【お気に召すまま2022】(2)
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場面が変わる。広瀬みづほは「どこかの道の途中」と書かれた板を持っている(原作に無い場面)。
オーランド(Stephan Schmelzer)とアダム(山村俊朗)が画面右手(舞台なら上手)から歩いてくる。アダムが遅れがちでオーランドは少し待っている。
「アダム大丈夫か」
「大丈夫です。あと10kmも歩けば村に出るはずです。頑張りましょう」
そこに左手から覆面をした5-6人の男が出てくる。
「おい、お前ら、金目のものを置いていけ。そしたら命までは取らん」
と男の1人が言う。
「なんで金目のものを出さなければならない?どういう理由か教えてくれ」
とオーランドは言った。
「物わかりの悪い兄ちゃんだなあ。そんなに死にたいのか?」
と言って、男が短剣を抜いてオーランドに迫るが、オーランドは彼の手首を握って短剣を落とさせると、彼の腕を取って背負い投げで男を地面に叩きつけた。男は動かない。気絶したようである(実は本当に気絶した!)。
「喧嘩するのか?俺は喧嘩は大好きだ。全員相手にするぞ」
とオーランドが言う。
「ごめんなさい!退散します!」
と残った男の1人が言い、みんなで親分を抱えて去って行った。
「なんだ? もう終わりか?つまらん」
とオーランドは言った。
公開時の観客の声。
「サンダーバットさん、今回は蹴られなくてよかったな」
「シュメルツァーに蹴られたらマジで男子廃業だろうな」
「実はさっきアクアに蹴られたので既に男子廃業してたりして」
場面が変わる。広瀬みづほは「公爵たちの洞窟前」と書かれた板を持っている(原作第2幕第5場)。
洞窟か映っている。洞窟の入口には風が吹き込まないように戸が設けられており、貴族たちがその戸から出てくる。
アミアン(中山洋介)がリュートを弾きながら『緑の森の木の下で (Under the Greenwood tree)』(シェイクスピア作詞・加糖珈琲訳詞・ヒロシ作曲)を歌う。森の中の暮らしがどんなに素晴らしいものであるかを歌った歌である。
アミアン(歌)「緑の森の木の下で。僕と一緒に寝転んで楽しい歌を鳥のさえずりに乗せて歌おうよ。ここに来て、ここに来て、ここに来て。ここに敵は居ない。ただ冬と荒天があるだけ」
(中山は最初に伴奏を録音し、それをヘッドホンで聴きながら録音時にマイクの前で歌を歌った。撮影時にはその伴奏と歌がミックスされたものを聴きながらリュートを弾いた。微妙なタイミングのずれは技術者さんが頑張って合わせた!)
ジェイクズ「もっと歌って歌って」
アミアン「歌ってると鬱になるんだけど」
ジェイクズ「それがいいんだよ。僕はイタチが卵の中身を吸い出すように歌の中から憂鬱を吸い出すんだ」
アミアン「今日は喉の調子が悪いんだ。あまりお気に召さないと思うけど」
ジェイクズ「僕が喜ぶように歌われては困る。単に歌ってくれたらいい。さあ2番の歌詞に行こう。1番・2番っていうよね?」
アミアン「お気に召すように呼んで下さい」
ジェイクズ「まあ名前は何でもいい。さあ続きを」
アミアン「まあリクエストされたし適当に歌うか」
ジェイクズ「ありがとう。感謝するよ。でも本当の感謝ならいいけど、心のこもってない“ありがとう”はむしろ不愉快になるよね。あれは猿が2匹出会ったようなものだ。ボーイにチップをやって『ありがとうございます』と言われても、全然嬉しくない。さあ歌おう、黙って聴いてるから」
アミアン「じゃ歌っている間に皆さんは夕食の準備をお願いします。そうそう、ジェイクズ卿、公爵が今日はずっとあなたを探してましたよ」
ジェイクズ「今日は公爵を避けていたので。あれこれ議論をしたがるんだもん。僕だって色々考えはするけど、最後は全部忘れてしまう。さあ歌行こう行こう」
みんな寄ってきて焚き火の周囲に輪を作る。
アミアン(歌)「野心のある人はここには来ないほうがいい」
一同(歌)「ここでは太陽の下で暮らし、自分の食べる物は自分で探し、何でも得られたものは喜んで食べる。ここに来て、ここに来て、ここに来て。ここに敵は居ない。ただ冬と荒天があるだけ」
ジェイクズ「私が昨日考えた詩を提供しよう」
アミアン「よろしく」
ジェイクズ「こんな感じ:ここに来た奴はみんな糞になる。富と楽な生活を捨て、頭の足りない奴が喜ぶ。ダクデイム(ducdame)、ダクデイム、ダクデイム、ここにあるのは馬鹿ばかり。自分もその馬鹿。ここに来たら」
アミアン「ダクデイム(ducdame)って何?」
ジェイクズ「ギリシャの呪文なんだよ。これを唱えると馬鹿が寄ってきて輪になる」
輪になって歌っていた一同が一瞬顔を見合わせる。
「さて僕は一眠りするよ。じゃね。眠れなかったら古代エジプト以来の長男を呪ってやる」
と言ってジェイクズは洞窟の中に消える。
アミアンは「ぼくは公爵を探して来るよ」と言って、リュートを置き、画面右手に消える。
場面が変わる。広瀬みづほは「アーデンの森の別の場所」と書かれた板を持っている(原作第2幕第6場)。
オーランド (Stephan Schmelzer) がアダム(山村大造)を支えるようにして歩いてくる。しかしアダムは座り込んでしまう。
「しっかりしろ、アダム」
「若旦那様。私はもう駄目です。ここをもう私のお墓にしたいと思います。長い間、ありがとうございました」
「何を言っているんだ?まだお前は死ぬ時では無い。ここで少し休んでろ。俺が何か食べ物を調達してくる。いいか、俺が戻るまでちゃんと待ってるんだぞ」
と言って、座り込んだアダムを置いたまま、オーランドはどこかに走って行く。
場面が戻る。広瀬みづほは「さっきの貴族たちの場所」と書かれた板を持っている(原作第2幕第7場)。
