【夏の日の想い出・まつりの夜】(1)

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2006年の夏。中学3年生の私は「夏休みなら時間あるだろ?」と言われて蔵田さんの音楽制作によく付き合わされていた。この時期、制作は私が来やすいようにと配慮してもらって、私の自宅からそう遠くない場所にある風光明媚?な公園のレストハウス2階を6月から8月まで3ヶ月借り切ってやっていた。
 
私が住んでいた地域は一応東京都内ではあっても、かなりの田舎である。郊外ならまだいいが、市内には豊かな水田が広がる地域などもある。写真を撮るとふつうに田園風景になる。そういう場所なので深夜まで音楽制作をしていると周囲には人も車も居なくなったりする。
 
そこで大守さんは私に「車の運転」を教えてくれた。
 
「私、中学生ですよ。運転しちゃいけないのでは?」
「うん。道路は運転しちゃいけないけど、構内で練習するのはいいんだよ」
「そうなんですか?」
 
要するに蔵田さんが詰まってしまった場合、他のメンツは何もすることがないので、その間の暇つぶしなのである。私が運転席に座り、大守さんが助手席に座って指示に従って車を動かす。最初はいきなり
 
「右がブレーキ、左がアクセルだから、それとハンドル操作だけ覚えておけば何とかなる」
などと大守さんが言って、後部座席に乗っている樹梨菜さんから
「清志君、それ右と左が逆!」
と言われたりしていた。
 

「だけど最近、洋子ってセーラー服なんだね」
と樹梨菜さんから指摘される。
 
「実は男子制服を友人に取り上げられてしまって、これで学校に通えと言われちゃったので」
「その格好で学校にも行っているんだ! 先生に何か言われなかった?」
「授業中はワイシャツ姿になってます。でも登下校はセーラー服なんです」
 
「洋子、友人に恵まれているみたいね」
と言って樹梨菜さんは可笑しそうにしていた。
 

7月8日(土)の夕方。その日は来週が合唱部の大会なので朝から夕方近くまで練習があり(当然私はセーラー服で学校に出かけていって練習をしている)、その後、自宅には寄らずにまっすぐ制作をしている公園に来る。すると唐突に蔵田さんが
 
「あばれ祭りを見に行くぞ」
と言った。
 
「何ですか?それ」
「能登のキリコ祭りって知らない?」
「知りません」
「巨大な燈籠で、とにかく暴れるんだよ」
 
さっぱり分からない! 燈籠って青森のねぶたみたいなものかな?と想像する。それでとにかく、私と蔵田さん、大守さん、樹梨菜さんといういつもの制作メンバーで蔵田さんのマツダ・プレマシーに乗り込み、高速道路に乗った。
 
「そのお祭りって明日やるんですか?」
「ううん。昨日と今日」
「もう終わってしまうんでは?」
「今夜の12時くらいがクライマックスなんだよ」
「能登ってどのくらい掛かるんです?」
「今カーナビには午前1時到着と書いてあるからたぶん11時すぎには着く」
「安全運転しましょうよ!」
 
車は大守さん、樹梨菜さん、蔵田さんが交代で運転してノンストップで関越道、上信越道、北陸道、能登有料道路、珠洲道路と走り続けた。
 
「あれ?樹梨菜さん、自動車学校は卒業したんでしたっけ?」
「私、こないだ第一段階終わったから、今は仮免」
「いいんですか〜!?」
「助手席に免許取って3年以上の人が座っていればいいんだよ」
 

あばれ祭りが行われている能登町の宇出津(うしつ)に到着したのは大守さんが言っていた通り、23時過ぎであった。東京から6時間で着いてしまったが、そんなにスピードを出している感は無かった(蔵田さん以外は!)。
 
漁協?の駐車場に車を駐め、歩いて行く。6時間ぶっ通しで走ってきたので歩くことで結構疲れが取れて身体が地球に定着するような感覚である。町の中心部?と思われる通りに多数の「キリコ」が並んでいる様は壮観であった。
 
キリコは能登地方に広く見られるもので地域によって形も様々であるが、ここ宇出津(うしつ)のものは巨大な縦長長方形の燈籠である。それを4本の丸太を横にしたものの上に立て、多人数でかついで練り歩くのだが、この地域のものは「あばれ」の名の通り、ゆっさゆっさ縦に揺らして「暴れる」。ひじょうに勇壮な祭りで、都会だと危険だとか何とか言う人が出そうだが、田舎ならではの原始的なエネルギーを感じる祭りだった。
 
「洋子、今創作意欲が湧いてるだろ?」
「凄く湧いてます」
「書き留めておけ。俺も書いとく」
と言って、私も蔵田さんも紙にイメージの塊のようなものを書き留める。私は五線紙を使うが、蔵田さんの場合はだいたい広告の裏にABC譜である。広告の裏というのが想像を掻き立てるし、ABC譜が自分には合っていると蔵田さんは言う。
 
この時、私が書いたのは『光る情熱』という曲である。
 

宇出津駅(廃駅)の裏手に細い道があり、そこに並ぶキリコの脇を通り抜けて、私たちは八坂神社に向かう。そういえばここ、のと鉄道能登線が廃止される直前に、篠田その歌『ポーラー』のPV撮影をしたんだったな、と私は昨年春のことを思い出していた。
 
八坂神社はとても小さな神社だった。昼間ここを通っても見落としてしまうだろう。その神社の前にキャンプファイヤーのような、たき火(?)が焚かれている。そこにやがて、神輿(みこし)をかついだ人たちが来る。この祭りは数十台のキリコの他に2個の神輿があるのだそうだ。私は外人さんの観光客が多いなと思って見ていた。周囲で英語だけでなく、ロシア語やスペイン語も飛び交っている。そして私は神輿が凄く新しいなと思った。今年新調したのだろうか?
 
神輿をかついでいる人たちが、焚き火の周りを回る。熱そうと思って見ていたのだが、その内、神輿をその焚き火の中に放り込んでしまう。
 
あれ?御神輿って燃やしてしまうものだったのか、などと思って見ている。
 
ところが、しばらく見ていたら、今度はその焚き火の中に放り込まれた神輿の上に人が飛び乗って揺する。えーーー!?
 
