【夏の日の想い出・受験生のクリスマス】(2)

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やがてチェリーツインの演奏が終わる。最初は戸惑いがちに聴いていた観客も最後の方は盛り上がって、大きな歓声と拍手を送ってくれた。ボーカルの2人はその歓声に両手を斜めにあげて答え、投げキスをする。それにまた大きな歓声があがっていた。
 
ボーカルの2人が退場する。この次は秋風コスモスが歌う予定である。観客もこの30分の間にどんどん入って来て、既に満員に近くなっている。ギター・ベース・ドラムスの演奏者が退場する。スタッフが入って来てドラムスを片付ける。その時、セットと多くの観客が思っていた杉の木2本が勝手に歩いて退場するので「えーー!?」という声が上がっていた。
 
そしてコーラス隊として実際にはダンスだけをしていた私と政子が前面に出ていく。桜のマスクを外す。
 
「嘘!?」
という声が前の方にいる観客から上がった。
 
ジャンボモニターは機材入れ替えの間はスイッチを切っている。
 
そのため、私たちを認識できたのは、かなり前の方に居る観客だけであったと思う。
 

気良姉妹が床に置いて行ってくれたマイクを拾う。伴奏音源が流れる。未公開曲の『夏の少年・冬の少女』を歌う。
 
PAさんには話を通してあるのでちゃんとデュオ歌手の音響セッティングにしてくれる。
 
最初私がソロで8小節歌い、その後マリがソロで8小節歌う。そのあと2人の三度唱でのデュエットになる。マリはとても楽しそうに歌っている。この子はステージに出る勇気が無いみたいなことをよく言っているが、いざステージに立ってしまうと、もうプロのエンタテナーになってしまう。やはり昨年の夏から冬にかけての時期に突然自分の立場が変わってしまったことに戸惑っているのが大きいのではないかと私は思った。
 
観客は最初は「何?何?」という感じであったものの、前の座席で私たちを認識したっぽい客が手拍子を打ち出し、それが次第に会場の奥の方まで伝染していって、曲の終わりの方では会場全体で手拍子を打ってくれた。
 
Aメロ、Bメロ、Cメロ、サピ、Aメロ、Bメロ、サピ、Dメロ、サビ、サピで終了。前奏・2度の間奏・コーダまで入れて96小節。約4分間の演奏が終わると手拍子は拍手に変わる。
 
私たちは笑顔で大きくお辞儀をすると、上手袖に退いた。それと入れ替わりに秋風コスモスが下手袖から登場し、彼女のヒット曲を歌い始める。客席が熱気で盛り上がる。
 

チェリーツインの人たちが拍手をしてくれている。そして和泉と美空も居る。和泉が政子に握手を求め、その後、和泉と私、美空と政子、美空と私も握手した。
 
「マリちゃん、凄く上手くなったね」
と美空が言う。
「ありがとう。受験勉強しながらずっと毎日歌っている」
と政子は笑顔で答える。
 
私たちはチェリーツインの人たちにも「ありがとうございました」と挨拶して控え室に戻ろうとしたが、その時、チェリーツインのコーラスの子が美空の肩を抱き、耳元に口を付けるようにして何か言った。
 
「ケイちゃん、マリちゃん、この子たちがローズ+リリーのサインもらえないかと言っているんだけど」
と美空。
 
「じゃチェリーツインのサインと交換しましょう」
と私は提案する。
 
それでチェリーツインはボーカルの2人がサインを書き、コーラスのふたりがそれに可愛い双子の絵を描き添え、私たちに渡してくれた。こちらも私と政子で分担して書いたサインを渡し、向こうの全員と握手をした。
 
この時は特に何も思わなかったのだが、後から考えていて、コーラスの子って美空と知り合いなのだろうかとふと思ったが美空にそのことを訊こうと思っていたものの、その後すっかり忘れてしまっていた。
 

運営さんがお弁当を渡してくれたので、それを持って控え室に戻る。政子は「お弁当2〜3個もらえます?」と訊いたら「いいですよ」と言って3個渡してくれた。あとから「言ってみるもんだね」などと言っていた。
 
控え室で会場の演奏をスピーカーで聴きながら、のんびりとお弁当を食べたら政子は「眠くなった」と言って寝てしまう。それでまた毛布を掛けてあげてから私はKARIONの方の控え室に行った。
 
小風の顔のマスクをかぶる。そして出て行く。KARIONの出番は、16:00秋風コスモス、16:30坂井真紅、17:00富士宮ノエル、17:30大西典香の後を受けて18:00からである。今日のプログラムでは大西典香の後は「?」になっている。大西典香の演奏が終わった後、「次はKARIONです」というアナウンスがあると会場に「きゃー」という歓声が響く。
 
Travelling Bells の面々、そしてコーラスを務めてくれるVoice of Heartの4人が出て行き拍手が起きる。そこに私たち3人が出ていき、(上手側から)美空・和泉・私と並ぶとざわめくような声。
 
和泉がマイクに向かって説明する。
 
「私たちは今受験勉強中なのを、ちょっとだけ抜け出してきて歌わせていただくことになったのですが、小風が先日の模試の成績が悪く、出場許可が出ませんでした。それで代わりに小風のクローンを作って連れてきました」
 
会場がどよめく。
 
「そのクローン、誰が産んだんですか?」
と観客から声が掛かるので和泉は
 
「産んだのはローズ+リリーのケイです」
と言う。爆笑が起きる。
 
そしてトラベリング・ベルズが伴奏を始める。今日の演奏曲目はまず11月に出したCDのタイトル曲『愛の夢想』そして『奈良橋川』、2月に出す予定のCDから『愛の経験』『涙のランチボックス』『桜咲く日』と演奏していくが、『涙のランチボックス』はお弁当を開けてみたら上下とも御飯だった、という曲なので、客席から笑い声が起きていた。
 
