【夏の日の想い出・心の時間】(1)

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ローズ+リリーとして活動した高校2年の4ヶ月間は、あまりにも忙しすぎて、私自身、何がどうなっているのか、何がなぜどうしたらそうなったのかというのが、よく分からないし、私自身記憶に矛盾があって、真実が良く分からない面も多い。
 
しかし、そのあたりの事情を多少とも整理することができるイベントが幸いにも例の大騒動からそう遠くない時期、3月下旬にあった。
 
○○プロ20周年のパーティーが行われたが、私はこのパーティーに招待され出かけて行った。
 

私と政子は2008年の9〜12月に△△社と「暫定契約」し、ローズ+リリーとして活動したのであったが、この「暫定契約」は保護者の同意を得ていなかったので無効とされた。そのため、私たちは一時的に活動停止を余儀なくされたし、ローズ+リリーは「どこのプロダクションとも契約したことのないフリーのアーティスト」であると連盟から認定された。
 
私たちは大騒動の中、学校にも出て行けずに閉じこもりの生活を送っていたのだが、騒動も鎮静化してきたことから、2月2日の月曜日から学校に復帰した。
 
そしてその日学校が終わってから自宅に戻った時、「何これ〜!?」と絶句した。
 
私は自宅前に集まった人たちにもみくちゃにされながらも何とか自宅内に飛び込んだが、政子は恐れをなして逃げ出し、詩津紅の家にいったん保護してもらったらしい。
 
要するに私たちが「フリーのアーティスト」となったことから、どこのプロダクションも自由に私と政子、及びその両親と交渉して、契約を目指すことができるものとされたため、私たちとの契約を目指すプロダクション関係者が大量に、私の家と政子の家に押しかけたのであった。2月2日が音楽制作者の連盟で決めた交渉解禁日だったらしい(畠山さんから「ごめん2月2日からって言い忘れた」
などと後で言われた)。
 
私はどうしていいか分からずオロオロしていた政子のお母さんと連絡を取り、話は一緒に聞くことにして、取り敢えず整理券を配った!
 
私の家の周りにいた人たちに、姉が奇数番号の整理券を配り、それからその足で政子の家の前まで行き、そちらには偶数番号の整理券を配った。
 
そしてホテルの会議室を押さえて、そこで1社ずつお話を聞くことにした。この対応は私自身と私の母、政子の母、それに弁護士さんの4人で行った。
 
「マリは今騒動の余波で精神的に不安定なので、お母様が代理で聞きます」
と私は並んでいるプロダクションの人たちに言ったが、そのお母さんもかなりその日は精神的に不安定になっていた雰囲気だった。
 
私たちのヒアリングはシンプルである。畠山さんに電話して相談し、次の点を尋ねることにした。
 
・専属契約か委託契約か
・給料方式かマージン方式か
・原盤権はどこが管理するのか
・日程や仕事の選択などに関する自己決定権の有無
・どういうイメージで売ることを考えているのか
・どういう宣伝をしたいと考えているのか
 
自己決定権については、ある程度の裁量権を認めていいと言ってくれる所が多かった。契約形式については「専属契約・マージン方式」を提示する事務所が大半であったし、原盤権は(アーティストに金銭的な負担を掛けないよう)レコード会社に管理を任せると大半が回答した。また「可愛いアイドルとして売る」「テレビ番組にも積極的に出演させる」「テレビスポットを積極的に打ち、雑誌にも積極的に売り込む」などという所が多かったが、結果的にそういう提示をした所や高額の契約金をやたらと強調する所には全てお断りの手紙を書いた。
 
その日お話を聞いたのは80社ほどに及んだが(1社10分で13時間!)、これでその8割が脱落した。
 
(私が全ての事務所に直筆で手紙を書き、うちの母・政子・政子の母のサインを入れたので、この手紙を書くだけでも大変だった。宛名は姉が代筆してくれた)
 
私たちをアイドルよりむしろアーティストとして認識してくれた所、そして専属形式を望むが委託契約でもいいとした所、原盤管理はプロダクション側もしくは別会社で管理する(つまり制作費は原則的にアーティスト負担だがこちらの意向にそった制作ができるし、原盤使用料もこちらが受け取る)という所、更に宣伝についてもアーティスト側の希望に添う形で、などといった条件を提示してくれた15社が残った。つまり、ローズ+リリーというユニットの性質と私たちの方向性を最低限理解してくれた所がこの15社だった。
 
△△社と∴∴ミュージックはこの日は来ていないので、その2社を含めて17社で私たちの獲得を争うことになった。
 
しかし○○プロは、このようなローズ+リリーを獲得する競争には参加していなかった。○○プロとしては△△社が結果的には再契約に成功するのではないかと考え、敢えて直接契約には乗り出さなかったのである。これまで通り△△社と共同でローズ+リリーの制作はしていけば良いというスタンスである。
 
しかし○○プロが、ローズ+リリーの獲得競争に参加しなかったことで、逆に私は○○プロとは自由に接触することができたのであった。
 

2009年3月下旬に行われた○○プロ20周年パーティーは、肖像権のデリケートな歌手・タレントが大量に来場することから、撮影・録音禁止であった。おかげで、私も堂々と高校の女子制服を着て、出かけて行った。
 
「おお、話題の人が来てる」
と○○プロ所属の高校生アイドル、貝瀬日南(かいぜひな)ちゃんから言われる。
 
「どうもお騒がせしまして」
「これ、高校の制服?」
「そうです−」
「これで通学してるの?」
「ううん。高校では男の子の振りしてるから学生服」
「でも女子制服も持ってるんだ?」
「ローズ+リリーでデビューする前に、バックミュージシャンとかしてた頃はこの制服でスタジオとか放送局とか来てたよ」
 
「へー! でもケイちゃんの性別はもう全国民に知られちゃったし、開き直って、この制服で学校にも出て行けばいいのに」
「うん、みんなから言われてるんだけどね−」
 
私と日南ちゃんが話していたら、そこに同世代の歌手や女優さんなども寄ってきて、しばし、私の日常生活について聞かれた。
 
「えー? ほんとに日中は男子高校生、放課後は女子高生アイドルって生活をしてたんだ、すごっ」
「それ、日中の方が実は男装女子高生じゃないの?」
「いやあ、女子制服で学校に出て行く勇気がなくて」
「ミニスカ穿いて女子高生アイドルしてて、女子制服で学校に行く勇気が無いというのは理解できん」
 
