【夏の日の想い出・受験生の冬】(1)
(C)Eriko Kawaguchi 2011-11-11/改訂 2012-11-11
高校2年生の8月から12月までボクと政子は「ローズ+リリー」という女子高生歌手デュオとして活動していたが、その活動はボクが実は男であったという写真週刊誌の報道で停止することになってしまい、その後、ボクたちはふつうの高校生生活、そして受験生生活を送ることになった。
政子は最初志望校にしていた△△△大学文学部に少し厳しいくらいの成績だったが、ボクが一緒に通おうよと言って志望校をそこに変更したのに加え、成績が落ちたら父親が長期出張中のタイに連れていくという脅し?の効果もあり、頑張って勉強して成績を上げてきて、何とか夏以降は合格圏内をキープしていた。
12月。校内はほんとうに慌ただしくなる。早朝補講から放課後補講までみっちり鍛えられる。塾に行く子はその後毎晩9時頃まで塾で講義を受けているようだった。ボクたちのグループは塾には行かずに各自、自分のペースで勉強を続けていたが、政子の家に週2度、水曜と土曜に集まって合同勉強会をしていた。政子の家にはボクと同じクラスの女子2人に琴絵と同じクラスの女子2人も加わり、多い時は10人以上で居間を占領して一緒に勉強をしていた。みんな脱塾組であった。分からない所があると、分かりそうな友人に電話して聞いたりもしていた。
そんな慌ただしい中で12月19日土曜日の午後、ボクはコーラス部で市内のクリスマスコンサートに参加した。受験勉強で忙しい時期なので3年生は6人しか出てきていない。ボクはその日の昼、政子の家に寄って制服を借りて着換え、市民会館まで行き、みんなと合流した。
「今日は女子制服で来たのね」と元部長の風花。
「はい。お昼に友達の家に寄って借りてきました。この制服で外を歩いたの初めて」
「外出体験できて良かったね」と少しニヤニヤしている元副部長の詩津紅。
今日は自由参加なので人数が当日まで確定していなかったのだが、結局50人ほどの大人数になった。ステージに登る。今日はピアノは1年生の絵里花が弾き、指揮は2年の副部長の聖子がした。「ホワイトクリスマス」を歌う。この曲、去年クリスマスライブで歌う予定でたくさん練習したなあ、などと思い出す。例の週刊誌のスクープはちょうど1年前の今日だった。
そのクリスマスライブはボクたちが突然出られなくなってしまったので、△△社所属のピューリーズというまだデビュー前の女子高生3人組のユニットが代わりに出演した。ボクたちの活躍を見て、△△社に売り込んできた仲良し3人組で、当時はまだデビューに向けてレッスンなど受けていたのだが、そのクリスマスライブへの出演をきっかけに人気が出て、インディーズのCDを2枚ほどリリースした後、先月メジャーデビューを果たしていた。彼女たちのCDはボクも全部買っていた。代役か・・・とボクは思う。ローズ+リリー自体がリリーフラワーズの代役として生まれたユニットだったけど、この世界、代役って大事なんだなあと思った。
「ホワイトクリスマス」の後、続けて「恋人はサンタクロース」を歌おうとした時、指揮棒を持った聖子が突然指揮台でうずくまった。え?
ボクと風花、2年の部長・来美、袖で待機していた先生が駆け寄った。
他にも駆け寄ろうとした子がいたが、詩津紅が制止した。
「ごめん、腹痛が・・・」と聖子。
「私が医務係の所に連れていく」と風花。
「先輩、ダメ。先輩は最後のステージなんだから。私が連れて行く」と来美。「すみません」と苦しそうな聖子。「指揮、誰か代わってください」
それを聞いて、風花が「冬ちゃん、指揮する?」と言った。
「します!」
ボクは反射的にそう言うと聖子から指揮棒を受け取る。来美と先生の2人で聖子を舞台の下手袖へ連れていき、風花は自分のパートの所に戻った。
ボクは客席に向かって「大変失礼しました。今医務に連れて行きましたので、大丈夫だと思います。それでは、演奏を続けます」と大きな声で言うと、みんなにも「行くよ」と声を掛け、ピアノの絵里花へ演奏開始の合図。前奏に続いて「恋人はサンタクロース」をボクの指揮に合わせてみんなが歌い出す。
演奏が終わって袖に引き上げる。風花が医務係の所に走って行ったが、ほどなく戻って来て
「ただの食べ過ぎだって」と言う。
「お昼に、お餅8個食べてきたって」
「お正月にはまだ早いよ」と笑って美野里。
「冬ちゃん、指揮、ありがとうね。何かあったら私も呼ばれるかもと思ったから、冬ちゃんにお願いした。それに冬ちゃんなら上がったりしないだろうし、ハプニングにも対処できると思ったから」
「貴重な体験をさせてもらいました」
「あそこで冬ちゃんが一言客席に向かって言ってくれたので、客席も鎮まったし、うちの部員も気持ちを切り替えられたよね。あのあたりはさすがと思ったよ」
「いや、そのあたりは半ば反射神経で」
客席の方にみんなで戻り、他の学校の歌を聴いているうちに、来美と先生に付き添われて聖子も戻って来た。「ごめんなさーい」と言っている。
「腹も身の内!」などと声が飛んでいる。
クリスマスのお祭りなので、みんなリラックスしたムードで、のびのびと歌っている。コンテストの場合はどうしても緊張感があるが、こういうのんびりしたムードの中で歌うというのもいいな、とボクは思った。
クリスマスコンサートが終わるのが遅い時刻なので、制服は明日政子の家に返しに行くことになっていた。その日は女子制服のまま帰宅する。
市民会館を出て、みんなと一緒に地下鉄の駅の方に歩いて行き掛けた時、ボクはある人影に気付いた。みんなに「ちょっと御免」と言って、その人物の方に走って行った。その人物はこちらに気付いてビクッとした様子で、一瞬どこかへ行こうとしたようであったが、すぐに動きを止めてボクが寄ってくるのを待った。
「須藤さん!」
「冬ちゃん、久しぶり」
「お元気そうで何よりです」
「ちょっとここ目立つから、そこの公園に行かない?寒いけど」
「はい」
ボクたちは夜の公園に入り、ベンチに腰掛けた。今日は昼間晴れていた分、夜になると冷え込んでいる。今も星空が見えているが、その分寒い。
「私ほんとはさ、まだ冬ちゃんたちに会ってはいけないことになってるの」
「たぶんそうだと思ってました。あ、蜂蜜ありがとうございました」
「分かってくれたのね。冬ちゃんたちには多分通じると思ったから」
「じゃ、今夜は会ったりはしてないことに」
