【夏の日の想い出・港のヨーコ】(1)

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2008年12月中旬に発売された週刊誌がローズ+リリーのマリとケイの実名を勝手に書き、私が戸籍上男性であったことが日本中に大きな衝撃を与えたのだが、この騒動の結果、私も政子も、親に無断で歌手活動をしていたことがバレ、ローズ+リリーは活動停止に追い込まれた。
 
私と政子は週刊誌の報道があったその日の内に記者会見を開き、私の性別問題について説明した。
 
「ケイは女の子ですが、ケイの中の人は男子高校生みたいですね」
と私は笑顔で自分の性別を明かすとともに《中の人は男の子だけどケイは女の子》という言い方で《設定性別》を主張した。
 
「放課後になると、魔法の杖で変身して、女子高生アイドルになって、マリと一緒に歌を歌うんです」
 
などと言ったら、この記者会見を聞いていたおもちゃメーカーから「女子高生アイドルになれる変身の杖」なるものが発売されることになり、杖とマイクのセットと、それにウェストがゴムになっていて男性でも穿けるミニスカート付きのフルセットとで、合計数十万個売れたらしい(売れた大半はスカート付き)。日本には女の子になりたい男の子がそんなにいるのか!?
 
と私は思ったのだが、この時期、若者向けラジオ番組に
「ケイさんのお陰で自分に正直に生きる決心が付きました」
などと言って、女装外出を始めたとか、自分が女の子になりたいことを友人や家族にカムアウトした、という視聴者のメッセージが多数届いた。
 
更にテレビ局の中には性転換の特集番組を急遽放送する所まであり、性転換美女タレントさん数人を呼んでトークさせたり、女装グッズを売っているお店を紹介したり、国内で性転換手術を手がけているお医者さんへのインタビューまで流したりしていた。
 
「まあケイちゃんのおかげで女装者が200万人、性転換者が1万人は増えた」
などと後から、雨宮先生から言われたりした。通販で女物の下着や服が買えるセシールやベルメゾン・フェリシモなどの売上が増えて、株価が上がったなんて話まであった。
 
「内需拡大で総理大臣から表彰されてもいいくらいだよ。だって女装にハマった子はその後、継続的に女物の服を買うからさ」
とも雨宮先生は言っていた。
 
確かに女装者の中でフルタイムになって(男物は買わなくなって)しまう人は一握りであり、多くの女装者は男性としての生活も持っているので結局、洋服を男女2人分買い続けることになる。女装はほんとに消費拡大に貢献しそうだ!?
 

この最初の記者会見では私の性別についてだけ説明したのだが、数日後、その騒動で発売延期になったCD『甘い蜜』と2月のツアーの予定について聞かれた△△社は、同社とローズ+リリーの契約が白紙に戻ったことを明らかにせざるを得なかった。
 
「マリさん・ケイさん側が契約を破棄したんですか?」
「いえ、実はこの契約はそもそも保護者の承諾を得ていなかったのです」
「じゃ、そもそも契約が成立していないまま活動していたんですか?」
「実はそもそも御両親との話し合い自体を持っていなかったのです」
「それは言語道断では?」
 
私と政子の自宅の周囲や学校に大量の記者が押し寄せてきた。性別問題を明らかにした時は、興味本位の取材という感じだったのだが、契約問題については「ケイさん・マリさんの見解が欲しい」という声があった。
 
しかしこの時点では私も政子も各々の父との話し合い中であり、見解が出せる状況では無かった。
 
ともかくも、自宅周辺にも、最初の内は学校周辺にまで記者が大量に居たため、私と政子はその後しばらく学校にも行くどころか家の外に出ることさえできず、自宅に籠もって過ごすハメになった。私と政子が一切家の外に出てこないので一部のマスコミは親戚の家などに退避しているのではという憶測もしていた。
 
それで政子の方は本当に1ヶ月家に籠もりっきりの生活を送ったのだが(その間、凄まじく暗い詩を書きまくり、ずっと付いていたお母さんが心配して何度も私に連絡してきた)、私の方は実は結構出歩いていた。
 

最初は週刊誌の報道があった翌日である。私は父に自分で政子の両親に謝りたいと言い、父もその私の気持ちを理解してくれたので、夜になってしまったが、連絡を取り合い、こちらから会いに行くことにした。
 
父は私に男物の服を着ろと言ったが私は反対した。うちの家も政子の家も周囲に多数の記者が集まっている。今政子の家に行けばたくさん写真を撮られビデオでも撮られるのは確実なので私が男装していれば、格好のネタを提供するだけだと言うと、父はブスっとした表情ながらも私の主張を受け入れた。私の実名を報道した週刊誌にしろ、それに驚き学校や友人などに取材したテレビ局なども、私の男装写真を1枚も入手できなかったのである。
 
私が男の子の格好した写真って、小さい頃のとか探そうとしても無いよな、と私も思った。テレビには私の中学の卒業アルバムや修学旅行の記念写真、野球部の応援に行った時の写真とかが出ていたが、どれも女子制服や女の子の服を着ている写真であった。
 
「お前、なんで卒業アルバムでセーラー服着てるの?」
「卒業アルバム制作委員の子にハメられた」
「野球の応援でなぜミニスカート穿いてチアガールしてる?」
「その衣装を押しつけられた」
 
母が笑って
「この子は周囲から見たら、女の子の服を着せたくなっちゃう子なのよ」
と言ってくれたが、父は不快そうな顔をしていた。
 
結局、ブラウスにセーター、ロングスカートという女学生っぽい服装で出かける。車を出してもらい、両親と一緒に政子の家まで行ったが、記者が取り囲んでいる中車を動かすのはなかなか大変だった。父がカッカしていてその精神状態で運転するのは危険だといって代わりに運転してくれた母は車を直接政子の家のガレージに入れたので、せいぜい車の外から写真を撮られたり、車を降りた所を家の外から望遠で撮られたり程度で済んだ。
 

