【夏の日の想い出・アイドルを探せ】(3)

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23時になったら三島さんがこちらの部屋に電話してきて、明日もあるから寝なさいというので、美空と小風は自分の部屋に帰った。
 
その後、和泉とふたりでコーヒーを入れて飲みながら少し話して、途中で和泉が唐突に詩を発想し『空を飛びたい』という詩を書いた。
 
「曲付けられる?」
「いいよ」
 
と言って私は五線紙を出して、愛用の銀色のボールペンで曲を書き始めた。
 
「高校に入ってすぐの頃は赤いボールペンを使ってたよね?」
「よく覚えてるね。あれは友だちにあげたんだよ」
「ふーん。そのボールペンは?」
 
「これは中学3年の時に合唱部の大会で入賞して記念にもらったボールペンなんだよね」
「へー」
 
「それ以前に使っていたのは小学5年の時に絵画コンクールに入賞してもらったボールペン。それは別の友だち(麻央)にあげた」
「ほおほお」
 
「その前に使ってたのは小学2年の時に漫画雑誌の作品募集に応募して努力賞になった時に記念にもらったボールペン。これはね・・・実はワンティスの高岡さんにあげた」
「へ?」
 
「和泉には1度見せたことあるでしょ? ボクが小学生時代から使ってたヴァイオリン。あれは高岡さんからもらったものなんだよね。それ以前に使っていたヴァイオリンと交換したんだけど、その時、値段差がありすぎて申し訳無いからボクのボールペンもあげたんだ」
 
「でも冬って何だかもらったものとか借りてるものとかが多いな。くれる人、貸す人がいるのも凄いけど」
「うん。私って人間関係に恵まれている気がする」
 
「高岡さんと知り合いだったの?」
「偶然何度か会っただけ。当時はワンティスの高岡さんだということ自体を知らなかった。でもボクの作曲スキルは高岡さんに最初要点を指導されて、その後はドリームボーイズの蔵田さんの作曲の現場にたくさん立ち会っている内にセンスを鍛えられたものだよ」
 
「英才教育されてるな。それでプロレベルまで鍛えられたのか」
「自分的にブレイクしたのは去年の夏。赤いボールペンをあげた子と一緒に曲を書いた時、自分でもびっくりするほど、突然進化した」
 
「ちょっと嫉妬するな」
と和泉は言った。
 

私が楽曲を書き上げた後、和泉は何ヶ所か「ここはこうした方が良くない?」
などと譜面を見ながら言う。それをふたりで話し合いながら、15分ほどで曲を仕上げた。
 
「ところで、こないだから何か言いたそうにしてる」
「うん」
 
それで私は今回のアルバム制作、そして来週のライブを最後にKARIONからは離れさせてもらい、同じ学校の子と一緒にデュオでのデビューを考えていることを打ち明けた。
 
「それが赤いボールペンをあげた子か?」
「そう。だからボクの共同作業者なんだよ」
 
「まあ、辞めたがっているなというのは感じてたけどね」
と和泉。
 
「ごめんね」
「でもなぜ? KARIONの活動方針や方向性に不満?」
「アイドル色がやや強いことを除いたら、そんなに不満は無いな。でもやはり和泉とライバルとして戦いたい気持ちもあるんだよね」
 
「それは理解できる部分だなあ。私も冬の才能を見ていて、一緒にやりたいという気持ちもあるけど、戦っていきたいという気持ちもある」
 
和泉は私に理解を示すように言った。
 
「でも小風は絶対納得しないよ、冬が辞めるって言ったら」
 
「だろうなあ・・・」
 
「それに辞めるにしても来週でというのは急すぎるよ。取り敢えず次のCDを制作する9月くらいまでは付き合わない?」
 
「うん。でもそう考えていると、辞めるタイミングが無くなる」
「ふふふ」
 

「でも冬がペアを組もうとしている子って、どんな子? 歌うまい?」
「まあどちらかというと音痴だね」
「なぜ、そんな子と組む?」
 
「和泉なら多分、ボクがしようとしていることが分かるかも」
 
と言って私はノートパソコンを取り出し、つい数日前に政子とふたりで学校を半日サボってスタジオに行き、録音した曲の一部を聴かせる。
 
「まだ録音しただけでミックスとか全然なんだけど」
と言ってボーカルトラックだけ再生した。
 
後に『Month before Rose+Lily』のタイトルで発表した音源であるが、その中でその時聴かせたのは多分『ブラビエール』『ギリギリ学園生活』の2曲である。
 
「やられた」
と言って和泉は笑った。
 
「冬ってさぁ、変化球投手だよね?」
「ああ、それはアスカさんにも言われた」
 
「うん。アスカさんにしても私にしても速球投手だもん」
「ふふふ」
「このデュオは売れると思う。特に2番目の曲(『ギリギリ学園生活』)は、KARIONでは絶対売れない曲。このボーカルがあって初めて売れる」
 
「でもその変化球で、速球の和泉と勝負しようという魂胆なんだよ」
「じゃさ、KARIONも売れるようにしてよ。でないと勝負できないじゃん」
「そうだなあ。。。。」
 

翌日の朝食後、畠山さんが私と和泉に話があると言うので、ふたりで畠山さんの部屋に入る。
 
「実はゆきみすず先生なんだけどね」
「はい」
 
「ちょっと男の僕には言いにくい話なんだけど、子宮筋腫で子宮の全摘手術をしたのだけど、それでどうもホルモンバランスが崩れてしまったみたいでね。更年期障害が、かなり酷いらしいんだよ」
「ああ」
 
「それで当面音楽制作活動には復帰できそうもないということで、申し訳無いがKARIONのプロデューサーは辞任させてくれという話があった」
 
「理論的には子宮を取っただけでホルモンバランスが崩れる筈が無いというのですけど、それって男の医者の論理ですから」
などと和泉は言う。
 
「男の人が睾丸を残して、おちんちん取っちゃったら、ホルモン的な影響は無いはずでも、精神的なショックは大きいですよね?」
 
「それ辛そうだ」
 
「子宮を取るのって、女では無くなるという気持ちが出るから、その精神的な影響はかなり大きい筈です」
 
「うん。まあ、そういう訳でさ。色々僕も考えたんだけど、今制作しているアルバムを karion 名義でプロデュースというか、実質プロデュースしているのは、和泉ちゃんと冬ちゃんの2人なんだけど、この体制で今後の KARION のCDも制作して行ってもらえないだろうかというのを考えている」
 
