【夏の日の想い出・けいおん女子高生の夏】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2012-11-09
「ねぇ、けいおん!やろうよ」
その夏の出来事は、詩津紅が発した、その一言から始まってしまった。
ボクと詩津紅は高1の5月から高2の6月くらいに掛けて、最初の頃は体育館の用具室で、その後カラオケ屋さんで、一緒に歌を歌っていた仲である。それは高2の夏休みに、詩津紅はコーラス部の練習が忙しくなり、ボクはローズ+リリーを始めてしまったことから自然消滅してしまったのだが、ローズ+リリーの活動が休止状態になってしまった後、ボクが詩津紅の推薦もあって「本来女子だけの」
コーラス部に入ることで、彼女との交友はまた続いて行っていた。
そしてその日、ボクたちはコーラス部の練習が終わってから、数人の2〜3年生で町に出て商業ビルのベンチに座り、自販機のジュースを飲みながら、おしゃべりしていた。
「バンドやるの?」と風花が訊く。
「まあ、似たようなものかなあ」
「じゃ、ギター・ベース・ドラムス・キーボードみたいな?」
「うん。基本はそんな感じ。女の子だけで構成してやってみない?」と詩津紅。
「それやるならキーボードは美野里で決まりね」と聖子が言う。
「えー?」と本人は言うが、「美野里以上うまい人なんて、超々プロしかいないもん」聖子。
「何それ?」
「だって、プロの冬様より更に上手いから美野里は超プロだよ。美野里より上手い人がいたら超々プロ」と聖子は説明する。
「私程度に弾くプロはざらにいるけど〜」とボクは笑って言う。
「あ、私、ギターやってもいいかな。私ギターもベースも持ってるし貸すから誰かベース弾いてよ」と来美。
「じゃ、貸して。私ベースやるよ」と聖子。
「風花先輩、フルート吹けますよね?」と来美が言う。
「うん、まあ」
「じゃ、風花先輩はフルートっと。詩津紅先輩はそもそも何やるんですか?」
「私は指揮者で」
「軽音楽に指揮者っているんだっけ?」
「あまり聞かないなあ。楽器は何もしないんですか?」
「詩津紅はクラリネット吹けるよ」と風花。
「あ、じゃそれやりましょうね。クラリネット吹いてリーダーなら、ベニー・グッドマンだ」
「ああ、ジャズやる?」
「それもいいかもね」
「ドラムスは真弓を誘いましょうよ。彼女中学生の時バンドやっててドラムス叩いてたんですよ。家にドラムスセットあるし。本当はお兄さんのだけど」
と来美。
「じゃ、その勧誘は来美ちゃんに任せた」と聖子。
「OK。誘ってみる」
「だけど時間あるの〜? 2年生はまだいいとして3年生は受験があるし」
「いや、昨夜雑誌見てたら、7月19日に軽音楽部のフェスティバルがあるらしいのよ。それに出たいなって気がして。だからそれまでの期間限定」
と詩津紅。
「うーん。それならまだいいか」
「あ、冬様のパートがまだ決まってない」と聖子。
「あ、私は元プロだからパスで」
とボクは言ったのだが
「フェスティバルだから関係無いですよ」
「えっと・・・あ、それに私、男の子だから。女の子だけでやるんでしょ?」
「私は冬子は女の子だと思ってるよ」と詩津紅。
「冬様〜、自分は女の子だからと言って私を振っておいて、今更男の子だとか無いです」と聖子。
「あ、そういえば私も自分は女の子だからと言って振られたんだった」
と詩津紅。
「冬子先輩、そんなに女の子を泣かせてるんですか?」と美野里。
「えーっと・・・」
「私の見解でも、冬子は女の子だよ」と風花。
「じゃ、冬子先輩も参加でいいですね?」と来美。
「うん、まあいいよ」
「でもパートは何をしてもらおう」
「冬子は、ギター・ベース・ドラムス・キーボード・クラリネット・ヴァイオリンが弾けるはず」と詩津紅が言う。
「あ、ドラムス打てるならドラムスやります?」
「無理無理。音出せるというだけで。私腕が細いからテンポキープしきれないし」
「じゃヴァイオリン入れる?」
「いや、今固まりつつある構成ならむしろ木管楽器入れたい」
「フルート、クラリネットが入ってるし、あとはオーボエ?」
「吹けない、吹けない」
「クラリネット吹けるならオーボエも吹けるでしょ?」
「違うよ〜。オーボエの方が遥かに難しい」
「そうだっけ?」
「うん。逆にオーボエ吹きは割と簡単にクラリネット吹ける」と風花。
「あ、分かった。この構成はあとむしろサックスが欲しい」
「吹けな〜い」
「練習すればいい」
「サックスはクラリネットと同じシングルリードだから練習すれば何とかなるよ。アルトサックスはブラスバンド部から借りれると思う。結構備品在庫あるから。マウスピースだけ買えばいいよ」
「うーん・・・」
「あ、それかイーウィーにする?」と風花。
「何それ?」
「電子サックスって言うのかなあ」
「ああ、ウィンドシンセサイザーか!」
「そうそう。イーウィーはアカイから出てる縦笛型のシンセでさ。ソプラノサックスみたいな形してるの。でも電子式で指の力も息の量も要らないからピアニカ吹けるならイーウィーも吹けるよ」
と風花は言う。
「へー。ピアニカ程度なら少し練習してもいいかな」
「学校には在庫無いから使うとしたら買うことになるけど、冬なら買えるよね?」
「いくらくらい?アルトサックスくらいの値段?」
「あんなに高くない。確か8万くらい」
「じゃ、買ってもいいよ。でもそれ音源とか別売り?」
「内蔵してる。電池も内蔵してるから、屋外でも気軽に使える」
「へー、面白そう」
「よし。これでパートは決まったね」と詩津紅。
「えっとえっと整理しよう。ギター来美、ベース聖子、ドラムスは真弓ちゃんを勧誘、キーボード美野里、フルートを私が吹いて、クラリネット詩津紅、サックス冬」
と風花がまとめてくれた。
「あ、リズムセクションが2年生で木管が3年生と、きれいに別れましたね」
「まあ、リズムセクションがボロボロならどうにもならないから、時間のある2年生に練習は頑張ってもらおう」
「ねえねえ、名前も付けようよ」と聖子が言うと、詩津紅が
「リズミック・ギャルズ」と言う。
「どこからそういう名前が?」
「何となく」
「じゃ、リーダーが言うんだから、それで」
「了解〜」
「服装とかどうするの?」
「女子高生っぽく制服で行こうよ。うちの制服可愛いし、女子高生の夏制服で軽音楽って、格好いい気がする」
「冬子の服は誰かから借りようかな」と風花が言ったが
「あ、それは心配無い。冬子はちゃんと自分の女子制服を持ってる。実は結構校外では着ている」
と詩津紅が言うと
「えーーー!?」
とみんな驚く。
「だったら、その服を着て学校にも出てくればいいのに」
「あ、えっと・・・」
「1年生の時は結構それで出てきてたんだけどね」
「へー!」
