【夏の日の想い出・鈴の音】(2)

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絵里香さんと別れた後、私は博多行きの「かもめ」に乗って、車内のトイレで女装に戻る。やはり男の子の格好は窮屈だなあと思う。スカートに風が通って心地良い。これって、男の子は絶対体験できない感覚だもんな。
 
博多駅で降りて、空港に行くのに地下鉄の方に移動しようとしていたら、バッタリと見知った人物に遭遇する。
 
「おお。雀ちゃん!」
 
これは私の民謡学習者名が「若山富雀娘(わかやま・ふゆすずめ)」と知っている○○プロの丸花社長である。
 
「おはようございます。社長、お仕事ですか?」
「ああ。ちょっと長浜ラーメン食べに来ただけ。君は?」
「ちょっと1仕事、2仕事して、これから東京に帰る所です」
「君はいつも忙しいね!」
「いえ、おかげさまで」
 
「ね、君ちょっと時間がある?」
「まだ航空券の予約入れてないので、少しでしたら」
「じゃ、君には役不足で申し訳ないのだけど、頼まれてくれない?」
「何でしょうか?」
 
「着ぐるみを着てくれないかと思って」
「へ?」
 

何でも近郊のショッピングセンターで女児向けのアニメ「リリー・スター」のショーをやるのだが、着ぐるみを着て歌を歌わなければならないので、誰でもいいというわけにはいかないらしい。
 
リリー・スターは主人公の2人がアイドル・デュオをしている設定である。
 
本当は○○プロのインディーズの2人組の歌手が入って歌うことになっていたのだが、その人たちが昨日沖縄に行っていて、折しも到来した台風5号の影響で飛行機が飛ばず、福岡に来られないという。
 
丸花社長は別件で福岡に来ていたらしいが、急を聞いて、自分でも当たれる所に当たっていた最中であったという。
 
「台風が来てるんですか?」
「かなり強い台風みたいだよ。福岡空港から東京・大阪方面もたぶんこの後の便は欠航する」
 
「空港に行かなくて良かった!」
「新幹線は夕方くらいまでは大丈夫だと思う」
「新幹線で帰ります!」
 
「福岡で歌える人を大急ぎで2人調達してと言っていたのだけど、急なことで難航しているらしいんだよ。雀ちゃんなら歌唱力全然問題無いし。ほんとに詰まらない役で申し訳ないのだけど」
 
「いえ、エンジェル・リリーのシリーズは私好きですよ。でもなぜリリー・スターなんです。今年はリリー・ファイブなのに」
「いや、そこの予算が無くて、今年のキャラの権利料が払えないというのでね。去年のキャラなら安く使える」
 
「なるほど。でもわざわざ○○プロの歌手さんを使ったら、権利料は安くてもギャラが高額になるのでは?」
 
「彼女たちの出演料は1000円の予定だったから」
「わざわざ福岡まで来てギャラ1000円ですか!可哀想」
「まあ売れてないとそんなもの。タダということも多い。でも雀ちゃんには2000円払うから。御食事券もつけるよ」
 
「分かりました。社長のご依頼ですし、やりますよ」
と私は笑顔で答えた。
 

それで社長と一緒にショッピングセンターまで行く。もうひとりの「中の人」はうまく見つからないのか、なかなか現れない。それで時間が迫っているので取り敢えずスタンバイしてくださいと言われ、リリー・タイガーの着ぐるみを着る。エアコンが入っているからいいが、これ遊園地なんかだったらこの時期こんなの着たら楽に熱中症になれるなと思う。
 
そしてもうすぐ開演時刻というのに、まだもうひとりのエンジェル・リリーは現れない。どうするんだ?と思っている内に、ショーは始まってしまった!うっそー!と思いながらも司会者の人の呼び掛けに答えて私は出て行く。
 
「あれ?タイガーひとりだけ?」
と司会者さん。
 
「レオパルドは川に洗濯に行っているんです」
「洗濯機無いんですか?」
「まだ電気が来てないので」
 
こんな会話が今の子供たちに理解できるだろうかと思いながら私は話していた。きっと今の子供たちは、電気が無いというのは想像できない。蛍光灯が点かないなら、テレビを点ければいいじゃないくらい言いそうだ。
 
するとそこに
「遅れてごめーん!」
と言いながらリリー・レオパルドが登場する。ホッ!間に合ったか。
 
「ちょっとワルダイカンの部下を1人倒してきた」
などと言っているが、私はこの声、どこかで聴いた覚えがあると思った。
 
「なんて奴を倒したの?」
「シュクダイ・ワスレータというやつ」
 
小学生っぽい子たちから笑い声が起きている。まあ幼稚園生は分からないギャグかも知れない。
 
「それでは取り敢えず歌って頂きましょう」
と司会者が言う。
 
「リリー・スターの主題歌、『星の輝き』です」
 
そしてマイナスワン音源の前奏が始まる。しかし知ってる曲だからいいけど、結局ぶっつけ本番だ。
 

前奏に続き歌い出す。本来はタイガーとレオパルドは三度唱をするのだが、レオパルドの中の人はどうもそういうのは分からないようで、メロディーのオクターブ下を歌い出した。私はメロディーを本来の高さで歌うので結果的に八度唱になった。
 
そして歌っていて気付いた。
 
この声は政子だ!!
 
でも・・・政子って音感悪いぞと思う。結構音が外れている。
 
これって、最後はもう若い女の子なら誰でもいいって感じでその辺にいた子を捕まえたのではないかという気がした。
 
政子の音の外れ具合を聴いて、PAさんが政子の分の出力を下げた。私の声が主として響くので、音が外れているのが少しは目立たなくなる。
 
でも政子も歌詞はちゃんと覚えているようで、それは間違わずにきれいに歌いきった。
 

2曲目、バラード調の劇中歌を歌う。
 
やはり八度唱するのだが、ここで私は気付いた。
 
政子って・・・・確かに音の出だしは、ずれているのだが、長い音を伸ばしていると、次第に正しい音に近づくのである。音の出だしが半音近くずれていても、伸ばしている内に2〜3ヘルツ程度のずれまで縮まる。特に全音符とかになると最後は完全に正しい音に合ってしまう。
 
つまりこの子は、耳音痴ではないのだ。
 
歌い慣れていないから、自分が思っている通りの音を出すことができない。
 
しかし耳の音感は良いので、自分で歌っている内にちゃんと正しい音に近づいていく。しかし、こういうゆっくりとした曲ならいいが、さっきの主題歌のようにテンポの速い曲では、正しい音に合わせる前に次の音に行ってしまうから、音が外れっぱなしになるのだ。
 
