【夏の日の想い出・夏のセイテン】(上)

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「じゃ行ってくるね」
「うん。頑張ってね」
という友人の声に送られて、彼女は手術室に運ばれていった。冷たい手術着が気持ちを少し緊張させる。まあ、死なないよね? でも死んでも本望だなあ。ただ死んだ時「○○居士」みたいな戒名は付けられたくない。お葬式は無宗教でやって欲しいな。
 
そんなことを考えている内手術室に到着し、そこで看護婦さんが髪をまとめてくれた。やがて中に入る。ストレッチャーから手術台に移される。
 
「では今から手術をします。よろしいですか?元には戻せませんよ」
という医師の声に
 
「はい。お願いします」
と答える。
 
それで医師は麻酔を打ち、手術は始まった。
 

2014年7月1日、ローズクォーツの『Rose Quarts Plays Sex Change−性転換ノススメ』
などというとんでもないアルバムがリリースされたが、その楽曲のアレンジを一手に引き受けてくれた、下川工房のヒナさんが中旬、性転換手術を受けたという話を下川さんから聞いて、私はちょうど時間も取れたこともあり病院にお見舞いに訪れた。
 
「済みません。お忙しいのにお見舞いとか来て頂いて恐縮です」
と答える彼女は顔色も良く、元気そうであった。
 
「あの楽曲をアレンジして、もう自分は男のままでいることはできないと思っちゃったんですよ。それで取り敢えず去勢だけでもしようと思ったのですが、アルバムの初動が凄かったので、バックマージンで取り敢えず100万円あげるよと社長(下川先生)から言われたので、そのお金で払うということにして、全部手術しちゃいました」
とヒナさんは語る。
 
「もしもらえなかったら大変だね」
と言って付き添っている友人の女性が言っている。
 
「その時は、春を売ってでも」
などとヒナさんが言うので
「その時は私が貸してあげるよ」
と私は言っておいた。
 
「わあ、ありがとうございます。そうならないことを祈ろう」
 
「でも世間ではこのアルバムが売れたらタカが性転換するんだよ、なんて随分言われましたけど、アレンジャーが性転換第1号になっちゃいましたね」
と友人女性。
 
「でもよくすぐ手術してもらえましたね」
「ちょうどキャンセルがあったらしくて。私、去勢手術受けるために女性ホルモンの服用を停めていたから。条件に合うのが私しか居なかったらしいんですよ」
 
性転換手術を受けるためには1年以上継続して女性ホルモンの投与を受けていることが求められる一方で血栓防止のために1ヶ月前からその服用を停止していることが必要である。
 
「でもタカさんも落ち着いたら手術するんでしょ? こんなに売れちゃうと、しばらくはあっちこっち引っ張りだこになって、手術を受けるための休暇が取れないだろうけど」
 
「それ世間では誤解されているみたいですけど、彼は性転換する意志は全く無いですから」
と私は言う。
 
「えーー!? てっきり本人も女の子になりたいんだと思ってた」
「周囲に随分唆す人もいるみたいですけど、本人は別にGID(性同一性障害)じゃないんですよ」
「じゃ、ただの女装趣味?」
「いや。単に乗せられて仕事上女装しているだけで」
「信じられない。すごくきれいになってて不自然さが無いから、元から女装していたんだと思ってた」
 
などと私たちは会話をしていた。その件では数日前にもタカの婚約者の麗(うらら)さんのグチを聞いてあげたところである。
 

「そうだ、薫。何か飲み物でも買ってきてくれない?」
とヒナさんが言う。
 
「あ、お構いなく」
と私は言ったのだが、薫と呼ばれた友人の女性は部屋を出て行くと缶コーヒーを3本買ってきて1本私に渡してくれた。
 
「ケイさんはブラックコーヒーしか飲まないと聞いたことがあった気がしたので」
「ありがとうございます。よくご存じですね」
 
薫さんはやはりブラックコーヒーを自分でも1本開けて飲むが、もう1本はヒナさんにだと思ったのに渡す気配が無い。私の視線に気づいたのか薫さんが言う。
 
「あ、ヒナはお医者さんの指示でコーヒーとかしばらく禁止なんですよ」
「ああ、そうでしたか」
「ひたすら水を飲んでます。身体を回復させるのに水分は必要みたいなので」
「じゃ、もう1本は?」
「さっき来るって連絡のあった人がいたので」
「なるほど」
 
などと言っていた時、部屋に入ってくる女性が居る。
 
「こんちわー。ヒナさん生きてる?」
と声を掛けた女性を見て、私は目をぱちくりさせる。
 
「和泉?」
「あ、冬も来てた?」
 
それはKARIONの和泉であった。
 
「知り合い?」
「うん。中学の時の先輩なんだよ」
「知らなかった!」
 

ヒナさんは中学の頃は、いつも学生服を着ていたし、性的な傾向に気づく人も少なかったらしいが《女声での歌唱》をコーラス部で一緒だった和泉たち数人の親しい人にだけ聞かせてくれていたらしい。
 
「ヒナさん、高校時代は学校には学生服で通っていても、けっこう女子制服で出歩いていたよね」
と和泉が言う。
 
「うん。私、ケイさんとか薫みたいに学校にも女子制服で行くまでの勇気は無かったから」
とヒナさん。
 
「いや、私も学校の外でしか女子制服は着てないんだけど。って、薫さんもまさか?」
 
「ええ。私もMTFですよ」
「全然気づかなかった!」
 
「薫は高校2年の秋から女子制服に切り替えちゃったんですよね」
「すごーい」
「去勢しちゃったから。それでタマが無いのであれば女子生徒ということでもいいって、学校側が言ってくれたんですよ。だから生徒手帳も性別・女にしてもらった」
「理解のある学校だったんですね」
 