そういう訳でコーラス部の子たちを中心とする、軽音楽サークルが誕生し、7月19日までの1ヶ月間限定で活動することになる。そして演奏の時のスタイルは女子制服夏服と決まり、ボクはみんなの前でそれを着ることになるのである。
ボクは取り敢えず風花お勧めの「イーウィー」ことAKAI EWI4000s を買ってくることにした。。。。が近くの楽器店に行っても置いてない。
それで★★レコードの秋月さんに電話して聞いてみると売っている楽器店を調べてくれたので、それで調達することができた。
お店の人は「ウィンドシンセなさるんでしたら、むしろヤマハのWX5の方がサックスと同じ感覚で吹けますよ」などと言う。
「いや、私、サックス全然吹けないので。私元々キーボード弾きなんですよ」
「ああ、それならEWIの方が馴染みやすいかも知れないですね」
ちなみに小学生ボカロイド「歌愛ユキ」のランドセルに、まるでリコーダーでもさしてあるかのように、ささっているのがWX5である。
ということで私は EWI4000s を買ってきて、説明書を読み、吹いてみようとしたのだが・・・・
「接触式」という音の出し方に戸惑う。
リコーダーや篠笛なら笛の穴を押さえるし、フルートやクラリネットならキィを指で押さえて音階を吹くところを、EWIという楽器は、指で触って音を決めるようになっている。運指はリコーダーとかに近い運指で良いのだが、押さずに触っただけで音が変わるというのが最初とても変な感じがした。
「えーん。風花の嘘つき〜。ピアニカとは全然違うじゃん」
楽器屋さんが言ってたWX5なら、生のサックス同様指で押さえて音を変える仕組みになっている。だからサックスが吹ける人はそちらが良いのだろう。しかしサックスでしっかりキィを押さえきれないボクにとっては、確かにこちらの接触式の方がまだマシかもという気がした。
「ヌード写真撮りたい!」
詩津紅の「けいおん、しようよ」も唐突だったが、政子のこの発言もホントに唐突だった。ボクは政子のお母さんがちょうど買物に出ていて良かったと思った。
「誰のヌード写真撮るの?」とボクは訊いてみた。
「もちろん私のヌード写真を誰かに撮ってもらうのよ」
「ふーん。それでヌード写真集でも発売するの?」
「それもいいなあ」
「でもさすがにお父さんが仰天してまたタイから飛んで帰ってくるよ。そしてそのまま有無を言わさずタイに強制連行」
「それはやばいな」
「なんでまた突然ヌード写真などと」
「ほら、先週、鈴懸くれあちゃんがヌード写真集出したじゃん」
と言って、政子はその写真集を本棚から取って来た。
「きれいだよね〜」と言ってページを開いてみせる。
「ああ、いい身体してるね」
「19歳だもんね〜。やはりヌードって若い内に撮っておくべきだと思わない?」
「そうだね〜」
「よく落ち目になったタレントさんとかが30歳くらいでヌード写真集出したりするけどさ。19歳のヌードにはかなわないよ」
「ま、それは言えるけど、グラビアアイドルとか以外で、19歳でヌードを晒しちゃう人はレアだよね。くれあちゃん、よくやるよ」
「今物凄く売れてるみたい。私も買ってきたけど、うちのお母ちゃんも買ってきたんだよ」
「2冊あっても仕方無いね」
「冬、一冊持ってく?」
「いや、うちもお母ちゃんとお姉ちゃんが1冊ずつ買ってきた」
「やはり。誰か私のヌード写真撮ってくれないかなあ」
「今ボクたちどこの事務所とも契約してないから難しいね。あとどっちみち、高校生はヌード写真集とか出すのは禁止だよ」
「あ、そうなんだ?」
「原則18歳以上だけど、高校在学中はダメってことになってる」
「ちぇっ、つまらないなあ」
と政子は言っていたが
「ね、出版しなきゃいいんでしょ?」
と言い出す。
「うん、まあ」
「冬、いいカメラ持ってたじゃん。あれで私のヌード撮ってくれない?」
「でもどこで?」
「写真スタジオを貸し切りにすればいいんじゃない?」
「ああ、それならできるだろうね」
「でも屋外でも撮影したいなあ。公園とかでさ」
「それは難しいと思う」
「人がいない時にさあ、さっと撮ってさっと逃げればいいんじゃない?」
「いや、それやってて、後でバレて公然猥褻罪で捕まった人いたよ」
「面倒くさい世の中だなあ」
その週ボクは KARION の音源制作をやっていて、放課後はずっとスタジオに入っていたので軽音サークル「リズミック・ギャルズ」の方の練習には全然出て行けなかったのだが、スタジオでの自分の出番の待ち時間に、ボクはずっと EWI をいじっていた。
「あれ? 蘭子ちゃん、今回はウィンドシンセ吹くの?」
とバンドの人から訊かれる。
「いえ、吹きません。友だち同士で軽音楽やろうと誘われて、私ウィンドシンセの担当になったので、昨日買ってきて練習してるんですけど、なかなかうまく行きません」とボク。
しかしバンドのサックス担当の人が笛全体の持ち方とか、口の使い方などを少し教えてくれたのが結構参考になった。
「フリーのアーティストという強みを活かして色々やってるな?」
と和泉。
「へへへ。日曜日にはコーラス部の大会でピアノ弾いたよ」
「私もアマチュア時代、もっと楽しんでれば良かったなあ」
この KARION の音源制作中に、ローズ+リリーのアルバム『長い道』が発売された。ボクは KARION の3人と畠山さんには、特別サイン入りのCDを贈呈した。
「ね、このサイン入りCDって、レアだよね?」と畠山さん。
「ええ。22枚しか存在しません。サイン色紙は300枚書きましたが」
「おお!お宝だ!」
このローズ+リリーのサイン入り『長い道』は、★★レコードの許可を取って特に感謝したい人に、ボクと政子が個人的に贈ることにしたもので、全て2人でサインしたものである。
その内の3枚はレコード会社を通じて上島先生・下川先生・雨宮先生に贈呈した。1枚はボクと政子から個人的に町添部長個人に贈呈し、1枚はその町添部長の名前でタイにいる政子の父に送ってもらった。また津田社長に頼まれて3枚渡したが、その内の1つは浦中部長に、そしてもう1枚は密かに須藤さんに送られたことを、後日津田社長との直接の電話でこっそり聞いた。(以上8枚)
メッセージカードを添えて郵送したのが、盟友ともいうべき XANFUS の2人と友人兼ライバル的存在でもある AYA、(以上3枚)そして個人的な友人であるリナ・有咲・若葉、仁恵・琴絵・奈緒・詩津紅(以上7枚)である。仁恵・琴絵・奈緒・詩津紅は学校でも渡そうと思えば渡せるのだが、見られると他の子からもサインをねだられる可能性があるので、敢えて郵送した。当時校内でボクらは基本的にサインには応じない方針にしていた。
そして最後にボクが手渡したのが KARION の3人と畠山さんであった。
(後にファンなどから頼まれてサインした分は数十枚あるが、使用したサインが異なる。また、この22枚はボクが描いたケイとマリの似顔絵付きである)
