【お気に召すまま2022】(1)

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森の中を馬車が走っているシーン。
 
それにかぶせてタイトルが英日独仏4ヶ国語で並べて表示される。
 
As You Like It
お気に召すまま(*1)
Wie es euch gefällt
Comme il vous plaira
 
続いて主演・共演が表示される。これは1人ずつ表示される。
 
staring AQUA
 
co-starring Stephan Schmelzer
 
映画の冒頭で紹介されるキャストはこの2人だけである。
 

(*1) "As You Like It"(お気に召すまま)は、William Shakespear(1564.4.26-1616.4.23) (*3) が1599年に脚本を執筆し、恐らく1603年に初演されたのではと推察されている牧歌的喜劇である。
 
初期のドタバタ喜劇と、晩年のロマンス劇との中間に位置する最も充実していた時期の作品のひとつであり、似た時期の作品としては『夏の夜の夢(*2)』、『ヴェニスの商人』、『十二夜』などがある。特にこの作品と『夏の夜の夢』は構図が似ていると良く言われるが、『夏の夜の夢』が一定の流れに沿って構成されているのに対して、『お気に召すまま』は登場人物が各々勝手なことをしていたのを最後にはうまくまとめているし、現実と虚構が交錯していて、現代的に見ると前衛的な作品である。
 
この作品を鑑賞するには当時の舞台演劇事情も理解しなければならない。当時は女性の俳優というものが禁止されていたので、日本の歌舞伎同様、女性の役は主として若い男性俳優が演じていた。これをドラッグ(drag)と呼んだのが、今日の“ドラッグクイーン”の語源である。彼らは日本の女形(おやま)同様、女装はただの演技であり、女性指向者でも同性愛者でもない。
 
ロミオとジュリエットのジュリエットも、シーザーとクレオパトラのクレオパトラも、リア王の三姉妹も全て演じていたのは男性俳優である。
 
だから『お気に召すまま』のクライマックスとなる、オーランドが男装したロザリンドを口説くシーン(来週配信予定)では、“女性キャラクターを演じる男性俳優が、男装して女役を演じる”という、三重の性転換が起きている。
 

"As You Like It"は直訳すると「あなたたちの好きなように」ということで、観客ひとりひとりが自由な感覚で見てほしいという意味ではないかと筆者は思う。
 
ここで you というのは二人称複数の代名詞であり、当時は二人称単数の代名詞 thou とは異なっていたことに注意する必要がある。現代英語では二人称単数の代名詞が(神に呼びかける時以外)消滅して you を単数にも代用するのだが、当時の英語はフランス語の tu, vous などと同様、単数・複数を使い分けていた。
 
使い分けは現代フランス語などと同様、thou というのは、家族・恋人・親友、神様、軽蔑する相手!にのみ使い、通常の会話では相手が1人でも you を使う。日本語の感覚では「そなた」あるいは「きさま」である!
 
『ロミオとジュリエット』で、ジュリエットはロミオに初対面の時は you を使っていたのに“窓”の場面では thou を使用している。ジュリエットが急速にロミオに夢中になっていった心情変化がよく分かる。『お気に召すまま』で、オーランドは最初ギャニミード(男装のロザリンド)に you で話していたのに途中で彼の正体に気付くと thou に切り替えている。
 
また、シーリアの父は最初ロザリンドに you を使っていたのに、追放する時は thou と言っている。彼女に八つ当たりして口調がそんざいになっているのである。
 

(*2) "A Midsummer night's dream" はかつては『真夏の夜の夢』と訳されていたが、この Midsummer というのは夏至のことであり、全然真夏ではない。それで最近は『夏の夜の夢』と訳すのが一般的となっている。
 

(*3) シェイクスピアの誕生日を4月23日と思い込んでいる人は多いが、定説では4月26日である。シェイクスピアは4月26日に洗礼を受けた記録が残っており、当時の英国では通常産まれた当日に洗礼を受けるのが普通であったことから、誕生日は4月26日と考えられている。
 
4月23日説が広まったのは、彼の死亡日が4月23日で誕生日に近いため「シェイクスピアは自分の誕生日に死んだ」という俗説が広まったのと、4月23日が英国の守護聖人・聖ジォルジオ (St.George)の祭日であるので、イギリス最大の詩人の記念日として祝うのに ふさわしいとして「シェイクスピア・デイ」に定められていることから、それと混同したものと思われる。
 

他の多くのシェイクスピアの作品同様 "As You Like It"には元ネタ本がある、シェイクスピアは基本的には小説家ではなく脚本家である。
 
元ネタとなったのはThomas Lodge (c.1558-1625)が書いた "tale of Rosalynde" という作品である(“ロザリンド”のスペルが違う)。彼は医師だが1586-1593年頃にカナリア諸島の病院に赴任しており、その時期に『ロザリンド』を含む幾つかの戯曲を書いている。しかし彼が書いた作品でそのまま上演されたものは無い。
 
ただ本職の脚本家に提供して上演に至った作品は他にもあり、彼は原案者としてこの作品をシェイクスピアに提供したのであろう。原案とシェイクスピア版の比較はよく行われているが、心理描写が深くなっており、またシェイクスピアのロザリンドは“男装”という隠れ蓑をうまく利用してひじょうに積極的にオーランドの恋心を刺激している。シェイクスピアの脚本家としての技量の高さがうかがえる。
 
ロッジの原案の舞台はフランスのアルデンヌだが、シェイクスピアはこれを自分の故郷の田園地帯に設定変更して書いている。“アーデン”はシェイクスピアの母の名前 Mary Arden から採ったのではとも言われる。
 
元々がフランスを舞台にした作品なので登場人物の名前の多くがフランス風だが、これをフランス語読みすべきか英語読みすべきかは古くから議論がある。例えばロザリンドの従妹の名前 Celia は英語読みではシーリアだが、フランス語読みではセリアである。しかしシーリアと読まないと“韻”がうまくいかないので、少なくとも当時はシーリアと読んだものと思われる。今回の翻案でもだいたいは英語読みだが、一部慣習に従ってフランス語読みしたものもある。
 

映画が始まる。
 
走っている馬車の中の映像が映る。馬車にはジョージ・ドゥ・モンド公爵(佐川伝二)と副官のジェイクズ卿(*4) (Linus Richter)が乗っている。2人は訪問してきた国のことで色々話していた。
 
「旦那様、馬を少し休ませます」
と御者(伊藤春貴)が言って、馬車が停まる。
 
御者が馬に水を飲ませている。干し草も与える。ところがそこに体格の良い男(イービル小林)が近づいてくる。男はいきなり御者の腹を殴って気絶させる。そして自ら御者台に座ると、馬に鞭を打ち、馬車を急発進させた。
 
