終わりにしようかな。
 
でも玲央美から聞いた話、ちょっと心が揺らぐな。
 
P高校が道予選に出ずに、他の学校で北海道代表を争う。去年総合の道予選に特例で3年生を2人出してもらえたように、今年も3年生を特例で使ってもらえないだろうか?
 
もしウィンターカップに出られたら、それを自分のバスケ人生の花道にしたい。
 

千里が東京・オーストラリアでU18の合宿をしていた時期、旭川では国体選抜チームが練習を続けていた。この時期、選抜チームは主として旭川地区の強豪男子大学生チームであるH教育大・旭川校のチームに練習相手になってもらい、男子大学生のスピード感やフィジカルの強さに気合い負けせずに戦う練習をしていた。
 
図らずも、千里がオーストラリアで大柄な外国人選手との試合を経験している間、旭川組もやはり体格の大きな選手との戦いをしていたのである。これは国体でぶつかる可能性のある、愛媛県チーム(四国代表)との戦いを想定したものであった。
 
とにかく、背の高い選手に取り囲まれてしまうとどうにもならないので、取り囲まれる前に、ボールを受け取ったらすぐ動くか、パスするかを2秒以内に決断しよう、と指導している宇田先生・瑞穂先生は選手たちに言った。
 
これが割とすぐにできたのは、暢子・橘花・麻依子の3人だが、2年生の宮子・布留子なども「来年はあんたたちが中核になるんだから頑張れ」と言われて練習に取り組んでいた。
 
「スピード・バスケットって脳内革命が必要なんですね」
と布留子は感想を言う。
 
「そう。普通の女子の試合みたいに、チンタラ攻めていたらダメなのよ。無駄に時間を使わず、どんどん走ってどんどん投げる」
 
「でも急いでも焦ってはいけない。パスもシュートも正確に」
「声も出し合って、今どこにボールがあるのかしっかり把握する」
 
「なんか脳味噌が疲れるんです!」
 
「このスピードに慣れたら、男子選手に性転換してもやっていけるかもね」
 
「性転換もいいなあ・・・」
「ここに居る子は、結構性転換したら?とか言われた経験のある子多いはず」
 
「ああ、私もよく言われてた」
と橘花が言う。
「小学生の時も中学生の時も、私より背の高い男子がクラスに居なかったもん」
 
彼女は(公称)182cmである。
 

判決を聞いて桜川陽子は父、父の元妻、その娘の広子(陽子の異母姉の異父妹)、そして弁護士とともに裁判所を出てきた。近くのレストランの個室に入って少し話をした。
 
「控訴すれば無罪になる可能性はあると思います。この裁判官は責任能力について検察寄りの判断をしました。それに被害の弁済が終わっていることを過小評価されたと思います」
と弁護士は言ったが、陽子は反対した。
 
「それは姉が望まないことだと思います。姉はあれだけの事件を起こしたことについて、最低限の償いをしなければならないと考えています。無罪放免されたら、姉は自分の心を安定に保てないと思います。服役することが姉の心の救済にもなるんです」
 
と陽子は言った。
 
「私もそれに賛成です。悪いことしたら罰を受けるのが当然であって、それを諸事情で免除したら本人の心の中でもっと罪悪感が大きくなってしまいます」
と広子も言った。
 
父親が発言する。
「法律用語がよく分からなかったのですが、服役期間から未決拘置期間は差し引かれるのですよね?」
 
「引かれます」
と弁護士。
 
「模範囚なら刑期の3分の2を過ぎたら(*1)仮釈放になる可能性もありますよね?」
と広子。
「確実とは限りませんけど」
と弁護士。
 
(*1)法的には3分の1が過ぎると仮釈放可能なのだが、仮釈放中の人による犯罪が多発したことなどもあり、現在3分の2過ぎてからという運用がなされている。
 
「再度私自身があの子と接見して確認したいと思いますが、私も控訴はせずにこのまま確定させていいと思います。そして出所してきた時、暖かく迎えてやりたいです」
と父親。
 
「あの子が出所してきた時、どこで暮らさせるの?」
と母親は少し不安そうな声で言った。
 
「それだけどさ。うちの牧場に来ないかって、お姉ちゃんに言ってくれない?オーナーも、マジメに更正するつもりがあるなら歓迎と言ってる」
と陽子。
 
「牧場か・・・・そういう環境がよけい、いいかも知れないな」
と父親が言う。
 
「私もそこの牧場にお邪魔しちゃおうかなあ」
と広子が言うが
 
「広子ちゃんは頭良いんだから、ちゃんとマジメに高認(高等学校卒業程度認定試験:昔の大検)受けて大学に行きなよ。学資は自分で稼げそうだし」
 
「いや、さすがにこれ以上当たり続けるとは思えないよ」
と広子は言った。
 
「確かにここ1年近く物凄い勝率だったね」
「うん。自分でも信じられない。神様が助けてくれてるとしか思えなかった」
 
「だけどお前の友だちの八雲ちゃんにも随分負担掛けてしまって」
と父親。
「あぶく銭だから平気って言ってるよ。まあ私はちゃんと借用証書書いてるけどね」
と陽子。
 
「それ返せるの?」
と広子が尋ねるが
 
「返せなかったら、身体で返そうかな。あの子のお嫁さんにしてもらって」
などと陽子は言う。
 
「八雲さんってまさか男の娘なの?」
「内緒」
 

2008年8月31日(日)、埼玉県・大宮アリーナ。
 
3万人の満員の観客を魅了したParking ServiceとPatrol Girlsが大きな拍手を受けながら退場した。この日限りでの卒業を表明していたカリユは抱えきれないほどの花束を抱えている。
 