貴族たちが森の中で夕食の準備をしていたら、アミアンが公爵を連れて来る。そして食べようとしていたら、そこに抜き身の剣を手に持つ男(オーランド)が現れる。
「お前ら動くな。その食事に手を付けようとしたら殺すぞ」
とオーランドが言う。
「なんだ?この牡鶏(おんどり)は?」
とジェイクズが言う。
(うるさい牡鶏(おんどり cock)→威張ったような口をきく者の喩え)
顔色ひとつ変えずに公爵が男に言う。
「いきなり剣を抜いて乱暴なことを言うのは飢えてるからか?それとも物の言い方も知らない田舎者か?」
オーランドが言う。
「前のほうが正解だ。一応街で育った。しかし全く余裕の無い状態で礼儀正しくすることができない」
「取り敢えず、ぶどうでもどう?あ?僕が触ったら殺されるか」
とジェイクズ。
「何が欲しいんだ?乱暴なことをせずに、穏やかに頼めば私たちも穏やかに応じられるのに」
と公爵。
「飢え死にしそうなんだ。食べさせてくれ」
とオーランド。
「座って食べるがいい。歓迎しよう」
と公爵。
「そんな優しい言葉を。お許しください。森は荒っぽい場所かと思い、荒っぽい行動に出てしまいました。この剣は納めます」
と言ってオーランドは剣を鞘に仕舞う。
「あるいはかつては教会の鐘が鳴ると日曜ごとに礼拝をなさっていた方々なのでしょうか」
「そのような日々もあったな。聖なる哀れみに心を動かされて涙したこともあるし、善き人のもてなしを受けて暖かい心を感じたこともある。それが分かったら、そなたもそこに穏やかに腰をおろすがよい。ここにあるものがお前の役に立つなら存分に取って食べなさい」
と公爵は言う。
「ありがとうございます。しかし、実は私は哀れな年寄りを一人連れております。80歳をすぎているにも関わらず(*22)、私のためを思い、弱った足をひきずり一緒に付いてきてくれたものが今飢えに苦しんでおります。その哀れな子鹿に餌をやるまでは私が先にお食事に手をつける訳には参りません」
とオーランドは泣きながら言った。
「だったら、その年寄りもここに呼んでくるがよい。それまでは我々も食べずに待っていよう」
と公爵。
「ありがとうございます。あなた様に神の祝福がありますように」
とオーランドは言うと、走って行った。
(*22) 先の場面でアダムは「もうすぐ80歳になる年まで」と言っているが(テキストによっては70歳)、ここでオーランドは80歳過ぎと言っている。哀れんでもらうためにわざと上の年齢を言ったのか、それともオーランドはアダムを80歳越えと思っていたのかは不明。
公爵が言う。
「見るがよい。今もこの世の広大な舞台の上には、様々な人間模様が繰り広げられているのだ」
ジェイクズが言う。
「その通りです。この世自体が大きな舞台で、全ての人はそこで色々な役を演じる役者なのです。多くの人は生涯の間に7つの役を演じ分けます。最初は赤ん坊。母親に抱かれてピーピー泣いています。次は学生時代。カバンを抱えて学校に通い、教室でノートにペンを走らせます。第3が恋人時代。大きなため息をついて愛しの人に恋の歌を書き送ります。第4が兵隊時代。名誉欲に取り付かれ喧嘩にあけくれ、世間の思惑ばかり気にしています。第5が裁判官時代。太鼓腹にいかめしい目つきで、もっともらしい格言や月並みの言葉ばかりを並べ立てます。第6はもうろく時代。老眼鏡をかけ腰には古ぼけた巾着をさげ、過去の栄光にしがみついている。そして最後に来るのが忘却の時代。全てを忘れて無になる」
やがてアダムを抱えたオーランドが戻って来た。
「待っていたぞ。その大事な荷物をおろして、何でも食べさせるがよい」
と後者。
「この年寄りに代わり、厚くお礼を申し上げます」
とオーランド。
「そうしてくださいまし。私は今、自分でお礼を述べる力もない」
とアダムはかすれるような声で言う。
「よく来てくれた。さぁ、どんどん食べてくれ。しばらくは素性は尋ねないことにしよう。煩わしい思いはさせたくないし」
と公爵。
オーランドがアダムに食事を取ってやる。アダムは、ゆっくりと少しずつ口にする。
「アミアン歌え」
「はい」
アミアンがリュートを弾きながら『吹けよ吹け冬の風よ (Blow, blow, thou winter wind)』(シェイクスピア作詞・加糖珈琲訳詞・ヒロシ作曲)を歌う。
アミアン(歌)「吹けよ吹け、冬の風よ。お前はそう冷酷じゃない。恩知らずの人間に比べたら。お前の牙はそう鋭くない。お前の息は荒々しいけど」
「ハイホー歌えハイホー。緑の柊(ひいらぎ)に。友情なんて見せかけで、愛はただの愚。ハイホー柊(ひいらぎ)よ。ここの生活は楽しい」
「凍えよ凍え。厳しい空よ。それは大して噛まない。忘れられた恩ほどは。お前は水を凍らせるけど、お前の針はそう尖ってない。友に忘れられることほどは」
「ハイホー歌えハイホー。緑の柊(ひいらぎ)に。友情なんて見せかけで、愛はただの愚。ハイホー柊(ひいらぎ)よ。ここの生活は楽しい」
歌を聴きながら公爵は独白のようにオーランドを見て語る。
「しかし、君はあのローランドによく似ている。その老人にも記憶があるぞ。もし君があのローランドの息子であったら私は大歓迎だ。私はローランドを可愛がっていたジョージ・ドゥ・モンド公爵(*23) だよ。腹がふくれて落ち着いたら色々と積もる話もしたいものだな」
(*23) 原文「I am the Duke that loved your Father」。ジョージは“公爵”を名乗っており、“前公爵”などとは言っていない。つまりジョージは弟による公爵位の簒奪を認めていない。
河村監督の「カット!」という声が掛かり、俳優たちが緊張を解いて声を掛けあう。河村監督とカメラを回していた美高鏡子も笑顔で何か話している。
(この場面は矢本かえでが撮影している)
