【夏の日の想い出・長い道】(上)

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2009年3月29日(日)。私は11時頃、お昼御飯の下ごしらえだけすると、ネットでゲームをしていた母に
「これ、材料を全部入れてそのまま中華鍋で軽く炒めたら食べられるから。お肉も一度下茹でしてるから、生煮えの心配は無いから」
と言った。
 
「あ、お前お昼から出かけると言ってたね」
「うん。○○プロの20周年イベントなんだよね。ちょっと顔を出してくる」
「あんた、今○○プロとどういう関係なんだっけ?」
 
「ボク、○○ミュージックスクールの特別特待生のままみたい」
「ああ。去年の4月にそこ入ったんだよね?」
「3月だけどね。歌のレッスンでソルフェージュを中心にレッスン受けてた」
 
「また通うの?」
「うん。今度は歌のレッスンもだけど、ギターも習おうかなと思ってる」
「へー。頑張るね。でも受験勉強をおろそかにしないようにね」
「うん。受験勉強優先だよ」
 
そんなことを言っている内に、奈緒がうちにやってくる。
「冬〜、制服持って来たよ」
「ありがとう!助かる」
 
「あら、奈緒ちゃん、いらっしゃい。制服?」
と母が訊くので
 
「一応創立記念パーティーだから『パーティにふさわしくない服装はご遠慮ください』ということなんで、制服で行こうかと思って。でも学生服では行きたくないから、奈緒に女子制服を借りるんだよ」
と私が言うと
 
「そう聞いたんで、貸すのはいいよ、と言って持って来たんです」
と奈緒も顔色ひとつ変えずに話を合わせてくれる。
 
実際は私の制服を昨日帰宅する時に奈緒の所に置きっぱなしにしておいたので持って来てくれただけである。
 
それで母と奈緒と私の3人でしばしおしゃべりした後、女子制服を着た私と奈緒と一緒に家を出た。母が奈緒にお菓子の箱を1つお土産に持たせてくれた。
 

家を出てから歩きながら奈緒に言われる。
 
「でもさあ、女子制服の件はそろそろカムアウトしちゃいなよ。そして新学期からは学校に女子制服で通学して来なよ」
 
「そうだなあ・・・」
 
その日のパーティーでは貝瀬日南ちゃんたちと会い、私がこれまで学校では男子制服を着ていて、放課後になると女の子の服に着替えてアイドルやってたという話をすると、それマジだったんだ!と驚かれた、というより呆れられた感じだった。
 
「いっそ学校にも女子制服で行けばいいのに」
「その勇気がなくて」
「ミニスカ穿いて女子高生アイドルしてて、女子制服で学校に行く勇気が無いというのは理解できん」
 
「だいたいその顔で学生服着てても、男装女子高生にしか見えんと思う」
 

パーティーが終わる頃、丸花社長から声を掛けられた。
「あ、ケイちゃん。この後、何か用事ある?」
「いえ。特に入ってませんが」
 
「だったら、ちょっと伴奏の仕事1件頼んでいい?」
「はい。でも何の楽器ですか? 今日は何も持って来てないので」
「ああ、楽器は用意してあるから大丈夫。送って行くよ」
 
というので、丸花社長自身の運転するフェアレディZの助手席に乗せてもらう。車好きの丸花さんは、どこに行くのにも自分で運転するし、車もフェアレディZの他、NSXも持っている。ただ荷物があったり、人を乗せる時は、いかにも大プロダクションの社長らしくカムリを使う。
 
「この車、初めて乗りました」
「格好いいでしょ?」
「この車に乗った男性に声を掛けられたら、フラフラと乗ってしまいそう」
「あはは、気をつけてね」
 
「どこか遠くですか?」
「いや、すぐ近く」
 
実際、車は巧みに裏通りを通り抜けて行く。こんな道を走れるというのはこの付近をいかによく走っているかということだろう。そして5分ほどで目的地に到着する。
 
「あれ?ここは」
「うん。東京メールホール」
「ライブの伴奏でしたか!」
 
丸花さんの車はメールホールの裏側から進入して、楽屋口に直接乗り付けた。そこに立っている警備の人に
「5分で戻るから」
と声を掛け、私を連れて中に入って行く。
 
楽屋に入ってびっくりする。
 

「あれ? 冬!」
「来てくれたの?」
と声を掛けたのは和泉と小風だ。
 
「え?え?」
と私は戸惑ったように丸花さんと、やはり驚いている風の畠山さんを見る。
 
「畠山君、言ってたヴァイオリン奏者、連れてきたよ」
と畠山さんに言い、
「じゃ、よろしく」
と私に笑顔で言って、帰って行った。
 
「今日、KARIONのライブなの?」
 
「うん。急に決まったんだよ。ファンクラブ招待イベント。でも冬ちゃんが捕まらなかったんで、諦めてたんだ」
と畠山さん。
 
私はここしばらく蔵田さんの作曲作業に付き合っていたので、ずっと携帯の電源を切っていた。それで連絡が取れなかったのだろう。
 
後で話を聞いてみると、畠山さんが丸花さんと会っていた時、今日来てくれることになっていたヴァイオリン奏者が指を怪我して弾けなくなったという連絡があり、その話を聞いた丸花さんが「ヴァイオリン奏者なら良い子知ってるよ」
というので、お願いしたらしい。畠山さんも私を見てびっくりだったようである。
 

「来てくれるとは嬉しい」
とホントに笑顔で小風が言う。
 
「ちょっと待って。私が出たら騒ぎに」
 
「こないだのツアーみたいにヴェネツィアンマスクする?」
「あれ、持って来てないんだよねー」
「ひとりだけ付けてたら変」
「顔にペイントするとか」
「それも不自然」
 
「あ、隠れて弾けばいいんだよ」
と小風が言い出した。
 
「へ?」
 

舞台には様々な幕がある。最前面にある、分厚くてヒダの入っている幕は緞帳(どんちょう)と言う。基本的に巻き上げ方式のものが多い。その直後にあり、演劇などで暗転をする時に使用するのが暗転幕、真ん中付近にあり、ライブでは歌唱者やフロントパーソンとそれ以外の演奏者・伴奏者などとを区切ることのできる、左右に引き割る方式の幕が中幕、最奥にある白い幕で、様々な色などを投影して雰囲気作りをするのがホリゾント幕である(ホリゾントの照明効果を使用しない場合は、その直前にある黒い幕を引いておく。これを大黒幕またはバック幕という)。
 