私は政子の家に行くと最初に
 
「大事なお嬢さんをお父様・お母様にきちんと話をせず、こういう活動に誘いこんでしまい、大変申し訳ありませんでした」
 
と床に頭を付けて謝罪した。私の父も
「うちの変態息子のせいで、大騒動に巻き込まれてしまい申し訳ありません」
 
と政子の父に謝ってくれたが、私は自分の親から変態息子などと言われると若干ムッとした。
 
「いやいや、頭をあげてください。ずっと昨晩から政子に付いていてくださった★★レコードの秋月さんや、先程会ってきた△△社の津田社長と話して、むしろ誘い込んだのはうちの娘の方だというのは聞いております。それに今思えば、10月頃に冬彦さんが電話してくださったのがこの件ですよね?」
 
とお父さんは言った。そのあたりの経緯はひじょうに微妙なものがあるのだが、今はあまり細かいことを言っても仕方が無い。政子は随分泣きはらしたような跡があった。
 
「取り敢えず例の『暫定契約書』は無効であると宣言して、即時芸能活動の停止を申し入れました」
「こちらも同じく『暫定契約書』は無効を宣言してきました」
 
ともかくも最初の10分で、双方和やかなムードになる。
 

なごやかになった所で、母が「まあ、これでも」と言ってウィスキーを取り出す。父の同僚から、お土産にもらった本場物のハイランド・モルトウィスキーである。私が冷蔵庫から氷を出して来て、水割りを作って政子のお父さんと自分の父に勧める。政子の母と自分の母、それに政子にはカルピスを作って出した。
 
「お、ありがとうね」と政子の父。
「お前、気が利くな」ちうちの父。
「これ美味しい!」と政子の父。
「私も初めて飲みましたが美味しいですね!」とうちの父。
 
なんかそれで結構双方の父は打ち解けた感じがあった。男の人のこういうのっていいなと少し思う。
 
「冬ちゃん、うちの冷蔵庫の勝手を知ってるみたい。私、氷とかあったっけ?と考えてしまった」
と政子の母。
 
「私、冬にいつも御飯作っててもらったから」
と政子が言うと
「あらあら」
と政子のお母さんは微笑んでいた。
 
「でも、こんなこと言っては失礼なのは承知なのですが、そうしてると冬彦さん、美少女女子高生にしか見えませんね」
と政子の父は言った。
 
「いや、お恥ずかしい。こいつ性転換したいなどと言ってますし」
「いいんじゃないですか? タイにはそういう人がたくさん居ましたよ。うちの秘書も凄い美人ですが、元男の子なんですよ。10歳頃から女性ホルモン飲んでて、16歳で性転換手術したらしいです」
「若い内にやりますね」
 
「タイは徴兵制もあるし、その前に出家もしないといけないから、女の子になりたい子はその前に手術を終えたいみたいですね。そうすると坊さんにも兵隊にもならなくて済むので」
「なるほど」
 
「日本でも椿姫彩菜さんとか、きれいな方ですよね」
と政子の父は言ったが、うちの父は知らないようだった。
 
政子が「写真集あるよ」と言って持ってきて見せると
「この人、ほんとに男だったんですか!?」
と驚いていた。
 

私たちのここ数ヶ月の活動について、双方の親が、お互い情報不足の所が多くあったので情報交換し、分からない点は私やまだ居残ってくれている秋月さんなどに訊き、確認して行った。(政子に訊いても要領を得ない)
 
秋月さんについては、政子のお父さんは、申し訳ないので帰ってもらっていいですと言ったものの、政子のお母さんが、娘が物凄く頼りにしているようなので、可能でしたらあと数日一緒に居ていただけませんか?と言ったので、秋月さんは結局年内いっぱい一緒に居ますよと言ってくれた。実際この時点では、政子にとって秋月さんの存在は大きかった。秋月さんは家中からカッターなどの刃物を全部撤去し、台所の包丁なども鍵の掛かる引き出しに入れて政子が発作的に自殺したりしないよう、しっかり見ていてくれた。
 
私や私の父と話したことで、政子の父はかなり軟化した。それで翌日(21日)にふたりで弁護士を伴い△△社を訪れて津田社長と話し合うことになった。話し合いには途中から、○○プロの浦中部長、★★レコードの町添部長も加わり、結局、私たちの親と、△△社、○○プロ、★★レコードの間で、一定の妥協が成立した。
 
基本的には「暫定契約書」は無効であり、「唐本冬彦と中田政子は△△社と何も契約関係は存在しなかった」が、両者は今後も友好的な関係は維持する、という形を取った。
 

翌22日(月)。朝から友人の由維と若葉、更にもう1人の子が《◎◎女子高校》の制服姿で私の家を訪問してくれた。若葉は美しい栗色の髪に軽い天然パーマが掛かっていて、彼女はしばしばこの特徴ある髪でみんなに覚えられている。
 
そして30分ほどして、3人の少女が家から出てくる。すかさず記者が寄ってきて
「ケイさんのお友だちですか? ケイさんどんな様子でした?」
とインタビューを試みるが、由維は
 
「特にお答えする内容はありません」
とだけ言って、3人はそのままバス停の方へ歩いて行った。
 
由維・若葉と一緒に家に来てくれたのは実は有咲で、有咲の従姉が◎◎女子高校出身でまだ制服を持っていたので借りてきたのである。
 
そして、由維・有咲と一緒に出て行ったのは若葉の制服を着た私だったのである。
 
若葉が私の身代わりに家の中に残ってくれる。私は昨夜の内に若葉と同じような色の髪に染め、髪をたくさんのカーラーに巻き付けて寝てカールを付けておいた。それで私の高校とは違う学校の女子制服だし、記者たちはてっきり入って行った子がそのまま出てきたと思ってくれたのである。
 
私はこの後、この手法で度々外出することになる。カーラーでは取れやすいので1週間後に髪を傷めるのは承知でパーマを掛けてもっと若葉とそっくりにしたが、由維たちが入って行き、また出てくる風景は毎朝普通にやっていた(入れ替わらずそのまま若葉が出て行く日も多い)ので、その内記者たちは何も声を掛けなくなった。
 
