【夏の日の想い出・浴衣の君は】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-11-16
2009年5月31日。高校3年の初夏。
朝爽快に目が覚める。汗を掻いているので下着を洗濯済みのベージュのショーツとブラジャーに交換する。タンスの中には男物の下着も入っているけど・・・・最後に男物の下着を着けたのいつだっけ?と考えたが分からなかった。中学生の頃は、あたかも使っているように装うのに、使ってもいない男物の下着を洗濯機に放り込んだりしていたが、ムダだからやめなさいと母から言われて今はそういう偽装工作もしていない。でも母は一応私の身体のサイズに合いそうな男物の下着を時々買ってくる。それは使われないまま、私のタンスの中に収納され、タンスの大半は男物の下着で占領されている。
Tシャツとショートパンツを穿き、台所に出て行って朝御飯を作っていると父が起きてきた。日曜日ではあるが父は出勤するので御飯を出す。父が御飯を食べている間に私はお弁当の用意をする。
「お前さ・・・」
と父が言う。
「どうしたの、お父ちゃん?」
と私が首を傾げて訊くと、父は何だかドキっとした雰囲気。
「お前何だか色気あるな」
「そう?」
と言って、私は吹き出した。
「いや、そんな話じゃなくて、お前、それ胸があるみたいに見えるけど」
「パッドだよぉ。いつもしてるじゃん」
「そうだっけ」
父が食べ終わると、お弁当を渡して送り出す。父とは結局あまり会話が無い。二言三言言葉を交わす程度である。その後、母が起きてくるので一緒にあれこれしゃべりながら御飯を食べる。姉はたぶん10時くらいまで寝ている。日曜日の普段の我が家の光景だ。
「私、大学に入ったら独り暮らしするから、お母ちゃん大変だと思うけど、お父ちゃんのお弁当お願い」
「うん。何とか頑張ってみる。萌依がやってくれるといいんだけどねー」
「お姉ちゃん、カレー作るのも自信無いというしなあ」
私が御飯の後、高校の女子制服夏服に着替えて出かけようとしていたら母が
「あら、もう衣替えだっけ?」
と訊いた。
「本当は明日からだけど、もういいかなと思って」
「あんた結局冬服の女子制服は作ってないんだっけ?」
「そうだねー」
「この秋以降、半年くらいだけになるけど、秋になる前に作る?」
「ううん。別にいいよ」
「ところで今日はどこに行くの?」
「青山の★★スタジオ。今日は(蔵田さんの)創作のお手伝い。いつものように電話は電源落としておくから連絡付かないけど御免ね」
「あら、昨日行った所とは違うんだ?」
「昨日は渋谷のKスタジオで別のユニット(KARION)の楽曲制作。これはボクが作曲者だから」
「あんた歌手はやってないというけど、何だか忙しくしてる」
「小学6年生頃から、こんな感じだったじゃん」
「まあ、確かにそうだ。でも成績は下がってないみたいだし」
「一応安全圏だけど、気は抜いてないよ」
「でもあんた、スカートでは外出しないという、お父ちゃんとの約束は?」
「あ、えーっと、じゃお母ちゃん、許可お願い」
「まあ、いいよ。あんた許可しなかったら、女の子の服を持って出て外で着替えるだけだし」
「えへへ」
KARIONのメンバーは全員大学進学を希望していたので、9月以降は受験勉強のため休養期間に入ることになっていた。
「結局、みんな、どこ受けるの?」
と5月下旬に私は尋ねた。
「冬とマリちゃんが△△△を狙っているというからさ、私たちは対抗して□□を目指そうと言ったんだけどね」
と和泉。
「そんな雲の上の大学、私には無理〜」
と小風。
「で、結局3人でM大学を目指そうかと」
「ほほお。でもM大学だって、充分一般には上位の大学とみなされている」
「小風の成績、4月の模試ではM大学D判定」
「ああ。それは頑張ればいいよ。マリだって、去年の春に唐突に△△△を目指しますなんて言い出した時点では、E判定どころか、だいたい赤点ギリギリ、学年最下位の成績だったんだから」
「4月の模試の成績は?」
「C判定だけど、あと5点あればB判定って所」
「頑張ったね!」
「マリが特に成績上げたのは、ローズ+リリー始めてからなんだよ」
「すごっ」
「ということ言ったら、小風も気合い入るよね?」
「マリちゃんには負けられん」
「うん、頑張れ」
「和泉は安全圏でしょ?」
「まあね」
「美空は?」
「4月の模試ではB判定」
「気を抜かずにちゃんと勉強すれば行けるね」
「うん」
月が変わって2009年6月。
この時期、ローズ+リリーの「獲得」を目指して7つのプロダクションが競争していたが、その中でも本命はやはり△△社と∴∴ミュージックであった。△△社はローズ+リリーと昨年「暫定契約」をして、私と政子のローズ+リリーとしての活動のベースとなっていたプロダクションであり、∴∴ミュージックは私が元々関わっていてKARIONの活動をしていたプロダクションである。
ところで私がローズ+リリー以前からKARIONに関わっていたことを、これまで△△社の津田社長に言いそびれていたので、6月12日(金)、私は学校が終わった後、女子制服に着替えて△△社を訪問した。
「冬ちゃんの女子制服姿って初めて見た!」
などと甲斐さんから言われた。
津田社長とふたりだけにしてもらい、私は大事な話があると言った。
「うちに獲得競争から降りてくれという話なら聞かないからね」
と津田さんは笑いながら言う。
「実はこちらと例の契約をする以前から、ちょっと関わりのあった事務所があったんです」
と言うと津田さんは驚き、そういう話はやはり最初の時点でちゃんとしておいて欲しかったと言った。私はそれを謝罪し、そちらの事務所でもここ1年半ほど、あるユニットに深く関わり、伴奏やコーラス、そして楽曲の作曲などをしていたことを明かす。
この時点では津田さんも「へー、作曲もしてたのか」という感じで聞いていた。
「でも、なんか有名なユニット?」
などと津田さんはケーキを食べながら尋ねる。
それで私は
「社長は KARION というユニットはご存じでしょうか?」
と訊いた。
その瞬間、津田さんは仰天したような顔をし、むせかえった。
私はびっくりしてテーブルの向こう側に回り、津田さんの背中をさすった。
その後、電話が掛かってきて話がいったん中断したものの、津田さんは電話から戻ってくると
「KARIONなんだ!」
と再度驚いたように言った。
