【夏の日の想い出・ひたすら泳いだ夏】(1)

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中学に入ってボクは若葉と誘い合うようにして陸上部に入った。最初は練習前のジョギングで1〜2周、周回遅れになるほどだったが、2年女子の絵里花さんが「走る時はこうやって走るんだよ」とフォームとか足の筋肉の使い方、キックの仕方などを詳しく教えてくれたことで、ボクは飛躍的に速くなった。
 
4月初めに100mのタイムを計られた時は28秒だったのが、7月には16秒2で走れるようになっていた。但し実は、最初に28秒出した日は愛用のランパンを持って行ってなくて体操服でしかも運動靴で走ったためにこのタイムとなったもので、後日ランパンを穿き陸上用のスパイクを履いて計ったら19秒8であった。ボクはこの愛用の(女子用)ランパンを穿いている時は、小6の時に既に23秒で走れていた。
 
ボクが一所懸命練習しているので、5月の大会は見学だったものの10月の大会では400mに出してもらった。もっとも予選で他の選手に100m近い差を付けられてのゴールだったが、それでも大会で走るというのは気持ちいい!と思った。
 

その10月の大会が終わると練習に出てくる部員がぐっと少なくなる。3年生が抜けるのは当然として、1・2年でも練習をサボる部員が多かった。いつも練習に出てきているのは、2年の石岡さん(新部長)・堀江さん、絵里花さん(新副部長)、それにボクの4人。そして週に3〜4回という感じで出てくるのが、1年の野村君、貞子あたりだった。
 
4人だけで練習している時、柔軟体操はボクはいつも絵里花さんと組んでしていた。「唐本君って、触った感触が女の子みたい」と絵里花さんは言っていた。「背中を押されている時も女の子に押されているみたいな感じだし」とも言っていた。
 
この時期若葉は夏頃から兼部で入ったテニス部が忙しくて、陸上部には週に1回くらいしか出てこなくなっていた。夏の時期は水泳部も兼部していた。
 
「よくそんなに3つも兼部できるね」とボクは若葉に言った。
「まあ水泳部は夏の間だけだし。テニスは大会のメンツが足りないから、それだけ出てと言われて行ったつもりが・・・」
「まあ、ダウンしない程度に頑張ってね」
 
「そういう冬だって合唱部に行ってるでしょ?」
「昼休みに倫代の発声練習に付き合ってるだけだよ。そもそも合唱部は女子だけだし」
「そろそろネコかぶるのやめて、女の子になってセーラー服着て学校に来たら?そしたら合唱部に正式に入れるよ」
「あはは。どっちみち今は放課後陸上部で手一杯だし」
 
若葉は陸上部の方でロードを10km走った後、テニスの方の練習に行ったりとかテニスの方で練習している所に、絵里花さんが「リレーのメンツが足りないからちょっとこっち来て」などと言って連れてこられたりもしていた。
 

ボクは中学生時代、基本的に男声で話していたので、小学校時代からの多くのクラスメイトがボクにも「とうとう変声期が来た」んだろうと思い込んでいたようであった。ボクが女声も出せることを知っていたのは、若葉・倫代、それに陸上部の顧問の加藤先生くらいだった。加藤先生はひょんなことからボクの女声の発声練習に付き合ってくれて、より自然な声になるよう指導してくれて、声域も小学校時代より広くなっていった。
 
もちろん加藤先生が教えてくれたのは声だけではなく、本来の陸上での筋肉の使い方、その筋肉の鍛え方、レースでの心理的な問題などもたくさん教えてくれた。加藤先生自身が元々長距離選手だったこともあり、先生の話はとても実戦的だった。秋頃以降、ボクは長距離選手としての道に活路を見い出して行ったが、その長距離のレースでは、心理戦の比重が比較的大きかったのである。
 
「相手のペースを利用する時は相手にピタっと付いていく。ついて行かれると相手はそれだけで疲労する。抜く時は一気に抜く。抜いてもすぐ前を走っていたら相手はそれに付いてくる。だから相手が戦意を喪失するくらい離すまではスパートを緩めない」
 
「上り坂を上る時は、前に体重を掛けて重力を利用して走ると実力以上の速度で走ることができる。倒れ込むようにして倒れる前に足を運ぶ。下り坂を下りる時は、自然落下を利用する。身体が落下していくから足はそれに付いていく感じ。本当に落ちて行くみたいに感じて慣れないうちはちょっと怖いけど、ジェットコースーターに乗っているような気持ちで」
 

下り坂の恐怖を克服するのに、長距離組の数人で遊園地にジェットコースターを乗りに行ったこともあった。パスポートで入り、朝から晩までひたすらジェットコースターに乗りまくった。
 
「これに・・・・乗るんですか?」
ボクはそのジェットコースターのレールを見上げて、もう逃げ出したい気分になった。
 
「こういうの男の子はタマが縮むとか言うよね」と先生。
「俺、もう縮んでるかも」と1年生の男子。
「冬はタマがもう無いから大丈夫だよね」と若葉。
「一応、付いてますけど」
「あれ?そうだっけ? 有咲から既に無いみたいと聞いたけど」
 
「おしっこチビった時のためにパンツの換えもいっぱい持って来たから安心して乗ってね」と先生。
「最初から1枚ずつ配っておこうか」と言って本当に配り始める。
 
「えっと冬ちゃんは、男子用?女子用?」
「えっと・・・男子用で」と言ったが若葉がそばから
「冬は女子用ですよ」というので、「じゃ、こちらね」と言って、本当に女子用のパンティを渡された。
 
絶叫系ジェットコースターは最初は本当に拷問を受けている気分だったが、
「前の方を見て、コースをよく見て自分がどちらに次曲がるかというのを意識して。そうすると酔いにくいから」
と先生に言われて、そうしていると、次第に平気になっていった。
 
最後はその遊園地名物の、恐怖度では日本で5本の指に入ると言われているコースターに乗ったが、ここまでさんざん乗り尽くしたおかげで、恐怖はそれほどでもなく、このコースターを純粋に楽しむことができた。
 

ボクが女声で話せることは11月頃、絵里花さんや貞子たち数人の女子部員にバレてしまう。その後、彼女たちからは女子部員に準じる扱いをしてもらえるようになり、12月の絵里花さんの家での女子クリスマス会では、とうとうボクはみんなの前で女装させられることになった。
 
「冬子ちゃん可愛いから女の子の服を着てもらおう」
などと言われて着せられたが、その時、ボクが自分でブラのホックを留めたのを見て、絵里花さんは
「冬子ちゃん、以前から女装してるよね?」
と言った。
 