「裏口とかからこそこそと出て行こうとしても見つかる。堂々と玄関から出てくればかえって問題無い」
という若葉の提案に乗ったのであった。
 

そうして私は22日、その日から始まる予定だったKARIONの5枚目のCDの音源製作に出て行った。和泉も最初は入って来たのがてっきり若葉かと思ったようで
 
「あんた冬〜!?」
と言って驚いていた。
 
「でも女子高の制服なんだね」
「私女の子だもん」
「ふむふむ」
 
前回はローズ+リリーの活動中だったので変則的な形で参加したが、今回は3枚目のCDと同様、ふつうにキーボードとヴァイオリンを弾き、歌も歌ったし、和泉と一緒に制作の指揮もした。ヴァイオリンは普段使いの《Flora》は自宅に置いていたが、高価な《Rosmarin》は、アスカとのお稽古に使うことが多いのでアスカの家に置きっぱなしにしていた。それでそれをアスカの家に取りに行ったのだが、私が若葉のような髪型にして◎◎女子高の制服を着ているのを見て、アスカは私の顔を至近距離まで近づいて見て
 
「やはり冬子だ」
と言って笑っていた。
 
「確かにその髪型にしてると若葉ちゃんに見えるよ」
と言ってアスカは楽しそうだった。
 
私がちゃんと音源製作に出てきたので和泉も小風も、そして普段はそんなことはしない美空までも私の頭をよしよしと撫でた。
 
さすがに畠山さんは「いいんだろうか?」と心配したが、私は
「△△社との暫定契約書は正式に無効になりましたので、私はフリーです」
と言って、開き直って作業に従事した。
 
私が「ケイ」であることにそもそも気付いていなかったトラベリングベルズの相沢さんなどは、私が◎◎女子高の制服を着ているので
「蘭子ちゃん、転校したの?」
などと不思議そうに訊いていた。
 

「蘭子、いっそうちの学校に転校してくる?」
と和泉は休憩時間に訊いた。
 
「女子高は入れてくれないと思う」
「でも蘭子、高校入試の時は♀♀学園に合格していると聞いた」
「どこからその話を・・・・。あれは何かの間違いだよ」
 
「♀♀学園って、女子高校だよね?」
と小風が訊く。
「そうそう。だから蘭子は女子高に入学できる子なんだよ」
「ほほぉ」
 
「でもお父ちゃんと高校出るまでは男子高校生でいることを約束したし」
と私。
 
「それって男装高校生の誤りでは?」
「だいたい、蘭子はこれまでも男子高校生ではなく女子高校生だったはず」
「うーん。。。」
 
「たぶん蘭子は男子校に入れてくださいと言いに行ったら門前払いされるね」
「ああ、されそう、されそう」
 

私が開き直ってKARION『優視線』の音源製作をしていた間に、政子の方はお父さんと引き続き話し合いをしていた。
 
政子のお父さんは、やはり手許に置いてないと不安だし、こんなに騒がれた後では学校とかでも過ごしにくいだろうしと言い、年明けから一緒にタイで暮らそうと政子に言った。それに対して政子は騒がれるのは自分は平気だし、歌手は辞める。そして本当に勉強頑張るから日本に居させて欲しいと言った。
 
政子も私と同様に、言われたらそれに流されてしまいやすい性格(花見さんとの交際が事実上破綻したままダラダラ続いていたのも、そのせいだと思う)だったのが、自分の意見をしっかり主張するのを見て、政子のお父さんは驚いたようであった。そしてお母さんや秋月さんなどの助言などもあり、お父さんはそれが娘の精神的な成長によるものだと認識してくれた。
 
そして22日から24日まで3日掛けての話し合いで、政子のお父さんはとうとう折れてくれた。監視役としてお母さんが大学の入学式まで日本に留まることにし、成績が下がったり、△△△大学に合格できなかったら、即タイに召喚ということになった。
 

政子とお父さんの話がまとまったことから、町添さんが私の父と政子の父に打診してきた。
 
先日の、私と政子の父、△△社、○○プロ、★★レコードとの話し合いでは、突然のローズ+リリーの活動停止で、2月に予定されていた全国ツアーも中止になったことから、その迷惑料として、私達の9月から12月までの活動によって得られた印税や出演料などの報酬の(税金として払うべき金額を除いた)半額を、△△社・○○プロ・★★レコードに支払うとしていた。
 
★★レコードとしては、その迷惑料の受け取りを辞退する代わりに、24日に発売する予定であったCD『甘い蜜』を今からでも発売させてもらえないかと言ってきたのである。
 
今回の騒動に関してどちらかというと中立的な立場を取ってきた★★レコードからの申し入れだったこと、以前から町添さんと双方の父の間に連絡ができていたこともあり、話し合いの結果、宣伝などはしないという条件で、双方の父はこの案を受け入れ、『甘い蜜』は1月23日に発売されることになり、それに先だって2009年1月1日付けで、私と政子は★★レコードとの音源販売に関する契約を結んだ。契約条項に関してはこちらの弁護士さん、そして民謡教室の津田先生にも見てもらって、こちらの自由度の高い契約内容にさせてもらった。
 
それで私と政子は今回の騒動をきっかけにローズ+リリーの活動が停止したように多くの人が思ったのに、実はこの騒動の結果正式のメジャーアーティストになったのであった。
 

KARIONの音源製作が一段落して12月27日は久しぶりに自宅でくつろいでいた。政子に電話して1時間ほどしゃべったり、その他、琴絵・仁恵・和泉・小風・奈緒・有咲・詩津紅などと電話したり、あるいは向こうから掛かってきたりしておしゃべりをしていた。
 
(自宅の電話番号と私の携帯番号は新聞報道のあった日に即変更して、親しい友人にだけ教えた。但し携帯は父が持っていて電源を切ったままになっている。携帯のメールはサーバー上で転送設定をしてパソコンで受信していた)
 