「そしてKARIONの曲を書いている水沢歌月というのが私です」
「そうだったのか!!」
それで、私は津田社長に、一度∴∴ミュージックの畠山さんと会ってもらえないかとお願いし、津田さんは了承して、週明けの6月15日(月)、ふたりを都内の料亭で引き合わせた。
ここで両者の間に密約が結ばれることになる。
前提として、私(とその両親は)は政子(とその両親)が契約に同意した事務所と一緒に契約するものと考える。実際、うちの両親は許容的だった(というか諦めていた)し、政子のお母さんも柔軟になっていたのだが、政子のお父さんがなかなか手強い感じであった。
それで、もし△△社が契約に成功した場合もKARIONに私が関わることは容認する代わりに、∴∴ミュージックが契約に成功した場合も私と政子が△△社と友好関係を持ち続けることにしようというものである。
私はこの密約に基づき、津田社長の同意の下、KARIONの活動に正式に復帰することになったし、また△△社のアーティストkazu-manaに、私と政子の作品を「鈴蘭杏梨」の名義で楽曲提供することになった。
また密約では、恐らく実際にローズ+リリーと契約に成功する確率がいちばん高いのは、現在謹慎中の須藤さんが、マネージング活動復帰後に設立するであろう会社だろうから、その場合、両者はその会社に資金提供する代わりに制作にも関わっていく体制を作ろうという話もした。
「実は私、先日タイまで行って、政子さんのお父さんと会ってきたんですけど、やはり例の騒動で須藤さんにかなり迷惑掛けたし、あの人が全部自分の責任ですと言って泥をかぶってくれたから、自分はもし娘が再契約するなら須藤さんがいいと思っている、とおっしゃるんですよね」
と畠山さんは津田さんに言った。
「それはうちも同様だな。本当は僕こそが責任を取って社長を辞任すべきだったかも知れないけど、須藤が自分の独断でやったことで、上司も知らなかったとテレビで言ったから。まあ、本当に直前まで知らなかったんだけど」
と津田さん。
津田さんが契約書に保護者の署名捺印が無いことを知ったのは、週刊誌の報道があった2日前だったらしい。そろそろ年末だし、挨拶が後先になってしまったが、マリとケイの御両親にお歳暮でも持参して挨拶して来ようなどと言って須藤さんから「実は・・・」と言われ、驚愕したらしい。
この△△・∴∴2社の密約には、★★レコードの町添部長も引き込むことになる。一方で、私と政子の個人事務所(著作権や原盤権などの管理会社)の設立については、別途、★★レコードの松前社長や○○プロの丸花社長たちのグループで進めていた。それで私は町添さんと松前さんの双方に打診して、この2つのプロジェクトを統合し「ファレノプシス・プロジェクト」として本格稼働に至るのである。
ところで津田社長であるが、私がKARIONに関わっていたことを聞いた数日後、お姉さんの津田アキさん(私が通っている民謡教室の先生で、○○プロの大株主)と会ったので、
「いやびっくりした。ケイちゃんってKARIONをずっとやってたんだって」
などと言ったら
「なぜ、お前がそんなことを知らない?」
と言われたらしい。
「ちょっと待って。だったら誰がそのこと知ってるの? 浦中さんも承知?」
「さあ。浦中さんとそのことを話した記憶は無いなあ。丸花さんは知ってるし、町添さんも知ってる」
「なんで僕に誰も教えてくれなかったんだぁ!?」
「当然知ってるものと思ってたからじゃない? ケイがKARIONの準メンバーの柊洋子と同一人物では?というのはKARIONのファンサイトにもよく書かれてるし、私は暗黙の了解なのかと思ってた」
「えーー!?」
「あと、元々冬ちゃんについては幾つものプロダクションが何年も取り合っていたからさ、もしどこかが契約に成功したら、契約した所は他のプロダクションに合計3億円の移籍金を払うという密約もあったんだけどね」
と津田アキさん。
「3億〜!?」
と津田邦弘社長は絶句する。
「いや、あの子を専属に出来たら3億なんて1年で取り戻せる」
とアキさん。
「・・・かも知れん」
「まあ、連盟の会議でマリとケイはどこの事務所にも属したことのないアーティストと認定されちゃったから、それの請求も出来なくなっちゃったけど」
「怖〜。でもちょっと申し訳無い気もするな」
「申し訳無い気がするなら、お前もちょっと『悪い相談』に一口乗らない?」
「ん?」
という訳でともかくも、私は6月の下旬以降、津田社長も承知の上でKARIONの活動ができるようになったのであった。もっとも、ローズ+リリーの事務所帰属問題が決着するまでは、あまり表だった所では演奏しないでくれと言われた。
さて、ゴールデンウィークのツアーの最中に、和泉が次のアルバムはSF映画スターウォールをネタに作ろうという提案をし、レコード会社を通して権利者に打診してみたところ、意外に安価な権利使用料で、使用の許可が降りてしまった。その背景にはちょうどこの時期、このシリーズのアニメが日本国内で放映されていたため、そのプロモーションになると判断してもらえたのがあったようである。
ただ、色々制限は付けられた。
特に物語世界の「夢を壊す」可能性のある行為は厳しく禁じられていた。禁止項目のリストは英語でたっぷり1000行を越える文章が書かれていて、読み通すのが大変だった。もっとも、多くは常識的なものである。
「ジャケ写・ポスターは、いづみ・みそら・こかぜの3人の普通の写真に、提供してもらった映像を添える形でいいと思う」
と私は言った。
「コスプレにならない範囲で、宇宙的な服装とかはありだと思うんだよね。宇宙服を着た写真とか、ライトセーバーを持った写真とかはどうでしょうか?と照会したんだけど、そのくらいは気にしないと言われた。念のためリリース前に見せてくれということ」
と畠山さん。
「じゃ、いづみたちは宇宙服を着て、ライトセーバーを持って」
と私。
「蘭子はアソーラのコスプレでもしてもらおうかな」
「私は参加パスで」
「それは許さん」
曲目は12曲。森之和泉+水沢歌月で6曲、福留彰+TAKAOで2曲、櫛紀香+TAKAOで1曲、広田・花畑で2曲、そしてまた樟南さんから1曲提供してもらった。樟南さんは
「洋子が男の娘だなんて、全く気付かなかった。1度やらせろよ」
などと言っていたが、丁寧にお断りしておいた。でも男の娘と知ってやらせろって、樟南さん、まさかゲイ??