それで小風に言われたのは、このいちばん後ろのホリゾント幕の裏に立って、ヴァイオリンを弾いたり歌を歌ったりして、ということだった。
 
私がそこで弾くと聞いて、SHINさんなどは笑っていたが、11月のツアーにも帯同したコーラス隊の子から
 
「蘭子さん、どうしてそんな所で弾くんですか?」
と質問が入る。
 
私は「こかぜちゃんに訊いて」と投げる。すると小風は
 
「蘭子は純情な女の子を騙して心に傷を負わせたから、罰」
などという。
 
「それ、マの付く人のことですか?」
「ノーノーノー。それは禁句」
「はーい!」
 
「でもマの付く人、元気ですか?」
「一時落ち込んでいたけど、だいぶ元気になってきたよ。最近ずっと一緒に発声練習してるんだけどね」
「へー。復活が楽しみですね」
 

そういう訳で、その日のファンクラブ限定ライブでは、私はずっとホリゾント幕の後ろに居た。
 
最初、緞帳を降ろしたまま『優視線』を演奏したので、この曲だけは私は表でピアノを弾いた。曲のコーダ部分で今回のライブで頼んでいるサポートのピアニストにタッチして、私は幕の後ろに移動する。そして、そこで和泉たちが「こんにちは! KARIONです!」と言うのを聞いた。
 
その後ひたすらヴァイオリンを弾くが、いくつかある「本格的四声の曲」だけは、ヴァイオリンを置いて、歌唱の方に参加した。『鏡の国』『Diamond Dust』
などの曲である。これらの曲は一応3声アレンジも作ってはいるが、それで歌うと楽曲の魅力が半減してしまう。
 
前半と後半の間には「抽選会」を行い、今日の入場者番号で下2桁が当選した番号の人に、ライブが終わってからサインをすることになった。当選番号は20個で、100分の20、つまり5分の1の確率で当選する。今日の入場者は1600人なので、320人に当たる計算である。さすがに1600人にサインするのは辛すぎる。それでも320人にサインするには1時間くらい掛かる計算だ。
 
「サイン書くの3人だけでは辛い。蘭子も手伝ってよ」
と言われたものの
「ごめーん。代わりに焼肉おごるから」
と言っておいた。
 
「よし、ライブが終わった後、蘭子のおごりで焼肉ね」
と美空が楽しそうに言った。はははは。
 

後半もずっと幕の後ろでヴァイオリンを弾いていた。今日のヴァイオリンはカール・ヘフナーの#305。普及価格帯の楽器だが、ローズ色の美しい塗装だ。持っているだけで気分が上昇する感じもある。PAを通すので、ピックアップを付けて弾いている。
 
ライブは後半最後の曲『恋のクッキーハート』を演奏した後、幕が下りる。アンコールは『風の色』と『Crystal Tunes』と聞いていたので、私はこれで出番は終わりかな?と思っていたら、和泉たちが『風の色』を歌っている間に畠山さんが来て
 
「次の『Crystal Tunes』では蘭子ちゃんがピアノを弾いて」
と言う。
 
「え?」
 
「中幕を降ろすから、誰が弾いてるかは分からない」
「はい」
 
『風の色』は、TAKAO(Gt), HARU(B), DAI(Dr), SHIN(Sax), MINO(Tp) の5人だけで演奏したのだが、それを演奏した後、いったん緞帳を下げる。そして中幕も下げて、その後ろにサポートのグロッケン奏者さんと私が入った。
 
グランドピアノの前に座るとまた気持ちが引き締まる。
 
緞帳が上がってセカンドアンコールとなるが、中幕は降ろしたままである。そして、その状態で、最後の曲『Crystal Tunes』を演奏したのである。
 
結局この日のライブでは私は最初の曲と最後の曲でグランドピアノを弾いたことになる。
 
曲が終わり、大きな歓声と拍手がある。私は立ち上がり、見えない客席の方に向かって大きくお辞儀をした。
 

ライブが終わりサイン会も終わった後、ホントに焼肉屋さんに行った。
 
「ほんとにおごりでいいの?」
「いいよ」
「でも美空が多分凄く食べるけどいいかなあ」
と小風が少し心配してくれるが
 
「平気。マリで慣れてるから」
と私は言う。
 
「マリちゃんも食欲凄いらしいね」
「ラーメン10杯食べたの見たことある」
「きゃー、負けた! 私まだ8杯しか食べたことない」
と美空。
 
「なんか恐ろしい話だ」と和泉。
「私たちアイドルだよね?」と小風。
「体重増やさなきゃ問題無いよ」と美空。
 
「だけど、隠れて演奏するという手は使えるなあ。ゴールデンウィークのツアーも、蘭子ずっと幕の後ろで弾かない」
 
「パス。ゴールデンウィークは、多分色々溜まっている仕事を片付けないといけないと思う」
「溜まっている仕事というと、まずはKARIONだよね」
「そうそう」
「うーん。。。」
 

私は高校に入った時、志望大学は名古屋大学の経済学部(偏差値67)と書いておいたのだが、2年生に進級する時、わざと関東の某国立大学経済学部(偏差値58)に変更した。これは名大のような難関大学を志望校に書いておくと、男子クラス(9-10組)に放り込まれることが確実と思い、わざとランクを落としたのである。
 
しかし3年に進級する時は、学年主任の先生から呼ばれて「君は3年では男女共学クラスに入れるから、正直に志望校を書きなさい」と言われたので、私は△△△大学文学部(偏差値67)と申告した。
 
「君、担任には建前上は**大学だけど、実は東京外大(偏差値70)を狙っていると言ってたみたいだけど今の君の成績なら充分狙えるよ」
と学年主任。
 
私は正直な理由を語る。
 
「やはり大学に入ったら歌手活動を再開したいと思っているのですが、大学生だと多分高校生ほど学業のこと考慮してもらえないと思うので、学力的に余裕のある所にしておきたいのと、やはりパートナーの中田さんが△△△大学を狙っているので、同じ所にすることで、彼女の励みにしたいという気持ちがあります」
 
「なるほどね。中田君も、1年前は正直△△△大学を目指すと言われて『嘘!?』
と僕も思ったんだけどね、彼女ほんとによく頑張ったね。学年最下位から既に全体で80位くらいまで上がってきている。このまま頑張れば合格の可能性は充分あると思う」
 
「はい、それで彼女を応援したいのと、やはり同じ所に行った方が連帯感も持てるので」
 
学年主任は頷いていたが、急に小さな声になって
「ね、君たちって恋愛関係は無いんだよね?」
と訊く。
 
「私、女の子には恋愛的関心無いですよ〜!」
と私が笑って言うと、
「あ、やはりそうだよね」
と学年主任は納得したような顔をした。
 
「あ、でも君と中田さんは別のクラスにするからね」
「はい。それでいいです」
 

「ところで、君、制服はそのままでいいの? 女子制服を着なくていい?」
と学年主任は訊いた。
 
「あ。女子制服は実は所有はしていますし、放課後とかに着たりしてますけど、授業は学生服でいいです」
 
「ふーん。まあ、僕はそのあたりの心理学的な問題には詳しくないんだけど、君の気持ちが楽になる方向でやっていくといいと思う。一応、君の制服についてはどちらを着ていても咎めないということで、教職員の間ではコンセンサスを取っているから」
 
