【夏の日の想い出・破水】(1)

Before前頁次頁After時間順目次

 
私は2008年3月14日(金)から23日(日)に掛けて、KARIONの2ndシングルの音源制作をしていたが、その時、休憩時間にスタジオ近くの食堂で和泉とふたりで軽食を食べていた時に言われた。
 
「冬〜、こないだから何か変だよ。どうしたのさ?」
「やはり変?」と私。
「変だ。何か壁を感じる」と和泉。
 
「うーん、実はさ」
と言って、私は畠山さんから『いづみはスター、君はスタッフだからわきまえろ』
と言われて、ちょっと壁を感じているということを正直に打ち明けた。
 
和泉は笑っていた。
「それは冬に、やはりKARIONに入りますと言わせようと思って畠山さんが冬を焚き付けてるんだよ」
「だとは思ったんだけどね」
 
「私さ、実際デビューして以来、学校でクラスのみんながよそよそしくてさ」
「ああ」
「なんか普通に話せるのは若葉くらいだよ。冬までよそよそしくしないでよ」
「うん。じゃ、今まで通り友だちということでいい?」
「もちろん、私たち友だちじゃん」
「そうだよね」
「ソングライトペアでもあるしさ」
「内緒だけどね」
 
「そもそも私にしても小風や美空にしても、冬のことはこう思っているよ」
と言って、和泉は自分のダイアリーのページを開く。そこにはKARIONのごく初期のサインが書かれている。
「うん。ボクもそれは大事にしている」
と言って、私も自分のダイアリーのページを開く。同じサインがある。
 
KARIONのメジャーデビュー以降の公式サインは、KAを小風、RIを美空、ONを和泉が書く「三分割」方式である。ところが、デビュー前の一時期「四分割サイン」
を書いたことがある。私がKARIONに入らないと言ったものの、「蘭子も私たちの仲間」と言われて、そのサインを作った。
 
Kを小風、Aを蘭子(私)、Rを美空、Iを和泉が書き、その下にその4文字を包み込むかのように飾り罫線風にONを書いた(Oは私、Nは和泉が書く)もので、私たち4人のダイアリー及び、デビューシングル『幸せな鐘の調べ』の各々自分用に確保したものに書いた他は、デビュー前の試運転的なイベントや、音源制作中の録音スタジオで休憩中に声を掛けられて書いた分だけであり、一般に出たサイン色紙は恐らく全部で20枚も存在しないであろう。
 
これは私たち4人の個人的な友情の証でもある。
 
「それでさ、小風も美空も同意しているから、冬さえよければ畠山さんにお願いしようと思っているんだけど、今回のCDからは冬は演奏料をもらうんじゃなくて歌唱印税を私たちと4分割にしない?」
「・・・それやると、和泉たちの取り分が減ると思う」
「冬がもらう額も減るかも知れないけどね」
 
歌唱印税は1%なので、1000円のCDが3万枚売れた場合、印税はケース代を除いて27万円となり、3分割なら9万円だが4分割なら6.75万円になる。私は前回のCDの音源制作では「演奏料」として10万円もらっている。歌唱印税方式で10万円もらうには逆算するとだいたい約5万枚以上売れることが必要である。デビューシングルは最終的には4.8万枚売れたのだが、この話をした時点ではまだ3万枚を少し越えたくらいであった。
 
私は少し考えてから答えた。
「じゃ、ボクの返事はこれ」
と言って、例の四分割サインを再度見せる。
「おっけー。畠山さんに言っておく」
「ふふふ」
 
「でもさ」と和泉。
「うん」と私。
 
「冬も、KARIONでなくてもいいから、こっちの世界に来るつもりなんでしょ?」
「行くよ」
「早く来てよね」
「うん。今年中にはそちらに行きたい」
「待ってるからね」
「うん。必ず行く」
「約束」
 
と言って、私と和泉は指切りをした。
 

一方で私がそのプロデビューのための道筋と考えていた私と雨宮先生(というか当時はその身元を知らず「モーリーさん」と呼んでいた)との音源制作(『花園の君』『あなたがいない部屋』)のほうは4月の日曜日を使って続けられた。私は毎回高校の女子制服を着て録音が行われるスタジオに出かけて行った。
 
『花園の君』で私は、ピアノ、ヴァイオリン、胡弓、ギター、ベース、ドラムスを演奏し、雨宮先生ご自身がサックスを入れてくださっている。私がソロで歌唱している、とてもレアな音源である。
 
実際の収録は4月6日に最初ピアノを演奏し、その録音を聴きながらドラムスを打った。そしてそのピアノとドラムスのパートを再生したものを聴きながらベースを弾き、次にギターを弾いた。その後で、ドラムス・ギター・ベースの音を聴きながらピアノパートを録り直した。
 
翌週13日には今度はリズムセクションの音を聴きながらヴァイオリン、胡弓、更には電子キーボードを使ってトランペット、フルート、クラリネットの音を入れ、これに雨宮先生がサックスを加えてくださった。
 

ここまでの所をミクシングして聴いてみる。
 
「華やかな曲に仕上がったなあ。これに来週、ケイちゃんの歌を入れよう」
「はい」
「そういえばさ、こないだライブに連れて行ったAYAだけどね」
「あ、はい」
「あおいとあすかが辞めちゃったよ」
「あらら」
 
「デビューシングルを上島雷太がプロデュースしたんだけどね」
「ああ、百瀬みゆきとか鈴懸くれあとかをプロデュースしている人ですね」
「そそ。3人の実際の歌を聴いて、メロディーを歌うのは、ゆみちゃんのみ、あおいとあすかはコーラスという方針を打ち出したんだな」
「妥当だと思います」
 
「で、そのふたりはその扱いに不満を持ったみたいで」
「それはあの実力差を考えたら仕方無いと思いますけどね」
「こういう形でなら歌いたくないと言って、音源制作がほぼ終わっていた段階で辞めちゃった」
「それはまた迷惑なタイミングでの辞め方です」
「全く。で、一時はオーディションして代わりのメンバーを入れて再度音源制作をやり直そうかという話も出ていたんだけど、上島さんがゆみちゃんひとりでもいいと言って」
 
「そうでしょうね」
「いったん完成していた音源から、あおいとあすかの声を取り除いてリミックスして、予定通り今月末にリリースすることにした」
「わあ、その作業をしたミキサーさんに経緯を表します」
「まあ大変だったろうね。期間も無いし」
 
と言って雨宮先生も笑っておられた。
 

更に翌週の20日、私の歌を録音してミックスした。
 
私たちは仮ミックスの状態でその音源を聴いたのだが、雨宮先生が言う。
 
「おかしいなあ。凄くよく出来ているんだけど、何かが足りないような気がするんだよなあ・・・・。何を加えればいいんだろう。それが思いつかない。売れるような歌にするのに、何かが欲しいんだ」
 