「うん。今は女子制服で通学しているの?」
「ううん。学生服。これは今日コーラス部のクリスマスコンサートに出るのに政子から借りたの。私、一応コーラス部ではソプラノ歌ってるし」
「わあ」
「学生服着てるけど、学校では女子トイレ使うし、1学期の体育は女子と一緒に受けたし」
「へー」
「でも学校外で学生服のまま女子トイレに入ったら通報されちゃう」
「あはは」
「冬ちゃんの指揮見たよ」
「えー?今日のコンサートにいらしてたんですか?」
「1時頃、通りがかりにチラッと冬ちゃんを見かけたから、あれ?このコンサートに出るのかな、と思って当日券買って入った」
「わあ、ありがとうございます」
「でも指揮を代わったあとで客席に向かってひとこと。あれでさっと場を落ち着かせたね。さすがだね」
「ただの反射神経です」
「冬ちゃんって土壇場とか修羅場とかにめちゃくちゃ強いんだよね。指揮は自分でするって言ったの?」
「部長さん、というかもう引退してるので元部長ですけど、その人に指名されたの」
「冬ちゃんの性格をよく知ってるんだね」
「でもちょうど1年前でしたね。例の週刊誌の記事」
「うん。でも、あれはもっと私がうまくやるべきだったよ。もっと早い時期に冬ちゃんの性別のことについてちゃんとした形で説明して、女の子の格好を続けるにしても、男の子の格好に戻るにしても、きちんとした道筋を作っていれば、あんな騒ぎにもならなかったし、冬ちゃんにも辛い思いさせなくて済んだと思う。でも、ベスト盤発売の時のラジオでのふたりの掛け合いの時も冬ちゃん『心は女の子』って言ってたし、こないだのBH音楽賞の授賞式にもミニスカで出てたし、その後の難病の子を御見舞いに行ったという報道でも、スカート穿いた写真だったし、今もそういう格好してるし、冬ちゃん、やっぱり女の子になる道を選んじゃったのね」
「うん。私、もう男の子には戻れない」
「そうか。私が冬ちゃんの人生変えちゃったのかなあ」
「というより、あのお陰で私、本来の自分になることができたと思う」
「そう・・・」
須藤さんは微笑んだ。
「いつ頃、会えるの?私達の受験が終わってから?」
「半年後に会いましょ。来年の6月11日。でもまさか浪人しないよね?」
「それは大丈夫」
「お願いね。浪人されると会えるのも1年延びちゃう」
「電話番号教えとく。私も政子もあの後、携帯・家電とも番号変えちゃったし」
ボクは電話番号のメモを渡した。
「私の携帯の番号も念のため渡すね。でも自分の携帯には登録しないで。誰かに見られて連絡を取り合ってると思われるとまずいから」
「うん」
「でも、これまでに甲斐さんも含めて100人近くスカウトさん来た。最初あまりの凄さに整理券配ったよ」
「うふふ。冬ちゃんたちはいい素材だもん。もし気に入った所があったら私に気兼ねせずに契約してね。そもそも私、お金無いから大した給料払えないし」
「私が稼ぐから大丈夫」
「お、自信だね」
「半年後か・・・それまでに私自身もっと鍛えるし、やっておきたい事もあるな」
「受験勉強忙しいのにコーラス部なんてしてたのも歌唱力付けるため?」
「うん。あとエレクトーンも習いに行ってるの。他に受験勉強の合間に和声法とか対位法とか、音楽理論の本をたくさん読んでる。政子の方も肺活量付けるといって毎日ジョギングしてるし、自宅にカラオケ入れて毎日歌ってるし」
「へー」
「ただ政子はステージに立つ歌手として復帰するつもり、あまり無いかも。私と一緒にアルバム制作だけしたいって言ってる」
「ふーん。。。でも今は受験勉強頑張って」
「うん」
「今日会っちゃったことは誰にも言わないでね。政子ちゃんにも言っちゃだめよ」
「うん。10秒後に会ったこと自体を忘れる」
「ありがとう」
ボクは須藤さんにサヨナラして、駅の方に走って行った。誰かが待っててくれてるかもと思ったのだが、果たして地下鉄の入口のところで風花が待っていてくれた。
「ごめーん。ちょっとしばらく会ってなかった知り合いに会ったものだから」
「あと5分戻ってこなかったら探しに行くとこだった」
「ごめんねー」
この日須藤さんに会ったことは、ほんとに誰にも言っていない。政子にも言わなかった。ボクは何でも政子にだけは打ち明けているけど、これだけはボクの秘密だ。なぜって、この日、須藤さんと来年6月に会えると知ったから、ボクはそれまでに、去勢と豊胸をすることを心に決めたのだから。
この頃、もうボクは性転換することをほとんど決めて、実はコーディネーターの人とも数回会って話していたのだけど、具体的な手術のタイミングはまだはっきりさせていなかった。しかし昨年、自分の性別のことでみんなに迷惑を掛けたから、次に須藤さんと会う6月までに、せめて女の子に見える身体にはなっておこうと決意したのだった。
自宅に戻り、鍵を開けようとしていたら、ちょうど仕事帰りの父が帰宅してきた。
「わ、誰かと思った」と父。
「お帰り、お疲れ様、お父ちゃん」
一緒に中に入り鍵を掛ける。
「その制服は・・・」
「今日はコーラス部のクリスマスコンサートだったから、政子に制服借りてったんだよ。今日は遅いから明日返しに行く。昨日言ってたでしょ」
「あ、うん。しかし・・・」
「なあに?」
「お前、様になってるな、女の子の制服が」
「そりゃ、私、女の子だもん」
父とまともな言葉を交わしたのは何だか久しぶりのような気がした。その日の夕食の席で、ふつうのパーカーとスカートに着替えたボクの方をチラチラと見ながら、父は何か考えている様子であった。
その日の夜、遅くまでボクが勉強していたら、夜11時頃、母がコーヒーを持ってきてくれた。
「毎晩、遅くまで頑張ってるね」
「今日は午後がクリスマスコンサートで潰れたから、その分も頑張らなくちゃ」
「頑張るのはいいけど、身体壊さないようにね」
「うん。ありがとう」
母が部屋から出て行こうとする時、ボクは母を呼び止めた。
「あのね、お母ちゃん」
「うん?」
「私ね、大学に入ったらすぐに」
「ひとり暮らししたいって言ってたね」
「うん。それもだけど、おっぱい大きくして、去勢もしようかと思って」
「去勢って、おちんちん取るの?」
「それは多分もう少し先。まずはタマタマを取っちゃおうと思うの」
「ふーん。今日何かあったの?」
「うん、ちょっとね」
「分かった」
「御免ね。お母ちゃんに私、孫の顔を見せてあげられない」
「それはもう2年くらい前から諦めてたよ」