このほか、実はスイート・ヴァニラズのEliseさんにも打診してみたのだが体調が良くないのでという連絡があった。実際にとても体調が悪かったことを知るのは9月のことである。
このアルバムの制作は6月21日から7月6日に掛けて行うことにした。6月6日から14日までシングル『愛の悪魔』(7.22発売予定)の制作をするので1週間置いてすぐ次の制作という慌ただしい日程である。
一方、夏のKARIONツアーについても日程が確定した。
「やはり今年はゴールドディスク連発で、あちこちからお話がもらえて。結局夏フェス3ヶ所に出場するから、その合間を縫って、全国ツアーをすることになる」
と畠山さんは説明した。
「7月25日の札幌を皮切りに、8月14日の東京まで、11公演+フェス3つ。で、申し訳無いけど、その間に音源制作を4日間入れる」
「21日間に14ヶ所公演して音源制作4日って、休みは3日ですか? けっこうなハードスケジュールですね」
「休みは4日ある。実は最終日は伊豆でフェスをやった後、東京公演」
「ぎゃー」
「ちょっと大変そうだけど頑張ろうか」
と和泉。
「うん。この後はもう休養期間になるから」
と畠山さん。
「まあ休養期間ってのは受験勉強一色ということだな」
「小風は特にその先が大変そうだ」
「みんな頑張ってね」
と私は言ったのだが、
「蘭子も頑張ろう。当然ツアー参加だよね?」
と小風から言われる。
「私は受験勉強が。それに夏休みに自動車学校に通うことにしたし」
「何?」
「自動車学校だと?」
「受験生が?」
「そんな余裕があるなら、当然KARIONのツアーにも付き合ってもらおう」
「えーん」
「蘭子も受験する大学のランクを落としたから、そんな余裕ができたんじゃない?」
「和泉も自動車学校に行くもんね」
「あ、どこの自動車学校?」
「私は**自動車学校」と和泉。
「私は##自動車学校」と私。
「違う所か。残念」
「まあ、人がたくさん居る所で、かち合うと面倒だし」
「それはある」
しかし手帳を見ていた私はそれに気付く。
「あ、済みません。7月25日は別件の仕事が入っているから無理です」
と私は申告した。
「何の仕事?」
「ドリームボーイズの夏のライブが7月25日なんです」
「どこ?関東ドーム?」
「いつもそこでやってるんですが、今年は蔵田さんの気まぐれで北海ドームになりました」
「北海ドームから、KARIONの公演をやる きららホールまでは8kmだな」
と畠山さんはMapFanを見ながら言う。
「ちょっと待ってください」
「ドリームボーイズのライブは何時から?」
「12時開場・13時開演です。少し遅れると思うので、終わるのは恐らく15時半」
「KARIONの公演は18時半開場・19時開演」
「充分間に合うじゃん」
「問題無し」
「そんなー」
「8kmなら冬の足で30分だよね?」
「走るんですか〜?」
「まあタクシー使ってもいいよ。タクシー代くらいは払ってあげるから」
「11月みたいに両方で歌う訳じゃないから、まだ楽だと思う」
「ぐすん、ぐすん」
それで畠山さんが前橋社長に電話して、私の掛け持ちについて即OKを取ってしまった。
「ツアー初日に参加するということは当然全部に参加するよね?」
「なんで、そうなるの?」
「こういうのを数学的には解析的延長というんだよ」
と和泉が言う。
「数学で決まっちゃうの!?」
「札幌の後の日程だけど、まず翌日26日(日)に新潟県で行われる苗場ロック・フェスティバルに出場する」
「わあ、あれに出場できるんですか?」
「すごーい。私たち、一流アーティストみたい」
「間違いなく君たちは一流アーティスト」
「でも1日で北海道から新潟ですか?」
「新千歳から新潟空港に直行便があるから大丈夫だよ」
「だったらいいですね」
「東京に戻って上越新幹線かと思った」
「蘭子ちゃんはそうする? 札幌日帰りでもいいけど」
「直行させてください」
「素直でよろしい」
「その後、27日の休養日を挟んで、28日(火)金沢、29日(水)神戸。そして30日は休み」
「2日ごとに休養ですか」
「だいたいはね。でも次は7月31日(金)福岡、8月1日(土)那覇、2日(日)大阪と移動して、3日休み。ここは3日連続になって申し訳無い」
「しかも沖縄往復ですか」
「沖縄で前泊・後泊にするから」
「いや、それはそうしてもらわないと辛いです」
「それから4日(火)から7日(金)まで音源制作。これは11月に発売するシングルと2月に発売するシングルをまとめて作ってしまう」
「どちらも3曲入りですか?」
「そうそう」
「君たちは優秀でちゃんと歌えるようになるまでの時間が短いから、多分実際には3日で終わると思う」
「まあでもハプニングが起きたりするから4日見た方がいいですね」
「万一この4日で終わらなかったら下旬に1〜2日時間を取って」
「それならむしろ3日は休まずに3日から音源制作に入りませんか? それで早めに終わったら7日まで休み」
「うん、それでもいいよ」
「8日(土)に横須賀の歌謡フェスティバル、9日(日)が横浜公演、10日が休み。それから11日(火)仙台、12(水)高松、13(木)名古屋の後、14(金)伊豆のポップフェスティバルに出演。夕方から東京公演で打ち上げ」