「何でしょう?」
「ケイちゃんもちょっと考えてみて。私も連休中考えてみるから。連休明けに一度連絡するよ」
 
「はい」
 

4月23日にKARIONの2ndシングル『風の色』が発売された。前作『幸せな鐘の調べ』
はその時点で3.5万枚程度しか売れていなかったので、今度は5万枚を越えるようにと発売記念イベントもたくさん組んでいた。ゴールデンウィーク前半の26日から29日に掛けてマイナスワン音源を持たせて4日間で全国12箇所というハードスケジュールなキャンペーンをやった。和泉から「これきついよー。明日の高松ライブは冬、こちらに来て私の代わりに歌わない?」なんてメールが来ていたほどであった。
 
ちなみにその間私は26日には高校の女子制服を着て、模試を受けに行き、27日には「私に女装を慣れさせよう」という絵里花たちの企画に乗せられて女装で遊園地に行ったが、この日政子がレイプされかかった現場に居合わせ、政子を助けることになる。
 
花見さんにレイプされかかってショックを受けた政子は壊れた花見さんとの信頼関係の代替を求めるかのように私の愛を求めた。それで、その日私と政子は初めて熱い時間を過ごした。
 
そしてこの日、私は女声が使えることを政子に明かすことになる。男というもの全てに対する不信感を持ってしまった政子の前で私はできるだけ女の子でいてあげようと思い、その声を使った。
 
「ね、ね、冬、そんな声が出るんならさ、私と一度デュエットで歌ってみない?女の子同士のデュエット」
と政子は言った。
 
「ああ、それもいいね。今度やろうか」
と私はその時は軽い気持ちでそんなことを言った。
 

ゴールデンウィークの後半には、KARIONは東京近辺と大阪近辺で合計4回のミニライブを実施した。大阪方面(大阪と神戸)はバックミュージシャンは現地調達したのだが、東京方面(東京と千葉)では、相沢さん・黒木さん・私・穂津美さんに、音源制作の時にも来てくださっていたベースの木月さんにもまた参加してもらった。その他臨時で頼んだドラムス、グロッケンの人に加えて相沢さんのギター、黒木さんのサックス、私のヴァイオリン、穂津美さんのキーボードという構成で、この他にコーラス隊が3人加わった。
 
今回相沢さんの発案で、相沢さん・黒木さん・私と穂津美さんは演奏する楽曲『トライアングル』に合わせて、トリコロールの衣装を着て、顔もトリコロールにペイントした。コーラス隊の女子中学生3人もしっかり顔をトリコロールにペイントされて「いや〜ん」と悲鳴をあげていた。
 
サポートで入ってくれたベース・ドラムス・グロッケンの人には顔のペイントは「しなくていいですから」と言って、ドラムスとグロッケンの人はホッとした顔をしていたのだが、ベースの木月さんは「あ、面白いから俺にも塗って塗って」
と言って、トリコロール・ペイントをしていた。このトリコロール・ペイントをしたことで木月さんは相沢さんたちとの親近感が増し、その後KARIONのバックバンドに定着していくことになる。
 
音源制作ではKARIONの3人に私と穂津美が加わって五重唱をしたのだが、このライブでは、コーラス隊の女子中生の内2人が『トライアングル』演奏の時には前面に出て行って五重唱に加わる。
 
「冬〜、穂津美さ〜ん、人相が分からない。ふたりとも美女が台無し」
と和泉が言うが
 
「私たちは引き立て役だから。和泉の可愛さが目立てばよい」
と言って笑っておいた。
 
「蘭子ちゃん、作っていたというデモ音源はそろそろ出来た?」
と畠山さんから訊かれる。
 
「だいたい出来たんですけど、何か足りない感じがしてですね。連休明けに再調整することにしています」
「うん、出来たら聴かせてね」
「はい、もちろん」
 

ところが「モーリーさん」は連休が明けても連絡してこなかった。モーリーさんの連絡先を聞いておくべきだったなと私は思ったのだが、そんなことをしている内に、KARIONの3枚目のシングルの音源制作に入る。
 
「え?ゆきみすず先生が入院なさったんですか?」
「うん。子宮筋腫らしい。しばらくは稼働できないみたい」
「今回の音源制作はどういうふうに進めましょうか?」
「仕方無いから、僕が陣頭指揮を執るよ」
と畠山さんはおっしゃったのだが、畠山さんは元々マネージャーとしてこの業界に入って来た人なので、楽曲をプロデュースする作業はあまりうまくない感じであった。
 
結果的には制作中は、私と和泉が共同で主導する形になった。畠山さんも途中から「君たちに任せた」と言って、完全にこちらに丸投げの形になった。
 
私と和泉は共同で編曲をけっこういじった。一部作曲家の方に承認を取ってメロディーラインをいじった部分もある。
 
「何だか今まででいちばん良い出来のような気がする」
と畠山さんは言う。
 
「こういう感じにした方がKARIONの魅力が出るでしょ?」
と言って私と和泉は微笑んで畠山さんに言った。
 
タイトル曲は、ゆきみすず作詞・木ノ下大吉作曲の『夏の砂浜』、c/w曲は、葵照子作詞・醍醐春海作曲(∴∴ミュージックの別の女性歌手にしばしば楽曲を提供しているソングライトペア)の『積乱雲』であったが、3曲目に別の作詞家・作曲家の方に発注する予定であったのを、和泉が
 
「例の『クリスタル・チューンズ』を書いたふたりがまたこんな曲を書いたので入れていいですか?」
 
と言い、少女A作詞・少女B作曲の『Diamond Dust』という曲を持って来て、畠山さんも
「お、このペアはきれいな曲を書くね。うん。入れよう」
と言ってくれたのでそれを使用することになった。
 
この曲は本当に「少女A作詞・少女B作曲」などというふざけたクレジットでJASRACに登録してしまった!
 

雨宮先生から連絡があったのは、このKARIONの音源制作も終わった後の5月下旬であった。
 
「やっと足りないものが分かったよ」
と雨宮先生はおっしゃった。
 
「この曲には歌声が足りないんだ。ケイちゃんひとりの声では、この華やかな楽器演奏に負けてしまうんだよ。サブメロディーのパートを書いたから、これも歌って。二重唱にしよう」
「はい」
 
ということで、私は元々のメロディーの三度下を歌うもうひとつのラインを歌って、それを更にミクシングしてみた。
 
確かに前回聴いたのより、ぐっと雰囲気がよくなっている。
 
雨宮先生は「じゃこれミックスダウンして君に渡すね。私も取り敢えず知り合い何人かに聴かせてみるから」
とおっしゃっていた。
 
「はい、お願いします」
「じゃ、また後で連絡するね」
と言われたのだが、その後、連絡は全く無かった!
 