こういう子はたくさん練習すれば次第にうまくなる。
 
しかも政子はリズム感は良いようで、拍はほとんど外さない。
 
政子ってちょっと面白い素材だなと私は思った。
 

ショーの中でのトークのようなものは実質司会者さんが全部しゃべってしまうし、アクションシーンに関しては、ほんっとに適当にやらせてもらった(政子の身のこなしが結構良いことに私は気付いていた)。
 
そして最後に今年のエンジェル・リリー・シリーズ《リリー・ファイブ》の主題歌をふたりで一緒に歌って、ショーは終了した。
 
私たちは控室に戻ると着ぐるみをつけたまま政子と握手した。
 
それから試着室のような感じでカーテンで仕切られたボックスに入って着ぐるみを脱ぎ、汗を掻いているので下着まで全部交換した上で、すぐに荷物の中に入れていた、弥海砂っぽいツインテールのウィッグをつけた。更に大急ぎでメイクして「冬彦」の顔とは違う印象にする。
 
それで試着室から出たが、あまり彼女に顔を見られないように、わざと窓際に椅子を置いて座り、窓の方を向いてお化粧直しをしている風を装いながら少しお話しする。
 
「こちらの地元の方ですか?」
「いえ、旅行者なんですけどね。買物に来てたら『あ、君なんか感じいいね。ちょっと来て』と言われて連れてこられたんです。でいきなり着ぐるみ着てと言われて。で、やれば分かるからと言われてステージに押し出された」
 
やはりもう適当に捕まえたんだ!
 
「なんか名刺もらっちゃったー」
 
と言って政子が見せてくれた名刺には
『○○プロダクション 正規嘱託職員・はらちえみ』
と書かれていた。
 
はらちえみってどこかで聞いた名前だなと思ったが、私はこの時、1年半前にエピメタリズムのマネージャーとして東京で会った人であるとは思い出すことができなかった。
 
これは須藤さんと政子の、多分初めての出会いだったと思うのだが、どちらもこの時のことは覚えていないようである。須藤さんは多分政子を福岡の女の子と思っていたろうし、政子も多分須藤さんを博多のイベント事務所のスタッフか何かと思っていたろう。まあ、どちらもそんな細かいことを覚えているような性格ではない。政子がこのことを思い出すと、一緒に歌った相手が女装の私だったことにも気付く危険があるので、この話の付近には触れないのが安全だ。
 
なおエピメタリズムはこの年の春に解散し、それにともなって須藤さんは○○プロを辞め、△△社に移籍していた。しかし○○プロの嘱託としての籍を残っていて、しかも独断で○○プロの関連会社・雀レコードの名前でCDを制作する権限も持っていたのである。ビリーブ、桐野村雨、エピメタリズムといったアーティストのマネージャー(兼プロデューサー)を無難に務めてきた実績で、そういう大きな権限を与えられていた。
 
まあローズ+リリーが最初で最後の大トラブルだったかもね!?
 
UTPを設立した後、スタッフが増えて私たちの事務処理は実質、甲斐窓香さんがするようになった後も、アウトバーンズはうまく売り出して、一定の人気を獲得することに成功している。
 

私は政子としばらくおしゃべりした後で、
 
「あ、忘れ物」
と言って部屋の外に出る。
 
それからうまい具合に廊下で捕まえたイベントスタッフさんに私のバッグとキーボードを持って来てくれるように頼んだ。それを受け取り御礼を行ってから私は建物を出てバスで博多駅に向かった。
 
丸花さんに電話して、レオパルドが実は知り合いだったので、自分の正体がバレない内に帰ると伝えたら向こうは大笑いしていた。
 
「でも、レオパルドの子、センス良かった。歌は下手だったけど」
「友人なんですよ。でも彼女、私の女の子ライフを知らないから」
「それはカムアウトすべきだね。それで君たちデュオで売り出さない?」
「そうですね。その内」
 
そういう訳で、実は2007年8月1日は、ローズ+リリーの記念すべき初ステージだったのだが、このことを知っているのは、私と丸花さんの2人だけである。
 

その日の夕方16時半の《のぞみ》で私は東京に帰還した。幸いにも新幹線はちゃんと東京まで動いてくれた。一方の政子は、のんびりしていたら博多駅で新幹線が運行を見合わせていると言われて途方にくれたものの、夜行バスが動いていたので、それに飛び乗り、本来東京まで14時間で着くはずのところを高速道路の速度規制で大幅に遅延し、20時間掛けて何とか東京に辿り着いたらしい。
 
政子がくたくたになって東京に戻ってきたのが8月2日の午後だが、翌日3日と4日は、私も政子も入っている高校の書道部のキャンプが予定されていた。
 
台風が心配されたのだが、台風は日本海側の方に行ってしまい、関東方面はすこぶる天気が良かったので、予定通り行うことになった。そしてこのキャンプで、とうとう私は政子に女装させられ、そのまま女子のバンガローに女の子として泊まることになってしまう。
 

翌朝、御飯を食べた後、思い思いに時間を過ごしていた。政子は花見さんとふたりでお散歩に行ったし、このキャンプで急速に仲良くなった谷繁さんと静香さんは何やらお話ししている。男子数人は釣りに行き、1〜2年の女子はフリスビーをしていた。
 
その時、私は唐突に曲のメロディーが浮かんできた。
 
五線紙を先日からの作曲作業で使い切ってしまい、持っていなかったので紙に線を引いて簡易五線紙を作り、そこに浮かんできたメロディーを書き留めて行った。ああ。先日買った電子キーボードがここに欲しいと思ったものの、持って来てない。仕方無いので携帯で使えるピアノ・アプリを探してそれで音を確認して行く。
 
私はその時、ふと携帯のストラップに付けていた鈴が減っていることに気付いた。この携帯は6月下旬に母に買ってもらったもので、その時、幸せの鈴とかいって、小さな鈴が7つ付いたストラップを付けてもらったのである。元々は伯母の若山鶴音さんが送って来たものらしい。何かのイベントの記念に作ったものとか言っていた。ところが、今付いている鈴は5個だ。
 
どこかで落としちゃったのかなあと思ったが、仕方無い。小さな鈴だし外れやすいのだろう。
 

30分ほどで曲は完成したものの、私はこれに歌詞を付けたいと思った。それで悩んでいた時、ちょうど遊歩道から政子が花見さんと一緒に戻ってきた。その姿を見た瞬間! 私は歌詞を思いついたのである。
 
流れるように「やってくる」歌詞を大急ぎで書き留める。こういう時の感覚というのは、曲の場合もそうだが、ほんとにリアルタイムでイメージの塊が押し寄せてくる感じ。私はそれをできるだけそのままの形で歌詞や曲として記録していくのだが、最初のあたりに書いたのは正確に記録しているものの、後の方で記録したものは、けっこう自分の頭で補ったり、あいまいなものを適当に「どちらか」に当てはめてしまっているものもある。例えば船だったか飛行機だったか記憶が曖昧な所を船ということに決めつけてしまうのだ。
 
