【夏の日の想い出・高校進学編】(1)
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(c)Eriko Kawaguchi 2012-08-10
ボクは中学3年の秋に失恋をして1ヶ月ほど落ち込んでいたものの、陸上部のOGである絵里花に「こういう時はパーっと女装しようよ」と言われて自宅に連れて行かれ、女装させてもらったら、たくさん涙が出て来て、そこで泣き明かしてそれをきっかけに立ち直ることができた。
しかしボクの失恋に関しては友人たちがみんな心配してくれていた。
ボクが振られた翌々日、小学校の時の友人で隣の中学に通う奈緒がいきなり自宅を訪問してきた。
「どうしたの?久しぶりだね」
「久しぶりって先週も会ったよ。冬のCDライブラリ聴かせてくれる?」
「いいけど・・・・」
奈緒はそれから週2回くらい、ボクの家に来ては、特に何かする訳でもなく、ボクの部屋にあるCDを適当に流しては、進研ゼミの問題集をやっていた。ボクは失恋のショックで何もせずにただボーっとしていたし、奈緒はボクに何も話しかけなかったが、気心の知れた友人なのでしゃべらなくても気まずくも無かったし、お茶を入れたり、お菓子を出してきたりして、一緒に食べたりして過ごしていた。
後から考えれば音楽なんてほとんど興味の無い奈緒がCDを聴きたがるということ自体、変なことで、落ち込んでいるボクに敢えて何も言葉を掛けずに、ただ一緒に居てくれた、彼女の優しさにボクは涙が出る思いだ。
奈緒の来ない日にはしばしば若葉が来て「プールに行こうよ」と誘ってくれた。これも後で考えてみると、奈緒の来ない日に若葉が来てくれていたというのは、ふたりで話し合ってしてくれていたのだろうけど、その時はボクはホントに何も考えていなかった。
若葉が来ると、ボクは自分のアソコを若葉に見られていることも意識しないまま(女子用)水着を着ると若葉と一緒に自転車で隣町の市民プールまで行き、2時間ひたすら泳いでいた・・・・と思う。「と思う」というのは記憶が曖昧だからで、若葉と一緒にプールに出かけた記憶だけは残っているので、多分泳いだのだろうという推測だ。それにやはりプールに行った日は爽快感もあった気がする。若葉とも何を話したのか覚えていない。たぶん何も話してないのではという気もする。ボクはただボーっとしていた。
奈緒と若葉が交替で来てくれていた感じなのに対して有咲はいつも突然ふらっとやってきて勝手におやつを食べ、姉の部屋の本棚から少女漫画を勝手に持ってきて読んでいた。有咲が突然ふらっとやってくるのは以前からなのでこちらも全く気にしていなかった。
「冬〜、自殺するなら他人に迷惑掛けないところで死んでね。電車に飛び込んだりしたら凄まじい迷惑だからね」
などとこの時期、有咲は言っていた。
「自殺か・・・・今、自殺する気力も無いよ」
「ああ、そんな感じに見えるね。オナニーしてる〜?」
「ははは。それする気力もない」
「私とセックスしようか?」
「へ?」
「私、今日とってもしたい気分なんだよね〜。冬とは恋愛感情抜きで出来そうだから、後腐れ無しで」
「そうだね〜。有咲とならできそうな気もする。でも避妊具の用意無いよ」
「私持ってるよ〜」
「誰かとしたの?」
「今年の8月にさぁ。絶対やることになると思ってデートに行ったらさぁ。デートどたキャン。んで、電話掛かってきて。ごめん。他の女の子と恋人になったって」
「そうだったの。。。。。気付いてあげられなくて御免」
「ううん。私、もう失恋3回目だから平気。最初の時は落ち込んだよ」
「そう」
ボクは思わず有咲を抱きしめた。
「えーっと、お布団行く?」と有咲。
「ごめーん。有咲とは友情しか無いし、正直な話、ボク女の子に対して性欲を感じないの。ってか、ボク自身女の子に恋愛感情持てるとは思ってなかったんだよね〜」
「うーん。。。。私は冬はバイだと思ってたよ」
「そうかな?」
「今回の恋ではさ、冬は男の子として相手を好きになろうとしなかった?」
「・・・・うん」
「多分、冬はその形では恋を維持できないよ。次に女の子を好きになったらさ、女の子同士として愛し合おうとしてごらんよ。冬はレスビアンラブならできるはず」
「・・・・・」
「冬、男の子として愛そうとしたらさ、自分自身が女の子なのに、という思いと恋愛感情が衝突するから、恋愛と同時に自分の性別認識まで揺らいでしまう。女の子同士の恋をするつもりでいたら、ちゃんと安定した恋愛関係が結べるよ」
「ああ、そうなのかも」
失恋直後の1ヶ月の記憶はほとんど飛んでいるのだが、有咲とこんな話をしたことだけはしっかり覚えている。
でも有咲とこの時、何かHなことをしてしまったのかどうかは、よく覚えていない。後でそれとなく有咲に聞いたら「ふふふふふ」などと笑っていた。
美枝が「走ると気持ちいいよ」などと言って、ボクをしばしばロードワークに誘ってくれた。若葉に誘われてプールに行って泳ぐのもそうだったが、ロードに出て5kmとか10kmとか走って汗を掻くと、確かに気持ちいい感じだった。結構この時期、こういったスポーツによってボクの精神は支えられていた部分もあると思う。
美枝とふたりで走ったりもしたし、また陸上部の後輩たちのロードワークに便乗して一緒に走ることもあった。
倫代もボクを発声練習に誘ってくれた。合唱部の方も既に3年生は引退しているのだけど、昼休みにボクの手を引いて音楽練習室に行き、防音個室を使って、一緒に音階を歌ったり、声域のギリギリを使う歌を歌ったりしていた。
「冬、凄いじゃん。今F6が出たじゃん」
「今の音、F6だっけ?」
「ああ、ふだんの冬ならちゃんと音程分かるのにね」
「今、何か頭のネジが何本か抜けてるから」
「ネジが無くなってるから、限界突破できるのね? よし今のキーでもう一度歌おう。身体に覚えさせておこうよ」
倫代と一緒にしていた発声練習も、一種スポーツのようなものという感じでやはり爽快感があった。倫代によれば、この時期ほんとうにボクはF6が出ていたらしいけど、ボク自身が立ち直った後は、どうしてもそんな高いキーは出なかった。たぶん出せたのだろうけど、出し方を忘れてしまったのだと思う。
主な友人たちの中で唯一人、ボクにこういう「優しいこと」をしなかったのが貞子だ。ただ彼女は
「辛い? でもこれは冬が自分で解決すべきことだからね。私は何も手伝えないけど、私がここにいることは忘れないで」
とだけ言っていた。
