【夏の日の想い出・アイドルを探せ】(1)
1 2 3
(C)Eriko Kawaguchi 2013-10-18
2008年(高2)の春。私は(自分としては)KARIONへの参加を断念し、KARIONの方の音源製作の合間を縫って3月から4月に掛けて、雨宮先生の指導の下、デモ音源(『花園の君/あなたがいない部屋』)を制作。それを畠山さんに聴いてもらって別途ソロシンガーとしてデビューする道を模索しようと思っていた。
ところがデモ音源が一応4月下旬にできあがったものの、雨宮先生は「何か足りないものがある」とおっしゃって、後で連絡すると言われた。しかし、全然連絡が無かった。
私はこちらから雨宮先生に連絡する方法を確保していなかったので、困ったのだが、5月下旬にやっと連絡があり、あの音源は声が1本では寂しい。二重唱にしようとおっしゃって、それで私が2パート吹き込み、多重録音でデュエットにした。それでまた連絡するとおっしゃったのだが、その後また全く連絡が無かった。
私は、そのデモ音源のデータのコピーも持っていなかったので、本当に困ってしまった。そんな時、書道部で政子と何気ない会話をしていた時、私はどうせデュエットにするのであれば、(楽曲の共同制作者でもある)政子とデュエットしたいという気持ちが起きてきた。
そこで政子を誘ってスタジオに行き、5月から6月に掛けて、ふたりで音源製作をした。この2つ目のデモ音源(『雪の恋人たち/坂道』)は6月15日(日)に録音終了した。
私はこの音源製作の時、ずっと女の子の服で政子と会っていたのだが、政子は終始
「女の子の冬子ちゃん、可愛いなあ」
などと言って、私の身体にあちこち触ったりしながら
「この胸、ほんとにパッドなの?」
「やはり、おちんちん無いよね? あの後、取っちゃった?」
などと言いつつ、楽しそうに歌っていた。女の子の格好をした私を愛でることで、政子の調子も上がるようであった。
(私はこの年のゴールデンウィークに政子に男性器を見られて触られている)
デモ音源の録音が終了した6月15日は夕方から、津田先生がご友人主催の演奏会に出ることになっていて、私は政子と別れた後、そのままそちらの会場に向かった。服装は政子と会った時のまま。私服の女の子の服である。
会場で振袖を着せてもらい、控室で事前に先生と少し練習をしていた。その時に訊かれた。
(この付近の話は後に津田先生の娘さん・麗華さんから聞いたものであり、私自身はこの時の記憶が全く無い)
「なんかハードディスクを持ってるね。パソコンか何かのデータ?」
「あ、いえ。友人とちょっとスタジオでデモ音源を制作したもので、そのプロジェクトデータを吸い上げてきたんですよ。スタジオではPro Toolsで制作しましたが、自宅でCubase使ってミックスダウンして mp3 にまとめて、それで芸能事務所とかに持ち込もうかなと思って」
「へー。君もいよいよ歌手デビューしようという気になったんだ?」
「ここしばらくライバルと思っていた子がメジャーデビューしたので刺激されて」
「ふーん。何という子?」
「絹川和泉って子なんですが、3人組で KARION という名前です。私が作った音源は別の友人と組んだもので、まだ名前は決めてないのですが、2人組です」
「カリオンね。。。知らないや。今度調べておこう。ね、冬子ちゃん、もし良かったら、そのデータちょっと貸してくれない? 私も聴いてみたい」
「はい、いいですよ」
ということで、私はハードディスクごと、データを津田先生に渡し、次のお稽古の時に返してもらって、それから私は 自宅のパソコンに入れている Cubase でミクシング作業を始めたのであった。
(推測なのだが、この時先生は実際には○○プロに行って、そちらの付属スタジオのPro Tools環境で音源を聞き、専門の技術者の人にミックスダウンしてもらって、それを★★レコードの加藤課長に聴かせている。そこから★★レコード内で、私と政子をメジャーデビューさせるプロジェクトがスタートした模様なのだが、当時私も政子もそんな企画が進行しているなどとは夢にも思わなかった)
この2008年6月は色々なイベントが同時進行していた。
政子とふたりで音源制作をしている一方で、和泉とふたりでKARIONの初アルバムに向けて新曲を何曲か書いていた。和泉が忙しいので、そのスケジュールの合間を縫っての作業になったが、何度かのメールでのやりとりと、数回実際に会っての調整で全部で3曲の新曲を仕上げた。
『Gold Dreamer』『Snow Squall in Summer』『Phantom Singer』といった曲でどれも和泉の透明感のあるボーカルとグロッケンの美しい音を活かした名曲である。(当時は作詞少女A, 作曲少女B のクレジットで発表している)
また中学の陸上部の先輩、絵里花さんの先輩で、晃子さんというインディーズ歌手に誘われ、晃子さんとデュエットでライブをすることになり、その打合せや練習をしていた。一方、6月22日に幕張で行われるイベントにドリームボーイズが出演するので、私は何度かその打ち合わせや練習に出ていった。
イベント前日の6月21日も晃子さんとライブの打ち合わせをした後、都内某スタジオに移動して、ドリームボーイズのダンスチームの練習に参加した。
22日のイベントは2部構成で、10時から14時までの4時間が《アイドルフェスタ》。16組のアイドルが15分の持ち時間で次々と登場して歌う。そこには KARION も出るので、和泉から「出ない〜?」と誘われたものの「パス」と言っておいた。
1時間の休憩をはさんで、15時からが《ロックフェスタ》となり、20時までの5時間に、30分ずつの持ち時間で10組のバンドが出演して演奏する。そちらにドリームボーイズが出演することになっていたのである。