「おい、どうした?ポール」
とジェイクズが声を掛けたのだが
 
「旦那たちの行き先は変わりました」
と御者席に座る男は言う。
 
「お前は誰だ!?」
「ジョージ公爵様は引退なさいました。フレデリック参議長様が新たな公爵におなりになります」
「そんな馬鹿な?」
 

「参議長様がジョージ様の多数の罪を暴かれております。多くの功績がある故に、ただちに手配まではなさらないものの、都から30km以内で発見した場合は逮捕するとのことです。フレデリック様は兄上のことをおもんばかり、都よりずっと遠い場所までお連れしろと私に命令されました」
 
などと男は言っている。
 
そして1時間ほど馬車を走らせた所で
「まあこのあたりでいいでしょう」
と言って、男は馬車を停める。
 
灯りも見えない森の中である。
 
そして2頭の馬を馬車から外し、1頭はお尻を鞭で打って走り去らせた。そして自分はもう1頭の馬に跨がり
「ではごきけんよう(God bless you)」
と言って、その馬を走らせ、どこかへ去って行った。
 

(*4) この登場人物の名前 Jaques だが、この名前は一般的にはジェイクィーズと読む場合と、ジェイクズと読む場合があるが、シェイクスピアの脚本の韻の踏み方の問題で、このお芝居では“ジェイクズ”と読んでいたものとされる。
 
シェイクスピアが書いた『お気に召すまま』の脚本は、45%の韻文(verse)と55%の散文(prose) で出来ている。基本的には韻文中心だった時代から徐々に散文が多くなっていく時期ではあるが、その韻文部分の記述から固有名詞の発音が推測される場合がある。
 

語り手(今井葉月)「フレデリックによる事実上の無血クーデターの後、新公爵フレデリックは先代公爵ジョージが使用していた東の邸を封印し、自分が住む北の邸を新たな公爵邸と定めました」
 
封印されている青煉瓦の“東の邸”と、人が出入りしていいる黒煉瓦の“北の邸”が画面に映る。
 
「東の邸に住んでいた人々は追い出され、使用人は解雇されましたが、娘のロザリンド(アクア)だけは、フレデリック新公爵の娘シーリア(姫路スピカ)が
『私お友だちなの』
と言って保護し、北の邸の自分の部屋に住まわせました。そして3年後」
 
映像はロザリンド(アクア)のヴァージナル(チェンバロの一種)とシーリアのヴァイオリンで合奏している様が映る(むろん2人とも実際に弾いている)。ヴァージナルを弾きながらロザリンドは歌を歌う。この映画の主題歌『お気に召すまま』(加糖珈琲作詞・琴沢幸穂作曲)である。
 
この歌に乗せて、ロザリンドとシーリアが仲良くしているシーンが幾つか流れる。
 
2人がお部屋でお茶を飲んでいるシーン、チェスをしているシーン、一緒に編み物をしているシーン、一緒のベッドに密着して並んで寝ておしゃべりしているシーンなど(*5).
 

語り手「一方追放されたジョージ公爵は、彼を支持する数人の者たちと一緒にアーデンの森に行き、洞窟で寝泊まりし、森で鹿を狩って暮らしていました」
 
ここで『お気に召すまま』の歌は、アミアン卿(中山洋介(*6))の歌にリレーされる。彼はリュート(ギターの原型になった撥弦楽器)を自ら弾きながら歌っている。
 
映像には、ジョージ公爵(佐川伝二)、ジェイクズ卿(Linus Richter)、アミアン卿(中山洋介)、ルブラン卿(松田理史)、アルジャン卿(江藤レナ)が森の中でバーベキューをしている映像が映る。
 
楽しそうである!!
 
彼の歌が終わると、画面は次のシーンに進む。
 

(*5) 公開時に非難多数。しかしロザリンドとシーリアについて、原作はかなりレスビアンっぽく描いている。恐らくはお互いの処女までは傷つけないものの、かなり濃厚な行為をしている雰囲気がある。2人の出奔は実は“駆け落ち”に近い。
 
ロザリンドやシーリアの感覚では、男女の恋愛関係と女同士の“親密関係”は別チャンネルということのようである。(男性の衆道が恋愛と別なのと同じ)
 
シェイクスピアは、他の作品でもかなりレスビアンっぽい描写がある。恐らくは観客の貴婦人たちに、熱い需要があったものと思われる。それもその女性同士の“親密”な所を演じているのは当時の美少年俳優たちである!
 
女性の“やおい”好きは永遠である!!
 

(*6) 中山洋介というのは、ハイライト・セブンスターズのヒロシのこと。この映画ではステージ名を使用せず、本名でクレジットしている。彼はアルトボイスが出るのでアクアと同じピッチで続きを歌うことも可能だが、それを知らない特に日本国外の人が混乱するので、自粛してアクアのオクターブ下で歌った。
 

どこかの邸宅のどこかの部屋(原作第1幕第1場)。
 
男 (Stephan Schmelzer) がベッドに寝転がっていると、別の男 (Christof Hennig) が入ってくる。
 
「おい、お前何やってんだ?」
「何もしてないよ」
「働くとか何とかしたらどうだ?」
「働きようにもなあ。俺学校にも行かせてもらえなかったし、働きようが無いよ」
「それでうちに居候して、飯だけ食ってるのか?」
「ああ。俺は兄貴の家畜同然だよ。飯食わせてくれるだけで他はなーんにもしてくれない」
 
「貴様、言わせておけば」
と言って、兄は弟を殴ろうとする。
「ふーん。喧嘩するかい?喧嘩なら俺のほうが兄貴よりずっと強いぜ」
と弟は言う。
 

アダム(山村俊朗)(*7) が飛び出してくる。
 
「おやめくだささい。おやめください」
と兄に取りすがって言う。
 
「俺は自分の正当な権利を要求しているだけだ。親父が死んだ時、親父は兄弟3人に均等に財産を分けてくれた。そして親父は兄貴に、俺にちゃんとした教育を受けさせるように言い残した。でも俺は何の教育も受けさせてもらってない。お金ももう1000クラウン(*8) しか残ってない。俺は何の教育も受けてないから宮廷に出仕するようなこともできない」
と弟は言う。
 
「ふん。だから金を寄越せとてでも言うのか?とうとうたかりになったか」
と兄。
 
「おやめください、おふたりともおやめください」
とアダム。
 
「もうお前のことは知らん。ここが気に食わないのなら出てけばいいだろう。老いぼれ、お前もついでにこいつと一緒に出ていけ」
と兄は言う。
 
「ああ。出て行くよ」
と言って弟は退場する。アダムが
「オーランド様、お待ちください」
と言って追いかけていった。
 

(*7) この老僕アダムの役は、初演時にはシェイクスピア(当時39歳)自身が演じたらしい。
 
この2人の言い争いは、オリバーがオーランドから搾取しているのか、それともオーランドが単に怠け者なのか、どちらとも取れてよく分からない。
 
(*8) クラウンcrown は銀貨の名称。この当時は鋳造貨幣ではなく、ハンマーコインであり、重量を計測して取引された。このクラウンという貨幣自体は1971年まで使用されていた。廃止された当時は重量28.2759g、銀純度92.5%だったので銀の重量は 26.1552 gということになる。2023年現在、銀1gは100円くらいなので、それから単純計算すると2600円くらい。1000クラウンは260万円ということになる。
 