私と和泉は顔を見合わせた。
 
「ゆき先生に払っていたのと同じ金額。CDシングルについて200万円を君たち4人に払う。1人50万円になるけどね。アルバムについては売れ行きが見えないので今回は40万円で勘弁してもらいたいんだけど、次作からは今回のアルバムの売れ行きを見てプロデュース料を払いたい」
 
「私は構いませんけど」
と言って和泉は私を見る。
 
「前回のシングルにしても今回のアルバムにしても、ふたりのバランス感覚とセンスが凄くいいんだよね。それに和泉ちゃんのメンバーやバンドの人への指示が明解でテキパキとしてるし、冬ちゃんは機材やDAWソフトの操作に慣れていて、完成形を頭の中に描いた上であれこれ意見を言っている感じだし、いいコンビだなあと思って見ていたんだよね」
 
私は困ってしまった。そんなに期待されても・・・・
 
というので、私は(畠山さんには以前から再三言っていたのだが)KARIONから離れて、別途他の子と組んでデュオでデビューしたいということを再度畠山さんに言った。
 
「うーん・・・・」
と畠山さんは少し考えていたが、やがて言う。
 
「じゃ、そちらと掛け持ちということで」
「えーーー!?」
 
和泉が笑顔でパチパチと拍手する。
 
「ロックバンドとかでも、複数のバンドを掛け持ちしている人はよくあるし」
「うーん。。。。。」
 
「LUNA SEA の SUGIZO は X JAPAN のライブにこないだから出てるよね。あれ多分正式メンバーになっちゃうんじゃないかな」
「そんな気がします」
 
「スピッツの崎山さんは初期の頃、かなり多くのバンドのドラマーを兼任してた」
「ああ、ドラマーの掛け持ちって、そもそも多いですよ」
 
「だから、冬ちゃんも KARION とそちらのデュオと掛け持ちすればいいんだよ」
「うむむ」
 
「そしたら、私と仲間でありかつライバルになれるね」
と和泉も笑顔で言う。
 
「なんか、丸め込まれてしまいそう・・・・」
 

その日は福岡のFM局に15分ほど出演した後、新幹線に乗って神戸に移動、神戸元町で演奏する。それから大阪に移動して、なんばパークスで演奏した。なんばパークスでは、私たちの次に AYA が演奏することになっていて、AYA 本人はまだ来ていなかったものの、ポーラスターのメンバーは先に来ていたので、杉山さん・神原さんと握手して、少し話してきた。
 
私がこちらに戻って来てから畠山さんが小声で言う。
「冬ちゃん、$$アーツからも随分勧誘されてたろうけど、あそこから出ていたらアウトだったね」
 
AYAが所属する$$アーツはドリームボーイズの事務所で社長もドリームボーイズの元マネージャーの前橋さんである。私は前橋さんから随分デビューを勧誘されたものである。AYAは4月のデビューのほんの1週間前に$$アーツと契約した。どうしてもマネージメント会社が決まらなかったため、レコード会社からの依頼で受託したものであった。
 
「ですね。AYAは出版社とのタイアップだから、全部向こう優先になってこちらは放置される所でした」
と私。
 
「同じ事務所から、同じ年齢のソロ歌手を同時に2人売り出すことはできないから」
「過去にもそういう可哀想な例って何人かいますよね」
 
「うちは冬ちゃん、1人でも2人でも、KARIONの4人とは別形態だから大丈夫だよ」
 
さりげなく「4人」と言う所がなかなかだ。
 
「あはは。でもデモ音源まとまったら持って来ますね。基本的にはフォーク系の路線を考えているんですよね」
「それなら更に競合しない。KARIONは現代聖歌という雰囲気だから」
 
「ああ、確かに聖歌ですよね〜」
 

大阪から名古屋に移動する新幹線の中で少し遅めの昼食に、少し高級なお弁当を食べる。もっとも私はとても全部食べきれないので、あらかじめ半分くらい美空にあげる。
 
「えー?鶏肉もらっていいの?わーい」
と美空は喜んで食べている。
 
「蘭子、相変わらず少食だね〜」
「ちゃんと食べないと、おっぱい成長しないよ」
「おっぱいか・・・もう少し欲しいな」
「やはり、欲しいんだ」
「うん」
「今日は割と素直だね」
 
「じゃ、名古屋では一緒に歌おうね」と美空。
「パス」
「三島さーん、蘭子にヘッドセットを」と小風。
「了解〜」
 

名古屋は地下街の広場で演奏をしたのだが、ここでは私は最初からヘッドセットを付けて、エレクトーンの伴奏をしながら、私の本来のパートを歌った。ただ、前面に出て歌った訳ではないので、見ている人の大半は、コーラスか何かを入れるのと同様の感じで捉えたのではないかと・・・思っていたのだが、後でネットを見ていたら
 
《1月のキャンペーンで名古屋でキーボード、大阪でヴァイオリンを弾いていた、柊洋子さんが、今回はエレクトーン弾きながら歌唱にも参加していた。KARIONの準メンバー的存在?》
 
なんてmixiの公開日記に書かれていたのを小風が見付けて見せてくれて、私は、あははと笑っておいた。
 
さて、ライブでは、いつものように和泉がMCをしながら演奏していたのだが、『Snow Squall in Summer』を歌った後、和泉が何か言おうとした前に、畠山さんがステージ横から出てきて
 
「ここで重大発表があります」
と言う。私たちは何も聞いてなかったので、何だろう?と思う。
 
「今回のキャンペーン、それから先月の幕張でのアイドルフェスタでも今歌いました『Snow Squall in Summer』が大変受けていまして、本来は9月に発売するアルバムに収録する曲なのですが、急遽、この週末、7月18日金曜日に先行シングルとして発売することになりました。スイート・ヴァニラズから提供された『サダメ』とのカップリングです」
 
「おぉ」
という感じの声が観客から上がるので、観客の中にKARIONの熱心なファンが結構含まれているのを私たちは感じた。
 
「そしてもう1件です。KARIONは来週、土曜日に大阪、日曜日に東京で、KARION初ホールライブを行いますが、このチケットは既にソールドアウトしています。しかし先行シングル発売を記念して、7月26日土曜日に、ここ名古屋でも追加でホールライブを行うことが決まりました。チケットは明日14日月曜日の夕方18時から発売します」
 
