【夏の日の想い出・長い道】(下)

前頁次頁After目次

1  2 
 
で結局、シャワーを浴びてから近くのコンビニに食糧を買い出しに行き、まずはベッドの上で愛し合って、というコースになってしまう。
 
「今日の性教育の授業で、安易にセックスしないようにと言ってたけど、私たちセックスはしてないよね?」
「セックスをどう定義するかだろうね」
 
「どう定義するかか・・・」
と言った途端、政子の目が変わる。
 
私はさっきコンビニで買った、可愛いハートのレターセットを渡した。すると政子はさっきフロントでもらったボールペンを開封し、それを使って詩を書き始めた。
 
私はベッドを抜け出すと、床に落ちていたガウンを裸の政子に掛けてあげる。そしてコーヒーを入れ、たっぷり砂糖とミルクを入れて、そばに置いてあげた。政子は左手の指を人差指・中指・薬指と3本立てて「サンキュー」のサインをした。
 
政子にしてはゆっくりしたペースで書き、しかも珍しいことに少し校正した。それまで入れて、詩は40分ほどで完成した。
 
「はい、冬の番」
と言って、ボールペンを私に渡す。
 
私は今日たくさん編曲作業をしていたので、その作業用に持っていた五線紙を出すと、今政子が書いた詩『愛の定義』に曲を付けていく・・・・というより政子が詩を書いている間に構想していたメロディーを書き留めていった。
 

政子はその夜、明け方まで掛けて結局詩を5つも書いた。私は最初の1曲はその場で曲を付けたものの、残りは宿題にさせてもらった。
 
結局5つ全部に曲を付け終わったのは次の週の週末であった。私はそれを丸花さんの所に持ち込んで、相談してみた。打ち込みで伴奏を付け、初音ミクに歌わせたものをお聴かせする。
 
「いい曲じゃん。でもローズ+リリーとは世界観がまるで違うね」
「普段使いのボールペンとは全然違うので書いたら、雰囲気が変わりました」
「へー!」
 
「けっこう意識が道具に左右されるんですよね」
「なるほどね」
 
と言ってから丸花さんは少し考えているようだった。
 
「曲作りをするのはマリの精神的なリハビリに良いと思うので、もし可能だったら、篠田その歌のアルバムにでも1〜2曲入れさせてもらえたらと思ったのですが」
 
「いや、それは無い」
「やはりダメでしょうか」
 
「違う。この曲はシングルに使いたい。特にこの『愛の定義』が素晴らしい。これはきっとゴールドディスク行く」
「そんなに行きますでしょうか?」
 
「冬ちゃん、そのくらいの意気込みでこれ作ってるでしょ。アレンジも凝ってるし。何?このヴァイオリン・パートの超絶プレイ。ここまで作り込んでおいて、僕の前で謙遜は無しだよ」
「恐れ入ります」
 
「いや。僕が悩んだのは名義問題。今マリ&ケイ作詞作曲のクレジットでうちのアーティストが曲を出すと、文句言ってくる事務所がありそうでさ」
 
「その点なのですが、私たちの契約問題が微妙なのと、またマリ自身がまだ表に出る勇気が無いと言っているので、可能でしたら仮名で提供できないだろうかとマリも言っているのですが」
 
「ああ、それがいいかも知れない。何か仮名の候補ある?」
 
「秋穂夢久(あいお・むく)」
「ほほぉ」
 
「秋の穂と書いて『あいお』と読むのは、山口県の秋穂温泉の例があります」
「うん」
 
「でも実はこの曲、全日空ホテルに泊まり込んで作ったんです。全日空好きな人を青組と言いますよね。日航は赤組」
「ん?」
「それでですね。青組 ao kumi をアナグラムして aio muk となるんです」
と私は字に書いて説明した。
 
「なるほど!」
 

4月26日。模試が行われる。今回、申し込みは学校でまとめて申し込むのに一緒に出したので、同じクラスの子たちと同じ受験教室になる。それで私は私服の女の子っぽいパンツルックで試験場に出かけた。
 
「まあ、男の子には見えないね」
と同じクラスの女子から言われる。
 
「冬、トイレどうするの?」
「普通だよ」
「普通ってどっち? 男子トイレ?」
「まさか。ボクが男子トイレ使うのは学校でだけ」
「ああ、やはり、そうだよね」
 
「学校でも女子トイレ使えばいいのに」
「学生服を着て女子トイレに入る訳にはいかないよ」
「だから女子制服を着ればいいのに」
 
「でも冬ってしばしば学校の女子トイレに居るよね。学生服のまま」
「連れ込まれてるんだよ」
 
「はーい。連れ込んでいる犯人でーす」
と理桜が手を挙げた。
 

模試の成績は私は校内で18位、政子は62位だった。1月の実力テストで校内100位だったので、政子はまた確実に実力を付けている。△△△大学の合格ラインには微妙に届かずC判定ではあったが、充分頑張っているということで、タイへの強制連行はせず、このまま日本で受験勉強を頑張ることになった。
 
模試の翌日、廊下で、政子・仁恵・琴絵・理桜と5人で雑談をしていた時、唐突に政子が
「ね、連休、遊園地に行かない?」
などと言い出した。
 
「連休の遊園地って人間を見に行くようなものだよー」
「でもここしばらくずっと勉強してたし。少しは息抜きに。冬、行こうよ」
「うん、まあ行ってもいいかな」
「理桜も行こう」
「私は遠慮しとく」と理桜。
「私も遠慮する」と仁恵・琴絵。
 
「なんでー?」
「デートの邪魔しちゃ悪いし」と仁恵。
「コンちゃんはちゃんと用意しときなよ」
と理桜は楽しそうに言った。
 

それで結局、4月29日(祝)。私と政子は遊園地に電車で出かけた。
 
ほんとに人間を見に来た感じだった。乗り物は全部長蛇の列だが、それに並びながらおしゃべりしているだけで、政子はけっこう気が晴れる雰囲気であった。
 
30分待って一緒にジェットコースターに乗った後、少し散歩していたらバッタリと○○プロの中家係長と遭遇する。
 
「おはようございます」
「おはようございます」
と双方、この業界の挨拶。
 
「何かイベントでもしてたんですか?」
「うん。アウグストという女子大生のデュオでね。秋くらいにメジャーデビューさせる予定。去年のオーディションに合格した子たちなんだけど、ずっとレッスン受けさせていて、かなり良くなってきているんで、デビューさせようと」
 
「うまいですか?」
「歌は最初からうまかったんだけどね」
と中家さんは微妙な言い方をした。
 
「そうだ。冬ちゃん、5月の12,13日って空いてる?」
「ちょっと待ってください」
と言って私は手帳を見る。
 
「夕方なら空いてます」
「14日は?」
「予定がありますが動かせます」
「じゃ、12-14日でちょっと音源制作の手伝いしてくれない?」
「いいですよ」
「じゃ、詳しいことは後で」
「はい」
 
