【夏の日の想い出・ひたすら泳いだ夏】(2)

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身体を冷やさないように上にジャージの上下を着てしばらく休みながら観戦している内にトイレに行きたくなった。石岡さんに言われたように女子トイレに入る。例によって列ができているので、順番を待っていたら、声を掛けられた。
 
「済みません」
「はい?」とボクは反射的に女声で答える。
 
「さっき男子の1500mで走っていた人ですよね?」
「はい」
ボクはあちゃー。男とバレたか?面倒だなと思ったが彼女は思いがけない言い方をする。
 
「あ、やっぱり女子ですよね。あれ〜?男子のレースに女子が走ってると思って見てたんです」
「あはは、ちょっと色々事情がありまして」
「それでトップ争いするって凄いなあと思って。3000mにも出ます?」
 
「ええ。出ますよ」
「頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。そちらは何かに出ます?」
「ええ。女子の800mに」
「頑張ってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
ボクは彼女と握手をした。
 

1500mの1時間後に今度は3000mである。1500mを走った疲れはもう回復している。充分筋肉も揉みほぐしている。ボクは気持ちを集中してスタート地点に行った。1500mで優勝した彼も来ている。彼が手を上げて挨拶する。ボクも笑顔で会釈した。
 
スタート地点に並ぶ。静かに号砲を待つ。スタート。自然に手足が全力走の態勢で動き始める。最初最高速度で飛び出して先頭グループに入ると「ハ・ハ・ハー」
という三拍子で呼吸しながら、ペースを維持する。さすがに3000mは長い。戦略が必要だ。先頭集団はけっこうなハイペースで走っているので、途中1人、2人と脱落していく。次第に集団が縦に長くなってきたので、ボクは少しポジション争いをして前の方に出た。やがて集団はふたつに分裂してしまった。
 
先頭4人でペースを維持して走って行く。既にトラックを4周半している。あと3周。お互いに「いつ仕掛ける?」という疑心暗鬼の状況。仕掛けるのはいいがそこからゴールまで自分の体力が持つかという問題がある。できるだけ遅く仕掛けたいが、あまり先になると競り負ける恐れも高くなる。
 
残り2周という表示を見て、ひとりの選手がスパートを掛ける。ボクと1500mで優勝した子がそれに付いていき・・・・そのままその子を抜いて前に出た! ボクと彼とでほとんど続いて走る。彼が前、ボクがその後。彼がボクを引き離そうとスピードを上げるが、ボクも負けるものかとそれに付いていく。そのままの状態でボクたちはトラックを1周半走った。
 
残り200m。彼が猛然とスピードを上げた。ここが勝負所だ!ボクはそう思うと、残る力を振り絞るようにしてスピードを上げ、彼を追い抜いて前に出た。そのまま前傾姿勢にして重力を使って加速する。絶対負けるものか。
 
そう思ったものの、それを彼がまた抜き返す。ゴールはもう目前だ。
 
ここでボクはもうこれ以上は無理というほど手足を動かす。もう自分の限界はとっくに突破していた。そして必死で走り、彼とほとんど同時にゴールした。
 
正直、どちらが勝ったか分からなかった。少し走りながらペースを落としてゴール脇に戻ってくる。彼も大きく息をしているが、こちらも大きく息をしている。
 
ゴールの所にいた係員の人が話し合っている。ボクはそれを何も考えずに見つめていた。やがて係員の人が来て、ボクと彼に「同着、ふたりとも一位」と告げた。ボクと彼は微笑み合って、握手をした。
 
「でも凄いな。君、女子だよね。さっき1500の時に見た目女の子っぽいと思ってたけど、握手した時の感触で、やっぱり女子じゃんって思った」
「えっと、まあ」とボクはつい女声で答えてしまう。
「俺もう3年だから、卒業してしまうけど、また戦える機会があったら戦おう」
「はい」
 
ボクたちはふたりとも1位の賞状をもらうと、また握手して別れた。戻る途中、賞状の名前が「唐本冬子」になっていることに気付く。うっそー! 1500m2位の賞状はちゃんと「唐本冬彦」になっていたのに。
 
そういう訳でボクの陸上部時代の唯一の「1位」の賞状は「唐本冬子」名義なのである。
 

チームの所に戻ると、もう凄い騒ぎである。
「冬ちゃん、やったね!」
もう絵里花はボクにハグして頬にキスまでした。貞子・美枝・若葉とも抱き合う。
 
「今の唐本の優勝で、たぶんうちのチーム逆転で1位になったよ」
「よし。ダメ押ししてくる」
と言って絵里花は女子1500mに出て行った。400m,800mでも優勝している(800mではボクがトイレで遭遇した子が3位に入った)。ここで絵里花が勝てば、そのまま逃げ切れそうである。
 
レースは絵里花がライバルと言っていた選手と最初からふたりの激しい争いになった。抜きつ抜かれつを何度も繰り返す。どちらも相当体力と精神力を消耗しているはずだ。
 
しかし最後の一周になって絵里花が猛然としたスパートを掛けると、ついにライバルの選手はそれに遅れてしまった。
 
結局3mほどの差でゴール。この優勝でうちのチームの総合優勝が確定した。
 

「花崎先生に優勝をプレゼントできて良かった」
 
大会が終わった翌日の月曜日、ボクたちはグラウンドのいつもの集合場所に集まって話していた。
 
「まあ、これで私たち3年は辞めちゃうけど、2年生・1年生中心に頑張ってね」
と絵里花さん。
 
「そういうわけで、今日は新しい部長・副部長を決めたいのだけど」
と現部長の石岡さん。
 
「部長は野村君だよね」と貞子が発言する。
「異議無し!」
 
駅伝でも春・秋の大会でも大活躍した野村君を、みな次の部長と思っていたようで、賛成の声が多く出る。
 
「じゃ、野村でいいな?」
ということで、新部長は野村君に決まった。
 
「それで副部長だけど」
「冬ちゃんでいいんじゃない?」と美枝。
「あ、私も冬子先輩がいいと思います。熱心に練習してるし、みんなの面倒見がいいし」と1年の女子。
その他にも賛成の意見が多数出る。
 
「あのぉ・・・済みません。ボクもこの大会終わった所で辞めるつもりでいたんですけど」
「えー!?」
「だいたい、副部長は女子から選ばなくていいんですか?」
「お前女子だろ?」
「うっ」
「冬、やりなよ」
 
「ごめんなさいです」
「しょうがないなあ。じゃ誰に頼むかなあ。俺も副部長は唐本のつもりでいたんだけど」
「ボクは貞子を推薦します」とボクは言う。
 
「ああ、前村もいいな」
「ちょっとちょっと」と貞子が焦っている。
「ああ、練習はサボりがちだけど、2年女子の中ではいちばん足が速いしね」
「陰の実力者だよね」
「えーっと」
「よし、じゃ副部長は前村ということで」
「異議無し!」
 