これも寝耳に水だったので、私たちはびっくりした。しかし観客からは凄い歓声と拍手が起きていた。
 
「それでは今日のライブ残りの曲もお楽しみ下さい」
と言って畠山さんは下がる。
 
その後を和泉が引き継いで短いトークをした後、『風の色』を歌う。そして『積乱雲』『Diamond Dust』と演奏して、今回のキャンペーンを終了した。
 

名古屋のキャンペーンが終わった後、東京に帰る新幹線の中で、畠山さんは先行シングルに『サダメ』『Snow Squall in Summer』の2曲を入れることは決めているが、もう1曲、過去に発表した曲のどれかのリミックス版を入れたいと思っているが、どれがいいと思うか?と私たちに訊いた。
 
「18日金曜日発売ということは16日水曜日に発送ということでしょう?既にプレスが終わっているのでは?」
 
「それが急遽発売が決まったので、明日の朝データを持ち込んで明日中にプレスして火曜日レコード会社に納品、即、宛先仕分けして水曜日発送らしい」
「自主制作CD並みだ」
 
「あ、それからKARIONの担当が決まったから。山村美喜さんという人。むろんKARION専任ではなくてアイドル系の歌手ユニットをたくさん担当している人だけど。集団対応から固定担当にランクアップ」
「おぉ」
 
「火曜日にでも会いに行って挨拶しよう」
「はい」
「蘭子も来るよね?」
「パスで」
 
「で、明日入れる曲だけど、どれにしよう? 曲が決まればサウンド技術者の人と一緒に今夜データをまとめる」
 
「相変わらずハードな仕事ですね〜」
 

「社長、この曲を入れてもらえませんか? 新曲ですけど。昨夜こんなのできたってゆってメールしてきたんですよ」
 
と言って和泉は昨日私とふたりで作ったばかりの『空を飛びたい』の譜面を出した。手書きではなく、私が昨夜の内に打ち込んでホテルのサービスを使ってプリントしておいた譜面である。
 
「おっ、また少女A,少女Bの作品か。今度その子たちに1度会わせてよ。僕も一度挨拶しておきたいし」
 
「じゃ2学期になってからでも」
「うん」
 
「これまでの曲とは少し雰囲気が違ってて、凄くポップな作品だね」
「ちょっとたまには違うこともしてみようかというのでタイトルも日本語にしてみたらしいです」
「なるほどねー」
 
と畠山さんは感心しているが、小風が心配したように言う。
 
「でも、CDのデータは明日の朝、持ち込まないといけないんでしょ? その新曲の音源はいつ作るの?」
 
「当然今夜」と和泉。
「つまり、この新幹線が東京に着いてから?」
「スタジオ直行かな」
「ひゃー」
 
「伴奏はどうしますか?」
「訊いてみよう」
 
と言って、畠山さんは相沢さん、木月さん、鐘崎さん、黒木さんにメールしていた。ほどなく返事が返ってくる。
 
「相沢さんは他のアーティストのサポートで岩手に行っているらしい。木月さんはプライベートな旅行で高知らしい」
「ちょっと無理ですね」
 
「鐘崎さんはOKの返事。黒木さんはもう仕事終わりと思ってビール飲んじゃったけどいいですか?というので構わないから来てと頼んだ」
 
「アルコールが入った方が名演になったりして」
「ああ、そういうアーティストは結構居る」
 
「ギターとベースはどうしましょうか? キーボードは私でも蘭子でも弾けるし、ヴァイオリンは当然蘭子に弾いてもらって」
「グロッケンは当然和泉が弾く」
 
「みーちゃんはベースをかなり弾くはず」と小風。
「こーちゃんはギターを結構弾くはず」と美空。
「ほほぉ」
 
「美空がみーちゃんで、小風がこーちゃんなんだっけ。じゃ和泉はいーちゃん?」
「和泉はいっちゃんだな」と小風。
「蘭子はらっちゃんだよ」と美空。
 
「らっちゃん・・・・・」
 

そういう訳で、私たちは東京駅から青山の★★スタジオに直行し、5階紅鶴の部屋に入った。30分ほどで黒木さん、少しして鐘崎さんが来た。私が急遽新幹線の中とこのスタジオに来てからも書き続けていたアレンジ譜を、ふたりに見てもらって多少の調整をする。
 
なお三島さんには何かの時のためにということで、仮眠しておいてもらうことにした。また雑用係として、事務所の若い人で望月さんという女性を急遽呼び出した。専門学校を出たてでProtoolsの操作も分かるのでそちらの補助の他、彼女にコーヒーをいれたり、夜食の買い出しなどをしてもらった。私は初対面だったが、長身で明るい感じの女性だった。
 
スタジオの楽器を借りて、小風のギター、美空のベース、私のキーボード、鐘崎さんのドラムス、黒木さんのサックス、というので演奏し、和泉に全体を見てもらう。再度多少の譜面調整をして、演奏の収録をした。
 

「小風ちゃん、美空ちゃん、ギター・ベース上手いじゃん」
と黒木さんが褒める。
「みーちゃん、お姉さんが組んでるバンドのベーシストだもんね」
と小風。
 
「へー、KARIONやる前に、そんなことしてたんだ?」
「今でもやってたりして」
「何!?」
「ちょっと、こーちゃん!」
 
「僕、そういう話聞いてないけど」
と畠山さんが厳しい顔をする。
 
「済みません。基本的に断っているんですけど、今年に入ってからも何度かアマチュアの大会に出ました」
と美空が謝る。
 
「それって、美空がアマチュアの大会に出られるもの?」
と和泉が疑問を呈する。
 
「美空は歌手のプロだけど、ベースのプロではないかもね」
と私は言ってみた。
 
「でも専属契約に反しませんか?」
 
「ちょっと待って」
と言って畠山さんは自分のパソコンを開いて、どうも契約書の書面を呼び出しているようだ。
 
「・・・・・乙は本契約期間中、甲の専属実演家として、甲のためにのみ実演を行うものとする。乙は甲の事前の承諾無しに下記のような行為をしてはならないものとする・・・・」
 
「美空・・・」
「ごめんなさい」
「何回くらい出たの?」
「えっと。。。2月と5月に1回ずつです」
「アマチュアの大会?」
「はい。全然入賞とかできませんでしたけど」
 