「ありがとうございます。私の生徒手帳、そもそもこうなっているんですよねー」
 
と言って、私は女子制服の写真が貼られている生徒手帳を見せる。
 
「あれ? これこの制服で撮り直したの?」
「いえ。入学の時に手違いでこうなっちゃったみたいで。でも私はかえって好都合だから、ずっと、このままにしてます」
「へー!」
 
「でも、この写真が貼られていると、図書館で本を借りる時、学生服着てると『これ違います』って言われるんですよ」
 
「あはは、それはそうだろうね」
「だから、私、図書館で本を借りる時は、いつも女子制服を着ていってます」
「面白いことするね!」
 
と言ってから、学年主任は
「こんなこと言っていい? 君って今みたいに学生服を着ていても、女生徒がコスプレしているように見えちゃうんだけど」
 
「はい、よく言われます」
と私は笑顔で答えた。
 
この時期、私は2月初めに少し切った髪が伸びて、肩より下まで行ってしまったので、ヘアゴムで結び、ポニーテールにしていた。
 

新学期初日。体育があった。
 
2月に学校に復帰した時は、男子更衣室に行って、男子生徒たちから苦情が入り、次回から面談室の空き部屋を使って着替えるように言われた。それでその日は体操服を持って面談室に行き着替えて男子の集合場所に行く。体育座りして先生が来るのを待っていたら、同級生の男子(この時は名前を知らなかったが、数年後私の恋人になる木原正望である)に声を掛けられる。
 
「君、女子は向こうで集合してるよ」
「あ、すみません。ボク、男子なんで」
と私は女声で返事する。
 
「面白い冗談だね。でも早く行かないと先生に叱られるよ」
「いや、本当に男子なんですけど」
 
そんなことを言っていたら、琴絵・仁恵・奈緒・紀美香の4人がやってきて
「冬はこっちに来てって」
と言って、「え!?」と言っている私を拉致して、女子の集合場所の方に連行して行った。
 

女子の体育担当・向井先生が
「唐本さんは今年の体育は女子の方に参加してもらうことになりましたから」
と言った。
 
最初に校庭を3周走り、その後、柔軟体操をするのだが、琴絵が
「冬、組もうよ」
と言って寄ってきたので、肩を真向かいに組んで上半身を曲げたり、背中を押し合ったりした。
 
この7-8組合同の女子のクラスの中では琴絵と奈緒がお互いに気兼ねない。でも琴絵がどうも、事前に先生に呼ばれて私と柔軟体操で組んであげてと言われていたらしい。
 
「冬。以前より体つきが女らしくなっている気がする」
「気のせい、気のせい」
「女子の二次性徴が発達してるよね?」
「ああ、それはあるかもねー」
 

その日はダンスをした。マドンナの『Material Girl』の音楽に合わせて、先生が教えてくれるように踊る。
 
「冬ちゃん、もう覚えちゃった? ここに出てきてみんなの前で踊ろう」
などと言われて、模範演技係にされた。
 
「冬ちゃんの踊り、手がピシっと伸びていて、動く所と止まる所もハッキリしていて、メリハリがあるね」
などと先生が言うと
 
「冬は、小学生の時から芸能スクールでダンス鍛えられてますから」
と奈緒がバラしちゃう。
 
「へー、それで!」
「それ以前はバレエも習ってたんですよ」
「それは凄い!」
 
「習ってない、習ってない。習っている友だちのレッスンの見学してただけ」
「でも、バレエの発表会で踊ってますから」
「ほほぉ」
 
「ああ。冬って、見ただけで踊りを即コピーできるもんね」
と仁恵も言う。仁恵は1年の時も同じクラスだったので、私がそういうことをする所を何度も見ている。
 
「ね、奈緒ちゃん。冬がバレエやってたって、それ男の子役?」
と仁恵が奈緒に訊く。
 
「まさか」
「やはり女の子役か!」
 
クラス一同が何だか納得したような顔をした。
 
「じゃ、冬ってチュチュとか着てたの?」
「私が見たのはフラメンコみたいな衣装だったけど、きっとチュチュも着てる」
と奈緒。
「おぉ!」
 

そして4月は身体測定もある。1年の時は様々な偶然の重なり合わせで1人少し遅れて受けることになり、その日、保健室の先生が休んでいて臨時の先生が来ていたので、ふつうに女子と思われて測定されてしまった。昨年はわざと仮病で休み、1人だけ別の日に受けた。
 
そして今年は最初から1人だけ別に測定すると言われた。
 
「うーん。女子の下着姿にしか見えない! 男子更衣室から追い出される訳だ」
と保健室の先生は言った。
 
「胸はシリコンパッド?」
「ええ、そうです。もっとリアルなブレストフォームってのを貼り付けてる日もありますけど、今日は身体測定だから付けてないです」
「なるほどね」
 
「私も少し勉強したけど、最近は中学生くらいで女性ホルモン飲んで自前のおっぱい膨らませてる子とかもいるのね」
 
「ええ、ちょっと羨ましいです」
などと答えながら冷や汗だ。パッドを付けている限り、胸が無いからパッドを入れていると思ってもらえる。
 
「ほんとは豊胸手術したいくらいだけど、高校生のうちはダメって親から言われてるし」
「そうね。高校生に豊胸手術は早いね。お股の所に膨らみが無いのは?」
 
「タックって技法で隠してますが、おちんちんはまだ存在してますよ」
 
「ふーん。なんか、あなた女子更衣室で着替えてもいいみたいな感じ」
「同級生たちから解剖されそうなので遠慮しておきます」
「ああ、やられかねない!」
 

次の体育の時間があった日。前の時間が英語で、その授業の分からなかった所を近くの席の窓歌から訊かれたので教えていた。
 
「ああ、なるほど。そういうことか。これ複雑だね!」
「長い文章は修飾語の掛かり具合をよく考えないと分からないことあるね。日本語でもそうだけど」
 
などといった話をしている。
 
「あ、次体育だから着替えなくちゃ」
 
と言うので、私が着替えの入ったスポーツバッグを持ち、面談室の方に行こうとしていたら、窓歌から
「あれ?どこ行くの?」
と訊かれる。
 
「ああ。面談室で着替えるように言われてた」
「確かに、冬ちゃん。男子更衣室では着替えられないよね!」
と言ってから
 
「あ、女子更衣室で着替えたら?」
などと言う。
 
「それはまずいよー」
と私は言ったのだが、そこに他に数人の女子が寄ってくる。
 
「あ、冬ちゃん。女子更衣室に行こうよ。冬ちゃんだったら大丈夫だよ」
「お仕事の時は女性の楽屋で着替えてたんじゃないの?」
「まあ、それはそうだけど」
 
「ひとりで個室で着替えるなんて寂しいじゃん。みんなでおしゃべりしながら着替えようよ」
 
などと言われ、結局私は彼女らに連れられて、女子更衣室に行ってしまった。
 

私が彼女たちと一緒に女子更衣室に入ると、私が学生服を着ているので、一瞬ギョッとした顔をした子たちもいたが
「なーんだ。冬ちゃんか」
と言って、みんな受け入れてくれる。
 