陸上部を辞めてしばらくは、学校が終わってそのまま帰るのが何だか変な感じだった。一緒に辞めた美枝とふたりで何となく図書館で1〜2時間過ごしてから帰ったりしていた。
 
そして1ヶ月ほどたった時、ボクはあることに愕然とした。
 
「秘密の場所」に隠しているスカートを夜中にちょっと穿いてみようかなと思って出してきて穿いてみた時、ウェストが入らないのである。そしてその時最近、身体を動かすのがきつい気がしていたことに思い至る。
 
体重を確認したら52kgであった。陸上部を辞める直前は40kgだった。陸上をしていた頃は、いくら食べても太らなかったのに! 加藤先生からもせめて45kgにしようかと言われて、頑張って食べていたのだが、毎日の練習で消耗するカロリーが大きくて、体重増には至らなかった。
 
ボクは少し体重を落とそうと思った。
 
走るのがいちばん良さそうな気もしたのだが、走ってたら「陸上部にちょっと来い」
と言われそうである。
 
さこでボクは泳ぎに行くことにした。
 

夏に練習に行っていた隣町の○○市民プールで、毎日放課後2時間泳ぎ始めた。筋力をしっかり鍛えているので、少し体重は増えたものの快速に泳ぐことができる。毎日行くので定期券を買うことにしたが、ボクは女子の水着で泳ぐので、定期券は「唐本冬子」名義で作ってしまった。考えてみると、この手のもので「唐本冬子」名義のものを作ったのはこれが最初かも知れない。定期券を申し込む時の用紙で、性別の所を女に丸付けするのが、ちょっとドキドキした。
 
しかしこの定期券は速攻で姉に見つかってしまう。
 
「おお、冬子ちゃんの定期券だ」
「返してよ〜」
「もっと見せてよ。お、性別・女だって」
「だって、女子更衣室のロッカーの鍵もらわないといけないから」
「ふーん、冬子ちゃんは女の子だったんだね」
「いいじゃん」
「私、妹が欲しかったんだよね〜。冬子ちゃん、私の妹になりなさいよ」
 
「妹か・・・・」
「・・・あ、自己陶酔してる」
「ね、性転換手術受けて本当の妹になってよ」
「え・・・・」
「あ、その気になってる、なってる」
 

「えーっと。あ、それでお願いがあるんだけど」とボクは我に返って言う。
「ん?」
「毎日泳ぎに行くのに、今持ってる水着1枚だと洗濯して乾く間が無いんだよね。もう1着買いたいんだけど、水着って高いからお小遣いじゃ足りなくて。出世払いで水着を買ってくれない?」
「いいよ」
「ありがとう」
 
「よし。かぁわいーの買ってあげるね」
「えっと純粋に泳ぎたいから、機能優先で」
「同じ機能なら可愛い方がいいじゃん」
 
ふたりで一緒に町に出て、スポーツ用品店で選ぶ。
「ねえ。ビキニなんて着てみない?」
「無理。胸が無いもん」
「豊胸手術しちゃう?」
「お金無いから」
「ふーん。お金があったらしたいんだ」
「えーっと、普通に競泳用のでお願いします」
 
「これなんか可愛いよ。ブラとパンティとワンピース3点セット」
「いや、それ結局ワンピを脱げないから」
「これは?セクシーだよ。ブラとパンティが細い布でつながって一応ワンピース」
「その胸が無いから」
「しょうがないなあ」
 
結局おとなしめのドレスタイプの水着を買ってくれた。水玉模様が可愛い。
 

水着を買ってくれた後、姉がちょっと付き合いなさいというので付いていったらエステサロンだった。女性専科・男性の方は立ち入りをご遠慮ください、などと書かれているので、ボクはちょっとビビる。
 
「この脱毛どこでも1000円の優待券使いたいんですが」と姉。
「はい。ありがとうございます。こちらにお名前と生年月日、連絡先をお願いします」
姉が「唐本冬子・1991年10月8日生」と記入するので仰天する。
 
「あ?中学生さんですか?」
「ええ、この子、顔の毛が濃いので脱毛させてあげようと思って」
 
えーー!?何それ?
 
「18歳未満の方の場合、親御さんの同意書を頂くようにしているのですが」
「はい。持って来ました」と言って姉は提出する。
 
いつの間にそんなものを準備してたんだ?でも親の同意って。。。と少し考えて姉の偽造だと気付く。
 
「それから、生理がまだ不安定な方はお断りしているのですが」
「冬子、生理はいつ来た?」と姉が突然こちらに訊く。
「えっと、先週だけど」
「その前は?」
「先月の10日くらいだったかな」
「定期的に来ているようですね」
と受付の女性は微笑む。
 
待合室でしばらく待つ。姉が小声で言う。
「やはり冬子の部屋のカレンダーについてる赤いマーク、生理の日だよね」
ボクはちょっと顔を赤らめてうなずく。それはこの時期ボクがしていた「お遊び」
で、自分で生理の日を決めて、カレンダーに赤いマークをつけ、その日は密かに女物のショーツをつけ、こっそりトイレから持ち出したナプキンもつけていた。しかし姉にはバレていたようである。
 
ボクたちはしばらく待ってからまずカウンセリングルームに通される。エステティッシャンの人がボクの顔の肌をチェックして「ああ、確かに濃いですね」
と言う。いくつか質問されたが、中学生の女子として無難な感じの答え方をした。
 
やがて施術を受けることになる。
「痛いですけど我慢してください」
と宣言されたので覚悟を決める。そりゃ痛いんだろうな。。。
 
ベッドに寝て、心を安らかにする。最初にカミソリで剃られた。朝剃っていたはずが少し伸びていたようだ。そのあと顔にジェルを塗られる。それから大きなサングラスを掛けさせられた。全然見えない!目は瞑っていてくださいと言われる。身体をリラックスさせて気を集中する。
 
エステティッシャンの人が
「行きます」
と言われて、すぐに顔にチクッという尖ったもので突かれたような痛み。確かに痛いなあと思ったが、想像していたほどではなかった。その痛みがしばらく連続する。きゃーっと思うが、こちらは俎板の上の鯉だ。
 
そんな感じの痛みが5分くらい続いたろうか。
「はい、終了です」
と言われ、ジェルを拭き取り、冷却剤を当てられた。冷たーい。10分くらいそのまま冷やした後で開放される。そしてこれはあくまで今生えていた毛に対してだけの効果なので、毎月1回、10回程度来てもらった方がいいという説明を受けた。
 