「じゃ、その2件に関しては目を瞑る」
と畠山さんは言う。
「でも今後、そういう話があった時は事前に僕に相談して。夜中でも構わないから電話入れて」
「はい。申し訳ありませんでした」
 
「でもKARIONのスケジュールとぶつからない限りは、そういうのたまにやるのも悪くないかもですね」
と和泉は言う。
 
「KARIONって普通のアイドルとは少し違うから。芸術的な能力が高いことを示唆するのは、イメージ戦略としても悪くない気がします。積極的にそういう情報を流す必要はないですけど。知る人ぞ知るみたいな感じで」
 
「そうだなあ。まあ、とにかく事前に連絡してよ」
「はい、必ず連絡します」
 

「よし!次、歌の収録!」
 
ということで、気を取り直して、和泉・私・小風・美空の4人で歌う。私も和泉も歌唱に参加しているので、黒木さんにチェックしてもらい、多少の調整をした上で収録した。
 
最後はこれに付加的な音を加える。和泉のグロッケン、私のヴァイオリン、更に小風がタンバリン、美空がオカリナを吹いて、音の彩りを増やした。
 
これで仮ミックスして聴いてみると良さそうな感じだったので、黒木さんと鐘崎さん、それに美空と小風はお疲れ様でしたということにした。
 
時刻は23時を回っていたが、私と和泉、それにスタジオの技術者さんとで、大急ぎで正式なミックスダウンを行う。これに1時間ちょっと掛かり、その後既にできている『サダメ』『Snow Squall in Summer』と音量のレベルを揃え、曲間も定めて、夜中1時頃にマスター音源が完成した。
 
「徹夜しなくて済んだね」
「さすがに今日は徹夜したくなかったから良かった」
 
「君たち、帰宅する?」
「しないと叱られます」と私。
「同じく」と和泉。
 
ということで、仮眠というより熟睡していた三島さんを起こし、望月さんが車を出して運転し、三島さんが助手席に乗り、私と和泉が後部座席に乗って、各々の自宅まで送り届けてもらった。一応電話連絡はしておいたのだが、三島さんが各々の自宅で親に、遅くまで掛かってしまったことを謝ってくれた。
 

私が帰宅した時、遅く帰って来た父が母とふたりで夜食を食べていた所だった。
 
「お前、凄い時間まで部活やってるな」
と父。
 
「ごめーん。明日の朝までにどうしても作り上げないといけない作品があったもんだから」
「頑張るのはいいが、身体壊さないようにしろよ」
「うん。疲れたら寝てるから」
 
「ところで、お前なんでスカートなんて穿いてるの?」
「最近じゃ、男の子でスカート穿く子も珍しくないよ」
「そうだっけ。そういえば SHAZNA とかもいたなあ」
「ああ。IZAM 以来、男の子のスカートはタブーじゃなくなったね」
 
後から母に「カムアウトの絶好の機会だったのに」と言われたが、さすがにこの日は私も疲れ切っていて、多大なエネルギーが必要な自分の性別のカムアウトまではする気力が無かった。
 

7月2日に発売されたKARIONの3rdシングル『夏の砂浜』は好調に売れていて、最初の2週で3万枚を突破。デビューシングルの4.8万枚に迫る売上になりそうな勢いだった(2枚目のシングル『風の色』は3.6万枚しか売れていない)。そして18日に発売されたアルバムからの先行カット『サダメ』も初日に2万枚売れて好調だった。
 
そして19日、KARION初の公式ホールライブが大阪ビッグキューブで行われた。(ローズ+リリーが誕生するわずか2週間前である)
 
伴奏は、相沢(Gt), 木月(B), 鐘崎(Dr), 黒木(Sax), 児玉(Tp) が揃っていて、他にサポートミュージシャンとして、グロッケンシュピール・ヴァイオリン・フルートの人を頼んでいた。そしてキーボードは私が弾くことになっていた。
 
相沢さんたち5人は今日・明日、そして急遽追加された名古屋公演にも付き合ってくれることになっている。他の人は名古屋は別の予定が入っていたので、別の人を手配してもらうことになっている。
 
「このバンドの名前を決めちゃわない?」
と黒木さんが提案する。
 
「何か案がある?」と相沢さん。
 
「トラベリングベルズ」
と言ったのは木月さんである。
 
「ほほぉ」
「やはりライブでの伴奏というのが一番大きな役割だろうから、KARIONと一緒にあちこち旅して行って演奏する。旅する鐘だから、travelling bells」
 
「トラベリングベルって、ベルリラのことでもありますよね?」
「そうそう。そのあたりは掛け言葉」
 
「でも僕、これ専任という訳にもいかなくて、いくつかのバンド掛け持ちだけど」
と鐘崎さんは言うが
 
「専任にして給料払うほどの予算は無いはずだから、そのあたりは適当に」
「そうそう。たまたま出られない時は誰か頼めばいいし」
 
「わりとドラマーって、そういう仕事の仕方になりがち」
 
「正キーボード奏者の蘭子と、正グロッケンシュピール奏者の和泉もトラベリングベルズのメンバーだよな?」
「当然」
 
「そのふたりがトラベリングベルズの最古参メンバー」
「なるほどー」
 
「そうだ。ついでにニックネームも決めない? GLAYなら TERU, JIRO みたいな感じでさ」
と黒木さんが言い
 
「ああ、アルファベットがいいよね」
 
などと木月さんも言っていたら、小風が手を挙げて
 
「私が決めてあげる」
と言い
 
「相沢孝郎さんは TAKAO, 黒木信司さんは SHIN, 木月春孝さんは HARU, 鐘崎大地さんは DAI, 児玉実さんは MINO」
と言い、更に今日明日だけのサポートミュージシャンさんたちの名前まで勝手に決めてしまう。
 
「でもよく今日来たばかりの私たちの名前を下の名前まで覚えてますね」
とフルートの人が感心したように言う。
 
「小風はそういうのが割と得意だよね」
「うん。得意」
と本人も自信がある感じ。
 
「じゃ、小風ちゃんに敬意を表して今言われたニックネームで」
「OKOK」
 
そういう訳で「トラベリングベルズ」というバンド名と、各自のニックネームが定まったのであった。
 

今回のライブでは1stから3rdまでのシングルに含まれる曲9曲と、アルバム収録曲12曲の合計21曲を演奏する。そしてアンコールで『空を飛びたい』、セカンドアンコールで『Crystal Tunes』という構成である。
 