「今日から女子更衣室を使うの?」
「いや、ちょっと拉致られてきた」
「いや。ずっとこちらを使えばいいよね」
「そうそう」
 
などとみんな言う。
 
それで私はいいのかなぁ、などと思いつつも、スポーツバックから体操服を出し、学生服を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ワイシャツも脱ぐ。
 
「ちゃーんと、女子の下着を着てるんじゃん」
「まあ、それはね」
 
「女の子の身体にしか見えないんですけど!」
「この身体で男子更衣室で着替えたら、男子たちが困る訳だよね」
 
などといった声が上がる。
 
「胸はそれ本物?」
「まさか。パッドだよ」
「凄い、リアル」
 
「お股に何も付いてないように見えるのは?」
「隠してるだけ」
と言って私は笑っておく。
 
そして、体操服を着ようとした時のことだった。
 

どうも最初から示し合わせていた計画的犯行だったようだ。
 
数人の女子がいきなり、私に飛びかかってきた。
 
「ちょっと、何? 何?」
 
「貴重な科学の発展のために、冬を解剖させて」
「えー!?」
 
「その胸、本当にパッドなのかどうか確認したい」
「ちょっとブラ外しちゃうね」
「ダメー!」
 
「ねえ、そのパンティもちょっとだけ降ろしてみない?」
「やだ。やめてよー!」
 
ちょっと乱戦?になり、結局バストパッドはブラの中に手を入れられて外されてしまう。でも何とか、彼女たちを振り切り、私は女子更衣室の外に飛び出し、大急ぎで体操服の上をかぶり、近くの階段の所まで走って行って体操服の下も穿いた。
 
追いかけてきた子たちに
「終了〜!」
と笑顔で告げた。
 
「ちぇっ!」
と理桜が面白く無さそうに言う。どうも理桜が主犯っぽい!
 
「あんたたち、何やってんの?」
とちょうど通りかかった紗恵が呆れたように、こちらを見て言った。
 
そういう訳で、私は女子更衣室の利用は取り敢えず遠慮しておくことにした。
 

その日は雨が降っていたので、体育館でマット運動をした。
 
前転・後転・ブリッジなど私がきれいにできるので、またまた模範演技係にされる。
 
「冬、バク転できる?」
「できるよ」
と言ってやってみせる。
 
「冬は後方2回転もできる」
と奈緒が言っちゃう。
 
「え?凄い。やってみせて」
という声。私は先生を見るが、私の運動神経がかなり良さそうなので大丈夫と思ったのだろう。うんうんと頷いている。
 
それで私はマットから10mくらい離れた所から助走を付けてきて、ロンダートして後ろ向きになり、連続後転から、空中抱え込み後方2回転をしてみせた。拍手が起きる。
 
「すごーい」
「体操部になれる」
「無理無理。この程度は体操では小学生レベル」
「小学生でも後方2回転するの?」
「ふつうにするよ。体操やってる人たちは」
「へー!」
 
「あ、冬はむしろ新体操の方じゃない?」
「冬、180度開脚とかできる?」
「できるよ」
と言ってやってみせる。
 
「すごーい」
「あ、そうか。冬、バレエしてたからできるんだ?」
「そうそう。その頃、練習してできるようになった」
 
「ね、ね、冬。新体操部入らない?」
と新体操部に入っている窓歌が誘う。
 
「無理。コーラス部だけで手一杯」
「そっかー。でも1度来てみてよ」
「まあ、1度くらいなら」
 

ということで、その日の放課後、窓歌と一緒に新体操部の練習に参加した。
 
ウォーミングアップ、準備運動した後、「こんな感じでできる?」と言って窓歌がリボンを使った演技をしてみせた。それでそのリボンを借りてやってみる。
 
かなりコピーしたつもりだったが、やはり初めてなのでリボンがどうしても床に付いてしまう(床に付くのは減点対象)。踊り終えて
 
「やっぱり、いきなりはダメ〜。リボンがかなり床に付いちゃった」
 
と言ったが、窓歌をはじめとして、部員が沈黙している。
 
「どうしたの?」
「いや、初めて踊って、それでリボンが最初から床に付かなかったら、私たちみんな新体操部辞めたくなるけどさ、冬凄いよ。踊り自体はほとんどコピーできてる。リボンを床に付けないのは要領だから冬ならすぐできるようになると思う。でも冬って、運動神経良いし、センスもいいし。ほんとに一緒に新体操やらない?」
 
「ごめーん。無理〜」
 
「大会だけにでも出るとかは?」
「それは無理。ボク戸籍上、男子だし」
「バックれれば分からない」
「あはは」
 
「7月25日なんだけど、ほんと出られない? まだ受験も押し迫ってないでしょ?」
「ごめーん。7月25日は仕事が入ってる」
「ああ、それじゃダメか。残念」
 

その日はリボンを常に手先で動かしておいて空中に舞っているようにするやり方を教えてもらった。何度かやっている内に、ほとんど付かなくなる。
 
「やはり物覚えが早いなあ」
 
「ね、ね。私のレオタード貸してあげるから、それ着てやってみない?」
などと窓歌は言い出す。
 
「えー?でも肌に付けるものなのに、私に貸してもいいの?」
「冬は女の子みたいだから、女の子同士だし、いいでしょ?」
「私は構わないけどね」
 
ということで、借りて体育館付属の女子更衣室で着替えてくる。今回はさすがに窓歌も私を解剖しようとはしなかった。が・・・
 
「冬、やはりレオタード着ても女の子の身体にしか見えない」
「私、女の子水着姿とかも曝してるし」
「えー!? それって、やはり冬、既に性転換済みだとか?」
 
「それはないと思うけどなあ」
「冬って、そのあたりいつも自信無さそう!」
 
それでレオタードを身につけて踊ってみたら褒められる。更にレオタードを着たもう1人の3年生の子とペアで演技してみた。
 
「ピタリ合う」
「冬ちゃん、凄い。私あまり意識してなかったのに、きれいに合わせてくれる」
「うん。他人と合わせるのは割と私得意かな。実は合わせているというより、自然に合っちゃうんだけどね」
 