音源制作に出てきたついでにボクは例の問題で畠山さんに打診した。
「私が実はこちらの事務所とも長く関わってきたということを津田さんに1度ちゃんと言っておかなければならないと思っているんです」
「確かにそのことは一度クリアにしておいた方がいいかも知れないね」
「もしその件で津田さんとの話し合いの場を作ることができたら、社長、打ち合わせに出ていただけますか?」
「それはもちろんだよ」
金曜日の昼休み。聖子がうちのクラスまで来て
「冬様〜。リズミック・ギャルズの演奏する曲目が決まりましたよ〜」
と言って譜面を渡してくれた。
「ありがとう。ごめんねー。練習に出ていけなくて」
「来週はどうですか?」
「どうも全部潰れそう」
「ああ。じゃ練習しててくださいね。音は出るようになりました?」
「うん。あれ音自体は誰でも出るみたい。でもスタジオで一緒になったサックスプレイヤーの人に、基本的な笛の持ち方とか、吹き口の咥えかたとか教えてもらった」
「わあ、凄い」
「で、何の曲になったの・・・って『Omens of Love』!スクエアか!しかしまた古い曲だね」
「私たち生まれるより前の曲ですもんね。でも最初、『Moonlight Serenade』
とか『Sing, Sing, Sing』とかも候補に出たので、それよりはまだ新しいかな」
「へー」
「風花先輩が、お友だちのうちで聴いて、格好いいと思ったからって。そこのお母さんが中学生の頃、スクエアのファンだったらしいんですよ」
「ふーん。まあブラスバンドでは結構取り上げるしね。でもこの曲、サックスが主役じゃない?」
「だから頑張ってくださいね〜。黄色いマーカー付けてる所が冬様の担当です」
「了解〜」
その日の放課後。KARIONの音源制作もボクの演奏する部分は既に収録が終わっていたこともあり、ボクは学校が終わってから女子制服(6月なので夏服)に着替えて、△△社を訪れた。ボクの突然の来訪に甲斐さんが驚く。津田さんも寄ってくる。
「冬ちゃん、何か朗報でも持って来てくれた?」と甲斐さん。
「悲報かも」
「えー!? でも、私、女子制服着た冬ちゃんって初めて見た!」
「へへへ。実はけっこうこれで出歩いてるんですよね〜」
「それは知らなかった」
「あ、そうそう。これ手土産です」
と言って、プティケーキのたくさん入った箱を渡す。
「なんか手土産が豪華すぎるよ〜。どういう悲報なの〜?」
と甲斐さんが困惑するように言う。
ボクは津田さんの方を向き、
「社長。ふたりだけでお話ししておきたいことがあるのですが」
と言った。
「うん」
と言い、ボクは津田さんとふたりで応接室に入った。甲斐さんが取り敢えずお茶を入れてくれた。
「実は私は津田社長に謝らなければならないことがあるんです」
とボクは甲斐さんが応接室を出て行ってから言った。
「うちに勧誘をやめてくれとかいう話なら聞かないからね」
と津田さんは笑いながら言う。
「その件については、まだまだ保留ということで」
「うん、それならいいよ」
「実はですね。こんなこと言うと、本当にお怒りになるとは思うのですが」
「なになに?」
「実は、私自身の音楽活動についてなのですが、実はこちらと例の契約をする以前から、ちょっと関わりのあった事務所があったんです」
「えーーー!?」
「そちらとも一度も契約書とかは交わしたこと無かったのですが、あるユニットの音源制作時の伴奏やコーラス、それから楽曲の提供を継続的にしていたんです」
「へー。まあ伴奏者とまで契約するかどうかは微妙だな。しかし曲作りもしてたんだ!」
「実際には向こうでも契約を結びたいと言われて、私が性別問題があるからと言ったものの、時間を掛けても父を説得したいと言われて」
「熱心だね」
「ええ」
「でも分かるなあ。君みたいな素材を見たら欲しくなるもん」
「それであの時、ローズ+リリーとして8月いっぱい活動して欲しいと言われた時、私もそちらの事務所との関わりがあったので、どうしようかと思ったのですが、マリが物凄く乗り気でちょっと押し切られた面もありましたが、私自身もまあ1ヶ月間の限定ならいいかなと思ってしまって」
「ああ・・・」
「で、須藤さんが作った契約書の文面見たら『専属歌手として』と書かれていたので、私も、歌手としての専属なら、作曲とか伴奏とかは拘束されないからいいかな、と思ってしまったのもありました」
「うーん・・・・」
「その判断は私も甘かったと反省しています。あの時点で自分の現在の音楽活動と向こうの事務所との関係について、きちんと御説明するべきでした」
「そうだね。それはひとこと言って欲しかったね」
「大変申し訳ありません」
と言ってボクは頭を下げる。
「しかし、うちとそこの事務所は結局、どちらもきちんとした契約を結ばないまま、君を取り合いしていた訳か」
「そうなってしまいますね。結果的には」
「で、どこの事務所なの?」
「∴∴ミュージックです」
「畠山さんか!」
「はい」
「あのさ・・・当時の会議の内容は漏らしてはいけないことになってるんだけど、1月に君たちのことを討議した連盟の会議で、実はうちをいちばん弁護して熱弁を振るってくれたのが畠山さんだったんだよ」
「そうだったんですか!」
「元々の君とのことがあったから、味方してくれたのかなあ」
「そうかも知れないですね」
「今、そちらとの関係はどうなってるの?」
「畠山さんも熱心に私とマリを勧誘してます。何度かタイまで行ってお父さんとも話したみたいですよ」
「うむむ。頑張ってるな。僕もタイまで行くかな」
「それは勘弁してください。あんまり人が押し寄せると、マリのお父さんの態度が硬化するので」
「ああ、あの人、そうかも知れないね」
その時、甲斐さんが「失礼します」と言って、ケーキとコーヒーを持って入ってくる。ボクたちの会話は中断する。甲斐さんはチラっと津田さんの顔を見た。自分もこの席に入った方がいいのかどうか確認した雰囲気だったが、同席しない方が良いようだと判断して、そのまま外に出て行く。
ボクは会話を再開する。
「ローズ+リリーの方はそういう状況ですが、私がローズ+リリー以前から関わっているユニットの方には、昨年9月から12月に父が契約を拒否した日までは直接の関与を控えていましたが、その後はまた伴奏やコーラスに参加しています」
「うん。それは問題無いと思う。今君はフリーだし」
「でも実は作曲の方はローズ+リリーをしていた最中もしていたんです」
「よくあの多忙な中でやってたね!」
「済みません」
「いや、あの契約書は歌手活動にしか触れてなかったから違反ではないと思う。まあ、一応言って欲しかったけどね」
「はい、申し訳ありません」
「でも、なんか有名なユニット?」
などと津田さんはケーキを食べながら尋ねる。
「社長は KARION というユニットはご存じでしょうか?」