『桜咲く日』は受験生応援ソングなので、客席から「受験頑張ってね」という声が掛かり、和泉もそれに応じて「君たちも頑張ってね」と言っていた。
 

最後に11月に出したCDに含まれる『スノーファンタジー』を演奏するが、この曲には超絶ヴァイオリンと超絶キーボードが含まれる。そこでこの日はレコード会社からの依頼で芸大器楽科のヴァイオリン専攻の学生さんが来てヴァイオリンを弾いてくれた。彼女はこの曲のみの伴奏なので直前まで舞台袖で控えていて、この曲の時だけ出てくる。
 
『桜咲く日』の演奏が終わった所で、私はステージ前面から下がってピアノの所に座る。そしてVoice of Heartのエピちゃんとキスちゃんが前に出てきて、ソプラノのエビちゃんは和泉と美空の間(本来蘭子の位置)、メゾソプラノのキスちゃんは私が立っていた所(小風の位置)に立つ。この曲では四声アレンジを使用する。
 
そして演奏を始める。冒頭にいきなり超絶ヴァイオリンがあり、この曲を知らなかったふうの観客から「ひゃー」という感じの声が漏れる。そして前面に立つ4人で歌い出す。
 
しかしこの曲、初披露したのは夏であるが、やはり冬に演奏するのに良い曲だ。でもさすが芸大の学生さん、美しく弾きこなすなあと思って聴きながら私は自分のパートを弾いていたが、後から聞くと彼女はこの曲の練習に1週間を費やし、この1週間で自分が進化した!と言っていたらしい。
 
1コーラス目が終わった後の間奏に今度は超絶ピアノがある。私はしばらくこの曲を弾いていなかったので数日前から練習していたのだが、最初は調子よく指が動いていくので、おっ好調好調と思う。両手が同時に32分音符で駆け上がっていく所、降りて行く所もスムーズに行く。左右の手が交錯しながら複雑な音の流れを出す所も、練習の時は何度も間違っていたのにこの本番ではノーミスで弾きこなせて「お、我ながら凄い!」と思う。
 
そしてピアノソロの15小節目まで弾いたところで残りは単純な両手3和音の全音符である。
 
ところがここで間違っちゃった!!
 
F7を弾かないといけないのに、うっかりG7を弾いてしまう。
 
慌ててすぐF7を弾き直したが、我ながら最後の最後を間違ったのは悔しかった。
 
その後、2コーラス目を歌い、サビに入るのだが、ここで和泉がこちらを向いて手招きする。それで私はピアノから離れて前面に出ていき、エビちゃんと和泉の間に立って残りの部分を歌った。私が出てきたのを見て、エビちゃんはコーラス歌唱に切り替える。
 
前に立つ5人が寄り添うようにして最後の音を歌い、それに重ねてヴァイオリンがまた超絶演奏をする。その超絶演奏の間、私たちは同じ音を伸ばしている。和泉も美空も私も、ノーブレスで16小節程度は楽に音を伸ばせる力を持っているのでできる技である。
 

演奏が終わった所で、和泉がヴァイオリンを弾いてくれた人を紹介し、彼女に大きな拍手が送られる。ポップスライブのノリで、「**ちゃーん」などと早速名前を呼ぶ観客も居て、彼女は少し驚いたような顔で手を振って歓声に応えていた。
 
そして彼女の名前のコールとともに、「いずみーん」「みそっちー」という声もあり、「こかちゃーん」などという声もあるので、私はそれに手を振っていたのだが、「ようこちゃーん」という声まであり、私はびっくりした。でも手を振ってあげたら、その名前を呼んだ子が、「やはり」という感じで頷いていた。柊洋子の名前を知るのは、KARIONの初期からのファンだろう。
 
それでお辞儀をして上手に退いたのだが、後でKARIONのファンサイトを見ていたら
 
「今日、小風ちゃんの代理を務めたのは柊洋子ちゃんだったね」
「洋子ちゃーんと呼んだら手を振ってくれたから確か」
「あの超絶ピアノが弾ける人は少ないから間違いない」
「でも最後でミスったね」
「愛嬌だよね」
「でもミスったので、あれは音源を流しているのではなくマジで弾いていたということが分かる」
 
などという書き込みがあり
「でも洋子ちゃん、約1年ぶりだね!」
などというコメントも付いていた。
 
柊洋子がステージで顔をさらしたのは昨年11月のツアーが最後である。
 

少し興奮気味の状態で控え室に戻り、汗を拭き、飲み物を飲んだりしていたら、和泉が私に楽譜を持って来た。
 
「なんかさっき鈴を受け取ったせいか、妙に創作意欲が湧いちゃってさ。私これを書いたのよ」
 
と言って見せるのは『恋座流星群』とタイトルが書かれた楽曲である。
 
「へー、和泉、作曲したんだ?」
「うん。普通なら創作意欲が高まると詩ができるんだけど今日は曲ができちゃった」
「ふーん。だったら私が歌詞を書こうか?」
「あ、それもいいかもね。よろしくー」
 
と和泉が言って、私はその曲受け取ったのである。
 

ローズ+リリーの控え室に戻るが政子はまだ寝ている。
 
「マーサ、マーサ、帰るよ」
と言って起こす。それで政子は「うーん」と伸びをして起きたのだが、
 
「冬を性転換する夢を見ていた」
などと言う。
 
「マーサが手術するわけ?」
「おちんちんを私がハサミで切り取ってあげたら、切った後の丸い切断面を冬は、じっと見ているのよね。それで、これでもう男の子ではなくなったよ。よかったね、と言ってあげたの」
 
「ハサミで切るのか」
「あれ、実際の手術では何で切るの?メス?」
「剪刀だと思う」
「何?それ」
「まあ手術用のハサミ」
「やはりハサミで切るんだ!」
「さすがに普通のハサミでは切れないと思う」
「キッチンバサミとかでも切れない?」
「さあ、やってみたことはないから分からない」
「試してみようかなあ」
「私で実験するのは勘弁して」
 

