【夏の日の想い出・セーラー服の想い出】(3)

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ステージはまだ始まったばかりのようで、ボクたちが来た時歌っていたのが最初の曲のようであった。彼女はMCをはさみながら、曲を歌っていく。そして5曲ほど歌いまたMCをしていた時だった。観客の中でひとりの女性が貧血でも起こしたのかバランスを崩して前の人にのしかかるようにして倒れた。
 
のしかかられた人が更にその前にのしかかって倒れという感じで、将棋倒しが発生する。キャーという悲鳴が上がった。観客の密度が高かったことから、誰もそれを途中で止めることができず、連鎖的に倒れて最前列まで及ぶ。そして最前列の人が思わず近くにあった広告の看板に倒れかかると、その看板が倒れて、ステージ後方でキーボードを弾いていた人を直撃した。
 
キーボードが吹き飛び、その台も倒し、本人もうずくまった。更に悲鳴などが上がるが、青島リンナは一喝。
 
「静かにしなさい!!」
 
と低く大きな声で言った。それで観客はさっと静まった。
 
「その場を動かないように」
と彼女は更に言う。パニックを未然に防いだ、素晴らしい対応だった。ボクはちょっと、この人に惚れ込んだ。
 
「立てる人は立ち上がって」と言うと、ほとんどの人が立ち上がる。ただひとり最初に倒れた女性は意識が無かったので、商店街のスタッフらしき人が運び出した。倒れた広告看板も起こされ、少し遠くに移動された。キーボードの人も立ち上がるが、右手を押さえている。
 
「大丈夫?」
「すみません。右手を打っちゃって」
「ああ、それでは弾けないかな?」
「ええ。10分か15分も冷やしておけば治るとは思うのですが」
「しょうがないですね。ライブは中止にしましょう」
と言うと、リンナはマイクを持ち直して、観客に向かって言う。
 
「皆様、ごらんの通り、ちょっとアクシデントがありましてライブを中止せざるを得ません。あと2曲ほどだったので最後まで演奏したかったのですが、私は弾き語りとかできないので。どなたか代わりにキーボード弾いてくださる方がおられましたら、続けられますが」
とリンナは笑顔で言った。
 
その時、隣に居た日奈が「はーい!」と大きな声を出して手を挙げた。ボクも亜美や倫代もびっくりする。
 
「君、弾けるの?」とリンナも驚いたような顔で尋ねる。
「私は弾けないけど、ここに弾ける子がいます」
と言って日奈はボクの手を取り高く掲げた。
「ちょっと、ちょっと」と言ってボクは焦る。
 
「えっと今から歌いたかったのは『憧れのローラ』と『ここにいるから』って曲なんだけど、弾けます?」
とリンナは訊く。ボクは微笑んだ。
「弾けます。今回のアルバム、前回のアルバムの曲、それからそれ以前のアルバムでも、タイトル曲・準タイトル曲クラスなら弾けます」
とボクは答えた。
 
「なんか自信あるみたいね。じゃ、ここに出てきて弾く?」とリンナ。
「はい」
と言って、ボクは日奈に微笑むと、ステージに上がった。
 
キーボードの人が
「『憧れのローラ』のセッティングは7番、『ここにいるから』は8番に入ってるから」
と言う。
「了解です。ありがとうございます」
とボクは答えた。
 
「じゃ、可愛いピンチヒッターさんが出てきてくれたので、彼女の伴奏で残り2曲歌います」
と青島リンナは言った。
 

彼女が笑顔でこちらを見るのでボクは7番のセッティングを呼び出し、キーボードの高音部・低音部で出る音を確かめる。譜面を斜め読みする。うん。これはCDに入っているのと同じアレンジのようだ。リズムをスタートさせる。
 
リズムパターン・リズムシークエンスは特にプログラムされておらず、普通のディスコのリズムだ。それなら歌手が途中で譜面と違う歌い方しても即応できる、とボクは踏んだ。そして譜面を見ながら、またCDに入っていた歌を頭の中で思い出しながら弾いていった。Aメロ、Bメロ、サビ、Aメロ、サビ、そして間奏を入れる。最初こちらの演奏にかなり神経を配りながら歌っていたふうであったリンナが、2度目のAメロのあたりから、気にせず歌うようになったのを感じた。
 
そしてその間奏が終わって、2小節リズムのフィルインだけの小節があり、その後、Cメロが始まるのだが、リンナはチラッとこちらを悪戯っぽい目で見ると、いきなり譜面とは違う音の高さで歌い始めた。ボクは内心「おっ」と思いながらも、速攻で転調して伴奏を弾く。隣に控えていたキーボードの人が「うっ」という小さな声をあげたのを聞いた。
 
そしてリンナは何事も無かったかのように転調したままCメロ、Aメロ、Bメロと歌い、サビを3回リピートして、この曲を終えた。
 
拍手があり、リンナがMCをする。キーボードの人が感心したように首を振り、ボクに握手を求めた。ボクは8番のセッティングを呼び出し、ボリュームを絞って音色を確認する。そして最後の曲が始まる。
 
こちらの前奏を聴いてからリンナは歌い始める。この曲では特に前の曲のような悪戯はしなかったものの、本来2番までで終わるはずが、CDにも入っていない3番まで歌ってから、リンナは歌を終えた。
 
物凄い拍手が来る。そして「アンコール!」という声がいくつもあがった。リンナはこちらをチラッと見たが、私は笑顔で頷く。今日歌ったラインナップを考えると、アンコールはたぶんあの曲だ。ボクはキーボードの人に
 