そして2008年6月22日。この日は実に様々な出来事の起きた日であった。
私はとにかくドリームボーイズのバックで踊るのに、一応朝から(女子制服を着て)千葉まで出かけて行った。朝から来ていたのはドリームボーイズのベースの大守さんと、ダンスチームのリーダーの葛西さんの2人だけだったので、3人で簡単に打合せて、後は出番が15時から(トップバッター)なので、13:45から一度練習用に確保してもらっている近隣のスタジオで合わせることにし、それまでは適宜定時連絡を入れることにして、いったん解散した。
私はバックステージパスを首から提げているのだが、観客席にも自由に出入りできるので、そちらでしばらく出場しているアイドルを見ていたら、トントンと肩を叩かれる。
「前田社長?」
「久しぶり〜冬子ちゃん。あ、僕、また降格されたんだよ」
「降格!?」
「社長を辞任して○○プロに舞い戻って、また課長になった」
「へー!」
「また前と同じようにJ-POPの担当なんだけどね。実は**君が自分の会社を作るのに辞めたんで、その後釜に座らされた」
「**さん、芸能事務所でも作るんですか?」
「それがギターの制作会社なんだな」
「凄い!」
「今日は冬子ちゃん、出演者?」
「はい。ドリームボーイズのバックで踊ります」
「まだ、あれやってるんだ?」
「ええ」
「もう君はとっくに歌手としてデビューしてるものと思ったのに」
「そろそろしたいですけど、まだです」
「したい? じゃ、うちの浦中に話付けてあげようか?」
「今デモ音源を作っているんですよ。完成したらお聴かせしますから」
「おお、楽しみだね」
「でも幾つかの事務所から声掛けられてるから」
「あはは、君は最初からそうだったからね。何、最後は契約金競争で」
「あはは」
前田さんは忙しいようで、携帯の番号を交換した後、新しい名刺だけ渡して、どこかに行ってしまう。
私は前田さんと話したので、早くデビューしたいという気持ちがにわかに強くなり、座っている気分ではなくなったので、席を立って少しそのあたりを歩いていた。
するとバッタリと KARION の美空と遭遇する。
「あれ?蘭子、参加パスなんて言ってたけど、来てくれたの?」
「あ、いや。ごめーん。今日は私、ドリームボーイズのバックダンサーだから」
「ああ、そういえばそんなのしてるんだったね?」
それでしばらく美空と立話をしていたのだが、そこに小風もやってくる。
「おお、蘭子がいる! 今日はそれじゃ私たちと一緒に歌ってくれるね?」
「違う違う。私は別口だよぉ」
などと言っていたのだが、そこに更に和泉、そして最後は畠山さんまで来て
「ここに来た以上、4人で並んで歌ってもらおう」
などと言われる。
「いや、もうKARIONは3人というので定着しているから、いきなり4人並んでいたらびっくりしますよ」
と私は言うが
「いや、KARION知らない人の方がまだまだ多いから平気」
「ライブではいつも3〜4人のコーラス隊入れて、曲によってけっこうその内の数人が前に出てきて一緒に歌ったりしてるからさ、KARIONの人数ってファンの間でも、あまり一定していないと思われている節がある」
「そうそう。KARIONって7〜8人のグループで、私と小風・美空はその中核メンバーと思われている節がある」
「だから、今日、蘭子が私たちと並んでいても誰も何とも思わない」
「うむむむむ・・・・」
私はもう説得されてしまいそうな感じだったが
「伴奏かコーラスでならいいよ」
と言ってしまった。
「じゃヴァイオリン弾いてもらおう」
「ああ。今日のバックバンドには、ヴァイオリン入ってなかったからね」
「でもヴァイオリン持って来てない」
と私は言ったが
「すぐ用意させるよ」
と畠山さんは言い、千葉市内のレンタル楽器店に電話してヴァイオリンを1丁確保し、会場に来ている事務所のスタッフさんのひとりに指示して、すぐ取りに行かせた。
「1時間以内には戻ると思うから充分間に合うね」
それで少し遅れてやってきた相沢さん・黒木さん・木月さんらと顔を合わせると
「お、蘭子ちゃんだ。今日は君がヴァイオリン弾くのか」
などと言われて、取り敢えず握手した。
ドリームボーイズの大守さんにこの件を電話して報告すると「時間は充分あるからノープロブレム」と言ってもらった。
それで結局、小風たちと一緒に先に歌っているアイドルたちの歌を聴いていたら、携帯にメールの着信がある。
前田課長だったので「ちょっとごめん」と言ってロビーに出て電話をすると
「ね、ね、冬子ちゃん、伴奏頼まれてくれない?」
などという。
「誰のですか?」
「貝瀬日南(かいぜ・ひな)ちゃんって言って、去年の秋にデビューした子なんだけどね」
「へー」
「予定していた伴奏者が急病で出てこられなくなって」
「ちょっと待ってください」
プログラムを確認する。KARIONは13時から15分。貝瀬日南は12時半から15分である。掛け持ちできないことはないが、慌ただしい。
「私、さっき別の事務所の人と会って、13時ちょうどからのKARIONの伴奏頼まれたんですよ」
と言うと、前田さんは
「冬子ちゃんって、相変わらずだねぇ」
と言って笑ってる。
「15分時間があれば大丈夫と思うなあ。そちらの責任者の人と直接話できない?」
などと言われるので、畠山さんの電話番号を教えて直接話してもらった。結果、掛け持ちOKということになった。
それで打ち合わせにと思って前田さんと落ち合うと
「今日出てくるキーボード奏者にこれ着せようと思って衣装用意してたんだよ」
などと言って、黄色いドレスを渡されたので、取り敢えずもうその場で着替えちゃった!