その「直し」をした週、ちょうどKARIONの新譜のマスタリングが完成した音源をもらって聴いたりしていると、ほんとに早く和泉たちに追いつきたいという気持ちが強くなってきた。モーリーさんだけにお任せするのではなく自分でももっと積極的に動くべきだという気持ちも出てくる。それで少しもやもやした気分でいたら、書道部で政子が
 
「どしたの?唐本さん、なんか男の子の『たまってる』って奴?」
などと言う。
 
「ああ、ボク、その『たまる』経験は無いよ」
「へー。確かにあまり強くなさそうだったもんね。すぐ縮んじゃったし」
 
などと言う。これだけ聞くと、まるで私たちがセックスでもしたみたいに聞こえる。
 
「政子と冬って、やはりそういう関係だよね」
などと実際、傍にいた理桜に言われた。
 
「うん、私たちは友だちだよ」
と冷静に笑顔で答える。政子の突飛な発言への対応もかなり慣れてきた感じがする。
 
「ふーん。友だちね〜」
と言って理桜はニヤニヤしている。
 
「うん。ボクたち良い女友だちだから」と私は言ったが
「私たちって心が通じ合ってるから」と政子。
 
「おお、お熱い」
 
「また誤解を招く発言を」
 
と私は笑って言ったのだが、その瞬間、私は政子と一緒に歌を歌ってみたい気がしてきた。そういえばこないだも政子とふたりでデュエットしてみようなんて話をしたんだった。
 
そうだ・・・・モーリーさんは、私の声1本では楽器の多彩な音に負けてしまうからデュエットの方がいいと言った。先日の音源制作では私自身の声で二重唱にしたけど、二重唱はふたりでやった方が自然じゃん!
 
だいたい、私と政子のふたりで作った曲なんだもん。作ったふたりで歌えば完璧という気がする。
 
「今度の土曜か日曜、中田さん、時間ある?」
「あ、ちょうど良かった。啓介からデートに誘われてて、断る理由を探してたから、唐本さんに付き合うよ」
 
「いや、花見さんとの約束があるなら、そちらを優先してよ。花見さんとのデートは土曜?日曜?」
 
「土曜日。だから、唐本さんは土曜日に私を誘って」
「何だかなあ。まあいいや。じゃ、土曜日に○○駅前で会おう」と私。「いいよ」と政子。
 
理桜が「おお、頑張ってね」などと言った。
 
「あと私の前で遠慮して苗字で呼び合わなくてもいいよ。ふだんは名前で呼び合ってるんじゃないの?」
 
「うん。冬は私のことマーサと呼ぶよ」
「へー!」
私はポリポリと頭を掻いた。
 

土曜日。駅前で落ち合った政子を私はいつものスタジオに連れて行った。
 
受付で
「DスタジオかEスタジオ空いてますか?」と訊くと
「うん。どちらも今日は1日空いてるよ」と言われるので
「じゃEスタを2時間借ります。個人的な使用なので、使用料は給料から引いておいてください」
と言ったのだが、
「ああ、気にせず使えばいいよ。機材操作の練習ってことにしとけばいいから」
と言われたので、ありがたくそういうことにさせてもらって2階のEスタジオに入った。
 
「冬、受付の人と女の子の声で話してた」
 
「うーん。細かいこと気にしない。こういう所来たことある?」
と私はそのまま女声で話す。
 
「はじめて。なんか不思議〜な感じ」
 
「ここは小規模なスタジオだから、アイドル歌手とかの録音でよく使ってる。ロックバンドや、数人の歌唱ユニットは3階のもっと大きなFスタジオを使う」
と私は説明する。
 
「ここで何するの?」
「歌おうよ」
「わあ!」
「そもそも3月に一度一緒に歌おうって言ってたのに、その後なかなか時間が取れなかったから」
「そうだったね」
 
私は政子と一緒に作った曲の中から『雪の恋人たち』と『坂道』という曲の伴奏音源を流した。この2曲はデュエットしてこそ晴れる曲という気がした。
 
「今回はこの2曲」
 
「なんか格好いい音源!」
「私がキーボード演奏で作った音源」
「あれ? MIDIじゃなくて?」
「MIDIの方が手っ取り早いけど、これは実際の楽器で演奏してみたかったからね」
「へー」
 
実際にはキーボードだけではなく、ヴァイオリンは本物を弾いているのだが面倒なのでそういう細かい説明は省略する。
 
私は各々の曲の自分のパートと政子のパートを歌ってみせた。
 
「冬と違う音で歌うのか・・・」
「大丈夫だよ。ほとんどの所でボクとマーサの音は三度唱だから、音が響くように歌えばいいんだよ。ちょっと試してみよう。ボクがミーって音を出したらマーサはドーって音を出せばいい。ドーって出してみて」
 
「ドー」
「伸ばしてみよう。ドーーーーーーーーーー」
政子も「ドーーーーーーー」と音を伸ばすと、最初の音は違っていたのにすぐに政子は同じ音に合わせてきた。
 
「その調子、その調子。今度は私がミーーーーーと歌うから政子はドーーーで合わせてみて」
「うん」
「ミーーーーーー」
「ドーーーーー−」
 
政子はやはり最初の出だしの音は違うものの、私のミの音を聴いてちゃんと正しいドの音に合わせることができた。
 
「今のは長三度という音程。今度は短三度をやってみよう。今度はボクがソーと歌うから、マーサはミーって歌って」
「あ、音の幅が違う」
「そうそう。それが分かったら上等。まずミの音。ミーーーー」
「ミーーーー」
「うんうん。うまい。じゃ次はボクがソーーと歌うからマーサはミーだよ」
「ソーーー」
「ミーーー」
 
「うまい、うまい。やはりマーサは音感がいいよ」
「そうかな」
「これまであまり歌ってなかったから下手なだけで、練習すればすぐうまくなるよ」
「私、冬となら一緒に歌の練習をしてもいいかな」
 
「よし。今日は徹底的に音程の練習をしよう」
 
ということで結局その日はひたすら2時間音程の練習をした。そして翌日もまたスタジオに出てきて、今度は別の部屋Cスタジオになったがそこで2時間、簡単な曲を私と政子で三度唱する練習をした。
 
「なんで三度に長いのと短いのがあるんだろと思ったら、間に黒鍵の無い所が入るかどうかで違うのね」
「そうそう! 分かってるじゃん」
「だから、ドミ、ファラ、ソシは長い三度、レファ、ミソ、ラド、シレは短い三度なんだ」
「うん。ちゃーんと音楽理論が分かってるじゃん」
「えへへ」
 