近くで外人さんの観光客が「Crazy!」と叫んでいたが、ほんとに私も同じことを叫びたい気分だ。
 
熱いよね?大丈夫なの?と心配になった。だって遠巻きに見ている私たちだって結構熱いのに。おそらく祭りのクライマックスで精神が高揚しているので、熱さもそう感じないのだろうが、これ絶対やけどしてない?などと思う。
 
でも神輿が新品な訳が分かった。これ翌年再利用できないじゃん!
 
かなり長時間、焚き火の上で乱舞した後、神輿は焚き火から取り出されて、神社の神殿に運び込まれる。おもわず観光客が写真を撮るが、神職らしき人が「写真は撮らないでください!」と叫んでいた。大守さんが写真を撮っているので「いいんですか?」と尋ねたのだが、あとから
 
「カメラ壊れてる!」
 
と言っていた。
 
CCDが完璧に壊れていて修理に5万円もかかったらしい。むろん写真はこの場面は1枚も撮れていなくて、赤い線とかがむなしく写っているだけであった。
 
あそこは祭りの最高潮で、物凄い「気」の流れがあったから、カメラのような電子機器は異常動作してしまうのだろう。プラズマの塊でもできていたのではと私は思った。そのくらいあの場の雰囲気は特殊だった。
 
私は帰り道、興奮の余韻の中で『炎の恋』という曲を書いた。
 

蔵田さんの楽曲制作はその後も続いていたが、8月になると今度は「能登半島でPVを撮るぞ」と言い出す。この時期楽曲制作していたのは、松原珠妃や芹菜リセの楽曲だったのだが、このPVはドリームボーイズのアルバム用である。
 
「あのぉ、楽曲は?」
「PVを作った後で作る」
「無茶な!」
 
今度は多人数だし、3日掛けてのものだというので飛行機か列車での移動かと思ったら、またまた車だと言う。
 
「だって能登半島って公共交通機関が絶望的だから」
「やはり、鉄道が無くなっちゃったの痛いですよね」
「バスは日に数本だし。そもそも小さな車体のバスだから、俺たちがどーんと乗り込んだら迷惑だよ」
 
参加したのは、ドリームボーイズの6人、マネージャーの前橋さん、その助手の大島さん、ダンスチームが樹梨菜さん、私、凛子さん、アランさん、レイナさん、ゆまさんの6人。合計14人がマイクロバスに乗って東京から能登半島まで走っていったが、行き当たりばったりの旅になるからと言われて、ホテルも取らずに全行程車中泊の旅であった。なお、マイクロバス以外に蔵田さんのプレマシーも一緒に持って行っている。これは小さめの車があるとロケハンに便利なのと、着替える時に男女分ける必要があるからというのもあった。
 
むろん女子がマイクロバス内で着替え、男性たちがプレマシーの中で着替える!
 
「普通は正規メンバーが楽な所で着替えて、ダンサーは少しランク落とした所で我慢してもらわない?」
などという声もあったが
 
「女の子は大事にしてもらわなくちゃ」
とデビュー以来のダンサーである樹梨菜さんの「鶴の一声」でそういう場所分けになったようであった。
 
実際には男性たちの中には、田舎で人目がないのをいいことに車の外で「青天プレイ?」で着替えている人も多かった。
 

そのお着替えをしている時に、ゆまが言った。
 
「それで樹梨菜さん、申し訳ないのですが、ダンスチームは今回のお仕事を最後に辞めさせて欲しいのですが」
 
「結婚でもするの?」
などと訊かれる。
 
「えー!?私、彼女居ないですよ」
という、ゆまの発言は聞かなかったことにして
 
「実は、スカウトされたんです」
と言って、ゆまは自分がやっている Red Blossom というバンドがライブステージをしていた所で、∞∞プロダクションの人にスカウトされたことを話す。
 
「当日、Lucky Tripperというバンドとセッションしている時に、まとめて声を掛けられて」
 
「∞∞プロさんなら、$$アーツとは特に遺恨とかもないし構わないと思う。そもそも私たちは$$アーツと契約している訳じゃないから自由だしね。孝治とか前橋さんには言った?」
「まだです」
「じゃ、一緒に言いに行こう」
「はい、済みません」
 
「だけど、それバンドまるごと使ってくれるの?」
と凛子さんが心配そうに言う。
「それなんですよ。合体演奏した時にスカウトされてるけど、ひとつのバンドとして売り出すつもりのようなんですよね。だからパートがダブるんですよ」
 
「ドラムスとかベースはどちらか片方だけでいいなんて話になるかもね」
という声も出る。
 
「一応Red Blossomの4人全員でなければ応じられないと申し入れはしているのですが」
「一本釣りされる場合もある」
「まあ、その時はその時ですけどね。どうも向こうさんはLucky Tripperの方をメインに考えていて、こちらはついでっぽい雰囲気なので警戒しています」
 
「Red Blossomって、男性2人・女性2人だったよね?」
と凛子さんが訊く。
 
「そうなんですけどね。向こうさん、ドラムスの咲子を見て、ドラムスの人が紅一点なんだねと言うんですよ」
 
私たちはしばらく考えた。そして状況の想像が付いて吹き出した。
 
ゆまはドリームボーイズのダンサーをする時はセミロングのウィッグを付けているが、ふだんはベリーショートで、服装も男っぽいので充分男子に見える。FTMである樹梨菜さんよりかえって男っぽく見える。宝塚の男役のような雰囲気の「格好良い女」である。
 

この旅では、美しい場所でPVを撮りながら、やはりそういう場所では創作意欲も掻き立てられるので、蔵田さんも私もけっこう曲を書いた。だいたい私と蔵田さん・樹梨菜さんの3人でプレマシーで走り回り、良い場所があったら他の人たちを呼ぶということをしたが、蔵田さんは運転中に着想が得られると、
 
「洋子。俺楽譜書きたいから、ちょっと運転代われ」
などと言った。
 
「私、無免許です。樹梨菜さん運転してくださいよ。免許もらったんですよね?」
「うん。取ったよ。私が代わるよ」
「いや、樹梨菜の運転は怖くて安心して楽譜を書いてられん」
「じゃ駐めておきましょうよ」
「走りながらでないとイメージが膨らまないんだよ」
などと言って、私は結構プレマシーを運転することになった。蔵田さんは過去に結構能登半島を走っているらしく、裏道を随分教えてもらった。裏道は交通量が少なく、すいすい走れるので書きやすいらしい。
 
