【夏の日の想い出・熱い1日】(下)

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母が緊張した顔をしていた。しかし父は
「何だ?何だ? 女装でも始めるのか?」
などと言って笑う。
 
「こういう感じで、女の子の声も出るんだよ」
と私は女声に切り替えて話す。
 
「へー! 凄い。それは宴会芸にできるぞ」
と言って父は笑っている。
 
「ボク、朝はいつも学生服で出かけているけど、学校が終わったら・・・」
と女子制服を着ていることを話そうとした時だった。
 
ピンポーンとドアホンが鳴る。
 
こんな時間に誰かと思ったら父の同僚だった。何でも折り入って相談があるということで、自宅までやってきたのであった。
 
なんか込み入った話のような感じであった。私と母はお酒とおつまみを出してテーブルに置くと、私の部屋に下がった。
 

「でもどうしたの? 突然性別のこと。もしかして学校に女子制服で通う気になって、お父ちゃんにもちゃんと言わなきゃという気になった?」
 
と母が訊く。
 
それで私は母に、近々デビューする歌唱ユニットに誘われていることを言った。
 
「それって、男の子として?女の子として?」
と母は尋ねる。
 
「女の子として。でも、後で揉めないように最初から自分の性別は公表するつもり」
 
「それでいいの? あんた日本中の人からオカマとか変態とか言われるよ、きっと」
「私はそれでもいい。でもお母ちゃんとお父ちゃんには申し訳無いと思う」
 
「私は構わないけどね。何と言われたって、あんたは私の子供だから」
「・・・ありがとう」
 
私は涙が出た。
 
「でも、お父ちゃんはあんたがちゃんと自分で説得して」
「うん」
 

その後も私は何とか父に性別問題を話そうとしたのだが、なかなか父と話す時間そのものが取れなかった。それで私は1度手紙を書いてみた。そして父に渡して読んで欲しいと言ったのだが、結局その手紙を父が読んだのは、1年後の例の大騒動の後であった(この件はさすがに父も謝っていた)。
 
「お母ちゃん。お父ちゃんとどうしても話す時間が取れないよぉ」
「なんか最近、特に忙しいみたいだもんね。困ったね」
 
と母も少し困ったような顔をしていた。
 

私と父との話し合いはできないままであったが、一応私自身がKARION加入の意思表示をしたことで、畠山さんは私を含む4人をイベントに連れて行った。
 
「これはプロモーションも兼ねてはいるけど、君たちに舞台度胸を付けてもらう意味の方が強い。もっとも4人ともバックダンサーやコーラスなどでは何度もステージを経験しているだろうけどね」
と畠山さんは言っていた。
 
「いえ、後ろで歌うのと前で歌うのは、全く違うと思います」
と私は言った。和泉も頷いていた。
 
ちなみにコーラスやダンサーとしてこれまで経験した最大の会場をお互いに言い合うと、小風と私が関東ドーム、美空が横浜エリーナということだった。
 
「うっそー! みんな凄い会場経験してる! 私は中野スターホールまでだよ」
などと和泉が言っていた。
 
この日KARIONが初めて出演するのは、CDショップのイベントで、事前の告知は「1月デビュー予定の女子高生ユニット《KARION》来訪」という、イラストだけが入ったポスターのみであった。イラストでは、可愛い女の子の絵が4つ並んでいた。
 
「おお、ちゃんと4人ということになっている」
と小風が楽しそうに言う。
 
イベントスペースのそばの小部屋で待機する。
 
「お客さんどのくらい入るかなあ」
などと小風が楽しそうに言っている。
 

開始予定時刻の10分前。会場に居たのは、大学生っぽい男女カップルが1組だけであった。
 
7分前。23-24歳くらいの会社員の男性が入って来て座った。
 
5分前。高校生くらいの女の子が3人入って来た。
 
3分前。大学生くらいの男の子が1人入って来た。
 
1分前。『幸せな鐘の調べ』のCD音源を流す。すると最初に座っていたカップルが驚いたような顔をして、出て行っちゃった!!
 
「なんで〜!?」
とモニターを見ていた小風が言うが
 
「きっと誰もいないところでデートしてたんだよ」
と和泉が笑いながら言った。
 
時間になる。出て行く。観客は5人! 歌う人数より多い! 素晴らしい!!
 
私たちは声を揃えて
「こんにちは! KARIONです!」
と挨拶し、まずはマイナスワン音源に合わせて『幸せな鐘の調べ』を歌い始めた。
 

デビューシングルの曲3曲を歌った。手拍子などは無かったものの、曲が終わる度に観客は拍手をしてくれた。
 
そして聴いてくれた5人からサインを求められたので、私たちは4人共同で書くサインを書き、その日の日付2007.11.24を書いて渡し、笑顔で握手をした。
 
そういう訳で、このKARION最初の頃のイベントでは、私は素顔を観客に曝していたのである。
 
翌日25日、私は午前中は音響技術者の試験を受けに行ったが、午後からはまたイベントに出かけた。その日の観客は 6人で、その内の4人にサインを書いた。
 

KARIONのデビュー曲発売は1月2日の水曜と決まった。12月の中旬くらいから、PVを当時話題になってきつつあった youtube に流し、テレビスポットも打つとともに、メンバーをラジオ番組などに出して名前を売るという方針も決まった。
 
和泉・美空・小風の3人は11月26(月)に、各々の親が同意した芸能活動契約書・専属契約書を∴∴ミュージックおよび★★レコードと交わした。
 
しかし私は父となかなか話せない。
 
それで私は畠山さんに言った。
 
「本当に申し訳ないのですが、どうしても父と話す時間が取れず、契約の話に進めません。このままではご迷惑を掛けます。私自身やりたい気持ちはとても強いのですが、今回のプロジェクトからは辞退させてください」
 
畠山さんも悩んでいた。
 
確かにもうタイムリミットであった。
 
「分かった。今回は諦めよう。でも来年中には君を追加メンバーとして入れるか、あるいは別途ソロデビューの方向で考えたい」
 
「はい。引き続き何とか父と話せるように頑張ります」
 

「でもさ、KARIONというのは『4つの鐘』という意味なんだよね、実は」
 
「あ、そうだったんですか!?」
「君を絶対口説き落とせると踏んで、僕はこの名前にしたんだけどなあ」
 
と畠山さんは残念そうに言う。
 
「そしたら、私の代わりに誰かソプラノパートを歌える子を入れるというのはどうでしょうか?」
 
「・・・それでいいの?」
 
「はい」
「でも、そういう子を入れてしまうと、君はもう追加メンバーなどとしてこのユニットに入ることはできなくなってしまう」
 
「私個人のことより、このユニットのことを考えてあげてください。音源製作してライブもしてて思ったのですが、こういうハーモニーの美しいユニットの場合、3声ではどうしてもハーモニーが安定しないんです。ハーモニーはやはり4声で安定すると思うのですよね。だから、私を抜いて3人だけで歌うより、やはりもう1人入れて4人で歌う方が、音楽的に良いものになると思います」
 