「ああ、感応しやすいタイプか」
「惜しいなあ。1年生の内に冬ちゃんのこと知ってたら、絶対強引に引き込んでいたのに」
「あはははは」
 
「そして病院に拉致して女の子に改造する手術を受けさせてた」
「ああ、そうすれば女子として出場できるよね」
「ちょっと待ってよ〜」
 
「いや、ひょっとして冬、既に女の子に改造済みでは?」
「だって男の子がどう身体の線を誤魔化したって、こんなレオタード姿にはならないよね」
「それは私も思った」
 
「冬ってさ、心は女で身体は男ってのは建前でさ。実は心は女で身体も女なのでは?」
「それって、普通に女という意味だね」
 

2009年にKARIONが出したシングルは、1月28日『優視線』4月29日『恋愛貴族』
7月22日『愛の悪魔』11月25日『愛の夢想』の4枚、アルバムは3月27日『みんなの歌』
8月12日『大宇宙』の2枚である。
 
但し和泉・美空・小風は9月から受験勉強のための活動休止期間に入る。それでこの年のツアーは2-3月(『優視線』の後)、ゴールデンウィーク(『恋愛貴族』の後)、7-8月(『愛の悪魔』の後)の3回で秋以降の露出は9月20日に出たイベントのみ。秋以降はテレビにも出演していない。
 

この年の2-3月のKARIONツアーには私はヴェネツィアンマスクで顔を隠して全部参加した。初日の東京公演なんて客席に座っていたのに引っ張り出された。次のツアーはゴールデンウィークに予定されていて、それにも出てよね、と言われていたものの、私は「パス」と答えた。この時期、私はローズ+リリーのベストアルバムをまとめていたし、ドリームボーイズの夏に出すアルバム用の作曲にも関わっていて、忙しかったこともあった。
 
今年のゴールデンウィークは5月2日(土)から6日の振替休日まで怒濤の五連休である。普通、振替休日というのは、日曜日に祝日が来た時、その翌日の月曜日が休日になるのだが、法律の規定では
 
「国民の祝日が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い国民の祝日でない日を休日とする」
 
と定められている(国民の祝日に関する法律第三条2)。今年の場合、5月3日の日曜日が憲法記念日の祝日なので振替休日が発生するのだが、4日がみどりの日、5日がこどもの日と祝日が連続しているため、「最も近い祝日でない日」は6日になってしまい、水曜日が振替休日になるという珍しい事例であった。
 
今回のKARIONツアーは 5月2日(土)那覇 3日(日)福岡 4日(祝)名古屋 5日(祝)札幌 6日(振)横浜 9日(土)大阪 10(日)東京 という日程である。五連休に移動日無しで那覇から札幌まで日本列島を縦断するハードスケジュール。
 
和泉から「冬、(真ん中の日になる)名古屋では私の代わりに歌って。私寝てる」
と言われたが、小風からも似たようなことを言われた。
 
「じゃ、名古屋は、水沢歌月がソプラノで、柊洋子がメゾソプラノで、蘭子がアルトということで」
「無茶な!」
 
でも結局私はステージには立たないものの、ツアーには帯同することを同意してしまう(同意した後、篠田その歌がどこかで私のことを笑っているような気がした)。
 

母には4月上旬の内に
「5月2日からの連休、伴奏の仕事で出てくるね」
と言った。
 
「それって泊まり?」
「うん。毎日東京に日帰りしてもいいよ、交通費は出すからとは言われたけど交通費が高額になって悪いから。泊まる場合は他の子と一緒の部屋だから追加費用は発生しないんだよね」
 
「・・・他の子と同室って、それ男の子と?」
「まさか。ボクは男の子と同室にはなれないよ。女の子とだよ」
「女の子と同じ部屋に寝て大丈夫なの?」
「全然問題無いと思うけど」
 
「こないだ(3.14)、横浜で政子さんと一緒に泊まった時は・・・したんだよね?」
「した範疇に入ると思う。彼女の処女は傷つけてないけどね」
 
「あんたたちの関係はよく分からない! でも政子さんとそういうことしていて、他の女の子と同じ部屋に寝るのは平気なんだ」
 
「別に変なことする訳じゃ無いよー。単に睡眠取るだけだし。ボクは女の子に恋愛的関心も性的な欲望も感じないよ。政子は特別。それに政子がいるからこそ、ボクは他の女の子と一緒の部屋になっても、全然問題無い。政子以外には関心を持たないから」
 
「あ、それは何となく分かる気がする。で、日程は?」
 
私は各々の日に泊まる予定のホテルの名前をメモに書いて母に渡した。
「天野蘭子の名前で問い合わせてもらえばいいから」
 
天野という苗字は「蘭子」からフランス語の lin (ラン:亜麻のこと)を連想して小風がでっち上げたものである(亜麻野→天野)。
 
KARIONの他の3人が全員繊維に関わる苗字(絹川和泉・綿貫小風・朝風美空-朝は麻に通じる)を持っているので「絹・木綿・麻・亜麻は四大植物繊維だから」
と言って付けられた。でも後でよく考えたら絹は動物繊維だ!小風は堂々と話すから間違ったことを言っていても、うっかり信じてしまう。なお、亜麻の繊維というのは英語でリネン(フランス語でリンネル)である。ちなみに美空の旧姓は毛利で動物繊維になっている。
 
「あんた、色々な名前を持ってるよね」
「美冬舞子、柊洋子、ピコ、若山富雀娘、ケイ、天野蘭子、水沢歌月。そのくらいじゃないかな」
 
「たくさんありすぎる! じゃ家に戻るのは6日?」
「うん。そうなる。ごめんね」
「まあお父ちゃんは、連休中ずっと会社になるだろうし。私もどこかでパーっと遊ぼうかしら」
 
「ディズニーランドのパスポートでもプレゼントしようか?」
「連休中にディズニーランドなんて、疲れに行くようなもの!」
 
「だよねぇ。どこか温泉でも行く?」
「温泉も似たようなもの」
「じゃ連休終わってからでも?」
 
「そうだ。夏の苗場ロックのチケットとか、プレゼントしてくれない?」
「いいよ。今年多分、クレマス来るよね。風帆伯母ちゃんの分と2枚、取ろうか?」
「あぁ、やはり来る?」
 
「確定情報じゃないけど、多分」
「よし。じゃお願い。往復のJR券とかもあるといいなあ」
「もちろん」
 
「おお、いい孝行娘だ」
「娘と言ってくれてありがとう」
 

4月上旬の金曜日。私の高校で、校内マラソン大会が行われた。
 
都内とは言っても、良く言えば自然が豊か、悪く言えば田舎なので、学校の近くに交通量の少ない道路があり、女子5km, 男子10km のマラソンコースを設定することができていた。
 