取り敢えず暖房の吹出口近くに置いていて熱くなっている缶コーヒーを飲む。
 
「ああ、やはりコーヒーは目が覚めるなあ」
「あれこれ変なものより、結局コーヒーだよね」
 
「でも最近毎晩遅くまで勉強してたから、ちょっと疲れが溜まってたかも」
などと政子は言う。
 
「じゃ帰ったら今日は勉強お休みしてぐっすり寝るといいよ。また明日から頑張ろう」
と私は言ったのだが
 
「ねぇ。寝心地のいいベッドで寝たい」
などと政子は言う。
 
「寝心地のいいベッドというと?」
「高級ホテルのベッド」
 
まあいいかと思ったので、取り敢えず政子のお母さんに電話したら笑って
「ゆっくりしておいで」
と言った。次いで自分の母にも電話したら
「あんたたち、ちゃんと避妊はしてるよね?」
と言われるので
「それは大丈夫だよ」
と答えた。
 
実際には私たちは一度も通常の意味でのセックスはしたことが無いのだが。
 

クリスマスの晩にこんな時間から取れるホテルがあるだろうかと思ったのだが、一休で検索してみたら、帝国ホテルのツインルームが空いていたので即予約を入れた。
 
「普通のツインなの?スイートは?」
「クリスマスの晩にツインでも空いてたのが奇蹟」
「そっかー。じゃお正月は予約できない?」
「次は合格してから」
「そうだった。私受験生だった!」
 
それで取り敢えず紅川さんにお礼のメールだけしてタクシーを呼び私たちは退出した。多数の歌手・アイドルが来ているので、今日はタクシーは中まで入って来てくれて、一般の人の目に触れないようにして退出できるようになっている。それで私たちも他の人の目には触れないように、代々木アリーナから出ることができた。
 
そして私たちは有楽町駅近くにある帝国ホテルにそのままタクシーで乗り付けチェックインする。私のカードで決済するので、唐本冬子・唐本政子と記帳した。部屋に案内してもらい、政子はまずはベッドに寝転がり
 
「すごーい。さすが帝国ホテルのベッドだ」
などと言って満足そうである。
 
「良かったね」
「でも唐本冬子・唐本政子って、同姓だとまるで夫婦みたい」
と政子は言ったが
「同性だから夫婦ということはないかも」
と私は答える。
 
「同性でも結婚しようよ」
「まあ、そういう人たちもいるけどね」
 
と答えつつ、私は政子と実際結婚することになるのだろうか、と考えてみた。まあもし本当に結婚することになったら、自分の戸籍の性別は訂正せずに男のままにして、冬彦から冬子へと改名だけしてもいいのかな、などというのも考える。
 

交代でシャワーを浴びることにする。それで政子が先にシャワーを浴び、その後、私がシャワーを浴びて「お待たせ」と言って出て行くと、政子はすやすやと寝ていた。今日の政子はひたすら寝ている。連日の受験勉強でよほど疲れているんだろうなと思い、私は微笑む。それで、お茶を飲んで、一息つくと、和泉が作った『恋座流星群』という曲に詩を付け始めた。
 
窓のカーテンを上げて外を見る。上弦の月がもう沈み掛けている。都会なので星は全く見えない。しかし夜景が美しい。その夜景の人工的な光の数々が、私はその時、多数の流星のように思われた。天の星も美しいけど人間が作り出した星もまた美しいよなと私は思った。
 
その感動を詩に綴っていく。
 
でも詩を書くのは数ヶ月ぶりだなあ、と思っていた時、ふと小学生の頃に出会ったワンティスの高岡さんのことを思い出した。
 
あの人の詩はほんとうに天才的だったよなと思う。政子も詩の天才だと思うが、けっこうタイプが違う。政子の詩は世界は深いけど表現はシンプルで分かりやすい。高岡さんの詩は深い上に難解だ。詩の字面だけを追っていると、意味を取りかねる所が多々あった。でも高岡さんもワンティスの活動の後期には随分分かりやすい詩を書くようになっていたよなというのも考える。何か大きな心境の変化でもあったのだろうか。
 
しかし高岡さんのことを考えていたら、何だか調子よく歌詞が綴られていく。こういう時は、一種の勢いで書いている。途中でいったん止まってしまうとその先が書けない。自分の詩の書き方は政子と少し似ているかもと思った。和泉は詩を書いている途中でもしばしば筆を止めて色々考えている感じだ。
 

詩はたぶん20分くらいで書き上げた。その後、和泉が書いたメロディーに合わせ付けていき、結局40分くらいでひととおりの完成となる。合わせ付ける段階で、メロディー上の、単純な誤りと思われる音は修正させてもらった。
 
詩を書き上げても、まだ政子は寝ている。
 
私は寝ている政子にそっとキスをしてから、再度デスクの前に座り、今度は新たな曲を書き始めた。
 
『眠れる愛』
と最初にタイトルを書いてから曲を書き始める。メロディはすやすやと寝ている政子を見ていたら自然に頭の中に流れて来た。
 
しかし今夜、ホテルに泊まり込みで勉強している子たちもいるよなと思うと政子は少しのんびりしすぎではと心配になったが、次の瞬間、そういう自分も受験生だったことを思い出し、つい吹き出してしまった。
 
その少し楽しい気分の中でメロディは五線紙の上に降着していく。
 
夜は静かにふけていきつつあった。
 

「冬、風邪引くよ」
と言われて政子に起こされた。
 
私は曲を書きながら眠ってしまったようであった。
 
「せっかくこんないいホテルに泊まっているのにベッドに寝ないなんてもったいない」
と政子は言うが、ほんとにそうだ!
 