カメラは楽屋!を映している(撮影者:矢本かえで)。女優係の夕波もえこが入ってきて声を掛ける。
 
「第1幕第2場・フレデリック邸控の間行きます。アクアさん、スピカさん、お願いします」
 
「はいはーい」
と応えて、ドレスを着たアクアとスピカが立ち上がる。
 
「あ、ネックレス」
「大変、大変。大事な小道具を」
と言ってアクアはそれを自分の首に掛け、夕波もえこと一緒に撮影現場に向かった。
 
このネックレスは本物の18金のネックレスで結構重い。
 

説明板係(広瀬みづほ)が「フレデリック邸控えの間」と書かれた板を持っている(原作第1幕第2場)。
 
広瀬みづほは緑色の葉っぱを重ねて作ったかのようなデザインの服を着ており、ピーターパンを意識している。
 
この板は各国語版ではその国の言葉に置換することになっている。実を言うと撮影は“真っ白な板”で行なっている。編集で文字を載せる。
 
またこの説明板は弱視の人や、文字が読めない人(日本以外では結構多い)のために読み上げる。日本語版・英語版・ドイツ語版・フランス語版では、みづほ自身が読み上げた。このため、みづほはフランス語とドイツ語の訓練を、この話があった3月上旬からゴールデンウィークに掛けて約2ヶ月間受けている。
 
彼女は『黄金の流星』撮影のためモールス信号打電の訓練も受けていて、昇格試験に合格した2月中旬以降大忙しだった。彼女が採用されたのは「やりたい人?」と川崎ゆりこが言った時に「はい!」と真っ先に手をあげたからである。もちろんゆりこは何の仕事かは言わずに単に「やりたい人?」と訊いた。話も聞かずに立候補するくらいでなければチャンスはつかめない。
 

ロザリンド役のアクア、シーリア役の姫路スピカが入ってきて、部屋の中のテーブルの椅子に座る。河村監督の「撮影開始!」という声が掛かる。撮影助手香田正和がカチンコを鳴らして撮影が始まる。
 
小間使いのヒスペリア(古屋あらた)が入ってきて、ロザリンドとシーリアにお茶とお菓子を出し下がる(セリフが無い)。
 
「何かパーッと気分が良くなることないかな」
「女装してみるとかはどうよ?」
「楽しそうだなあ。スカートとか穿いてみたい。でも女物の服をどうやって手に入れる?」
「タッチストーンに頼めば何とかしてくれると思う。あいつコネが多いから」
「でもあいつに頼むと女の服を何点かくすねるよね」
「あいつに入る女物の服があるとは思えん」
 
(以上の会話は宗教規律の厳しい国の版ではカットされた)
 
「他にはドキドキすることないかな」
「そうだなあ。恋をするとかはどう?」
 
「悪くはないよね。ただし本気になったらだめ。恋に本気になってしまったらただ苦しいだけだから。あくまでこちらは冷静で、1段高い所から言い寄る男を見ているの。彼が狂おしげにこちらを口説こうとしているのを微笑んで見ているのが楽しいのよ」
 
「そうそう。こちらが男に夢中になってしまったら終わりよね。何も判らなくなって結果的に男にいいように振り回されるのよ」
 
「うん。恋をするならあくまでこちらが主導権を握ってないとね」
 

そんなことを話していると道化師のタッチストーン(Martin Grotzer)が入ってくる。タッチストーンは道化師であることを示す赤と黄色の菱形模様の衣裳を着ている。
 
「おい、お前ら、親父さんが呼んでるぞ」
 
「あんた、いつからそんな生意気な口を利くようになったの?」
とシーリア(姫路スピカ)が注意する。
 
「あはは、俺はどんな無礼でも許されてる道化師だからな。だから公爵にでも司教にでもタメ口で話すぞ。昨日も公爵を怒らせてきた。花瓶を投げ付けられたからキャッチしてありがたくもらって古道具屋に売り飛ばした、お嬢さんがたも俺のことは分かってるだろ?」
 
「ふーん。でももう少し礼儀正しく話しても損はしないよ」
「敬語とか使うの、面倒くさいじゃん」
「まあいいけどね。で何の用事さ?」
 
「なんかレスリングのデスマッチやるから見に来いって言ってたよ」
「デスマッチって?」
「どちらかが死ぬまで戦う」
「ほんとに死んじゃうの?」
「だからデスマッチっていうんじゃない?」
「なんてそこまでするのよ?」
「見てて楽しいからじゃない?」
「人が死ぬのは楽しくないと思う」
 
「まあいいから来なよ。公爵の命令だからさ」
 
それで仕方なくロザリンドとシーリアはタッチストーンに付いて部屋を出て行く。
 

場面は変わり、広瀬みづほが「フレデリック邸の庭」と書かれた板を持っている。
 
強そうなレスラー(イービル小林)が1人のレスラーを投げ飛ばす。投げ飛ばされたレスラーはピクピクッとした後、動かなくなる。担架に乗せて運び出される。別の男が彼に挑戦する。しばらく戦っていたが、彼も地面に叩き付けられて動かなくなった。また担架で運び出される。
 
「あいつ強いよな。シャンジュ(*9) っていって、公爵様のお気に入りレスラーだぜ。きっと今日はあいつの優勝だな」
とタッチストーンが言う。
 
「圧倒的に強いじゃん。あれだけ力の差があったら何も相手を殺さなくても勝敗は決するのに」
とロザリンド。
「私とても見てられない。目を瞑ってる」
とシーリアが言っている。
 
「まあ景気よく死人が出るのがきっと公爵様の好みなんだよ」
とタッチストーン。
 

(*9) 原作ではこのレスラーの名前は Charles チャールズだが、現実世界で英国王太子の名前がCharlesだったので、悪役の名前に王太子の名前はまずいという判断から、Change という名前にchangeした!
 