「・・・・いつか和泉ちゃんも言ってたけど、君って、視点がプロデューサー視点なんだよね」
 
「そんな偉そうなものじゃないですけどね。悪く言えば傍観者面です」
 
「あはは。でも音源製作中も、君が言う何気ない言葉に、ゆきみすず先生が『あ、確かにその方がいいな』とか言う場面が何度かあったね」
 
「そうですね。。。音源製作の現場なら、たくさん経験してきているし」
「ああ」
 

私の代わりに入る子は、∴∴ミュージックに出入りしている女子高校生で、1年後くらいにデビューさせるつもりでレッスンなどを受けさせていたミヅホというハーフの子に決まった、というのを畠山さんがわざわざ連絡してきてくれた。
 
すぐに他の3人のメンバーに引き合わせる。
 
その夜、小風から電話が掛かってきた。
 
「可愛い子だった?」
「むしろ美人だね。私たちと同い年とは思えないくらいしっかりしてたよ」
「へー」
 
「ただ日本語があまり得意じゃなくて、和泉は英語で会話してたけど、私も美空も、さっぱり話の内容がつかめん」
「あはは」
 
「一応日本語の文章は難しい漢字が入ってない限り、ふつうに読めるみたい。でも日本語の会話はうまく聞きとれないみたいで、日本語で会話してると何だかトンチンカンになる」
「まあ、頑張ってコミュニケーション取ろう」
 
「身長も高いし。175cmくらいかなあ」
「それは凄い。さすがハーフだね」
「ニューハーフの冬より背が高いね」
 
この手のオヤジギャグが出るのは小風の調子の良い時だ。
 
「お父さんはアメリカ人で200cmくらいだって言ってた。お母さんも日本人とフランス人のハーフで180cm近くて、だからむしろ本人は背が低いという認識だったとか」
「へー! あ、じゃハーフというよりクォーターになるのかな? いやスリークォーター??」
 
「うーん。その辺はよく分からないや。そうそう。彼女を私たちはラムコと呼ぶことにした」
 
「へ? ミヅホちゃんじゃないの?」
「フルネームがね、ミヅホ・ラムレイ・コーウェル。だから家族や親しい友人には、むしろラムレイの愛称でラムって呼ばれてるらしいのよね」
「ほうほう」
 
「それでラムに、苗字の頭のコを付けてラムコ」
「無理がある〜」
「でも、これで尻取り維持だよ」
「おお!」
 
この時は小風は結構楽しそうだった。
 

ラムコが入ることになったので、急遽音源は私が歌った部分を差し替えることになった。最初はラムコ1人に歌わせて、その部分のみを差し替えることも検討したようだが、KARIONの音源製作では各々のパートが平均律的に正確な音程を取ることよりハーモニーの響きが美しくなることを優先して、むしろお互いの声の高さが、きれいな整数比になるように、つまり純正律的な響きになるように歌わせている。
 
その場合、お互いの音を聴きながら歌わないと、美しく響く音程にならない。
 
そこで4人まとめて録り直すことになった。
 
私が入った音源はミクシングまで終わったところと聞いたが、そこで作業を中断し、伴奏部分はそのままでボーカル部分を再録音して、再ミクシングし、マスタリングするということになる。ただ、時間が迫っているので、かなり急ぎの作業になった。
 
12月3日の月曜日、ラムを含めた4人がスタジオにやってきた。この時、麻布先生はサウザンズの録音に携わっていて、有咲もそちらの助手に入っていたので、代わりに山鹿さんという技術者さんが録音を担当してくれることになった。
 
私も基本的にはサウザンズの録音に駆り出されていて、楽器のチューニングとか、編曲の手伝いまでしたりしているのだが、KARIONの方も前回の録音に関わっている人に居て欲しいというので、その一週間は私は山鹿さんの方の助手にも入ることにし、サウザンズの録音をやっているスタジオとKARIONの録音をやっているスタジオを、頻繁に行き来することになった。
 

月曜日の放課後、私がスタジオで待っていると、和泉・美空・小風と一緒に背の高い、外人の女の子がやってくる。髪は黒いが顔立ちは純粋に外人さんっぽい。歩き方や仕草雰囲気なども外人さんの雰囲気だ。
 
「前の人が少し時間オーバーして、今部屋を片付けている最中なので、少しだけお待ち頂けますか?」
と私は言って、4人をロビーに案内し、それから部屋の片付けの手伝いに行った。
 
そして何とかきれいに掃除を終えた所で4人を呼びに行く。その時、4人のそばに、22〜23歳くらいという雰囲気の女性が2人立っていた。その2人の顔には見覚えがあった。スイート・ヴァニラズのリーダーでギターの Elise とキーボードの Londa だ。
 
「おはようございます、Eliseさん、Londaさん」
と私は挨拶する。
 
「あ、おはよー。君もこの子たちのユニットのメンバー?」
「あ、いえ。私はこのスタジオのスタッフです。****ちゃんの録音の立ち会いですよね。今ご案内しますね」
 
ここは格上のEliseたち優先だ。
 
「KARIONさんは、Cスタジオの準備できましたので、入って頂けますか?」
と和泉に声を掛けた上で、私はEliseとLondaを案内して、Gスタジオまで行った。
 
「君、どこかで見た気がするけどなあ」
とLondaに言われたが
「ああ、私、よくあるタイプの顔みたいです。特徴の無い顔みたいですね。友人から同じ顔の人を10人知ってると言われたこともありますよ」
と言っておく。
 
(実は4年前に松原珠妃の伴奏をしていた時にイベントで遭遇したことがあるのだが、向こうもさすがに覚えてないようである。当時スイート・ヴァニラズもデビューしたてであった)
 
「でも、君、さっきの子たちと似た空気を持ってたから、てっきり仲間かと思ったよ」
とEliseは言った。
 

Gスタジオのスタッフさんに引き継いで、こちらはCスタジオに戻る。
 
畠山さんが遅れているということで作業は畠山さんが来てから始めるということであった。
 
「いや、EliseさんとLondaさんに声掛けられてびっくり」
と小風が言う。
「思わずサイン書いておふたりに1枚ずつ進呈したよ」
 
「ああ、サイン作ったんだ。良かったら、私にももらえない?」
「いいよ」
 
ということで、私が渡した色紙に4人でサインを書いてくれた。カタカナで《カリオン》と書かれている。カは小風、リは美空、オを和泉が書いて、最後のンをラムコが書いた。
 
「これ4枚目のサインだ」と小風。
「1枚目は誰に書いたの?」と私が訊くと
「練習半分で書いたんだけどね。私が持ってる」と和泉が言った。
 
しかし4人が和気藹々としていたのは、ここまでだった。
 

少し遅れて畠山さんも来てまずは既存の伴奏を流し練習をする。私は副調で山鹿さんの隣に座り、操作の手伝いをしていたのだが、畠山さんはその私の隣に座って、歌唱の様子を見ていた。
 