幕間のゲストには、∴∴ミュージックに適当な歌手が居ないので★★レコードに相談したら、Parking Serviceを推薦された。私はそれを当日知って、ギャッと思った。それで当日、白浜さんに連れられてParking Serviceの6人がやってくる。彼女たちは私を見て「あ、洋子ちゃんだー」と言う。私は会釈した。
 
私は彼女たちのバックコーラスも結構していたのである。
 
白浜さんが
「洋子ちゃんは、ここで何やってるの?」
と訊くので
「今日はキーボード奏者です」
と答えるのだが、小風が
「蘭子はKARIONのメンバーですよ」
と言う。
 
「あ、もうデビューしちゃったんだ?」
と白浜さん。
 
「してません。音源製作には参加しましたが」
と私。
「お父さんとの交渉が進んでないらしくて契約ができないんですよー。でも、本人も私たちも、KARIONのひとりと思ってます」
 
「じゃ、準メンバーという感じか」
「実質そんな感じかな」
 
「今うちの事務所で XANFUS(ザンファス) というプロジェクトを進めてるんだよ。3-4人くらいのユニットでね。10月くらいにメジャーデビューの予定なんだけど」
「へー」
 
「洋子ちゃんも誘えないかと思って、こないだから何度か自宅にも電話したんだけど、全然捕まえられなくて」
と白浜さんが言う。
 
「すみませーん。私まだ契約とかができない状態ですけど、契約できるようになったら、∴∴ミュージックさんと契約するつもりなので」
 
和泉が私の頭をよしよしとする。
 
「そっかー。残念。今最終候補に挙がっている3人が凄く歌がうまいけど洋子ちゃんは格が違うから、確保できたらメインボーカル・リーダーに据えようと思っていたんだけど」
「ごめんなさーい」
 
そういう訳で当時XANFUSは3-4人の予定で進んでいたのだが、当時光帆は候補者だったものの音羽はまだ入っていなかった。しかしその後、2人脱落してから音羽を入れて2人でデビューに至るのである。
 

ライブでは、前半は出たばかりのアルバム先行カットCDタイトル曲『サダメ』
に始まり『Snow Squall in Summer』、直前の通常シングルの曲『夏の砂浜』
『積乱雲』『Diamond Dust』と歌い、更に9月発売予定のアルバムの曲を5曲歌う。私は先週の名古屋でのキャンペーンと同様、ヘッドセットを付けてキーボードを弾きながら、自分のパートを歌っていた。今日は全て4声アレンジの譜面を使用している(5声の曲以外)。前半最後の曲は少女A作詞少女B作曲の『Gold Dreamer』であった。
 
ここでゲストコーナーとなり、Parking Service の6人が、おなじみの女性警官風のコスプレで登場。彼女たちの持ち歌を3曲歌った(普段は口パクなのだが、この日はちゃんと歌った)。
 
その後、衣装替えをしたKARIONが再登場。サウザンズの樟南さんから提供された『Shipはすぐ来る』で後半スタート。更にアルバムの中の曲を4曲歌い、2ndシングルの曲『風の色』『丘の向こう』『トライアングル』、デビューシングルの曲『幸せな鐘の調べ』『小人たちの祭』と歌って最後は『鏡の国』である。
 
今日はコーラス隊は女子中学生4人が入っているのだが、『トライアングル』
など、いくつかある5声の曲では、その中のリーダー格のAちゃんが前面に出て行き、メインボーカルに加わった。
 
そういう「後ろで演奏している誰かが前面に出ていく」場面を充分見せておいた上で、最後の『鏡の国』では、私がキーボードを離れて前面に出ていく。ヘッドセットはキーボードの所に置いて、代わりに和泉たち同様スタンドを使用する。ここまで何度かAちゃんが使っていたマイクである。
 
この時、私たちは用意していたこの曲用の衣装をかぶる。全員縦に2色並ぶ配色である。和泉は左に青・右に黄、私は左に黄・右に青、小風は左に赤・右に白、美空は左に白・右に赤。
 
すると、小風・和泉・私・美空と並んだ時に、左からも右からも赤・白・青・黄と色がならび、きれいな左右対称になる。思わず歓声があがる。
 
そしてこの状態で最後の曲『鏡の国』を歌ったのである。
 
これで幕が下りた。
 

アンコールの拍手で幕が上がる。お色直しはしていない。後半を歌った衣装のままである(『鏡の国』でかぶった服を脱いだだけ)。
 
小風・和泉・美空の3人が前に並ぶ。後ろには私だけが残りキーボードの所にいる。和泉がアンコールの御礼を言い、私のキーボード伴奏で『空を飛びたい』
を歌う。私はキーボードを弾きながらヘッドセットマイクでの参加である。
 
歌い終わると拍手がそのままアンコールの拍手になる。それで和泉が最後の挨拶をして
「ほんとに最後の曲『Crystal Tunes』」
と言うと拍手。グロッケン奏者さんが入って来て位置に付き、私は電子キーボードからグランドピアノに移る。
 
そしてグロッケンとピアノの伴奏でこの曲を歌う。
 
リズム楽器は使わない。透き通ったピアノとグロッケンの音に、透き通った和泉の声が響き、それに私と小風と美空がハーモニーを付ける。
 
KARIONの初ホールライブは、この美しいチューンで幕を閉じた。
 

休憩用に確保しているホテルに入ってシャワーを浴び、4人とも少し仮眠した。アルバムの制作作業が前日の18日にやっと終わった所で疲れが溜まっているのである。
 
1時間ほどで目を覚ます。私は和泉と同室、小風と美空が同室だが、小風たちもこちらの部屋に来てしばしおしゃべりする。
 
私はこの日初めて、小風と美空に、自分が近い内に別の子と組んでデュオでデビューを目指すことを話した(畠山さんと和泉には既に話しているがふたりにも自分から話したいから言わないでくれと言っておいた)。
 