私は向井先生から
「冬ちゃん、女子の部の方に出る?」
と打診されたものの、
「元陸上部員だから男子の部でも充分走れます。去年も男子の方を走りましたし」
「あ、そうだよね。でも去年よりコース長くなっているけど大丈夫?」
「ええ。10kmくらい問題ありません」
 
ということで去年までと同様、男子の部の方に出ることになった。
 
ただ先生とも話したように、今年は昨年とはコースが少し変わっている。昨年までは女子3km, 男子6km だったのが、今年赴任してきた校長が張り切っていて距離を伸ばそうと言って、女子5km, 男子10kmにしている。そのため、昨年までは同じ道を単純に往復してくれば良かったのが、途中で少し複雑な走り方をする部分が出来てきている。それで間違いそうな場所には先生が立っていて指示をしてくれるということだった。
 
トップは女子が20分くらい、男子は35分くらい、最終ランナーは女子が1時間くらい、男子が1時間半くらいと予想して、女子が先に10:00スタート。10分後10:10に男子のスタートとなった。お昼休み前には閉会式ができる計算である。
 
最初と最後の2kmは男女同じルートなので、1.2km地点付近から、女子の遅い子と男子の先頭付近が入り乱れていくことになるが、その後男女でコースが別れ、最終的には、コースの長さが違うので、女子の大半がゴールした後、男子のトップがゴールする見込みである。
 

私は準備体操は理桜に引っ張って行かれて、女子の列に並んでしたものの、スタートは男子の方なので、女子の出発を見送り、10分後に他の男子たちと一緒に走り出した。
 
先頭は運動部の子たちが凄い勢いで走って行く。私は全力は出さずに軽く流す感じで走り、第3集団くらいの所に陣取って走って行った。
 
1km地点を過ぎて更に30秒ほど走ったかなという付近で女子の最後尾集団と遭遇する。政子もその中に居た。私は「ファイト!」と声を掛けて追い抜こうとしたのだが、政子が
「あ、冬」
と声を掛けてくる。
 
私は記録にも順位にもこだわってないので、ペースを落とし、政子と並走する。
 
「どうしたの?」
「これ、なかなか長い道だね」
「まあ女子のコースの5kmでも、結構な距離だよね」
 
「多分走り終わった時は何とも無いんだろうけど、今からその長い道を走ろうと思ったら、先が見えなくて、大変そうという気持ちになる」
と政子。
 
「まあ、それはそうかも知れないけど、どんなに長い道も1歩から。1歩ずつ走って行けば、やがてゴールまで行くんだよ」
と私。
 
「そうか。1歩1歩か・・・・。私の歌も練習していればいつか冬みたいに上手くなる?」
「ボクはある意味、政子のことはライバルとも思っているから、そう簡単に追いつかれるつもりは無いけど、政子がボク以上に頑張って努力していればいつか追い抜かれる可能性もあるよね」
 
「そうか。よし。500年くらい掛けて冬を追い抜こう」
「うん。その調子」
 
「冬って、音符をすごく長く伸ばせるよね。あれって肺活量?」
「肺活量+息の使い方だよ。お風呂に入った時に、息継ぎせずに『あーーー』
ってのをできるだけ長く伸ばしてごらんよ。数を数えていって30くらい数えられたら、まあ歌をやってますと言えるレベル」
 
「あ、それやってみよう」
「でもやはり肺活量を増やすには、何か運動した方がいい」
「運動か・・・。ジョギングとか?」
「ジョギングいいね」
「でも、しんどそうだなあ」
 
などと会話していたら、車で先生が通りかかる。そして窓を開けて言った。
 
「こらぁ! そこ。 学校の行事中にデートするな!」
「はーい」
「済みませーん」
 
「じゃ、叱られたし。ボク先に行くね」
「うん。じゃ頑張ってね」
「ファイト」
「ファイト」
 
と言って、私は政子を置き去りにしてペースを元の速度くらいまで上げた。
 

政子と話していたので、前にも後ろにも集団が見当たらない。しばらく1人だけで走って行く。やがて**米穀店の所にさしかかる。確かここを男子は左、女子は右に行くと聞いた気がした。それで私は左の方へ行こうとしたのだが、
 
「ストップ、ストップ。ここはこっちだぞ」
と言って、そこの地点に立っていた先生が言った。
 
「あ、済みません。ありがとうございます」
と言って、私は先生の指示に従い、右側の道に走って行った。
 
あれ〜? 男子が右で女子が左だったんだっけ? などと思ったものの、私はだいたい言われたら言われた通りにしてしまう性格である。あまり深く考えずにそちらの道を走っていった。
 
しばらく走って行った所に理桜やカオルたちが居たので「ファイト」と声を掛けて追い抜いていく。後で考えるとこの時、なぜここに女子が居たのかを疑問に思うべきであった。
 
しかし私は何も考えずにその後も幾つかの女子の集団を追い抜いていく。やがて、**家具店が見えてきた。
 
ここで初めて私は「変だ」ということに気付いた。
 
**家具店は男子コースと女子コースの合流点である。男子では8km地点、女子では3km地点になる。私、8kmも走ったっけ? と疑問を感じた。何かおかしいと思いつつも、何がおかしいのか、よく分からないまま、その**家具店前に差し掛かる。そこには1年の時の担任だった前田先生が立っていた。
 
「おい、唐本。なんでこちらから走ってくる?」
「え? 何かおかしいですか?」
私は停まって返事をした。
 
「こちらは女子のコースのはずだが」
 
「えーーー!?」
と言ってから
「あ、そういえば女子を結構追い抜いてきました」
 
「そこで変だと気付けよ。間違ったのか? **米穀店の所に##先生が立ってて指示してたはずだけど」
 
「・・・・その##先生から、こちらに行けと言われたのですが。男子は左、女子は右と聞いてた気がしたのに、変だなとは思ったのですが」
 
「ああ。じゃ女子と間違われたのか! その時、自分の性別を主張しておくべきだったな」
 
「あぁ。。。どうしましょ? **米穀店まで戻って男子コースに戻るべきですかね?」
 
「うーん。それだと逆走することになって危険だしな。元々お前に関しては、男子の部で走らせるべきか、女子の部で走らせるべきかって、体育の先生たち議論してたみたいだし。ここまで女子のコース走ってきたんだから、このまま女子のコースに沿って学校に戻らない? なんかその方が後の処理がしやすい気がするぞ」
 
「分かりました。ではこのまま学校に戻ります」
 

ということで、結局この日私はそのまま女子のコースを走って学校に戻ったのであった。
 
ゴールしたのは10:34。男子のスタートからは24分、男子の先頭のゴール予測はこれより12分くらい後。一方、女子は半分くらいの子がゴールしている。何とも不思議な時間に私が戻って来たので、体育の先生から
 
