【夏の日の想い出・食事の順序】(下)

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「こないだ私、浜名麻梨奈さんとバッタリ会ってさ」
と私はその話を始める。
 
「それでまあ軽く一杯と言われて、付き合ったんだけど、私が水沢歌月だったという話から、この世界、けっこう複数の名義を使い分けてるクリエイターも多いよねという話になってね」
「確かに」
 
「それで桜島法子=夏風ロビンなのでは?って話が出てね」
「私も多分そうだと思ってた」
「千里も?」
 
桜島法子は2010年に唐突に出て来た作曲家である。木ノ下大吉先生から楽曲の提供を受けていたアイドル歌手・坂井真紅(さかいまこ)の曲を、木ノ下先生の引退後、ずっと提供しているがそのプロフィールは謎に包まれている。
 
一方の夏風ロビンは春風アルト(後の上島雷太夫人)の後輩のアイドル歌手だったが、2008年に制作方針をめぐって事務所と対立、芸能契約解除を申し入れたものの事務所が拒否すると、横浜エリーナ公演の当日会場に現れないということをやって裁判絡みの大騒動となった。しかし作曲家・東郷誠一さんの仲介で和解に至り、2009年夏にロビン自身が雑誌などに謝罪広告を掲載すると共に他の事務所に移籍することで事務所側と合意した。その後はシンガーソングライターとして活動しているが、あまり売れていない。
 
「だってロビンちゃん自身が歌っている曲と坂井真紅(さかいしんく)ちゃんの曲の波動は似てるよ。多分、ロビンちゃんの書いた曲を誰かが調整しているんだと思う」
 
「ああ、それはあり得るね。ちなみにあの子《しんく》じゃなくて《まこ》と読むんだけどね」
「え?そうなの? 知らなかった」
「あの子、紅白歌合戦でも司会者から《しんく》と呼ばれちゃった」
「あはは、司会者泣かせだ」
 
「それで浜名さんはその説を伊賀海都さんから聞いたと言うんだよね」
「ほほお」
「ふたりで両者の曲の譜面を見比べてみると、確かに同一人物の作品かもと思うようなフレーズがあったりするらしい」
「なるほど、そういう細かい所までは分からないや」
 
「で、伊賀さんと、浜名さんが話していて、もう1つ出て来たのが、鴨乃清見=醍醐春海では?という話なんだけど」
と言って、私は千里の反応を見る。
 
「その件は契約上の問題があるからマスコミとかには話さないで欲しいんだけど、実際大西典香や津島瑤子に楽曲を提供している作曲家集団、鴨乃清見というのは、ほぼ私と相棒の葵照子だよ。スポットで参加するクリエイターは、その都度たくさんいるけどね」
と千里は答える。
 
「やはり」
「でも大西典香は実際には上島ファミリーだし、津島瑤子は立川示堂先生に付いてるからね」
「うん。確かに大西典香のタイトル曲は上島先生が書いていた。でもタイトル曲以外の曲はシングルでもアルバムでも鴨乃清見が書いている。津島瑤子はここ数年、立川先生の書く演歌と鴨乃清見のポップスとをカップリングするという独特の制作手法で安定した売上をあげている」
 
「実際には大西典香のシングルのカップリング曲は毎回私と葵が書いていた。でもアルバムの場合は多数の作家が参加しているよ、毎回」
「なるほどねえ」
「ただしコンペとかはしてない。ある程度信頼のおける人に頼んでいる」
「ああ、コンペとかの作品ではないとは思ってた。曲想が安定してるんだよ。曲を書き慣れた人の作品」
 
千里も頷いている。
 
「私たちはマリ&ケイみたいに毎日1曲みたいな書き方はできないから、自分たちの作品だけでアルバムを埋めることはできない。だいたい1週間に1曲が限度だよ」
「まあ、それが普通だね」
 
「続けて3曲くらいまでは書ける。でもその後は1ヶ月くらい書けない時間ができる。創作の泉の湧出量がマリ&ケイとは比べるべくもないほど小さい」
 
「いや1週間に1曲書ける作曲家は充分多作な部類。私や上島先生が異常なだけ」
「うん、異常だと思う。だからケイは10人いるなんて話になる」
 
「元々大西典香のデビューCDも全曲鴨乃清見だったね」
「そうそう。あれは実際には私たちを含めて5組のソングライターで書いてるんだけどね。最初大西典香はアルバムだけで売る方針だったんだよね。大人向けの売り方だし、それで作曲クレジットがひとつの名義だから、ファンの中には鴨乃清見は大西典香自身と思い込んでる人も多かったね。実際大西の作品を入れたこともあった」
 
「デビューして1年くらいしてからだよね。上島先生が関わったのは」
「うん。映画のテーマ曲『Rain Drops』を映画の方の営業政策上シングルで出した。それがヒットしてファン層が広がったんだよね。それで以降上島さんの曲と鴨乃の曲をカップリングするスタイルが定着したのよね」
 
「千里、考えてみると凄く手広くやってるよね。鈴木聖子さんや槇原貞子さんの曲も書いてるし、KARIONもやってるし、Lucky Blossomに大西典香に津島瑤子に」
 
「うん、でも売れてない。KARIONにしても大西典香にしても私が書いてたのは埋め曲だから」
 
「そんなことない。大西典香でいちばん売れた曲は『My Little Fox Boy』、次が『Blue Island』。どちらも鴨乃清見の作品。これ多分どちらも千里の曲だよね?」
「うん。でもシングルには入ってない曲。どちらもダウンロードが凄まじかったんだけどね」
「Lucky Blossomの『六合の飛行』だって『走る鼓動』だって物凄い人気曲」
 
「まあ、おかげで高校大学の学費が出たんだけどね」
「・・・・もしかして千里って高校や大学の学費、全額自分で稼いでた?」
 
「うん。妹の学費もね」
「偉ーーい!」
「妹は高校も大学も私立だったから大変だったよ。私自身は、高校はバスケで特待生にはしてもらってたんだけど、そのバスケ自体にお金が掛かってたんだよね。うちの学校強かったから、対外試合に遠征費に合宿費に。道大会には毎回出て行くし、他にローカルなリーグ戦もやってたし、インターハイやウィンターカップにも出て行ったし」
 
「『恋のブザービーター』でバスドラ代わりのドリブル音を入れてくれたのって、千里だよね?」
「そうだよ。美空ちゃんから聞かなかった?」
「誰かまでは聞いてない!」
 

料理も食べ終わり、デザートを頂いて、ほんとに美味しかったねぇ、などと言いながらコーヒーを飲んでいた時、私の携帯が鳴る。見ると政子である。
 
《冬〜、お腹空いた〜。動けな〜い》
と書かれている。
 
「うちのペットちゃんがお腹を空かせているようだ」
「あはは」
「どうしようかな。動けないなんて言ってるから、こちらから大阪まで行くか」
「大阪に行ってるんだ?」
「個人的な用事でね」
 
