【夏の日の想い出・星の伝説】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-09-22
そういう訳で出かけて行ったが結局、譜面は読んだもののぶっつけ本番だ!
なんか私が演奏参加する時って、ぶっつけ本番というのが多い気がするなあなどとも思った。
私たちが行った時は小学生の鼓笛隊が演奏していた。ああそういえば私もやって、あの時も結局女子のユニフォーム着せられちゃったな、などと懐かしく思う。ふと、私って、そもそも男の子としての生活を持っていたのだろうか?と自分で疑問を感じてしまった。
今日は少し天候が微妙で風も強い。とりあえず今は空がもっているが、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様である。万一雨がある程度降ってきた場合はその時点で中止することにしているし、楽器に掛けるビニールなども持参してきている。
やがて鼓笛隊がステージでの演奏を終えて、行進しながら小学校の方に戻っていく。その後が私たちの番だ。
楽器を運び込み、譜面台を立てる。椅子の配置を調整する。5分ほどでスタンバイして、3年生の部長さんの指揮で演奏を始める。
最初は『ハンガリー舞曲第五番(hungarian dance 5)』。
ラードミード・#ソーラシラ、ファーラミーミ・レドシドラ
と、何かと取り上げられる機会の多い、馴染みのあるメロディーである。元々はピアノ曲だが、ヴァイオリンやオーケストラで演奏することも多い。オーケストラ版も演奏経験があり、その時もヴァイオリンでメロディーを弾いたが、今回演奏している吹奏楽版では、そのメロディーを最初クラリネットで吹き、その後はホルンと一緒に吹く。どっちみちクラリネットは主役だ。私は以前この曲をオーケストラの中で弾いた時のことを思い出しながら吹いた。
続けて『ウィリアムテル序曲』。オペラ『ウィリアムテル』の序曲だが、この序曲自体が4つの曲から成っており、一般に演奏するのはその終曲(序曲の終曲!)『スイスの兵隊の行進』である。タッタラタッタラ・タタタ、タッタラタッタラ・タタタ、という馬が駆け足で行進していくかのような軽快なリズムの曲で、吹奏楽でも取り上げられることは多い。最初のファンファーレはトランペットだがその後の馬の歩みは木管の担当だ。
そしてモーツァルトの『トルコ行進曲』。ピアノ独奏で演奏されることの多い曲。吹奏楽アレンジではフルートが主役だが、繰り返し部分では一時クラリネットがメロディーを担当するようになっていた。
そして同様に行進曲として有名なエルガーの『威風堂々』(の1番)。ここは行進曲が3つ続く所で、吹奏楽の魅力が出る所である。
さて、この『威風堂々』を演奏している最中に少し風が強くなってきた。私は貴理子と隣り合わせでひとつの譜面を使用しているのだが、貴理子がクラリネットのリーダーなので、私が譜面をめくる係をしている。ところが風が強くて、正確にめくるのに苦労する。
1ページだけめくりたいのに、まとめて2〜3ページめくれたりするので、その度にクラリネットをいったん膝に置いて両手でしっかり譜面を押さえつけたりしていた。その内、風で勝手にめくれたりすることもあるので、それもすぐに元のページに戻す。
どうもみんなこの譜面が風でめくれるのに苦労しているようで、あちこちでいったん楽器を置いて譜面を正しいページにするのに時間を取られている子が出ている感じだった。
そして・・・この『威風堂々』のラスト付近まで来た時、猛烈に強い突風が吹いてきて、譜面が全部飛んで行ってしまった! 持ち替えをしていた子は、使っていなかった楽器が突風で飛んでいき、慌てて拾いに行っていたが、楽器は拾わざるを得ないとしても、この場は譜面を拾いに行くのは演奏を中止することになる。そもそもあれだけ勢いよく飛んで行くと、追いつけるかどうかも怪しい。
それで指揮をしている部長も『取りに行くな』というのを手で示し、そのまま譜面無しで演奏を続ける(譜面は商店街の人や観客さんが拾ってくれたが全部は回収できなかった)。
さて、『威風堂々』はもう最後の方だったので、何とか最後まで演奏したものの、もう1曲『四季』の『春』(第一楽章)が残っている。しかもこの『春』
はかなりアレンジされていて原曲とは相当異なる。
しかし部長はもうこのままやってしまおうという態勢だ。
貴理子が
「私の音を聴きながら吹いて」
と小声で言った。
「うん」
と答える。
この譜面は私はさっき学校で1回見ただけで演奏したこともない。
でも演奏開始!