ずっとずっと先、あやめが幼稚園に入る時、ボクは母に絶対に誰にも言わないでと念を押した上で、あやめが自分の実の娘であり、母の実の孫であることを打ち明けた。その時、母は「なんとなくそんな気がしてた」と微笑んで言った。
「でも、お前・・・・」
「うん?」
「今日は凄く女の子っぽい」
「えー!?私いつもこんなじゃなかった?」
「いつも女の子っぽいけど、今日は特にそうだよ。女性ホルモンがたくさん出ている感じ」
「言っとくけど、私、ホルモン剤は飲んでないよ」
「分かってるよ。その机の引き出しの錠剤の瓶、開いてないもんね」
「あ?これ知ってた?」
ボクは机の引き出しからエチニルエストラジオールの瓶を取り出した。封のシールが付いたままである。
「もう我慢できない気分になって買っちゃったんだけど、お父ちゃんとも約束したし、政子からも高校卒業するまでは止めとけって言われてたし」
「で、我慢してるのね」
「これはここに置いておくだけ」とボクは笑って言う。
その夜は結局勉強しながら母と3時間くらい話し込んでいた。ボクは母の高校時代の恋の話などまで聞いていた。
12月25日のクリスマス。その日は終業式でもあったが、ボクと仁恵と琴絵は学校が終わってから政子の家に一緒に行った。本当はクリスマスパーティーでもしたいところだが、受験生なので今年はパス。ただし一緒に勉強しながらクリスマスケーキくらいは食べようということにしていた。(各自前日のクリスマスイブに自分の家でケーキは食べているのだが)
政子のお母さんが買ってきてくれていたケーキを切ってみんなで分けて食べる。お母さんはチキンも揚げてくれていたので、それも食べる。
「もう実質、高校の授業はこれで終わりだよね」
「3学期は出席取らないって言ってるから、出て来たい人だけ出てきなさいってことでしょ。次みんな揃うのは卒業式だろうね」
「でも先生達も大変だなあ。来週は一応休みだけどお正月は4日から補講」
「塾は30日までやって2日からまた講義始まるらしい」
「きゃー」
「でも今年は私もお正月は無いと思ってるよ」と琴絵。
「でもコト、かなり自信付けてきたみたい」
「一応ネットの自動採点方式の模試では、合格水準を上回ってる」
「だいぶ頑張ったよね」とボク。
「冬も合格ライン軽く上回っている筈なのに更にレベル上げてるでしょ?」と琴絵。「冬は最近の模試で私よりいい点数取ってるよ」と仁恵。
「だって手を抜いたり甘く見たら絶対失敗するもん」
「それは言えるよね。世の中絶対ってことは無いもの」
「獅子搏兎だね」
「あ、なんかそれ漢文で出て来たね」
「でも冬、この一週間くらいで急速に女らしくなってない?」と仁恵。
「うん。自分の生き方についてけっこう迷っていたのが心が定まってきたからかな。私、女の子として生きること決めた」
「そんなのとっくの昔に決めてたと思ってた」と仁恵。
「男の子にはもう戻れないポイントを遙かに通り過ぎてると思う」と琴絵。「私、冬が男の子に戻るなんて言い出したら、その場で銃殺してあげる」と政子。「政子ならやりかねないな」と琴絵。
「試験会場には当然女の子の格好で行くんでしょう?」
「もちろん。願書の写真も女の子っぽい感じで写る。なんとその写真で学生証も作られちゃうんだよね」
「願書の性別、どうするの?」
「△△△に問い合わせた。回答もらうまで3日かかったけど、結局学生部まで呼び出されて、行ってきたら、少し話をしてから、自分がどちらの性別かと思っている性別に丸を付けてください、と言われた。実物を見てから回答したかったんだろうけど、実質面接を受けた気分。模試の成績まで聞かれたし」
「既に試験終わってたりして。でも、じゃ、女の方にマークするんだ」
「もちろん」
「じゃ、合格したら学籍簿には女子学生として登録されるのね」
「そうなるよね。名前も女名前で書いてくれって。入学願書に記入した通りの名前で、受験票も合格後の学生証も発行するって言われた」
「わあ、すごい」
「じゃ、冬ちゃんも4月からは女子大生なのね」と政子の母。
「今でも既に女子高生だと思うなあ」と仁恵。
「去年の10月くらいからほとんど女子高生してたよね」と琴絵。
「冬はこないだ沖縄に難病の子の御見舞いに行った時は自分で女子高生ですって言ってたよ」と政子。
「でも冬、学生部にはどんな格好で行ったの?」
「青いブレザーにチェックの膝丈スカート」
「ああ、例の女子高生制服っぽい服装だ」
「またスカートの許可もらって行ったのね」
「うん。先月・今月と私随分スカート穿いてるよね。それでとうとうスカート解禁してもらった」
「わ!」
「昨夜のクリスマスイブで、お父ちゃんから年明けからはどんな服装してもいいと言われた」
「それなら新学期からは学校に女子制服で来るの?3ヶ月だけだけど」
「いや。学校に学生服で行くという約束は生きてるから」
本音としては女子制服で通いたかった。これまで様々なイベントがある度にボクは女の子の服を着て出歩いていたけど、普段は学生服で学校に行っている。色々学校から配慮はしてもらっているけど、半分は男性扱いの部分があり、それが物凄いストレスになっていた。しかし色々考えてみて、無理に女子制服を着たからといってその全てが解消されるものとも思えなかった。それに自分が女として生活するのに未熟すぎることも感じていた。だから、無理に女子制服で通して、完全には女でない面を友人達に見られるより、学生服のままで、それを着ていても女らしい自分を見られた方がいいという思いもあった。そういう訳で、ボクは半分男子生活を送っていた1年を自分のパネにしたいと思っていた。
「でも冬、お父さんとあまり話が出来ないって言ってたけど、理解してもらってるじゃん」
「でも相変わらず、何も会話ができないんだよぉ」
「そのうち話せるようになるよ。結婚式で泣いて花束受け取ってくれるよ」
「結婚式!」
「花嫁さんになるんでしょ?」
「そっか・・・・私、花嫁さんになるんだ・・・・」
「花婿さんになりたいの?」
「やだーそんなの」
「もし、政子と結婚するなら、ふたりとも花嫁衣装なのかな」
「えっと・・・・」
「冬は多分ちゃんと男の子の彼氏見つけて結婚すると思う」と政子。
「え?それでいいの?政子」と琴絵。
「マーサにもいい彼氏見つかると思う」とボク。
「えー?政子と冬って破局しちゃったの?」
「いや、そもそも恋人になってないし」
「だってねー」と琴絵と仁恵が顔を見合わせる。
「困ったなあ・・・私とマーサの関係は何も変わってないよ」