タロットの中で多くの人に愛用されている「ライダー版」というのがあるが、これの絵を描いたパメラ・コールマン・スミスという画家が、私と同じようなことを言っている。あのタロットの素敵な絵はそのようにしていわばチャネリング的に彼女のイメージの源泉から切り出されたものだが、彼女が元々舞台美術をやっていたことから、劇のワンシーンのような絵が多くなっている。恐らくストリーミング的な記憶を絵に固定する段階で曖昧な部分を自分が慣れ親しんでいるものに置換してしまっているのだろう。
 
そのようにして、芸術作品には個性が入る。
 

政子は私が書いた詩を見ると
「これ私が書いた詩みたい!」
と言った。
 
「でもこの詩、何ヶ所か気持ち悪い所ある。直していい?」
「いいよ」
 
それで政子に添削してもらうと、私がうまく表現できなかったような箇所を彼女はうまく表現していく。彼女は上っ面の文字を見ているのではなく、私が感じたイメージの源泉そのものを読み取って、それに合わせて歌詞を修正してくれているかのように思えた。
 
「政子凄いよ。ボクが言いたいと思っていたことをきれいに表現してる」
「ふふふ。私は天才ですから」
「うん。天才だと認める」
「でもこのボールペン、凄く書きやすい!これ私にくれない?」
「うーん。まあ政子ならいいか」
 
その時使っていたボールペンは春先に買った4000円ほどするボールペンだったのだが、その後政子が永きにわたって使うことになる。
 
なお、この時、私と政子が名前で呼び合っていたのは、私が女装させられていて「女の子同士だから名前で呼び合おう」というのを守っているからであった。政子はその問題を指摘する。
 

「冬子、ずっと女の子の服のままでいるのは、やはりそういう格好が気に入ったのね?」
「え?だって、ずっとこの格好でいろって言われたから」
 
「じゃ、その服そのまま、おうちまで着ていけばいいよ。それ冬子にあげたしね」
「えー!?」
 
それで私は電車で東京に戻る時もずっと女の子の格好のままで、東京駅で解散した時も、チュニックとプリーツスカートのままであった。
 
その日は父が休みで自宅にいるので、この格好のまま帰宅するのはやばいかなと思い、私は絵里香さんの家に寄ることにした。
 

「おお。冬がとうとう女装外出に目覚めたか」
と絵里香さんは言った。
 
「違うんですよ。それよりインターハイ優勝おめでとうございます」
「ありがとう」
 
絵里香さんの出場した女子1500mは2日に予選、3日に決勝戦が行われた。それで今日の朝の便で東京に戻ってきたのである。
 
「台風凄かったみたいですが、大丈夫でした?」
「全然大丈夫じゃない。無茶苦茶風が強くてさ。私の時は大丈夫だったけど、400mではテントが飛ばされてコースに入ってレースが中断、やり直しになったんだよ」
 
「1500mのやり直しよりはマシですけど、400mもやり直し辛いですよ」
「ほんとほんと。1500mでも、やはり体重の軽い選手は飛ばされたり向かい風に向けて走れなくて、苦労してたみたい。冬が出ていたら飛ばされてメリーポピンズ状態になってたね」
「怖いレースですね」
 
「だから何が何だか分からない内に、このレース本当に成立するのかなと思っている内にゴールして、あんたが1番と言われたからびっくりしたよ。もう混沌としていて、どこが先頭か分からない感じになっていたんだよね」
 
「1500mで周回遅れが出たんですか?10000mなら分かるけど」
「だってまともに走れないんだもん。立ち止まってる選手もいたよ。優勝はしたけどちょっと不本意。3000mにも出る子たちは5日6日にあるから、そちらでスッキリさせたいと言ってたけど、私は3000mは代表になれなかったから」
 
「3000mは都大会が3位でしたもんね。でも、逆にその凄まじい状況での優勝は価値が高いと思う。金メダルもらったんでしょ。見せてくださいよ」
「うん、これ」
 
と言って、絵里香さんは金色に輝くすてきなメダルを見せてくれた。
 
「冬だったら触ってもいいよ」
「いいんですか? 凄いなあ、いいなあ」
「あんた陸上に復帰する?」
「さすがに無理です。これは鳥か何かデザインしたものですか?」
「鳥にも十字にも見えるよね。佐賀県の地図を図案化したものじゃないかって別の選手が言ってた」
「へー!」
「考案者は佐賀県内の女子高生らしいよ」
「わぁ、自分がデザインしたものがこうやって使われるって嬉しいですよね」
「うんうん。これ中身は有田焼なんだよ」
「さすが佐賀県!」
 

「で、なんで冬は女の子の格好なわけ?」
「実は・・・」
 
と言って書道部のキャンプに行っていて、女の子たちに面白がられて女装させられ、そのまま自宅まで戻りなさいと言われたということを言う。
 
「男の子の服を取り上げられたの?」
「いえ。持ってますけど」
「だったらトイレとかで着替えればいいじゃん」
 
「でも女の子の格好では男子トイレに入られないし、女子トイレに入ると男の子の格好に戻った後、女子トイレから出られないし」
 
「うーん・・・・。冬はたぶん、男の子の服を着たまま女子トイレに居ても全然問題にされないと思う」
 
「通報されますよ!」
「冬、女子トイレ使ったことないの?」
「あ、えっと・・・・」
 
「冬もそろそろ自分に正直に生きるべきだと思うけどなあ」
 

「でも女の子の格好でずっと外を歩いていてどうだった?」
「恥ずかしかったです」
「嘘嘘。全然恥ずかしがってないじゃん。楽しくなかった?」
「うーん。そういう感覚はないなあ。正直に言うとむしろ落ち着く感じかも」
 
「それはつまり君が男の子の服を着るより女の子の服を着る方が合っているということなんだよ」
 
「それは自分でも少し考えたことあります」
「女の子の服を着て興奮したり楽しくなる人は女装フェチ、落ち着く人はGIDだと思う」
「そうかも知れません」
 
「それにスカート穿いて歩くの気持ちいいでしょ?」
「風が入ってきて涼しいです。夏はいいかも」
 
「よし。君はこのまま女の子の格好でおうちに帰りなさい。男の子の服は私が処分しておいてあげるから」
 
「えーー!?」
 
その後、私は絵里香さんの家で、絵里香さんの好みの服を何種類か着せられ記念写真!?も撮られた上で、最後はどうにか男の子の服に着替えさせてもらって、それから帰宅したのであった。でも下着は女物でもバレないよねと言われて、絵里香さんがわざわざ用意してくれていた真新しいブラとショーツのセットを付けさせられての帰宅になった。私の男物の下着は本当に廃棄されちゃったようである!
 