「まぁ、気休めだから」とエステを出てから姉は言った。
「たまたま優待券もらってたからね」
 
「まだ痛い」
「今日いっぱいは痛いかもね。それと本気で脱毛するなら、美容外科に行かなくちゃね。それはお値段も高いから自分でバイトして稼いでから行くといいよ」
「うん。そうする」
 
「放課後にプールに行くんなら、朝剃ったヒゲが少し伸びちゃうからさ」
「うん。さっきも剃られてて、わあこんなに伸びてたかと思った」
「女の子としての生活を持つなら、毛の処理はきちんとしないといけないよ」
「うん」
「女の子の下着も少し買ってあげようか?」
「いや、いい」
 
「プールの更衣室でまさか男物の下着は晒さないよね」
「それは女物を着ていくつもりだった」
「私は冬が男物の服ばかり着てるより、そんなのを身につけてる方が安心するよ」
「そう?」
「この1年半ほど少し心配だった」
 
それでもボクはこの時期学校には男物の下着を着けて出かけていたし、休日に友人と遊びに出かける時もそうだった。
 
エステでの脱毛はあくまで気休めと言われたものの、その後しばらくはヒゲを全く剃らずに済んだ。その内また生えてくるものの、以前より少なくなったような気がした。
 

毎日の市民プール通いでは、プールまで自転車で出かけるが往復のサイクリングが準備運動と整理運動も兼ねていた。ボクは実際には自転車でプールまで行き、そのプールの近くの道路を軽く4kmほど走ってから、プールで休憩をはさみながら実質1時間くらいクロールで上級者コースをひたすら泳いだ。最後は初級者コースに移動して、平泳ぎや背泳でのんびりと往復し、身体をクールダウンさせた。
 
もうシーズンオフなので人も少なく、のびのびと泳ぐことが出来た。これを続けているうちにボクは12月の末頃には体重を48kgまで落とすことができた。
 
ボクはこの時は泳ぎ続けていれば更に体重が落ちるのかもと思ったのだが、少々運動をしてもこの時期は48kgより下には落ちなかった。つまりこの「48kg」
というのが自分にとって適正体重なのかなと当時ボクは思った。実際52kgでは体重が重すぎてきつかったが、48kgは軽快に動くことが出来ていた。
 
なおプールではボクはいつも女子更衣室で女子水着に着替えて泳いでいたが、さすがに毎日プールに通っていると、もうそれが普通になってしまった。水着はプールに行く前に家で着込んでいくのだが、泳いだ後は水着を脱いで普通のブラとパンティを身につける。結果的にこのプール通いは毎日女物の下着をつけるということにもなった。
 
それが普通になってしまうと、学校に男物の下着を着けていき、体育の時間に男子更衣室で着替えることの方に微妙な違和感を持つようになり始めていた。おそらくは、この頃がボクの性別意識の目覚めの時期なのだろう。
 
そしてボクの毎日のプール通いは翌年の夏まで続いた。
 

12月の中旬、絵里花から電話が掛かってくる。
「冬ちゃんさ、今年もサンタガールのクリスマスケーキ配達、頼める?」
「はい、いいですよ」
「私が今高校の受験勉強中だからさ、全部配って欲しいんだけど」
「頑張ります」
「報酬は色つけてもらうから」
「そんな高額でなくてもいいですよ〜。配ること自体が楽しいから」
「ああ、女の子の衣装を着れること自体が楽しいよね」
「えっとぉ」
 
「まあ、いいや。23日の金曜から25日の土曜まで3日間でたぶん140軒ほどに配るんだけど」
「ちょっと待ってください。その量はひとりでは不可能だと思います。24日の指定が多いですよね?」
「あれ? そうかな? 去年より量が多いような気はしたんだけど。確かに指定は24日が7割くらいだと思う」
「貞子に声掛けてみようかな。ふたりで配れば何とかなると思う」
「うん。貞子ちゃんも私や冬ちゃんとあまり体型の差が無いから同じ衣装で行けそうだね」
 
貞子に連絡してみると、23日と25日は都合がつかないものの24日は大丈夫ということだったので、24日だけ貞子とふたりで手分けして配ることにした。
 
事前に衣装を合わせてみようということで、ボクと貞子のふたりで絵里花の家に行く。
 

「へー、冬は去年のクリスマスにこの衣装を着てケーキを配ったのか?」
と貞子が面白そうな顔をして言う。
「絵里花さんが足をひねっちゃって、その臨時代理だったんだけどね」
「ふっふっふっふっ」と貞子が含み笑いをしている。
「何よ?」
 
「言いふらしちゃおうかなあ」
「今更だから気にしないもん」
「うーん。そうか。残念」
 
貞子もサンタガールの衣装を着るとぴったりという感じである。
 
「じゃ、これと同じサイズの衣装をひとつ調達しておくよ」と絵里花。
「勉強どうですか?」
「分からないよぉ。もう天に祈るしかないって感じ。あんたたちもしっかり今から勉強してたほうがいいよ」
「あぁ。1年後の自分の姿を見るみたいだ」
 
「冬ちゃん、最近あまり女装させてあげられなくてごめんね。高校に入ったらまた着せ替えごっこしようね」
「いや、別に女装はいいですよー」
「私、冬は自分でも女物の服、持ってるんじゃないかって気がしてるんですけどね」
と貞子が言う。
 
「そんな気もするけど、自白しないよね、この子」
「あはは」
「ねえ、冬ちゃん。私卒業した後、中学の制服をあげようか?」
「ああ、それいいですね。それで3年生は女子制服で通うんですね」と貞子。
「えーっと」
「今更冬がセーラー服で学校に出てきても誰も驚かない気がするんだけどなあ」
「そんなことないと思うけど」
 
「そうだ!取り敢えず試着試着」
と言って、絵里花は自分の制服を出して来て、ボクに着るように言う。
 
ボクは頭を掻きながら、着て来た服を脱ぎ、渡されたセーラー服の上下を身につけた。
 
「おお、ちゃんと女子中学生に見える」
「誰も違和感持たないね」
「うーん。。。。」
 
「そうだ、絵里花さん、この制服を今度の日曜に貸してもらえませんか?」
「日曜ならいいよ」
「それでどこかに行くつもり?」と貞子。
「合唱部のコンサートに行くんだよ」
「ああ、なるほど」
 

ボクは9月の下旬で陸上部を辞め、そのあと「帰宅部」となって、しばらくは放課後図書館で時間を潰していたりしていたのだが、ボクがフリーになったことを聞きつけて、倫代がやってきた。
 
