【夏の日の想い出・港のヨーコ】(3)
1 2 3
(C)Eriko Kawaguchi 2013-11-03
そういう訳で出演に同意して、私は客席に戻った。
「何だったの?」
「ちょっとレコード会社の用事」
「へー」
などと言っている間に演奏が始まる。冒頭は『恋のクッキーハート』だが・・・
「ねえ、伴奏の人たち何で変なの付けてるの?」
「ヴェネツィアン・マスクだよね。ヴェネツィアのカーニバルで使われるお面だよ。このバンドはよくこういうお遊びするんだよ。以前顔にペイントしていたこともあるよ」
「ふーん。セーラーVか、美少女仮面ポワトリンかって感じだね」
私達の席は他の客の席から数m離しているので小声で話せば迷惑にならないし、そもそも他の人に聞かれる心配も無い。
「ポワトリンはよく分からないけど、セーラーVが付けてるようなシンプルなのじゃなくて、けっこうデザイン凝ってるからね。仮面舞踏会なんかに付けて行ってもいい感じだよね」
「仮面武闘会って、お面をして棍棒持ってバトルロイヤル?」
「違ーう。踊る方の舞踏だよ」
「いや、スリーピーマイスの『仮面武闘会』聴いてたから」
「去年の2月に温泉で聴いた曲だよね」
「温泉? あ!あの時のお姉さんたちか!今気付いた」
「そうそう。ティリーとエルシーだよ」
「じゃ、私達貴重な素顔を見てるんだ?」
「まあ仮面付けてると人相分からないね」
「そういえば、冬の男装を見ている人もレアだよね」
「そんなこと無い。学校のみんな見てるでしょ?」
「それがそうでもないんだよね。うちのクラスの紗恵ちゃんとかも、冬が学生服を着てることあったっけ? いつも女子制服着てたよね?なんて言ってたよ」
「校内では着てないけどなあ」
「でもあのお面、この距離からじゃよく見えないけど、なんか複雑な造りみたいね。100円じゃ買えないかな?」
「さすがに100円じゃ買えないね。あれは樹脂製だから2000円くらいだよ。鉄を腐食させて穴を空けて作る本格的なのだと数万円するだろうけど」
「万! そんなの買うなら私、二○加煎餅(にわかせんべい)のお面にして、タコ焼き食べたい」
「ヴェネツィアにタコ焼き売ってるかなあ。でも二○加煎餅の仮面も同系統だね。ヴェネツィアン・マスクにも紙製のはあるよ。ただライブは照明もあって暑いし身体を動かして汗掻くんで紙製は諦めたみたい」
「よく知ってるね」
「小風ちゃんとこないだ会った時に聞いたから。最初和泉・美空・小風の3人もあれ付けると言ってたのがレコード会社の許可が下りなかったらしい。アイドルが顔を隠すなんてとんでもない、と。小風ちゃんはマーサも会ってるでしょ。去年の5月にスーパーで買物してて遭遇したじゃん」
「あ!冬がスカート穿いてるの見ても驚かなかった子だ。冬の元恋人?」
「ボクが女の子と恋人になる訳ない」
「それはそーだ」
最初そんな軽口を言っていた政子も『恋のクッキーハート』の曲が進むにつれだんだん厳しい顔になる。やがて曲が終わり、3人の中で中央に立っている和泉がMCをし始めると、政子は訊いた。
「あのしゃべっている子が、森之和泉?」
「そうだよ。よく分かったね」
政子の顔が今朝の時点より5倍引き締まっている。昨日会った時からすると100倍くらいの調子になっている。それに目が燃えている。やはり、この子は「慰め」
たり「励まし」たりして立ち直るタイプじゃない。自分で立ち直れる子。そして戦闘本能を刺激するのが一番効果ある。私は政子の表情を見ながらそう思った。
政子はその後、『水色のラブレター』の演奏中も厳しい顔をしていた。和泉の詩の曲だけに反応するというのが面白い。福留さんの詩だって、充分素敵な詩だと思うのだが、政子がライバル心を感じるのはどうも和泉だけのようだ。
「ねぇ、バックバンドの人って5人?」
「そうだよ。2人はサポート。どの人がサポートか分かる?」
「あの鉄琴みたいなの打ってる人とキーボード弾いてる人」
「さすが、よく分かったね」
「他の人と溶け込んでないんだよ。長時間煮たカレーに後から入れたタマネギみたいな感じ」
その次の曲で2人ミュージシャンが入ってくると
「あ、この曲でフルート吹いてる人とヴァイオリンの人もサポートだね」
と言う。
「そうそう」
前半が終わり、歓声と拍手の中、和泉・美空・小風と伴奏陣が舞台袖に引き上げる。代わって、ゲストコーナーで歌う歌手が出て行き、挨拶して、マイナスワン音源で歌い始める。
それが終わると後半である。着替て別の衣装になった和泉たちが出てきてローズ+リリーの『遙かな夢』を歌った。
「ちょっとー、誰がこれ歌うの許可したのよ?」
などと政子は言い出す。
「ごめんね。ボクが許可した」
歌い終わってから、和泉が発言する。
「同い年のユニットとして、また同じ年にデビューしたユニットとして、私たちは彼女たちのトラブルに心を痛めています。現在、一時的に活動停止状態になってしまっているようですが、私たちはローズ+リリーが早く復活してくれることを祈っています」
すると政子は私の隣の席で「同情してもらわなくても復活するけどね」と言った。上々だなと私は思った。
後半の曲が続いていく。政子は『空を飛びたい』など和泉が詩を書いた曲だけに反応する。なかなか面白いなと思った。
やがてステージも進み、残り数曲。『トライアングル』を、コーラス隊の子が2人前に出てきて5人で歌う。それを聴き終わって和泉がMCを始めた所で、私は政子に
「ごめん。ちょっとトイレ」
と言って席を立った。
私が席を離れたので、近くに居た警備の人が寄ってくる。
「どうしました?」
「すみません。トイレに行ってきます」
「ではいちばん奥の左側のドアから出て下さい。足下に気をつけて」
「ありがとうございます」
言われたドアの所まで登っていき、そっとドアを開けて二重扉の間に出る。内側のドアをしっかり閉めてから外側のドアを開けてロビーに出る。そのまま楽屋に行く。楽屋口に立っている人にバックドアパスを見せて中に入る。
すぐに着ていた◎◎女子高の制服を脱ぐと、伴奏者のステージ衣装を着る。ウィッグを付け、メイクしてもらう。今回のツアーで伴奏者がみんなつけているヴェネツィアン・マスクを付ける。舞台袖に行ってスタンバイする。