なお現実世界のCharlesはこの映画の公開後、エリザベス2世が2022年9月8日に崩御なさったのに伴い、新国王・チャールズ3世となられた。
 

ロザリンドはレスラーたちの列の最後に並んでいる男(Stephan Schmelzer)と目が合った。
「道化」
「へいへい」
とタッチストーンが答える。
 
「あの列の最後に並んでいる背の高い男の人をここに呼んできて」
「へーい」
 
それでタッチストーンはその列の最後に居る男に声を掛け、ロザリンドたちの所に連れてきた。
 
「お姫様方、何でしょうか?」
と男が訊く。
「お前をお教えください。私はロザリンド・ドゥ・モンドです」
「私はオーランド・ドゥ・ボアと申します」
 
「ドゥ・ボア?もしやあなたはローランド・ドゥ・ボア様の・・・」
「はい。ローランドの三男です」
「あなた、お若い身でどうしてこのような試合に出られるのです。あの男に殺されてしまいますよ」
「僕は負けませんよ。兄貴からは穀潰しだの、役立たずだの、いつも罵られてますけど、腕力だけは他人には負けませんから。まあ見ててください」
 
彼は自信ありげにそう言った。そして
 
「次の者!」
という声(ルボー:木取道雄)に応じてリングに上った。
 

多数のレスラーを倒した男シャンジュ(イービル小林)と組み合う。激しい攻防があるが、どちらもよく戦う。観客の熱い声援が掛かる。
 
しかしついにオーランドがシャンジュを組み敷いた。
 
「ギブアップと言え」
「言わん。俺に勝ちたければ俺を殺せ」
 
それでオーランドは彼を殴った。シャンジュが気を失う。観客がざわめく。フレデリックがオーランドに尋ねる。
 
「その男は死んだのか?」
「気絶させただけです」
「この試合は相手を殺すまですることになっている」
「では私は試合放棄します。失礼します」
 
と言ってオーランドは退場した。物凄い拍手が送られる。
 

ロザリンドが彼を呼び止める。
 
「オーランド様、素晴らしい戦いでした。これを差し上げます」
と言って、ロザリンドは自分が首に掛けているネックレスを取ると彼の首に掛けてあげた。
 
「ありがとうございます」
「またどこかで」
「はい、またどこかで」
 
と言って、オーランドはロザリンドの手の甲にキスをすると去って行った。
 
彼を見送るロザリンドを見てシーリアが言った。
「ロス、あんた彼に恋しちゃってないよね?」
「違うよ。高い所から見てるだけよ」
「ふーん」
 

男性用の楽屋が映る(撮影者:田崎潤也)。
 
先ほどシャンジュに“殺された”レスラーたち(北陸プロレスの皆さん)がくつろいでいる。
 
「いやあ参った参った」
「殺される役も結構難しいよね」
「ピクピクッと筋肉をけいれんさせた後、全脱力だよね」
「その脱力してる状態の皆さんを担架で運ぶのが凄く重くて大変でした」
「気絶してる人運ぶのと同じで重さが倍になる感じだよね」
「子泣き爺の原理」
 
「だけどあのドイツ人さん、結構な筋力ある感じだね。動きもいいし」
「レスリングの大会で優勝したこともあるらしいよ」
「さっすかー」
「ほんとにレスリングしてたんだ?」
「柔道も二段だって(*10)」
 
「やはり本当に鍛えてる人はしっかりしてるよね」
「イービル小林さんも、かなりマジでやってた」
「うん。ちゃんとした試合になってた」
 
「でもアクアちゃんって可愛いなあ」
「お嫁さんにしたいタレント2年連続1位だって」
「俺握手してもらった」
「あ、いいなあ」
 

(*10) シュメルツァーは元々レスリングをやっていて、その応用で柔道にも興味を持ち、柔道でも二段を取った。そこから日本文化に興味を持ち、日本語も少し勉強していた。
 
簡単な日常会話程度の日本語はできていたので、日本語のできるアクション俳優として、今回の映画のオーランド役に起用された。今回の映画ではドイツ語版・英語版・日本語版のセリフを自身で当てている。
 

例によって今回の映画も、昨年の白雪物語同様、先にセリフ録音をして、その声の再生を聞きながら無言(口だけ動かすが声はだそない)で演技して撮影している。
 
セリフ録音は英語版→日本語版→ドイツ語版→フランス語版の順に1ヶ月半にわたって越谷の白鳩タウンで行われた。日本語版を作っている最中に英語版を再調整したほうがいい箇所が出て来て英語版は少し録り直したが、それでだいたい問題は出尽くして、ドイツ語版・フランス語版ではほとんど問題は出なかった。
 
撮影は春日部の全天候型スタジオでおこなっている。公爵邸のセット、アーデンの森・田園地帯などのセットもその中に作った。出演者は何度もそのセットを見学に行ってイメージ作りをしてから録音に臨んでいる。撮影中に問題の出て来た箇所は、宿舎のある越谷で再度録音している。
 

今回も昨年の白雪物語同様、録音・撮影中は、原則として外出禁止である。週2回休みの日があり、他の仕事に出演する場合のみ外出が許可される。
 
時間の空いている人は、自室でネットゲームをしたり、白鳩タウン内の施設で、水泳・テニス・卓球・アーチェリー・電子式の射撃、ゴルフ打ちっ放し、またカラオケなどを楽しむこともできる。但しバスケットなど多人数の競技は禁止である。
 
シュメルツァーはイービル小林と意気投合して、かなりレスリングをやっていた。更に陣中見舞いに来た醍醐春海(千里)に誘われて剣道を習い「面白い!」と言って、道具を揃えてもらいかなり練習していた。彼はフェンシングも結構するらしいが、剣道は感覚が全く違うので面白がっていた。
 
「次はサムライ映画に出てみたい」
などと彼は言っていた。
 
「悪い忍者たちからアクア姫様を守るんだ」
 
アクアがそういう役柄に同意すればね!
 
実際、アクアからきれいに1本取られて「嘘!?」などと言って物凄く悔しがっていた。絶対次会った時は君から1本取るなんて言ってたから、必死で練習するだろう。アクアは一応剣道初段を持っている。
 

食事は朝昼夕部屋にデリバーされるが、制作中はムーランの和食・洋食・中華・軽食のトレーラーレストランが4つ揃って24時間営業した。他に回転寿し、そば屋、ラーメン屋、ピザ屋も夜21時までだが臨時営業した。なおお酒の類いは禁止である。昨年村里泰蔵が規律違反でクビにされていることもあり、みんな規則は遵守してくれた。
 
他に出前を取るのはウーバーを含めて自由だが、デリヘルの類いは禁止である。男性の(とは限らないが)俳優・スタッフには希望者にテンガが無料配布される。例によって河村監督とアクアは制作中のセックス自粛を宣言している。でないと他の役者さんに示しが付かない、
 
出番の少ない一部の役者さんは、英語・日本語のセリフ録音の後、撮影をしてその後、ドイツ語・フランス語の録音をして1-2日で解放されているケースもある。古屋あらたのようにセリフの無い役者さんは撮影にだけ参加して半日で終わっている。
 