「フレデリック邸での撮影をする間、30分ほど休憩します」
と坂口さん(大和映像映像課長・兼・あけぼのテレビ専務)から声がある。
(多忙な大曽根部長はさすがに常時現場に付いていられないので、通常は阪口さんが現場を見ている)
ストロー付きのドリンクが出演者たちに配られて、みんな一息つく。みんなマスクを付けるが、そのマスクに空けた穴!からドリンクを飲んでいる。特製マスクである。
「だけどヒロシ君、ほんとリュートがうまいね。前から弾いてたの?」
「いやこのお話があってから、立川市の某音楽大学まで毎週1回通って習ったんですよ。ケイさんからは『ギター弾ける人ならすぐ弾けるよ』と言われて、ぼくもそのつもりだったけど全然違うから、大変なことを引き受けてしまった、と後悔しましたけどね」
「へー。3ヶ月程度練習しただけには見えない」
「やはり元々の音楽センスがいいんだろうねー。万能プレイヤーだもんね」
「これでレパートリーがまたひとつ増えたじゃん」
「確かにこの楽器ちょっと面白いなと思ってます。この撮影が終わったら、これぼくが買い取る話をしてるんですよ」
「買い取りというより、もらえないの?」
「うん。ぼくが後でケイちゃんに話付けてあげるよ」
「すんませーん」
場面が変わる。広瀬みづほが「フレデリック邸」と書かれた板を持っている(原作第3幕第1場)。
フレデリック(光山明剛)とルボー(木取道雄)が居る所にオリバー (Christof Hennig) が入ってくる。
「公爵様。申し訳ございません。弟を捕らえようとしっかり準備しているのですが、弟のやつ、あのレスリングの試合の後、1度も家に戻ってこないのです」
とオリバーは言う。
「おいおい。ふざけたことを言うんじゃない。そんなことを言って、実はどこか別宅にかくまっているのではないのか?そしてそこに、うちの娘もいるのでは?」
とフレデリックは追及する。
「めっそうもございません。本当に私は知らないのですよ」
とオリバー。
「俺が情け深い領主だったことをありがたく思え。気の短い男なら、お前を弟の代わりに今すぐ処刑するところだ。いいか1年だけ時間をやる。あらゆる手を尽くして、草の根を分けても(*24) 弟を探し出し、娘を取り戻せ。弟の生死は問わん。さもないと、お前の土地・財産も、お前が自分の物だと思っているものも全て没収してお前を追放する。お前の嫌疑が弟の口により晴れるまではな(*25)」
「ああ。私の心情が分かって頂けたら。私はあの弟を一度たりとも愛したことはありません。そんな私が弟をかくまったりするはず無いのに」
とオリバーが言うと、フレデリックは物凄く不快な顔をした。
「なんだと?なんて悪徳な奴だ。おい、こいつを叩き出せ。そしてこいつの土地も邸も差し押さえろ」
「え〜〜!?そんなぁ」
(*24) 原文は「Finde out thy brother wheresoere he is, Seeke him with Candle」
現代英語に直せば "Find out your brother wherever he is. Seek him with Candle"
「ロウソクを灯して探せ」というのが「徹底的に探せ」という意味の慣用句。
ずっと森の場面が続いている所に、フレデリック邸での短い場面が挿入される。エリザベス朝の時代には、大道具というものが無く、演技だけでシチュエーションを観客に想像してもらっていたのでこういう短い場面転換が可能だった。
しかし大道具を使用する現代演劇では、回り舞台のような仕組みでも無いと、こういう場面転換が困難なので、現代の多くの舞台公演ではこの場面は省略されている。しかし省略されると、なぜオリバーが森にいたのか分からなくなってしまう。幕を下ろして、幕の前で演技する流儀もある。
(*25) オーランドの生死は問わないと言っておきながら、オーランドの口からオリバーが関わっていなかったことが証明されるまでと言っているのは矛盾している気がする。捕縛の時にオーランドを殺してしまえば証言できなくなる。
広瀬みづほが「アーデンの森近く、村の外れ」と書かれた板を持っている(原作に無い場面)(*26)
オードリー(坂出モナ)が多数のヤギのお世話をしている。異様な鳴き声に気付いて行ってみると、高い岩の上に子ヤギが1頭上っている。
「なんでそんな所まで登ったの?こちらにおいで」
とオードリーが言うものの、どうも自分で降りきれないようである。
オードリーが困っていると、そこに菱模様の服を着たタッチストーンが通り掛かる。
「娘、どうした?」
と彼はオードリーに声を掛けた。
「あの子が岩の上に上ってしまって。でも自分で降りきれないみたいで」
とオードリー。
「面倒くさい。鉄砲で撃って殺して焼肉にしよう」
「ヤギのオーナーから叱られます!」
「全く面倒くさいな。俺にまかせろ」
と言うとタッチストーンは岩に昇り、ヤギの居る下の段からヤギを抱えて自分がいる段におろす。更に自分が下まで降りて、そこでまたヤギを抱えて板に降ろしてやった。子ヤギは喜んで母ヤギの所に走って行った。
「ありがとうございます!」
とオードリーが言う。
「あいつはオスかねメスかね」
「取っちゃったから中性ですね」
「簡単に言うなぁ」
「種ヤギにするオス以外は取っちゃいますから。取らないと荒っぽくて私の手には負えません」
「確かに面倒な奴は取っちゃうに限る ('d better cast whoever bothers me)」
「私を大役に取ってくれた人に感謝です (I thank the person who cast me as the great roll)」
「でもあんたひとりでヤギの番をしてるの?」