翌日、8月5日はドリームボーイズの横浜エリーナ公演であった。私は朝から普通のTシャツと短いスカートという格好で「行ってきます」と言って堂々と両親が座っている居間のテーブルのそばを通り抜け、出かけた。母は少ししかめ面をしていたが、父はたぶん姉が出かけたんだと思ったと思う。ちなみに休日は姉は間違いなく昼くらいまで寝ている。
 
新横浜駅で降りて会場に行く。バックドアパスを見せて裏口から中に入り、久しぶりに会ったダンサー仲間たちと交歓する。振り付けを確認し、それからドリームボーイズの人たちと一緒に午前中はリハをした。
 
その後軽食をとってから少し休む。私は仮眠していたが、起きたら顔にいたずら描きされていて消すのに苦労した! 夕方4時に開場してお客さんを入れる。広い横浜エリーナの席がどんどん埋まっていくのを見るのは快感だ。
 
「蔵田君さあ、年明けに関東ドームでやらない?」
と前橋さんが言う。
 
「そんなに入りますかね?」
「入る入る。このイベントも17000席が30分で売り切れている。レコード会社からも、もっと大きな箱でやっても良かったんじゃないかと言われたんだよね」
 
「ドームだと幾ら入るんですかね?」
「過去にジャニーズの人気デュオのイベントで67000人入れたことがある」
「すごっ!」
 
「でも普通は外野席側にステージを設営するから4万人くらい。実際には花道とかサブステージとか作って3万人くらいで満員ということにしているアーティストが多いね。でもドリームボーイズなら5万行くと思う。ファン層の年齢が高くなってきているから経済力のあるファンが増えているんだよ。そういう人たちは、ふつうのホールとかでコンサートやるより、ドームとかでお祭り的に開催する方が来てくれるんだ」
 
「ファン層の高齢化というのはある意味、ゆゆしき事態だな」
と蔵田さん。
「まあ、それはどんなアーティストでも仕方無い」
と前橋さん。
 
「孝治が高齢化してるんだから仕方無いじゃん」
と樹梨菜さん。
「お前だって高齢化してるじゃん」
「私、まだ20歳だけど」
「中学生から見たら充分おばちゃんだな」
 
こんな遠慮無いやりとりができるのは、このふたりだけだ。
 

ライブは18時から始まった。
 
今年のバックダンサーの衣装はダイコン!であった。全員顔まで真っ白に塗られて、本当にダイコンの葉っぱで作ったスカート(しおれないように適宜水を吹きかけていた)で踊ったが、激しいアクションなので、特にアクロバット的な動きをする、私と樹梨菜さんのスカートはかなり傷んで、適宜新しい葉も補給しながらパフォーマンスをしていた。
 
幕間の休憩時間に楽屋に戻ったら、懐かしい顔がある。
 
「お疲れ様〜」
「ゆまちゃん、お疲れ〜。最近忙しいみたいね」
「うん。Lucky Blossom、凄い好調」
「良かった良かった」
 
「でも相変わらず、ひっどいコスチュームだね」
「まあ、いつものことだよ」
 
鮎川ゆまは以前ドリームボーイズのダンスチームに居たのだが、昨年秋Lucky Blossomというバンドを編成して12月にデビュー(ゆまはサブリーダーで主たる作曲者でもあるもよう)。インストゥルメンタルのアルバムとしては異例の8万枚/DLのセールスをあげて、人気バンドとして活躍し始めた。
 
「先月出した『Riverside Walk』も初動で4万来たんだよね」
「それは凄いな」
 
「ゆまさん。『Riverside Walk』のラストの『走る鼓動』って曲だけど、あれ、Sakiさんの作品?」
と私は訊いた。
 
「ううん。違うよ。Sakiの作曲ペンネームは招猫」
「じゃ、ゆまさん?」
「違うよ。私は神楽。大裳はちょっとうちのバンドと関わりのある女子高生なんだよ」
 
Lucky Blossomの楽曲の作曲クレジットは、神楽・福助・熊手・招猫・絵馬・釜鳴・大裳・逆鉾・螺旋などといった名前になっていて、各々が誰なのかということは公表されていない。ファンサイトでは恐らく大半はLucky Blossomのメンバーであると考え、どれが誰かというのを推測しているが意見の食い違いも多いようである。福助がおそらくリーダーのDragon(河合龍二)さんで、神楽がサブリーダーのAyu(鮎川ゆま)だろうというのは、多くのファンサイトの意見が一致するところである。
 
「やはり高校生だったんだ!」
「どうして?」
「作品の雰囲気から作曲者は女性だろうとは思ったんだけど、作品が凄く若いんだよね。荒削りだし。だからもしかしたら10代の人ではとはいう気がしたんだけどね」
 
「ちょっと不思議な雰囲気の子だよ。髪が腰近くまであって。神社の巫女さんなんだって。龍笛が物凄く巧い」
「へー!」
 
と言いながら笛が巧いというので、私は唐津でお囃子の笛を美事に吹きこなしたバスケガールのことをチラっと思い出したのだが、この時、それがまさか大裳本人だったとは思いもしなかった(バスケガールは髪も短かったし)。そのことに気付いたのは、10年以上先のことである。
 

「ところで、ゆまはこの後はスケジュール入っているか?」
と蔵田さんが訊く。
 
「いえ。特に。客席の方で後半を聴いてから帰るつもりです」
「よし。だったら、お前ダンサーやってけ」
「えーーー!?」
「顔はもちろん白塗りな」
「うっそー!」
 

ドリームボーイズの公演の翌日、8月6日はこの週から補習が始まるので学校に出て行った。私はいっそ女子制服で出て行こうかなとも思ったものの、結局その勇気は無くてワイシャツ姿で出て行った。
 
この日、補習終了後、私は政子のいる1年3組の教室に行き、彼女を廊下に呼び出してもらった。政子は通学用の鞄を持って出て来た。それでふたりで廊下を歩きながら話すことになった。
 
「あの服全部あげるとは言われたけど、下着は返すよ」
と言って私は洗濯した政子の下着を紙袋に入れて返す。
 
「これ舐めたりしても良かったのに」
「どういう趣味!?」
「啓介は私の下着勝手に持っていって、舐めたりオナニーに使ったりしてるみたいよ」
「理解できないなあ」
 
政子は花見さんに肌に触られるのも嫌という(服の下に手を入れたらぶん殴ってしばらく口も聞かなかったらしい)癖に、下着はそんなことされても平気なようだ。「だってただの物じゃん」と彼女は言う。政子は間違い無く私より遥かに強い霊感を持っているが、結構な唯物論者っぽい。
 
