【夏の日の想い出・RPL補間計画】(上)

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2009年5月15日、私と政子は以前ローズ+リリーのライブをしたことのある都内スターホールで、友人たちだけを招いた観客30人ほどのシークレットライブを行った。このライブは、私の母と姉、政子の母と伯母も観覧してたくさん手を叩いてくれた。
 
「冬と一緒に、新しくローズ+リリーを作った時は観客0人だったから、30人なんて凄い進化だね」
などと政子は昂揚した顔で語った。物凄く気持ち良さそうな顔をしていた。私たちは楽屋でステージ衣装から学校の制服に着替えているところであった。
 
「そうだね。次は3000人くらいの所で歌えるといいね」
と私は答えて、政子に熱いキスをした。
 

ライブが終わってから、町添さんが「ちょっとご相談があるのですが」と言い、私と政子、町添さん、それにうちの母と姉、政子の母と伯母の7人だけで近くの洋食屋さんに入った。予約してあったようで個室に案内される。
 
政子が
「料理注文していいですか?」
 
と言った時、一瞬町添さんがビクッとした顔をしたが、すぐに
「いいよ。好きなの頼んで」
と笑顔で言ったので、政子は
 
「わーい」
と言って、ロースステーキ 800g などという恐ろしいオーダーをした。お店の人が
 
「80gですか?」
と訊き直したが政子は
「いえ、800g」
と確認した。
 
「一度にだと冷めちゃうから、200gくらいずつ持って来てもらえます?」
などと言う。
 
「かしこまりました!」
 
「冬は1000gくらい食べる?」
などと政子は訊く。ウェイターさんがビクッとしたが、
「私はそんなに入らないよお」
 
と言い、100gのステーキに温野菜・パスタ添えというので頼んだ。普通なら60gくらいで充分なのだが、政子のオーダーに引きずられて100gも頼んでしまった。
 
町添さんはチキングラタン、姉はポークカツレツ、うちの母と政子の母は
「一緒につまみましょうか」
と言ってシーザーサラダ、政子の伯母はビーフシチューを頼んでいた。
 
ある程度食事も進み、なごやかなムードになってきた所で町添さんは用件を切り出す。
 
「先月、みなさんに制作を承認して頂きましたベストアルバムもだいたい編集が終わりまして、さきほどのライブの前に、ケイさん、マリさんにも現時点での編集版を聴いていただきました。特に問題が無いということでしたので、これでリリースしようと思います。発売日は6月10日の水曜日を考えています」
 
と町添さんは説明する。
 
「水曜日発売というのは、ランキング上位を狙うのに一番良かったんですよね?」
と私はわざと質問した。
 
「そうです。お店が商品を並べるタイミングとランキングの集計のサイクルとの兼ね合いで、水曜日発売というか、実際にはお店はその前日の火曜日から店頭に並べるのですが、これがいちばん有利になるんですよ」
 
「だから、人気アーティストの作品は水曜日発売が多いですね」
と私。
 
「ええ。ローズ+リリーは、★★レコードにとって第一級の人気アーティストですから、水曜日に発売日を設定します」
と町添さんは言う。
 
うちの母も政子の母も「へー」という顔をしながらも頷いている。レコード会社が私たちをVIP扱いしてくれていることを再認識してもらうためにこういう話をした。
 
実際このアルバムは初動が10万来て、週間アルバムランキング1位を獲得する。
 

「それでですね、今回のアルバムに入れていない曲で、ちょっと気になるものがありまして」
と町添さんは本題に入る。
 
「実はマリさん、ケイさんがデビューする以前に、おふたりでデモ音源を作ってあちこちに売り込んでおられまして」
 
「あんたたち、そんなことしてたんだっけ?」
 
私は主として政子の母の方を向いて説明する。
「あれはですね、私がこんな感じで女の子の声が出ることが、政子さんにバレてしまいまして、政子さんが面白がって『女の子ふたりのデュエットしようよ』と言って、それでふたりで作った曲はたくさんあったので、その中で特にデュエットで映える曲を2曲選んで、スタジオを借りて吹き込んだんですよ」
 
「ああ、なるほど。冬ちゃんって、1年生の頃は男の子の声で話していたけど、最近はそんな感じでいつも女の子の声ですね」
と政子の母。
 
「ええ。私みたいな人を両声類、両方の声が出る類なんて言うんですけどね」
「へー!」
 
「あんた、どっちの声が本当の声なの?」
と姉から尋ねられる。
 
「どちらも本当の私の声だよ、お姉ちゃん。どちらもストレス無く出せるから。右手と左手とどちらも使える人なんかと同じようなものだよ。私、声変わりが始まった小学5年生頃から練習してどちらの声も出るようにしてたんだ」
「ふーん」
 
私はまた政子の母に向いて語る。
 
「それで私と政子さんとのデュエットの音源を作ってみたら凄く良い出来で、何人かに聴かせたら、これ売れるよ〜なんて言われまして。それで私も民謡関係とか、スタジオ関係とかで多数のレコード会社やプロダクションにコネがあったので、結構あちこちにバラまいてみたんです」
 
「あ、じゃ元々歌手を志していたんですか?」
 
私はその点について説明する。
 
「当時、歌手というのは『なれたらいいな』という半分夢のようなものでしたが、もしデビューできた場合は、私は政子さんと、学業に本当に負担が掛からない程度の範囲、土日限定くらいで活動することを考えていましたし、そういう契約をするつもりでいました。もちろん事前に政子さんの御両親にも承諾を得られるようにきちんと説明させて頂くつもりでした。それが昨年は私自身もよく分からない内に、契約もまだ結ぶ前の段階で、何だか物凄いことになってしまって、政子さんには本当に申し訳無かったと思っています」
 
と私はあらためて政子の母に謝った。政子の母は優しく頷いている。
 
「それでその時に音源をばらまいていた中で、知人に配った音源のコピーのひとつが、加藤課長まで流れていき、町添部長も聴いてくださって。そもそも私たちのデビューって、それを聴いた町添部長が『この子たち良い!』と言ってくださって決まったらしいんですよ」
 
「あら、そうだったんだ!」
 
その点について町添さんが説明する。
 
「そうなんです。世間ではローズ+リリーは8月に唐突に結成されたユニットだとか代役で適当に作られたユニットなどと思われていますが、★★レコードではおふたりが作った音源の出来が素晴らしかったので、実際は7月から既におふたりをメジャーデビューさせようというプロジェクトが進行していました」
 
「へー!」
と、うちの母・姉も政子の母・伯母もその件は初耳だったので驚いている。
 
「実際勧誘する前に身元調査も実は実施させて頂いて」
「あらあら」
「おふたりとも、とてもまじめな女子高生だという報告をもらいました」
「うんうん。興信所の人、私を女子高生としか思ってなかったらしい」
 