とボクは言った。
その瞬間、津田さんはまさに「鳩が豆鉄砲を食らった」みたいな顔をした。そしてむせかえる。
ボクはびっくりしてテーブルの向こう側に回り、津田さんの背中をさする。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん、うん、大丈夫」
そんなことをしていた時、突然会議室のドアが開き、事務所の若い女の子が
「社長、済みません」
と言った途端、こちらを見てびっくりしたような顔をして、慌ててドアを閉めた。
「あ・・・」
ボクは一瞬津田さんと顔を見合わせる。
津田さんはドアの所に行き、開けて「何だね?」と訊く。
「あ、えっと。○○プロの浦中部長からお電話です」
とその女の子は言った。
「保留にしてる?」
「えっと・・・保留って・・・」
「じゃ、そちらで取る。ケイちゃん、ちょっと待ってて」
「はい」
5分ほどで津田さんは会議室に戻ってきた。
「あ、僕が汚したテーブル、きれいにしてくれたんだ? ありがとう」
「いえいえ」
「しかし最近の子は、電話の保留も知らないのかねぇ」
「みんな携帯しか使わないから」
「ああ!」
「でもさっきの変に誤解されたりして?」
「気にしない、気にしない」
「危ない会社だと思われたりしません?」
「ははは。でもホントにおかしな会社もあるからなあ、この業界には」
「私は枕営業はできませんよ」
「いや、君みたいなタイプがふつうの女の子より高値が付くよ」
「う・・・・」
「まあそれは置いといて」
と言って、津田さんはコーヒーを一口飲む。
「KARIONなんだ!」
まさかそんな有名所とは思っていなかったのだろう。今やKARIONは∴∴ミュージックの稼ぎ頭である。
「KARIONは最初、私も含めた4人での結成を畠山さんとしては考えていたんです。私は KARIONでは らんこ と呼ばれてて、いづみ・みそら・らんこ・こかぜ、と名前が尻取りなんですよ」
「へー! らいこじゃなくて、らんこだったのか」
「幻のKARIONメンバー《らいこ》というのが居たのではなんて噂がありましたね。ちょっと惜しかったですね」
「うんうん」
「そしてKARIONの曲を書いている水沢歌月というのが私です」
「そうだったのか!!」
「水沢歌月の正体はKARIONのメンバーと畠山さんの他は、町添さんしか知りません」
「町添さん・・・あの人は本当にタヌキだな」
「あはは」
「それでお願いなのですが」
「うん」
「ローズ+リリーに関して、私の方は実際問題として、マリのお父さんが納得する所と契約するつもりです。それがもし、△△社さんになった場合に、∴∴ミュージックさんの方で、私がKARIONへの最低でも楽曲提供と、可能なら音源制作での伴奏などを続けることを認めて頂けないかと思いまして」
「ふーん・・・」
と津田社長は少し考えるようであった。
「それって音源制作の時だけ?」
「はい。ライブには出ないことにしていますし、1度も出たことがありません」
「もし両方の音源制作のスケジュールがぶつかった時はどうする?」
「その場合はローズ+リリー優先です。KARIONの音源制作では、これまでも結構、私のパートだけ先行して録音しちゃってということもあったので」
「ああ」
と言ってから、津田さんはまた少し考えていた。
「その件に関しては、僕にも少し考えさせてくれる?」
「分かりました」
「ね、正直な話、今競争している7社の中で、君たちにいちばん迫っているのはどこの事務所?」
私は微笑んで答えた。
「8番目の事務所です」
津田さんは大きく手を広げる動作をして
「やはり、あの人か!」
と言った。
「ごめんなさい」
「まあ仕方ないかもなあ。マリちゃん自身がいちばん信頼している人だろうからな」
「それでそのあたりも含めて、一度畠山さんと会って頂けませんか?」
「うーん。そうだね。その方が話が早い気もするな」
「場所は私の方で用意しますね。内緒の話をしやすい場所を」
「というか、僕とケイちゃんと畠山さんの3人が同席しているのを絶対誰にも見られたくないね。やばすぎるから」
「ええ。そういう機密が確保出来る場所を用意します」
KARIONの音源制作は土日まで掛かった。ボクは自分の出番はあまり無かったものの、日中スタジオに詰めてそれに立ち会った。エンジニアの菊水さんからは結構便利に使われて「あ、これちょっと加工して」などという感じで頼まれてProtoolsの操作などもしていた。結局この音源制作でも、ボクはコーラス兼・キーボード兼・作曲兼・エンジニア助手であった。
週明け、月曜日の夕方。ボクと畠山さん、津田さんの3人は都内の高級料亭に集まった。ボクは若葉から借りたオートクチュールのスーツを着て出席した。ソバージュのヘアピースを付けてメイクもしているので、ちょっと見た目にはケイには見えない。実際、最初津田さんも畠山さんもボクを認識できなかった。
「しかし蘭子ちゃん、よくこんな所が取れたね」
「ケイちゃんの着ている服が凄い気がする」
「私の親友のコネです。この服も彼女からの借り物です。でも彼女はとても口の硬い子なので情報が漏れることはありません。ここを選んだのは、このお店では客同士が廊下で会うことが絶対無いようにコントロールしているからなんです」
「へー」
「トイレに行くのにも、他のお客さんがトイレに立っていたら、そちらが終わって部屋に戻るまで待たされます」
「トイレが近い人には辛い店だな」
「悪い相談がしやすい店ということか」
軽くお酒(ボクはお茶)を飲んで少し料理もつついた所でボクは本題を出す。
自分の音楽活動について再度説明した上で、あらためて畠山さんと津田さんに、ボクのKARIONとローズ+リリーの両立についてお願いした。
「ほんとに私のわがままだと非難されても仕方無いのですが、今後ローズ+リリーが復帰した場合に、私はローズ+リリーの片割れ・兼作曲担当および、KARIONの影のキーボード奏者兼作曲担当として活動して行けたら、と思っているんです」
ふたりは少し悩んでいた。
「ね、ちょっと場合分けしてシミュレーションしてみましょうか」
と津田さんが言った。
「はい?」
「話を簡単にするため、マリちゃんが契約したら、そこと必ずケイちゃんも契約すると仮定してみよう」
「ええ」
「うちがマリちゃんとの契約に成功した場合、ケイちゃんも基本的にローズ+リリー専門でやって欲しい。他の事務所の他のユニットへの関与はできれば避けて欲しい」
「そうでしょうね。。。」とボクも返事をする。
「でも、畠山さんとこが契約に成功した場合は、同じ事務所のユニットだからケイちゃんが両方に関与するのは全然問題無いよね」
「ええ。問題ありません」と畠山さん。
「ということになると、この契約レースは圧倒的にうちが不利じゃん」