「凄い。人前で着替えちゃうなんて!」
と言って日南ちゃんが驚いているが
「時間節約です」
と私は言って、それで日南ちゃんとも握手した上で、演奏予定の譜面を見せてもらった。
「じゃ、その服は私が更衣室に持って行ってロッカーに入れとくよ」
と日南のマネージャーさんが言うのでスポーツバッグごと預ける。
あ!そういえば私、KARIONの方は譜面を見てないと思ってその件をメールすると「用意しとく」と相沢さんから返信があった。
12時すぎに∴∴ミュージックのスタッフさんがヴァイオリンを持って私の所まで来てくれたので、御礼を言って受け取り、中を開けて調弦を確認しようと思ったら・・・
「この弓、新品じゃん!」
「へー、すごい」
と日南ちゃんは言うものの、
「いや、それでは音が出ない」
と言って私は焦る。
しかもヴァイオリンケースの中に松脂が見当たらない。新品のヴァイオリンの弓は、松脂を塗らないと音が出ないのである。最初は弓全体に400〜500回くらい塗る必要がある。
私は焦った。そして焦って視線を泳がせた時、旧知のヴァイオリニスト三谷さんと目が合った。
「三谷さーん!」
と声を掛けて近寄る。
「おお、ピコちゃん。久しぶり〜」
と三谷さん。
なんて懐かしい名前を呼ばれるんだろうと思ったが私は
「松脂貸してください!」
と頼んだ。
三谷さんが持っていた松脂を大急ぎで弓に塗る。(実際には左手に松脂を持ち、右手で弓を激しくボーイングするように動かす:以前アスカの同級生の男子がオナニーするように動かすなどと発言してアスカに殴られていた)。必死で塗っているが、12時15分になる。貝瀬日南ちゃんがもうスタンバイしなければならない時刻だ。
「その子の伴奏で使うの?」
と三谷さんが訊く。
「いえ、その後の、13時からのKARIONの伴奏で使います」
と私が言うと
「じゃ僕が塗っておくから、君はもう行って」
と言うので、私は三谷さんにお願いして、舞台袖に行くことにした。三谷さんはもう自分の出番は終わって、居残りでイベントを見たり、知り合いのミュージシャンたちと話したりしていたらしい。
舞台袖で日南ちゃんとおしゃべりしながら、演奏予定の譜面を読む。
「わあ、日南さん、凄く可愛い曲を歌っているんですね」
「私はもっと大人っぽい曲を歌いたいんだけどね〜。もう可愛く可愛くしてなさい、と言われて」
「まあ、アイドルですから。音源製作で関わっている別の事務所のアイドルさんも似たグチをこぼしてましたよ」
「あはは」
やがて前歌っていた男の子4人のユニットが下がり、日南ちゃんが出て行く。何だか物凄い歓声があがる。
実は私はこの時まで、貝瀬日南という名前を知らなかったのだが、結構コアなファンがいるのかな?と思った。
譜面を持って少し遅れて出て行き、キーボードの譜面立てに置いて、アイコンタクトで伴奏を開始する。そして彼女が歌い出す。
なるほど〜。と私は思った。私が気付かなかったはずである。
下手だ!
秋風コスモスよりは遥かに上手いけど、まあアイドルの歌唱力としては並の下というところかなと内心思う。でもコスモスちゃんにしても、この日南ちゃんにしても、とても楽しそうに歌っている感じがいい。どちらの事務所も口パク禁止なので、下手でもちゃんと歌う。それも本当に頑張って歌っているのが気持ち良く感じられる。
好きだから歌を歌う。
きっと彼女たちは、人前で思いっきり歌を歌えること自体が嬉しいのだろう。
保坂早穂、芹菜リセ、松浦紗雪、松原珠妃、...そういう日本の歌姫の座を争うような「頂点の戦い」の場もあるけど、こういう楽しんで歌うという世界もまた大事だよな。
私はそう思いながら、笑顔でキーボード伴奏を続けた。
15分間で短いMCを交えて4曲歌い、私たちは観客の歓声の中、上手袖に下がった。入れ替わりに、下手袖から、女子中学生7人のユニットが走り込んできた。
私は日南ちゃんと握手をしてから、
「着替える時間がないから、この衣装このままお借りしておきます」
と日南ちゃんのマネージャーさんに言って、さっき三谷さんと別れた場所に走って行く。
「ピコちゃん、塗り終わったよ。快調に音が出るよ」
と三谷さん。
「ありがとうございます! 大感謝です」
と言って受け取る。
「調弦もしといたけど、念のため確認して」
「はい」
と言って、私はGDAEの各弦を弾いてみて正しい音が出るのを確認する。
「きれいに合ってますね。ありがとうございます」
「あ?君って、絶対音感持ち?」
「いえ。私のは相対音感です。今キーボードで伴奏してきて、音階が頭に残っているので」
「おお、それは凄い!」
と言って三谷さんは微笑んでいた。
「この御礼はまた改めて。あ、良かったら携帯のアドレス交換しません?」
「おお。しとこうしとこう」
と言って、携帯の番号とアドレスを交換し、再度御礼を言ってから下手舞台袖に走って行く。
舞台袖では既に和泉・美空・小風と、伴奏陣、コーラス隊がスタンパイしている。
「すみませーん。遅くなりました」
「逃げたかと思ったぞ」と美空。
「逃げたら、蘭子の恥ずかしい写真を公式サイトにアップしようかと思ったのに」
と小風。
「そんな写真あったっけ?」
「寝顔の写真ならあるな」
「うーん・・・」
「博多に行った時の下着写真もある」
「嘘!?いつの間にそんなものが」
「ついでに性別を明かすぞ」
「あはは」
伴奏陣の相沢さん(Gt), 木月さん(B), 黒木さん(Sax)と再度握手。更に今回が2回目の参加というドラムスの鐘崎さん、そして初めてというキーボードの人とフルートの人、グロッケンの人とトランペットの人にも挨拶をして握手した。鐘崎さんは先週の都内でのキャンペーンライブにも参加したということで今回が2度目のKARIONの伴奏ということであったが、結局このままこの伴奏陣に定着してしまう。
コーラス隊は女子中生っぽい4人組で、彼女たちとも握手した。