そういうとボクは隣に座っている政子のほうを向くと、肩をつかみ唇にたっぷり30秒間キスをした。政子がさすがに少し頬を赤らめる。
「おお!」
「心配して損した」
仁恵と琴絵が拍手をしている。
「お母さんの前で大胆」
「いや、この子たち、ふたりだけの時は、いつもイチャイチャしてるし」
と笑って政子のお母さん。
「このふたり既にしてるんじゃないかって私は思ってるんだけど、本人達は否定してるのよね」
「あ、私もてっきりしてると思ってた」と琴絵。
「え?そうなの?私よく分からなかった」と仁恵。
「だって泊まり込みで勉強会する時とか、政子と冬っていつも一緒に寝てるじゃん」と琴絵。
「あ、そういえば。でも私と琴絵もたいてい同じ部屋だよね、泊まり込みの時」
「でもお布団はふたつだよ。このふたり一緒のベッドに寝てるもん」
「えー?それは知らなかった」
「一緒に寝るけど、してないよね」とボク。
「うんまだしてない」と政子。
「だからマーサはバージンの筈」
「で、結局私にはこのふたりの関係がよく分からないのよ」とお母さん。
「ほんとによく一緒のお布団で寝たりしてるみたいなんだけど」
「一緒に寝るのは以前からだよね」
「うん。ローズ+リリーの頃から、ツアー先とかでくっついて寝てた」
「でもHはしてないよね」
「Hまではしてない」
「私も分からなくなった!」と琴絵。
「ふたりって、なんとなく恋人同士。冬が女の子だからレスビアンの一種なんだろうと思ってたのに」
「お友達だよねー」と政子とボク。
「いや、私はその言葉は信じないぞ」と琴絵。
ずっと先。私と政子が各々恋人を持ちながらもふたりで恋人同等の関係も維持していることを知っていたのは、正望と琴絵・仁恵と美智子、それに青葉の5人くらいである。
お正月。初詣に行くのに姉が振袖を着ていた。ボクはピンクの起毛のセーターにチェックの膝上スカート、ニーソックスである。今日みたいな日は可愛い格好をしなさい、と母の方からこういう格好を勧めてくれたのであった。父は最初ギョッとした様子だったが特に何も言わなかった。神社で一家4人でお参りした後、両親が福引きをしに行っている間にボクと姉は少し立ち話をしていた。
「私も振袖着るのは今年くらいを最後にしたいなあ」と姉。
「明弘さんと結婚するの?」
「なかなかその話が進まないのよ」
「頑張ってね」
「ね、この振袖、冬に後で貸してあげようか?」
「着てみたいけど来年にする」
「へー」
「私、来年自前の振袖買って着る」
「成人式は再来年だよね」
「うん。でも着たいから」
「服ってたくさん着てあげないと可哀想だもんね。私、成人式とお正月くらいしかこれ着てないや」
「ふつう、そんなもんじゃないの?」
「でも振袖着た冬、凄く可愛くなりそうな気がするよ」
「そう?」
「やはりあれだな」
「何?」
「あんたのことは、私今日から妹と思うことにするから」
「私はとっくにお姉ちゃんの妹のつもりでいたよ」
「ふふふ」
1月5日、ボクは政子と一緒に入学願書を書いて投函した。
ボクの願書では、学生部の人から言われた通り、志願者名は『唐本冬子』になっていて性別も女の方をマークしている。ただし願書の名前と戸籍名を結びつける書類が必要になる。
学校で発行してもらった内申書の備考欄に先生が「この生徒の通称は唐本冬子です」と書き添えてくれていた(らしい:実物は見ていないので)。また母に頼んで「通称・唐本冬子は、戸籍名・唐本冬彦と同一人物です」という日付・署名続柄・捺印付きの文書を書いてもらった。これを事前に学生部でもらっていた「通称使用許可済み」という学生部長名の書類と一緒に封筒に入れていた。
そういうボクの願書を見てみたいと政子がいうので、それを見せてから一緒に投函したのであった。
「法的に改名すれば、これが通称使用ではなくなるのね」
「うん。でも改名はボク、性別変更と一緒にしようと思ってる」
「ふーん。つまり性別変更はそう遠い先ではないということね」
「そうだね。。。。大学卒業するまでには決着つけたいな」
「みんなに『冬子』名で年賀状ちょうだいって言ってたのは、改名のため?」
「そうそう。もし改名を先行してやるようになった場合、その名前を実際に使っているという証拠が必要になるから」
1月中旬、ローズ+リリーがまた賞をもらってしまった。その時点で『甘い蜜/涙の影』が82万枚、ベストアルバム『ローズ+リリーの長い道』が28万枚売れていて、甘い蜜はトリプルプラチナ、ベストアルバムはプラチナ、ということで表彰されることになった。ボクたちは引退中(秋月さん的見解では休養中)で受験勉強も真っ盛りであり表彰式には出られないと伝えていたのだが、そのボクたちの代わりになんと上島先生が出てくださった。秋月さんから賞状と記念ディスクを取りに来てと言われて、ボクたちは★★レコードに出て行った。
「まさか上島先生が出て下さるとは思ってなかったので報道見てびっくりしました」
「あなたたちが出ないとなると、他に代われる人がいないのよ。部長からは誰も適当な人が見つからなければ、私が代わりに受け取るようには言われてたんだけどね。そんな話をしていた時に、ちょうど近くで他のアーティストの新曲の打ち合わせをしていた上島先生が『僕が出ようか?』と言って下さって」
「私達、先生にきちんと挨拶ができないままの状態で」と政子。
「上島先生は、どうせまたそのうち会えるからと言ってたけどね。あなたたちと上島先生が今会うと、あれこれ憶測する人たちもいるから、無理して場を設けたりする必要もないでしょうと、先生も部長も言ってた」
「それは私も同感です」とボク。
音楽雑誌から写真だけでも撮らせてという申し込みがあっていたので、この日ボクたちは適当な衣装に着替えて、ボクが2枚の賞状、政子が2つのプラチナディスクを持って★★レコード内で記念撮影をした。ひとことだけでいいからコメントを、と言われたのでボクは
「ファンの皆様のおかげで賞を頂いてしまいました。そう遠くない時期にまた何らかの形で皆様に素敵な音楽を届けることができたら、と思っております」
とだけ言った。
町添部長にも挨拶する。立ち話で済ませるつもりだったが、応接室に連れて行かれ、コーヒーとケーキ付きで30分ほど話をした。そのあと帰ろうとしてエレベータホールまで出て来た時、ちょうど開いたエレベータから△△社の甲斐さんと女子高生3人が降りてきた。
「あら」と甲斐さん。