「見付かったら弁明してくださいよ」
「大丈夫だよ。無免許運転くらい、少年院に数ヶ月行ってくるだけで済む」
「それ嫌です!」
 
「おまえ戸籍は男だから丸刈りにされるだろうけどな」
と蔵田さん。
「男の入所者に絶対レイプされそう。あんた性転換済みだからね」
と樹梨菜さん。
「勘弁して〜。次からは大守さんも連れてきましょうよ」
「この3人だけの方が集中できるんだよ。だからおまえ16歳になったらすぐ免許取れ」
「普通免許は18歳からです!」
 

この旅では私もほんとにたくさん着想を得て、恋路海岸では『恋路の果てに』、その近くの見附島では『ロングシュート』という曲を書いた。弘法大師が中国から帰国する船の中から投げた五鈷杵がこの島で見付かったという伝説があるのである。弘法大師はミサイル発射台並みの投擲能力を持っていたようだ。(一緒に投げた三鈷杵は高野山、独鈷杵は佐渡島で見付かったらしい)
 
最終日はPVも良いのが撮れて、蔵田さんも曲を3曲も書いて、雰囲気が良かったこともあり、道の駅に車を駐めたまま酒盛りが始まってしまう。私も「飲め」と言われたが「未成年です!」と言って断る。
 
「洋子は硬いなあ」
「ほら、レイナを見ろ。飲んでるぞ」
 
などと言われる。レイナは私よりひとつ下の中学2年生である。
 
「私、お父さんに付き合って小学生の頃からビール飲んでた」
などと本人。
「悪い親だな。まま、もういっぱい」
「いただきまーす」
 
こんな所を週刊誌とかに見付かったら、ドリームボーイズは1年間くらい活動自粛するはめになったりして。
 

などと考えていた時、道の駅に1台のデミオが入ってくる。しかしどうも様子がおかしい。
 
ゆまさんが窓をノックして「どうかしました?」と訊いたらドライバーの女性は窓を開けて「産まれそう」などと言う!
 
産気づいたものの、近くに誰も家族や友人が居なかったのでやむを得ず自分で運転して病院に行こうとしたのだが、途中で辛くなって、とりあえず目についた道の駅に車を入れて停めたなどという。
 
「救急車呼ぼう」
という話になるが、なんとそこは携帯の圏外であった。公衆電話も見当たらない。それで誰かが運転して町まで行くしかないということになるが、18歳以上のメンバーは全員お酒を飲んでいる。
 
それで蔵田さんが「おまえが運転しろ」と私に言った。
 
私もここは酔っ払っている人が運転するよりはその方がマシと判断して念のため出産経験者であるアランさんと、何となく頼りになりそうなゆまさんに同乗してもらい、出産施設のある病院のある町まで40分ほど私が車を運転して連れて行った。
 
それで産まれたのが貴京(たかみ)ちゃんという女の子であった。9ヶ月の早産だったが、安産で母子ともに元気であった。実際問題として病院に連れて行っている最中に「もう出てくるぅ!」という状態で、病院に着いて分娩室に運び込むとすぐに「おぎゃー」という声を聞いた。
 
私は「とりあえずあんたは外に出てろ。女だとは思うけど男である疑惑もあるから」などとゆまさんから言われ、アランさんとゆまさんが分娩室に入って妊婦の手を握ってあげていた。
 
「お母さんか旦那さんに連絡しますよ。電話番号教えてください」
 
と、ゆまさんが言うが、お母さんは先日骨折して別の病院に入院中、お父さんはたまたまバンコクまで出張に行っていると言う。それで取り敢えず東京に住む彼氏(結婚はしていないらしい)に連絡したいというので、ゆまが連絡してあげたのだが、ゆまは電話に出た相手に驚いたような表情をした。ゆまが状況を伝えると相手は自分が行くか、あるいは信頼できる人をこちらにやってサポートさせると言ってくれた。
 
電話を切ってから質問が出る。
 
「どうかしたの?」
「ううん。何でもない」
と、ゆまは言ったが、ゆまが驚いたのは、その電話相手、つまり貴京ちゃんの父親が、実は上島雷太であったためであったことを私が知ったのは、ずっとずっと先のことであった。
 

それから5年後。
 
私は再び能登半島へ向かった。
 
2011年7月31日。広島に来ていた私は政子から「お腹空いた」という電話を受ける。私が10日ほどキャンペーンで全国を飛び回っていた間に、マンションの食料ストックが尽きてしまい、食べるものがなくなったので、新幹線で私を追いかけてきたのだという。
 
それで私は広島駅で政子を拾って深夜営業しているお好み焼き屋さんに行き、政子のお腹を満足させてやった。
 
その晩は一緒に広島のホテルに泊まり、翌朝ホテルの朝食を食べていたら牡蛎が出ていた。むろんこの時期に生牡蠣は無いので冷凍だったのだが、政子は生の牡蛎を食べたいと言い出す。
 
こんな夏のさなかに生牡蠣なんて無茶だと思ったのだが、私はふとあることを思い出して、石川県金沢市に住む従姉の千鳥に電話してみた。すると能登半島の中島町というところで、ふつうの牡蛎とシーズンがずれている「岩牡蠣」というのが今の時期なら、まだ生で食べられるというのを教えてもらった。岩牡蠣は普通の牡蛎が終わった直後の5月頃から食べられるようになり気候にもよるが、8月上旬頃まで食べられるらしい。
 
それでそのお店を明日予約してもらい、私たちはその日は富山県高岡市に住む青葉のもとを訪問した。そこにはちょうど東京のメイドカフェでバイトしているMTF女子大生の和実とその恋人の淳のカップルも来ていた。それで予約を追加して5人で岩牡蠣を食べに行くことにしたのである。
 
そしてこの真夏に生牡蠣を食べることができて大満足の政子を、私は金沢で開かれるKARIONのライブに連れて行った。この日私たちはKARIONライブにゲスト出演することにしていた。
 

ところで和実は、熱烈なゴスロリの信奉者である。メイドカフェでは普通のメイドの服装をしているが、そこに通勤する時も、大学に授業を受けに行く時もだいたいゴスロリを着ている。
 