「そうだ。政子ちゃんさ、○○ミュージックスクールでレッスン受けてみない?政子ちゃんなら特待生にするから、無料で受けられるよ」
 
「あ、冬はレッスン受けてるんだよね?」
「そうそう。ボイトレと楽器と」
「楽器は何のレッスン?」
「ギター、ベース、ドラムス、ピアノ」
「色々やってるな」
「エレクトーンはヤマハに通ってる」
 
「それで冬って忙しそうにしてるのか」
「政子もボイトレのレッスンとか受けてみるのもいいかもよ」
「そうだなあ。もう少し上手くなったら」
「練習しないと上手くならない」
「うん・・・」
 
政子は時々結構やる気を出すのだが、まだまだかな、という気もした。中家さんはそれでも政子にパンフレットを渡していた。
 

早めのお昼を食べて日陰で休んでいたら、中学生くらいの女の子が3人寄ってきた。
 
「あのぉ、すみません。もしかしてローズ+リリーさんですか?」
「はい、そうですよ」
「わあ、握手させてください」
「いいよ」
と言って、私たちは3人のそれぞれと握手した。
 
「でもケイさんって生でも女の子の声なんですね!」
「ああ、そういえばケイは最近、もう男の子の声は全然使ってないね」
「男の声に聞こえるか、女の声に聞こえるかは、声帯のちょっとした使い方」
 
しばし声の出し方などを話題に彼女たちと話す。
 
「でも声ってけっこう習慣の部分が大きいよね」
と政子も言う。
 
「うん。まさに習慣。ただ自在に声を出すには喉の筋肉を鍛えておくことが大事。オペラ歌手とか凄い訓練してる。40代や50代でも若い声持ってる人いるけど、あれもかなり訓練してるよね」
 
「やっぱり歌い込むことが大事だよね」
と政子は自分で言った後、何かを考えているようだった。
 
しばらく彼女たちと会話していたが、そのうちひとりが
「何か歌ってくれませんか?」
などと言い出す。
 
私と政子は思わず顔を見合わせる。私たちの歌唱は色々権利関係が面倒である。でも私は「いいよ」と言って、ウェルナーの『野バラ』を歌い出した。政子もそれに合わせて、ハーモニーになるように歌う。
 
3人は喜んでパチパチパチと拍手をしてくれた。
 

遊園地を出てから軽食を取った。
 
「さっき、野バラを歌ってみて、私、自分って結構歌えるじゃんと思った」
と政子は言った。
 
「マーサは上手いよ。同世代の歌手の中では多分10位以内に入るくらいのうまさ」
「私、そんなに上手い?」
 
「貝瀬日南(かいぜ・ひな)よりは上手いでしょ?」
「日南ちゃんと比べないでよ!」
 
なーんだ。結構自信持ってるじゃん。
 
「マーサより上なのは、私、KARIONの3人、XANFUSの2人、ミルクチョコレートの2人、プリマヴェーラの諏訪ハルカくらい。ほら9人しかいない」
 
「プリマヴェーラの夢路カエルちゃんは?」
「同世代じゃないから除外」
「AYAちゃんは?」
「マリと同レベルだと思うな。1年前ならAYAの方がうまかったけど、今のマリの歌なら並んでいるよ。マリの歌を今AYAが聞いたら青くなるだろうね」
 
「そっかー。私そんなに上手いか」
「ボイトレのレッスン受けてみる?」
 
「そうだなあ。それよりカラオケでもやろうかな」
「ああ、それもいいんじゃない」
「ジョイサウンドとかDAMとかのシステム幾らくらいするかな?」
 
「業務用のカラオケは個人宅には設置してくれないと思う。それよりパソコンでできるカラオケでもやったら?」
「そんなのある?」
「ジョイサウンドのPC版があるんだよ。カラオケ屋さんで歌えるたいていの曲がそれでも歌える」
「へー。それはいいな」
 
そういう訳で政子は自宅にカラオケのシステムを入れ、受験勉強しながら、ひたすら歌うようになる。これは政子の歌唱力を向上させることにもなったし、またついつい落ち込みがちな政子の感情を常に奮起させておくのにも役立ち、勉強もはかどることになるのである。
 

5月2日から6日までの5連休は私はKARIONのツアーに同行する。
 
私は5月1日の晩に、母に、取り敢えず混雑してるだろうけど買物でもしてきなよと言って1万円渡しておいた。
 
「おお、孝行娘だ」
などと母は笑って言っていた。
 
2日、早朝から女子制服を着て羽田空港へと出かける。今日は美空も遅刻せずにちゃんと出てきた。
 
KARIONの4人は全員通っている学校が違うので4種類の女子制服が並ぶ。なかなかこれも可愛い構図である。畠山さんが「公開しないから」と言いながら写真を撮っていた。
 
6:25のANA 991便B737-500に乗り、9:00に那覇空港に到着。2月のツアーに次いで今年2度目の沖縄だが、私は小学6年の時から7年連続沖縄にライブで来ている。ここに政子を連れてきてローズ+リリーの沖縄公演ができるのはいつだろう・・・などと考えたりしていたら
 
「恋人のこと考えてるでしょ?」
と小風から指摘された。
 
「えっと・・・」
と私が返事をためらっていたら、小風は
 
「蘭子が即答しないって珍しい。どんな質問にもすぐ何か答えるのに」
などと言う。
 
「まあ、そんな時もあるよ」
 
「ね、蘭子。V感覚とP感覚のどちらが好き?」
 
「ちょっと、ちょっと、何その質問?」
「すぐ答えよ」
 
「それは私としてはやはりVが良いかなと」
と私が答えると
 
「じゃ、これ今回のツアーの譜面ね」
と言って小風から分厚い譜面を渡される。
 
「待って。V感覚とP感覚って・・・」
「Violin と Piano だよ。どうした?」
 
「あ、いや、そのぉ」
「蘭子、変な事想像してない?」
と美空から言われる。
 
「楽器はちゃんと準備してるからね」
「また隠れて弾いてもらうから」
「そのパターンか!」
 

空港からタクシーに乗り、9時半頃、会場に入る。会場では既にセットなどの設営作業が行われていた。
 
「2月のツアーまではこんなセットとか無かったね」
「『優視線』が売れたから、今回のツアーから予算が大きくなったんだよ」
「チケットの値段も上がっているような」
「ソールドアウトまでの時間も短縮してるよ」
 
前日に沖縄入りしていた、トラベリング・ベルズの5人(Gt,B,Dr,Sax,Tp), コーラス隊の子たち、現地調達したキーボード・グロッケン・フルート奏者、PAさん・照明さん、★★レコードの那覇支店の人と簡単に打ち合わせる。
 