「いや通っていた学校は難色を示したので、別の受け入れてくれる学校に転校したんですけどね」
「凄い!偉い!」
 
「でもそれでお父さんと大げんかしたんでしょ?」
「喧嘩というか殺されそうになった」
「ああ、そういう話はよく聞く」
 
と言って、私は友人の千里が性転換手術を受けると言ったら父親から日本刀で斬られそうになったという話を思い起こしていた。
 
「それで私は祖母の家に転がり込んで、そこから通学したんですけどね」
 
「でもそれだけの行動力があるのは偉いです」
と私は言う。
 

「でもこのメンツなら2012年春のKARIONツアーの話もできるね」
と和泉が言う。
 
「あ、そうか。元々和泉がヒナさん知ってたから、あのツアーでヒナさんにダミーのキーボード奏者をお願いしたのか」
と私は今更ながらそのことに気付いて言う。
 
「何があったの?」
と薫が訊くが、私は少しためらう。
 
「薫なら大丈夫ですよ。口が硬いですから」
とヒナが言うし、和泉は笑顔で頷いているので、私はそのことを説明した。
 
「KARIONツアーって、大抵私はキーボード奏者あるいはヴァイオリン奏者として参加して、かなりの曲で歌唱にも参加しているのですが、私は実際にはセットの裏とか、どこか見えない所で弾いていて、代りにダミーのキーボード奏者にステージに立ってもらっていたんですよ」
 
「ああ、そのダミーをヒナちゃんがしたのか」
「そうそう。2012年春に沖縄を皮切りに全国10ヶ所」
「その初日が、例のローズ+リリーの復活ライブだったんだよね」
 
「ああ。あのライブの時ですか!」
と薫は驚いたように言った。
 
ヒナさんは言う。
「あの当時、私は指を怪我していて、半年くらいピアノとかが弾けない状態にあったんだよ。大学も半年休学して。バイトでしていた音楽教室のデモンストレーターの仕事もできないから、お金に困っていたら、ちょうど和泉からダミー奏者の仕事をしないかと言われたんだよね」
 
「怪我していて実際には弾けなくても、本当のキーボード奏者であれば、それっぽく見えるよね?」
「そうなんですよ。キーボード弾かない知人とかを立たせておくと、キーボード奏者のオーラが無いから、音楽に詳しい人にはバレちゃうと思うんですよね。だから、毎回ダミーは本当にキーボードを弾ける人にお願いしていたんです」
 
「とにかくステージ上のキーボードの前に立って、指を動かしていればいいから怪我した指をかばって、他の指だけで弾いてても、それっぽく様になるんだよね。結構なギャラをもらったから、あれは凄く助かったし、その後、下川コーポレーションを紹介してもらって、アレンジャー見習いということで取り敢えず入ってそれで学費をまかなえるようになったから。あれは私にとっても大きな転機だったのよね」
 
とヒナは言う。
 
「更には凄いヒーリングの達人をケイさんに紹介してもらって。正直怪我自体が治っても、前のように弾けるようになるか不安だったんですけど、あのヒーリングのおかげで、私、ほんとに機能回復して、前以上に弾けるようになったのよ」
 
「それは凄いなあ」
と薫は本当に感心したように言う。
 
「私もヒーリングしてもらったら改善するかなあ」
と薫が言うので、私は
「どこか悪いの?」
と尋ねる。
 
「私、バスケット選手なんですけどね。一応協会の方からは女子選手として認定してもらって、それで女子のクラブチームで活動しているんですけど、やはり男性時代ほど身体が動かないんですよね。それは性転換して男性時代の筋肉とか落ちたから仕方ないよ、と友人は言うんですけど、筋肉は確かに落ちてるけど、それだけじゃない気がしているんですよ。自分で自己暗示に掛かっている気がして」
 
「要するに自分は女の子なんだから、男の子みたいに身体が動く訳ないと自分に暗示を掛けてしまっている部分があるのではないか、ということかな?」
 
「そうなんです。女の子らしくしなきゃという気持ちが暴走して、男性時代は使えていた色々なものにロックを掛けてしまっているのではないかという気がして。今の自分の動きの悪さって筋肉が落ちたせいだけじゃない気がするんです」
 
「それはあるかも知れないね。あの子はそういう心のヒーリングも得意だよ」
「じゃ、もし良かったら1度紹介してもらえたりしませんよね?」
「うーん。それが悪いけど、あの子、高校在学中はできるだけ仕事をしないということにしているので」
「高校生なんですか!?」
と薫は驚いている。
 
「性転換女子高校生なんだよね」
とヒナが言うと
「うっそー!?」
と更に驚いた様子。
 
「でも私も高校時代、同学年に高校生で性転換して女の子になっちゃった子がいたもんなあ」
と薫は言う。
 
「結構いるんだね!そういう子」
「その子は、中学生の内に去勢していたらしくて。高校生の内にもう女子選手として認められて、大会にも女子として出ていたんですよ」
「それは凄い」
「あ、その子もバスケット選手?」
「そうそう。私は彼女に性別のことでも、バスケの面でもライバル心持っていた」
 
