【お気に召すまま2022】(3)

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広瀬みづほが「田園地帯のどこか」と書かれた板を持っている(原作に無い場面)
 
不安そうな顔をした16-17歳くらいの羊飼いが道を歩いている。行く先に小川がある。幅は2mくらいである。羊飼いは意を決したような顔をして、杖を使って川を飛び越そうと思い、少し後退してから、勢いよく走って杖を端に突き、ジャンプして・・・川の中に落ちた!
 
困った顔をしていたら、そこにフィービー(七浜宇菜)が通り掛かる。
 
「君何やってってるの?魚獲り?」
「川を飛び越えるの失敗して下に落ちて」
「嘘でしょ?こんな小さな川で」
と言って、フィービーはその川を杖も使わずに、ひょいと飛び越える。
 
(公開時「宇菜様かっこいー!」という声多数)
 
「ねぇ、もし良かったら上がるの手伝ってくれない?」
「ひとりで上がれないの〜?」
「とても無理〜」
「しょうがないな。ほら手を貸してあげるから」
と言って、フィービーは川岸に横になり下に手を伸ばす。下に落ちた羊飼いはその手を掴んで登ろうとするのだが、それでも登り切れないようである。
 
「うーん。困ったなあ。君も男の子なら、頑張れよ」
「私女ですー」
と下に居る羊飼い。
 
「へ?」
とフィービーは驚いた顔をする。
 
「だったらぼく1人では厳しいかなあ」
とフィービーが言っていた所にウィリアム(花園裕紀)が通り掛かる。
 

「ビルちょっと手伝って」
とフィービーは声を掛けた。
「どうしたの?」
 
「この子が川に落ちちゃってひとりで上がれないみたいなんだよ。ぼくも下に降りて押し上げるから、ビルは彼女を上から引っ張って」
「オーライ」
 
それでウィリアムも川を飛び越えてこちらに来る。そしてフィービーはひょいと下に飛び降りた。それでフィービーが下から押し、ウィリアムが上から引っ張ると何とか女羊飼いは岸に上がることができた。
 
その後、フィービーはひとりで簡単に岸に登る。
 
「ありがとうございます」
と羊飼いの少女はお礼を言った。
 
「君この辺りでは見かけないね」
 
「先週こちらに流れてきたんです。以前はウッドグリーンの近くに居ました。そこの土地を追い出されて(*45) 母と2人でこちらに来ました。こちらに叔父が住んでたから。でも働き手が居ないから叔父さんの知り合いの地主さんにお願いして、私が羊飼いをしようと」
 
「なんか羊飼いするには根本的な体力が足りない気がする。名前は?」
「マーガレットです」
と少女(鞠原リア)は言った。
 
「可愛い名前だ」
とウィリアム。
 
「少し身体を鍛えたほうがいいよ。こんな川も飛び越えきれないんじゃ羊飼いの前に、そもそも田舎の道を歩けないよ」
「頑張ります」
と言いながら、マーガレットはフィービーを憧れの目で見ていた。
 
(*45) 追い出されたのはおそらく前出“囲い込み”のため。16世紀のイングランドでは、囲い込みと修道院解散(後述)のため、大量の物乞いが発生したと言われる、
 

楽屋が映されている(撮影者:矢本かえで)。夕波もえこが声を掛ける。
 
「オードリーとタッチストーンの求婚場面行きます。モナさんお願いします」
 
「はーい」
と言って田舎娘衣裳のオードリー役・坂出モナが夕波もえこに続いて楽屋を出て行った。
 

別の楽屋が映されている(撮影者:田崎潤也)。本田覚(*46)が声を掛ける。
 
「Naechste, die Szene von Audrey und Touchstone. Herr Grotzer, Herr Richter, Kommen Sie bitte」
 
「OK」
と言って菱模様の服装のタッチストーン役マルティン・グローツァー、ダブレット姿のジェイクズ役リヌス・リヒターが本田覚に続いて楽屋を出て行った。
 

(*46) 本田覚は本来白鳥リズムのマネージャーで、リズム自身はこの映画には関わっていないのだが、ドイツ語のできる男性タレントが§§ミュージックには居ないので、ドイツ語ができることと男性であることから徴用された。彼は若い頃に劇団に居た経験もあり、演技はうまい。彼は奧さんとその劇団で知り合って結婚している。
 
今回楽屋係の役は§§ミュージックが出すことになっていた。但し本田はこの場面の撮影に出ただけであり、それ以外の撮影日程では大和映像のドイツ語が堪能なスタッフが楽屋係を務めている。夕波もえこと立山煌は勉強も兼ねて本当に撮影中、学校に行く時間以外、ずっと春日部で楽屋係を務めた。
 
女性でもよければ、花咲ロンドなどはドイツ語ができる(勉強はしている)が、やはり男性楽屋は男性に担当させるべきということで本田の選択になった。中高生ではドイツ語のできる子は居ない。
 

広瀬みづほが「田園地帯の別の場所・村外れ」と書かれた板を持っている(原作に無い場面)(*47)
 
オードリー(坂出モナ)がヤギの世話をしている。タッチストーン(Martin Grotzer)が彼女とおしゃべりしていたら、近くをウィリアム(花園裕紀)が通り掛かる。実はさっきマーガレットを助けた後である。
 
「ビル!」
とオードリーが声を掛ける。
 
「どうしたの?オーディー」
とウィリアムはオードリーに声を掛けられて嬉しそうである。
 
「1〜2時間ほどヤギを見ててくれない?」
「いいけど、どこか行くの?」
「うん。ちょっと結婚してくる」
「え〜〜〜!?」
 
驚いているウィリアムを放置して、オードリーとタッチストーンは画面左手(舞台なら下手)のほうに歩いて行った。
 

(*47) この場面も四国で先の場面と一緒に撮影された。但し花園裕紀はほぼスタッフ扱いで、レフ板を立てたり、みんなに飲み物を配ったり、お使いに行ったり、モナやリアの衣装係!(*48) をしたりしていた。
 
(*48) §§ミュージックには男の娘タレントが多いので、モナもリアも彼を男の娘だと思っていたようで、彼に服の後ろボタン(*49)の留め外しをさせたりしていた。本人は「ぼく男なのに・・・」と呟いていた!
 