「4日間に5公演ですか!?」
「しかも仙台とか高松とか」
「まあ、その後は休養期間突入だから」
「でも伊豆でフェスやるんですね?」
「西伊豆のゴールドパークという所で開かれるイベントだけど、今年創設されたフェスで、最初だから予算が潤沢みたいでね、これ出場予定者リスト」
と言って畠山さんが見せてくれたリストを見ると、若手の勢いのあるユニット、バンドが多数名前を連ねている。
「これ凄いですね」
「実はローズ+リリーにも出ないかという打診来ました」
と私はそのことを明かす。
このフェスの運営委員会に実は§§プロ社長の紅川さんが名前を連ねており、その縁もあって声を掛けてくれたのである。§§プロからも、満月さやか、秋風コスモスなど、数人のアイドルが出演する。
「ああ」
「マリに訊いてみたんですけどね。まだそういう所で歌う自信は無いというんですよ。まあ、まだ無理はしなくてもいいかなと」
「うん。少しずつリハビリしていけばいいと思う」
「東京の後は来年の春ですか」
「それがまだハッキリしないんだけど、9月に行われるイベントに出場してもらえないかという打診が来ている。ちょっと詳細が分かったら連絡するけど、これは1日だけだから」
「分かりました」
ところで私は2月に学校に復帰した後、(コーラス部副部長の)詩津紅の口添えもあり、本来は女子だけのコーラス部に入り、ソプラノパートを歌っていた。
奈緒からは
「結局冬って、小学校でも中学校でも高校でも、女子だけしか入れないはずのコーラス部に入ったんだ」
と言われた。
私としては当時通っていた○○ミュージック・スクールでのボイトレとは別に、日常的に均質なソプラノボイスを鍛える場を確保しておきたかったのであった。一応、私の身分がプロなので大会には出ないということで話をしていたのだが、6月の大会では結局ピアニストとして出ることになる。ピアニストは、校長が認めていればプロでも学校関係者以外でも出られる規定だ。
当日。6月7日。私が「女子高生制服風の服」を来て会場に行くと、普段私の学生服姿しか見ていなかった部員たちの間から
「わあ、可愛い」
「ふだんはこんな感じで出歩いてるの?」
などと言われる。私が、
「それがお父さんとの約束でスカート外出禁止なのよ。今日は特別に許可もらって来た」
などと答えると、実態を知っている詩津紅が笑うのをこらえて苦しそうだった。
6月17日(水)は政子の誕生日であった。私は仁恵・琴絵を誘って政子の家に押しかけて行き、誕生パーティーをした。詩津紅も少し遅れて来てくれた。
政子は友人に誕生日を祝ってもらえるなどというのが初めての体験だったので凄く嬉しそうにというより、半分は戸惑っているような感じだった。
ローズ+リリーのファンからの贈り物が大量に届いていて、それでまた政子は勇気付けられる。仁恵・琴絵の前なので、あまり本心は出さず、むしろ「私は歌手に復帰するつもりは無いから」などと建前的なことを言っていたものの、実際にはかなりやる気を出してきていることを、私は感じ取っていた。
その翌日18日と19日は、△△社のデュオ kazu-mana の音源制作に立ち会った。私と政子が「鈴蘭杏梨」の名義で提供した『ドミノ倒し』という曲でメジャーデビューすることが急遽決まり(本人たちもびっくりしていたらしい)、その吹き込みをしたのである。私は政子をこういう音源制作の場に連れていくことで、また政子の意欲を刺激したいという気持ちもあった。
しかし実際には政子はノリノリで、kazu-mana のふたりに色々指示や助言をしていた。その内容も的確で、政子が元々持つセンスの良さをあらためて認識することになる。立ち会ってくれた津田社長も感心していた。
ところで6月7日のコーラス部の大会の後で、3年生と2年生の数人で話していた時、唐突に「けいおん」をしよう、という話が出てくる。
コーラス部の3年生と2年生の有志+若干の助っ人を入れて、「リズミック・ギャルズ」というバンドを結成。7月19日の大会を目指すことにした。私はウィンドシンセを担当することになり、AKAI EWI4000s を購入して練習を始めた。
ただ、受験勉強で忙しい3年生はもとより2年生もなかなか集まりが悪く、毎日3人くらいでずっと練習していたらしい。私も結成の話があってから、かなりたって6月20日になってやっと参加できた。
その20日、練習が終わってから、練習に参加した子たちと一緒に駅前のマクドナルドに入って(100円のコーヒーやコーラを飲みながら)おしゃべりしていたら、母から電話が入った。
「夢美ちゃんからうちに電報が届いたんだけど、冬の携帯の番号が分からないって」
「あ、変えたのを通知してなかった。って、ドイツかベルギーに居ると思ったから連絡してなかったんだけどね。でも電報なんだ!」
昨年12月の大騒動の直後、私の携帯の番号も、自宅の電話番号も速攻で変更している。携帯に掛けても家に掛けてもつながらないと、確かに電報くらいしか連絡方法がないかも知れない。しかしドイツから日本に電報送れたんだっけ?などと考えながら、私は母から教えられた電話番号に掛ける。ん?これ日本国内の携帯の番号???