「何とか成功して良かった」
と斉藤社長と白浜さんは胸をなで下ろしながら彼女たちを迎えた。
 
なお、最初は一時的な復帰ならと言っていたメイルは活動再開してみたら楽しくなったということで取り敢えず正式復帰して活動継続することになった。新人のアリス(梨子)も男の娘ということが今までと違った層のファンを集めたようで、リーダーのマミカ、XANFASから移籍になった元Patrol Girlsの新リードボーカル・オウリン(逢鈴)などの人気を食ってしまう勢いであった。
 
「でもアリスちゃん、ほんとに女の子にしか見えない」
「ありがとう。でも私、女の子の声がうまく出せなくて」
「練習すればちゃんと出るようになるよ」
「うん。頑張る」
 
「ところでアリスちゃん、おちんちんあるんだっけ?」
「秘密」
 
なお、カリユの後任には緊急オーディションをやって、ライサという女子高生が選ばれ、この日のライブでお披露目された。
 

9月1日。
 
オーストラリアから帰国した千里は帰国早々、新島さんから「仕事の振分」作業の代行を頼まれ、羽田空港で大量の資料を渡された。11時の新千歳行きANAに乗るのに一緒に待っててくれた玲央美が「大変そう!」とその資料の山を見て言った。
 
旭川空港に12:05に到着すると、叔母が会社を抜け出してお迎えしてくれたので荷物をそのまま叔母に渡すとびっくりしていた。そのまま叔母の車で学校に行き、教頭先生と宇田先生に合宿終了の報告をした。
 
すると教頭先生と宇田先生は「相談がある」と言って、千里を会議室に連れて行く。そこには暢子・留実子・薫・揚羽・雪子が集まっている。
 
「村山君が戻ってきたので、あらためて話をしたい」
と教頭先生は切り出した。
 
「実は村山君がオーストラリアに行っている間に発表になったのだけど、今年からインターハイの1位・2位のチームは無条件でウィンターカップに参加できることになった。その結果、今年は1位の札幌P高校、2位の静岡L学園は無条件で出場できて、北海道と静岡ではそれを除いた学校で予選を実施し、各々の優勝校がウィンターカップに行ける。つまり今年は北海道と静岡は2校出場できることになる」
 
「はい、その話は合宿でも話題になっていました」
と千里は答える。
 
「それで実は女子バスケット部の原口(揚羽)新部長から要請があったのだけど、北海道内で実力がずば抜けている札幌P高校が道予選に出場しない今年、旭川N高校にとっては12年ぶりのウィンターカップ出場のチャンスだと言うのだよ」
 
「前回出た時は札幌P高校の主力がインフルエンザにやられたんだとかいう話でしたね」
と千里。
 
「そうそう。普通じゃ勝てない」
と宇田先生は開き直って言う。
 
「それで全力で道予選を戦いたいのだけど、今の1−2年だけではどうしても戦力不足だというのだよ」
 
千里は考えてみた。今の1−2年生だけでオーダーを組んだ場合。
 
PG 雪子・永子 SG 結里・ソフィア SF 絵津子・海音
PF 志緒・瞳美・不二子 C 揚羽・リリカ・蘭・来未・耶麻都・紅鹿
 
といった感じか。確かに軽量すぎる。インハイ代表12名の内3年生が8名もいた。それがごっそり抜けてしまうと大幅な戦力ダウンは避けられない。今の1年生がもう少し成長するとともに来年新1年生に有望な子が入ってくれば何とかなるかも知れないが、このメンツでは旭川L女子高にも、札幌D学園にも厳しい。
 
「原口君や副部長の森田君、そして宇田先生・南野コーチなどの意見も聞いたのだけど、1−2年生だけで戦った場合、ウィンターカップ本戦へは何とか行けるかも知れない。でも本戦では1−2回戦で負けてしまうだろうと。やはり全国上位に食い込むには来年の夏までに自分たちがまだまだ進化しなければ難しいと原口君たちは言うんだよね。インターハイで2年連続3位という立派な成績をあげておいて、それは許されないのではないだろうと話し合ったんだよ」
と教頭先生は言う。
 
「それで3年生も特例で出そうということですか?」
と千里は訊く。
 
「うん。去年オールジャパンの道予選に3年生を2人出したのが前例として今年も同様のことができないだろうかという提案があったんだよ。むろん3年生でどうしても出たいという選手がいればだけどね」
と教頭先生。
 
そうだよね。やはり去年、北海道総合で、穂礼さんと麻樹さんが出てくれたのが前例として効くんだ! 組織って前例があることには、わりと柔軟に対応してくれるんだよね。
 
「私は出たいぞ。あんな所で滑って勝利を逃したのがもう一生悔いに残ると思っていた。ウィンターカップに再度賭けたい」
と暢子が熱い口調で言った。
 
「私も道大会まででいいから出たい。インターハイは地区大会までしか出られなかったもん」
と薫が言う。
 
留実子は無言だが、その表情からは熱い意志がうかがえる。そして千里は言った。
 
「私も出たいです。その分出られなくなる下級生には悪いけど。私も不完全燃焼です。インターハイこそが目標でした。正直国体やU18なんて、どうでもいいくらいです。ウィンターカップならインターハイと同レベルの大会だと思っています。それに正直インターハイの後のことは何も考えていなかったんですが、今年は北海道から2校という話を聞いて、だったら何とかウィンターカップに出してもらえないだろうか。それを自分のバスケット人生の最後のゲームにしたいという気持ちになってきました」
と千里は言った、
 