と津田さんは笑いながら言う。
「確かに」と畠山さんも笑顔だが、緊張した笑顔である。
「で、密約しない?」
「ああ、いいですね」
「料亭で密約とか、政治家みたいだけどさ」
「でも私もそういうの嫌いじゃないですよ」
「こうしませんか?」と津田さんは提案した。
「もしうちがマリちゃんと契約に成功した場合、ケイちゃんがKARIONでメインあるいはそれに準じるボーカルを取らない範囲で、コーラスやキーボードなどでの伴奏や作曲編曲で音源制作に参加するのは認める」
「ほほお」
「その代わり、畠山さんとこが契約に成功した場合、マリちゃんとケイちゃんで作った曲を、うちの歌唱ユニットなどに提供してもらえる」
「ああ!」
この時期、津田さんはボクと政子の作る曲を見て、実際問題としてかなり評価してくれていて、楽曲提供についても打診されていた。
「和泉ちゃんの方はよく分からないけど、マリちゃんってものすごく多作だよね?」
「マリは毎日3個は詩を書きますよ。休日などどうかすると10個以上書く時もあります」
「それは凄いな!」
「だったら多分ケイちゃんも結構な量の曲を作れるよね?」
「そうですね。たぶんローズ+リリーの分以上に作れる気がします」
「うちはその条件でいいですよ」と畠山さん。
「じゃ、密約成立」
と言って、ふたりは握手をした。
「で、うちでもそちらでもない第三の事務所が契約に成功した場合はどうしましょ?」
「そのケースというのは、多分あの人が設立するであろう会社だよね?」
と津田さん。
「たぶんそうでしょうね」と畠山さんも同意する。
「恐らくこのレースは既にうちと津田さんとこと、その新会社に事実上絞られてると思いますよ。あと##プロさんが頑張ってるけど可能性は低い気がする。あそこは年代の近い大物をたくさん抱えてるから、そこと契約しても必ずしも大事にしてもらえないでしょ。それをマリちゃんのお父さんが気にしてたから」
「うんうん。それで昨日から僕もちょっと考えてたんだけどね。ローズ+リリーの権利って、結局どこにも所属してないんだよね?」
「今のところそうですね」と畠山さん。
「だから、これは一度関係者で集まって再協議する必要はあるけど、たぶん、マリちゃん・ケイちゃん自身に所属してるんだ」
「ええ」
「ということはさ、その権利を管理する、マリちゃん・ケイちゃんの個人事務所か音楽出版社(原盤管理会社)とかを作っちゃえばいいんだよ」
と津田さんは言った。
「ああ・・・・」と畠山さんも声をあげる。
「そこと、委託契約を結ぶ形式で契約してもらえばいいんだ!」
「そうそう」
「うまい考え方ですね」と畠山さん。
「というか、その方法しか無い気がするね」
「そういう形にしておいて、ケイちゃんはKARIONの作曲と伴奏もする。そして自分たちで歌いながら、マリ&ケイの曲をうちにも提供してくれると申し分無い」
と津田さん。
「いいですよ。書きます」とボクは笑って答える。
「しかしあの人が専属契約ではなく委託契約で満足してくれますかね?」
と畠山さんは言う。
「そのあたりはお金の問題で可能だと思っている」と津田さん。
「ほほお」
「ローズ+リリーを運用するためには、数億円レベルの運転資金が必要ですが、あの人個人でそれは調達できないでしょ。設立したばかりの芸能事務所に銀行は融資なんかしてくれませんし」
「ああ」
「ローズ+リリーのCDを作ってキャンペーンとかしたら、純粋な原盤制作だけでも1000万くらい使うだろうし、全国キャンペーンとかすると2000万掛かるし、更にTVスポットでも打てば簡単に1億飛びます。そうなると結局うちに資金的な援助を求めるしかないのですよ」
「そしてお金を出す代わりに、契約の方式についても、こちらのいいようにさせてもらうと」
「そういうことです」
「その形になれば、うちもそちらも、直接ローズ+リリーと契約しないまま利潤だけはもらえるし、あの人も資金的に助かる。そしてうちはマリ&ケイの曲を使えるし、畠山さんとこも和泉&歌月の曲を使える。ケイちゃんはローズ+リリーとしてもKARIONとしても活動出来る」
「三方一両得、いや三方二両得くらいの感じですね」
「ケイちゃんはどう思う?」
「多分ですね。マリのお父さんも委託契約の方を好むと思います」
とボクは言う。
「ほほお」
「委託契約なら、こちらの裁量で仕事ができますから。売り出すのには不利ですけど、マリのお父さんとしてはやはり娘には大学出てどこか会社に就職して3年くらいでお嫁に行ってくれたら、というのを思い描いていると思うんです。派手にCM打って、テレビも音楽番組だけじゃなくバラエティにも出て顔を売って、みたいな売り方は好まないと思うんですよね」
「ああ」
「マリちゃんのお父さんはそうだとして、マリちゃん自身はどういう売り方がいいんだろう?」
「マリは何も考えていません。御飯をたくさん食べられて、いつも詩を書いていられて、時々歌が歌えたら、それで幸せなんです。マリにOLはできませんよ」
とボクが言うと津田さんは納得したように
「ああ、あの子はそうだろうね。うちで設営のバイトしてた時もよく物を壊したし」
とボクの意見に同意した。
「ミラーボール落っことしてくれた時はどうしようかと思いましたね。あの子、性格的な問題と体質的な問題で物を壊しやすいんです。特に電化製品との相性が悪いんですよね。あそこのおうちは冷蔵庫とか洗濯機が5年もちません」
「ああ。うちもパソコン2台くらい壊されたな」
と津田さん。
「私も何度かマリちゃんと話しましたが、確かに世俗と関係無い世界で生きてる感じだよね」と畠山さん。
「あの子、私と話している最中に突然詩を書き出したんですよ」
「それはうちもやられた。どうかした人なら怒るだろうね」
と津田さんも笑っている。
「お母さんが叱ろうとしましたが、私は、そっとしておいてあげてと言いました」
「そう言える人だけが、マリちゃんとの交渉ラインに残れるよね」
「マリのことを理解してくださってありがとうございます。でもマリはテスト中とかでもそれやるから成績悪いんですよ」
「ああ」
「生まれながらの芸術家だよね、あの子は」
「世間的な生活能力は多分ゼロだろうけどね」
「じゃ、その個人事務所か出版社のあり方をちょっと細かく検討してみたいね」
「この件は町添さんも入れて話した方がいいかもね」
ボクたちはこの後、何度か町添さんも含めて秘密の会合を持った(2回目以降の場所代は町添さんが出してくれた)。またこの4人だけのメーリングリストを作り、そこでも盛んに意見を交換した。そして、その結果、翌年の5月に、マリとケイの著作権、ローズ+リリーの原盤権を管理する音楽出版社である、サマーガールズ出版が設立されることになる。
ただこの時点で大誤算だったのは、マリが契約はしたものの、なかなか歌ってくれなかったことであった!!
