【夏の日の想い出・受験生のクリスマス】(1)

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2009年12月。
 
受験勉強中の私と政子の元に、○○プロの浦中部長が訪れた。この日、私は政子の家に行って一緒に勉強していたのだが、電話が掛かってきて一緒にいるというと好都合ということで来てくださったのである。
 
タレントを何百人も抱えた○○プロの実質経営者で物凄く多忙な浦中さんが、わざわざこちらを訪問してくるというのは超異例である。浦中さんと部下の前田課長が、ふたりともアタッシェケースや大型バッグを両手に持っていたが、ふたりともそのかばんに防犯チェーンまで付けていた。しかも警備会社の制服を着た人が玄関のところまで付いてきた。
 
政子のお母さんが驚いて
「いったい何をお持ちになったんですか?」
と言っている。
 
「君たちにファンからのプレゼントなんだけど、内容がもの凄く微妙だったので僕が直接持って来た」
 
と浦中さんは言う。
 
ひとつめのアタッシェケースは大量のお札やお守りである。
「君たちが受験勉強中ということで、受験祈願ということで送ってくれたみたいなんだけど、カミソリなどの危険物が入ってないか金属探知機やX線透過機で確認した上で、何人かの霊能者の人に来てもらって、変な念が込められているものがないかをチェックしてもらった。念のため最低2人以上の人にチェックしてもらうようにした」
 
「ひゃー!」
「危ないものありました?」
と政子が訊くが
 
「まあ、君たちは気にしなくていい」
と浦中さんが言うので、きっと呪いとかを封じ込んだものがあったのだろう!
 

2つ目、大型バッグを開けると受験参考書、△△△大学の過去の入試問題、またネット模試のチケットなどの類いであった。私たちが△△△大学を受験するというのは公表していないのだが、隠してもいないので熱心なファンは知っているようだ。
 
「マリ、たくさん模試を受けられるみたい」
「ありがたくたくさん受験させてもらおう」
 
「でも参考書とかはこんなにあってもどうしようもないです。○○プロの方で高校生や受験生が家族にいる方にでも差し上げてください。
 
「うん。じゃ本の類いはそうさせてもらおう」
 
3つ目は栄養ドリンクの類いである。
 
「これはけっこうありがたいかも」
「ケイと私で半分こしよう」
「これは一部だけ持って来た。この類いはまだ事務所にもたくさんあるから、あとで届けさせるよ」
「ありがとうございます」
 

そして最後のアタッシェケースを開けて、私も政子も戸惑う。
 
「お薬がたくさんありますが」
「危険な薬物があると困るから、これは警視庁に行って、こちらで頼んだ薬剤師の人と警察の鑑識の人と一緒に確認した」
「警察ですか?」
「覚醒剤とかが出た場合、証拠を保全しないといけないから、1個ずつ慎重に開封したので、この開封作業に3日掛かったんだよ」
「お疲れ様です!」
 
「お薬関係は全部で120個ほどあって、その内1割ほどがヤーバーとかエクスタシーとかいった違法なお薬で、これは警察が各差出人に事情を聞いたけど、みんな違法なものとは知らなかったと主張したので、厳重注意に留めたらしい。但し入手先は正直に申告してもらった」
 
「その先を辿ればいいということか」
「でもほんとに知らなかったのかなあ」
「知ってたら堂々とファンレターで送ってこないと思うよ」
「かもね」
 
「違法ではないけど危険性のある薬が2割ほどあって、これは警察の助言に従って全部廃棄した」
「廃棄の方法も大変なんでしょ?」
「うん。焼いたりするとその煙が危険。これも警察にお任せ」
「なるほど」
 
「残りの半分くらいが違法性も危険性もない興奮剤や栄養剤の類いだったけど、これは僕の判断で廃棄させてもらった」
「ええ、それでいいです」
 
「で残る40個ほどをここに持って来たんだけどね。これは同系統の薬」
「はい?」
「ケイちゃん、これ見て何か分からない?」
「私、薬とかよく分かりませんが」
と私は言ったのだが、
 
「あ、これエストロゲンでしょ?」
と政子が言う。
 
「あたり。正確には4割はプエラリアやザクロなどの植物性女性ホルモン、4割が本物のエストロゲンで2割がプロゲステロン」
 
私は苦笑した。
 
「ケイちゃん、可愛い女の子になって戻って来てねということらしい」
「でもこの手の薬は譲渡すると薬事法違反では?」
「警察は見なかったことにすると。これオフレコでね」
「まあ、いいか」
「じゃケイちゃん使う?」
 
「私がもらっちゃおう」
「マリちゃん、女の子がこういう薬を使うと生理不順とかを引き起こすよ」
「大丈夫です。おやつとかに混ぜてケイが知らない間に食べさせますから」
「ああ、なるほどね」
 
私は頭を抱えた。
 
「注射液もあるけど」
「注射の上手な友達がいるので、その子に打たせます。ケイが寝ている間に」
「ふむふむ」
 

12月13日(日)。
 
この日私は朝から自分のヴァイオリンRosmarinを持って、都内某所にあるホールに出かけて行った。この日、このホールで従姉の蘭若アスカと友人たちによるジョイントコンサートが開かれることになっていて、そのピアノ伴奏者だったのである。ヴァイオリンを持っていったのはアスカが1曲このヴァイオリンを使いたいということだったのと、幕間に私に1曲ヴァイオリン弾いてよということだったためである。
 