「ケイちゃんって、変な所で根性が無い」
「恥ずかしがることとかないのにー」
などと言われた。
 
「でもケイちゃんが、間違いなく女の子だってのは、こうして話しているとよく分かるね−」
 
「だいたいその顔で学生服着てても、男装女子高生にしか見えんと思う」
などとも言われる。
 
「おっぱいはそれパッド?」
「ふふふ。秘密」
「へー」
 
「男の子の機能ってまだあるんだっけ?」
「それはさすがに消失済み」
「ああ、やはりね〜」
 
ということで、私はこのメンツには身体改造中であることを示唆した。
 

「だけど、なんか凄い数のプロダクションでローズ+リリーの獲得競争してるって聞いたけど、ここに出てきても良かったの?」
 
「ああ、初日は整理券を配って話を聞いたよ。でも○○プロは私たちの獲得競争には加わってないから大丈夫。競争に無関係だから、自由に付き合える」
「なるほどー」
 
「それに私が今日招待されたのはローズ+リリーの線じゃなくて、○○ミュージックスクールの特別特待生という線だから」
「え? ○○スクールに通ってたんだ?」
 
「そそ。それで突然デビューしちゃったから、まだ特別特待生としての籍を抜いてなかったんだよね。だから私、今でも特別特待生だよ。去年の夏以来、授業には全然出席してないけど」
 
(丸花さんがわざと籍を残していたもの。普通はデビューしたら除籍する)
 
「じゃ、元々こちらと縁があったんだ?」
 
「ここも含めて、いくつかのプロダクションに関わってたし、その中のどこかから昨年中にメジャーデビューするつもりでいたんだけど何故かそれまで関わりの無かった△△社からデビューすることになっちゃって。実はその付近の経緯が私にもよく分からない」
 
「ああ、超ビジーで動いてる時って、かなり記憶も欠落するよね」
「そうそう。だから、去年の6月頃から12月までの記憶って、曖昧だし、けっこう矛盾もあって、自分でも真実がよく分からないんだよね」
「ありがち、ありがち」
 
「私もデビュー前後の記憶が飛んでるよ」
とひとりの子も言っていた。
 
「ダイアリー見ると、朝御飯を札幌で食べてお昼を博多で、夕飯を神戸で食べたなんて書いてある日があるんだけど、まさかねと思うし」
「いや、それは物理的に可能なはず」
「きっとそれは本当に1日で札幌と博多と神戸に行ってるんだよ」
「そうかな?」
 
私はそれまでその記述が不合理だと思っていたのだが、そう言われると本当にそんな行動をしたのかもという気がしてきた。
 
「私なんて、1日で札幌・那覇・大阪とキャンペーンで行ったこともあるよ。それで金沢泊まり」
「うっそー!」
 

浦中部長がステージに上がり、○○プロの歴史についても話していた。
 
○○プロの前身は1976年に創設された芸能プロである。中堅どころのプロダクションだったが、1987年に経営者の脱税や不正経理が発覚して倒産してしまう。その時そこに所属していたタレントさんたちの受け皿を作ろうということで、そのプロダクションの社員だった3人の人が共同で○○ミュージックを設立した。この時、その創立者のひとりである丸花さんが浦中さんと津田さんをこの会社に呼んだらしい。
 
そして○○ミュージックが1989年に△▽芸能という会社と合併して○○プロダクションになっている。つまり今年はその合併して○○プロダクションという会社名が生まれてから20年である。合併の時の存続会社は○○ミュージックの方なので、会社の登記上は22年の歴史があるということになる。
 
しかし○○ミュージックの創業者のひとりで会長をしていた人が1993年に亡くなる。この人が会社のまとめ役であったため社内は分裂含みになり、副社長をしていた人が△▽芸能の元専務と一緒にグラビア系のタレントなどを連れ分離独立し○△アーツを設立した。
 
そこで、丸花社長が、津田さんを専務、浦中さんを取締役にして、新体制を作る。この分離直後は、○△アーツの方が売れっ子ばかり、○○プロの方はあまり売れてない人ばかりで、経営はかなり苦しかったらしい。
 
しかし1995年に新人高校生歌手・保坂早穂が出て、ミリオンセラーを連発し、これで新生○○プロの経営も安定した。そして保坂早穂の「妹分」として売り出したアイドル歌手も次々とヒットを飛ばし、この事務所は「大手のプロ」
として世間に認識されるようになっていった。
 
保坂早穂は1990年代のスーパースターで、現在でもテレビ・ラジオに多数のレギュラー番組を持っているが、今は○○プロの大株主でもある。本人も○○プロのご意見番、などと自称している。
 
そして浦中さんは次世代の○○プロを支えていくであろう期待の若手歌手・俳優さんとして、複数の名前をあげる。貝瀬日南も名前を呼ばれて
「きゃー。私も期待されてる!」
などと嬉しそうな声をあげていた。
 
会社はその後、津田専務が1998年に退任し、丸花社長も実質的な経営からは退き、浦中部長が、平の取締役の肩書きのまま、実質的にプロダクションの経営をしている状況にあるのである。
 

このパーティーには、その津田元専務(津田アキさん:旧名津田昭弘)も来ていたし、友好会社の経営者として△△社の津田邦弘社長も来ていた。そのふたりがテーブルで何か話しているのを見かけた時、私は唐突にそのことに気付いてしまった。
 
私は寄って行った。
「おはようございま〜す」
「おお、話題の人だ」
「あの、もしかして、津田先生と津田社長って、ひょっとしてご姉弟なんてことは・・・・」
と私は尋ねる。
 
「あれ?知らなかったの?」
と津田アキさん(民謡教室の津田先生)。
「それは当然認識しているものと思っていた」
と津田邦弘さん(△△社の社長)
 
「えーー!?」
 
「△△社が○○プロと友好関係にあるのは、うちの姉ちゃんが○○プロの元専務だからだよ」
と津田社長(弟)。
 
「君が、『期間限定ですけど唐突にユニット作って活動することになってしまってCDまで作っちゃいました』って私に連絡してきたじゃん。それで話聞いたらクニちゃんの会社だし、レコードの発行元は雀レコードだし。私が慌ててクニちゃんと丸花さんに電話したんだよね」
と津田先生(姉)。
 
「丸花さんには私からも電話してCDもお渡ししました」と私。
「うんうん。その連絡の方が早かったみたいね」
 
「それで、ケイちゃんは元々○○プロの方からデビューさせようと勧誘してたんだよ、という話だったから、じゃ△△社と○○プロの共同管理にしませんかって話になってさ」
 
「それでローズ+リリーの広報宣伝とかを○○プロでしてくださるようになったんですか?」
「そそ。でもまさか契約書が不備だったとは思わなかったよ」
「すみません」
 
「あの契約書不備問題は私は知ってたけど、当然クニちゃんも承知の上だと思ってたんだけどね」
と津田先生(姉)。
 
「うん。その件はかなり後になってから知って焦った。でも対策を取る前に週刊誌の件が出ちゃったから。僕はケイちゃんのお父さんを説得するのに、姉ちゃんに動いてもらうつもりだったんだけどね」
と津田社長(弟)。
 