「まあ、冬は女の子にしか見えないよね」と政子。
 
「あと、大量にデモCDばらまいてたから、実は、私たちが★★レコードからデビューした後で、あちこちのレコード会社10社くらいから、その音源のことで照会があったんですよ」
と私が言うと
 
「えー!?」
とみんな驚いている。
 
「まあ、こんなのは早い者勝ちですね」
 
と町添さんは笑いながら言う。しかし★★レコードが私たちを独占できたのは上島フォンのおかげであっという間にCDを出したからだろうなと私は思った。
 
そして更に町添さんは説明する。
 
「ですから、私たちはケイさんとマリさんを本当に評価して、そしておふたりの歌を広めることがたくさんの人々を喜ばせ、元気付けることになると思ってこの世界に迎え入れたのだということだけは、お母様たちにも知っていてもらいたいと思います」
 
母たちは感心したように頷いている。こんな話は例の騒動の直後にはとてもできなかった話である。
 
「それでですね、その時のデモ音源はケイさんの友人知人の間、レコード会社などにはかなり出回ったようなのですが、これも既存音源だし、リリースできないかなという話が先日出てきまして」
 
「その音源をそのまま発売するんですか?」
と私の母が尋ねる。
 
「発売するとしたら、おふたりの声だけそのまま使い、楽器演奏部分は生の演奏に差し替えようと思います。今回のベストアルバムと同じ方式です」
 
「なるほど。うちの娘や政子さんに負担が掛からなければいいと思います」
と、私の母は私の女子制服姿を見つめながら言った。
 
私はドキっとした。さんざん他人からは「お嬢さん」とか「娘さん」とか言われていたが、母が自分で私のことを「娘」と言ってくれたのはこの時が初めてであったと思う。
 
「こちらも、娘や冬ちゃんの時間が取られないのなら問題ないです」
と政子の母も言う。
 
「ただ、新しいCDの発売に関しては、マリさん・ケイさんのお父様との約束で6月19日までということになっていたのですが、今から制作を進めてもこれに間に合わないのですよね」
「ああ」
 
「それでケイさんと少し相談したのですが、元々デモ音源として作ったものだし、売るのではなく無料でネットに公開しちゃったらという話になりまして」
 
「あら、でも新たに伴奏を入れる費用が掛かるのでは?」
「その費用は私とマリが共同で負担するつもり。だから★★レコードさんには迷惑掛けないよ」
と私は言った。
 
「私たちはどうせ印税でたくさんお金もらうからね。もらったお金から経費を除いた額の半分が税金で取られること考えたら、むしろどんどん費用は発生させたいくらい。あの大騒動でファンの人たちにも心配掛けたから、少しその印税を還元してファンサービスかなと思っているんだけどね」
 
「そうだね、そのくらいサービスしてもいいかもね」
 
「あの騒動以来、私にもマリにもたくさん励ましのお手紙もらったから、それにも少しだけ応えようかなと思って」
 
「うん、いいんじゃない?」
と私の母は言い、政子の母も
「そうだね。随分プレゼントでおやつとかももらったしね」
と言った。
 
そういうことで『雪の恋人たち/坂道』の「無料配布」が決まったのであった。
 
その間に政子はステーキ800gをペロリと食べ、とても満足そうな顔をしていた。ちなみに私は100gのステーキを半分残してしまったので、それも政子が食べた。
 

その翌日土曜日。
 
私が自宅で受験勉強をしていたら、居間にいた母が「冬〜、ちょっと来て」と言う。
 
何事だろうと思って出て行くと
「ねえ、この人あんたたちの曲を書いてた人じゃない?」
と言う。
「え?」
 
テレビの画面を見ると、誰かの訃報のようで、私は母の言葉から一瞬、上島先生が亡くなったのかと思ったのだが、亡くなったのは鍋島康平さんであった。『明るい水』の作者だ。
 
「大変だ!」
 
私はすぐに津田社長に連絡を取り、このニュースに気付いてなかった政子にも連絡を取って、取り敢えず通夜に駆けつけることにした。
 
「お姉ちゃん、喪服貸してくれない?」
「あんた学生なんだから、制服でもいいんじゃないの?」
「学生服では行きたくないよ」
「あんた、こないだ女子制服着てたじゃん」
「あれは友だちから借りたんだもん」
「ふーん。やはりこういう時のためにちゃんと自分用の女子制服作っておきなよ」
「うん、今度ね」
 
ということで姉が喪服を貸してくれたので、それを着て母から借りた真珠のネックレスを付け数珠を持ち、私は津田社長・政子と某所で落ち合い、一緒に通夜の行われる場所に向かった。政子も喪服を着て真珠のネックレスを付けていた。お母さんのを借りたらしい。香典は私たちは幾ら包めば良いのか全く見当が付かなかったので、津田さんに取り敢えず立て替えておいてもらい、後で精算することになっていた。
 
(後で私も政子も100万ずつ払ったが津田さんから「まだ君たちは若いからこのくらいでいい」などと言われた。ホントにこの業界の冠婚葬祭相場は恐ろしい)
 
かれこれ50年以上作曲家として活動してきた人なので、物凄い数の弔問客が来ていた。マスコミも大量に居る。私たちが会場に入っていくとパチパチとフラッシュが焚かれ写真を撮られるが、実際問題として会場入りする人は全員撮られている感じであった。
 
受付で「△△社代表取締役社長・津田邦弘」「ローズ+リリー・ケイ」
「ローズ+リリー・マリ」名義の香典(重かった!)を出し、記帳もする。そして会場内の椅子に並んで着席した。
 
しばらく読経の声など聞いていたら、肩をトントンと叩かれた。
「おはようございます、丸井さん」
と私は顔がほころぶ。
 
それは上島先生の奥さんのお友だち、丸井ほのかさんだった。11月に上島先生の御自宅を訪問した時、上島先生の手がすくまで、ずっと私たちのおしゃべりの相手をしてくださっていた。
 
「おはよう、ケイちゃん、マリちゃん。あ、そちらは津田さんでしたっけ?」
「はい。おはようございます、丸井さん。ご無沙汰しておりました」
と津田社長も微笑んで挨拶する。
 
「私、こういう場って苦手だわあ、あ、その列に行こう」
と言って、椅子を動かすと私たちの列に来て、マリの隣に座った。巨体なので座るだけで風圧を感じる。
 
「丸井さんも鍋島先生の曲を歌っていたんでしたっけ?」
「1度だけ頂いたことあるのよ。売れなかったけどね」
「へー」
「でも鍋島先生のヒット曲の数って物凄いですよね」
「うん。たぶんゴールドディスクが50枚くらいあるはず」
「凄いなあ」
 