「今から少し寝ようかな」
「それがいいかも。でも先に朝ご飯食べよう」
 
それで朝食バイキングに行くが、さすが帝国ホテルである。美味しい!政子もご機嫌でたくさんお代わりしていた。政子がこれだけ食べてくれると1人3800円でも充分元が取れた感じだった。
 
部屋に戻ってから「じゃ、私せっかくだから2時間くらい寝る」
と言ってベッドに入る。すると政子は机の上に置いてある楽譜を見る。
 
「曲を書いてたの?」
「うん。ひとつは詩・曲ともにできてる。もうひとつは曲を書いている最中に寝ちゃった」
 
「ふーん。詩まで書いたんだ?」
と言って政子が読んでいるので
「もし良かったら添削して」
 
と言ったのだが
「この詩は直す必要がないと思う」
と言う。
 
「そう?」
「うん。まとまりがいいから、これはこのまま。でも細かい表現で直した方が良さそうなところだけ直しておくね」
 
と言って、私の言葉の使い方の誤りとか、文法の間違い、また修飾関係の分かりにくいところだけ直してくれた。
 
「こちらは詩はまだなのね?」
「うん。曲もあと少しいじりたいけどね」
「よし、こちらは私が詩を付けてあげるよ」
「よろしくー」
 

それで私が寝ている間に政子は『眠れる愛』に詩を付けてくれていた。ついでに寝ている私の顔にマジックで落書きして(落ちなくて困った!)、更に私の腕にエストロゲンの注射をしたところで私も目が覚めた。
 
「痛い!痛い!」
「あれ〜、あまり痛くないように針を刺したつもりだったのに」
「自分の腕で練習してから、他人には刺してよ」
「だって私、エストロゲンなんか打ったら生理が乱れるし」
「マーサ、一昨日それ私に打ったばかりなのに。効き過ぎるよ」
「おっぱい大きくなるよ、きっと」
「うちのお母ちゃんと、高校卒業するまではホルモンやらない約束してたのに」
「もうすぐ卒業だからいいじゃん」
 

「そうだ。さっきの曲に詩付けたから、歌ってみてよ」
 
と政子が言うので、政子が詩を書いてくれた『眠れる愛』の譜面を見ながら歌ってみせる。
「おお、いい感じ、いい感じ」
と喜んでくれる。
 
私は政子に喜んでもらうために曲を書いているのかも知れないなとふと思った。
 
「こちらの『恋座流星群』も歌ってみてよ」
「うーん、まあいいか」
 
それでそちらも歌ってみせる。
「格好いい〜。何だか冬が書いた曲じゃないみたい」
 
まあ、それ書いたのは和泉だからね。
 
「ねえ、この曲、大学に入ってから私たちが活動再開する時の最初のCDに入れようよ」
「え?」
 
私は困ったなと思った。これは和泉と一緒に作った曲なのでKARIONで使うつもりだった。しかし政子は乗り気だ。私はいっそKARIONのことを説明しようかとも思ったが、政子が乗り気なら、KARION用にはまた別の曲を用意してもいいかなとも思う。
 
「じゃそれは検討してみるよ」
「よろしく、よろしく」
 

その後はチェックアウトまでホテルの部屋でうだうだしながら、少しだけ受験生であったことを思い出して、英単語の練習をする。私が単語を言って政子が和訳を答えるというのを30分くらいやった。もっとも脱線も多かった。
 
「exchange」
「性転換」
「それはsexchange。exchangeは交換」
「ああ、男女の性別を交換するのね」
 
「gay」
「同性愛」
「確かにそういう意味もあるけど受験英語だから『陽気な』で」
「なんでそれが同性愛の意味になっちゃった訳?」
「元々は楽しいという意味から、性的に奔放なとか、放蕩しているといった意味で使われるようになったんだよね。その頃は gay man というのは女遊びの激しい人、gay woman というのは誰とでも寝る女、あるいは売春婦みたいな意味だったらしい。それが性的に不道徳な行いということから20世紀半ば頃に同性愛の婉曲表現として使われ始めて、それが定着したという話」
 
「まあ言葉って意味がずれていくよね」
「まあ言葉は生き物だから」
 
「オカマが御飯を炊く道具から、女装してる人の意味になっちゃったみたいな?」
 
「うーん。それは、お釜とオカマの言葉のつながりが見えないから無関係なのではという意見も多い。インドの性神カーマ(「カーマ・スートラ」のカーマで、ギリシャ神話のエロス=ローマ神話のキューピッド/日本では愛染明王に相当する)から来たという説、江戸時代の陰間(かげま)からカマという言葉が出たという説、あるいは歌舞伎の女形(おやま)から言葉が訛ってオカマになったという説もある。ただ昔は男性同性愛の女役の意味と、女装者の意味とが混同して使用されていたのが、現在では女装者の意味だけで使用されるようになったんだよね。でもオカマというのは差別用語であるとして使わない方がいいということになってる」
 
「でも冬、オカマとか言われてなかった?」
「言われてたけど、別に軽蔑表現としては私は取ってない。むしろ親しみを込めて言われていたことが多いと思う」
「でもオカマと言われて傷つく人もいるよね?」
「だと思う。私は平気だけどね。だから使わない方がいい」
「なるほど」
 
「ただオカマという表現が一般的に使われるようになったのって、ごく最近っぽいんだよね。多分1970年代後半以降だと思う」
「へー」
「1960年代、年代的には今の40-50代くらいの人たちは男女(おとこおんな)と言われていたらしい」
「ほほお」
「その少し前の世代はシスターボーイなんてのもあった」
「その言葉は知らない」
「美輪明宏さんというか当時は丸山明宏だけど、あの人なんかがシスターボーイと言われた世代だよ」
「ニューハーフというのは?」
「それは松原留美子さんと一緒に広まったことばで1980年代以降。この言葉を作ったのはサザンオールスターズの桑田佳祐さん」
「不思議な人が」
 
