【夏の日の想い出・アイドルを探せ】(中)

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「気持ち良かった」
と政子は言った。
 
「うん。歌うのって気持ちいいよね」
「人前で歌ったのが凄く気持ち良かった」
「観客は少なかったけどねー」
 
「ね?晩御飯食べた? 私、お腹空いたー」
と政子が言う。
 
「ああ、そういえば今日はお昼も晩も食べてないな」
「お昼も! 餓死しちゃうよ」
 
その程度で餓死したら、食糧不足で困っている国の皆さんに申し訳無い、とは思ったものの、政子に付き合って一緒に晩御飯を食べることにした。
 
コンビニで何か買って帰ろうという話になり、私は母に電話を入れて先日(17日)お泊まりした友だちと偶然会ったので、彼女の家に寄ってくる、状況次第では泊まって明日の朝帰ると話した。
 
すると母は
「ね・・・・。それホントに女の子のお友だち?」
などと訊く。
 
「なんでー?」
「あのさ、冬。男の子の家にお泊まりすると言うのが恥ずかしいからといって、誤魔化さなくてもいいよ」
「女の子だよー」
 
「だって、こないだ見に行った映画とか本当は彼氏と見に行ったのではって、私あとから考えちゃったよ」
「彼氏が出来たんなら、そう言うよ」
 
「コンちゃんは持ってる?」
「こないだ言われたから買って、何個か持ってるけど」
「じゃ、する時はちゃんと使いなさいよ」
「そういうことはしないつもりだけど、もしそうなったら間違いなく使う」
 
「じゃ風邪引かないようにねー」
 

私は電話を切ってから
「彼氏の家に泊まるんじゃないかと疑われた」
と言った。
 
「まあ、冬は女の子だからね」
と私の服装をあらためて見ながら言う。
 
「そういう格好で家に帰ってもお母さん何も言わない?」
「この程度は平気かな」
「ふーん。私、冬のこと少し誤解してたかも知れないなあ」
「なんで?」
 
「うん。いいよ。じゃ食糧たくさん買って帰ろう」
 
と政子は楽しそうに言って、私たちはコンビニの方に歩いて行った。
 

商店街の入口のあたりで何か音楽が聞こえる。何気なく寄ってみるとラジカセで音楽を鳴らして踊りながら歌を歌っている二人組の女の子が居た。
 
ギクっとした。向こうも私を認識して手を振ってきた。私も微笑んで手を振った。ドリームボーイズのダンスチームの1人、花崎レイナちゃんと、もうひとりはそのお友だちであろうか。
 
しかし彼女たちの歌を聴いている内に私は次第に抑えきれないものを感じ始めた。自分の顔がこわばっているのを感じる。もうダメだ。
 
「行こう」
と私は政子を小声で促してその場を立ち去った。
 
「何で?上手だったのに」
と政子から言われたが、私は返事ができなかった。
 
花崎さんは、Lucky Blossom に参加した鮎川ゆまさんと同様、2005年に加入した、ダンスチームの常連の中では「後発組」である。しかし、鮎川さんはその後 Lucky Blossom の結成に参加してチームを離れている。花崎さんの歌は・・・・私にはいつメジャーデビューしてもおかしくないレベルの歌に聞こえた。
 
私は、いつか横浜のイベントで私が歌っていた最中に、静花(松原珠妃)が途中で先に帰ってしまった時のことを思い出していた。そしてあの時の静花の気持ちが少しだけ分かったような気がした。
 
私は思えば上ばかり見ていた。保坂早穂、松原珠妃、そして和泉たち。それなのに後ろから自分を追い越して行こうとしている子がいる。そもそもゆまにも、篠田その歌にも谷崎潤子にも自分は追い越されているではないか。彼女たちが自分より年上だから意識してなかったけど。
 
もうこれ以上ためらってはいけない。
 
私はそう決意した。
 
「マーサ」
と私は政子に呼び掛ける。
「今年中にメジャーデビューしない?」
「あ、いいな、それ」
と政子は楽しそうな顔をしていた。
 

コンビニで政子は大量の食糧を買った。
 
お弁当5個、おにぎり10個、調理パン10個、更に念のためといって冷凍食品のラーメンとかピザとか、更にペットボトルのお茶3本。
 
「重いよぉ」
「男の子でしょ。頑張って」
 
「ボク女の子のつもりだったけど」
「だったら、さっさと性転換しちゃおうね」
 
おにぎり10個だけは政子が持ってくれたが、それ以外は私が持って政子の自宅まで、1kmほどの道を歩いた。
 
家まで辿り着くと、さすがに疲れてソファの上に寝転がる。
 
「疲れたー。今日はもうここに泊めて」
「まあ、私はそのつもりだったけどね」
 
と言ってから政子は
「ね、今夜は一緒に寝ない?」
などと言う。
 
「いや、毛布さえ恵んでくれたら、こないだと同様に、ボクはここのソファで」
「ふーん。じゃ私も冬と一緒にこのソファで寝ようかな」
「狭いよ」
「じゃベッドで一緒に寝ようよ。その方がまだ少しは余裕あるよ」
「そうだなぁ」
 
「さっき、冬、お母さんと避妊具の話をしてたでしょ?」
「まあね」
 
「冬も持ってるみたいだし、私の家にも1箱ストックあるし」
 
「うちのお母ちゃんは彼氏とやる時は彼氏に付けさせろと言ってた」
「あはは。じゃ、私が付けちゃおうかな」
「どこに付けんのさ?」
「もちろん、おちんちん」
「マーサ、おちんちんあるの!?」
 

のんびりと御飯を食べながら、最近の芸能界のことや、いくつかのアーティストのアルバムの批評などをした。
 
そんなことをしている内に0時をすぎる。もう帰宅は不可能だ。泊まり確定である。
 
おしゃべりが途切れた。私は持っていたレターパッドをバッグの中から出して政子に渡した。政子が愛用の赤いボディのボールペンを取り出し、詩を書き始めた。
 
私はそれを微笑んで見守りつつ、コーヒーをいれて政子の前に置いてあげた。政子は「サンキュー」の意味なのか、左手の指を人差指・中指・薬指と3本立ててこちらに示した。器用な指の立て方するな、などと思って眺めている。
 
そんな感じで私たちは2時頃まで、漫然とした夜を過ごした。
 

ところでずっと後になって雨宮先生から唐突に言われた。
 
「そうだ。あんたとマリちゃんの公園でのライブ見たからね」
「え?」
「観客が5人、うち起きてるの1人だけというライブ」
「あそこに雨宮先生、いらっしゃったんですか?」
 