実際には政子は彼氏の松山貴昭君に会いに行ったのである。
 
「じゃ私も一緒に行っていい?」
「うん。醍醐春海・葵照子に一度会いたいなんて言ってたし」
「葵照子は勉強が無茶苦茶忙しいみたいだから、取り敢えず今日は私だけで」
「うんうん」
 
それでふたりで帝国ホテルを出て、有楽町駅から山手線で東京駅に移動し、20時の新大阪行き《のぞみ》に乗った。
 
「しかし帰りはどうしようかな」
「明日お仕事入ってるの?」
「そうなんだよ。朝1番の新幹線に乗れば8時半に東京に着くからそれからラジオ局に入るか。ちょっとギリギリっぽいけど」
「ラジオの出演があるの?何時?」
「麹町のスタジオで9時半の放送開始」
「ちょっと危ないね。食事が終わった後、私が車で東京まで送ってあげるよ。その頃はもうアルコールも抜けてるはず」
 
「ああ、お願いしようかな。千里、秋にも青葉たちをゆまと2人で交代で運転して高岡まで送ってあげてたね」
「まあ長距離は良く走っているから。私、実は雨宮先生のドライバーなんだよ」
「えーーー!?」
 
「雨宮先生の公的・私的な用事で、北海道から沖縄まで随分走り回ってる。年間の走行距離は自分の車だけでも3万kmほどあるよ」
「そうだったのか」
「先生のドライバーは私だけじゃないから、その時空いてる人が対応してるんだけどね。もっとも、TOEIC受ける予定だった日に強引に呼び出されたこともあったけど」
「ああ、あの先生は強引だから」
 
「それに私、大阪に友だちが居て、東京−大阪間は今までに100回以上往復してるんだよ」
「すごーい!」
「この区間なら、眠ってても運転できるよ」
「いや、眠られたら困る」
「まあ眠らないけどね」
 
「じゃ向こうでレンタカー借りるかな」
「私、自分の車をこないだ大阪に置いて来たから、それを使うよ」
「・・・・・」
「どうした?」
「それって偶然?」
「ううん。次に大阪で車を使うことになりそうだと思ったから置いてきた」
「なんで!?」
「私、巫女だから」
と千里は微笑んで言った。
 

「でも千里の車ってミラだったっけ?」
「ああ、あれは街乗り専用。遠乗りの時はインプを使うんだよ」
「へー!」
「実は大学に入った年に買った。雨宮先生に唆されて」
「あはは」
「それで半分くらいは雨宮先生を乗せてる感じ」
「あの先生らしいや。ドライバーと車を同時調達した訳か。他人のお金で。あ、そうか。インプなんかに乗ってるから、千里、運転がうまいんだ」
 
「まあミラで年間3万km走る気にはなれないね」
「レンタカーで軽を借りることあるけど、やはり高速が辛いよ」
「坂道も辛い」
 

政子と新大阪駅で落ち合う。
 
「あれ、千里だ」
と政子が意外そうに言うので
 
「こちら作曲家の醍醐春海さん」
と私が紹介すると
「えーーーー!?」
と絶句していた。
 
「おはようございます。お初にお目に掛かります。醍醐春海です」
と言って千里が《作曲家・醍醐春海》の名刺を出すと、「おぉぉぉ!」と嬉そうにしていた。
 
「おはようございます。お初にお目に掛かります。マリです」
と言って政子も《ソングライター・マリ》の名刺を出した。
 
「ローズ+リリーのマリの名刺は人が持っているの見たことあるけど、ソングライター名義のは初めて見た」
「あまり配ってないから。多分作ってから20枚も渡してない」
 
「渡したのって、森之和泉とか神崎美恩とかだよね」
「うん、そのあたり」
 
「葵照子も来られたら良かったんだけど、彼女医学部の6年生で無茶苦茶忙しいんだよ」
「わあ、大変そう」
「作詞は勉強の合間にやると言ってるけど、ほんとに息抜き兼ねてる感じ」
「普段使ってるのと違う部分の脳みそを使うと疲れが取れるよね」
 

まだ閉店時間に余裕のある店を検索し、地下鉄で移動して、ロイヤルホストに入った。
 
「私、ロイヤルホスト好き〜」
と政子は言う。
「ファミレスの中では美味しい方だよね」
と千里も言う。
 
超豪華な夕食を食べた後だったので、とても入らないと思ったのだが、政子はリブロースステーキ310gのセット2人前とか注文しているし、千里もステーキ丼なんて注文しているので、私もつられてリブロースステーキ115gを注文する。
 
政子は《醍醐春海》のことを聞きたがったので、千里が説明する。
 
「高校時代にDRKというバンドをしてたんだよ。特進組・進学組の女子生徒10人ちょっとで各々用意できる楽器を持ち寄って」
 
いきなり政子が手を挙げて「質問です」と言う。
 
「何だね?政子君」
「女子生徒10人ということは、千里も女子生徒だった訳?」
「そうだよ。私は生徒手帳の性別も女だったから」
「おぉぉ!!」
と嬉しそうである。こういう展開は政子の好みだ。
 
「冬子も生徒手帳は女だったんでしょ?」と千里。
「男だよ!」と私。
「いやきっと女だったに違いない」と政子。
 
「まあ、それでDRKをやってた時に偶然∞∞プロの谷津さんと会って、私たちがバンドやってるというと見たいと言うんだよね。それでスタジオに行って演奏したら凄く気に入られて」
 
「そこにLucky Blossomが関わってくるんでしょ?」
「そうそう。正直こちらは勉強が忙しいから、一本釣りも含めてあまり勧誘されたくないと思ったんで、私たちなんかよりずっといいアーティストに巡り会える所を教えてあげますと言って占ったら、私が占った日時と場所でLucky Blossomを見つけたんだよ。それで鮎川さんたちがデビューすることになった」
 
「おお!」
「それでその関わりで、鮎川さんの先生にあたる雨宮先生と私も知り合って、その雨宮先生の仲介で、私と相棒の葵照子がいろんなアーティストに楽曲を提供することになったんだよね」
「結局雨宮さんなんだ!」
 
「だから《醍醐春海》の仕事は、雨宮先生か、後輩の新島さんあるいは毛利さん経由で受けているんだよ」
「なるほど〜」
「雨宮先生は、まずこちらからは連絡つかないからね」と千里。
「あれは困ったもんだよね」と私。
 

料理が来ると政子は嬉しそうに300gの巨大ステーキをナイフで切っては食べ、切っては食べる。
 
「美味しい、美味しい。私、お肉大好き」
「お魚も好きだよね」
「うん。今度、お寿司屋さん行こうよ」
「はいはい」
 
「そうだ。千里、もし作曲能力に余力があったら、ローズ+リリーの制作中のアルバムに1曲書いてもらえないかな?」
と私は言った。
 
「いいよ。葵の詩にストックが充分あるから、書けると思う。2〜3日中に書いて送るよ。私は今実質修士論文書くのと、就活しかしてないから」
「就活するの?」
「するよ」
「作曲家の専業になればいいのに」
「専業になれるほど儲かってないよ」
と千里は笑って言う。
 