コンサートでは最初に友人たち3人(アスカ・美奈・望海)によるヴァイオリン三重奏でパッヘルベルのカノンを演奏した。司会役の友人・治枝さんに各々紹介された後、今年はアスカ→美奈→望海の順に30分ずつ演奏する。私はアスカの伴奏だけを務めて、望海さんと美奈さんの伴奏は各々別の友人が担当することになっていたのだが・・・・
 
当日になって
「えーー!?風邪を引いた〜?」
 
ということで演奏できないという話になる。前日ふたり一緒に名古屋でのコンサートに行っていたらしいのだが会場の空調が不調でかなり寒かったらしく、ふたりとも風邪を引いてしまったらしい。慌ててあちこちに電話するものの、なかなかピアニストがつかまらない。
 
「今日いきなり出てきて、初見に近い状態で伴奏する自信が無いとみんな言うんだよね」
「どうする?」
「お母ちゃん、弾けないよね?」
とアスカが自分の母に訊くが
 
「美奈ちゃんのは弾けると思うけど、望海ちゃんの曲って難しいから無理」
と尻込みする。
 
「電話掛けた子たちも、みんな曲名聞いて出来ないって言った」
 

電話しているのは、アスカたちと同じ大学のピアノ科や弦楽科の生徒たちなのだが、セミプロの彼女たちでもためらうほど今日の望海の楽曲は伴奏が難しいのである。
 
「こうなったら、冬が弾くしかないね」
「それ無茶です!」
と私は抗議する。
 
「だって音楽大学のピアノ科の生徒さんが弾けないと言う曲を、私が弾ける訳ないじゃないですか」
「でも今日の望海の演奏曲は、冬、知ってるよね」
 
「CDで聴いたことはあります」
「聴いたことあるなら、冬なら弾けるはず」
「無理です。私が弾けるならピアノ科の生徒さんなら誰でも弾けるでしょ?」
 
「彼女たちは恥ずかしい演奏をする訳にはいかないんだよ」
「えっと・・・」
「うまく弾けなかったら、音楽大学のピアノ科の学生のくせにこの程度しか弾けないのかと言われてしまう。でも冬なら下手なの当たり前だから問題ない」
 
「世の中難しいですね。でもちょっと待ってください。それなら私よりもっと若い子を呼び出します」
 
と言って私は後輩の美野里に電話する。
 

「おはよう」
「おはようございます、冬子先輩」
 
美野里は私が女声で話しかけたので、『冬子』と言ってくれたようだ。
 
「美野里ちゃん、今日は暇?」
「友達と新宿にドリームボーイズのフィルムコンサート見に行くつもりでいたんですけど」
 
「じゃさ、2月13日の博多ドームでのドリームボーイズのライブチケットあげるから、代わりに今日はこちらに出てこない?」
「えーーー!? あれ手に入るんですか? だって2時間で売り切れたのに。友達と4人で電話し続けたのに、一度もつながらなかったんですよ」
 
「じゃお友達の分まであわせて4人分あげるよ」
「でもあれ入場時に身分証明書照合するから、譲渡はできないはず」
「ちゃんと、美野里ちゃんたちの名義にしてあげるから」
 
「ほんとですか!? じゃ、行きます。どこですか?」
 

「冬。ドリームボーイズのチケットなら私も欲しい」
 
「美野里には難しい伴奏をしてもらうお礼ということで」
「その子に弾かせようというんだ?」
「彼女なら弾けますよ。この曲もお母さんのヴァイオリンと一緒に演奏しているの見たことあるから」
「ほほぉ!」
 
美野里は30分ほどでやってきた。私が事情を説明すると
 
「ああ、大丈夫だと思いますけど、本番前に合わせてみたいです」
と言うので、リハーサルを兼ねて望海と一緒に演奏してもらった。
 
「すごーい。この難曲をよくこんなに簡単に弾くなあ」
と美奈さんが感心している。
 
「こんなに弾けるなら、うちのピアノ科においでよ」
「私M音大からも、K大学からも、E音大からも勧誘されていて」
「ここまで弾ける子はきっと授業料も要らないと思うよ、うちなら」
「そうそう。K大学とかはそういう制度無いから」
「うーん。。。悩むなあ」
「一度うちの**教授に紹介するよ」
「わぁ!**先生は一度お会いしたいです」
「OKOK」
 

それでオープニングではアスカの母がピアノを伴奏してアスカ・美奈・望海の3人がパッヘルベルのカノンを演奏した。その後、美奈・望海が下がり、ピアニストもアスカの母から私に交代して演奏をする。
 
今日はアスカはブラームスのハンガリー舞曲1〜6番を続けて演奏して、最後は箸休めに『美しきロスマリン』を演奏するというもので、ハンガリー舞曲は彼女が今年5億円で入手した銘器《Luciana》を使用したが、最後の1曲は曲名にちなんで私の《Rosmarin》を使用した。
 