「酔いつぶれて寝てたらライブ始まるじゃん。声のひとつがケイちゃんだったから、おおっと思って聴いてたよ。拍手とかする元気までは無かったけどね」
 
「わぁ、ありがとうございます」
 
「先生、時々あの界隈においでになるんですか?」
と政子が訊く。
 
「あそこで勝手にライブする子はよくいるからねぇ。結構いい音楽聴ける時もあるし、顔を見て良ければホテルに連れ込む選択肢も」
 
「趣味と実益を兼ねてるんだ!?」
 

翌週の日曜日は晃子さんというインディーズ歌手と、食料品会社のイベントで一緒に歌ったのだが、自分の出番が終わって、ステージ衣装を脱ぎ、普段着に着替えて、イベント自体を見学していたら、バッタリと浦和ミドリちゃんに会った。秋風コスモスの「妹分」として今年春にデビューしたばかりの子である。この子の録音作業はほとんど私が実作業した。
 
「おはようございます、柊洋子先生」
「おはようございます、浦和ミドリさん」
 
「いや、歌唱指導してもらってるから先生で」
「私はスタジオミュージシャンで、ミドリちゃんはメジャー歌手だから、そちらが格上だと思う」
などというやりとりの末、同い年だし、タメで、ということになる。
 
「ミドリちゃんも今日のイベントで歌うの?」
「ううん。ただ招待状もらったから、今日はひたすら試食に」
「ああ、ここのフルーツクッキーとか美味しいよね」
「私もあれ好き!」
 
「デビューして2ヶ月かな。どう?」
「思ったより暇で拍子抜けしてる」
「あはは。たいていのアイドルはそんなものだよ。寝る時間も無いなんてのはトップの一握り」
 
「社長、洋子ちゃんも盛んに勧誘してるみたい」
 
「熱心に勧誘してくださるのは嬉しいけど、やはり他の事務所(この時点ではやはり∴∴ミュージック優先)から行こうかなと思ってる。同じ学校の女の子と組んでデュオでのデビューを画策してるんだよね。デモ音源を今まとめているところで」
 
「ああ、デュオか。それならいいかな。洋子ちゃん上手すぎるから、洋子ちゃんがうちからソロデビューしたら、私もコスモスさんもお払い箱かなあなんて思ってた」
 
こんな本音を安易にしゃべっちゃう所がミドリちゃんの良い所でもあり、また危険な所でもある。コスモスなら思っていても絶対言わない。またミドリにうかつな事をしゃべるとそのまま他人に話される危険もある。
 
「歌は頑張って練習しようよ。また練習に付き合ってもいいよ。それに私はソロ歌手になるつもりは無いから。小学生の頃は保坂早穂さんとかに憧れてソロ歌手として歌う道をイメージしてたんだけど、中学以来何人かの子とデュエットで歌っている内に、デュオというのが自分の道なのかもと思うようになってきたんだよね」
 
「へー。どんな人たちと組んだんですか?」
 
「最初は小学校の時以来の友人で中学の合唱部の部長もしてた子で凄くうまい子。この子、今は♪♪女子高校行ってる」
「それは凄い相手だ。私、音楽の成績はいつも1だったし」
 
「あはは。次が高校に入ってから。やはりコーラス部の子でね。仮のユニット名《綿帽子》なんて付けて何度か街頭ライブとかもやっちゃったよ」
「ああ、街頭ライブいいなあ」
 
「その後、KARIONでデビューした和泉と組んだんだけど、これは渡部賢一さんから《千代紙》という名前を頂いてしまった」
 
「渡部賢一さんって、『南の島ホリデイ』とか『歌う摩天楼』の指揮者?」
「そうそう。でも歌はたくさん歌っていれば自然にうまくなるよ。ミドリちゃんも練習頑張ろうよ」
 
「そうだなあ。私、一度でもいいから、武芸館みたいな大会場でライブしてみたい」
 
「頑張って練習して上手くなれば、きっとチャンスはあるよ」
「うん。頑張ってみる」
 
「期待してるからね」
 

7月に入ってKARIONの初アルバムの制作が始まる。
 
ゆきみすず先生は、もう手術は終わり退院しているのだが、まだ自宅療養中である。日常的な生活には困らないものの、やはり制作活動のようなハードな仕事はできない感じであった。それで前回、私と和泉で実質プロデュースした3番目のCD『夏の砂浜』の仕上がりが比較的良かったこともあり、先生はまたあんたたちでやってみてとおっしゃった。
 
その私と和泉が実質初めてプロデュースした『夏の砂浜』は7月2日(水)の発売なので、私たち4人と畠山さんとで先生の御自宅までお伺いして、献納してきた。
 
「でも蘭子ちゃん、まだ正式メンバーにならないの?」
などと先生から言われるが
 
「私は影の重要人物ということで」
と言っておいた。
 
発売日の記者会見には、和泉がレコード会社の担当者とふたりで出席した。前回の発売の時まではこういう「記者会見」は行われなかったので、レコード会社の中でも、僅かながら KARION のランキングが上がってきたようである。なお、担当者と言っても、この時期は個別の担当者は定まっておらず、アイドル系のグループで集団対応してもらっていた時期である。
 

今回のアルバムは、ゆきみすず先生の作品が3つ、『鏡の国』のペアの作品が1つ、『積乱雲』を書いたペアの作品1つ、スイート・ヴァニラズから提供された作品・青島リンナさんから提供された作品が1つずつ、サウザンズの樟南さんから提供された作品が1つ、バックバンドの相沢さんが書いてくれた作品が1つ、そして《少女A,B》の作品が3つである。
 
「少女A作詞・少女B作曲」というクレジットはこのアルバムまで使用した。なおこのアルバムのプロデュースは、ゆき先生に言われて、初めて karion のクレジットを使用することにした。ユニットとしては KARION, プロデュース名義は karion と、大文字小文字で区別するのである。
 
「プロデュース料とかあるんだっけ?」
と小風が訊く。
 
「1作目、2作目のシングルではゆき先生に200万円払っているけど、まあ有名プロデューサーだから」
と畠山さん。
 
「無名プロデューサーだと幾らですか?」
「そうだなあ。40万円くらいでどう? 1人10万で」
「おお、素晴らしい!」
 
「それすぐもらえるんですか?」
「前払いしていいよ」
「お、ギター買おう」
などと和泉が言っている。
 
「和泉ちゃん、ギターも弾くんだっけ?」
「全然ダメです。だから練習しようかな、と」
「おお、すごい」
 
まだこの時期は、KARIONは月給18万円でやっていた時代である。歌唱印税は最初から1%契約だったので、1枚目のCDでは3人で15万円ずつ、2枚目のCDは私も入って4人で8万円ずつもらっている(支払いは1枚目10月、2枚目翌年1月なので、この時点ではまだ実際には受け取っていない)。
 