「私の方がケイちゃんとの付き合いは長いからね」
「ええ。うちの父とも顔を合わせたことが何度かありましたね」
 
「でもメジャーデビューの話が出てきたのは、もうひとつのルートがあるんだよね。ローズ+リリーで制作したCDがすぐ売り切れちゃったでしょ? その報告を聞いてウラちゃんがこいつは化けるかも、なんて言ってたところで、丸花さんが『うん、この子たちは絶対売れる』なんて言ったから、ウラちゃんは、メジャーデビューに向けて、町添さんに直接電話入れて動き始めたんだよ」
 
「そういう経緯だったんですか」
「でも、あの時、いくつかの線が並行して動いていた感じだから、結果的にどれが有効だったのかは僕たちもよく分からないね」
 
「私自身、何だかさっぱり分かりませんでした!」
 
「ケイちゃん、デモCDも作ってたよね?」
とお姉さんの方から言われる。
 
「そうなんです。私だけ歌ったものと、マリと2人で歌ったものと1枚ずつ。その私1人で歌ったものは、実は雨宮先生と作ったものなんですが」
 
「あ、そうか。そこに雨宮先生が関わっているのか!」
 
「上島先生が曲を書いてくださったのも、どうも雨宮先生の推薦があったからみたいですし」
 
「ああ。なるほど。それでか。実は上島先生が曲を書いてくださった理由が謎だったけど、雨宮先生からのルートか」
と津田社長。
 
「結局雨宮先生の推薦で上島先生が曲を書いてくださって、上島先生が町添部長に、ぜひ★★レコードから出してください、と言ってくださったことから、最終的にメジャーデビューが決まったみたいです。雨宮先生の口ぶりからすると」
 
「なるほどねえ」
「じゃローズ+リリーの影の仕掛け人は実は雨宮先生だったのか」
 
「雨宮先生自身がお忙しいので、結局5月に完成したデモ音源自体は私自身ももらってないんですけどね。でも雨宮先生が加藤課長にお聞かせして、この子いいね、と言ってもらっていたらしくて。だからそのルートもあるんですよね」
 
「忙しいってより女から逃げてたんじゃ?」
 
「あはは。でもそのルートで進んでいたら私のソロだったろうから。結果的にはマリとのデュエットで良かったと思います。そもそもソングライトは私とマリのペアでやってるから、そのペアで歌も歌った方が自然です」
 
「うん。このふたりの組合せが絶妙だと僕も思う」
「ケイちゃんひとりで歌うより、人気の出やすい組合せだよ」
「ケイちゃんの歌は完璧すぎるから、マリちゃんの歌でホッとするね」
 
「でもマリちゃんだけだと、ただのアイドルにしかなれなかったろうね」
「いや、アイドルとしても難しい。あの子、サービス精神が無いから」
「ああ、それは言える。あの子、サイン頼んでも無視されたという話が多い」
「すみません。それはマリがいつもボーっとしているからで、聞こえてないんです」
「なるほど」
 
「マリちゃんもやはりケイちゃんがいるから輝くんだな」
「結局、ケイちゃんとマリちゃんって切り離せないよね」
 

「ケイちゃんの性別問題も知っていた人と知らなかった人が入り乱れてるよね」
 
「そうなんです。丸花社長はご存じでしたから、私はてっきり浦中部長もご存じかと思っていたら、ご存じじゃなかったみたいで」
 
「ああ、それそれ。ウラちゃんさ、丸花さんに『この子、男の子だったんですよ。びっくりしました』と言ったら「あれ、言わなかったっけ?」と言われたって」
「あはは」
「絶句して、そんなの知ってたら最初から教えてください!と言ったらしいけど」
 
「やはりケイちゃんが女の子として完璧すぎるからね」
「うん。普通この子を見て、男の子だとは思わないもん」
「だから性別を知っていても、その性別に注意して取り扱わなければならないということ自体を思いつかない」
 
「あ、でも1月に手術して完全に女の子になったんでしょ?もう傷は痛まないの?」
「へ?」
「タイに行って性転換手術を受けて来たと聞いたけど」
「手術なんて受けてません」
 
「うっそー!?」
「だってケイちゃん、明らかに12月頃とは雰囲気が変わってる」
「そうですか?」
「そもそもおっぱいは昔から大きくしてたもんね」
「ええ、それは確かです」
 
「去勢もデビュー前には済ませてたよね。だから最終手術だけだと思ってたんだけど」
「私まだ去勢してませーん」
 
「嘘!」
 

しかし私と政子がローズ+リリーとして活動し始めてからメジャーデビューするに至る経緯の中では、雨宮先生・上島先生、津田先生・丸花社長、町添部長・加藤課長、津田社長など、かなりの人数の人がそれぞれの立場で動いていたようで、結果的にどの線がどうなって、メジャーデビューに至ったのかは、結局はよく分からない面も多かった。
 
ただ、雨宮先生と津田先生の動きは特に大きかったのではないかという気がした。
 

その雨宮先生と話す機会も、春休み中に訪れた。
 
4月4日の土曜日。私は新宿歌舞伎町を歩いていて、バッタリと雨宮先生と遭遇した。
 
「あら〜、こんな所で会うなんて奇遇ね」
「ご無沙汰してまして済みません」
「でも今日は4月4日、オカマの日じゃん。オカマの日にふたりのオカマがよりによって歌舞伎町で出会うって、私たち運命的な出会いじゃないかしら?」
「ホテルには行きませんよ」
「じゃ、カラオケ行こうよ」
「はい、それなら」
 
ということで私たちは歌舞伎町のシダックスに入った。
 
先生はいきなり大量の食べ物・飲み物を注文する。
「昨夜徹夜だったからお腹空いてね〜」
などとおっしゃっている。
 
「生ビール2つ」
というオーダーは
「いえ。ビール1つと烏龍茶1つで」
と訂正したが。
 
「ビールくらいいいじゃん。お酒の内に入らないわよ」
「一応アルコール飲料です。私は未成年ですから」
「硬いなあ。で、いつものように負けた方がお勘定持ち」
「了解です」
 
お互いに相手が押した番号で呼び出された曲を歌う形式である。雨宮先生はいきなり『甘い蜜』を呼び出した。私が歌うと
 
「CDの時よりうまくなってる」
とおっしゃる。
 
この日、私が呼び出した歌はいつもよりあまり気が入らない感じで適当に歌っておられたが、雨宮先生の方は、ローズ+リリーがCDやライブで歌っていた曲をどんどん呼び出して私に歌わせた。
 