でも彼は信濃町ガールズで女子のファスナー(*49) の上げ下げなどは、いつもやらされているので、今更この程度では緊張しない←女子不感症に(既に)なっている。
 

(*49) 洋服のファスナーは19世紀中頃から原形となるいくつかの発明を経て、アメリカの企業テイロン(Talon 後の Talon Zipper; Chicago→Hoboken(New Jersey)→Meadville(Pennsylvania) ) が1913年までに開発し特許申請(1917年発効)したものが今日のファスナーの原形である。
 
この発明をしたのはテイロンの技師で、スウェーデン系アメリカ人の Gideon Sundback (1880-1954) である。彼はこの功績により1951年にスウェーデン王立工学科学アカデミーから金メダルを授与された。彼はスウェーデンのスモーランド生まれでドイツの大学を出た後、1905年にアメリカに渡りテイロンに入社した。後にアメリカに帰化している。
 
この機構は最初靴用に開発されたものであり、これをタイヤメーカーとして知られる B.F.Goodrich が1923年に自社のブーツに採用した時に"Zipper" と呼んだことから“ジッパー”という呼称が一般化した。洋服で使用されるようになったのは、1925に Schott NYC がジャケットに採用したのが最初と言われる。その後 1930年代に子供服に取り入れられるようになり、1940年前後から男性用ズボンの前開き(フライ)もジッパー使用が普及したようである。
 
男性のズボンが腰の紐留めからボタンフライ→ジッパーフライと進化することで男性の排尿の容易性は高まり、幼い男の子にはズボンではなく排尿が容易なスカートを穿かせる習慣も消えて行ったものと思われる。但しジッパーフライは“カムチャッカ半島”の事故を引き起こすことにもなる。
 
そういう訳でシェイクスピアの時代にファスナーは無いので、洋服はボタン留めである。ボタンは13世紀頃から広く使用されている。しかし後ろボタンの服は当然ひとりでは着脱できない。
 
(筆者はフォーマルに多い後ろファスナーの服をひとりで着脱するため、ファスナーの引手に服と同色の紐を付けたことがある。着た後、紐は内側に垂らしておく。さすがに後ろボタン留めの服はひとりでは無理)
 

広瀬みづほが「アーデンの森内の空き地」と書かれた板を持っている(原作第3幕第3場)。
 
後方の切り株にジェイクズが座っている。そこにタッチストーンが、オードリーを連れるようにして右手(舞台なら上手)から出てくる。、
 
「おいでおいでオードリー。君のヤギたちはあの男の子が見ててくれるし」
とタッチストーンは言っている。
 
「もう僕を将来の夫と思い定めたかい?やはり僕の美貌に惚れた?」
「あんたの美貌??あんたのどこに美貌が転がっているというのよ?」
とオードリー(坂出モナ)は言う。
 
「分からないかなあ。俺は詩人オウィディウス(*51) 並みの美青年なのに」
「詩とかも分からないなあ」
 
ジェイクズの独白「オウィディウスを出してくるとはおこがましい」
 
「ああ。神様がせめて君を詩の分かる人に作ってくれてたら良かったのに」
「なんでよ?」
 
「詩というものは、それが良い出来の詩であるほど、装飾された自分を見せているものであり、本来の自分とは異なるものなんだよ。恋人たちは詩のやりとりをすることで自分を誇大に表現し、相手を酔わせる。だから詩人の言葉は本当の自分とは解離している」
 
「そういうの私の好みじゃないなあ。ストレートに言えばいいじゃん」
 
「君はいつも自分は貞淑だ(*50) と言うけど、君が詩人だったら、それは単なる修辞であって、本当は貞淑ではないかも知れないからね」
 
(解説するのも野暮だが、つまり“やらせろ”という意味。しかしオードリーは意味が分からない振りをしてタッチストーンをじらす)
 
ジェイクズの独白「詩人も馬鹿にされたものだ」
 

(*50) 原文 honest. 現代では honest は“正直”という意味で使うが、昔は“貞淑”という意味もあった。
 
(*51) プーブリウス・オウィディウス・ナーソー(BC43-AD17?) は帝政ローマ時代の詩人。『変身物語』、『恋の技法』、『愛の治療』、『女の化粧論』などの著者。美青年だったかどうかは知らない。
 
著作で自分を表すのに使用していた第三名(事実上のペンネーム)“ナーソー”は“大きな鼻”という意味。もしかしたら鼻が高かったのかも?
 
実を言うと“タッチストーン”という名前の由来がこのオウィディウスの『変身物語(Metamorphoses)』にある。
 
メルクリウス(ヘルメス)は生まれたその日にアポロンの牛を50頭盗んだ。ところがそれをBattusという老人が見ていた。メルクリウスは彼を牛1頭で買収し、誰に訊かれても牛のことは知らないと言えといった。
 
メルクリウスは老人が約束を守るか確かめるために別人に変身して彼のそばに寄り言った。「私の牛が行方不明なのだ。あなた知りませんか?教えてくれたら牛1頭さしあげますよ」と。老人はお礼に目がくらんで「あちらに行きましたよ」と教えた。メルクリウスは変身を解き「お前は俺に俺を売るのか?」と言って、老人を試金石(touchstone)に変えてしまった。
 

「私は貞淑じゃないほうがいいの?」
とオードリーは訊く。
 
「全くそうだよ。君がブスでない限りね。君みたいな美人で更に貞淑だってのは砂糖に蜜を掛けるようなものだよ」
 
(甘すぎて閉口だから君みたいな美人は貞淑でない方が良いと言ってる。やはり“やらせろ”ということ)
 