「蘭子さんも伴奏の常連さんなんですか?」
とひとりから訊かれたが、その時、小風が横から
「蘭子はKARIONのひとり。KARIONは実は4人なんだよ」
と言い
「えー!? そうだったんですか!」
と驚かれてしまった。
「小風さん、そういうの、彼女たち本気にしちゃいますよぉ」
と私は言っておいた。
やがて歌っていた(正確には口パクで踊っていた)女子中学生7人組が下がり、KARIONの出番である。
まずは和泉・美空・小風の3人が走って出て行き
「こんにちは!KARIONです!」
と挨拶する。
それから私たち伴奏陣とコーラス隊が出て行くのだが、その時唐突に相沢さんが
「あ、これ今日の譜面」
と言って渡す。
「はい」
と言って受け取ったが、5分前に見たかったよぉ、と思った。
楽譜を譜面立てに置き、鐘崎さんのドラムスに合わせて伴奏を開始する。最初は『トライアングル』。五重唱の曲なので、コーラス隊の内の2人が前に出て行き、和泉・美空・小風と並んで5人で歌う。私は渡された譜面を見ながら弾く。完璧な初見演奏だが、曲自体は頭にしっかり入っているのでそう大きな問題は無かった。
和泉が短いMCをして2曲目来月発売予定のCDから『夏の砂浜』を演奏する。この曲は4重唱なので、今前で歌っていた子のひとりが後ろに下がり、4人で歌う。確かに言われてみると、KARIONって、前面で歌う人数が曲によって違うし多人数のグループと思われているのかも知れないなという気もした。
更に3曲目は『幸せな鐘の調べ』を歌う。この曲は4人で歌う譜面と3人で歌う譜面があるのだが、今日は3人で歌う譜面のようで、前面で歌っていたコーラスの子も後ろに下がり、和泉・美空・小風の3人だけで歌った。
そして次は最後の曲だ。曲目はKARIONの初アルバムに入れる予定で和泉とふたりで書き上げたばかりの『Snow Squall in Summer』と指定されていた。私は伴奏譜を見るのにページをめくる。
ギョッとした。
そこには五線譜は無く、マジックでこう書かれていた。
「楽器をその場に置いて前に出よ」
私は思わず相沢さんを見た。「早く!」と言われる。
こんな所でモタモタする訳には行かない。ヴァイオリンをその場に置くと、急いで前面に走り出た。美空が楽しそうに私にマイクをひとつ(『夏の砂浜』
を前で歌った子が使っていたもの)渡す。鐘崎さんのドラムスが打たれる。私は開き直った。
私自身が和泉と相談しながら書いた4声アレンジの譜面を思い出しながら、この曲を歌う。和泉のメロディーや、小風と美空のハーモニーに加えて私の歌うパートは、時には和音を補充して安定させ、時にはカウンターを入れて彩りを豊かにする役割である。
3人だけなら合唱部のノリなのだが、私のパートが入ることで、安定感も高まりまたとてもポップな音になる。ゆきみすず先生が試行錯誤の末に確立した KARIONサウンドの世界観である。
そのゆき先生は5月に病気で倒れて、現在退院はしたものの療養中だ。私はゆき先生にこの歌声が届くようにと思いながら、熱唱した。
やがて終曲。大きな拍手に4人で手をつなぎ、それぞれの手を斜めに挙げて歓声に応えて、私たちは上手袖に下がった。ヴァイオリンはキーボードの人が回収して持って下がってくれた。
「やられた」
と私は笑いながら言った。
「蘭子に行動させるには、それしかない所に追い込むのが一番いいから」
と和泉。
「去年の11月以来だね。人前で4人で歌ったのは」
と小風は楽しそう。
「でもKARIONはやはり4人だったのかと言われそう」
KARIONのファンサイトに行くとどこにも「KARION4人説」に関するコーナーが出来ている。
「コーラス隊の子が前に出たりしていたから、ヴァイオリン弾きが前に出てきて歌っても、特に何とも思わなかったと思うよ」
などと相沢さんは言っていた。
「まあ、そういう訳でさ、蘭子ちゃん。来月の7月19日,20日のライブにも出てよ」
と畠山さんから言われる。
「大阪ビッグキューブと、東京スターホールですか?」
「ちゃんとフォローしてるじゃん」
「私もKARIONの一員ですから」
と言っちゃうと
「よしよし」
と和泉が私の頭を撫でる。
「KARION初の3000人クラスのライブだよ」
「初ライブは観客5人だったからねー」
「KARIONも進歩したねー」
「チケットも今8割くらい売れてるから、最終的にはソールドアウトすると思う」
「蘭子はちゃんと前面で歌ってよね」
「伴奏なら」
私も今日はちょっと昂揚していたので、あっさり出演を同意してしまう。
「じゃ今回と同じ方式で」
「最初はヴァイオリンでもいいけど、途中から歌唱参加ね」
「最後まで伴奏だけにさせてください」
「いいよ。また『前に出ろ』と譜面に書いておくから」
「はははは」
みんなはそのまま食事に行くと言うことであったが、私は13:45からドリームボーイズの練習があるので、ヴァイオリンを畠山さんに返し、みんなと別れて一度更衣室に行く。結局今日はお昼は抜きになるようだが、仕方無い。
更衣室で黄色いドレスを脱ぎ、家から着て来た学校の女子制服に戻る。衣装を返すのに日南のマネージャーさんに連絡を取ったら、玄関付近にいるはずの大宮さんに返してと言われたので、そちらに行き、大宮さんを見つけて衣装を返して外に出た。
少し早いけど、このままドリームボーイズの練習に行こうかな、などと思いながら庭の花壇など見ていた時、駅の方からこちらに、うちの高校の女子制服を着た子が来るのに気付く。同じ高校の人にはこの姿見られたくないし、知り合いじゃなければいいけどなあと思って少し見ていると、なんと政子だった。
ひゃー、よりによってと思い、見つかりませんように、と思って思わず近くの売店の陰に隠れる。
すると、その政子に大宮さんが声を掛ける。
「中田さん」