前の曲が終わる。和泉がMCをする。前の曲でフルートとヴァイオリンを弾いていたサポート・ミュージシャン、それにキーボードを弾いていた人も下がる。代わりに私が出て行き、グランドピアノに座る。
和泉が「今日最後の曲です。『優視線』」と告げる。
DAIさんのドラムスが鳴る。身が引き締まる。
私は客席の方を見ないようにしてピアノの盤面に集中して演奏した。いくらマスクをしていても、万一目が合ってしまうと、一瞬で政子は私であることに気付くだろう。
和泉たちの歌が、AA′BB′CC′AA′と進み、そこから間奏に入る。私の演奏の魅せ所だ。
この曲の音源制作をした時は自分の素性がいきなり全国に曝されて、もう開き直って半ば世の中どうでもいいような気分で、たまったストレスを全部鍵盤に叩き込むような感覚で弾いた。
その後、和泉にこれふつうの状態でも弾けるように練習しようと言われて、フル鍵盤のキーボードを買って年末年始必死に練習した。そして今日は昨日から2日間政子と濃厚な時間を過ごし、ふたりの絆を再確認し、凄く昂揚した状態。
その昂揚した気分で弾くと、指が動く動く! 音源制作した時以上によく動く感じだ。ほんとにこれ超絶プレイだよなと自分でも思う。
間奏を弾き終わった所で客席から歓声と拍手が来た。その歓声の中、和泉たちの歌が再開する。それに合わせて私は和音や装飾音を弾いていく。
一瞬だけ2階席の政子の所を見た。目が合う心配は無かった。政子は和泉を睨み付けている感じだ。やはりね。この強い視線はどんなに一番奥の席からでも和泉が意識するだろう。しかし和泉はそれを快感に感じるだろうなと私は思った。どちらにとっても優視線だ。
前で歌っている3人の昂揚している雰囲気が伝わってくる。こちらも調子良くピアノを弾く。TAKAOさんたちの伴奏もノりにノっている
やがて曲が終わる。
大きな拍手・歓声とともに幕が下りた。
和泉たちがピアノの所に寄ってきた。私は3人と順番にハグし、一緒に下がった。今日ずっとキーボードを弾いてくれていた人が私に握手を求めてきた。
「凄いです! こんな演奏を生で見られて、私幸せです」
などと言われる。
「いえいえ。まだ未熟者なので。これからも研鑽します」
「頑張ってください。私も大きな目標ができました」
確かに上手な人の演奏を見ると、見ただけで自分の演奏も進歩するものだ。私が夢美の演奏を見ながら自分を向上させていったように。
「そちらも頑張ってください。それじゃ『Crystal Tunes』お願いします」
「はい」
そんなことばを交わしたりして、私は楽屋に戻る。マスクを取ってウィッグを外し、メイクを落としてから座席に戻った。ファースト・アンコール曲が終わるところだった。
「あれ?冬、香水でも付けた?」
ギクッとする。メイクの残り香が政子の嗅覚に掛かったのだ。
「あ、ちょっと臭い消しに」
「ああ、大だったのか。道理で長かったね」
「あはは」
「冬、最後の曲を聴き逃したの惜しいよ」
「何か凄かった?」
「バックバンドの6人目が出てきたからさ」
「へ?」
「電子キーボードを弾いていた人が下がって、別の人がグランドピアノに座ったんだよ」
「別の人なの? そのキーボード弾いてた人が再度出てきたんじゃなくて?」
「別人。だってあのピアニスト、ドラムスやギターやベースの人たちと溶け込んでいた。いつも一緒にやってる人だと思った」
「へー」
「レギュラーのピアニストが居るのなら、なぜ他の曲では弾かなかったんだろうね?」
「さあ。忙しくて全曲弾く時間的な余裕が無かったのか、あるいは遅刻でもしてきたとか?あるいは以前はレギュラーだったけど辞めたのをその曲だけ特別に弾いたとか」
「ふーん」
ステージではセカンドアンコール曲『Crystal Tunes』を、グランドピアノとグロッケンだけの伴奏を背景に、和泉たちが歌っていた。
「このピアニストさんは、さっきの曲以外を弾いてたピアニストさんだよ。雰囲気的に」
「へー」
ライブが終わった後、気合いが入った感じの政子は
「超高級ホテルのロイヤルスイートに連れて行って。そこで詩を書くから」
と言った。
それで希望通り、ホテル日航東京のロイヤルスイートルームに連れていくと、そこで政子は『桜色のピアノ』『贅沢な紅茶』『ハイヒールの恋』など明るい詩を書くとともに、和泉の歌詞の添削!?までしたのである。
そして政子の戦闘意欲が復活したのを確信して、翌日2月1日の朝、私は政子をスタジオに連れていき、『長い道』『カチューシャ』『あの街角で』の3曲を吹き込んだ。この内、前2曲は、夏に発売するアルバムに収録されることになる。
その日昼頃、秋月さんに政子を家まで送って行ってもらい(詩津紅が代わりに出てくる)、その後、私は自宅にいったん戻った。
3日間私の身代わりを務めてくれた若葉とハイタッチする。母が
「そうしてるとほんとに姉妹みたい」
などと言って、若葉と並んだ記念写真を撮った。
一休みし、お茶を飲みながら若葉・母と少し話している内に、予約していたタクシーが来たので、私は◎◎女子高の制服のまま家から出て、タクシーに乗った。うちを訪問した人が帰りはタクシーでというのは、よくあるパターンなので記者たちも特に注意していない。それでタクシーで新横浜駅まで行ってもらう。中央道と第三京浜を通り、16時前に新横浜駅に到着した。そのまま駅の中に走り込み来た新幹線に飛び乗る。新大阪駅に18:20頃に到着した。連絡して待機してもらっていたので駅の北口に停まっている望月さんの車に飛び乗る。楽屋口に到着したのが18:30。
「遅い」
と小風から言われた。
「自分が2人欲しい」
と私は答える。
「冬は5人くらい居るのかと思った」
と小風。
「唐本冬子、柊洋子、ケイ、蘭子、水沢歌月が別人格で独立に動いていたりして」
「それができたら凄いね」
「取り敢えずライブで、ピアノとヴァイオリンを同時に演奏してもらえるな」
「そして前面に立って歌ってもらうんだよね」
「そうそう。ピアノ:水沢歌月、ヴァイオリン:柊洋子、歌唱:蘭子だよね」