ジェイクズの独白「凄いたとえをするな」
 
「そうかなあ。私あまり美人じゃないと思うけど。だから神様にせめて貞淑でありますようにとお祈りしてるの」
とオードリー。
 
「逆に不細工な淫乱女は上等の肉が汚い皿に載っているようなものだけどな」
とタッチストーン。
「私は不細工だと思うけど淫乱じゃないよ」
とオードリー。
 
「美人になるのは難しいが淫乱になるのは簡単だ。君は美人なんだから、俺の前で貞淑を捨ててほしいね。ま何にせよ。俺、隣村の副牧師(*54)オリバー・マーテクストを呼んだから。もうすぐこちらに来て、俺とお前を結婚させてくれることになっている」
 
「神様が私たちに喜びを与えてくれますように」
とオードリーは言った。
 
(つまり結婚に同意したことを意味する。ふたりはこの場面で最初からお互いthou で呼び合っていたので、オードリーは既にタッチストーンを恋人に近い存在として扱っていた)
 

広瀬みづほが「30分経過」と書かれた板を持ち画面を通り過ぎる。
 
法衣姿のオリバー・マーテクスト副牧師(揚浜フラフラ)がやってくる。
 
「ようこそ、オリバー・マーテクスト先生(*55) 。私とこの娘を結婚させてください。式はここでやりますか?あるいは先生の礼拝堂まで出向いたほうがいいですか?」
とタッチストーンは訊く。
 
「花嫁をあなたに渡す父親役は?」
とマーテクストは尋ねた。
 
「女は物では無いので、誰かにもらういわれはありません。純粋に私とこの娘が夫婦になるだけです」
とタッチストーンは答える。
 
「花嫁を花婿に引き渡す役がいなければ正式の結婚式はおこなえない」
とマーテクストは言う。
 

その時、後方で様子を見ていたジェイクズが出てくる。
 
「失礼ながら私がその父親役をしましょうか」
 
「おお、これは憂鬱さん。思わぬ所で会いましたね」
「しかしあんたこの娘と結婚するの?」
 
「はい。牛に頸木(くびき:牛に車をひかせるための道具)をつけるように、馬に手綱(たづな)をつけるように、鷹狩りの鷹に鈴をつけるように、騎士が剣を持つように、貴婦人が宝石を付けるように、ブリーチング(*53)前の男の子がスカートを穿くように、男の娘がドレスを着るように、私たちはひとつになりたいのです」
 
「しかしこんな場所で結婚式するの?」
「いけませんか?」
 
「無宿者同士ならいざ知らず、あなたのような教養ある人が森の木の下で結婚式は無いでしょ。ちゃんと教会に行きなさい。そしてもっとしっかりした司祭(*54)に式をあげてもらいなさい。来なさい。私が教会に連れていくから」
「分かった」
 
ここでタッチストーンは『愛しのオリバー(sweet Oliver)』という歌を歌う(*52).
 
「(ハイトーンで)ああ、大好きなオリバー、ああ、勇敢なオリバー、私を一時(ひととき)も離さないで」
 
「(ロートーンで)こっちに来るな、向こうに行け、お前とは結婚式をしない」
 
そしてジェイクズ、タッチストーン、オードリーが画面右へ立ち去る。
 
「なんか俺いつも馬鹿にされてるけど、気にしないもんね!」
と言ってオリバー・マーテクスト(揚浜フラフラ)も立ち去る。
 

(*52) 当時流行っていた流行歌である。1番では女が男(オリバー)に言い寄るが、2番では男がその女を邪険にするという形式になっている。オリジナルのメロディーが不明であるため、今回は醍醐春海(暇そうにしていた7番!)が曲を付けている。
 

(*53) 前述のように昔は幼い男の子はスカートを穿いていたので、スカートを一応卒業してズボンを穿くようになることをブリーチングと言った。ただしこのくらいの時代までは、成人男性がショートスカートを穿くこともあった。女性はロングスカートであり、ショートスカートは男性用の服である。概してタイツの類いと組み合わせる。
 
タイツだけで、ズボンもスカートも穿かず、コッドピース!(codpiece)だけというパターンもあった。コッドピースが発達?したのが現代の男性バレエダンサーが身に付けているサポーター(ダンスベルト)や男性アスリート用のジョックストラップ (jockstrap) である。
 

(*54) オリバー・マーテクストは"vicar"と書かれている。ここでは副牧師と訳したが、普通は単に牧師と訳す。同じ“牧師”と訳される"rector"より地位が低い(給料が約半分)。vicarの下には更に無給!のperpetual curate という牧師もある。
 
元々vicar ということばはラテン語の vicarius から出た言葉で“代理”という意味。副大統領 vice president などの vice と同語源である。それでここでは副牧師と訳した。
 
日本ではrector, vicar, pastor, reverendは全部単に牧師と訳されているが、各々の地位はそれぞれの宗派によりかなり異なるのでこれらのことばの一般的な説明は困難である。実際、英国国教会(*56) においても、priest, rector, vicar, team rector, team vicar, perpetual curate などは各々の地区での歴史的経緯でそう呼ばれているだけであり、国教会全体で統一的な基準があるものではない。
 
そもそもプロテスタントや国教会での牧師というのは聖職者ではない。単にその役目を果たしているだけの存在であり、町内会長や学校の校長などと同類の仕事である。だからカトリックの司祭は教会の仕事をやめても司祭だが、プロテスタントや聖公会の牧師は教会の仕事をやめたら、ただの人である。
 
この人物の名前は当時流行っていた「愛しのオリバー」に合わせて作られた名前と思われる。
 
なお、ジェイクズは priest に式を挙げてもらおうと言っている。ここでは司祭と訳した。これは一般にしっかりした訓練を受けていて、充分高い地位にある牧師を表す。日本語でも司祭と訳されることが多いが、カトリックの司祭とは、呼称は同じでも意味は全く異なる。基本的には牧師の一種にすぎないし、カトリックの司祭と違って結婚も可能である。
 
ちなみに現代ではカトリックの司祭にも結婚している人は結構居る。実は司祭の資格を取る前なら結婚可能なのである。司祭になったら結婚できなくなる。だからみんな結婚してから司祭になる。プロテスタントや聖公会の司祭は、司祭になった後でも結婚できる。
 