「最後のゴールドディスクがあんたたちの『明るい水』だよね」
「え?」
「10万枚売れてるでしょ?」
「確かに・・・雀レコードの分と★★レコードの分がレコード番号違うから、集計上は該当しないけど、両者合わせると越えてるから実質ゴールドですね」
 
「あんたたちみたいな若い世代の歌手が最後のヒット曲を出してくれて、先生も幸せな気分で逝けたんじゃないかなあ。たぶん10年ぶりくらいのゴールドだったと思うもん」
「ああ」
 
政子もこういう場は苦手な感じだったが、その後は丸井さんが色々おしゃべりを仕掛けてくるので、気が紛れて良かったようであった。
 
やがて焼香が始まるが、焼香のために前に出て行く人を見ていると大御所的な大物歌手や大先生クラスの作詞家・作曲家がぼろぼろいる。
 
「なんか作詩家協会、作曲家協会の人が総勢でここに来ている感じ」
などと政子が言ったが、丸井さんは
 
「たぶんそんな感じだと思うよ」
と言う。
「**先生とか**先生とかも鍋島先生のお弟子さんだし、昔レコード会社の専属で曲を書いていたような人の大半が、鍋島先生との関わりがあると思う」
 
「私も△△社を立ち上げて初期の頃から、鍋島先生には随分お世話になりまして」
と津田さんも言っている。△△社は1980年創業らしいので、かなり長い付き合いだったのであろう。
 
「売れてなくても実力のある人には曲を書いてくれていたから、それをきっかけにスターダムに登った歌手も多い。あ、あんたたちもその口になるよね」
「そうですね。全く無名でしたから」
「だから、あの人ほんとに多作だったよ。生涯に書いた作品は1500曲くらいあるかもね」と丸井さんは言っていた。
 
うん、普通はそういう曲数で「多作」と言うよなと私は思った。あのモーツァルトでさえ最後の作品『レクイエム』のケッヘル番号が626、モーツァルトの倍近く生きたので作品数の多いバッハのBWVも1120までである。
 
やはり上島先生の作曲数って非常識だ!
 

翌週の日曜日に鍋島康平先生の、レコード協会葬が行われた。私と政子は改めて喪服を着て、津田社長とともに葬儀に出席したが、慌ただしかった通夜の時と違い、葬儀はみんな少し余裕があったせいか、私と政子がいる所をテレビ局に見つかり、一言求められた。私が代表して答える。
 
「生前は一度しかお目にかかれませんでしたが、物凄くエネルギーの強い方だと思いました。思えば、私とマリがお目に掛かった時はもう体調を落としておられた時期ではないかと思いますが、そんなことを感じさせない方で、まるでまだ『男の子』と言った方がいいくらい、茶目っ気もユーモアもある、素敵な方でした」
 
と私はカメラの方を見て答えた。
 
「ローズ+リリーさんの『明るい水』が鍋島先生の最後のヒット曲になりましたね」
 
「はい、それを先日のお通夜の時も別の歌手の方と話していたんです。あれはふたつのレコード会社にまたがってしまったので正式には認定されていませんが実質ゴールドディスクですよね」
 
「『明るい水』もホントに楽しい曲だよね、今ここで歌いたいくらい」
 
と唐突に政子が言い出す。
 
「それは、ぜひ歌ってあげてください!」
とテレビ局のレポーターが扇動する。向こうも内心マリの言葉に驚いたろうが、そのあたりはマスコミの人である。ノリが良い。
 
「歌っていいの?」
と政子は私に訊いた。
「先生の旅立ちを送るのにふさわしいと思うよ」
と私が言うと、政子は唐突に歌い出す。おーいキーが違う!と思いながらも私もそのキーに合わせて、ワンコーラス一緒に歌った。
 
私たちの生歌はしっかり全部、このテレビ局系列で全国に流れたようであった。
 
ローズ+リリーの半年ぶりの生歌だったので、反響が凄かった。もっとも速攻で転載されたyoutubeには「キーが違うよね」というコメントがたくさん付いていたが。
 
「マリちゃんが先に歌い出してるからマリちゃんの勘違いだね」
「マリちゃんだから音感違いだね」
「ケイちゃんは性違いだね」
 
しかしこの時の私たちの即席パフォーマンスが鍋島先生のお弟子さんたちにとても好意的に捉えられて、それで翌年一周忌の時に、私たちに追悼番組の司会をさせようという話が来たらしかった。
 

ところで10日ほど時を戻して、2009年5月15日の「内輪だけのライブ」を町添さんは録画させていた。そして何人かの人に見せたらしい。
 
後で聞いてみると、確実に見たのは、丸花社長・浦中部長・前田課長といった○○プロ関係、△△社の津田社長、∴∴ミュージックの畠山さんとKARIONの3人、ついでに青島リンナ、XANFUSのふたり、上島先生・雨宮先生・下川先生、といった所のようである。他にお願いしてアスカにも見せてもらった。
 
KARIONの小風たちやリンナ、XANFUSの光帆たちにしても「この映像見てマリちゃんが元気なので安心した」と言ってくれていたし、和泉は別の意味で刺激されたようで「私、絶対負けないからね」と言っていた。アスカは
「まあ、このくらいは歌ってもらわなきゃ冬のパートナーとしては認めてあげられないね」などと言っていたが、楽しそうな顔をしていた。
 

5月下旬にお会いした時、雨宮先生が言っていた。
「あのライブのアンコール曲、『花園の君』を聴いた時にさ、上島の顔色が変わったよ」
「え?」
「もうメラメラとした瞳をしてたね。物凄く闘争心が刺激されたと思う」
「きゃー」
と言ってから私は聞き直す。
「でも、あの曲はデモ音源で上島先生、一度聴いておられますよね?」
 
「当時は聞き流してるからね。それにケイちゃんひとりで歌ったのを音だけで聴いたのと、マリちゃんとふたりで歌ったのを映像で見たのではインパクトが違う」
「はあ」
 
「ケイちゃんさ」
「はい」
 
「これからも機会ある度に、マリちゃんにステージの経験を積ませなよ。受験勉強中でも音源制作とか仕掛けなよ。あの子、きっとステージを経験する度に、心の中の時計の針がどんどん進んで行って復活の時が近くなるよ」
「そうですね」
 
「あと良い作品ができたら私に見せて。色々指導してあげる」
「はい、それはお願いします」
「指導料は年間200万か私との愛人契約か」
「200万お支払いします」
 
「まあいいや。あとさ、ケイちゃんとマリちゃんってレスビアンなんでしょ?」
「そうですけど」
「たくさんHするといい。それでまた心の時計が進むよ」
「そうかも知れませんね」
 