「活動停止していても練習はサボってないね」
「当然です。すぐ復活しますから」
「よし。それでなくちゃね」
 
「ところで雨宮先生、もし良かったら、昨年の春に作ったデモ音源、私にも一部いただけませんでしょうか?」
「渡してなかったっけ?」
「頂いてません」
 
「すまん、すまん。でも★★レコードの加藤課長とか、◎◎レコードの林葉課長とかには聞かせたよ」
「はい、その件はご本人たちから聞きました。○○プロの丸花社長も聴いたとおっしゃってました」
 
「あれ、丸花さんには渡してないけど、どういうルートで聴いたんだろう。あ、そうだ。その音源渡すからさ、ケイちゃんも、私とデモ音源作った後、マリちゃんとふたりで吹き込んだデモCDあるんでしょ? それ私に頂戴よ」
 
「あ、はい。それでは御自宅に郵送します」
「あれ、いっそそのままリリースしないの?」
「うーん。売るにはもう少し手を入れたいのですが」
「少なくとも『明るい水』よりマシだと思うけどね」
「あはは」
 
「ケイちゃんひとりで歌ったデモCDは、シモやんの所にも1部置いてたはずだから、そこに行ってコピーさせてもらおう」
 

ということで、私たちはカラオケでたっぷり歌った後、渋谷に移動して、下川先生のオフィスを訪れた。
 
そこはとても明るい、普通のビジネスをしている会社のオフィスのような整然とした所であった。ここに来るのは初めてである。
 
ただ、そこで働いている人たちはみなラフな服装で、みんな机の上に数台のパソコンを置き、作業をしている。これだけ見たらIT関係の会社かと思うだろう。ただ普通の会社と少し違うのは全員ヘッドホンをしていることと机の上に3オクターブほどの鍵盤が置かれていることか。
 
下川先生は、私たちの突然の訪問にびっくりしたようであったが、応接室に招き入れて、ケーキとコーヒーを出してくれた。
 
「ケイちゃんの服装が可愛い。女子高生を満喫してる感じ」
「ありがとうございます。最近開き直ってるんで」
「なるほど。でも、どこにも出かけてなくて良かった。何かあったっけ?」
と下川先生。
 
「うん。今日は4月4日オカマの日だから、私とケイちゃんとオカマ同士連携して親密になろうかと」
「そんな話はありません」
と私が言うと、下川先生は笑っておられた。
 
「モーリー、女子高生とHすると淫行で捕まるよ」
などとおっしゃっている。
 
「あ、それでさ。ローズ+リリーがデビューする少し前に、私がケイちゃんのデモCD作って持って来たでしょ。あれあるよね? 1部コピーさせて」
「ああ。あったはず。ちょっと待って」
 
と言って、下川先生は応接室内の端末を操作して、そのデータを見つけ出した。
「CDにプリントしてあげるよ」
と言って、そのままCDライトの操作をする。
 

「でも下川先生、こういうオフィスでお仕事なさってるんですね」
「そそ。ここが上島ブランドを支える影の生産工場だよ」
 
「下川先生の編曲ってチームワークだったんですか」
 
「うん。ここで働いているのは、みんな有能なアレンジャーばかり。彼らに編曲をしてもらって、それで検査チームでチェックして品質維持をした上で最終的には僕が見て、OKを出せば、それで『下川圭次編曲』の名前で出す。演歌系とかロック系とかアイドル系とか、それぞれ各ジャンルの得意なアレンジャーがいるからね。それで作業分担。他にサウンド制作チームもある」
 
「編曲のマージンは1:2だったわよね」
「うん。印税は下川コーポレーションと、実際に編曲した人と1:2で分ける。だから、自分が編曲した曲がヒットすればけっこうな印税がもらえる場合もある。買い取り式の場合は別だけどね」
 
「まあ実際は大半は買い取り式の方が収入としては大きいでしょ?」
「そそ。とにかく上島の作曲量が半端無いからさ。あいつだいたい年間1000曲くらい書いているから、上島本人で編曲まではできないんだよ」
 
「上島先生は基本的にメロディメーカーですもんね。ご自身で編曲までなさる曲はそう多くないみたいですね」
 
「うん。自分で作曲から編曲までしていたら年間たぶん50曲が限界だよ。だから上島がメロディーを書いた曲は僕のオフィスに持ち込んで、チームワークで編曲する。求められたらサウンド技術者に伴奏音源も作らせる。ここには常勤・非常勤を含めて100名くらいアレンジャーがいるから、ひとり年間30本編曲すれば最大編曲能力は3000曲ってことになるけど、実際の実績としては、だいたいひとり平均年間15曲くらいだね。その7割が上島作品。実際にひとりで編曲する曲数は多作な人で70〜80本、少ない人で4〜5本」
 
「ただ、特別な曲はシモやん自身が編曲してるよね」
「年間20〜30曲だね。『その時』『遙かな夢』『甘い蜜』などは僕自身が編曲した」
「わあ」
「上島がこれはリキ入れてアレンジしてくれと言ったからね」
「ありがたいです」
 

CDがプリントされてきた後で、私たちは下川先生も含めて、ちょっとオフィスを出て、近くの喫茶店に入った。
 
「それで私自身もあの時期って何だか色々なことが同時進行していてよく分からなくなっていて。私たちがメジャーデビューに至った経緯とかで、先生方がご存じのことがあったら教えて頂きたいと思っていて」
 
「メジャーデビューが決まったのは上島フォンだよね」
「ああ、そうだろうね。上島が『その時』を書き上げて、そのまま町添さんに電話したので★★レコードからのデビューが決まった」
 
「やはり上島先生が曲を書いてくださって、それで町添部長に推薦してくださったのは、雨宮先生のご推薦だったんですか?」
 
「まあ推薦というより、たきつけたからね。この子たち凄い子だよ。今にライちゃん、この子たちに追い抜かれるよってね。だから将来のライバルにライちゃんの実力を見せつけてやりなよって」
「わあ」
 
「それでさ、私がさんざんたきつけて『その時』を書いて、すぐシモやんに送って編曲してもらって、それを△△社に送ったでしょ。ところがその翌日にはシモやんの所に「これも編曲お願いできないでしょうか」と言って、マリ作詞・ケイ作曲『遙かな夢』の譜面が送られて来た。その譜面を見て、上島が悔しがってた」
 
「悔しがる?」
「ケイちゃんたちに負けたと思ったからさ」
「えー?」
「上島はもう『その時』を捨てて別のを書いてやろうかとも思ったらしいよ。でも自分が町添さんに電話してすぐデビューさせてなんて言っちゃったから、もう書き直す時間が無かったんだよ」
「きゃー」
 