(*55) カトリックの司祭は一般に「神父様(Father)」と呼びかけられるが、プロテスタントや聖公会の牧師は日本では「先生」と呼ばれることがある(多分宗派によっても違う)。英語だと Preacher, Minister, Reverend, Doctor などが使用されるようだが、これも宗派によって事情は違うようである。
 

(*56) イングランド国教会(Church of England/ C of E) は、エリザベス1世の父・ヘンリー8世の離婚問題(*57) に関するローマ教皇との揉め事をきっかけにカトリックから独立したもので、イングランド国王がその首長の地位を務める。
 
南部の「カンタベリー管区」と北部の「ヨーク管区」の2つの管区(province)に大主教(archbishop) がいて、この2人が事実上の教会トップである。管区は多数の教区に別れており、その長は主教(bishop) と呼ばれる。
 
プロテスタントに分類されることが多いが、分離独立の経緯から実際にはカトリックとプロテスタントの中間("Via Media")の教理やシステムを持つ。但し教会の中には、カトリック色の強い高教会(High Church) 、プロテスタント色の強い低教会(Low Church) がある。他にも自由学的に広教会(Board Church) 更には微妙な教会もあり、かなりの個性がある。
 
修道会は当時は解散命令が出て全て解体されたが(詳細後述)、現代ではまた復活している。
 

イングランド国教会を発端として世界的に広がる教会組織を聖公会(Anglican Communion) という。その多くはイングランド国教会またはスコットランド聖公会(後述)の系統に属している。イングランド国教会および聖公会は、クェーカー、メソジストなどのルーツにもなった。
 
アイルランドではイングランド国教会が成立した直後にアイルランド国教会(Church of Ireland) が組織され、ほとんどのカトリック教会がカルヴァン派に転向した。そのため、アイルランド国教会には現代でも低教会系の教会がとても多い。アイルランド国教会はイングランド王をその首長と定めている。現在ではアイルランドの国教ではなくなっているため、アイルランド聖公会とも呼ばれる。
 
スコットランドには現在スコットランド国教会(Church of Scottland) と、スコットランド聖公会(Scottish Episcopal Church) が並立している。後者がイングランド国教会とつながりのある教会で、アメリカ聖公会などもこの系統に属している。ただし、スコットランドでは現在聖公会は少数派であり、キリスト教長老派に属するスコットランド国教会が最も大きな勢力を持っている。これはイングランド国教会とは無関係の教会である。
 

(*57) ヘンリー8世は6回結婚している。
 
(1) (1) Catherine of Aragon "princess of Castile" (1509-1533 divorced)
 
イスパニア王女。本来はヘンリーの兄アーサーの妻だったが、アーサーが15歳で亡くなったので、スペインとイングランドの関係維持のため、ローマ教皇の特別許可により、その妻を“譲られた”。
 
メアリ王女(後のブラッディ・メアリ)を産む。しかし王子を産まないまま彼女が40歳を過ぎてしまったので、王は彼女を離婚してもっと若い女と結婚したいと思った。しかしローマ教皇が離婚を認めなかったので、ローマ教会からの決別を宣言。イングランド国教会を創設し、カンタベリー大司教から離婚の許可をもらった。
 
(2) Anne Boleyn maid of Catherine (1532-1536 beheaded)
 
カザリンの侍女だった。彼女と結婚したいために王はカザリンと離別した。離婚手続きに時間が掛かったため、ヘンリー8世は半年ほど重婚状態にあった。
 
エリザベス王女(後のエリザベス1世)を産む。大騒動を起こして結婚したものの、彼女が最初に産んだのが↑の通り王女で、次は男児だったが死産だった。
 
それで王は怒って、彼女に姦通の濡れ衣を着せて処刑してしまう(巻き添えで王妃の身の回りの世話をしていた男性が姦通相手と言われて一緒に処刑された)。
 
男の子を産まないと斬首刑にされる!
 
(3) Jane Seymour (1536-1537 died in childbed)
 
エドワード王子(『王子と乞食』のモデル)を産むが、お産で亡くなる。
 
待望の男の子だったがエドワードは病弱でヘンリーを不安にさせた。
 

(4) Anne of Cleves "lady in picture" (1540.1.6-1540.7.12 divorced)
 
画家ホルバイン(Hans Holbein)が描いた絵の中の女性。ドイツ人で英語も話せなかった。彼女とは絵姿だけを見て惚れ込み、実際に会ったのは結婚式の4日前であった(本人も唐突に3日後にイングランドの王様と結婚してと言われて仰天した)。でも結婚してみると王の好みでは無かった!それで半年で離婚している。
 
(5) Katherine Howard (1540-1542 beheaded)
 
アン・オブ・クレーヴズの侍女。彼女はアン・ブーリンの従妹で、ジェーン・シーモアの再従妹でもある。彼女には夫がいたが、強引に王と結婚させられた。しかも結婚後にその元夫と通じていたと言われて処刑された!全く酷い話である。元夫は王との結婚後は彼女と関係を持っていないと主張したが認められなかった。
 
結局、国王と結婚するというのは斬首刑になるということである!
 
(アラビアンナイトみたいな話だ)
 
(6) Catherine Parr (1543-1547 survived)
 
物凄く強い性格の女性で頭も良く知識も豊富でヘンリーをうならせたという。ある意味恐妻ぶりを発揮して、以後、ヘンリーはあまり浮気をすることができず、彼女は王と最後まで添い遂げた。彼女はプロテスタントだったのでカトリック派が彼女を陥れようとしたこともあるが、彼女を信頼している王が守り抜いてくれた(逮捕しに来た役人を「帰れ!」と言って追い返した)。
 
ヘンリーが亡くなった翌年(1548)に没している。また彼女は子供の教育にも熱心で、ヘンリーの3人の子供を分け隔てなく可愛がった。彼女のおかげでメアリとエリザベスは王位継承権者としての地位を回復した。
 

ヘンリー8世が亡くなった後はエドワードが8歳で即位してエドワード6世となるが病弱で15歳で亡くなってしまう。その後は本来はメアリが継ぐべきだったが、メアリが熱心なカトリックであることから反動を恐れた人たちにより、遠縁の王女、ジェーン・グレイが国王の地位に就く。
 
しかしメアリはその即位に異議を唱え、自分の支持者とともに王宮に乗り込んでジェーンを拘束。斬首刑にしてしまう(クーデター)。
 
国王になるというのは斬首刑になるということである!
 