何やら難しい顔をしている。
 
「なんか、アルトの子2人が歌いにくそうにしてますね」
と山鹿さんは言った。
 
「済みません。ソプラノ2の子が、今日初めてなので、その音に慣れてないようで」
 
「彼女、絶対音感持ちだね?」
と山鹿さん。
 
「はい、そうです」
と畠山さんは答えて、それでその場は沈黙となる。私は余計なことを言わないように気をつけていた。
 

やがて休憩になるが、和泉が私の方に向かって言った。
 
「あ、音響助手さん、ちょっとお願いしたいことがあるのですが」
「はい?」
「社長もちょっといいですか?」
 
ということで、私と畠山さんは和泉に促されて、スタジオ内のブースに入った。
 
マイクのスイッチが切れていることをしっかり確認してから和泉が言う。
 
「疲れます」
「だろうね」
 
「ラムコちゃん、絶対音感を持ってるから、譜面通りに正しい音を出しちゃうんですよね。それでハーモニーが崩れてしまうから、美空も小風も凄く歌いにくそうにしてる」
 
KARIONの音はハーモニーを重視しているので、楽器の音にピタリと合わせるのはメロディーを歌っている和泉だけでなければならない。美空と小風はその音に響く高さの音で歌うから、譜面に書かれている音とは微妙に違う音を歌うのである。私が入って歌っていた時は、私もちゃんと純正律的に響く音を出していた。
 
ところがラムコは絶対音感を持っているので、ハーモニーと関係無く、譜面に書いてある通りの音で歌ってしまう。するとそこでハーモニーが崩れてしまうし、美空と小風は、和泉の音に合わせるべきか、ラムコに合わせるべきか迷いが生じてしまうのである。
 
要するにラムコが上手すぎるゆえに、合わなくなってしまうのだ。普通の人なら絶対音感が無いから自然に響く音に合わせる。
 
こういう問題が起きるのは平均律の根本的な欠点だ。平均律では移調や転調が容易になるように本来響く音から少しずれた音を採用している。楽器はやむを得ないが、歌う場合は、その平均律の音ではなく、メロディーの音にちゃんと響き合う音で歌うのが、合唱・重唱での基本である。
 
しかしラムコは響きを気にせず平均律の音で歌ってしまう。恐らくラムコは合唱などの経験が少ないか、これまでその問題を指摘されたことが無いのだろうと思った。
 
もっとも「響き合う音」と「平均律の音」の微妙な違いが分かるのはとても精密な耳を持っている人に限られる。普通の人には、数Hz程度の差は分からず、充分きれいなハーモニーに聞こえる。
 
ても、和泉も小風・美空も、そして畠山さんも山鹿さんも、この僅かなピッチのずれが分かる耳を持っている。平均律で歌ってしまうのは「KARIONの音」
ではない。
 
「いっそ、ラムコちゃんにソプラノ1を歌わせたらどうでしょう?私が2に回ります」
と和泉は言った。
 
畠山さんは少し考えていたが否定した。
 
「いや。このユニットのリーダーは和泉ちゃんでなければならない。だから和泉ちゃんがメロディーを歌わなければならない」
 
「私もそう思います」
と私も言った。
 
「仕方無いです。小風と美空には、ラムコの音を聴くな、和泉の音だけを聴いて歌えと言いましょうよ」
と私は提案した。
 
「うん。それしかないだろうな。そういうことにしてくれない?」
と畠山さんも言う。
 
「うーん。。。。でも、そういう方法で今後ずっと彼女とやっていくんですか?」
と和泉は問う。
 
「和泉、気持ちは分かるけど、対策は後で考えようよ。だって今ラムに、譜面の音で歌わずに、和泉の声に調和するピッチで歌ってくれと言っても、彼女がそれができなかった場合、ラムちゃん自身が混乱して、もっと変な歌になってしまう危険がある。時間が無い中での録音だから冒険はできない」
と私は言う。
 
「それはそうかも知れないけど・・・」
と和泉は全然納得していない。
 
「和泉ちゃん、申し訳無い。その問題については、今後の課題にさせて欲しい。今はとにかく音源を作らなければならない」
と畠山さんは言う。
 
「分かりました」
和泉は渋々承諾した。
 

ちょうどラムコがトイレに行っていたので、和泉が小風と美空にその件を伝える。ふたりも不満そうであったが、やがてラムコ本人がトイレから戻って来たので、3人はふつうの雑談に顔色ひとつ変えずに切り替えた。こういうのは女の子は普段のおしゃべりでもやっていることなので、不自然さが無い(女の子の怖さである)。
 
15分休憩してから練習を再開する。今度は美空と小風も迷わず歌っている。
 
「でも、この音を聴かせたら、ゆき先生に叱られるかも知れないなぁ」
と畠山さんが困ったような顔で言う。
 
ゆき先生も当然この微妙なピッチの違いが分かる人である。
 
「録音が終わった後で、ラムコちゃんの歌った部分をDAW上でピッチ修正するわけにはいきませんかね?」
と私は言ってみた。
 
「それは難しい。あの子が歌っている声はあの子のマイクにだけ入っているのではなく、他の子が使っているマイクにも少し入っているから。その分まで修正するとなると、かなりの手間が掛かる」
と山鹿さん。
 
「そうすると、12月17日朝には間に合いませんよね?」
「厳しいです。その後でミクシングしてマスタリングまでしないといけないですから」
 
「僕の選任ミスだ。申し訳ない。和泉ちゃんも美空ちゃんも小風ちゃんも、物凄く歌がうまいから、彼女たちに匹敵する歌唱力の子と思って選んだんだけど、絶対音感というのは盲点だった」
 
「でも選んでしまった以上、何とかやっていくしかないです。彼女に調和して歌う訓練をさせるしかないですよ。いや、こういう問題の原因を作った私が言うのも何ですが」
と私が言うと
 
「うん。そうだ。蘭子が悪い」
と畠山さんは結構マジな顔で言った。
 

結局12月3日だけでなく4日まで掛けて練習した。
 
5日(水)から録音に入り6日(木)まで2日掛けて何度もテイクを録り、あとはスタジオ側の作業ということにした。スタジオのミクシング技術者さんも大急ぎで新しい録音のミクシング作業を進めてくれた。
 