ミファラ・ソーファミレッソ、ドレミーファミレー
という有名な出だしを最初はトランペットが華やかに吹く。それに対する応答をフルートが吹く。次は金管セクション全体で主題を提示し、木管セクション全体でそれに応じる。
私は貴理子の音を聴きながら、そして1時間ほど前に1回だけ見た譜面の記憶を辿りながら、そして音の流れから次の展開を想像しながら、この楽しくアレンジされた曲を吹ききった。
風がますます強くなってきていたが、観客から盛大な拍手をもらい、私たちは譜面立てその他を持って退場した。
「何とかなったねー」
「良かった、良かった」
「冬、私の音を聴いてからその音を出すんじゃなくて、次の音を想像しながら吹いてた感じ」
「そうしなきゃ、遅れちゃうからね。それに一応譜面は1回読んでたし」
「そのあたりは冬の才能だなぁ」
と貴理子は感心したように言っていた。
「普段でも週に1回くらいは練習に来ない?セーラー服を着て」
「あはは。ごめーん。時間が無い」
今にも降り出しそうな空なので、私たちは楽器に予めビニールを掛けてから、それを持ち、学校まで歩いて戻ったが、学校まで辿り着く前に大粒の雨が降ってきて、私たちは結局ずぶ濡れになってしまった。
すぐ男子女子各々、更衣室に使っている部屋に入って着替えるが
「私、下着までびっしょり」
「私もー」
などという声があちこちであがっている。
「濡れちゃったしブラ外しちゃおう」
なんて言って外して胸を露出している子もいるが、そんな風景を見ても私が平気な顔をしているので貴理子とヤヨイが「ほほぉ」という感じで私を見ている。
「おうち帰ったら、お風呂入って暖まらなくちゃ」
「みんな風邪引かないようにねー」
「ユニフォームは済みません。各自洗濯して連休明けに持って来てください」
などと3年生の人が言っていた。
「冬さ、女の子の服を家で洗濯して干しても問題無い?」
と貴理子が小声で訊いた。
「ああ、その辺はどうにでもなる」
「なるほどねー」
と貴理子は納得したように頷いた。
吹奏楽の演奏に参加した翌日、5月2日は平日なので学校がある。父も会社があるのでいつものように6時過ぎに出かけて行った。
私はいつものように父の朝食とお弁当を作って送り出した後、のんびりと起きてきた母と姉と一緒に朝御飯を食べ、7時20分くらいになってから、自分の部屋に行き、学生服を着て学校に行く準備をする。大学生の姉は今日は休講だと言っていた。
学生鞄を持って居間に出てきた所で電話が鳴る。そばに居たので反射的に取る。
「はい、唐本です」
と私はいつものように!?女声で応答したが
「おお、洋子ちゃん、良かったぁ、捕まえられた」
と言うのはドリームボーイズのマネージャー、前橋さんの声だ。
「おはようございます、前橋さん。どうかしました?」
「明日から3日間、5月3,4,5日、洋子ちゃん何か予定入ってる?」
「民謡のお稽古の予定は入ってますが、動かせないことはないですが」
「じゃ、申し訳無いけど空けてくれない? 幕張3日間のライブやるのにダンスチームの頭数が足りなくてさ」
「それ今回は足りてるから大丈夫と言っておられましたよね?」
「それがアランちゃんがさ、お腹の調子がなんかおかしいといって病院に行ったら、あなた妊娠してますよ、と言われて」
「へー。何ヶ月ですか?」
「それが9ヶ月だと言うんだよ」
「えーーー!?」
「再来週が予定日だって。本人、全然気付いてなかったらしい。それでお医者さんから臨月にライブのダンスなんてとんでもないと言われたと」
「彼女、全然妊娠してるようには見えなかったのに」
「そうなんだよねー。だから周囲も気付かなかった」
「でも生理が止まってたら普通自分で気付きません?」
「あの子、極端な生理不順で、以前にも半年くらい来なかったことあるらしい」
「ああ」
「という訳で、お願いできない?」
「分かりました。行きます」
「それで明日の練習したいんで、申し訳ないけど、今日集まれる?」
「行きます。場所はどちらですか?」
ということで、私は急遽、連休後半の3連休、またまたドリームボーイズのバックダンサーをすることになってしまったのである。
「ごめーん。お母ちゃん、今日、ボク学校休む」
「お友だちが妊娠したの?」
「そうなんだよ。19歳なんだけどね。9ヶ月まで気付かないなんて、信じられない!」
「ああ、そういう話は、たまに良く聞く。前聞いたのでは予定日は今日です、と言われた子がいたらしいよ」
と姉。
「凄い。アランちゃんもそれに近いな」
「冬は、不用意な妊娠しないように気をつけなよ」
と姉。
「大丈夫だよ。ちゃんとコンちゃん付けてって言ってるから」
「・・・あんた、そういうことを男の子としてるの?」
「冗談だよ」
「あんたが言うと冗談に聞こえないからさ!」
「そもそも、ボクが妊娠する訳ないじゃん」
「いや、冬なら分からん」
と姉と母の両方から言われた。
取り敢えず母が学校に連絡してくれたので、私は自室に戻ってセーラー服に着替えて居間に出てきた。
「あんた、学校には学生服で行くけど、仕事にはセーラー服で行くんだ?」
と姉。