場面が変わる。広瀬みづほは再び「フレデリック邸控えの間」と書かれた板を持っている(原作第1幕第3場)。
 
「ロザリンド、あんたどうしちゃったの?ぼんやりして」
「何だかまるでトゲが刺さっているみたい」
「ああ。野道を歩く時は気を付けてないと、すぐスカートに草の実とかトゲとかささっちゃうよね」
「スカートにささったトゲなら払い落とせばいいけど、このトゲは私のハートに刺さっているの」
「咳をしたら飛び出さないかな?」
「咳をしてあの人が今ここに駆けつけて来てくれるなら、咳をする」
 
「どうして、突然そんなに夢中になってしまうのかね」
「私の父もあの人の父ローランド様を敬愛していたもん」
「遺伝だっていうの?だったら、私の父はローランド様を嫌っていたから私はオーランドを嫌わないといけない」
「お願い、オーランドを嫌ったりしないで。私が好きなんだから。シーリアも好きになってあげて」
「もちろん私も好きよ。素敵な人じゃない」
 

そこにフレデリック(光山明剛)が入ってくる。
 
「おい、ロザリンド」
「はい、何でしょう?公爵様」
「貴様、ただちにここから出て行け」
「私がですか?」
「今日から10日の後、お前の姿がこの邸から30km以内(*11) で見つかったら命は無いものと思え」
 
「公爵様。一体何があったのです。私が何か悪いことでもしましたでしょうか?」
「お前は謀反人だ」
「そのようなことをした覚えはありませんが」
「お前は謀反人の娘だ。だからお前も謀反人だ」
「私は3年前からずっとジョージの娘です。なぜ今になって突然そのようなことをおっしゃるのでしょう」
とロザリンドは言う。
 
シーリアが言う。
「お父様、考え直して下さい。ロザリンドは何も悪いことなどしません。この3年間のロザリンドの行動でお父様は分かっておられるはずです」
「シーリア、お前はこの性悪娘に欺されているのだ。お前こそしっかり物事を見なさい。ロザリンド、いいか。10日だぞ。それより長く留まっていたら、ほんとに死刑にするぞ」
 
フレデリックはそう言うと、退出した。
 

(*11) 原作では「20マイル(twentie miles)」だが“アメリカで公開した版”以外ではメートル法に換算して「30km」とした。英国版も"30km"と発言している。20 miles を正確に換算すれば32km であるが端数を省いた。
 
“マイル(mile)”という単位は元々"mille passus"(1000ペース)という意味で、歩く時に左足が1000回地面に着くだけの距離を表す。歴史的・地理的にかなりのばらつきがあったのだが、エリザベス1世時代の英国議会が定めた度量衡法(Weights and Measures Act)」により、下記のように定められ混乱が収拾された。
 
1 mile = 8 furlongs, 1 furlong = 40 pole(=rod)s, 1 pole = 16.5 feet.
 
従って、1マイルは5280フィートということになる。これを“法定マイル”(statute mile) という。後にアメリカもこれに近い(微妙に長い)マイルを採用しており、現代のメートル法から再定義されたマイルもこれをベースにしている。
 
英国の法定マイルは実は“フィート”に曖昧さが残るのだが、仮に1フィートを現代の定義で0.3048mとすると 1 mile = 1.609344km ということになる。
 
"As You Like It" は、上記の法律(1593)が定められた直後の1599年に執筆された。
 

「ああ、なんてことでしょう。どうしたらいいの?」
とシーリア(姫路スピカ)が嘆く。
 
「仕方ないから出て行く。シーリア、今までありがとね」
と言って、ロザリンド(アクア)は荷物をまとめ始める。
 
シーリアは言った。
「お父様は自分の娘を追放したのよ」
 
「どういうこと?」
「だって私とロスは見も心もひとつよ(*12)。離れられない関係だもん。だからロスが出ていくなら私も出て行く」
 
「それはいけない。邸を出たらどんな危険が待っているか分からない。リアはここに残りなさい」
「ロスと別れるなんてありえない」
と言って、シーリアはロザリンドにキスをした(*12).
 
(*12) 公開時に非難轟轟。しかし先にも述べたようにシーリアとロザリンドはレスビアン関係にあるように原作は描写されている。
 

「分かった。一緒に行こう。でもどこに行こうか」
とロザリンドは言う。
 
「叔父様(ロザリンドの父)のおられるアーデンの森へ」
「そんな遠いところへ?女2人で危険じゃない?強盗や追い剥ぎも出るよ」
 
「私、タッチストーンに頼んで、みすぽらしい田舎娘の服を用意してもらう。それで顔に泥とか墨とか塗って。それで田舎娘のふりをしてれば、いちいち襲わないと思う」
とシーリア。
 
「そうか。変装する手はあるか。だったら私はいっそ男装しようかな。男の服を着て腰には剣を下げて」
とロザリンドは言う。
 
「面白そう!でも男の格好をしたロスを私は何と呼べばいいの?」
「そうね、ジュピター(*13)のお小姓の名前を借りてギャニミード(Ganymede) にしようかな。リアは何て名前にする?」
 
「そうね、私ももうシーリアではないから“エイリーナ”(Aliena)で(*14)」
 
「じゃタッチストーンと話して逃走の準備をしましょう」
と言って2人は退場する。
 

(*13) Jupiter,ジュピターは英語読み。ラテン語読みならユピテル。ローマ神話の主神。ギリシャ神話のゼウスに相当する。実は原文は通称のJove だが日本ではこの呼び方はあまり知られていないので、正式名のJupiter で訳出した。
 
ギャニミード Ganymede はラテン語読みならガニメデ。トロイの王子であったが、美少年で、あまりに可愛かったのでゼウスが誘拐してきて、自分の給仕係にしたという(もちろん性的目的誘拐)。
 
天空の水瓶座はガニメデが持つ酒壺。また鷲座はゼウスがガニメデを誘拐する時に変身した鷲の姿とされる。またガニメデは木星(ジュピター!)の衛星の名前にも付けられている。
 

(*14) 原文は「No longer Celia, but Aliena」。音韻を考えると、この名前は“エイリーナ”と読むべきと思われる。この名前は普通に読めば“エイリエーナ”になるらしい。むろん Aliena は“見知らぬ人”alien (エイリアン)をもじった名前であろう。“誰でもない人”くらいの意図。
 
翻案作品ではシーリアも男装するパターンも多いが、原作ではシーリアは男装していない。性格的に見ても活発で積極的なロザリンドは男装が似合うが、女性的な性格のシーリアにはあまり男装が似合わない。
 
この映画では当初シーリア役に七浜宇菜が考えられたが、宇菜の役所ではないということになった。それで演技力があり、アクアの従妹が演じられる年齢の女優、そしてアクアと抱き合うような演技をしてもファンに殺される!?心配の少ない人物として姫路スピカが浮上した。スピカはアクアより1つ年上だが仕方ない。
 