「女の子の使用済み下着って男の子は興奮しないの?」
「興奮するものなの?」
「やはり唐本君って実は女の子なのでは?」
 
そんなことを言われて私はドキッとした。
 
「先月末くらいからさ。なんか唐本君が女の子になって私とおしゃべりしてる夢を幾度も見たんだよね」
「へー!」
 
「唐本君が女の子になって、私と一緒に電車に乗っていたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒にアイドル歌手になって歌ったり」
 
それは全部現実だ!と私は焦る。
 
「さすがにお風呂には一緒に入れないな」
「そうだね。おっぱい無いみたいだし、おちんちんあったら女湯には入れないだろうし」
と言ったまま、政子は何か考えている。
 

私たちはそのまま生徒用玄関を出て、校門の方へと歩いて行った。
 
「ね。唐本君って呼ぶのに私抵抗を感じる。女の子同士の友だちに準じて、取り敢えずふたりだけの時は名前で呼び合わない?」
 
「いいよ」
 
「じゃ、私は冬子って呼べばいいかな?」
「うーん。。。。冬くらいで」
「了解。冬ね」
「じゃ、ボクも中田さんのことは政子って呼ぶよ」
「OKOK」
 
私が政子のことをマーサと呼ぶようになるのは、翌年の春からである。
 

結局そのままふたり一緒に校門を出て駅まで行く。途中、弓道部の練習で校庭をジョギングしていた奈緒と目が合い、お互いに手を振った。
 
「あれ?ガールフレンドか何か?」
「ううん。ただの友だちだよ。小学校以来の」
「へー」
 
と言って政子は少し考えている。
 
「冬って、実際女の子の友だちが多いよね」
「前にも言ったけど、ボク、男の子の友だちなんてできたことないよ」
「やはり、冬って実質女の子なんじゃない?」
 
私は微笑んだ。
 
「そんな気がすることもある」
「こないだの女装、凄くはまってた。いっそ学校にも女子制服で出て来ない?」
「それは無茶だよ」
「そうかなあ」
 
途中の駅まで一緒に電車に乗っていく。乗り換え駅で本当は別れる所なのだが、何となく別れがたくて、いったん外に出てふたりでお散歩した。
 
「お風呂には一緒に入られなくても、一緒に歌うのはいいかもね」
と政子は唐突に言った。
 
「ボク、歌うの好きだよ」
「私も実は歌うの好きなんだ。でも凄く下手なの」
「下手なのは練習すればうまくなる」
「ほんとに上手くなると思う?」
「保証する。マーサが上手くならなかったら、おちんちん切ってもいい」
「実は切りたいのでは?」
「どうかな」
「ふーん。否定しないんだ?」
 
と言って政子は楽しそうに私を見た。
 

その時である。
 
「あ、君たちだよね。確かマイちゃんとユーちゃん」
と私たちに声を掛けてきた男性がある。
 
「はい?」
「マーサとフユかな」
 
「そんな名前だったっけ。ごめんごめん。こちらに来て」
「いったい何ですか?」
「話は聞いてるでしょ? こっちだから」
 
と言われて私たちは訳が分からないまま引っ張って行かれてしまった。
 
行くと商店街の一角にギターとベースとアンプ・スピーカーが置かれている。
 
「じゃ、よろしく」
「ここで何をすると?」
「街頭ライブするんでしょ? 警察に見つかる前にやれるだけやりたいから、すぐ始めて」
 
と言われる。これ誰かと間違えられているのでは?と思ったが、折角だしやっちゃおうか?と政子と目で会話した。
 
「ボクがギター弾くからマーサ、ベースを弾いてよ」
「こんなの触ったことないよ」
と言う政子に、私はド・ファ・ソの3つの音だけ教える。
 
「ボクの足を見てて。ボクが足をくっつけていたらド。横に開いていたらソ、縦に開いていたらファ」
 
「あ、それなら何とかなるかも。曲は?」
「津島瑤子の『See Again』分かる?」
「あ、歌えると思う」
「じゃそれで」
 

それで私と政子はギターとベースを弾きながら、突然の街頭ライブをしてしまったのである。
 
一方その頃、私たちが男性に声を掛けられた場所の近くに、可愛いペアの服を着た女の子2人が来て、キョロキョロとあたりを見回していた。
 
「どうしたんだろ?」
「私たち遅刻しちゃった?」
「電車が遅れちゃったからね」
 
などとふたりが話していた時、そこに40代くらいの女性が話しかけてきた。
 
「あなたたち、誰か人でも探してるの?」
「はい。昨日、拝島駅前で路上ライブしてたら、はらちえみさんって人に声を掛けられて、もっと街中でやろうよと言われてギター・ベースも用意しておくからと言われて午後2時に待ち合わせていたのですが・・・」
「途中人身事故があった影響で電車が遅れちゃって」
「来たのが2時2分くらいだったんですよね」
 
「あなたたち、歌うの?」
「はい。実はあまり楽器うまくないんですけど歌は好きです」
 
その女性は少し考えているようだった。
 
「あなたたち、ちょっとうちに来ない? あ、そうそう。これ私の名刺」
と言って、彼女は「卍卍プロダクション」という肩書きの入った名刺を出した。
 
彼女たちはこの後、1年ほどのレッスンを経て、2008年9月にドッグス×キャッツの名前で歌唱デュオとしてデビューする。
 
しかし彼女たちのキャラはローズ+リリーと完璧にかぷっていた。またデビュー曲の『イト・レインズ・ドッグス×キャッツ』はティーンズ向け化粧品のCMとのタイアップだったのが、その化粧品に有害成分が含まれていることが分かり回収騒動になったのも不運だった。
 
それで彼女たちは数億円掛けての大々的なデビューであったにも関わらず全く売れないまま消えていくことになる。一方のローズ+リリーは契約金でさえもらっていないのに、爆発的に売れていく。
 
私たちと彼女たちの運命を分けたのは、1つの人身事故であったのかも知れない。
 

一方、私たちはさきほどの場所で別のドラマが進んでいたとは知るよしも無いまま、路上ライブを続けた。歌は『See Again』の後、先日のキャンプでふたりで作った『あの夏の日の想い出』(後に『あの夏の日』のタイトルで音源化)、『ふたりの愛ランド』(この曲は元々ハ長調の曲)、『ドレミの歌』(強引にC,F,G7だけで演奏した)と歌っていく。
 
最初始めた頃は通り行く人たちがチラっと見ていくだけだったのが、次第に足を留めて聞き始める人が出てくる。『ふたりの愛ランド』を歌う頃には、完全に人だかりができていて、手拍子まで打ってくれる人たちが出ていた。
 