「レスビアンのテクを伝授してあげようか?ふたりまとめてでもいいけど」
「却下です」
「ケイちゃんのケチ」
 

ところで、私たちが昨年12月に活動停止する直前、上島先生は私の所にMIDIデータをメールしてきて
「何か面白い曲ができたから、使って」
と言ってきた。
 
それは『間欠泉』という、私とマリが交替でメロディーラインを歌う、ちょっと格好いい曲であった。私はそれを『あの街角で』とセットにして春頃に発売したいと思っていたのだが、例の騒動で吹き飛んでしまった。
 
それで私はこの楽曲の取り扱いに苦慮していたのだが、雨宮先生とそのライブのビデオの件を話していた翌週、また上島先生から連絡があり、
 
「新曲を書いたから、何かに使って」
と言ってMIDIデータがメールされてきた。
 
『砂漠の薔薇』という作品で、見た瞬間、これは私とマリが書いた『花園の君』
のアンサーソングだと直感した。物凄くリキの入った作品だった。
 
私は直接上島先生に電話して尋ねた。
 
「また新しいのを頂いたのですが、前回の『間欠泉』はどうしましょうか?」
「今回のを含めて、君たちがリリースできる時になったら使って。いつになってもいいから」
 
「リリースするのがもしかしたら数年後になるかも知れませんが」
「うん。それでも構わない。他の歌手に横流ししたりはしないから」
「分かりました。済みません」
 
「マリちゃんに言ってあげて。『花園の君』は天才詩人の詩だと思ったって」
「ありがとうございます」
 
そのことを政子に言ったら
「まあ当然だね。私は天才だから」
と答えていた。政子もかなり調子が上がってきた感じであった。
 

8月5日。私と政子は雨宮先生と一緒に千葉県某所の写真スタジオに行き、密かにヌード写真を撮り合った。その帰り道、雨宮先生は私たちを今度は録音スタジオに連れていき、未発表曲を14曲、歌だけ録音した。
 
その3日後、8月8日。私と政子は△△社の甲斐さんから「受験勉強の息抜きにどう?」と言われ、チケットをもらって、仁恵と礼美を誘い夏フェスを聞きに横須賀まで行った。興奮した私たちはその後、横浜市内に移動し夜間のプールで泳ぎ気持ちを鎮めた。私たちはプールでたっぷり泳いだ後、横浜駅近くのマクドナルドで軽食を取りながらおしゃべりをして解散した。
 
しかし私も政子もまだ何か不完全燃焼的な思いを持っていた。
 
横浜駅から東京に戻ろうとしていた時、コンコースでバッタリと丸花さんに遭遇した。
 
「あれ、ケイちゃん、マリちゃん」
 
「おはようございます」
と私は微笑んで挨拶した。政子は丸花さんとは面識が無かったのだが、私の挨拶で政子も芸能界の人かというのに気付いたようで
 
「おはようございます」
と挨拶する。ちなみに時刻は22時すぎであった。
 
一緒に来ていた仁恵が察して「じゃ私たち先に行くね」と行って礼美を促し、切符売場の方に行く。私と政子は丸花さんとしばし立ち話をした。
 
「へー、サマー・ロック・フェスティバルに行って来たんだ? ローズ+リリーも出場したんだっけ?」
「いえ。私たちは引退した身だから。ただの見物客です」
 
「ローズ+リリーが引退したなんて思っているのは、世界中できっとマリちゃんのお父さんくらいだよ」
と丸花さんは言った。政子も笑っていた。
 
「そうだ。君たち、少し時間取れる?」
「今からですか?」
「うん」
「何だか面白そうだから付いて行きます」
 
などと政子が言うので、私たちはそれぞれ家に連絡して、丸花さんに付いていくことにした。私は母に津田先生の元上司という言い方をした。それで母は安心したようであった。政子のお母さんは私が一緒だというので安心したようであったが、気を回しすぎで
 
「政子、コンちゃんは持ってる?」などと訊く。
「ああ、冬がちゃんと持ってるよ」などと政子。
 
私はちょっとちょっと、と言いたくなったが、話を複雑にすることもないので取り敢えず放置した。丸花さんが笑っていた。
 
丸花さんは私たちを連れて駐車場に行き、自分の車に乗せた。カムリである。丸花さんは「助手席に荷物たくさん置いちゃったから御免、リアシートに座って」と言って、私たちを後部座席に乗せた。
 
「この車広ーい。2月に秋月さんに乗せてもらったのと同じくらいかな?」
「よく分かるね。あれと同じシリーズだよ」
「へー」
 

丸花さんの車は横須賀方面に走る。こんな時間からあちらで何があるのだろうと思ったら、やがて今日サマフェスが行われた会場に着いてしまった。
 
「ささ、降りて、降りて」
と言って私たちを降ろす。
 
「ここで何かあるんですか?」
「まあ来てごらん」
と言って丸花さんは私たちを連れてメイン会場の方に行く。警備の人が立っていたが、丸花さんがIDカードを見せると、すんなり通してくれた。
 
「ここ広いですね」と私。
「ケイと昔、話したんですよ。まだ私たちがデビューする前ですけど」と政子。
「ふんふん」
「私たちが作った歌が売れて、何万人もの観衆を前に、ケイとふたりで歌を歌えたら気持ちいいだろうな、なんて」
 
「それはそう遠くない時期に実現すると思うけどね」
と丸花さんは言った。
 
やがて丸花さんは私たちをステージの所まで連れていく。階段を登っていく。私たちもそれに続いた。
 
「見てごらん」
と丸花さんは言った。
 
空には居待ちの月が銀色の光を放っていた。
 
私たちはステージから広い会場を見た。素晴らしい景色だ。私はそこに何万人もの観衆がいる状態を想像した。興奮する!
 
「僕が初めてケイちゃんと会った時にさ、ケイちゃん野外会場のステージの上で、月の光の中で『ミラボー橋』を熱唱してたね」
「はい」
 
「へー。ケイってそんなことしてたんだ」
 
「あれはコンサートの前夜だった。今はコンサートが終わった後。明日朝からこのステージは解体される。その前に、君たち、ちょっとここで歌ってみない?」
 
「あ、どうしようかな・・・」
などと政子が迷うように言うので、私はそっと政子にキスをした。
 
「えへへ。やはり私歌ってみようかな。実はまだ昼間のライブの興奮が抜けてなくて」
「うん、ボクもだよ。一緒に歌おう」と私。
 

「でも何歌う?」
「そうだね。取り敢えずウォーミングアップで『Au clair de la Lune(月の光に)』」
「ウィ」
と政子はフランス語で答える。政子は英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・イタリア語(トスカーナ語)・タイ語・中国語(北京語)がぺらぺらである。但し発音は適当である!
 