「おっす、久しぶり。冬彦君」と夢美の声。
「私、自分の性別のこと、夢美に言ってなかったっけ?」と私。
実際私は夢美に話したことがあったかどうかが不確かだったのである。
「聞いてないぞ。まさか冬彦君が男だとは思いも寄らなかった」
「その名前は勘弁してよぉ。私のことは冬子で」
「ふーん。性別詐称なんだ?」
「詐称してるつもりはないけどなあ。戸籍の方がどちらかというと誤り」
「まあいいや。私、日本に帰ってきたから」
「え?いつ?」
「一昨日。それでとりあえず凍結していた携帯を使えるようにして冬にかけたけどつながらないんで」
「ごめーん。まだドイツだと思ってたから、番号変えたの連絡してなかった」
それで結局、けいおん仲間たちとは別れて、夢美と会うのに電車で都心に出る。
新宿のどこか静かな所で会おうということだったので、私は新宿駅近くの某スタジオを指定した。そこの1室を∴∴ミュージックで借りているので∴∴ミュージックのアーティスト証を持っている私は空いている限り、いつでも自由に使うことができる(○○プロ・$$アーツ・ζζプロ・★★レコードのアーティスト証も持っている)。
「面白い場所を指定するね」
と夢美は私が渡した缶コーヒーを飲みながら言う。ついでにピザも1枚買ってきている。この程度の食糧でも充分間に合うのが、政子とは違う所である。
「夢美も私も有名人だから、マックなんかで話していたらサイン求められたりして面倒でしょ?」
と私は言うが、
「私は残念ながらサインを求められたことはない」と夢美。
「だって世界一になったのに」
「エレクトーンはマイナーだからなあ。ピアノやヴァイオリンで世界一になったら、結構騒がれそうだけど」
夢美は昨年のエレクトーン世界大会で優勝した。その前3年間にわたってジュニアの部で連続世界一になり、昨年は高校生になったので初めて成人の部に参加して優勝したのである。それで誘ってくれた人があり、通っていた高校を休学して、ヨーロッパに武者修行に出ていた。向こうでたくさん各地のパイプオルガンを弾きまくっているのをブログに書いているのは見ていた。
「もう武者修行は完了?」
「ううん。また行く。10月くらいにドイツに入って、その後3〜4年行きっ放しになるかも」
「こちらの高校はどうするの?」
「放置になるけど、多分退学になっちゃうだろうな」
「向こうの高校に入るとかは?」
「ドイツは高校の制度が複雑で、簡単には外国人は入れないんだよ」
「へー」
「まあ、私は学校の勉強より、たくさんオルガン弾きたいから、高校はもういいかなという気もある」
私は凄いなと思った。夢美にしても静花(松原珠妃)にしても、音楽をすることに対する覚悟が凄い。他の全てを捨てて、それに全部賭けている。振り返ってみて自分はどうなんだろうと思う。音楽のことについても、自分の性別のことについても、全然覚悟ができていない。
30分くらい話していた時、スタジオに入ってくる人物がある。あら、使う人が来たか。それなら別のスタジオか、個室のあるレストランにでも移動しようかと思ったら、和泉だった。
「ハーイ!」
「ハーイ!」
と挨拶を交わす。
「ごめーん。使うよね。移動するから」
と私は和泉に言ったのだが、夢美が和泉を見てびっくりしたような顔をする。
「KARIONのいづみさんですか?」
「そうですよ」
「わぁ、凄い! 冬、いづみさんと知り合いなの?」
と夢美が訊くので、私は
「当然。だって私もKARIONだから」
と言っちゃう。
「なに〜〜〜〜!?」
和泉は参考書を買いに出てきて、いいのが見つからず歩き回っている内に疲れたので、ここで一息つこうと寄ったのだということだった。缶コーヒーは持っていたので、取り敢えずピザを勧める。(30分経ってもピザが半分しか消えていないのが、やはり政子とは違う所)
和泉は夢美の世界大会優勝のことは知っていたが、夢美の顔は知らなかったらしい。
「世界一のオルガニストと会えて光栄です」
などと言って笑顔で握手をしていた。それで結局、和泉と夢美でサインを交換した。
「元々私はKARIONの一員なんだけど、お父ちゃんとの話が出来なくて正式契約がなかなかできずにいた間に、ローズ+リリーの方がきちんとした契約もしてないのに進んでしまって、ややこしいことになっちゃったんだよ」
と私は状況を超簡易に説明する。
「その説明さっぱり分からない」
「まあ話せば長くなるから、今夜にでもゆっくりと」
「了解〜」
「夢美は私のキーボードの先生でもあり、最初のヴァイオリンの先生でもあるんだよ」
と私は和泉に説明する。
「あ、ヴァイオリンも弾くんですか?」
「ええ。でも向こうで使っているヴァイオリンは今回、置きっ放しにして帰って来ちゃった」
「高価な楽器は出入国が大変だよね」
「そうなんだよね。手続き面倒だから。必要な時は誰かに借りればいいかなと思って」
「そうだ! 夢美さん、ヴァイオリン弾くのなら、明日からのKARIONの音源制作でヴァイオリン弾いてもらえません?」
「へ?」
「いつも冬がピアノとヴァイオリンの両方弾いてるけど、1人2役だと同時には弾けないから」
「ちょっと、和泉ー。夢美は多分忙しい」
「ううん。日本にいる間はゆっくり休もうと思って予定入れてない。やってもいいよ」
「ほんとに!?」
「わーい!」
そういう訳で今回のアルバム『大宇宙』では、夢美がヴァイオリンを弾いてくれたのである。ヴァイオリンは私がふだん使っている《Flora》を持って来た。《Rosmarin》の方がいいかも知れないが、借り物を勝手に人に貸すのはまずいと考えた。
「なんだ、これドイツ製じゃん!」
「ああ、そうだっけ?」
《Flora》はドイツのE.H.Rothという工房の作品である。
「このヴァイオリン、私の好み〜」
「ドイツ製ならドイツでも買えるのかな」
「ね、物は相談。このヴァイオリン、譲ってくれない?」
「えー!?」