ジェーンが王位にあったのは9日間。処刑された時はわずか16歳であった。彼女の王位は短期間であったため、Queen Jane ではなく Lady Jane と呼ぶ人が多かったが、現在のイングランド王室は彼女が正式の国王であったと認定している。
 
王位に就いたメアリ1世はイングランドのカトリックへの復帰を宣言。予想通り、これに反発する人を次々と処刑。子供を含む大量の殉教者を出した。そのため彼女は“血のメアリ”(Bloddy Mary) と呼ばれる。
 
メアリの母はスペイン王室の出身であり、メアリ自身も周囲の反対を押し切ってスペイン王フェリペ2世と結婚したので、当時はイングランドがスペインの属国と化す危険があった。更にこの結婚によりイングランドはスペインとフランスの戦争に巻き込まれ、唯一の大陸領土であったカレーを失っている。戦争は国家財政も圧迫した。
 
メアリは王位についてから5年ほどで病死している。彼女が亡くなった時、人々は恐怖政治から解放されたことをお祝いしたという。
 
メアリの死後は、プロテスタントのエリザベス1世(当時25歳)が即位し、国王優越法を制定して、再度イングランド国教会を設立する。この法律により異端法は厳しく制限されて殉教者は減り、カトリックとプロテスタントが共存できる社会が作られていくことになる。エリザベス自身はプロテスタントだが、自ら十字架を身に付けるなどカトリックの人たちが喜ぶ行動もとって融和の方針を示す。彼女の治世下で本当に“中道的”国教会の礎が築かれることになる。
 

広瀬みづほが「翌日。アーデンの森近くの田園地区」と書かれた板を持っている(原作に無い場面)。
 
フィービー(七浜宇菜)が道を歩いていると、昨日助けた女羊飼い(栗原リア)が待っていた。
 
「マーガレットだったね?どうかした」
「あのぉ、これを」
と言って少女は恥ずかしそうに花束を差し出した。
「何か?」
「昨日私、一目惚れしてしまって。私をあなたの彼女にしていただくことはできませんか?」
 
フィービーの心の声「またかい!」(こういう経験は多い)。
 
「悪いけど、ぼくは女の子とは付き合わないから」
「どうしてですか?」
「ぼくも女だから」
「うっそー!?」
 
それでフィービーは彼女の手を取って自分の胸に触らせた。
 
「ほんとに女の子だ!」
「女同士でお友達にはなるよ」
「はい!」
とマーガレットは嬉しそうである。
 
「お花はもらっておくね」
と言ってフィービーが花束を受け取って去って行く(フィービーは女の子には優しい)と、少女はまだ憧れるような目でその後姿を見送った。
 

広瀬みづほが「田園地区の別の場所」と書かれた板を持っている(原作第3幕第5場)。
 
フィービー(七浜宇菜)が左手(下手)から歩いてくる。それを追うようにシルヴィアス(鈴本信彦)が急ぎ足で歩いてくる。
 
「ねぇ。フィービー。僕の思いを受け取ってよ。僕のことを嫌わないで。そしてもう少し優しくしてよ」
とシルヴィアスは言う。
 
「私は別にあんたのこと嫌いじゃ無いよ」
とフィービー。
 
「ほんと?」
と嬉しそうな顔のシルヴィアス。
 
「単に興味無いだけ」
「そんなぁ」
 
(フィービーは男には冷たい)
 
「ね、お願い。聞いてよ。ほんとに僕は君に夢中なんだ。だから僕に冷たくしないでくれよ。首切り役人だって罪人の首を斧で切り落とす時は必ず許しを乞うというじゃないか」
とシルヴィアス。
 
「私を首切り役人だとでもいうの?私があなたを殺すとでも?そもそも私の態度であなたが傷つくなんてナンセンス。私は私の勝手よ。私が何をしようとあなたには関係ないでしょ?それであなたが死にそうな思いがするなんて、ありえない」
とフィービー。
 
「ああ、愛しいフィービー。君だってどこかの美しい若者に出会って胸をときめかせたりしたら、こんな気持ちがきっと分かるだろうに。そうしたらきっと僕の気持ちが分かるんだ」
 

「じゃ、その時が来るまで私に近づかないで」
 
と言ってフィービーは行こうとするが、そこに右手(上手)からギャニミード(ロザリンド:アクア)とエイリーナ(シーリア:姫路スピカ)にコリンが歩いてくる。フィービーはギャニミードと目が合う。
 
「まあ何て素敵なお方!」
とフィービーは言う。
 
「ぜひお名前を教えてください。私はフィービーです」
「私はギャニミードと言うが」
「最近こちらに来られたのですか?」
「まあそうだけど、君はそこの青年と恋人なのではないのか?」
とギャニミードが言うと
 
「はいそうです」
とシルヴィアスが言うが
「いいえ違います」
とフィービーは言う。
 
「この人、勝手に私に言い寄っているだけで、私はこの人のことなんか知りませんから」
とフィービー。
 
「随分冷たいことを言うね。もう少し優しくしてあげなよ」
とギャニミード。
「ああ、なんて素敵なの。私、あなたのことを好きになってしまいました。私をもっと叱って叱って」
とフィービー。
 
「勝手にそんなこと思われるのは迷惑だ。退散しよう。妹よ、おいで」
と言って、ギャニミードはエイリーナ・コリンと一緒に右手(上手)へ退場する。
 
(この場面、シーリアとコリンのセリフは全く無い)
 

フィービーがギャニミードの去って行った方角を見詰めているのでシルヴィアスが声を掛ける。
 
「ねぇ、フィービー?」
 
「世の中にはあんな美しい男の人も居るのね。私初めて恋というものを知ったかも」
とフィービー。
 
「ねぇ、フィービー。僕をいっそ哀れと思ってくれたりはしない?」
「そうね。少しは気の毒かも知れないね」
「だったら、同情ついでに僕のことを好きになってくれない?」
「もちろん好きよ。お友達としてね。シルヴィアス、あの人知ってる?」
 
「うん。アーサーさんの土地を買った人だよ」
「へー。だったら住んでる所分かる?」
「分かるけど」
「だったら頼みがあるの。聞いてくれる?」
「もちろんいいよ」
 
「じゃ、ちょっとこっちに来て」
と言って2人は左手に退場する(*58).
 