「こんにちは」とボクと政子。
「わあ!」とエレベータから降りてきた女の子3人。
「えーっと」と甲斐さん。
「お互い認識しちゃったみたいだけど、こちらピューリーズの、ユウちゃん、ミレちゃん、ノコちゃん。こちらローズ+リリーのケイちゃん、マリちゃん」
と甲斐さんがお互いを紹介する。
「『CAT CHASE』聴いてるよ」とボクが言うと
「わあ、感激です」とユウ。
「なんとタイマー音に設定してるんだ」といってボクは携帯を取り出し、流してみせる。
「わあ、嬉しい!!」
しばしボクたちはエレベータホールで交歓をしていたが、秋月さんが
「ピューリースの打ち合わせは18時からですよね。まだ20分ほどありますし、みんなでお茶でも飲みましょう」
などと言いだし、結局ボクたちはオフィスに舞い戻って、会議室でコーヒーを出してもらって、純粋におしゃべりを続けた。
今日はピューリーズは3月に出す予定の新曲の打ち合わせに来たらしい。
「でも、ユウちゃんたちも来年は高3でしょ。活動はどうするの?」
「そうなんですよね。今のペースの仕事しながら受験は無理なので、ライブは6月くらいにするのでいったん休み。CDは年末に1枚だけ出そうか、なんて話をしていたところで」
「CDだけと言っておいてもキャンペーンとかで駆り出されるよ」
「あ、やはりそうなりますよね」とノコ。
甲斐さんが苦笑している。
「ローズ+リリーの復活はいつですか?」とユウちゃん。
「オフレコで教えてください」
「うーん。。。。ボクたちは今どこのプロダクションとも契約結んでないからなんとも言えないね。ひょっとしたらインディーズで夏くらいに何か作るかもね」
「その時は、★★レコードで扱います」と秋月さん。
「どこかのプロダクションと契約しないんですか?ローズ+リリーなら引く手あまただと思うのに」とノコ。
「うーん。どうだろうね。前回は一種の波に乗って売れちゃったけど、復帰してまた売れるほど、この世界甘くないよ。でも、売れる売れない関係無く、私は歌手としての活動はしていきたいと思ってるし、じっくりと私たち自身が満足できる音を紡いでいきたいなと思ってる。そんなのんびりした売り方を認めてくれる所があったらだけどね。一応、甲斐さんを含めて3社から継続的なお誘いを受けてはいるけど、どっちみち受験終わって大学入って少し落ち着いてからでないと、そのあたりは考えられないから。早くても5月くらいかな。あと、ボクたちの契約問題に関してはいろいろ大人の事情もあるっぽい」
などと少し悪戯っぽい笑みで言いながら甲斐さんの方を見ていると、勘弁してという感じの顔をしている。秋月さんが苦笑している。
「おお、興味あるなあ。大人の事情って」とノコ。
「でもこの業界、知らなくていいことは知らないことにしておいた方がいいみたい」
などと明るい声でボクがいうと、ユウもノコも頷いていた。ミレは意味がよく分からないようで、キョトンとした顔をしている。政子は笑っていた。甲斐さんも苦笑している。
そういうきわどい話はそこまでにして、ボクたちは音楽活動自体のこと、曲作りや歌唱技術、舞台構成などの話でも、とても盛り上がった。
「おやつ無いんですか?」などとノコがいうので、秋月さんが信玄餅を持ってきてくれて、それを食べながら、また話は弾んだ。
「ピューリーズのライブ、3月の渋谷のを見たっきりで、最近は忙しくて行けないんだけど、音楽雑誌に載ってる写真とかミニスカが多いよね」
「あれ、恥ずかしいんだけどねー」とミレ。
「私たちも恥ずかしい、と言うけどミニスカ穿かされるね」と政子。
「私たちにしてもピューリーズにしても、アイドルって売り方じゃないと思うんだけど、やはり10代の女の子にはミニスカを穿かせたいみたいね」
とボクが言うと、甲斐さんが
「だって、40代の歌手にはさすがに穿かせられないから」
などと言う。
「じゃ、いっそ40代になったらミニスカ穿こうか?」と政子。
「今の発言しっかり記録して次の担当に申し送りしておこう」と秋月さん。
秋月さんはこの3月で結婚のため退職するということで、本当は3月になってからボクたちには話すつもりだったのが、今日は少しルーズな談話の場になってしまったので、それを先程、内輪の話として披露して、みんなから「おめでとうございます」と言われていたところであった。
「でもケイさんの個人的な情報は教えられないと言われて甲斐さんも教えてくれなかったんですけど、ローズ+リリーの前からケイさんって女装してたんですか?」
とユウ。
「全然女装の経験は無かったよ。冗談でスカート穿かされたりしたことはあったけどね。あの日、イベント設営のバイトで行ってただけだったのが、その日出演する予定の、女の子2人組のリリーフラワーズというユニットがトンズラしちゃって、その穴埋めにたまたま現場にいた私とマリが急造で代役をさせられたからね」
「じゃ、その日出演するはずのユニットがもし男の子2人組のユニットだったら、おふたりは男性デュオとしてデビューしてたんでしょうか?」
「考えるに恐ろしいけど、あり得る話だね。でも男装のマリも見てみてたい気もするな」
「あー、私は男の子になりたいって思ったことあるよ」とマリ。
「でも、その日、ケイさんの人生変わっちゃったんですね」とユウ。
「ほんとほんと。あの活動の中で、私、自分の中の女に目覚めちゃったのよね。でも、私はあの日の事件が無くても、どこかで女に目覚めていたかもという気はするよ」
「本人は自覚してなかったというけど、私がケイに最初に会った時、ちょっと女性的な性格の子だなと思ったよ。字とかも女性的な字を書くし、ケイは絵も上手なんだけど、その絵のタッチがまた凄く優しいのよね。それに発想とかが割と女の子っぽいと、よく思ってた」
「へー」
「ここだけの話、ローズ+リリー以前にも何度か、私、女の子の服を着たケイを見たことあるしね」
「あはは、その辺りは内緒にしといてよ」とボク。
ピューリーズの打ち合わせ相手の作曲家さんが遅れてきたこともあり、結局、ボクたちは40分くらい話をしていた。最後にボクたちはサイン色紙を交換して別れた。
2月上旬、ボクは△△△大学の入学試験を受けに行った。服装は6月のコーラス部の大会や10月の文化祭の時に使った《女子高生風の服》に、防寒用のコートを着た。このコートはローズ+リリーの活動をしていた時に公演で行った札幌で買ったものでお気に入りのコートで普段は使っていない。これを着るのは1年ぶりであった。無論室内では脱いで、女子高生風の服で試験を受ける。