私たちが下がって交代で美奈と、伴奏者のアスカの母が出て行こうとしたのだが・・・こけてしまった。
 
アスカの母が舞台袖に置いてある照明器具のコードに靴のヒールを引っかけて転んでしまったのである。
 
「大丈夫?」
「イタタタタ」
 
アスカの母は左手の指を押さえている。
 
それを見て司会者の治枝さんが
「取り敢えず私が場を持たせておく。誰かヴァイオリン貸して」
と言うので、アスカは手に持っていた《Rosmarin》を渡す。その楽器を持って治枝さんはステージに出て行き、サティの『ジムノペディ1番』を弾き始めた。この曲は4分くらいかかるはずである。
 
「お母ちゃん、弾けそう?」
「少し休めば大丈夫と思うんだけど」
「美奈さんと望海さんの順番を入れ替えますか?」
と私は訊いたが
「無理」
とアスカが言う。
 
「望海の楽曲は激しいから最後に置かないと、望海の後で美奈は弾きたくないよね?」
とアスカ。
「どうにもならないなら入れ替えてもいいけど、できたら先に弾きたい」
と美奈。
 
「仕方ない。冬、美奈ちゃんのも伴奏してよ」
とアスカ。
 
「私なんですか〜?」
「望海ちゃんの伴奏は体力使うから、美野里ちゃんが2人続けて伴奏するのは無理だもん」
 
「私もふたり連続は辛いですけど」
「でも冬がやるしかない」
 
私もやむを得ないかなと思い、アスカの母が持っていた伴奏譜を手に取った時のことであった。
 

「ごめんなさい! 遅れました!」
と言って楽屋に飛び込んでくる人物がいる。何だか派手なドレスを着ている。
 
「あんた誰?」
とアスカ。
 
「え?」
と言ってその人物はきょろきょろしてる。
 
「えっと・・・チェリーツインのコンサート会場はここでは・・・・」
「違いますけど」
「ここ、新宿文化ホールですよね?」
「そうですけど、少なくともチェリーツインではない」
「あれ〜〜〜!?」
 
「桃川さんでしたっけ?」
と私は彼女に言った。チェリーツインのバックバンドのドラマーの人だ。
 
「はい」
「チェリーツインは確か、新宿文芸ホールですよ。文化ホールじゃなくて」
「えーー!?」
 
「時々間違う人いるね、確かに」
「済みません! すぐ移動します。ごめんなさい」
「何時からですか?」
「公演は夕方なんですけど、リハーサルを13時からする予定で」
 
今は既に13時半である。
 
「既に遅刻のような」
 
「冬、知ってる人?」
とアスカが訊くので私は答える。
 
「チェリーツインというアイドルユニットのバックバンドの人なんです」
「へー。楽器は何するの?」
「大学のピアノ科出たんですけど、チェリーツインではいつもドラムス打ってます」
と本人。
 
「ピアノ科?」
「はい」
「どこの?」
「北海道教育大学って、すみません、田舎の大学で。そこの特設音楽課程というののピアノ専攻を出たのですが」
 
「特音の出か! レベル高いじゃん。だったら、あんたこの楽譜弾けない?」
「へ!?」」
 
「冬?この人のピアノ聴いたことある?」
「あります。初期の頃はこの人がピアノ伴奏をしていたんですよ。上手いですよ」
 
「よし、じゃお願いしますよ。簡単な伴奏だから」
「でも私、演芸ホールに行かなきゃ」
 
演芸ホールではなく文芸ホールなのだが。この人また更に会場間違わないかと心配になった。
 
「でももうリハーサルにはどっちみち遅刻じゃん」
「えっと・・」
 
「あ、治枝さんの演奏が終わる」
 
「よし。それじゃよろしく」
 
と言って、アスカは桃川さんに楽譜を持たせて、美奈と一緒にステージに送り出してしまった。
 

美奈が今日演奏するのは、日本の唱歌・古謡の類いである。『さくら』に始まって、滝廉太郎の『春』、『この道』『波浮の港』『椰子の実』『黒田節』『こきりこ』
と演奏して『浜辺の歌』で締めくくる。
 
特に難しいアレンジはしておらず、よく知られた曲ばかりでもあり、基本的にはピアノのスキルがある程度ある人なら初見で充分伴奏可能なので、アスカがちょっと試してみたくなったのだろう。
 
「だって何だか面白そうなキャラじゃん。それにポップス系のミュージシャンは機転がきく人が多いし、ステージ度胸がありそうな感じだったから、予想外の音符が並んでいるの見ても何とかすると思ったしね」
とアスカは言っていた。
 
アスカの思惑通り、桃川さんはぶっつけ本番なのにこれらの曲の伴奏をきれいにこなした。無事演奏を終えて美奈と桃川さんが戻ってくる。入れ替わりに望海と美野里が出て行く。
 