「ミスターレディは?」
「それは1978年のフランス映画『La Cage aux Folles』、直訳すれば『変な人達の鳥かご』って感じかな。それの邦題として『Mr.レディMr.マダム』というのが考案されたのに端を発するけど、実際使われ始めたのは『笑っていいとも』の『Mr.レディの輪.Mr.タモキンの輪』(1988-89)あたりからだと思う」
「シーメール(shemale)というのは?」
「アメリカの方で使われていた言葉で1980年代に日本に入ってきているけど、あまり普及してないと思う。アメリカではトラニー(tranny)という言葉もあるけど日本ではほとんど知られていない」
「レディボーイ(Ladyboy)」
「タイとかのアダルトサイトで使われているものかな。あの手のサイトは自動翻訳した日本語のおかしさがけっこう日本ではネタにされてる」
 
「だけど、シスターボーイ、男女、ミスターレディ、シーメール、レディボーイ、全部男性を表す言葉と女性を表す言葉の合成語なんだね」
「まあ発想は同じだね」
 
「よし、そのテーマで詩を書こう」
「勉強は〜?」
「忘れてた!」
 

10時にチェックアウトして、私たちはタクシーに乗って麹町にあるFM局に入った。この日収録されるAYAのFM番組に出演することになっていたのである(放送は12月27日)。
 
この番組で私たちは『あの街角で』を2分半演奏したが、その歌を聴いたAYAは顔がこわばっていた。
 
放送終了後にAYAが言う。
「私頑張るよ」
私たちも答える。
「うん。頑張ってね。私たちも受験が終わったらまた頑張るから」
 
「あんたたち、受験勉強中なのに頑張ってるじゃん!」
「まあね」
「鈴蘭杏梨は好調みたいだしさぁ」
「オーノーノー、その名前を出してはいけませーん」
 
「で、性転換手術はやはり受けたの? そもそも今年ローズ+リリーが休養しているのは、ケイちゃんが性転換手術を受けたためという噂も根強いんだけど」
とAYAは追求する。
 
「それが私もよく分からないんだよねえ」
などと政子は言う。
 
「ケイのお股に触っても女の子の感触だし、実は何度か女湯に連れ込んだし」
「女湯に入れるということは、やはり性転換済みなのでは?」
「その証拠がつかめないのよね〜」
などと政子は言っている。
 
「ねえ、ケイちゃんとマリちゃんって、実際問題として恋人なんでしょ?」
「友達だよねー」
「それだけは絶対嘘だ」
 

結局AYAと一緒に少し早めのお昼御飯を食べた。こちらは2人だけだが、AYAはマネージャーの高崎さんが同席した。
 
「え?高崎さん、ケイちゃんと古い知り合いなの?」
とAYAは驚いたように言う。
 
「まあ某所でね」
と高崎さんは謎めいた言い方をする。
 
私と高崎さんはドリームボーイズのバックダンサー仲間である。高崎さんはそのバックダンサーを足場に歌手デビューしたかったようだが夢かなわず、それでも芸能界を去りがたいということでマネージャー業に転じて、現在はドリームボーイズと同じ事務所のAYAのマネージャーをしている。かなり規律に厳しいようでAYAが私などには不平をこぼすこともある。
 
「でもあれは私にとっても青春だったのよ。だから言わない」
と高崎さん。
「私もあれは楽しい時間でした」
と私。
「ってか、ケイちゃんは実は現役なのでは?」
「さすがに卒業させてもらいました」
「でもYの人も、卒業したはずが、しばしばひっぱり出されているみたいだし」
「まあ、あの人強引だから」
 
と私と高崎さんは固有名詞を出さないよう(Y=鮎川ゆま)気をつけながら少し昔の話をして、AYAも政子も何だか興味津々のようであった。
 
その時、政子が唐突に言った。
 
「『スティル・ストーム』ってどうよ?」
 
私は何のことだっけ?と一瞬考えた。
 
「ああ、レディボーイの話か」
「そうそう。プラザーガールの話」
「シスターボーイでは?」
「間違った!」
「いやブラザーガールでも構わない気はする」
 
と言った上で私は言った。
 
「でも美しいじゃん。『静かな嵐』ということか」
 

AYAたちと分かれた後、政子はクリスピー・クリーム・ドーナツを買って帰るというので放置して別れる。それで、和泉に連絡したら新宿のスタジオに居るという話だったので、結局新宿のヒルトンホテルのラウンジで会うことにした。客層の問題で、KARIONやローズ+リリーのファンはあまりこういうホテルには居ないだろうというのがあった。
 
最初に私は『恋座流星群』の件で和泉に謝る。
 
「どんな曲に仕上がったか見せて」
と和泉が言うので見せる。
 
「細かい音符の単純ミスと思われる所は直してる」
「OKOK」
 
それで和泉は譜面を読んでいたが、やがて言う。
「うん。これはそちらにあげるよ。世界観がローズ+リリーに合うと思う」
「ごめんねー」
 
「なんかまだまだ新たな曲が書けそうな気がするのよね」
「へー、凄いね」
 
それで夕べ書き上げて、さっきまでスタジオで調整していたという曲を見せてくれる。『白猫のマンボ』と書かれている。
 
「これも歌詞付けてくれる?」
「OK。これはマリに見つからないようにやる。でも『黒猫のタンゴ』へのオマージュ?」
「そうそう。でもマンボのリズムってこんなだっけ?と自分で自信がなくなった」
 