「うーん。ギャラは3人分もらえるのだろうか?」
「してくれるんなら3人分払うよ」
と畠山さんは何だかマジな顔で言った。
この日のKARIONの公演は18:30開場・19:00開演であった。ギリギリで開演に間に合った感じだ。
和泉はこの日も昨日の東京公演と同様、同じ年にデビューした同じ年齢のユニットとして自分たちはローズ+リリーのトラブルに心を痛めており、早く復帰してくれることを祈るというメッセージを述べ、ローズ+リリーの『遙かな夢』
を演奏した。
昨日はこの曲を客席で聴き、自分がステージに行って歌いたい気分だった。今日は和泉たちが歌う後ろでずっとキーボードやピアノを弾いている。キーボードから離れて前面に出ていき、和泉たちと並んで歌いたい、いや政子を連れて来て、和泉たちを押しのけてふたりで歌いたい気分だった。
この日の公演は21時ジャストに終わり、明日学校がある私や和泉たち4人はアンコールが終わるとすぐに走って楽屋口の所に付けている望月さんの車に飛び乗り新大阪駅に行く。そして21:20の最終新幹線で東京に戻った。
新幹線の中で、予め買ってあったケンタッキーのバレルで打ち上げとする。TAKAOさんたちは大阪に残った畠山さんと一緒に大阪郊外で打ち上げをするはずだ。
コーラで乾杯し、美空が嬉しそうにチキンを頬張るのを見て、私は微笑んだ。
「冬、ステージに立ったのは11月30日の東京ライブ以来だっけ?」
「その後、12月13日に《ロシアフェア》というので歌ったんだよ。だから50日ぶりくらいかな」
「昨日と今日の感想は?」
「和泉たちが『遙かな夢』を歌っていた時、そこに行って歌いたいと思った。昨日も観客席でそういう気持ちだったけどね。雰囲気的にマリも同じことを考えている気がした。あの歌聴いた後で凄く気合い入ったから」
「歌いたいなら出てきて歌えば良かったのに」
「いつか歌うよ」
「でも顔を隠して演奏するというのは使えるなあ。来週は顔を隠して歌わない?」
「パス」
結局私が顔を曝してKARIONの公演に出たのは2008年11月のツアーが最後である。
私はこの日帰宅してから姉に頼んで髪を黒く染め戻した(ドリームボーイズやKARIONのライブではウィッグを付けている)。パーマの方も処理したかったが、そもそも年末に連続してカラーとパーマを掛けているから、これ以上同時にやるのはダメと言われた。パーマは髪が健康を回復した後にすることにして、長さだけ肩に掛からない程度まで切ってもらった。
そして翌日、2月2日月曜日。私と政子は45日ぶりに学校に出て行った。初日は双方の母も付いてきてくれた。最初校長先生といろいろ話し、そのあと担任の先生も入ってしばらく話した。そしてその日の2時間目から授業にも出た。すると級友から言われる。
「なんで学生服なの?」
「へ?」
「1ヶ月半学校休んでいる間に、タイに行って性転換手術受けているんだと聞いたけど」
「だからてっきり女子制服着て出てくるものと思ってたのに」
「それは根も葉もない噂というものではないかと」
「ほら、やっぱり私の言った通りだよ。冬は去年の夏休みに性転換したんだよね? だから女の子の身体になってからローズ+リリーとしてデビューしたんでしょ?」
「それも根も葉もない噂というものではないかと」
「もしかして冬ちゃん、生まれた時から女の子だったとか?」
「それは違うと思うけどなあ」
「なんか自信の無さそうな言い方」
「でも冬ちゃん、生理用品入れ持ってるよね?」
「持ってるよ」
「何が入ってるの?」
「生理用品」
「男性用の?」
「まさか」
「じゃ、女性用の?」
「そうだね」
「じゃ、生理があるんだ!?」
「えへへ、秘密」
その日、体育の授業があったので、私はこれまで通り、男子更衣室に行って着替えようとした。するとギョッとする様子の男子のクラスメイトたち。
「唐本、お前、なんでこちらに来るの?」
「え?ボク男子だし」
「ほんとに男なの?」
「そうだけど」
と言って、更衣室の中に入る。なんだかみんなこちらを注目している感じ。まあ、今更だしねー。
ということで、私は学生服を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ワイシャツも脱ぐ。みんながギョッとする雰囲気。
私は下着は女物を着けていた。ブラジャーに支えられたBカップのバスト、ハイレグビキニタイプのショーツには、膨らみのようなものは無い。むろん、身体にも足にもむだ毛は生えていない。肩はなで肩で、ウェストはキュッと引き締まっている。まあ、ふつう女の子のボディラインにしか見えないだろうなと自分でも思う。
周囲の視線が固まっているのを少し楽しみながら、私はふつうに体操服の上下を身につけた。
その日の体育はサッカーだった。私は走るのは得意だから、校庭いっぱい走り回って、プレイする。ゴール前で乱戦になる。私とボールを取り合った子が、勢い余って私と接触する、というかまともに私の胸にぶつかった。
「わっ、すまん!」と彼が謝る。「あ、こちらこそごめんなさーい」と私も答える。
ということで、その日の放課後、数人の生徒が先生の所に言って訴えたらしい。
「唐本に男子更衣室を使わせるのやめさせてください。あいつ、ほぼ100%女ですよ」
「おっぱいもあるし、チンコは無いみたいだし、あの身体で男子更衣室で着替えられたら、みんな立ってしまって、本能暴走しそうです」
「校内レイプ事件が起きる前に何とかしてください」
「性転換してないなんて絶対嘘です。あれどうみても完全性転換手術済みか、そうでなかったら元々女だったかです」
「唐本を男子と一緒に体育させるの問題です。女子と一緒にさせた方がいいと思います」
「唐本、身体は完全な女みたいだから、サッカーとかラグビーとかバスケみたいに身体の接触の生じる競技は、男と一緒にさせちゃダメですよ」
「みんな唐本と接触しないようにするから、それで怪我したりする奴が出かねないです」
ということで、私は翌日体育の先生に呼ばれて、着替えは男子更衣室ではなく、面談室の空いている所を使うように言われた。まあ、いつもそこで女子制服に着替えたりしてたんだけどね!