「でも色々な方から楽曲を頂いたんですね」
「うん、ありがたい」
 
「スイート・ヴァニラズは、やはりデビュー前にスタジオで遭遇した縁?」
「そうそう。でもEliseさんから、あの外人の女の子は辞めちゃったの?と訊かれて、そうなんですよと答えたら、でも1stシングルも2ndシングルも4人で歌っているよねと訊かれたから、後釜で入れた蘭子って子が、まだ正式契約してないので表に出せないんですよと答えておいた」
と和泉が言う。
 
「ほぼ真実だ」
 
「4人の声域と声質を訊かれたから、各々がひとりで歌っている音源を抽出して作ってもらって、声域表と一緒に渡してきたけど、私と蘭子の声域が凄いと褒められたよ」
 
「ソプラノボイスの声域では和泉に大きく負けてる」
と私は言う。
 
「でも全部の声をあわせると4オクターブが5オクターブくらい無い? 男の子の声まで入れて」
と美空が訊く。
 
「男の子の声では歌わないから、それはノーカウント」
 

「青島リンナさんと相沢さんは分かるけど、『Shipはすぐ来る』を書いてくれたサウザンズの樟南さんって、どういう縁?」
 
「それは蘭子がもらってきた」
「こないだのアイドルフェスタの時に、会場で樟南さんとバッタリ会ってね。それで話をしていたら、書いてくださることになったんだよ」
 
と私はとっても略式の説明をする。
 
「へー。凄い」
 
もっともメロディーのモチーフ、サビのモチーフだけ渡されて
「後は適当に補作して」
と言われたんだけどね〜。ついでにサウザンズの曲の補作も数曲したし。
 
「でも『Shipはすぐ来る』ってどういう意味?」
と美空が訊くので
「周期律」
と小風と和泉が答える。
 
「周期律って、水兵離別?」
「そうそう。それの続きだよ。水兵離別、僕の船。なぁに間がある。シップはすぐ来らぁ。斬るかスコッチ馬喰マン。鉄のコルトに銅炎がげる。明日は千秋楽」
と和泉が暗唱する。
 
「なんか、そのフレーズ自体を暗記できん」
 
「なんかHな覚え方もあるよね」
と小風が楽しそうに言う。
 
「ああ。男子が言ってたな。縦読みだよね」
と私。
 
「変な姉ちゃん、ある日狂ってキスの連続(He,Ne,Ar,Kr,Xe,Rn)とか、ふっくらブラジャー愛の跡(F,Cl,Br,I,At)とか」
と小風は言っちゃう。この手の話も小風は好きだ。
 
「何それ〜!?」
と美空が呆れてる。
 
「美空、化学取ってないんだっけ?」
「私は生物だけー。物理も化学も訳分からない」
 
「ああ、すんなり(Al,Zn,Sn,Pb)と両性に愛され、なんてのもあるよ」
「それは蘭子のことだな」
「いや和泉も怪しい気がする」
 

畠山さんがちょっと困ったような顔をしていたが、小風が少しオーバーアクションで周期律のHな暗記法を話していたら、手がバッグにぶつかり、何やら化粧水みたいな赤い瓶が転がり落ちる。
 
私が何気なく拾って渡そうとすると、小風は焦ったような顔で奪い取るようにその瓶を手に取り、バッグの中に戻した。
 
「何それ?」
と和泉が訊く。
 
「何でも無い!」
と小風は明らかに何でもあるような顔。
 
「ふふふ。言っちゃおうかなあ」
と美空。
 
「言わないでって言ったじゃん」
「むずむずむずむず」
 
「何なのかなあ」
「ニトログリセリン?」
「まさか!」
 

「あ、そうそう。シングルの方のキャンペーンを週末にやるから」
一時の話題暴走にちょっと困っていた風の畠山さんが言った。
 
「どこどこ行くんですか?」
「今週末は東京・横浜・札幌」
「札幌は1月以来ですね」
「ゴールデンウィークは北海道まで行けなかったからね」
 
「来週末は那覇・福岡・大阪・名古屋」
「おっ。沖縄初めてだ!」
「それ、1日で那覇と福岡ですか?」
「そうそう」
「ひゃー。きつそう」
 
「君たち若いんだから頑張ろう」
「社長は大変ですね。43くらいでしたっけ?」
「僕はまだ30代だよ」
「あ、そうだったんですか?」
 
「そして再来週はKARION初の本格ライブだね」
「よし、頑張ろう」
 

「蘭子もキャンペーン付き合うよね?」
「近所なら」
「札幌も那覇も近所」
「そんなぁ」
「カリフォルニアよりは近い」
「うーん・・・」
 
「札幌はどっちみち日帰りだよ。12日はこの3人は那覇・福岡を1日で行って福岡に泊めるけど、蘭子ちゃんはそのままいったん東京に戻って、翌日また大阪に新幹線で来てもらってもいい。交通費は出すから」
 
「えっと・・・」
 
「蘭子は当然、前で歌うよね?」
「伴奏だけにさせてください」
 

結局、札幌・那覇・福岡・大阪・名古屋に付き合い、この5ヶ所では私がひとりで(キーボードで)伴奏し、東京・横浜は、相沢・木月・鐘崎の3人で伴奏してもらうことにして、私は欠席させてもらうことにした。
 
「要するに経費節減だったりして」
「それは言いっこ無しで。まあ急に決めたから、相沢さんたちの予定が取れなかったというのもあるんだけどね」
 
「でも蘭子、東京・横浜は、ステージに上がらないにしても会場までは来てよ」
「まあ行くだけなら」
 

アルバムの制作では、この時期はまだ伴奏してくれるメンバーは各々の出てこられる日に出てきてもらって、演奏してもらうという方式にしたが、最初7月1〜5日までは、相沢さん(Gt), 木月さん(B), 鐘崎さん(Dr), 黒木さん(Sax)の4人が出てこられるということだったので、これに私(KB)を加えた5人で伴奏しながら和泉たち3人に歌ってもらい、この試奏をしながら最終的なアレンジを固める作業を行った。
 