「『Daylight of Summer』はどこかにレジスト入ってますか?」と小声で訊いた。
「うん。15番で行ける」
「ありがとうございます」
 
ボクはリンナがアンコールのお礼のMCをしている間にそのセッティングを呼び出し、ボリュームを絞って音色を確認した。そしてリンナは3分ほどのMCの末に
 
「それではホントに最後の曲『Daylight of Summer』聴いてください」
と言った。この曲はとても静かな曲でドラムスが入らない曲だ。歌手が結構自由なテンポで歌う。ボクはリズム無しで前奏を弾き始めた。左手に少し複雑な和音進行があるが、それをクラシックなチェンバロの音で弾いていく。
 
そして彼女はこの曲ではマイクのスイッチを切り、肉声で声を響き渡らせた。
 
ボクは彼女の歌を聴きながら、そのテンポの流れ・波動を感じ取りつつ、やや前乗りで演奏していく(歌を聴いてから音を出すと演奏側が遅れ気味になるので、逆にこちらの音を聴いて歌手が歌えるように、少し早めに弾くこと)。ボクは演奏していて、やはり上手な人の歌は心地好いなと思っていたが、本人も凄く気持ち良く歌っている感じだ。心理的にシンクロしているので、彼女がシンコペーションしたりフェルマータする所はこちらも事前に感じ取ることができ、連動してちゃんとその分ゆっくり弾いたり音を伸ばすことができた。
 
そして終曲。
 
割れるような拍手。
 
ボクはキーボードの人と再度握手をし、リンナに促されて、ステージを降りた。
 

 
リンナが
「ありがとう。君のおかげでいいステージになったよ。最後の曲とか物凄く歌いやすかった。名前聞かせて」
と言う。ボクは本名を名乗るのも恥ずかしかったので
「No one knows Kei です」
と言ったが、リンナは芸名と取ったようで
「ふーん。セミプロ? 転調に即対応したところで素人じゃないなとは思ったけど。でもきっとその内みんなが知ることになるよ」と言い、スタッフさんに言って色紙を1枚取ると「Everyone knows Kei さんへ」と書き、サインを書いてくれた。
 
「ありがとうございます」
「また会う機会がありそうな気がする。See you」
と彼女は言った。
 
ボクはお辞儀をして、日奈たちの所に戻る。スタッフの人が追いかけて来て、ボクにポチ袋をくれた。「ありがとうございます」と言って受け取った。
 
「お疲れ様〜」と言って日奈たちに拍手で迎えられる。若葉がハグしてくれる。
「あ、それ、御礼?」
「みたい。何だろう」
と言って中身を確認すると、5000円も入っていた。
「おっ。すごい、ケーキか何か買ってみんなで食べようよ」
と私は提案した。
 
しかしリンナからは「See you」とは言われたものの、彼女と1年後に再度話をする機会がくるとは、この時思っていなかったし、ずっとずっと未来に、彼女が産んだ子供を自分が育てることになるとは、夢にも思わなかった。
 

ボクたちはお菓子屋さんを探していたのだが、ケンタッキーがあったので、チキンを人数分8本買って、1本ずつ食べた。
 
「でも凄いね。あの曲、練習してたの?」と倫代が訊くが
「ううん」とボクは答える。
「あの人のCDはお姉ちゃんが全部持ってて、私は何度か聴いただけ」
とボクは説明する。
 
「へ? それであんなに弾けるの?」と倫代が驚いて言う。
「冬は、一度聴いた曲なら歌えるし、ピアノやエレクトーンで弾けるよね」
と日奈。
「うん」
とボクは笑顔で答える。
 
「さっき、亜美との会話で、知っている風だったから、知ってるなら弾けるはず、と思って手を挙げた」と日奈。
「いや、さすがに私もちょっと不安だったけど、譜面もちゃんとあったしね」
と私。
 
「不安があるにしては自信のあるような受け答えしてたね」と美枝。
「ああ、それは私のいつものハッタリ」と私。
「自信無さそうな言い方したら、使ってくれないでしょ?」
と私は笑顔で言う。
 
「冬、優秀な営業マンになりそう」と美枝。
「いや、優秀なセールスレディでしょ」と貞子が修正する。
 
「負けた〜。冬が初見・即興に強いのは知ってたけど、何度か聴いただけの曲をあそこまで弾けないよ、私は」と倫代。
「リンナさん、途中でわざと転調したよね。冬を試してみた感じだった。あの曲には本来転調は無かったはずなのに」
と亜美。
 
「うん。ちょっとびっくりしたけど、転調して弾くのは別に問題無いから」
と私。
「初見に近い状態で弾いてて、即興で転調演奏までしたの!?」
と倫代が呆れている。
 
「冬は聴いた曲をまるで録音しているかのように覚えてるよね」
と日奈。
「うーん。むしろMIDI的に覚えてる感じかな。ドレミで記憶してるよ。私の記憶はだからサウンドデータじゃなくて文字データ。でないと、頭の記憶容量が足りないよ。それに、そもそも私って絶対音感無いから、音名じゃなくて階名での記憶になるんだよね。でもお陰で転調しても、新しい調のドレミで弾ける」
と私。
 
「負けた。ホントに負けた」と倫代は言っていた。
 

その後、ボクたちはまたおしゃべりしながら、集合場所の八坂神社の方へと歩いて行った。新京極で時間を食ったので、結局祇園の街までは行かなかった!
 