「なんでお前、こんな時間に戻ってくるの?」
と訊かれた。
 
それで事情を話したら大笑いされた。
 
結局、私の記録については女子の部に入れて処理することになり、走行時間が24分ということで、女子の中で12位ということになった。
 
「私と話してた時間を引いたら、女子のトップレベルだったりして」
と政子から言われたが
「ボクがトップになったら、さすがに苦情が来そうだから、ちょうどいいんだよ」
と言っておいた。
 
多分政子と話してて遅れた時間が2分くらいと前田先生と話していた時間が1分くらいだろうから実質は恐らく21分くらい。今回の女子トップは20:10であった。
 
もっとも理桜からは
「最初から女子の部に出ていたらスッキリしてたのに。**ちゃん、最後の方はほとんど独走で20:10の記録だったみたいだけど、もし冬とデッドヒートしてたら19分半くらいの記録になったかも知れないし」
などと言われた。
 

その日の午後は、男子は校庭の草むしり・ゴミ拾いに駆り出され、女子は学年単位で、視聴覚教室、図書室、ランチルームに集められて性教育だった。私は草むしりに行こうとしていたのだが、理桜に
「冬はこっち」
と言われてランチルームに引っ張って行かれた。
 
今日は全員体操服のままなので、目立たなくて済む。女子制服の中にひとりだけ学生服でこんな授業に出ていたら、さすがの私でも恥ずかしかった。
 
「冬、不用意に妊娠しないように、しっかり避妊しなよ」
「ボク妊娠するんだっけ?」
「冬は生理があるみたいだから、妊娠する可能性もあるはず」
「うーん。。。」
 
「冬、よくお泊まりしてるみたいだけど、避妊具は持ってる?」
「いつも生理用品入れに2〜3個入れてるよ」
「ふむふむ」
「今まで何回使った?」
「うーん。。。使われたのは2回かな」
 
「ああ。冬が付けるんじゃないよね?」
「まさか」
 
「多分、冬には装着するような場所は無いはず」
「ああ、やはり」
 

結局15時頃解放されたので、私はスタジオに行って、溜まっていた編曲の作業をした。自宅のCubaseの環境でやってもいいのだが、スタジオのProtoolsの環境でやった方が、よけいな変換の手間が掛からない。CubaseとProtoolsの間のデータのやりとりは非常に大変なのである。
 
区切りのいい所までしていたら20時近くになってしまった。一応途中何度か母に電話は入れていたのだが、遅くなったなと思いスタジオを出て帰ろうとしていたら、乗り換え駅でばったりと政子に会った。
 
「おぉ、麗しの君、ご機嫌いかが?」
などと私が言うと
 
「その制服、誰から借りたのかも追求したいけど、最近、ちょっと冬って、言葉が軽すぎない?」
などと言われる。
 
「あ、この制服?奈緒から借りた。でもどうしたの?こんな時間に。塾でも行ってたんだっけ?」
 
「塾、どうしようかなあ。私、学校の授業で6時間集中して受けるだけで結構精神力使っているから、塾までは無理かも」
「ああ。それはあるかもね。授業をちゃんと聞いているだけ偉いと思っていたけど、そもそもそこで少し無理してるからね」
 
「今日も、本屋さんで参考書見ていたはずなんだけど、ふと気付くとマックでコーヒー飲みながら詩を書いていた」
「それはマーサなら普通のパターンじゃないかと」
 
「やはりさ。ちゃんと授業に集中できていたのは、放課後が完全にローズ+リリーで潰れていたからなんだよね。それが無くなってしまったので、何かが足りない感覚なんだよ」
 
「詩津紅から聞いたけど、2月3月もマーサは充分授業に集中していたんでしょ?」
「それはやはり私が落ち込んでいたからだと思う。私、自分でも結構元気になってきた感じだし。今のままだと、また授業中に唐突に詩を書き始めたり、とかの自分にまで戻ってしまいそうで」
 
「成績が落ちるとタイに強制連行」
「うーん。それは避けたいな」
 
「じゃ、ローズ+リリーやってみる? 須藤さんが作ったローズ+リリーじゃなくて、ボクたちが再度新たに作り直したローズ+リリー」
 
「何するの?」
「そうだね。時々でもいいから、一緒に歌わない?」
 
「そうだなあ。それもいいかなあ。今から歌う?カラオケ屋さんにでも行って」
「いいけど、お母さん心配してるよ」
 
「電話するからいいよ」
と言って政子は携帯を取り出すとお母さんの携帯に掛ける。
 
「あ、お母ちゃん。ごめーん、遅くなって。うん。冬と一緒にいるの。少し遅くなってもいい? うん。泊まりにまではならないと思うけどね。うん、その時はまた連絡するね」
 
と言って電話を切る。
 
「ね。今の話し方だとボクと会ってて遅くなったみたいにお母ちゃん思ったと思う」
「あれ?そうかな?」
 
「まあいいけどね」
と言って私も自分の母に連絡する。
 
「うん。仕事の方は終わったんだけど、偶然政子と会って。ちょっとカラオケに行って帰るから。え? あ、うん。その時はまた連絡するよ」
 
それで私も電話を切った。
 
「なんて言われたの?」と政子。
「いや、泊まるのかって」と私。
「あ、泊まる?」
と政子は言うが
 
「いや、帰ろうよ。高校卒業したら、たくさんそういうことしてもいいと思うけど、高校生の内は健全な付き合い方しない? 今日の性教育の授業でもそんな話、向井先生してたじゃん」
と私は答えた。
 
「ん?冬、女子の性教育の授業に出てたの?」
「出てたけど」
 
「だって、女の子だけの授業なのに」
「同じクラスの女子に引っ張って行かれた」
「へー。恥ずかしくなかった? 周りはみんな女の子ばかりで、女の子の身体の仕組みについて話していたのに」
「ボク女の子だもん」
 
「そっかー。そうだよね〜。冬は女の子だから、女の子向けの性教育を受けるべきだよね」
「うん。不用意に妊娠したりしたら大変だし。マーサも気をつけなよ。これから受験って時に妊娠したら、受験どころじゃなくなるよ」
「うんうん。気をつけるよ」
 
「だから健全な交際をしなくちゃ」
「そうだなあ。でも私たち、既に健全じゃないと思う」と政子。
「そうかな?」と私。
 
「まあ、いいや。じゃ終電までには帰る」
「どっちみちカラオケ屋さん、高校生は22時までだよ」
 

それでまた電車で移動して、シダックスに入った。さっきの駅の近くにも別の系列のカラオケ屋さんがあったのだが、シダックスの方が「御飯が充実してる」
という政子の意見でそちらまで行くことにした。
 