ボクは女の子の格好をしているし、受験票の名前は「唐本冬子」で、写真も、女の子して写っているから、試験官の人が受験票の照合で回ってきた時も何も問題は無かった。試験が始まる前、同じ教室で受けることになった同じ学校の子に受験票を見せたら「おー」という声が上がっていた。なお、政子も礼美も別の階の教室であった。昼休みには落ち合う約束をしている。
1時間目は英語。得意科目ではあるが、文学部を受ける子は英語得意の子が多いので逆に気を抜けない科目でもある。これで失敗するときつい。順に回答していき、ひととおり書き上げてから再度チェックする。1つ勘違いしていた所に気付き修正する。2度全体をチェックしてから、残り10分あったが、答案を伏せて、ボクは目を瞑り、心を静かにして待った。
昼休み、ボクたちは予め決めていた集合場所に集まり、一緒にお弁当を食べた。「あれ?政子のお弁当にも冬のお弁当にもトンカツが入ってる」と礼美。
「試験の時のおまじないだよね。勝つようにって」
「えー?知らなかった」と礼美。
「私のはお母ちゃんが作ってくれたけど、冬は自分で作ったんでしょ?」
「うん。朝からカツを揚げてたら、そんなことしてる時間あったら少しでも勉強すればいいのにってお母ちゃん言ったけどね」
「でも代わってはくれないのよね?」
「うちのお母ちゃん、揚げ物苦手だもん。揚げ物はボクが小学生の頃から、ボクの担当だったよ」
「じゃ、冬が4月から独立したら、揚げ物のメニューが無くなるのかな」
「かもね。お姉ちゃんも揚げ物は苦手だというし。苦手とか言ってないで練習しなよ、と言ってしてもらったら、油を怖がって投げ入れるんだよね。そんなことしたら、油が跳ねて危険だってのに」
「あぁ、私もそれで叱られたことある」と礼美。
「冬って、子供の頃から、お料理の手伝いよくしてたのよね」と政子。
「うん。お米研いで水加減するのとかもずっとしてたし。ローズ+リリーで忙しかった時期は、お姉ちゃんが代わりにやってくれてたけど、最初のうちはかなり失敗作があった。4ヶ月もやってたら、さすがにうまくなったけど」
「冬の家で一緒に勉強する日、よく冬が作った料理食べるけど、美味しいのよね」
「受験勉強で忙しくても、御飯は作るんだ」
「御飯の支度は、お母ちゃんとお姉ちゃんとボクの輪番制。これボクが小学3年生の時からだよ」
「へー」
「冬って、いいお嫁さんになりそう」と礼美。
「私もよく言ってる」と政子。
2時間目は国語、3時間目は社会(日本史)であった。ボクは英語と国語については満点に近い点数を取った自信があったが、日本史はやや苦戦して分からないところを山勘でマークした。
試験が終わってから、政子・礼美と落ち合い、自販機のコーヒーや紅茶を飲みながら、駅でしばし話した。
「どうだった?首尾は?」
「ボクは日本史がね・・・・山勘でマークした部分が合ってればいいんだけど」
「私は、けっこういい感じかな」と政子。
「古文が全滅。それと日本史も苦手な奈良時代の問題がさっぱり分からなかった」と礼美。
「まあ、あとは祈るしか無いね」
ボクたちは入学式で会おうね、といって別れた。
試験が終わった後、ボクは学校に行っても仕方ないので、数日日中は自宅でぼーっとして過ごしていた。時々、政子や琴絵から電話が掛かってくるので、電話越しにおしゃべりを楽しんでいた。琴絵たちの入試は下旬なので、まだ必死で勉強している最中であったが、電話越しに英単語のチェックとか、歴史の年号チェックとかに付き合ってあげた。
試験から5日ほど経った日の午後、さすがにこんなにぼーっとばかりしてはいられないと思って外出用の服に着替えると、ボクは町に出て、商店街などを少しのんびりと巡り、マクドナルドでコーヒーを飲んで、やはりぼーっとしていた!
夕方になってしまったので帰ることにする。あぁあ、結局今日も1日ぼーっとしてしまったな、と少し反省して地下鉄の駅まで行った時のこと。小雨が降っていたのでボクは駅の入口まで走って行ったが、勢い余ってひとりの女性と接触してしまった。
「ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。あれ?」
「あっ」
それは秋月さんだった。
「おはようございます。今お帰りですか?」とボク。
「おはよう。ってこんな挨拶するのも後1ヶ月だなあ」と笑いながら秋月さん。
「出先から今日はもう帰社せずに直帰でいいと言われてたから」
「へー。でもこれって歌舞伎の習慣が芸能界にも広まったらしいですね」
「うんうん。面白い習慣だよね。とにかくその日いちばんに会ったら、時刻に関係無く『おはようございます』」
秋月さんは一瞬考えるようにしてから、こう言った。
「ね。。。。少し時間取れる?」
「はい」
ボクは秋月さんに付き合って、一緒に三鷹まで行って、そのまま秋月さんの自宅にお邪魔することになった。コーヒーを入れてくれる。買い置きのチョコパイを出してきてくれて、一緒に食べながらしばらくは雑談などをしていた。
「冬ちゃん、秘密守れるよね」
「はい」
「命令違反な上に機密漏洩になっちゃうけど、なんか何も言わないまま会社を去るのは、冬ちゃんに対して誠実じゃない気がしてて」
「私たちの勧誘に関する話ですか」
「うん」
「じゃ今日お聞きする話は私の胸の中にだけしまっておきます。政子にも言いません」
「ありがとう」
秋月さんはその件を淡々と語り始めた。
「あの事件が起きた時、プロダクションの会合で、△△社がローズ+リリーときちんとした契約を結ばないまま活動させていたことが問題にされてね」
「はい」
「結果的にはそのあたりが元でローズ+リリーは活動停止に追い込まれたわけだから、その責任は△△社にあるんじゃないかと」
「でもあれは私の性別問題が第1の原因なのに」
「まあ、色々言う人いるのよ。それにローズ+リリーという有望な素材を内心欲しいと思っている所はたくさんいたから。それで、高額なペナルティを払えとか△△社にはローズ+リリーとの今後の契約を禁止すべきだとか、色々強硬な意見もあったみたいだけど、弁護してくれる所もけっこうあって、最終的にローズ+リリーは△△社と契約していなかったのだから、現在は完全にフリーであると考えてよいのではないか、という話で妥協が成立して」
「なるほど」