しかしヴァイオリン奏者が手配されていないのは計画的だ。最初から私がVと答えると見込んでのことだろう。
 

11時からリハーサルを始める。
 
このリハーサルでは私も一緒に前面に立って歌ってと言われたので、和泉たちとお揃いのステージ衣装を着け、いつものように和泉と美空の間に立ち、休憩をはさんで2時間ほど、約20曲を和泉のMCを混ぜながら歌った。この様子を全部スタッフが撮影していた。
 
リハーサル用の衣装と言われたものの、まるで本番用のように凝っていて、衣装の引き抜きもあった。
 
「これ本当にリハ用なの?」
「そうだよ。本番用はまた同じ仕様のを用意しているから」
「お金掛かってる!」
 
今回のステージのセットは直前に出たシングル『恋愛貴族』に合わせてヨーロッパの貴族の邸宅のような雰囲気の演出をしている。ステージ衣装も小公子か何かの世界という雰囲気である。
 
ステージ上には、古い家具などのセットも並んでいるが前面にいくつか豪華な雰囲気の柱まで立っている。
 

「で、この柱が出入りできるんだよね〜」
と言って、畠山さんは柱の後ろの出入口を開けてくれた。
 
「中にちゃんとステージと客席のモニター画面・モニタースピーカー装備」
 
「あの〜。もしかしてこの中で弾けとか?」
「正解。ホリゾントの後ろよりマシ」
 
「私たちはこの柱のそばで歌うから、私たちと一緒だよ」
と小風が言った。
 
「衣装も私たちとお揃いの本番用衣装を着てね」
と和泉も言う。
 
「で、これヴァイオリンね。ケーブルつないで、今はPAにつながってるけど、ここのスイッチ切り替えたらヘッドホンで聴けるから調弦とかはそれでして」
と畠山さん。
 
「ちょっと失礼します」
と言って私はヴァイオリンと弓を持った。
 
今回渡されたのはヤマハのサイレント・ヴァイオリンSV-200である。楽器本体からは音が出ないので、ヴァイオリン奏者が入っていることに気付かれずに済む。SV-200は自分でも持っていて自宅での練習に使っているので、気持ち良く弾くことができた。
 
多くの曲で私の代わりにS2(Soprano2)パートを歌う、コーラス隊のリーダーの子が声域的に歌えない幾つかの曲と、本格的な四声アレンジの曲(『鏡の国』や『Diamond Dust』など)は、私は間奏・前奏などの部分を除いて楽器を置き、歌を歌うことにした。
 
「で、こちらのキーボードは?」
 
Yamaha MOTIF XS8 が置いてある。
 
「『優視線』と『遠くに居る君に』はキーボードを弾いてくれない? やはり『優視線』は蘭子以外には弾けないんだよ。『遠くに居る君に』もかなり難しい」
 
「分かりました」
 

楽屋(今回のツアーでは4人だけ別室)で昼食を食べながら休憩し、やがて本番の時刻となる。
 
ステージは新曲『恋愛貴族』から始まった。これも本質的な四声曲なので、ヴァイオリンは弾かずに歌唱に参加するのだが、この曲は幕を開けずに演奏した。それで私は3人と並び(美空・和泉・私・小風の順)、最前面で歌ったのである。カーテンの向こう側の客席の手拍子と歓声が凄い。2月のライブも11月のライブから随分熱狂度が高くなったと思ったが、今回は2月より倍か3倍くらい熱狂している感じだ。
 
歌が終わり、コーダが演奏されている間に私は柱の中に隠れる。それを見計らって緞帳が上がり、また歓声が高まる。
 
「こんにちは、KARIONです」
と和泉たちが声を揃えて言う。その時、私も一緒にその言葉を言った。3月のファン限定イベントの時、小風に「最初の挨拶、蘭子しなかったでしょ?次はちゃんと挨拶してよね」と言われたので言ったのだが、これって2007年11月以来だよな、という気がした。
 

『恋愛貴族』の後、前半はひたすら森之和泉作詞・水沢歌月作曲の作品を歌う。
 
私はそれらの曲であるいはヴァイオリンを弾き、あるいはマイクを持って歌った。
 
『空を飛びたい』『水色のラブレター』『恋のクッキーハート』『遠くに居る君に』
『Diamond Dust』『Gold Dreamer』『Snow Squall in Summer』『Phantom Singer』
そして『優視線』で前半を締めた。
 
『遠くに居る君に』と『優視線』のピアノ伴奏も調子良く演奏した。この曲では私が柱の中でキーボード Yamaha MOTIF XS8 を弾き、ステージ上でキーボードを弾いている人(KORG OASYS 使用)が逆にヴァイオリン・パートを演奏している。「神プレイ」の所は拍手が来たが、キーボードは舞台後方に設置しているので、その人が弾いているのではないことに多くの観客が気付かないであろう。
 
『優視線』の演奏が終わる。和泉たちが歓声と拍手に手を振って応える。
 
いったん緞帳が降りる。
 
それで私は柱の中から出て、和泉たちと一緒にいったん楽屋に下がった。
 
すぐに緞帳が上がり、ゲストが登場する。
 
今回のツアーのゲストコーナーは毎回その地のローカル・アイドルさんに出てもらう趣向で、この日は那覇市を中心に活動している女の子のアイドルグループが賑やかに登場して踊りながら歌って、何だか物凄く受けていた。
 
私たちは休憩しながらそれをモニターで見ていたが
「ああいうのもいいよねぇ」
と言い合う。
 
「小風も、以前あんな感じで歌ってたんでしょ?」
「やってた、やってた。あれはあれで楽しかったよ」
と小風は少し懐かしむような顔をしていた。
 
後半は樟南さんの曲『Shipはすぐ来る』から始まる。背景に元素記号の列が動画で投影されていた。ダジャレに満ちた楽しい曲で、今日の観客の主体である中高生世代にはかなり受けていた感じである。
 
その後、スイート・ヴァニラズから提供された『サダメ』を歌った後、広田・花畑ペアの作品『鏡の国』『トライアングル』、福留さんの作品『嘘くらべ』
『広すぎる教室』『楽しくやろうよ』、ゆきみすず先生の作品『小人たちの祭』
『風の色』『丘の向こう』『夏の砂浜』と歌い、葵・醍醐ペアの作品『積乱雲』
を歌った後、櫛紀香さんの作品『秋風のサイクリング』で後半の演奏を終えた。
 
すぐにアンコールで呼び戻される。
 
最初トラベリングベルズの中核5人が伴奏に入ってデビュー曲『幸せな鐘の調べ』
を歌う。そしてセカンドアンコール。その伴奏5人が下がり、ピアニストとグロッケン奏者が入って『Crystal Tunes』を歌い、ライブを終了した。
 