と呼び止めている。
「こんにちは。今日は出場者?」と大宮さん。
「いえ。観客です」
「チケット持ってる?」
「当日券で入ろうかと思ってました」
「バックステージパスをあげようか?」
「えー!?」
「またダンサーやってよ。中田さん即戦力だからさあ。中田さんって上手な人の傍で踊ると、凄く上手に踊るんだよね」
と大宮さんは言った。
ほほぉ、と私は意外な発見をした思いだった。確かに彼女はそういうタイプなのかも知れない。下手な人と一緒なら下手になるけど、上手な人と一緒なら上手になるタイプか。これまでの政子の「不思議」の一部がそれで説明できるような気がした。音楽の時間は周囲も下手だから音痴になるけど、私と一緒に歌うと結構上手く歌うんだ。後は慣れと練習量だ。
「誰のバックなんですか?」
「16時から出る湘南トリコロール」
でも政子って時々ダンサーしてたのかと思う。原野妃登美のバックで踊ったのを以前見たが、話の雰囲気だと結構している感じだ。
「でも飛び入りでいいんですか?」
「大丈夫大丈夫。難しいアクションは無いから君ならすぐ出来る。今日はリーダーとサブリーダー以外は初めての子ばかりでちょっと不安があったんだけど、中田さんに入ってもらうと、引き締まると思う。一応14時から少し練習ね」
「それで入場料5000円がタダになるなら、いいかなあ」
「14時から17時まで3時間拘束になるから時給777.7円で源泉徴収してギャラ2100円+東京駅からの交通費で3200円、現金で払うよ」
「わっ、それは美味しい」
「じゃ、ちょっとこっち来て」
と言って、政子を連れて行く。
私は微笑んでその姿を見送った。
私は会場から5分ほど歩いて、練習用のスタジオに入った。
葛西さんだけ来ていたので、練習用の衣装に着替えた上で、しばしおしゃべりなどしている内に他のメンバーも到着してきた。13:45から練習の予定だったのだが、蔵田さんがなかなか来ない。どうしたんだろう? と思っている内に13:55くらいにやってきた。
が、何だか懐かしい顔を連れている。
「ゆまちゃん!」
「会場でウロウロしてるのを捕まえてきた」
と蔵田さんが言っている。
それは2005年(私が中2の年)頃にダンスチームに居た鮎川ゆまちゃんで現在はLucky Blossomというバンドでアルトサックスを吹いている子である。
「懐かしい〜」
「久しぶり〜」
と言って、私や葛西さん・竹下さんなど常連組が取り敢えずハグする。
「樹梨菜、衣装の予備ある?」
と蔵田さんが訊くと
「あるよ」
という答え。
「でもごめんなさい。私は今日は自分のバンドで出るからこちらは無理です。...って言ったのに強引に連れて来られちゃったんだけど」
と鮎川さんは困惑している雰囲気。
「そちらは何時だっけ?」
「16時30分です」
ということは政子が出る湘南トリコロールの次か。
「こちらは15時半に終わるから大丈夫」
「事前の練習とかあるし」
「ゆまは天才だから、ぶっつけ本番でも大丈夫」
などとやりとりした結果、結局10分間だけ、こちらの練習に参加した後、Lucky Blossomの練習に駆け付けるということになった。
鮎川さんまで入れて練習を開始する。
「洋子ちゃん、今日は何だか気合いが入っている」
と常連のダンサー、竹下さんから言われる。
「うん。アイドルフェスタの部で、2件出場してきたから」
「おお、凄い。何やったの?」
「キーボード伴奏に、ヴァイオリン伴奏に、最後はちょっと歌ってきた」
「何だか色々やってるね!」
歌ってきたというのは多分コーラスと思われているだろうな。まさか前面で歌ってきたとは思われてないよな、などと思いながら私は更に練習を続けた。
今葛西さんは歌手としてCDも出している。売れてはいないけど。それでもドリームボーイズのライブでは必ず踊る。鮎川さんも自分のバンドがあるのに今日は文句言いながらも、こちらにも参加してくれる。こういうのもいいなあ、などと思いながら、私は踊っていた。
14:10になって、鮎川さんが「また後で〜」と言って、自分のバンドの練習の方に移動する。残りのメンバーは予定演奏曲を全部演奏して14:20頃に練習を終えた。汗を掻いているので下着も交換して本番用の衣装を着る。マネージャーの大橋さんが全員にお茶やコーヒーを配る。ビールが欲しいなんて声もあるが「本番前だからダメです」と言われている。
「でもさすがに昔からするとライブの頻度も減った気はするね」
と松野さんが言う。
「まあ、メンバーが年食ってきたからね」
などと葛西さんは言っちゃう。
「樹梨菜もいい年だけどな」
などと蔵田さんが返す。
「まだ私、21歳だよぉ」
と葛西さんは抗議する。
彼女はドリームボーイズのデビュー以来の専属ダンサーだ。その時は中学3年生であったが、現在は大学4年生。7年間蔵田さんたちと一緒に走ってきた。その蔵田さんは34歳。かなりの年の差カップルだよなあと思って私はふたりのやりとりを見ていた。蔵田さんと葛西さんの関係を知っているのはどうも私と前橋さんだけのようである。よく7年間も隠し通してきたものだ。
でも蔵田さんが同性愛者であることは本人がむしろ盛んに言っている感もあるので、葛西さんの性別のことを知らない限り、ふたりの間に恋愛関係があるなどとは想像もできないであろう。
ちなみに葛西さんは仕事で出てくる時は女物の下着を着けているが、自宅にいる時はだいたい男物しか着ないらしいし蔵田さんとデートする時もそれが必須らしい。しかしふたりがどんな性生活をしているのかは、何だか想像が付かない気がした。
大守さんが手帳を見ながら言う。
「夏から秋、年末まで掛けて、のんびりと音源製作やるけど、その後、年明けに関東ドームやるからみんなスケジュール空けといてくれよ」
「何日ですか?」
「1月11日、日曜」
「了解〜」