この作業が3日まで掛かり、この状態で伴奏の録音を行った。この伴奏を聴きながら和泉たちに歌ってもらう。
 
「『Snow Squall in Summer』なんですけどね。雲を突き抜けていくような音が欲しい気がしません?」
「そういう音ならトランペットがいいかな」
「ああ、それいいですね」
「誰かトランペット吹ける人?」
 
誰も手を挙げない。
 
「僕の友だちでトランペット吹きがいるから、そいつ明日にでも連れてきましょうか?」
とドラムスの鐘崎さんが言う。
 
「あ、じゃお願いします」
 
と言われて翌日連れて来られたのが児玉さんで、彼はそのままバックバンドに定着し、これでトラベリングベルズの5人のメンバーが揃ったのであった。
 

7月5日は午前中は東京のCDショップの付属ホール、午後は横浜のショッピングモールのイベントスペースでKARIONのキャンペーンをした。私は歌にも伴奏にも参加しない予定だったが、一応出て行った。
 
横浜で開演準備を手伝っていた時、大学生くらいの男の子から声を掛けられる。
 
「済みません、KARIONのヴァイオリニストの洋子さんですよね?」
「はい、そうです」
「先月の幕張のフェスタでは最後、ヴァイオリンを置いて歌に参加しておられた」
「わあ、よく見てますね。あれ、小風ちゃんの悪戯なんですよ。譜面を見たら、五線譜が無くて、代わりに楽器を置いて前に出てこいって書いてあったんです」
「あはは、面白いことしますね」
 
「今日もヴァイオリン弾かれるんですか?」
「いえ。今日はただのスタッフで演奏には参加しません」
 
と言ったのだが、それをそばで聴いていた相沢さんが
「せっかく要望されてるから、参加しようよ」
などと言い出す。
 
「でも今日楽器持って来てないし」
「それがあるんだな。おーい、三島さん、ヴァイオリン持って来てよ。蘭子、演奏する気になってるぞ」
 
と少し離れた所にいる三島さんに声を掛ける。
「はーい」
と返事をして三島さんがヴァイオリンケースを持ってくる。
 
なんか計画的だなぁ。
 
「わあ、じゃ演奏なさるんですね。洋子さん、ヴァイオリン凄くうまいから期待してます」
などと、ファンの男の子に言われ、私は笑顔でその子と握手してステージの方に行った。
 

ケースから楽器を取り出し、調弦をする。今日の楽器はちゃんと弓にふつうに松脂が塗られている。先日のは楽器レンタル店の人が、こちらが恐縮するくらい謝っていたらしい。なんでも、前回貸した人が弓を破損してしまったので新しい弓に交換したものの、ヴァイオリンに詳しくない人が新しい弓を受け取ったので、松脂を塗っておかねばならないことを知らなかったらしい。
 
そういう訳で、この日、東京では純粋にスタッフをしたものの、横浜では演奏にも参加して、新しいCDの曲、『夏の砂浜』『積乱雲』『Diamond Dust』の3曲と、先日の幕張でも受けが良かった『Snow Squall in Summer』を演奏した。この日は歌には参加せず、純粋に伴奏のみであった。
 
演奏の後のサイン会では、私は列の整理などをしていたのだが、私に声を掛けてくれた男の子が「洋子さんはサインは無いんですか?」と訊いた。するとそれを耳にした小風が
 
「あ、じゃその人に例のサインをプレゼントしようよ」
と言って、色紙に、小風・私・美空・和泉の4人で「四分割サイン」を書き、通常の「三分割サイン」と一緒に渡した。
 
このサインの日付は 2008.07.05 で、2008年に書いた希少な四分割サインであるし、ファンの前で4人で書いたのは極めてレアな例である。
 

翌日は早朝から愛用の《Rosmarin》のヴァイオリンを持って羽田に行き、和泉たちと合流して、新千歳に飛ぶ。座席はB747の中央の4列並びの席に、小風・和泉・私・美空と並んで座る。通路をはさんで窓側に畠山さんと三島さんが座っていた。
 
「でもさすがに北海道は飛行機か。本州内だと、歌手本人は飛行機でも伴奏陣は新幹線と特急の乗り継ぎ、どうかすると高速バスで移動なんてのも結構多いから」
と私が言うと
 
「うちだと、歌手本人もそのパターンだな」
と小風。
 
「ごめーん。貧乏だから勘弁して。でも君たちが売れたら、飛行機の座席もプレミアムにグレードアップするよ」
と通路の向こうから畠山さんが言っている。
 
「飛行機のエコノミーの座席は、ほんとに窮屈だからね」
「新幹線はグリーン席でなくてもいいかな。普通の席でも結構快適」
 
「ところで冬ってさ、その格好で家から出てくるの?」
と小風が訊く。
「そうだけど、何か?」
 
その日私は高校の女子制服で出てきている。
 
「出てくる時、親から何か言われない?」
「何も」
「お父さんは?」
「お父ちゃんは朝は私より早く出るし、夜は私より遅く帰ってくる」
「もしかして家庭内すれ違い?」
 
「朝御飯は一応私が作って、お弁当も私が作って、お父ちゃんを送り出してるよ」
「朝御飯って、お母さんが作るんじゃないの?」
 
「遅く帰ってくるお父ちゃんの晩御飯というより実質夜食だけど、それはお母ちゃんが作って、朝御飯とお弁当は私が作るという分担」
「なるほどー」
 
「私が居ない日はお姉ちゃんが作ってるみたいだけど、こないだは砂糖と塩が間違ってたとか言って、文句言ってた」
「ああ、冬のお姉ちゃんって、料理あまりしないんだ?」
 
「姉ちゃんが御飯を炊くとしばしば水加減が適当」
「水加減なんて目盛りを見て入れればいいのでは?」
「うん。そう考えるのは料理ができる人の考えで、一般人はそんなの分からんと主張された」
「うーん。。。。」
 
「じゃ、お父さんと全然話せてないの?」
と畠山さんからも言われる。
 
「私も困ってるんですけどねー。もうお父ちゃん無視して既成事実を作っちゃおうかなあ」
「やっちゃえ、やっちゃえ」
と小風が煽る。
 
「後で知られると激怒されるだろうけどね」
と和泉は心配そうに言う。
 
「でも、そしたら冬って、もしかして生活時間の大半、女の子の格好してない?」
「平日に学校で授業受けてる間だけかな、男子の服着てるのは」
「ああ」
 
「じゃ夏休みが始まると100%女の子生活に」
と美空が言うが
 
「春休みやゴールデンウィークもそうだったのでは?」
と小風。
 
「去年の夏休みもそうだったよね」
と和泉から指摘された。
 
「既成事実作りなら、もう性転換手術しちゃうとか」
と小風は言う。
 
「うーん。。。やっちゃおうかな」
と私は真剣な顔で答えた。
 

新千歳で荷物の受け取りの所で待っていたら、隣に立っている女の子と目が合う。
 
「あれ、おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わす。
 
谷崎潤子ちゃんであった。隣に似た雰囲気の中学生くらいの女の子が並んでいる。
 
「お仕事?」
とお互いに言って思わず微笑む。
 
ちなみに彼女と私の序列は、本来はメジャー歌手の彼女の方が上ではあるが、それほど売れている訳でもないし、ζζプロ内では、私の方が彼女より古株なので、年齢が近いこともあり、実質対等の感覚である。
 