このアンコール2曲では、私も柱の中で、和泉たちと一緒に歌った。こうしてゴールデンウィーク・ツアーの初日、沖縄公演は終了したのであった。
 

「なんかホテルも2月の時よりグレードアップしてるね」
 
などとホテル内のレストランの個室で、私たちは打ち上げを兼ねた軽食を取りながら言った。女の子だけの方がくつろげるでしょうということで、私たち4人と望月さん・三島さんの6人だけである。
 
「今CDが無茶苦茶売れてるからね」
「夏のツアーではもっといいホテルに泊まれるかな」
「だといいね」
 
「予算も潤沢になってきたみたい。今日のステージのセット凄かったし」
 
「あれを明日は福岡に運ぶんですか?」
と美空が訊く。
 
「1日で運ぶのは厳しいみたい。それで今日のセットは明日札幌に転送する」
と三島さん。
 
「へー」
「福岡は別のセット。福岡のセットはトラックで頑張って運んで翌日名古屋に使い回し」
「何か違うんですか? 今日のと明日のと?」
と私は訊いてみた。
 
「構成はほぼ同じだけど、色合いとかを変えたみたい。今日のは金ピカ仕様だったけど、福岡版は銀色基調」
「そうすると複数の公演に行く人も楽しいですね」
「うん、うまく両方のセットに当たるとね」
 
「でもCDほんとによく売れてるみたいですね」
 
「『優視線』が結局30万枚行って初プラチナ、『みんなの歌』も12万枚でアルバム初ゴールド。『恋愛貴族』も初動で11万枚くらい行ってるから」
と三島さんがiPhoneの画面を見ながら言う。
 
「わあ、印税が楽しみ!」
「30万枚売れると幾らもらえるんだっけ?」
「えっとね」
と言って和泉が携帯で電卓を呼び出して計算している。
 
「1人あたり67万円」
「すごーい! 何買おう?」
 
「あとで税金払わないといけないことを忘れないこと」
「税金って幾ら?」
「年間所得695万円までは30%, 1800万円を超えると50%」
「3割も取られるんだ!」
「たくさん売れると5割になる」
「いや、さすがにそこまでは売れないかも」
 
「印税で1800万円って何枚売れた場合?」
「シングル換算で800万枚くらい」
「それはモー娘。クラスだな」
 
「蘭子、性転換手術代も出るよ」
「えっと・・・」
 

「でもあんたたち筋がいいよ」
と三島さんが言った。
 
「何か良い傾向ありました?」
「プラスのことばかり話してる。ホテルがグレードアップしたと言う話から売れなくなったらグレード下がるよねと言い出す子たちは、ほんとに下がる。でも上がることばかり言ってる子は、やはり上がるんだよ」
 
「ほほぉ」
 
三島さんは以前大手のプロダクションに勤めていたので、栄枯盛衰を見てきているのだろう。
 
「下がったら下がった時だよね」
「4人でギターでも持って街頭ライブやりつつ全国歩くのもいいんじゃない?」
「CD手売りして、各地のライブハウスで演奏して日銭を稼いで」
 
「まあ、それも楽しいかもね」
 
「やっぱり、あんたたちポジティブだよ」
と三島さんは楽しそうに言った。
 

ホテルは例によって、私と和泉が同室、小風と美空が同室である。今回予算があるし全員個室にしようかという話もあったのだが、おしゃべりしていたいし相部屋がいいですという希望を出してこうなった。実際、11時くらいまで和泉と私の部屋に小風と美空も来て4人でずっとしゃべっていた。お風呂もこちらで4人で交替で入った。
 
ここまでプライベートでも仲の良いユニットは珍しいようである。私生活でもパートナーであるローズ+リリーやXANFUSは別として、スリーピーマイスは基本的に公私は別という立場でお互い干渉しないことにしているようだし(だいたい公演先でバラバラのホテルに泊まることもあるらしい)、AYAも3人だった時代に地方公演に行く場合、3人とも個室に泊まっていたらしいし、仕事以外ではあまり話はしていなかったと言う。後に私が関わることになったスリファーズも凄く仲が良いようだが基本的に3人とも個室である(初期の頃は春奈の性別問題もあった)。
 
三島さんから「そろそろ寝なさい」という電話が掛かってきて、小風たちは向こうの部屋に引き上げる。
 

「私なんだか汗掻いちゃった。もう1度シャワー浴びてくる」
と言って和泉が浴室に行く。
 
それで私はノートパソコンを取り出して、編曲作業中の曲を出して、作業をしていく。この時期は、6月発売予定のローズ+リリーのアルバム『長い道』
の編曲をしていたが、それ以外にも政子と個人的に作った曲の譜面確定作業などもしていた。
 
が。。。疲れが溜まっていたのか、いつの間にか眠ってしまった。
 
「冬、そこで寝ると風邪引くよ」
と言って和泉に起こされる。
 
「あ、ありがとう。つい眠っちゃった」
 
「何の曲?」
と言って和泉が覗き込む。
 
「あれ?これ新曲?」
「うん。つい3日ほど前に作った曲だよ」
「見ていい?」
「まあ、いいよ」
 
それは先日政子とふたりでホテルに行き、そこで書いた『エクスタシー』という曲だ。和泉は歌詞入りの譜面を読んでいた。
 
和泉の顔が次第に真剣になっていく。
 
そしてやがて和泉は私のパソコンの前から離れると、自分のパソコンを取り出し、どうも詩を書き出したようだ。
 
政子の詩を見てきっと凄く刺激されたのだろう。私はコーヒーをいれて和泉のそばに置いてあげた。和泉はコーヒーはブラックで飲む。
 
「ありがとう」
と言って、それを飲みながら、和泉は詩を書いている。いや既に校正作業に入っているようだ。和泉はこれに時間を掛ける。校正をほとんどしない政子とは、これも対照的だ。
 
「私ももう1度シャワー浴びてくるね」
と声を掛けて私も浴室に行く。出てきた時まだ和泉は詩の校正をしている。
 
結局1時間以上掛けて、何とか本人の満足する出来になったようだ。
「冬、これに曲付けて」
「いいよ」
 
それは『愛の悪魔』という曲で、7月発売のシングルに入れることになる。KARION『愛シリーズ』の第1曲である。
 

「マリちゃん、絶好調じゃん」
「詩の方は復調した」
「歌の方は?」
「まだ人前で歌う自信が無いと言ってる」
「ふーん」
 
「それでさ、友だちだけ呼んでどこかでライブしようかと思ってる」
「スタジオとか借りて?」
「いや、ホールを使う。PA入れて、照明入れて」
「本格的だね!」
 
「和泉たちも招待しようか?」
「いや。遠慮しとくよ、ビデオにでも撮ってみせてくれない?」
「いいよ。撮影してもらうことになっているから、それを和泉たちに見せるよ」
「うん」
 