「デモ音源の録音は済ませているんだけど、こちらのアルバム制作とかしていたから、ミクシング作業がまだなんだよね。近い内にまとめて、みんなにも聞かせる」
 
小風が難しい顔をして聞いていたが、和泉が
 
「でも冬はそちらもやるけど、KARIONもやってもらうから」
と言うと、小風も少しだけ表情を和らげて
 
「こちらを辞めるという話でなければ問題無い」
と言ってくれた。
 
「私はミクシング前のものを聞いたけど、まあ面白いデュオだと思う」
と和泉。
 
「相手の子は上手な子?」
と美空。
 
「下手だね」
と和泉。
 
「なぜそんな子と?」
と美空が訊くが
「上手な子と歌うならKARIONでいいんじゃないかな、きっと」
と和泉が答えてしまう。
 
「ああ、何となく意図が分かった。その子、輝く子でしょ?」
と小風。
 
「うん。それもあるけど、私の共同作業者なんだよ、作曲の。彼女が主として詩を書き、私が主として曲を書くんだけど、せっかくだから作った2人で歌おうというのがコンセプト」
と私。
 
「だから、私とは二重のライバルだね。歌手としても作曲ペアとしても」
と和泉。
 
「和泉、曲を作るんだっけ?」
と小風が不思議そうに訊く。
 
「実は『Crystal Tunes』とか『空を飛びたい』を書いた少女A,少女Bというのは、私と冬なんだよ」
 
「えーーーー!?」
と小風が驚愕する。
 
でも美空は「ふーん」という感じの顔だ。それで小風が訊く。
「美空は知ってたの?」
 
「知らなかったけど、もしかしたらそうかもと思ってた」
と美空。
 
「私は思いも寄らなかったよ」
と小風。
(畠山さんも9月に私と和泉が言うまで全然思いも寄らなかったらしい)
 
「だったら、ますます冬を手放す訳にはいかないな」
と小風。
 
「恐らく数年後には、少女A,少女Bの作品って KARIONの中核になるよ」
 
と小風は言ったのだが、実際にはほんの2ヶ月後には中核に据えられることになる。
 
「でも、少女A,少女B という名前は酷すぎる。もう少しまともな名前にしようよ」
と美空が言う。
 
「よし、それでは私が名前付けてあげるよ」
と小風。
 
小風はこういう名前を付けるのとか言葉遊びの類いが大好きである。
 
「作詞が和泉?」
「うん。私が少女Aで、冬が少女B」
 
「じゃ、和泉は森之和泉(もりのいずみ)だな」
「ひっどーい」
 
と和泉は抗議したが、結局それで定着してしまう。
 
「少女A,少女Bって、曲先?詞先?」
「だいたい詞先だよ」
 
「じゃ、やはりこれでいいな。森の中の泉から水が湧き出す。そして沢になる。だから、冬は水沢という名前がいい」
 
「ほほぉ」
「決めた。水沢歌月(みずさわかげつ)だ」
 
「どこから《歌月》というのが?」
 
「森の中の泉から水がわき出て沢となり、そうして歌が get される」
 
「get から月(げつ)?」
「そうそう」
と小風は楽しそうだ。
 
「由来の経緯を聞いてなかったら、単になんか格好良い名前に聞こえる」
 
「ということで、少女Aさんは森之和泉、少女Bさんは水沢歌月ということで」
と小風が言い、美空がパチパチパチと拍手をした。
 
私と和泉は顔を見合わせて溜息を付いた。
 

「そうだ。姓名判断してみよう」
と言って、小風は携帯で姓名判断サイトにアクセスする。
 
「森之和泉は天格15○地格17○人格11◎外格21◎総格32◎。大吉だね」
「ほほお」
「水沢歌月は天格11◎地格18○人格21◎外格8◎総格29◎。大吉」
「へー」
 
「森之和泉水沢歌月と並べると61画。これも良い画数だね」
「ふむふむ」
 
「でも、並べる時に森之和泉・水沢歌月と、間に点を打ってしまうと62画になって良くない」
「点じゃないもので繋げば?」
「+(プラス)がいいな」
「ああ」
「森之和泉+水沢歌月なら63画で吉」
 
「よし、それで行こう」
と美空が言って、結局小風と美空のふたりで、そのあたりを決めてしまった。
 
「でも冬はどっちみち性別問題を決着させないと」
「うん。そちらのユニットのデビューの時点で私の性別は明らかにするつもりだから。ただ、私がKARIONの準メンバーと思われていると迷惑が掛からないかと心配で」
 
「私は大丈夫だと思うけどなぁ。最初から言ってるけど」
と小風。
 
「同じく」
と美空。
 
「何ならデビュー前に性転換手術済ませておけばいい」
「いや、私は手術済んでいるのではという気がしてたんだけど」
「ごめん。まだ済んでない」
「冬、先に手術してしまえばお父さんにも言わざるを得なくなるのでは」
「手術先行賛成」
 

ホテルには20時すぎまで滞在して、地下鉄で新大阪駅まで行き、最終の新幹線で東京に帰還、中央線で各自の比較的近くの駅まで行き、その後は各々タクシーで帰還した。
 
翌日は東京公演である。基本的には昨日と同じ形の進行だが、若干曲順の入替えがあった。公演直前、ステージに向かおうとしていた私たちを畠山さんが呼び止める。
 
「昨日発表したかったんだけど、レコード会社とかとの折衝に時間が掛かってね。今朝やっとOKの返事をもらえたんだよ」
 
「何ですか?」
 
「《KARIONに歌わせたい歌詞コンテスト》というのを開く」
「へー」
 
「コンペみたいなものですか?」
「似たようなものだけど、歌詞だけだし、誰でも応募できるようにするから」
「どのくらい採用するんですか?」
 
「うちとレコード会社のスタッフとで共同で審査して、上位10個か20個くらいを公開して、ネット投票してもらう」
「ネット投票は票操作が・・・」
「それも愛嬌ということで」
「割り切ってればいいかもね」
 
「1位になった詩を次のシングルに採用し、公開までしたものはアルバムで採用する。1位は賞金10万円、公開した入選作は賞金1万円」
「へー」
「入選一歩手前の人にも図書カードを贈ろうと」
 
「良心的ですね」
「この業界、ほんとに非道いコンペもありますからね」
「うん。あれで若くて素晴らしい才能持っている人たちが浪費されている」
 
「まあ、コンペに限らず、非道い会社が多いのがこの業界」
「確かにそうだ」
 
「ということで、その発表原稿書いたから、これ前半最後の曲を歌う前のMCで発表してくれない?」
と畠山さんが和泉にメモを渡すので
「分かりました」
と和泉は答えて受け取り、それでみんなでステージの方へ行った。
 