「最初の音はこれ」と言ってドの音を教えてから一緒にユニゾンで歌い出す。
 
「Au clair de la Lune, Mon ami Pierrot,
Prete-moi ta plume, Pour ecrire un mot.
Ma chandelle est morte, Je n'ai plus de feu;
Ouvre-moi ta porte, Pour l'amour de Dieu」
 
(月の光の下。お友だちのピエロさん、ペンを貸して。手紙を書きたいの。蝋燭が死んでしまったから、火が無いの。扉を開けて。神の愛のために)
 
勘ぐると結構意味深な歌詞だが、フランスでは誰でも知っている童謡である。
 
ドドドレミレドミレレド、レレレレシシレドシラソ、といったシンプルなメロディーはまるで発声練習だが、私の目的も政子にまず発声練習させることだった。
 
丸花さんがパチパチパチと拍手をして
「Merveilleuses (素晴らしい)」
と褒めてくれる。
 
「でもケイ、私たちの歌も歌いたい」
「そうだね。じゃ『遙かな夢』」
「よっしゃ」
 
最初の音を教えてあげて一緒に歌い出す。
 
私たちは更に『涙の影』『あの街角で』『100時間』『坂道』と歌っていった。私たちが作った歌を全部で10曲くらい歌った。
 
丸花さんはずっと手拍子を打ちながら聴いてくれた。
 
「なんか結構満足した」
と政子は昂揚した顔で言った。
 
「マリちゃん、あとどのくらいでステージに復帰できそう?」
と丸花さんが訊く。
 
「こないだまでは500年くらい掛かるかなと思ってたけど、250年で行けそうな気がしてきました」
 
「うん。マリちゃんが250年復帰に掛かるんなら、僕も頑張って後250年生きるよ」
「ほんとですか? じゃ、それまで250年間頑張って練習に励まなくちゃ」
「うんうん、頑張って」
 

「もう遅くなっちゃったね。東京まで今から帰るのも大変だし、どこか泊まっていく?」
と丸花さんは会場を出ながら言う。
 
「あ、それもいいかな」
「じゃ、適当なホテルに付けてあげるよ」
 
そう言うと、丸花さんは私たちを横須賀市内の何だか素敵な外見のホテルに連れて行った。フロントで話をしている。
 
「今夜は君たちが素敵な歌を聴かせてくれたから、ホテル代は料金代わりね」
と言ってキーを渡す。
 
「わあ、ありがとうございます」
と言って政子は鍵を受け取った。
 
私たちはボーイに連れられてエレベータで最上階まで上がった。丸花さんが手を振って、私たちは会釈して、別れて、政子と一緒の部屋に入る。
 
素敵なお部屋だった。
「ここ高そう」と私。
「なんだか広い部屋だね。私が子供8人くらい産んでも一緒に泊まれそうだ」
「マーサ、8人も子供産むの?」
「そのくらい居たら、賑やかでいいじゃん」
「確かに賑やかだろうね」
「私ひとりっ子だからさ。お姉ちゃんとか妹とかいる、賑やかな家庭に憧れてたんだよ、小さい頃」
「ああ」
 
取り敢えずシャワーを浴びたら、少しだけ気持ちが鎮まった。
 
「少し落ち着いたけど、まだエネルギーが余ってるな」と政子。
「はい、どうぞ」
 
と言って、私はその日仁恵からもらった英語のノートを渡す。最初のページに昼間私がその英習字用に書かれた4本線をむりやり五線紙として使用して書いた曲が書かれている。
 
「よし」
と言って、政子はバッグから愛用のボールペンを取り出すと、ノートを数ページめくった所に詩を書き出した。なんだかフランス語で書かれている!
 
「Ecrive-tu en francais ? (フランス語で書くの?)」と私が訊くと
「Oui, Oui. Mais je la vais tranduire en japonais, demain, Mon amie Pierrot.(うん。うん。でも明日、日本語に訳すよ、女友だちのピエロさん)」
と政子は答える。
 
それで政子はその夜、フランス語で詩を5篇も書いた。
 
「よし。曲を付けて」
「一晩に5曲は無理だよ〜」
「じゃ、取り敢えず1曲でいい。最初はこれ」
「じゃ曲付けるからそれ日本語に訳してよ」
「明日やる」
「フランス語のまま曲を付けたら音符の数が合わなくなるよ」
「だから私が日本語に訳した状態を想像して曲を付ける」
「分かった、分かった。しょうがないなあ」
 
それで私は政子のフランス語の詩を眺めて、意味は考えずにただその文字の流れに含まれる波動のようなものを感じてそれに沿って曲を付けていった。英語ノートの四線の上に1本線を加えて五線紙として使用する。
 
「お、できたね」
「ちょっと疲れた」
「これで私が明日訳す詩と合う?」
「合うと思うよ」
 

「よし、それじゃ今夜は寝よう」
「うん。Hするよね?」
「しないよ〜。だってボクのおちんちんが立たないの知ってるでしょ?」
 
「今夜は立つと思うよ。だってあんなに興奮したんだもん」
「そう?」
「やらせて、やらせて」
 
と言うので、私はタックを外した。楽しそうに触っている!
 
そしてそれは5分ほどで立ってしまった。
 
「嘘みたい」
「冬、男の子の機能回復したんだよ」
 
これが立ったのは本当に1年ぶり近かったのでびっくりした。
 
「機能回復なんてしなくていいのに」
「ふふ。このまま私のに入れて」
「あ、それはたぶん無理」
 
と私は言ったが、実際にそれは政子が手を離すとすぐに縮んでしまった。そしてその後はどうやっても立たなかった。
 
「うーん、まだまだか」
「だってボク女の子だもん」
「冬が女の子なのは知ってるけどさ。しょうがない。またタックして」
「了解」
 
そして私はタックして女の子の股間にし、それからふたりで抱き合ってベッドに入った。
 
私たちの興奮はまだ冷めていなかったので、その晩はとても熱く愛し合った。こんなことをする時に、枕元にコンちゃんを「御守り」として置いておく約束をしていたのに、そのことを忘れてしまうくらい、私たちはその晩、激しくお互いを求め合った。
 

朝になって目を覚ます。
 
政子はとても満足そうな顔をしていた。
 
「ねぇ、冬」
「なあに?マーサ」
 
「私さあ、昨夜丸花さんにステージ復帰まで250年掛かるって言っちゃったけど」
「うん」
「200年で行ける気がしてきた」
「うん。じゃ200年、練習頑張ろうね。250年掛けて練習するのより少しペース上げなきゃ」
 
「ね、私、スタジオで歌うってのも、またやってみたい。こないだ雨宮先生と録音したのは凄く慌ただしかったからさ、今度は2〜3日掛けてゆっくりと練習してから吹き込むの」
「ああ。いいんじゃない。じゃ、スタジオに行く前にも何日か練習しようよ」
「うん」
 