家の電話を私がずっと使っているので父が「自宅に掛けても全然つながらない」
と文句言っていた。母が
「そう思うなら、携帯を返してあげたら?」
と言ってくれたが、父はブスっとした表情をしていた。
 
この日の昼頃、自宅に訪問者があった。
 
玄関のドアのモニタ(急遽付けたもの)で確認すると、私が中1,2の時と高1の時に「サンタガール」をして、絵里花の父のケーキ屋さんのクリスマスケーキを配ったお家の人で、私に「あなたきっと歌手になれる」とか「こんなオーディションあるけど出てみない?」とパンフレットを見せたりしてくれた人であった。
 
家の敷地の外にはたくさん記者がいる。あまりあれこれやりとりしたくないし、この人ならおそらく無害だろうと思い、中に入れた。
 
「この場所は今年ケーキを宅配してくれた貞子ちゃんという子に聞いたのよ。教えられませんとだいぶ言われたんだけど、本当に激励しに行くだけだからと言って何とか教えてもらった」
 
そういえばマスコミさんたちはどうやってうちや政子の家の住所を調べたんだろうと疑問に思った。例の週刊誌の記事には学校名と名前までは出ていたけど住所までは出ていなかった。うちも政子の家も電話帳には載せていない。
 
あるいは学校の生徒名簿が、学校の誰かからどこかの雑誌社などに漏れて、後は他の社はそれに追随したのであろうか。
 
「ありがとうございます。でも私の性別のこと言ってなくて済みません」
「それはびっくりしたけど、あなたほど可愛ければ全然問題無いよ。でも普段もそういう格好なのね?」
 
とその女性は言う。私はその日はピンクのセーターにライトブルーのプリーツスカートを穿いていた。津田社長が、私達は当面常にカメラに狙われているから、いつ撮られても恥ずかしくない格好をしておいた方がいい、と私と政子に助言してくれたのである。カーテンの隙間から盗撮される可能性もあると言われた。
 
「これまでは割と中性的な格好していたんですけど、あれだけ大々的に報道されちゃったら、恥ずかしがっても意味無いので開き直って、こんな格好してます。父は不満そうですけど」
「あはは、でもあなたのお父さんにちょっと同情する」
「恐縮です」
 
「あ、もしよかったら、サイン頂けないかしら?」
「いいですよ。何か書くものあります?」
「じゃ、これに」
 
と彼女は色紙とサインペンを出したので、私は微笑んでローズ+リリーのサインを書いた。この12月下旬から1月末までの「引き籠もり」期間中に書いたサインはこれ1枚のみである。
 
「ありがとう!宝物にするわ。でも今回、トラブって今活動停止になってしまっているみたいだけど、すぐ再開できるよ。頑張ってね」
 
「ありがとうございます。頑張ります。夏くらいまでには取り敢えずCDとか出しますから」
「わあ、それは期待しておくね」
 

彼女が出て行く時に記者に絡まれないようにタクシーを呼んでタクシーチケットを運転手さんに渡して送り出した。
 
「タクシーチケット悪いわ」
と彼女は言っていたが
「レコード会社が払いますから気にしないでください」
と言ったら受け入れてくれた。
 
彼女が帰った後で母に指摘される。
 
「夏くらいまでにCD出すって、あんた、お父ちゃんには大学合格まで歌手活動は控えるとか言ってなかった?」
 
「あっと、まあ夏頃までには協定見直しの交渉を」
「呆れた!」
 
と母は笑っていた。
 
「どっちみち、町添さんは既存音源を使ったCDを出したいみたいなこと言ってたしね」
「ああ、それは同意事項だね」
 
と母も頷いていた。
 

大晦日から、テレビでKARIONの『優視線』『広すぎる教室』『恋のクッキーハート』『水色のラブレター』のテレビスポットが流れ始めた。
 
『優視線』『広すぎる教室』『恋のクッキーハート』は1月28日に発売予定のシングルの中の曲で、発売の1ヶ月も前からスポットを打つのは異例なのだが、元々12月24日に発売予定だったローズ+リリーの『甘い蜜』のCMスポット枠を振り替えたものだったので、やむを得ない所である。未発売のものばかり流しても仕方無いというので、10月22日に発売されていたCDの中から人気曲『水色のラブレター』のスポットも流したのである。
 
これら4曲のスポット用ビデオは12月26日にまとめて4本撮影し、私もこれに顔は出していないものの演奏参加しているのだが、『優視線』で見せた私のピアノの「神プレイ」が巷では結構話題になっていたようである。
 
「これ打ち込みかと思った」
「でもPV見たら、ちゃんと弾いてる」
「あそこまで指動くか〜!?」
「誰、このピアニスト? すげー」
 
ここ数日のストレスを全部キーボードにぶつけた少し異様な精神状態だったので出来たプレイだったが、物凄く話題になってしまったので、和泉から言われて通常の精神状態でも弾けるように、ヤマハのMM8 (ピアノと同じ88鍵あるキーボード)を買って帰り、年末年始、私はずっと自宅で練習していた。
 
しかしこのPVを見て刺激されて、この曲の譜面(未発売曲だが耳コピーで採譜した譜面がネットに出回った:著作権侵害だが事務所もレコード会社も放置した)を見て、練習するピアニストが全国でかなり発生したようである。
 
しかしこのPVのお陰で『優視線』は予約が10万枚も入ることになる。
 

年明けの1月5日。音楽制作者の連盟の会議が開かれ、ローズ+リリー問題について、連盟は△△社からの説明を求めた。
 
かなり激しいやりとりがあったが、結局ここで、ローズ+リリーの「暫定契約」
が法的に無効であることが再確認されるとともに、「ローズ+リリーはこれまでどこの事務所にも属していなかったフリーのアーティストである」と認定された。
 