翌日は朝から飛行機で福岡空港に移動し、11時頃、福岡ムーンパレスに入った。11月と2月の福岡ライブは、1800人収容のアクオスホールを使ったが今回は2300人収容のムーンパレス。少しだけ大きな会場になっている。今回福岡ライブのチケットは3日で売り切れている。
 
今日のサポートミュージシャンの人(キーボード・グロッケン・フルート)は、明日名古屋と1日置いて横浜、そして来週の大阪・東京に付き合ってくれる。札幌はまた別の人たちを手配している。5日連続ライブで沖縄から北海道までというのに体力的不安を訴えられたので、那覇と札幌は別手配にしたのである。
 
「私たちも体力的不安を訴えたい」
などと小風が言ったが
「君たちは代替が効かないからね」
と畠山さんに言われる。
 
「やはり蘭子が代わりに」
「私の顔のマスクとかして歌ったらどうだろ?」
「無茶な」
 
「そうだ。次のツアーでは全員コスプレするなんてのはどうですか?」
「何のコスプレするの?」
「全員プリキュアになるとか」
と美空。
 
「だったら、いづみがキュアピーチ、みそらがキュアベリーで、私がキュアパイン」
と小風が言う。この手のパズル的話も小風は大好きだ。
 
「らんこは?」
「プリキュアも4人目が出てくるみたいだから、その子。今朝の放送でその話が流れていたらしい」
「情報早いな」
 
「4人目って、多分せつなだよね?」
「だと思う」
「ラビリンスを裏切って、プリキュアの仲間になるんだ?」
「きっとそういう展開」
 
「じゃ、らんこは、まああちらを裏切らなくてもいいから、こちらと兼任で」
と美空。
「既に兼任してるよ」
と私。
 

「でもアニメのコスプレは権利関係が難しいからなあ」
と畠山さんが言う。
 
「難しいってお値段が高いってことですよね?」
「それもあるし他にも色々ある」
 
「じゃサリー・ポッターとかは?」

「そっちが多分もっと高額!」
 
「コスプレとかなさるんでしたら、本社の権利関係扱っている部署に交渉させるといいですよ。KARIONはかなり予算が取れそうだから、何とかなるかもですよ」
と★★レコードの福岡支店の人が言う。
 
「じゃスターウォールで」
と和泉。
 
「なぜ、そうなる!?」
「それに合わせてスターウォールのネタで今度のアルバム作りましょう」
「あ、それは面白いかも」
 

そんな感じの雑談も交えてしばらく打ち合わせをし、軽食を取ってからリハーサルを始める。少し確認したりしながらやったので14時半頃に終了。遅めの昼食を取りながら休憩する。
 
例によってリハーサルでは私はヴァイオリンもピアノも弾かずに和泉と美空の間に並んで歌い、その様子をまたスタッフが撮影していた。
 
「この衣装、昨日着た奴を洗濯したものですか?」
「昨日のやつは明日名古屋で使う」
「じゃ、本番用・リハーサル用それぞれ2組あるんですか?」
「そうそう。引き抜きなんかもあるから、1日では復元できないんだよ。1日交替で使う」
「ほんとに今回のツアー、お金掛けてますね!」
 
『熱視線』と『遠くに居る君に』だけ私がピアノを弾くということで、その部分は私のピアノを入れたバージョンのリハーサルもする。例によってキーボードの人がヴァイオリン・パートを弾く。
 
が、その人が間違っちゃった。
 
「済みません。ピアノの音に聞き惚れてしまいました。凄いですね」
と謝りつつ、私を褒めてくれる。
 
でも和泉は
「蘭子、だいぶ安定して弾けるようになったね」
と言った。
 
「うん。1月からずっと練習していて、やっと私もこのレベルで安定させられるようになった。以前はやはりどうしても不安定だった。弾く度に出来が違っていた」
 
「じゃ。もう1度やりましょう」
 
再度やると、今度はしっかり弾いてくれる。昨日の人は KORGの高価なシンセ1台だけで演奏していたが、今日の人は普及価格帯から廉価帯までのシンセ6台並べている。どういう構成にするかは好みの問題もあるのだろう。
 

福岡のライブも基本的には那覇と同じパターンで進行した。
 
最初は4人で並んで『恋愛貴族』を歌い、私が柱の中に隠れてから幕を開ける。また、前半と後半の間も、
 
前半→幕→ゲストの演奏→幕→後半
 
のようにいちいち幕を降ろす。こうしないと、私が出入りできないからである!
 
今日のゲストは福岡のライブハウスで活動しているインディーズバンドということであったが、平均年齢67歳! ロカビリーブームの時代に少年時代を送り、グループサウンズ時代にバンドを結成して、その後、かなりメンバーチェンジした末、1980年代にいったん解散したのが、5年前にオリジナルメンバーで再結成したらしい。年齢は行っていてもしっかりしたノリの良い演奏に観客が沸いている。
 
「KARIONも、もし10年後くらいに解散しちゃってもさ。40歳か50歳くらいになったところで再結成しようよ」
と楽屋でモニターを見ながら小風が言う。
 
「そういうのもいいかもね」
「あるいは毎年12月頭に復活して1月末に解散とか」
「年末年始の歌番組だけに出場するとか?」
「クリスマスライブと、年越し・お正月ライブだけやる」
「すると、KARIONって、お正月以外は何して暮らしてるんだろ?という話に」
 

楽屋から出て舞台袖でスタンバイしていたら、キーボーディストの人がこちらに寄ってきて言った。
 
「蘭子ちゃんのキーボード、凄いですね。あれを前半の2曲だけというのは、もったいないですよ。後半ラストの『秋風のサイクリング』と、アンコールの『Crystal Tunes』でも弾きませんか? 『秋風のサイクリング』は私が代りにヴァイオリン・パート弾きますし、『Crystal Tunes』は電源切って弾く振りだけしますから」
 
すると和泉が
「あ、それいいですね。そうしましょう」
と言っちゃう。
 
「いいですよね?」
と和泉は近くにいた畠山さんに確認する。
 
「うん。それでいいよ」
と畠山さん。
 
「でも、私、『Crystal Tunes』は歌も歌わなきゃ」
 
「それは弾き語りで」
と小風が和泉と声を揃えて言った。
 

そういう訳で、この日は結局、4曲、柱の中でピアノを弾いたのであった。
 
その日は福岡に泊まり(ここもホテルがグレードアップしていた)、翌日は飛行機で名古屋に移動した。名古屋も福岡と同じ銀色の舞台セットだった。
 
そしてこの日はセントレアを20:10の新千歳行きで北海道に移動し、千歳市内のホテルで泊まった。北海道も沖縄も今年2度目である。札幌のライブでは沖縄と同じ金色の舞台セットを使用した。
 