その週も結局、水曜日の政子の誕生日以外、ボクは津田さん・畠山さん・町添さんと、あるいは会って、あるいは電話のやりとりで秘密会談を重ねていた。この会合は「ファレノプシス・プロジェクト」の仮名が付いていた。
それで軽音サークル「リズミック・ギャルズ」の練習には全然参加できず、結局「やろうよ」という話が出てから2週間近くたった6月20日(土)になって、やっと練習に出ていくことができた。
「ごめんなさーい。なんか忙しくて」
「冬ちゃん、なんで男の子の格好なのよ?」と風花。
「えーっと・・・」
「女子制服はいつも携帯してるよね?」と詩津紅。
「うーん。まあ・・・」
「なーんだ。持ってるなら、即着替えよう」
「えっと、どこで?」
「ここでさっと着替えちゃいなよ。どうせ下着も女の子の着けてるよね?」
「うん」
「じゃ、問題無いじゃん」
「あはは」
そういう訳で、ボクはみんなの見ている前でスポーツバッグから女子制服を取り出すと、さっとワイシャツ・ズボン姿から着替えてしまった。これ以降もこのサークルの練習には毎回女子制服で参加することになる。
「おお、可愛い」
「似合ってる、似合ってる」
「ってか、ワイシャツ・ズボン姿の方が男装している女の子にしか見えなかったね」
「ほんと、ほんと」
「よし、練習するぞー」
「合わせるよ〜」
「いきなり〜!?」
「みんなちゃんと個人練習してるよね〜?」
「行くよ〜」
「間違った人は全員にジュースおごること」
「きゃー」
「一応」リーダーである詩津紅による合図でリズムセクションによる前奏が始まる。ドラムス・キーボード・ギター・ベースで、チャーンチャラチャンチャン、チャーンチャラチャンチャン、という長い音符による和音が音程を変えながら繰り返される。そして真弓のドラムスフィルインが始まるのと同時に美野里のキーボードがグリッサンドして、この曲のスタートを告げ、更に8小節弾く。
ボクのウィンドシンセ、風花のフルート、詩津紅のクラリネットが交替でメロディラインを演奏する。この曲はこの3つの楽器が歌代りで、いわば三重唱のようなものだ。
ボクのウィンドシンセがメロディを取る時は風花のフルートは高い所で長い音符を吹き、フルートがメロディを取る時はウィンドシンセが逆に高い所の音を出す。フルートも音域が広いが、ウィンドシンセは左手親指のオクターブローラーの操作で8オクターブ近い音域を出せるので、このあたりは自由自在である。詩津紅のクラリネットはだいたい低い音域で演奏しているが、時々メロディラインに飛び出し主役となって、ウィンドシンセとフルートがそれに和音を付ける。
間奏にはキーボードの超絶技巧部分があるが、そこは美野里が不安気もなくきれいに弾きこなす。さっすが!とボクは思った。
約4分間の演奏が終わる。
「すごーい」
「初めて全員そろったのに、ピタリと合ったね」
「私たち天才ね」
などと言い合っている。
「ごめんねー。出てこれなくて」とボクは言うが
「いや、毎日3〜4人でやってたからね」と聖子が言う。
「えー!?」
「だって、みんな出てこないんだもん」
「毎日いるメンツが違ってたから、実質パート練習しかできてなかった」
「あはは」
「だいたい言い出しっぺの詩津紅先輩が3回くらいしか出てきてない」
「いや、御免御免」
そしてこの後、この軽音サークルの練習で全員集まったのは、本番前日の練習と本番当日のみだったのである!(ボクは週2回ほど出て行っていた)
6月に出たボクたちのアルバムは、ローズ+リリーの活動が停止してしまってから半年経ち、ファンが、もうローズ+リリーの歌声は聞けないのだろうかと半分諦めかけていた時期に出た音源だったので、ひじょうに大きな反響があった。
あまりの反響の大きさに、ボクたちは特別に直筆サインを配ることになり、双方の父の承認も得た上で、東京・大阪・福岡・仙台の4ヶ所でイベントを開催した。むろんボクも政子も出席しないが、ローズ+リリーの昨年11月のコンサートの映像を30分間に編集したビデオを上映するとともに、ボクと政子の直筆サインを抽選で合計300人に渡した。
ボクたちは《Rose+Lily》の部分と日付のみを書いたのだが、サイン会に上島先生がボクたちの代理で出席してくれて、抽選で当たった人にサインを渡す時、その宛名を上島先生が書いてくれて握手もしてくれたのである。ボクたちはまたまた上島先生に借りを作ってしまったのだが、実際、ボクたちのサインに宛名書きをしてもファンが怒らないのは上島先生以外にはあり得なかったろう。
(転売防止のため、宛名・日付の無いサインは出さない事になっている)
★★レコードでは、更にボクたちに録音ででもいいから、ファンへのメッセージをもらえないかと頼んできた。この時期には、もうボクの父も政子の父もボクたちの活動について、軽微なものなら黙認するような雰囲気になっていたこともあり、一応両親の了解は取った上で、原稿を作り★★レコード内のスタジオで5分間のコメントとしてまとめ、FM番組で流してもらった。
この中でボクたちは半年前の騒動についてあらためてファンに陳謝するとともに新しいアルバムを買ってくれたことへの感謝を述べた。そしてボクは自分の性別についても初めて
「私は少なくとも心は女の子」
と明言した。
ついでに政子が
「ケイと一緒にお風呂入ったけど、女の子にしか見えなかったな」
などと言ったもので、ネットではボクが活動休止中に既に性転換手術を受けたのでは、などという噂が広がってしまったのだが・・・・
更にボクたちは今後の活動についても
「マリとケイが生きている限り、そこにローズ+リリーは存在しています」
とハッキリ言った上で
「インディーズになるかも知れないけど、きっとアルバム制作はします」
ということも、ファンに約束した。