八坂神社で女子全員が集合した後、近くの京料理の大衆食堂という感じの店でこの修学旅行最後の食事をする。重箱に入ったきれいなお弁当だ。修学旅行中、毎回全部食べきれずに、少し若葉や日奈などに手伝ってもらっていたボクも、この最後の食事だけは、女性向けに加減した量だったので、全部食べることができた。庶民的な雰囲気だったが、料理自体は上品な味付けで、美味しかった。
 
バスで東寺に移動して最後の見学をする。本来はここで男子と合流する予定だったようであるが、男子の方が遅れて、男女時間差見学になった。
 

境内を見学していき、やがて講堂に来る。たくさんの仏像が並んでいても、大量の千手観音に圧倒された三十三間堂、美しい阿修羅像が強い存在感を放っていた奈良の興福寺とは違い、ここは「システム」を感じた。不動明王を中心とするグループ、大日如来を中心とするグループと見ていき、最後に金剛波羅蜜多菩薩の前に来た時、ボクは突然、仏様の方から何かエネルギーが飛んでくるような感覚を覚えた。
 
ボクは観覧の列から離脱して少し後ろに行くと、ポーチからマイメロのメモ帳と銀色のボールペンを出し、急いで今心の中に沸き上がってきたメロディーをABC譜でメモした。
 
書いていてちょっと途切れても、金剛波羅蜜多菩薩の静かな表情を見ると、その続きを書くことが出来た。何してるんだろう?という感じで倫代が寄ってきたが、ボクがα状態っぽい雰囲気でどうも楽譜を書いているようだということに気付くと、そっと見守ってくれた。
 
ボクは5分ほどその場でメロディーを書いていた。倫代は講堂の出口の所まで行き、どうもうちの生徒たちの進行方向を確認してくれている感じだった。
 
ボクが満足そうにボールペンをメモ帳から離すと倫代が寄ってくる。
 
「できた?」
「うん。できた」
「行こう。ちょっと遅れたよ」
「ありがとう」
ボクは微笑んで、倫代と一緒に集団に追いついた。
 

東寺の見学が終わると、バスで京都駅に移動して、男子が来るまでの間しばらくクラス単位のフリータイムと言われた。私たちのクラスは地下街で安いTシャツなどを物色していた。
 
しかし30分後、男子の方の遅れが回復できそうにないので、女子だけ先に新幹線に乗るという連絡が各クラス代表にある。元々人数が多いので、クラス単位で2便に分散して乗る予定であったのを、組み替えて先の便に女子を乗せ後の便に男子を乗せることになったとのことだった。
 
座席は急遽組み替えたので、多少クラスが入り乱れていた。この帰りの便ではボクは3列の席で、両隣は貞子と美枝だった。このふたりと一緒の場合、何が楽かって、何も話さなくても気まずくないのが楽である。しかし貞子は言った。
 
「そういえば、この修学旅行中、冬は自分のこと『ボク』じゃなくて『私』って言ってたね」
 
「えー? だって女子制服だし」
「ふーん。。。でも『私』って言えるんだったら、ふだんも『私』って言えばいいのに」
「えー、男の子の格好してて『私』は無いと思うな」
「・・・じゃ、普段も女の子の格好してれば、いいじゃん」
「うっ」
 
「明日からも女子制服で授業に出るんだよね?」と美枝。
「今まで通りだよ。通学は女子制服で通学するけど、授業はワイシャツとズボン。
「なぜ、そんな中途半端なことする?」
「Sちゃんに女子制服姿を見られたくないから?」と貞子。
「うーん。。。見られちゃったら、見られちゃった時かなあ」
 
「学年全員と先生達にも女子制服姿を晒しておいて、今更って気がするなあ」
「するする」
「うーん。。。」
「やはりみんなで取り押さえておいて、去勢するしかないかな?」
 

翌日。私はふだん通り、女子制服で学校に出て行き、合唱部の朝練に参加する。そしてふだん通り、ワイシャツとズボンに着替えて教室に行くと、みんなから突っ込まれる。
 
「なんで、唐本、男の制服なんか着てるんだよ?」
「えー? 一応男子だし」
「修学旅行に女子として参加して、女湯にも入っておいて、今更男子を主張するのはおかしい」
「そうだ、そうだ」
「男子というのなら、女湯に入ったのを痴漢として告訴するぞ」
「えーっと、その辺は曖昧に」
 
と言って、ボクは笑って誤魔化した。
 
担任の先生からも
「君、女子制服で通学するんじゃなかったの?」
と言われた。
「あ、通学は女子制服ですが、授業はこちらで」
「うーん。何かよく分からんが、まいっか」

 
Sはその日も休んでいた。ボクはクラスメイトの女子数人と「心配だね」と言い合う。先生に尋ねてみたのだが、どうも季節外れのインフルエンザのようで、なかなかな熱が下がらないということだった。
 
「インフルエンザじゃ、お見舞いにも行けないか」
「回復を祈るしかないね」
 
放課後、ボクはまた女子制服に着替えて音楽室に行き、通常の練習に参加する。それが終わって帰ろうとしていた時、担任の有川先生が音楽室に来て
 
「あ、練習終わった所かな? ちょうど良かった。警察から連絡が来て、月曜日に人命救助したのを表彰するからって」
「ああ」
 
ボクはそういう訳で、女子制服のまま、先生と一緒に警察に行った。署長さんからねぎらいのことばがあり、感謝状をもらった。なんだか新聞社の人が来ていて、感謝状を受け取るところの写真を撮られた。あはは。これ新聞に載るの??ちなみに感謝状の名前は「唐本冬子」になっていた。
 

翌日金曜日。朝ご飯を食べていたら、父が新聞を見ながら
「へー、人命救助した女子中学生を表彰だって」
と言う。ボクは内心焦りながらも
「ふーん。そんなことがあったんだ」
などと言う。
 
「線路に落ちた女の子を助けたんだって。凄いな。あれ。名前が唐本冬子さんだって。お前と似た名前だな」と父。
「ああ、似てるね」
 
「あれ? これお前の学校の制服じゃないか?」
「ああ。ホントだ。そんな子がいたんだね。知らなかった」
「うちの苗字、そんなに多くないと思うんだけど、近くに他にもいたんだなあ」
と父は言っていた。
 