ボクの友人の女子って、わりと「漢らしい女子」が多いのだけど(実際この時ボクに同情したり「慰めよう」とした友人はひとりもいなかった)、貞子はその中でもトップクラスの「漢らしさ」を持つ。ボクはその貞子の突き放したような優しさに涙した。
担任の先生は「唐本どうした?最近宿題もやってこないが」と言ったが、他に陸上部の花崎先生や合唱部の上原先生も心配して面談室にボクを呼び出して、優しい言葉を掛けてくれた。ボクは何も答えられずにただ泣いていた。
ボクが1ヶ月ちょっとで立ち直ることができたのは、この優しい友人たちや先生たちのお陰という気もする。絵里花に女装させられた時、ボク自身の中でも、もうそろそろ立ち直らなきゃ、という気持ちが芽生えてきていたのだろう。
この失恋が自分にとって大きかったのは、有咲にも指摘されたように自分の性別問題との兼ね合いもあった。ボクは小学4年生頃から自分の性別のことで悩み始めていた。中3のこの時点で女の子と恋愛をした事は、自分はやはり男として生きなければいけないのだろうかという迷いを生じさせた。しかしその恋に破れたことで、もう男として生きる気持ちがほとんど無くなってしまった。それは物凄く大きな人生の舵取りだったので、その分悩むことも多かったようにも思う。
絵里花の家で女装させられた時、絵里花はボクの前に生理日調整用の低容量ピルを並べた。
「さて。この3つの内、2個は本物のピルです。1個は休薬用のプラセボです。1錠だけあげる。本物に当たる確率は3分の2」
「え?え?」
ボクはじっと錠剤を見つめ1錠取って飲んだ。
「さあ、今飲んだのは本物かあるいは偽薬か。それは神のみぞ知るだね」
「うん」
絵里花は薬を片付けた。
本当は絵里花はプラセボを3錠並べていたのだけど、ボクはその日はもしかしたらボクは女性ホルモンを飲んじゃったかもと思い込んでいた。それでやっぱり自分はもう男は捨てるんだという気持ちが固まって、結果的に心が安定した面はある。
でも、それが全部プラセボだよなというのには翌日の朝には思い至った。
絵里花さんがボクに本当の女性ホルモンを飲ませる訳ないもん、と思ってボクは微笑んだ。ああ、でも本当に女性ホルモン飲んじゃおうかなぁ、などと思って姉がどこから調達してきたのか、ボクの鞄に入れていた女性ホルモン剤の瓶を取り出し、ふたを開けてみる。3錠ふたに取り出した。
これ飲んじゃおうかな。。。。。もう男の子では無くなっちゃってもいいし。ボクはその時はそんな気分だったが、結局その朝は飲まずに錠剤は瓶に戻した。
そのプラセボを飲んだ翌日(朝女性ホルモンを飲むかどうか迷った日)は日曜日だったが、若葉が朝からやってきて「冬〜、プールに行こう」と誘ってくれた。
ボクが元気な声で「うん、行こう」と言ったので若葉は驚いて
「おお、立ち直ってる」と言った。
「全然。まだ落ち込んだままだよ〜」と言ったが、若葉は
「金曜日に見た顔と全然違う」と言う。
「よし。景気づけに新しい水着を買わない?」
「あ、お小遣いがちょっと・・・・」
ボクはその年、春から秋に掛けての恋人との交際でお年玉のストックを使い切っていて、お小遣いに余裕が無かった。
「私がお金貸してあげるよ。出世払い」と言って姉が1万円札を渡してくれた。
「1万円?」
「若葉ちゃんの分もね。冬、若葉ちゃんにたくさん水泳教えてもらってるでしょ? その御礼に水着くらいプレゼントしなさい」
「わーい、プレゼントしてもらおう。お姉さん、ありがとです」
「ううん。ちゃんと後で冬から回収するから」
「姉ちゃんに出世払いにしてもらっているものが増えて行ってる・・・・」
「今残高5万6千円だね」
「そんなに貯まってたっけ!」
「冬、歌うまいし。その内アイドル歌手になっていっぱい稼いで返してよ」
「それって、女の子のアイドル歌手ですよね?」と若葉。
「当然」
町に出て若葉と一緒に水着を選ぶ。その日はそんな気分だったので、凄く可愛いセパレート水着を選んでしまった。
「胸が無いのは開き直っちゃおう」
「うん、その意気、その意気。胸はシリコン入れちゃってもいいじゃん」
と若葉も煽った。若葉もわりと可愛い水着を選ぶ。
それで2時間プールで泳いだら、とっても気持ち良くなった。
「ここ1ヶ月くらい、ずっとボクを誘ってくれててありがとね」
とボクはやっと若葉に感謝するだけの心の余裕ができていた。
「それは奈緒にも言っておきなよ」
「うん」
「でも今日は冬のペースが凄いから、私付いてくの大変だったよ」
「そんなに飛ばしてたっけ?」
「うん。凄かった」
「へー。全然意識してなかった」
「意識してないから全開になったんだろうね。ちょっと疲れたな。疲労回復のサプリ飲んじゃおうかな」
と言って若葉は何かの薬のシートを取り出した。
「あ、冬にもあげるよ」
と言って、若葉はボクはにその錠剤を4つ分、切り取ってくれた。
「ありがとう」
と言ってボクは何も考えずにシートから錠剤を取り出すと口の中に入れ、ウーロン茶で飲み干した。
「あれ?若葉は飲まないの?」
「うん。生理を乱したくないから」
「へ?」
「今、冬が飲んだのはエストロゲンだからね」
「えーーー!?」
「箱ごとあげるね」
と言って若葉は薬の箱を4つ渡してくれる。
「これ1箱で3ヶ月分くらいあるはず。だからこれ1年分ね。ついでにこちらのお薬もあげる。こちらはプロゲステロン。1箱で4ヶ月くらいかな。3箱でだいたい1年分。代金は出世払いでいいから。中の薬の説明英語だけど冬は読めるよね?」
「あはは」
「毎日そのエストロゲン2〜4錠とプロゲステロン2錠くらい飲んでたら、たぶん半年で、おっぱいできるよ。まあ男性機能は消失して睾丸は機能停止するし、ペニスも一切反応しなくなるだろうけどね」
「少し考えさせてください」
「今4錠飲んじゃったから、数日は男の子機能使えないかもね」
「あはははは」
「でも冬って、そもそも男の子機能、もう使ってないでしょ?」
「昨夜は使った」
「へー」
「多分1年ぶりくらいかなあ」
「ほほお」
「次も1年後くらいかも」
「いや、たぶん、昨日のが冬にとって最後の男の子としてのひとりHだよ」
「そ、そうかな?」
そして若葉のその予言は本当のことになったのであった。
「だけど、冬って、男の子たちがオナニーの話してると恥ずかしそうに俯いているくせに、女の子とは結構平気でオナニーの話してるよね」
「そうだね。ボク自身少し気持ちよくなりたい時は、女の子式に指で押さえてぐりぐりとしてるから」
「ふーん」
「気持ちよくなるだけで充分だから、硬くなったりする前にやめちゃうけどね」
「脳逝きだよね」