「冬〜、陸上部辞めたんだって?」
「うん。体力の限界を感じて」
「なんか、その理由、嘘くさーい。それでさ、放課後フリーになったんなら、合唱部に入ってよ」
「だってボク女子じゃないし」
 
「その問題は(顧問の)上原先生と話が付いてる。冬は女の子の声で歌えるし、恋愛対象が男の子だから他の部員と恋愛的なトラブルが発生する可能性も無い。更には女子と一緒に着替えたりするのも問題無い。ということで、冬が合唱部に入るのはノープロブレム」
「うむむ」
 
「だいたいこの夏は陸上部の女子の合宿に参加したんでしょ?」
「えーっと、いつの間にかそんな話になってるのか?」
「以前、奈緒や有咲と一緒に温泉に行ったとも聞いてるし」
「うーん。それは事実だけど」
 
「要するに冬ちゃんって、女の子と一緒に着替えるどころか、女の子と一緒にお風呂に入ったり同じ部屋に泊まれる身体なんでしょ?」
「うーん。確かに女の子の友だちとお風呂に入ったことは何度かあるけど」
「それなら、女子だけの部に入るの、ぜーんぜん問題無いじゃん」
「何か言いくるめられた気分」
 
「ということで図書館なんかに居ないで、こちらに来なさーい」
と言って、ボクは倫代に手を引っ張られて、合唱部の部室になっている音楽室に連れて行かれたのであった。
 

合唱部も3年生が抜けて、1〜2年生のメンツになっていたが、そのメンツの中で正確な絶対音感を持っているのがソプラノの倫代だけで、若干音程が不安定になっていたので、アルトの音程担当をして欲しいと頼まれた。
 
ボクがアルトの声でアルト歌手向けの数少ない名曲のひとつ『君知るや南の国』
を歌うと「昔より、なまめかしいというか、より女らしくなってるね」と言われる。
 
同じクラスの子もいるので
「冬ちゃん、そんな声が出るの? 普段の音楽の時間は男の子の声で歌ってるのに」
「声変わりが来て女の子の声が出なくなった訳じゃ無かったのね?」
と言われた。
「あ、ボクの声変わりは『なんちゃって声変わり』だから」
とアルトボイスで言ってみる。
 
あ〜あ。せっかく男の子の振りをしてたのに自分でバラしちゃったなとボクは心の中で苦笑いする。
 
小学校の時に合唱サークルで一緒だった子も多い。その子たちからは
「おお、魅惑のアルトボイス健在だ」
「みっちーが言うように、以前より女らしさが増したね」
「少女の声から女の声に進化した感じ?」
などと言われる。
「ソプラノボイスの方も出る?」
 
「出るよ〜」と言って、ピアノを借りて弾き語りで、瀧廉太郎の『花』を歌ってみせる。
「すごーい。美しい」
「ソプラノの方も、以前よりかなり安定したね」
「弾き語り格好良い」
 
「この1年半、ずっと倫代と一緒に発声練習してたお陰だよ。でもソプラノは声量が足りないのよね〜」
「前から思ってたけど、それ多分呼吸法の問題だと思うよ」と倫代が言う。
「んーじゃ、合唱部やっていいから、その呼吸法を教えてくれない?」
「いいよ」
 
ということで、ボクの合唱部入りは決まってしまった。
 

そういうわけで、10月中旬からボクの放課後のスケジュールは、合唱部で2〜3時間練習してからプールに自転車で行って2時間ほど泳ぎ20時頃帰宅するというパターンになった。この時期は姉もバイトで帰りが20時半すぎになっていたし、父はいつも遅いしで、我が家の夕食は21時からという状態になっていた。
 
ソプラノの声量に関しては、倫代から複式呼吸の練習をするように言われた。
 
「声量って響きなんだよ。声量のある声とボリュームの大きい声とは別物だから」
と倫代は言っていた。
 
腹筋も毎日300回と言われる。実は陸上部の頃も腹筋は割と苦手だったが、頑張ることにした。しかし腹筋だけしていてはバランスが取れないので結局毎日通う水泳が重要になってくる。こういうトレーニングの成果が上がってくるのはもう高校生になった頃である。
 
その合唱部に入って最初の公演が12月のクリスマスコンサートだった。市内の中学・高校の合唱部が市民会館に集まり、クリスマスっぽい曲を歌う。中学はお昼前から午後3時くらいまでで、その後、高校生たちが出てくる。
 

その日ボクが絵里花から借りた女子制服を着て集合場所に行くと
「冬ちゃん?」
「え?気付かなかった」
「最初誰かと思った」
などと言われる。
 
「でも全然普通の女子中学生だね」
「むしろこれを見て男の子と思えというのが無理」
「ねー、実は性転換済みってことは?」
「来月からその服で学校に出ておいでよ」
などといった反応もあった。
 
「この服は借り物だからね〜」
「セーラー服くらい買ってもいいんじゃないの?まだ1年以上あるんだし」
 
顧問の上原先生も
「冬ちゃん、もしその制服で学校にも出てきたいんなら、私校長先生との交渉、応援するよ」
などと言う。
 
「いえ、今のところその予定はありませんから」
と反響の大きさにこちらが戸惑うくらいである。
 
「冬ちゃん、記念写真、記念写真」
などと言って、何人かの子と並んで写真を撮った。
 
ボクの女子高生制服写真は物凄くレアなはずだが、中学の女子制服写真はそういう訳で持っている子がけっこう出たはずである。
 

たくさんの中学がステージに立って歌う。「ああ、やっぱり歌うのっていいな」
ってあらためて思う。ひょっとしたら自分は歌を歌っている時がいちばん幸せなのかも知れないという気もした。
 
遥か幼い頃、こども民謡大会で「こきりこ」を歌った時のことを思い出す。民謡でもロックでも合唱でも基本は同じだ。楽しむこと!
 