「バスケット人生最後というのはないと思う」
と宇田先生。
「千里がバスケを辞める訳が無い」
と暢子。
「ウィンターカップで自分を燃え尽きさせたいんだよ」
と千里。
 
「まあウィンターカップの後のことはまた後で考えてもらうことにして、今、村山君も言ったように、3年生を出せばその分1−2年生が出られないことになる。特にボーダー組からは不満が出るかも知れない。それで出すのは3名まで。それも1−2年生の子との対決に勝ったらという条件。更にこれは教職員や生徒会の方から出た要請なのだけど、3年生の部員を12月まで稼働させることで、その部員が有力大学に進学できなかったら問題だというのだよ」
と教頭先生は語る。
 
「私はウィンターカップに出して頂いたとしても、きっちり志望校のC大学に合格する自信があります」
と千里は言い切った。
 
「うん。でも村山君はそもそも君の成績でC大学は易しすぎる」
「はあ」
 
「校長と進学指導主任とが話し合って、この4人に各々次の大学を指定するから、それに合格して欲しい。4人の内もし2人以上、失敗した場合は来年からはこのような特例措置は一切認めない」
 
「逆に私たちがその大学に合格できたら、来年もウィンターカップまで一部の3年生を稼働させていいということですか?」
「うん」
「来年の3年生でウィンターカップに参加する生徒にも同様の課題が課せられるのでしょうか?」
 
「それについては僕の私見なんだけどね」
「はい」
「ウィンターカップで君たちがある程度の実績をあげたら、こんな話は来年以降は出てこなくなると思う」
と教頭先生。
 
「そもそもウィンターカップを12月に開催するのは3年生にこの大会までは出てもらって、ちゃんと現役から遠ざかってない状態で大学や企業チームに入ってきて欲しいというのがあったんだよね」
と宇田先生が言う。
 
「ウィンターカップができる以前は、夏頃で部活を終了する学校が多かったから半年間競技から遠ざかっていた学生を大学は受け入れていたんだ」
 
「確かにそんなに離れていたら、随分力が落ちてしまいますね」
「うん。半年間休んでいたものを取り戻すには1年以上かかる」
 
「私は2年かかると思う」
と暢子は言う。
 
「まあそれで君たち4人に課す大学。若生君はA大学志望と言っていたけど、学校から要求するのはH教育大旭川校、村山君はC大学理学部ということだけど、同じ関東で□□大学医学部」
 
「そんな無茶な!」
 
「花和君はH教育大旭川校ということだったけどH大学、歌子君はS大学ということだったけどL女子大学」
と教頭は言う。
 
「歌子は女子大に入れるんですか?」
と千里は訊く。
 
「旭川L女子高の校長先生がバスケットの試合や練習で歌子君を見ているのでこの子なら問題ありませんと言っているそうだ。受けるならぜひバスケット部に入ってくれと」
 
「あそこバスケット部ありましたっけ?」
「作るそうだ」
 
(札幌の)L女子大にバスケ部ができるなら、旭川L女子高からそこに進学する子が結構出るかも知れないなと千里は思った。麻依子はどうするのだろう?
 
「ただ今言ったのは例なので、このレベル以上の大学に変えてもらってもいい」
と教頭は言うが、千里は
 
「□□大学の医学部より上ってどこですかね?」
と半ば自問するように言う。
 
「東大・京大・阪大・名大・東京医科歯科大の医学部」
と薫が言うので
「ひぇーっ!」
と千里はマジで悲鳴をあげた。
 

「ところで最大3名とおっしゃった気がするのですが、ここには4名の3年生が居ますよね」
と千里はふと気付いたことを質問する。
 
「歌子君がまだ出場制限が掛かっていて、ここだけの話だけど実は再来年の2月まで全国大会には出られないのだよ。その一方で、村山君はU18代表に選ばれた場合、アジア選手権の日程とウィンターカップ道予選の日程が重なっている」
 
「わっ」
 
「だから地区予選は1−2年生だけで戦う。道予選で若生君・花和君・歌子君に出てもらう。そして東京での本戦では、若生君・村山君・花和君に出てもらう」
と宇田先生は説明する。
 
「なるほど。分かりました。あと1−2年生と対決して勝ったらとおっしゃったような気がするんですが」
 
「うん。若生君と北本(志緒)君で1on1勝負、村山君と川中(結里)君でスリーポイント勝負、歌子君と杉山(蘭)君でフリースロー勝負、そして花和君と原口(揚羽)君でリバウンド勝負という案が出ている」
 