その間に、和泉たちはCDジャケット用とCDレーベル用の写真を撮影したり、テレビスポット用のビデオやもっと長めのプロモーション・ビデオの撮影をしていた。実際にカリヨンを持っている遊園地に行って、その演奏装置の前で『幸せな鐘の調べ』を歌ったり、撮影スタジオに多数の鏡を立てて『鏡の国』
の撮影をしたりしていた。
 
ただそういう作業をしている間、小風が凄く面白くなさそうな顔をしているのが私は気になった。
 
一応のミクシングが9日(日)までに終わったので、私と畠山さんと和泉で話し合い、ラムコの音を、長い音符やフレーズの最後の音に限ってピッチ調整を試みることにした。この作業には私も学校を休んで参加した(母からかなり文句を言われた)、というか私がメインで行った。
 
ラムコのマイクから拾ったトラックに関して、私の耳の感覚で、きちんと響き合う音に直し、他の3人のマイクから拾ったトラックに含まれるラムコの声のピッチは、スタジオの技術者さんたちの手で、私が調整したのと同じピッチに修正してもらったのである。
 
この作業が12日(水)までに何とか終わり、その調整したボーカルを技術者さんの手で再度ミックスしてもらう。そしてこの改訂版の音源が14日(金)に仕上がり、15日(土)に再マスタリングを終えた。
 
マスター音源は週明けの17日(月)の朝1番にCDをプレスする工場に持ち込まなければならないので、ギリギリの完成であった。
 

ピッチ合わせの問題については週明けにも、畠山さんが∴∴ミュージックに所属する先輩女性アーティストで、アメリカの音楽学校で学んだことのある人に同席してもらって、ハーモニーの重要性と、平均律とのずれの問題を英語で説明し、ラムコに歌い方を変えてくれるよう要請し、必要であればその後、和泉とふたりで練習させようということで話がまとまった。
 
私と和泉と畠山さんは土曜日の午後、事務所でマスター音源を聞きながら話していた。
 
「よくここまで短時間で修正したなぁ」
と畠山さんが感心している。
 
「不満です。全てをやり直したいくらい不満です」
と私は答えた。
 
「私は冬に戻って来て欲しい」
と和泉は言った。
 
私は敢えてそれには答えず発言した。
 
「問題は4つありますね」
と私は言った。
 
「4つも?」と畠山さんが尋ねる。
 
「第1の問題はラムがこの問題を理解してくれるか」
「第2の問題はラムがそういう歌い方に同意するか」
 
「第3の問題はラムがそれで歌えるか。小風や美空は精密な相対音感を持っているから、きちんとハーモニーで歌えるけど、絶対音感に頼ってると相対音感が弱い可能性ある」
 
「というか彼女まさにそのタイプという気がするよ。試しに楽器のピッチを変更して演奏してみてもらったけど、気にせず自分の音で歌ってたのがその証拠」
と和泉は難しい顔をして言う。
 
「第4の問題はそういう歌い方をした時に、ラムの歌がおかしくなってしまわないか。だって彼女、自分は歌が上手いっていう凄い自信持ってるから、その根本を否定されると意外に脆い可能性ある」
 
「自信家ほど挫折に弱いからね」
 
「彼女はやはりソロシンガーです。私は彼女をいっそ半年か1年くらいでKARIONから卒業させてソロ歌手にしてしまうのも手だと思います」
 
「冬ちゃん、その後に君が加入してくれるなら、その話に乗ってもいい」
「うっ・・・・」
 
和泉が笑っていた。
「その間に冬は性転換手術しちゃえばいいね。そうしたら純粋に女の子のユニットだから、冬が懸念する問題も消える」
「うーん。。。手術したいけど」
 
「だけどさ」
「ん?」
「冬って、まるでKARIONのプロデューサーみたい」
「へ?」
「ほんとにこのユニットのこと理解してるし考え方が戦略的」
「プロデューサーは、ゆきみすず先生だよ」
「じゃ、リーダー」
「リーダーは和泉」
「じゃ、社長」
「それは畠山さん!」
 

そして運命の12月16日(日)が来た。
 

その日、私はドリームボーイズの蔵田さんに呼び出されて、朝から取り敢えずAKB48論に付き合わされ、お昼頃、青山の★★スタジオのいちばん上の階にある青龍の部屋に入り、いつものように蔵田さんの創作のお手伝いでピアノやヴァイオリンなどを弾いたり、試唱したりしていた。
 
そして15時頃であった。蔵田さんの携帯のバイブが鳴る。最初蔵田さんは無視していたが、あまりに鳴るので仕方無く取った。
 
「今日は創作に集中したいから電話しないでと言ったじゃん!」
といきなり文句を言ってから、
「あ!社長!? 何かありましたか?」
と言う。
 
事務所からの電話だったようで、最初はドリームボーイズのマネージャーの大島さんだろうと思ったのだろうが実際には電話してきたのは、社長の前橋さんだった。
 
「へ? 洋子ですか? はい、代わります」
 
「おい、洋子、社長から」
と言われるので、びっくりして電話を替わる。
 
「おはようございます。ご無沙汰しております」
 
「洋子ちゃん、実は大変な事態が起きているらしくて、すぐ**市の**スタジオに急行して欲しいんだけど」
と前橋さんは言った。
 
「はい?」
 
前橋さんが説明する。
 
「君、今∴∴ミュージックさんとこの音源制作に関わっているでしょ?」
「はい」
 
「それで月曜日にプレスに回さないといけない音源で、参加していたメンバーのひとりが突然辞任したらしいんだよ」
「えーーー!?」
 
その瞬間、私の脳裏に小風の顔が浮かんだ。小風、物凄く不満そうな顔をしていた。まさか軽はずみなことしないよな?
 