「お疲れ様でした」
「ありがとうございました。助かりました」
「どうもどうも。でも遅刻〜」
「それは最初から遅刻だったような」
 
「あ、これ今日のお礼です」
と言ってアスカの母が封筒を渡す。
 
「すみません! でもきっと私向こうでは罰金だ」
「その補填に」
 
アスカの母がタクシーを呼んで行き先を告げ料金も支払っていたので、それに乗せて桃川さんを送り出した。
 

20日、私と政子は最後の模試を受けた。試験が終わってから政子に首尾を訊くとVサインをしていたので、かなり手応えがあったようである。
 
「でも冬、なんで今日は男の子の格好なのよ?」
「え?だっていつもそうじゃん」
「また、ご冗談を」
 
などと言っていたら、会場の最寄り駅でばったりと秋風コスモスとその事務所の紅川社長に遭遇する。
 
「わあ、洋子さんの男装って初めて見た!」
などと言ってコスモスが喜んで(?)いる。
「でもまさに、女の子が学生服を着ただけにしか見えない」
 
「ですよね〜。ほんとに不自然なんだから」
と政子が応じる。
 
「でもコスモスちゃん、お久〜」と政子。
「マリちゃんもお久〜」とコスモス。
 
などと言って握手している。ふたりは8月に伊豆のポップフェスティバルで会って以来である。
 
「そうだ。『雪の恋人たち/坂道』ダウンロードしましたよ。すっごくいい曲。なんでお金取って売らないんですか?」
 
「受験前で活動休止する約束を私とマリのお父さんとの間で交わしているからなんだよ。だから大学に合格するまでは活動できないんだ」
 
「へー。なんかもったいない。いい曲なのに。でもマリちゃん、すっごく上手。KARIONの和泉ちゃんが、あの録音は去年の春にしたものって言ってたけど、マリちゃんって元々あんなに上手かったの?」
 
「オフレコでお願いしたいんだけど、あれは実は最近録音したもの。特にマリのお父さんには内緒で」
 
「そうだったのか!びっくりしたー。少し安心した。でもマリちゃん、ほんとに上手になってる」
とコスモスが褒めると、政子は「えへへ」などと言って照れている。
 
コスモスは「オフレコで」と言った内容は誰にも言わずにいてくれる。彼女の後輩の浦和ミドリはそれがきかないので、彼女との会話には神経を使う。
 
「マリちゃんがあれだけ上手くなるんだから、コスモスも練習すれば上手くなるよ」
と紅川さんは言ったが
 
「私、練習嫌〜い。私は友達作らない、努力しない、勝利しない、というのがテーゼなんだから」
とコスモスは言う。
 
「あ、友達作らないってのは私も同じかも」
とマリが言うと
 
「お、同志!」
などと言ってまた握手している。確かにコスモスはひとりでボーっとしているのが好きなようだ。ただ、紅川さんの教育の成果もあって、今みたいに多少のおしゃべりはできるようになっている。最初彼女が(お姉さんの付き添いで)事務所に来た時は、何を訊かれても恥ずかしそうにして俯いているような物凄い内気な少女だったらしい。そんなアイドルには全く不向きに思える子の才能に気づいた紅川さんは慧眼である。
 
孤独好きという点では、コスモス、マリ、そして翌年知り合うことになる富士宮ノエルなどは似た性格である。仲良くしているつもりだった子が陰で実は陰湿な嫌がらせをしているなどというのが日常茶飯事のこの業界では、彼女たちのようにむしろ友達つきあいを拒否するタイプの方が精神的な安定は保てるかも知れないと私は時々思う。
 
「でも8月の《名も無き歌手》として歌ったの、良かったなあ。ああいうのまたやらないの?」
とコスモスが言う。
 
「うん。あれは我ながら結構楽しかった」
と政子が言うとすかさすが紅川さんが誘った。
 
「あれと同じような感じで、また《名も無き歌い手》として歌わない? 場を提供するよ」
 
「ほんとですか? わあ、やりたい!やりたい!」
 
と政子が言って、私たちはまたステージに立つことになったのである。この後、紅川さんは直接政子の家を訪問し、お母さんに挨拶した上で、出演許可を取ってくれた。ついでにお母さんはコスモスのサインをもらっていた。
 

その日自宅に帰って(受験生なので)勉強していたら、和泉から電話が掛かってきた。
 
「冬、25日は空いてる?」
「12月25日?」
「そうそう」
「終業式の後、友達とクリスマス会することにしてるけど」
「受験生なのに余裕があるな」
「お昼を一緒に食べるだけだよ。早々に各自の家に戻って勉強」
「なるほどねー。だったら、夕方以降は大丈夫だよね?」
 
「実は1件用事がある。これ内緒で」
「その用事はどこ?」
「実は代々木でマリと2人で歌う」
「嘘!?アイドルクリスマスにローズ+リリーが出演すんの?」
「8月に伊豆でやったのと同じ。名も無き歌い手として歌う」
「おぉ!」
 
和泉が何時頃歌うのかと訊くので、正確な時刻はまだ分からないけど秋風コスモスの前で歌う予定というのを伝える。
 
「それでKARIONも出るから」
と和泉。まあ和泉から25日に空いてるかと訊かれた時点で予想されたことだ。
 
「そちらは受験勉強大丈夫なの?特に小風は?」
「まあ何とかなるでしょ。もっともこないだの模試の成績が悪かったら出場禁止と小風のお父さんからは言われている」
「あぁ」
「まあその時は蘭子に小風のパートも歌ってもらえたら」
「うむむ」
「小風のマスク付けて」
「そんなのあり!?」
 

学校は12月23日の天皇誕生日をはさんで、12月24日(金)は正常授業をした上で25日が終業式である。町はジングルベルに満ちているが、受験生にクリスマスは無い。絵里香さんから
「今年はサンタガールできないよね?」
と念のため打診があったが
「無理〜!」
と答えておいた。この年のサンタガールは貞子ともうひとり後輩の子がしたようである。貞子は今年のインターハイ女子400m,200mの二冠を取ったのを手土産に、静岡県の企業に入り、陸上部で活動することが内定している。
 