私が会員証を見せて受付をする。
「おふたりとも高校生ですか?」
と訊かれた。
「はい」
「念のため、学生証を拝見できますか?」
 
それで私と政子が学生証を見せる。
 
顔を写真と見比べている感じだ。顔も一致しているし、制服もふたりとも写真と同じ◆◆高校の女子制服を着ている。問題無いはずである。
 
「はい、結構です。高校生同士のご利用でしたら22時までになっておりますがよろしいでしょうか?」
「ええ。それでいいです」
 
ということで伝票をもらった。人数の所にはF2と書かれている。部屋に入ると、まず食事の注文をする。
 
「私、夕食食べ損なっちゃったからさあ。たくさん食べなきゃ」
と言って、例によって凄い量の食事を注文する。10人くらいでパーティやってるんじゃないかという感じの注文量だ。
 
「あ、冬は?」
と訊いたので、
「ボクにはマーサのを少し分けてよ」
と言った。
 
政子が注文を終えると、私は『遙かな夢』を呼び出した。
 
「おお、これか! 冬も歌うよね?」
「もちろん」
 
それで2人でマイクを持ち、熱唱する。
 
「やはり、これ良い歌だなあ」
「うん、そうだと思うよ」
「こんな詩を書いた人って天才だと思わない?」
「うん、凄い天才だね」
「よし」
 
その後、『涙の影』『せつなくて』まで歌ったが
 
「私の歌、他に無い〜」
と文句を言う。
 
「まあ、仕方無いね。それだけしか発表してないから」
 
「カラオケで2時間歌えるくらい歌が欲しいな」
「それには20曲くらい必要かな」
「私たち、100曲くらい書いてない?」
「CD出したのは3枚。私たちの作品は3つだけだからね」
 
「カラオケ屋さんに登録してもらうにはどうすればいいの?」
「メジャーレーベルやそれに準じるレーベルからCDを出すこと」
 
「作って町添さんとこに持ち込めばいいの?」
「いきなり持ち込んでも売ってくれないよ。もちろん町添さん大喜びするだろうけど、企画会議開いてあれこれ調整して」
 
「面倒くさいな」
「それに、マーサ、成績上げてお父さんの説得しなきゃ」
「そうか。それも面倒だな」
 
「でも歌手に復帰する気になってるな」
「そうだねー。36時間の内、2時間くらいは、その気になってるかも」
「ああ、そんな感じだね」
 

仕方無いので、最近のヒット曲を中心に歌っていく。今月下旬の模試の成績が悪かったらタイに行く約束なので、政子も問題集を開いて、問題を解きながら歌っている。
 
「ありおりはべり、いそまがり、って何だったっけ?」
「えっと。ありをりはべり、いまそがり、だね。ラ行変格活用だよ」
 
「あ、何か違う気がした。いまそがりってどういう意味?」
「居るの尊敬語だよ。『右大将・藤原の常行といふ人、いまそがりけり』みたいな感じ」
 
「ラ行変格活用って、どう変化するんだっけ?」
「あらず・ありけり・あり・あるとき・あれども・あれ」
「ラ行変格活用って、その4つだけ?」
「実はもうひとつ、《みまそがり》もある」
「う。なぜ5つ並べない?」
「さあ」
 

「ねね、私が歌手に復帰するのに500年掛かったら、その間、私たちの歌でカラオケで歌えるのはずっと3曲だけ?」
 
「まあ、そうなるね。500年後にカラオケがあるかどうかは分からないけど」
 
「じゃさ。私たちが曲を作って、誰か他の人に歌ってもらうってのはあり?」
「まあ、どこかから依頼されたら可能だろうね」
 
「誰か歌ってくれないかな。例えば保坂早穂さんとか。○○プロだから浦中さんから話持って行けない?」
 
「いきなり頂点の人ですか〜!? まあ、ボクたちも、一応プロミュージシャンのはしくれだから、話を持って行ったら一応聞いてはくれるだろうけどね。採用してもらえるかどうかは別にして。でも同世代の歌手の方がよくない? 例えばKARIONとか」
 
「いや、いづみちゃんには歌わせん」
「ふふふ」
 
KARIONの名前を出すだけで闘争本能が1%は上昇するな、と私は思った。
 
「そうだ!同じ○○プロで、篠田その歌さんとかは?まだ年齢近いよ」
「ほほぉ。でも篠田その歌さんクラスに歌ってもらえるレベルの曲が作れる?」
 
「作ろうじゃん」
「気合い入ってるね」
「ね、カラオケの後、ホテルに行こうよ。そこで新曲を作って、篠田その歌さんに歌ってもらう」
「結局泊まるのか!」
「お仕事だよ」
「うーん・・・」
 

それで母に連絡したら笑っていた。政子の方もお母さんに連絡したら
「避妊はちゃんとしてね」
とだけ言われていた。
 
「私たちって泊まる度にセックスしてると思われてるのかな?」
「ふつう泊まるとセックスする」
「冬はセックスしなくても平気なの?」
「あまり性欲無いから」
「私の方がまだありそうだもんなあ。それで求めるのにしてくれないんだから」
「ふふふ」
 

政子が良質の曲を書くならシティホテルクラス、と要求したので、携帯から楽天トラベルにアクセスし、結局、赤坂の全日空ホテルのツインの部屋を予約。丸花さんの勧めで先日作っておいたスルガVISAデビットで即決済した。これは高校生でも持てるVISAの決済用カードである。
 
電車で新宿まで移動し、タクシーでホテルの玄関口に付けた。
 
「すごーい。こんなことすると、私たち有名歌手か何かみたい」
と政子が言うので
「ボクたち、既に有名歌手だけど」
と言ってみる。
「そっかー。私、有名歌手だったのか」
と政子は少し楽しそうな顔をしていた。
 
予約していた名前を言い、記帳する。政子が「私がやる」というので任せたら「中田政子」「中田冬子」と記帳した。全く!
 
これがダブルルームならさすがに高校生は咎められるだろうがツインだから、女の子同士だし、ホテル側も何も問題にしないであろう。同じ苗字にしたので姉妹か従姉妹と思われたかも知れない。
 
記帳に使ったボールペンを置こうとしてふと手が止まる。
 
「どうかした?」
「うん。このボールペン好き! これもらえません?」
などと突然言い出す。全日空のロゴ入りのシンプルなボールペンだ。
 
フロントの人は微笑んで、
「ではアメニティグッズとして差し上げます」
と言って、引出の中から新品のポールペンを出して政子に渡してくれた。
 
「わあ!ありがとうございます! またここ泊まりますね」
「はい、ごひいきによろしくお願いします」
 
私は無邪気な政子の様子に微笑んだ。
 
ボーイに案内されて部屋まで行く。
 
「わぁ、広ーい」
と言って、政子は楽しそうである。
 
「じゃ、お仕事しようか?」
「その前にシャワー。私、今日のマラソンでくたくた」
「そうだね。汗流した方がいい曲できるかもね」
 
 
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