私がおだてると、政子は結構のってきて、そしてのってくると、音を正しい音に合わせるスピードが上がっていった。最初の頃は歌い出して少し置いて正しい音に収斂させていたのが、次第に歌い出した次の瞬間合わせられるようになり、日曜日の練習の終わりには、もう普通の人の歌並みになってきた。
 
「じゃ来週も一緒に歌おう」
「うんうん。何だかこれ楽しい」
 

実際にはそれから毎日私たちは夜に電話を掛け合って携帯をつないだまま三度唱の練習をした。政子は日に日にうまくなっていった。6月7-8日の週末はまたスタジオに入ったが、その日もひたすら音を私と調和させて歌う練習をした。
 
「今日は四度下を歌うというのをやってみよう。これはフレーズの終わりとかでよく出てくる音程なんだよ。今度はボクがドーーと歌うから、マーサはソーーと歌ってみて」
 
「うん」
「ドーーーーーー」
「ソーーーーーー」
 
「合ってる、合ってる」
「私、三度の次は五度で響くのかと思ってた」
「実は五度なんだよ。ドレミファソでしょ」
「あ、うん」
「でもそのオクターブ下を歌うから、外見上は四度下になる訳」
「あ、そうか。実は五度なんだね!」
「そうそう。五度は三度より美しい音程だよ」
「うん。三度より合わせやすい気がした」
 
それでその日はひたすら四度下を歌うというのをやった。
 
そして翌日は三度下と四度下の混ざった譜面を見せてピアノで伴奏しながら一緒に歌った。
 
「私、何となく、三度下にすべき時と四度下にすべき時が分かる気がする」
「そ? じゃメロディーしか書いてない譜面でやってみようか?」
 
と言って私は簡単な唱歌の譜面を見せる。ピアノ伴奏で歌ってみる。政子はほとんど間違わずに、ちゃんと和音になる音を選んで歌うことができた。
 
「すごーい。ちゃんとハーモニーが分かるってマーサ天才だよ!」
「うん。私は天才だもん」
 
と政子は得意そうに答えた。
 
そしてまた平日の間は毎晩夜に携帯でつないだまま、歌の練習を続けた。
 

三週目。6月14-15日になって、いよいよ私たちは『雪の恋人たち』と『坂道』
の歌唱を収録した。その場で伴奏と仮ミックスして流してみる。
 
「なんか格好いい〜」
「きれいに仕上がったね」
「私が歌った歌じゃないみたい」
 
「この音源さ、ちょっと色々な人に聞かせてもいい?」
「うん、いいよ。でも聞かせてどうするの?」
「CDにして売ろうなんて話になったりしてね」
「へー。売れたらいいなあ」
「武芸館とかのステージに立ってさ、ふたりで1万5千人の観衆の前で歌うの」
「私と冬のふたりで?」
「そそ」
「いいかも知れないなあ」
 
と言ってから政子は
「先生、質問です」
と言って手を挙げた。
 
「なんだね?マーサ君」
「その時、冬は今みたいに女の子の声で歌うのでしょうか?」
「もちろん」
「だったら、その時冬は今みたいに女の子の服を着るのでしょうか?」
「当然」
 
政子が「ふふふふふ」と笑うので「どうしたの?」と訊く。
 
「いや、可愛い冬ちゃんと並んで歌うのは楽しそうだなあと思って」
「ボク女の子だから」
「今日は素直だね」
「たまにはね」
「でもこれで連続三週、啓介とのデートを潰せたし」
「あはは。嫌いなら別れればいいのに」
 

私はこの時作った音源を誰に聴かせたのか、実は記憶が無い。
 
その後の8月から12月に掛けてのことがあまりに慌ただしかったので、その少し前の6月頃からの記憶が大幅に抜け落ちたり混乱しているのである。
 
取り敢えず畠山さんには聴かせようと思ったのだが、これが随分後にずれこんでしまった(と思う)。
 
6月の後半は、昨年のクリスマスの時に知り合った歌手・晃子さんとの共同ライブの件が入り、7月に入るとKARIONのアルバム制作(これも私と和泉が実質的なプロデュースをした)が始まったので、私はこの自分たちの音源のミクシング、マスタリング自体をする時間が取れず、最終的に音源を完成させたのはKARIONのアルバム制作が終わった7月20日以降なのではないかという気もするのだが、6月の内に仮ミクシングはしているので、その段階でひょっとしたら何人かに聞かせたのかも知れないという気もするが、よく分からない。
 
畠山さんも6月は青島リンナ・MURASAKI・前川優作といった、∴∴ミュージックの三大スターのライブが連続して行われて、かなりバタバタしたので、後から畠山さんに確認しても、この音源を最初に聴いた時期はあやふやだと言う。
 
一方で私は7月の上旬には、『雪の恋人たち』『坂道』の出来が良かったので更に調子に乗って、政子とふたりで、これまで作り溜めた曲をスタジオを半日借りて一気に歌だけ吹き込むという作業もしていた。
 
更にKARIONのアルバムの制作を終えた直後くらいから、私と政子は花見さんに誘われて△△社の設営のバイトを始めてしまった。そんなことをしている内に8月3日が来て、私と政子は唐突にデパートの屋上ミニライブのステージに立たされてしまったのであった。
 

この慌ただしかった時期の多分7月中旬くらいに私は路上で偶然穂津美さんに遭遇した。
 
「わお、久しぶり〜」
「ちょっとお茶でも」
 
ということで私たちは近くのカフェに入り、お茶を飲む。
 
「そうそう、冬ちゃん、レイシーが見つかったよ」
「ほんとですか!」
 
穂津美さんは以前女性歌手ユニットのバックダンサーをしていた時エルシーと名乗っており、その時の同僚のティリーという人とふたりで自主的な音楽制作活動をしていた。この「エルシー」「ティリー」というのが『不思議な国のアリス』に出てくる、ヤマネの三姉妹の名前の一部と偶然一致していたため、もうひとり、この三姉妹の名前の残り「レイシー」の愛称になる子がいたら仲間にして三人組のユニットを作りたいなどと言っていたのである。
 
「冬ちゃんたちが言ってたみたいに、麗子って子。本人は今までレイシーなんて呼ばれたことない、なんて言ってたけど、強引にレイシーにして、ついでにリーダーを押しつけた」
「あはは」
 
「それで三人でスリーピーマイスってユニット作ったんだ」
「あれ?ドーアマイスじゃなかったんですか」
「うん。ドーアマイスよりスリーピーマイスの方が覚えやすいから」
「ああ、確かに名前の覚えやすさは大事ですよね」
「あ、音源聴かせてあげよう」
 