終業式の後、仁恵・琴絵と一緒に政子の家に行く。詩津紅も誘ったのだが、今日から塾の集中講座に行ってくるということであった。
 
「受験生はたいていそんなものだよね」
「クリスマス会をしようなどという私たちが多分非常識」
 
などと言いつつ、11時頃から早めのお昼を兼ねてミニクリスマス会となった。政子のお母さんが用意してくれていたクリスマスケーキを食べ、お母さんが揚げてくれたチキンなども食べながら、
「大宝律令」
「なおいい国に、701年」
「平安遷都」
「鳴くようぐいす平安京、794年」
 
などとやっている。
 
「元寇」
「ひどい船酔い1274年文永の役、二敗目喫す1281年弘安の役」
「なんか、それ暗記法を覚えるのに苦労する気が」
 

それで12時半頃には「じゃ各自頑張って勉強しよう」などと言って解散するが、政子が私と一緒に出かける態勢なので
 
「あんたたちどこか行くの?」
と琴絵に訊かれる。
 
「内緒」
「秘密」
 
「まあ、デートするのもいいけど勉強も頑張れよ」
「うん。参考書持って行く」
 
などということで、私たちは13時頃に、今日の《アイドル・クリスマス》が行われる代々木アリーナに入った。入館証を見せて中に入り控え室に行くが、政子は「眠くなった。少し寝る」と言って寝てしまう。それで毛布を借りて掛けておいた。
 

13時15分頃、和泉から電話が掛かってくる。
「小風ダメになった」
「えーー!?」
「今朝、模試の結果を受け取ったんだけど、お父さんが条件としていた点数に2点足りなかった。小風は2点負けてくれないかと言ったらしいけど、お父さんはその2点が足りなくて落ちるのが入試だと言って、許可出ず」
「あらら」
「仕方ないから、3人バージョンのアレンジ使うから、冬は小風のパートを歌ってよ」
「分かった」
「小風の顔マスク用意しておくから」
「用意がいいね!」
 

政子が当面起きる気配がないので、私は政子が起きたらきっと「お昼御飯」と言うだろうと思い、食料を調達するのに会場近くのコンビニに行った。イベントは13時からだが、最初の方で歌う子たちはあまり知名度の無い子たちなので、まだ会場近くに観客らしき人影は少ない。
 
政子はたくさん食べるだろうからなあと思い、お弁当を5つにパン、お茶などをかごに入れる。お昼の時間帯を過ぎているので、お客さんは少ない。小さな3-4歳の女の子を連れた25-26歳くらいのヤングママがいる。眠そうな顔をした背広姿のサラリーマン風の男性がいる。
 
おやつを選んでいた時、ジャージを着た高校生の女の子数人と遭遇する。向こうもカゴいっぱいにおにぎりや弁当などを入れている。何となく目が合って会釈するが、向こうはこちらの素性には気づいていない雰囲気。
 
「今日も勝てて良かったね」
「1点差でしたけどね」
「その1点差に悲喜があるから」
「でも先輩たちが凄い実績あげちゃったから、私たちプレッシャーがハンパないです」
「でもだいぶ場慣れもしたでしょ?」
 
グループの中にひとりセーターにジーンズで胸くらいまであるロングヘアの女子がいたが、その子が「先輩」と呼ばれているようである。私は彼女をどこかで見たような気がしたが、思い出せなかった。
 
「だけど現地に来るまで、私、東京体育館って代々木アリーナのことかと思ってた」
などとひとりの子が言っている。
 
「まあ混同する人もいるね。それにウィンターカップは初期の頃は代々木アリーナの第二体育館で開かれていたんだよ。当時は春の開催だったんだけどね」
とロングヘアの女子が言う。
 
「春にやるのにウィンターカップなんですか?」
「いや、東京体育館に移動して時期も冬になってからウィンターカップと呼ばれるようになったんだよ」
 
「なるほどー」
「びっくりしたー」
「高校生で出られる最後の大会になるからね。一応年明けのオールジャパンもあるけど」
「今年はこちらに出るからオールジャパンは無しですね」
「だけどF女子校とかウィンターカップにも出てオールジャパンにも出るんですね」
「代表選考の方法が都道府県ごとに違うからね」
 
ああ、この子たちは東京体育館で今開かれているバスケットボールのウィンターカップに出る子たちなのか、と私は理解した。昨年、ローズ+リリーの活動で超多忙だった時期に、強引に蔵田さんに呼び出されて、一緒にウィンターカップのテーマ曲を書いたなあ、などというのも思い出す。試合の招待券ももらっていたのだが、大騒動のさなかでとても見に行けず、チケットは詩津紅に譲ったのであった。
 

「代々木アリーナって戦後間もない頃の東京オリンピックの時に作られたんでしょ?」
「戦後間もなくでもないよ。東京オリンピックは1964年だから、終戦から19年も経っている」
「あれ?結構経ってたのか」
「東京体育館は最近できたんですか?」
 