やがて自分たちの出番が来る。歌う曲目は『星の界(Erie)』(日本語歌詞)と『まきびとひつじを(The first noel)』(英語歌詞)である。1年生の美野里がピアノを弾き、副部長の2年生・光優が指揮をした。(美野里は後に高校のコーラス部でも一緒になったがピアノが本当にうまい子である)部長の倫代はソプラノの音程担当だから、歌唱の列から離れることはできず、指揮はいつも光優がしていた。
 
どちらも透き通るような美しい曲である。ソプラノが主役だが、アルトもそれに音の深みを与える大事な役である。ハーモニーがきれいにならないといけないから、そういう意味でアルトの音程担当のボクの責任も重大だ。
 
ボクは歌いながら客席の隅々まで見渡す。このステージから客席を見るビューは快絶だ。ああ、度々こういう場に立ちたいという気になる。
 

その日、クリスマスコンサートの中学の部が15時に終わり解散した後、倫代から「せっかくだから少し付き合いなよ」と言われて女子制服のまま町に出た。他に同じクラスで小学校の同級生でもあるアルトの日奈(ひな)、別のクラスだがやはりアルトで一緒に歌っている亜美(つぐみ)と4人である。
 
「やっぱり普段は女の子の格好している方が多いの?」と日奈。
「えー、ふつうに男の子の格好だけど」
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに」
「そういうの正直に言っといた方が他の女子との壁が無くなるよ」
 
「うーん」
「少なくとも今日初めて女子制服着ましたって顔をしてないよね」
「そうそう」
「もう何年も女学生している感じ」
 
「冬は小学校の頃はけっこう女子トイレにいたからなあ」と倫代。
「あ、そうそう。有咲がよく連れ込んでたんだよ。私たちも冬が女子トイレにいることには違和感無かったね」と日奈。
「へー、冬ちゃんって、やはりそういう子だったのか」と亜美。
 
「まあ学生服じゃ女子トイレに入れないから」
「明日からでも女子制服で学校に出てくればいいのに」
「うん。。。。」
 
4人は何となく町を歩いている内、CDショップに来ていた。
「みんなどんなCD聴いてるの?」
「私はクラシックばかり。だからポピュラーに弱いんだよね」と倫代。「私はジャニーズばかりだあ」と日奈。
「日奈ちゃん、小学校の時もジャニーズの話よくしてたね。まだ山Pの担?」とボク。
「うん。山P命だよ」
「私はむしろ女の子の歌手やユニットよく聴いてるなあ。モー娘。もかなり聴いたし、大塚愛とか宇多田ヒカルとかaikoとか木村カエラとかよく聴いてる」
と亜美。
「ボクは何でも聴いてるよ。クラシック、ジャズ、ロック、ポップス」
 
「冬ちゃんこの歌分かる?」
と言って日奈が何かの曲の一節を歌う。
「嵐の『Hero』だね」
「ほんとによく聴いてるなあ」
「その手の曲はラジオでよく聴いてるよ。ジャニーズのCDはほとんど持ってないけどね」
「へー。なんで?」
「たぶん、それ私と同じ症状じゃないかな」と倫代。
「何?」
 
「冬もたぶん、リズムや音程が不正確な歌が嫌いなんでしょ?」
「嫌いというより、頭が痛くなるから」
「えー?***とかうまいよ」
「ごめん。《うまい》のレベルの問題。本来の音程から1セントでもずれてたら気持ち悪くて」とボク。
 
「むむむ」
「ただ、冬ちゃんは民謡は聴いても平気なんだよね」
「うん。倫代は絶対音感が邪魔して民謡も気分悪いって言ってたね」
 
「そうなんだよね。私の耳は西洋音楽専用なんだよ」
「たぶん、お祖母ちゃんや伯母ちゃんの唄う民謡と、お母ちゃんが歌う洋楽とを両方聴いて育ったから、ボクみたいな耳ができたんだと思う」
 
「冬は自分ではその耳を相対音感だと言ってるけど、私はスケールの自由度が高い疑似絶対音感だと思うな。アーってこの音の高さ分かる?」
「C#6」
「ほらちゃんと絶対音程が分かってる」
 
「なんかハイレベルな会話だ」と亜美。
「私たちはへたくそアイドルの歌を聴いてよう」と日奈。
 

そんなことを言いながらCDを物色していたが、なかなかいいのが見つからない。ぶらぶらと歩いていたら、奥のステージの所に「16時半よりエピメタリズム生ライブ」
と書かれている。
 
「エピメタリズムって知ってる?」
「ああ、女子中学生4人組のアイドルユニットだよ」と亜美。
「へー」
「私の耳のレベルでは歌がうまいと思うけどね」
「じゃ聴いていこうか」
 
などと言って、席に座り、おしゃべりしながら待っていたのだが、16時半になってもそのエピメタリズムが登場しない。
「あれ?まだかな?」
などと言っていたら、お店のスタッフの人が出てきて言う。
 
「たいへん申し訳ありません。エピメタリズムは車の渋滞で遅れておりまして、あと30分くらい掛かるようです。もしそれまで誰か代わりに歌っておこう、などという人がおられましたら、ここで歌ってもいいですが」
などと言う。最後の方は半分ジョークで付け加えたような感もあったが、その時日奈が「はい!歌います!」と手を上げた。
 
お店のスタッフさんも驚いたようだったが、ボクたちも驚いた。
「日奈ちゃん、歌うの?」
「4人で歌おうよ」
「やはりそうなるのか」
 
ボクがアルトもソプラノも出るので、ボクと倫代がソプラノを歌い、日奈と亜美がアルトを歌うことにする。4人の好きな曲の傾向が違いすぎるので、音楽の教科書に載っているような歌を歌おうということだけその場で決めた。
 
「それではまず『夏の思い出』」とMCを買って出た日奈が言う。ボクはその場に置いてあるピアノを借りて、弾きながら歌うことにした。前奏に続いて歌の始まる所を首を縦に振って合図する。「夏が来ーれば思い出す」と4人のハーモニーが響く。お客さんの数は少ないけど、やはり人前で歌うのって気持ちいい!と思う。
 
歌い終わった後、たくさん拍手が来た。お店の人も笑顔で拍手している。
 
「拍手ありがとうございます。今日はこれの前、市民会館でクリスマスのコンサートをしてきたのですが、やはり歌うのは気持ちいいですね。でも町もクリスマス一色。恋人がいる人は楽しいクリスマスイブを過ごすのでしょうか。私たち恋人のいない子はチキンとかケーキとか、食い気だけで頑張るつもりです」
などと日奈は気持ち良さそうにトークをしている。日奈ってこんなに心臓が強いのか、とボクは見習いたい気分になった。
 
お客さんの中には「市民会館でコンサートしてきた」という言葉から、ボクたちをプロと思い込んだ人もあったような気もした。またそもそもエピメタリズムが遅れていることを知らず、ボクたちをエピメタリズムと思い込んでいる人たちもあるような気もした。
 
「それでは次は『花の季節』行きます。この曲『悲しき天使』の名前で記憶している方もあるかと思いますが」
 
ボクはサビ部分を前奏代わりにその曲を弾き始めた。後にローズ+リリーで『長い道』のタイトルでアルバムに入れてリリースして単独ダウンロードが20万件にも達した人気曲であるが、この時は数年後にこの曲でそんなヒットになるとは思ってもいなかった。音楽教科書では『花の季節』というタイトルが定着している。
 
その後、ボクたちは『サンタルチア』『翼をください』『エーデルワイス』
『浜辺の歌』『花の街』『いい日旅立ち』そして本家・エピメタリズムが到着したっぽいのを見て最後『ホワイトクリスマス』を歌って締めた。
 