「はい。私お父ちゃんもお母ちゃんも居ないから、トーマスさんの家に雇われてヤギの世話をしているんです」
「ふーん。父も母も居ないというのは、君は木の股から生まれたのかい?」
「そんなことはありません!母は一昨年亡くなりました。父はどういう人か知りません」
「へー。若いのに苦労してるね」
「でもトーマスさん親切だから。元々は母がヤギの世話をしていて、私はその手伝いをしていたんですけどね。他に乳搾りにチーズ作りとか、畑の種播きとかの作業もお手伝いしますけど」
「あんたよく見たら可愛い顔してるじゃん。名前教えてよ」
「私はオードリーですけど、可愛いなんて言われたことないです」
「それは見る目のある人が居ない。俺はタッチストーンだ。俺を殴ると殴った奴のほうが手が痛くなるからタッチストーン」
「へー。私は聖オードリーの祭日に生まれたからオードリーなんだって」
「ほほお。6月23日生まれか」
「よく知ってるね!」
「で君何歳?」
「知らなーい」
「君は自分の生まれ年は知らないが生まれた日は知ってるのか!」
「お母ちゃんが毎年その日にお祝いしてくれてたから。タッチストーンさんは聖ストーンの祭日に生まれたの?」
「聖ストーンというのは知らないなあ」
「なんか聖人ってたくさん居るから覚えきれない」
「まあ全部覚えてる人は少ないだろうな」
「やはりそういうもんなんだ。でも聖オードリーの祭日は知ってたんだ?」
「まあ死んだ妹がその誕生日だったから」
「妹さん亡くなったの?」
「まあ人は死ぬものだ」
「そうだよねー。昨日まで元気してた人が今日は死んでたりする」
「まあ死んじゃったものは仕方ないから、生きてる者だけで何とかするしかない」
「おじさんいいこと言うね」
「“おじさん”は勘弁してよ」
「じゃ何て呼べばいいの?」
「“愛しのマイスイート(Lovely my sweet)”と呼べばいい」
「ふーん。甘いのがいいなら“私の甘いイモ(My sweet potatoe)”とでも呼ぼうか」
「いや、本気で俺、お前のことが気に入った。また来ていいかい?」
「だいたい昼間はこの辺でヤギを遊ばせてるよ」
「ついでに一度俺と結婚してみない(Dost thou marry me)?」
「にっこりさせてもらうのは結構好きだけど(I like that thou makest me merry)」
「おまえほんとに気に入った」
語り手「それで結局この日タッチストーンはロザリンドから頼まれた用事はすっかり忘れて、夕方までオードリーとおしゃべりし、ヤギをおうちに帰すまで付き合ったのでした」
(*26) このシーンは四国にあるヤギを飼っている牧場で撮影した。今回の映画で唯一の屋外ロケである。
モナとグローツァー、監督以下撮影スタッフがG650で四国まで日帰りで往復し撮影してきた。2人は英語台詞で撮影と同時に録音し、後日スタジオで他の言語の台詞をアフレコしている。実は多少アドリブが入っているが、モナはそれに応じて英語でちゃんと返していたので後で褒められていた。でもその部分の訳で、翻訳の人が悩んでいた!
「でもモナちゃん英語うまいんだね」
「私数学や化学は赤点ギリギリでしたけど英語だけは90点でしたよ」
「すごいね」
「私、お父さんがオーストレイリア人だから」
「そうだったんだ!」
「嘘です」
ヤギはおとなだとメスが70kg くらい、オスが100kgくらいだが、撮影に使った子ヤギは20kgくらいであった。グローツァーが抱えきれなかった時のために吹き替え役のプロレスラーさんを連れて行ったが、クローツァーは
「このくらいなら平気」
と言って自分で抱えた。
実は子ヤギを岩の上にあげるのはこの吹き替え役さんがした。
このヤギは“アクア映画の撮影に使われたヤギ”としてその後ずっと展示されているらしい。
場面が変わる。広瀬みづほが「アーデンの森のどこか」と書かれた板を持っている(原作第3幕第2場)。
オーランドが出て来て、独白する。
「ここにも我が歌を掲げよう。愛の証(あかし)として」
と言って、オーランドは紙とペン・インク壺を出し、紙に詩を書く。
「三重に冠した夜の女王(月の女神のこと(*27) )はその純潔な目で女狩人の名前がある青白い球体(月のこと)から私の生き様を全て見つめている」
「ああ、ロザリンド。ここにある木々は全て僕の本だ。そこに僕の思いを貼り付けよう。この森で物を見る全ての目が、この森のどこででも僕の詩を見られるように、たくさんの木々に僕の詩を取り付けよう」
そしてオーランドは紙を紐で木の枝に掛け、どこかに走り去る。
(*27) 月の女神 (Rome:ルナLuna /Greek:セレネ Selene), それとしばしば同一視される女狩人 (Rome:ディアナDiana/Greek:アルテミスArtemis), そして冥界の女王 (Rome:プロセルピナProserpina/Greek:ペルセフォネPersephone) を重ね合わせて "thrice crowned" と言っている。なおディアナDiana は英語読みするとダイアナである。
またアルテミス(Artemis) の別名はポイベー Phoibe でこれは英語ではフィービー Phoebe となり、この物語の田園舞台でのヒロインの名前になる。むろんオーランドはこの物語のフィービーのことを知らない。
オーランドが走り去った後に、コリン(藤原中臣)とタッチストーン (Martin Grotzer) が現れる。タッチストーンは黒と赤の菱模様の服を着ている。
「タッチストーンさん、田舎生活はいかがですか?」
とコリンが訊く。
タッチストーンは答える。
「そうだなあ。それ自体は良い暮らしだが、田舎生活だからつまらない。役人や貴族との面倒な儀礼をしなくていいのは気楽だが、人とのふれあいが少ないのは良くないね。自然が豊かなのはいいが、都会じゃないのは寂しい。素朴な食事なのは健康に良いけど、俺のお腹は物足りない。おやじさんは何か哲学があるかい?」