会議の後で、△△社の津田社長からは須藤さんが退職したことだけを聞かされた。∴∴ミュージックの畠山社長からはもう少し詳しい内容を教えてもらったのだが、某大手プロダクションが厳しい処分を要求した中で、△△社および須藤さんへの処分が軽いものに留まったのは、その他ならぬ畠山さんが某大手プロダクションに睨まれながらも、めげずに熱弁を振るってくれたおかげであることを、私は$$アーツの前橋社長から密かに教えてもらった。もっとも具体的な処分内容については畠山さんも前橋さんも「想像に任せる」とだけ言った。
 
「でもその厳しい処分を要求した某プロダクションって、あそこですよね?」
と私は前橋さんに訊いたが、前橋さんも固有名詞は出さない。
「多分、君が想像している所」
「結構いやがらせを受けましたし」
と私は苦笑いして答える。
 

そのプロダクションは数億円掛けて大々的なキャンペーンを組み9月頭に女子高生デュオを売り出した。テレビスポットもネット広告も大量に流したし、CDショップのみならず、化粧品の広告とタイアップして、コンビニやドラッグストアなどにも、その子たちのポスターが貼られていた。テレビドラマにまで出演して、雑誌にも多数の記事が載っていた。
 
彼女たちは、その直後にデビューしたローズ+リリーと、キャラ的にかぶっていた。そして、別に私達のせいだとは思わないが、彼女たちはほとんど売れなかった。ローズ+リリーの『その時』が20万枚以上、『明るい水』も10万枚売れているのに、彼女たちのCDは1万枚程度しか売れていない。
 
セールス的にはKARIONにも遙かに負けているのだが、それでも年末の各種新人賞を大量に取った。ネットでは「ごり押し酷いな」みたいな書き込みが目立った。
 
それで私達は11月頃から、そちらの関係者から微妙な圧力を受けていたし、工作員っぽい人たちのネット書き込みも目立った。しかし、私達はそもそもテレビとかにも出ないので「共演拒否」のような嫌がらせの大半は空振りしていたし、ネットの書き込みも「工作員さん乙」みたいなコメントしかつかず、結果的にはローズ+リリーの味方を増やしただけだった。
 
『**とRPLのどちらが優れているかは聴いてみれば分かる』
『聞き比べたら明らかにRPLが上手い』
『マリちゃんって歌下手だな』
『**はふたりとも歌下手だな』
 
『RPLはケイしかメロディー歌えないけど**はどちらもメロディー担当できるから交替で歌っている』
『ひとりずつしか歌わないのはハーモニーが作れないから。RPLはマリちゃん下手だけど、長く伸ばす音符ではちゃんとケイちゃんとハーモニーになってる』
 
彼女たちの場合、タイアップしていた化粧品に有害物質が含まれていることが判明し回収騒動になったのも不運だった。またドラマも脚本が酷くて視聴率が低迷し2ヶ月で打ち切られた。
 
ローズ+リリーが活動停止になると、向こうとしては絶好の挽回のチャンスと思ったようで、急遽新曲を出して大量のテレビスポットなどを打ったが、同時期大量に流れたKARIONのテレビスポットと比較すると、歌唱力の無さと楽曲の凡庸さを逆アピールする結果となった。関東ドーム公演を敢行したものの、客は5000人程度と悲惨で、しかもその半数以上はお金をもらって席に座っているサクラではないかと噂された。ドーム公演で客がスタンド席に全く居ないというのは異様な光景だったと行ってきた人がレポートしていた。(普通ならここまで売れないとアーティスト体調不良などの言い訳で中止するが、強行してガラガラ伝説を作ってしまった)
 
彼女たちは結局2枚のCDを残して芸能界を去ることになる(引退して大学に進学した)。10億円近い投資をして売上は2000万円にも満たず、プロダクションの担当役員とレコード会社幹部が飛ばされたようである。
 
一方、★★レコードの町添部長は活動停止したはずのローズ+リリーで、むしろ社内での地位を固めていくことになる。
 

しかしとにかくも、この5日の会議で、私と政子の業界的な位置付けは確定した。それは「事務所には所属していない★★レコードの専属アーティスト」というものであり、その後1年半にわたり、私達の事務取扱は、★★レコードの秋月さんがしてくれることになる。
 
ところでそもそもの発端となった週刊誌報道であるが、そのネタを売った人物が○○プロの調査部の調べで判明した(調査部のスタッフは全員元警察官や自衛官だが、それでもこんなのを調べ上げてしまう能力が恐ろしい)。私も津田社長も、恐らくは例のライバルのデュオを抱えていたプロダクション関係者かと思っていたのだが、なんと政子の元婚約者・花見さんだったのである。
 
「なんか浦中さんが、怖い言葉を口にしてたよ」
と津田社長は私に小声で言った。
 
「どんな言葉を言ってたんです?」
「知らない方がいい。この業界が怖くなるから」
「あははは」
 
「花見さんの消息は、冬ちゃん聞いてない? 浦中さんには言わないから」
「知りません。分からないんですか?」
 
「どうも実家には居ないみたいなんだよ。最初は居留守かと思ったが、お母さんが捜索願を出したのが判明した」
「なんで、そういうの全部分かっちゃうんですか?」
「まあ、君は知らない方がいい」
「うーん・・・・」
 

1月6日(火)。まだ冬休み中だが、さすがに年も明けて、私や政子の家の周りで張っている記者の数も減ったので、この時期は夜間になら結構こっそり出かけられる場合もあった。それで私は深夜こっそり家を抜け出し、政子の家に行ってきた。携帯はこの日やっと父から返してもらった。早速パソコンに保存していたアドレス帳やメモをロードした。メールのパソコンへの転送設定も解除して、また携帯で受け取れるようにした。
 
私は黒いセーターに黒いズボンを穿いて、深夜自宅の窓から出て、家の裏の崖を静かに登って裏道に出る。そのまま少し歩いて大きな通りに出てからタクシーを呼び、政子の家の裏側の通りで降ろしてもらう。そっと政子の家のそばまで行く。裏側から隣の家との隙間をそっと歩き、一応メールした上でウッドフェンスの下の隙間から敷地内に侵入する。もう空き巣の気分だ。
 
政子の家の庭には、防犯砂利が敷かれているので、知らずに歩くと大きな音を立てる。ところが1箇所、庭に埋められている幾つかの石の上に足を置くことで、防犯砂利に触れずに家屋のそばまで寄れる場所がある。私は2階窓から漏れる僅かな明かりを頼りにその上を慎重に歩き、建物の傍に寄る。そのまま勝手口まで行きトントンとノックする。
 
「合言葉を言って」と政子の声が聞こえる。
 
合言葉って何だよ!?
 