体育を男子と一緒にさせていいのか、女子の方に入れるべきかについてもかなり体育の先生達の間で議論されたらしいが、すぐには結論が出なかったらしい。
でも同じクラスの琴絵・紀美香・理桜がやってきて
「冬、体育の先生たち、冬を男子の方に入れるか女子の方に入れるか悩んで議論してるみたいだよ。女子の方に入ってもいいように、このダンス覚えてよ」
と言って、音楽を鳴らして比較的リズム感の良い紀美香が踊ってくれた。
「こんな感じ?」
と言って、私が踊ってみせると
「なぜ1発で踊れる?」
「私達今日1時間ずっと練習してても、なかなかまともにならなかったのに」
などと言われた。
「冬って、そういえば1年の時もけっこう女子のダンスを速攻でコピーして踊ってたね」
「ダンスのセンスが良い〜」
「ね、ドリームボーイズのバックダンサーの柊洋子というのが冬なのでは、という説もあるけど、どうなの?」
「何それ?知らなーい」
「やはり他人の空似なのだろうか?」
「私、中学の時の友だちに、あんたと同じ顔の人を10人知ってると言われたことあるよ」
「へー。そんなにありふれた顔なのかな?」
私達が久しぶりに学校に出かけて行った日、授業が終わって帰宅すると自宅の周りは黒山の人だかりだった。また何かスクープでもあって記者が集まってきたのか?と思ったら、あちこちのプロダクションのスカウトたちだった。
私と政子が「どこのプロダクションにも所属していないフリーのアーティスト」
と連盟から認定されたことから、どこのプロダクションも自由に私達と交渉してよいことになったということだった。その交渉解禁日が2月2日だったのである。
私はそのスカウトたちにもみくちゃにされながら、何とか自宅の玄関まで辿りつき中に入って硬くドアを閉じたが、政子は恐れをなして逃げだし、詩津紅の家に保護してもらった。私は玄関まで辿り着く前に名刺を10枚くらい受け取ってしまった。
私は政子と携帯で連絡を取りつつ、何事なのか事態を把握するために丸花さんや畠山さんと連絡を取って、やっと状況が分かった。それで政子のお母さんと携帯で連絡を取り、話は一緒に聞こうということになった。
取り敢えず整理券を配った上で、ホテルの会議室を2つ確保して、1つを話を聞く部屋、1つをスカウトさんたちの待合室にした。お茶や軽食などまでサービス(私の自腹)したので、スカウトさんたちから感謝の声があがっていた。話を聞くのは結局私と私の母、政子の母に、弁護士さんの4人ということにした。
話を速やかに済ませるため問診票?のようなものを作り、スカウトさんたちに配って記入してもらった。そして順番に1社10分くらいの見当で朝まで13時間掛けて話を聞いた(夕方6時から朝の7時まで)。
さすがにクタクタになった。うちの母と政子の母はそのままそのホテルに部屋を取り、寝ると言っていたが、私は学校があるので出て行く。
「あれ、スカウトさんたちどうしたの?」
と今日は詩津紅の家から出てきている政子が訊く。
「全員のお話聞いたよ」
「すごー! 50人くらい居なかった?」
「全部で80社あったね」
「それがみんな私達と契約を望んでいるの?」
「大半は社長に言われたんで出てきたけど、きっと獲得できないだろうな、という雰囲気のオーラをにじませていた」
「それだけあったらこちらも選びたい放題だね!」
「とにかく昨夜話を聞いたので、こちらの基準で残ったのは15社。他の65社にはお断りの手紙を書かなきゃ」
「65通か。プリントするの大変そう」
「印刷じゃなくて、手書きで書くから」
「へ?」
「ボクが文章は書くから、政子、署名して。政子のお母さんも」
「65通に署名!?」
「冬、65通も直筆の手紙を書くつもり?」
と詩津紅から言われる。
「きっちりお断りするのに印刷じゃ申し訳無いでしょ? だから手書きするよ。だって、お断りするプロダクションのタレントさんたちとも、今後の付き合いがあるんだからさ」
「冬、偉ーい」
この65社の中には、例の私達のライバルのデュオを売っていた大手プロダクションも入っていた。ライバルのアーティストを持っているのに、こちらのスカウトに来るというのは凄い根性だ。でもそのくらいの根性が無いとこの業界では生き残っていくことはできないのだろう。
そういう訳で、私は2月3日、夕方から、お断りの手紙を書き始めた。この作業は1社20分で合計22時間の作業となった。学校を5時間目で早引きさせてもらい、帰宅後少し仮眠してから書く。16時頃から午前3時頃まで11時間ほど書き続け、2日で全てのお断りの手紙を書き終えた。それに私自身、私の母、政子、政子の母の4つの署名を添える。こちらの署名まで書き終えた分を随時姉が車で政子の家まで運んでくれた。また宛名も姉が書いてくれて、2月5日朝に郵便局に出したので2月6日金曜日には全て到着したはずである。
ひとつひとつのプロダクションにそこ専用の文章を書いた(そこの所属のアーティストを褒めたり、療養中のアーティストや幹部さんを気遣ったり)ので、このお断りの手紙を受け取ったプロダクションは皆驚き、私たちの評価がマジで上がったようであった(実際の文章のネタは実は★★レコードのスタッフに分担で提案してもらった)。町添さんは、冬ちゃんはやはり戦略家だと楽しそうに言っていた。
ところで2月2日に話を聞いた80社の中に∴∴ミュージックと△△社は入っていなかったが、畠山社長と津田社長からは「当然獲得を目指す」ということを言われていた。それ以外の、以前から私と関わりのあったプロダクションは参戦していない。