アクアより若い女優で演技力のある人が少ないのである。坂出モナや白鳥リズムは元気すぎてシーリアには似合わない。羽鳥セシルは背が高すぎる。木田いなほだと今度は線が細すぎて似合わない。それに木田は中性的(無性的)である。ここは“女らしさ”を感じる人が必要なのである。モナやリズムは同じ中性的でも“両性的”であり、木田とは傾向が異なる。
 
スピカは『八犬伝』でもアクアと抱き合う(アクアを押し倒す!)演技をしている。
 
シーリアはロザリンドの次に演技力を求められる役どころで、一時はアクアにロザリンドとシーリアの二役をさせる案もあった。しかしふたりと“第三者”が絡む場面があまりにも多く、撮影と編集に手間が掛かりすぎるということから没になった。
 
ここでオーランドを松田理史とか鈴本信彦が演じるのなら“2人のアクア”を彼らに見せられるので撮影に手間が掛からない。しかし松田や鈴本にレスラーの役は無理である。そもそも今回はオーランド役に逞しい肉体を持つシュメルツァーが指名されていた。
 
『気球に乗って5日間』では狭いゴンドラの中に4人が乗っていたので必ず片方は後ろ向きになっていた。それでアクアと葉月を使うことで、合成場面がそう多くなくて済んでいる。
 

場面が変わる。広瀬みづほは「アーデンの森」と書かれた板を持っている(原作第2幕第1場)。
 
森の中で、焚き火を囲んで、ジョージ公爵(佐川伝二)、ジェイクズ卿(Linus Richter)、アミアン卿(中山洋介)、ルブラン卿(松田理史)、アルジャン卿(江藤レナ)が座っている。
 
「しかし森の中の暮らしも慣れたら気楽でいいもんだな」
と公爵が言う。
 
「全くです。ここには人と人の神経をすり減らすような腹のさぐりあいとかも無い。鳥のさえずりに目を覚まし、川のせせらぎに詩を読み、梢の風に時を知り、夜空の星に抱かれて眠る。これは最高に贅沢な暮らしですよ」
 
「全くです。仕事に追われることもなく、妬みや恨みを持たれることもない。精神的に髄分楽になりましたよ」
 
「私はここに来てから、今まであちこち体の調子が悪かったのが全部治ってしまいました。食事もほんとに美味しいですし。屋敷にいたころの立派なコックが作ってくれた料理より、自然の中でむさぼり食う飯の方がずっと美味いです」
 
「私もここに来てから寿命が伸びたような気がしますね」
 
「ほんとに森の中の暮らしは素晴らしい」
 
「まあここで辛いことと言えば“アダムが受けた罰”だけだろうなあ」
 
広瀬みづほが左側(ステージでいえば下手)から歩いて来て焚き火の前で
「“アダムが受けた罰”とは天候の変動を意味します。エデンの園は常夏の楽園でした」という巨大なフリップボードをカメラに向けてから左側に戻る。
 

「まあ雨風も辛いけど、冬がさすがに辛いよね」
といった声もあがる。
「まあ洞窟の中にはそれほど風が吹き込まないから」
 
「しかし腹が減ったな。今夜のおかずに鹿を狩りに行くか」
「まあしかし鹿も哀れですね。元々からの住民で何も悪いことしてないのに、他所(よそ)から来た我らに弓矢で射られて食べられてしまうのだから」
 
「矢を受けて鹿が悲しい声で鳴く時、少し可哀想な気はする」
「まあそれでも鹿は美味い」
「うん。食わないと我らが腹減るし」
 

楽屋が映されている(撮影者:矢本かえで)。夕波もえこが声を掛ける。
 
「田園の恋人たちの顔見せ場面です。宇菜さん、モナさんお願いします」
 
「はいはーい」
と言って羊飼い衣裳の七浜宇菜、田舎娘衣裳の坂出モナが夕波もえこに続いて楽屋を出て行った。
 

男性用楽屋が映されている(撮影者:田崎潤也)。立山煌が声を掛ける。
 
「田園の恋人たちの顔見せ場面です。鈴本さんお願いします」
 
「OK」
と言って羊飼い衣裳の鈴本信彦が立山煌に続いて楽屋を出て行った。
 

広瀬みづほが「アーデンの森近くの田園地区」と書かれた板を持っている(原作には無い場面)。
 
羊飼いの格好(*15)をしたフィービー(七浜宇菜)が歩いてくると、そこに花束を持ったシルヴィアス(鈴本信彦)が飛び出して来る。
 
「ああ、愛しのフィービー、どうかこの花束を受け取ってください」
「あんた何やってんのよ?」
「ぼくは君のことで胸が一杯で夜も眠れないんだ」
「ふーん。夜眠れないのなら昼間寝てたら?」
「どうかこの花束を」
「私はこれから仕事なのよ。そんなもん持って仕事できないから、あんたの口にでも活けておけば?じゃね」
と言ってフィービーが立ち去る。
 
「あ、待って、フィービー」
と言って、シルヴィアスは花束を放り投げて追いかけて行く。
 
そこにオードリー(坂出モナ)が出て来て
「あれ?花束が落ちてる。もったいない。もらっとこ」
と言って、嬉しそうに花束を持ち去った。
 

(*15) この羊飼い衣裳の宇菜があまりにも格好良すぎて、
「フィービーとシルヴィアスは男性同性愛と誤解される危険がある」
という意見が出た。
 
それでフィービーの衣裳は装飾的なスカートを着けたり赤い色を基調とするものに変更された。
「こんな女みたいな衣裳やだー」
と宇菜本人は言っていたが!
 
もっとも当時ショートスカートを穿いていたのは男性である。女性はロングスカートである。女性が足を見せるなんてあり得なかった。
 

場面が変わる。広瀬みづほは「どこかの道の途中」と書かれた板を持っている(原作に無い場面)。
 
ギャニミード(ロザリンド)、エイリーナ(シーリア)、タッチストーン(Martin Grotzer) が右手から歩いてくる。ギャニミードはダブレット(後述)にズボン、シーリアは田舎娘のようなよれたワンピース、タッチストーンはフレデリック邸にいた時と同様の菱模様の服である。但し赤と黄ではなく、青と緑で、少しだけ地味である。
 
左手から覆面をした5-6人の男が出てくる。
 
「おい、お前ら、金目のものを置いていけ。そしたら命までは取らん」
と男の1人が言う。
 
「お前らこそ役人に引き渡されたくなかったらさっさと立ち去れ」
とギャニミードは男声で言う。
 
「物わかりの悪い兄ちゃんだなあ。そんなに死にたいのか?」
と言って、男が短剣を抜くが、ギャニミードはさっと自分の剣を抜き、男の短剣を自分の剣で跳ね飛ばす。そして相手の股間!を蹴る(*16).
 