「ううん。東京体育館の方が古いよ」
「へー」
「東京体育館はその10年くらい前に建てられて1958年のアジア大会でメイン会場に使用されたんだよね。東京オリンピックでも一部の競技は東京体育館で行われている」
「だったら、もう50年以上経ってるんですか!」
「15年くらい前に建て直したはずだよ」
「ですよね。そんなに古くは見えなかったから」
「むしろ代々木アリーナの方が最近は老朽化が問題になってる。コンサートとかする時も音が悪いしね」
「へー。でも今日は何か看板が掛かってましたね」
「アイドル・クリスマスってイベントやるみたいだよ。第一体育館の方で。13時から21時まで8時間ぶっ通し。30分交代で16組のアイドルが出演する」
「アイドルならどうせ歌が下手だから音響もどうでもいいか」
 
などという声に私は心の中で苦笑する。
 
「W6出ますかね?」
「ラインナップ見た限りでは入ってなかったよ」
「残念!」
「でも16組の内出場が予告されているのは10組だけなんだよね。残る6組は当日会場に居ないと分からない」
「そういうのも面白いですね」
 

彼女たちがレジの所に行き、私はその次に並んだ。やがて精算が終わり、彼女たちががやがやとおしゃべりしながら出て行く。
 
が、その時、出入口のあたりまで行っていたロングヘアの女の子が「あ、ちょっと待って」というと、私の所に来た。そして小さな声で言った。
 
「水沢歌月さん、これ沖縄で波上大神から言付かったのですが、たぶん歌月さんに渡すものだと思ったから」
と言って、私に水色の鈴を渡した。
 
私は突然「水沢歌月さん」などと呼ばれてびっくりし、それで反射的に鈴を受け取ってしまった。
 
「えっと、どなたでしたっけ?」
「通りがかりの横笛吹きです」
 
と彼女は言ってにこりと笑うと、先に店の外に出ている後輩たちを追うように出入口の方へ行く。その瞬間、私は彼女のことを思い出した。
 
そうだ!あの子、2年前に唐津でインターハイがあった時、私がParking Service のパックダンサーで行っていた時に遭遇した、笛の上手な女の子だ。でもあの後、私全然横笛の練習してない! でもあの時はあんなに髪は長くなかった。現役引退してから伸ばしたのかな?
 
そんなことを考えていた時、ちょうどコンビニの出入口の所に、マスクをして顔を半分隠した和泉が入って来ようとしていた。一瞬、私と目が合う。すると、ロングヘアの女の子は
 
「森之和泉さん。これ沖縄で波上大神から言付かったのですが、たぶん和泉さんに渡すものだと思ったので」
と言って、私に渡したのと同じ鈴を和泉に渡した。
 
この時和泉は、(後で聞いた話では)彼女が私と言葉を交わしているのを見たので、私の関係者かと思い、つい受け取ってしまったのだという。
 
「あ、はい」
と言って和泉は鈴を受け取る。
 
するとロングヘアの女の子はそのまま私と和泉に会釈をすると、先行しているジャージ姿の高校生たちの集団の方に小走りで行った。
 
和泉が私の所に寄ってきて
「なんか鈴をもらったけど」
と言う。
 
「私ももらったー」
と私も答えるが、この鈴、どうすればいいんだ?
 
と言っていたら、若いお母さんに連れられてアイスクリームを選んでいた3-4歳の女の子が私たちのそばに寄ってきて
 
「お姉さんたち、それ掌の上に乗せるんだよ」
と言った。
 
それで私も和泉もそれを掌の上に乗せる。
 
すると鈴はスッと消えてしまった。
 
「あれ?落とした??」
と言って和泉が床を探すが私は言った。
 
「いや、今私も和泉もあの鈴を受け取ったんだと思う」
 
女の子は私たちにニコリと微笑むと、母親の所に駆けて戻っていった。
 

控え室にいったん寄るが、政子は熟睡しているのでお弁当だけ暖房の影響の少なそうな窓際に置き、鍵を掛けて和泉たちの控え室に行く。
 
「おはようございます」
「おはようございます」
と美空や望月さんとも挨拶を交わし、出番の順序と歌う曲目を確認する。
 
「じゃ今日はローズ+リリーが先で、その後KARIONか」
「うん。まだ人が少ない内にやっちゃおうということで、15:30チェリーツインの後、本来はすぐ16:00から秋風コスモスが歌うんだけど、その前に私と政子が出て行って、何も名乗らないまま1曲歌う」
 
「でも伊豆と違って東京は反応がいいと思うよ。後ろの方の観客にもよく見えるようにジャンボビジョンもあるし。バレるんじゃない?」
と和泉が心配するように言う。
 
「ジャンボビジョンには映さないらしい。まあ、バレた時はバレた時で。こないだのXANFUSの時みたいにマスクかぶることも考えたんだけどね」
と私。
 
「マスク??」
とその話を知らない美空が尋ねる。
 
「先月沖縄のXANFUSのライブに、冬と政子ちゃん、ちゃっかりゲストタイムに出演して数曲歌ったのよ。その時、正体がばれないように、プロレスラーがかぶるようなマスクかぶってたんだって」
 
と和泉が説明する。
 
「なんかいろいろやってるな」
と美空は楽しそうに言った。
 

彼女たちと打ち合わせた後で、自分たちの控え室に戻ろうとしていたら、バッタリと見たような顔に出会う。思わずお互いに「おはようございます」と挨拶してから、「すみません、どなたでしたっけ?」とお互いに言う。
 