「えー、そんなのしたことありませんよぉ」
とボクは言ったが、真相を知っている若葉はニヤニヤしていた。
 
ボクの女装姿は女子部員たちに好評だった。
「わあ、可愛い」
「やっぱり普段から女装してるんでしょ?」
「実はもう女の子の身体になってたりしないの?」
などと言われる。
 
「ねね、若葉って冬子と同じ小学校だったんでしょ?何か知らないの?」
「冬とはおっぱいの触りっこしたことあるよ」と若葉。
「えーーー!?」
 
「冬って友だちというと女の子ばかりだったね。男の子の友だちって全然いなかったし、他の女子と一緒にいつもガールズトークしてたよ」と若葉。
「へー」
「私や冬も入れてよく4〜5人のグループで町に出て遊んだりしてたなあ。そんな時、冬って女子の中に埋没してるから、そのままトイレとかも一緒に行ってたし」
「トイレ一緒って、まさか女子トイレ?」
「私、学校以外で冬が男子トイレに入って行くの見たことないんだよね」
「ほほぉ」
 
「あと、冬って汗掻いても男の子の体臭がしないよね」と若葉。
「あ、それは私も思ったことある」と貞子。
「何らかの形でホルモンコントロールしてるんだと思うなあ」
「あはは」
 
「そのあたりはいづれじっくり自白させるか。どこかに拉致監禁して」
「ああ、拉致監禁いいね〜」
「当然裸に剥いて、生理的な検査と染色体チェックも」
 

「でも冬子ちゃん、やっぱり女子選手になっちゃいなよ」と絵里花さん。
「そんなことできるんですか?」
 
「今年5月にIOCが性転換した選手の受け入れについて新しい規則を定めたのよ。それだと去勢してから2年経過した元男子選手は女子選手として五輪に参加できることになったのよ」
「へー」
「だから、冬子ちゃん、来年中に去勢手術を受けて、その後女性ホルモンを摂取してれば、2008年の北京五輪には女子選手として出場できるよ」
「あはは。凄い誘惑」
 

そんな冗談(?)も言い合っていたが、当面のボクたちの目標は3月に行われる駅伝だった。秋頃少なくなっていた練習の人数も、駅伝を目前にすると、また増えて行く。
 
他の部からの助っ人も頼んで、男子・女子ともに2チーム出ることになり総勢36人のメンバー(4人は補欠)で2月になってから本格的な練習に入った。
 
ボクは最初男子Bチームの4区、上り坂の担当と言われた。
 
ところが練習していて実際にタイムを計ってみると、ボクはAチーム4区に割り当てられていた子より速かった。
 
「唐本すげー」
「お前、よくこの上り坂をそのスピードで走れるな」
「上り坂のスペシャリストだな」
 
ということで、ボクはAチームの4区にトレードされた。タイムを見て他にも若干A,Bチームの入れ換えが行われた。
 
ボクはこの時期トラックではランニングシューズで3000mを11分ジャスト程度で走っていたが、この駅伝4区の上り坂3kmは10分30秒程度で走っていた。「唐本、お前重力をねじ曲げてるだろ?」などと言われる。
 
ボクとしてはスパイクではなくランニングシューズで走るなら、土の地面よりアスファルトの方がキックがしっかり効いて、むしろ走りやすい感じだった。そして上り坂は加藤先生に教えられたように体重を前に掛けて倒れ込む力を利用して走っていたので、それも平地より走りやすい感じだったのである。
 
みんなスタミナが持たないと言っていたが、その点は夏から秋にかけてかなりの走り込みをしていたので、駅伝の区間の3kmなら充分全力疾走できていた。
 
「2週間前の締め切りまではまだメンバーの入れ替えあるからね。みんな気を抜かないように。今Bチームになっている子も練習次第でAチームに入る可能性もあるよ」
と、この駅伝大会が最後の指導になる加藤先生も指導に力が入る。
 
「私、冬を女子のAチーム4区に欲しい」と絵里花さんが言う。
「あはは、ばっくれたらバレないかもね」と先生も笑って言っていた。「というか、冬って実は女子ではないかという疑惑が」と美枝。
「うーん。。。それは考えてみたこと無かった。冬ちゃん、どうなの?」
 
加藤先生はボクのことは他の女子と同様に名前で呼ぶ。先生は他の男子は苗字で呼んでいる。
 
「えーっとたぶん医学的には男子だと思いますが」
「精密検査が必要かも知れないですね」と彩絵も言う。
「まあ、でも女子は男子チームに参加してもいい規則になってるからね」
と先生は笑顔で言っている。
 

そして3月20日(日)本番。この日は曇りの絶好のコンディション。ボクは今日は行けるぞという気分になっていた。
 
朝出がけに姉が自分の部屋に呼んだ。
「冬って中学に入ってから1度も女装してないよね?」
「うん。さすがに女装は小学生までだよ」
「それとも私の気付かない所で女装してるのかな?」
「そんなことできる場所無いよ〜」
 
「今日はこの下着付けて行きなよ」
と言って、姉は可愛らしいピンクのブラ・ショーツのセットを渡した。
 
「なんで〜?」
「だって冬って、自分でも言ってたじゃん。女の子の服を着てる時は能力が上がるって」
「うん。それはそうだけど」
「だから、これはおまじない。きっとこれを付けてった方が速く走れるよ」
「うん。そうしようかな」
 
ボクは素直に姉の勧めに従って、そのブラとショーツを身につけ、その上にチームカラーの青のTシャツを着た。そして愛用の(女子用)ランパンを穿く。
 
「冬って女の子の下着を着けた時、本当に女の子みたいな雰囲気になるよね」
「そう?」
「うん。アンダーウェアは外には見えないはずなのに、不思議」
「でも1年ぶりくらいかな。女の子の下着付けるの」
「ほんとに?」
「え?なんで」
「確かに最近、冬がいつでも使えるようにしている女物の服が洗濯機に入ってたことないしなあ・・・」
「うん。だから女の子の服は着てないよ」
 
「まあいいや。今日は頑張ってね!」
「ありがとう」
「グッドラック!」
 

学校に集まり軽めのウォーミングアップをする。しっかり準備体操をしてから協力してくれる数人の先生の車で、各々のスタート地点に散る。ボクは男女2チーム4区・6区の8人で、中継地点に行った。身体を冷やさないように長ズボンのジャージを穿いている。3区の堀江さんが走り出したという連絡を受けた。
 
ボクはズボンのジャージを脱ぎ、ストレッチ運動をする。特に足首や膝の関節はしっかり伸ばしておく。女子Aチーム4区を走る美枝が
「冬〜、柔軟体操しよっ」と言ったので、組んで柔軟体操をした。女子は男子より少し早めにスタートしているのだが、ちょうどこの4区付近で男女チームが入り乱れることになる。
 