更に『夏祭り』(短調の曲だけど強引にC,F,G7だけで演奏した!)を歌い、『少年時代』を演奏している途中で警察がやってきて、ゲリラ街頭ライブはそこで終了となった。
 
私たちをここに連れてきた男性は、
 
「ありがとう。きみたち良かったよ。後で連絡するね。だけどユーちゃんってまるで男の子みたいな声なんだね。じゃ、またあとで」
 
などと私たちに言っていた。もっとも彼が知っていた連絡先というのは須藤さんが聞き出していた、マイとユーの連絡先で、彼女たちは別のプロダクションにもうスカウトされてしまっていたので、この線はそのまま消えてしまったのである。
 
それでも私たちは人前でライブをするという経験に興奮し、この後、音楽活動への情熱を高めていくことになる。
 
なお、この男性は○○プロの山本さんという人だが、この人は2008年秋に退職して地元の秋田に帰り、イベント運営会社を創業したものの、数年で倒産してしまったようである。
 

政子は
「男の子みたいな声って、冬は男の子だしね」
と言った。
 
「まあそうだね」
「ね、女の子の声を出す練習してみない?」
「なんで〜?」
「だって男女デュオより女声デュオの方が売れるよ」
「まあそうかもね。でもそしたら、誰か他の女の子を誘ったら?」
「私は冬がいい」
 
ちょっと心がジーンと来た。
 
「でも男なのに女の声なんて、出るの?」
「出るんだよ。知らない人多いんだよねー」
「へー」
「今度、そういう本を持って来てあげるよ」
 
と政子は言っていたが、すっかり忘れてしまっていたようで、私が政子から女声の発声法の本を見せてもらったのは翌年の夏である。
 
なおこの時の街頭ライブは、私が男声で歌っているので、私の見解としては、ローズ+リリーのライブではない。私の見解としての最初のローズ+リリーの街頭ライブは2008年7月29日である。
 

私と政子は翌週の月曜日、8月13日にあらためてカラオケ屋さんに行き、私はまたまた女装させられて!? ふたりでたくさん歌を歌った。その時、私は先日政子が「これちょうだい」と言って持っていったボールペンの由来を説明する。中学時代に野球部でピッチャーをしていた真央という友人と一緒に買ったものであると言うと
 
「野球部のエースかあ。凄いボール投げるんだろうなあ。旋風を起こして」
と言ってから、突然言葉が止まった。
 
「どうしたの?」
「このボールペンに名前付けちゃおう。《赤い旋風》って言うの」
「へー!格好いい」
 
赤い旋風というボールペンはその名前が象徴するように、心を鼓舞する効果が大きい。このボールペンに出会う前の政子は救いようがないほど暗い詩、読んだだけで気分が憂鬱になるような詩ばかり書いていたのが、このボールペンと出会ってから、かなり楽しい詩、ポジティブな詩を書くようになったのである。
 
ずっと後に、私たちの間の娘、あやめが生まれてから、試しにあやめにこのボールペンを貸して詩や曲を書かせたら、ハイテンポのハードロックのような曲ばかり生まれた。要するに、このボールペンは普通の人にはパワーが強すぎるのであろう。政子の性格には本当にピッタリしたボールペンだった。
 
青葉は《赤い旋風》は私と政子の曾孫に受け継がれることになるよと言っているが、私は自分の曾孫の顔を見られるまで生きている自信が無い。
 

このカラオケ屋さんで歌った日、政子はカラオケ屋さんでラーメンを6杯半、その後更にラーメン屋さんに入って3杯と3分の2、合計で10杯と6分の1ほどと、おにぎり3皿にチャーハンまで食べた。私は政子の胃袋を解剖してみたい気分になったのだが(きっと内容物で私は押しつぶされてしまうだろう)、ラーメン屋さんを出て、駅まで散歩しながら帰ろうと言って歩いていた時、突然立ち止まった。
 
「どうしたの? お腹の調子大丈夫?」
とさすがに私は心配して訊く。
 
「うん。今晩何を食べようかなと思って」
 
あれだけ食べた上で、晩御飯が入るのか!?
 
「今夜、うちのお母さん親戚んちに行ってるんだよね。5000円渡されて何か適当に買って食べときなさいって言われたんだけど」
 
普通なら女の子の晩御飯を買うのに1000円もあれば充分という気がするが、5000円渡しておかないと「足りない」のが政子なのだろう。でも今日は割り勘で私もカラオケ屋さんで4300円とラーメン屋さんで750円払っている。政子も5000円きれいになくなっているのでは?と思った。
 
「だけど政子、カラオケ屋さんとラーメン屋さんで合わせて5000円くらい使っちゃったんじゃない?」
「あれは、おやつだし」
「お金はまだ大丈夫?」
 
「幾ら残ってるかな」
と言って財布を出して数えている。
 
「5千円札1枚と千円札が15枚あった。こないだキャンプ行ったし、その前に実はちょっと長崎のお祖母ちゃんちに行ってきたんだよね。その時に預かってた、お小遣い余ったのをまだ返してなかった」
 
なるほどねー。
 
「冬は今どのくらい持ってる?」
「うーん。3万くらいかな」
「結構持ってるね!」
 
「こないだバイトの給料もらったばかりだから」
「あ、そーか。ハンバーガー屋さんのバイトしてるんだったね」
「うん」
「私も食べ物屋さんのバイトしたいなあ」
「政子はすぐ首になりそうな気がする。時間が経って廃棄しないといけなくなったの、もらえるってんで、大量に廃棄品を生み出したりして」
「うっ・・・やりそうで自分が怖い」
 

「私に合うバイトって何だと思う?」
「そうだなあ。旅行番組のレポーターとか。美味しい御飯食べられるよ。政子って食べてる時、ほんとに美味しそうな顔して食べてるから行けると思う」
 
「ああ。そういうタレントさんもいいな」
「政子、美人だし」
 
「冬も美人だよね」
「男の子はあまり美人と言わないかも」
「今日みたいに女の子の格好してればいいんだよ」
「そうだなあ。でもこういうの嫌いじゃないよ」
「やはりね。また女装しようよ」
「それもいいけどね」
 