写真が小さいのが幸いして、それが私の写真であることに父は気付かなかったようであった。姉がニヤニヤしていた。母がじっとこちらを見ているのが少し気になった。
 

その日もSは休んでいた。担任に様子を聞いてみると「熱は少し下がってきたらしいが、(今日は金曜日なので)大事を取って日曜まで休ませるらしい」ということだった。月曜からは出て来れるようで、ボクは安堵した。昼休みに家に電話してみたが、最初お母さんが出た後本人に代わってくれて、まだ少し弱い感じの声で
「あれ? 唐(から)ちゃんなんだ? 誰かと思った」
などと最初言った。
 
「ああ、これは電話する時のよそ行き用の声」
「へー。でもありがとう。なかなか熱が下がりきれなくて。今回はちょっときつかった」
「無理せず、お大事にね」
「うん。ありがとうね」
 
ということで電話を切る。
 
「どんな感じ?」
とそばで聴いていたクラスメイトの女子が訊く。
 
「うん。まだまだって感じたね。後はひたすら寝て治すしかないんじゃないかな。でも月曜日には出て来れそうな感じ」
「それは良かった」
 
「でも、今冬子、わざと中性的な声で話したね」
「えっと、それはね。。。まあ、男の子からの電話じゃ、お母さんによけいな気を回されるかも知れないと思ったし」
と言って、頭を掻く。
 
「だったら、女の子の声で電話すればいいのに」
「うーんっと、それはね」
と言って、更に頭を掻いた。
 

土曜日はいつものようにプールに行き、若葉と一緒に泳いだ。
 
「ごめんねー。合唱部の地区大会が終わったら水泳部の方に顔出すつもりだったんだけど、東部大会に進出しちゃったから」
「ううん。大丈夫。こちらの大会は8月だし。こうやって私と一緒に泳いでいる感じでは、けっこうスピード出てるし」
 
練習を終えて更衣室に引き上げようとした時、若葉が
「今日はちょっと私に付き合ってくれない?」
と言ったので、「うん」と言う。
 
私がここに着て来たセーラー服に着替えようとしたら
「あ、今日は、この服を着てくれない?」
と言って、少し大人びたパーカーと花柄の膝丈スカートを渡された。
 
「いいけど。制服じゃ行きにくい所?」
「うん。まあね」
と言う。
 
若葉も少しお姉さんっぽい服を着た。そしてプールを出ると若葉は自転車置き場の方には行かず、そのまま通りに出てタクシーを停めた。
 
「どこ行くの?」
「今日は何も言わずに付いてきてくれない?」
「いいけど」
 
やがて、タクシーは何やら派手な色彩の看板が出ているホテルの並ぶ一帯に到着した。
 
「ここって・・・・」
「黙って付いてきてくれる約束よ」
と若葉は微笑む。何だかその微笑みにボクはドキっとした。
 
そして5分後、ボクたちはそんなホテルの一室に一緒に入ってしまった。
 

「ここで何するの?」とボクは訊く。
「何する所かは知ってるよね?」と若葉。
 
「うん。でもボクは女の子とはセックスできないよ。そもそも立たないし」
「やりようによっては立つと思うんだよね。私にちょっと冬の身体を預けてくれない?」
「えー?」
「おちんちん立たないと、Sちゃんとセックスするのに困るよ」
「うーん・・・」
 
「それとこないだの晩、冬は言ったじゃん。私を気持ち良くさせてくれる男の子は絶対居るって」
「うん」
「冬はそれ、たぶんできるよね? 私を気持ち良くさせて欲しいの」
 
「・・・・・」
ボクは何も言わずにじっと若葉を見つめた。
 
「私ね。確かにちょっとトラウマがあって男性恐怖症な所あるんだけどさ。自分は今のままだと、男性に対して希望を持つことができない気がして。そういう自分を乗り越えたいの。それに友だちとして協力してくれない? 私どう考えても、普通の男の子とこんな所に来る勇気無いけど、冬は女の子だから一緒に居られるんだよね」
 
「ボクたちの関係って友だちでいいんだよね?」
「うん。悪いけど、私、冬には恋愛感情は無いから」
「ボクも若葉や奈緒に恋愛感情は無いよ」
 
ボクたちはお風呂に交替で行ってシャワーを浴びた。先に若葉が浴びてきたが、ボクが浴室から戻った時、若葉はベッドの中にいた。多分裸だよな、とは思ったが、ボクもそのまま裸でベッドの中に潜り込んだ。
 
「抱いてくれる?」
「うん」
 
ボクは若葉を抱きしめた。でもキスはしなかった。今日キスはしないというのは、何となくその日の若葉との暗黙の了解だった。
 

「よし。試してみよう」
と行って、若葉はポーチから生理用品入れっぽいのを出すと、その中から1枚コンドームを取り出した。即開封する。
「これ使ったことある?」と若葉が訊く。
「使われたことはある」
「ふふ。やっぱり冬ってそっちだよね」
 
と言うと、若葉はそれを自分の指にかぶせてしまった。
 
「当然、あそこに入れられたことあるよね?」と若葉。
「うん、まあ」
「よし。膝立てて、楽にしてよ」
「分かった」
 
若葉が布団の下の方に潜り込んでいく。
「入れちゃうよ」
「うん」
 
若葉の指が入ってくるのを感じる。先月奈緒にされた時以来だ。しかし次の瞬間、ボクは今までに感じたことのない不思議な快感を感じた。何これ?
 