「マーサは最高の美人」
「よろしい」
 
ということで中に入れてもらえた。
 
政子のお父さんは1月4日にタイに戻って、お母さんだけが残っていたのだが、私が家の中に入ると、お母さんが見ている前なのに政子は私に抱きついて泣いた。
 
お母さんが微笑んで2階の寝室に下がり、私と政子をふたりきりにしてくれたので、私たちは居間のソファに座り、たくさん話をした。
 

少しおしゃべりしていた時、私はふと変な気配に気付く。見回すと居間の棚に、そこにはふさわしくないような変な形の人形がある。
 
「あの人形何?マーライオンのミニチュアの隣のやつ。こないだまでは無かったよね?」
 
「ああ、お父ちゃんの会社のタイでの取引先の人がインドネシアで買ってきた人形なんだって。今回帰国する時に持って来たんだよ。元々は呪術とかに使うものらしい」
 
先月下旬にお父さんが帰国した直後にここに来た時は見なかったので、その時はまだ荷物の中に入っていたのであろう。
 
「それでか。何かちょっと怖い感じがした」
「うん。怖いことにも使えるとは聞いた。使い方は聞いてないけどね」
 
「へー。でもよくそういう人形を平気で置いておくね」
「捨てると祟られそうな気がしない?」
「それはとても迷惑なお土産だな」
 
「私に悪い虫が付かないように見張り役だとかお父ちゃん言ってた」
「悪い虫ってボクのことかなあ」
「お父ちゃんは冬のこと気に入ったみたい。遠回しにセックスしたのか?と訊かれたから、私と冬は深い信頼関係で結ばれていると答えた」
 
「それって、絶対やったと思われてる!」
「セックスしてると思われたら迷惑?」
「全然構わない。ボク政子のことは、自分が生きている限り責任を持つつもりだから」
 
そんなことを言ったら、政子は何も答えずに頬を赤らめた。珍しい反応だと思った。
 

「ところで、なんでスカートじゃないのよ?」
「スカート穿いては通れないような場所を通ってきたからね」
「私の家と冬の家の間に秘密の地下鉄でも作れば」
「ドラえもんでも居たら頼みたいね」
 
「お土産無いの?」
「お土産か。じゃ、これあげる」
と言って私は政子の唇にキスした。
 
「この状況でキスがお土産だなんて、冬はプレイボーイだ」
「まあボーイかどうかが怪しいけどね」
 
「ね、キスしたならキスの責任取って」
「どうするの?」
「ベッドで私を抱くこと」
「いいよ」
 
それでふたりで、この時期事実上政子の寝室と化していた居間の隣の部屋に入る。後にグランドピアノを置いた部屋である。政子はローズ+リリーの活動でくたくたになって帰宅した時、ベッドのある2階まで上る気力も無かったのでこの部屋に布団を置いていた。
 
ファンヒーターのスイッチを入れると、ほどなく部屋は暖かくなる。政子の布団は敷きっぱなしになっていたので、お互い下着だけになり、一緒に布団に入って、約束通り政子を抱きしめた。
 
「抱いたよ」
「・・・・普通、抱くといえば、セックスまでしない? 避妊具持ってないならあるよ。生で入れてもいいけど。私、冬の赤ちゃんなら産んでもいいし」
「ごめんね。ボク、女の子だから、マーサの中に入れられるようなものが付いてないんだ」
 
「冬って自分の都合の悪い時は女の子を主張する」
「うふふ」
 
そのまま布団の中でくっついて寝たまま、たくさん色々なことをお話しした。政子もそれで少しは元気になった感じであった。
 
暗い内に政子の家を脱出しなければならないので午前4時に退出したが、一緒のベッドに寝ていても、私にHなことを仕掛けてこなかった(普段ならお股を触ってくるし、しばしば勝手にタックを外して中までいじり始める)ので、全然本調子では無いなと思い、心配だった。お母さんには、政子さんのことで気になることがあったらいつでも呼び出して下さいとメールしておいた。
 

明け方政子の家を出た私は、ネットカフェで仮眠(この時期はまだ身分証明書などの提示が不要だった)した後、都内のスタジオに行き、ドリームボーイズの練習に参加した。1月11日(日)に関東ドームライブが行われるので、その事前打合せと練習である。
 
先に来ていた葛西(樹梨菜)さん、松野(凛子)さん、梅川(アラン)さんが
「ね、ローズ+リリーのケイって、洋子なの?」
などと話していたらしい。
 
「似てるなとは思った」
「本人だと思う」
「洋子って《男の娘》だったんだっけ?」
と梅川さん。
 
「うん。私と同じく女装男子だよ」
と葛西さんが言うので
「ジュリーって男なの?」
と梅川さんが訊く。
 
「私は心が男で身体は女。でも普段は女を装っている。洋子は心が女で身体は男だけど、このダンスチームの中では女として活動している」
と葛西さんは説明するが
 
「難しい!」
と梅川さんに言われる。
 
「だから私はFTMのゲイ、洋子はMTFのレズだよ」
と言うと
「ますます意味分からん!」
などと言われる。
 

そんなことを言っている間に、私が入って行ったが
 
「何?その黒尽くめの衣装?」
と言われる。
 
「いや、家を出るのに工作が。忍者みたいにして出てきた」
 
「やはり、洋子がローズ+リリーのケイなんだ!?」
「さあ、どうかな」
 
「じゃ別の質問。KARIONのキーボード奏者はあんた?」
「うん。でも内緒にしといてね。私の顔がだいぶバレちゃったから、あまり表では弾けないなあ」
 
「ああ、音源製作で関わってる?」
「そうそう。年末もずっとスタジオに詰めて、今月末発売のCD制作してた」
「年末!? ワイドショーが盛んにあの報道してる最中に?」
「自宅周辺にずいぶん記者がいたみたいだっだけど」
「何のことだろ?」
「大胆な子だ」
 