「私も蘭も志緒も、3年生の出場を阻止すべく頑張りますから、それを更に越えてください」
と揚羽が言う。
 
「心配しなくても圧倒するよ」
と暢子は答える。
 
「結里は?」
「あの子は千里先輩に勝てる訳ないですと言ってました」
 
「諦めが良すぎるな」
 

教頭先生たちとの話し合いを終えて教室に戻ろうとしたら
 
「あ、村山君、担任にも報告してくるように」
と言われるので職員室に行き、担任の先生に合宿終了の報告をした。
 
「村山、大変そうだけど、これ合宿に行っていた間の宿題」
と言って、どーんと大量のプリントを渡される。
 
「□□大学の医学部を受けるんだろ? これは明日までに提出すること」
「こんなに大量にあるのに明日までなんですか〜?」
と千里はさすがに悲鳴をあげる。
 
「じゃ明後日までに勘弁してやる」
「頑張ります」
 
「それからこれセンター試験の志願票」
「もう提出するんですか?」
「提出は10月になってから。でも9月中に集めて学校で10月になったらすぐ提出するから」
「ああ、学校でまとめて提出なんですね」
「そうそう。現役生は学校経由。浪人生は各自」
「へー」
「取り敢えず受験料をH銀行で振り込んで窓口でスタンプ押してもらって。それを志願票に貼らないといけないから」
「分かりました。じゃ今日の昼休みにでも銀行に行ってきます」
「ATMじゃダメだからな。窓口で振り込んでスタンプ押してもらうこと」
「分かりました」
「忘れないように、払い込んだらすぐ記入して。お前忙しいから、志願票も今日明日には提出」
「了解しました」
 

それで千里はその日の昼休みに学校を抜け出して近くのH銀行の支店まで行き、お金を2万円下ろしてから、受験料の支払いを済ませてきた。
 
その振込票の控えを持ち帰って、まずは内容を記入する。
 
担任の先生が鉛筆で書いてくれている高校コード・高校名をボールペンで記入する。全日制・普通科・卒業見込みを選択。氏名・性別・生年月日を記入する。
 
ムラヤマチサト・村山千里と記入、女に丸を付け平成03年03月03日と記入していたら京子から質問が入る。
 
「千里、性別は女でいいんだっけ?」
「私、女の子だよ」
 
「千里、うちの学校では女子生徒として登録されているから、志願票も女にしておかないと、まずい筈」
とそばで鮎奈が言う。
 
「あっそうか」
 
「千里はちゃんと女子大生になるんだね」
「今は女子高生だから」
 
「だけど毎年生年月日間違い・性別間違いってあるらしいね」
「なぜそんなのを間違う?」
 
「いや自分の生年月日をしっかり記憶していない人って割といる」
「ああ、訊く度に違う答えが返ってくる人っているよね」
「しかし性別を間違うか?」
「それわざとじゃないの?」
「きっと受験するまでにその性別になっちゃえばいいんだよ」
「ふむふむ」
 

千里は結局9月2日から5日までその週、学校を休ませてもらった。本当はそれでなくても8月下旬を休んでいるので出て行きたかったのだが、学校に出て行っていては、とても雨宮先生を連れ戻しに渡米した新島さんの仕事の代行ができないのである。
 
仕事依頼のFAXやメールは1日に10件くらい入る。入ったらすぐに新島さんが「お仕事セット」として羽田空港で渡してくれた作業依頼可能な人のリストから「優先順」に選んで作業ができるかどうかの打診をしてOKがもらえたら依頼を掛ける。このやりとりが1件につき結局2−3時間取られる。当然次の依頼とオーバーラップするので頭の中が混乱しそうだ。
 
《きーちゃん》が指示した形式の作業進行表を書きながら進めていく。新島さんはよくこんな作業を個人でやりながら、自分の作曲作業もこなしていたものである。こんなの会社化してよ!と思うのだが、この手の作業は個人間の信頼関係が大事であり、芸術家は概して、事務的・機械的に処理されることを嫌う。特に雨宮一派にはそういう性格の人が多い。「私は規格品の作曲家は要らない」といつか雨宮先生は言っていた。
 
千里もメールのやりとりだけでは済まずに何度か直接依頼先と電話で会話したが、千里が「新島さんの急な海外出張で作業代行している鴨乃清見です」と名乗ると「おお、鴨乃さんですか!」と言って信頼してくれたようである。
 
なおこの1週間、千里の自宅FAXの発信元番号には、新島さんのマンションのFAX番号を設定している。それも《きーちゃん》がそうしろと指示したものである。
 
そしてそんな作業をしながら、千里は担任から渡された「宿題」をこなしていた。取り敢えずオーストラリア遠征中の分といって渡されたものは約束通り9月3日の夕方までに書き上げて提出に学校まで行ってきたが「じゃ次はこれ」と言ってまた渡され、それを月曜日までに頑張って仕上げた。
 
またこの時期、国体チームの練習を毎日早朝に朱雀でやっていたので、千里は学校を休んでいるにも関わらず!早朝6時に朱雀に出かけて行き、1時間ほど同じ国体代表の暢子・留実子・薫・雪子、付き合ってくれた揚羽・絵津子・ソフィア・不二子・紅鹿と一緒に汗を流した。ちょうど10人いるので国体組と在校組に別れ、雪子/千里/薫/暢子/留実子、不二子/ソフィア/絵津子/揚羽/紅鹿という組合せで試合形式の練習をたくさんした。
 
不二子はたまたまポイントガードが居ないのでそのポジションに入ったのだが対戦していて薫が言う。
 
「不二子ちゃん、背丈があるからパワーフォワード登録だけど、結構ポイントガードの才能もあるね」
 
「でも私、ドリブルあまりうまくないし」
「そういう技術的なものは練習すれば上達する。ポイントガードはむしろ性格なんだよね」
 
「札幌P高校の佐藤さんとかもチームではセンター、U18ではパワーフォワードとして登録されているけど、性格的にはガードっぽい面があるんだよね」
 
「いわゆるポイントフォワードってやつだよね」
 
「千里さんなんかも中学の頃はあまりドリブルうまくなかったんですよ。それを猛練習でここまで上達させてますから」
と雪子が言う。
 
「うん、千里は中学の頃はドリブルしながら走っていてミスって蹴ってしまったりとか、ボールがどこかに行ってしまったりとか多かったし、隙があったからかなりスティールされてた。でも高校に入った頃から見違えた」
と留実子も言う。
 