「何それ?」
「女の子と同じ逝き方だよ」
「あぁ」
「女の子は射精しないからね」
「そうだよね」
「中にはあそこには全然触らずに妄想だけで逝っちゃうって子もいるみたいよ」
若葉はなぜか昔からこの手の情報に詳しかった。
「女の子って便利だね」
「たぶん、冬ならそれもできるよ」
「うーん。そう言われるとできるかもという気もする」
「でも男の子がするように、握って上下させたりしないの?」
「うん。それは少なくとも小学校の6年生頃以降はしてないよ。ぐりぐりしてると、自分ではクリちゃんいじってる気分になれるから」
「だったら、性転換手術受けちゃいなよ」
「お金無いもん」
「前、私が言ってた病院、タマ取るだけなら5万円でいいって。お小遣い貯めてお年玉プラスしたら、何とかなるんじゃない?」
「うーん。。。悩むな」
「ヴァギナ作らなくてもいいなら、おちんちん切って女の子の形にするだけってのも20万円でしてくれるらしいよ」
「う・・・・心が揺らぐかも・・・・」
「そういえば、冬はもう進学する高校決めた?」
「◆◆高校を受ける」
「え?※※高校じゃないんだ?」
「うん。昨日決めた」
「・・・・・Sちゃんと違う高校に行きたいからでしょ」
「若葉にはお見通しだね」
「でも、あそこレベル高いよ。かなり頑張らなきゃ」
「うん」
「奈緒も◆◆高校を受けるらしいけどね」
「ほんと? だったらちょっと気合い入るな」
「私は高校は私立行くから」
「ああ」
「◎◎女子高だよ」
「ああ、由維が中学から、あそこ行ってるね」
「そうそう。由維がいるからなと思って。知り合いがいないと、ああいう中高一貫校に途中から入るのは、辛いところだけどね」
小学校の頃は、ボク、奈緒、有咲、若葉、由維の5人でよく遊んだものである。
「ボクも◎◎女子校に行けたらいいんだけどね」
「まあ入れてくれないだろうね。アレが付いてる内は。どうしても行きたいなら願書出す前に切っちゃわなきゃ」
「そうだね〜」
翌月曜日、家に帰ると、奈緒と有咲が来て、お茶を飲みながら姉とおしゃべりしていた。
「おお、元気になったみたいだな、冬」と奈緒。
「ありがとう」
「木曜日に見た時と顔つきが全然違うね」と有咲。
「うん」
「そうそう◆◆高校を受けるんだって?」
「もう伝わってる!」
「何〜!? ◆◆高校??」と今聞いた姉が驚いて言う。
「あんたの頭じゃ、あそこ絶対に無理」と姉。
「頑張るもん」とボク。
「私は◆◆高校行くからね。今の所、模試の成績では合格安全圏」と奈緒。
「ボクは夏休みの模試の成績を合格判定システムに入力してみたらD判定」
「ふーん。それでも受けるんだ」
「夏休みの模試はボク、男の子の格好で受検してるからね」
「高校入試では女の子の服着て行くつもりなんだ?」
「ふふ。でもとにかく一所懸命勉強するよ」
「だよね。まずは勉強。ということで、私の進研ゼミのテキスト、中1の時からの持ってきたから、まずはこれを全部あげよう。冬ならできるよね。集中力凄いもん」
「ありがとう。何か適当なテキストをあげなきゃと思ってた」
「有咲はどこ行くの?」
「私の頭じゃ◆◆はどうあがいても無理。といって若葉みたいに私立に行くお金は無いし。といって、※※は校風が私の性格に合わないんだよね〜。絶対途中で退学になっちゃうよ」
「あぁ」
「性格的には◆◆に行きたい所なのよ。冬も多分◆◆は合ってるよ。自由な気風の学校だもん。勉強さえちゃんとしてれば、あまり生活面は注意されないでしょ? バイトもバイク通学もOKだしさ」
「確かにね。成績200番以内に入ってればバイトも免許取得もOKと言ってたね」
「ということで私は少し遠いけど、☆☆に行こうかと」
「あぁ。ちょっと面白い学校だよね、あそこ」
「うん。制服さえ無いからね。保健室でコンちゃん配ってるというし。在学中に結婚したっていいし。その一方で東大に毎年2〜3人入ってるからね」
「うん、あそこは勉強したい子は徹底的に鍛えて、適当に通いたい子はそれもまた認めてあげるって学校なんだよ。単位制だから4〜5年掛けて卒業してもいい。まるでフリースクール。でも遠いね」
「うん。通学に1時間半かかる。冬も気が変わったら、あそこ行かない?服装自由だからスカートで通学できるよ」
「いや、スカートはいいかな」
姉が笑っている。
「あれ? もしかしてずっと女装していたこと、お姉ちゃんにバレてる?」
と有咲が訊く。
「うん。バレてる」
「どうも、冬には女装の場を提供してくれるお友達が何人もいるみたいね」と姉。
「私は一時期、冬は小学校卒業とともに女装はやめたのかと思い込んでたよ」
「あ、やめる訳無いです」と有咲。
「うちでも女の子の服に着替えて一緒に休日に遊びに行ったこと何度かありましたよ。洗濯も頼まれたし」と奈緒。
「なるほどねぇ」
「私んちでも時々着換えてるけど・・・・たぶん、私や奈緒だけじゃないよね、こういう協力してるの」と有咲。
「えーっと」
「若葉がさあ、かなりの部分に関わってる気がするけど、あの子口が硬いんだ。私たちが訊いても何も言わないよね」
「そうそう」
翌週の進路に関する面談でボクが担任の先生に◆◆高校を受けたいと言うと、最初担任は絶句した。
「あそこは厳しいぞ。今の成績ではかなりきつい。特にここ2ヶ月ほど、お前かなり成績落としているし」
「ええ。でも頑張ります」
もう受験時期が押し迫っているので、担任の先生は
「どうしても◆◆を受けるというのなら、どこか私立を併願しなさい」
と言った。
ボクは私立は想定していなかったので、併願校はどこにしようかなと悩んだ。
自宅で母のパソコンを借りて進学情報サイトを見て、都内の私立高校の一覧を出した。校費をチェックして高そうな所を除外する。それから学校の規則とかが厳しそうな所を除外する。更に宗教系を除外する。偏差値を確認して高すぎる所と低すぎる所を除外した。10個ほどの候補が残った。
各々のホームページを眺めてみる。見ていた中で、女子の制服がちょっと可愛い雰囲気のところがあった。「あ、ここいいな」と思った。進学先を見ても結構国立に入っているようなのでレベルもそこそこあるようである。
ボクは母に◆◆高校を受けようと思っていること。自分としては絶対合格する自信があるが、ここしばらく成績を落としていたので学校の先生が私立を併願するように言っていること。それで自分で色々調べた所、少し遠いが♀♀学園というところを受けたいと思っていることを言った。
「ふーん。聞いたこと無い学校だけど、そこ学費は?」
「これ進学情報サイトの情報」