とタッチストーンはフレデリック邸に居た時と似たような感じで話す。
「まあ大した思索も無いけどね。病気は重くなるほど辛い。金と力と満足を追求する奴には3人を越える良友が居ない。雨の本質は湿りであり、火の本質は燃焼。餌をたくさんやると羊は太る。夜が起きる原因は太陽が無いことだ。大した知恵も技術も無い奴に限って、自分はいい教育を受けられなかったと文句を言う」
とコリンは自説を述べる。
「いや、あんたは自然の哲学者だよ」
とタッチストーンはマジで彼を褒めた。
2人がしばらく話している所にギャニミード(ロザリンド)がやってくる。
「お。我々の新しい女主人の兄上殿だ」
とコリン
ギャニミード(ロザリンド)は木々に貼り付けられた紙に書かれた詩を読む(男声)。
『東の端から西の端まで』
『どんな宝石もロザリンドには及ばない』
『彼女の名前は風に乗って』
『世界中に知れ渡るだろう』
『どんなに美しい絵画も』
『ロザリンドの前ではかすんでしまう』
『ロザリンドは美しすぎてその顔を記憶に留められない』
『しかしその美しさだけは心に刻まれるのだ』
タッチストーンが
「出来の悪い詩だなあ。その辺のくたびれたおばちゃんがぞろぞろ歩いているみたいだ。こんなので良いのなら俺なら8年間詩を書き続けられるよ。まあ、食事と睡眠の時を除いてね」
などと言っている。
ギャニミードが
「お前は黙ってろ」
というが、タッチストーンは
「俺でもこの程度は詠める」
と言って、でたらめな詩?を詠む。
『牡鹿が尻を欲しければ』
『差し出しましょうロザリンド』
『猫が恋人欲しければ』
『ここに居るよロザリンド』
『冬の衣服が欲しいなら』
『剥ぎ取ってやろうロザリンド』
『刈り入れするときゃ束ねて縛り』
『荷車に乗せようロザリンド』
『甘い木の実にゃ渋い皮』
『そんな木の実がロザリンド』
『甘い香りの薔薇の花』
『棘(とげ)もあるのがロザリンド』
「お前天才だな」
とギャニミード(ロザリンド)は呆れて言う。
「お気に召しましたか?」
とタッチストーンは平然として言う。
「私が読み上げた詩はあちこちの木に取り付けてあったものだ」
「へー。変な実(*28) のなる木もあったものですな」
「そうだ。その木にお前を接ぎ木して、その上に更にメドラー(*29) を接ぎ木してやろう。そしたらお前は頭が無くなって立派な脳無しになれるぞ」
「旦那様はなかなか良い発想をなさいますよ」
とタッチストーンはロザリンドに感心している。実際これがフレデリックなら途中で激怒して物を投げ付けられている。
(*28) 野暮な解説だが、木に詩の書いた紙が付いてたというので、それを木になった実と曲解している。
(*29) メドラー Medler は日本語では“西洋花梨”というが、花梨とは全く別の種類の果実である。日本の枇杷(びわ)がこの果実に似ているため、西洋では枇杷(びわ)のことを Japanese Medler と言う。
エイリーナ(シーリア)がやってくる。多数の紙の束をもっていて、それを読んでいる。
『なぜここは荒れ果てた土地なのか』
『人が住んでないからか?違う』
『全ての木に言葉を吊し』
『その木々が物をいえばすぐに開けた町になる』
『ああ、人生は短く』
『あっという間にその行程を走り去る』
『差し伸べられた掌(てのひら)で』
『人生の全てが覆われる』
『友と友の堅い誓いも』
『簡単に破られてしまう』
『しかし麗しき枝々に』
『あるいは全ての文末に』
『私はロザリンドと書こう』
『この文を読む人全てに教えたい』
『全ての精霊の真心が』
『この小さな宇宙にあることを』
『だから天はひとりの身体を選び』
『そこに全ての美徳を』
『注ぎ込むことにしたのだ』
『天は今抽出した』
『ヘレネ(*30) の心ではなく美しい頬を』
『クレオパトラの威光を』
『アタランテ(*31) の俊足を』
『ルクレティア(*32) の貞節を』
『それらの美徳がロザリンドには集まり』
『神々の会議で定められ』
『多くの顔・多くの目・多くの心より』
『最も愛しき手技が与えられた』
『これらの贈りものが天より与えられた彼女』
『私は彼女のしもべとして、共に生き共に死にたい』
(*30) ヘレンあるいはヘレネ(Helene) はギリシャ神話に出てくる女性。スパルタ王の娘だが絶世の美女であった。トロイ王子パリスに誘拐されたのがトロイ戦争の直接の原因とされる(根本的発端は“黄金の林檎”事件)。
(*31) アタランタあるいはアタランテ Atalante はギリシャ神話に出てくる俊足の女狩人。カリュドーンの猪狩りにも参加した。
(*32) ルクレティア Lucretia は古代ローマの女性。夫が不在の時にローマの王子セクストゥスにレイプされそうになるがあくまで抵抗した。しかし最後は『お前を殺して隣に男奴隷の死体も置き、姦通していたかのように装うぞ』と言われて屈した。事件後セクストゥスは告発され、これをきっかけとしてローマの王家は追放され、ローマは共和制に移行した。
「なんか壮大な詩だなあ」
とエイリーナ(シーリア)は言う。
ギャニミード(ロザリンド)はあくびをしている。
「あ?終わった?なんか退屈でぼくは途中で眠ってしまったよ」
とギャニミード(ロザリンド)は男声で言う。
「きゃっ。お兄様居たの?コリンやタッチストーンまで。あんたたちどこか行ってよ」
とシーリアが驚いて言う。実はシーリアは詩を読みながら歩いて来たので、そこに人が居ることに気付いてなかった。
「なんか行けと言われてるから退散するか」
と言ってタッチストーンとコリンが立ち去る。