「だから、どのプロダクションも自由にローズ+リリーに接触して、自分のプロに勧誘していいことにしよう、と」
「で、その勧誘の仕方にペナルティが課されたんですね」
「そういうこと。△△社の勧誘窓口が須藤さんなら、絶対冬ちゃんたちは須藤さんの勧誘に乗っちゃうでしょ」
「もちろん」
「だから△△社は窓口を交替させろと要求された」
「それと一定期間、須藤さんに私達との接触を禁じた、と」
「うん、そんな感じ」
と秋月さんは視線を沈めたまま語る。
「私さあ、須藤さんが冬ちゃんたちに不義理してるように冬ちゃんたちが思ってないかなと余計な心配しちゃって」
「ありがとうございます。それは大丈夫でした。電話1本も無いまま辞めたと聞かされて、その後須藤さんから何の連絡も無いのが不自然すぎたから、何かの密約があるんだろうなと政子とは話してました」
「こないだ、冬ちゃん、5月頃ならどこかとの契約を考えてもいいみたいなこと言ってたけど、何かの情報とかでその期日を言ったの?」
「想像です。色々な要素をミックスして考えていたら、そのあたりかな、と。△△社の甲斐さんにしても、甲斐さん以上に熱心で、しかもローズ+リリーの音楽を凄く理解してくれている感じだった##プロにしても、雰囲気的に5月くらいまでに契約してくれないかな、みたいなのを言外に感じてたんですよね」
「ほほお」
「だから、須藤さんは多分6月くらいまで私たちとの接触を禁じられてるんじゃないかと想像しています」
「さすがに私も期日までは言えないけど、どうやら、この夏にはローズ+リリーは復活しそうね」
と笑顔で秋月さんは言う。
「でも政子はステージで歌う活動までするのは気が進まないみたい。一時は歌自体をもう歌わないなんて言ってたんですけど、沖縄に行ったのがきっかけになって、私と一緒にアルバム制作するくらいはいいかな、なんて雰囲気になってきています」
「それでもいいんじゃない?ライブでのパフォーマンスも大事だけど、音源制作も大事だよ。だってライブに来れるファンは全体の1%程度。CDを買ったりダウンロードしたりはしても色々な事情でライブには行けない人もたくさんいるし、そのまわりに購入行動もしないけど、冬ちゃんたちの歌が好きだって人たちが物凄くたくさんいる。そういう人たちに応えてあげられたらいいと思うのよね」
「ほんと、そうですね」
「冬ちゃんたち、『あの街角で』とか『涙の影』を短時間だけどFMで歌って、どちらも動画投稿サイトに無断転載されて、多くのファンがそれを聴くことができたからね。けっこうファンにとっては、ガス抜きになってると思うよ」
ボクは微笑みながら頷いた。
「上島先生の作品を歌っちゃうと問題が多いかなと思って、自分たちの作品を歌わせてもらいました」
「うんうん。その方がやりやすいよね」
「でも秋月さんが辞めちゃうと寂しくなるなあ」
「1年半のお付き合いだったもんね」
「ええ。須藤さんとより長く付き合ってきた訳だし」
「ほんと、そうだね!」
「それから、これも別の意味で内緒だけど、私ね」
「はい」
「冬ちゃんが男の子だってことには早い時期に気付いてたよ」
「あぁ」
「だからツアーでのホテルの手配してあげてと言われて少し悩んだんだけどさ、冬ちゃんと政子ちゃんって凄く仲良さそうだから、同じ部屋にしてあげてもいいかなと思った。まだ若い10代の子が芸能界での経験も長くないのにハードスケジュールで動かされてるし、心が不安だろうけど、恋人同士なら慰め合えるんじゃないかと思ったからね。それに冬ちゃんの性格なら、たぶんHしちゃう場合は、きちんと避妊するだろうと思ったし」
「いつもピッタリくっついて寝てました。お互いそれで凄く気持ちが安定する感じでした。確かに別々の部屋だったら不安が膨らんでいたかも。特に政子ってああ見えて意外にデリケートなんですよね。それから避妊具は須藤さんも渡してくれてたけど、ちゃんと自分でも用意してましたよ」
「うん、さすがさすが」
「でもそれを使うようなことまでは1度もしなかったです」
「へー。今時の高校生にしては珍しいね。みんなすぐやっちゃうのに」
「あはは。かなり濃厚なことはしてましたけど。いわゆるB′(ビーダッシュ)までです、私たちは。今でもそうですけど」
「ふーん。でもCしちゃいなよ。もう高校も卒業するんだし」
「でも・・・・」
「冬ちゃん自身が女の子になりたいのにってこと?」
ボクはこくりと頷く。
「それも気にすることないと思うよ。ふたりの正直な愛の形を確かめ合えばいいのよ」
「そうですね・・・考えてみます」
その日ボクは秋月さんの個人の携帯番号を教えてもらい、退職後も連絡が取れるようにした。この番号も自分の携帯には登録しない。
入学試験があった翌週に、合格発表があった。私も政子も無事合格していた。しかし私たちと一緒に同じ文学部を受けた友人の礼美の受験番号は合格者リストの中に無かった。
私も政子も「ちょっと声掛けにくいね・・・」などと言っていたのだが、当人から私の携帯に電話が入り「落ちちゃったぁ」などと明るい声。
「どうするの?」
「併願してたM大学には通ってるから、そちらに行く。とても浪人とかはさせてもらえないもん」
「残念だね。でも同じ都内だし、また会えるよ」
「うん。また一緒に遊ぼうね」
3月4日、ボクたちは卒業式を迎えた。
思えば色々なことがあった3年間だった。1年生の時は教室の中ではおどおどしている時間が多くて、いわゆる「目立たない子」だったし、勉強もあまりよく分からなくて、放課後に書道部に行き、政子や花見さんなどと雑談しながら毛筆で色々字を書いてる時間だけが楽しかった。2年生になって英語の先生との相性が良かったことから結構勉強するようになったけど、やはり夏休みに始めたローズ+リリーの活動がボクの全てを変えた。その活動の期間は短かったけど、それ以降のボクの高校生活は超濃厚密度という感じだった。様々なイベント、様々な友人との交流の記憶が頭の中に去来する。
卒業式の朝、ボクはその日の朝御飯当番だったので、鮭を焼きながらお味噌汁を作り、作り置きの、ひじきの煮物、父の好物である梅干しなどを並べた。みんなそろった頃にロースターの鮭が丁度焼けたので皿に取って配り、家族4人で朝御飯を食べる。
終わってから食器を片付け、そのあといつものように学生服に着換えて出かけようとした時、母に呼び止められた。
「冬、今日はこれを着て行きなさいよ」
と言って、母が出してきたのは、うちの高校の女子制服だった!