といって、その情報ページを見せる。
「まあ、このくらいなら許容範囲かねぇ」
「絶対公立で合格するから」
「※※高校じゃだめなの?」
「うん。ボク、名古屋大学受けたいんだよね。だから進学校に行きたいんだ」
「ああ。名古屋大学なら、リナちゃんたちと近くになるね」
「うん。それもある。こないだ電話してたら、リナも美佳も名古屋近辺の大学への進学を考えてるらしい。麻央は東京に出て来たいって言ってたけど」
「ああ、麻央ちゃんは男勝りだから、東京で頑張りたいかもね」
担任の先生にもそのことを言うと
「うーん。よく知らない学校だなあ」
と言ったものの、情報サイトで偏差値をチェックし、
「ああ、この偏差値なら、今の唐本の成績でも充分合格できそうだな」
と言ってくれた。
そういう訳でボクは公立の◆◆高校と私立の♀♀学園の併願で行くことにした。
12月になってから倫代が「合唱部のクリスマスコンサートに出ない?」と言ってきた。
「え?3年生はもう引退してるのに」とボクは訊いた。
「うん。でもクリスマスコンサートは特別だからね。受検勉強の気晴らしに出てくる子も毎年何人かいるんだよ」
「そういえば去年も3年生いたね」
「制服は・・・また借りられる?」と倫代。
「えへへ。実は冬服ももらっちゃったのです」
「なんだ。持ってるのなら、それ着て通学すればいいのに」
「実は何度か通学で着て来たのです。授業始まる前に学生服に着替えちゃったけど」
「意味無ーい。ちゃんと授業でも、セーラー服着てなよ」
「まだそこまで勇気が無いのです」
「通学路で着てる方が勇気いりそうなのに」
歌う曲目は今年は『王様の行進』(アルルの女のファランドールとしても知られているフランス民謡)と『メレ・カリキマカ』(ハワイアン・クリスマスソング)である。どちらもよく知っている曲ではあるが、譜面を一部もらい、音楽練習室で倫代と一緒に練習した。倫代の勧めでボクは今回はソプラノで歌うことにした。
「そういえば倫代は高校どこに行くんだっけ?」
「♪♪女子高校の音楽科」
「おお、凄い」
「落ちた時のために公立も併願するけどね」
「うーん。倫代の場合は私立が本命で公立が滑り止めか」
「♪♪女子高校ってね、男子でも入れるよ」
「えー?」
「実質共学なんだけど『女子高校』という名前をキープしてるんだよね」
「面白いね」
「冬もそこに入って『女子高』の出身にならない?」
「魅力的だけど、さすがにボクの音楽的な素養では無理だよ」
「冬、結構行けると思うけどなあ」
「ピアノもああいう所で競えるレベルじゃないし」
「そんなこと言わないでよ。私より上手いのに」
「ボク倫代みたいに32分音符の連続は弾けないよ。それに聴音も苦手だし」
「アー。この音は何?」
「A#5」
「全然苦手じゃないじゃん」
「うっ」
「冬って初見・即興に物凄く強いでしょ。それとハプニングへの対応がうまい。間違っちゃった時に、ほとんどの人が間違ったことに気付かないようにうまく誤魔化しちゃう」
「ああ、誤魔化し方だけは小さい頃からよく鍛えてある」
とボクは笑って答えた。
奈緒からもらった進研ゼミのテキストを11月中に1年生・2年生の部分を仕上げ12月に入ってから3年生の部分も仕上げた。奈緒・有咲・貞子・美枝と5人で集まり、過去の東京都の公立高校入試問題をタイマーをセットして解くということもした。このメンツの中では奈緒がダントツに成績が良い。自然と先生役となって、問題の解説をしてくれる。貞子は
「冬にこんな頭の良いお友達がいたなんて」
などと言っていた。
「貞子はもっと頑張らないと、目標高のラインに後少し足りないよ」
「最後は山勘だよ」
英語のヒアリング問題はボクが問題文を読み上げて、他の4人に解いてもらった。
「しかし美しい発音だなあ」
「ボクの発音は、洋楽のCDとか、洋画のDVDとかで慣れ親しんだものだけどね」
凄く気合いが入っていたので2学期の期末試験は各科目ともかなりの高得点を出した。
「惜しいなあ。中間テストがお前ボロボロだったからな。期末がこんな凄いのに、あまりいい内申点を付けてやれないよ。2年生の時の成績もあれだし」
と担任の先生が申し訳無さそうに言っていた。
「その分、入試で頑張りますから」
「本当に勉強頑張ってるようだな。この勢いで入試までもっと頑張れ」
「はい」
12月中旬に模試があったので受けに行った。期末では高得点を出したもののさすがに模試には、そういう短期間の勉強は通用しない。まだまだ勉強不足であることを痛感させる模試だったが、成績表では◆◆高校B判定になっていた。学力検査だけで判定されるならボーダーラインという判定である。しかしボクは内申点の低さをカバーするだけの点数を取らなければならない。ボクは奈緒に訊いて特に基礎力を付けるのによい問題集を買ってきて、必死に解いていった。
12月17日(日)。ボクは家で中学の女子制服に着替えて市民会館まで歩いて行った。3年生で出て来ていたのは、倫代と日奈だけだった。ふたりと何となくハグし合う。
「どこかでその制服に着替えて来たの?」
「ううん。家からこの格好で来たよ」
「おうちの人にはカムアウトしちゃったの?」
「ううん。日曜のこの時間帯、お父ちゃんはまだ寝てるし。お母ちゃんがトイレに入った隙に、部屋から出て居間にいたお姉ちゃんに手を振って堂々と玄関から出て来た」
「ああ、お姉ちゃんは冬のこういう趣味知ってるんだ」
「でも帰りはどうするの?」
「運任せ」
この時期、ボクは親に見られたらカムアウトしちゃえばいいと思っていたのだが、幸か不幸か一度も両親に女装姿を見られることは無かったのであった。
ボクたちがハグし合っているのを見て、下級生の何人かが
「倫代先輩〜」「冬子先輩〜」「日奈先輩〜」
と言って寄ってきて、しばしハグ大会となる。
「こういうのやると緊張がほぐれますよね」
「そういえば小学校の時はおっぱいの触りっこしてたね。本番前に」
「あの伝統、今でも続いてるみたいですよ」と1年生の子(伝統発生時4年生)。
「変な伝統作っちゃったなあ」
とボクと倫代は笑う。
合唱部で1年過ごさせてもらってコンクールにも出たが、やはりこのクリスマスコンサートの、のんびりとした雰囲気は良いなあと思う。何かを競うのも大事だが、こういう競わないものも大事だ。たぶんこういうのって音楽の両輪なのだろう。技術向上があってこそ良い音楽を生み出せるけど、一方で楽しむことも忘れてはいけない。