と言って穂津美さんはICレコーダにイヤホンを付けて貸してくれた。
 
「これスキー場で聞かせてもらった『愛の武闘会』ですね。でも凄く聴きやすくアレンジされてる」
 
「そそ。レイシーがそういうのうまいのよ」
「へー、レイシーさんがアレンジしたんですか。あ、これコピーもらえます?私も知り合いに聞かせます」
「うんうん。良かったらあちこち売り込んでよ。今度自主制作CD作るつもりだから、できあがったら1枚あげるね」
「わあ、楽しみにしてます」
と言って私は自分の住所を書いて渡した。
 
それで私はこの音源を畠山さんや丸花さん、津田先生などにお聴かせした(と思う)。
 
結局スリーピーマイスはその年の11月にメジャーデビューすることになるが、メジャーデビューするにあたってこの曲は『仮面武闘会』と改題された。スリーピーマイスの3人が振袖を着てフェンシングの仮面のようなものを付け日本刀を持って踊るというB級っぽい怪しげなPVも制作された。
 
彼女たちをデビューさせることになったプロダクションは○○プロの友好プロダクションのひとつで、後に丸花さんが「あれはケイちゃんからこの人たちいいです〜、と言って音源を聴かせてくれたから、僕も行けると思って、パンクバンドとかも抱えているあそこを紹介したじゃん」などと言っていたから、やはり私が丸花さんに聴かせたのが彼女たちのメジャーデビューの後押しになったのだろうと思う。
 
ただその付近の記憶も、当時の超絶ビジーな時間の中でとても曖昧である。
 
(ちなみに穂津美さんたちも、ローズ+リリーの片割れが私であることには、12月に例の大騒動の時に私が記者会見をしているのを見て初めて気付きびっくりしたと言っていた)
 
なお、穂津美さんはこのスリーピーマイスの活動開始に伴ってKARIONのバックバンドから離れ、それ以降、バックバンドのキーボード奏者は私で固定される。
 

私と政子が唐突にステージに立たされた日(8月3日)の時期は実はスタジオでサウザンズの音源制作にも関わっていた。毎日ギターやベースのチューニングをすると共に、1曲私のヴァイオリン演奏を加えた楽曲もある。
 
サウザンズの音源制作は8月7日に終わったが、翌8日私と政子はローズ+リリーとして初めて名乗ったライブ、戸島遊園地でのライブを行った(これを奈緒に見られた)。
 
そしてその翌日の8月9日に私は間違いなく『雪の恋人たち』『坂道』の音源を畠山さんにお聴かせしている。
 

「これがその期間限定で作ったユニットの子とのデュエットか」
と畠山さんは、うなるように言った。
 
この日は私と畠山さんと和泉の3人だけだった。
 
「この歌の歌詞は誰が書いたの?」と和泉が訊く。
「この歌っている相手の子」
 
「私、負けない」とメラメラした瞳で和泉は言った。
 
ライバル宣言だなと私は受け取った。
 
「編曲は蘭子ちゃん?」
「そうです。ミックスダウンも」
 
「これ、蘭子ちゃんが編曲・ミックスダウンしてなきゃ、あまり売れない歌になってたかも知れない」
「ふふふ」
「魅せ方が巧妙だよ」
と畠山さんは言う。
 
「蘭子ちゃんの歌は和泉ちゃんの歌と傾向が似てて、基本的にうますぎるんだよ。ポップスじゃなくてクラシック歌手を目指してもいいくらいうまい。でもKARIONでは、ふつうにうまい小風ちゃん・美空ちゃんとの組合せで、ほどよい聴き良さに仕上がっている。でもこの蘭子ちゃんとお友だちとの歌の場合、相手は明らかに下手。でもその下手さを親しみやすさとして利用して編曲・ミックスをしている」
 
「これもし売れたら、多分冬より、相手の子の方に人気が集中するよ」
と和泉が言う。
 
「うん。私はそれでいい」
 
「自分で光り輝く力を持ちながら、敢えて引き立て役に徹するんだ?」
 
「このユニットでは私、最初から性別をカムアウトするつもりでいます。父にも今月中に話をしようと思っています。今回の△△社さんのプロジェクトは今月いっぱいで終わるみたいだから、その後、あらためてデモ音源を持ってあちこち売り込みに行こうかな、と。その時、私が女の子でないとしても、引き立て役であれば、あまり問題無いでしょ?」
 
結局世間からはどうしても「色物」と見られてしまう宿命のある自分を活かす一番の方法は、別の女の子をスターとして据え置き、自分はその引き立て役になることだという結論に、当時私は達していた。その素材として政子という強烈なキャラクターは代えがたい存在だと思っていた。
 
「いや、あちこち売り込みに行かなくても、うちと契約してよ。メジャーにも僕が売り込むからさ。性別問題があっても、これだけうまくて、蘭子ちゃんがこれだけ女の子らしければ問題にならない」
と畠山さん。
 
「たださ」
と和泉は言った。
「そちらのプロジェクト、本当に今月だけで終わるの?」
「へ?」
「うん。それが僕も心配。このまま人気出ちゃったりしないかな」
「えー?」
 
そのことは実際、私は想定外のことであった。
 

その日の夕方、私は丸花さんに会って、やはり音源をお聴かせした。お電話をして、音源を作ったので良かったら聴いてくださいと言ったら、会って聴くとおっしゃったので、夕方、ファミレスで会い、イヤホンでお聴かせする。
 
「実はね、先日ある所で、君がひとりで歌っている音源を聴いた」
「それ・・・もしかして『花園の君』『あなたがいない部屋』ということは?」
「あ、そうそう。そんなタイトルだった」
 
じゃモーリーさん、ほんとにあの音源をあちこちに売り込んでくれてるんだ!でも私にもちょうだいよ〜。
 
「どうでしょうか?」
「あれも素晴らしいと思ったが、こちらの方がいい」
「そうですか」
 
「あの音源は美しすぎる。うますぎるんだよ。鑑賞するにはいいけど、売れるかどうかは微妙だと思った。この音源は間違いなく売れる音源だよ」
 
そして丸花さんは言った。
 
「今度浦中にも言っておくからさ。スズメちゃんの方は、例の件何とかしてよ」
「父へのカムアウトですよね。頑張ります」
「うん。それさえクリアできたら、こちらは始動するから」
 