「なんか凄くしっくり来るよぉ。相性が良い。こういうの個体差が大きいから同じ工房の製品を買っても必ずしも相性がいいとは限らない」
「それはあるよね」
確かにそのヴァイオリンは夢美が弾くと物凄く豊かな音を出した。
「何なら代わりに私が今ドイツで使っているのをこちらに転送するから」
「いや、それやると送料と関税が怖いことになる」
「それはそうかも知れん。じゃ代わりに日本国内で1つ買って渡すよ」
「まあ、その辺はまた後で話し合いを」
さて、軽音フェスティバルに出場するバンド「リズミック・ギャルズ」の方は、相変わらず人が集まらないままも少しずつ練習は進んでいた。しかしそんなことをしているというのを私は政子には言ってなかった。
「何それ?」
「詩津紅や風花たちと一緒に軽音楽のユニット作って練習してたんだよ」
「へー!どんな格好でやるの?」
「女の子ばかりのユニットだからね。みんな、うちの学校の女子制服だよ」
「他の子たちは分かるけど、冬も女子制服なの?」
「もちろん」
「じゃ、見に行かなくちゃ!」
ということで、政子は本番前日の練習を見に来たのだが、
「来た以上は何か演奏してもらおう」
と言われて、結局ボーカルで参加することになる。
4000人の観客の前で政子は気持ち良さそうに歌った。私は政子の精神力がどんどん回復して行っているのを確信した。この日は記念にというので、大会の後、みんなでその機材を持ってスタジオに行き、演奏を録音したCDを参加者限定で作って配布した。
軽音フェスティバルの翌週からは、KARIONのツアーが始まる。今回のツアーでは、私はコスプレをすることになった。
コスプレしてよいキャラのリストが権利者から提示されていたので、その中の7キャラについて畠山さんが申請。承認された。
「7キャラですか?」
「和泉・美空・蘭子・小風の4人と、コーラス隊の3人?」
などとSHINさんが訊くが
「いづみ・こかぜ・みそら、の3人については、レコード会社から顔が隠れるまたは変形する特殊メイク、あるいは濃厚なメイクのコスプレはやめてくれという指示」
「まあ仕方無いね」
「それで7人というのは、TAKAO, SHIN, HARU, DAI, MINO の5人に加えて、キーボードの蘭子、ヴァイオリンを弾いてくれる蘭子のお友だちの夢美ちゃん」
「いづみ・こかぜ・みそらの3人は宇宙軍の士官風の衣装、コーラス隊の子とグロッケン・フルートの人は巫女風の衣装で考えています。どちらも普通のステージ用メイクです」
「なるほど」
「で使用許可取った7キャラですが、R3-D3, C-4PO, ダークベイダー、ルース・スカイウォーラー、レイナ姫、ヨーラ、アソーラ」
「おお、女2人と男5人でちょうどいいですね」
「いや、蘭子ちゃんは顔を隠さないといけないので、ダークベイダーあたりで」
「あらら」
「夢美ちゃんはスカイウォーラーやりたいということなんで、それで」
「ちょっと待って。じゃ女の子役は誰がやるの?」
「この中で女装がいちばん似合わないのは誰かな?」
「そりゃDAIだな」
「じゃ、DAIがレイナ姫で」
「うっ」
「逆にいちばん美人になりそうなのは?」
「それはSHINさんだと思う」
「じゃ、SHINはC-4POで」
「なぜ、そうなる!?」
結局、TAKAOがR3-D3, HARUがヨーラで、MINOがアソーラと配役が決まった。
7月22日の夕方。自宅。
「じゃ、お母ちゃん、明日23日から27日まで居ないの?」
と姉の萌依は訊いた。
「そうそう。苗場ロック見に行ってくる。明日は前夜祭。26日は終わった後、風姉ちゃんとふたりで温泉に泊まって来るから27日の夕方帰還予定」
と母。
「冬も出る訳?」
「私は24日から26日まで出てる。27日の昼頃戻ると思う」
と私。
「お母ちゃんも冬も居なかったら、御飯はどうすればいいのよ?」
と姉。
「そりゃ、萌依が頑張らなきゃ」と母。
「お姉ちゃん、お父ちゃんのお弁当もお願いね」と私。
「ちょっと待て。萌依、大丈夫か?」と不安そうな父。
以前姉が作ったお弁当は砂糖と塩を間違えていたり、ブロッコリーが生だったりしたようである。
「私に出来る訳ないじゃない!」
と姉は言った。
7月23日、不安そうな姉と父を置いて、母は名古屋から来た風帆伯母と楽しそうにおしゃべりしながら、上越新幹線で苗場に向かった。
その日、私は明後日から始まるツアーの件で細かい問題を打ち合わせるため∴∴ミュージックに行き、畠山さん・和泉と3人で打ち合わせた。この時、和泉・私と、小風・美空の収入格差問題が議題に上った。
「このままだと10倍くらい差が付いちゃう。あまり差が付きすぎると、私たちの意識に壁ができてしまうのが怖い」
と私は言った。
和泉も同じことを考えていたようで、和泉はKARIONの(泉月)楽曲の編曲者を「karion」名義にし「編曲印税」を4人で山分けするという案を提示した。
私もそれに賛成し、これで収入格差は3倍程度で収まることになった。実は、ドリームボーイズもこれに似た方式を使って、メンバー間に極端な収入の差が出るのを防いでいるのである。
今のままだと、私と和泉の取り分は2.25%で小風と美空は0.25%だが、新方式だと、私と和泉は1.91%で小風と美空は 0.58%になる。
「そのくらいの差は逆にあった方がいいと思う。リーダーとサブリーダーの収入が多いのは普通のこと」
と畠山さん、
「ええ、私もそう思います」
と和泉。
「ちょっと待って。サブリーダーって誰?」
と私は訊いた。
「それは蘭子ちゃんに決まってる」と畠山さん
「それは冬に決まってる」と和泉。
「そんなのいつ決まったの〜!?」
「でもこういう方式にすると、君たちの収入は減るけど、いいの?」
と畠山さんは最終確認をする。
「私はそれでいいです。リーダーの役得でラジオや雑誌への露出が多くてその分の出演料も頂いているし」
と和泉が言ったので