やがて他のダンサーの子も到着し、ドリームボーイズの陰の中心人物である大守さんが到着。
「お、洋子も来てるな。洋子の参加に関する権利関係は話付いてるからと社長から聞いてるから」
と大守さんは言っていた。
 
「はい、私もそう言われました」
 
「でも樹梨菜ちゃんに、ゆまちゃんに、洋子ちゃんに、と権利関係の交渉大変そう」
「ああ、レイナも3月くらいにデビュー予定ということで、既に某プロダクションと契約で同意しているらしいけど、そちらも基本的にはスケジュールがぶつからない限り、ドリームボーイズのライブやPVへの出場はOKということらしい」
と大守さんは言う。
 
やはりレイナもデビューか、と思うと気が引きしまる。
 
「なんかデビュー組が増えたなあ」
「どうかした事務所なら、そういう子は切り離して若い子入れるんだろうけど、蔵田も、今のダンスチームが最高だからと言ってるし」
 
そんなことを言っている内に、花崎(レイナ)さんや鮎川(ゆま)さんも到着。お互いに近況を報告しあう。
「やっぱり、ローズ+リリーのケイって洋子だったの?」
とその2人からも訊かれたが、私は明言を避けた。でも2人は確信している感じだ。
 
「洋子の性別を初めて知った」
と言われてから、身体をあちこち触られる。
 
「バスト、これ本物?」
「うん、まあ」
「お股に何も付いてない」
「ちょっと、そこ触るのはさすがに勘弁してよ」
 
「結局、性転換済み?」
「デビュー前に手術しちゃったの?」
「ごめーん。そのあたりは取り敢えず秘密ということで」
 
「でも、ゆまは雨宮先生からサックスの指導受けてるし、洋子は上島先生から楽曲もらってるし、大守さん、気にならないんですか?」
 
「蔵田がそれ面白がってるから。まあ、そもそも俺もワンティスとライバル意識はあるけど、向こうはどうせ過去のバンド。こちらは8年間トップアーティストとして走ってきたバンド。勝者の余裕だな」
「すごい」
 
「って、話を雨宮や上島にするなよ」
と大守さんは私や鮎川さんに言っている。
 

練習の後は深夜(8日AM1時頃)自宅に戻ってくる。そして8日,9日は自宅でお菓子作りなどして、母とのんびりとした時間を過ごした。父もこの8日の日は珍しく早く帰宅したので、父とも話す時間が持てた。
 
「しかし会社で、息子さん美人ですねとか可愛いですねとかばかり言われる」
と父は困ったように言う。
 
「ごめんねー。変な子で」
「あの報道の後で会社に出て行く時、どんな顔で出て行けばいいものかと思ったが、開き直ってしまえば平気なもんだ」
「お父ちゃんも女装してみる?」
「馬鹿!」
 
父はこの所ずっと仕事のし尽くめで、ヒゲもボーボーだった。そういえば最近、私、ヒゲはあまり生えないなあなどと思う。やはり女性ホルモンの影響なのだろうかなどと考えたりする。
 
「だけど、お前、家の中ではずっとスカート穿いてるつもり?」
「出て行く時はズボン穿くよ」
「でもお前もしかして出て行く時だけズボンで、外でスカート穿いてたりしないか?」
「ボク『スカートでは外出しない』ということしか約束してないよ」
「うーん・・・・」
 
と父は腕を組んで考え込んだ。ここで怒らなかったのは、父が少しは私のことを認めてくれつつあったのか、あるいは仕事で疲れすぎていて、半ばどうでもいいような気分になっていたせいか。
 
「でも夜中に出て行って何やってるの?」
「こないだは政子の家に行ってきた。政子、ほんとに落ち込んでたから。ボクと話して少し落ち着いたみたい」
 
「お前、中田さんと結婚するつもり?」
「ボク自身、性別を変更したいから、法的な意味での結婚はできないと思う。でも彼女のことについては一生責任を持つつもり」
「性別変更ね・・・・」
と父は考えこんでいたが
 
「ところでお前、まだチンコ付いてるんだっけ」
などと訊く。
 
「付いてると思うよ」
「思うってのは何だ?」
 

9日の昼頃、私の携帯に政子から電話が掛かってくる。
 
「はーい!我が君、ご機嫌はいかが?」
と私が訊くと
「最低!」
 
と政子は明らかに怒っている雰囲気。私は何か私に関することで政子に隠していること(ドリームボーイズやKARIONの活動)がバレて、怒らせたのだろうかと不安になったが、政子が怒っていたのは花見さんにであった。
 
「今日、啓介のお母さんから電話があったのよ。啓介の行方を知らないかって」
 
なるほど・・・・そういうことか。
 
「それで、知らないと言ったんだけど、啓介さんどうかしたんですか?と聞いたらさ。行方不明になってるって。それでお母さんが謝りながら話してくれたのよ。どうも、例の週刊誌に私達の情報を売ったの、啓介らしい」
「そうだったの?」
 
「もう最低な奴!どこで野宿してるのか知らないけど、見つけ出して制裁を加えてやりたい」
 
私は政子が怒れば、その怒りのパワーで少し自分を取り戻せるかも知れないと思い、少し煽ってみた。
 
「それはボクにもやらせてよ。2〜3発蹴りを入れたい」
「2〜3発じゃなくて何十発でも何百発でも、アレが二度と使い物にならなくなるくらい蹴ってあげなよ」
 
ちょっと、ちょっと!
 