「ややルンバ寄りかも」
「そのあたりの細かい所が実は分からない」
 
「ルンバからマンボが生まれて、マンボの派生形としてチャチャチャができてるんだよね。サルサも似た系統だから、このあたりって結構曖昧なのもある」
 
「ビギンは?」
「うーん。それがまたルンバに似てるんだよね〜。一応ビギンはマルティニーク生まれの音楽ということになっていて系統は別なはずが似ている」
「どこだっけ?」
「ドミニカ国の南」
「ドミニカってキューバの隣だっけ?」
「それはドミニカ共和国。セントクリストファー・ネイビスとアンティグア・バーブータの南にモントセラト、グアドループとあって、その南がドミニカ国で、その南がマルティニーク」
 
「よく覚えてるな」
「昔、アンティル諸島の国の名前を連呼する歌があったんだよ」
 
「あ、そういえば。。。。あれは確か・・・・松原珠妃さんだっけ?」
「そうそう」
 
珠妃の初期の作品である。私はちょっと懐かしい気分に浸った。
 

そんな話などもしていた時、
「おはようございます」
と声を掛ける人がいる。
 
そちらを見ると、チェリーツインの桃川さん、紅ゆたかさん、紅さやかさんの3人であった。こちらも
「おはようございます」
と挨拶する。
 
「KのユニットとRのユニットの首脳会議ですか?」
と紅ゆたかさんが訊く。
 
「ではCのユニットの首脳も入れてG3で」
と私は言った。
 
「昨日はありがとうございました」
「いえいえ、こちらも楽しかったです。今までのスタイルから新しいスタイルへの遷移のステージにもなりましたし」
 
「もしかして、コーラスの2人はあのまま杉の木で固定ですか?」
「木とか岩とか、看板とか噴水とか、そんなものではないかと」
「ちょっと可愛そう」
 
「あのコーラスの子たちってずっと同じ子なんですか?」
と和泉が尋ねる。
 
「その件については非公開ということで」
「へー」
「少し訳ありなもので」
「ふーん」
 
八雲・陽子がメテオーナを辞めた後で私と和泉が加入してKARIONが結成されているので、私たちは彼女たちのことをこの頃は知らなかったのである。
 

「ところで旅支度ですね。ツアーか何かに出られます?」
「いや、それがよく分からないのですよね」
「というと?」
 
「実は旅の用意をしてここに来いと言われて」
と紅さやかさんが言った時、私は物凄くいやーな予感がした。
 
「和泉、今日は撤収しよう」
と言って席を立つ。
 
「え?何?何?」
と和泉は戸惑っているが、私は桃川さんたち3人に急用を思い出したので失礼しますと言って、伝票を持って席を離れ、和泉を促して会計の方に行く。ところが遅かったようである。
 
ちょうどそこに入口から、登山でもするかのような格好の雨宮先生が入ってくる。
 
「あら、おはよう。奇遇ね」
「おはようございます」
と私は諦めの境地で挨拶をした。
 

結局席に舞い戻る。
 
「ここで会ったが百年目というし、和泉ちゃんも来なさい」
と雨宮先生は言う。
 
「私は行かなくてもいいんですか?」
と私は訊いたが
「あんたは当然来るに決まっている」
と言われる。
 
「どこに行くんですか?」
と和泉が訊くと
 
「旭岳」
と先生は言う。
 
それを聞いた時、桃川さんが「え!?」という顔をした。
 
「どこですか?」
と和泉が訊く。
 
「北海道」
「まさかこの真冬に山に登るんですか?」
「ロープーウェイがあるから大丈夫よ」
「冬山スキーでしょうか?」
「仕事が終わった後はスキーしてもいいけど。あんたたちスキーできるんだっけ?」
 
「私はボーゲンです」
と私は言う。
 
「それじゃ無理だ。紅姉妹はクリスチャニアできるよね?」
「ええ。パラレルで滑られますよ」
「ちなみに私たち姉妹じゃないんですけど」
「女友達だっけ?」
「一応男です」
 
北海道の冬山に行くような装備が無いと言ったのだが、用意させると言われ、服と靴のサイズを答える。それでみんなでぞろぞろと新宿駅に行き、東京駅に移動して東北新幹線に乗り込んだ。
 

20時過ぎに八戸に到着する(この時代は東北新幹線は八戸まで)。ここで雨宮先生の関係者で私も知っている新島さんという女性と合流した。新島さんが私と和泉の冬山用装備や下着の替えなどを用意してくれていたのでお礼を言って受け取る。
 
全員で特急《つがる27号》に乗り継いで野辺地へ。ここで大湊線に乗り継いで私たちは21:51に下北駅に到着した。昔の大畑線との分岐点である。
 
駅前に凄い髭の男性がいる。
 
「ケイはこいつ知らないよね?」
と雨宮先生が言う。
 
「はい。おはようございます。ローズ+リリーのケイと申します」
「おはようございます。KARIONのいづみと申します」
と挨拶すると
「あ、おはようございます。作曲家の毛利五郎です」
と彼は挨拶して名刺を渡してくれた。
 
私たちも各々の名刺を渡したが
「毛利小五郎?」
と和泉が尋ねる。
 
「すみません。小が無い五郎です」
「あ、ほんとだ。済みません」
 
「毛利小五郎なら名探偵なんだけどね」と雨宮先生。
「俺は名作曲家です」と本人。
「毛利小五郎はむしろ迷うほうの迷探偵」と新島さん。
「毛利五郎も迷う方の迷作曲家」と雨宮先生。
 
どうもこの会話はパターン化されている雰囲気だ。
 
毛利さんがレンタカーでエスティマを借り出していたので、それに8人で乗り込む(桃川・紅ゆたか・紅さやか・私・和泉・雨宮先生・新島・毛利)。桃川さんが運転して出発する。
 