「私はローズ+リリーの分も入るし、鈴蘭杏梨の分も少しだけど入ってくるはずだから、そのくらい減っても大丈夫」
と私も言う。
すると、私の言葉に和泉がピクッとした。
「・・・鈴蘭杏梨って、冬なの?」
「マリ&ケイだよ。知らなかった?」
「知らなかった! 雰囲気似てるなとは思った!」
24日朝。私は一応父のお弁当を作り送り出した上で、姉を起こして3日分(25-27)のお弁当のおかずを冷凍したものを見せて「チンして入れればいいから」と言い、羽田に向かった。姉はホントに不安そうな顔だった。
「御飯はホカ弁で買って来て詰めようかな」
などと言っていた。
姉が御飯を炊くとだいたい水加減が適当で硬かったり、おかゆになっていたりしがちである。
9:00のANA 55便(747-400)で新千歳に向かう。空港でパンを買って少し早めのお昼御飯にし、電車で札幌に移動。12時頃、リハーサル用のスタジオに入る。ドリームボーイズのメンバー、ダンスチームの仲間たちと挨拶しあう。今日は明日の公演を前にしたリハーサルである。
お茶を飲みながら一通り打ち合わせた上で、13時頃から色々確認しつつ3時間掛けて練習をした。
「まあ、みんな機転が利くから、何かハプニング起きた時は適当に対処を」
「オーケー」
「次のライブはいつやるんですか?」
「2月13日、博多ドームを確保してる」
「ああ、冬の九州もいいですね」
「九州といえども2月は寒いから、風邪引かないように」
「沖縄なら暖かいのでは」
「沖縄はキャパの問題があるから」
「まあ、メンバーが高齢だから、何日も掛けたツアーができないんだよね」
などと葛西さん。
「高齢というほどでもないぞ」
と蔵田さん。
「みんなスケジュール空けといて」
と言われたが
「済みません。2月はパスで」
と私は申告する。
「何か予定入ってるの?」
「性転換手術でも受けるとか?」
「違います! 2月17日が大学の入学試験なので、その直前はさすがに勘弁して下さい」
「ああ、それは仕方無いな」
その日は札幌市内のホテルに泊まった。政子に電話しようかなと思ったら向こうから掛かってきた。
「冬〜、冬の作ったバナナマフィンが食べたい」
「ああ、じゃ今度作ってあげるよ」
「明日は来られない〜?」
「ごめーん。今北海道に来てるから」
「なんでそんな遠くに? 豊胸手術でも受けに行ったの?」
「なぜわざわざ北海道で豊胸手術を?」
「いつ帰るの?」
「27日の予定だけど」
「そんなに〜? 明後日はダメ?」
「うーん。夕方なら何とかなるかも」
「じゃ夕方来てよ」
「あ、待って。こないだ言ってた、声を変形するやつ、明後日の夕方やってみない?」
「ああ、こっそりCDを作る件ね。じゃ、それをやってからバナナマフィン作り」
「はいはい。じゃ材料メールするから用意しといてよ」
「おっけー」
実は先日の軽音フェスティバルで4000人の観客を前に歌ったことから、政子はかなりやる気を出した。それでCDを作りたいなどと言い出すので、お父さんを説得して、受験勉強に響かない範囲でローズ+リリーの新作CDを作ろうかと言ったら「まだローズ+リリーとしては歌う自信が無い」と言う。
それで、私とマリが歌っていることが分からないように、エフェクターで声を変形して何か吹き込んでみようかという話になり、その実験をしてみる約束をしていたのである。
翌日25日は北海ドームでドリームボーイズの公演本番である。今回参加しているバックダンサーは8人だが、みな3年以上やっている人ばかりである。私は小学6年生の時からだから、もう6年やっていることになる。ドリームボーイズのデビュー以来8年やっている葛西さんに次ぐ古株だ。
でもこの6年間ほんとに色々なことがあったよな、とちょっと懐かしい気分になった。
今回のダンスチームの衣装は「とうもろこし」である。見せられた時、全員から「ひっどーい」というクレームが出たが、決して格好良いことをしないのがドリームボーイズのコンセプトだ。
顔も黄色くペイントされ、人相も分からん!
この日のゲストは同じ事務所のAYAであった。
AYAはA級のアーティストなので、蔵田さんに次ぐ待遇で特別な楽屋を使用している。おかげで、私はほとんど顔を合わせることは無かった。更にトウモロコシメイクだから、顔を合わせてもこちらを識別できないだろう。
ゲストコーナーの間に下着を交換し、お茶を飲みながら大部屋の楽屋でモニターでAYAが歌っているのを見ていたら、葛西さんから言われる。
「洋子の視線が怖い」
「ライバルだから」
と言って私は表情を崩す。
「あんたたち、休養しているはずなのにCD無茶苦茶売れてるもんね。1月のシングルが80万枚で、先月出したアルバムは20万枚くらい?」
「そんなものですね。だから去年デビューした組の中で向こうもこちらにいちばん強いライバル心持っていると思う」
「AYAちゃんはテレビにもよく出て、歌番組、バラエティ番組とか大活躍で、テレビスポットも良く打ってるし、それでもCDセールスでRPLに負けていたら、悔しいだろうね」
「だからこちらも彼女を見たら気合いが入ります」
「ライバルってそういうもんなんだろうね」
と葛西さんは頷きながら言った。
「前橋社長からは、AYAも私も自分の娘みたいなものだから、その2人で競ってくれると将来が楽しみだと言われました」
「あぁ、それは本音だと思うな。次のCDはいつ出すの?」
「11月くらいまでには出すつもり。月曜日くらいにちょっと相談に行ってきます。作ったら樹梨菜さんにはまた献納しますから」
「お、さんきゅー」
ドリームボーイズの公演は15:20くらいに終了した。私はダンスチームのみんなとハグし、ドリームボーイズのメンバー、マネージャーの大島さん、社長の前橋さんに挨拶した上で会場を後にする。
予約して楽屋口に付けてもらっていたタクシーに乗り込み、きららホールに移動した。