その女子の3区の美千穂さんが先に来た。その速度を見ながら美枝が走り出す。美千穂さんがラストスパートして手を伸ばし美枝にたすきを渡す。その美枝の走る姿がどんどん遠くなっていった時、男子の3区の堀江さんが来た。「走れ」と言われたが、その堀江さんのペースが落ちているのでボクは少しだけ待ってから走り出す。スピードが乗り始めた所で「はい」という声。ボクが後ろに伸ばした手にたすきが渡される。「はい」と答えてしっかり握り走りながら肩に掛ける。ボクは軽快に走っていった。
 
中継地点から100mほど行った所から上り坂が始まる。ボクはまず美枝を追い抜く。「ファイト!」「ファイト!」と声を掛け合う。そのまま軽快に坂を昇っていくと、前方に走者の影が見える。ボクはその走者に精神的にぶらさがるような気持ちで足を進めて行った。「ぶらさがって」走るのはとても楽なのである。
 
そして至近距離まで来たところで、5秒くらいその選手の後ろに付いて体力を蓄えてから、一気にスパートを掛けて追い抜く。その時
「女子選手だ。関係無い関係無い」
という声が聞こえた。あはは、ごめんね〜。ボク男子チームで走ってるんだよね。
 
続けて走って行くと、また前方に選手が見える。またその選手に食らいつくようにして体力を温存しながら近づいていく。そしてスパートして一気に抜く。
 
更に同じようにして男子選手2人、女子選手4人を抜いた。正直次から次へと抜くことで普段よりスピードアップしている感覚だった。残り500mくらい。坂はそのうち300mくらい。遥か前方にまた1人見える。距離はあるが向こうはバテていて明らかにペースが遅い。よし!
 
ボクはラストスパートを掛けた。残っている体力を全部つぎ込んでスピードをあげる。みるみる内に前の選手との距離が縮まる。そして坂が終わる直前、ボクはその選手を高速で抜き去った。残り200mはボクの不得意な平地だ!でもこれで終わりだから、とにかく残る力を振り絞る。前方に中継地点が見えてくる。5区走者の野村君の姿が見えた。彼にたすきを渡せば終わりだ。倒れてもいいから走るぞ。もう半分意識は飛んでいた。とにかく足を動かせるだけ動かす。全力でキックして地面を押し出す。
 
たすきを肩から外し、手に取る。大きく手を伸ばして「はい」と言って渡す。野村君の「はい」という声。やった! ボクはそのままコースの外へ走り出し、倒れて気を失った。
 

気がついたら同じ4区を走った美枝がボクに膝枕をして水を飲ませ、介抱してくれていた。
「ありがとう。美枝は大丈夫?」
「うん。こちらは平気。あんまり頑張らなかったし。それでも3人抜いたけどね」
「おお、さすがさすが」
「冬ちゃん凄いよ。5人抜き、区間新記録」
「わぉ」
「来年もこの区間走るの決まりね」
「あはは」
 
うちのチームは男子は3区まで24チーム中8位と出遅れていたもののボクの5人抜きで3位に浮上。5区を走った野村君も1人抜いて2位に上がり、最後8区を走ったアンカーの石岡さんも快走してゴール直前で前の走者を追い抜き優勝することができた。
 
女子の方も美枝が4区で3人抜いて5位から2位に浮上し、そのあと8区を走ったアンカーの絵里花さんが中継時点でトップに300m離されていたのを追いつき、物凄いデッドヒートの末振り切ってトップでゴール。この年、ボクたちの陸上部は男女ともAチームが優勝した。石岡さんと絵里花さんが優秀選手賞で表彰されたが、ボクも区間新記録の賞状と記念のメダルをもらった。
 
「正直唐本が1年前に陸上部に入ってきた時、こんな活躍することを俺は想像できなかった」と石岡部長は言っていた。加藤先生は「冬ちゃん、ほんとに頑張ったね」と言ってハグしてくれた。
 
そしてこの駅伝での男女優勝を花道に加藤先生は他校に転任していった。
 

4月になって陸上部の新しい顧問がなかなか決まらなかった。
 
加藤先生が在任の5年間に春と秋の地区大会で合計6回優勝、駅伝でも男女合計4回優勝と、あまりに優秀すぎたので、誰も後任に手を挙げなかったのである。
 
下手すると、顧問のなり手がいないため陸上部解散などという事態もあり得るなどと言われたのだが、最終的に英語の花崎英子先生が引き受けてくれた。ただし、花崎先生は陸上部の指導経験どころか、陸上競技そのものをほとんど知らないということで
「勉強するけど、分からないことだらけだから、みんな教えてね。練習は部長と副部長に任せた」
 
と言われた。しかし分からないなりに毎日出てきて、熱心に声かけをしてくれるので、みんな花崎先生のことを好きになり、あれこれ教えてあげながらも、逆に技術的ではないことであれこれ相談を持ちかけたりしたので、先生も頑張ってくれた。
 
5月の大会のメンバー表なども、部長と副部長の2人で話し合って決めた。ボクは1500mと3000mに出してもらったが、どちらもひとつ前の走者から大きく離されてのゴールだった。
 
「まあ坂じゃないから仕方ないか」
「女子として走っていたら、もう少し差が小さかったよね」
などと言われる。
 
そしてそれはその年の7月初旬のことだった。
 

土曜日に午前中練習して、帰り道、絵里花さんと2人で学校近くを流れる川の堤を歩いていた。ここは車の走る大通りからひとつ入っていて静かだし、季節ごとに色々な花が咲いていて景色もいいので、よくみんな通っていた。
 
「でも冬ちゃん、女の子の服とか持ってるんでしょ?多分。こういう休日の練習の時はそれ着て来てもいいよ。女子更衣室で着替えてもいいし」
と絵里花さん。
 
「えー? そんなの持ってないし、別に女装はいいですよ〜」
「ほんとかなあ。こないだも若葉に訊いたら、返事しないで笑い転げてたし」
「うーん。。。」
「いや、石岡君から、冬ちゃんを男子更衣室で着替えさせていいのかどうか悩んでる、なんて相談受けたからね」
「男子更衣室でいいですよ」
「いや、他の男子が目のやり場に困ってるみたいだからね」
「そうですか〜?」
 
「駅伝の時も、こないだの大会の時も、トイレは女子トイレ使ってたね」
「ええ。石岡先輩から混乱の元だから女子トイレ使ってくれと言われて」
「うん。女の子が男子トイレにいたら無用の混乱を招くよ」
「確かにボクが男子トイレにいたら、ボクの顔見て慌てて飛び出して行った人が何人かいました」
「ああ。その子がそのまま反対側のトイレに飛び込むと痴漢と間違えられるね」
「うむむ」
 