「何してんの?」
「前立腺を刺激してるの。どう?」
「気持ちいい・・・・」
「ふふふ。ほら立って来た」
「うん」
 
それが立つのは数年ぶりの感触だった。ちょっと触ってみたけど、何か自分のものではないものが大きく熱く硬くなっている感じがした。
 
「ここまで立ったら、あとはふつうにやって射精できるよ、たぶん」
「そうかも」
「やってごらんよ。見ててあげるよ」
「いや、いい。でもとっくに無くなったのかと思ってた勃起能力が残ってたことを知っただけで満足だから」
 
「そうだね。1回立ったから、次は好きな女の子か男の子と一緒にこういう所に来れば自然に立つと思うよ」
「あはは、ありがとう」
「これでSちゃんともセックスできるよ」
「あ。。。えっと。。。」
「今、私とセックスしてもいいよ」
「それはしない」
若葉は微笑んで頷く。ボクがセックスしたいと言ったら多分若葉は逃げていたろう。そんな気がした。
 
「あとね。もし水泳部の方に来てくれて、毎日プールに入ってたら、タマが水冷されて、能力が向上するよ」と若葉。
「う・・・それは問題だ」
「問題があったら、また女性ホルモン注射打ってあげようか?料金サービス」
「いや、あれは勘弁」
「じゃ、錠剤の女性ホルモン剤、取り寄せてあげようか?格安料金で」
「いや、いいです」
 
「あ、そうか。どこかからホルモン剤は今調達してるんだよね?」
「してない、してない」
「ほんとに?」
「だって、ボクは女性ホルモンとか飲んだことないよ」
「それは絶対嘘」
「ほんとなんだけどなあ・・・」
「あんまり嘘ついてると、閻魔様におちんちん抜かれるよ」
「あはは、それありがたいかも」
 

「まあいいや。じゃ、次は私を気持ち良くさせて」
「そうだね。約束だし」
「ちょっと手を洗ってくるね」
 
と言って若葉は指に付けていたコンドームを裏返しにしながら外し、持参していたビニール袋に入れて、ゴミ箱に捨てた。それから手を洗ってまたベッドに入ってきたが、ボクは裸体の若葉をとてもまぶしく感じた。いいなあ。こういう身体になりたい、と思う。
 
ボクは最初に優しく若葉の身体を抱きしめた。
 
「もう小さくなってる」と若葉はボクのおちんちんに触りながら言った。
「さすがに長時間立てておく能力は無いんだと思う」
「まあ入れる時だけ立ってれば使えるからね」
 
「そうだね。じゃ、誰か素敵な男の子にされていると想像しててよ。多分、若葉はたくましい男の子より、優しい男の子の方がいいよね?」
「うん。そちらがマシって気がする」
 
ボクは身体を少し潜り込ませて自分の手が自然に若葉の股間に行くようにし、そっとその付近に触った。若葉がビクッとするのを感じる。やはり本当は怖がってるんだ!
 
「映画のワンシーンとか想像して。美形の優しい男の子と一夜を過ごすんだよ」
とボクは女声で言う。
「想像してみる」
 
ボクは彼女の秘部に指を進入させ、感触でその部分を見つけた。
 
自分が女の子になりたいから、そのためにさんざん女性器の構造を勉強した、その成果で、実物は見たことがないものの、だいたい女の子の構造は頭に入っているし、どう刺激すればいいのかも一応の想像は付いている。そもそもここ数年ボクはオナニーする時、女の子式のやり方をしていた。
 
ボクは最初はゆっくり、そして少しずつ加速させてそこを刺激していった。
 
やがて若葉がボクを少し強く抱きしめてくる。そして
「お願い。あそこに入れて」
と言う。
「さすがにそれはダメ」
「指でいいから」
「それでもダメ」
「ちょっとだけでもいいから」
「分かった」
 
ボクは身体をさらに潜り込ませて、左手の中指をそっと、若葉の奥の方に少しだけ入れた。たぶんこの辺りかな?というところで手前側を押すようにする。それと同時に右手の方もグリグリと強く刺激する。
 
「気持ちいいよお」
我慢出来ないかのように若葉はそんな言葉をもらす。
 
「格好いい男の子としてること、想像想像」
「うん」
 
ボクたちは15分くらいそんな感じのことを続けた。
 
やがて若葉がボクを一際強くぎゅっと抱きしめた。ボクは微笑んで左手の指の動きを止め、右手の指も刺激するスピードと圧力を落とした。そのままゆっくりソフトランディングさせる。
 
しばらくして若葉は口を開いた。
「ね。少し寝てもいい?」
「うん。ボクも寝ようかな」
「じゃ、抱き合ったままで」
「うん」
 
ボクたちはここに来る前に2時間泳いでいた疲れも出て30分ほど寝てしまった。
 

「今日のことは、無かったことにしようよ」
と服を着ながらボクは若葉に提案した。
「うん。私もそのつもり」
と若葉は笑顔で言った。
 
「性に対する恐怖感、少し和らげられたかな?」
「うん。これで私、次恋愛したら今までより自然に行動出来るかも」
 
「あまり無理すること無いよ。彼が期待していることをしてあげたいと思っても無理。むしろ自分ができる範囲のことをするんだと開き直った方がいい」
「そうかもねー」
 
「若葉、もしかしたら1度、女の子と恋愛してみた方がいいかも。若葉ってバイっぽい気がするから、多分恋愛できるよ」
「ああ・・・」
「女の子同士なら性感帯も分かりやすいから、男の子とするよりHも気持ちいいよ」
「考えてみたら、今日のって女の子同士のHだよね」
 