「うん。きちんとした服で行かないといけない所が多いけど、学生服で行ったら話が面倒になるし。それにボク男の子の服では演奏能力が出ないんだよ」
「確かにあんた女の子の服を着ていると、エレクトーンもうまくなるね」
「じゃ、もしかしてセーラー服着て学校に行ったら、学校の成績も上がるんじゃないの?」
「あはは。それはそうかもね」
「あんたさ。それ萌依のお下がりだけどデザイン変わっちゃったんでしょ?自分のセーラー服作る?」
と母が訊く。
「うーん。別にこれで通学する訳じゃないから、いい」
「どうもあんたの基準が分からん」
それでとにかくその日は練習場所に行った。
取り敢えずリーダーの葛西さんや、常連の松野さんなどとハグする。
「久しぶりだね。ダンス参加は」
「ええ。2〜3月は駅伝の練習で忙しかったので」
「ああ、陸上部だったんだよね」
「はい」
「活躍できた?」
「ええ。何とか。5人抜きやりました」
「おお、凄い!」
明日からのライブで演奏する曲のリストを渡される。
「分からない曲はある?」
「これと、これと、これが分かりません」
「じゃ、踊ってみせるから」
と言って葛西さんがCDをCDラジカセに掛けて踊ってみせてくれた。
「はーい。洋子ちゃん、やってみよう!」
と言われるので、CDに合わせて踊ってみる。
「すごーい。一発で覚えちゃうなんて!」
とこの日初顔合わせだったレイナちゃんから感激された。
その日は2時までダンスチームだけで全曲通しての練習をし、遅い昼食を取ってから、ドリームボーイズとの合同練習を19時頃までした。
帰ろうとしていたら、葛西さんから
「洋子ちゃん、ちょっと」
と言われる。
葛西さんはその日車で来ていたので
「家まで送って行くから、中でちょっと話さない?」
と言われる。
そういう訳で彼女のmocoの助手席に乗り込む。
「あのさ、洋子ちゃん。答えにくかったら答えなくてもいいんだけど、最近洋子ちゃん、蔵田さんと結構個人的に会ってない?」
「会ってます。でも怪しいことはしてませんよ」
「いや、普通の女の子なら蔵田さんが女の子に興味持つ訳がないから気にしないんだけど、洋子ちゃん、ちょっと特殊だからさ」
「最初蔵田さんがそれを期待した雰囲気もありましたけど、最近はひたすらおしゃべりだけです。こないだはカシオペア論で5時間話してましたし」
「あはは。それなら私も姫神論で3〜4時間やられたことあった」
「蔵田さん、女の子相手に話すことで、自分の頭の中を整理してるみたい」
「うんうん。だから長時間話すんだろうね。聴いてると最初に言ってた話と微妙に変わってきていることもあるから」
「でしょうね。人に話すと結構そのあたり整理できますよね」
「じゃ、洋子ちゃんのことは、蔵田さん女の子とみなしてるのね?」
「何度か男の子の服で出てきてと言われたことあります。でも結局途中で女の子の服に着替えてと言われるんです。私が女の子の服を持って来てなかった時は、スカート買ってもらったこともあったし」
「へー!」
「私のこと男の子と思おうとしてみたけど無理だって言われました」
「それは私も同じだ!」
うちの中学は6月に体育祭がある。
1年生の時は、全員参加の徒競走(100m)の他、綱引き、男子全員による体操、に参加した。この時期はまだ私の「化けの皮」がまだあまり剥がれていなかった時期であった。
でも私が女子仕様のショートパンツを穿いていて、髪型も女の子っぽいので、体操競技の時は「あれ、女子がひとり混じってるね」などと言われていたらしい。また、綱引きではどうしても隣の子と身体がぶつかる。それで隣で引いていた小学校の時の同級生女子から
「冬ちゃん、胸がある」
と言われて、笑って誤魔化しておいた。
しかし2年生にもなると、私の「実態」がかなりバレている。体育祭の一週間前の昼休み、クラス委員の良子と日下君が私の所に来て言った。
「冬ちゃんさ、男子の体操じゃなくて、女子のダンスに出なよ」
と良子が言う。
「いいのかなぁ」と私。
「だって冬ちゃんってダンス大得意だよね。普段の体育の時間もダンスの時は女子の方に来てもいいのにって、こないだ道田先生言ってたよ」
「うーん・・・」
「唐本さあ、触った時の感触が女の子だから、組体操で組む奴が恥ずかしがって、きちんと組まずに怪我したりしたらいけないから」
と日下君まで言うので、私は女子のダンスに参加することにした。
「で練習は、いつからだっけ?」
「明日から毎日放課後1時間。男子は校庭、女子は体育館だから間違わないでね」
と言われたのだが、その日の放課後、チア部の協佳が来て
「冬、ちょっと来て」
と言われて、生徒会室に連れて行かれる。
「おお、アドバイザー来た、来た」
とチア部の部長で3年生の由乃さんが言う。何だか吹奏楽部の3年生の知花さんに、女子の体育の先生・道田先生もいる。知花さんはチア部を兼部しているので、結局これはチア部の集会のようだ。
「アドバイザーって?」
「唐本さんって何の踊りでもさっと踊れるんだって?」と先生。
「そんなことないですけど」
「候補曲を踊ってみて欲しいのよね」と由乃さん。
「なるほど」
「あ、待って、先輩。前提として冬に女の子の服を着せないと」
と協佳。