やがて出番となりステージに登る。ボクは小学6年生の時の合唱サークルの時以来、初めてソプラノの列に並んだ。2年生の子が指揮棒を振る。ピアノ伴奏が始まる。ボクは最前列で倫代と並んで大きな声で『王様の行進』を歌い始めた。
「聖なる人がお生まれになった朝に、贈り物を持つ3人の王が来る」
ソプラノとアルトが僅かな拍ずれて疑似追いかけっこになるようなアレンジをしている。行進曲なので、間奏の間にリズムに合わせて右を向いたり左を向いたりというパフォーマンスも入れた。こんなことまで許されるのもクリスマスコンサートならではだ。
『メレ・カリキマカ』の方はハワイっぽい、のんびりとした雰囲気の曲である。これを歌っていると、真夏のクリスマスという感じになっていく。ステージに立つのは3ヶ月ぶりだが、やはり気持ちいい。
思えば前回ステージに立った翌週にボクは失恋したんだった。クリスマスを祝う歌だけど、ボクはこの明るいクリスマスソングを歌っていて、それが自分の心の復活を祝う歌のような気がしてきた。そしてこのステージで歌ったことで、ボクは、やっとSのことを思い切ることができたのだった。
クリスマス、お正月と過ぎていったが、受験生にそのようなものは無かった。一応クリスマスケーキは食べたが、
「今年はチキンはパスね」
と言って、今年はボクはフライドチキンをクリスマスに作るのは免除させてもらい、その時間も惜しんで勉強をしていた。
仕方ないので母がスーパーでお総菜のフライドチキンを買ってきていたが
「冬が作ったものの方が美味しい」
などと姉も父も言っていた。
「萌依、あんた冬から少し料理習いなさいよ」
「ああ、無理〜。私、料理の上手な男の子と結婚するから」
「でも冬みたいに料理の上手い男の子はめったにいないよ、たぶん」
「そうだねぇ」
「冬と結婚する女の人は楽でいいだろうね」
「ああ。私、冬はたぶん男の人と結婚する気がするよ」と姉。
「うーん。そっちの方かね〜」
「だって、いい奥さんになりそうだもん」
「確かにね〜」
「ふふ。ボクはね、女の子の奥さんになるのが理想」
「ああ! 私みたいなタイプと結婚するのね」
「そうかも」
クリスマスイブも遅くまで勉強していたら、深夜トントンと部屋のドアを叩く音。
「なあに?」
「冬、ちょっとおいで」
と姉が自分の部屋に呼ぶ。
「今夜はクリスマスイブだしさ。プレゼント代わりに成人式で着る私の振袖ちょっとだけ着せてあげるよ」
「わあ・・・でもいいの?」
「私、着付けできないから、肩に掛けるだけ」
「うん」
ボクはそんなの着るのなら、ということでちょっと時間をもらって女の子の服に着替えてきた。ブラとパンティ、その上に膝丈のスカートとTシャツを着た上に、振袖を着せてもらう。着るといっても肩に掛けて前をちょっと合わせただけだが、鏡に映してみると「きれーい」と思わず言ってしまった。
「5年後には、冬自身で振袖買って着なさい」
「成人式に振袖か・・・・」
「まさか背広着て出たりしないよね」
「まさか」
「冬は私のよりもっと派手な柄が似合いそうだなあ」
「この振袖もきれいだよ」
「バイトで貯めたお金が吹っ飛んじゃったよ。それでも、半分お母ちゃんに出してもらったんだけどね」
「ボクも大学に入ったらバイトして振袖のお金貯めなくちゃ。ボクの分は半分親には出してもらえないかも知れないし」
「そうだね〜。まあ1割くらいなら、私が出してあげるよ」
「ありがとう」
「でも冬は性転換手術のお金も貯めなくちゃね」
「性転換手術か・・・・」
「受けるんでしょ?」
「えーーー、そうだなあ」
「女の子として生きていくつもりなら、早い内にやっちゃった方がいいよ。年齢が高くなるほど、その後が大変だよ」
「うん・・・・」
「成人式までに女の子の身体になっちゃうとか」
「資金的に無理って気がする。よほど怪しいバイトでもしなきゃとても100万とか200万とか、大学生の1-2年の内には貯められないよ」
「そうだね。まあ、焦らずに頑張りな」
「うん」
「怪しいバイトでなかったら、何かでどーんと稼いだりしない限り厳しいよね」
「何かでドーンか・・・・・」
「凄い発明して特許取るとか」
「あ、そういう頭はボク持ってない」
「歌手になってミリオンヒット出すとか」
「そんな売れるもんじゃないよ」
「株で一儲け」
「あれは1千万を1億にする技術だからね〜。20万円を200万円にするには辛い」
学校に内申書を書いてもらい、1月下旬に私立♀♀学園、2月頭に公立◆◆高校の願書を提出した。公立の願書を出した4日後が私立の入試であった。
ボクは自分の部屋でお気に入りのブラとショーツのセットを付け、白いブラウスを着た上に中学の女子制服を着た。リボンタイを結ぶと何かとても気分が昂揚する。
父は既に出かけていた。母が台所で片付け物をしている間に、あまり音を立てずに居間を通過し、玄関を出る時に「行ってきまーす」と言って出かけた。姉が笑っていた。「あっ。行ってらっしゃい」という母の声を戸が閉まる直前に聞いた。
♀♀学園に行くにはいったん電車で都心に出てから、地下鉄か山手線で移動し、また別の路線に乗って、かなり走る必要がある。東京というのは各地区と都心を結ぶ路線は発達しているが、地区同士を結ぶ路線はほとんど存在しない。これはホントにここに行くことになったら通学が大変だぞとボクは思った。
試験会場には開始30分前に着いた。受験票の番号を見て、指定の教室に行く。自分の番号の席を確認する。先にトイレに行っておこうと思い、それらしき所を探すが、男女表示が無くて戸惑う。でも女子の受験生らしき人たちが出入りしているので女子トイレみたいだなと思い中に入ると、確かに個室が並んでいて女子トイレのようである。空いている個室があったので中に入り用を足す。
ふっと息をつく。なんか若葉に言われたことあるけど、ボクって本当に学校の外ではかなり女子トイレに入ってるよなあと思う。ひとりで出歩いている時はけっこう男子トイレを使っているのだが、友だち(当然女の子)と一緒に行動している時はノリで他の子と一緒に女子トイレに入っちゃう。今日みたいに女の子の服を着ている時は女子トイレしか選択肢は無い。
紙であの付近を拭き、パンティを上げ、服の乱れを直す。流して個室から出て手洗い場で手を洗う。トイレを出て受験する教室に行き自分の番号の所に座った。
ぼちぼちと受験生がやってくるが「あれ?」と思う。なんか女子の受験生ばかりだ。◆◆高校に合格する気満々だったので、こちらは試験の前哨戦、試験に場慣れするため程度に考えて出てきていて、ろくにこの学校のこと調べてないけど、女子の比率が高い学校なのかな?