「でも、雨宮先生が上島先生に私たちのことを話してくださったのは、やはり熱海で『明るい水』のCDをお渡ししてからですか?」
 
「そそ。あれをもらってからすぐ上島の所に持って行って聴かせた。デモ音源の方も聴かせた。何か凄い子たちが出てきたね、と上島も言っていたよ」
 
「あ・・・」
「どうしたの?」
「上島先生、おっしゃってたんですよね。『明るい水』のCDのジャケ写の私たちの顔を見ていたら、何か恋物語のモチーフが浮かんで来たので、それで『その時』
を書いたって。でも、上島先生が★★レコードの廊下で浦中さんと偶然遭遇して、浦中さんが「この子たちに1曲書いてくださいませんか」と言ってお渡ししたCDは4ロット目か5ロット目くらいにプレスしたものだったはずで、ジャケ写は素材集から取った、バラとユリの写真だったはずなんです」
 
「そりゃ私が、ケイちゃんとマリちゃんの写真がジャケ写になっているCDを上島に見せたからね」
「そうだったのか・・・・」
 
「上島が『その時』を書いたのは、私が『明るい水』のCDを聴かせた日だよ。浦中さんから曲を頼まれたのはその数日後だよ。ジャケ写が違うから、最初同じCDということに気付かなかったらしいね。『その時』の譜面は私がケイちゃんに連絡して渡すつもりだったんだけど、浦中さんのルートが来たからそちらに渡した」
 
「あれ?ということは、あの日山折大二郎さんのライブに行く予定をキャンセルして『その時』を書いたというお話は」
「関係無い。ライブは面倒だから最初からキャンセルするつもりだったと思う。上島はめったにライブには足を運ばないよ。時間が惜しいと言って」
「あらら」
 

「あ、そうだ。それでさ。『明るい水』のCDだけど、ここだけの話。あれの中核は実際は『明るい水』じゃなくて『ふたりの愛ランド』だよね?」
「はい。間違いなくそうです」
 
「あのCD聴いた時、『ふたりの愛ランド』だけ、他の曲と毛色が違うと思った」
「そうですか?」
 
「あれもしかしてさ、『ふたりの愛ランド』はケイちゃんがアレンジしたんじゃない?」
 
「ふふふ。それは超機密事項ということで」
「やっぱり!」
「第1ロットと第2ロットで全曲ミクシングが変わっていたのも?」
「うふふ」
「第1ロットは素人のミックスなのに第2ロット以降のは明らかにプロの手だった」
 
「あのCD作った時に、須藤さんは『明るい水』とそれに『七色テントウ虫』に凄くリキ入れて私たちに何度も歌わせたんですけど、私どちらも売れないと思ったんです」
「うんうん」
 
「『ふたりの愛ランド』こそが、私とマリのデュエットの魅力を出せる曲だと思ったから。私としてはあのプロジェクト自体をあまり長く続けるつもりはなくて、本当はそのプロジェクトが終わった後で、あらためてマリとふたりで売り込んでメジャーデビューを目指すつもりだったんですが、前のプロジェクトで作ったCDがあまりにひどかったら、評価してもらえないでしょ? それで最低限の輝きのあるものにしておきたかったんです」
 
「なるほど、それで」
「はい。須藤さんが目を離した隙にちょっとイタヅラを。ついでにほぼ一発録りで練習時間が無かったのでマリの歌がけっこう音を外していたから多少ピッチの修正を。須藤さんってそういうの改変されていても気がつかない性格だと思ったし」
 
「ああ、あの人は物事が全てアバウトっぽい」
「それだから、わがままなアーティストともうまくやっていけるんだけどね」
「マネージャーとしては優秀だけど、プロデューサーとしては才能無いね」
 
なんか須藤さん、無茶苦茶言われてる!
 
「第2ロット以降のはそもそも私がコピーしてもらい再調整していたものを須藤さんがコピーしたものです。須藤さん、まさか再版はあるまいと思って即削除してしまっていたから」
「それはまあ普通そう思うよね」
 
「でもあのCDが4万枚も売れるとは思いませんでした」
「CDなんて何曲入ってようと関係無い。その中に1曲でも光るものがあれば売れるのさ」
 
「逆に光るものが複数入っているようなCDこそレアだよね」
「『甘い蜜/涙の影』はそのレアなCDだね」
「あれ、ひょっとしたら最終的にミリオン行くかも」
「まさか!」
 

「ところでローズ+リリーはいつ頃から再起動するのさ?」
 
「それがちょっと困っているのですが」
と私は正直にその問題を打ち明けた。
 
「マリは親の許可を得ずに歌手をしていたことをめちゃくちゃ叱られて」
 
「まあ叱られるだろうね。ケイちゃんだって叱られたでしょ?」
「私の場合はそれより性別問題で呆れられましたから、歌手活動についてはもう半ばどうでも良かったようで」
「ああ、なるほど」
 
「それでマリはあまりにも叱られすぎて、自信を失ってしまったようなんですよ。元々マリは自分の歌が下手だというのを認識していたので、こんなに下手な歌をお金を取って聞かせてよいものかと悩んでいたというんですよね」
 
「そんなこと言ったらアイドルなんてほとんど全滅」
「私もそれ言うんですけどね。一時期は鼻歌さえも歌えない状態だったのを私とか秋月さんとかで、励まして、何とかまたそのうち歌ってもいいかな、なんて言うほどまでは回復したんですけどね」
 
「ああ、少し休養期間が欲しいのかな。どのくらい休ませて欲しいと言ってるの?」
 
「今マリは500年くらい休みたいと言ってます」
「ちょっと待った」
「あんたたち生きてるの?」
 
「最初は1000年と言っていたのですが、最近やっと500年になりました」
「マリちゃんの心の中の時間なんだな」
 
「実際には、大学受験が終わるまでは仕方無いかなと思ってます」
「ああ、それは逆に休ませてもらってもいいんじゃない?」
「ええ。元々受験の前半年くらいは休ませてくださいと、津田さんとも話していたんですよ」
 
「じゃ実際には大学に入ったら復活という線?」
 
「多分ですね・・・・マリは大学に入ってからは音源制作にはすぐ復帰してくれると思うんですが、ステージへの復帰にはもう少し時間がかかりそうな気がしています」
 
「ああ。でもそれでもいいと思うよ。CDは出すけどライブしないアーティストだっているもん」
「ですね。ただマリ本人はライブはしたいみたいな雰囲気なんですよね」
 
「ふんふん」
「ライブはしたい。でもライブをする自信が無いと言うんです」
「難しいな、それ」
「なんかうまい手がないかね」
 

雨宮先生たちと会った翌日の4月5日。私は町添部長と秘密の会談をした。私はいつものように高校の女子制服を着て電車に乗り、登戸駅で落ち合い、そこからタクシーで小さな料亭に入った。
 
「ケイちゃんも3年生だね。明日新学期からはその制服で通学するの?」
「いえ、学生服で通うつもりですが」
「ふーん。でも今更君が学生服を着ていたら、その方がいろいろ問題起きそう」
 