夕方になるのでお客さんがたくさん集まってきていて最初は15〜16人だったのが最後は席があふれて100人近い人数になっていた。その100人ほどの観衆から割れるような拍手が来る。
 
「フーズザットガールズの、アイコ、エイコ、ケイコ、そして私セイコでした」
と挨拶する。ボクたちは突然聴いたこともないニックネームで呼ばれてびっくりする。
 
「それではお待たせ、エピメタリズムです!」と日奈が言い、ボクたちはステージを降りる。そして代わりに微妙に安っぽい衣装を着たボクたちと同年代くらいの女の子4人がステージにあがり
「たいへんお待たせしました。エピメタリズムです」
と言い、マイナスワン音源を流しながら、歌を歌い始めた。
 
ボクたちが歌っている間に席は埋まってしまっていたが、お店の人が椅子を4つ出してきてくれて「お疲れ様でした。物凄く盛り上がりました」と言ってボクたちにファンタのペットボトルを1本ずつ渡してくれた。
「ありがとうございます」と言って受け取り、4人ともファンタを一気飲みする。「お代わり持って来ましょうか?」というので4人とも「じゃお茶を」
と言った。カロリーが気になるお年頃である。
 
「でも私がアイコで」と亜美。
「私がエイコ?」と倫代。
「でボクがケイコなのね?」とボク。
「うん。そして私がセイコ。その場で思いついた」と日奈は楽しそうだ。
「○イコという名前を五十音順に考えて、名前として成り立ちそうなのを順に言っただけだけどね」
「なーんだ」
 
そういう訳でボクのステージネーム「ケイ」は実は元を糺せば日奈の思いつきに由来するのである。
 
「フーズザットガールズってのはマドンナの曲から?」と倫代。
「あれ?ユーリズミックスの曲じゃなくて?」とボク。
「私、DOUBLEの曲かと思った」と亜美。
「何それ?どれも知らない。単にだれよあの子たちって意味だけど」と日奈。
「うむむ」
 
あとで調べると、マドンナ、ユーリズミックス、DOUBLEにそれぞれ同名曲があったことが分かった。全部違う曲なので、「次『フーズザットガール』行きます、なんて言ったらみんな違う歌を歌い始めていたかもね」とあとでみんなで笑った。
 
「でもよくアドリブであんなにしゃべれるね」
「MCなんて瞬発力だよ」と日奈は言っている。
 
エピメタリズムのマネージャーさん?らしき女性が近づいてきて握手を求めた。
「ありがとうございます。ステージを持たせてくれてて助かりました。でもあなたたち、凄く上手いね」
「ああ、私たち合唱部ですから」
「それでか!音程が物凄く正確っと思った。あ、もし興味あったらデモ演奏をUSBメモリーか何かに入れてうちに送ってみません? 取り敢えずインディーズでCDとか出してもいいですよ」
と彼女は言い、ボクたちに1枚ずつ名刺を配った。
 
《○○プロダクション・ミュージックプロデューサー はらちえみ》
と書かれていた。実はボクと美智子の初めての出会いなのだが、このことを美智子は覚えていないようであった。ボクも言っていない。女子中学生の制服姿だったから無理もないという気はする。そしてその時の名刺は密かにボクの秘宝ファイルの中に保存されている。名刺の裏にはその日の日付2005.12.18と美智子の似顔絵が描かれている。
 

クリスマスコンサートの翌週はサンタガールの衣装を着てケーキの配達をした。23日の金曜日はボクひとりで20軒ほどに配り、24日は貞子と手分けして100軒ほど。そして25日はまたひとりで40軒ほどに配った。配るエリアが狭い地域に集中しているのでだいたい1軒5分から10分くらいで行けるのだが、それでもなかなかハードだった。
 
昨年ボクがケーキ配達に来たのを覚えている人もあり
「ああ。今年もあなたが来たのね。ほんと君可愛いね」
などと言ってくれる人もある。
 
サンタガールの衣装に着替えるのは絵里花の家を使うが、この時着ていく服は微妙である。姉には絵里花の家で女装していることは内緒にしていたし、絵里花にもボクが女物の服を持っていることは内緒にしていた。そういう意味ではふつうに男の子の服を着ていけば良さそうだが、絵里花のお母さんにはボクは女の子ということになっていた。
 
ということで、ボクは男性用の前閉じビキニブリーフ(ちょっと見た目には女性用のビキニショーツにも見える)と女性用タンクトップ(そう思い込んでいる人には男性用のランニングにも見えるし、ランニングとタンクトップの相互流用はやる人も多い:と思うことにしていた)を着ていた。そして上には中性的なセーターとジーンズを着ていた。
 
はなからボクを男の子と思っている人には特に女装しているようには見えないが、ボクを女の子と思い込んでいる人にはふつうに女の子に見えるはずである。泰世のいうところの「視線に対して透明な服」である。
 
すっかり顔なじみになっている絵里花のお母さんに挨拶して、絵里花の部屋を借りてサンタガールの衣装に着替えるのだが
「あれ、それ女の子パンティかと思ったら、男の子用のビキニか」
「ええ、おちんちんの収まるスペースがあるんですよね」
「じゃ、女の子パンティに着換えよう。おちんちんの収まるスペースの無い奴」
と言って、絵里花はボク専用に用意している下着を出す。
 
「やはりそうなるのか」
「男物の下着でサンタガールを着ることは許さん」
「去年はそれで着ましたけど」
「あれは緊急事態だったからね。はい、ブラジャーも付けようね」
「了解です」
 
「夏の合宿の時にはあったブラ跡が無くなってるけど、女の子水着が食い込んだ跡がある。男湯には入れない身体だね」
「男湯は別にいいかと。10月から毎日プールで泳いでますから。陸上部で運動するのが習慣になっちゃってたから、やはり身体を動かしていないと調子悪いんですよね」
 
「陸上部に復帰すればいいのに」
「いや、それは色々問題があって」
「合唱部と兼部でも何とかなるでしょ? 若葉も陸上部とテニス部の二足のわらじだし」
「いやそれが・・・」
「まあいいけどね。私も辞めた身だし。3月の駅伝は出るよね?」
「はい。それは男子Aチーム4区か女子Aチーム4区か、どちらかを走ってもらう、と貞子から言われています」
 
「ふふ。どちらを走るの?」
「やはり男子の方かと」
「女子の方を走ればいいのに」
「医学的に男子なので」
 
「ほんとかなあ。今も女の子パンティに着換える時、あのあたりを上手に隠してたね」
「そんなの人に見せられません」
「でも付いてたら一部私の目に触れるはず、という角度から何も見えなかった気がする」
「えーっと」
 