とダンスチームの常連組から声が上がる。みんな自分の手帳にメモしている。もちろん私も記入する。
「あ、私ひょっとして曲が売れて忙しかったら出られないかも」
と葛西さん。
「樹梨菜が出られない時は洋子がリーダー代行で」
「私も歌手デビューしちゃうかも知れないから、売れてたら出られないかも」
と私も言っちゃう。
「お、デビューするんだ?」
「今いろいろ画策してるんですけどね〜。デモ音源2つ作ったし」
「頑張ってるね」
「まあ、洋子も出られない時は凛子(松野さん)がリーダー代行で」
「私も歌手デビューしちゃおうかなあ」
と松野さん。
「私も幾つかの事務所から声掛けられてはいるんだけどね」
「へー、すごい」
「まあ、最後はリーダー代行は当日集まった子の中からジャンケンで」
練習が終わった後、10分くらいおしゃべりしてから会場に移動する。今日後半のトップバッターなので、機材は既にセッティングされている。やがて鮎川さんも駆け付けてきて握手する。
5分前に幕の下りているステージに出て行き、各自音を出して出力とチューニングを確認する。ダンスチームは1曲目の途中から入るので上手袖で待機している。
やがて幕が開き、勢い良いドラムスの音に続いて演奏が始まり、やがて蔵田さんが歌い始めた。会場からは大きな歓声と手拍子が聞こえてくる。
そして蔵田さんが1番を歌い終わりサビに入った所で、葛西さんを先頭にダンスチームが駆け足で入って行き、踊り出す。
蔵田さんが気持ち良さそうに歌っている。ダンスチームは皆笑顔でダンスする。今日は慣れている子ばかりなので、全員でステージ上をバク転して回るなどというジャニーズ並みの演出もある。
MCを交えて6曲演奏して、歓声の中を上手袖に下がった。
「お疲れ様〜」
「では次は半年後に」
「半年もあると誰か歌手になってるかも」
「私既に歌手だけど」と葛西さん。
「誰かお母さんになってたりして」
「私既に母だけど」と梅川さん。
「誰か性転換してたりして」
うーん。と言ってお互い顔を見合わせる。
「誰とは言わないけど、怪しい人が複数いる気がする」
「まあ性転換していても、ビキニの衣装になれてボディコンも着れるなら問題無し」
「ふむふむ」
「蔵田さんが性転換してたりして」
「うーん、悩むな」
などと本人は言っている。
ダンスチーム全員で更衣室に行き、おしゃべりしながら着替えた後、半年後の再会を約束して解散する。鮎川さんは鼓笛隊のようなユニフォームに着替えていた。
「それ、今日のステージ衣装?」
「格好いい!」
「ああん、私、子供放置できないから Lucky Blossom まで見られない。誰かビデオに撮っておいてよ」
と梅川さん。
「ビデオ撮影なんかしてたら、袋だたきにされて会場外に放り出されるよ」
「じゃママには来月のライブのチケットあげる」と鮎川さん。
「お、いいな」
「じゃ他の人にも優待券あげるよ」
「よし」
そんなことを言いながら会場に戻る。
今演奏しているバンドの次が政子が出る湘南トリコロール。その次が鮎川さんがサックスを担当している Lucky Blossom だ。
会場の壁にもたれかかるようにして見ていたら、肩をトントンされる。
「おはようございます、篠田さん」
と私も笑顔になる。
「おはよー。でもいつものようにムーちゃんでいいよ」
「うふふ」
「ステージ素敵でしたよ。『春待花』けっこう好き」
「ありがとう。あの曲反響がいいんだよね。シングルカットするかも」
「いいですねー」
篠田その歌との交流は、2004年秋以来、もう4年近くなる。ビッグヒットこそ無いものの、アイドル歌手としては充分高い歌唱力で、毎回3〜7万枚程度の安定した売り上げを残している。ライブも5000人クラスの会場をだいたい数日でソールドアウトする。
「冬ちゃん、KARIONのステージ見たよ」
「きゃー」
「KARIONってハーモニーが美しいから、デビュー以来私注目してたんだよね」
「ありがとうございます」
「だけど、最初からKARIONって実は4人じゃないかって噂があったじゃん」
「そうですね」
「デビューCDの『鏡の国』が4声で歌ってたし、他の2曲もふつうに聴くと3人で歌っているようにも聞こえるんだけど、私には4人で歌っているように聴こえた」
「ふふふ」
「その4人目が冬ちゃんだってことをさっきのステージで確信したよ。4人のコンビネーションが物凄く調和していた。先行する曲でコーラス隊の子が入って4声や5声の歌を歌った時とは全然違っていた」
「私がデビュー時点までに契約書を交わすことができなかったんで、正式のメンバーになってないんですよ。でも私にしても他の3人にしても私を含めて4人でKARIONという意識」
「ああ。じゃ、適当な時期に正式メンバーに入るの?」
「うーん。KARIONはKARIONで、今のままでもいいかな、と」
「ふーん」
「私の性別問題があるから、私のような子がいるより、純粋に女の子だけのユニットの方がイメージ戦略的に良いと思うんだよね。取り敢えず来月のアルバム制作までは参加するけど、その後離れさせてもらうつもり。今本来のプロデューサーの、ゆきみすず先生が病気療養中でね。それで私と和泉のふたりで実質プロデュースしてるから、ゆき先生の復帰までは離れるに離れられないんだよね」
「ふーん。冬ちゃん自分の性別問題を深刻に考えすぎていると思うなあ。この業界は性別とか同性愛とかあまり気にしない人が多いよ」
「そうでもないと思う。結構毛嫌いする人もいるから」
「それはいるけど、別に性別問題でなくても、特定の傾向の人を毛嫌いする人はたくさんいる」
「確かに」
「でもKARIONから離れてどうするの?」
「私は私で別途デビューを目指そうかなという魂胆」
「ふふふふ」
「どうかした?」
「頼まれたら断れない性格の冬ちゃんが、いったんどっぷり填まり込んでしまったKARIONから、足を抜ける訳がないよなと思っただけ」