その日の朝、政子が本当に満足そうな顔をして帰宅したので政子のお母さんは政子に訊いたらしい。
 
「冬ちゃんとしたの?」
「したことになるのかなあ・・・・でも冬と私の信頼関係はまた深くなったよ」
と政子は言った。
「うん。うん」
 
と政子のお母さんは優しく頷いたという。
 

そしてその日の午前中、政子は昨夜書いた詩を日本語に訳したが、
 
「すごーい。ぴったり収まったよ」
と言って、私の書いた譜面の下に歌詞を書き入れたものをFAXで送ってきた。フランス語のタイトルは、Clair de la lune, murmures des etoiles
(月の光と星のささやき)だったのだが、日本語のタイトルは『夜宴』になっていた。私は一瞬「なぜだ〜!?」と叫びたくなった。訳詩も超訳だ。
 
「これって冬があの詩を自分で訳しながら音符を入れたの?」
「違うよ。マーサの詩を書いた心を感じながら曲を付けただけだよ」
 
「そっかあ。私たちって、心が響き合ってるもんね」
「そうだよ。だって、ボクたち愛し合ってるもん」
「うん」
と政子は元気に答えた。
 

ところで私は例の大騒動の後で父と「大学受験が終わるまで歌手活動は自粛する」
ということを約束したのだが、自粛を約束したのは、あくまで「歌手活動」である。それで私は「音楽活動」は結構やっていた。
 
2009年6月に私は△△社の津田社長と∴∴ミュージックの畠山社長の秘密会談を設定し、その会談における密約に従って、マリ&ケイで作った曲の一部を「鈴蘭杏梨・作詞作曲」の名義で△△社の新人女子大生デュオ、kazu-mana に提供し、町添さんは「ケイちゃん・マリちゃんの作る曲を歌うのなら」と言って、彼女たちのCDを★★レコードから発売した。(まるで1年前にローズ+リリーが「上島先生の曲なら」と言われて同社からメジャーデビューした時のようである)
 
鈴蘭杏梨がマリ&ケイの変名であることは、公表していないし、問い合わせがあっても「申し訳ございませんが、鈴蘭先生のプロフィールは公開しておりませんので」としか回答しないことになっているものの、ローズ+リリーの熱心なファンの間では「間違いなくそうだ」と考えられていて、その層が注目して口コミを広げてくれたこともあったようで、kazu-mana は、△△社のアーティストとしては当時、ピューリーズに次ぐセールスを上げていた。
 
つまり kazu-mana は正式にそう分類されているわけではないが、実は最初の「マリ&ケイ・ファミリー」である。また、kazu-manaの活動自体がずっと休養していたローズ+リリーのファンのテンション維持に大きく貢献してくれたと思う。
 

一方で私は水沢歌月として、和泉(森之和泉)とペアでKARIONの楽曲作成も続け、更に「蘭子」として、KARIONの音源制作にも参加していた。
 
2009年の前半では、2月にアルバム『みんなの歌』、3月にシングル『恋愛貴族』、そして6月に『愛の悪魔』の音源制作を行い、これに私はメインのボーカルには参加していないものの、作曲者、キーボード奏者/ヴァイオリン奏者、およびコーラス隊として参加。また和泉と共同で、これらの作品をプロデュースしている。
 
昨年2008年の前半は、プロ歌手になってしまった和泉と、まだデビュー前であった私との間に、お互い意識しないようにはしていたものの、微妙な心理的な壁があったのだが、私がローズ+リリーとしてメジャーデビューした後は、同じ立場になったという認識から、ふたりの間の壁は完全に消えてしまい、私と和泉は本当に何でも遠慮無く言い合い、作品を洗練させて行った。
 
森之和泉+水沢歌月(ファンの間では「泉月」と略称される)ベースの最初のCD『秋風のサイクリング/水色のラブレター』が5.6万枚しか売れなかったのに次のCD『優視線/広すぎる教室』が30万枚も売れたのはTVCMの効果もあるにはあったが、やはり作品制作過程における私と和泉の間の心理的な意思疎通の問題も大きかったと思っている。その後のKARIONの作品は全て20万枚程度以上売れている。(『恋愛貴族』24万枚、『愛の悪魔』28万枚)
 
なお、『みんなの歌』は、KARIONが初期の路線から方向転換をする時に募集した「KARIONに歌わせたい歌詞コンテスト」の優秀作品を収録した特殊なアルバムで、作曲は私と相沢さん(作曲クレジットTAKAO)が半分ずつ担当している。私は1月に学校に行けず引き籠もりしていた時期にこの『みんなの歌』の作曲作業を盛んにやっていたのである。
 
なお、KARIONも2009年の後半は、メンバーの大学受験のための休養期間に入った。ただし9月に私たちは8番目のシングル『愛の夢想』と9番目のシングル『愛の経験』の音源制作をまとめて行い、『愛の夢想』は11月に、『愛の経験』は2月に発売するということをしたので、休養中もKARION
の作品は途切れず発表されていった。
 
2008年組ではAYAのゆみと、XANFUSの光帆・音羽は大学には進学せず高校卒業後は歌手に専念することにしたので、彼女たちの作品も2009年後半に継続して出ている。
 
一方でローズ+リリーの作品はこの時期は完全に途切れていた。
 

ローズ+リリーは、2009年1月の『甘い蜜』から2011年7月の『夏の日の想い出』
まで2年半もの断絶期間があるのであるが、私と町添さんの共同作戦による「補間作業」で、いくつか間を埋める作品が世に出ている。
 
この間に公式に発売された作品は2009年6月に出た『ローズ+リリーの長い道』
のみであるが、実は他に、2010年9月の通称「アルゼンチンアルバム(恋座流星群相当)」、2011年1月の「広東バージョン(Spell on You相当)」などというものも存在する。このふたつはあくまで「海賊版」であるが、実際問題として『長い道』から『アルゼンチン』までが1年3ヶ月、『アルゼンチン』から『広東』
までが4ヶ月、『広東』から『夏の日の想い出』までが6ヶ月ということで、結構間が補間されている。
 
ただその中でも『長い道』と『恋座流星群』の間は1年以上空いているのだが、実はその間を埋める作品も存在する。
 
それが5月15日の町添さんと私たちとふたりの母との会談で「無料配布」が決定した『雪の恋人たち/坂道』であった。
 
この曲は元々、私が2008年の春に、レコード会社への売り込みを意図して作ったデモ音源のひとつであるが、私とマリの声はそのままにして、町添さんにミュージシャンを手配してもらい、楽器演奏部分のみ生演奏に差し替えて、新しい音源を制作した。(ということにしてある)
 