このボクたちのコメントに対して、音楽雑誌が町添部長と上島先生にインタビューをして記事を載せた。その中で町添部長は
「彼女たちはインディーズででもとは言ってますが、彼女たちがアルバムを制作したら、必ず★★レコードで取り扱います。制作環境なども提供します」
などと言ってくれていた。
上島先生も「ふたりが戻ってくるのを楽しみに待ってます」と言っていた。
ボクたちは雑誌が出る前に町添さんから電話で「こうコメントしといたからね」
と連絡を受けた。
その日ボクたちは政子の家の居間で一緒に勉強をしていたのだが「ありがたいねぇ」
などと言い合う。この日の服装はピンクのポロシャツにハーフパンツである。父との約束でスカートは穿いてないが、まず女の子にしか見えない。
「でも★★レコードに行くと、行く度にいろんなアーティストと遭遇するね」
と政子は言った。
「まあ、★★レコード所属のアーティストは3000組は居るからね」
「そんなにいるんだっけ!?」
「メジャー・アーティストなんて、ごろごろ居るんだよ。だって、この部屋の中にも2人いる」
などと言うと、政子のお母さんが笑っている。
「もっとも3000組の内実質稼働しているのは400組くらいだろうね」
「後は休眠中か」
「多分契約も切られている」
「ああ。。。。でも会うアーティスト、アーティストから『頑張ってね』とか『いつ復帰するの?』とか言われて何だかありがたくて」
「ほんとほんと」
「結構サインも交換したね」
「うん。5月に行った時も谷崎聡子さんとか松浦紗雪さんとかと交換したし、こないだ行った時も大林亮平さんとかmap(エムエーピー)の4人とかと交換したね」
「でも大林亮平は嫌いだ」
「あはは、キスされそうになったね」
「だから蹴り上げてやったけど」
「うずくまってたけど、彼、男を辞めることになってなきゃいいけどね」
などと大林亮平のファンが聞いたら殺されそうなことを言う。
(10年後に政子は歌手から俳優に転じていた大林亮平と恋人になり子供まで作ることになるのだが、ふたりの初対面はこの時であった)
その時政子はふと思い出したように
「ねぇ、こないだ出たmap(エムエーピー)の新譜のイントロの所の変な声、あれどうやって作ってんの?」
と訊いた。
「あれはトーキングモジュレーターだよ」
「電子的に加工したもの?」
「いや、もっと単純。ギターの音をビニールチューブで口の中に導いて口の中に響かせている。その状態で歌えば、ギターが歌っているみたいな音になる」
「ああ!」
「電子的に加工してるといえば、やはりPerfumeだよね」
「あれってけっこう自然な感じの声だよね」
「自然な感じに留めるのに割と苦労してると思うよ」
「あれはどうやってるの?」
「あれは Auto-Tune を使ってる」
「それも何かの機械?」
「声を電子的に加工するソフトだよ」
「へー! ソフトでやってるのか」
「でも多分Auto-Tuneだけじゃなくて、いくつかのソフトを組み合わせてるかも。声を変形するソフトは多いしね。少し用途が違うけどVoiceChangerなんてのもある。Auto-Tuneは『補正ソフト』だけど、Voice Changerは『変形ソフト』
だから、ボクたちが歌っている声の声質をVoice Changerで10歳くらいの女の子が歌っているかのようにしたり、逆に30代の女性が歌ってるかのように変えたりもできるよ」
「あ、性別も変えられるんだっけ?」
「ボクの歌も随分、Voice Changerで変えてるのではとか言われたけど、実際にはそもそもかなり異性っぽい声を出せる人が、より自然な異性の声になる程度の加工までだよ。完全な男性の声を女性の声にするのは無理」
「ああ、やはりそんなものか」
「パラメータ変えすぎると不自然な声になるんだよ」
「そうだろうね〜」
「まあこの手のソフト使わなくても、ボクがふだん使ってるCubaseにもAuto-Tuneと似たPitch Correct という機能があるし、もっと色々変えられる VariAudio って機能もあるよ。あれもデモでは女性の声を男性の声っぽいのに変えたりとかしてたね」
「へー。じゃ、それ一度使ってみない?」
「使ってどうするのさ?」
「ふたりで歌った声を加工して音源を作る」
「作ってどうするの?」
「CDにしてディストリビュータとかに流して売っちゃう。ダウンロードストアとかにも出しちゃう。私、もう半年歌ってないからさあ、ちょっと欲求不満で」
「欲求不満になるくらい歌いたくなってきたというのは、ボクとしては嬉しいけど、お父さんとの約束に反しない?」
「黙ってればバレない」
お母さんが吹き出した。
「それにボクたち★★レコードと専属契約を結んでるから勝手にディストリビュータとかで売るのは違反でもある」
「それも黙ってればバレない。だから音声加工する」
「バレると思うけどなあ」
「だからバレないくらいまで加工してよ」
「うーん・・・」
お母さんが頭を抱えて笑っていた。
「でも、そんなに歌いたいならお父さん説得して、ローズ+リリーの新譜を出そうよ。ファンが歓喜するよ」
「どこかの事務所と契約せずにも出せるの?」
「ボクたちの個人事務所を作っちゃえばいいんだよ。『甘い蜜』の印税が物凄いことになってるから、それを原資に音楽出版社を作って、そこが制作費を出す形にすると、節税にもなる」
このあたりの仕組みは実は「ファレノプシス・プロジェクト」でかなり固めて来ている話であるが、政子にはこの件は言っていない。政子には秘密を守るなどという概念が存在しないので危険すぎる。
「そういう難しい話は冬に任せた。じゃできるんだ?」
「うん」
すると政子は少し考えるようにした。
「あのね、あのね。私、まだ本当はね、ローズ+リリーとして歌う自信が無いの」
「ああ」
「だからこっそりリハビリしたいのよ」
「なるほど」