それで青葉の家で私と政子は「ちょっとこれ着てごらんよ」などと言って和実の持っているゴスロリのドレスを着せられてしまった。
 
そして会場に行った私と政子がゴスロリを着ているのを見た小風は
「いいこと思いついた」
と言って、私たちを
 
「ローズ+リリーのそっくりさんで、ゴスロリを着たゴース+ロリーのおふたりです」
 
と言って紹介し、私たちは『恋座流星群』と『坂道』を歌ったのであった。
 
『恋座流星群』は公的にはマリ&ケイ作詞作曲とされているが実は、ケイ作詞・和泉作曲の歌だったので、それをKARIONライブで歌うことに私は運命の巡り合せを感じた。
 
また『坂道』は元々富山の八尾町で毎年開かれている「風の盆」で諏訪町の石畳の道の左右に燈籠がともっていて美しい様を見て書いた曲であり、北陸の地で歌うのにふさわしい曲であった。
 

KARIONライブのゲストに《ゴース+ロリー》が出るというのは、更に8月13日の大阪公演でも行った。(和実はせっかく大阪に行くのならと言って、私たちを大阪のVictorian Maidenに連れて行ってくれて、そこで私たちに合う服を選んでくれた。震災のボランティアで週に2回くらい東北と往復したり忙しいようなのに、本当にご苦労様である)
 
私たちはあくまで「そっくりさん」と称して歌っているのだが、観客の中には私たちが偽物であることに疑念を抱いた人もあったようである。
 
「★★レコード所属歌手の公式のライブに、そっくりさんとか呼ぶか?」
「そもそもゴース+ロリーなんて聞いたことない。ローズ+リリーのそっくりさんなら、ローザ+リリンの方が有名」
「ローザ+リリンは何度かテレビに出たことあるね」
「但し★★レコードとのつながりが深い◇◇テレビは、ローザ+リリンを完全無視」
 
そしてネットの論客たちは自然と
「あれ、偽物ということにしておいて、実は本物では?」
 
という結論に到達する。
 
「だいたいそっくりさんにしては歌がうますぎた」
「いや、俺は本物ならマリちゃんがあんなにうまいわけないから偽物かと思った」
「でもマリちゃん、かなり歌がうまくなっているという噂もある」
 

そんな話が盛り上がっていたお盆明け。
 
私たちは富山市内のホテルや郵便局などに
 
《ゴース+ロリーショー 9月3日(土) 14:00》
 
というポスターを貼りだしたのである。
 
実はKARIONのゲストコーナーで歌った『坂道』が、元々富山の八尾で作った曲であるというのを聞いた政子が
 
「だったら富山で歌おうよ」
と言い出して、企画したものである。
 
町添さん、および私たちの営業について委託されている○○プロの丸花さんとの話し合いで、その風の盆が行われる9月3日にぶつけた。
 
(私たちのマネージングはUTPに委託しているが、UTPは更に△△社に委託し、△△社は○○プロに委託しているので、○○プロは事実上ローズ+リリーの窓口である)
 
チケットは会場として借りたホテル、富山市内の主要プレイガイドに置いてもらったのだが、たまたま郵便物を出しに来た人で、金沢のKARIONライブを見ていた人が気づき、ネットに書いたら噂がさっと広まり、その日の夕方までに用意したチケット400枚が売り切れてしまった。ネットの書き込みを見ていると、東京や九州の人で、富山の知人に頼んで買ってもらった人もあったようであった。
 
料金は1995円(1900円+消費税)にしている。これは会場の使用料が料金2000円までなら安く済むからである。それでセミプロ・アーティストの公演ではよくこういう料金設定が使用されるのである。私たちはこだわる必要もないのだが、ローズ+リリーではなく無名のゴース+ロリーということでこういう価格設定にした。
 
もっともヤフオクで最高6000円で取引されていた!(期間が短かったのでその程度で済んだようであった)
 
このイベント運用に関しては不測の事態があってはならないので地元のイベンターさんに委託した。餅は餅屋である。会場のキャパは400なので通常ならこの規模の会場のライブは3-4人程度のスタッフで充分なのだが、警備スタッフを大量動員して20人規模にしている。(当然収支としては大赤字であるが、赤字の半分を★★レコードが負担してくれた−残り半分はサマーガールズ出版の負担)
 

「風の盆」は毎年9月1-3日に行われる。私と政子は大学がまだ夏休み中でもあったので、ライブ前日の9月2日(金)に飛行機で富山に入り、その日は青葉の家に寄ってから高岡市内のホテルに泊まることにしていた。青葉の家では政子が青葉に「心のヒーリング」をするセッションをしてもらったが、また政子は胸のつかえが取れたようで、たくさん涙を流していた。
 
「私ずいぶん泣いちゃった」
「政子さん、たくさん泣くほど心が元気になりますよ」
 
その日は青葉の姉たちである桃香と千里も来ていた。彼女たちも私たちと同様に夏休み中とのことで、友人から借りたというインプレッサ・スポーツワゴンに乗って東京から走ってきたらしい。
 
「ふたりで交代で運転してきたの?」
と政子は訊いたが
 
「いや、私はMTは運転できないので」
と桃香が言う。
 
「MTって何だっけ?」
と政子。
 
「シフトの切り替え方の違いだよ。クラッチペダルとシフトレバーで切り替えるのがマニュアル車・通称MTで、クラッチペダルが無くてセレクトレバーだけで切り替えるのがオートマティック車・通称AT。免許もATだけしか運転できない免許とどちらも運転できる免許がある。MT車の方が難しいから」
と私は説明したが
 
「なんでわざわざ難しい車を作るの?簡単な方がいいじゃん」
と政子は訊く。
 
うーん。もっともな意見という気もする。
 
「好みの問題だよ。恋愛だって落としやすい人じゃなくてわざわざ落としにくい人を攻めたりするじゃん」
と私が言うと
 
「ああ。確かにいやがってるのを無理矢理やっちゃうのは楽しいよね」
と政子が言い
「あ、そうそう。今日はだめー、と言ってる所を無理矢理するのが楽しいよね」
と桃香が言う。
 
私も千里も頭を抱えていたが、青葉は笑っているし、青葉のお母さんは顔をしかめている。
 
「じゃ、桃香はATだけの免許?」と政子。
「免許上はどちらも運転できるけど自信が無い」と桃香。
「教習所で習っただけって人多いよ。MT車が少ないから」と私。
「そもそも実は免許取ってから2年間全く運転してなかったから」と桃香。「ああ、ベーパードライバーとか言うんだっけ?」と政子。
「いや、ペーパードライバー。免許の紙があるだけという意味」と私。「ベーパーだと、蒸発して免許消滅?」と青葉。
「更新忘れるとそうなるな」と桃香。
 
「AT車とMT車って、じゃそのクラ何とかペダルがあるかどうかの違い?」
「うーん。実はクラッチペダルのないMTもある。ブレーキとアクセルだけ」
「但しそれはAT免許でも運転できる」
 
「じゃ、ペダルが2個しかない車はAT免許で運転できて、3個のがMT免許で運転できるの?」
「いや実は、ATやCVTで左側にパーキングブレーキのペダルがあるものもある」
「もちろんAT免許で運転できる」
 
「何だかよく分からん!」
と政子は言うが、ほんとによく分からない!
 