「千里さん、どんな練習したんですか?」
「5km, 10kmの道をひたすらドリブルしながら歩いたのが大きかったかな」
「道路で練習したんですか?」
「ううん。雪の上」
「雪の上のドリブルってボールが思わぬ方向に飛んで行きますよね」
「うん。でも根性で追いついて継続する」
「そうか。追いつけばいいんだ」
「そうそう」
 
「でも雪が降るまでまだ時間があるなあ」
「シベリアにでも行く?」
「暖かいラーメンでもあれば」
「そこはカップヌードルで」
「お湯はどうするんですか?」
 
「だけどああいう寒いところではトイレするのも大変みたいね」
「ああ、特に女子は大変だよね」
「そうそう。男はちんちん出せばいいけど、女は腰の付近を露出する必要がある。それだけで凍えてしまう」
 
すると留実子が言う。
「おちんちん付ければいいんだよ。便利だよ」
 
「そういえばサーヤさん、インターハイで審判におちんちんを見とがめられましたね」
と絵津子。
 
「うん。ふつうは目立たないように気をつけてるんだけどね。サポーターがずれちゃったんだよ」
 
「おちんちんってどうやって付けるんですか?」
と不二子。
「教えてあげようか?」
と留実子。
 
「ちょっと興味あるなあ」
「でもお風呂入る時に気をつけないと、痴漢で捕まるから」
「サーヤはそれ騒ぎになった前歴ある」
と千里が言った。
 
千里が7時すぎに朝の補習にやってきた生徒たちと入れ替わりに下校していくので「お前何やってんの?」と数学の先生から言われた。「すみませーん。ちょっと集中講座に出ているので」などと言ったら、2日目に会った時に「じゃ、ついでにこれもやっておけ」と言って微積分とベクトルの練習問題をどーんと渡された。
 

9月3日(水)。&&エージェンシー。まだまだ日曜のライブの後処理の作業で事務所内が追われていた時、先月でParking Serviceを辞めたミッキーが友人らしき女性を伴って事務所を訪れた。
 
「おはようございます」
「おお、おはようございます。ミッキーちゃん、先日のライブにビデオ・メッセージありがとね。あれで随分盛り上がったよ」
 
「いえ。急に辞めちゃったから、ほんとに申し訳無かったです。それも後から聞いたら、ほかにもドドドっと辞めたり入院した子が居て、びっくりしました。先週の土曜日にはテッカンのお見舞いに行ってきたんですよ」
 
「元気だったでしょ?」
「元気すぎて拍子抜けしました」
 
「怪我で入院すると、エネルギーはありあまってるから、結構暇みたいね」
 
「ところで社長、何かお仕事とか無いですよね?」
「は?」
「ミッキー、バンドでデビューするんでしょ? Purple Chaseだったっけ?」
「それが事務所と決裂しました」
 
「えーーー!?」
「私たちはポップロック寄りのハードロックがやりたかったんですけど、向こうはヘビメタを要求するんですよ」
「なるほどねー」
 
ハードロックとヘビーメタルはひとくくりにされることもあり、そのどちらとも言えるようなバンドもあるにはあるのだが、結構両者の音楽やパフォーマンスに対する志向性には深い溝があるのである。
 
「かなり話し合ったのですが、同意できずに結局契約書にサインしませんでした」
「ありゃりゃ」
「更にドラムスの子を一本釣りされちゃって」
「ああ・・・」
 
「彼女がうちのバンドのメインボーカルだったんです。そもそも向こうはその子が欲しかったみたい。彼女だけ単独で契約書にサインしました」
「でもドラムスだけじゃバンドにならないでしょ?」
「歌手として売りたいみたい。歌うまいもん」
「なるほど」
「バンドの1本釣りって、よくあるパターンなのよねぇ」
と白浜さんが言う。
 
「それで私と、こちらは友人でベースの貴子というんですけど、もし何かの伴奏とかの仕事とかでも無いかなと思って。今すぐでもなくてもいいんですが、そういう話があったらお声を掛けてもらえないかと思って来たんですよ」
 
「分かった。気をつけておくよ」
と斉藤社長。
「ミッキーちゃん、Parking Serviceに復帰する気はないよね?」
と白浜さんが言うが
「すみませーん。さすがに2時間、3時間踊り続けるのは体力限界。あれって20歳までですよ」
とミッキーは言う。彼女は22歳である。
 
すると近くに居た麻生杏華がふたりに声を掛けた。
 
「あんたたち、ギターとベース、どのくらい弾くの? ちょっと聴かせて」
「あ、はい」
 
それで斉藤・白浜も含めて、事務所内の防音室に入り、ありあわせのギターとベースを使ってふたりはミッキーの自作曲を演奏した。
 
パチパチパチと麻生さんが笑顔で拍手する。
 
「うまいじゃん!さすがハードロックを名乗るだけあるね」
 
「2年くらい前にクリッパーズのnakaさんと対談する機会があってその時にnakaさんがおっしゃってたんですよ。ハードロックというのは演奏能力の高さが必須条件だって。確かにクリッパーズってみなさん本当にうまいもん。nakaさんが言うにはへたくそなパンクバンドは存在しえてもへたくそなハードロックバンドは存在しえない。技術力が無い時点でハードロックじゃなくてただの騒音だって。だからnakaさんに騒音と言われないようにけっこう頑張って練習してたんですよ」
 