「ボクはその意識。ボク今日は自分でする時みたいにしたんだよね、実は」
「なるほどー」
 
「自分のをあまりいじったこと無かった?」
「したことはあるけど、こんなに気持ち良くなったことない。私、自分は不感症だと思ってた」
「気持ち良くなれるってのは分かったでしょ?時々してみるといいよ」
「そうだね」
 
「女の子同士の恋愛の方が若葉多分しやすいだろうし、それで、恋愛そのものに対するアレルギーを緩和できるよ」
「ほんとだね。あ、私、女子高に行こうかなあ」
「ああ、それもいいかもね」
「3年間女の子たちと疑似恋愛して、それで心を慣らしてから、それから男の子にもチャレンジしてみよう」
「うんうん」
 
「冬もさ」
「うん」
「女の子として生活することにもっと慣れた方がいいよ」
「そうだねー」
「高校に入ったら、バイトしてみたら? 女の子として」
「ああ」
「冬ってバッくれたら、絶対女の子じゃないなんてバレないもん」
「うん。やってみようかなあ」
 

ボクたちはタクシーでプールの所まで一緒に戻り、それからさよならを言って各々の自転車で自宅に戻った。
 
翌日の日曜日もボクたちはまたプールで落ち合い、一緒に泳いだけど、ボクも若葉も昨日のことは一言も口に出さなかった。そしていつも通りに練習して、お互いのタイムを計り合ったりしていた。
 
でも、そのまま別れるのは何となく寂しい気がして、ふたりで一緒に街に出た。ゲームセンターでエアーホッケーをしたり、太鼓の達人をしたり、それからドーナツ屋さんで、カフェオレとコーヒーを頼んで、のんびりとおしゃべりした。
 
しばらく話をしていた時、ひとりでお店に入ってきた女の子と目が合う。
 
ボクは笑顔で会釈した。彼女もニコっと笑って注文を済ませると、こちらに来た。
 
「ここ座って、座って」
と言って、同じテーブルの席を勧める。
 
「こんにちは。唐本さんでしたね?」
「うん。絹川さんでしたよね?」
「お友だち?」と若葉。
「うん。こないだの合唱部の地区大会で2位になった学校の部長さんだよ」
「へー」
「何となく数回遭遇したね」
「袖すり合うも多生の縁だよね」
「まさに、それそれ」
 

ボクたちはすぐ打ち解けて、名前で呼び合うことにした。
「じゃ、私のことは和泉で」で絹川さん。
「じゃ、私のことは冬子で」と私。
「じゃ、私のことは若葉で」と若葉。
 
しばらくドーナツ屋さんでおしゃべりした後、カラオケに行こうよという話になる。ボクたちは近くのシダックスに入った。
 
若葉は「私、歌へただから見学してる」というので、ボクと和泉のふたりで交互に歌った。
 
和泉は『Jupiter』『明日』など平原綾香の曲を多く歌い、一青窈、Crystal Kayなども歌う。ボクは『COLORS』『traveling』など宇多田ヒカルの曲を多く歌い、椎名林檎、BONNIE PINK なども歌う。
 
「でも和泉ちゃん、声が凄くきれい」とボクは言った。
「あ、私も思った」と若葉。
「その声ってものすごい財産だよね」
 
「うん。私、声ばかり褒められる」
「歌もうまいよ。情感がこもってるもん」
 
「冬子ちゃんは音程が凄く正確」と和泉は言った。
「8分音符でオクターブ近く上っていくところとかさ、かなりうまい歌手でも、途中の音の音程がけっこうアバウトじゃん。それがオペラ歌手みたいに正確にそれぞれの音を出してる」
「いや、正しい音で歌わないと気持ち悪いから」
 
「ああ、冬ちゃんも絶対音感があるのね」
「あ、ボク絶対音感は無いよ。これ相対音感」
「へー。でも相対音感で、こんなに正確に音程出せる人はかえってレアだと思うな」
 
「だけど、ボクたち割と音楽の好み近くない?」
「あ、そんな気はするね」
 
「絶叫系だよね」
「そうそう。それで歌の巧い人の曲が好き」
「うんうん」
「ああ、ふたりとも大きな声で歌う曲が好きみたいね」と若葉。
「好き」とボクと和泉は同時に言った。
 

「でも、冬子ちゃん、自分のこと『ボク』って言うんだね。冬子ちゃん格好いいから、けっこうそれ似合うけど」
「あ、ボクが『ボク』というのは、ボク実は男の子だから」
「え?」
 
「あ、全然そう見えないよね」と若葉。
「でもホントに男の子なんだよ」
 
「えーーーー!?」と和泉は叫んでから
「ほんとに?」と小さな声で訊く。
 
「うん」とボクは笑顔で答えた。
 
「でも女子制服なんだ?」
「あ、これは、なしくずし的に認めてもらった」
「へー!」
 
「女の子になりたい男の子ってやつ?」
「うーん。女の子になりたいというよりは、元々女の子だと思ってる。でも若干世間に迎合して男の子の振りしてるところもあるかも」
 
「冬の一人称の使い方って、少し変だよ。男の子の服を着てるときはボク、女の子の服を着てるときは私、と言うんだけど、私みたいにごく親しい子とだけいる時はボクを使うんだよね」と若葉。
 
「えへへ」
「ボクを使うのは、私と奈緒、有咲、貞子、美枝、くらいだよね」
「そんなものかなあ」
 
「じゃ、その親友ラインナップに私も入れてもらっていい?」と和泉。
「うん」
とボクは笑顔で言った。
 
「でも、むしろ親友の前で、私を使うべきでは?」と和泉。
「私も同感」と若葉。
「えへへ」
 

「和泉は高校はどこ行くの?」
「◎◎女子高に行こうかなと思ってるんだけどね。先輩から誘われてて」
「へー」
「中高一貫校に途中から入るのって、ちょっと勇気いるけど、聞いてみたら高校1年の間は、高校から入った子だけで1クラスにしてくれるらしいから割と溶け込みやすいかな、と」
 