その日は青葉のお母さんも含めて6人で夕食のテーブルを囲んだが、青葉が政子のヒーリングをしていたので千里がその日の晩ご飯は作ってくれたようである。千里はこの日のためにわざわざ買ってきたらしい巨大な鍋にたっぷりのビーフシチューを作った他、鶏の唐揚げを5kg揚げていたので、桃香が
 
「なんでこんなに大量に作ったの?」
と言ったが、きれいになくなってしまう。それで更にデザートということで、ミスドのドーナツ10個入りが3箱出てくるが、これもきれいに無くなる。
 
最後の方は桃香はポカーンという表情で見ていた。
 
「よく入るね!」と桃香。
「政子の胃袋の原理が分かったらノーベル賞もの」と私。
 
「KARIONの美空ちゃんと、政子ちゃんを並べてどちらがたくさん食べるか見てみたい」
などと千里は言ったが
 
「あ、こないだ金沢の楽屋で美空ちゃんと《芝寿し》の食べ比べした」
と政子が言うと
 
「あ、それ見たかった」
などと千里は言う。
 
桃香が「カリオンって何だっけ?」と訊くので千里は「女の子4人のボーカルユニットだよ」と答えたのだが、この時、私は千里の「4人」という言葉を聞き流してしまった。
 

翌9月3日は朝から、富山市にある、私の従姉の千鳥の実家=伯母の清香の家を政子を伴って訪問したのだが、市内でも交通の不便な場所にあるので、タクシーでも使おうかと言ったら千里が「送って行くよ」と言うので、彼女の運転するインプの後部座席に乗せてもらって、出かけて行った。桃香はお母さんの用事で青葉と一緒にどこかに出かけるようなことを言っていた。
 
千里は車の中で待っていると言ったのだが「別に遠慮は要らないから」と言って一緒に中に入る。千鳥と清香が歓迎してくれる。
 
清香は夫が転勤族なので、全国を渡り歩いている。千鳥が結婚した時は大阪に住んでいたのだが、その後転勤で富山市に移動してきている。千鳥は2009年に結婚したのだが、彼女の夫も全国企業に勤めているため、結婚早々に金沢に転勤になり、そこで最初の子供・多歌良を産んだ。ところがその子がまだ1歳にもならない内に次の子供を妊娠してしまって(生理再開に気づかなかったらしい。つまり再開後最初の生理周期で妊娠してしまった模様)、現在臨月である。
 
そして今週末は夫が社員旅行で沖縄に行っているというので「ひとりだと何かあった時にいけないから」と言われて、実家に来ているのだという。
 
「先日は能登の岩牡蠣のお店の手配、ありがとうございました」
と政子がお礼を言う。
 
「いや私も知らなかったんだけど、彼が接待で食べに行って、それで知ったのよ」
と千鳥。
「その話を聞いてたんで、連絡してみた」
と私。
 
「名物ではあっても、スーパーとかに並ぶものではないから、地元に居ても知らない人はけっこういるみたい。スーパーには、普通の牡蛎がやはりRの付く月だけに並ぶんだよね」
 
「Rの付く月って何だっけ?」
「September, October, November, December, January, February, March, April」
「それ以外の時期では生殖期間に入るから食べられなくなる」
「あ、そうか。性転換するんだった」
「政子、こないだも楽しそうにそういうこと言ってたね」
「人間も毎年性転換したら面白いのに」
「それ面白いというより混乱の極致」
 

「でも私、男になってみたい気もするなあ」
などと千鳥が言う。
 
「お母さんが性転換して男になったら多歌良ちゃんは戸惑うかも」
「取り敢えず、おっぱいが無いと寂しい」
「いや、きっとその時はお父さんが性転換して女になってる」
「お父さんにおっぱいがあればいいか」
「娘も性転換して息子に」
「息子だけ性転換してなかったりして」
「その時はちょっと手術して女の子に改造して」
 
「毎年どういう性の組み合わせになるかであれこれ楽しめるかも」
「それホントに楽しいの?」
 

ライブが14時からで、リハーサルが11時からの予定と言うと、10時のおやつでも食べてから移動するといいと言う(政子が目を光らせる)。ライブの後で時間が取れるなら、八尾に行って一緒に風の盆を見ない?と誘われたのだが、私は
 
「実は高橋海蛍先生という人に、民謡を習っていたので、その先生と一緒に八尾に行くことになっています」
と言う。
 
「なんだ。高橋先生か。あの人のお母さんが八尾の人でしょ?」
「ええ。それで街流しも見学させてもらおうと」
「でもなんで高橋先生の所に来るのよ。私の所に来たらロハなのに。元々富山に住んでいる人に習いたかったら、提携している教室にも行かせてあげるよ」
 
「いや、プロダクションに言われて、おわら習って来いと」
 
「あんた、自分が名取りだと言わなかったでしょ?」
「まだ私名取りじゃないですけど」
「乙女姉さんは、既に名取りだと考えているけど。あんた自分の名前も知っているよね?」
「ええ。でもまだ正式にもらった訳でもないし当面封印ということで」
 

ちょっとおさらいに歌ってみようなどと言って、清香さんが三味線を弾きながら歌い、私が胡弓を弾くことにする。千鳥さんが合いの手を入れる。
 
「太鼓もあるといいんだけど」
と言っていたら、千里が
「私が打ってみていいですか?」
と言うので、
「やってごらん」
と言って打たせる。
 
すると、千里がいい感じで和太鼓を打つので
「あんたうまいじゃん」
と清香から言われる。
 
「歌われよ〜、わしゃ囃す」
という千鳥の声に続いて、清香さんが
「恋の礫か 窓打つ霰」
と唄って
「キタサノサ〜、ドッコイサノサ」
と千鳥さんが囃し、
「明けりゃ身に染む、オワラ、夜半の風」
と清香さんが唄う。
 