男が倒れる。ギャニミードは男の喉元に剣を突きつける。
 

「ここで死ぬのと、役人に突き出されるのと、逃げるのとどれがいい?ぼくは4-5人相手にしても平気だよ。ただしその場合はいちいち寸止めする余裕が無いから全員あの世に行ってもらうが」
 
「参りました。助けて」
「行け」
「はい」
 
それで盗賊たちは逃げて行った。
 
ギャニミードは剣を鞘に収めるとエイリーナとタッチストーンに言った。
 
「さ、行こか」
 
「お前強いな、俺はお前たちを放り出してひとりで逃げようと思ったのに」
とタッチストーン。
「そんな非道い」
とシーリア。
 
「まあ道化君はそうするだろうね」
と男装のロザリンドは女声で言って笑った。
 

(*16) このシーン、盗賊役をしたのは、レスラー役もした北陸プロレスの人たちである。アクアが蹴り上げるシーンは“アイドル女子のキック力なんて大したことないだろう”と思って
 
「少々蹴られても平気ですから思いっきり全力で蹴ってください」
と言った。それでアクアが本気で蹴ったら、本人は5分間立ち上がれなかった。
 
「大丈夫ですか?」
とアクアが心配する。
「平気平気」
と言うが立ち上がれない(この状態で声が出るところがさすが丈夫である)。
 
結局8分間ほど撮影が中断した。
 
映画公開時には
「アクアまじで蹴ってるけど、サンダーバットさん(首領役をしたレスラーの名前)、男を廃業したりしてないか?」
「今度リングに性転換女子レスラーとして出てきたりして」
 
などと言われていた。
 
またアクアのサーベルの扱いが様になっていたので、オーランド役のシュメルツァーは
 
「アクアちゃん、ケンドーだけでなくフェンシングも上手いんだね」
と感心していた。
 

場面が変わる。広瀬みづほは「フレデリック邸の広間」と書かれた板を持っている(原作第2幕第2場)。
 
フレデリック(光山明剛)とルボー(木取道雄)が登場する。
 
「そんな馬鹿な!?誰も見てないというのか?」
「はい。侍女たちの話では、夜は確かにシーリア様とロザリンド様でいつものように一緒のベッドに入りお休みになったのに、朝行ってみると、ベッドは空っぽたったそうです」
 
「しかし娘2人が出ていくのに誰も気付かなかったなどということがあるか?他に居なくなったものはいないか?」
 
「道化師も居なくなっていますが、あんな奴はいつ居なくなっても不思議ではありません」
 
「うーむ・・・」
 
「小間使いのヒスペリアによりますと、お二人は、先日のレスリングの試合でシャンジュに勝ったレスラーのことを随分褒めていたそうです。もしかしたら何か関わっているかも」
 
(このシーンにヒスペリアが一緒に並ぶ演出もあるがこの映画では採用しない)
 
「ああ。ドゥ・ボアの所の三男だな?すぐあいつを引っ立ててこい。もし捕まらなかった兄貴のほうを連れてこい」
 
「はい。すぐ兵士を向かわせます」
 
「そして何としててもシーリアたちの行方を捜し、2人を連れ戻すのだ(*17)」
「分かりました」
 

(*17) フレデリックは、ロザリンドを追放したのに、そのロザリンドまで一緒に連れ戻せと言っているのは一見矛盾しているかのように見えるが、もちろん“娘をたぶらかした重罪”でロザリンドを処刑するつもりである。
 
ロザリンドも捕まったら自分は処刑されるだろうというのは覚悟でシーリアと一緒に出奔した。
 

場面が変わる。広瀬みづほは「ドゥ・ボア家の門前」と書かれた板を持っている(原作第2幕第3場)。
 
オーランドが帰宅しようとした所にアダムが飛び出してくる。
 
「オーランド様!ああ、よかった、キャッチできた。お屋敷に入ってはいけません」
「いったい、どうしたんだ?アダム」
 
「公爵様がお兄様を呼ばれて、あなた様を捕らえるよう命じられたのでございます」
「なぜ私が捕らえられるのだ?」
「私も詳しい話までは立聞きでませんでしたが、きっとオーランド様が公爵様お気に入りのレスラーをお倒しになったからですよ。それであなたの捕縛を命じられたのだと思います」
 
「レスリングの試合に勝ったからって捕らえられる言われは無いのだが」
「それでオリバー様はこの機会にあなた様を亡き者にしようと計画を練っておられました。お屋敷の中に入るのは危険です。どうかどこかにお逃げください」
 
「しかし逃げると言ってもどこに?」
「どこでも構いません。ここではない所なら」
「しかし、邸に入れないと、俺の部屋にある金とかも持ち出せないし、食うにも困る。まさか物乞いをしたり、追い剥ぎとかするわけにもいかんし」
 
「ここに500クラウン(約130万円)ございます。私が長い間このお屋敷で働いて頂いたお給料を貯金したものでございます。これをお持ちください」
「そんな大事なものを」
 
「私は大旦那様(オーランドたちの父)にたくさん可愛がられました。そのご恩返しでございます。私は酒も飲みませんでしたし、女と遊んで寿命を縮めることもありませんでした(*18). 17歳の時から、もうすぐ80になろうという年までお仕えしましたが、最後のご奉公をさせて頂きとうございます。足手まといになるかも知れませんが、どうか私自身もお連れください。若旦那様があまりお得意でない、人との交渉とかもさせて頂きます」
 
「分かった一緒に行こう。お前のことは俺が最後まで何としても面倒見るよ」
 
それで2人一緒に退場する。(*19)
 

(*18) 当時は射精することで寿命が縮むという説があった。
 
(*19) 原作ではオーランドが退場した後、アダムがモノローグを述べてから退場する。この映画ではモノローグを省略し、一緒に退場することにした。演出によっては、オーランドが舞台の端でアダムがモノローグを言うのを待っていて、それから一緒に退場するものもあるらしい。
 

場面が変わる。広瀬みづほは「アーデンの森近くの田園地帯」と書かれた板を持っている(原作第2幕第4場)。
 
ダブレット姿のギャニミード(ロザリンド:アクア)、田舎娘の扮装のエイリーナ(シーリア:姫路スピカ)、菱模様の服のタッチストーン (Martin Grotzer) が画面右側から登場。
 
この場面、アクアは男声で演じる。
 
「おっ、もう少しでアーデンの森だぞ。気分は最高!」
 
タッチストーンが言う。
「あんたは最高かい?俺はさすがに疲れてきたぞ」
 
ギャニミードが言う。
「男ってもんはさ、たとえきつくても笑顔で『気分いい』と言うもんだよ。ペチコート着てる時の言葉と、ダブレット(*20) にズボンを着ている時は自ずと言動は変わるものさ」
とギャニミード。
 