これは制作の方針が決まったのが4月下旬。私と政子の母の了承を得たのが5月15日だったので、急げば、私たちの父との約束の期限であった6月19日までに普通のCDとして発売することも可能であった。そうすればたぶん40〜50万枚は売れて、つまり4億円くらい売上をあげることが可能であった。
 
しかし私と町添さんは敢えてそうせず、「ゆっくりと制作」を進めた。そして10月28日(水)大手ダウンロードミュージックストア(1社のみ)に 0円の価格で掲載した(ローズ+リリーと★★レコードとの契約期間が終了する12月31日までの限定販売:実際には「手続き上の理由」と称して1月4日まで販売した)。
 
こんな時期にこの音源を公開した最も大きな理由はローズ+リリーのファンのテンションを維持するためである。『ローズ+リリーの長い道』が6月10日に発売されたので、それからわざと4ヶ月のブランクを開けて、これを公開したのである。
 
これを「無料公開」にしたのは、双方の父との約束で「販売」ができる期限を過ぎていたためである。私の父など、4億円の売上機会をみすみす逃すことになると聞き心配して「いや、販売してくださってもいいですけど」と町添さんに言ったのだが、ここで「販売」してしまうと、「最後のCD販売の1年後」と定められている須藤さんの復帰時期が遅れてしまい、結果的にローズ+リリーの活動再開時期が遅れるという判断があったのである。つまりこの4億円はそういう意味深な先行投資だったのである。
 
なお、これをyoutubeとかに公開するのではなく、ダウンロードストアでしかも1社のみで公開したのは独占公開にすることでダウンロードストア側が色々便宜を図ってくれたこともあるが(実際登録費用もタダにしてくれた)、こちらとしては(多重DLを除いた)ダウンロードの実数を確認したかったためというのが大きい。
 
町添部長や松前社長などローズ+リリーの復活を信じていたグループにとっては、私たちが大学に入った後、活動再開した時の「ローズ+リリーの市場規模」を把握したかったのである。
 
この「デモ版」シングルのダウンロード数は公開されていないが、初動で40万DL来てこのストアの週間ランキング1位になったし、最終的には80万DLを越えており、実は「トリプルプラチナ」の作品である。
 
『神様お願い』も随分「幻のミリオンセラー」と言われたのだが、この作品『雪の恋人たち/坂道』は期間限定公開だったこともありミリオンには到達しなかったものの「幻のトリプル」とファンの間では呼ばれている。
 

私と政子は活動停止中もずっと練習を怠らなかった。毎晩受験勉強をしながら携帯をつなぎっぱなしにして、交替で歌を歌っていた。歌を歌い始める前には発声練習でドレミファソファミレドを半音ずつずらしながら低い方から高い方まで声を出していた。また政子は自宅にカラオケのシステムを入れてひとりで勉強している時もずっと歌っていたし、体力と肺活量を付けるため毎日早朝のジョギングをしていた(お母さんとふたりで走っていたらしい)。
 
一方私は楽器の練習もしていた。少しほとぼりが冷めた頃から、籍だけ置いた状態であった○○ミュージックスクールの器楽コースに参加させてもらい、ギター、ベース、ドラムスなどそれまで少し不得意だった楽器の練習をした。ギターとベースは買ったがドラムスは教室のものを使用していた。さすがにドラムスは自宅に置き場所が無かった。
 
それでも当時、私の部屋は楽器でいっぱいになり(元々5000枚のCDを収納した大型本棚2個で狭くなっている)、楽器棚の隙間に布団を敷いて寝る感じだった。私はしばらく吹いてなかったクラリネットも自分用のクラリネットを購入して練習を再開した。スクールの講師の方と相談してヤマハのYCL-852 を選んだ。ヤマハのプロ用クラリネットには YCL-852(CS), YCL-853(SE) の2種類があり、価格は同じなのだが、私は指が細いので 852(CS) の方が合いますよと言われた。実際、中学時代に吹奏楽部で吹いていたクラリネット(型番不明)より吹き易い感じがした。
 

「あんたの部屋、怖くて入れないよ。高価な楽器を壊したら大変だし、ケーブルに引っかかってパソコン落としそうだし。パソコンも何台あるの?」
などと母は言っていた。
 
「パソコンは今動いてるのは5台。どれも安物だしデータはRAID式のNASに常時バックアップしてるから大丈夫だよ。だいたいパソコンなんてディスクが停まっている時に落としても簡単には壊れないから」
「そ、そう?」
 
「楽器の方は高いのはヴァイオリンと胡弓にギターケースに入っている三味線くらい。あとはみんな数十万円単位だよ」
「数十万円だって高いよ!」
「まあそうだけどね」
「そのギブソンのギターケース、どれがどれだっけ?」
 
と楽器を収納するのに父が組み立ててくれた棚に並んで載っている3つのギブソンのケースを指して言う。
 
「赤いテープ貼ってるのが三味線、青いテープがギター、黄色いテープがベース」
「うーん。確かに赤いテープ貼ってあるケースは嫌な雰囲気がした」
 
「お母ちゃんの三味線アレルギーも凄いね!」
 
「ところであんた女の子の服はどこに隠してるの?どう考えてもタンスに入ってるのだけじゃない」
「えへへ」
 
この他、○○スクールではピアノも専門の講師の指導を受けていたし、エレクトーンに関してはヤマハの音楽教室に通うようになった。エレクトーンは自宅では姉の部屋にあるHS-8を弾いていたが、ピアノは自宅練習用にクラビノーバ(CLP-380PE)を買ったので、私の布団は机の下からクラビノーバの鍵盤下まで敷くようになって、姉から「この部屋はもはや立体パズルだ」と言われた。
 
更に6〜7月にはコーラス部のメンツで「軽音楽サークル」を作ってウィンドシンセを担当したので、それでウィンドシンセも覚えた。(楽器棚も更に窮屈になった)
 
なお私が大学に入ってから夏にマンションに移るまで楽器類は実家に置きっ放しにしていて、一時的に借りていたアパートには持ち込んでないので、その時期、姉はこの部屋を「楽器倉庫」と呼んでいた。
 

またこれら以外にヴァイオリンの練習も再開した。騒動が充分落ち着いた5月頃にアスカから「練習再開する?」という打診があったので、昨年夏から途絶えていたアスカとのレッスンを再開した。
 
10ヶ月ぶりくらいに私のヴァイオリンを聴いたアスカは言った。
 
「前よりうまくなってる。ずっと練習してた?」
 
「練習というより弾いてた。ここ数ヶ月はこの子を学校に持って行って音楽練習室で弾いてたし、ローズ+リリーで忙しく走り回ってた時期はヤマハのサイレントヴァイオリン(SV-200)を買って、よく夜間ヘッドホン付けて弾いてた。勉強の気分転換に良かったんだよね。あの時期は学校が終わった後、放送局にCDショップにライブハウスにと忙しく走り回ってたけど、夜間ヴァイオリンを弾いていると、疲れが取れていく感じだった」
 