「なんかあちこちの木に紙が掛けてあったのよ。読むだけでも恥ずかしい。ロスも聞いたの?今の詩?」
とシーリアは訊く。
「まあ聞いたけど詩としては形式が無茶苦茶」
とロザリンドは女声で答える。
「形式くらい、いいんじゃない?」
「詠んでる内容も酷いもんだ。小学生並みの詩だよ」
「ま少し変ではあるね。それよりロスの名前があちこちに大量に書かれてるんだけど」
「“驚きは9日続く”という言葉があるけど、リアが来る前に既に7日過ぎてた感じだね(自分も既にたくさんそれを見たということ)」
とロザリンド。
「ねぇ、これ誰が書いたんだと思う?」
とシーリアは訊く。
「男の人?」
とロザリンドが尋ねる。
「ロスが自分の首飾りを掛けてあげた人よ。あ、赤くなってる」
とシーリア。
「ねぇ誰なの?」
「分かったくせに何を言ってんだか」
「だから教えてよぉ」
「自分で想像しなさい」
「リア、あの人を見たの?帽子かぶってた?ひげを生やしてた?どんな服着てた?」
「知ーらない」
「私どうしよう?こんな男のような格好している所見られたら。私あの人にこの格好で遭遇したら何て言えばいいの?」
「恋してる人の質問に答えるより、塵の数を数える方が楽ね」
そこにオーランドとジェイクズが近づいてくる。
「あの方だ!隠れて見てましょう」
と言ってロザリンドとシーリアは岩陰に隠れる。
オーランドと“メランコリー”ジェイクズは何やら不思議な会話をしている。
「お付き合いくださってありがとう。でも僕はひとりで居たかった」
「僕もひとりで居たかったけど、儀礼上ご一緒させて頂きました」
「ではこれで別れましょう。再度会わないことを祈っています」
「私も会わなければいいなと思っています」
「今後は恋歌など貼り付けて木を傷めるようなことはしないでくださいよ」
「今後は僕の歌を勝手に読んで歌を傷つけないようにしてくださいよ」
「ロザリンドと言いました?あなたの思い人は」
「はいそうです」
「気に入らない名前だ」
「別にあなたを喜ばせるように名付けた訳ではありません」
「背の高さは?」
「私の心臓くらいの高さ(*37)」
「なるほどね。しかしあなたは金細工職人の奧さんとでも知り合いか。あなたの喩え方は、指輪の刻印などにありがちだ」
「自分ではむしろ普及品の壁掛けに書かれてる言葉かなと思ってますが」
「あんた、わりと頭の回転が速いと思うよ。アタランテの俊足並みの速さだよ。あんた自分はまともな教育受けてないから知能が劣っていると言うけど、結構しっかりした頭脳を持っていると思う」
とジェイクズは、少しマジにオーランドを評価した。
「ここに座って一緒に世間を批判しませんか」
とジェイクズは言うが。
「批判できるのは欠点だけの自分ですね」
とオーランド。
「まああんたの欠点は恋をしていることだな」
「その欠点はあなたの最大の美徳とも交換しませんよ」
「実はあなたとお会いした時は阿呆(*36)を探していたのです」
「阿呆を見付けたければ、川に行くといいですよ。水の中に沈んでいるから」
「水面に自分の顔が映るというオチですな」
「それも映らなかったら、あんたは空虚だ」
「あなたと二度と会いたくないですね(*35)」
「私も二度と会いたくないですね(*35)」
「でもそろそろおいとましよう。永遠にさようなら、恋する旦那(*33)」
「お別れできて幸いです。永遠にさようなら、憂鬱な旦那(*34)」
それでジェイクズは立ち去る。
(*33) 原文 farewell good signior Love. シニョールはイタリア語の男性敬称。
(*34) 原文 Adieu good Monsieur Melancholly. ムッシューはフランス語の男性敬称。ついでにアデューはフランス語で2度と会わないだろう(会いたくない)時の別れ言葉。
(*35) むろん反語的に言っている。この2人の会話は一部を除いて逆の意味で交わされており、2人は実際にはかなり意気投合している。
(*36) タッチストーンのこと。原作で“タッチストーン”という名前が出てくる箇所はひじょうに少なく、多くは clown (道化:どうけ), Fool (阿呆) などと言われている。 Fool は蔑称ではなく職業名である!“アホなことを言ったり、アホなことをして”笑わせるのが仕事なのである。
なおクラウンとピエロとジェスターの違いを説明しようとすると恐らく10ページ以上を要する。シェイクスピアの作品で道化が重要な役割を果たすものとして『リア王』もある。あの作品に出てくる道化は単に fool と呼ばれている。
日本の古代の宮廷にも“俳優(わざおき/わざひと)”と呼ばれる人が居て、滑稽なことをして人々を楽しませていた。大化の改新の発端となった乙巳の変で、中大兄皇子(後の天智天皇)は、俳優に命じて蘇我入鹿の剣を取り上げさせて、丸腰になった所を襲撃して殺害している。
無礼講の存在であるゆえに、権謀術数に巻き込まれることもあったであろう。
なおシェイクスピアの時代に『お気に召すまま』でタッチストーンを演じたのは、Robert Armin という役者さんである。シェイクスピアの作品群においては2代目の道化役になり、彼が『リア王』や『十二夜』『冬物語』などの道化を演じている。
初期のドタバタ喜劇の時代に道化を演じたのは William Kempe という人で、この道化役の交替で、シェイクスピアの作品そのもののテイストが変化したとも言われる。Kempeが単純に観客を笑わせていたのに対して、Arminは客に色々考えさせる笑いで、この人がなければリア王のあの道化は成立しなかったろう。
今回の映画でタッチストーンを演じているMartin Grotzer(35歳)はドイツの若手コメディアンである。たぶんオーランド役のシュメルツァーより売れている!