「私はこちらのKARIONの伴奏」
と言って和泉たちを指し示す。和泉が潤子ちゃんに会釈する。どうも和泉は谷崎潤子ちゃんの顔を知らない雰囲気だ。
 
「私はプライベートな旅行」
と潤子。
 
「ああ、休暇もらったのね」
「いや、休暇はいくらでもくれる」
「あはは」
「一度めまぐるしいほどの忙しい生活ってのもしてみたいなあ」
 
「そちらはもしかして妹さん?」
「うん。この子、歌うまいんだよ。私よりうまい」
「へー。潤子ちゃんより上手いというのは相当上手いってことじゃん」
 
谷崎潤子は売れてはいないが歌唱力はかなり高い歌手である。しばしば松原珠妃の出演するイベントで、珠妃のスケジュールが鬼畜すぎるので、リハーサルの代理などもしている。声域の足りない所は適当に誤魔化したりはしているもののそれでも珠妃の代理ができる程度の歌唱力はある。
 
「来年くらいにメジャーデビューさせようという話になってる」
「それは凄い」
「芸名も決まって、谷崎聡子っていうの」
 
「ああ、同じ苗字だと姉妹というのが分かりやすいね」
「保坂早穂と芹菜リセとかは分かりにくい」
「どちらも名前が回文だってのが、共通点だけどね」
 
結局、私が双方を紹介して、谷崎潤子・谷崎聡子と、KARIONの3人で名刺交換をした。私も谷崎聡子の名刺をもらったが、聡子ちゃんは
 
「名刺を配るの初めてです〜」
などと言っていた。昨日の夕方、事務所から帰ろうとしていた所に出来上がってきたのをもらってきたらしい。
 
「あれ?そちら様は名刺は?」
と聡子から私は訊かれた。一瞬躊躇う。柊洋子の名刺は持っているが連絡先が∴∴ミュージックではなく津田民謡教室なので、ここで出してよいものか、と思ったら小風が
 
「あ、蘭子の名刺渡すの忘れてた」
と言って、名刺ケースを取り出して私に手渡す。
 
「う・・・」
開けてみると《歌手・KARION・らんこ》と書かれている。一瞬焦ったが、ここはノリで
「潤子ちゃんにもあげるね」
 
と言って、私は《らんこ》の名刺を谷崎姉妹に1枚ずつ渡した。
 
《KARION・らんこ》の名刺を持っている人は、かなりレアである。
 

せっかく北海道まで行ったので札幌では2ヶ所でキャンペーンライブをすることになっている。午前中は市内のCDショップで歌った。
 
10時の開店で、私たちは従業員入口から9:50くらいにビルの中に入ったのだが、私たちは10時半からの演奏予定で、その前に、北嶋花恋という人が10時から演奏することになっていた。
 
それを見学してようと思っていたのだが・・・・
 
始まらない!?
 
「どうかしました?」
と三島さんが声を掛けている。前の演奏者の予定がずれ込んだ場合、こちらにも影響が出る。
 
「あ、いえ。伴奏用のマイナスワン音源を持って来たはずが、見当たらなくて東京の事務所に電話してみたものの、まだ誰も出てきてないようで、レコード会社に連絡して転送してもらおうかと今言っていたところで・・・」
とマネージャーさんらしき人。
 
「私、キーボード弾き語りしましょうか?」
とその花恋ちゃん本人?かなという感じの子。
 
「いや、花恋ちゃんはアイドルだから、楽器弾きながらというのはイメージの問題があるので」
とマネージャーさんが困ったような顔で言っている。
 
「三島さん、代わりに弾いてあげたら?」
と和泉が言った。
 
「私でいいのかしら?」
などと言いながらも三島さんは
「譜面あります?」
と訊く。
 
「あ、はい」
と言って、花恋が譜面を取り出す。
 
三島さんは見ていたが「これ難しい!私には無理」といきなり音を上げる。
 
「しょうがない、蘭子弾いてあげなよ」
と和泉。
 
「見せて」
と言って私は譜面を急いで読む。
 
「弾けるよ」
 
「わあ。じゃ、お願いできますか?」
 
ということで、私が花恋ちゃんの伴奏をしてあげた。全部で6曲演奏する予定だったようだが、このトラブルで時間を食ったので1曲飛ばして5曲演奏して終了した。
 
花恋とマネージャーが丁寧に御礼を言っていた。
 

そして、KARIONの番である。
 
花恋の伴奏は1列のキーボードを使用したのだが、KARIONの方はエレクトーン(STAGEA)を使用する。基本的にはこれで1人4役(リードギター/リズムギター/ベース/ドラムス)になるのだが、今日は間奏部分では左手と足鍵盤を自動演奏状態にして、ヴァイオリンを持って間奏のソロを入れた。今日は1人5役だね、などと言われた。
 
ちなみに例によって、もらった譜面の『Snow Squall in Summer』の部分には「楽器から離れて前面に出てきて歌うこと」と書かれていたが、私は無視して暗譜で伴奏を続けた。小風が咎める視線を送ってきたが、黙殺しておいた。
 
「1人5役してるからギャラは5倍かと思ったけど、指示を無視して歌わなかったから、罰としてギャラ無しだな」
などと小風は後で言っていた。
 
「やはり楽器を破壊しないとダメかな」
と小風。
 
「でもエレクトーン高そうだよ。弁償するの大変」
と美空。
 
「そのヴァイオリンの方がよほど高いよね?」
と和泉。
 
「これ、借り物だから。一応私がお金作ったら買い取る約束にしてるけど」
「幾らくらい?」
「600万円くらいと言われてるけど、実際には800万円くらい払わないといけないと思う」
「ひゃー」
 