「うーん。。。。」
「自分では抜けたつもりで居ても、和泉ちゃんとか小風ちゃんから、ちょっと来てと言われたら、絶対ノコノコと出て行くと思うもん。特に小風ちゃんは押しが強いから、冬ちゃん絶対負けちゃう」
「あははははは」
「でも冬ちゃんならソロ歌手とKARIONの掛け持ちとかもできるかもね。冬ちゃんって、色々なことをしていて初めてひとつひとつのことがしっかりできるタイプだから」
「そうかも知れないという気は時々する」
「まあいいや、今週やる音源製作で久々にヴァイオリン弾いてくれない? ヴァイオリンの人がこないだ辞めちゃったから、今回はスタジオミュージシャンを使うかなあとか言ってたんだよ。拘束は1日で済むと思う」
「1日ならいいよ」
「ほら、冬ちゃんってこういう性格だもん」
「うっ・・・・」
「ふふふ。でもほんとヴァイオリンはお願い」
「うん。あ、そうだ。バンド名、今は変わっちゃったんだよね?」
「去年杉山さんが辞めた後、リーダー交替に伴ってザット・ソングという名前にした」
「『その歌』をそのまま英語にしたのね?」
「そうそう」
篠田その歌と別れた後、湘南トリコロールのバックダンサーの動きが見やすいようにステージに近い位置まで歩いて行く。おそらく政子は右端で踊るのではないかと見当を付けて、見えやすそうなポジションで壁際に陣取った。
やがて今演奏していたバンドの演奏が終わり、機材のセッティングの後、湘南トリコロールが出てくる。予想通り、政子はダンサーの先頭に立って出てきて、右端で踊り始めた。
こういうステージでの政子のダンスはまだ過去2度しか見ていないが、最初に見た時より、そして前回見た時より動きがいいと思った。
それで見ていたら、また肩を叩かれる。
今度は杉山さんだった。
「おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わす。
「午前中のAYAのステージ見ましたよ。あの子見る度にうまくなってる」
と私は杉山さんに言った。
杉山さんは、篠田その歌の初期のバックバンド《ポーラスター》のリーダーで、私も当時一緒に演奏していた仲だが、昨年辞任してフリーのスタジオミュージシャンになっていた。しかし今年春から AYA のバックバンドに参加し、現在はその実質的なリーダーになっている。
「うん。それは僕も思う。もしかしたら今年の新人の中でもトップクラスかも知れないという気がする。恐らく年末の各種新人賞を何個かは取ると思う」
「彼女見ていると私も負けてられない気持ちになります」
「ふーん、冬ちゃんもだいぶ進歩したね」
「そうですか?」
「篠田その歌がデビューした時は、その歌と並ぶと君の方が遥かに輝いていたからさ。でも常にその歌を立てていたよね。北極星ってさ、確かに空の中心だけど、実はそんなに目立たないよね。その歌ちゃんと君の関係って、まさにそれ。その歌が北極星なら、冬ちゃんこそ北斗七星だと思ってた」
私はその言葉には何も応えず、微笑みで返した。
「当時、僕は、もっとこの子にライバル心を持ってもいいのにと思ってた。でも AYAにはライバル心持つんだ?」
「同い年というのもあるかな」
「今年中くらいにデビューするつもり?」
「デビューの話をくれている事務所はいくつかあるんで、どれかから行くつもりです」
「お父さんとの話し合いはできた?」
「それが、不調なんですよ!」
「あはは。まずそれをクリアしなくちゃね」
「ええ。さっき篠田その歌と会ったんですけど、彼女からもハッパかけられました。でもその歌のバックバンドの名前は変わっちゃったんですよね」
「うん、そうなんだよね。向こうはザット・ソングという名前。それでさっき、この会場で前田さんと会ってね」
「わぉ」
「そのバンド名の話してたら、僕の方がポーラスターを名乗っていいよと言われた」
「へー!」
「まあ、僕と神原ちゃんと、ポーラスターの初期メンバーが2人いるしね。前橋さんにも話したら、名前はどこかと揉めない名前であれば何を名乗ってもいいということだったから、AYAのバックバンドはポーラスターを名乗ることにした」
「じゃ、そちらはAYAが北斗七星の破軍星で、杉山さんたちが北極星を含む小熊座の小柄杓 Little Dipper ですね」
「そうそう!」
「ところで、冬ちゃん、湘南トリコロールのバックダンサーの方を見てる?」
「よく気付きましたね」
「あの右端の子でしょ?」
「杉山さんもあの子に注目しますか?」
「あの子、強烈なスターとしてのオーラを持っている」
「あの子、私と同じ高校の子なんです。それで彼女と組んでデモ音源を製作したんですよ。ミクシングがまだですけど。来月にでも、それちゃんとミクシングして事務所関係者に聴いてもらうつもりです」
「面白いね。君とあの子の組合せか・・・・君って、あの子の引き立て役になるつもりだね?」
「はい」
と私は笑顔で答えた。
「君の性別問題があるから。だから自分が主役になるより、他の子をスターにした方が売れるとみたんだ?」
「ふふふ」
「彼女も歌うまいの?」
私は溜息を付いた。
「それだけが問題なんですよね〜」
「あははは。そりゃ頑張って練習させるんだな」
と杉山さんは楽しそうだった。
「今年はまだ無理かも知れないけど、来年くらいはAYAのライバルになりたいです」
「嘘嘘。冬ちゃんって嘘が顔に出る。もう既にライバルのつもりでいるでしょ」
「うふふ」
杉山さんとは20分近く話していたのだが、その内、事務所から呼び出しが入ったので、会場内のどこかに移動していった。
そしてそろそろ湘南トリコロールも終わるので、ステージから降りてきた政子に見つからないようにどこかに移動しようか、と思っていたら、後ろからいきなり抱きしめられる。
場所が場所なので声をあげられず、振り解いて振り向くと蔵田さんだ!