KARIONはリハーサルの途中だった。遅くなったのを詫びてキーボードの所に座る。ちょうど前半のリハーサルが終わった所だったので後半のキーボードを弾いた。
リハーサルが終わって休憩していて、夢美から言われる。
「『優視線』と『遠くに居る君に』の演奏すごいね」
「いや、夢美なら楽々初見で弾くでしょ?」
「楽々は弾けないよ」
とは言うものの、和泉に乗せられて2〜3分譜面を読んでから弾いてみせる。
「すげー!」
「ちゃんと弾けるじゃん!」
などと居並ぶ人たちから言われる。
「いや。今のはとてもお客さんには聴かせられないレベル。これ私でもかなり練習しないとまともにはならない」
と夢美は言うが、それが分かったのは多分私と和泉くらいだ。
「蘭子はほんとに凄い人と知り合いだよね」
「ああ、そうかもね」
「ヴァイオリン世界一のアスカさんとか、オルガン世界一の夢美ちゃんとか」
と和泉は言う。
「そして日本一の歌手の和泉とかね」
と私は付け加える。
「おっ、凄い」
「まだ日本一とは名乗れないよ」
などと和泉は照れて言っているが、けっこう自信がある感じだ。
「冬だって凄いのに」
「まだまだ勝てないよ。声域で完璧に負けてるし、和泉の歌い方って、情緒性が高いんだ。正確に音符を歌うのに情緒性がある歌手というのは凄くレア」
「ああ、それは思った」
と夢美も言っている。
「そのあたりはよく分からんな」と小風。
「小風もどちらかというと表現力の高い歌い手だよね」
と私は言う。
「ああ、そうそう。正確性では美空ちゃん、表現力では小風ちゃんだと私も聴いてて思った」
と夢美。
「こーちゃん、頑張って和泉と蘭子を追い越そう」
と美空。
「そうだな。歌唱力で逆転してリーダーの座を奪い取ろう」
と小風。
「リーダーくらい譲るけど」
と和泉は言うが、
「いや、歌で勝てない限りもらえん」
と小風はキリリとした表情で言った。
「あ、そうそう。小風、遅ればせながらハッピーバースデイ」
と言って、私は小風に小さな箱を渡す。小風の誕生日は7月17日であった。
「あ、誕生日だったんだっけ?」と美空。
「私はライブが終わった後渡そうかと思ったけど、蘭子が渡すなら私も」
と言って和泉は大きな箱を渡す。
「うむむ。大きなつづらと小さなつづらみたいだ」
と小風は言いながら嬉しそうにしている。
19:00。満員の札幌きららホールの幕が開く。いきなり虹色のライトが舞台を照らす。その虹が内側から外側へと動いていく。その中、TAKAOさんの強烈なエレキギターのイントロが入って、来月発売予定のアルバム『大宇宙』から冒頭の曲『スターボウ』を演奏する。
この時点で観客席から見えているのは、前面で歌っている3人と、コーラスの3人、ヴァイオリンを弾いているルース・スカイウォーラーに扮した夢美、フルートを吹いているサポートの女性、の8人である。
和泉・美空・小風は宇宙軍の将校っぽい衣装で、星ならぬ鐘が4個並んだ階級章を付けている。実は「4つの鐘のKARION」ということで小風が提案して採用したものだが、普通これは大将の階級章である。
コーラスの女子中学生3人は騎士っぽい衣装で光剣を模した蛍光色に光るマイクで歌っている。フルートを吹いている女性は巫女風の白いドレスで、最初は夢美の衣装がコスプレであることには気付かない観客も多かったであろう。
この時点で実は舞台の真ん中付近の位置に紗幕(しゃまく)を降ろしていたのである。紗幕はその後ろ側のライトを落としていると、観客席から向こう側が見えない。しかし歌の終わり頃にその照明を少しずつ明るくしていくと、まるでフェイドインするかのように、後ろに居る伴奏陣の姿が浮かび上がった。
思わず客席からどよめきが聞こえる。
ギターを弾いているR3-D3(TAKAO), ベースを弾いている大きな耳のヨーラ(HARU)、キーボードを弾いているダークベーダー(私)。トランペットを持っているアソーラ(MINO)は民族的なペイントを顔にしている。ドラムスを叩いているのは遠目には女性に見えるがレイナ姫に扮したDAIである。そしてサックスを吹いているC-4PO(SHIN)に、フルートの人とお揃いの巫女衣装を着たグロッケン奏者。
そこまで見るとヴァイオリン奏者がルース・スカイウォーラーのコスプレだということに多くの人が気付いた。
歌が終わると、大きな歓声と拍手がある。
「こんばんは! KARIONです」
と前面に立っている和泉・美空・小風がマイクに向かって叫ぶが、この時、私もダークベイダーのかぶり物の中に仕込んでいる小型マイクに向かって一緒に「こんばんは! KARIONです」という言葉を言った。
今回のツアーでは後半に主として「泉月」の曲をまとめており、前半は他の作家の作品を中心に演奏した。
樟南さんの曲でこれも『大宇宙』の中の曲『銀河ブラブラ』(かなり際どい歌詞だが、観客の半分くらいを占める中高生男子には受けていた感じだ)、福留さんの作品『恋の大三角形』、と2曲アルバムの中の曲を演奏した上で、出たばかりのシングルの曲『三段畑でつかまえて』『渚の恋人たち』を演奏。
それから、これまでのシングルの曲で、『夏の砂浜』『積乱雲』『嘘くらべ』
『広すぎる教室』『鏡の国』と演奏して前半を終える。前半最後の『鏡の国』
は本格的四声の曲なので、私はキーボードを弾きながら歌唱にも参加。和泉とペアになるS2パートを歌った。ダークベイダーのコスプレだと、歌っていても全然それが分からないのが良い所だ!
今回のツアーに同行してくれているゲスト歌手は青島リンナである。リンナは最初私を見た時に、じーっと顔を近づけて来て
「ケイのように見える」
と言ったが、私は平然として
「良く言われますが他人の空似です」
と言っておいた。リンナも笑っていた。
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【夏の日の想い出・浴衣の君は】(1)