「でもこれ、お下がりのお下がりだからね。最初買った人はたぶん1200万円くらいで買ってる」
「恐ろしい・・・・」
 
「でもこれを私に貸してくれている人は、自分では今6000万円くらいの使っているから」
「ヴァイオリンの値段は怖すぎる」
 

「でも冬、ヴァイオリンをステージ上で壊されたことあるんでしょ?」
「そうそう。あれはまだ70万円のだったからいいけど」
 
「よくない。70万円でも私の御飯代の700回分だ」
と美空が言うが
「いや、100回分かも知れん」
と小風が訂正する。
 
「でも、なにやってて壊したの?」
「包丁で刺されそうになって、とっさにそれで防いだ」
 
「痴情のもつれ?」
「きっと、冬が男の子だと思って好きになった女の子が、冬が実は女の子と知って逆上したんだよ」
 
「それ、他の友だちにもそうなんじゃないかって言われた」
 
「冬がさっさと性転換しておかないから悪いんだ」
「2学期からは、ちゃんと女子制服で学校に行きなよ」
 

午後からは市郊外のショッピングモールに行く。午前中のCDショップは人影もまばらで、聴いてくれたのは20人くらい。サインも5枚しか書かなかったが、さすがにショッピングモールは人が多い。演奏前にマイクを立てたりエレクトーンの設定をスマートメディアからロードして確認したりしている間にもどんどん人が集まってくる。
 
「そろそろ行ける?」
と言って控室の中に居た和泉が様子を見に来たので、私はおいでおいでして
「マイクテストでふたりで歌ってみよう」
などと持ちかける。
 
「何歌うの?」
「アニーローリー」
「キーは?」
「B♭。その場合、出だしはD5。最高音はD6」
と言って、私はB♭の和音を弾いた上で出だしの音《D》を弾く。
 
「あーー」と和泉が《D》の音を出し、私も「あーー」と《B♭》の音を出す。そして、ふたりで三度唱する。
 
「Maxwelton's braes are bonnie, Where early fa's the dew,
And 'twas there that Annie Laurie, Gave me her promise true.
 
Gave me her promise true, That ne'er forgot will(shall) be,
And for Bonnie Annie Laurie, I'd lay me doon and dee」
 
周囲から物凄い拍手が来た。
「事前宣伝バッチシかな」
「よしよし」
 
「willとshallで意見が別れたね」
「まあ愛嬌だね」
 
22小節目の所で、私は「forgot will be」と歌い、和泉は「forgot shall be」
と歌ってしまったのである。古い民謡には、この手の歌詞のヴァリエーションが結構ある。
 

13時になったので、畠山さんが司会者になって、
「女子高生ユニット、KARIONです!」
と言い、美空・和泉・小風の順に出てきて、マイクの前に並ぶ。私もワンテンポ遅れて出て行き、エレクトーンの所に座る。和泉・美空・小風の3人で
「こんにちは、KARIONです!」
と大きな声で言い、早速演奏に入る。
 
短いMCを混ぜながら、『夏の砂浜』『幸せな鐘の調べ』『Snow Squall in Summer』
『風の色』『積乱雲』と歌い、最後は『Diamond Dust』である。
 
私がそこの譜面をめくると「その場所ででもいいから歌え」と書かれていた。これ、出てくる直前に譜面を確認したと思ったのに、いつの間に、すりかえられたんだ!?
 
三島さんが笑顔でステージに上がってきて、私にヘッドセット型のマイクを渡す。私は笑って受け取った。小風が右手でVサインを出している。
 
私の伴奏に合わせて『Diamond Dust』を歌う。ふつうは和泉・美空・小風の声がハーモニーを作り、私の声でカウンターを入れていくのだが、この曲は私と和泉の声がペアで絡みながら歌い、美空と小風がペアでカウンターを入れていくという構成になっている。『鏡の国』に近い、本質的4声アレンジの曲である(3声アレンジでは和泉と小風がペアで歌い、美空がひとりでカウンターを入れる)。
 
私はもう開き直って歌いながらエレクトーンを弾いていたが、歌ったことで、逆に私自身としては、ああ・・・前で歌いたいなあ、という気持ちが湧いてきてしまった。
 

翌週は母と相談した結果、泊まりの許可が出た。というか沖縄日帰りは無茶だと言われた。去年や一昨年に沖縄日帰りをしたと言ったら呆れられた。
 
それで結局和泉たちと一緒に土曜日に羽田から那覇に移動して午前中とお昼に2回那覇市内でライブをした後、福岡に移動して、福岡市内でも2ヶ所でライブをし、そのまま博多に泊まることにした。翌日新幹線で移動して、大阪・名古屋のライブである。
 
土曜日羽田を朝1番の飛行機で那覇まで飛ぶが、連日のレコーディングの疲れでみんな寝ていた。私もぐっすり眠っていた。
 
那覇1つ目は、ビーチに設置したステージである。まだ夏休みは始まっていないものの、夏の沖縄のビーチは観光客が多い。しかし日差しも強い。午前中ではあるが、かなり太陽の光が痛い。私も含めて全員強烈な日焼け止めをしっかり塗る。
 
「みんなどのくらいのSPF?」と私が訊く。
「私のSPF35」と美空。
「私のはSPF50」と和泉。
「あ、じゃそちら貸して」
「いいよ」
 
「私持って来たのSPFいくらだったかな?」
と言って小風がバッグから、日焼け止めを出そうとして・・・何か違う瓶を手に取ってしまったみたいで、慌ててしまっている。小風がふつうにしまっていたら誰も何も思わなかったろうが、慌ててた様子だったので、和泉が訊く。
 
「小風、何?その瓶は?」
「何でもない!」
 
美空が笑っている。私と和泉は顔を見合わせた。
 
「小風、それ、その瓶で持たずに小分けしておきなよ」
と美空が言っている。
 
「そうだなあ。東京に戻ったら小瓶買ってこようかな」
 

「でも、みんな仕事じゃなくて沖縄に来たのは何度目?」
と和泉が話題を変える。
 
「私幼稚園の頃連れて来られたらしいけど覚えてない」
と美空。
 
「私は初めて」
と小風。
 
「私は中学1年の時に商店街の福引きで沖縄旅行が当たって」
と和泉。
 
「おお、凄い」
 
「私は仕事以外では来たことないや」
と私が言うと
「仕事では何度?」
と訊かれる。
 
「ビデオ撮影で1回と、バックダンサーで5回かな」
 
「それって、もしかして、ここ数年毎年来てるとか?」
「でも今年はやらないんだよ。それでああ、今年は沖縄に行けないのか、と思ってたら、これが入った」
 
「すごいな」
「ビデオ撮影って何撮ったの?」
 
「ふふふ。私、それ知ってるもんねー」
と小風が言う。
 
「うーん」
「可愛いビキニの水着をつけて、男の人に抱きしめられて。私も実物は見てないんだけどね」
 
「まさかAV?」
 
「もう、わざわざ誤解されるような言い方しないでよ」
「何かのイメージビデオ?」
 
「そうそう。小学生の頃だから、胸とかもまだ無かったし」
 
「ちょっと待て。今は胸あるの?」
「あ、しまった」
 

ビーチでのキャンペーンライブは和泉・美空・小風が(ビキニではないものの)水着を着て演奏した。(ついでに私も水着を着るはめになって「ほんとにバストある〜」と指摘された) 水着効果もあったかも知れないが、けっこう海水浴客が集まってきてくれて、盛り上がったライブになった。
 