政子はおわらを聴くのは初めてということで
 
「これってなんか垢抜けているね」
などと言っている。
 
「7月にちょっと斎太郎節を習ったね」
「うん。でもあれとは全然雰囲気が違う」
 
「斎太郎節というか大漁唄い込みにしても、越中おわら節にしても近年すごく洗練されてきているから、どちらも土着的な民謡からは少し外れているんだけど、洗練の方向性が違うからね」
 

「でも、冬って胡弓、うまいんだね」
と政子が言うと、千鳥が
 
「政子さん、胡弓のアクセントが変」
と指摘する。
 
「一般には《きゅう》の方にアクセント置いて息をする方の『呼吸』と同じ言い方する人が多いけど、富山では《こ》の方にアクセントを置く。うちの鶴派でも同じ」
 
「へー、面白い。胡弓か」
「そうそう。そのアクセント」
 
「だけど、千里さんでしたっけ? 民謡習ったことあるんですか?」
「民謡は、やってないけど、高校時代に雅楽の合奏団に居たんですよ。それで太鼓とか箏とかも習ったんですよ」
 
「雅楽か!それは本格的だ」
「太鼓の担当だったんですか?」
「いえ、私は龍笛の担当」
 
「お、それは聴いてみたい」
 
などという話になった時のことだった。
 

「うっ」
という声を千鳥があげる。
 
「どうした?」
「産まれるかも」
「どれどれ」
と清香が近づいて様子を見るが、千里が
 
「ちょっと見せて」
と言って、千鳥のお腹に触っている。そういえば私は千里が男の娘であることは言ってなかったので、清香伯母さんも千鳥さんも女性と思い込んでいるかもと今更ながら私は思った。
 
「これ4−5時間以内に産まれます。病院に連れていきましょう」
と千里が言う。
 
「よし、すぐ行こう」
ということで、千里と清香が協力して、千鳥を車に乗せる。
 
「それじゃ済みませんけど、私たちはライブ会場の方に行きます」
「うん、頑張ってね」
「じゃそちらも頑張って」
 
ということで別れた。
 

今回のライブには★★レコードはお金は出してくれているのだが「そっくりさん」という建前を通して、主催や協賛などとして名前はクレジットしていない。しかし何かの時のために加藤課長が来てくれていた。ただ加藤課長は時々マスコミに露出していることもあり、知っているファンもある。気づかれると「やはり本物だ!」と騒がれる可能性があるので、今日は和服を着流しして、普段はポマードで固めている髪を自然に流して、付けひげまでして、かなり雰囲気を変えている。
 
「加藤さん、いっそ女装したらよかったのに」
などと政子が言ったが
 
「実は南君に乗せられて女物の服を着てみたものの、出来の悪いオカマにしか見えん、などと北川君に言われたんでやめた」
などと加藤さんは言っている。
 
部下に乗せられて本当に女装してみせる所は、やはり加藤さんのノリの良さだ。その加藤さんを見て、ここまで私たちを運んできてくれた千里がお辞儀をしている。加藤さんは千里を見て、何か言おうとしたのだが、ちょうどその時、イベンターの人が来て、
 
「すみません。楽屋口に駐めてあるブルーバード・シルフィは、こちらのどなたかのお車でしょうか?」
と尋ねる。
 
「あ、ごめーん!僕のだ」
と加藤さん。
 
「今、動かすね」
と加藤さんは言ったが、
「あ、課長さん、お忙しいでしょうし、私が駐車場に移動させておきます」
と千里が言うので、加藤課長は
 
「大誤算でしたね。ケイちゃんの関係者でしたか。じゃ、お願いします」
と言って千里に車のキーを渡した。
 
私は、車を適当な所に駐めたくらいで大誤算って少し大袈裟だなとチラっと思ったものの、政子が声を掛けてきたので、そのことは忘れてしまった。
 

今回の伴奏は、昨年6月に長岡のライブハウスで偶然遭遇したカナディアン・ボーイズの人たち(Gt,B,Dr,KB,Sax,WindSynth)が務めてくれた。偽物ということにはしているものの、かりにもローズ+リリーの有料ライブで、伴奏は音源を流すというのは許されない、というのが、私・丸花さん・津田姉・町添さんの一致した意見であった。間に合わせのようなバンドというのもいけない。しかし、ある程度名前の売れている演奏者を使うのは偽物には不釣り合い。それでふと私が彼らのことを思い出して、連絡してみたら、面白いから付き合ってあげるよと言ってもらった。
 
まずは7月に出したばかりの新曲『夏の日の想い出』『キュピパラ・ペポリカ』
を続けて演奏してから
「こんにちは」
と挨拶する。
 
「まるで本物でもあるかのように歌わせてもらいました。ローズ+リリーのそっくりさんのゴース+ロリーです」
 
と挨拶すると、客席が爆笑となる。
 
「それぞれの名前教えて」
という声が掛かるので
 
「私はゴース+ロリーのケイ・マライアです」
「私はゴース+ロリーのマリ・ジョーダンです」
 
と私たちは自己紹介する。マライア・キャリーとマイケル・ジョーダンをもじった名前だが《マ・ライア(真・嘘つき)》《冗談》という単語を紛れ込ませている。言葉遊びに気づいた客はけっこう居たようで、あちこちで失笑がある。ふとステージ袖を見ると、加藤さんが千里の肩に手を当てて苦しそうに笑っていた。でも加藤さんってわりと平気で女の子の身体に触るよなと私は思ったりもしていた。
 
「今日の伴奏を務めてくれるのは、過去に本物のローズ+リリーの伴奏をしたこともあるという、カナディアン・ボーイズのみなさんです」
と言うと拍手が起きる。
 
するとカナディアン・ボーイズのリーダーの人が
「僕らもかつては本物のローズ+リリーの伴奏をしたことあるんですけど、落ちぶれてゴース+ロリーの伴奏をすることになりました」
 
などと言って笑いを取っている、
 

「それではローズ+リリーのデビュー曲『遙かな夢』」
 
と言って次の曲を歌い出す。政子はとても楽しそうに歌っている。これだけの客の前で自分たちだけのステージで歌うのは2008年11月の東京公演以来である。私は少し心配していたのだが完全な杞憂のようであった。これは早い時期に本当のローズ+リリーのライブを実現したいな、と私は思った。
 
その後はMCを混ぜながら、この当時3年越しのミリオン到達目前であった『涙の影』、そして休業中に0円でダウンロード販売した『雪の恋人たち』
『坂道』と歌っていった。
 