「なんかあんたたちの会話聞いていると、性転換女子高生って、ごく普通にいるような気がしてきた」
と和泉が言う。
 
「いや、たぶん例のヒーラーさんにしても、薫の同学年の子にしても、ケイさんにしても、高校生で性転換ってのは、凄く稀な例だと思いますよ」
とヒナ。
 
「いや、私は高校生では性転換してないんだけど」
と私が言うと
「そろそろ、そういう嘘はやめときなよ」
と和泉から言われる。
 

その時、「こんにちは」と言って入ってくる人がいる。なんと千里であった。
 
「ああ、居た居た。失礼します。病室に押しかけてすみません」
とベッドに寝ているヒナに挨拶するが、千里はそのベッドのそばに立っている薫を見て、驚いたような顔をする。
 
「あれ〜。薫だ」
「なぜ千里がここに来る?」
 
「知り合い?」
と私が訊くと
 
「今言っていた高校のバスケ部の同輩です」
と薫。
 
「薫、ケイさんの知り合い?」
と千里が訊く。
 
「私の知り合いはそこに寝ているヒナさんで、薫さんはそのお友達」
と私は説明する。
 
「ちょっと待て。何だか訳が分からなくなって来た」
と和泉が言って、状況を整理し始める。
 
「そもそも、千里さんは、なぜここに?」
「さっき★★レコードに寄ったら、加藤さんから冬に書類を頼まれたのよね。政子に連絡したらこの病院に照橋ヒナさんという人のお見舞いに行ってると聞いたから、だったら近くだし持って行くかと思って持って来た。冬も忙しいから所在確認できた時に捕まえないと、なかなか捕まらないから」
 
と言って、千里は書類の封筒を私に渡した。
 
和泉は少し考えている。
 
「ヒナさんは2012年のKARIONツアーで隠れてキーボードを弾いている蘭子の代りにステージに立って弾いている振りをしてくれたキーボード奏者で、先日のローズクォーツのアルバムのアレンジャー」
 
「薫さんはヒナさんと高校の時の同級生・・・で良かったんだっけ?」
 
「私が東京の高校に通っていた時の同学年です。同じMTFという立場からお互いいろいろ相談相手などになっていました」
と薫。
 
「それで私が北海道の高校に転校して、そこで知り合ったのが千里なんです」
 
「で、ふたりとも女子バスケット部だった?」
「そうそう」
 
「そうか、千里は女子バスケット部に居て、インターハイとかウィンターカップとか出たんだよね?」
と私は質問をはさむ。
 
「うん、そんなもの」
と千里。
 
「でも私は女子バスケット部には入れてもらえたけど、性別の問題でインターハイとかには行けなかったんですよ」
と薫。
 
「千里、だけどケイさんと知り合いだったんだ?」
と薫が尋ねる。
 
「クロスロードという集まりがあるんだよ。MTFの人やその理解者の。今度薫も連れて行ってあげるよ」
と千里が言う。
 
「それで、さっき言っていたヒーラーさんというのは千里さんの妹さんなんだけどね」
と和泉が言う。
 
「あれ?千里の妹さんって、あの子、元男の子だったの?」
と薫が訊く。
「ああ。玲羅じゃなくて、もうひとり青葉って子がいるんだよ。玲羅は天然女子」
と千里。
 
「妹さん2人居たんだっけ?」
「ちょっと複雑な事情があってね」
 
結局この場では、お互い誰と誰がどうつながっているのか、混沌としてしまい全員訳が分からなくなっていたので、私は後で和泉・千里と3人で図に描いてみて、やっと理解した。
 
ただ、薫を富山の青葉の所に連れて行ってヒーリングを受けさせることについては、千里がその病室から青葉に電話して承認を得た。
 
「ついでにもし良かったら、私の女性器のヒーリングも」
とヒナが言うので
 
「じゃ一緒に行きましょう。一度ヒーリングしているクライアントは問題無いはず」
と千里は笑顔で言った。
 

「だけど、これで千里さんも冬も高校時代に性転換していたことが確定したな」
と和泉が言う。
 
「私が性転換したのは大学2年の時だって」と私。
「却下」と和泉。
「私が性転換したのは大学4年の時だけど」と千里。
「全くもって却下」と薫。
 
「ところでこの病室に今居る5人の内4人が性転換女性なんだね。これって何だか凄いね」
と薫が言う。
 
「和泉も実は性転換した元男の子ってことは?」
と私は訊いてみる。
 
「おまえ男だろ?というのは小学生の頃、よく言われた。私、喧嘩しても男の子にめったに負けなかったから」
と和泉。
 
「ふむふむ」
「あと小学1年生の時は同級生に、字まで同じ和泉という名前の男の子がいたんだよ」
「ほほぉ!」
 
「1年2組の男の子でいずみちゃん、などと言われると本来彼のはずが、私がなぜか呼ばれることが何度かあった」
「それって当然、女の子でいずみちゃんと言われて、向こうが呼ばれていたりして」
 
「萌えシチュエーションっぽい」
 
「運動会の行進で、私が男の子の列に並んで、彼がスカート穿かされて女の子の列に並んだこともあったよ」
 
「やはり女の子っぽい男の子だったんだ!」
「あまり良くは覚えてないけど、おとなしい子だった気はする」
 

2014年7月25-27日に恒例の苗場ロックフェスティバルが開かれる。私はKARIONでは2009年以来毎年このフェスに参加していたが、今年はローズ+リリーも初参加で、結果的にKARIONとローズ+リリーの双方で参加することになった。KARIONは26(土)、ローズ+リリーは27(日)で、私が両者を掛け持ちしやすいように日程を分けてくれたようである。
 
準備作業などもあるし、私自身他のアーティストのステージも見たかったので、私は政子と一緒に24日(木)の夕方の新幹線で越後湯沢に入り、25日の朝から会場内を見て回った。しかしふたりで一緒に歩いていると結構目立つので、呼び止められてサインを書くというのを10回以上やった。
 