ζζプロは看板歌手の松原珠妃が私を自分の所からデビューさせることを拒否しているので参戦せず。$$アーツはAYA, &&エージェンシーはXANFUSを抱えていて各々競合するので参戦せず、§§プロはこの時期、移籍問題で揉め事が起きていて、そちらに手が取られており参戦できず。そして○○プロは「きっと△△社が君たちを獲得するだろうし」と言って、また共同プロデュースすれば良いという姿勢で直接の獲得には参戦しなかった。そして獲得に参戦していない故に○○プロは自由に私達と接触することができた。翌年私達がUTPと契約するまで私達は実際、★★レコードの町添さんと、○○プロの丸花さんの指示で動いていたのである。
そういう訳で私達の獲得を目指して争う事務所は17社であった。(これが1年後までに、△△社・∴∴ミュージック・##プロの3社に絞られていく)
手紙を書き終えて木曜・金曜はひたすら寝て体力を回復し、次の週末2月7-8日は札幌と福島であった。私はこの時期は父が仕事が忙しく金曜の朝から月曜の夕方まで会社に行きっぱなしになっているのをいいことに泊まりがけで出かけて行った。母が
「あんた、歌手活動を自粛すると言っていた気がするけど」
と言うが
「伴奏の仕事だよ〜」
と言って私は出かけて行く。実は先週までは「ステージ上で歌わないでね」と言われていたのだが、今週からは丸花さんから「歌っても良い」と言われていた。要するに2月2日の交渉解禁日までは、停めておいたということのようであった。
「それにあんた女物の服を持って出かけてない?」
「出かける時はスカート穿いてないよ」
そんなことを言って私は「どう見ても女の子のパンツルックにしか見えない」
ような格好で家を出て、奈緒の家で普通のスカート姿に着替えると羽田へと行った。
でも11日の名古屋からは
「私がスカート外出許可出すから、うちからふつうの格好で出かけなさい」
と母が言ってくれたので、私は普通に女学生っぽいセーターとスカートにハーフコートといった出で立ちで出かけるようになった。
この時期は記念日続きなので、今回のKARIONのライブでは色々無料配布品も設定していた。2月14日バレンタインの岡山公演では1口チョコレート、3月3日雛祭りの「女子限定ライブ」ではミニ菱餅、3月6日「弟の日」の「男子限定ライブ」では雛あられを配っている。
3月7日(土)。この日は久しぶりに《まともに》政子の家を訪れた。朝8時に普通に自分の家の玄関から出て、タクシーでいったん絵里花さんのお父さんがやっているケーキ屋さんに行き、まだ開店前だが頼んでいたケーキを受け取り、それから政子の家の前でタクシーを降り、玄関から家の中に入った。堂々と出入りしたのは、最初の報道があった翌日以来である。途中2度訪問したのは忍び込みであった。
私が純粋に女の子っぽい服で訪問したので、一瞬お母さんは私を認識できなかった感じであった。ここまで2度夜中に訪問した時は忍者みたいに黒尽くめの衣装だったし、2月頭に学校の校長室で会った時は私は学生服である。
「そうしてると普通に女の子に見えちゃう」
と政子さんのお母さん。
「そりゃ冬は女の子だもん」
お母さんが紅茶を入れてくれて(政子はこういう時に動く気は無い)、一緒にケーキを食べながら、年末以来のことをあれこれ話したが、その後、お母さんが「2時間ほど出かけてくる」と言って外出し、私達をふたりきりにしてくれたので、私達はその日、インサートこそしなかったものの、本当に激しく愛し合う感じの睦み合いをした。でもそれによって、私達の絆はまたしっかりしたし、政子の精神力もまた回復した感じであった。
1月末に伊豆のキャンプ地に行き、KARIONのライブを見た日、政子は「1000年くらいしたら、私ステージに復帰する」と言った。でも、この日を境に政子は「500年くらいでいいかな」と言い出した。政子の時間感覚は指数関数的な気もする。
「そうそう。こんなの取っちゃった」
と言って政子は封筒に入った書類を見せてくれた。
「診断書? う・・・・これは!」
それは政子の処女膜が完全に残っていることを診断したものであった。
「念のためって2ヶ所の病院で取ったんだよ」
と言って、もう1枚も見せてくれる。
「恥ずかしかったぞ。でもこれで万一百道良輔がごねて裁判になったらこれを提出すればいいから、今日は私、処女を捨てていいよ」
「えーっと」
「お母ちゃん帰ってくるの、お昼頃だろうから、まだ1時間くらい時間がある」
「ごめん。ボク本当はもう立たないんだよ。精子も無くなっているし」
「それは11月にも言ってたね。でも精子無いなら、生で入れても大丈夫だよ。多分。立たないのは、何とかすれば立つと思うけどなあ」
「ボクは別にいいから、政子が気持ち良くなるようにしてあげるよ」
「うーん。まあいいか」
ということで、私達の睦みごとは続いていった。おちんちんが無いのなら指でもいいから入れてと言われたが、遠慮しておいた。
最後はふたりとも眠ってしまった。部屋の戸がノックされて
「トンカツ買ってきたけど食べる?」
というお母さんの声。
それで服を着て居間に出て行った。山のように積み上げられたトンカツを見て政子が嬉しそうにする。私はそれを微笑みながら見ていた。政子が凄く満足そうな顔をしていたので、今日こそは私たちセックスしたと思われているよなと思った。
13時すぎにタクシーを呼んで、政子の家を出た。最寄りの中央線の駅まで行く。特快に乗って東京まで行き、山手線で浜松町、そしてモノレールに乗って羽田まで行く。私の分のチケットまでチェックインして待ってもらっていて望月さんと一緒に15:20発の富山行きに乗る。16時半に富山空港に着き、タクシーに乗って17時頃、会場に入った。この日はKARION富山ライブである。
私が楽屋に入っていくと、和泉がじっと私の顔を見た。
「な、何か付いてる?」
「冬、マリちゃんと、やっちゃったでしょ?」
と和泉は言う。
「えっと、そのあたりはプライバシーということで」
「あれ?でも冬はもうおちんちん付いてないのでは?」
と小風。
「レスビアンだよね?」
と和泉。
「えっと、友だちだけど」