「◎◎女子中3年に、ボクの小学校の時の友達がいるよ」
「へー」
「田坂由維って子だから」
「メモしとこ。入ったら声掛けてみよう」
 
「冬子はどこに行くの?」と和泉。
「うーん。公立だろうなあ。この辺だと※※高校かなあ」
「ふーん。でもあそこあまり合唱部強くないよ。私と一緒に◎◎女子高に来ない?」
 
「それは多分入れてくれないかと」
「なんで?」
「男子はさすがに門前払いだよ」
「あ、そうか! 忘れてた」と言ってから、和泉は
「じゃ、高校受験前に性転換しちゃえばいいよ」と言った。
 
若葉がパチパチと拍手した。
 

月曜日、Sはやっと出てきたが、病み上がりでまだ顔が青白い感じだった。朝はクラスメイトの女子たちに囲まれて、いろいろ受け答えしていたが、まだ少し辛そうだった。
 
昼休み、ふだんなら校庭横の芝生に誘うところだが、外の風に当てるのはよくないだろうと思ったので、ボクは教室の中で、彼女のそばに行って、いろいろ話をした。
「あ、そうだ。これ修学旅行のおみやげ」
と言って小さな箱を渡す。
「何かな?」
と言って取り出す。
 
「わあ、きれいな匂い袋」
「好みの合うかどうか心配だったんだけど」
「うん。素敵。私こういうの好き。ただ、私まだ鼻がきかなくて」
「身体が良くなってから、嗅いでみて」
「うん」
 

ボクが女子制服を着てることは、誰かがSに言うかもな、と思っていたのだが、結局誰も言わなかったようであった。またこのあとずっと卒業まで、ボクは教室では男子の格好をしていたので、結局ボクの性別のことに、Sは卒業式が終わった後でボクが本人に直接告白するまで、気付かなかったらしい。(気付かなかったことにしてくれていたのかも知れないけど)
 
Sがインフルエンザから回復してから1週間後くらいの時。ボクは合唱部の練習が終わって帰る時、トイレに行きたくなって、校舎の外にあるトイレに入ったが、出ようとした時、外側でSの声がした。ギョッとして個室の中で様子を伺っていたら、Sは中に入らず、Sの友達がトイレの中に入ってきたようであった。どうもSは外で待っているようである。
 
しかし、ボクも日奈を外に待たせている!
 
仕方無いので、ボクは個室の中で男子の格好に着替えた。そして手を洗い、様子を伺って、Sが向こう側を見ているのを確認してトイレの中から出てきた。
 
「あれ?唐ちゃん」
「あ、Sちゃん。今帰る所?」
「ううん。まだいったん部室に戻らないと。でも今友達がトイレに入ってて・・・、ね?唐ちゃん、今女子トイレから出てこなかった?」
 
「え? あれ?入るの間違ったかな?」
「逮捕されちゃうよ−」
「ごめんごめん」
 
そこにSの友達が出てくる感じだったので、ボクはSにさよならと言って、日奈の所に戻る。日奈が苦しそうに忍び笑いをしていた。Sたちが校舎の方に行ってからボクは再度トイレに入って女子制服に戻って下校した。
 
「二度と男子制服では下校しません」
の誓約書があるから、男子の格好では帰れない!!
 

7月16日。合唱コンクールの東部大会があり、ボクたちの学校も、和泉たちの学校も出て行ったが、やはり地区大会を勝ち抜いてきた学校ばかりなので、東部大会のレベルは凄かった。
 
「これはさすがにかなわん!」という感じの歌唱をたくさん聴くことになる。しかし、それだけに開き直って、のびのびと歌うことができた。
 
結果は参加21校中で、ボクたちの学校が12位、和泉たちの学校は11位だった。このハイレベルの中で戦ったにしては、良い成績で、ボクたちは喜んだ。
「じゃ、今の1年生、2年生に頑張ってもらって、来年はぜひ都大会進出を」
「無理ですよ〜」と2年生のソプラノの聖子が言うが、「聖子ちゃん、新部長よろしくね〜」と倫代が言い、みんなが拍手をしていた。「えー!?」と本人は言っている。
 
しかし聖子はここ3ヶ月ほどで物凄く成長したのだ。ボクに失恋したのが原動力になったのかも知れないなと思うと、ちょっとだけ心が痛んだ。彼女とはまた高校のコーラス部で再会することになる。
 
解散したあと、会場の近くを駅の方へ歩いていた時、和泉とばったり会ったので、ボクらは通りからちょっと離脱し、公園のベンチで少し話した。
 
「やっぱり東部大会で上位に入る学校は何だかレベルが違うね」
「たぶん物凄い練習してる。あとやはり上手く歌うだけでは、都大会まで行けないね」と和泉は言った。
 
「ああ。個性が必要だよね」
「そうそう。目立ったものを持ってないと、審査員に良い点を付けてもらえないよ。答案を完璧に書いて通過出来るのは地区大会まで。光る答案を書けないと、都大会までは進出出来ない」
「じゃ、全国で優勝する所とか、どういう所なんだろう?」
 
「なんか想像が付かないななあ・・・」と和泉は遠い所を見る目をした。
 
「ね、和泉」
「うん?」
「アマチュアの頂点が見えないならさ。いっそプロの頂点とか目指してみない?」
「ああ」
 
「プロって、まさに個性の勝負だよね」
「うんうん。上手なだけで売れた人なんて、いまだかっていないと思う」
「ボク、もっともっと個性を磨くよ」
「冬は今でもかなーり個性的だよ」
「それは和泉も。ボクも和泉も、たぷん全体の均質性を保たないといけないアマチュアの合唱という世界では頂点に立てない気がする」
「うんうん。ドロップアウトしそう」と和泉も言う。
 