「だけど今日は暑いね」
「凄い晴天だね」
「歩いているだけで消耗する」
「さすがに少し疲れた」
 
ということで、出演者控室の方に入ってコーヒーなど飲んでいる。するとそこに、最近までAYAのマネージャーをしていた高崎充子が来る。
 
私は軽く会釈をしたのだが
「1人みっけ」
などと充子は言う。
 
「何?何?」
「冬、今日はステージ無いよね?」
「ええ。明日Kで明後日Rです」
 
「じゃちょっと来て」
「何ですか〜?」
「政子ちゃん、冬を数時間貸して」
と充子は政子に言う。
「借り賃は?」
「じゃ東京リッチホテルの御食事券」
と言って、バッグからチケットを取り出して政子に渡す。
 
「おお、素晴らしい。じゃ貸し出します」
「ちょっとちょっと」
「じゃ冬行ってきてね〜」
 

ということで私は充子に連れられて奥の方のVIPルームに行く。何だか嫌な予感がする。部屋に入ると、懐かしい顔が揃っている。
 
Red Blossom の鮎川ゆま、プリマヴェーラの諏訪ハルカ(花崎レイナ)、ソロ歌手の夢原礼子(松野凛子)および竹下ビビ。
 
「やはり、そういうことか」
と私が言うと
「おお。リーダーが来た」
とレイナが言う。
 
「リーダー?」
「樹梨菜さん、妊娠中だから踊れないんだって」
とゆまが言う。
 
「だから今日は冬がダンスチームのリーダーだよ」
と充子は言った。
 

「ドリームボーイズ出演するんですか?」
「昨日発表された」
「知らなかった!」
 
「どうもメンバーの中に、こういう活動に消極的な人もいるみたい。それで調整に時間が掛かって直前発表になったみたい。追加で今日のチケット発売したら1時間で売り切れたらしい」
「ドリームボーイズって、いまだにそんなに人気なんですね」
 
「これを機に再結成しないか?とかも言われたらしいけど、メンバー間に温度差があるみたいよ」
「それは仕方ないですね」
 

蔵田さんや大守さんなど、ドリームボーイズのメンバーがやがて入ってくる。演奏曲目を言われるので振り付けの確認をすることにした。
 
私が左端、それから、レイナ、ヒビ、ゆま、充子、そして右端に凛子が立つ。CD音源に合わせて6人で踊ったが、ブランクはあってもみんな身体が振り付けを覚えている感じである。ほぼ迷ったりすることなく、踊ることができた。
 
「君たち、さすがさすが」
と大守さんが褒めてくれる。
 
「で君たちの今日の素敵な衣装を用意した」
 
みんな大きくため息をつく。全くドリームボーイズのダンサーの衣装というのは毎回ほんとにひどい。ビキニの水着とか浴衣とかチュチュくらいはまだいいのだが、バナナとか大根とかトウモロコシなどの植物系、マウス・携帯電話・メモリースティックなどの電子機器系、書道の筆・定規・コンパスなどの文具系など、随分色々な格好をさせられた。
 
ドリームボーイズのコンセプトは「格好いいこと・可愛いことはしない!」というもののようである。
 
但し、う○この格好させられたのと、おちんちんの格好をさせられたのは、さすがに没になって世間には出なかった。事務所も最低限の常識があるようである。
 
それでこの日大守さんが出して来たのは、トイレ掃除用の吸盤の形の衣装だ。みんな頭の上に吸盤が付くようになっている。
 
「これはちょっとNGじゃないですか?」
「運営からお叱りをうけますよ」
と私たちは抗議するが
 
「このくらい大丈夫だって」
と大守さんは乗り気である。
 

ステージは夕方6時からなので、15分前にステージ脇に行くように部屋を出た。私たちの衣装は、上にポンチョみたいなのを羽織り、頭に付ける吸盤は外して手に持って近くまで行った。
 
出番5分前にポンチョを脱ぎ、吸盤を取り付けるが、大守さんが寄ってきて「両端の洋子と凛子はこれ持って」と言われて、白い便座まで持たされた!
 
ともかくもそれで出て行き、ステージが始まる。
 
ここは苗場で最も広い4万人収容のGステージである。
 
「ひっでぇー!」
という声が客席からあがる。衣装の酷さに対してこの声を掛けるのはお客さんの側もお約束なのだが、みんな今日は本気で「酷い」と思ったのではと私は思った。
 
放置して逃げたい気分だが、仕事だし頑張る。
 
ドリームボーイズのふざけたタイトルだが中身はおしゃれな曲に対してミスマッチな、掃除用吸盤のダンスが続く。
 

ライブは盛り上がった。私の頭の中にこのバンドと一緒に駆け抜けた11年間が走馬燈のように駆け抜ける。いや、走馬燈なら臨死体験?
 