東京でのKARIONライブをした翌日、私は政子に誘われて書道部の女子で集まり安い洋服屋さんなどをのぞいたりして、ひとときの休暇をむさぼっていた。ハンバーガー屋さんで100円のドリンクを頼んでおしゃべりしていたのだが、その内、1人帰り2人帰りして、政子と2人だけになった。それで図書館でも行こうかなどと言っていた時、政子の携帯に花見さんから電話がある。
 
デートするなら先に帰るね、と私は言ったのだが、政子は私に居て欲しいと言った。
 
花見さんはイベントの設営などをする会社(△△社)のバイトに政子を誘った。関東一円で様々なイベントを企画実施している会社らしく、近くなら電車などで行くが、遠い所には自分の車で行くらしい。それでどうも花見さんはその車の中で政子とふたりきりになりたい雰囲気だった。
 
それを政子が渋る。そして、車であちこち行く時は私に同行してもらいたいなどと言い出した。恋人同士が乗っている車に同乗するなんて、さすがの私も嫌だと思ったが、政子がどうしてもというので受諾する。
 
それで結局、私は政子と一緒にそこの会社のバイトをすることになってしまったのである。実際には、私は政子が花見さんと一緒に車であちこち行く時だけ出て行くことにさせてもらい、基本的には麻布先生のスタジオの方の仕事を優先してさせてもらっていた。
 
実際にその週、△△社に出て行ったのは、火曜日(顔出しを兼ねて都内の設営)、木曜日に横浜での設営の2回だけである。
 
この横浜で設営をしたイベントの出演者はリリーフラワーズという22-23歳くらいの女の子2人組で、ハイソプラノのデュエットがとても美しいペアだった。
 
インディーズのアーティストということで雀レコードという所からCDが1枚出ているというので、会場に持ち込まれたCDを1枚個人的に購入した。政子も美しい!と言って聞き惚れていた。
 

7月26日土曜日は大宮で設営の仕事があるということだったが、電車での移動なので、政子1人に任せて、私は朝から名古屋に移動する。KARIONの初ホールライブツアー3日目最終日の名古屋に参加する。チケットは2週間前に突然発表して発売したにも関わらず、この木曜日にソールドアウトしていた。
 
名古屋公演も先週の大阪・東京公演と基本的に同じ構成である。伴奏者は先週参加した、相沢・木月・鐘崎・黒木・児玉は同じだが、グロッケン・フルート・ヴァイオリン奏者は別の人である。
 
この公演が始まる前にちょっとした事故があった。
 
私たちは4人でおしゃべりしながら楽屋で着替えていたのだが、その時、小風が身振り付きで話していた時、バッグを倒してしまう。そしてそのバッグの中から赤い瓶が転げだしてきて、テーブルから落ち、回転椅子の脚にぶつかって瓶が割れてしまった。その瓶の液体がまともに私の足に掛かる。
 
「ごめーん」
「何?これ?美容液か何か?」
 
「実はこれ・・・」
「育毛剤なんだよねー」
と美空が楽しそうに言う。
「私ちょっと髪が薄いの、結構ファンサイトとかにも書かれてるもんだから」
 
小風は髪質が細いので、確かに薄いように見えるかも知れない。髪の色も自然な茶色で軽く天然のカールも掛かっている。
 
「取り敢えず、掃除掃除」
 
というので、ビニール袋を手に手袋代わりにハメて、私の足に付いた分と床に流れている液体を全部ティッシュに吸わせ、割れた瓶も別の袋に入れた。
 
「これ高いの?」
「ちょっと買った後で後悔した」
「おぉ」
 
「でも冬、足にまともに掛かっちゃったね」
「たくさん毛が生えてきたりして」
「うむむむ」
 

名古屋公演の後で、私たち4人と畠山さん・三島さんとで打ち上げをした。名古屋市内の喫茶店を貸し切った。軽食と紅茶・コーヒーだったが、ここの紅茶がとても美味しかった。なお相沢さんたちは(資金だけ畠山さんがポケットマネーから提供して)別途アルコール入りの打ち上げをしていた。
 
「次のツアーは多分11月になると思う。次のシングルが恐らく10月リリースだから、それを受けての今度は本格的な全国ツアーをしたい所だね」
 
「『夏の砂浜』『サダメ』の売れ行きと、9月のアルバムの売行き次第ですね」
「まあ、そういうこと。その3つ合わせて20万枚越えたら全国10箇所くらいのツアーやりましょうよ、とレコード会社とは話しているんだけどね」
 
「20万枚って結構厳しい気が」
「アルバムは1枚を3枚分で換算ね」
「つまり売上で2億円程度ということですか」
「うん、そうなる」
 
「きゃー、億?」
と小風が言うが
「1000円のCDが10万枚売れたら1億だもん」
と美空に言われている。
 
「デビューCDの『幸せな鐘の調べ』は4.8万枚、2ndCDの『風の色』は3.6万枚だったけど、今度の『夏の砂浜』は既に3.5万枚を越えていて、このまま行くと5万枚を越える可能性もある。『サダメ』は初日に2万枚売れたからね」
 
「ファンが少しずつ熱くなって来てますよね」
 

「売上が2億なら、歌唱印税は180万円で、1人あたり45万円ですね」
と和泉。
 
「おっ、バイク欲しいなあ」
と小風が言うが
「バイクは禁止」
と畠山さん。
 
「ちぇっ」
 
契約書ではバイク(の運転)は禁止だが乗用車なら誓約書を提出した上で運転しても良いことにしているらしい。ちなみに和泉は高1の内に小特と原付の免許を取得していた(要するにフルビッター狙いらしい)。
 
「私は思いっきり焼肉が食べたい」
と美空。
 
「45万円なら5000円の食べ放題に90回行ける」
「わぁ、幸せ!」
 
「美空は御飯食べてる時、ほんとに幸せそうな顔してるからなあ」
「でもスリムだよね」
「うん。私、太らない体質みたい」
 
「美空たち、契約書に体重のことは書かれてるの?」
と私は訊いたが
 
「今美空ちゃんの話聞いてて、契約書に書いておくべきだったと後悔した」
と畠山さんが言っていた。
 

KARION名古屋公演の翌日は、政子は千葉で設営作業と言っていたので、電車で行くだろうから私は不要だろうと思っていたら、花見さんが休みなので手伝ってと言われて、結局電車で政子とふたりで千葉まで行き、作業をした。
 