「あはは。騒音といえばサウザンズみたいなのでしょ」
と麻生さん。
「あれはさすがに無茶苦茶ですね。そもそも楽器の音をチューニングしてないし」
とミッキー。
 
「あるプロの女性ギタリストが一時期サウザンズにハマってて、スコア買ってきて練習しようとしたら、印刷がミかファか分からない所があったらしいです。CDで繰り返し聴いてみても音が微妙だし、それで直接会う機会があった時に尋ねてみたら、お答えが『どっちでもいい』と」
と貴子が言う。
 
「ありそうな話だ」
と白浜さんも言う。
 
「まあそれでね。ギターとベースを探していたバンドがあるんだけど、あんたたち参加しない? ギター・ベース・ドラムス・キーボードにボーカル2人。まあ音楽はParking Serviceより少し本格志向になると思うから、あんたたちの言うハードロックにはむしろ近いかもね」
と麻生さんが言う。
 
「ほんとですか?ぜひやりたいです」
とミッキーは答えた。
 

9月5日(金)。成田空港で入国審査を済ませた、男1人・女2人(?)の姿があった。「海外逃亡」していた雨宮先生、それを連れ戻しにニューヨークまで行ったものの雨宮先生に丸め込まれてしまった毛利、そしてふたりを強引に連れ戻してきた新島である。
 
「それで雨宮先生、東京のホテルのスイートルームを今月いっぱいまで予約しています。取り敢えず今月中に仕上げないといけない曲が50曲あります」
 
「50曲はさすがに無茶!私は上島じゃないし」
「ご自分で書く曲を5−6曲決めてください。後は適当に割り振ります」
「まあ5−6曲なら何とかなるか」
 
「また***と***と***の制作には、雨宮先生ご自身が顔を出してもらわないといけません。雑用は田船姉妹がやりますから。あちらはちょうどアルバム制作が終わったので時間が取れるみたいですし」
 
と成田で新島さんは雨宮先生に言った。
 
「姉妹って、弟の方は性転換して妹になったんだっけ?」
「あっと男だった。姉弟ですね」
 
田船姉弟とは、バインディング・スクリューの田船智史と、その姉で作曲家の田船美玲である。同バンドのアルバムは昨日マスタリングが終わったらしい。まだ色々残務はあるものの、何とか他のことにも時間が取れるようだ。
 
「毛利君は別途千葉のビジネスホテルのシングルルームをやはり今月いっぱいまで予約しているから。あんたにもたくさん仕事溜まってるよ。ちなみにふたりとも携帯電話とクレジットカードとパスポートは私が預かるからね」
 
「俺もスイートルームが良かったなあ」
「代金は個人負担だけど」
 
「ちょっと私のも個人負担なの?」
と雨宮さんが抗議するが
「億の収入がある方が何言ってるんですか?」
と新島さんは一蹴する。
 
「俺1ヶ月ものホテル代、とても払えねえよ」
と毛利はむしろ悲鳴をあげているが
「その分、頑張ってお仕事しなさいよ」
とこちらも新島さんは一蹴する。
 
「だけど私たち、ずっとアメリカに居てシャワーとかばかりだったから、温泉とかにも入りたいなあ」
と雨宮先生は言う。
 
「じゃ大江戸温泉物語で」
「せめて鬼怒川か草津にでも行かせてよ」
「遠すぎます」
「じゃ熱海」
「じゃ1泊だけ。私が付いて行きますから。毛利君は千葉に直行ね。もうすぐ★★レコードの高山さんが来ると思うから。彼と一緒に千葉に行って」
 
「俺は熱海には行けないの?」
「仕事が片付いたら行ってもいいよ。自費でね」
 

5日の夜、帰国した新島さんから連絡を受けた千里はホッとした。今夜の分まで千里が作業して、明日以降は新島さんがするということだった。
 
「でもこれ凄まじい作業でした。新島さん、助手が必要ですよ」
と千里は言う。
 
「そんな気もするんだけどねえ。こういう仕事っていつ突然無くなるかも知れないから、あまり人を雇いたくないのよ」
「確かに人は簡単に解雇できませんもんね。でもひとりでやっていて新島さんが病気とかになった時はまずいですよ」
 
「そうだなあ。誰かいい人いないかなあ」
 
千里とそんなやりとりをして電話を切った新島は近くに雨宮先生が居ないことに気付く。ぎゃっ。逃げた? と思って廊下に出ると仲居さんがいたので連れを見なかったか尋ねた。
 
「お連れ様でしたら大浴場に行かれましたよ」
「ああ、お風呂か。良かった。締め切り過ぎているのを監視して仕事させているので」
 
「わあ、たいへんですねぇ!」
と40代くらいの仲居さんは言った。
 
30分ほどして戻って来た雨宮先生は手にCDを持っている。
 
「外出なさったんですか?」
「いや。お風呂の中でちょっと面白い子に会ってね」
 
と言ってそのCDをノートパソコンに掛けて聴いている。
 
「これはいい! こういうやり方は私も思いつかなかった」
と雨宮先生は言っている。
 
「そんなにいいですか?」
「ちょっと聴いてごらんよ」
 
と言うので新島も聴いてみた。
 
「これは面白いですね!」
 
新島が見るとジャケットには女の子2人の写真が映っていて《ローズ+リリー》と書かれている。
 
「この左側に立っている子は私が去年から目を付けていた子なのよ。でも勝手にCD作るとはけしからん」
「雨宮先生が海外に出ていて連絡がつかなかったからなんじゃないですか?」
「うっ」
 