「作曲の専業で食っていけるのは頂点のひとにぎりだけでしょ」
 
似たことをそういえば櫛紀香さんからも言われたなと私は思った。あれ?でもそういう状況なら帝国ホテルの食事をおごってもらったのは悪かったなと思う。もっとも、千里は今更半分出すよとか言っても受け取らないだろう。
 
「そうだなあ。私たちもスリファーズが無かったら、何かバイトでもしないといけないなという方向に行ってたよ」
「ローズ+リリーが実際問題として商売になるようになったのって一昨年からでしょ?」
「そうなんだよ。色々な問題でなかなか思うように活動できない期間が長かった」
 
「でも今の時期、就活は厳しいでしょ?」
「厳しい。特に女子の修士卒は厳しい。更に私は性別を変更しているから、それでそもそも門前払いをくらってる」
 
「千里、性別を変更したなんて言わなきゃいいじゃん」
と私は言う。
「同感。千里を見て男だったかもと思う人なんて居ない」
と政子も言う。
「いや、言わないのはフェアじゃないし」
と千里。
「そんなの気にすることないじゃん。バレた時はバレた時だけど、千里はまずバレない」
 
「でも受け入れてくれる所はきっとあると思うから頑張るよ」
 

そんな話をしながら、私は頼んでいたステーキを食べるのだが「うーん」と小さな声を出して、いったんナイフとフォークを置いてしまった。
 
「どうしたの?」
「いやちょっと・・・」
「調子でも悪い? このステーキ美味しいのに」
「うん、いつもならこれ凄く美味しいと思うと思うんだけど」
 
千里が微笑んでいる。
 
「いや、実はここに来る前にお呼ばれして帝国ホテルでディナー食べてきたんだよ」
と私は言った。
 
「えーー!? 帝国ホテル? なんで私も連れてってくれないのよ?」
と政子。
「じゃ、今度連れてってあげるよ」
と私は答える。
 
「千里、葵照子さんの時間の取れる日を教えてくれない? こちらも時間調整して一度一緒にお話したい」
「いいよ」
「じゃ、葵照子さんと一緒に帝国ホテルでディナーね」
 
政子を帝国ホテルなんかに連れてったら、一体何十万掛かるだろうと少し恐ろしくなってくるが・・・。
 
「それでさ、普段ならロイヤルホストのステーキなんて凄く美味しく感じるのに、帝国ホテルのディナー食べた後だと、何だかあまり美味しく感じられないんだよ」
と私。
 
「ああ、それはさすがに比較の対象が悪すぎる」
と政子。
 
「プロフェッショナルの庭師が整備した素敵な花園を見た後で、素人の家庭花壇とか見たら、落差を感じるのと同じだろうね」
と千里は言った。
 
「うん、それに近いよね。ロイヤルホストはそれでも本職の料理人さんが各店舗に1人いるから、ファミレスの中では別格的に美味しいんだけどね」
と政子。
 
私は微笑んでその会話を聞いていたが、ハッとした。
 
千里は《花園》と言った。
 
花園・・・・『Flower Garden』か!
 
その瞬間、私はなぜ千里が帝国ホテルのディナーをおごってくれたのか、その意図に気付いてしまった。《巫女》を自称する千里のことだ。恐らく彼女はその後で、私たちがファミレスに来ることまで読んでいたんだ。
 
つまり『雪月花』をファミレスの食事にしてはいけない。
 
『Flower Garden』の素晴らしさに酔ったファンの人たちが『雪月花』を聴いてがっかりしてはいけないんだ。
 
その瞬間、私は『雪月花』の発売をずらしても充分な制作期間を取るべきだということを決断した。
 
「ごめん。ちょっと電話してきていい?」
と私は言う。
 
「どうぞ、どうぞ」
と千里。
 
「あ、だったらこのステーキ、私が食べてていい?」
と政子。
「いいよ」
と私は微笑んで言ってから席を立ち、店の外に出る。そして深夜ではあったが町添部長に電話をした。
 
町添さんはまだ会社に居た。私と町添部長の電話対談は1時間に及んだが、町添さんは私のわがままを許してくれた。それで、『Heart of Orpheus』の発売記者会見の席で、雪月花の発売を12月に延期することを発表するに至るのである。
 
私は夏のツアーをしないことで発生する会場のキャンセル代はこちらが払うと言ったのだが、町添さんはそれはこちらが勝手に予約していたものだからと言って★★レコードで持つと言ってくれた。
 
ただあちこちを納得させるための交換条件として1日だけ横浜エリーナでの公演をすることを決めたのであった。
 

私が町添部長との電話を終えて席に戻ると、政子は自分が頼んだステーキ2つと私が食べなかったステーキをきれいにたいらげた上でクラブハウスサンドイッチにカレーを3杯食べていた。私はやはり政子を帝国ホテルに連れて行くのは無意味という気がしてきた。帝国ホテルを素通りして、近くのマクドナルドかロッテリアでもいいのではなかろうか??
 
タクシーに乗って、千里の車を駐めている駐車場まで行く。そこで後部座席に政子と2人で乗り込む。千里がインプレッサ・スポーツワゴンを発進させる。ワインの最後の一口を飲んだのは19時頃だ。千里はワインは2杯しか飲まなかった。現在深夜1時すぎ。既に充分酔いは醒めている。
 
駐車場は千里中央駅の近くで車は千里(せんり)ICから上の道に乗り、そのまま名神高速に入る。
 
「トイレ休憩とかが必要なら、桂川PAに入れるけど」
「あ、大丈夫でーす」
「だったら、京滋バイパス通るね」
 
「千里、いつこちらに来たの?」
「日曜日だよ」
「だったら、6日間駐めてたんだ?」
「うん。ここは管理者に言っておけば何日か駐めてもいいんだよ。1日の駐車料金もmax2000円だし。こういう便利な駐車場は、大阪の中心部には無いんだよね。だからいつもここに駐めてる」
「確かに中心部の駐車場は高いし、夜間は出入りできない所も多いよね」
「そうそう」
 
「だったら、その駐車場代と東京までのガソリン代・高速代は私が出すよ」
「そうだね。もらっておこうかな」
 

「でも政子、今夜はそもそも貴昭君の所に泊まるのかと思ってた」
 
居るのが千里だけなので、私は政子と彼氏の話を出す。
 
「彼は今社員寮暮らしだから、女の子連れ込む訳にはいかないみたい」
「ホテルに泊まる手もあるでしょ」
「うん」
 
と言ったまま政子は黙り込んでしまう。彼とうまく行ってないのだろうか。
 
「実は彼、恋人がいるみたいなんだよね」
と政子は言った。
 
「うーん。今までの政子の態度だと、そういう人ができても仕方無い気がするよ。彼が恋人になりたいと言ってたのを拒否して、あくまでも友だちでなんて言ってたでしょ?」
と私は言う。
 