「何を今更」
でもその日は私のピアノの音は《なまめしかった》と言われた。
この日はこのまま富山に泊まり(「マリちゃんが居なくて寂しくない?」などとからかわれた)、翌日サンダーバードで移動して京都公演をする。そして翌週3月14日の横浜公演が今回のツアーの最終日だった(15日の日曜日からは音源製作が待っている)。
この日はホワイトデーなので『恋のクッキーハート』にちなんで、ハート型のクッキーを入場者全員(男女よらず)に配布した。
公演前に楽屋でおしゃべりしていた。
「怒濤のツアーも今日で最後か」
「始まる時は、いっぱいあるなと思うけど、最後になると寂しいね」
「次のツアーは多分ゴールデンウィークくらい」
と畠山さんは言う。
「でも洋子が横浜で演奏すると、港のヨーコ・ヨコハマだな」
とだじゃれが好きな小風が言った。
「その後、横須賀でも演奏したら完璧だね」
などと言っていたら、私の携帯に着信がある。
ドリームボーイズの蔵田さんだった。
「洋子、今横浜だよな?」
「はい、そうです」
「じゃちょうどいいや。そちらの公演が終わったら横須賀に来て」
「何か仕事ですか?」
「まあ来れば分かるから」
ということで、私は公演後、打ち上げをパスして横須賀に向かうことになった。小風が
「やはり、港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカになった」
と言って喜んでいた。
私が横須賀に着く頃、蔵田さんからメールが入り、猿島行きの連絡船に乗る。夏なら海水浴客などもいるのだろうが、今の季節は釣人っぽい人が数人乗っているだけである。桟橋の所に蔵田さんが居て「こっち来て」というので付いて行く。映画にでも出てきそうな要塞島という感じだ。でも季節がらか全然人が居ない。まさか人気(ひとけ)の無い所でレイプされたりはしないよな?と一抹の不安を感じながらも一緒に歩いて行くと、やがて展望台に出た。そこに居るメンツを見て戸惑う。
「お早うございます」
と、とにかく挨拶する。
「やあ、お早う」
蔵田さんの所属事務所$$アーツの前橋社長、松原珠妃の事務所ζζプロの兼岩会長、○○プロの丸花社長、そして★★レコードの松前社長、という面々だった。
前橋さん以外は、普段あまり表には出てこない人たちである。松前社長とはこれまで何度か挨拶を交わした程度だったが、町添部長と一緒にローズ+リリーのことをあれこれ気遣ってくださっていたようである。
「あのぉ、何かの密議でしょうか?」
「そうそう、悪いことの相談」
と言って丸花さんが笑う。
「冬ちゃんたちさ、今たくさんのプロダクションから勧誘されてるでしょ?」
と松前さんから訊かれる。
「現在10社です。勧誘初日に17社に絞らせて頂きましたが、各々と話をして、こちらのコンセプトを理解してくださる所として、その10社が残っています」
「冬ちゃんさ。いっそ自分たちの事務所を作っちゃいなよ」
と松前さんは言った。
「へ?」
「君たちの交渉解禁日にプロダクションのスカウトさんたちに配った問診票を見たけど、専属契約か委託契約かという項目があったよね」
「はい。丸花社長の前でこういうことを言っては申し訳ないのですが、無効になった『暫定契約』は専属契約だったので、こちらの体力・精神力を遙かに越える仕事をするハメになって。あれでかなりマリが消耗してしまったので。その点をある人に相談したら、委託契約にして、こちらに仕事の裁量権を留保しないと、またそうなるよと言われたので」
「それは津田アキさん?」
「すみません。具体的な名前は勘弁してください」
「まあいいや。でも委託契約にするということは、やはり君たちの事務所が無いといけないでしょ?」
「あ、そうか」
「原盤権のことも問診票にはあったよね。この業界、原盤権での揉め事は多いからね」
「はい。私は勝手に編集されたベストアルバム程度なら問題にしませんけど、あまりにも自分たちの考え方と違うアルバムとか勝手に売られても嫌なので、できたら、自分たちの所で留保したいと。レコード会社などと共有する場合でも、半分以上はこちらが資金を出して、代表原盤権をこちらに置いておきたいなと」
「代表原盤権なんて難しい言葉を知っているというのは絶対誰かに入れ知恵されている」
「あははは」
「でも原盤権を所有したいなら、そのための音楽出版社を設立した方がいい。それで著作権と原盤権をまとめて管理する」
「ああ」
「だけどローズ+リリーの制作には億単位のお金が掛かるよ。それ全部自分で出せる?」
「まあ、できる範囲で制作すればいいかな、と。最初はTVスポットとかも無しで、youtubeとかにPVを流す程度の宣伝で」
「蔵田君は楽曲制作の協力費として、どのくらい払ってるの?」
「作曲印税・作曲著作権使用料の10%を洋子に、5%ずつを樹梨菜と大守に払ってます」
と蔵田さんは私達の作曲作業の分配金について説明する。
「じゃ今までかなりもらっているよね? どの程度貯金してる?」
「蔵田さんから頂いた分は全部貯金しています。もっとも頂いた額の半分は税金で消えていますが。基本的に私の活動費は伴奏とかダンスとかの仕事の報酬でまかなっていて、印税・著作権料の分は全部貯金です」
「偉いな。樹梨菜は貯金ゼロだと言ってたから。国民健康保険が払いきれないなんて泣きついて来たから、こないだ滞納してた2年分まとめて払ってやったけど、お前ブランド物とかも買ったりしてないみたいなのに何に使ったの?と訊いても、無駄遣いしてないはずだけどと言ってた」
「まあ、そうなっちゃう人が多いよね」
「彼女の年収があれば国民健康保険は最高額が課せられるから確かに高くて払うのは大変だろうけどね」
「住民税・国民健康保険は前年の収入に対して掛かるから、計画的にお金を留保してないと辛いんだ」