(小風の「前面で歌え」の指示は例によって無視した)
 
三島さんが和泉・美空・小風の写真入りパンフレット(公式サイトURL・QRコード付き)を頑張って配ったこともあり、プロモーションビデオの表示回数がかなり上昇していた。
 
ビーチの後は、冷たいシャワーで身体の火照りを冷ましてから、那覇近郊のショッピングモールに移動する。A&Wのハンバーガーでお昼にした後、演奏場所の催し場に行く。マイクの音量チェックは和泉に任せて、こちらは例によってエレクトーンにデータをロードし、音を確認した上でヴァイオリンの調弦もする。午前中炎天下に持ち出したのでさすがに音が狂っている。調整し直す。
 
そして畠山さんの司会で演奏が始まる。
 
『夏の砂浜』『幸せな鐘の調べ』『Snow Squall in Summer』『風の色』と演奏していく。そして最後から2番目の曲『積乱雲』を演奏していた時のことだった。
 
催し場の天井(吹き抜けなので3階の天井)に吊ってあった巨大な人形が突然落ちてきて、私の目の前、エレクトーンを直撃した。
 
さすがに後ろに飛び退いた(反射神経が良いと後で褒められた)が、重みがあるし、勢いも付いているのでそのままエレクトーンを倒してしまう。
 
演奏が中断した。
 

私は思わず小風を見た。楽器が壊れたら私が前で歌うのではなんて言ってたけど、まさかね? でも小風も慌てて首を振っている。
 
お店の人が飛んでくる。
 
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫です。でも楽器が・・・」
 
「今起こしますね」
と言って、男の人3人がかりで倒れているエレクトーンを起こした。
 
「鳴ります?」
 
私は鍵盤を押してみたが何も音が出ない。
 
「出ませんね。そもそもスイッチ入らない」
「電源が抜けたかな?」
 
と言って、お店の人が電源をチェックするも、異常箇所が見つからない。
 
「楽器の内部で断線したのかも」
「うーん」
 
その時、小風が
「あ、ヴァイオリンが!」
と声を立てた。
 
私は間奏でエレクトーンを自動演奏にしてヴァイオリンでソロを入れるので、エレクトーンの上にヴァイオリンと弓を置いていたのだが・・・
 
「折れてる!」
 
お店の人の顔色が変わる。ヴァイオリンというのが、とても高い楽器であることは一般にも知られている。
 
そのヴァイオリンのネックが完璧に折れていた。糸巻きも2個破損しているがこれは大したことはない。
 
「このバイオリン高いです?」
とお店の人。
 
小風が
「それ1500万円だよね?」
と言うと
 
「えーーー!?」
とお店の人は絶句して、顔色が蒼白になっている。
 
「大丈夫だよ。今日は炎天下のビーチで弾くから、いつもの《Rosmarin》じゃなくて、《Flora》の方を持って来ていたから」
 
「あ、これ高いヴァイオリンじゃないんだ?」
「うん。これは100万円だよ」
 
「ああ、よかった」
と小風は言うが、お店の人は
 
「それでも100万円ですか?」
と、少しはホッとした雰囲気ではあるが、まだ顔色が良くない。
 
「ネックの修理は20万円くらいで出来るよ」
と私が言うと
 
「あ、そのくらいで修理できるんですか!」
と言って、ほんとに助かったーという感じの顔をした。
 
最初から20万円と言われていたら、それでもショックだったろうが、最初に1500万円などと聞いてから最終的に20万円といわれたので、そのくらいならいいかという雰囲気になった気もした。
 
この事故が起きてからしばらくした所で、テレビ局の名前の入ったカメラを持った人が来て、現場を撮影しはじめた。
 
「済みません、撮らないでくれますか?」
とお店の人は言うが
 
「そんな隠さなくてもいいじゃないですか」
とテレビ局の人は言う。
 
店長さんが少しテレビ局の人と話して、お客さんの顔を映さないように、楽器や、スタッフだけなら撮していいということにした。
 
でネックの折れたヴァイオリンもしっかり撮影された。
 

会場は騒然としていたが、和泉が
 
「お客さんを驚かせてしまったから、そのお詫びに2曲くらい歌って締めたいと思いますが、どうでしょう?」
とお店の人に訊く。
 
「はい、そうできるのでしたら、お願いします。でも楽器が壊れましたけど、何とかなります?」
「アカペラで歌います」
 
と和泉は言って、私に手招きする。
 
「歌うよね?」
「まあ、楽器が壊れたら仕方無い」
 
ということで、私は美空と和泉の間に入る。和泉が最初の音を出して、それに美空・小風・私が調和する音を出して、歌唱スタート。
 
最初は『Diamond Dust』を歌う。予定していた最後の曲である。こういう和声を重視した曲は、アカペラで歌うと、物凄く美しい。4人とも音感が良いのでアカペラで歌っても音程は全くずれない。
 
歌い終わると今日1番ではないかという感じの拍手が来た。するとまだ残っていたテレビ局の人が
 
「あなたたちの歌っている所は撮ってもいい?」
と訊いてくる。畠山さんは、ちょっと三島さんと顔を見合わせたが
 
「いいですよ」
とOKを出した。
 
私たちも顔を見合わせたが、まいっか、という線だ。4人ともテレビに出たことがない訳でもないのでテレビ局とは、基本的に仲良くしておきたい。
 
それで気を取り直して最後の曲『Crystal Tunes』をやはりアカペラで歌う。これもまたアカペラでの歌唱がとても美しくなる曲である。静かにそして熱く歌い上げて、この日の演奏を終えた。
 
ほんとに凄い拍手が来て、KARIONのファンが今たくさんできたことを私たちは確信した。
 
実際にはテレビの映像は4人で歌っている所が2秒ほどだけ、そして歌声は5秒ほどだけローカル局で流れたらしいが、これが結果的にはかなり沖縄でのKARIONのCDセールスを押し上げたようであった。
 