「うん。あくまで貴昭とは友だち。でも私は貴昭と別れるつもりはないし、彼も私との関係は続けたいみたい」
 
「まあ、二股もいいんじゃない?」
「うん。それでもいい気はする。彼がもし向こうの彼女と結婚すると言い出したら仕方無いけど、そうなるまではこちらも頑張ってみようかな」
 
そんなことを言っていたら、運転席の千里が大胆なことを言う。
 
「結婚しちゃっても、好きだったら関係は続ければいい」
「おっ」
 
「と思わない?政子」と千里。
「そうだなあ。そういうのもいいかな」と政子。
 
「世間的には不倫だとか騒がれるかも知れないけど、マリちゃんの男性関係なんて、今更でしょ?」
と千里。
 
「ああ。私って友だちには恋多き女と思われてるみたい」
と政子。
 
「いや、実際に恋多き女だと思う」
と私も言う。
 
政子が大学時代の4年間にある程度の期間付き合った彼氏は貴昭以外に3人だが、数回デートしただけの相手なら、私も人数を把握できないくらい居る。
 
「でも千里、まるで自分が不倫したことあるみたいな言い方」
「世間的には不倫と思われるかもね。私も彼もそういうつもりではないんだけど」
「不倫してるの!?」
 
「あくまで友だちとして付き合っているだけだよ」
「千里は桃香さん一筋かと思ったのに」
「桃香一筋だよ。だから彼との関係はあくまで友だち」
「分からん!」
 
「冬子と政子が事実上の夫婦関係にあるのに、各々彼氏も持っているというのも、なかなか理解されないところだろうけど、あまり矛盾は感じてないでしょ?」
 
「ああ。男の子を好きになるのと女の子を好きになるのは、ちょっとチャンネルが違うんだよ」
などと政子は言う。
 
「というよりも男女関係無く4人くらいまでは同時に愛せると思わない?」
と千里。
 
「あ、それは多分4人くらいが逆に限界だと思う」
と政子。
 
「千里も桃香さんへの愛と、その彼氏との友情が両立してるんだ?」
「うん」
 
「彼氏とセックスするの?」
「彼が結婚した後はしてない」
「あ。彼氏、結婚してるんだ?」
「もしかして先週大阪に来た時って?」
「うん、デートしたよ。セックスもキスもしてないし、手も握ってない。一緒にドライブして散歩して食事しただけ」
「それでもやはり不倫という気が」
 
「世間的にはそう思うかもね。彼が奥さんと結婚したのは去年の夏なんだけど、実はその前に私と彼も結婚してるんだよ。だから彼も私も重婚なんだよね。一応いったん別れたし、その後、自分たちの関係は友だちということにしているけど、一方で実は夫婦意識も継続してるんだよ、お互いに」
 
「そうか、千里は桃香さんとも実質夫婦だよね?」
「実質でなく、本当に夫婦のつもり。実は桃香とも結婚式をしてるんだよね」
「そうだったのか!」
 
「冬子と政子も多分既に結婚式してるよね?」
「うん」
 
「彼の方と結婚したのは実は高校時代なんだ。三三九度もしたし初夜もしたし」
と千里が言うと
「初夜か・・・それってどこ使ってしたの?スマタ?後ろ?」
と政子が質問する。
 
「初夜だもん。当然ヴァギナだよ」
と千里は答えた。
 
「高校時代に千里、ヴァギナがあったの!?」
「そのあたりが自分でもよく分からないところで」
「へ?」
 
「結局自分はいつから女の身体で生きているのかというのを考えれば考えるほど分からなくなってくるんだよね」
「でも、千里、一昨年性転換手術を受けたよね?」
「うん。確かに性転換手術を受けたのは一昨年の夏。でもなんか時系列とか因果律が混乱してるんだよね」
「何だか分からん!」
 
その晩は千里の因果律問題?で話が混沌としてしまい、不倫問題はうやむやになってしまった感もあった。
 

千里(ちさと)が運転する車は快調に深夜の高速を走っていった。京滋バイパス、新名神、伊勢湾岸道、新東名と走りやすい道を走って行ったが、政子は新名神に入ったあたりで眠ってしまった。
 
千里はピタリと制限速度を守って走って行く。そしてカーブでは最も加速度が掛からない走り方をする。直線でも速度が安定していて多少の上り坂・下り坂でも速度は変わらない。
 
さすがに東京まで1人で運転するのは辛いよと言って私が御在所SAから浜名湖SAまでを運転した。昨年秋にイギリスに行った時MT車を運転したのでまだ身体が覚えていた。
 
「千里、物凄く運転が巧かった。それに絶対安全運転なんだね」
 
「雨宮先生が言ってたんだよ。高岡さんが飲酒して車を暴走させて激突死して、それでワンティスは活動停止に追い込まれたでしょ? だからその後、残ったメンバーで誓ったんだって。絶対速度厳守。飲酒運転や疲労運転の絶対禁止。だから上島さんも雨宮先生もゴールド免許。私もそれ聞いてきちんと交通規則を守らなきゃと思ったんだよ」
 
「千里ゴールド免許だっけ?」
「ゴールドだよ」
「凄い!」
「冬子もゴールドでしょ?」
「私は免許取ってからまだ5年経ってないんだよ。和泉は16歳で原付と小特を取ってたから既にゴールドなんだけど」
 
「和泉ちゃんはフルビッター狙いか」
「そうそう。大学卒業するまでにフルビッターになりたかったらしいけど、仕事が忙しくてなかなか取りに行けないみたいだね」
 
「冬子、免許取ったのはいつ?」
「2009年10月23日」
と私は免許証を確認して言う。
「だったら、今年の12月中旬以降に自動二輪でも中型でもいいから免許を取ればゴールドにできる」
「ああ!その手があったか」
 
「私もそれでゴールドにしたんだよ。私は2009年3月30日に免許を取ったから、2014年5月10日で5年と41日が経過したんだ。それで5月15日に大型免許を取得してゴールドにした」
「うまいね!じゃ、千里、大型も持ってるんだ!」
「うん。それでさっそくこないだ雨宮先生に12トントラック運転させられた」
「う・・・」
 

この年は引越ラッシュだった。4月3日に和泉がそれまで住んでいた神田の賃貸マンションから、すぐ近くの分譲マンションに引っ越した。美空は5月1日にそれまで実家住まいだったのが、中央線沿線の交通の便の良い所にワンルームマンションを借りて引っ越した。
 