「まあいいや。じゃ配達よろしくね」
「絵里花さんも勉強頑張ってください」
「うん。配達終わった後、英語のヒアリング練習にまた付き合ってくれない?」
「いいですよ」
「あんた英語の発音、物凄くきれいだもんね」
「洋楽のCDを大量に聴いているせいかな」
 

駅伝の練習は2月から始まる。ボクも含めた助っ人を加えて男女AB4チーム、補欠を含めて36人で、基礎的なトレーニングから、実際の区間を走る練習を重ねた。今年は交通規制の問題で区間が少し変更になっており、3区の最後がもう坂道に掛かっていて、3→4区、5→6区の中継は坂道の上り始めの部分で行われるようになっていた。その分、折り返し地点が坂道を終えた所から400mほど先になっている。たぶん4区は去年より難しく、5区は去年より少し楽かなと思った。しかし3区は疲れ切っている所で最後に少し坂を登ることになるので辛そうだ。
 
「冬、半年近く陸上から離れていたのに全然スピード落ちてないね。去年区間新記録出した時より速いペースじゃん」と貞子から言われる。
 
「うん。ずっと水泳やってるし、それから合唱部の方ので発声の訓練で毎日腹筋500回してるから、その成果かな」
「冬、陸上部にいた頃は、腹筋なんていつも50回くらいでギブしてたのに」
「うーん。ごめん」
「ねえ、来年の春の大会にも大会だけでいいから出ない?」
「えーっと・・・」
 
「あれ?冬、水泳やってるの? うちの水泳部の大会に出ない?」と若葉。
「さすがに大会に出られるほどのスピードは無いよ」
「400mをどのくらいで泳ぐ?」
「こないだ計ってみたら5分20秒だった」
「うっそー。私より速いじゃん。行ける行ける」
「えっと、ボク男子の方にエントリーしないといけないけど男子の水着は着れないし」
「冬は女子でいけるはず。去勢してから2年以上経ってるよね?」
「いや、去勢はしてないって」
「別に隠さなくてもいいのに」
 

水泳の練習している所を見たいと若葉がいうので、その日は若葉と一緒に市民プールに行った。
「なるほど。私と全然遭遇しなかったのは、わざわざ隣町に行ってたからか」
「あはは。だって水着姿を知り合いに見られたくないじゃん」
 
「へー。唐本冬子・性別女で定期券作ってるのか」
「だって女子水着に着替えるのに男子更衣室は使えないし、女子更衣室の鍵をもらうには女子として定期券を作らないと」
 
「そりゃ、女の子の身体になってるんだから、男子更衣室では着換えられないよ」
 
若葉は本当にボクが性転換済みと信じている感じである。
 
「胸が全然無いけど、まだ中学生だから胸の無い子もいるということで勘弁してもらって」
「うん。ほんと男みたいな胸の子、まだいるよ」
と若葉も言う。
 
「でも女性ホルモン飲んでないの?
「飲んでない、飲んでない」
「睾丸を取っちゃってるのなら、どちらかのホルモン剤飲まないと身体がホルモンニュートラルになって、あれこれ不調になるよ」
「一応付いてるから」
「冬って、小学5年生の頃から背がもう伸びてないよね」
「うん。167cmで止まってる」
「その頃去勢したから、身長も止まったのかな、と思ってたんだけどね」
 
それはたぶん睾丸の機能を低下させてるからだろうな、とボクは思った。
「若葉。ボクと若葉の仲だし、この練習終わってから、水着脱いだら触らせてあげる」
「ふーん」
 

ボクたちはシャワーを浴びて準備運動をしてから、まずは一緒に上級者コースに入り、軽くクロールで100mほど泳いだ。若葉が先に泳ぎ、その後をボクが泳ぐ。
 
「かなり力付けてるね。夏の合宿の時はみんなに結構遅れる感じだったのに、今日は私がスピード上げてもちゃんと付いてきたね」
「うん。自分でも随分泳力付いてるという気はする」
 
「じゃ、私見てるからひとりで泳いでみて。全力で1往復してきて」
「了解」
 
ボクが全力で泳いでくる。若葉はタイムを計っていた。
「34秒6。うん。私の全力より速い。でも、泳法を少し修正するともっとスピード出るよ」
「ほんとに?」
 
若葉はボクの泳法の変な癖を指摘して、直させる。ボクはそこを意識して再度全力で25mプールを往復してきた。
「32秒8。ほら。2秒近く短縮した」
「すごっ。若葉、教え方の天才。ボクの先生になってよ」
「先生になってあげるから、来年の夏の水泳部の大会で女子として出てよ」
「それはできないんだよなあ」
 
その日はその後ゆっくりしたペースでふたりでひたすら上級者コースを泳いだ。小学生の頃、ふたりでずっと校舎のまわりを走っていた時のことを思い出した。考えてみると、若葉ってあの時からボクの先生だったんだなあ、と思う。
 
1時間半泳いでからあがることにする。初級者コースに移り、ゆっくりとしたペースの背泳でクールダウンをする。それから整理運動をして更衣室に戻った。ボクは若葉をトイレに誘った。一緒の個室に入る。
 
「やっぱり若葉には知っててもらわないといけないと思って」
ボクは水着をまず半分脱ぐ。
「ふーん。胸はパッドか」
「まあね」
「でもパッド無しでも胸あるよね。これ夏の合宿の時よりまた膨らんでない?」
「それは置いといて」
と言ってボクは水着を下まで脱いでしまう。バスタオルで身体を拭く。
 
「おちんちん、やっぱり無いじゃん」
「隠してるんだよね。武士の情けで目を瞑ってくれない?触ってもいいから」
 
と言って、ボクはお股に貼り付けていた防水テープを剥がした。若葉の手をそこに触らせる。
「わっ」
 
ボクは素早くショーツを穿いてしまった。
「もう目を開けていいよ」
「付いてたのか」
「御免ね。身体の中に押し込んでこの防水テープで留めてるんだよ。トイレに行けないのが欠点だけど、付いてないように見えるでしょ?」
 
「残念だなあ。女子のリレーのメンツに入れたかったのに」
「ごめんねー」
 
ボクたちはトイレを出て更衣室で着替えながら小声で話していた。
 
「でもこの際、男子選手扱いでもいいよ。たしか男子でも女子水着の着用は禁止されていなかったはず」
「そうなの?」
(男子が公式大会でワンピース型の水着を着ることを禁止されたのは2010年)
 
「でも男子の方で競えるくらいのスピードが出るかなあ」
「練習あるのみ! 私練習に付き合ってあげるよ。私もここの定期券作ろう。性別女で。冬と一緒に練習してたら私もレベルアップできそうだもん」
 