「この後は舞台セットはどちらを使うんですか?」
「明日の横浜は福岡・名古屋で使った銀色。そして来週の大阪は今日使った金色で、最後の東京は銀色」
 
「じゃ、横浜と東京と2回見る人はどちらも銀色か」
「いや、今回のチケット、横浜と東京は瞬殺に近かったから、両方のチケットを取れた人はほとんど居なかったと思う」
 
「おお、瞬殺」
「なんて素敵な言葉」
「私たち、トップアイドルだったりして」
「いや、間違いなく君たちはトップアイドル」
 

この日は昨夜泊まったのと同じ千歳市内のホテルに連泊する。そして翌朝8:30の便で羽田に戻り、11:00すぎに横浜の会場に入った。前回のツアーでは横浜は2000人収容のフューチャーホールだったが、今回は4000人収容のナショナルホールを使用する。
 
「広いね、ここ」
とステージに立ってまだ人の入っていない観客席を眺めて和泉が言った。
 
「今回のツアーの会場の中では最大規模だよね」と私。
「武者震いがする」と和泉。
 
「小風はここのステージに立ったことあるんじゃない?」と美空。
「バックダンサーでね。冬も立ってるでしょ?」と小風。
「伴奏者でね」と私。
 
「でも横浜といえば横浜エリーナだよなあ」と美空。
「美空は横浜エリーナやったことあったね?」と私。
「コーラスでね」と美空。
 
「私たちも、いつかやろうよ」と私。
「そうだね」
と和泉は引き締まった顔で言った。そして私の方に向き直って言う。
 
「横浜エリーナやる時はさ、冬は堂々と私たちと並んで歌ってよ」
 
「いいよ」
と私は答えた。
 

KARIONのゴールデンウィークツアーは翌週9日大阪ローズホールと10日の東京スターホールでのライブで終了した。
 
その翌日11日、私は進行中のローズ+リリーのアルバム『長い道』の件で打ち合わせるのに、学校が終わった後、政子を連れ★★レコードに行った。政子が★★レコードに行くのは、5ヶ月ぶりだったが、この時最初政子はあまり★★レコードに行きたくないような顔をしていた。
 
ところが、制作部門のフロアまで上がっていった時、バッタリとXANFUSの2人に遭遇する。
 
XANFUSの2人とは、昨年10月18日に福岡で遭遇して仲良くなり、会う度にハグしあう「友情の儀式」をする約束をした。その時は彼女たちは私の性別を知らなかった。それで久しぶりに会ったのだが、私は最初性別問題でちょっとためらった。しかし彼女たちは向こうからハグを求めてきた。
 
「やっぱりケイちゃん、ハグした感触が女の子だよ〜」
「男の子だってのが嘘ってことないの?」
「ごめんね〜。戸籍上は男の子なんだよね。でも自分では女の子のつもりなんだけど」と私。
 
「だったら全然問題無いね」と音羽。
「うんうん。これからも友情の確認しようね」と光帆。
「うん、しようしよう」
と政子も笑顔で言った。
 
このXANFUSとの久しぶりの友情の儀式で、政子のテンションがまた上がった感じであった。
 

「そうだ。XANFUSのアルバム聴いたよ」と私は言う。
「わあ、ありがとう」と音羽。
「あの中の曲でさ、1曲異彩を放っている曲があった」
「やはり、そう思う?」
「Down Stream 凄い」
 
「結構それ言われる。今なんか個別ダウンロードが凄いんだよ」
「**FMのナビゲーターさんが凄く気に入ってくれて、こないだから何度も掛けてくれてるんだよね。それもあって、ますますダウンロードが増えてる」
 
「そんなに凄い曲?」
とまだ聴いていない政子が訊く。
 
「格好良い。踊り出したくなる曲だよね」
「踊り教えようか?」と光帆。
 
「時間あるかな?」
「私たちの打ち合わせは何時からだっけ?」
「18時から。今17:30」
「じゃ、30分時間あるね」
 
ということで、帰ろうとしていたXANFUSが私たちと一緒に制作部に舞い戻る。私たちは、たまたま目が合った加藤課長に「どこか踊れる部屋貸して下さい」
と言い、空き部屋に入れてもらう。
 
そこでふたりから直伝で Down Stream の振り付けを教えてもらった。
 
「ふたりともダンス覚えるの速い!」
と音羽が感心したように言う。
 
「ケイは学校の体育のダンスの授業でも1発で先生の踊りをコピーできるみたい」
と政子。
「ケイちゃん、もしかして体育は女子として参加?」と光帆。
「そうだよ」と政子が答える。
「へー!」とふたりは納得したような声を上げる。
 
「マリは以前、原野妃登美とか湘南トリコロールのバックダンサーしてたから、ダンス覚えるの速い」
と私が言うと
 
「ケイ、なぜそれを知っている?」
と訊かれる。
 
「そりゃ、私はマリちゃんのファンだから」
 
「おぉ!」
と光帆と音羽が嬉しそうな声で言った。
 
半ば成り行きで私たちの踊りを見ていた加藤課長も楽しそうだった。
 
ちなみにこの時、XANFUSに付いてきていた白浜マネージャーは、ふたりより先に下の階に降りていて、1階の喫茶室で、ふたりが降りてくるのをひたすら30分待っていたらしい。
 

その日、私たちはローズ+リリーのアルバム『ローズ+リリーの長い道』の件で打ち合わせたのだが、私が打ち込みで作った伴奏と私たちの元々の歌とをミックスした中核曲を聴かせると、
 
「アレンジでここまで変わるものなのか!」
と町添さんは驚いたように言った。
 
「この話があったのが先月30日で、連休中にこれ作ったんですか?」
と秋月さん。
 
「ええ、大半は連休中に打ち込んだものです。先週最終的な調整を掛けてました」
 
「これ、歌は元のままなんですよね?」
と加藤さん。
「そうです。歌は秋月さんから頂いたデータのままで、一切加工していません」
 
政子は
「なんか、こうやって聴いてると、ケイも私も凄く上手いみたい」
などと言い出す。
 
「マリちゃんは充分歌が上手いと思うよ」
と町添さんは笑顔で言った。
 

★★レコードを出る時、政子がひじょうに昂揚した顔をしていた。それで私は言ってみた。
 
「スタジオに行って、ちょっと歌ってみない?」
「あ、いいね!」
 
それで私は政子を隣の★★スタジオに連れて行った。受付の人に声を掛け空いている部屋を案内してもらう。2階の鈴蘭に行く。階段を登って2階に上がったところで、バッタリと貝瀬日南に遭遇した。
 
「おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わす。
 
政子は貝瀬日南の歌を無茶苦茶言ってたのに
「日南ちゃん大好きです。いつも聞いてます」
 
などと言う。本音が多すぎる政子もこのくらいの社交辞令はできるようだ。
 
「日南ちゃん、レコーディング?」
「ううん。ちょっと疲れたから寝てた」
 
「ああ。空調利いてるしね。けっこう休憩に使うアーティストもいる」
「ケイちゃん、マリちゃんは?」
「歌おうかなと」
「わあ、見てていい?」
「いいよ」
 
というので、日南は受付にインターホンで連絡して自分が使っていた部屋の利用が終わったことだけ伝え、私たちと一緒に鈴蘭の部屋に入った。
 

「何歌うの?」
「そうだね。2月に『長い道』と『カチューシャ』歌ったし、『明るい水』
『その時』『遙かな夢』『甘い蜜』『涙の影』『ふたりの愛ランド』というコースでどう?」
 
「ベスト・オブ・ローズ+リリーだ!」
「うふふ」
 
それで私は連休中にKARIONツアーの最中のホテルの中で作った新しいアレンジの打ち込み音源を鳴らし、一通り歌った後で、スタジオの技術者の人を呼び、録音してもらった。
 
貝瀬日南が凄く真剣なまなざしで私たちが歌う所を見ていた。その視線を受けて政子は気合いが入っている感じであった。例の大騒動の後で、政子が身内以外の人の前で歌ったのはこれが最初である。
 
私たちは、また「長い道」を歩き始めたのだということを認識した。そして、貝瀬日南もその「長い道」のどこかに居て、自分のペースでしっかり歩いているのだと、私は再認識した。
 

私と政子が★★レコードに行った翌日、5月12日(火)。私は学校を午前中で早退し、女子制服に着替えて赤坂の○○プロのスタジオに出かけて行った。最初は放課後になってから行くつもりだったのだが、実際の収録は午後一番から始まると聞き、中家さんからは夕方からでもいいよと言われたものの、やはり早退することにした。
 
伴奏とだけ聞いたのでキーボードかと思っていたのだが、念のためと思って、午前中再確認したらヴァイオリンということだったので、慌てていったん自宅に戻り愛器《Flora》を持ち出してから赤坂まで行った。
 
今日は篠田その歌の6月下旬リリース予定のCDの音源制作である。主力アーティストなら、もう少し時間に余裕を持って音源制作し、PVなども制作したりあちこちに宣伝したりするのだろうが、最近、篠田その歌は既にピークを過ぎた歌手とみなされているようで、結構アバウトになってきているようだ。
 
スタジオに入って行ったら、上島先生がおられたので、びっくりして挨拶する。
 
「おはようございます」
「おはよう。あれ?ケイちゃん、今日はどうしたの?」
「篠田その歌の伴奏を頼まれました。実は私、篠田その歌の初期のバックバンドに居たんですよね」
「あ、そんなこといつか言ってたね!」
 
篠田その歌のプロデューサーは上島先生なので、来て当然だが、これまで何度かその歌の音源制作に参加していて、上島先生と遭遇したのは、何とこれが初めてである。
 
「12月の騒動以来、色々先生にお手数お掛けしているのに、全然挨拶に行かずに申し訳ありませんでした」
「いやいや、あまり出歩けない状態だったろうしね。でも、こうやって伴奏とかにも出て来られるようになったら少しは安心だ」
 
「私の性別のこともきちんと言ってなくて済みませんでした」
「別に問題無いんじゃない。それにもう性転換手術もしちゃったんでしょ?」
 
「いえ、まだ手術はしてません」
「そうなの? 雨宮が、ケイちゃんもう手術しちゃったみたいね、と言ってたから」
 
雨宮先生・・・・わざと変な噂バラまいてるのでは?
 

やがて篠田その歌と中家係長、その歌のマネージャーの諸江さんが入って来て、上島先生に挨拶する。その歌は私に手を振るので、こちらは会釈を返す。
 
「遅くなって済みません。あれ?伴奏で来てるのは冬ちゃんだけ?」
と中家さん。
 
「そうみたいです」
 
「バンドの人たち遅れてるのかな。まあ、いいや。取り敢えず説明を始めます。今回吹き込む曲は3曲です。上島雷太先生の『風と太陽』、ボニータ高橋作詞・東郷誠一先生作曲『忍ぶ夜』、それからコンペで採用した作品ですが秋穂夢久という新人さんの『愛の定義』です」
 
ああ。コンペの作品ということにしたのか。素性を隠すにはそれが自然だ。そのあたりは丸花さんがうまく処理したのだろう。
 
「取り敢えず打込み伴奏に、花村唯香という子の仮歌を入れています。今年の年末くらいにデビュー予定の子です」
と中家さんは説明し、仮音源を流した。
 
最初が上島先生の作品のようである。聴いていて、何だか適当だなという気がした。でも仮歌を入れている子はかなりうまい子だ。年末くらいにデビューというが良い曲をもらえるとよいがと思う。歌手はもらえる曲で大きく運命が変わる。その歌がアイドルとして活躍してこられたのはやはり上島先生の曲をもらえたからだ。私が真剣な表情で聴いていたら、上島先生が何だか恥ずかしがっているような顔。
 
上島先生は私に自分はケイちゃんをライバルと思うと宣言した。そのライバルの前で少し手抜きした自作曲を流されると居心地が悪いかも知れない。
 
篠田その歌はポーカーフェイスで聴いている。変な表情を見せるのは禁物だ。このあたりはさすがにこの世界で伊達に5年も生きてきてない。しかも曲を書いてくださった上島先生の前である。
 
次は東郷誠一先生の作品だ。私もその歌も上島先生もお互いに緊張が解ける(のをお互いに感じた気もする)。
 
可も無く不可も無く。一応プロの作品だよなという完成度は感じられるが、ヒット性も感じない。東郷先生というのは、この手の「埋め曲」作りが上手いのである。
 
そして3曲目に秋穂夢久の作品が流れる。最初の数小節を聴いただけで、上島先生が「え!?」という顔をした。
 
「この曲、譜面ある?」と言うので、中家さんがお渡しする。
 
食い入るように譜面を見詰めながら聴いている。
 
そして曲が終わった時、先生は言った。
 
「申し訳無い、中家さん。僕が出した『風と太陽』はボツにしてくれない?書き直す」
 
「はい。ただ時間が」
「明日、別の曲を持ってくる。すまない。今日は帰る」
「はい、お疲れ様でした」
 
それで先生は慌ただしく帰り支度をするが、去り際に私に
「ケイちゃん、明日も来るよね?」
とだけ訊いた。
 
「参ります」
と私が答えると、先生は大きく頷き、きりりとした表情で出て行った。
 

「えっと、今日はどうしましょうか?」
とマネージャーの諸江さんが言う。
 
「時間が無いので、取り敢えず『忍ぶ恋』から収録しましょうか」
と中家さん。
 
少しして、他の伴奏者が到着したので、『忍ぶ恋』と『愛の定義』の練習をした上で、『忍ぶ恋』の伴奏を確定させ、その歌の歌も吹き込んだ。しかし今日はもう1曲も練習するつもりができなかったので、結局4時頃終了し、早い時間帯の帰宅となった。
 