「はい、ただ、他の事務所との話もあるので」
「そこはまあ話し合いだな」
と丸花さんは笑顔で言った。
 

8月のある日、私は自分の部屋で高校の女子制服(夏服)に着替えて、居間でテレビを見ていた父の前に出た。
 
「あれ?お客さんでしたか、いらっしゃい」
と言う父に私は
「お父さん、私、冬彦だよ」
と女声で言った。
 
「へ?」
と言って目をぱちくりさせた父は
「お前冬彦!? へー。なんかそうしてると、まるで女の子みたいだな。何かの余興か?」
と笑って言う。
 
「お父さん、私ね」
と言って、自分の性別のことをカムアウトしようとした時、父の携帯が鳴る。
 
「あ、待って」
と言って、父は携帯に出た。
 
「はい、はい。えー!? 分かりました。すぐ行きます」
と言った父は
「すぐ出かけなきゃいけなくなった」
と言って慌ただしく背広に着替えて出かける。
 
「冬彦、ほんとにお前女装が可愛いぞ。いっそ性転換してもいいかもな」
などと言って飛び出して行った。
 
私はどっと疲れて椅子に腰を下ろした。
母がポンポンと肩を優しく叩いた。
 

須藤美智子が主導する「ローズ+リリー」プロジェクトの方では、8月10日に大阪のイベントに参加する。そしてここでパラコンズのくっくにキスされるという事件もあった。翌日須藤さんは私たちを呼んで「CDを作ろう」と言い、スタジオを3時間借りてバタバタと5曲を吹き込んだ。伴奏は全部須藤さんが打ち込んだMIDIである。
 
さて、ここで実は私は「ちょっとしたイタヅラ」をした。このことは永遠に秘密である。
 
スタジオから戻ってきて須藤さんは事務所の中の自分の机の上でパソコン上でCubaseを使ってミックスダウン作業を始めた。ところが作業中に電話が掛かってきて「ごめーん。2時間ほど出てくるから、お昼食べて休んでて。戻って来てからジャケ写を取りに行こう」と言って出かけてしまう。
 
そこで私は政子に言った。
「ボクこれちょっと見せてもらっているから、政子は近くで御飯食べておいでよ」
「うん。冬はお腹すかないの?」
「うん。昨日大阪と往復してまだ疲れが残ってるからあまり入らない」
「OK。じゃひとりで食べてくるね」
 
そしてひとりになったところで私は須藤さんが編集仕掛けの画面を少しいじり始めた。須藤さんの性格はだいたい把握していた。ここでデータが少々変わっていてもたぶん気付かない。
 
私の編集方針はシンプルである。「耳に馴染みやすくすること!」
 
あまり時間が無いので、恐らく中核曲になると思われた『ふたりの愛ランド』
に絞って私は編集した。逆に須藤さんはこの曲は軽視している感じで、表題曲の『明るい水』とそれに準じる扱いの『七色テントウ虫』に力を入れている感じだった。スタジオ技術者として1年以上、多数のアルバム制作に関わってきた経験と勘が、このCDの中では絶対『ふたりの愛ランド』が中核だと私に告げていた。そして須藤さんが軽視している分、きっと多少変更されていても気付きにくい!
 
私がほぼ編集を終えた頃、政子が戻って来て
「冬〜おみやげ」
と言って、山のような量のパンを置く。
 
「こんなに入らないよう〜」
「じゃ一緒に食べよう」
と政子は言い、実際には9割くらい政子が食べた。
 
やがて須藤さんが戻って来て、私たちはジャケ写を取りに写真スタジオに行った。
 

写真スタジオから戻って来てから、須藤さんは写真の編集を甲斐さんに任せて自分はCubaseの編集を続けた。
「うん。だいたいできたかな」
と須藤さんが言った頃、甲斐さんも写真の編集を終えてデータを持って来た。
 
その時私は言った。
「須藤さん、私もCubase勉強しているので、よかったらこのCubaseのデータをコピーさせてもらえませんか?」
「ああ、いいよ」
 
と言って須藤さんはデータを私のUSBメモリーにコピーしてくれた。
「ありがとうございます」
 
ここで私がこの「元データ」をもらっておいたのが後で意味を持つことになる。
 

このCDを作った日の翌日、私たちは水戸に行き、ローズ+リリーとしての3回目のライブを行った。この時昨日プレスしたCDを持って行ったのだが、全部売り切れてしまった。須藤さんは買えなかった人たちに「通販しますから」と言ってホームページのアドレスを書いて配っていたが、そのホームページはその日東京に戻ってから、須藤さんが1時間ででっち上げて立ち上げた。
 
このあたり須藤さんの無計画性・行き当たりばったりな性格というのが、良くも悪くも出ていたという気がする。きちんと計画して行動するタイプであれば、ローズ+リリーは売れる機会を逸していたであろう。
 
14-15日は私と政子はお盆の追悼イベントの会場設営をしていたのだが、そこに須藤さんが来て、私に言う。
「ね、唐本君、昨日コピーしてたCubaseのデータ、明日でも良いから持って来てくれない?」
「はい」
 
「いや。実はさ、CDが売り切れちゃったでしょ。それで再版しなきゃというのでデータを探したんだけど見つからなくて」
 
見つからなくてじゃなくて、再版になることはあるまいと思ったから削除したんじゃないかと私は思ったが「分かりました。持って来ます」と答えた。
 
実際ジャケ写のデータも「見つからない」と言って、素材集の薔薇と百合の写真を使ってCD制作用のデータを作成していた。
 
なお、この1日で売り切れてしまった第1ロットCDを私は3枚だけ自分用に確保していた。そして1枚は畠山さん、1枚は丸花さんに渡し、1枚は自分用に持っていた。しかし翌月やっと熱海温泉で偶然雨宮先生と遭遇することができた時、残りの1枚(本来は自分用)を差し上げたので、結局この記念すべき第1ロットのCDを私は1枚も持っていない。
 

後から聞いた話では、どうもこのCDが1日で売り切れたという話を聞いた浦中さんが、このユニットは化けるのではと考えて、私たちのメジャーデビューについて検討を始めたらしい。
 
最初、浦中さんは実際にどこかに聞きに行こうとしたらしいが、そこにふらりと丸花社長がやってきて、しかもローズ+リリーのCDを持っている。聴いてみると良い雰囲気である。丸花さんは更に私たちの別の音源も浦中さんに聴かせた。「むしろこの自主制作音源の方がいいですね」と浦中さんは言ったという。
 
「この子たち売れるよ」
と丸花さんが言うので、社長が言うのであればということで浦中さんはすぐに★★レコードの町添さんに連絡した。町添さんは次のローズ+リリーのイベントが浦和で行われた16日に秋月さんを偵察に派遣した。しかしその日会場に持ち込まれた2ロット目のCDも全部売り切れ、秋月さんはCDを買って帰ることができなかった。
 
秋月さんが「この子たち、すごっくいいです」と報告したので、次は加藤課長と一緒に30日の富士急ハイランドのイベントを見に行くことにした。その間、実はレコード会社では興信所を使って私と政子の「素行調査」も実施したらしい。その内容についてはずっと後になって秋月さんが笑いながら私に教えてくれた。
 