「それで至急その対策をしたいから来て欲しいと、これ∴∴ミュージックの畠山社長から君の自宅に連絡が入って、それで君のお母さんが洋子ちゃんの携帯に電話したものの電源が切ってあってつながらないというので、うちの事務所に連絡が入って。それで僕が直接畠山さんと電話して状況を確認した。ぜひとも君の力が必要だと畠山さんが言っている。行ってあげて欲しい」
 
「はい。でも・・・」
と言って私は蔵田さんを見る。
 
「蔵田君と代わって」
と前橋さんが言うので、電話を代わる。
 
蔵田さんは話を聞いていたが
「うん。そういう緊急事態の時こそ洋子は強い。すぐ行かせます」
と言って蔵田さんは電話を切った。
 
「今日の分はツケとくから、また制作に付き合ってもらうぞ」
と蔵田さん。
 
「分かりました。ホテル以外なら、いつでもお付き合いします」
「それ、ジュリーにバレたら、俺、殺されるから」
「あはは、私も殺されます。では行ってきます」
「うん、頑張ってきて」
 

それで私は詳しい状況は分からないまま、スタジオを出ると、取り敢えず原宿駅まで走って(一応元陸上部)山手線に飛び乗り、新宿で中央線に乗り換えて、麻布先生のスタジオまで駆け付けた。
 
行くと、畠山さんと和泉が来ていた。麻布さんと有咲もいる。
 
「おお、蘭子ちゃん、来てくれて嬉しいよ!」
と畠山さんは本当に嬉しそうに行った。
 
「何があったんですか? 誰が辞めたんです?」
と私が訊くと
「ラムコ」
と和泉が言う。
 
「えーー!?」
 
私はどっと疲れる思いだった。だってラムのためにこの2週間、あんなに苦労したのに。学校まで休んで母に文句言われて・・・。
 
「ラムコちゃんのお父さんがインドに転勤になっちゃったんだよ」
「なんと・・・」
「それで付いて行きたいのでKARIONを辞めたいと」
 
「それ、いつ話があったんですか?」
「お父さんから話を聞いたのは昨夜らしい。それでさっき。14時くらいかな。本人から僕の所に電話があって」
と畠山さん。
 
「それお父さんから聞いた時点で、すぐ電話して欲しい」
と私。
「あの子、のんびりした性格だからなあ」
と和泉が言っている。
「まだ月曜になってからでなくて良かったというべきなのか」
「うーん・・・」
 
「KARIONのデビューは1月2日と決めている。ラジオやテレビにスポットを打つ枠も確保している。CDのプレスは明日朝10時までにマスター音源を工場に持ち込まなければならない。これをいったんキャンセルということにすると実費だけで数千万円、違約金をいれると億単位の損害が発生する」
 
「う・・・・」
 
そして畠山さんは私に訊いた。
 
「冬子ちゃん。君が僕なら、ここでどういう決断を下す?」
 
私は瞬間的に、その方法しかないと判断した。
 
「ラムコで作った音源の前の、私が入って録った音源に差し戻しましょう。データは取ってあるはずです」
 
麻布先生が頷く。麻布先生は途中のデータを絶対に捨てない人である。顧客が破棄して良いと言っても、念のため仕事が完全に終わるまで密かに保存しておく性格である。
 
「僕もそれしか無いと思ったんだよ」
と畠山さん。
 
本来契約の無い私にそんな要請はできない所をわざと私に言わせたのであろう。実際、この状況では、私が言い出すしかないと私自身思った。
 
「じゃ君が歌っている音源に差し戻して、君の歌を公開してもいいね?」
「はい、お願いします」
 

私たちはその差し戻しをすることにして、今から何をしなければならないのかを話し合った。
 
「音源は冬子が歌っているバージョンに差し戻し。映像はラムコを外して、私と小風・美空だけが映っているバージョンに差し替えですよね?」
と和泉が確認する。
 
「そうするしかないと思う。本当は冬子ちゃんを入れてPVを録り直したいけど、冬子ちゃんの契約問題があるから、契約しないままそれを公開すると冬子ちゃんのお父さんを怒らせてしまう」
と畠山さん。
 
「済みません。元はと言えば私のせいですね」
 
と私は謝るが、畠山さんは
 
「今は誰が悪いとかいうのは言いっこ無し。とにかく作業を完了させることを第1に考えよう」
と言った。
 
「はい」
と私と和泉は返事する。
 

「テレビスポットのビデオはもう納入しているんですよね?」
 
「緊急事態の発生でデータを差し替えさせてくれと連絡した。向こうは明日の15時までに新しいデータを持って来てくれなければ、前のをそのまま流すか、放送をキャンセルせざるを得ないと言っている。キャンセルになると違約金が恐ろしい」
 
「だったら、明日の10時までに音源の差し替え作業、15時までにスポットの差し替え作業ですね。今日は日曜だから、遊園地での撮影は無理ですよね。明日かな。取り敢えず今日の内に、鏡の国のPVだけでも録り直したらどうでしょうか?小風と美空は何時頃来られそうですか?」
 
「それがふたりとも無理なんだ」
と畠山さん。
 
「小風は親戚の法事で九州に行ってる。美空は今日は実のお父さんとの面会日で北海道に行ってる」
と和泉。
 
美空の実の両親は離婚していて、美空は母に引き取られ、その母が再婚したので、現在美空はその母と新しいお父さんのもとで暮らしているのだが、時々、実のお父さんと会っている。それがたまたま今日だったのである。デビューするとしばらく忙しくて会えなくなるので、敢えてこの時期に会いに行ったのであった。
 
「作業中にふたりに連絡して承認を取ったり意向を聞いたりしなければならない状況が絶対出てくる。移動させると、途中で連絡がつかなくなる危険があるから、ふたりにはそのままそこに居ろと言っている。特に飛行機に乗ってる最中は電話連絡できない。新幹線も山陽新幹線の区間はトンネルだらけで、ほとんど電話がつながらない。だから明日の15時まで、ふたりは動けない。結果的にふたりが東京に戻るのは明日の夜になる」
と畠山さん。
 
「うーん・・・・。だったら、映像は現在のビデオから編集でラムコの映っている所を消すしかないです」
と私は言った。
 
「やはりその方法ですよね。若干不自然な部分が出るかも知れませんが」
と和泉も言う。
 
「映像はラムコの部分を消して、音自体は冬が歌ったものに差し替えだよね」
「大変そう・・・」
 
「youtubeで公開する映像は、明日以降改めて3人で録り直すけど、テレビスポットはもう、ラムコを消す編集をしたもので行くしかない」
 

方針が固まった所で小風と美空に連絡して、ふたりの承諾を得た。
 
ビデオの編集の方は畠山さんが直接指示して、映像技術者さんと一緒に行い、CD音源の差し戻しマスタリングの方は、私がスタジオの技術者さんと一緒にするのを、和泉がチェックする方針で進めることにした。
 
ここまで話が決まったのが既に16時半であった。私は母に今夜は徹夜になるし、明日は学校を休むと伝えた。母は了承して「寒いから風邪引かないようにね」と言った。
 
この時、和泉がハッと気付いたように言った。
 
「CDのジャケ写とレーベルはどうしましょう?」
「あ!」
 
畠山さんも忘れていたようである。
 
「どうしよう? 和泉・美空・小風の3人で撮った写真が無い」
 
畠山さんも和泉・美空・小風に私まで入った4人の写真ならたくさん撮っているのだが、和泉・美空・小風の3人の写真を撮っていないのである。畠山さんは、最初から私を口説き落として参加させるつもりだったので、そういう写真ばかり撮っていた。
 