「3学期は体育は男子更衣室から追い出されて、別途個室で着替えてました」
「あはは。そりゃ女の子が男子更衣室で着替えてたら、他の男子たちが目のやり場に困るよ」
「そうですね」
 
「ケイちゃんって、変な所が意気地が無いというか」
「それこないだ貝瀬日南ちゃんにも言われました」
「ほほお」
 

「マリちゃんの様子はどう?」
「だいぶ落ち着いてきた感じです。まだちょっと人前では歌えない感じですけど」
「その内復活できそう?」
「復活します。今も自信が無いと言いつつ実は歌いたがっています」
「ふーん。ケイちゃんがそう言うのであれば、いよいよローズ+リリーの新しいCDを作ることにしよう」
 
「ああ、既存音源を使ったものですね?」
「うん。多分リリースは君たちのお父さんと約束した期日のギリギリくらいになるかと思う。でも今までマリちゃんの気持ちに配慮して僕は待っていたんだよ」
 
「たぶんもう大丈夫です。先月くらいだとまだ少し怪しかったですけど」
「秋月もマリちゃんと定期的に会ってて、そろそろ行けるのではと言っていたけど、やはりケイちゃんにも確認しておきたかったから」
 
「内面的にはかなり意欲が戻って来ているんですけどね。詩の創作の方はもう完全に復調しましたし」
「なるほどね」
 
私たちはゆっくりとお茶を飲み干した。
 
「君たちが2月にこっそり吹き込んでくれた音源、『長い道』をタイトル曲にするよ」
「わあ」
「『ローズ+リリーの長い道』というタイトルにしようかと思う」
「長い道か・・・」
 
「ローズ+リリーの活動は4ヶ月で停止してしまったけど、これはまだふたりの序章にすぎない。これからふたりは長い道を歩いて行く。そういう意味」
 
私は頷いた。
「私も頑張ります。この長い道を歩いて行きます」
「うん」
 

「一応使用する既存音源だけどね。これを使おうと思っている」
と言って町添さんは曲目リストをプリントしたものを私に見せてくれた。
 
私はリストを眺めて答えた。
「妥当な線だと思います。既存音源を使用してまとめるとなると、実際こんな感じにならざるを得ないでしょうね」
 
「『あの街角で』はどうする?」と町添さんから訊かれる。
 
「あれ、本当はシングルで出したいんですよ」
「うん、僕も出したい」
 
「音源としては2月に録ったのがあるけど、出所を説明できないんですよね。困ったことに。あれ、ラジオ放送で例の大騒動の直前の12月17日に昨夜マリとふたりで『あの街角で』という曲を作りました。春くらいのシングルに入れるつもりです、と私言っちゃったんです。それで20日に例の週刊誌報道があったので、あの曲をスタジオで収録する時間は無かったはずなんです」
 
「なるほど」
「うちの父はかなり軟化しているんですけど、マリのお父さんはまだ頑なだから協定違反がバレると態度を硬化されかねないので」
「うん、それは避けたいね」
 
「いい曲なんですけどね。もう少し時間を置いてほとぼりをさまさないと使えないかと思ってます」
「仕方無いね」
 
「君たちがデモ音源で作ったのはどうしよう?」
「私ひとりで歌った『花園の君』『あなたがいない部屋』、マリとふたりで歌った『雪の恋人たち』『坂道』ですね」
「うんうん」
 
「私がひとりで歌ったものは今あまり表に出したくないです。私はあくまでマリとペアでいたいので。でもマリとふたりで歌ったものは《既存音源》に相当すると思いますよ」
「今回のアルバムに入れる?」
 
「それはどうでしょう。ベストアルバムという趣旨だから、発表された音源を使うべきだと思うのですよね」
「うんうん、実は僕もそう思って、今の所ラインナップに入れてなかった」
 
私は少し考えてからある案を提示した。
 
町添さんは少し考えてから答えた。
「なるほどね。君は策士だね」
 
町添さんは楽しそうであった。
 

「そういえばこないだから、私、関係してそうな人みんなに聞いているんですが」
「うん?」
「私たちがメジャーデビューすることになった経緯が、どうにもよく分からなくて」
 
「まあ上島フォンが最終的な引き金ではあったけど、実際問題として僕は君たちのメジャーデビューは7月の時点で決めていたよ」
「7月? じゃローズ+リリーの結成前ですか!?」
 
「うん」
「でも、どうして?」
 
「そもそもは多分6月だったと思うけど、雨宮君が加藤の所にデモ音源を持ち込んで来たんだよね」
「あ、はい。それは私がひとりで歌ったものを雨宮先生が編集してくださって、随分あちこちに聞かせて回ってくださったみたいで。レコード会社10社くらいから照会がありましたよ。もっとも全部私たちがデビューした後だったんですが」
 
「この世界は早い物勝ちだよ。僕はあの歌を聴いて即、この子をできるだけ早くメジャーデビューさせようと加藤に言ったんだ」
「わあ」
「ところが雨宮君がなかなか捕まらなくてね。あの人、所在がなかなかつかめないでしょ。電話しても留守電だし、メールしても読んでくれないし、自宅にもめったに戻らないし」
 
「あはは、確かに雨宮先生にはこちらからはなかなか接触できないですね」
 
「そんなことをしている内、7月初旬に君の第2のデモ音源を入手した」
「え? 私とマリが歌ったものですか?」
「うん」
 
「誰から? だってあの音源は他の人に聞かせたのは8月なのに・・・」
「まあ、とあるルートだよ。それを加藤と一緒に聴いて、これの片割れはこないだ雨宮君が持ち込んだ音源の子だよね? うん、そうだと思います、ということで」
「きゃー」
 
「それで両方の音源をあらためて聴き比べてみたが、純粋な音楽性ではケイちゃんひとりで歌っている方がいいけど、売れるのは絶対ケイちゃんとマリちゃんが一緒に歌っている方だ、という結論に達した」
 
「そうだと思います。そもそも私ひとりの音源を作った時に雨宮先生もおっしゃったんですよ。この歌には何かが足りないって。それがマリだということに私も気付いて、マリを音源制作に誘ったんです」
 
「なるほど」
「彼女、本人も言う通り音痴だけど、ゆっくりと教えたら結構歌えるんです。ですから、スタジオ借りて半月は音程の練習ばかりしてました。それからやっと、歌を吹き込むに至ったんです」
 
「へー。随分時間を掛けて作ったんだね」
「ええ。じゃ、部長はもう7月の時点で私とマリの歌をお聴きになってたんですか」
 
「そう。でも雨宮君がなかなか捕まらないし、どこかのプロダクションを動かしてこの子たちに接触させようか、なんて話をしている内に、8月に浦中君から、こういう素材があるのだけど、という話が来てCDを聴いてみたら、例の音源の子たちじゃん!ということになって。それなら○○プロに任せるか、というので人数を入れて具体的なプロジェクトが始動した」
「へー!」
 