「冬も女装で、音楽番組の司会とかしたらどうだろ。冬って気配りがいいから司会とかできると思うよ」
「でもストレス多そう」
「かもねー」
 
実際には次に私が女の子の格好で政子と会うのは、翌月中旬、植物園に行った時である(『花園の君』を書いた時)。
 

その時、政子の携帯が鳴る。政子はバッグから携帯を取り出して「はい」と返事した。
 
「あ、お母さん? うん。学校が終わってから少し友だちと遊んでた。もう少ししたら帰るよ。うん。何かお総菜でも買って帰る」
 
私は彼女が通話している時、そのストラップに取り付けてある鈴に注目した。私の携帯に付けているのと同じタイプかな? 但し付いている鈴は1個だけである。
 
通話が終わった所で
「政子の携帯に付けてる鈴、私のと同じタイプだね」
と言って、自分の携帯も見せる。
 
「あ、ほんとだ。お揃い、お揃い」
「もしかしたら同じお店で買ったんだったりして」
 
「あ、この鈴、実はこないだのキャンプの時、バンガローの床に落ちてたんだよ。それで可愛いから、理桜ちゃんに頼んで取り付けてもらった」
 
なるほどー。まあ確かに政子にこういう工作ができるとは思えん。しかし床に落ちてたってことは・・・・。
 
「床に落ちてたっていつ?」
「バンガローを引き払う時」
「私の携帯から落ちてたんだったりして」
「あ、そうかも! だったら返した方がいい?」
 
「ううん。お揃いになるから、それでいい」
「うん。じゃ、このままで」
 
7つあった内2個が落ちて、その1個は政子が持っていたのか。残り1個はどこで落としたんだろう。
 
「何かいい音するよね、この鈴」
と言って、政子は鈴を振る。
 
その音を聴いた瞬間、私の頭の中に突然メロディーが浮かんだ。
 

「政子、五線紙とか持ってないよね?」
 
「あ、これ代用品にならないかな?」
と言って政子が出したのは、グラフ用紙だ!
 
たしかに、いっぱい線が引いてあるから使えるかも!?
 
それで私は政子にもらったグラフ用紙を五線紙に見立てて、今浮かんできたメロディーを書き留めて行った。
 
「スイスイ書いてるね」
「政子が詩を書いている時と似たような状態だと思う。曲が流れてくるんだよ。だからそれを急いで書き留めないといけないんだ」
「へー。でもボールペンを使うのはなぜ? 鉛筆の方が修正しやすいのに」
 
「修正しにくいボールペンで書くからイメージが定まるんだよ。あやふやなものをあやふやに書き留めたらダメ。明確に書き留めることで、自分のものになる」
 
「なるほど。その感覚は分かる気がする。私も《赤い旋風》を使わない時でもボールペンで詩を書こうかな」
 
私は15分ほどでそのメロディをほぼ全部書き留めた。
 
「なんかそれ楽しい感じの曲だよね」
と政子が言う。
 
「あれ?政子、楽譜が読めるんだっけ?」
「全然。でも冬が書いたのを見ると、その雰囲気は分かるよ」
「へー」
「それに歌詞を書いてあげようか?」
「うん。よろしく」
 
「でも道路で書くのはね〜」
「じゃどこかカフェにでも入ろうか? ここ確か少し行った所にサンマルクがあったよ」
 
「そうだなあ。カフェより焼肉屋さんがいいなあ」
「ラーメン10杯も食べたのに焼肉が入るの〜?」
 
私はさすがに政子のお腹は日本海溝より底が知れないと思った。
 

その時、クラクションの音がする。見るとルビーブラック色の巨大なベンツが停まっていて、運転席から50代くらいの男性が顔を出して
 
「冬ちゃん、冬ちゃんだよね?」
と声を掛けてくる。
 
「兼岩会長!」
 
それは松原珠妃が所属しているζζプロの兼岩源蔵会長であった。
 
「おはようございます。どうもご無沙汰しておりまして済みません」
「おはよう。今日は何だか可愛い格好してるね」
 
ここで兼岩さんは、私が政子に着せられた超キュートな服を着ていることを言ったのだが、政子には私が女装していることを指摘されたように聞こえたと思った。
 
「ちょっと友だちに上手く乗せられてしまって」
「君はそういうのも似合うなあ。今高校2年くらいになったっけ?」
「まだ高校1年です」
「だったら、君、女の子のアイドル歌手としてデビューしたりしない?どこか事務所紹介するよ」
 
「それは勘弁してください」
 
ここで私は「アイドル歌手」というのは勘弁して欲しいと言っているのだが、政子には「女の子歌手」としてというのは勘弁してくれと聞こえたかなと私は思った。
 
政子が
「どなた?」
と訊くので
 
「ボクの小学校の時の先輩が歌手やっててさ。そこの事務所の会長さん」
と凄く簡単な紹介をする。
 
「へー。冬ってそんな知り合いがいたんだ?」
「君も何だか雰囲気いいね」
 
「10年後は年間100億稼ぐ歌手になっている予定の中田政子と申します」
と政子は言う。
「おお、それは凄い。僕もそういうのには一口乗りたいな」
と兼岩さんは楽しそうに言う。
 
「そうだ。立ち話も何だし、どこかに入らない?」
「実はどこか屋根のある所に行きたいねと言ってた所でした」
 
「だったら、ちょっと僕と一緒に来ない?」
「はい、ご一緒します。いいよね?政子」
「うん」
 

それで会長のベンツのリアシートにふたりで乗り込む。とってもゆとりのある快適なシートだ。テレビも付いているし、なにより座席の座り心地が素敵だ。しかし政子はそれを特に物珍しがることもなく、当然のような顔をして座っている。この子は大物だぞ、と私は思った。
 
兼岩会長が私と政子を連れて行ったのは、国立市郊外にある料亭であった。私はこんな高い店に政子を連れてきて大丈夫だろうかと不安になったが、さっきラーメン10杯食べたしいいかなと思い直す。
 
「実は詩を書きたかったんです。書いてていいですか」
と政子が言うので兼岩さんは
「うんうん」
と言って楽しそうな顔をしている。
 
それで政子がさきほど私が書いた曲につける歌詞を書いている間、私は兼岩さんとお話をする。
 
「実は君たちに会う前に、元ビリーブの天見信子ちゃんに会ったんだよ。あっこれオフレコね」
「もちろんです」
 
「天見さん、昨年の『遙かなる旅程』では大熱演でしたね」
「うん。あれで随分賞ももらったからね。もっとも本人はさすがにあの映画の撮影で消耗して、つい最近まで、芸能活動を一切停止していたんだよ」
 
「消耗するでしょう!あれは」
 
「ところがやっと活動再開するというので、テレビドラマの出演が決まっていたんだけどね」
「何かトラブルでも?」
 
「これ、明日にも報道されると思うけど、あそこの事務所が倒産したんだよ」
「あらら。全然知りませんでした」
「それで、事務所が倒産しちゃうと、彼女のドラマの仕事も飛んでしまう」
「うーん・・・」
 