そんな話をしていた時に近くでボチャンという水音がして、それに続いて小さい女の子の悲鳴、それから「助けて!」という声が聞こえた。
 
見ると、川の中に小学1〜2年生くらいの女の子が落ちていて流されている。それを見ておろおろしている友達?の女の子。
 
川は前日の雨で増水している。ボクと絵里花さんは急いで堤を駆け下りた。そして、そのまま絵里花さんは荷物を岸に置き靴を脱ぐと、華麗に水の中に飛び込む。きれいなフォームで泳いでその子の「後ろ側」に回り込むと、その子の髪を掴んで、岸まで泳いできた。ボクはその岸まで寄ると手を伸ばして女の子の手を掴む。そして思いっきり後ろに体重を掛けて、その子を上に引き上げた。
 
絵里花さんも自分で上がってくる。女の子はゴホンゴホンと咳をしている。
 
「水は飲んでないみたいね」
「ええ。大丈夫、君?」
「うん」とその子は返事するが顔が真っ青だ。
 
そばに居た子に訊く。
「この子のおうち分かる?」
「うん」
「じゃ案内して」
 
ボクがその子を背中に背負って、絵里花さんと一緒に、その友だちの子の案内で川に落ちた子を家まで送り届けた。お母さんが驚き、そしてボクたちに丁寧にお礼を言った。
 
「でもお互い、びしょ濡れになりましたね」
その子の家を玄関先で辞しての帰り道、ボクは絵里花さんに言う。
 
「まあ夏だし、すぐ乾くよ」
「絵里花さんの家、まだ遠いですよね。うちに寄っていきません?着替えくらいはありますよ」
「そうだなあ。お邪魔してみようかな」
 

ボクは絵里花さんを自宅に連れて行った。母が出かけていたが姉がいたので川に落ちた子供を助けてびしょ濡れになったことを言い、絵里花先輩に着替えを貸して欲しいと言った。
 
「それは大変でしたね。とりあえず私の部屋へ」
と言って姉は絵里花さんを自分の部屋に連れて行く。ボクも自分の部屋に行き、濡れた服を着替えた。
 
居間でお湯を沸かしながら待っていると、ほどなく姉と絵里花さんが出てきた。ボクが甘い紅茶を入れて3人で飲む。
 
「紅茶が美味しい!」
「誰が入れても同じ味になりそうなのに、冬が入れると美味しいのよね」と姉。
「わあ」
「冬は料理全般うまいんですよ。うちの主婦ですね」
「やはり将来的にも主婦になるのかな?」と絵里花さん。
「ああ、いいお嫁さんになると思いますよ」と姉。
「やっぱり、冬ちゃんって、家でもそういう扱いなのね」と絵里花さん。
 

「でも絵里花先輩、今日の泳ぎ凄くうまかったですね」とボクは言う。
「まあ、服を着てると水着の時と少し勝手が違うけど、ちょっとした要領よ」
「ああ、冬は金槌だもんね」と姉。
「あれ?全然泳げないの?」
「冬ったら毎年体育の水泳は休んでるもんね」
「うん、まあ」
「えー?なんで? 練習しないとうまくならないよ」
「でも・・・・」
 
「私が想像するに、たぶん男子用水着になるのが恥ずかしいんじゃないかな」
と姉。
「ああ、なるほど」
「胸を露出するのを恥ずかしく感じるみたいね、この子」
「ふーん」
 
「それと、小学生の男子用スクール水着って、おちんちんの形がハッキリ見えちゃうでしょ。それが嫌いだったみたいで。だからこの子愛知にいた3年生の時までは向こうはトランクス型の水着でも良かったのでそれを穿いて水泳の授業に出てたみたいだけど、東京に引っ越して来てから4年生以降は、こちらの指定水着がブリーフ型だったから、全部見学で押し通しましたね。中学に入ってから去年もずっと見学してたようで」
 
「ああ、なんとなく分かった。つまりお股の所の形を見られたくないのね?」
と絵里花さん。
「そうみたい」
 
「それって、おちんちんの形が盛り上がるのが嫌ということなんでしょうか、それともおちんちんが実は無いので、無いことを知られるのが嫌ということなんでしょうか?」
「どっちなんだろうね。私もこの子が幼稚園の頃は、おちんちんが付いているのを目撃しているけど、その後は見たことないから、果たして今付いているのか付いていないのか」
 
「お姉さんにもそれ分からないんですか? いや陸上部の女子の間でも男子の間でも、冬ちゃんにはおちんちんが付いているのか付いていないのかというのは、大いに議論されていて」
 
「そんなの議論しないでください」
「で、付いてるの?」
「付いてますよ〜」
「ちょっと見せてみない?」と姉。
「そんな、人に見せるようなものじゃないから」
 
「でも男子用水着になるのが嫌だったら女子用水着を着ちゃったら?」
と絵里花さん。
「ああ、それもいいですよね。冬は女子用水着を持ってますよ」と姉。
「へー」
「ただ入るのかなあ。小学5年生の時にこの子の友だちが悪戯で女子用水着を着せちゃったようで、その時の水着を記念にもらったのが・・・まだある?」
「持ってるよ」とボクは笑って答える。
 
「まだ着れる?」
「うん。着れるよ」
「なるほど。着てみてる訳だ」と絵里花さん。
「あ、しまった」
 
「冬に自白させるには、こういう誘導尋問が有効なんです」と姉。
「分かりました。私もこれからは誘導尋問で」と絵里花さん。
「うーん。。。」
 
「じゃさ、水泳の練習に付き合ってあげるから、明日は日曜日だし、その女子用水着を持って、○○の市民プールにおいでよ」と絵里花さん。
「○○市まで行くの?」
 
「地元より知り合いに会う確率が低いでしょ」
「ああ、そうか」
 

翌日、ボクは家で女子用水着を身につけてから、その上にふつうのポロシャツとチノパンを穿いて、○○市の市民プールまで行った。玄関のところで待っていると、ほどなく絵里花さんが来る。
 
「お待たせ。チケット一緒に買ってあげるね」
「あ、お願いします。あ、教えてもらうんだから絵里花さんの分も出せと言われたので」と言ってボクは2人分400円を渡した。
「了解。じゃ入場料は冬ちゃん持ちということで」
 
絵里花さんが券売機でチケットを2枚買い、1枚ボクに渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。え?中高生女子??」
 
「ふふふ。そういうこと。このチケットを持った以上、女子の方に来てもらうよ」
「えー!?」
 
受付を通る。赤いベルトの付いた鍵をもらう。絵里花と一緒にチケットを出したので続きの番号の鍵をもらった。
 
「この鍵が合うロッカーは女子更衣室にしか無いからね」
「うーん」
 
なんかこのパターンって前にも無かったっけ?とボクは思った。
 
「さ、冬ちゃん、こっちにいらっしゃい」
と絵里花はボクを女子更衣室に連れ込んだ。
 
「ちょっと・・・まずいですよぉ、ここは」
「冬ちゃん、雰囲気が女の子だからバレないって。それに女子トイレにはいつも入ってるじゃん」
「トイレと更衣室じゃ違いますよ〜」
 