その直後にXANFUSの音羽が分譲マンションを買って引っ越した。音羽と光帆は事実上音羽の賃貸マンションで同棲状態にあったのだが、やはり元々独り暮らし用のマンションだったのでふたりで暮らすには手狭ということでふたりで半分ずつお金を出し合ってマンションを買ったようである。表向きは音羽だけの引越だが、光帆の賃貸マンションは実質もぬけの殻であって、ふたりの新居ということのようであった。私と政子、和泉・美空・小風の5人で「引越祝い」に行ったが
 
「えっと、引越祝いで良いんだっけ? 結婚祝いと書くべきだった?」
などと政子が言うと、ふたりは照れていた。
 
「でも未来(光帆)のマンションって使ってないんでしょ?解約しないの?」
「それをやるとホントに同棲していることになっちゃうから勘弁してくれと、事務所から言われているんだよね。だから実は私のマンションの家賃は1年前から事務所が払っている」
「なるほどねー」
「そして今回の引越を機に住民票もここに2人とも移した」
「ほほぉ」
「冬たちと一緒だよ」
 
実は私の住民票は、大学1年の時に車を買った時の車庫証明の都合で政子の実家の住所に置いている。大学近くのマンションを契約した時に移すつもりだったのだが、あの時期ひじょうに多忙だったので、住民票の移転は放置していた。それで結果的にそのままになっているので、私と政子は住民票の上では大学1年の時から同棲状態にある。
 
「冬は今のマンションに移る前に一時期杉並区内のアパートに住んでたよね?」
と小風が言う。
「あそこに来たのは小風だけだね。でもよく杉並区内って覚えてたね」
「それ何のために借りたの?」
「実家暮らしだと制約が多いから、フルタイム女の子として暮らそうと思って」
「よく分からんな」
「冬って中学生頃から既にフルタイム女の子として暮らしていたはず」
 

そして7月14日に私と政子も引っ越したが、これも音羽たちと同様、表向きは私だけの引越であって、政子は表向きは実家に住んでいることになってはいるが、実際問題として、私と政子はいつも、マンションあるいは政子の実家のどちらかで一緒に寝ている。
 
結局、08年組でこの年引越しなかったのは、小風だけである(小風は実家に住んでいる)。
 
「小風は実家暮らしで不便は無い? 家族とすれ違い生活になってるでしょ?」
 
「うん。でもお母ちゃんがいつも私の夜食を用意していてくれるし、家の構造の関係で、うちのトイレ、夜中に流しても寝室まではその音が聞こえないんだよ。だから、確かにすれ違いではあっても、お互いにあまり気にすることなく生活してる感じ。私は少々まわりがうるさくても寝ていられるから、昼間仮眠しておくのも全然問題無いし」
 
「しかし夜食を用意してくれてるお母さん、偉い」
「晩御飯を私の分だけ分けておくだけ、とは言ってくれてるけどね」
 

引越の少し前から貴重品や楽器などを自分で運んだのだが、この作業に《クロスロード》のメンツである、和実・桃香・千里の3人がかなり協力してくれた。淳さんやあきらさんも時々顔を出してくれたし、和実の古くからの親友で梓という子も手伝ってくれた。この子は私の成人式の時に、浮いてしまった振袖をもらってくれた子である(形式的には期限無しの無償レンタル)。振袖の御礼に力仕事くらい頑張りますと言って自分の車を持って来ていろいろ運んでくれた。
 
また、千里の高校時代からの友人で溝口麻依子さんという人も手伝ってくれた。この人はバスケをするということで腕力があり、大いに戦力になった。重いのであまり気は進まないけど運送屋さんに頼もうかとも思っていた電子キーボードや音響機器にパソコンの類いを運んでくれて助かった。
 
「でも事務所の人は使わないの?」
と千里から訊かれたものの、
 
「UTPのスタッフって少ないからさ」
と私は答える。
 
この時期のUTPの社員は、須藤社長・大宮副社長・松島制作部長・諸伏育成部長のほか、平社員が桜川悠子・甲斐窓香の2人、それに常勤に近いバイトの汐田早波さんという7人である。正直力仕事ができそうなメンツは大宮さんだけだが大宮さんは無茶苦茶忙しく飛び回っている。
 
「言えば協力関係にある△△社や○○プロからも人を出してくれるだろうけど、実はあまり事務所の関係者には見られたくない性質のものもあるんだよ」
 
「ああ。でも政子さんに見られたくないものもあるんじゃない?」
「それは言いっこ無しで」
 
「まあ私たちはただで御飯が食べられていいけどね」
と千里は笑って言っていた。
 

引越の当日は運送屋さんの最初荷造り部隊がやってきて、食器や寝具、書籍やCDなどをどんどん梱包していく。その作業がだいたい5時間ほど掛かり、その後運送部隊がやってきて、梱包された荷物をどんどんトラックに積み込む。エレクトーンはスペシャルチームの担当である。
 
新宿区内から渋谷区内へ、引越の移動距離としては8kmほどなのでトラックはすぐ新居に到着する。するとその荷物を新居に運び込み、家具などを所定の場所に設置して、運送屋さんの作業は完了である。
 
「この荷物の梱包を解くのに時間がかかるかもね」
と顔を出してくれた和泉・美空・小風の3人が言う。
 
「大学1年の時の引越では荷物を完全に解くのに1年くらい掛かったね」
と政子が言う。
 
「私なんか大学1年の時に引っ越したまま開けてない段ボールを今回の引越でそのまま移動させたのがある」
と和泉。
 
「それは不要品では?」
「4年間使わなかったってことでしょ?」
「いや捨てる訳にはいかない」
 
その日は、私と政子、和泉・美空・小風に、少し遅れてやってきた音羽・光帆まで入れて7人でしゃぶしゃぶをして食べて、引越祝いとした(政子は焼肉を主張したがさすがに初日から焼肉というのは私が抵抗した)。音羽たちは引越祝いと称してレミー・マルタンを持って来てくれて、しかも全員に強制的に飲ませたので(気付いた時には部屋にあったファンからの贈り物のお酒も何本も開いていて)、最後は全員酔ってダウンしてしまった。
 

翌日7月15日、私はまだ酔いつぶれている人たちを放置して、青山の★★スタジオに出て行く。
 
ゴールデンシックスの花野子・梨乃に、氷川さんと鷲尾さん、∞∞プロの谷津さんと菱沼さんが来ている。
 
「わあ、来てくださったんですか!ありがとうございます」
と花野子が私を見て言う。
 
やがてゴールデンシックスの元メンバーたちがぱらぱらとやってくる。彼女たちは、普段の活動には参加しないものの、音源製作の時はいつも来てくれているのである。そして、そこに千里もやってきた。
 