やがて試験監督の先生が入ってきて、注意事項を言う。そして試験が始まる。1時間目は国語だ。最初は文章を読ませて質問に答える問題。この手の問題は文章の中にちゃんと答えがあるから焦らずにしっかり読むことが大切だ。ボクは気持ちを集中して文章を読んでいった。
問題を解いている間に試験官の人がずっと席を回っている。どうも受験票の顔と受験者とを見比べている雰囲気。高校で替え玉受験も無いだろうけどな、という気はする。でも何年か前に女子受験生のお父さんが替え玉受験しようとして捕まった事件があったっけ。中高生世代のお父さんが女生徒の振りをするのはいくらなんでも無茶すぎるよな。そんなことをふと思っている内に、ボクの所にも試験官さんが回ってきて、ちょっと受験票が問題用紙に掛かっていたのを指で動かしてから、こちらの顔を見つめて、次の席に進んでいった。
2時間目は数学だった。わりと得意科目だけど気は抜けない。ひとつひとつの問題を良く読み、引っかけ問題になってないかというのを慎重に考えて問題を解いていく。ボクは微積分が出来るので、微積分を使った方が楽な問題はそれを使って解いて、中学生方式の解き方で解いたのと答えが一致することを確認しながら、回答していった。
お昼の休憩をはさむ。ボクは早朝からお弁当を作っておいたので、それを食べながら、頭を空白にしていた。こういう時は暗記項目などをやろうとするよりいったん頭を空っぽにした方が、だいたい実力が出る。しかし・・・ほんとに女子の受験生ばかりだなあ。男子の受験生を全然見ない。あるいはこの教室は女子ばかりだけど、他の教室では男子の比率が高い所もあるのだろうか?
お昼を食べたあとトイレに行ってきてから自分の机の所に座り、目を瞑って精神を統一する。やがて3時間目の英語が始まる。
英語は大得意だからスイスイ回答できる。ボクは時間の半分くらいで回答を終わり、2度見直した後で、答案を裏返しにして、目を瞑り頭を休眠させた。
ボクはこの英語で試験は終わりと思い込んでいたのだが「このあと面接です」
という案内があり、え? と思う。面接なら、この女子制服はまずいかなとも思ったのだが、まあいいやと開き直る。性別問題を指摘されたら指摘された時だ。どうせ本命ではないし。
受験生はいったん教室を出て、廊下で待機することになる。やがて1人ずつ受験番号で呼ばれ中に入る。1人の面接時間は3分くらいの感じ。ボクは自分の受験番号を考えて1時間待ちかなと考えた。進行状況を見て、あと15分くらいかなという所でいったんトイレに行って気持ちを鎮めた。
やがて呼ばれる。「失礼します」と行ってお辞儀をして中に入り、椅子に座る。
「●▲中学校の、からもとふゆこ君ですね?」
「はい」
あれ?冬子になってる?まいっか。どうせ女子制服着てるし。ボクはノリで女声で答えた。
中学でどんな活動をしてきたかを聞かれるので陸上部と合唱部で活動したこと。陸上部では地区大会で1度優勝したこと、駅伝で区間新記録を出して表彰されたことなどを言うと、面接官の人は大いに興味を持った感じである。でもこの手の話は内申書にも書かれているんじゃないかなあ。この高校を志望した動機に付いては、自由な校風であるように思えたこと、また上位の国立大学合格者を多数出していて、大学進学にも有利であると思えたことを語る。
「どちらの大学を狙っていますか?」
「名古屋大学の経済学部です」
「おお、それは頑張ってくださいね」
その他、自分の長所・短所についても聞かれたので適当に答えた。併願についても尋ねられたので正直に公立と併願していて、そちらに合格した場合は申し訳ないが辞退すると思うと言ったが、面接官の人は正直にそう言ったことを好感した雰囲気だった。面接時間は既定より少し長かった気もしたが、なごやかな雰囲気で面接を終えることができた。
丁寧にお辞儀をして退出する。
これでこの日の試験が終わったので、またいったん都心に出てから自宅に戻った。
「ただいまあ」
「お帰り、どうだった?」
帰宅すると姉だけだった。母は買物に出ているという。ボクは着替えにも行かずに居間でお茶を飲む。
「最近大胆だね」
「うん。お母ちゃんに見られたらその時カムアウトするつもりだから」
「見られる前にカムアウトすればいいのに」
「そうだね〜」
ボクがバッグから受験票と筆記用具を出し、面接の様子などを話していたら姉が「あれ?」と言う。
「なあに?」
「この受験票、名前が『カラモトフユコ』になってるけど」
「え?」
と言ってボクはよくよく受験票を見る。
「あれ〜。ほんとだ。なんでフユコなんだろ?」
「あんたが自分でそう記入したんじゃないの?」
「えー、まさか。ちゃんとフユヒコと書いたと思うけどなあ」
「あんたしばしばぼーっとしてるから」
「それでも自分の名前を書き間違うことはないと思う」
「でもあんた、自分の名前を冬子と思ってたりしない?」
「うっ・・・・」
「英検2級の合格証、Fuyuko Karamoto になってるよね」
「あっと・・・・あれはわざとかな。口頭試問にも女の子の服で行ったし」
「それは初耳だった。これもわざとじゃないの? だいたい今日も女子制服で受けに行ってるし」
「うーん。。。。」
合格発表は試験の翌日であった。ホームページで確認して自分の受験番号が合格者リストにあることを確認する。まあ、試験は三科目とも90点以上は取ったつもりだったし、面接の雰囲気も良かったから合格は確信していたのだが。
入学金と授業料・施設費を本来は今週中に納入しなければならない所を、手続きをすれば公立高校の入試の合格発表当日まで延期できるということだったので、母にその書類を書いてもらい、また女子制服を着て、提出しに行ってきた。
二週間後が公立の入学試験日であった。
結局うちの中学から◆◆高校を受けた生徒は3人であったが、願書は独立に出しているので、受験する教室はバラバラのようであった。
ボクは去年の駅伝で2度目の区間新記録を出した時につけていたブラとショーツを着け、この日は特に寒かったのでキャミを1枚着た上に、姉が高校の時に着ていたブラウスをもらったのを着て、その上にまた女子制服を着て出かけて行った。