そんなことをチラリと考えた、最後の1曲の演奏中だった。
 
ひとりの女がステージの端に飛びつき、そのまま上によじ登った。
 
警備員が慌てて駆け寄るが、やはり問題行動を起こしたのが女であったことから、一瞬、警備員の対応が遅れたようだ。何と言っても男の暴漢に警戒している。
 
蔵田さんは目の前の女の動きにもめげず歌を歌い続ける。大守さんがベースの演奏を中止して寄ってきて、蔵田さんをかばうようにしたが、蔵田さんは逆に大守さんをかばうようにその前に出る。蔵田さんはまだマイクを持って歌を歌い続けている。
 
女が近づいてくる。警備員が2人、やっと自分たちもステージに登った。観客が騒ぐ。
 
私はダンスを中止して、便座を手に持ったまま前面にダッシュした。その時、女がバッグの中から拳銃を取り出す。腕をいっぱい伸ばす。
 
私が手に持った便座を女に投げつけたのと、大守さんが愛用の年代物のフェンダーのベースで女を殴ったのと、警備員のひとりが女の腕に飛びついたのと、銃声がしたのが、ほぼ同時であった。
 

すぐに女は警備員に取り押さえられ、手から拳銃を奪われる。
 
演奏は中断して観客が騒然とするが、私は蔵田さんが落としたマイクを拾うと
 
「お静かにお願いします! 犯人は取り押さえました!」
と客席に向かって叫んだ。
 
これでパニックは抑えることができた。
 

「蔵田さん!」
「孝治!」
 
と言って、私や大守さん・野村さん、ゆまさん・凛子さんなどが駆け寄る。ステージ脇に居た運営の人も駆け上がってくる。
 
「大丈夫みたい」
とさすがに青ざめた顔の蔵田さんが言う。
 
「孝治、足が」
と大守さんが言う。
 
銃弾が靴に命中したようで、愛用のブーツのくるぶし付近に大きな穴が空いている。大守さんが警備員の確保している拳銃を見ている。
 
「アナコンダじゃん!.44マグナムか!?」
 
.44(フォーティーフォー)マグナムの弾丸を受けたら、死ななくてもその部分は破壊されて身体の機能に確実に障碍が残る。これは本来人間に向かって撃つ銃ではなく、車のエンジンルームにぶち込んで車を停止させたりするための銃だ。
 
「孝治、ちょっと靴脱げ」
と言って大守さんが靴を脱がせる。
 
そして私たちは絶句した。
 

「何これ?」
 
「あ、いや。あはははは」
と蔵田さんは笑っている。
 
「シークレットブーツ!?」
 
「蔵田さん、身長誤魔化してたんだ!」
「知らなかった!」
 
「そういや、おまえ、絶対に他の奴と一緒に風呂とか入らなかったな。セクシャリティの問題で、男と一緒に入りたくないのかと思ってたけど」
 
確かに蔵田さんが時々女物の下着をつけているのは私も知っている。
 
「ごめーん。実は背丈誤魔化してたから、絶対に靴を脱げなかったんだよ」
 
「取り敢えず、おまえ、観客に挨拶しろ」
「うん」
 
それで蔵田さんは反対側の靴も脱ぐと、マイクを持ってステージの前面に立った。
 
「みんな、心配掛けてごめん。俺、この通り無事だから」
 
という蔵田さんの声に観客の安堵したような歓声が起きる。
 
「びっくりさせたお詫びにもう1曲歌ってからこのステージ終わるな」
 
私たちはびっくりした。
 
運営さんが首を振るが大守さんが「よし。演奏しよう」と言う。しかし大守さんのベースはさっき女を殴ったので壊れている。それに気づいた、次の出番だったので傍まで来てスタンバイしていたスリーピーマイスのレイシーが駆け寄ってきて、
 
「良かったら私のベース使って下さい」
と言って自分の楽器を渡す。
 
「さんきゅ。助かる」
と言ってコードをつなぎ直す。
 
警備員が数人がかりで暴漢の女をステージから降ろした。私たちは所定の位置に戻る。それで運営さんも仕方ないかという顔をしてステージの脇に行く。運営さんの指示で警備員が4人、ステージに立ったまま、ドリームボーイズはこの日最後の曲『哀しみの親子丼』を演奏する。
 
そして物凄い熱狂の中でドリームボーイズのステージは終了した。蔵田さんや大守さんが何度も何度もお辞儀しても、拍手はずっと鳴り止まなかった。
 

女は警察の取り調べに対して、樹梨菜さんの熱烈なファンで、樹梨菜さんが蔵田さんと結婚したことで、樹梨菜さんを「取られた」と思い、蔵田さんに恨みを抱いたと供述したということであった。
 
「ホモのはずの蔵田が樹梨菜と結婚したというので、樹梨菜は絶対騙されているから、悪い蔵田を排除したいと思ったと言ってたらしいぞ」
 
と大守さん。
 
「しかしそれで44マグナムぶっ放しちゃう訳か」
「こわいなあ」
 
「トカレフとかだと入手も容易みたいだけど、.44マグナムは珍しい。しかもあれ東南アジアとかに出回るようなコピー品じゃなくて、本物のコルト・アナコンダだったらしい。入手先を追及しているって」
 
コルト・アナコンダは「シティ・ハンター」や「蘇る金狼」で有名なコルト・パイソンと似た外形(ハシゴのようなventilated ribと呼ばれる放熱板がある)のリボルバー(回転式拳銃)で、.44(フォーティーフォー)マグナム弾を撃てる拳銃のひとつである(パイソンは.357スペシャル弾)。.44マグナムを撃てる銃としては「ダーティーハリー」に出てくるS&W(スミス・アンド・ウェッソン)のM29も名高い。
 

「しかしシークレットブーツ履いてたなんて全然知らなかった」
 
「警察が証拠品として持って行っちゃったけど、あれ20cmくらいありませんでした?」
「よくあんな高いの履いて転びませんね」
 
などと話していたのだが
 
「私は孝治さんがシークレットブーツ履いてたの知ってたよ」
と凛子が言う。
 
「うそ」
 
「俺も知ってたけど」
と増田さん・野村さんも言う。
 
「結構みんな知ってたの?」
 
それで、知ってた人手を挙げてというと、増田・野村・原埜、そして凛子・充子・ゆまの6人が手を挙げた。
 
「全然気づかなかった!」
と私などは言ったのだが、
 
「ズボンの膝の曲がる位置を見ていれば普通に分かる」
とゆま。
 
「ああ、確かに曲がる位置はごまかせないよな」
 
「でも蔵田さんバレーボールの選手だったんでしょ? それで身長高いのかと思ってた」
と私。
 
「バレー部ではあったけど、俺万年補欠だったから」
と蔵田さん。
 
「まあ150cm代ではレギュラーにしてもらえないだろうな」
「同じように背の高い人のスポーツでもバスケットなら、ポイントガードには背が低い人も昔から結構いるんだけど」
 