「それって私がフルート吹くのに似てるなあ。自分の本職でないものをやることで、緊張が解けていくんだろうね」
 
「うん。私の本職はあくまで歌だから」
「ピアノもかなり弾くよね?」
「指が動かないから細かい音符の連続は弾けないけどね。やはり3歳頃からしている人たちにはかなわない。当然アスカさんにも遠く及ばない」
 
「及ぶか及ばないか、ちょっと弾いてご覧よ」
と言うので、地下練習室に置かれているグランドピアノYAMAHA-S6Aでショパンの『雨だれの前奏曲』を弾いてみせる。
 
「うん。確かに私には及ばないけど、うちのお母ちゃんよりは上手いな」
「そうかな?」
 
「冬のピアノと私のヴァイオリンでその内リサイタルしようよ」
「うんうん、それは一度やりたいね」
 
などとアスカとは語り合った。
 

私はアスカおよびアスカの母と、ずっと借りっぱなしになっていたヴァイオリンの買い取りについて夏頃に話し合った。『涙の影』『せつなくて』の1〜3月分作曲印税が入って来た時期であった。
 
「ローズ+リリーのお陰で物凄い印税が入って来たので、このヴァイオリン、以前にも話していたように、買い取らせてもらえませんか?」
「うん。いいよ。じゃ、400万円で」
「いや、このヴァイオリンが400万円ってことないと思います。そもそも私が最初にこのヴァイオリンをアスカさんが持っているの見た時『600万円くらいですか?』と訊いたら『よく分かるね』とアスカさん言ったし」
 
「うーん。じゃ600万円でもいいよ」
「いえ、その後友人とかにも聞いたのですが、これ800万円くらいじゃないかと言う人とか、中には1000万円くらいじゃないかとか、多分それ2000万円近くするよとか言う人も居て」
 
「さすがにそんなに高くはない。そもそもそれ、先輩が使ってたヴァイオリンを安く譲ってもらったものなんだよ。私が買った値段は7桁(1000万円未満)だよ」
 
「では800万円で買い取らせてもらえないでしょうか?」
 
「800万円でも、もらいすぎだと思うなあ。私が先輩から買い取った段階でも相当使い込んであったし、私もその子をかなり使い倒したからね」
「じゃ間を取って700万円とかでは?」
「うん。まあ、そのあたりで妥協するか」
 
ということで私はこのヴァイオリンを700万円で買い取ったのである。
 

「でも700万円ももらっちゃったら実はちょっと助かる。次のヴァイオリンを買おうと思ってたからね」
「いや、アスカさんが次に買うヴァイオリンの価格って、700万円くらい足してもほとんど影響ない気がします」
 
「そうでもないよ。スポンサーが付いているから、スポンサーが実際にはかなり出してくれるんだけど、1億円くらいはこちらで用意しないといけない。自己資金で3000万円の他、この自宅を抵当に銀行から5000万円借りることまでは話が付いてるんだけど、残り2000万円ほどはまだ調達に悩んでいたんだよ。今使っている子を手放す手はあるとは思ったけど、あの子はあの子で凄く馴染んでるからできたら手放したくないんだよね。ここで700万円もらえたらぐっと楽になる」
 
「・・・・残り1300万円、次の印税が入る11月以降でも良ければ私が貸そうか?返済は出世払い」
「冬ちゃん、そんなに印税入って来てるの!?」
 

ところで「森之和泉+水沢歌月」の印税について、7月頃、私は和泉、畠山さんと3人で話し合った。
 
「こんなに売れることを想定してなかったからさ、このまま行くと、私と冬の収入と、小風・美空の収入に今年はとんでもない格差が付いちゃうよね」
と和泉。
 
「そうそう。私もそれが気になってた。あまり差が付きすぎると、私たちの意識に壁ができてしまうのが怖い。だから何とかしなくちゃと思ってた。私と和泉は作詞作曲印税が入るけど、小風と美空は歌唱印税だけだから計算してみたけど、だいたい10倍くらい差が付いちゃう」
と私。
 
「それでさ考えたんだけど、冬の収入も減らすことになるからどうかと思ったんだけど、森之和泉+水沢歌月の楽曲について名目上の編曲者を『小文字のkarion』にしない?」
 
「プロデュースと同じ名義だよね。作詞作曲編曲印税三分割方式にして編曲印税を4人で山分け。実は私もその方法を考えていた。それで計算するとだいたい格差が3倍程度に縮む」
 
「うん。10倍差よりはかなり良い」
「それにライブの出演料とかも加えると、もう少し差が縮むね」
と畠山さんも言う。
「たぶん実際には私たちは小風たちの倍くらいの線に落ち着くと思う」
と和泉。
 
「そのくらいの差は逆にあった方がいいと思う。そのくらいもらっていいくらいふたりは仕事をしてるもん。リーダーとサブリーダーの収入が多いのは普通のこと」
と畠山さんが言うと。
「ええ、私もそう思います」
と和泉。
 
「ちょっと待って。サブリーダーって誰?」と私。
「それは蘭子ちゃんに決まってる」と畠山さん
「それは冬に決まってる」と和泉。
 
「そんなのいつ決まったの〜!?」
「あ、私と小風と美空で決めた」
 
「本人いない間に?」
「そういうことで、冬はKARIONのサブリーダーだからよろしく〜」
「うっそー!」
 
「まあ倍の収入があっても、リーダーとサブリーダーが機会あるごとにおやつ代とか食事代とかを出してあげていれば、良い雰囲気になると思うし。じゃ、次のCD制作からはそうするかい?」
と畠山さんは言ったが
 
私は(サブリーダーの件は置いといて)
「むしろ今年初めの『優視線』に遡って適用しませんか?」と提案した。和泉も頷いている。
 
「いいの?君たち」
「私はそれでいいです。冬もそれで良ければ遡及適用」と和泉。
「うん。そうしよう。私はローズ+リリーの分も入るし、鈴蘭杏梨の分も少しだけど入ってくるはずだから、そのくらい減っても大丈夫だよ」
 
私の言葉に和泉がピクッとした。
 
「・・・鈴蘭杏梨って、冬なの?」
「マリ&ケイだよ。知らなかった?」
「知らなかった! 何か凄い詩だな。マリちゃんと似た傾向の詩だ、とは思ったけど。でもあんたたち、だったら全然活動停止してないじゃん!」
「うふふ。でも人には言わないでよね」
 
 
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【夏の日の想い出・RPL補間計画】(上)