「洋子、体つきがますます女らしくなってる気がするなあ」
「自分がいつまで男の子でいられるか最近分からなくなってる」
「いや、洋子はとっくの昔に女の子になってたと思うけどな」
「でも私を抱きしめた所をJの人に見られたら大変ですよ」
「怖い。怖い。ところで、あのダンスチームの右端の子、凄いね」
「一発であの子を認識するというのは、さすがですね」
「いや、この会場の中で多分10人以上のアーティストがあの子に注目したと思う。気付くのは、一定レベルの奴だけだろうけどな」
杉山さんはその一定レベルを超えているんだろうな、と私は思った。
「彼女、私と同じ学校の子です。あの子とデュエットで売り出そうかなと思っているんですけどね」
「ほほぉ。それは楽しみだ。あの子、レズだよな?」
「ああ、そうみたいです。でも良く分かりますね」
「そういうオーラが出てる」
「蔵田さんもそういうオーラ出てるんですか?」
「占い師に1発で俺の傾向当てられたことあるから、多分出てる」
「へー」
「しかしレズとホモでは交わる部分が無いなあ」
「まあ、異世界みたいなものかも」
そんなことを蔵田さんと話していた時、今度はいきなり後ろから
「だーれだ?」
と言って両手で目隠しされた。
「ちょっと、ちょっと、樟南さん、やめてください」
と私は言う。
それはサウザンズのリーダー、樟南であった。
「おい、洋子。チューニングはお前の仕事だぞ」
と樟南さんは言うが、その時、私のそばに居た蔵田さんに気付く。
「あ、おはようございます!蔵田孝治さん」
「おはよう。久しぶりだな」
「どうも、ご無沙汰しておりまして、申し訳ありません」
私は樟南さんが敬語使っている所なんて初めて見た。
「こいつ俺のバンドのスタッフなんだけど何か用?」
と蔵田さん。
「あ、それは知らぬこととはいえ失礼しました。あのぉ、もし良かったらこの子を10分か15分程度お借りできないかと」
サウザンズは Lucky Blossom の次だ。確かにそろそろ演奏準備を始めなければならないところだ。
「洋子、お前、サウザンズの何やってんの?」
「楽器のチューニングです」
「そんなの自分でできないの?」
「すみません。俺たちのバンド、音感の悪い奴ばかりで」
と樟南さんが申し訳なさそう。こんな樟南さんを見るのも初めてだ。
「まあ、いいや。じゃ10分10億円で」
「さすがに金無いです。サイン入りのギターか何かで勘弁してください」
「じゃ、代わりに洋子に何か曲書いてやって」
「へ? 洋子、ソロデビューか何かするの?」
「デュオのつもりですが。でもそちらはもう少し先だから、私が関わってる別のユニットのひとつに1曲頂けませんか?」
「いいよ」
ということで、私は樟南さんにKARIONのアルバムに入れる曲を1曲書いてもらうことをお願いした。
イベントは20時までなのだが、私は最後のバンドを見ずに19時半で会場を引き上げた。
そして、家にはまだ帰らず、途中の駅で待機する。少し考えて、次の快速の先頭車両が停まる付近に行って、取り敢えずホームのベンチに座り待った。
やがて快速が到着する。その車両の右端のドアから政子は降りてきた。
「マーサ!」
と私は大きな声で呼ぶ。
政子はびっくりしたような顔をして寄ってきた。
「どうしたの?」
「マーサをストーカー」
「えーー!?」
「突然、マーサとふたりで歌を歌いたい気分になって」
「あ、それはいいね。実は私も冬と一緒に歌を歌いたい気分だった」
「じゃ、歌おう」
「どこに行くの? スタジオ? カラオケ屋さん?」
「公園」
「へー!」
ふたりで駅の改札を出て近くの公園に行く。
ここには小さな野外ステージがあるのである。ここで歌うつもりだった。
「でも私があの電車のあの車両に乗っていると分かったの?」
「推理」
「凄い」
「マーサ、こないだ今日のロックフェスタのチラシを見てたじゃん。だからきっと見に行ったんじゃないかと思ったんだよね。それで最後まで見てから帰るなら、きっとこの電車だろう。そしてマーサって人混みがあまり好きじゃないから、きっと端に乗ってるんじゃないかと推測」
「すっごーい」
「まあ、ボク、マーサを愛してるからね。このくらいは考えるよ」
「ふーん。愛してくれてるんだ」
「当然」
「ふふふ。私、婚約してるけどいいのかな?」
「ボク男の子じゃないし。男性の婚約者は気にならないな」
「確かにスカート穿いてる男の子はいないかもね」
と言って政子は私の服装を楽しそうに眺めていた。
私は出かけた時の女子制服ではなく、普段着のポロシャツとスカートを身に付けていた。
ふたりでステージに立つ。ステージの周りに同心円弧を描くようにコンクリート製の座席が並んでいる。そこにホームレスの人だか、酔いつぶれたサラリーマンだか、判然としない人影があるが、まあ構わないだろう。
「何を歌う?」
と政子が訊く。
「『A Young Maiden』」
「おっ」
それはつい先日、政子の誕生日にふたりで作った曲である。私は携帯を取り出すと、その曲のMP3音源を選択して再生させた。
「凄い!もう伴奏ができてる」
「ピアノだけだけどね」
そして前奏が終わった所からふたりで歌う。ほんの5日前に作り立ての曲だけあって、政子もしっかり覚えている。私たちはこの、少女の思いが詰まったような歌を熱唱した。
するとパチパチパチと拍手をしてくれた人がいる。ホームレスさんっぽいが、私たちはその人の方に向かってお辞儀をした。
「観客5人、内睡眠中4人かな」
「1人でも起きている人がいるというのは凄いな」
続けて私たちは『ギリギリ学園生活』『男なんて死んじまえ!』『美味しい食事』
とコミカルな歌を同様に携帯に放り込んでおいたMP3音源を伴奏に歌ったが、観客さんが笑いながら聴いている感じであった。
「聴いてくださいましてありがとうございます。それでは最後の歌になりました。『坂道』」
MP3音源を流してふたりで歌う。観客さんが熱心に聴いてくれている感じ。私たちはその美しい曲を思いを込めて歌い上げた。
お辞儀をしてステージを降りようとしたら、観客さんが何とパンパンパンパンとアンコールの拍手をしてくれている。私と政子を顔を見合わせた。ステージに戻る。
「アンコールありがとうございます。それでは本当に最後の曲。『花園の君』」
昨年の夏にふたりで植物園に行って書いた曲だ。観客さんはこの曲を手拍子を打ちながら聴いてくれた。
こうして私と政子のファーストステージは行われたのであった。
1 2 3
【夏の日の想い出・アイドルを探せ】(1)