(*37) オーランドを演じているシュメルツァーの身長は190cmで、その胸の位置はだいたい137cmくらいである。ロザリンドを演じるアクアは、こんなに低くない。アクアの身長は158cmで、実際にはシュメルツァーの肩付近にアクアの頭頂がある。ヒールのある靴を履いていればもっと高い。
だいたい男性の乳首の高さは身長×0.72, 肩甲骨の高さは身長×0.81くらいである。190×0.81=154cm.
(女性の乳首の高さは乳房が重力で垂れるため男性より少し低い。肩甲骨の高さは男女でそう違いは無い)。
エリザベス朝時代、人間の背丈は全般的に今より低かったものと思われるが、当時としてたぶん長身の180cmの役者さんかオーランドを演じ、15-16歳の少年俳優がロザリンドを演じたとしても、恐らく身長は150cm程度はあったのではないかと思う。それならやはり肩付近に頭頂は来ていたであろう。
ロザリンドは物凄い演技力が必要な役どころで、恐らく一座の花形若手俳優が演じたと思うので、それより低い年齢というのは考えにくい。
オーランドが「ロザリンドの身長は自分の胸付近」と言っているのは恋に落ちて相手をより可愛く想像しているので、ものすごく小さな姫様と思い込んでいる結果であろう。
説明板係(広瀬みづほ)が「ここからこの劇の見せ場のひとつ」と書かれた板を持っている。
ジェイクズが立ち去った後、ギャニミード(ロザリンド)とエイリーナ(シーリア)が岩陰から出てくる。
「こんにちは、旦那(*38)」
とギャニミード(ロザリンド)はオーランドに声を掛けた(男声)。
(*38) 原文は"Do you hear, forester?" forester フォレスターは“森の住人”という意味。日本語訳本には“狩人さん”とか“森番さん”と訳しているものもあるが、オーランドは町から逃げ出してきた時のままの服だと思われ、狩人とかの田舎の人の服装ではないのではと思われる。ここは単に《旦那》と訳した。
「こんにちは。どうかなされたか?」
とオーランドは答える。
「どうもどうも。ところで今は何時何分でしょうか?」
とギャニミード(ロザリンド)が訊く。
この映画ではこの場面、ギャニミードを演じるアクアは男声で話している。
「1日の内のどのあたりか。朝か昼か夕方かくらいでお聞きなさい。森に時計は無い」
とオーランドは答える。
「そうですか。どうもこの森には恋をする人は居ないようだ。1分ごとに溜息をつき、1時間ごとにうめいていれば、のろまな時の歩みと同じになり、今何時何分かが分かるというものだが」
「普通は速い時の流れと言いませんか?」
「そうとは限りませんな。時の歩みは人によって異なるものです。“ゆっくり歩き”、それより遅い“かたつむり歩き”、“駆け足”、“停止”(*39)」
とギャニミード(ロザリンド)。
「ゆっくり歩きというのはどんな場合です?」
「若い娘が婚約してから式をあげるまでの時間。それがわずか7日であったとしても7年くらいあるように待ち遠しく感じるものです」
「だったらかたつむり歩きというのは?」
「たとえばラテン語を知らない司祭。勉強のしようが無いので眠ってばかりで時間が経たない。痛風を患ってない金持ち。何の苦しみも無いから全てに無頓着。こういう人たちに時はかたつむり歩きする」
「駆け足は?」
「絞首台に引き立てられていく死刑囚。どんなにゆっくり歩こうとも絞首台はあっという間に目の前に来てしまう」
「停止というと?」
「休暇中の弁護士。法廷と法廷の間は寝て過ごすから時の流れというものを全く感じない」
(*39) 原文は "I'll tell you who Time ambles withal, who Time trots withal, who Time gallops withal and who he stands still withal".
直訳すると、「並足(ambles) を使ったり、速歩(trots) を使ったり、疾走(gallops) したり、立ち止まる(stands still) こともある」となり、各々の実例が
並足(ambles) ラテン語の分からない司祭
速歩(trots) 結婚式を待つ花嫁
疾走(gallops) 絞首台に行く死刑囚
停止(stands still) 休暇中の弁護士
となっている。馬の速度に関する用語で説明されているが、日本語の文字感覚と合わないので、この部分は超訳して言葉を調整し“かたつむり歩き”“ゆっくり歩き”“駆け足”“停止”とした。また言葉の順序も入れ換えた、
「あなたはどこに住んでいるんですか?」
「この妹の羊飼い娘と一緒に森の端(skirt)に。ペチコートの裾のような感じ(*40)」
(*40) わざと女の服に関する単語を出して性欲を刺激しようとしている。
「この付近にずっと住んでおられるんですか?」
「そこに顔を出している穴ウサギと同様に、生まれた所に住んでいますね」
「あなたは田舎育ちにしては言葉の発音がきれいだ」
「よく言われます。実は優しくしてくれた近所のおじさんが若い頃都会に住んでいたんです。彼が私に正しい発音から様々な教養、修辞、学問、礼儀作法、更には女の口説き方まで教えてくれたんですよ。でも恋なんてするもんじゃないよ、女って欠点だらけだからと言ってました。まあ僕が男だからそこまで色々と教えてくれたしグチもこぼしたんでしょうけどね。女に女の口説き方教えても意味ないし」
「その女の欠点というのをいくつか聞きたい」
「いくつかも無いけどね。一番の問題点は女なんて500円玉(*41)みたいなもので、手にした時は凄く良いものに思えるけど、次の500円玉を見たら、そっちのほうが素晴らしいものに思えるってことだね」
「他には何かある?」
「普通の人には教えられない。ぼくの薬は病気に罹っている人にしか処方しない。どうもこの森にはそういう患者がひとり居るみたいなのだが。多数の木の枝に“ロザリンド”と書いた紙を取り付け(*42)、山査子(さんざし hawthorn)の木に叙情詩の紙をぶらさげ、木苺(きいちご bramble)の木に哀愁詩をぶらさげている奴がいる。そいつは完全な病気だから、薬が必要だな」
(*41) 原文は half-pence.