翌日も私は午後の授業を早引きして、また女子制服に着替え、スタジオに行く。その歌だけが来ていた。
 
「おはよう」
「おはよう」
と挨拶を交わす。
 
「そういえば私、冬ちゃんの学生服姿とか見たことないなと思った」
「人に曝すようなものじゃないし」
「今はもう女子制服で通ってるの?」
「ううん。学生服だよ。学校を出る時に女子制服に着替えて来た」
 
「面白いことしてるね。どうせみんなに性別のこと知られちゃったんだし、堂々と女子制服で通えばいいのに」
「うん、友だちからも言われた」
 
「冬ちゃんって、変な所で意気地が無いからなあ」
「マリからも言われる」
 
「マリちゃんとケイちゃんが恋人なのかってのは、ファンの間でも議論があるみたいだけど、意気地の無いケイちゃんのことだから、きっと友だちのままで踏み留まっていると見た」
「うふふ」
 
「でも学生服着てる時って男子トイレ使うの?」
「使うけど、私が男子トイレに入って行くと、なんかみんなの視線が固まるのを感じる」
「立ってするんだっけ?」
「まさか。個室だよ」
「あ、そうだよね。おちんちん取っちゃったから、もう立ってできないもんね」
 
「えっと・・・まだ取ってないけど」
「嘘! ケイちゃんは性転換手術したみたいだねって前田課長も言ってたのに」
「なぜ、そんな話になってる!?」
 

やがて中家さんと諸江さんが入ってくる。
 
「やあ、お早う。上島先生からさっきメールが来たんでプリントしてきた。仮歌まで入れてないけどいいよね?」
と言って、私たちに譜面を渡し、MIDI音源を鳴らす。
 
昨日聞いた曲はひたすら単純な8ビートのリズムに乗せたシンプルな曲だったのが、今日のは躍動感があり、変則的だが心地よいリズムに乗せ、スケール的な動きを多用した、その歌の歌唱力を引き出すような曲作りになっている。その歌がかなり歌える歌手であったことを思い出した!という雰囲気だ。サピも凄く魅力的でキャッチーなモチーフが使われている。よく1日でこんな曲を書くものだ。さすが上島先生は凄いと思った。
 
私がヴァイオリンを持っていたのを昨日見たからだろうか。ヴァイオリンパートにポップスでここまでやるか?という感じの凄い音符が踊っている。私は気を引き締めて譜面を読みながら指使いを頭の中で描いた。
 
「上島先生、無茶苦茶気合い入ってる!」
と中家さん。
 
「秋穂夢久さんの作品にかなり刺激を受けられたようですね」
と私が言うと
 
「この場にケイちゃんがいたから、マリ&ケイに負けられないという気持ちも出たんだよ。上島先生は同時に2組のライバルに遭遇して、闘争本能が掻き立てられたんだな」
と中家さんは言った。
 
篠田その歌はその件に関しては何も発言しない。表情も見せない。その歌はただ渡された曲を歌うのみである。どんな曲であっても、もらった曲を全力で歌うのが彼女だ。
 
やがて上島先生が到着する。昨日とは打って変わって、しっかりした視線で私を見る。私は笑顔で会釈した。
 
やがてバンドの人たちが到着し、私も演奏に参加して上島先生が新たに書いた曲『Drinving Road No.10』の練習をする。ヴァイオリンパートの難しい音符の列を私が1発で弾きこなしたので、バンドの人が
「君、凄いね」
と言ったが、
 
「ヴァイオリン科の学生さんとかなら、このくらい初見で弾きますよ」
と私は言っておいた。
 
「あ、君♪♪か芸大の学生さんだっけ?」
「私まだ高校生です。♪♪狙っていたんですけどね。私じゃ無理っぽいから諦めて、△△△狙いです」
 
「へー。君より上手い人たちがたくさん居るのか。凄い世界だな」
 
上島先生は私の演奏を聴いて頷いておられた。
 
その歌もブースでMIDI音源を聴きながら歌の練習をする。3時間ほどの練習の後、いったん休憩し、2時間ほど掛けて収録したが、上島先生は、練習中から積極的に、バンドの演奏にも、その歌の歌い方にも、かなり注文を付けていた。
 
上島先生と一緒に音源制作をしたのはこの時が初めてだったので、私は「やはり熱く指示するんだな」と思っていたのだが、実際には上島先生は普段制作現場でほとんど発言しない人である。この時のその歌の制作は、ちょっと特別だったのだろう。
 

上島先生は翌日3日目の制作にも顔を出し『愛の定義』の演奏についてもバンドの人たち、その歌に色々指示を出していた。この曲のヴァイオリンパートも難しい。が実は自分で書いた譜面なので楽々と演奏したら、バンドリーダーさんから
 
「ね、君、ザット・ソングの固定メンバーにならない?」
などと誘われてしまった。中家さんが慌てて
「ごめーん。この子は他で予約済みだから」
と言ってくれた。
 
しかし、上島先生はこの秋穂夢久の曲をよく解釈していて、私も「なるほど」と思う所が多くあった。
 
「中家さん、このCDの曲順はどうするの?」
「はい。先生の『Drinving Road No.10』を先頭に置き、タイトル曲にして、『忍ぶ恋』『愛の定義』の順の予定です」
 
「僕の曲の次に『愛の定義』を置いて、両A面にしよう。この曲は売れる」
「え?でも無名の新人さんの曲ですし」
 
「『上島雷太が絶賛する超強力新人作曲家』とでも、うたい文句入れて」
「はい!」
 
そして2009年6月24日に発売された『Drinving Road No.10/愛の定義』は18万枚のヒットとなり、篠田その歌は久々のゴールドディスクを達成したのである。単独ダウンロードは『愛の定義』6割、『Driving Road No.10』4割で上島先生がそれを聞いて悔しがっていたらしい。この曲のヒットで九州の国道10号線に全国からいろんなナンバーのスポーツカーが集まってくるようになったという余波もあった。
 
政子が音楽活動に復帰したのは一般には鈴蘭杏梨名義で提供し、kazu-manaが歌った2009年7月15日の『ドミノ倒し』でと思われているが、実はその1ヶ月ほど前、この秋穂夢久名義で提供した『愛の定義』で密かに復帰していたのである。
 
 
前頁次頁After目次

1  2 
【夏の日の想い出・長い道】(下)