前回の試験で、やはり女子制服を着て受験すると、自分の頭がフル回転してくれることを体験していたので、ここに合格するにはやはり女子制服で行くしかないと思っていた。
担任の先生からは君の成績では厳しいと言われたものの、ボクはこの高校の選抜方式に望みを託していた。ここは学力検査点と内申点の比率が7:3で入試の成績の比重が大きい。そちらで高得点を取れば充分望みがある。更に、この高校は理科と社会は都立高校の共通問題を使うが、英数国はこの高校独自の問題になっている。共通問題だと、ここを受ける生徒のほとんどが80点以上をマークするはずだが、独自問題なので平均点が下がる。その分、高得点を取れば内申点の不利を挽回できる。
(政子がこの高校に合格できたのもこのシステムのお陰だったようである。また政子の場合、数学の試験で途中経過を書かなくてよいため、答えだけ完璧に書いて満点を取ったのも大きかったらしい)
1日目の1時間目は国語であった。独自問題だけあって難しい。質問が引っかけになっていたのに気づき、思わず微笑む。慎重に問題を読んで回答していた時、教室内を回ってきた試験官に「君」と呼びかけられた。
試験に集中していたので、返事もできないまま顔を上げる。
「荷物を持ってちょっと来て」
と言われて試験官の人に促され教室の外に出る。受験票を手にした試験官が厳しい顔で言う。
「君、受験票の人物と違うよね。受験生のお姉さん?」
ボクは何を言われているのか理解できなかったが、5秒くらい考えてやっと事態を把握できた。
「済みません。戸籍上はそういう名前なのですが、私はいつもこういう格好をしているので」
とボクは中性的な声で答えた。こちらの高校の受験票はちゃんと?「冬彦」になっていた。
「ああ、そういう子なのか? ああ、そういえばこの写真は間違いなく君の写真だもんね」
「はい」
「君、中学の生徒証は持ってる?」
「持ってます」
と言って、ボクは自分の生徒手帳を取り出した。夏にうっかり一度、洗濯機に入れてしまって破損してしまったので再発行してもらったものだが、夏なのでワイシャツ姿で写真に写っている・・・・ようにも見えるが実はブラウス姿なのである。担任の先生は気付かなかったが、貞子には「大胆だな」と言われた。
「確かに・・・同一人物だよね。へー。生徒証にはブラウス姿で写ってるのか」
と試験官さんはボクが着ているものがワイシャツではなくブラウスであることに即気付いた。
「うちに合格したら、女子の制服で通うの?」
「その件に関してはまた後日ご相談させていただければと」
「うん。遠慮無く相談してね」
「はい」
「邪魔して悪かった。中に戻ろう。試験頑張ってね。君の分試験時間5分延長しようか?」
「ありがとうございます。時間は足りると思いますので、ご配慮不要です」
そういう訳でボクは試験会場で性別問題で少しトラブったものの、無難に試験を受けることが出来た。
2時間目数学、3時間目英語と独自問題による試験が続く。どれもハイレベルでなかなかハードだったが、そのレベルの高い問題でけっこうな点数を出した自信があった。特に英語はほぼ100点を取ったつもりだったし、数学も多分90点は行っていると思った。国語がおそらく80点くらいに留まりそうなので、それがどうなるかが鍵だろうか。内申点の予想からすると、5科目合計で450点くらい取る必要がある。
昼食の休憩となる。ボクが中庭で半ばボーっとしつつのんびりとお弁当を食べていたら、奈緒が通りかかって声を掛けてきた。
「おお、ほんとに女子制服で受けに来たんだ」
「うん。やっぱりこういう格好した方が頭がよく働く」
ボクは1時間目に性別問題で咎められたことを話した。
「まあトラブって当然だよね。でもそう答えたってことは、冬はここに合格したら、女子制服で通わなきゃね」
「ははは。けっこう通いたい気分」
「お母さんに話してみなよ」
「そうだなあ・・・・」
「手応えはどう?」
「自分では頑張ったつもりだけど、どうかな。午後の理科・社会を両方90点くらい取れたら合格できそうな気もするんだけど」
「午後は共通問題だからね。みんな高得点になるだろうけど、冬も行けるでしょ?」
「うん、頑張る」
「どこか併願したんだっけ?」
「うん。私立の♀♀学園。一応合格している」
「はあ?」
「何か?」
「だって♀♀学園は女子高なのに」
「えーーーーーー!?」
「知らなかったの?」
「うっそー。。。。。そういえば受験生が女子ばかりだなと思った」
「ってか、なぜ冬が女子高を受験できて、しかも合格しちゃうのよ?」
「あはは」
「面接も受けたんだよね?」
「うん。この女子制服でだけどね。ボク面接まであること知らなくて、ぎゃっと思ったけど」
「私立はたいてい面接あるよ。でも何か変だと思わなかった?」
「うーん。。。。あ、そういえばトイレに男女表示が無かった」
「そりゃ女子高だもん。男子トイレは不要だから」
「よく考えたら、願書に性別欄が無かった」
「そりゃ女子しか受験しないもん」
「はあ。。。。どうしよう」
「ということは冬はここ◆◆高校に合格して女子制服で通学するか、あるいは女子高の♀♀学園に通うかしか、選択肢は無いってことね」
「ひぇー」
「まあ、どっちみち女子高生になるしか無いんだから、入学式の前に性転換しちゃえば、女子高にも通えるんじゃない?」
「うむむ」
「切る痛みは一瞬、切らぬ苦しみは一生だよ。思い切って切っちゃったら?」
「凄く切りたい気分・・・」
午後からの理科と社会は、不得意科目ではあるが、都立高の共通問題で易しいので、スイスイ回答することができた。一部分からない所を勘で書いたが、どちらも90点前後にはなりそうだという気がする。
だいたい合計で440〜450点くらい。内申点と合わせて合格ラインを50点くらい超えたかなという気がした。内申点が悪い場合、本来の合格ラインより高めの点数にしておかないと、恣意的に落とされる場合もあるという話を聞いたこともあったので、そのくらいの点数を取ることを目標に勉強してきていた。