「でも冬ちゃんが、しっかり貯金してるなら充分音楽出版社を設立して音楽制作していく資金はありそう」
「音楽出版社って、登録料とか必要なんでしょうか?」
「別に必要無い。まあ業界団体のMPAに入会したければ入会金5万円。年会費12万円。もっとも最初は準会員にならないといけないから、その場合は入会金無しで年会費6万円だね」
「なるほどー。趣味で作ったような会社は入らなくてもいいよという会費だ」
「そうそう」
「でも個人的に音楽出版社を作っても、仕事がしていけるのでしょうか?この業界は、人と人とのつながりが大事だから、できたら色々な人と協力できる体制を作った方がいいよ、と」
「と、その人に言われたわけだ」
「あはは」
「冬ちゃんが、そう思ってくれているなら好都合。まあ、要するに今日は相乗りできないかなという打診な訳よ」
と丸花さんが言う。
「つまり、私とマリを中心とする権利管理会社を設立して、そこと今争っている10社の中のどこかとが委託契約を結ぶ形に持って行ければいいかな、という線になりますかね。それでその権利管理会社に、みなさん相乗りなさると」
「冬ちゃん、よく分かっている」
「みなさんに、その管理会社の株主になって頂けたらいいんでしょうか?」
と私は訊いたが
「それをやると、あからさますぎるからさ。こないだから、僕と兼岩さんで話し合っていたんだけど、匿名組合を作ろうかと」
と丸花さんが言う。
「どういうものでしょう?」
「出資者の名前を出さずに特定の企業などに投資する仕組みを作ることができるんだよ。元々は少額出資者のための仕組みだけどね」
「ああ。出資してくださる会社でその組合を作って、その組合が株主になる訳ですか?」
「そういうこと。君たち2人で裁量権を留保したいなら、君たちふたりで67%以上の株を持って、匿名組合は19%以下にすればいいかなと」
「ではちょっと持ち帰って検討を」
「あはは。まあ、その人を信頼しているみたいだから、よくよく話し合ってごらん」
「はい」
「19%って何か意味があるんですか?」
「それもその人に聞くといいよ」
「はい!」
その後、今勧誘されている10社の内、△△社と∴∴ミュージック以外の実態がよく分かっていなかったので、情報がもらえたらということで尋ねたら、各々の事務所の方針や雰囲気など色々教えてくれた。アーティストとの揉め事などについても可能な範囲で教えてもらう。やがて16時半を回る。
「あ、そろそろ本土に戻る最終便が出るよ」
「また、その内どこかで話をしよう」
「はい。じゃ、皆さんもお帰りになりますか?」
「あ、僕たちはもう少し話したいから、冬ちゃん先に帰って」
「はい。でも帰る手段は?」
「うん。適当に」
などと言っておられるので、挨拶して先に帰らせてもらった。
猿島から三笠桟橋に戻り、缶入り烏龍茶を買って飲みながら、横須賀駅までのんびりと歩いていく。駅に着いて帰りの切符を買おうとしていたら携帯が鳴った。
「ハロー愛しの君」
と私はオフフックするなり言う。
「冬も少しは気の利いた挨拶できるようになったね」
「どうしたの、マーサ?」
「今横浜に来てるんだけどね。冬、出てこられない?」
「行くよ」
「じゃ、そこから2時間くらいかな」
「今横須賀に来てるんだよ。だから1時間で行ける」
「じゃ横浜駅前の松坂屋の8Fレストランフロアで待ってる」
「松坂屋? 横浜の松坂屋は去年閉店したし、駅前じゃないし」
と言って少し考えて
「もしかして高島屋ということは?」
政子がそばに居るっぽいお母さんに訊いている感じだ。
「ごめーん。高島屋だった」
政子と待ち合わせする時は、固有名詞が怪しいので、なかなか危ない時がある。以前も神田駅まで来てというので行ったら、向こうは神保町駅に居た、なんてことがあった。13時と3時の間違いなんてのもよくある。
「OK。じゃ、そこ行く」
待ち合わせ場所に私が行くと
「おお、今日は完璧に女の子の格好だ」
と政子は嬉しそうに言った。
政子とお母さんで美術展を見に来たのだと言っていた。多分東京から少しでも離れた所の方が落ち着けるかなというのもあったのだろう。一緒に中華料理店で夕食を取り、のんびりと会話を楽しんだ。
「この子、期末テストは全教科80点以上で、先生にも褒められたんですよ。1月に休んでいた間に行われていた実力テストを参考で受けさせてもらったのでも校内100位相当の点数だと言われましたし」
「ローズ+リリーをしていた時期も政子さん、たくさん勉強していましたし、1月に休んでいた間も、随分勉強したみたいですね」
と私。
「うん。私結構頑張った」
と本人も言っている。
「やはり歌手やっていた時期って、勉強自体も時間が限られるから、その時間内に効率よく勉強する習慣が付いたし、歌手の活動自体も、曲を短時間で覚えなければいけないから、とにかく集中力が鍛えられた感じですね」
と私は言う。
「うん。またやりたいくらい」と政子。
「そうだねえ」とお母さん。
「そろそろまたローズ+リリーやりたくなってきた?」
と私は試しに訊いてみた。
「やりたい。ここ3ヶ月近く歌ってなかったから、かなり欲求不満」
「誰かのライブのゲストコーナーとかにちょっと出てみる?」
「そうだなあ。お父ちゃんと歌手やめるって約束したしなあ。でも歌いたい気はする。こっそり歌っちゃダメかなあ」
などと政子は言っている。
「もう少しほとぼり冷ましてからにしなさい」
とお母さん。
「それと4月の模試までは、あんた執行猶予中なんだから」
「だよね〜。これ作ったんだよ」
と言って政子は、パスポートを見せてくれた。
「なるほどー」
「これがあればいつでもタイに連行できる、ということらしい」
「あはは」
「でもさ、冬」
と言って政子はひじょうに重大な問題を打ち明けた。
「私ね。凄く歌いたい気持ちでいるの。でも今、歌う自信が無いの」
「ん?」