「バレーボールでも最近のルールなら、背の低い人がリベロとして活躍してるよね」
「俺の時代にはそんなルール無かったんだよ」
 

警察はステージを中断させて現場検証をしたかったようだが、これだけの人数の観客を帰してステージ中止なんて言ったら暴動が起きますよ、みんな2万円もするチケット買ってきているんですからと運営が言うと、警察もその日のステージが終わるまで待ってくれて、夜22時から現場検証をしたが、おかげで私たちはみんなそれまで留め置かれてしまった。現場検証が終わったのはもう夜1時過ぎであった。
 
ちなみに政子は待ちくたびれて、美空に連絡を取り、ふたりでフェス内の食べ物を売っているお店を探訪して回り、あちこちで「食の伝説」を作ったらしい。
 
(サインを求められて「マリ&みそら」などという超レアなサインを書いたらしい)
 

翌日はKARIONのステージがある。
 
今日も物凄い晴天である。雲一つ無い青空が広がる。
 
政子が付いてくると言って、途中で七星さんにも会ったので、私は3人で一緒にKARIONの集合場所に行った。和泉・小風・美空とハグした上でトラベリング・ベルズの面々や、サポートで入ってくれている夢美(Vn)・千鶴(Gl)・美野里(KB)とも色々言葉を交わしている。特に私の「少女時代」のことを良く知っているっぽい、夢美や美野里とは、とっても仲良くしたい雰囲気であった。
 
KARIONのステージは午後1番なのだが、お昼頃、千里と蓮菜(醍醐春海・葵照子)のペアがやってきた。
 
「お疲れ様〜。これ差し入れ」
と言って、来る途中で買ってきたという笹団子を出してくれるので、頂く。政子はたくさん食べていたが、美空は「本番前に大量に食べてはだめ」と言われ、10個だけ食べて、名残惜しそうな顔をしていた。
 
「でもよくここ控え室の建物に入れてもらいましたね」
「ちょうど加藤課長を見かけたので、入れてもらった」
 
「葵さん・醍醐さんって楽器は何かなさるんでしたっけ?」
と小風が訊く。
 
「私はDRKではグロッケンとギターを弾いてた」
と蓮菜。
「私はフルート、ヴァイオリン、ピアノと弾いてたけど、ヴァイオリン下手だよ」
と千里。
 
下手ってどの程度下手なの?と質問が出るので、今日の夢美の演奏用に持って来ている私の電気ヴァイオリン《GreenWitch》を貸す。それで千里が『歌の翼に』を演奏してみせる。
 
「なるほど。下手だ!」
という声。
 
「私、謙遜しないから」
と言って千里は笑っている。それで私が
 
「醍醐春海は龍笛の名手」
と言うと、七星さんがぜひ聴きたいと言う。
 
すると千里は自分の荷物から古ぼけた煤竹の龍笛を取り出した。
 
「見せて」
と言って七星さんが笛に触ってみている。
 
「これ、凄い。50万くらいしたでしょ?」
「40万円です」
「ああ。するよね」
 
「私の友人で、大宮万葉のライバルと自称している子は返し竹の龍笛を使ってますよ。亡くなった伯母さんの遺品とかで本人も値段を知らないと言ってました」
 
「返し竹か・・・話には聞いたことあるけど実物は見たことない。でも、青葉ちゃんの龍笛も一度聴いてみたいんだけどね」
 
それで千里は微笑むと龍笛でLucky Blossomの初期の人気曲『六合の飛行』を吹き始めた。
 
夢美の、美野里の、和泉の、SHINさんの、MINOさんの、そして七星さんの表情が変わる。他の人も緊張した面持ちになる。
 
千里の龍笛は以前にも1度聴いたのだが、その時にも増して物凄い雰囲気だ。この場の空気そのものが特殊なものに変わってしまったかのよう。そして私はまるで千里が巨大な龍に抱かれているかのような錯覚を覚えた。
 
千里が龍笛を吹くことで、その龍が悦んでいるかのようである。そしてその龍の悦びに呼応して、天空に何体もの龍が寄ってくる。私がその天空に集まってきた龍を見ようとするかのように天井を見上げた時、七星さん、和泉、夢美、美野里もまた天井を見上げていた。
 
そして千里の龍笛に合わせて天空の龍たちが舞い始めたかのようであった。
 
バタンと戸を開けて人が入って来た。ドリームボーイズのサックス奏者・野村さんであった。今日は出番は無いはずだが、今日出演するアーティストの誰かに関わっているのであろうか。
 
管楽器奏者としてはこの音は聞き逃せなかったのだろう。
 
千里の演奏は7−8分続いたが、曲が盛り上がった所で天空の龍の1体が悪戯するかのように雷を落とす。雷鳴が響き渡って、あちこちで悲鳴が聞こえたような気がした。まさに青天の霹靂(せいてんのへきれき)だ!
 