「あ、忘れるところだった。冬ちゃん、これ着て」
と知花さんも言って、何だか衣装を渡される。
「これ、チア部のユニフォームでは?」
「去年も着てたし」
私はポリポリと頭を掻いて、衣装に着替える。もう女子の前で着替えるのは今更なので恥ずかしがったりしない。
「あれ、唐本さん、女子の下着つけてるんだ?」
と道田先生が言ったが
「当然です」
と言われる。
「冬は学校の授業が終わった後、セーラー服に着替えてからお稽古事とかに通ってるんですよ〜」
「へー!! だったら、いっそ朝からセーラー服で通学してきて授業もそれで受ければいいのに。体育は女子の方に来ていいし」
と先生。
「ね!」
私は笑って誤魔化しておく。
「冬、ケツメイシの『君にBUMP』踊れる?」
「音楽があれば」
「あ、じゃ流すね」
協佳が音楽を流すので私はそれに合わせて『君にBUMP』を踊る。
「ああ、これは覚えやすくてみんな乗れそうね」
と先生。
「やはりこれは候補だなあ」
私はその後、求めに応じて10曲くらいのダンスを踊ってみせた。
「でも冬ちゃん、何でも踊っちゃうね〜」
と道田先生は感心したように言う。呼び方がいつの間にか女子生徒を呼ぶのと同様、名前呼びになっている。
「冬ちゃんに踊ってもらったの見た感じでは、大塚愛の『さくらんぼ』、ケツメイシの『君にBUMP』をやってから、メインはドリームボーイズの『噂の目玉焼きガール』かなぁ」
と由乃。
「しかし凄いタイトルね」
と先生。
「あの人たちのいつもこうなんです。そりゃないだろ?って感じのタイトルにするのが好きらしい」
と協佳。
「最初の頃はレコード会社や事務所から『あんたら売る気ある?』と随分言われたらしいですけど、もうこういうのがあの人たちのスタイルになっちゃいましたね」
と私も言う。
「でも冬ちゃんの踊りが『噂の目玉焼きガール』では凄く洗練されてたね」
と由乃さんが言ったが
「そりゃ本物ですから」
と協佳が答える。
「へ?」
「冬はドリームボーイズのダンスチームの一員ですよ」
「ええ、まあ」
「ドリームボーイズのファンサイトにも写真が貼られてるね」
「えーーー!?」
「ゴールデンウィークの幕張3日連続ライブにも出てたよね」
「うん」
「凄っ」
「まあ、ドリームボーイズのダンスチームはリーダーの葛西樹梨菜(じゅりな)さん以外は毎回その都度調達してるんですけどね。だからリーダー以外はエキストラなんだけど、何人か比較的良く入っているメンツがいて、私や竹下さん・松野さんなどは結構よく出てるから、写真も随分貼られてますね。私、サイン求められたこともありますよ」
「おお、凄い!」
「だったら、先頭真ん中で踊ってもらおう」
と由乃。
「ああ、いいですね」
と知花。
「先頭真ん中は、1曲目1年生、2曲目2年生、3曲目3年生のつもりだったけど、本物がいるなら、3曲目を2年生に譲るね」
と由乃。
「わぁ。頑張ります!」
と協佳は答えた。
そういう訳で私は体育祭の女子全員によるダンスの3曲目に先頭中央で、協佳と組んで踊ることになってしまった。私としてもペアの相手が気心知れた相手なので、安心感はあった。
「冬ちゃん、体育祭ではその衣装を着る?」
「体操服にさせてください」
「恥ずかしがることないのに」
「父に見られたら何と言われるか」
「ボディコンとかの衣装着た写真を全国に晒してるのに今更だと思うけど」
「ほおほお」
篠田その歌の『ポーラー』は6月1日に発売され、初動で4万枚売れた。事前に流されていたPVも映像の美しさが話題になっていた。撮影地を尋ねる電話も随分掛かってきていたので、急遽「撮影地:珠洲市折戸町」というテロップも入れたためその年の夏休み、現地を訪れる「聖地巡礼」の人が随分行ったらしい。
その歌のデビュー作の『魔法の扉』が累計で3万枚だったのでファン層が次第に広がりつつあるのも分かる。その売れ行きを見て、○○プロと★★レコードではすぐに次のCD制作を決めた。それで私は前田係長に呼ばれて○○プロに赴いた。篠田その歌、谷津マネージャー、それにデビュー作と今回続けてギターを弾いた杉山さん、今回ベースを弾いた鯛尾さん、フルートを吹いた中山さん、サックスを吹いた神原さんも来ていた。
「やはり『ポーラー』の出来が良かったんで、ぜひこの雰囲気で行こうよ、というので、同じ作曲家で行くことになってね。次の作品は一応9月に発売する予定。で、次は本名で書くと言ってる」
と前田さんは言った。
「もしかして誰かの覆面だったんですか?」
とその件について何も知らなかった風の鯛尾さんから質問が出る。
「このことは一切口外しないで欲しいのだけど、実は上島雷太だったんだよ」
「ワンティスの!?」
「うん」
「ワンティス活動再開するんですか?」
「そちらはやはりしないらしい。でも作曲活動はしようということで。どうもね。ドリームボーイズの蔵田さんの活動に刺激されたみたいで」
「ああ」
「元々ワンティスとドリームボーイズはライバルだったからね。ドリームボーイズの蔵田さんがヨーコージの名前で松原珠妃に書いた『鯛焼きガール』が凄く好評でしょ。それでどうも他のアイドル数人からも楽曲提供依頼が来ているみたいで」