この千葉でまた私たちはリリーフラワーズの歌を聴き、その美しい声に酔いしれていた。ただ私はリリーフラワーズとKARIONを比較した時、何かリリーフラワーズに足りないものがある気がしてならなかった。
 
どちらもハーモニーが美しい歌唱なのだが、KARIONにはヒット性があり、リリーフラワーズには、ハッキリ言ってヒット性が無い。現場責任者の須藤さんは、リリーフラワーズを年内か年明けくらいにメジャーデビューさせたいと言っていたが、私は無理じゃないかという気がした。
 
私はどうにも気になるので、その日の夕方、予定外に∴∴ミュージックを訪問した。たぶん和泉はいるんじゃないかと思ったら、居たので、声を掛けて、リリーフラワーズのCDを一緒に聴いてみる。
 
「低音が足りない」
とあっさり和泉は言った。
 
「あっそーか」
 
「昔の聖歌隊とかなら、通奏低音があるでしょ。KARIONの場合もピアノとかヴァイオリンが低い音を出しているから、それで音が安定するんだよ。KARIONだと美空が結構低い音を歌ってくれるのも大きい。でも、このペアの場合は、ふたりともハイ・ソプラノだし、アカペラが多くて、伴奏楽器を使っている場合も電子キーボードのチェンバロとかフルートとか、高い音ばかり使っている。天使の歌声みたいな雰囲気にはなるけど、落ち着かないよ、これ聴いていたら」
 
「なるほど」
 
「ま、言っちゃなんだけど、冬と赤いボールペンの子が代わりに歌った方がずっと聴きやすい歌になる」
 
「ああ。一度観客の前で歌わせてみたいね」
「その子、ステージの経験は全然無いの?」
 
「バックダンサーは、結構やってたんだよ。中2くらいの頃から」
「だったらステージ度胸は結構あるかもね」
「そうだね。ストリートライブとか持ちかけてみるかなあ」
 
「それ、私も一度やってみたいな」
「ふふふ」
 

次に私が設営に駆り出されたのは次の週末、8月2日土曜日であった。この一週間はずっとサウザンズの音源製作をやっていた。今回のアルバムでは半分くらいの曲を事実上私が編曲することになり、CDのクレジットにもmusic arranged by Southands and Yoko.と書かれることになる。
 
土曜日は甲府での設営で、この日は早朝花見さんの車に拾ってもらい甲府まで行って作業をして、夕方また花見さんの車で帰って来た。車内で結構政子が花見さんとイチャイチャしていたので、何とかうまく行っているのかなと思い私は微笑ましい気分だった。
 
翌日8月3日は宇都宮と聞いたのでまた花見さんの車で行くのかなと思ったら花見さんが休みだという。それで電車で来てくれということだったので先日の千葉同様、政子とふたりで電車で出かける。この日もリリーフラワーズの出演ということであった。この時期、リリーフラワーズは△△社の中核アーティストっぽくなっていた感もある。
 
ただこの時期、私は先日足に掛かってしまった小風の育毛剤のおかげで足の毛がどんどん生えてきて、ほんとに困っていた。KARIONの公演もドリームボーイズの公演も無くて助かった!などと思っていた。
 
そしてこの日、リリーフラワーズは来なかった。
 

それでステージに穴を開ける訳には行かないというので、私と政子がリリーフラワーズの代役をさせられるハメになる。女の子2人のユニットの代役をさせるため須藤さんは私を「女装」させたが、「なんか可愛い女の子になる!」
と驚いていた。この時、須藤さんは私の足の毛をきれいに剃ったりしていたので、まさか私が普段から女の子の格好をしているとは夢にも思わなかったようであった。
 
その日帰宅してから私は今日のことを畠山さんに報告したら、この日は畠山さんも大笑いしていた。私もこんなのはこの日1日だけのことだろうと思っていたのであった。
 
ところが翌日私と政子を呼び出した須藤さんは、リリフラワーズのこの後9月頭までの予定が他のアーティストにどうしても振り替え切れないので、このまま取り敢えず月末まで(正確には9月にも2件あるので9月13日まで)私たちにリリーフラワーズの代役をやってくれないかと要請した。
 
私は∴∴ミュージックさんとの関係があるので困ると思ったのだが、政子が乗り気だし須藤さんは強引だしで、結果的に私は押し切られてしまう。そしてこの日、私たちのユニット名(この時点では9月13日までの臨時ユニットの予定)としてローズ+リリーという名前が定められたのであった。
 

この件を畠山さんに報告すると、畠山さんもさすがに困ったという表情をした。
 
「1日だけならいいけど、今月いっぱいになっちゃったのか」
「すみません。どうしても代役の都合が付かないということで、今月というか来月の13日まで入っていたリリーフラワーズの予定を代わりに消化してくれないかと言われまして」
「うーん。。。。」
 
その日、私はやっとミクシングを終えた『雪の恋人たち』『坂道』の音源を畠山さんと和泉に聞かせた。録音は6月に終わっていたのだが、その後KARIONのアルバム制作にキャンペーンとライブ、晃子とのライブ、サウザンズの音源製作、蔵田さんとの創作活動(芹菜リセおよび松原珠妃のアルバム用楽曲)などがこの時期は目白押しで、ずれにずれ込んだのである。
 
「ともかくも、その代役出演が終わったら、あらためてこの自主制作音源を持って営業して回ろうかなとも思っているのですが」
 
「いや、営業して回らなくても、うちと契約してよ。その子とふたりまるごとでもいいよ。相手はどんな子なの?」
などと笑って言いながら、畠山さんは音源を聴いてくれた。
 
しかし、その音源を聴いて、畠山さんの表情が変わる。和泉も表情が変わる。何だかふたりとも、凄くマジな顔になる。
 
「このユニット、凄く人気が出ると思う」
と和泉が言った。
 
「相手の子、下手ではあるけど、不思議な魅力を感じる。それに曲のアレンジとミクシングが素晴らしい。普通の人が編曲して、普通の技術者にミックスを任せたら、まあ自主制作音源だね、という感じになったろうけど、これはプロの手だもん」
と畠山さんは言うが
 
「そりゃ、冬はプロだからね」
と和泉。
 
「だから、この仕事、絶対9月13日では終わらないよ」
「えーー!?」
 
 
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