「ただ『明るい水』はさ、メジャーデビューさせる曲としては使えんと思ったんだよ。『ふたりの愛ランド』は悪くなかったけどカバー曲でデビューというのは避けたい。むしろデモCDの曲を歌わせようかなどと加藤と話したけど、自作曲を歌わせるとシンガーソングライターとみなされる。シンガーソングライターというのはどうしても曲だけで評価されがち。でもこの子はむしろ歌手であって、ソングライターを兼ねているだけ。その微妙な線を活かすには最初は誰か他の人の曲を前面に出した方がいい。それで誰か有名作曲家に依頼して曲を提供してもらおうと言っていた時に、上島君から『ローズ+リリーのために曲を作ったので、よろしく』と電話があったから、よしそれで行こうと」
 
「きゃー、やはり最後は上島フォンなのか」
「そうそう。それで、取り敢えずデビューイベントは、プールのイベントにねじ込んで。でもあのデビューイベントが予想を上回る成功だったからね。即、全国キャンペーンと全国ツアーの予定を組んで会場も押さえた」
 
「凄い。やはり★★レコードの内部って、物凄い速度で進行していたんですね」
「うん。常に先取りして動いて行く。その精神が無いと、この変化の多い世の中を生きて行くことはできないよ」
 
「そのお言葉、肝に銘じます」
 

「君は自分たちはリリーフラワーズの代役として出てきたユニットにすぎないなんて思っていたかも知れないし、以前にも君は『私、代役の天才なんです』
などと言っていたけど、そういう訳で、君たちは決して代役としてこの世界に入ってきたんじゃない。君たちの実力を僕たちが評価して、メジャーデビューを計画した。だから、自信を持ちなさい」
 
と町添さんは言った。
 
「・・・部長、良かったら、その話をマリの前でもして頂けませんか?」
 
「・・・いいけど・・・マリちゃんと食事をするんなら、何かの食べ放題の所がいいよね?」
 
と町添さんは心配そうに言った。町添さんは10月にしゃぶしゃぶ屋さんでマリの凄まじい食欲を目撃していた。
 
「はい、それでお願いします」
と私も笑顔で言った。
 

この私と町添さんの会談を起点に始まった、ローズ+リリーのアルバム制作プロジェクトは、この月の下旬には、私と政子の母にも同席してもらって会食をし、双方の親から制作の承認を得た。
 
一方、私と政子はゴールデンウィークに、政子に唆されてホテルに行き、セックスに等しいくらいに熱いひとときを過ごした。私との愛をしっかり確認できたことで、政子はまた精神的に安定し、自宅にカラオケシステムを入れて歌の練習を再開した。
 
そんな中、私たちはそのアルバム制作に関する打ち合わせで5月中旬に★★レコードまで出かけて行ったのだが、その時、偶然XANFUSと出会い、私たちは久しぶりにお互いハグし合って、友情を確認した。このXANFUSとの友情の儀式で、また政子は音楽活動への意欲を高めたのであった。
 

XANFUSと会った週の金曜日。私は学校で政子に言った。
 
「町添さんからさ、ベストアルバムの製品予定編集版が出来たから、聴きに来てもらえないかって連絡があったんだけど一緒に聴きに行かない?」
 
「★★レコードに行くの?」
「ううん。夕食を兼ねて飲茶の店で食事しながら鑑賞しよって」
「飲茶? ね?それ食べ放題とかある?」
「ああ。その店、夕食時は基本が食べ放題なんだよ。2時間以内だけどね」
「よし、行く!」
 
そういう訳で、私たちは学校が終わると一緒に新宿に出て、飲茶の店に行った。私は校内で女子制服に着替えたので「あれ?それどうしたの?」と訊かれたが「あ、借り物」と答えておいた。それで女子制服同士で手を繋いで下校した。
 
お店には町添さんと秋月さんが来ていた。個室に通される。秋月さんが持参のCDプレイヤーにベストアルバムの試作版をセットして4人でイヤホンで聴く。
 
「ここパネル式になってるから、好きなものを押して確定ボタンを押せばそれを持って来てくれるから」
と町添さんが説明する。
 
「はい、食べます!」
と言って政子は早速、春巻・水餃子・桃饅頭・海老焼売・中華ちまき・小籠包などと楽しそうに注文を入れていた。
 
ずっと私たちが歌う曲が流れていたが、ふと政子が
「私、こんなにうまかったっけ?」
などと言い出す。
 
「マリちゃんは、並みのアイドル歌手よりは上手いと思うよ」
と秋月さんが言う。
 
秋月さんは絶対にお世辞を言わない人なので、政子もその言葉には頷いている。
 
「そうだなあ。ケイと比べちゃうと私下手だけど、貝瀬日南とかよりは上手い気がする」
 
私はつい先週も実は貝瀬日南のライブに招待されて行ってきたばかりだったので、心の中で吹き出してしまった。マリに自信付けさせるのに一緒に連れて行けば良かったかな?
 

この試作版の内容については、私も特に異論や注文を入れるようなものは無かった。ライブ音源から取った曲も丁寧にノイズ除去がされている。下川先生の工房でその作業は引き受けて、サウンド技術者が一週間掛かりで除去したと言っていたが、さすがである。
 
その曲が流れる中、町添さんは先日私に話してくれた話、ローズ+リリーがデビューに至った経緯を再度語ってくれた。
 
「えー!? じゃ、あのケイとふたりで作ったデモ音源を聴いてくださっていたんですか」
 
「私、やっと思い出しました。あの音源、8月まで誰にも聴かせていなかった気がしていたんですが、津田(アキ)先生にだけは出来てすぐお聴かせしたんですよ。だから、そこから加藤課長に流れたんですね? 津田先生と加藤課長は旧知の仲だもん」
 
「情報ソースについては明かせないよ」
と町添さんは笑っている。
「でもマリちゃん」
「はい」
 
「大事なことはね、僕たちはリリーフラワーズの事件が無くても最初から、君とケイちゃんをメジャーデビューさせるつもりで既に動いていたんだよ。だから、君たちは決して偶然の代役でこの世界に来たんじゃない。期待されてこの世界に迎えられたんだから、自信を持ってもらっていい。僕たちはマリちゃんの天才的な詩も、マリちゃんの歌もちゃんと評価していた」
 