「ああ、確認するの忘れてたけど、女の子の裸見て、興奮する口?」
「あ、それは無いと思います。女の子のヌード写真とか見ると、むしろ、わあ、このくらいバストがあるといいなあと思う」
「なーんだ。やっぱり女の子の身体になりたいのね?」
「あ・・・・・」
 
ボクは素直にロッカーを開けて上に着て来たポロシャツとチノパンを脱いだ。
 
「ふーん。やっぱり女の子の身体じゃん」
「誤魔化してるだけですよぉ」
「胸あるじゃん」
「パッドを入れてるだけです」
「ふーん。昨日の今日なのに、そんなの入れてるってことは元々パッドを持ってたのね」
 
「5年生の時に同級生に着せられた時、これも入れられたんです」
「なるほど。そういうことにしておこうか。お股も何も付いてないみたいに見えるけど」
「アンダーショーツで押さえ込んでるんですよ〜。これも5年生の時ので」
 
「ウェストのくびれは?」
「元々ボクはこんなもんです」
「つまり、元々女の子体型なのね」
「うーん。それは認めます」
「まあいいや。じゃ、本番。泳ぐよ!」
「はい」
 

絵里花さんの教え方は本当にうまかった。
 
全然泳げないボクに最初の30分はビート板を使ってひたすらバタ足の練習をさせた。そのあとクロールのフォームを地上で教える。息継ぎのタイミングまできちんと実地練習させられた。
 
そのあと水に入って、クロールで泳ぐ練習を始めるが、最も大きかったのは「顔をちゃんと水につけなさい」という指示だった。
 
ボクは最初息が出来ないのを怖がって顔をけっこう水から出していた。ところがそうすると身体が不自然に曲がってしまうので浮力がつかない。顔をきちんと水につけることで身体がまっすぐになってきちんと浮くようになるのである。怖がらずにきちんと形を守ると結果的にうまく行くというのは、ボク自身の哲学にとっても新鮮な発見であった。おそるおそるやるから失敗するのだ。やる時は思い切ってやるしかない。
 
ひたすらバタ足の練習と水を掻く練習をたくさんした。ビート板を使い、バタ足だけで25mプールを向こうまで行くとか、足はビート板を挟み、腕の水かきだけでどこまで泳げるかとかもたくさん練習して基本的な力を鍛えた。
 
息継ぎは6回に1度くらいにしてごらんと言われた。
 
ボクは肺活量が6000ccあるので、確かにそのくらい息継ぎしなくても全然きつくないのである。どうしても息継ぎする時にフォームが乱れがちなので息継ぎの回数を減らすことで、泳法が安定した。最初は10mも泳げなかったのに、息継ぎを変えただけで、その日の内にちゃんと25mクロールで泳ぐことができるようになったのである。
 

この後、絵里花さんは毎週土日(夏休み突入後は月水)に水泳を教えてくれた。2日目にはターンを教えてもらった。
 
1日目の時はターンなんてさっぱり分からないのでプールの両端では立ち泳ぎみたいな感じになってまた泳いでいたのだが、2日目の練習の時、くるっと回ってターンする練習をさせられる。これも最初はうまく身体をねじることができずに溺れそうになったり、手前過ぎてキックが空振りしたりしていたが、何度もやっているうちにちょうどいい距離と回転速度が分かり、いったん要領をつかむと、面白いようにクルリとターンできるようになった。それで50mでも100mでも停まらずに長い距離を泳げるようになったのだが、その長い距離を泳いでも全然きつくなかった。
 
「冬ちゃんって足自体はモデルさんみたいに細いけど、ほとんど筋肉だもんね」
「ええ。100mを14秒で走れるから。ボクたぷん体脂肪率凄く低いと思う」
「その足の筋力でバタ足すれば、体重が軽い分、凄い推進力が出るよ」
 
最初は覚え立てのクロールで25mを泳ぐのに2分くらい掛かっていたが、細かい点を注意され、それを直していくことで2日目の練習の最後には1分で泳げるようになり、3日目で50秒、4日目には40秒、5日目35秒、6日目30秒と、どんどん速くなっていった。
 

「プールだけじゃなくて海も経験しておこうか」と言われ、夏休みに入ってから8月の頭に『秋の大会に向けてのトレーニング』という名目で絵里花さんのお母さんの車で泊まりがけで海に行き、5日間泳ぎ尽くすことにした。参加したのは絵里花さんの他、3年の裕子さん、2年の貞子・美枝・若葉、そしてボクの6人。
 
集合場所に行ったら、いきなり荷物を取り上げられ、「冬ちゃんの着替えは用意しておいたから」と言われて、別のスポーツバッグを渡される。「帰りにこれは返してあげるね」
 
ボクは渡されたスポーツバッグの中身を確認した。ブラジャー、ショーツ、女物のポロシャツにスカート。あははは。
「このあたりは無いとまずいよね」といって、ボクの荷物の方からはジャージ、ランパン、ランニングシューズ、それにハンカチや財布などをこちらに渡してくれる。
 
「これ2-3年女子の合宿だからね」
「そうだったんだ!」
「男子も何人か集まって今日から合宿らしいしね」
「え?聞いてなかった」
「石岡君が冬ちゃんも誘おうかと思ってると言ってたけど、冬ちゃんはこちらに誘いたいからと言ったんで、向こうからは声掛けなかったんだよ」
「わっ」
「冬は女子部員だからね」と貞子が言う。
 

海岸の近くの安旅館に泊まり込み、午前中は準備体操をしてからひたすら泳ぎ、午後は日差しの強い12時から15時を休憩タイムにして、それから18時くらいまで今度は、ひたすら走った。
 
絵里花さんと若葉以外には、女子水着姿の初披露となったが
「おお、似合ってる」
「ちゃんと女の子に見える」
などと褒め(?)られる。
 
「おっぱいあるんですけどー」
「ああ、パッドです」
「お股に何も付いてないみたいに見えるんですけどー」
「嘘つきの人には見えません」
「そういう冬ちゃんがいちばんの嘘つきだと思いまーす」
「だからボクにも見えませーん」
 
海では、急に深くなる所とか離岸流とかの話をよくよく教えられる。みんなで一緒にけっこうな距離を泳いだ。念のため各自浮き輪に紐を付けて引っ張りながら、1kmほど沖合の島まで6人で一緒に泳いで行き、少し休憩してからまた戻ってくるなどということもした。実際には浮き輪は1度も使わなかった。
 