その週、私はだいたい日中は補習に出ていて、夕方はスタジオに行っていた。
 
調査した興信所の人は私を女の子と思い込んでいるので、朝の登校中の私は(実は学生服姿なので)どうしても発見できなかった。しかし下校する時は私は女子制服姿なので、それをキャッチして尾行する。それで私がどこにも寄り道せずにバイト先のスタジオに入り、そこでの仕事を終えたら、まっすぐ帰宅するのを確認する。
 
また学校の友人(たぶん奈緒)・スタジオの友人(きっと有咲)に接触して「まじめで何にでも熱心な女子高生ですよ」という反応を聞いたらしい。
 
一方政子の方も朝の登校の姿はキャッチできなかった。これは政子が遅刻の常習犯で、非常識な時間帯に学校に出てきていたからだと思う。そして補習が終わった後は、図書館に寄った後、川縁を散策。詩を書いてから帰宅していた。ひとり暮らしではあるが、乱れた生活をしている雰囲気は無い。
 
また当時政子には婚約者がいたものの、ちょうどこの調査をしている最中に別れたこともキャッチされていた。つまり政子は絶妙なタイミングでフリーな身になった訳である。
 
また、何度か冬子が政子の家を訪問し、一緒に御飯を作ったりしている様子も見られていた。このふたりはとても仲の良い女友だちのようである、と結論付けた報告書が提出されたらしい。
 

そのような状況の中で、8月29日に、○○プロがローズ+リリーのプロデュースをしたいという話が来たのに私はびっくりした。
 
○○プロが△△社と関係があるということを私は実は麻布さんから聞いていたのであったが、聞いたまますっかり忘れていて、この話が来てから思い出した。
 
このあたりの経緯だが、○○プロの丸花社長は、私たちが△△社と契約したと聞いてそれなら「私の性別問題」もクリアになり、芸能活動に親が同意したのかと安心して、動いてきたということだったようである。ただ、浦中部長や前田課長は「私の性別問題」自体を知らなかったのだが。
 
私はこの付近のことも逐次畠山さんにも報告していたのだが、偶発的な事件をきっかけに、なしくずし的に事態が推移してしまったので、畠山さんも打つ手が無かったようであった。
 
一応ローズ+リリーの活動は9月13日の荒間温泉で、リュークガールズの前座を務めるので終了する予定ではあったのだが、畠山さんも和泉も
「たぶんそれでは終わらないよ」
と言った。私もそんな気がしていた。
 
ただこの時点では私も畠山さんもローズ+リリーがメジャーデビューということになるのは年末かひょっとしたら年明けくらいの時期ではと考えていた。
 
それを大幅に早めたのが「上島フォン」であった。
 

9月12日、私たちのメジャーデビューに関する打ち合わせで★★レコードに行っていた浦中さんは、廊下で偶然上島先生と遭遇する。
 
それで浦中さんは「今度女子高生2人組のユニットを売り出すんですよ。何かいい曲ないですかね」などと言った。この時、浦中さんは特に何か意味があって言った訳ではないと思う。挨拶代わりのようなものである。そして上島先生も「あ、それじゃ何か一曲書いてあげるよ」と言った。これも外交辞令のようなものであり、ほんとに書きましょうという意味では無かったと思う。この業界ではよく「今度一緒にメシ食いましょう」なんて話をするが、それが実現されることは滅多に無い。
 
ところがその夜、上島先生はほんとうに私たちのために『その時』という曲を書いてくださったのである。しかも先生は書き上げたら即、★★レコードの町添部長に電話して
 
「ローズ+リリーという女子高生2人のユニットに『その時』という曲を書いてあげたので、そちらからすぐCDを出してあげてください」
などと言った。
 
上島先生は当時★★レコードの売上げの2〜3割を稼ぎ出していた売れっ子作曲家であり、上島先生から町添さんへの電話は、「上島フォン」と呼ばれていてレコード会社としては無視できない存在であった。
 
AYAがデビュー直前にメンバー2人が脱落してもそのまま残りの1人だけでデビューすることになったのも上島フォンであったし、map(エムエーピー)という少し不思議なサウンドの女性4人組がデビューできたのも上島フォンであった。後に私たちが『夏の日の想い出』という大ヒット曲を出すことになったのも上島先生からの電話であった。
 
レコード会社が毎回それに振り回されながらも上島フォンに素直に従って行動してきたのは、それがしばしば突飛な要求ではあっても、結果的には必ずセールスにつながっており、誤りが無かったからである。
 
そしてこの「上島フォン」で私たちのメジャーデビューは決まってしまった。
 

当時は、この時なぜ上島先生が、それまで全く関わりもなく、無名であった私たちに曲を書いてくださったのか全くの謎であった。
 
後に(10月末にしゃぶしゃぶ店でお会いした時)上島先生は、こんな説明をした。
 
「その日、ちょうど用事が1件キャンセルになって、それで唐突に時間が空いた時に、そういえば浦中さんから1曲書いてと頼まれたなと思って、『明るい水』
のCDを取り敢えず掛けてみたら、ふたりの歌に強烈なオーラを感じた。この子たちはきっとビッグスターになると思ったので、俄然やる気が起きた。そしてジャケ写のふたりの顔を眺めていたら、恋物語のイメージときれいなモチーフが浮かんで来たので、それを急いで書き留めて曲に仕上げたんだよ」と。
 
ところが11月初旬に今度は上島先生の御自宅を訪問した時に先生は別の説明をなさった。実はその用事をキャンセルさせたのは雨宮先生だったというのである。
 
その日私たちは「新曲をあげるから取りに来て」と言われて、コンサートの前日ではあったものの、上島先生からそんなことを言われたら行かなくてはということで、須藤と政子の3人で御自宅を訪問した。
 
しかし上島先生は多忙で、実際にはなかなか書いてくださらない。その内政子は眠ってしまい、須藤さんも途中でダウンして、結局私だけが起きている状態でもう明け方近くになって『甘い蜜』という作品を1時間ほどで書き上げてくださった。
 
この夜、雨宮先生が来ておられて、結果的には私と上島先生・雨宮先生の3人で徹夜したのであったが、その時に雨宮先生が
 
「あの時、ライちゃんに用事をキャンセルさせたのは私」
と明かした。
 
本当は上島先生は浦中さんと会った日、別の歌手のライブに招待されていて、そちらに行くつもりでおられたのが、上島先生が『明るい水』のCDを持っておられるのを見て雨宮先生が「この子たち、絶対売れるし、今回は他の人の作品ばかりだけど、この子たち実は物凄く優秀な曲を作る。その内ライちゃんこの子たちに追い抜かれるかもよ。だから将来のライバルにはなむけを贈ってあげなよ」とおっしゃったので、それでライブの予定をキャンセルして曲を書いてくださったのだということであった。
 