「あ、思い出した! こないだ私が新宿で会場間違って駆け込んだ時に居た人ですよね?」
と桃川さんが言う。
「チェリーツインの桃川さん!」
 
「ところで」
と言って桃川さんは小さな声にする。
 
「あの後で考えてたんですけど、あなたまさかローズ+リリーのケイちゃんってことは?」
「ええ。ケイですけど」
 
「やはり!何だか似ている気はしたんですよ!」
と言ってから、
「今日はもしかしてローズ+リリー出るんですか?」
と訊いてくる。
 
私はちょうど出演順が彼女たちの直後なので、話しておいた方がいいかもと思い、
 
「実はこっそり出るんです。チェリーツインの直後に」
と小さな声で言う。
 
「え?私たちの後は秋風コスモスちゃんと聞いてましたが」
「そこに割り込みなんですよ」
 
「あ、こんな廊下で話してたらいけないですよね。ちょっとうちの控え室に来ません?」
などと言うので、結局彼女と一緒にチェリーツインの控え室に行った。どうせ政子はまだ寝ているだろうし!
 

中に入っていくと、旧知のマネージャー青嶋さんが居て
 
「あれ、珍しい客が」
などと私を見て言うので
「おはようございます。青嶋さん。ご無沙汰しておりまして」
と私は挨拶する。
 
彼女は昔松原珠妃のマネージャーをしていた人で現在はζζプロの制作部長の肩書きを持っている。
 
「チェリーツインって青嶋さんの担当でしたっけ?」
「まあ固定された担当者がいないから私がとりあえず見ているというか」
「なるほどー」
 
「でもピコちゃん、どうしたの?」
と青嶋さんは懐かしい名前で私を呼ぶ。
 
「今日、私たちの後で歌うそうです。秋風コスモスの前に」
「嘘」
 
それで私は状況を説明する。マリの「ステージ恐怖症」リハビリのために時々ステージに立たせてもらっているということを説明した上で、チェリーツインの後、秋風コスモスの前に1曲だけ歌わせてもらうのだということを話す。すると、奥の方でソファに横になっていた人物が起き上がって言った。
 
「話は分かった。じゃこうしよう」
「雨宮先生!?」
 

雨宮先生が紅川さんを呼んで一緒に打ち合わせる。しかしアルコールの臭いが凄い!
 
「雨宮先生、二日酔いですか?」
と私は訊いた。
「今朝まで、◎◎レコードの若い子とスナックとカラオケ屋さん10軒くらいハシゴしてただけだよ」
などと雨宮先生は言っている。
 
「しかし雨宮先生がチェリーツインに関わっていたのは知りませんでした」
と紅川さんは言ったのだが
 
「それ内緒にしておいて」
と雨宮先生は言う。
 
「陰の仕掛け人なんですか?」
「違う違う。この子たちの新しいアルバムを私がこっそりプロデュースしたんだよ。紅姉妹を前面に出したいから私の名前は一切出さない」
 
「姉妹って、私たち男ですけど」
と紅ゆたかさんが言う。
 
「性転換する気は?」
「無いです」
 

雨宮先生の提案を聞いて紅川社長は
「おもしろいですね、それ」
と言う。
 
「でもその新しいフォーメーションというのを私知らないんですが」
と私は言ったのだが、ではやってみようという話になり、チェリーツインのメンバーが楽器やマイクを持って1曲演奏してくれた。
 
私は「へー!」と思いながら見ていた。
 
「おもしろいでしょ?」
「おもしろいです」
 
「でさ。あんたとマリちゃんはコーラス隊姉妹の代わりをする」
「従来のパターンのコーラス隊姉妹ですね」
「そうそう」
 
「私たち姉妹という訳ではないですけど。姉妹みたいに仲がいいけど」
とコーラスの子のひとりが言う。
 
「レスビアンの恋人だっけ?」
「違います!」
「キスしたこともない?」
「そんなのしません!」
 

打ち合わせを終えて、控え室に戻ったのだが、政子はまだ寝ている。さすがにそろそろ起きてもらわないといけないので起こしたが
 
「今、エビフライの山盛り食べる夢見てたのに」
などと文句を言う。
 
「お仕事だよ」
「はーい」
と言って、とりあえずはお弁当4つにおにぎり・パンなどをぺろりと平らげてしまう。
 
「まだ腹八分目だなあ」
「満腹しちゃうと歌えないでしょ?」
「そうだねー」
 
それで私は今打ち合わせてきたことを説明したのだが
「何だか楽しそう!」
と言っている。乗り気になってくれることは良いことだ。
 

チェリーツインが15:30のステージスタートなので、15時前に彼女たちの控え室に行き、用意された衣装と桜の花の形をしたお面を受け取る。そして一緒に舞台袖まで行く。
 
やがて前歌って(?)いた高校生歌手がお辞儀をして上手袖に下がる。実際には口パクしていただけだ。(本当に)伴奏をしていた人たちが大急ぎで撤収し、その後にチェリーツインの伴奏楽器が運び込まれセッティングする。この機材入れ替えの時間はだいたい5分掛かるので、各出演者の演奏時間はだいたい25分くらいである。今日私たちはその時間を使おうという魂胆なのである。
 