今日の伴奏では多くの楽曲に含まれるヴァイオリンのパートはリリコンで代替しているのだが、『坂道』の胡弓パートもリリコンで吹いてくれた。むせび泣くような胡弓の音をリリコンの音で演奏するのが結構趣きがある。
 
「この『坂道』はケイちゃんが、以前風の盆を見に来た時、諏訪町の石畳の道に燈籠が並んでいる美しい様に感動して書いたものだそうです。今日は風の盆も最終日ですね」
 
などと言うと、客席で頷く人たちがいる。ここにいる観客には風の盆を見たことのある人も多いであろう。
 
「ところで今年は東日本大震災で多くの命が失われました。その鎮魂と復興の思いを込めて『神様お願い』」
 
と言って私たちは《幻のミリオンセラー》を歌う。売上を全て被災地に寄付することにしているため、契約上、売上枚数を公表しないが、この当時既に260万枚/DL売れていた超大ヒット曲である。
 
私たちが歌っていると客席には涙を浮かべている人もあったようであった。
 

「それではとうとう最後の曲になりました」
と私が言うと
 
「えーー!?」
というお約束の声。
 
その反応が収まるのを待って
「これもローズ+リリーの休業中のヒット曲『恋座流星群』。よかったら手拍子お願いします」
 
と言って歌い始める。『神様お願い』はみんなが静かに聴いていたので、尚更この曲ではみんな元気に手拍子してくれたようである。
 
もうみんな私たちが本物であることを確信するかのように
「マリちゃーん!」
「ケイちゃーん!」
という声が掛かり、私たちは手を振って答える。
 
間奏の時には
「キス、キス!」
なんて声まで飛んでくるので私たちはステージ上で濃厚なキスをしてみせる。悲鳴が聞こえる。ステージ袖を見たら加藤さんが頭を抱えていて、千里が今度は加藤さんの肩を叩いている。
 
そして演奏は終曲を迎え、私たちは深くお辞儀をして幕が下りた。
 

すぐにアンコールを求める拍手が起きる。
 
私たちは2分ほどでまた出て行った。但しカナディアン・ボーイズの人たちは入っていない。私とマリの2人だけである。そしてステージ中央にグランドピアノが置かれている。
 
「ローズ+リリーのそっくりさん、ゴース+ロリーにアンコールの拍手までいただいてありがとうございます。それではローズ+リリーが10月に発売するらしいアルバムの中から『Long Vacation』」
 
このMCには客席から大きなざわめきが起きた。ローズ+リリーが10月にアルバムを出すこと自体は発表している。実は音源制作も既に完了している。しかし楽曲内容に関しては、タイトルのラインアップでさえ出ていない。つまりこれはリークである。
 
しかし私たちはそのざわめきを黙殺して演奏を始める。
 
私がピアノを弾き、その伴奏だけで、ふたりで歌う。
 
元々は愛するふたりが、愛し合っていることを言わないまま別れて、長い年月のあと再会して結ばれるというストーリーである。その歌詞を聴いて涙を浮かべている人たちもいる。
 
しかしこれはローズ+リリーが、もう2年半も《休業》を続けていたことへのファンへのお詫びのメッセージでもあった。客席にもそういう《隠された意味》を読み取って頷いている人たちもあった。
 

演奏が終わると同時に物凄い拍手がある。
 
その拍手は今度は「ローズ+リリー」として、私たちにステージに戻ってきてというファンの声だと私は思った。マリもそういう気持ちでいるのだろうか。真剣な表情で拍手を受け止めていた。
 
いったん幕が下りるが、ふたたび強いアンコールの拍手である。
 
私たちはまた出て行く。グランドピアノは下げられており、カナディアン・ボーイズの人たちが入って来て所定の位置に付く。
 
「偽物の私たちにセカンド・アンコールまでしていただいて、本当にありがとうございます。この拍手を本物のローズ+リリーに聞かせてあげたいですね。そしたらきっと、彼女たちはステージに戻ってきてくれると思います」
 
と私が言うと
 
「マリちゃん、ケイちゃん、戻って来てー」
という声がある。
 
するとマリが
「いいよ」
と笑顔で答えたので、客席から大きな拍手があった。
 

「それではこれが本当に最後の曲です。『Spell on You』」
 
曲名を言う時、私とマリは指を1本立てて客席に向けた。物凄い拍手の中でカナディアン・ボーイズの伴奏が始まる。そして私たちは歌い出す。観客は総立ちである。異国風のメロディー、ダンスっぽいリズムに、観客は熱狂し客席で踊っている。今日の会場はキャパを犠牲にしてパイプ椅子を並べて座って観てもらっているのだが(ALL STANDINGなら倍の800入る)、この椅子が無かったら客がステージに押し寄せてしまう危険もありそうなほど、客は熱くなっていた。
 
そして熱狂の中、私たちのステージは終了した。私たちは多数の拍手に何度も何度もお辞儀をして応えた。そして幕は下りた。
 
「これをもちまして、ローズ+リリー、ではなくてゴース+ロリーの公演を全て終了いたします」
 
という締めのアナウンスをしてくれたのは千里であった。
 

幕が下りてから私たちが袖に下がると、加藤さん、そして千里から握手を求められた。
 
「マリちゃん、またローズ+リリーのマリとしてステージに立つ気になってくれたみたいだね。復帰公演はどこでやろうか? 予備的に確保している会場があるから、日程さえぜいたく言わなければ、横浜エリーナとか、武芸館とかでもいけるよ」
 
などと加藤さんは言ったのだが、マリは
「えー? 私は引退した歌手だから歌いませんよ」
 
などと、建前を言う。
 
加藤さんは困ったような顔をしたが、千里が
「次のステージに立つまでは歌わないんでしょ?」
と言うと、マリは
 
「うん」
と笑顔で答えた。
 

「そうだ。さっき、清香さんから連絡が入ったよ。赤ちゃん産まれたって」
「凄い早かったね!」
「超安産だね」
「男の子?女の子?それとも男の娘?」
 
「取り敢えず見た目おちんちんは付いてないように見えるから多分女の子ではないかと。名前も決めたって」
「へー」
 
「風の盆のお祭りの日に生まれたから、まつりという所から茉莉香(まりか)ちゃんだって」
と言って、千里は紙に書いた名前を見せてくれた。
 
「可愛いね!」
と政子も嬉しそうに言った。
 

ライブは15時半頃終わったのだが、その後、サイン会をした。
 
『Goth + Loli 雪の恋人たち/坂道』
 
というこの会場限定のCDを1000円で販売し、希望者にはCDにサインをした。このサインはこの日のために練習しておいた特別なサインだが、Rose + Lilyのサインに酷似しているのがミソである。実際問題として私たちは Gose + Lolyみたいな感じに書いていた。
 