「毛利さんが運転なさるのかと思った」
と和泉が言ったが
「雪道になれてないから」
と雨宮先生。
 
「あ、そうか。桃川さん、北海道のご出身だったんですね」
「うん。私、奥尻島で生まれて、札幌の高校・大学に進学したんですよね」
「へー」
 
雪道なので桃川さんが慎重に運転し、22時半頃に大間に到着。その日は旅館に入って休む。
 
「全員女性だから、一部屋でいいよね」
と雨宮先生が言ったが
「毛利君は別にしてください」
と新島さん。
 
「すみません。僕たちも毛利さんと同じ部屋で」
と紅ゆたか・紅さやか。
 
実際部屋は2部屋予約してあったので、毛利さんと紅紅の3人がひとつの部屋に入り、雨宮先生・新島さん・私と和泉・桃川さんの5人がもうひとつの部屋に入った。
 

明けて12月27日。
 
朝6時に旅館を出て、フェリーターミナルに行く。7時発の函館行きフェリーに車ごと乗り込む。1時間半の船の旅である。
 
毛利さん、紅紅の男性3人が船酔いしたようで「ごめん。辛い」と言って船室で寝ていたようだが、私は和泉、桃川さんと3人でデッキに出て海を見ていた。
 
「小学生の頃に佐渡に行った時のフェリーを思い出した」
と和泉が言う。
 
「新潟から佐渡までは1時間くらいかな」
「ジェットフォイルならね。普通のフェリーは2時間半かかる」
「津軽海峡より長い!?」
 
「新潟−両津間は70kmくらい。でも大間と函館は20kmくらいしか離れてない」
「そんなに近いのか!?」
「青函トンネルも海底部分は20kmちょっとしか無いんだよね」
「北海道と青森って結構近いんですね」
 
「距離的に近くても、なかなか北海道の外には出られないんだよね」
と桃川さんは遠くを見ながら言った。
 

和泉が唐突に
「曲のイメージが湧いた」
と言って五線譜を取り出して書こうとするが、
 
「ここで書いてたら譜面が風で飛んでくよ」
と言ったら
「船室で書く!」
と言って中に入っていった。
 
それと入れ替わりくらいに雨宮先生が出てくる。
 
「ごきげんよう、ご婦人方」
「調子いいですね。お酒飲まれました?」
「こういう時は船酔いする前に酒酔いするに限る」
「一理ある気がします。新島さんは?」
「iPod聴いてるみたい」
「元気ですね」
 
「ところでさ」
と言って雨宮先生は私と桃川さんの肩を左右の手で抱くようにして言った。
 

「クイズです。この場にいるのは男何人、女何人?」
 
私も桃川さんも目をぱちくりする。
 
「男2・女1と思いましたが」
と私は言ったが
「やはり、ケイあんた性転換済みなんだ?」
「まだしてません」
 
「先生、やはり私の性別、ご存じだったんですね?」
と桃川さんが苦笑するかのように言った。
 
「え?まさか!?」
「あんた、まだ最終的な手術してないでしょ?」
「はい。男性器は除去しましたが、女性器は作ってません」
 
「えーーー!?」
 

桃川さんはまるで独り言をいうかのように語り出す。
 
「私もう死のうと思って。でも死ぬ前に男の身体では死にたくなかったから、有り金はたいて、実は少し病院には負けてもらって、男性器を除去する手術を受けたんです。その手術が終わってから、旭岳に登って雪の中に埋もれて死のうとしていた時に、通りがかりの紅ゆたかさん・紅さやかさんに助けられたんです」
 
「でも、せっかく男でなくなったのなら、女として人生を歩めば良かったのでは」
と私は言うが
「だって女として採用してくれる会社なんて無いもん。男を強要されるだけ」
と桃川さんは言う。
 
「結果的には音楽の世界に飛び込んで来たことで、あんた今は女として生きている訳だよね」
と雨宮先生。
 
「ものごとにこだわらない業界だから」
と桃川さん。
 
そうなんだ。自分も随分悩んだし、結果的には自分も音楽の世界でなら女としてのアイデンティティを確立できるという思いに到達した。桃川さんはある意味自分と同じだ。私はその時、そう思った。
 
「今回の旅で旭岳に行くというのは、その話と関係あるんですか?」
と私は訊く。
「その自殺未遂の時の忘れ物を取りに行く」
と雨宮先生。
 
「実はその自殺する直前、五線ノートに曲を書いたんです。でもその五線ノートは助けられた後で自分の荷物を確認すると入ってなかったんですよね」
と桃川さん。
 
「その五線ノートをみんなで探すというのがこの旅の目的ですか」
と私は訊く。
「その話をこないだ聞いたからね。よし取りに行こうと思い立ったのよ」
と雨宮先生。
 
「雪の中に半分埋もれながら『雪の光』という曲を書いたんです。それ以外にも手術を受けるのに入院していた間、いくつかの曲を書いていたので、もしそのノートが見つかればと」
と桃川さん。
 
「でもそれいつの話ですか?」
「2007年の11月」
「2年前!? それあったとしても夏の間に雪解け水でぐちゃぐちゃになっているのでは?」
 
「読めなくなっていたら諦めるけど、私顔料インクのボールペンが好きでそれで書いてるから、あるいは読めるかもと思って」
 

8:30に函館フェリーターミナルに着く。男性陣がダウン気味なのでまた桃川さんが運転して車は出発する。
 
「だけど北海道まで来るのに、なぜ飛行機をつかわず、こういうルートで来たんですか?」
と私は素朴な疑問が湧いたので尋ねた。すると雨宮先生は
「津軽海峡を船で越えたかったからよ」
と言った。
 
「つまり先生の趣味ですか?」
「実は私の弟子で霊感のある子がそうしろと言ったんだけどね」
「へー。その人は同行しなかったんですか?」
「どうしても外せない用事があると言ったのよ。だから宿題に楽曲のタイトル10個渡してきた」
 
ああ、可愛そうに。
 
車は桃川さん、紅ゆたかさん、紅さやかさんという北海道の道に慣れている3人が交代で運転する。和泉は調子がいいようで、車内で曲1つと詩を4篇書いていた。
 
15時頃、旭岳ロープウェイの山麓駅に到着したが、冬の間はロープウェイは16時までしか運行されないので、ノートを探す時間は1時間しかない。
 

ロープウェイの姿見駅で降り、桃川さんが自殺未遂したという夫婦池の方に行く。
 
「僕たちが春美ちゃんを発見したのはこのあたりだと思う」
と紅ゆたかさんが言うので、そのあたりを中心にして全員で探し始めた。全員防寒具で重装備し、電気式のホットインナーグローブも付けている。スコップで雪を掘ろうとするが硬くて掘れない!
 