と言って前田さんは私を見る。
「へー、そうなんですか」
と私は曖昧な返事をした。
「洋子ちゃん、偉いね。守秘義務を守ってる」
と前田さん。
「はい。申し訳ありませんが、しゃべってもいいと言われたこと、公表されていること以外は何も話せません」
と私は言った。
前田さんは頷く。どうもここは私をダシにして、情報のコントロールに関して再度ここにいるメンバーに注意を促したのだろうと私は思った。
「だから『ポーラー』の作曲クレジット《ユーカヒ》というのはヨーコージを意識したペンネームだったんだよ。でも次からはちゃんと上島雷太の名前で書くらしい」
「そうか。カヒって、コーヒーのことか!」
「だから上島なんだ!」
「ユーカラ織りで騙されたね」
「ユーコーヒーじゃ、すぐ上島を想像されるし、ヨーコージと似すぎてるから少し変えたみたいだね」
「なるほど」
「でも上島さん、作詞もなさるんですね?」
「そうそう。ワンティスでは高岡さんが凄くきれいな詩を書いていたから出番が無くて曲だけ書いていたけど、上島さん自身もけっこう良い詩を書くみたいだね」
「へー」
「それでこの際、篠田その歌のバックバンドにも名前を付けようということになって」
「ほほぉ」
「杉山君と話し合って、今回の曲『ポーラー』にちなんで『ポーラスター』にしようということになった。ちょうどメンバーが7人で、北極星の篠田その歌を守る北斗七星みたいということで」
と前田さん。
「北斗七星ならビッグ・ディッパーでは?」
「ポーラスターの方が北極星ですよね?」
「まあまあ、そのあたりは語感の問題で」
どうも、何か格好いい名前はないか?というのでポーラスターという名前を決めて理由は後付けという感もある。
「そういう訳で、今日は5人しか来てないけど、取り敢えず『ポーラー』を演奏した7人が、ポーラスターのメンバーということで」
「でも済みません。どのくらい参加できるかは分かりません」
と私は言った。
「済みません、同じくです」
とベースの鯛尾さんも言う。
「まあ、そのあたりは各自出て来れる時だけ出てきてもらって、都合の付かない時は適当に代替メンバーを入れるから」
と前田さんは言った。
「それで星にちなんで、七夕の日、7月7日にライブをやろうという計画をしているですが、みなさん出られますか?」
「平日なので、学校が終わってからでよければ」
と私は言った。
「夕方19時開演予定。場所は横浜ナショナルホール」
「いきなり大会場ですね!」
そこは4000人ほど入る大きな会場である。篠田その歌はこれまで数百人から1000人規模の会場しか経験していない。
6月12日。中学の体育祭が行われる。今回出るのは徒競走(100m)、3000m走、そして女子の!ダンスである。
100mは全員参加だが、男子6人で走って4位だった。去年までは確実に最下位だったので、少しは進歩したということか? ダッシュではトップに立ったのだが、その後抜かれてしまった。
3000mは「唐本、陸上部だろ?3月の駅伝で区間新記録だって?」と言われて出ることになった。で例によって、集合場所に行くと、今年転任してきた先生が居て
「君、これは男子の3000mだけど。女子の2000mは次の次だよ」
などと言われた。
全くお約束の事態であるが
「すみませーん。私、男子みたいですー」
と答えたものの信用してもらえない!
陸上部で同学年の野村君が
「いや、唐本は戸籍上は男子なので」
と言ってくれたので、追い返されることなく参加できた。でも彼も
「もっとも身体は女ではないかという噂もありますが」
などと付け加える。あははは・・・
レースは1〜3年の各クラスから男子1名出てきていて18名で走る。スタンディングスタートの体勢から号砲を合図にダッシュする。
野村君、石岡さんと私の3人で、陸上部同士で先頭争いをしている内に、スタートは出遅れたものの俊足のサッカー部の子と野球部の子が追いついてきて、5人で先頭集団を作った。そのまま8周ほど多少の順序変動しながら5人で走り周回遅れの子をどんどん追い抜いていく。
しかし3000mは長丁場である。走り慣れていないとペース配分が難しい。10周目あたりでサッカー部の子が遅れて、4人の争いになった。そのまま12周目くらいまで行く。このあたりから「誰が仕掛けるか?」とお互い疑心暗鬼になってくる所だ。飛び出して逃げ切られるといいのだが、早すぎるとその後最後までもつかという問題がある。
そこに第2集団に居たバスケ部の子が猛然とスパートを掛けてきた。その子に陸上部の3人が付いて行く。野球部の子が遅れて結果的にまた4人の集団になる。それで落ち着くかと思った時、野村君がスパートを掛けた。石岡さんが付いていく。私も付いて行こうとしたが・・・ダメだった。
でもこちらも体力の残っている範囲のスパートを掛けてバスケ部の子を引き離す。目標は4〜5m先を走る野村君と石岡さん。でも自分の足では追いつけない。それでも必死に走り、最後の2周を回る。
結局3位でゴールした。
1位になった野村君と2位になった石岡さんが抱き合っていたが、野村君は、私とも抱き合おうとして・・・結局握手した!