「それで、彼女をうちで引き受けてくれないかというのをテレビ局から内々に打診されて、僕が取り敢えず会ってきたんだよ」
 
「そういうことでしたか」
「まあそれで話していたら結構昔話が出てね」
「はい」
 
「結局は○○プロに居た頃が一番良かったなんて言うんだよね」
「まあ、この世界は寄らば大樹の陰です」
「それが分かってるなら、冬ちゃんもぜひうちに」
「あははは」
 
「それと○○プロに居た時のマネージャーさんがやりやすかったと言うんだよね」
「へー」
 
「マネージャーにもいろんなタイプが居るでしょ。黒子型、プロデューサー型、パートナー型」
「ええ」
 
「その人は触媒だったというんだ」
 
「触媒?」
 
「マネージャーの仕事自体としてはどちらかというとマネージャー失格的な人だったらしい。でも、その人が自分たちのマネージャーとして存在していることで、物凄く日々の活力が生まれたし、自分たちの音楽も生まれていたというんだよね」
 
「へー!」
 
「当時ビリーブの音源制作は実質2人だけでやってたらしい。だからというので、○○プロ辞めた後、一時期ふたりだけで音源作りしようとした時、なんか思うように行かなくて結果的には歌手を辞めることになったらしいんだよね」
「ふーん」
 
「でも○○プロ時代、そのマネージャーさんと音源制作していると酷い音源になってしまうから、いったん向こうの言う通りにして完成ということにした後、マネージャーが帰ってから夜中にふたりだけで音源を作り直していたらしい」
 
「あはははは」
「でも修正されていても気付かない」
 
「不思議なマネージャーさんですね。無為の為ですか?」
「近いと思う。存在しているだけでいい。仕事をさせないのがベスト」
「でもそれ合う人と合わない人がいますよ」
 
「うん。それはあったみたい。あと売れる人を見分ける目が確かだったらしい」
「へー」
「だからスカウトとしても優秀」
 
「その不思議マネージャーさんは、今もまだ○○プロに居るんですか?」
「ああ、もう辞めたと聞いたよ」
「へー」
「あそこで10年近くマネーージャー業していたらしいから、疲れたんじゃないかな」
「かもしれないですね。何て名前の人です?」
「あれ? 何だったかな。名前出て来ないや。最近固有名詞の記憶が全然ダメで。僕も年かなあ」
「会長、まだ50代じゃないですか」
「うん。もっと頭を鍛えないといかん」
 

そんなことを話している内に、お料理が出てくる。
 
「これ美味しそう!」
と政子が声をあげる。
 
「ここのは美味しいよ」
「頂きます!」
と言って、張り切って食べている。よく入る!と私はもう感心して見ていた。
 
そして最初に出て来たお料理をきれいに食べてしまった頃、政子の詩は完成した。
 
「冬、歌ってみせてよ」
と言う。
 
「ああ、歌の歌詞を書いてたの?」
「そうなんですよ。でも歌っても大丈夫かな?」
「平気、平気。ここは防音性もいいから」
 
それで私はさきほど書いた曲のメロディーで政子の書き立ての歌詞を歌った。
 
「いい曲だね」
と兼岩会長が褒めてくれた。
 
「政子君と言った? 君は天才詩人だ。ちょっと普通思いつかないような言葉の使い方をしている」
 
「はい、私天才ですから」
「うんうん」
と兼岩さんは楽しそうである。
 
「ミリオン行きますかね?」
と政子が訊く。
「えっと・・・」
と兼岩さんが言葉を選んでいたので私は言う。
 
「これだとどんなに売れても3−4万枚」
「えーー!? そんなもの?」
 
「何かが足りないんだよ。ボクはその何かをまだ見つけないといけない」
と私は半ば独り言のように言ったのだが、兼岩さんは頷いていた。
 

その時、次の料理が運び込まれてきたが、一緒にこの料亭の女将が来て、
 
「兼岩様、いつもお世話になっております」
と挨拶した。
 
「いやいや、ここは居心地がいいから、つい仕事を忘れてきちゃうよ」
と兼岩さん。
 
「今日は可愛いお嬢様お二方で。歌手のオーラを持ってますね」
「うん。女将はそういうのがよく分かるよね。この子たちは5年後には年間50億売る歌手になってるから」
 
と兼岩さんが予言する。さっき政子は10年後に100億と言ったのだが、兼岩さんも政子にスター性のようなものを感じ取ったのだろう。
 
「それは凄いですね。あ、こちらお嬢様方に」
 
と言って、女将は持って来たスズランの花を1輪ずつ、私と政子の前に置いた。
 
「今の時期にスズランって珍しいですね」
「ええ。高原のハウス栽培らしいですよ。頂き物なのですが」
 
「きれーい!」
と言って、政子が花を手に取る。豪華な料理を前にして、政子が花の方に興味を持つというのは、珍しいシーンかも知れないと私は思っていた。
 
「そうだ。冬、この曲のタイトルを決めたよ」
「うん?」
「雪割り鈴」
「へー!」
 
「雪に閉ざされた世界が、鈴の音が響くことで明るい世界に変貌する」
「春を告げる歌か」
「そんな感じでしょ? 恋の始まりを歌った歌だもん」
「確かに」
 
「スズランも元々は春の花ですよね?」
と政子が女将に訊く。
 
「はい。本来は4月くらいに咲く花のようですね」
と女将も笑顔で答えた。
 
そしてその時、スズランの花が私に何かを教えてくれたような気がした。
 

「あ、そうか」
と私は唐突に言った。
 
「どうしたの?」
と政子が訊く。
 
「この曲をミリオンセラーにする方法が分かっちゃった」
「ふーん。だったら、楽曲を修正したまえ」
と政子。
 
「会長、五線紙持っておられませんよね?」
「あ、ちょっと」
 
すると女将が言う。
「五線紙でしたらございます。ここで曲を書かれる作曲家の先生が時々おられるものですから。今お持ちしますね」
「済みません」
 
女将が持って来てくれた五線紙を使って、私はその時「気がついた」やり方で、楽曲を再構成し始めた。お姉さん座りしていたのを気合いを入れるため正座に直した時、スカートのポケットに入れていた携帯が滑り落ちて、取り付けている鈴がチリーンと鳴った。
 
そしてその曲を書き上げた所で私は兼岩さんに断って蔵田さんに電話を掛けた。
 
「おはようございます。例の音源できましたか?」
「明日の午前中くらいで完成すると思う。盆明けにプレスさせる」
「ちょっと例の曲を修正したいのですが」
「えーーー!?」
「明日の朝までにスタジオにFAXします」
「自信がありそうだな」
「雪が割れたんですよ」
「何それ?」
「取り敢えず見て頂けますか?」
「うん。待ってる」
 
 
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【夏の日の想い出・鈴の音】(2)