(*58) 今回の映画はほとんどのシーンが固定され固定方向を向いたカメラで撮影しており、いわゆるカメラワークをほとんど行っていない。まるで舞台上演を中継するかのような感じで撮影している。
 
だから俳優は下手、時に上手から出てきて、下手・上手のどちらかに去るのである。
 

広瀬みづほが「ロザリンドの家の前」と書かれた板を持っている(原作第4幕第1場)。
 
背景に2階建ての煉瓦の家が映っている。現代風にいえば 5LDKか6LDKくらいの感じ。広い俄があり、周囲には多数のオリーブの木がある。
 
語り手「ここはロザリンドとシーリアが住む家です。ふたりの部屋は2階にあり、1階にタッチストーンが住んでいます。食材などの物資はタッチストーンやコリンが調達してきて、調理はロザリンドがしています」
 
ギャニミード(ロザリンド:アクア)とエイリーナ(シーリア:姫路スピカ)が庭にある横にした木(簡易なベンチ!)に腰掛けてジェイクズ (Linus Richter) と、おしゃへりしていたら、画面左手(舞台なら下手)からオーランド (Stephan Schmelzer) が、やってくる。
 
「やあ、こんにちは。愛しいロザリンド」
とオーランドは声を掛けるが、ギャニミードは返事もしないし彼の方向を見もせず、ジェイクズと話している。
 

やがてジェイクズが
「ではまた」
と言って、右手(上手)に退場する。
 
するとギャニミードはオーランドに今気付いたかように彼を見る。
 
「やあ、オーランド君か。どこに居たんですか?こんなに時間に遅れるのなら、もう二度と来なくていいよ」
とギャニミードは男声で言う。
 
語り手「実はロザリンドとシーリアはいつまでもオーランドが来ないので探しに行ってフィービーと遭遇。彼女がうるさいので逃げて来て、そこでジェイクズと出会って少し話していた所です。つまり約束の時刻から随分遅れています。それでロザリンドはかなり怒っています」
 
(この映画で語り手の今井葉月は菫色のドレスを着ている)
 

「ごめんねー。でも約束の時刻から1時間も経ってないと思うけど」
 
語り手「いや、絶対2時間は過ぎてる」
 
ギャニミード(ロザリンド)は彼を非難して(男声で)言う。
 
「恋人との約束に1時間遅れるなんて! 1/1000分でも遅れるような人はキューピッドの矢がハートには当たらずに肩をちょっとかすめただけなんだよ」
 
「本当にごめん。愛しのロザリンド」
「こんな時間にルースな人はもう見たくも無いね。カタツムリに口説かれるほうがまだマシだよ」
「カタツムリなの?」
「カタツムリは、のろいけどまだ自分の家を持っているからね。財産を持っているし、妻の名誉のためにツノを生やしているから」
 
「ツノ??」
 
「だって妻が浮気した亭主にはツノが生えるって言うじゃないか。ところがカタツムリは最初からツノが生えているから、妻が浮気していても分からない。それで妻の名誉を守ってくれているんだよ」
 
「ぼくのロザリンドは浮気なんてしない」
とオーランドは言う。
 

「(女声で)そしてあなたのロザリンドはこの私」
とギャニミード。(ギャニミードはオーランドに youで話している)
 
シーリアが言う。
「オーランド様は、お兄様をロザリンドと呼ぶと嬉しいみたい。でもオーランド様の心の中にはもっと色っぽい目をしたロザリンドが居るみたい」
 

広瀬みづほが「ここからこの劇最大の見せ場」と書かれた板を持ち画面を通り過ぎる。
 
ギャニミードは言った。
「(男声で)さあぼくをロザリンドだと思って口説いて口説いて。(女声で)今私は春の気分なのよ。あっという間にプロポーズに同意してしまいそう。(男声で)ぼくに何て言うの?もしぼくがあなたの素敵なロザリンドだったら」(*59)
 
(ギャニミードはオーランドにあくまで youで話している)
 
ここでアクアは挿入歌『私を口説いて』(阿木結紀作詞作曲)を歌う。
 

(*59) 以下、アクアは“ギャニミード”役の男声と“ロザリンド”役の女声を細かく切り替えて1人2役を演じる。この部分は特に海外で高く評価された。
 
フランスの映画評論家がこのように述べた。
 
「このような演出はCOVID-19の流行下という状況が生み出した“セリフ先録り撮影”という特殊な制作方法が可能にした、奇蹟の演出だ。アクア姉弟はまるでひとりの俳優が男声と女声を切り換えながら話しているかのような話し方をしている。さすが双子の姉弟は息が合っている」
 
一方、日本の評論家はこう言った。
 
「この場面は、常々自分は男だと主張している女優のアクアが、女性キャラクターを演じ、その女性キャラクターが男装して女役をするという四重の性転換になっていて、“三重の性転換”を描いたシェイクスピアの原作以上に複雑なことが起きている。アクアという奇蹟の女優が無ければ成立しなかった映画だ」
 

「言葉で口説く前にキスしたい」
とオーランド。
 
ギャニミードは答える。
「(男声で)だめです。最初は言葉から始めなければなりません。そしてふたりでおしゃべりしていて、ふと言葉が途切れた時、キスをするのです。慣れた演説家もずっと演説していて一瞬話すことが無くなった時にコップの水を飲む(*60)。恋人たちも話していて一瞬話すことが無くなった時にその“間(ま)”を切り抜ける最大の手段がキスなんだよ」
 
(この付近のラブトーク事情は当時から現代まで変わっていないようである)
 