「すまん。唐本と抱き合うと変な気分になりそうだから」
「あはは」
ちなみに、私の3位入賞の賞状は「唐本冬子」名になってた(お約束)!しかも「女子3000m」と書かれていた。そんな競技無いのに! また例によって「女子がひとり混じってたね。しかも3位って凄いね」と保護者たちから言われていたらしい。
「でも唐本頑張ったな。秋の大会でも、お前また1500と3000に出すから夏の間しっかり鍛えて今度は入賞目指せ」
と石岡さんから言われた。
「はい、頑張ります」
先月の大会では私は1500も3000も前の走者から大きく離されて最下位だった。しかしそれは陸上部員の長距離のスペシャリストの中での成績なので昨年秋の大会で400mで大きく離されて最下位だったのとは違うと私自身思っていた。
お昼はお弁当を持って来てくれた母と会い、少し言葉を交わしてから、若葉、美枝、貞子と一緒に4人でお弁当を食べた。
「冬、お母ちゃんと何か話した?」
「うん。3000mの3位を褒められた。それから午後は男子の組体操に出るの?と訊かれたから、正直に女子の方のダンスに出ると言った」
「何か言われた?」
「笑ってた」
「冬のお母さん、けっこう冬のことを理解している気がする」
「むしろ若干、煽っている気もする」
「息子を娘に改造する計画ね」
「ああ、それはお姉さんの方が熱心。明らかに弟を妹に改造しようとしている」
「おっぱい大きくするサプリ渡してるんでしょ?」
「いや、既に改造済みなのではないかという説もあるけど」
「おっぱいも、これかなり成長してるよね〜」
などと言って美枝から触られる。
「私、冬におっぱいのサイズで負けてるかも知れん」
「それはさすがに無い」
「どれどれ」
などと言って貞子が私と美枝の胸に触る。
「うーん。いい勝負という気もするぞ。美枝頑張れ」
昼休みが終わり、最初男子の組体操がある。私はそれを他の女子たちと一緒に本部前に整列して座って見ていた。他の女子達はふつうの体操服だが、中央で踊る私や協佳は結局チアの衣装でミニスカである! 私は今日は父が来てなくて良かったと思った。
「冬ちゃん、今更だけどミニスカに全く違和感が無い」
と隣に座っていたクラスメイトの杏奈から言われる。
「だいぶ抵抗したんだけどねー。押し切られた」
「多分、冬ちゃんミニスカでないと、本来の運動能力が出ない」
「冬ちゃん、午前中3000mで3位だったけど、もしスカート穿いて走ってたら、1位になってたよ」
と反対側の隣に居た良子。
「あはは。それ陸上部の人の前で言わないでね。絶対やらされる」
男子の体操を見ていて、私が何気なく
「**君、格好いいねー」
と言ったら
「冬ちゃんも、**君好き? 彼人気あるよね」
と杏奈。
「いや、好きとかそういうのではないけど・・・」
などと私が顔を赤らめながら言うと
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに」
と言われた。
「冬ちゃんってバイだっけ?」
と良子が訊く。
「そうかなぁ。自分ではストレートだと思ってるけど」
「ちょっと待ってね。冬ちゃんの言うストレートって、男の子が好きなんだっけ?女の子が好きなんだっけ?」
と良子が頭に指を当てながら訊く。
「え?ボクが好きなのは男の子だよ」
と私は答える。
「だよねー」と杏奈。
「うーん。。。」と良子が悩んでいる様子。
「男の子と付き合ったことある?」
「付き合ったことはないけど、デートっぽいことしたことは何度かあるかな」
「それ、どこまで行ったの?」
「えっと・・・あはははは」
「ちょっと待て。誤魔化したくなるようなことまでしてるの?」
「一応、まだバージンは守ってるよ、多分」
「うーん・・・・・・・」
と言って、良子と杏奈は顔を見合わせた。
男子の体操が終わり、入場ゲートに下がって、女子が校庭に走って広がる。最初はケツメイシの『君にBUMP』。チア部の3年生女子6人が先頭中央に出て、リードしながら踊る。肩に飛び乗り、そこから空中で前転して飛び降りるなど、男子もびっくりの技を繰り出す。それがちゃんと音楽に合っているので保護者席から思わず歓声が上がっていた。
次の曲は大塚愛の『サクランボ』。今度はチア部の1年生女子5人が先頭中央に出て、割と普通に踊る。アクロバティックなアクションは敢えて使わずに、可愛くまとめた感じであった。
最後、ドリームボーイズの『噂の目玉焼きガール』。とっても楽しい曲である。今回のコンセプトは、元気な曲は元気よく、可愛い曲は可愛く、そして楽しい曲は楽しくだ。チア部の2年生の番で、私は協佳などと一緒に先頭中央に出て踊る。2人ずつ組んで、前に1組、後ろに2組のフォーメーションである。私と協佳は普通に本来のドリームボーイズのダンスを踊っているのだが、後ろの2組はスタンツを組み、肩に乗ったまま踊ったり、3人で1人をトスして、トスされた人が空中でポーズを取るなどの大技を出していた。
ドリームボーイズの本来のダンスの方にもクライマックスにブリッジで連続後転していく部分がある。実際のダンスではいつも葛西さんがしているのだが、「私が急に休んだ時のために覚えといてよ」と言われて練習させられていたので、このアクション(チア的にはタンブリング)を私がやってみせると、何だか凄い歓声をもらった。
でも後で男子たちは
「あれ短いスカート穿いて後転するから、スカートの中が見えるかと思ったけど、見えないもんだなあ」
などと言っていた。それを聞いた女子たちから
「あんたたち、どこ見てんのさ?」
と言われていた。
体育祭の翌日月曜日は代休だったので、私も少し疲れたかなと思って、朝食の後自分の部屋に入って少し仮眠していた。
ところがそこに電話が掛かってくる。
「冬〜。蔵田さんって人から電話」
と母から呼ばれて出て行く。
「おはようございます」
「洋子、ちょっと一週間か十日ほど付き合って」
「何するんですか?」
「松原珠妃のアルバムを作ろうということになったんだよ。10曲か12曲くらいのものにしたいらしいんだが、これでまた観世専務と普正社長が揉めてさ」
「はあ」