「あれ?千里も来てくれたんだ?」
と花野子が驚いたように言う。
 
「うん。予定になかったけど、ケイさんがちょっと来いというからね」
「おぉ」
 
千里を知っているのが谷津さんだけのようだったので、氷川さんたちや菱沼さんに紹介する。
 
「ゴールデンシックスの曲の大半を書いている作曲者の醍醐春海さんです。ゴールデンシックスの前身バンドDRKの元メンバーなんです」
と谷津さん。
 
「うん、とりあえずそういうことでいいかな」
と千里。
 
「私の親友です」
と私が言う。
 
「そしてリーフのお姉さんなんですよ」
と私が氷川さんの方を向いて説明すると、氷川さんは驚いていた。
 
「醍醐さん、KARIONを初めとして、鈴木聖子とか槇原貞子とかにも書いてますよね?」
と氷川さんが言う。
「ええ、あまり売れてないですけど」
 
「そしてここだけの話ですけど、彼女は大西典香や津島瑤子の作曲者・鴨乃清見でもあるんだよね」
 
「えーーー!?」
と氷川さんが再度驚く。その話は全然知らなかったようであるが、谷津さんまで
 
「あれ?そうだったんですか?」
などと言っている。
 
花野子たちも知らなかったようで驚いたような顔をしている。
 
「だからポスト大西典香としてゴールデンシックスをデビューさせるという話を聞いた時は、私、ほんとにびっくりしたんですよ」
と千里。
 
「事務所もソングライトスタッフもそのままで、歌手だけとっかえるようなものだもんね」
と私。
 
「いや、そういうお話なら、むしろ生徒が辞めちゃったので代わりに先生が出てくるって感じですね」
と氷川さんは言う。
 
「もしかして醍醐さんって★★レコードの屋台骨を支えている作曲家のひとりでは?」
と鷲尾さんが言うが
 
「それはケイさんですよ。私は作曲数としても年間30-40曲にすぎないし、大西典香、鈴木聖子、KARION、津島瑤子、みな埋め曲専門ですから」
 
などと言って千里は笑っている。
 

その日、千里の相棒の葵照子(琴尾蓮菜)は来ていなかったが、楽曲の演奏は次のようなメンバーで行われた。
 
Ld.Gtリノン(矢嶋梨乃) Rh.Gtアンナ(前田鮎奈) B.タイモ(村山千里) Dr.キョウ(橋口京子) Pf.カノン(南国花野子) Vn.マドンナ(水野麻里愛)
 
これに花野子の大正琴、千里のフルート/篠笛/龍笛、麻里愛のグロッケンシュピール、京子と鮎奈のツイントランペットを重ねる。千里が来ていなければベースは花野子、ピアノを麻里愛が弾いて、ヴァイオリンも後から重ねる予定だったらしい。蓮菜も来ていれば蓮菜がグロッケン担当らしい。
 
「元々のDRKは進学校で補習とかの隙間を使って練習していたから来れるメンバーが少なかったんですよね。だから、楽器のやりくりが多くて、みんな複数の楽器を覚えたんですよ」
と花野子が説明する。
 
「あ、そうそう。こちらのリズムギター担当アンナは、KARIONの美空の従姉ですから」
と千里が紹介すると、それも氷川さんたちは驚いていた。
 
「ちなみに従姉さんは今お勤めですか?」
と氷川さんが訊くが
「医学部6年生でーす」
と鮎奈は答えた。
 
「花野子と梨乃以外の4人は全員学生だもんね」
「医学部の6年生か修士課程の2年生だよね」
「今日来てない蓮菜こと葵照子も医学部6年生だし」
 
「まあ学生だから平日にも出て来られるというのはある」
「来年以降の音源製作は土日中心にならざるを得ないだろうね」
 

「でも醍醐さんが持っておられるその笛、なんか凄いですね」
と氷川さんが言った。
 
「このフルートは白銅製の安物ですよ」
「いや、その日本式の横笛2本がどちらも何だか凄い」
 
「こちらの龍笛は煤竹というもので作られています。古い民家で何十年も囲炉裏の煤を浴びた竹を素材にしてるんです」
「なんか凄い」
「貴重なものですね」
「ええ、貴重ですけど、そんなに珍しいものではないですよ」
「へー」
 
「こちらの篠笛は鑑定してもらったら鎌倉時代頃の作品らしいです」
「えーーー!?」
「そんなの、どこで入手したんですか?」
「幽霊からもらったんですよね」
「へ!?」
 

ひととおりの演奏が終わったところで少しおしゃべりしていたら、技術者さんが難しい顔をしてくる。
 
「さきほどの演奏で、途中で落雷があった所なんですが、確認したら、落雷の音が音源に入ってしまっているんです。この付近だけでもいいので再度録り直したいのですが」
 
ところがそれに対して花野子が言う。
「千里が龍笛を吹くと、必ず落雷があるので、その音は演奏の一部ということにしてください」
 
「えーーーー!?」
 

7月23日、KARIONの23枚目のシングル『コーヒーブレイク』が発売された。その発売記者会見には、KARIONの4人、事務所社長の畠山さん、レコード会社担当の滝口さんに加藤課長が出席した。KARIONの新曲発表記者会見に私が出席するのは実に、デビューCD『幸せな鐘の調べ』以来、6年半ぶりである。もっともデビューCDの記者会見に私が出席したことは多分誰も覚えていない。
 
この記者会見の冒頭、和泉は発言する。
 
「KARIONの9月発売予定でしたアルバムですが、これをミニアルバムに変更させて頂いた上で、来年2月にフルアルバムを発売することにします」
 
「それはもしかして、ローズ+リリーのアルバム発売延期に対応した動きでしょうか?」
と記者から質問が出る。
 
「その通りです。ずるいと思いません? 人には今年は短期間でアルバム制作するからと言っておいて、唐突にやはり去年同様時間を掛けて作りますと言い出すなんて」
と和泉が本当に怒ったように言うと失笑が漏れる。そこで私が
 
「全くですね。ケイちゃん、マリちゃん、抜け駆けは良くないですよ」
などというと、失笑は爆笑に変わった。
 
「でもケイちゃん、ずるーいと言ったら、ごめーんと言って、1曲マリ&ケイの作品を提供してくれることになりました」
と和泉。
 
これにはざわめきが起きる。
 
「そういう訳で、9月発売のミニアルバム、6曲構成は、和泉+歌月、マリ&ケイ、広田&花畑、葵&醍醐、櫛&黒木、福留&相沢、という6組のソングライトペアから1曲ずつ提供していただいたものになります」
 
和泉はそう言ったのだが、質問が出る。
「黒木というのはトラベリングベルズのSHINさんのことですか?」
「そうです。黒木信司さんです」
「黒木さんが作曲なさるんですか?」
 