(政子はボクより内申点が悪かったようだが、数学が満点、理科・社会も満点に近い点数で、5科目合計がやはりボク同様440点くらいになり合格できたようであった。ただ高校に入った後で先生から聞いたのでは、ボクにしても政子にしても中学時代にクラブ活動を熱心にやっていたのがプラス評価されたのもあったようである(政子は中学時代は吹奏楽部でフルート担当)。いづれにせよ、ふたりとも合格者の中では最低線付近だったようである)
公立高校の合格発表は3月1日に行われた。ボクは合格していたことに安堵し、♀♀学園の方には入学辞退の連絡を入れた。
合格発表の翌日、ボクは母と一緒に入学手続きをするのに学校を訪れた。その日は母と一緒なので、ボクは白いセーターに黒いスリムジーンズという格好で出て行った。
入学金を払ってもらい手続きをした後「3階の物理教室に行って」と言われるので、その言われた教室に入っていくと「制服の採寸をしますね」と言われて、身体のあちこちの寸法を測られる。
「あれ?ここ制服あったんだっけ?」と母。
「学生服と思ってたけど・・・」とボク。
「そうですね。男子は学生服ですが、女子は指定の制服がありますから」とどうも洋服屋さんのスタッフっぽい人。
「標準のSサイズでかなり行けますが、細い割に背丈があるのでブレザーの着丈を少し長くした方がいいですね。スカート丈も長めがいいですね。ではちょっとこれ着てください」
と言われて、ブレザーを着せられ、スカートも渡されたので、ついこちらもノリでジーンズの上から穿いてしまう。スタッフさんがスカーフを結んでくれた。わっ。何かこれ可愛い!と思って笑みが出るが、母は目を丸くしている。
「はい、そこに立って。写真撮影します」
とカメラを持った人に言われ、2枚写真を撮られた。
「ねぇ、あんた・・・こういう服で通学したいの?」と母。
「結構その気になってるかも」とボク。
「もしそういう気だったら、お父ちゃんと相談して」
「うん・・・・」
「あれ?まだこちらへの入学、決めておられないんでしたっけ?」
とスタッフさん。
「それでしたら、採寸表、作りましたので、こちらに入学なさる場合は来週中に○○○屋の本店までお持ちください。あるいは電話連絡頂いても構いません。来週の金曜日20時までに発注しないと入学式に間に合いませんので、よろしくお願いします」
「分かりました」
といった会話をして、ボクと母はその部屋を出た。
「今のはたぶん何かの間違いで採寸室に案内されちゃったんだろうね」
と帰り道、母は言った。
「そうだね。ボクよく性別間違われるから」
「私さ・・・時々悩むことあるの。冬って私の息子なんだろうか、それとも私の娘なんだろうかって」
「・・・・・ボクね。成人式に振袖で出ちゃうかも」
「そっかー」
ボクたちはしばらく無言で歩いていた。
「ところで、あんた、まだおちんちんあるんだっけ?」
「あるよー」
「こっそり取っちゃってたりしないかと思ってさ」
「うーん。。。取りたくなった時は必ず事前にお母ちゃんに言う」
「そう。。。」
母はしばらく沈黙した後で言った。
「ところでこの採寸表どうする? 女子制服作る?」
「すっごく作りたい気分」
「じゃ、作るかどうかは冬、あんたが自分で決めなさい」
と言って、母はボクに採寸表を渡した。
「今すぐでなくてもいい。作りたいと思った時に、これお店に持って行って。お金は言えばその時あげるから」
「・・・・・うん」
ボクはそれを受け取ってバッグの中にしまった。
高校の入学祝い、ということでおじさん・おばさんたちから結構なお祝いをもらってしまった。ボクはその半分を母に渡し、残ったお金の内3000円だけ残して、他を取り敢えず貯金することにした。3000円くらいの予算で買いたいものがあったのだ。
ボクは小学生の時に絵画コンクールの賞品でもらったミニーマウスのボールペンを愛用しているのだが、(女子として通うにしても)さすがにこれを高校には持って行けない。そこで、学校に持って行っても構わないような適当なボールペンが欲しいと思っていた。
普段使いには100円か200円のボールペンでもいいのだが、やはり書きやすい道具は思考の邪魔をしないので、ストレートに自分の力を出すことができる。それを、このとっても書きやすいミニーマウスのボールペンで、ボクは学んでいた。
都心に出て、前から目を付けていたデパート内の文具店に行き、勘と雰囲気で何本か出してもらって試し書きしてみる。ボクが試しているボールペンの傾向を見て、お店の人も「これなどどうですか?」と言って出してくれる。そんなことをしていた時、唐突に、ケースの中に並んでいるボールペンの中の1本が物凄く気になった。
「すみません。そこの赤いボールペン、見せてもらえませんか?」
「はいはい」
と言ってお店の人が出してくれたのを試し書きすると、書きやすい!!見てみるとセーラー万年筆製だ。高級そうなのに軽くて、握力の弱いボクにも負担が無い。
「すみません。これおいくらですか?」
「4725円です」
ぐっ。ボクはお祝いを3000円だけ持ち出してきていた。普段使いの財布を確認するが小銭は900円ちょっとしかない。帰りの電車賃分のことは考えずに全部注ぎ込んでも足りない。でもこのボールペン、絶対欲しい。
「済みません。このボールペン買いたいので、今からお金持ってきますから、取っておいてもらえませんか。取り敢えずこの3000円置いていきます」
「大丈夫ですよ。手付金を頂かなくても、きちんとキープしておきますから。お名前とお電話番号だけ頂けますか?」
「済みません、お願いします」
と言ってボクは自分の名前と自宅電話番号を書き、家に戻ろうとした所で、いきなり誰かとぶつかる。
「きゃっ」
「わっ、ごめんなさい」
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【夏の日の想い出・高校進学編】(1)