「イメージ画像とかにしちゃいます?」
と和泉。
「いや、それはもったいない。デビューCDだもん。3人の顔をしっかりアピールした方がいい」
と私。
「じゃ4人で映った写真から顔だけ切り出す?」
「うーん・・・・」
 
その時、ずっと黙って聞いていた有咲が言った。
 
「音源製作の初日にさ、3人で並んだ記念写真を撮ってたよね?」
 
「あ、そういえばそうだった。あれ、誰ので撮ったっけ?」
と私が言うと
「確か、小風の携帯で撮った」
と和泉。
「じゃ、そのデータをこちらにメールしてもらおうか?」
と私は言ったが
 
「若葉もデジカメで撮ってたよ」
と有咲が言う。
 
「あ、そういえばそんな気がする。ちょっと電話してみる」
 
私は自分の携帯で若葉に電話した。若葉はすぐそのデータを持ってこちらに来ると言ってくれた。
 
「よし。ジャケ写とレーベルはその画像を加工して使おう」
 

それぞれ分担した作業に取りかかる。畠山さんはビデオ編集のためそちらのスタジオに移動した。
 
私と和泉は、私が入って歌ったバージョンのプロジェクトデータをもらい、ミキシング技術者さんと一緒に音を確認したが、どうも「変」だ。どうかしたスタジオならこの程度の音で「ミクシング終わりました」というかも知れないが、ここのスタジオの音ではない。
 
「これ途中ですよね?」
と私は訊いた。
 
「済みません。これ**君が作業途中だったんだと思います」
と技術者さんが申し訳なさそうに言う。
 
「完了する前に、ラムコが加入することが決まって、こちらの作業は中断したのかも」
「たぶん」
 
このミクシングを担当した人が今日は来てないので不確かだが、私たちはこれはまだ作業途中だったのではと推定した。
 
それで、結局ミクシングの最終調整から始める。問題になるのはボーカル、コーラス、伴奏のバランスやパンである。合わせてノイズに気付いた場合はその除去作業もする。時間の無い状況で作業しているので、操作ミスなどでデータを失わないよう、バックアップを取りながら作業を進める。
 
そんなことをしている内に若葉が到着した(お母さんの車で来てくれた)ので、畠山さんは居ないがこの際、私と和泉のふたりで使用する写真を選択。その縮小画像を作って畠山さんにメールして確認してもらった後、小風と美空にもメールし、その写真を使う承諾を取った。
 
「私、何か手伝うことある?」
と若葉が言うので
 
「私の自宅に行って、着替えを取って来てくれない? ここまで走ってきて汗掻いてるのに着替えられなくて困ってた」
と言った。
 
「あ、それ私もお願い。慌てて飛び出してきたから徹夜の用意が無い」
 
「冬、ヒゲ剃りとかは要らない?」
「私、ヒゲは生えないよぉ」
「ほほぉ」
と和泉は意味ありげに微笑んだ。
 
それで若葉はそのままお母さんの車で、私と和泉の自宅に行って、着替えを持って来てくれることになった。私の女物の服の置き場所を知っているのは、奈緒・有咲・若葉・アスカくらいだ。(母は知らない)
 
若葉は1時間ほどで戻って来たが「撮影とかで使うかも知れないと思って、学校の制服も持って来たよ」と言って、私と和泉の制服を渡してくれた。
 
「若葉、冬がどこに女子制服を隠しているか知ってるんだ?」
と和泉が楽しそうに言った。
 
「もちろん。それからこれも含めて着替えを取り出す時はお母さんには部屋の外に出ていてもらったよ。制服も見せてない」
「ありがと」
 

作業は結局最終ミクシングが完了したのが、もう午前3時過ぎであった。それからマスタリングに入るが、ミクシングする時点である程度マスタリングのことを考えていたので、そちらは大きな問題なくスムーズに進む。午前5時頃に、私も和泉も満足できるものが完成した。
 
一方でジャケット写真とレーベルの加工の方は、急遽呼び出したデザイナーさんに、このスタジオ内の機材を使って加工してもらった。基本的にはラムが入って作った4人並んでいる画像を参考に、3人並んでいる写真に同様の加工をして仕上げる。その作業の方は三島さんに見てもらっていた。作業は0時前には仕上がり、デザイナーさんも終電で帰宅していた。
 
午前5時半、三島さんがマスター音源とジャケ写・レーベルのデータを持ち、映像スタジオの方にいる畠山さんの所に行き、それを確認してOKを出した。
 
それで私と和泉も、こちらのスタジオのスタッフさんたちに御礼を言って、映像スタジオの方に移動した。
 
CDのマスター音源と画像については、朝10時に三島さんに工場に持ち込んでもらうことにして三島さんには仮眠してもらう。そして私と和泉は映像の加工の手伝いをした。
 
「あ、そこラムの手が映ってる」
「気付かなかった。危ない、危ない」
 
などと言いながら、完全に除去したつもりだったのだが・・・実際には数ヶ所ラムの指とか髪とかが残存していて「KARION 4人説」を生み出す元になるのである。
 
「ここさ。背景と比較してみると、和泉と美空の間が大きく空いていることに気付かれるよね」
「でもそれは仕方無い。これ以上は加工できないよ」
 
ラムコが映っている所をどんどんカットしていたら、長さが足りなくなってしまった。しかし、実はこのビデオは大元の撮影データの保存が無かった。私たちはPVは充分な長さがあるから、そこから映像を採ればテレビスポットとして流す程度の長さ(15秒)は確保できると思っていたのだが、ラムコは和泉と並んで中央で歌っているので、ラムコの絡む部分がひじょうに大きく、それを全部外すと10秒弱しか残らなかったのである。
 
「どうしよう?」
「新たに撮るしかない」
「何を?」
「和泉のアップ」
「私だけ〜? 冬も出てよ」
 
「ね、冬子ちゃんがピアノ弾いてる所を撮しちゃダメ? 顔は映さないから」
 
ということで、急遽追加の映像を撮影することになった。和泉が徹夜明けなので30分だけ仮眠させた。それで美容液パックで顔を引き締めてからメイクをして、ありあわせの衣装を着て、マイクを持ち、歌っている所を撮影した。
 