「普正社長は、木ノ下先生や他の演歌系の作曲家にも数曲書いてもらってアルバムの半分を演歌系、半分をポップス系にしてファンの反応を見たいと言った。しかし観世専務はセールスを考えたら、全部ポップス系で埋めて、珠妃の方向性を明確にファンにアピールしたいと言った」
「なるほど」
「それでさ、今回のアルバムは全曲を蔵田さんに依頼してセールス50万枚突破させます、と観世さんが啖呵を切ったんだな」
「あぁぁぁ」
「そういう訳で、50万枚売れるアルバムを作るぞ。だから10日ほどスタジオに缶詰になる」
「私は放課後だけでいいですか?」
「学校休んで付き合え」
「えーー!?」
「今回は大守も付き合わせる。あと試唱するのが洋子ひとりじゃ大変だから、珠妃の後輩の、谷崎潤子も付き合わせる」
「ああ、彼女は結構うまいです」
「ということですぐ出てきて。取り敢えず鶯谷駅前に9時までに来て」
「・・・あのぉ、スタジオじゃないんですか?」
「アーティストは夜更かしで朝寝の奴ばっかりだから、実働は午後から。午前中はふたりで構想を練るぞ」
「今日はたまたま代休なので行きますが、明日からは学校が・・・」
「だから休んでくれ」
私は電話をいったん切って母に相談した。
母も少し考えていたが
「それって、静花ちゃんの今後を左右する大事なことだよね?」
と訊く。
「うん」
「だったら、行ってあげなさい。学校には私から説明する」
「ありがとう」
そういうことで、蔵田さんに学校を休んで作曲作業に付き合うことを伝え、取り敢えず鶯谷の駅まで出て行った。ここも何だか近くにラブホテル群が!蔵田さんって、こういう場所ばかり指定するんだから。
そして例によって、近くのカフェに入り、何故か始まるベニー・グッドマン論!?
それを1時間ほどしゃべりまくってから蔵田さんは
「よし。行くぞ」
と言い、店を出た。
そして何故か駅には戻らず、ホテル群の方に向かう。ちょっと、ちょっと。と思った時、蔵田さんは突然後ろを振り向いた。
「おい、ジュリー、ばれてるぞ」
と蔵田さんは言った。
後ろから、野球帽をかぶった大学生くらいの男の子が何だか怖い顔をして近づいてきた。
「どこに行くの?」
と彼(?)は言った。でも女の子の声!?
「青山のスタジオ」
「方角が違う気がするけど」
「お前があんまり距離取ってるから、近づいてくるようにこちらに向かって歩いてみた」
「この子とは何回やったの?」
「1度もやってない。これ本当。俺は男の子とは遊ぶけど、女の子とはお前だけだよ」
と蔵田さん。
その時やっと私はその人物のことが分かった。
「葛西さん!?」
彼女はふっと溜息を付くと、かぶっていた野球帽を取る。長い髪が飛び出してくる。
「じゃ、ホントにこの子とは何も無かったのね?」
「当然だろ? だって洋子は女の子だから」
「そこが微妙だからさあ。いつ僕に気付いた?」
「店を出る時。だってお前、ケーキを頼んで受け取ったばかりなのに、一口も付けずに席を立ったろ?怪しすぎる」
「うーん。僕は興信所の調査員にはなれないな」と葛西さん。
葛西さんはなぜか「僕」という自称を使っている。
「だいたいお前はオーラが強すぎだから」と蔵田さん。
「洋子ちゃんもオーラ強いって言ってたね」と葛西さん。
「強い。無茶苦茶強い。多分俺より強い。でも、こいつそれを隠してる。その内、俺よりも大物になりそうだよ」
「へー」
「まあ、お前も来たんなら手伝え。スタジオに行くぞ」
「何するの?」
「作曲」
そういう訳で、私と蔵田さんと葛西さんは3人で青山の★★スタジオに行った。鳳凰の間を10日間借りているらしいが、時刻がまだ早かったので、いったん3階の桂という小さなスタジオに入った。
ここで葛西さんは男装を解いてふつうの女の子の格好に戻った。
「じゃ、蔵田さんと葛西さんって付き合ってたんですか?」
「こいつが中学生の時からね」
「私、蔵田さんは男の子にしか興味無いのかと思った」
と私。
「基本的にはそう。だけど、こいつは特別なんだよ」
と蔵田さん。
「僕がFTMだからね」
と葛西さんは言った。
「えーー!?」
「中学生の時、僕が男装で外を歩いていたらコージにナンパされてさ。速攻でホテルに連れ込まれて、ちょっとちょっとと思ってる内に裸に剥かれて」
「きゃー」
「でも、こいつチンコ付いてないんだもん。ガッカリした」
「あらら。でも恋人になっちゃったんですか?」
「まあ、こいつがその内、チンコ付けるというから」
「でも結局付けないことに決めた」
と葛西さん。
「へー」
「性転換手術しても、射精はできないし子供作れるようにはならないから。それで、コージの身体は自分の身体だと思って自由にしていいと言うからね。自由にさせてもらってるよ」
女の子の姿にはなったが、葛西さんは男口調だ。
「わあ、凄い」
「僕が女の身体のままでいれば、いづれコージと結婚できるし、そういう人生もいいかなと思ってね」
と葛西さん。
「ジュリーは基本的に男だから、バストが付いていてもお相撲さんにバストがあるのと似たようなものという感覚。チンコが付いてなくても、想像上付いていると思うことにする」
「へー」
「ただしジュリーが中学生高校生の間は、最初会った時に勢いでホテルに連れ込んでしまった時以外はホテルには行ってない」
「僕が高校を卒業した日に初Hしたよ」
「へー! 蔵田さんって、そんなに自制的なんだ!」
「あのなぁ」
と蔵田さんは少し笑いながら言った。
「でも、おふたり噂になったこと無いですよね?」
「いつも会う時、僕、女装してるから」
「俺が女の子と会っていても、誰も何とも思わない」
「なるほどー」
「でも、こないだの記者はちょっとうるさかったけどね」
「何とか諦めたかな」
「長時間見張ってても、ホテルに行ったりはしないから、ガセネタかと思ったんだろうね。僕も個人的に会うのを自粛してたからコージと関わっているダンスチームの女の子というのも洋子のことかと思ったようだね」
「あははは」
「で、ほんとの所、洋子とはホテルに行ってないよね?」
「行く訳ねーだろ」
ああ、怖い、怖い。1度でも行ったことがあるとバレたら、葛西さん、怖そう!