「私は最初殺してやろうかと思ったけど、あっさり殺すのは詰まらないじゃん。生きていることを後悔するくらいの目に遭わせてやりたい。最低でも去勢はしてやる。泣き叫んでる啓介のペニスを掴んでナイフで切り落としてやろうか」
 
怖っわー。煽る必要無かったか?
 
「マーサが犯罪者にならないようにね」
と釘を刺しておく。
 
「なんか売ったのが啓介だというのが、どこからか漏れたらしくて、脅迫状とか脅迫電話とか掛かってきて、電話番号も変えたんだって。でも電話番号変えてもやはり脅迫電話掛かってきたらしい。それでアパートを出ていったん実家に戻ってたらしいけど、実家にも脅迫電話があって、それで年末頃に実家を出て、その後、お母さんも連絡が取れない状態になっているらしい。お母さんはひょっとしてタチの悪いヤクザとかに捕まってリンチでも受けてるんじゃないかと心配でと言ってたけど、私タロットカード引いてみたら『隠者』が出るんだよね。どこかに潜伏していると確信した」
 
政子が今の精神状態でタロットを引いたら百発百中だろうと思った。それで私も花見さんは無事なのだろうと確信した。しかし年末頃からって、その脅迫をしていた人物というのは誰なのだろう。○○プロでさえ、つい数日前に調べあげたらしいのに。それに電話番号を変えても脅迫電話掛かってくるって、何すればそんなことできるんだ??
 
「とにかく絶対タダではおかないよ」
と政子は本当に怒っているふうであった。
 

9日の夜22時頃。また黒い服装で裏の崖を登って家を脱出する。その晩は取り敢えず近所の奈緒の家に泊めてもらった。奈緒の家には私の女物の服が結構置いてあるので色々便利である。
 
奈緒の部屋に泊めてもらったのだが、むろん布団はちゃんと2つ敷いている。奈緒は部屋に暖房(オイルヒーター)が入っているのをいいことに下着姿になって
 
「こっちの布団に来ない?後腐れ無しでHしてもいいよ。コンちゃんあるし」
と誘惑?したが、丁重に遠慮させてもらった。
 
「ごめん。ボク立たないと思うし」
「それなら私が指にコンちゃん付けて、冬に入れてあげてもいいよ」
 
「ボク、今は好きな人がいるから」
「ふふふ。あの子を愛してるんだ」
「うん」
「ちょっと妬けるけど、まあいいか。頑張ってね」
「ありがとう」
 
翌10日朝、朝御飯も頂いてから、奈緒のお父さんに都心まで車で送ってもらって前日のリハーサルに参加した。その日はホテルに泊まって翌日、スタッフの乗るバスに同乗させてもらって会場入りした。
 

ドームに着いた時は既にけっこうな人数の客が会場の周りに集まっていた。ドリームボーイズの関東ドーム公演はこれまで何度もやっているので、勝手迷うことはないが、やはりこの大量のお客さんを見ると気が引き締まる。
 
控室で待っていると個別に来るメンバーがパラパラと集まってくる。
 
花崎(レイナ)さんは、別の女の子と少し年上の女性を伴っていた。女の子の方は、以前商店街で一緒に歌っているのを見た子だ。
 
「春くらいにこの子とふたりで《プリマヴェーラ》の名前でデビュー予定なのでよろしくお願いします」
と挨拶している。年上の女性はマネージャーのようである。
 
「私が諏訪ハルカ、彼女が夢路カエルという芸名です」
と花崎さんは言うが
 
「フォスターじゃん!」
「ユニット名はイタリア語なのに!」
とツッコミが入る。
 
諏訪ハルカは「遙かなるスワニー河」、夢路カエルは「夢路より帰りて」というどちらもフォスターの名曲Old Folks at Home, Beautiful Dreamer の日本語歌詞冒頭から採ったものであろう。
 
「カエルちゃんって、レイナの妹さん?」
「従妹です。今中2なんですよ」
「ああ。じゃ、レイナちゃんと2つ違いか」
「2つ年下ですけど、私より歌は上手いです」
 
うん。確かに以前商店街で歌っているのを聴いた時も、この子はうまいと思った。
 
「でもカエルって名前は『夢路より帰りて』というのを知っていれば return の帰ると分かるけど、知らないと frog かと思っちゃうね」
 
「私もそれ言ったんですけど、覚えてもらえるからいいよ、などと言われて丸め込まれました。本名はノエルなんです」
「可愛い!でも、カエルちゃん、他人に言い負かされそうな雰囲気」
「洋子なんかと似たタイプだよね」
 
「学校の友人からは、アマガエルのコスプレしてデビューするといいよ、とか言われてます」
 
「あ、それはプロデューサーの前では言わない方がいいよ。マジでやらされるから」
「うんうん。この業界って、だいたいそういうノリ」
 
カエルちゃんは「えー!?」という顔をしている。
 
「デビューは春くらいになるの?」
「実はカエルちゃんのお父さんが、なかなか芸能活動契約書にハンコを押してくれないんですよ。もう1年近く交渉を続けているんだけど。それでまだハッキリした時期が言えないんですけど、お父さんも最近やっと軟化してきてくれて、今条件交渉になってきているから、妥結は近いかなと」
 
「お父さんとの交渉に手こずったのは洋子もそうだな」
と大守さんから言われる。
「でも洋子は結局契約したんだろ?」
 
「ええ。1月1日付けで★★レコードと契約しました。父と話をしようとし始めてから結局1年2ヶ月掛かりました」
と私が言うと
 
「時間掛けて妥結に至った人がいると勇気付けられるね。ノエルも頑張らなくちゃ」
と花崎さんが言い、本人も頷いている。
 
まあ私の場合は話をする前の段階で、てこずったんだけどね。でも、雰囲気的にカエルちゃんや、マネージャーさんは私の正体には気付いていないっぽい。
 
 
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【夏の日の想い出・港のヨーコ】(1)