なお、4人の顔は、あまりに素早くカメラがパンしていたので、全然識別できないレベルだったようである。
 
なお、怪我人とかは無かったので、お店から事務所への補償はヴァイオリンの修理代のみということで、畠山さんと店長さんで話し合って決めたようであった。あとで修理代の伝票をお店に送って、払ってもらうことにした。
 

「ところで、あれ小風のしわざじゃないよね?」
 
と私はお店を出てから訊いた。
 
「まさかあ。私にあんな高い所にある人形の紐とか切れる訳無い」
「だよねー」
「それに1500万円のヴァイオリン壊したら、私、一生掛けても借金返せないよ」
と小風はけっこうマジな顔で言う。
 
「ミリオンヒットが7回くらい出れば払えるよ」
「うーん・・・・その前にゴールドディスクを達成したいな」
 
「でも冬はそのヴァイオリンを今の持ち主さんから買い取るつもりなんでしょ?冬のお家ってお金持ちだっけ?」
「お金持ちなら、ずっと借家住まいってことは無い」
 
「どうやって1500万円作るの?」
「音楽で稼ぐ」
「おっ」
 

そのまま私たちは那覇空港に行き、福岡まで飛ぶ。そして夕方、天神のデパートの前の広場と、地下街のイベントスペースで、移動時間5分でKARION の歌を披露した。私もエレクトーン伴奏で伴奏した。
 
今回のキャンペーンは、できるだけオープンスペースで演奏して、多くの人にアピールしようというものであった。
 
その日は福岡の天神で泊まる。1月のキャンペーンでは、博多駅近くの安ホテルだったが、今回は普通のビジネスホテルにグレードアップしている。前回は和泉・美空・小風を3人1部屋に押し込み、私は三島さんと同室だったが、今回は和泉と私、美空と小風を同室にして、三島さんと畠山さんは各々シングルである。畠山さんとしても、私の性別は全く気にする必要が無いという判断だし、また私を和泉と同室にすることで、私のデビュー意欲を刺激したいということだったと思う。
 
部屋に浴室が付いているので、大浴場には行かないようにという指示であった。
 
部屋は別れているものの、夕食の後は、私と和泉の部屋に小風と美空が来て、お風呂もバスタオルやお風呂セットをこちらに持ち寄り、4人で交替で入った。
 
「なんか修学旅行のノリだ」
「和泉の所は修学旅行は?」
「中国らしい。香港・広州と桂林とか言ってた。でも来年の8月みたいだから、仕事でとても行けない気がする」
 
「私の所は韓国だと言ってたなあ。ソウルと慶州。来年の6月みたい」
と小風。
 
「みんな海外って凄いなあ。うちは多分奈良・京都だ。2年生の3月」
と美空。
 
「私の所も国内。九州で、今年の12月」
と私。
 
「12月も3月も、仕事とぶつかる可能性あるね」
「冬休み・春休み・ゴールデンウィーク・夏休み。他人が休む時が私たちは仕事の時」
 
「私、小学5年生頃から土日はレッスンか仕事だったなあ」
と小風が言う。
「冬もそんな感じでしょ?」
「うん。だいたい小学5年生頃から土日はふさがってた。当時は民謡ばっかりだったけど、6年生の時からドリームボーイズ始めちゃって、その後ポーラスターもやってたし、あの頃からロック・ポップス系が増えたかな」
 
「ポーラスター!? AYAのバックバンドみたい」
 
AYAのバックバンドにポーラスターという名前が付いたことは、つい先日発表されていた。
 
「いやつながってるんだよ。当時は篠田その歌のバックバンドだったんだけどね。メンバーの入れ替わりが激しくて完全に人が入れ替わってしまったんで、そちらは改名したこともあって、AYAのバックバンドにポーラスターの元メンバーが2人いるというので、またポーラスターの名前を名乗ることにした」
 
「へー!」
 
「バンドって結構何度も世代交代しながら名前が続いていったりするね」
「スクエアなんて最初からずっと居たのは安藤さんだけ」
「ドリフターズなんて何度か完全に入れ替わっている」
「KARIONもメンバーチェンジしながら50年くらい続いたりして」
「50年続いたら凄いな」
 
「でもメンバーがずっと変わらない所もあるよね。THE ALFEEはずっと3人のまま不変。30年くらい?」
 
「そんなものかな。ただ今の名前になる前のバンドの時は4人いて。1人辞めて3人になった後、THE ALFEEの名前で再デビューしたんだけどね」
「それは知らなかった」
 
「1人抜けとか1人交替のパターンは多いね。サザンは大森さんが抜けただけ。SMAPは森さんが抜けただけ。ドリフも、いかりやさんがリーダーになった後は荒井さんが抜けて志村さんが代わりに入っただけで40年くらい続いた」
 
「1人抜けたら、それがおまじないになってずっと続くんだったりして」
「その言い方はまるで人身御供だ」
「なんか怖い話してるな」
 
「KARIONも、冬が一時脱退してラムが入ったけどすぐまた脱退して冬が復帰して。おまじないは完了してるから、このままメンバーチェンジせずに40年続くかもね」
 
「40年後って、56歳? なんか想像が付かん」
「56歳でミニスカってことは無いよね?」
「私、60歳でもミニスカ穿きたいなあ」
「美空だけ穿きなよ」
 
「でも結婚しても続けたいよね」
「あれ? 和泉たちの契約書で結婚のことは書かれているの?」
「25歳までは恋愛・婚約・結婚・出産禁止と書かれている」
「じゃ、その後はいいのか」
 
「出産の時は一時的にお休みするにしても、赤ちゃんの手が離れたらまた続けたいな」
「ああ、そういうのイイネ」
 
「そういえば契約書で性転換は禁止されてないな」
「ふつうそういう事態は想定しない」
「小風、男になりたいの?」
「小風って結構おやじっぽいよね」
 
「それは中学の友だちからも言われてたな。でも男ってのも何か面倒くさそう」
「手術も大変みたいね。男を女にするには付いてるのを取ればいいが、無いものを作るのは大変みたい」
 
「冬が取っちゃうのをもらえば?」
「いや、冬は既に付いてないとみた」
「ああ、そんな気もする」
 
「それに男になるとお嫁に行けないしね」
 
「冬はもちろんお嫁に行くつもりだよね?」
「当然。小さい頃から、お嫁に行ってもいいよと親から言われてた」
「やはりそういう子供だったのか」
 
 
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