「もしキスを拒否されたら?」
とオーランドが訊く。
 
「その時はキスを今はまだ受け入れられない理由を彼女は話すだろうし、彼はキスしようよとかお願いしたりして、そこからまた会話が続いて行く」
 
「でもそもそも恋人を前にして話すことが無くなったりすることあるのかなあ」
とオーランド。
 
「話のネタが尽きないのは良いことだけど、わざとそういう間(ま)を作るんだよ。でないとぼくがもしあなたの恋人なら貞操が邪魔して、いつまで経っても仲が進行しない」
 
「そういうのわざとらしくならないかなあ」
「それを自然にやるんだよ。でもちょっと待って。これ第三者との会話になってる。ぼくがあなたのロザリンドだったんじゃなかったっけ?」
 
「うん。そうだった。でも僕は彼女のことをあなたと話しているのも楽しくて」
 

「(男声で)じゃその彼女に代わって言おう。(女声で)あなたと恋人にはなりたくないわ」
 
「だったら僕は死んでしまう」
 
「死ぬのは誰か代わりの人に死なせておきなさい。天地開闢から6000年経ったと言われるけど、その間に恋愛で死んだ男なんて誰もいませんよ。よくトロイラスは恋のためにアキレスに殺されたとか言うけど、実際には恋愛と関係無く戦略上の問題で殺されただけです(*61)」
 
「レアンドロスは恋人のヘーローに会いに行くために海を泳いで渡っていて溺死したというけど、本当は海水浴に行ってて溺れ死んだのを悲恋話に仕立て上げられただけ(*62)。ヘーローだって死んだりせずに修道院に入って、のんびりと長生きしたはずですよ」
とギャニミード(ロザリンド)は言う。
 
「この手の話は全部大嘘。男はたくさん死んでるけど、恋のために死んだりすることはないです」
 

(*60) 原文は spit (唾を吐く)だが、下品なのでコップの水を飲むというのに置換した。
 
(*61) トロイラスはトロイの若い王子で、彼の存在がトロイ戦争の行方に影響を与えるため、ギリシャ側のアキレスにより殺害された・・・というのが実際にホメロスの『イーリアス』で描かれているトロイラスに関する話である。
 
ところが12世紀頃になって、トロイラスはグレシダという女性と愛を誓い合っていたという話が出てくる。彼女の父親はギリシャ側で参戦していたのでグレシダもギリシャ軍の父親の元に連れて行かれた。トロイラスは彼女を取り戻そうとしてアキレスと戦い、敗れたという話が付け加えられた。つまりこの話は後から出てきた筋立てであり、ここではギャニミード(ロザリンド)が言う通りなのである。
 
シェイクスピアはこのトロイラスがグレシダのために死んだという話を発展させた“問題劇”『トロイラスとグレシダ』を『お気に召すまま』の3年後、1602年に書いている。今日この戯曲を読むと多くの読者が困惑する。この劇の性格がつかめず、どう感想を持てばいいのか分からないのである。あまりにも前衛的?すぎて、この劇は実際には上演されなかったのではとも言われる。
 
(実はまとめる途中で放棄したものだったりして)
 

(*62) ダーダネルス海峡(*63) の東岸に住む青年レアンドロスは西岸の塔に住むアフロディーテの女神官ヘーローに恋をし、彼女とデートするために、頻繁に海峡を泳いでわたって彼女に会いに行っていた。しかしある夜、嵐の海に飲まれて死んでしまった。レアンドロスの遺体を見てヘーローは嘆き悲しみ自殺したという。
 
この話は古くから多くの作家や詩人に取り上げられ、ハッピーエンドの物語に改変した作者もある。
 
シェイクスピアはこの作品に何度も言及しており、『ヴェローナの二紳士』、『空騒ぎ』、『夏の夜の夢』でも書かれている。いづれにしてもシェイクスピアはこの話を美しい悲劇と捉えるのは好きでないようである。
 
筆者もヘーローは自殺などしなかったというロザリンドの意見に賛成。女はわりとドライである。ただ騒ぎになって女神官はクビになり、ロザリンドの言うように修道院とかには入ったかも。
 

(*63) エーゲ海とマルマラ海を区切る海峡がダーダネルス海峡である。一方、マルマラ海と黒海の間の海峡がボスボラス海峡である。つまり、
 
エーゲ海(ダーダネルス海峡)マルマラ海(ボスボラス海峡)黒海
 
とつながっているのでここまでは海。カスピ海は黒海とは切れているので湖(現代ではいくつかの運河と自然の川を経由して行き来できる)。
 

ギャニミードの説を聴いてオーランドは不快そうに言う。
 
「僕の本物のロザリンドにはそんなこと思ってほしくないなあ。実際僕は彼女がしかめ面しただけで死んでしまいそうだよ」
 
語り手「野暮な突っ込みだけどさっきロザリンドを遅刻で怒らせた時にオーランドは死んでないよね?」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)この手に誓って、ロザリンドのしかめ面ではハエ一匹死にませんよ。(女声で)でも来て来て。今度は少し優しくしいロザリンドになってあげる。何か私に頼んでみて。私『うん』と言っちゃうかもよ」
 
オーランド「じゃ僕を愛して、ロザリンド」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)はい。いいですよ。金曜も土曜も他の曜日も」
 
オーランド「ぼくと結婚してくれる?」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)ええ。あなたなら20人とでも」
オーランド「20人!?」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)あなたは良い人でしょ?」
オーランド「そうでありたいね」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)良いものなら、いくらあってもいいじゃない」
 
ロザリンドは立ち上がる。
 

ギャニミード(ロザリンド)は言う。
「(男声で)妹よ。お前が司祭だ。ぼくたちを結婚させて。オーランド、手を出して。妹よ、口上を」
 
オーランドも立ち上がり言う。
「お願いします。結婚させて下さい」
 
エイリーナ(シーリア)も立ち上がりはしたが
「私、司祭の口上分かんなーい」
などち言っている。
 

ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)『オーランド、あなたは・・・』から始める」
 
エイリーナ(シーリア)「じゃ行こう。オーランド、あなたは、ロザリンドを妻にしますか?」
 
オーランド「はい」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)でもいつ妻にするの?」
 
「今すぐにでも。妹さんが僕たちを結婚させてくれたら」
とオーランド。
 
それでギャニミード(ロザリンド)はオーランドに言う。
「(男声で)だったら『ぼくは君を妻にしたい、ロザリンド』と言わなきゃ」
 
「ぼくは君を妻にしたい、ロザリンド」
とオーランドは言われた通り言う。
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)ここで司祭に尋ねてもらいたいところだけど(女声で)私はそなた、オーランド、を夫にします。(男声で)この娘、司祭から尋ねられる前に言ってしまった。まあ女は概して行動より思考が先行するものだ」
 