「だから、私たちが歌ってると分からない形でライブするかCD出すかって思ったんだけど、ライブじゃ、いくらなんでもバレるよね」
「まあそうだね」
「だから覆面でCDこっそり出してみたいのよ」
「こっそり出して声を変えても、歌い方でバレると思うけどなあ」
「だからバレないくらいまで雰囲気とかも偽装して」
「うーん・・・」
「ねえ、作りためた曲はあるよね?」
「ボクたちが学校に復帰する直前に一緒に過ごした2日間でマーサは詩を30個くらい書いたからね。一応全部曲は付けてある。ただし『用具室の秘密』と『積み木の城』は、いづれちゃんとローズ+リリーの名前で出したいから、使いたくないな」
ボクはちょっとお母さんの顔を見た。
「じゃ今月末の模試、来月の模試で成績を上げていたら、目を瞑ってもいい」
とお母さんは言ってくれた。
「お母ちゃん、サンキュー。勉強も頑張るね」
「うん」
「じゃ、取り敢えず1曲吹き込んで加工してみようか。それ使えそうなら町添さんに相談するよ。それで★★レコードとちゃんと話をした上で、別名義でこっそり出してみよう」
「やった。じゃ、今度の日曜にでもスタジオ借りて、とりあえず1つ歌ってよう」
「あ、ごめん。今度の日曜はボク用事がある」
「どこか行くの?」
「軽音楽のフェスティバルに出るんだよ」
「何それ?」
「詩津紅や風花たちと一緒に軽音楽のユニット作って練習してたんだよ、この1ヶ月」
「それで最近、冬をなかなか掴まえられなかったのか!」
「ふふ」
「・・・・ね。冬、その軽音楽のユニットって、どんな格好で参加してるの?」
「女の子ばかりのユニットだからね。みんな、うちの学校の制服だよ」
「ってことは、まさか冬も女子制服なの?」
「もちろん」
「じゃ、見に行かなくちゃ!」
「ちなみに会場は撮影禁止だから」
「う・・・その前に練習とかしないの?女子制服で」
「じゃ、土曜日の練習とか見に来る? ボク次に練習出られるの土曜日だし」
「行く!」
それで政子は土曜日の練習に音楽室まで様子を見に来たのであるが・・・・
「来た以上は何か演奏してもらおう」
と言われてしまう。
「えー?明日本番ってのに、今から覚えられない」
「何か楽器できないの?」
「カスタネットくらいなら」
「あ、分かった、政子ちゃん、歌えばいいのよ」
「あ、そうだそうだ」
「歌〜? 私下手だよ」
「何言ってんのよ、プロの歌手なのに」
「でもこの曲、歌詞あったっけ?」
「作ればいいよ」
「あ、じゃ私書く」
と言って詩津紅が5分ほどで Omens of Love の歌詞をでっちあげてしまった。何だかとっても楽しい歌詞になってる。こんな歌詞も政子には書けないよなとボクは思ってしまった。
「よーし。合わせるよ〜」
それでみんなで演奏する。政子も渡された歌詞を見ながら頑張って歌った。
「おお、いい感じ、いい感じ」
「やっぱり、私たち天才ね」
「政子ちゃん、歌うまくなってる」
「そうかな? えへへ」
政子もかなり乗っていた。
本番前日ということで2時間ほど練習した。そのあと記念撮影をする。明日は会場内でカメラ使用禁止になっているので今日のうちに演奏している所を撮っておこうということで、交替で携帯を持ち撮影した。政子も楽しそうにボクが女子制服を着てウィンドシンセを吹いているところを撮影していた。
15時半頃「ただいまあ」と言って(一応ワイシャツとズボン姿で)帰宅すると母が「お客さんだよ」と言う。
「雨宮先生!」
「モーリーでいいよ、ケイちゃん」
「なんか古くからの知り合いなんだって?」と母が訊く。
「うん。もう2年くらいになるかな」
「へー」と言ってから母は「スカウト関連じゃないわよね」と少し心細そうに訊く。
母もこの半年ほどの大量の芸能事務所のスカウト攻勢には結構参っていたようである。何度か顧問弁護士の先生に動いてもらって悪質な事務所を排除したこともあった。
「関係無い。関係ない。上島先生のお友だちだよ」
「ああ」
これで母は安心した感じだ。両親とも、上島先生と町添さんに対する信頼は篤い。
「でも上島先生よりずっと前から知ってたんだよ」
「そうなんだ!」
「でも、お待たせしませんでしたでしょうか?」
「ああ大丈夫。別に約束とかしてなかったしね。それでお母さん『このお嬢さん』
を今夜少しお借りしていいですか?」と雨宮先生。
「ええ。まあ」
母もボクのことを「娘さん」とか「お嬢さん」と言われるのには結構慣れてきた感じだ。
「ケイちゃん、そんな格好は変だよ。ちゃんと女子制服を着なよ」
と雨宮先生が言うので
「あ、はい。じゃ着替えます」
と言ってボクは部屋に行って女子制服に着替えてくる。
「じゃ。徹夜でカラオケ対決行こうよ。もう夏休みでしょ?」
「済みません。私、明日予定が入っているので、夜10時くらいで勘弁して下さい」
「あら、何の予定?」
「軽音のフェスティバルがあるんです」
「へー、バンドやってんの?」
「学校の友人同士で1ヶ月前に作って、明日のフェスティバルに向けてここの所練習してたんですよ」
「ふーん。ケイちゃん、何のパート?」
「サックスと言われたんですが、吹けないのでウィンドシンセです」
「機種は?」
「EWI4000sです」
「ああ!」
と言ってから、
「じゃ、教えてあげようか? 私の専門知ってるわよね?」
「ええ。モーリーさんは日本で最高のサックスプレイヤーです」
「よしよし」
と雨宮先生はボクの頭を撫でてくれる。
「でもモーリーさんの授業料、高そう」
「100万円くらいで勘弁しておいてあげる」
「ディスカウントしてください」
「じゃカラオケ対決でケイちゃんが勝ったらローズ+リリーのサインでいいよ」
「了解です」
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【夏の日の想い出・けいおん女子高生の夏】(1)