「私さあ。ハッキリ言って歌下手じゃん。去年の秋から冬にかけて歌手活動していた時もさ。こんな下手な歌で、お金取って聞かせてもいいんだろうかってずっと悩んでいた」
「マーサは去年の春頃からすると別人かと思うくらい上手になったし、歌手活動していた最中も8月頃の歌と12月の歌では、かなり違っていた。凄く上手になったよ」
「そうかなあ・・・」
食事が終わった後で、お母さんは
「ふたりだけで、ゆっくりしてらっしゃい。あ、これホテルのクーポン。冬ちゃんのお母さんにもこの件は話しているから」
と言って、クーポンと避妊具を政子に渡して、笑顔で帰って行った。
「えっと・・・」
「双方の親で話して、ホテルのクーポン渡されたって、今夜くっつけという意味ね?」
「うーん」
「先週ふたりきりにしてくれた時に、避妊具が開封されてなかったから、今夜こそくっつきなさいという意味ではないかと」
「まいっか」
そういう訳で、私達はタクシーでそのホテルまで行った。ダブルの部屋が予約されていた。年齢は20歳と書きなさいと言われていたので、それで記帳する。今日はふたりとも私服なので、女子大生くらいに見えないこともない。
「ここ幾らくらいかなあ」
「微妙な所だね。普通のビジネスホテルよりは少し高い。1万7千円くらいかな」
「なるほど」
「きっと、うちのお母ちゃんとマーサのお母ちゃんが半分ずつヘソクリ出したんだよ」
「悪いな」
「ボクとマーサの初夜のためにね」
「そうだったのか」
「マーサの御両親からすると、今回の事件で娘が《傷物》になっちゃったから、結婚してくれそうな人がいたら、取り敢えずボクでもいいからくっつけちゃおうという魂胆。うちの親からするとこの子がもし女の子と結婚してくれるなら、この人しかいないという魂胆。両方の親の思惑が一致した」
「なるほどねぇ」
と言ってから政子は少し考えるようにして
「だったら、後でお風呂入ってから、私をベッドまでお姫様抱っこ」
「いいよ」
すると唐突に政子は『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』の繰り返し部分を歌った。
「どうしたの?」
「なんか突然歌ってみたくなった」
「たくさん歌うといいよ」
「よし、歌おう」
と言って、政子は昨年9月から12月に掛けて、キャンペーンやライブで歌った歌をたくさん歌った。私は手拍子しながら聴いていたが、その内
「冬も一緒に歌おうよ」
と言うので、一緒にまたたくさんの歌を歌った。
2時間くらい歌ってから
「お腹空いた」
と言うので、ホテル近くのコンビニに行って、食糧を大量に仕入れてきた。
眠ってしまわない内に「儀式」をしようと言って、シャワーを浴びて身体を拭いてから、頑張って政子をお姫様抱っこして、ベッドまで運んだ。
「でも冬、今夜は男の子モードでもいいのに」
などと、ベッドの中でキスをしてから言われる。
「だって、マーサの前ではボクは本来の自分でありたい。おっぱいがあって、おちんちん無いのが、ボクとしては自分の真実の姿」
「真実の姿というか、実は本当にもうおちんちん無いとか?」
「まさか。タックしてるだけだよ」
「まあいいや。でも今夜はちゃんと私を逝かせてよ」
「コンちゃん開封する?」
「冬は逝かなくていいから、開封不要」
「了解」
12時過ぎまでひたすら愛し合って、それから
「そういえば、まだおやつ食べてなかった」
などと政子が言い、ベッドに腰掛けて、一緒にサンドイッチやハンバーガーなど食べた。
「せっかく暖めてもらったのに冷めちゃったね」
「無問題」
と言ってから政子は唐突に訊いた。
「『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』ってさ、あれヨーコを探していた彼はヨーコに会えたのかなあ」
「会えたと思うよ」
「ふーん」
「でも多分、元の鞘に戻ることは拒否された」
「ほほぉ」
「だってその気があるなら行方をくらませていない」
「だよね〜」
「マーサはどう思う?」
「見つけたと思った彼女は別のヨーコで、人捜しは振り出しに戻る」
「ああ、それもありそうだね」
「ヨーコなんて名前はいくらでもあるし」
「確かに」
「須藤さん、どこに居るのかなあ」
「どこかは分からないけど、元気にしてると思うよ。花見さんのことは心配しないの?」
「まあ生きてることは確実だよ。どんな目に遭ってるかは知らないけど」
と言ってから政子は
「でも行方不明者が2人も出るとは凄いプロジェクトだ」
などと言う。
「全国のファンからすると、行方不明になって動向が分からないのはケイとマリのほうかもね」
「・・・私は今すぐはステージに復帰する勇気無いけど、ケイだけでもひとりで復帰しない? 冬は凄く歌手やりたい感じ」
「ボクが歌う時は、マリちゃんと一緒だよ。ソロでは復帰しない」
「でも冬、高1の頃は、詩津紅ちゃんとかとも歌ってたんでしょ?」
「マリちゃんと歌えることが前提にあれば、他の子とも歌う。でもソロ歌手はしないつもり」
「ふーん。でも私が復帰するの500年くらい先かもよ」
「いいよ。500年待つから」
政子は微笑んでいた。
大量にあったはずの食糧は30分くらいで全部消えてしまった。
「よし。朝まで頑張ろう!」
「何を?」
「もちろん、私達の初夜」
「もう、そろそろ寝ない?」
私はライブで疲れているし、その後横須賀まで往復してきている。明日はKARIONの音源製作(『恋愛貴族』)が待っている。
「夜明けまでは頑張るよ。ここチェックアウト何時だっけ?」
「11時と書いてあったよ」
「夜明け何時か分かる?」
「5時半くらいかな」
「じゃ5時半まで頑張って、その後寝てから帰る」
まあ、確かに音源製作は13時からだけどね。
「まずはキス」
と言って、政子は私に抱きついてキスをした。
1 2 3
【夏の日の想い出・港のヨーコ】(3)