「先生、夏になってから出直しませんか?」
などと毛利さんが言っているが同感だ!
 
「超感覚的知覚を振りしぼってノートがある場所を探すのよ」
「そんな知覚ありません!」
 
私はこれは目で見ててもダメだと思った。目をつぶる。2年前、自分の性別のことで絶望した桃川さんがここに来た。そして・・・そうだ。旭岳の美しい姿を見たはずだ。そう思い、私は目を開けて旭岳がいちばんきれいに見える場所を探した。この角度がいいな。
 
再度目をつぶる。2年前の桃川さんのことを想像する。
 
そして私はある1ヶ所に惹かれる思いがした。その場所に行くと、和泉もその場所に来て、私たちは向かい合うように立った。その時、私の身体の中と和泉の身体の中で鈴の鳴る音がしたような気がした。
 
「ここ?」
「かも」
 
そんな様子を見た雨宮先生が寄ってくる。
 
「あんたたち何か感じた?」
「いや偶然、私も和泉もここに何か感じたんです」
 
「よし。男に掘らせよう」
 
それで毛利さん、紅ゆたか・紅さやかの3人でその場所を掘り始める。
 
そして10分ほど雪・氷と悪戦苦闘した結果、何かが見える。
 
「あれかも」
 
雪の下の地面に何かが埋もれている。その端が出ているのである。掘り出す。ノートだ!
 
「これです!」
と桃川さんが嬉しそうに声を挙げる。
 

「帰りのロープウェイそろそろ最終です」
「よし、戻ろう」
 
ということで雪を埋め戻した上でロープウェイの駅に戻る。そしてゴンドラに乗り込んでから、私たちはそっとその五線ノートを開けた。
 
「かなり汚れてるけど」
「けっこう読めるね」
「たぶん地面の中に埋もれてしまっていたから、あまり痛まなかったんだよ」
「これなら多少の想像力を働かせれば復元できると思う」
 
「これふつうの写真と、赤外線写真とに撮って、それを元に復元しよう」
 

私たちは札幌に移動して、雨宮先生の知り合いの大学の先生に協力してもらって、ノートを何種類かの方法で撮影した。そのデータを私と新島さん、紅さやかさん、また雨宮先生の数人のお弟子さん(多分鮎川ゆまも動員された)で手分けして復元することになった。その結果を年明けに持ち寄って、桃川さんの手で調整を掛け、1月末には全ての譜面が復元された。
 
こうしてチェリーツインの出世作となる『雪の光』は、この世に帰還したのである。桃川さんは彼女のノートから復元された曲の中で気に入ったのがあったらKARIONやローズ+リリーで使ってもらっていいと言った。
 
それで和泉は『ハーモニックリズム』という曲がいいと言ってもらうことにしたが、桃川春美の名前は出さないで欲しいという要請に応じて、森之和泉作詞・水沢歌月作曲とクレジットして翌年12月発売のシングルのタイトル曲として使用した。(印税は9割を桃川さんに渡している)
 
また和泉がフェリーの中で書いた曲は『海を渡りて君の元へ』のタイトルが付けられたが、なかなか発表のタイミングがつかめず、2012年4月にシングルとして発売することになった。
 
『恋座流星群』『白猫のマンボ』『海を渡りて君の元へ』の3作品はいづれも本当は私の作詞・和泉の作曲であるが、公的には『恋座流星群』はマリ&ケイ作詞作曲、あとの2つは森之和泉作詞+水沢歌月作曲とクレジットしている。
 
一方、私は『ふわふわ気分』という曲をもらうことにし、これも桃川さんの自分の名前は出さないでという要請にもとづき、マリ&ケイのクレジットにして、『恋座流星群』と一緒に翌年5月のラジオ番組で発表、9月1日に一般発売されなかったCDに一緒に収録された。ただし、私と町添さんの裏工作によりオンラインストアで実質発売された(通称「アルゼンチン・アルバム」)。
 

私たちは28日いっぱいまで札幌に滞在したが、ひとり毛利さんだけは28日の朝からレンタカーを運転して函館まで行き、フェリーで下北半島に舞い戻って、車の返却をした。毛利さん以外のメンバーは28日の最終便の飛行機で東京に戻った。
 
私が数日ぶりに自宅に戻ると、居間に政子が居て
「冬〜、おなか空いた」
などと言っている。
 
私は一瞬、間違って政子の家に来てしまったかと思ったのだが、姉が出てきて「お帰り〜。昨日から政子ちゃん来てるよ」と言う。
 
「冬のお母さんに御飯作ってもらったー」
などと政子は言う。それはそれはお母ちゃん大変だったろうなと思う。
 
「お母ちゃん、今食材買いに行っている」
と姉。
 
「それは大変そうだ」
 
「それから『スティル・ストーム』の歌詞書いたよ」
と言って政子は紙を見せる。
 
「それは多分この曲と合うと思う」
と言って私は譜面を出す。旭岳から降りた後、札幌に向かう車の中で書いた曲である。
 
「お、凄い。以心伝心だね。じゃ歌ってみて」
というので私はキーボードを弾きながら歌ってみせる。私の楽譜と政子の詩はぴたりと一致した。
 
政子が笑顔でパチパチパチと拍手をし、姉は「へー」という顔で感心していた。
 
 
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【夏の日の想い出・受験生のクリスマス】(2)