「へー、そうだったのかあ・・・」
 
と政子はちょっと嬉しそうな顔をした。たくさん食べてお腹が膨れていることで、積極的な気持ちになっている効果も大きいだろうなと私は思った。
 
「君たちのデモ音源を聴いた時、ケイちゃんとマリちゃんの歌が魂で呼び合っているような素敵なハーモニーを感じた」
 
「KARION的なハーモニーとは別次元のハーモニーですよね、それ」
と私は言う。
 
KARIONという単語に政子はピクッと反応する。この反応も本当に面白い。
 
「そうそう。KARIONのあの周波数がきれいな整数比になる物理的なハーモニーは彼女たちの素敵な財産だけど、ローズ+リリーのハーモニーというのは、心理的なハーモニーなんだ。まるでとても仲の良い恋人が愛を語り合っているようなロマンティックさがあるんだよ」
 
「私とケイは愛し合ってますから」
と政子は言う。
 
「うんうん、それでいいよ」
と町添さんも楽しそうに言う。
 
政子はこの2時間で飲茶の皿を60皿ほど積み上げた。
 

飲茶の店を出た所で町添さんが
「ケイちゃん、マリちゃん、あと2時間くらい付き合ってもらってもいいよね?」
と言う。
 
「はい、問題ありません」
 
それで私たちはタクシーで中野に移動した。駅からそう遠くない所にある中規模なホールに行く。
 
「あれ?ここローズ+リリーでライブしたことのある所だ」
と政子。
 
「そうだね。活動停止前に最後のホールライブをした会場だよ」と私。
 
「何かのコンサートがあるんですか? でも看板が何も出てない」
 
「特別なシークレットライブがあるんだよ。それで招待した客しか来てないから、看板も出していない」
と町添さん。
 
「へー」
などと政子は言っている。
 
私たちが会場に入っていくと、中には30人くらいの客が客席の前の方に集まって座っていた。
 
「あれ、まだお客さんあまり来てないのかな?」
などと政子は言ったが、私たちが入って来た気配に客が振り返り、パチパチパチパチと拍手をする。
 
「へ?」
 
よく見たら、何だか知っている顔ばかりである。
 

詩津紅や紗恵など、政子の数少ない友人たちの顔がある。理桜・圭子・カオルに翠、静香さん。仁恵と琴絵。紀美香。私の友人の奈緒・若葉・有咲、絵里花、貞子・美枝、風花に聖子・美野里。それに政子の母と伯母、私の母と姉が来ている。
 
★★レコードから、先ほどの会食に来ていなかった加藤さん(実はこちらの準備をするため欠席した)、北川さん、吾妻さんなどがいる。
 
「何なの〜? このメンツは?」
 
「ボクとマリのお友だちたち」
と私は言った。
 
「ちょっと待って。これ誰のコンサートなの?」
「もちろん、ローズ+リリーのコンサートに決まってるじゃん」
「えー!?」
 
「内輪の人間だけだからさ。思いっきり歌わない?」
「そうだなあ。。。歌ってもいいかな」
と政子は少し嬉しそうな顔をして言う。
 
「じゃ、衣装にお着替え」
「衣装があるんだ!」
 
私たちが楽屋で可愛いお揃いのミニスカ衣装に着替えて舞台袖に上がっていくと、仁恵がステージ上のエレクトーンの前にスタンバイしている。
 
私はマリを促してステージ中央に出て行った。
 
「こんにちは、マリ&ケイです」
と私は挨拶した。政子がまだ「ローズ+リリー」という名前で歌うことに自信を持っていないようなので、こういう名乗り方をした。
 
「それではつたない私たちの歌ですが、聴いてください」
とマイクに向かって言う。
 

客は30人ほどしか入っていないものの、ちゃんとPAも入っているし(山鹿さんがやってくれた。有咲も助手に入っている)、照明もスタンバイしている。照明の装置は吾妻さんと加藤課長が操作する。
 
私が仁恵に合図を送り、最初の曲の伴奏が始まる。
『甘い蜜』である。80万枚ほどの大ヒットになったシングルのタイトル曲だ。
 
客席は30人ほどしかいないものの、そのみんなが手拍子を打ってくれる。私たちは昂揚した気分の中で曲を歌い終えた。
 
私が短いMCをする。理桜と圭子が手を振ると、マリは手を振り返す余裕を見せた。ステージでこの歌を歌ったのは実は初めてであったが、自宅のカラオケではかなり歌い込んでいたようで、よく歌詞を間違えて歌うマリがこの日この曲に関してはノーミスで歌った。
 
続けて『涙の影』『せつなくて』『遙かな夢』『あの街角で』とマリ&ケイの作品を演奏する。更にはデモ音源で作っていた作品『雪の恋人たち』『坂道』
と演奏して、最後にまた上島先生の作品『その時』を演奏した。
 
政子は昂揚した顔をしていた。物凄く気持ち良さそうだ。
 
「ご静聴ありがとうございました。ローズ+リリーは半年前このホールでライブをやった後、活動停止に陥りましたが、今日同じこのホールでライブしたことでこれからもまた歌をつないで行きたいと思います。今日は私たちのプライベートなライブにお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました」
 
拍手をもらう。お辞儀して下がろうとしたら、拍手がアンコールを求める拍手に変わる。私は政子と顔を見合わせる。
 
「マリ、『花園の君』って覚えてる?」
「あ、うん。たぶん分かると思う」
 
「仁恵、エレクトーン貸して」
「うん」
 
私がエレクトーンの所に座ったので、政子も私のそばに来て、私の左側に立つ。このポジションが政子にとっては心地良いようである。仁恵はステージを降りて客席に座って笑顔でこちらを見ている。
 
フィルインとともに前奏をスタートさせる。冒頭のヴァイオリンソロを今日はキーボードで演奏する。特徴的なヴァンプを入れたところでマリに視線で合図を送り、歌い始める。
 
華やかなトランペットの音色、軽やかなフルートの音色などが響く中、左手で弦楽器の音を、本当にヴァイオリンやチェロで演奏しているかのように弾く。雨宮先生の物凄く凝ったアレンジをエレクトーンで再現していく(音源制作の時はひとつずつ録った)。政子も多少歌詞が怪しい雰囲気だったが、ひとつの流れができると、連鎖記憶的に次の歌詞が頭の中に流れ出てくるようで、割としっかり歌っている。
 
間奏ではギターとヴァイオリンが交互にソロを弾く。音源制作ではヴァイオリンではなく実は胡弓を使ったところである。
 
2番、3番と歌い、最後は長い音符をフェイドアウトさせて演奏を終える。
 
物凄い拍手が来た。30人しかいないのに100人くらいから拍手をもらっている感覚があった。
 
「ありがとうございました。いづれローズ+リリーが完全復活した時はこの曲を先頭に置いたアルバムを発表したいと思います。アンコールまでして頂き、ありがとうございました」
 
こうして、ローズ+リリーは人知れず活動を再開した。
 
 
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【夏の日の想い出・心の時間】(1)