「KARIONの楽曲で、櫛紀香さんの詩にも福留彰さんの詩にも、TAKAO名義で曲を付けていたのですが、実際にはこれまでも、福留さんの詩には相沢孝郎さん、櫛さんの詩には黒木信司さんが概ね曲を付けていたんです。実際には印税をトラベリングベルズの全員で共有したいということで、リーダーの相沢さん名義にして印税は山分けしていました。でもお互いの責任を明確にした方が競いあえるということで、今回からは本来の作曲者の名義にすることにしました。なお過去の作曲者に関しても既にJASRACの登録を変更しています」
 
この問題は翌日の新聞にもこの件単独で記事を作成したところが数社あった。
 
「アルバム制作に専念なさるのでしたらKARIONのツアーはどうなりますでしょうか?」
 
「夏のツアーは予定通り実施します。詳細は金曜日までには発表しますが、年末はツアーはせずにどこかの地区で単発の公演をするつもりでいます」
 
「夏のツアーの時期は多分ローズ+リリーの方はアルバム制作で多忙だと思うのですが、らんこさんのスケジュールは大丈夫ですか?」
 
「ローズ+リリーと私は別に関係無いと思いますが」
と私は笑顔で答えた。
 

今回のKARIONのシングルに収録された曲は『コーヒーブレイク』(泉月)『夕映えの街』(照海)『恋の足音』(櫛)の3曲である。
 
『恋の足音』が櫛紀香さんの作品ということで、さきほど和泉が説明した内容から、てっきり櫛紀香作詞・黒木信司作曲かと思い込んだ記者もあったようだが、和泉が《櫛紀香作詞作曲》であることを注意した。
 
3本ともにPVが作られており、先週末からテレビスポットや動画サイトで流されている。
 
『コーヒーブレイク』ではKARIONの4人がコーヒーを飲んでいるが、美空だけ巨大なカップである。コーヒー豆を挽くのが光帆でサイフォンで煎れるのが音羽、コーヒーを持ってくるのがマリとケイ、ということで08年組総出演のビデオになっている。私はKARIONの蘭子としてテーブルに座ってコーヒーを飲みながらおしゃべりしているし、ローズ+リリーのケイとしてウェイトレスさんもしている。実際の撮影の時は夢美が私のスタンドインを務めてくれている。この時期、夢美はKARIONの重要なスタッフになりつつあった。
 
『夕映えの街』は醍醐春海がこの曲の着想を得たという、千葉の玉依姫神社で撮影を行った。神社の裏手に4人が佇み、夕日を背景に各々楽器(和泉ギター、小風ギター、美空ベース、蘭子ショルダーキーボード)を弾いているシーンを撮影している。これに千葉市内の夕暮れ時の映像をミックスしている。
 
『恋の足音』はためらいがちに男の子に迫っていく女の子の姿を下半身のみ映している。実際に出演しているのは女の子は小風で、男の子は櫛紀香さん自身である。バスケットボールをドリブルしているシーンが出てくるが、これは『恋のブザービーター』で頼んだ美空の友人のバスケ選手にまたお願いしたという話であったが・・・つまり醍醐春海こと千里である!
 

この記者会見の翌日・土曜日、私は政子と一緒に少し良い服を着て帝国ホテルに出かけていった。この日、葵照子(蓮菜)の時間が取れるということで一緒に会食をすることになったのである。葵照子・醍醐春海ペアに会えるということで、和泉たちも来ると言い、それに★★レコードの氷川さんも参加して合計8人による会食となった。
 
但し、入るのは前回千里と入った高級フレンチレストランではなく、今回は和食の店である。あまり他の客に見られないように個室に案内してもらう。お勘定はレコード会社持ちで、取り敢えずおひとり様2万5千円の懐石料理を頼んでいるが、氷川さんは美空や政子の前で「天麩羅やお刺身など、自由に追加で注文していいですから」などと、私にはとても言えないセリフを言って、ふたりがワクワクした目をしていた。和泉も頭を抱えていた。
 
最初に、初対面となった蓮菜・千里に、和泉・小風が名刺を交換して握手をした。
 
「少し関係を整理しておきましょう」
と氷川さんは言う。
 
「色々なものの発端になっているDRKに、葵さん・醍醐さん、それに美空さんが居たんですよね?」
「そうでーす」
「女子高生バンドだったんでしょ?」
「そそ。メンバーはピーク時には15人まで膨れあがってる。プロデューサー役の男の子を入れれば16人だけどね」
 
「鮎川ゆまさんが、鍵を握る人物のひとりのようなのですが、DRKが発端になりデビューすることになったのがLucky Blossomで、鮎川さんはそのサブリーダー。でも鮎川さんとケイさんって、おふたりともドリームボーイズのバックダンサーだったんですね」
「ええ、ゆまとは長い付き合いです」
 
「鮎川ゆまさんと近藤七星さんが元同級生で、七星さんは現在ローズ+リリーの事実上のサウンドプロデューサー役」
「私とマリの理解者です」
 
「醍醐春海さんの妹さんがリーフ、別名大宮万葉さんで、スイート・ヴァニラズの曲や槇原愛の曲を書いていますが、彼女は鮎川ゆまさんの生徒なんですよね」
「姉妹で2人とも作曲家って凄いですね」
「しかしゆまさんは、いろんな人とつながってますね」
「今頃くしゃみしてますね」
 
「鮎川さんの先生が雨宮三森先生ですが、雨宮先生は、葵さん・醍醐さん、ケイさん、にとっても先生なんですよね?」
 
「そうなんですけど、ごく最近までそのことをお互いに認識してなかったのですよ。私も鮎川さんとはLucky Blossomの結成の頃にはお会いしたのですがその後は全然交流が無かったし、ケイさんが雨宮先生と関わっていたというのも、ごく最近まで知らなかったんですよね」
と千里は言う。
 
「こちらはつい先月まで知りませんでした!」
と私は言う。
 
私と千里はふだんはお互いに呼び捨て・ため口だが、この場では氷川さんがいるので、業界的に上位の私に「さん」を付け敬語を使っていた。ただし、この日は話が進むにつれ、次第にお互いいつもの口調になってしまった。
 

「雨宮先生って男の娘を育成する趣味に燃えてたんじゃないかなあ」
と政子が発言する。
 
「ケイでしょ、醍醐さんでしょ、花村唯香でしょ、新田安芸那でしょ。特に言ってなかったけど、多分、近藤うさぎも関わってるよね」
 
「え?醍醐さんって男の娘なんですか?」
と和泉がびっくりしたような声を出す。
 
「生まれた時は男の子でした。でも性転換して戸籍も修正して今は完全に女になりました」
と千里は言った。
 
「うっそー!?」
「全然そんな感じに見えない」
 
と和泉と小風は本当に驚いた様子である。
 
「冬と千里さんって、たぶんどちらも幼稚園くらいのうちに性転換しちゃったんだと思う。でないと説明できないことが多すぎるんだよ」
と美空が言う。
 
「私が性転換したのは大学2年の時だけど」と私。
「私が性転換したのは大学4年の時だけど」と千里。
 
「いや、どちらも嘘ついてる」
と政子が断定する。
 

「政子さんが喜びそうなものを見せてあげよう」
と言って蓮菜が1枚の紙を取り出す。千里は手で額を押さえて苦笑している。
 
「何、何? 診断書」
「ん?」
「陰茎・陰嚢・精巣を認めない。CTスキャンで残留睾丸を認めない。大陰唇・小陰唇・陰核・膣を認める。尿道は通常の女性の位置に開口している。外見的に女性型の性器に近似している。これって?」
 