また私も適当な衣装を着て、ロングヘアのウィッグを付けて、キーボードを弾いている所を撮影する。この時、私の顔は映らないようにしてもらった。
 
「そうだ! グロッケンを弾いている和泉も撮ろうよ」
と私は提案した。
 
「え〜!?」と和泉は言ったが、しっかり撮影される。
 

他の楽器を弾いているところも無いと寂しい、というのですぐ来てくれそうなギタリスト、ベーシスト、ドラマーを早朝から呼び出した。そんなことをしている内に9時になるので、三島さんを起こし、CDのデータを持って工場に行ってもらう。
 
9時半頃、集まってきたミュージシャンさんたちに『幸せな鐘の調べ』をほぼ初見で演奏してもらった所を撮影した。結局テレビスポット用の映像編集が終わったのはもう11時頃である。これに今度は歌を入れる。CD音源からコピーする。合わせてみて不自然な所の映像側を調整する。この作業が2時間ほど掛かり、スポット映像が完成したのは13時半近くであった。これを畠山さん自身が持って広告代理店に行った(畠山さんが運転すると危ないので事務所の若い人に運転してもらった)。
 
小風と美空に、作業が終わったので移動して良いという連絡を入れる。私と和泉は取り敢えず三島さんに連れられて事務所に行き、夕方までそこの仮眠室で爆睡した。
 

九州に行っていた小風は18時頃、北海道に行っていた美空は19時頃事務所に出てきた。すると、結局ほとんど寝てないふうの畠山さんが、私と和泉を起こし「PV撮るよ!」と言った。
 
それで私たちはまたスタジオに出て行き、先日と同様に作った『鏡の国』のセットのところで、和泉・美空・小風3人だけが出演する映像を撮ったのである。
 
「えっと・・・私も居ないといけなかったんだっけ?」
 
「当然。4人セットのKARIONなんだから」
と小風が何だか楽しそうに言う。ここ2週間ほどの不満そうだった顔とは大違いである。
 
「実際、念のため、蘭子ちゃんも入った4人バージョンも撮影しよう」
と畠山さんも言う。
 
「えーー!?」
 
と言いつつも結局、私は参加する。こういう状況の時はそれが必要かどうかを考える前に、その時やれる全てのことをしておくのが鉄則だ。
 
スタジオでの撮影が終わった後は遊園地に行く。閉園した後の遊園地で撮影させてもらうことで話が付いていた。こんな交渉とかまでしていたら、畠山さんは寝る時間が無かった筈である。
 
そしてカリヨンの演奏装置の前で、また3人が歌う映像、そして念のためと言われて私も和泉たちと並んで歌っているシーンを撮ったのであった。
 
「でも3人バージョンしか公開しないからね。折角撮影に付き合って、全然映らないの寂しいでしょ? だからその演奏装置の前の椅子に座りなよ」
 
「えー!?」
「後ろ姿だけだから、いいじゃん」
「うむむ・・・」
 
そういう訳で、私は3人が歌っている傍で、ウィッグを付けて、カリヨンの演奏装置の椅子に座り演奏している真似をしている所を後ろから撮られた。
 

撮影が終わったのはもう23時頃で、畠山さんはこれを朝までに編集してyoutubeにアップロードすると言った。私と和泉は顔を見合わせた。
 
「社長。その編集、私と冬子に任せてもらえませんか? 決して質の悪いものは作りません」
と和泉が言う。
 
三島さんも言う。
「社長。40男が徹夜2日目の脳ミソと目で編集するより、少しは寝てる女子高生2人に任せた方が絶対良いものになりますよ」
 
「言ってくれるね。僕はまだ37歳だけどね。でも任せるか」
 
それで私は母に電話し、今夜も帰られないと言った。ちょっとだけ、お小言を言われたが、明日は学校に行くと言うと、了承してもらった。
 

私たちはスタジオに戻り、畠山さんが片隅で毛布をかぶって仮眠している間に私と和泉は映像の編集を進めた。小風と美空も付き合ってくれた。全体を見た上で、三島さんや映像技術者の人とも話し合いながら、譜面に合わせてシーンを選びシナリオを作成する。そしてそれに沿って実際に映像を切り出していき、1本のビデオにまとめる。
 
まずは『鏡の国』の1分30秒ほどの映像を作り、それに曲を付加して、完成形を見る。それで音楽とのシンクロの問題で多少映像の貼り直しや時間調整をして完成させる。
 
次に『幸せな鐘の調べ』の方に行くが、先ほどの作業で少し慣れているのでさっきよりはうまく作業を進めることができた。
 
結局PVの編集が終わったのは夜中の3時で、畠山さんを起こして確認してもらう。
 
「うまく作るね! なんかセンスがいいじゃん」
と褒められた。
 
それで切替効果の付加などの最終的な調整は技術者さんにお任せして私たちは取り敢えず仮眠室に行って寝た。
 

「冬、学校に行くのならそろそろ起きて」
と言って朝6時頃、小風に起こされた。
 
「あ、ついでに和泉も起きて」
などといって和泉まで起こされている。
 
「あのさ、私たちまた冬を入れた4人に戻ったからさ、結束の印に再度サインを書かない?」
 
「ああ、いいんじゃない?」
と和泉が言うので、小風が色紙を10枚も持って来て
 
「これに書こう」
と言った。
 
「10枚も書くの〜!?」
 
「日付はこの4人が復活した日、2007.12.16 で書こうよ。第2の結成日だもん」
「それは言えてるな」
 
「あの・・・・私、KARIONに入る予定無いけど」
と私は言ったが
「いや、冬は既に KARION の一員だよ。契約してるしてないは関係無い」
と小風は楽しそうに言った。
 
それで美空も起こされて4人でまた「4分割サイン」を10枚書いた。
 
1枚ずつ各自で持ち、2枚は畠山さんと、後で麻布先生に渡し、残りの4枚は後にファンに配った。
 
そういう訳で、このデビュー前の「4分割サイン」の最初の日付は 2007.11.10 で最後の日付が 2007.12.16 なのである。
 

ちなみにその日はもう家に帰って着替える時間は無かったので、そのまま女子制服に着替えて学校に出て行った。若葉のおかげで制服があった訳だが、学生服ではないので、この日1日、私は女子制服で過ごすことになった。
 
授業もそれで受けたが、誰も何も言わなかった!?
 