機材のセッティングが終わったところで、演奏者が下手袖から出ていく。まばらな拍手。この時期のチェリーツインは「ああ、そんなユニットがいたかな」程度の知名度だし、特にこの時間帯はまだ客も少ない。この時間帯から来ている人のおそらく半分くらいは16:00スタートの秋風コスモス、16:30スタートの坂井真紅あたりが目当てだ。
 
ギターを紅ゆたかさん、ベースを紅さやかさんが持ち、ドラムスの所に桃川春美さんが座る。前面にお姫様のような衣装を着た気良星子・気良虹子の双子の姉妹が並んでハンドマイクを持つ。そして普段は後ろの方に桜の仮面を付けたコーラス隊の2人が並ぶのだが、今日はそのふたりはステージ上に立てられた杉の木のセットに擬態している。顔も樹皮の色に塗られて人相が全く分からない。彼女たちはヘッドセットを付けている。この擬態が分かるのは客席でもかなり前の方にいる人たちだけで、後ろの人はただのセットだと思ったであろう。
 
そして彼女たちの代わりに私と政子の2人が桜の仮面を付けてステージ後方、スタンドマイクの前に立った。
 
前奏に引き続いて、歌が始まるのだが、ここで客席にどよめきが起きた。
 

チェリーツインというのは、前面に立つメインボーカルの双子2人が『歌わない』
というユニークなユニットである。しかし今日ここに来ている観客の大半がそのことを知らず何で!?という感じになったようである。
 
アイドルユニットでメインボーカルということになっている子が実際にはステージで歌わずに口パクをするというのは良くあることだが、チェリーツインの場合は、口パクもしない。ただハンドマイクを持って笑顔で立っているだけであり、実際の歌唱はコーラス隊の子たちがしている。
 
ただし今日はそのコーラス隊として入っている私と政子も歌わずに口パクして踊っているだけであり、本当に歌っているのは杉の木に擬態した2人である。
 
このような不思議なユニットが生まれたのは、メインボーカルの気良姉妹が言語障碍を持っていて、言葉をしゃべることができないので、その歌部分を友人の2人が代行して歌い「4人で一緒に歌っていた」からである。それをしまうららさんが見い出してDVDを出させたのである(後に安価なビデオ付きCDも出した)。チェリーツインのスコアを書店などで買うとちゃんとVocal 1,2は全休符になっていて、Chorus 1,2の所に歌が設定されている。
 
このユニットは2008年にインディーズでDVDデビュー(DVD流通取り扱いは★★レコード)して、一部で話題になり、あまり大きな宣伝はしていないものの、DVDとビデオ付きCDの合計で毎回数万枚のセールスをあげている。もっとも雨宮先生に言わせるとその大半は、福祉関係の団体や支援者などがまとめて買って、作業所や支援施設などで入居者やその家族に配っているものだと言う。
 
しかしそれでも1200円/1600円のCD/DVDが合計3万枚売れると売上は約4000万円である。インディーズなので事務所の取り分はおそらく2000万円くらいある。インディーズであるが故に事務所に大きな利益をもたらしているユニットだ。
 
彼女たちの事務を取り扱っているζζプロ(松原珠妃やしまうららの事務所)では来年くらいにはメジャーデビューさせたいと言っているようだが、現在の売上でメジャーに行ってもかえって減収になるのでは(事務所にとっても本人たちにとっても)と私は心配していた。
 

客席の大半が「???」という状態ではあったものの、少数チェリーツインを知っている客もいたようで
 
「ほしちゃーん」
「にじちゃーん」
というコールが掛かる。するとボーカルの2人は手を振って答える。
 
やがてどこからともなく手拍子が起きると、それが会場全体に広がっていった。全く日本の観客は律儀である。
 
私と政子もその手拍子をありがたく受け取って口パクでダンスをしていた。チラっと政子の方を見ると、かなり楽しそうである。伊豆では5分くらいしかステージに立たなかったので、数千人の観客がいるステージで30分パフォーマンスするというのは、政子にとっても大きな経験になるだろう。
 

そして私はダンスしながら考えていた。
 
今回のステージで歌うのは年明けくらいに発売予定のアルバムに収録される曲6曲だが、この中の3曲は先月上旬、雨宮先生に突然呼び出されて「紅紅の曲がなってないから、あんたのセンスで構成し直して」と言われ、私が組み立て直した曲である。私は5曲を直したのだが、雨宮先生は残りの5曲は私と同い年の作曲家に作業させると言っていた。その自分が担当していなかった曲を3曲今初めて聴いているのだが、凄く素朴な作風だと思った。
 
正直素人では?と思った部分も多々あるが、素人っぽいのにセンスが物凄く良いのである。どういう人が作業したのだろうと私は興味を持った。もっともどんな人かというのは、雨宮先生は絶対に教えてくれないだろう。ただ先生は
 
「向こうもあんたと同様に高校生の内に性転換手術受けたのよ」
などと言っていた。
 
雨宮先生はどうも誤解しているようだが、私は実際には性転換も去勢もしていない。女性ホルモンも最近は摂っていないので実は男性能力が少し復活してきている(でも昨日うとうととしていた間に政子からエストロゲンの注射をされた!)。しかし同い年で既に性転換している子がいるという話は、私は「置いてけぼり」にされた気分だった。私も早く性転換したいなという気持ちが強くなった。
 
 
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【夏の日の想い出・受験生のクリスマス】(1)