「そんなたいそうなもんかねー。ドレス着てても男言葉で話したかったら話せばいいし、ダブレット着てても女言葉で話したかったら話せばいいじゃないか」
とタッチストーンは言っている。
 
「俺、女言葉で話そうか?」
「ぼくに刺し殺されたくなければやめておけ」
 

(*20) 原文は"doublet and hose". ダブレットは14世紀から17世紀に掛けて西洋で使用された男子の上着。英語ではダブレット (doublet), フランス語ではプールポワン (pourpoint), スペイン語ではフボン (Jubón), ポルトガル語ではジボン (Gibão) と言い、このポルトガル語が日本語の“襦袢(じゅばん)”の語源となった。衿の立ったいわゆる南蛮服もこれである。
 
ダブレットは紳士服ではあるが、婦人服のようなスラッシュ(切り込み)が入ったり、レースが付いたり、リボンを結んだりもしていた。300年ほどの間に結構形態は変化しており、最終的には丈が短くなって、下に着ているシュミーズ(現代でいうところのワイシャツ)を見せるようになり、現代のベストのルーツとなった。
 

エイリーナ(シーリア:姫路スピカ)が弱音を吐く。
 
「もう1歩も歩けない。お願い。私をおんぶしてくれたりしない?」
 
タッチストーンは断る。
「やなこった。むしろこっちがおんぶしてほしいよ。あんたが俺をおんぶしてくれたら、俺があんたをおんぶしてもいい。ここまであんたをだいぶおんぶしてこちらはクタクタだよ」
 
「まあまあ、もうアーデンの森は目の前だよ。少し休もう」
とギャニミード(ロザリンド)は言い、3人は倒木に腰を下ろす。
 

カメラは少し左にスパンし、ギャニミードたちは画面の右側に映る状態になる。
 
画面左手(舞台でいえば下手)からコリン(藤原中臣)とシルヴィアス(鈴本信彦)が登場する。
 
「お前まだそんなことしてるのか?そんなんじゃ、あの子にまともに相手にしてもらえないぞ」
とコリンがシルヴィアスに言う。
 
「ああ、コリン。僕がどれだけ悩んでいるか分からないだろうなあ」
「分かるさ。俺だって若い頃は恋をしたんだぞ」
「いや、それでも僕の苦しみは分からない。恋でこんなに苦しんでるのは世界でも僕以外に居ないよ」
「俺もたくさん苦しんだけどなあ」
 
「どんなに恋をしても、今のぼくのフィービーへの思いとは比べようも無いよ。ああ、フィービー、フィービー、フィービー」
と言って、シルヴィアスは立ち去ってしまった、
 

ギャニミード(ロザリンド)はコリンに語りかけた(男声)。
 
「もし、お尋ねします」
「なんだい?旦那」
「どなたか親切な方で、今晩1番泊めて頂けるような方をご存知無いでしょうか。長旅をしてきて、私の妹が疲れ果てていて。お金は払いますから」
 
「それはまた気の毒に。しかし私は雇われ者の身なので、ここの土地の石ころひとつ、羊の毛1本、自由にならないのですよ(*21)」
「そのご主人さんはどちらに」
「それがこの付近の土地を売りに出しておられる状態で。お陰で私の身分も宙ぶらりんで困っているんですけどね」
 
「どなたか買い手の見当はあるんですか?」
「今の若者に買ってくれないかと言っている所なんですけどね。あいつは、どうもそれ以外のことで頭がいっぱいで、埒があかなくて」
 
ロザリンドは少し考えた。
 
「だったらどうでしょう?この土地を私が買うことはできないでしょうか?」
「旦那、こんな田舎の土地に興味をお持ちで?」
「私がお金を出すから、あなたの名義で買い取ってもらうというのは、どうでしょう」
「それは可能だと思いますけどね。取り敢えず、私の羊飼い小屋にいらしてください。少し具体的な話もしましょう。小屋にはパンのひとかけら程度はあったかも知れない」
 
「助かります!お邪魔します」
 
それでギャニミード(ロザリンド)はエイリーナ(シーリア)を助けて立たせ、タッチストーンと一緒にコリンの羊飼い小屋に向かった。
 

(*21) 当時英国は世界最大の羊毛生産国で、人間の1.5倍ほどの羊が飼われていたという。他の国では羊は“遊牧”され、草のある所へ羊飼いたちは羊とともに大移動していた。しかし英国では土地が狭いためこのような遊牧は行えず、定住型の放牧が発達した。
 
中世に発展したのが三圃式といって、土地で春蒔きの作物と秋蒔きの作物を植え、収穫後の土地で羊を放牧するというものである。羊の放牧により土地は羊が踏み固めるし、屎尿によって地力が回復し、また作物を育てられるようになる。
 
このサイクルは村で共同で行うようにしていたので、放牧時期による収穫の差が出ないよう土地は細切れにして羊が多数の所有者の土地に跨がって放牧されるようになっていた。また村の周辺の所有者が曖昧な地域には土地を持たない人々が小屋を建てて勝手に住み着いており、種蒔き・収穫などの際の労働力となっていた。彼らは自分の小屋周辺の土地を勝手に耕して自分用の作物を育てることも認められていた。
 
しかし16世紀に起きた囲い込み(enclosure) では、羊毛の生産を上昇させるため、土地所有者たちは各々の所有地を適度に交換し、自分の所有地をひとつにまとめ、そこで効率よく農耕や放牧をするようになった。土地の境界には山査子(さんざし)の生垣が作られた。
 
この結果各々の所有地境界が明確になり、これまで曖昧に村周辺に勝手に住んでいた人たちは追い立てられ、農作業や放牧には土地所有者から雇われた賃金労働者として参加することになる。ここでコリンはそういう賃金労働者として農作業や牧畜をしていたものと思われる。シルヴィアスは恐らくは本人もしくは父親が土地所有者で、他の人の土地も買えるだけの資産を持っていたのだろう。
 
ここでの羊飼いの仕事は、昼間羊を外縁部の荒れ地で遊ばせ、夜間には休耕中の畑に連れ戻すことである。夜間羊たちが過ごすことで、その土地は地力を回復する。彼らは種まきや収穫の時には農作業もしたであろう。
 
だからこの物語で書かれている shepherd というのは農村労働者という意味と考えて良い。それは大陸の羊飼いのイメージとはかなり異なる。
 
ロザリンドがコリンにお金を出すからあなたが買って欲しいと言ったのは、余所者が土地を買おうとするのは警戒されるからで、村の住人を通して実質所有する方法を提示したものと思われる。そういうことをすぐ考えるロザリンドは本当に頭がいい。
 
 
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【お気に召すまま2022】(1)