新島はCDを裏返してクレジットを見ている。
 
「雀レコードか。インディーズですね」
「よし。東京に戻るよ」
「へ?」
 
「運転してくれる? 私さっきビール飲んじゃったから」
「もちろんです。どこに行くんですか?」
「上島んとこ」
 
「へー」
 
それで旅館に頼んでレンタカーを手配してもらい、新島が運転して車は東京の上島雷太の自宅に向かった。
 
「この子たちのデビュー曲を上島に書かせてメジャーデビューさせよう」
と雨宮先生。
 
「雨宮先生がご自身で書かないんですか?」
「私が書くのは実力派のユニットよ。この子たちはむしろ大衆向け。だったら上島の名前を使ったほうがいい」
 
「AYAとダブりません?」
「そこをどう書き分けるかお手並みを拝見したいね」
 

9月6-7日の週末、福岡C学園のバスケチームがまた北海道にやってきた。
 
昨年、旭川C学園開校を前にして周囲の学校との親睦を図るということで福岡C学園のバスケ部、兵庫C学園のサッカー部、東京C学園のコーラス部が来て周辺の学校と親善試合・合同演奏会をしたのだが、建設中の校舎が火災で焼失して開校が1年延期になった。その建て直していた新しい校舎がほぼ完成したとのことで、再び合同イベントをすることになったのである。
 
今回C学園のバスケ部は金曜日の午後の飛行機(福岡15:00→17:10新千歳)でやってきて、札幌で1泊。土曜日は午前中に札幌P高校との親善試合をしてそのあと旭川に移動、午後はL女子高との親善試合をする。そして旭川で1泊して、日曜日の午前中にM高校・A商業・R高校の合同チームとの親善試合をし、午後にN高校との親善試合をしてから、夕方の羽田経由便(旭川17:05→18:50羽田19:40→21:35福岡)で帰るというスケジュールである。
 
やってくるのは福岡からは選手18人と監督・コーチ2名・理事長さんの22名で結構な費用が掛かっていると思われたが、やはり昨年火事を起こして大騒ぎにになったことのお詫びも兼ねて今回またイベントを行ったようである。
 
N高校バスケ部女子有志は6日朝から札幌に行ってP高校との試合を見学させてもらい、午後はL女子高の試合、翌日午前中もMAR合同チームとの試合を見学した。今回L女子高との試合はL女子高の第2体育館を使ったが、MAR合同チームとの試合には、旭川C学園のバスケ専用体育館を使用した。
 

「見たことがあるような体育館だ」
という声がN高バスケ部女子の間から出る。
 
「冬の間、私たちが仮設体育館として使用していたものだよね」
「それをそのままここにお引っ越ししたから」
「元々仮設として作ったものだけどいいのかな」
「4−5年後に建て直す予定らしいよ」
「やはり開校までの費用節約かな」
 
「そちらの学校で朱雀と呼んでいたというお話を聞いて、フェニックスという名前を付けたんですよ」
とN高校のメンバーを案内してくれた向こうの理事長さんが説明してくれた。
 
「いいかも知れない」
「火の中から再生するんですよね」
「今旭川のバスケットはレベルが高いから、その一角に食い込めるように頑張りますよ」
と理事長さんは言ったが
 
「いや、あまり頑張らなくていいです」
などと声も出て、理事長さんは笑っていた。
 

既に落成している校舎も見せてもらった。
 
「新しい木の香りがいいですね」
「結局そちらの新しい朱雀と同様、江差のヒバを使いました。地産地消ということで。でも再度木で建築するというのの許可を取るのに苦労したんですよ」
「確かに大火事を出した後では」
「基準よりかなり多くスプリンクラーとか設置していますし、壁とか和室の畳とかも耐火加工をしていますから」
と理事長さんは説明してくれた。
 
「介護実習室なんてあるんですね」
 
「実を言うとですね。あの火事を起こした加害者の妹さんたちが、うちの被害額の弁済をしてくれましてね。でも未成年の彼女たちが頑張ってお金を作ってくれたものを単に受け取っていいものかと、こちらも悩みました。それで妹さんたちと相談して、この介護実習施設を作ることにしたんですよ」
 
「へー!」
「今妹さんが働いておられる牧場に何人もの障碍者の方がおられるそうで、そういう人たちの助けをしたいというのはずっと考えていたらしいです」
「偉いなあ」
 
「でもやはり本当に払ったんですか!」
「なんか完済したという噂はありましたけど」
 
「どうやって払ったんですか?」
「内容は聞いておりますが、そのことで騒がれたくないということで、公表しない約束になっているんですよ」
「へー」
 
「全国の障碍者の方に勇気を与える活動をなさっていますよ」
「へー!!!」
 

 
9月7日のC学園戦にN高校はこういうメンツで臨んだ。
 
PG 雪子(5) 永子(13) 愛実(16) SG 結里(8) ソフィア(9) SF 絵津子(7) 海音(17) 薫(21) PF 志緒(10) 蘭(11) 来未(12) 不二子(14) 川南(19) 葉月(20) C 揚羽(4) リリカ(6) 耶麻都(15) 紅鹿(18)
 
現時点での1−2年生のほぼベスト15に、インターハイ本戦に出場できなかった3年生川南・葉月・薫を加えたメンバーである。川南・葉月にとってはこれが事実上の引退試合ということになった。
 