「若葉が性別男の定期券作ったら大変だね。若葉かなり胸あるもん」
「冬も女性ホルモン飲んで、おっぱい大きくしなよ」
「うーん。。。」
 
「ってか、その胸、実は飲んでるんじゃないの?」
「これはビッグバストドロップっていうサプリを飲んでるんだよ」
「ああ、雑誌の広告とかに載ってるやつ! あれ効くんだ!」
「姉ちゃんはプラセボ効果だって言ってる」
「ああ、そうかも知れない」
「それにいつの間にかボクの学生鞄の中にエストロゲンの錠剤の瓶が入れられていたし」
 
「あはは、もう覚悟を決めて飲んじゃいなよ」
「まだ男を捨てる決断できないし」
「・・・・冬、とっくの昔に男は辞めてるって」
 

そして駅伝大会の日がやってきた。今年男子Aチームのアンカーは野村君(部長)、女子Aチームのアンカーは貞子(副部長)である。4区は男子Aチームがボク、女子Aチームは美枝、と昨年と同じメンツ。美枝も陸上部は辞めているのだが駅伝にはボク同様引っ張って来られた。
 
「私、去年3人抜きやったから、またこのきつい4区になっちゃったなあ」
「まあ、お互いに今年でお役御免だし」
「うん。頑張るか」
 
昨年はうちの男子Aチームは最初の方で出遅れて8位でここまで来たのだが、今年は前半みんな頑張ったようで、3位で来た。こうなると責任重大だ。ボクは走り出して、たすきを受け取る。
 
今年はいきなり坂からなので最初から重力を利用した前傾姿勢で走る。倒れ込むようにして、倒れる前に足を前方に進めるという加藤先生直伝の走り方である。
 
中継時点で2位とは1分、1位とは2分の差があった。上位チームはそれだけ優秀なランナーが走っている。それをどのくらい追い上げられるか。昨年は8位の順番だったからたくさん追い抜くことができてそれでスピードを上げられた。今年は孤独な戦いだ。ボクは自分に気合いを入れてキックの力を上げた。
 
かなり走った所で、やっと前方にランナーの影を捉える。300mくらい。よし。行くぞ。ボクは更にペースを上げる。少しずつ近づいていく。その選手が後ろを振り向いた。
 
が、特にペースを変えるとかは無い。ああ、女子だから関係無いと思われたかな? ふふふ。ボクってそういうの便利な選手かもね。
 
向こうのペースはむしろ落ちてきている。ボクは速度を上げて・・・・・・あっという間に抜き去る。
 
「女子のトップかな?」という声が聞こえた。ボクは少し微笑むと更にペースを上げて、まだ見えない前方の敵に向かって突き進んでいった。
 
そのトップの選手が見えたのは、もう坂が終わりかけた所だった。よし行くぞ。ボクは一段シフトチェンジしてまたペースを上げる。ボクこんなにスピードが出たっけ?と自分で疑問に感じるほどの速度になったが全然きつくない。やはり水泳で鍛えている成果かな?
 
相手との距離を詰めていく内に坂は終わってしまう。その後はボクの不得意な平地を400m走らなければならない。ボクはトラックの400mを走る時の気持ちに切り替えて全力疾走の態勢に入った。スタミナはまだ充分残っている。
 
向こうは平地になったからスピードを上げるかと思ったのだが、やはり上り坂で消耗したのか、あまりペースは上がらないようだ。ボクはぐいぐい間合いを詰めていった。しかしまだ相手との距離はかなりある。たぶん100mくらい?ボクは5区の梶本君に何とかトップでたすきを渡したいと思って歩幅を縮めて、代わりに足を速く動かすようにする。これは夏の合宿で教えられた走り方だ。ボクのように背の低い選手はこの方がスピードが出るんだよと言われた。
 
相手との距離が80m。。。。50m。。。。20mと縮まっていく。でも中継点も既に視界に入っている。どこまで行けるか。。。
 
そしてボクは中継点のすぐ手前で前の選手に追いついた。たすきの渡し方で数秒分変わるぞ。軽いポジション争いをする。昨年は4区から5区へたすきを渡してから5区の走者が折り返し点のポールを回ったのだが、今年は逆に4区の走者がポールを回ってから5区の走者に渡す。ポールを内側で回りたい。しかし向こうも内側で回りたい。
 
そして向こうが強引にボクより内側に回り込んで来た時、ボクは相手の虚を突くようにスパートを掛ける。相手より外側になったが、相手を3mほど離してポールを回る。もう梶本君は走り出している。更に最後のスパートを掛けて距離を縮める。「はい」「はい」。たすきを渡して、ボクはコース外に走り抜けた。
 
今年は昨年みたいに倒れたりはしない。膝に手をやって大きく息を付きながら5区走者の行方を見る。うまく受け渡しができたので、結果的に10mくらいの差が出来たようだ。最後を争った選手が握手を求めてきた。
 
「君凄いね。最後は作戦負け」
と言って微笑んでいた。
「そちらもお疲れ様」とボクは微笑んで言った。
「あ、やっぱり女子ですよね。凄いなあ」と彼は言っていた。
 

5区で梶本君は2位に結局100mくらいの差を付けて6区につないだ。その後、うちの男子Aチームは快走を続け、野村君も8区の区間記録を更新する走りを見せ、トップでゴールに飛び込んだ。
 
女子の方も3区から4区にたすきをつないだ時点では4位だったものの、美枝が昨年同様の頑張りで2人抜いて2位に浮上、5区の若葉が1位との距離をぐっと縮めて、6区彩絵・7区稀夕も1位のチームと抜きつ抜かれつの争いを続け、最後に8区アンカーの貞子が相手アンカーを猛烈ダッシュで振り切って1位でゴールインした。昨年に続く男女アベック優勝であった。
 
野村君と貞子が優秀選手賞に輝き、ボクも4区の区間記録をまた更新したということで、賞状とメダルをもらった。賞状の名前がまた「唐本冬子」になっていたが、気にしないことにした。(野村君は優秀選手賞に加えて区間新記録賞ももらった)
 
「私よく分からないけど、これ凄いことだよね」と花崎先生。
「凄いことですよ」
「いや君達が凄いんだよね」
「先生がのびのびと練習させてくれたからです」
と貞子は疲れた表情の中で笑顔で答えていた。
 
「やはり唐本を女子から男子チームにトレードしてたのが大きいなあ」
と野村君。
「ボク、男子チームにトレードされてたんですか?」
「だって唐本は女子だからな」
 
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【夏の日の想い出・ひたすら泳いだ夏】(2)