オーランド「女と限らず言葉は先行するんだよ。言葉には翼が生えている」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)さてロザリンドを手に入れることができたら、どのくらい彼女を妻にしてる?」
 
オーランド「永遠と1日」(*64)
 

(*64) 数学的集合論の観点からいえば“永遠と1日”ω+1 は“永遠”ωより大きな数である。この付近のシェイクスピアの数的な感覚は素晴らしい。一方で“1日と永遠” 1+ω は“永遠”に等しい。実際
 
「今日から永遠に作業してもらう」
「今日から1日と永遠に作業してもらう」
 
は同じことである。つまり無限の世界では加法の交換法則が成立しない。
 
これに対して、松たか子の『明日、春が来たら』の歌詞に「永遠の前の日」というのがあるが、ω-1 という数は存在しない。つまり1足して永遠になる数というのは存在しないのである。証明は簡単である。
 
ω-1 という数が存在するならそれはωより小さい。ということはそれは無限より小さい数である。ということはそれは有限である。しかし有限なものに1足しても有限である。ということはそれがω-1であったことと矛盾する。従って、そのような数は存在しない。(q.e.d.)
 

ギャニミード(ロザリンド)は
「(男声で)“永遠”は外して単に“1日”と言いなさい」
と言う。
 
「ためだめ、オーランド。男は女を口説く時は春の4月だけど結婚したら冬の12月になるんだ。女も結婚前は緑豊かな5月だけど、結婚したら変わりやすい秋10月の空模様になる。やきもちを焼いてガーガーとガチョウのように騒ぎ、雨の前のオウムのようにうるさく、エテ公のように新しいものを欲しがり、猿のように欲望が強く、あなたが楽しいことがあった時でも泉の前のダイアナのように何でもないことで泣くし、あなたが眠くて仕方ない時にもハイエナのように笑う」
 
オーランド「ぼくのロザリンドがそんなことするかなあ」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)誓ってもいい。彼女のすることはぼくのすることと同じ」
 
オーランド「でも彼女は賢いから」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)そういうこともしないというのは知恵が無いということだね。賢ければ賢いほど気まぐれになる。女の知恵に戸を立てても窓から出てくる。窓を塞いでも鍵穴から出てくる。鍵穴を塞いでも煙突から出てくる」
 
オーランド「そんな妻を持ったら男は言わなければならない『その知恵どこに行く?』って」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)その台詞はその知恵を隣の家の男のベッドで見付けた時までとっておこう」
 

オーランド「そんな所見付かったら何て言い訳するのさ?」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)あなたを探してたの、とでも。女をもらったらその程度の知恵は付いてくる。逆にその程度の言い訳もできない女では、子供の世話を任せられない。馬鹿な女は馬鹿な子供を育ててしまう」
 
オーランド「確かに母親の知性は子供に影響を与えるだろうな。できたら浮気はしてほしくないけど。ぼくも浮気はしないからさ」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)ほんとかなあ」
 
オーランド「そうだ。悪いけど、2時間ほど席を外したいのだけど」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)まあ、あなた無しで2時間も?」
 
オーランド「実は君のお父さんの公爵の招きで食事をすることになっていて。2時間後には必ず戻るから」
 
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)分かりました。でもまた約束を破って1分でも遅れたら、あなたはおよそ不実な恋人、ロザリンドという娘にはふさわしくない男。そう思うことにしよう(女声で)じゃ1時には戻るのね?」
 
オーランド「うん、大丈夫だよ。じゃちょっと行って来る。ぼくの可愛いロザリンド」
 
それでオーランドはロザリンドの手にキスをして画面左手に去って行った。
 

シーリアが言った。
「でもロス、さっきの会話で随分女のことを悪く言ってたね。私ちょっと頭に来てるんだけど。男の服を着てたら頭の中まで男になっちゃったの?」
 
ロザリンドは(むろん女声で)言う。
「ああ、リア、リア、リア。私の可愛いリア。私の愛の深さを知ってほしい。それはポルトガルの海(*65)より深いんだよ」
 
シーリア(まだ怒っている)は言う。
 
「そもそもあんたの愛情には底が無いんじゃないの?だから折角オーランド様が愛情を注ぎこんでも全部、下から漏れる」
 
ロザリンドは独りごとのように言う。
 
「あのヴィーナスの子供、気まぐれなキューピッドに私の愛の深さを測ってもらいたい」
 
ロザリンドは更に言う。
「ああ、オーランドが戻って来るまでとても待っていられない。私どこか木の陰を見付けて溜息ついてる」
 
「私は寝てる」
とシーリアは言って家の中に入ってしまう。ロザリンドは画面左手に歩いて行く。
 

(*65) 原文 the bay of Portugal.
 
ポルトガル最西端=ユーラシア大陸最西端のロカ岬 (Cabo da Roca) の沖合には深さ5000mを越える タグス海底平原 (Tagus Abyssal Plain) がある。ただシェイクスピアの時代にここが知られていたかどうかは不明。
 
もしかしたら、ポルトガル本土近くにあるルシタニアン海盆 (Lusitanian Basin) のことかも。この海盆の深さが調べてもどうしても分からない。あまり信頼できない情報で2500mくらいと書かれていたものもあった。(2200m以上あるのは確かっぽい)
 
この海盆の南端がタグス海底平原につながる。そしてその海底平原の南端に海面近くまで迫る大山脈ゴリンジ海嶺 (Gorringe Ridge) があり、その南側が有名な馬蹄海底平原 (Horseshoe Abyssal Plain) である。
 
 
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