「色々楽器を勉強しようかなあ。それと理論面とかも」とボクは言う。
「まあいいけど、夢中になりすぎて高校受験失敗しないようにね」
「うんうん」
「こないだ、冬子は※※高校に行くって言ってたけど、あそこ確認したけど、バイト禁止でしょ。もう少し自由な学校にした方がいいよ」
「それは実はちょっと考え始めていた。それとあそこ校則厳しいみたいだからボクみたいなのは難癖付けて退学にされそうな気もして」
「それあり得るよ。冬子って特に押さえつけられると反発するタイプでしょ?」
 
「うん、確かに。◎◎女子高はバイトしたり、音楽活動とかしてもいいの?」
「成績で学年100人の中で30位以内に入っていれば、してもいいらしい」
「わあ」
「冬子も、自由な学校を探してごらんよ。それか性転換して◎◎に行くか」
「ふふふ」
 
「でも決めた」と和泉は言った。
「ん?」
「実はね。★★レコードから、うちのレッスン受けてみないかって誘われてたんだよね」
「へー。凄いじゃん」
「レッスン通ってみる。でもこういうの、少しでも可能性のある子に大量に声掛けてるんだと思うけどね」
「でも注目されたってのは、第一歩だよ」
「うん、そうだよね」
 

ボクは翌日からは、合唱部の朝練も無くなったので、朝は8:30までにワイシャツとズボンの格好で出かけた。その朝。
 
「あれ、まだあんた行かないの?」と姉が言った。
「うん。合唱部の大会終わったから、もう朝練無いから」
「へー」
 
それでボクがワイシャツとズボンで出かけようとしたら姉は
「なんで、そんな格好で出かけるのよ?」
と言った。
「だって、朝練無いから」
「何かすごく違和感があるよ、そんな格好してる冬を見ると」
「そ、そう?」
 
学校に出て行っても、数人の女子から「ちょっとちょっと」と腕を掴まれ小声で言われる。
「なんで、そんな格好で出てくるのよ?」
「え? もう合唱部の朝練は終わったから」
とボクが言うと
「朝練、無くても女子制服で通学してくればいいのに」
「そうかな?」
 
そういう訳で、ボクはこの日、久しぶりに男子生徒として1日を過ごした。
 

ところがその晩、若葉から電話が掛かってきた。
 
「冬、合唱部の方の大会は終わったのね」
「うん。終わった」
「じゃ、約束。水泳部の方に参加してよ」
「ああ、いいよ。御免ね。遅くなって」
「明日、朝練やるから」
「ああ」
「朝、7時に学校に出てきてくれる?」
「早朝から寒そうだね」
「身体を動かせば暖まるよ」
「そうかな」
 
「朝は『制服』で出てきてね」
「へ?」
「だって、冬は女子水着を着るよね?」
「うん。女子水着しか着れないというか」
「ということは、着替えは女子更衣室だよね?」
「まあ、そうなるかなあ・・・」
「ということは、女子制服を着てきてくれないと」
「うっ・・・」
 
「放課後も練習はあるからね」
「あはは、ということは・・・・」
「明日から、冬子は朝は女子制服で出てきて、帰りは女子制服で帰ることになるね」
「またそうなるのか!」
 

そういう訳で、翌日火曜日から、またまたボクの女子制服での通学は再開してしまった。
 
ボクが朝6:40にセーラー服を着て出かけようとしていたら、姉が
「あれ?やはりそちらの制服にするんだ?」
と言う。
「うん。水泳部の朝練に参加するから」
「なるほど」
 
ボクが女子制服で学校の校門をくぐったら、ちょうど他の部の朝練で出てきていた同級生と遭遇する。
 
「あれ、またそちらにしたんだ?」
「いや。水泳部の朝練に参加するので」
「やはり、冬子ちゃんはそちらの格好の方が似合ってるよ。男子の格好してたら、何だか違和感ありすぎ」
「そうかな?」
 

そういう訳で、ボクの女子制服での通学はその後、夏休みが始まっても続き、8月13日の水泳部の大会まで続いたのだった。
 
長かったなあ。5月末からだから2ヶ月半、女子制服で通学しちゃったな・・・・などと思いながら、お盆を過ごしていたら、8月16日の晩に、チアリーディング部の協佳から電話が掛かってきた。
 
「冬〜、水泳部の大会終わったんだっけ?」
「うん。終わったよ」
「じゃ、チアリーディングの方に来てよ」
「えっと・・・・」
「9月は運動部の大会多いからさ。あちこちに出張して応援のチアするのよね。だから8月後半は練習〜」
「あ、でもボク、9月17日の陸上部の大会と18日の合唱部の合唱祭に出ないと」
「ああ、それは選手兼チアで行けばいいよ」
「ひぇー!」
 
「明日から朝練やるから」
「朝練?」
「暑くなってからじゃ練習辛いじゃん。だから朝7時から10時くらいまで毎日練習するよ」
「分かった。練習参加する」
「練習には『制服』着て来てね」
「へ?」
 
「部員全員女の子だし。着替える所に男子の格好した子がいたら困るもん」
「女子制服着てても、ボク男の子だけど」
「嘘つくのは良くない。冬は中身は女の子のはず」
 
という訳で、ボクの女子制服での通学は、またまた続いていったのである。
 
ボク、果たして男子制服でまた通学できる日は来るのだろうか・・・・ボクはちょっと不安になってきた。
 
 
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【夏の日の想い出・セーラー服の想い出】(3)