結果的に、やはりローズ+リリーのメジャーデビューには雨宮先生が大きく関わっていたようであった。
 

このメジャーデビューの直前は実に慌ただしかった。私自身の記憶にも混乱があるのだが、当時のダイアリーを元に追ってみると、こんな感じであった。
 
9月12日に浦中さんが★★レコードの廊下で上島先生と遭遇し、その夜、先生は『その時』を書いて下さった。
 
翌13日、ローズ+リリーは「最後の仕事」になる予定だった荒間温泉での仕事に行ったが、上島先生が私たちに曲を書いてくださったという話に驚愕する。須藤さんは私と政子に「この曲とカップリングする曲をあんたたち書いて」
と言ったので、その夜私と政子は『遙かな夢』という曲を書いた。
 
翌14日に私たちがその曲の譜面を提出すると、須藤さんは実際問題として私たちに曲が書けるとは思ってもいなかったようで、びっくりした顔をしたが、譜面を見て「これ凄い良い曲じゃん!」ということで採用してくれた。
 
このあたりは須藤さんのおおらかな性格が幸いしている。普通ならメジャーデビューしようという時に、それまで何の実績も無かった私たちの曲を採用はしてくれなかったであろう。
 
15日はKARIONの新譜『秋風のサイクリング/水色のラブレター』の録音最終日で、私は学校が終わってからすぐスタジオに入って、深夜までエンジニアとしての仕事をした。この新譜は、それまで、ゆきみすず作詞・木ノ下大吉作曲の曲を中核にCDを出していたのを、森之和泉(KARIONのいづみ)+水沢歌月(私)のペアで書いたものを中核に据えるという、方針の大転換をしたCDであり、実は私にとっての、もうひとつのメジャーデビューでもあった。それでこの音源に関する作業は、非常に重要であった。
 
(プロデュースは前作から引き続き、私と和泉の共同である。前作ではプロデューサーの名義は畠山さんにしたのだが、このCDからは『karion』の名義でプロデュースを行うようにした。小文字でkarionにすることで歌唱ユニットとしてのKARIONと区別している)
 
このKARIONの新譜に関するスタジオ側の作業は17日水曜日の深夜まで続いた。当時スタジオ自体が今にも倒産しそうな雰囲気だったので、その前に作業を終わらせようと、麻布さんにしても私や他の助手さんにしても必死だった。私は帰らせてもらったが有咲は月水と徹夜している。
 
ローズ+リリーの方の録音作業は、21日の日曜日にスタジオミュージシャンさんたちの伴奏で1日で行われた。政子がきちんと歌えるように、私は18日から前日20日まで、毎晩遅くまで一緒に練習をした。
 
そのローズ+リリーの録音をした翌日、22日に麻布さんのいたスタジオが倒産した。麻布さんは「未払い分の給料は僕が立て替えておくよ」と言ってその日の内に私と有咲に現金を渡し、その週末にはニューヨークに行ってしまった。
 
この22日には実はKARIONの新譜用のPVの撮影もした。私は髪を振り乱して激しくキーボードを弾いている所を撮影されたが、私の顔だけは映らないように配慮してもらった。
 
このKARIONの『秋風のサイクリング/水色のラブレター/嘘くらべ』のPVは現在でも3本とも動画掲載サイトで見ることができるが、そこでキーボードを弾いている女性プレイヤーが実は私であることに気付いた人は未だに存在しない。
 
元々KARIONに誘われていたのを断って、別途ソロシンガーとしてデビューする方向を模索していた所が、やむにやまれぬ状況ではあったものの他の事務所からデビューすることになってしまったので、そのお詫びの気持ちもあって、私はこのPVには出演したのであった。
 
「でもいいんだっけ?」
と畠山さんがさすがに心配したが
 
「だって、△△社との契約書では『ローズ+リリーとして』の他での歌唱が禁じられているだけですから。『KARIONとして』キーボード弾くのは全然問題無いです。そもそもあの契約書は法的に無効だし」
と私は開き直って言った。
 

翌23日、私たちは27日ローズ+リリーのデビューイベントを埼玉県のプールで行うという話を聞く。プールなので、女子水着を着るようにと言われ、政子は私がうまく女子水着を着られるようにと、楽しそうな顔でブレストフォームを一緒に買いに行き、またタックすることを要求した。
 
女装で女子水着を着るような場合に、お股の処理方法があるはずだと言って政子はインターネットを検索していたが、なかなか該当するようなものが見つからない。
 
「以前何かで見たことがあるのよ。タップとかタッチとかそんな感じの名前だった気がするんだけどなあ」
と政子は言った。
 
「タップ、タッチ? タット、タッツ、タック、・・・」
「あ、それだ。タックだよ、確か」
と言って政子はそれでネットを検索してタックの方法を見つけ出した。
 

私は実際問題として、タックは頻繁にしていたのだが、いきなり出来ては変に思われるかなと思い、最初うまくできない振りをした。
 
すると政子は「私がやってあげる」と言って、私のお股に楽しそうに触りながら協力して、テープタックを完成させた。
 
政子はこの私を「女の子に変身させる作業」がとても楽しかったようで、この日から翌日に掛けて大量の「女子化ソング」を書いた。
 
『女子力向上委員会』『ペティコート・パニッシュメント』『お化粧しようね』
『去勢しちゃうぞ』『美少女製造計画』『男子絶滅計画』『胸を膨らませる君』
『もうおちんちんは要らない』『ハサミでチョキン☆』『オトコノコにあってオンナノコに無いもの・・・トれ・・すよ』『女の子にしてあげる』『お股は軽やかに』『邪魔な物は取っチャオ』
 
などといった歌があり、私は政子の要求に従い、これらに10月中までに全て曲を付けた。
 
(この間、政子は私にお化粧をしてみたり、お股におちんちんに見立てたフランクフルトソーセージを立ててからハサミでチョキンと切断するなど楽しそうに「私で」遊んでいた)
 

政子は更に「女子水着姿を人に見られる練習をしよう」と言って、私をプールに連れて行った。そして「さあさ、女子更衣室に行きますよ」などと言って私を強引に女子更衣室に連れ込んで着替えさせる。
 
そしてプールではデビューイベントの時の演出を練習した。政子のアイデアは成功すれば、かなりインパクトがあると思ったので、私は素直に受け入れて、熱心に練習した。
 
プールの両端から飛び込み、同じ速度で泳いで、同時に中央のステージに上がるというもので、そのためふたりのペースを合わせる練習を25日と26日の2日間、たくさんした。
 

そして、私たちは9月27日の『その時/遙かな夢』の発売日を迎えたのであった。
 
 
Before前頁次頁After時間順目次

【夏の日の想い出・破水】(1)