午後のランニングタイムもなかなかハードだった。ウォーミングアップのあと、公園の周回コース(1周2km)に50m単位のマークが入っているので、それを使ってスタートダッシュで1周(40回)、快調走50m+ストレッチしながらの歩行50mというのを2周(40本)。それから500m全力で走っては500mゆっくり走るというインターバル走で休憩を入れて2周×2〜3回した。インターバル走ではボクはどうしても全力走の部分で他の5人に遅れるので、ゆっくり走る部分で追いつく必要があり、かなり鍛えられた。そして練習の最後は少し涼しくなってきた所でロードを10kmである。
 
熱い中での練習なのでたくさん水分補給する。旅館でペットボトルに水を入れてきておいて、それを午後の練習の間にみんな4Lとか5Lとか飲んでいた。それだけ水分を取ると塩分も足りないというので、塩を舐めていた。
 
「走る時まで肌を出してたら日焼けで火傷するからね」
と言われて、長袖・長ズボン、それにしっかり帽子をかぶって走っていたので、無茶苦茶汗を掻いた。(毎日ホテルのコインランドリーで洗濯した)
 

たくさん筋肉を使うので、練習後は2人組になって柔軟体操とマッサージをする。マッサージの時はカンフル剤を付け、柔らかくマッサージする。マッサージの時は絶対に強く揉むなと言われた。強く揉むと毛細血管を切ってしまい、血行を悪化させると言われ、柔らかく揉むようにした。
 
柔軟体操やマッサージの組合せは、何となく雰囲気で絵里花さんと裕子さん、貞子と美枝、若葉とボクという組合せになる。若葉とは小6の時からの付き合いで「おっぱいの触りっこ」もたくさんしてるし、あまり性別を意識せずに済んだ。
 
夕食はタンパク質をたくさん取ろうということでこの5日間は毎日焼肉であった。食べ放題の焼肉屋さんが付属しているというのが、この旅館を選んだ理由だったらしい。ボクたちは付き添い役の絵里花のお母さんも入れて7人で「女性7人」の料金で、毎日たくさんお肉を食べた。
 
「ボクも女性で良かったんでしょうか?」と絵里花さんに小声で訊いたが「冬子ちゃんは女の子でしょ?」と言われる。
「そもそも冬って私より少食だよね」と若葉にも言われた。
「もっと食べなきゃだめだよ。身体をしっかり作らないと走れないからね」
と貞子からも言われて
「このくらいは食べなさい」と言われてお皿にどさっとお肉を盛られた。それでも若葉はボクの倍、貞子はその倍くらい食べていた。
 
ホテルは一応個室にバスが付いていたので、交替でバスルームに入って冷たいシャワーで肌のほてりを冷ましてから、ぬるめのお湯で身体を休ませた。正直、大浴場ではなく個室バスなのはホッとした。
 
部屋は、絵里花さんとお母さんに裕子さんで一部屋、貞子・美枝・若葉・ボクで一部屋である。
 

初日、お風呂は若葉・美枝・貞子・ボクの順で入った。「どういう順序?」と訊いたら「50音順」と言われたが、苗字でも名前でも50音順にならないのが不思議である。ただどうも、この日はボクを最後に入れるというので3人で話が付いていたようであった。ボクがお風呂からあがって、他の3人の会話に加わり、しばらくおしゃべりが続いていた時、美枝が「じゃ行こうか」と声を掛けると3人が一斉にボクに飛びかかり、押さえつけられる。
 
「何?何?」
「解剖するに決まってるじゃん」
「冬ちゃんが男の子なのか女の子なのかを確認する」
「そんなの確認しなくても男の子だよー」
「それがどうも信じられないというのが、みんなの意見でさあ」
「おとなしく解剖されて」
「やだ。やめてよー」
 
ボクは抵抗するものの、ポロシャツとスカートをあっという間に脱がされ、ブラジャーも外されてしまう。
 
「胸、少しあるよね、これ」
「うん。男の子の胸じゃないと思うな」
「えー?○○君とかこれよりもっと胸があるよ」
「○○君は肥満体型だもん。冬ちゃん、こんなに痩せててこの胸があるのは変」
 
「こら、自白しろ。女性ホルモン飲んでるだろ?」
「飲んでないよー」
「よし拷問だ」
「えー!?」
 
脇をくすぐられる。
「やめて、やめて」
ボクはくすぐったさを我慢できずに笑いながら抵抗していた。
「正直に言えば許してやるから」
「ほんとに何も飲んでないって」
 
「でもパンティの上からはあれが確認できないね」
「ほんとに付いてないみたいだよね」
 
どうも3人はパンティの上から見えるボクのお股のシルエットがどう見ても女の子の形なので、パンティを脱がせるのを少しためらっている雰囲気だ。
 
その内若葉がパンティの上からボクのお股を触る。
「触った感じ、これ何も付いてない」
「えー?どれどれ」と他のふたりも触るが同様に
「ほんとだ。何もないお股だよ」と言う。
 
3人がボクのお股を触っている間、ボクを押さえつけている力が弱くなった。一瞬の隙を狙ってボクは逃げ出す。
 
が、その瞬間反射神経の良い貞子がボクのショーツに指を掛けていた。ボクは前転しながら、自分でショーツを押し出して、身体だけ前に逃げた。
 
結果的にボクはショーツを置き去りにして逃げ出した格好になった。ボクは自分のバッグを取って部屋の隅まで逃げて、そこでお股を隠しながら別の下着を着けた。
 
「惜しい〜!」
「でも完全に裸になった瞬間をちょっとだけ見た」
「お股には何も付いてないように見えた」
「うん、少なくともぶらぶらするようなものは無かったよね」
 
「もう解剖は終了ね」とボクは服を着つつ笑いながら言う。
 
「ね、もう既におちんちんもタマタマも手術して取っちゃったんだよね?」
「やっぱりもう女の子の身体になってるんでしょ?」
「そうでなかったら実は元々女の子なのを誤魔化してたとか」
 
「そのあたりは企業秘密ということで」
とボクは曖昧な言い方をした。しかし彼女らのボクに対する「女体疑惑」はほぼ確定的になった雰囲気であった。
 
「でもいつ去勢したの?もし2年以上前なら女子選手としてエントリー可能だよ」
「小学6年の時に有咲が冬のお股を見たけど何も付いてなかったと言ってたから、その頃はもう取ってたんでしょ? それならもうそろそろ2年経つよ」
と若葉。
「女子としてのエントリーは無理だと思うけどな」
その付近に関しては3人もそれ以上は追求しない。
 