「これ・・・・どうしたの?」
「昨日、仁恵さんが持ってきてくれたの。仁恵さん、洗い替え用に制服を2着持ってたのね」
「あ・・・・それは聞いたことがあった」
「だから、そのうちの1着を冬にあげるって。もう卒業で洗い替えも必要なくなるしって。昨日、冬に見せたかったんだけど、あんた昨夜は遅かったから」
昨夜は実は政子と2人で『高校時代最後のカラオケ』などと言って、夜10時まで政子の家のカラオケシステムを使って、歌いまくっていたのであった。
ボクは涙が出て来た。これを持ってきてくれた仁恵に、そしてそれを着なさいと言ってくれている母に、感謝の気持ちでいっぱいだった。父の方を見ると、わざと視線をずらすように新聞を広げて向こうを向いている。その父の姿にもボクはまた涙が出てくる思いだった。
「うん。着る」
ボクはそう言うと、ズボンと学生服を脱ぎ、女子制服の上下を身につける。学生服の下はブラウスなので、そのまま普通に着れた。仁恵のスカートはウェストが少し大きいので、サスペンダーで留めた。
「あんた、ローファーは持ってたよね、学生っぽいの」
「うん。あれ履いてくよ」
「いってらっしゃい」
「ありがとう。行ってきます」
ボクは初めて自宅から女子制服で出かけた。(コーラス部のクリスマスコンサートの時は女子制服で帰宅したのだが、翌日政子の所に制服を返しに行く時は普通のジーンズで出かけたので、自宅から制服で出る経験は一度もしていない)
駅に行き改札を通って階段を上り下りし、電車に乗る。この3年間ずっとしてきたことなのに女子制服を着て、こういう行動を取ると全てが新鮮な気分になる。不思議だ。ボクは少しドキドキしながら校門を通り、教室に行った。
「お早う!」と大きな声で教室に入っていく。
一瞬入口近くにいた子が『誰?』という感じの表情をしたが、すぐに気付いて
「あ、冬ちゃんだ!」
「どうしたの?その制服?」
などと言って寄ってきた。
仁恵もそぱによってくる。ボクは感極まって、思わず仁恵をハグしてしまった。
「ちょっと、ストップストップ」
「ごめん。でも凄く嬉しかったから。ありがとう」
「政子の家でカラオケやってると聞いて、私も行こうかと思ったけど、こちらはまだ試験の結果が出てないからさ。手応えはあったけど万一の場合に備えて後期試験のため、まだずっと勉強してるからパスした」
「あ、仁恵の制服なんだ?」と理桜。
「そう。私、洗い替え用に2着持ってたから1着、冬にあげたの。もう最後だし」
「昨夜はマーサの家から帰るなりバタンキューだったから、今朝聞いて、思わず涙を流しちゃった」
「今まででも、女子制服作ってそれで通学してれば良かったと思うんだけどね」
と仁恵は笑っている。
やがて担任の先生が入ってくる。ボクは担任の先生の所に行き、今日は最後なので、この女子制服で卒業式に出させてもらえませんかと言った。先生は驚いていたが「構わん、構わん。卒業記念アルバムにもその制服で写れば良かったのにな」
などと言った。
簡単な先生のお話のあと、みんなで体育館に行き、卒業式をした。卒業式なんて、詰まらない儀式だと思ってたけど、何か色々な思いが胸の中を行き交って、校長先生の話や、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞を聞いていても、たくさん涙があふれてきて、何回もハンカチで拭いた。
やがて式が終わり、教室でひとりひとり担任の先生から卒業証書をもらった。ボクは苗字が唐本で全体の3番目なので、すぐ呼ばれて先生から「色々あったけど頑張ったな」と言われて証書を受け取った。卒業証書の名前が唐本冬彦なのが、ちょっとだけ恥ずかしいような不思議な気分。受け取って席に戻ろうとしたら「あ、ちょっと待って」と言われる。
「はい?」
「これもやる」と言われて、もう1枚の卒業証書をもらった。
「あ・・・」
「唐本冬子名義の卒業証書だ。今は『唐本冬子』が法的に存在しないけど、そのうち君が『唐本冬子』になったら、こちらが有効だな」
ボクはまた涙が出て来た。
「ありがとうございます」
ボクは深々と御礼をして、その2枚目の卒業証書を受け取った。
席に戻る途中、ボクの次の順番の正望が呼ばれて席を立ち、彼は手を広げてハイタッチの姿勢を見せたので、ボクは彼とポンと手を合わせてハイタッチした。
全員に卒業証書が渡ってから、先生が話をする。もうこれがホントに最後なのもあって先生の話は長かった。感激しやすい精神状態になっているので、そのお話の間にもまた涙が出て来た。やがてホームルームが終わり解散となる。
ボクたちは、もうこれっきり会えなくなるかも知れないという思いから、多数の子と手を握り合ってあれこれ話をしたりしていた。
コーラス部の2年生の子が教室にやってきて「冬子先輩いますか?」などと言っている。ボクが寄っていくと「わ!女子制服着てる」と言われた。「これ、記念品です」と言って、コーヒーカップをもらった。
「ありがとう。頑張ってね」「はい」
やがて隣の教室から政子がやってきて、「冬〜、まだいるか?」などと言う。ボクが仁恵と一緒に行くと「おお!今日は女の子なんだ」と言われた。
「その制服で卒業式にも出たの?」
「そうだよ。これ、仁恵にもらったの」
「私、もともと2着持ってたからね」
「わあ、気付かなかった」と言って、ボクの制服のあちこちに触っている。
「このまま琴絵も誘ってドーナツでも食べに行きたい所だけど、仁恵と琴絵はまだ受験生だもんなあ」
「うん。そういうのは、またあとでやろうよ」
実際その日はみんなあちこちの教室に激しく出入りしていたので、結局琴絵とはすれ違いで会えなかった。そういう訳で、琴絵は3年間でただ1日だけ、女子制服で通学してきたボクを見逃したのであった。
【夏の日の想い出・受験生の冬】(1)