(もしかしたら何か言われていたのかも知れないが、こちらの意識が飛んでいたかも)
 
この日、私はもう眠たくて仕方無いのを何とか我慢して授業を受けて、6時間目が終わると、部活にも行かずに早々に学校を出た。
 
早く帰って寝よう、などと思いながらボーっとして帰りの電車に乗っていたら、トントンと肩を叩かれる。
 
若葉だった。若葉の通っている◎◎女子高は、隣の駅なのである。
 
「お疲れ〜。今朝まで作業してたんだって?」
「あ、和泉から聞いた? いや大変だったよ。若葉も色々ありがとうね」
 
「私は写真持って行って少しお使いしただけだし。和泉は今日は休んでた。でも昼休みに電話掛かってきて話したんだよ」
 
「ああ。今日は休むのが無難だよね。ボクはお母ちゃんとの約束で学校に出てきた。でも眠くて、眠くて」
 
乗り換え駅で、一休みしようよと言われたので駅の近くの洋食屋さんに入った。オープンサンドを1皿に、コーヒー2つ頼み、一緒に摘まみながら話す。ここは少し高いので、中高生は普通立ち寄らない。つまり友だちに遭遇したりせずに話ができるのが良い所だ。値段が多少高くても、私と若葉なら全然問題にならない。
 
「でも、これで冬も、いよいよデビューするのね?」
「しないよー。たまたま声は入っているけど、コーラス入れたのと同じようなものだし」
 
「でもPVとかは冬も入れて4人で撮ったんでしょ?」
「そういうバージョンも撮影はしたけど、表に出すのは3人で映ったものだけだよ」
 
「4人のを撮ったということは、後でそれに差し替えるということだよ。冬とちゃんと契約書を交わせば、即正式メンバー入りでしょ?」
 
「うん。。。でもお父ちゃんと全然話せなくて。こないだからまずは自分の性別のこと、何度も話そうとしたんだけど、急用が入ったりして話の核心に到達できないんだよ。手紙も書いて渡したんだけど、読んでもらえてないみたい」
 
「冬さぁ、性別問題では、もう3年以上前から、お父さんに話す機会があったはずだよ。それを今までしていなかったのが悪い」
 
「そうだねぇ・・・」
 
「なぜ冬が今までお父さんに話さなかったのか。理由は私、見当付くけど言わない」
と若葉は言った。
 
ああ。。。。若葉には全て見抜かれているなあ、と思う。結局は自分の心自体がフラフラしているから言えなかったなんて。。。。
 

「でも頑張って説得しようよ。デビューは1月2日なんでしょ? それまでに、ちゃんと話して契約すれば、最初から正式メンバーとして活動できるよ」
 
「そうだね」
 
「あと、冬、自分みたいなのが混じっていると色物と思われるなんて言ってたけどさ。デビュー前に性転換して、ちゃんと女の子の身体になっていれば、ほとんど問題は起きないよ」
 
「それは和泉にも言われたけど、すぐ手術してくれる所なんて無いし、そもそもボクの年齢じゃ手術してもらえないし、手術したら半年くらい稼働できないし。学校も1年留年しないといけないだろうな」
 
「簡易性転換手術という手もある」
と若葉は言った。
 
「あ・・・・」
 
「ヴァギナを作らなければ、わりと早く回復するよね。冬って体力はあるからおそらく半月くらいで稼働できるようになるよ。ヴァギナ必要?」
 
「それは無くてもいいかも知れないとは考えた。どっちみち結婚してくれる男の人がいるとは思えないし」
 
「どうしても欲しくなったらS字結腸法でヴァギナ作る手もあるよね?」
「・・・若葉ってさ、なんでそういうのに詳しいの?」
 
「私は情報だけはよく知ってるから」
「ほんとに若葉の知識とコネって不思議!」
 
「あそこの病院なら、手術してくれるんじゃないの? もう何年も通ってるんでしょ?」
 
「確かに。。。。あの先生、高校生の性転換手術したことあると言ってた」
「じゃ、してもらおうよ」
「うーん。。。」
「今から行かない?」
 
「今から〜〜!?」
「善は急げ、性転換も急げ」
「ちょっと待って」
 
「冬って意気地が無さ過ぎるんだよ。思い切って行動しようよ」
「えっと・・・」
 

そんな感じのやりとりをして、私があと少しで説得されてしまうかも知れないという雰囲気になっていた時、若葉の携帯が鳴った。
 
他の客も居ないのでそのまま取る。
 
「はい。。。あ、奈緒? うん。いいよ。あ、ここに冬もいるけど連れて行っていいよね。うん。じゃ、そちらに行くね」
 
と言って電話を切る。
 
「奈緒がさ、一緒に遊ぼうよって。取り敢えずドーナツ屋さん」
「ああ」
 
「でもホント今週中に性転換しちゃわない?」
「そうだね」
 
私は内心ホッとしたような、ガッカリしたような気分だった。
 

ドーナツ屋さんで、奈緒・有咲と合流する。
 
4人でおしゃべりしている内に、私は自分の恋愛問題を指摘されてしまった。
 
「で、そのコーラス部の子(詩津紅)と、書道部の子(政子)と、どちらが本命なの?」
 
「別に恋愛とかとは違うよぉ。どちらもただの友だちだよ」
 
などとは言ったのだが、私の言葉の微妙な雰囲気から、政子と相思相愛なのではないかと指摘されてしまう。
 
「でも彼女は恋人いるし」
「関係無い」
「奪いとればOK」
 
などと大胆なことを言われる。そして若葉から「これ引いてごらんよ」と言われて、私が引いたタロットカードは『Lust(肉欲)』であった。
 

ドーナツ屋さんで1時間半ほどおしゃべりしてから帰宅した。
 
どうせまだ父は帰ってないだろうし、もし帰っていたらカムアウトの絶好の機会だし、というので女子制服のまま帰宅する。
 
「あら? あんた女子制服の冬服も作ったんだっけ?」
「あ、これ借り物〜」
 
「まあ、あんたには女子制服貸してくれそうな友だちはたくさん居そうね」
と母も笑っている。
 
「お父ちゃんはまだ?」
「今夜も遅くなるみたい。もしかしたら帰られないかもって」
「そっかー」
 
「ほんとになかなかお父ちゃんと話せないみたいね」
「お手紙も書いたんだけど、読んでもらえてないみたい」
「ああ」
 
「こないだ昼休み狙って電話したんだけど、客先から電話があったというので途中で切られちゃったし」
「うーん」
 
と母も悩んでいる様子。
 

「ところで、あんたいつ性転換したんだっけ?」
と母は私に訊いた。
 
「へ?」
「もう身体は女の子になってるんでしょ? だから女の子歌手としてデビューするんだよね?」
 
「まだ身体は男の子のままだよぉ」
 
「だってこないだ、あんた自分は女の子だって、お父ちゃんにも言ってたじゃない。怒らないから正直に言いなさいよ。お金は足りたの? 手術代高かったでしょ? あんた色々バイトしてるみたいだから、それで貯めて手術したんだろうけど」
 
「いや、お母ちゃん、ホントに私まだ性転換してない」
 
「ほんとに? だったら急いで性転換手術しなくちゃ! デビューはいつなの?」
と母は真面目な顔で私に言った。
 
 
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