そして終曲。
 
みんな物凄い拍手を送った。
 
「洋子、この人誰?」
と野村さんが訊く。
 
私は微笑んで答えた。
 
「作曲家の鴨乃清見さんです」
 
「おぉ!!!!」
 

「私は龍笛という笛の音を勘違いしていたよ」
と七星さんが言う。
 
「篠笛などと同じように吹く方が多いですね」
と千里は微笑んで言う。
「実は息の使い方が全く異なる楽器なんですよ」
 
「それを今、あなたの演奏を聴くまで知らなかった」
「でも青葉と、もうひとり、そのライバルと自称している天津子ちゃんという子の龍笛が、私の龍笛の何十倍も凄いですから」
と千里が言うと
 
「聴いてみたい!!」
と七星さんは本気で言った。
 
「あのふたり毎年のように演奏対決してるけど、ふたりともそれで毎年ぐんぐん上手くなってる」
と千里は言う。
 
「そういうライバルが居るっていいことだね」
と七星さん。
 
「近藤(七星)さんも、鮎川(ゆま)さんがライバルでしょ?」
と千里。
 
「まあ、腐れ縁だな。あいつとは」
と七星さん。
 

「ところで今の曲って、ゆまの所のバンドの曲だよね」
と七星さんは訊く。
 
「はい。私の演奏を、ゆまさんが採譜してデビューアルバムに入れたんですよ」
と千里。
 
「そうだったのか!」
 
和泉はせっかくこんな凄い笛吹きさんたちが来ているならと言って今日のステージの演奏予定曲目『雪のフーガ』に含まれるフルート三重奏を、千里、七星さん、そして野村さんの3人で吹くことを提案したが、野村さんはクラリネットなら吹けるけど、フルートは自信が無いという。それで私が会場のどこかに居るはずの風花を呼び出し、演奏させることにした。風花は15分ほどでやってきたが、合わせてみて
 
「こんな凄い人たちと一緒になんて出来ない!」
と尻込みしたものの、野村さんから
「いや、あんたのフルートもプロのレベル」
と言われて
「じゃ、やってみようかな・・・」
 
などと言っていた。
 
「ちなみに野村さん、この子は一応♪♪大学の管楽器科の卒業生で」
と私が言うと
「え?そうだったんだ。ごめんごめん」
と野村さん。
「すみません。あんた何科?打楽器科?とか言われます。もっとも私打楽器は何もできませんけど」
と風花は恐縮している。
 

やがてKARIONの出番が来る。
 
私たちは伴奏者たちと一緒に5000人収容のRステージに出て行った。結局野村さんもステージ脇まで同行してくれた。ステージには、昨日の事件の影響で、警備会社の制服姿の屈強な男性が両脇に立っている。
 
しかし物凄い歓声である。それにお辞儀をして応えてから演奏を始める。
 
私はいつもこのフェスでは伴奏をしながら歌っていたのだが、楽器を弾かずに歌唱だけで出るのは初めてである。ちょっとこれも変な感じという気がした。
 
曲は4人での再出発というのを象徴する『四つの鐘』、年末年始にいくつもの賞を受けた『アメノウズメ』、遠上笑美子のカバーでこちらまで注目された『魔法のマーマレード』、ミリオンセラーとなった『雪うさぎたち』、人気曲『海を渡りて君の元へ』、最新シングルから『夕映えの街』『コーヒーブレイク』
と演奏していく。
 
『雪うさぎたち』には超絶ピアノがあるが、これは美野里が難なく弾きこなす。『夕映えの街』ではいつの間にか巫女衣装を着けた千里が入って来てバックで舞を舞ってくれた。その厳かな雰囲気に観客の多くが手拍子を停めて見とれてていた(後で聞くと美空に乗せられてやったらしい)。
 
「千葉市で招き猫2体が居る玉依姫神社の巫女さんでした」
と美空が千里を紹介した。
 
『コーヒーブレイク』の演奏が終わった所でステージ脇から、七星さん、千里、風花の3人がフルートを持って出てくる。千里は巫女衣装を脱いで、控え室に来た時と同じジーンズ姿である。七星さんと風花もステージに立つ予定など無かったので普段着だ!
 
ここで七星さんが持っているのは彼女の愛用の木(グラナディラ)製フルート、千里が持っているのは彼女が高校時代に市民オーケストラで使っていたというヤマハの白銅製フルート(YFL-221)、風花が使用しているのは私が持って来ていた総銀製のフルート(ムラマツDS)である。
 
そして彼女たちのフルート三重奏をフィーチャーした『雪のフーガ』を演奏する。
 
3人は全く別タイプのフルートを使っているのだが、それでも音は美しいハーモニーを形作る。その音に半ば酔いしれながら、私たちは歌を歌っていった。その4人の声がまた美しいハーモニーを作る。
 
フルートのハーモニーと声のハーモニーが美しく絡み合ってやがて終曲。
 
割れるような拍手に、私たちは深くお辞儀をした。
 

ここで和泉が少しMCをするのだが、和泉がおしゃべりしている間に背後で動きがある。和泉が「ん?」という表情で振り返ると、なんとバスケットボールのゴールが設置されている。
 
和泉が私を見る。私は首を振る。バスケットのゴールを持って来たというのは恐らく『恋のブザービーター』を演奏しろということなのだろうが、その曲は演奏予定曲目には入っていなかった。
 
そして下手から出てきたのは何とどこかのバスケチームのユニフォームを着た薫である。筆記体なので読みにくいが Rocutes だろうか?? わざわざここに薫が出てくるというのは、これは前もって誰かが仕込んでいたものだ。
 