「ああ、性別変更の申請書類に添えた診断書でしょ?海外で手術した場合、国内の病院でこれを取らないといけないんだよ。私も書いてもらったよ」
と私は言ったのだが、
 
蓮菜は
「日付を見るように」
と言う。
 
「ん?」
「平成18年11月13日?」
「平成18年って何年?」
「2006年」
「ちょっと待って。その時、千里何歳?」
 
「まだ15歳だよ」
と千里は答える。
 
「それって、その時、既に性転換手術済みだったってこと?」
 
「まあ、それで私は女子バスケ部に登録されることになったんだけどね」
と千里は言う。
 
「千里、インターハイに行ったって言ってたけど、女子チームで行ったんだ?」
「うん。うちの高校、男子はインターハイに行ったことない。伝統的に女子が強い学校なんだよ」
「えーーー!?」
 
「まあこの診断書があれば女子チームに入れるだろうね」
「実は最初男子チームに入ったんだけど、私の性別を協会から疑問視されて、精密検査を受けさせられたんだよ。そしたらお医者さんがこれを書いたんで私は女子チームに移籍することになった」
 
「じゃ、やはりそれ以前に性転換してたんだ?」
 
「ところが私が性転換手術を受けたのは、大学4年の時なんだよねぇ」
「じゃ、これはお医者さんを誤魔化して書いてもらったとか?」
 
「そんな誤魔化しとか利かないと思う。それからこれは誓って言うけど、私はインターハイに出た時は間違いなく女の子の身体だった」
と千里は言う。
 
「私はやはり千里は中学生くらいの内に性転換したんだと思う。だいたい高校の生徒手帳は性別・女になってたしね。実際、千里は高校ではほとんど女子制服を着ていたよ」
と蓮菜は言う。
 
「冬も生徒手帳は女で、高校はずっと女子制服だったんでしょ?」
と美空。
「私の生徒手帳は男で、男子制服を着てたよ」
と私。
 
「それが嘘だということは私が証言する」
と政子。
 
「そんなあ」
 
「ただ、千里が中学くらいで既に性転換していた場合、一昨年タイに行って、何の手術を受けてきたのか私も分からないんだよね」
と蓮菜。
 
「うん、私自身もそのあたりがさっぱり分からない」
と千里本人。
 
「もしかして若くして性転換していたから、人工的なヴァギナが縮んでしまって、それを再手術で拡張したとか?」
「美空ちゃん、勝手な妄想をしないように」
 
「冬は小学生の内に性転換したんでしょ? 後で拡張が必要にならなかった?」
「小学生で性転換なんてしてないよ」
 

千里の性別問題で話は随分盛り上がってしまったが、その後はローズ+リリー、KARIONのアルバム制作の話も、かなり突っ込んだ議論をした。お互いに非公開の仮MIDI音源(アルバム候補曲なので双方20曲程度)を聴き、どの曲がいいかというのも、お互いに言い合った。千里や蓮菜も遠慮無く意見を言ってくれた。
 
「これ、せっかく頂いたのにケチつけるのも何だけど、上島先生の作品はちょっと見劣りするよ」
「冬、この仮音源を先生に聴かせてごらんよ。きっと書き直してくれるよ」
「ちょっとさすがにそれは言えない」
 
などと言っていたのだが、氷川さんが
「それ、私から要求します」
と言ってくれた。
 
「上島先生は仕事のしすぎだよなあ」
「楽曲の品質が全体的に落ちている気がする」
「いや去年くらいが底だったと思う。今年は去年よりはいい。でも数年前からするとまだまだ」
「もっと仕事の量を絞った方が品質は上がると思う」
 
「たくさん書きすぎて、多分自分が書いた作品を覚えてない」
「いや、覚えていたら次の作品を作れない。書いたら即忘れてると思う」
 
「樟南さんの作品もちょっと見劣りするな」
「いや、他の楽曲がハイレベルすぎるんだけどね」
「ごめーん。私がそれ調整する」
「ん?」
 
「樟南名義の作品って、半分は冬の作品だよね」
と千里が言う。
 
「うん、実はそう。樟南さんから頂くのはモチーフだけだからそれを構成するのは私の仕事」
「えーーー!?」
 
「蔵田さんの作品もでしょ?」と千里。
「今の発言、みんな聞かなかったことにして」と私。
 
「ほほぉ」
 
「ローズ+リリーのアルバムは14曲にするのか」
「今回、いろんな人から楽曲をもらうから、それでマリ&ケイの作曲能力が衰えてるとか言われないように、マリ&ケイを10曲入れる」
「なるほど」
 
「こちらは何曲になる?」と小風。
「今回8組のソングライターさんで構成するからね。和泉+歌月を4曲入れて12曲になるかな」と和泉。
 
「いや、その計算はおかしい」
「あれ?」
「8組って誰々だっけ?」
 
「泉月(森之和泉+水沢歌月)、雪鈴(ゆきみすず/すずくりこ)、広花(広田純子/花畑恵三)、照海(葵照子/醍醐春海)、福孝(福留彰/TAKAO)、櫛信(櫛紀香/SHIN)、天万(岡崎天音/大宮万葉)、樟南、東堂千一夜」
と和泉が考えながらリストアップする。
「天万さんはスイート・ヴァニラズの代わりね」
 
「既に9組いるけど」
と小風。
 
「うっそー。なぜ〜〜!?」
と和泉は声をあげる。
 
「ああ。アルバムタイトルが四方八方だったから、歌うのは4人で、ソングライターは8組という趣旨だったのね?」
と美空。
 
「いづみちゃん、マリ&ケイからも1曲提供しようか?」
と政子が言い出す。
 
「待って。ちょっともう1度計算してみる」
と和泉は珍しく焦って指を折っていた。
 
そんな議論をしながらも、政子と美空の食は進み、天麩羅の盛り合わせを何度もお代わりして、見ている蓮菜が目を丸くしていた。そしてお勘定はかなりのものになったようであった。
 
「美空ちゃんや政子さんにディナーをおごる時は、その前にラーメンでも食べさせておこう」
などと蓮菜は言ったが
 
「あ、ここに来る前にまぁりんとふたりでラーメン3杯ずつ食べてきたよ」
 
と美空が言うと、蓮菜は声も出ないようであった。
 
 
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【夏の日の想い出・食事の順序】(下)