「でも、今日1日で水着の跡が付いちゃったね」
「あと4日間あるから、もっとしっかり跡は付くね」
「冬は、もう男の子の水着にはなれないね」
「男湯にも入れないね」
 
「あはは。後戻りできない所に来ちゃってたりして」
「というか、後戻りできない身体になってるんだよね?たぶん」
 
「もう2学期から学校にも女子制服で出ておいでよ」
「それはしてみたい気分」
「陸上部の内部では冬は既に完全に女子部員扱いだよ」
 
こんな騒動があったのは初日だけで、2日目からはふつうにおしゃべりしながら寝ていたし、お風呂もジャンケンで順番を決めて入ったが、ボクが「実は女の子のようだ」という認識が広がってしまったので、3人とは、より気安い感じで過ごすことができた。美枝がしばしば「プロレスごっこ」を仕掛けるので4人で入り乱れて取っ組み合ったりしていた。
 

この夏の水泳練習は陸上の方にも活かされた感じであった。
 
何といっても筋力がかなり付いたので、スパートに強くなった。ボクはしばしば長距離のレースで並んで走っていた選手にスパートを掛けられるとそれに付いていけなかったのが、水泳で鍛えた筋力のおかげで、けっこう付いていったり、逆に振り切ったりすることができるようになった。秋の大会の前に開かれた中高生男女混合のクロスカントリーでは、得意なアップダウンのあるコースを走ったせいもあるが、全体でも30位、中学生男子の中で10位の好成績を収めた。
 
「中学生女子では3位だよね」
と貞子が言ったがボクは
「男子としてエントリーしてるからね」
と笑って言っておいた。
 
このクロスカントリー大会の表彰式の時、何とも気の抜けた雰囲気の音楽が流れていた。「へい、柔道」と歌っているような気がしたので
 
「これ柔道の応援歌か何か?」とそばにいた美枝に聞いたら
「ビートルズのヘイジュードを知らないの?」と言われる。
 
「ビートルズ?」
「まさかビートルズを知らないとか?」
 

そこで家に帰ってから母に聞いてみると
「ああ、ビートルズのLPは全部持ってる」と言う。
「有名なバンド?」
「今のポピュラー音楽シーンは全てビートルズから始まると言っても過言ではない」
などと言われる。
「わあ、聴いてみたい」
 
「大量にあるから実家に置きっ放しにしてたんだよね」
と言って、母は高山の姉(ボクの伯母)に電話して、納屋のどこどこにあるはずのビートルズのLPをこちらに送って欲しいと頼む。
 
「ビートルズだけ取り出すの面倒だよ。あんたのっぽいやつ全部送っちゃってもいい?」
「うん」
「じゃ、ついでに私の持ってるロック系のLP・CDも送っちゃおう。私民謡しか聴かないから」
「え〜?」
 
荷物は翌々日届いたが、箱が10個もある。
「あのお。。。。」
「なあに?」
「スライド本棚がもうひとつ欲しいんだけど」
「いいけど、お父ちゃん最近忙しいから自分ひとりで組み立てて」
「あれ、手が4本無いと組み立てられないんだよ。奈緒を呼んで手伝ってもらおうかな」
 
母の運転する車でホームセンターに行き、2年前に買ったのと同様のスライド本棚を買ってきて、それから電話して奈緒をおやつで釣って来てもらって、一緒に組み立てた。ふたりで4時間掛かった。
 
「でもこんな作業、男の子の友だちに手伝い頼めばいいのに」
「だってボク、男の子の友だちなんていないもん」
 
「おやつだけでは不満。冬の揚げるトンカツを食べさせて」
と言われたので、ストックしているトンカツ用のお肉を使ってトンカツを揚げ、一緒に晩御飯を食べた。
 
「でも、あらためて見るに凄いCDライブラリだね」
「小学校の間にお母ちゃんが『いい音楽聴きなさい』と言って買ってくれたものが400枚くらい。小6の時に前の学校の友だちの大伯父さんの遺品っていうクラシックのCD/LPを2000枚くらいもらっちゃって、その後はお母ちゃんはクラシックは充分あるからと言ってジャズのCDを買ってくれたから、その系統もかなり増えたね。自分でお小遣いで買ってたのは主として国内の歌謡曲で、それが100枚くらい。だから今まで2700枚くらいだったと思うんだけど、今日届いてそこに積み上げている箱にたぶん1000枚くらい入っている気がする」
 
「すごい量だね。その内どのくらい聴いてるの」
「この本棚に収まっている分は全部聴いてるよ」
「・・・・冬って聴いたことのある曲は歌えるよね」
「うん」
「じゃ試しに」
と言って奈緒は適当に本棚から1枚CDを取る。
 
「えっと・・・ビーソーベン?」
「ベートーヴェン」
「ああ!ベートーヴェンってこう書くのか。クラヴィヤーソネイト?」
「うーん。ドイツ語だからクラヴィアゾナータって感じかな。ピアノソナタだね」
「えっと、その8番」
「これ有名だし、音楽の時間にも聴いたことないかなぁ」
と言ってボクはドレミで歌い始める。
 
「ミーレーソーーファ、ミソドレソー、(#)ソラーレミファ、ソードレミ、ファーミレドシレードー」
「あ、聴いたことある。じゃ、これ」
といって奈緒は別のCDを取り出す。
 
「ジョン・アイルランド?」
「ジョン・アイアランドって感じかな」
「ザ・ホーリーボーイ」
「うーん。その曲聴いたのだいぶ前だから歌詞は忘れちゃった。メロディーなら出てくるよ」
と言ってボクはその曲も階名で歌った。
 
「ドードレミファミード・ファーファソラ(♭)シラー・ラドードシラソラーレ」
「聴いたことない」
「けっこういろんな人がカバーしてるんだけどね。それはジュリー・アンドリュース版だね。少年合唱団なんかに歌わせると美しいんだよね」
 
「少年合唱団か・・・・昔、去勢の話とかしたね」
「ああ。でも今では去勢なんてごく簡単な手術だけど、昔は大変だったみたいね」
「けっこう死亡率も高かったんじゃない?」
「そうだね。麻酔が使われるようになったのはだいぶ後の方だから、最初の頃は首を絞めて気絶したところを手術してたらしい」
「きゃー」
「消毒なんて考え方も無かったから、ばい菌が入って死ぬ場合もあったらしいし」
「ああ」
「消毒って考え方が普及したのはナイチンゲール以降だもん」
「それかなり最近じゃん」
「うん。だから当時は医者にもよるけど死亡率が上手な医者でも1割くらい、下手な医者だと8割くらいあったらしいよ」
「ちょっと待って。8割って」
「5人に4人は死ぬ」
「それは酷すぎ。そんな医者にかかれって、それ自体が死ねと言われているに等しい」
「全くだね」
 