ここでこの単語は単数形がペニー penny で複数形がペンス pence である。ちなみに読み方が特殊であり、この読み方を知らないと恥を掻くことになる。
twopence タッペンス
halfpenny ヘイペニー
halfpence ヘイペンス
halfpennyとhalfpenceの使い分けは現代では、硬貨を表す時はhalfpenny (単数形)、金額を表す時は halfpence (複数形)と言われるが、この物語では明らかに half pence で半ペンス硬貨の意味で使用されている。現代とは使い分けが違ったのかも。
イギリスの貨幣単位は12ペンスが1シリングで、20シリングで1ポンドである。これは8世紀頃から1971年までこの方式であった。つまり240ペンスで1ポンドである。
シェイクスピアは1597年に住宅を60ポンドで購入している。これを仮に3000万円くらいと考えると1ポンドは現代の50万円。すると半ペンスは1000円くらいになる。そこでここでは500円玉と訳した。
(*42) 原作では詩は紙に書いて枝にぶらさげたり結び付けたりしているが、“ロザリンド”という名前はナイフで樹皮に刻んでいる。しかし木に刻むのは良くないし、アクア映画の影響力を考えると、絶対模倣者が大量に出る。そこでこの映画では名前も紙に書いて枝に付ける設定に変更した。
オーランドは言った。
「実はその病気の男というのが僕なんです。処方箋を出してもらえませんか?(*43)」
「そうですか?あなたには恋の病に罹っている患者の症状が全く見られないのだが」
とギャニミード(ロザリンド)は言う。
「その症状というのはどんなものですか?」
「恋の病に罹った男はまず頬が痩せこける。あなたは元気そうだ。目も黒ずんであちらの方向を見ている。あなたにはそんな様子もない。それから口をほとんど利けなくなる。あなたはちゃんとしゃべっている。それからひげは伸び放題。これもあなたは違う。最後に帽子の紐は取れ、袖のボタンは外れ、靴の紐もほどけて、服はボロボロ。しかしあなたはきちんとした身なりをしている。どう考えてもあなたは恋の病ではないね。むしろ自分に恋しているのではないか?」
「ああ、せめて君にだけは信じてもらいたい。僕が恋していることを(*44)」
(*43) この場面でオーランドは、ギャニミードが実はロザリンドだということに気付いているのか気付いていないのかは、古くから議論がある。しかしこの付近のセリフを見ると、このあたりで気付いたのでは?とも思える。
(*44) 原文 Fair youth, I would I could make thee believe I love.
ずっとギャニミードに対して you で話していたオーランドがここからは thee で話す。だからこれはギャニミードに対する言葉ではなくロザリンドへの言葉なのである。
このあとオーランドは、この頭の回転の速い思い人と“仮面の会話”を楽しむ。だからジェイクズが言ったようにオーランドは意外に頭が良い。
「ぼくに信じてくれって?そんなのより、あなたが好きな女性に信じてもらうほうがずっと易しいと思うよ。女ってさ、自分が思われていると信じたがるものなんだよ。だから彼女に愛の告白をしてみなよ。しかしあなただったのか。木々に詩とか名前を書いた紙を取り付けていたのは?」
とギャニミード(ロザリンド)はあくまで男を装って話す。
(ギャニミードはオーランドに you で話している。アクアは男声で話している)
「ロザリンドの白い手に掛けて誓う。詩を書いていたのは僕だと」
「しかし本当にあなたはあの詩に書いているように恋しているのですか?」
「どんな詩も僕の思いの一部しか表現できてない」
「恋というのは心の病なのですよ。だから心の病の治すような治療が必要なのだが、ぼくは恋の病はカウンセリングで治すようにしている」
「それで誰かを治したことがあるんですか?」
「うん。ひとり治したよ。まずぼくをその彼女であるかのように想像させるんです。そしてぼくに毎日愛の告白をさせるのです。それに対してぼくは気まぐれな女を演じます。時には好きで好きでたまらない様子、時には高圧的に、時には不実に、涙も笑いも使い分けて、喜怒哀楽の情を見せます」
「相手の愛を受け入れるかと思わせては拒否し、男のことを褒めたかと思えばけなし、涙を流したかと思えば無視する。そのようなことを続けていたら、やがて恋に絶望して、彼は山の中に引き籠もってしまいました。かくして彼は恋の病から逃れることができたのです。あなたにも同じ治療をしてあげましょう」
とギャニミード(ロザリンド)は言う。
「いやそこまでして治してもらいたくはない」
とオーランド。
「いや、ぜひ治療してあげたい。たから毎日ぼくの小屋に来て、ぼくのことを“ロザリンド”と呼んで、ぼくを口説いてみない?」
とギャニミード(ロザリンド)。
「それはぜひそうしたい。君の住まいを教えてよ」
とオーランド。
「じゃ今からそこに案内しましょう。あなたのお住まいも教えてください。取り敢えず来ます?」
「行く」
「あなたはぼくのことをロザリンドと呼ばないといけませんよ」
と言って3人は立ち去っていく。
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【お気に召すまま2022】(2)