またここで販売したCDはこの日のためにあらためて私たちの歌をスタジオで録音して収録したもので、アレンジこそ高校3年の時に発売したものと同じであるが、実際の演奏も歌もあれとは異なるものである。
 
高3の時の伴奏は私ひとりで全部弾いているのだが、今回は実は旧知の杉山喜代志さんという人がリーダーをしているポーラスターというバンドに演奏してもらって演奏を一気に録音している。このバンドは普段はAYAのバックバンドとして活動しているのだが、AYAは音源製作は打ち込みなので、割と暇なのである。全部ひとりで演奏していたら一週間かかるところをバンドで演奏してもらったので1日で収録を終えている。なお、これも秘密だが『雪の恋人たち』の鈴の音は和泉による演奏、『坂道』の胡弓は従姉の美耶によるものである。
 
CDを買ってくれた全員がサインを希望し、このサイン付きCDは全部で300枚ほど出ている。1人1枚に限定させてもらったのもあり、ヤフオクにはほとんど出回らなかったが数枚出品されたものは1万円以上で落札されたようである。
 

希望者が多いのでサイン会は2時間ほど掛かったが、その間、サービスで2011年3月に収録したライブ映像をロビーに設置したジャンボビジョンで流していたが、サインが終わった後もこの映像をずっと見ているファンは多かった。
 
私たちが千里の運転するインプで会場を出たのはもう18時頃であった。ここしばらく、おわらを習っていた高橋先生の所に行く。それで一緒に八尾に移動しましょうということになるが「少し私の関係者も連れて行っていいですか?」と尋ね、快諾を得た。
 
それで千里が富山市内のショッピングモールで待機していた青葉に連絡すると、青葉の母のヴィッツに、桃香・青葉と、青葉の友人2人(美由紀・日香理)が乗ってやってきた。高橋先生は生徒さん?2人と一緒に行くということだったので、現地の駐車場事情を考えピストン輸送をすることにした。なお青葉の母は徹夜は辛いと言って、いったん高岡に帰るということだった。
 
現地の事情が分かっている人でないと運転は難しいということで、高橋先生の妹さんがアルファードを運転して1往復半した上で、2度目は小学校近くの臨時駐車場に駐めたということであった。
 

25時頃までは聞名寺で輪踊りを見たり(風の盆は元々このお寺の行事である)、曳山会館のステージを見たり、あちこちの街流しを見たりして過ごしたが、夜更けすぎから、自分たちの街流しも始める。
 
高橋先生のお母さん(八尾在住)が三味線、その友人夫婦(同じく八尾在住)が男女の踊り、高橋先生の胡弓、妹さんの太鼓、高橋先生の生徒さん2人と私が交代で唄と囃子をして練り歩いた。青葉と友人2人はその後を付いて歩いたので、実は最小構成であるものの、見た目は11人編成の中規模の街流しに見えてしまう。桃香・千里・政子の3人は観光客のような顔をして沿道を付いてまわっていた。
 
「これ何時頃までやるんだっけ?」
と桃香が訊く。
「明け方まで」
と千里が答える。
 
「そんなに?私は眠くなってきた」
「道端でゴロ寝する? 貴重品だけ預かるよ」
「確かに寝ている人がいるな。しかしたくさん人がいる所で寝るのか?」
「人目があるから襲われる心配は無い」
「確かに!」
「教室の先生の妹さんが駐めた車の前に別の車が駐まっていたらしいから、明け方になるまでは八尾から脱出するのは困難かも」
「うむむ」
「あ、天ぷら売ってる。食べようよ」
「あんた、よく入るな」
 
午前5時頃、青葉の母がおにぎりとお茶を持って八尾に来てくれた。この時間になると交通規制も解除され、車も減り始めるので、曳山会館の駐車場に駐めることができるのである。
 
聞名寺の境内で休憩して頂いたが、私もライブの後で徹夜で歩き回ってさすがに疲れたかなと思った。
 
「おにぎり美味しい、美味しい」
と言って政子はたくさん食べている。青葉の母も張り切って大量におにぎりを作ってきてくれたようだ。
 
青葉の母が来てくれたので、高橋先生のアルファードと青葉の母の車の2台に分乗して、市街地に戻った。
 

「冬子さんたちは飛行機で東京に戻るんですか?」
と解散したところで青葉が訊く。
 
「1日くらいどこかでぐっすり寝てからにしようかと。この状態で飛行機の気圧変化はちょっと辛い気もする」
と私が言うと
 
「あ、何なら私たちの車の後部座席に乗って帰る? ずっと寝てていいし、運賃も要らないよ」
と桃香が言う。
「東京にどこ通って帰るの?」
と政子が訊く。
 
富山から東京に戻る場合、上信越道で藤岡に出て関越を通るルート、上信越道から中央道を経由するルート、新潟からずっと関越を南下するルート、また、東海北陸道で愛知方面に出てから東名を走るルートなど、色々なルートがある。
 
「来る時に上信越道を走ってきたから、帰りは東海北陸道・東海環状道で豊田JCTに出て東名を走ろうかなと思ってる」
と千里が言う。
 
「あ、だったら名古屋にちょっと寄って、ひつまぶしを食べない?お代は多分ケイが出してくれるから」
 
「いいけど」
と私は苦笑しながら答える。
 
「でもお邪魔じゃない?」
と私は千里に尋ねたのだが
 
「私と桃香はただの友達だから全然問題無いよ」
と千里は答える。
 
「そうだね。私と政子も友達だし」
と私も応じる。
 
桃香と政子は少し不満っぽい顔をしているが、青葉が少し呆れているふうであった。
 
「じゃ千里も徹夜してるし、少し仮眠してから帰る?」
と桃香は訊いたが
 
「ああ、私眠りながら運転するの得意だから大丈夫だよ。すぐ出発しよう」
と千里は言った。
 
「眠りながら運転するの〜?」
 
「普通だよね、それ」
と私も答えた。
 
 
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【夏の日の想い出・まつりの夜】(1)