「千里や暢子は出ないの?」
とオーダー表を見た桂華から言われたが
「東京体育館でね」
と千里は言っておいた。
 
向こうはインターハイのメンバーから一部の3年生が引退したほかはだいたい似たようなメンツに1−2年生を加えていた。
 
桂華は千里たちが出ないのを残念そうに言ったが、試合は絵津子・ソフィア・不二子の1年生トリオが大活躍する。最初様子見な感じのプレイで始めたC学園はすぐに本気バリバリになる。しかし簡単にはこの3人の破壊力を停めることはできなかった。更に薫が巧みなプレイで着実に得点していくし、結里のスリーもけっこう入る。耶麻都も紅鹿もリバウンドで頑張り、C学園のサクラには負けるものの結構ボールを取っていた。
 
試合は最後に桂華たちC学園の3年生がかなり本気になって逆転勝ちしたものの、「あんたら強ぇ〜」と言って桂華は絵津子たちを褒めていた。
 
川南も6点、葉月も2点取ることができて、2人にとっては良い想い出になったようであった。
 
「ところで今回は昭子ちゃん出なかったのね」
と桂華が言った。
「性転換手術受けたら出してやると言ってる」
と暢子が答えると
「それはやはりタイ行きの航空券を持たせて」
「手術の予約も入れておいてあげて」
などと言われて、本人はまた俯いて恥ずかしそうな顔をしていた。
 

千里は一週間学校を休んで、作曲家さんたちの事務連絡をしながらたくさん問題集を解いていたおかげで、結果的にこの1週間で今まであまりよく分かっていなかったことが随分分かるようになった。それで、9月9-10日の1学期末テストは、ひじょうに良い点数を取ることができた。ここ数ヶ月、受験生とは思えないほどバスケ中心の生活を送っていたのに!
 
「千里、数学の点数が学年5位じゃん。どうしたの?」
 
「うん。開眼したかな。いや、オーストラリアでは夜間ネットもできないし(正確には機械に弱い千里はネットのつなぎ方が分からなかった)、暇だからずっと微積分の本を読んでたのよ。そしたら定積分って意味が分かったら楽しくてさ。それを解くには不定積分が分からないといけないし、不定積分は微分の逆算だから《分かんねー》と思って飛ばしていた微分をしっかり勉強し直して、やっと意味が分かったのよね。そしたら、その付近は全部すいすい解けるじゃん。連立一次方程式や因数分解より、よっぽど簡単なんだもん」
 
「そうそう。微積分って意味が分かるかどうかだけなのよ。分かっちゃうと、実に簡単な話なんだよね」
と数学が学年1位の鮎奈は言っていた。
 
「dy=何とかdx って、つまりdxだけ小人(こびと)さんが動いたら、dyだけ値が変化するって意味だよね?」
 
「うん。数学的に正確な定義の仕方より、その考え方の方が分かりやすい。だからdy/dx = f(x) みたいな本来の書き方より dy = f(x)dx のような方便的書き方の方が直感的だし感覚が掴みやすいんだよ」
 
「それからここ一週間はベクトル関係の問題をずっとやってた。ベクトル算って、要するに複数の数式をまとめて書いただけなのね」
 
「うん。実はそういうことなんだよ」
「それが分かったら、なーんだと思っちゃった」
 
「数学というのはね、お手伝いさんとは実は女中さんのことである、なんてのを難しいことばで説明する学問なんだよ」
「あ、そうかも」
 
「これ偉い数学者のことば」
「へー」
 

「でも鮎奈、志望校のランクを落としたの?」
「6月の模試で漢文が悲惨で8月の模試では日本史があまりにも悲惨だったから。漢文はやばいから頑張ったけど日本史までは手が回らない」
 
鮎奈はこれまで旧帝大の医学部を志望校にしていたのだが、旧六の医学部に変更したのである。
 
「いっそ倫理とかに変更するとか?」
「それもまた辛いのよねー。それにこの段階になったら、地歴や政経を本気で勉強するより、それは悲惨にならない程度に頑張って英語や数学をしっかり勉強したい。ちょっと甘く見過ぎていた」
「大変だねー」
 
「千里、世界史覚えた?」
と梨乃が訊く。
 
「年数はだいぶ頭にたたき込んだ。みんな御免ね・ゲルマン民族の大移動 375年、非難爆発・フランス革命 1789年、威張れよ皇帝ナポレオン・ナポレオン皇帝就任 1804年、戦場に行く人よ・第一次世界大戦 1914年、ひとつ以降は王も従え・マグナカルタ 1158年」
 
「マグナカルタは1215年」
「あれれ?」
「12を《ひとつ》と読んでるんだよね」
「《人に以降従え》と私は覚えた」
と蓮菜が言う。
 
「あ、そちらがいいかな」
「ひとにぎりのイチゴ・マグナカルタ」
と鳴美が言うが
「それ、マグナカルタとの関連が分からん」
と言われている。
 
「日本史のイチゴパンツ好きな織田信長本能寺に死す(1582)ってのも関連が分からないよね」
「あれは何となく覚えちゃうけどね」
 
「ナポレオンの百日天下は何の戦いで終わったか?」
と梨乃が訊く。
「え?分からない」
と千里。
 
「年数覚えたんじゃないの?」
「年数は覚えたけど、そんなナポレオンの百日咳とかのことまでは知らない」
 
京子が顔を机に埋めて笑っていた。
 
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【女の子たちの秋の風】(1)