誰だこれを仕掛けたのは?と思ったら、美空がニヤニヤしている。
 
「美空、何するの?」
と和泉が訊く。
 
「ブザービーター」
 
薫が千里めがけてボールを投げる。
 
すると千里は自分が持っていたフルートをSHINの所に投げる。SHINが驚いたような顔をしてそれをキャッチする。千里はボールを受け取るとボールをドリブルし始めた。
 
DAIが千里のドリブルに合わせてドラムスを打ち始める。HARUがそれに合わせてベースを弾き始め、伴奏が始まる。SHINは千里のフルートをそのまま構えて、本来はサックスで入れる前奏をフルートで入れてくれた(後で間接キスだとファンサイトで指摘されていた)。
 
据え膳食わぬは女の恥!ということで私たちは(美空以外)予定に無かった『恋のブザービーター』を歌い始めた。
 
風花と七星さんはうなずき合って退場した。
 
千里が上手側でボールをドリブルしているので、それと同じリズムで、薫もステージの下手側で別のボールをドリブルしている。ふたりは時々パスしてボールを交換する(千里もこんなことをするなんて全く聞いていなかったらしい。つまりぶっつけ本番)。
 
そして曲の終わりで美空が審判が使うような笛を取り出してピー!と吹く。すると千里はその笛が鳴っている間に、ステージに置かれたゴールめがけてボールをシュートする。
 
ボールはバックボードにも当たらず直接ネットに吸い込まれる。
 
この掛け値無しのスーパープレイに会場は大きくどよめいた。
 
美空がマイクに向かって
「バスケットボールU18元日本代表シューターの村山さんでした。拍手!」
 
と言うので、会場全体から大きな拍手と声援が送られ、千里はSHINからフルートを受け取って会場に手を振りながら退場した。
 
この後、私たちは『Crystal Tunes』を演奏してステージを終えた。
 

「いや〜、びっくりした」
と控え室に戻ってから千里がタオルで汗を拭きながら言う。
 
「私もびっくりした!」
と美空以外の、和泉・小風・私。
 
「フルートが飛んできてびっくりしたけど、俺の手の中にフルートの側から飛び込んで来たんでキャッチした」
とSHIN。
 
「SHINさん、それ、twitterに書いといてください。あれ楽器を粗末に扱ったと誤解する人がいたらいけないから」
と美空。
 
「千里はコントロールがいいから、あの距離ならストライクで渡せるよな」
と便乗して控え室に付いてきている薫。
 
「でも千里、日本代表になってたんだっけ? そんな話聞いてなかった」
と私は訊く。
 
「U18だよ。ジュニアだから、正規の日本代表とは全然違う」
と千里。
 
「でも将来の日本代表が出るよね」
と美空。
 
「うん。あの時のメンツからU22更にA代表入りした人がいるよ」
「すごーい」
 
「千里は有力大学のバスケ部とかに入れば良かったのに」
と薫。
 
「それはこっちのセリフ。でもまあ、あの時は高校卒業でバスケは辞めるつもりだったから」
と千里。
 

私は会話しながら、何かひっかかるものがあった。やがてその問題に行き当たる。
 
「千里、そのU18の大会って日本国内であったの?」
「ううん。インドネシアのメダンって所。マレーシアのクアラルンプールの対岸付近」
 
「そんな所にインドネシアの島があったっけ?」
と小風。
「スマトラ島だよ」
 
「千里、女子チームだよね?」
「当然」
「パスポートの性別は?」
「内緒」
「うーむ・・・・」
 
美空はクスクスと笑っている。
「千里も冬も多分本当は生まれた時から女の子だったんだよ。男の子の振りしてただけ」
 
「いや、それは違う」
と私も千里も言った。
 

「え?滝口さん、辞めるんですか?」
 
私たちは着替えを終わってから食堂で休憩していた時、滝口さんが私たちを見つけてやってきて言ったことばに驚いた。
 
「うん。このフェスの成功をお土産にアーティスト担当からは離れることになった」
「へー」
 
と私や美空は反応するが小風は無視している。小風は滝口さんが大嫌いなのである。
 
「この後は私の後輩なんだけど、土居って人が担当するから、今度そちらの事務所に挨拶に行かせるから」
 
「滝口さんは別のアーティストを担当するんですか?」
と私は訊く。
 
「ううん。村上専務が主宰して『戦略的音楽開発室』というのを作るんで、それに入ることになった」
 
「へー。何かよく分かりませんが頑張って下さい」
 

苗場ロックフェスは最終日になる。
 
この日も良く晴れていた。今年はほんとに天気には恵まれた。
 
この日はローズ+リリーがGステージ(4万人)に出場するし、Hステージ(5千人)にはローズクォーツも出場する。ローズクォーツの方はOzma Dreamがボーカルをしてくれるので、私も政子もノータッチである。ただ政子は「全然関わらないのは寂しいよ」と言い、私の人形を作った。
 
3Dプリンタを使って、私の等身大のコピーを作り、その人形を立てておいたのである。最初ステージにその人形が立っているのを見た時、観客は私がこちらにも出場するのかと思ったらしい。
 
この人形は演奏中ずっとOzma Dreamの隣に立てておいたのだが『Back Flight』を歌っていた時、この歌の振り付けでOzma Dreamのふたりが後ろ向きにステップする時、うっかりぶつかって倒してしまい、それでお腹のところで真っ二つに折れてしまったらしい。
 
「きゃー。ごめんなさい。ケイさんを壊してしまいました」
 
ということで「ケイ死亡!」という書き込みがツイッターに多数出現することになる。苗場に来ていて、ツイッターをしている風帆伯母がギョッとしたらしい。
 
 
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【夏の日の想い出・夏のセイテン】(上)