「・・・・ね、私と冬の仲だし、本当のこと教えて。冬って去勢してるの?」
「してないよ」
ボクは今日はずっとアルトボイスで会話している。
 
「ほんとに?」
「じゃ、ボクと奈緒の仲だし。触っていいよ。今、何も工作してないから」
「よし」
と言って奈緒はボクのお股を触る。
 
「・・・・付いてるね」
「ごめんね。付いてて」
「ううん。でも誤魔化すのうまいんだね!」
「ふふふ。また温泉に一緒に行かない?」
「じゃ、冬がお風呂に入った所で通報しよう」
「あはは」
 

母の実家から送ってもらったCD/LPだが、やはり最初はビートルズから聞き始めた。ビートルズだけで1箱半ある。あれ?そういえばこの人たちの曲を小さい頃歌ってたなというのを思い出した。I wont to hold your hand, Yesterday, She loves you, Norwegian Wood, Ob-La-Di Ob-La-Da, The Long and Winding Road, Martha My Dear, Lady Madonna, このあたりは歌った記憶があった。
 
当時歌いもらしていた曲でも、Hey Jude, Let it be, Yellow Submarine, Love me Do, I Saw Her Standing There, A Hard Day's Night, Here There and Everywhere, All My Loving, Ticket To Ride, Fool on the Hill, Can't Buy Me Love, Blackbird, Across the universe, Here Comes the Sun, A Day in the Life, Strawberry Fields Forever, Please Please Me, などなど、魅力的な曲がたくさんあった。 All you need is Love を聴いた時はいきなりフランス国歌が流れるので「なんだ?なんだ?」と思った。
 
やはりこの人たちの曲を聴いてなかったのは損失だな、と思う。
 
わずか8年間で活動を停止したのが惜しいと書いていた解説書もあったが、むしろこれだけの高密度の活動を8年もよく続けられたなとボクは思った。こんな強烈なバンドをまとめていたブライアン・エプスタインというマネージャーの才能にも尊敬の念を持った。アーティストは優秀な人ほど個性が強い。それをまとめるのは凄い能力だ。特にポールとジョンという凄まじすぎる個性は出会った時はお互いのパワーに感激して一緒にやりたいと思ったろうけど、しばらくやっていれば、どうしても対立ができたろうなというのは想像に難くなかった。
 
ビートルズの次に聴き出したのは姉に勧められたポール・モーリアだ。この人はやはり「アレンジの妙」が素晴らしい。この人の演奏を聴いているだけで世界のさまざまなヒット曲を耳にすることができるので「お得」でもあるし、聞きやすい素直なアレンジが「素敵」だと思った。これって勉強している時のBGMに凄くいい!耳に邪魔にならないし「一生懸命聴かなければ」という気にさせない「気楽さ」が絶妙だと思った。ボクはそこに音楽のひとつの究極を見る思いがした。このポール・モーリアのCD/LPがまた1箱半あった。
 
夏休みは陸上での練習に行く時以外、ひたすら聴いていたが、ビートルズで半月、ポール・モーリアで1ヶ月(ポール・モーリアはどの楽器にどういう演奏をさせているかを確認するため全部2〜3回聴いていた)が過ぎていった。
 

そして秋の大会が来る。ボクは春の大会と同様に1500mと3000mにエントリーしてもらっていた。
 
「えっと、男子の方へのエントリーでいいんだっけ?」と石岡部長。
「はい、それで」
「じゃ男子にエントリーするけど、トイレは女子トイレ使えよ」
「はい」
 
春の大会では石岡さんや絵里花さんが何種目にも出て優勝したものの総合成績では3位に留まった。やはり前年の3年生に優秀な人達が多かったので、その穴を埋めきれない感じだった。この秋の大会では1年生の梶本君が凄かったし、石岡さん、絵里花さん、裕子さん、野村君、貞子といったところがフル回転で活躍して点数を積み重ねる。途中の点数経過を見てきた花崎先生が「今のところ2位だよ」と嬉しそうに言う。
 
「でも得意の短距離はほとんど終わったからなあ」
「絵里花が800,1500で優勝してくれるさ」
「今年は※☆中学の##が絶好調だからなあ。春の大会ではあわや中学新記録ってタイムだったし」
「でも絵里花先輩も2年前にほぼ同じくらいの記録出してますよね」
「あれはまぐれよ」
 

そんな話を聞きながらボクは1500mを走りに行った。スタート地点に行った時
「あれ?君、これは男子の1500だけど」
と言われる。
「済みません、よく間違われますが一応男子です」と男声で答えた。
「あ、ごめんごめん」
 
スタートラインにつく。「位置について」で走り出す体勢になる。号砲と共にスタート。最初からハイペースで飛ばす。1500mだから最初から最後まで全力走だ。夏の浜辺の公園でやったインターバル走を思い出す。
 
こういう長距離のトラック走では特に初期段階でのポジション争いが激しい。春の大会ではボクもここで気後れしていたのだが、今回は負けるものかと強引に前の方へ割り込む。そして隙あらば抜いて相手の前に出る。そのあたりは昨年さんざん加藤先生に指導されたことだが、昨年の体力ではできなかった。しかし今年はできる。
 
ぐいぐい攻めていく。そして選手の列は次第に間延びしていく。ボクはできるだけ前の方に自分の身体を押し込んでいった。
 
あっという間にトラックを2周していた。もう半分が過ぎている。ボクは軽くスパートを掛けて先頭の走者に並ぶ。すると向こうもスピードを上げて離そうとする。それを置いて行かれるものかとしっかり付いていく。ボクとその選手とのつばぜり合いが続く。その状態でトラックを一周した。残り一周!
 
向こうがスピードを上げるがこちらも気合いを入れて離されないように付いていく。そして残り半周というところでボクは仕掛けた。残る力を振り絞ってラストスパート。相手の前に出て、どんどんペースを上げる。足音を聞いて引き離したかな?と思った。
 
でもそれがボクの油断だった。
 
もう目の前にゴールが迫ってきた時、猛然と彼がダッシュしてボクを追い抜く。ボクはもう彼に付いていく力が残っていなかった。彼と胸の差ひとつでゴール。
 
軽く流してからゴールの所に戻って来て膝に手をやりハアハアと大きな息を付く。彼が握手を求めてきた。「ナイスファイト!」と声を掛け合って握手した。
 
ボクにとってはトラック競技で初の賞状をもらった。チームの所に戻ると「やったやった」と言って、絵里花さんがボクをハグする。その後、若葉、貞子、美枝ともハグした。
 
「なんで唐本君、女子とばかりハグするの?」と花崎先生。
「ああ、唐本は女子ですから」と石岡さんが笑っていた。
 
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【夏の日の想い出・ひたすら泳いだ夏】(1)