「だけど、何の曲作るの?」
と葛西さんは、かなり軟化した雰囲気で訊いた。
「松原珠妃のアルバムの曲」
「2〜3曲提供するの?」
「10曲か12曲くらい欲しいという話」
「まさか、アルバムの曲を全曲提供?」
「今回はそういうことになってしまった。それも50万枚以上売ることが条件」
「えー!? それを何日で作るのさ?」
「10日間、スタジオに缶詰。ここで寝泊まりする。ジュリーも付き合え」
「僕、何するの?」
「ギター弾いてくれ」
「まあ、僕の方がコージよりはうまいしね」
「へー!」
その日はお昼を食べた後、1時になってから鳳凰のスタジオに移動した。
大守さんと谷崎潤子ちゃんが来ていた。潤子ちゃんが手を振る。私は会釈する。
「取り敢えず、午前中に少し構想を練っていた」
と蔵田さん。
いつの間にそんなの練ったんだっけ?
「洋子、これで弾ける?」
と言って渡されたのはABC譜だ。でも全然気付かなかった。いつこんなのを書いていたのだろうか?
「はい」
と言って受け取ると、私はキーボードの前に座って、そのABC譜を判読しながら弾いた。しばしば音の長さが小節に足りないところは適当にタイミング合わせをする。また、そもそも小節数が足りない!?ところは1小節適当に補充して弾いた。更に音名はA〜G(H)の筈なのにJとかMとか出てくる!?所は音の流れから、JはF#、MはC#と判断した。
「きれいな曲だね」
と大守さんが感心したように言う。『君よ歌え』とタイトルには書かれていた。それでベニーグッドマンか!と私は思った。きっとこれは『Sing Sing Sing』
と『Memories of You』から採ったタイトルだ。
「女の子と長時間話していると、色々思いつくんだよ」
「ああ、それで洋子ちゃん、付き合わされたの?」
「私、10日間学校休んで付き合うことになりました」
「おぉ」
「午前中のおしゃべりには途中から私も付き合わされたんですけどね」
と葛西さん。
「ああ、じゃ、葛西ちゃんも10日間付き合ってよ」
と前橋さん。
「えー!?」
とは言ったものの、むしろ私と蔵田さんを10日間も近づけておきたくない雰囲気。
しかし、前橋さんや大守さんの前では葛西さんは普通に女言葉で話す。たぶんふたりの関係は誰にも言ってないのだろう。
「じゃ、洋子、今の曲をProtoolsに打ち込んで譜面にして」
と蔵田さん。
「使い方分かりません」
と私。
「覚えろ」
「はい」
それで私は今自分が若干補作しながら演奏した曲を、スタジオのスタッフさんに少し教えてもらいながら、入力していった。
その間に蔵田さんは次に葛西さんと話している内に発想した曲というのを見せて、葛西さんにギターで弾いてみてと言った。
「これどう読むんですか?」
「CとかDとかEはそのままその音だよ。Zは休符。|は小節の区切り。数字は音の長さで8分音符が1だけど1はわざわざ書かない。だからFとだけ書いてあったら8分音符のファ。4分音符ならF2。/は2分の1の意味で、つまり16分音符」
「へー」
それで葛西さんは、つっかかりながらもその曲を弾いていたが・・・
「ここ3音符分しか音が無い」
「適当に補え」
「Jって何?」
「F#」
「JKL・MNがF#G#A#・C#D#ですよ」
と私が補足説明する。葛西さんが慌ててメモする。私もさっき弾いてて最後の方でそのことに気付いた。こんなルールは本来存在しないが蔵田さんのローカル・ルールだろう。私の説明に蔵田さんが、ほほぉという感じで頷いていた。
「ここ3小節しかないけど」
「アドリブで1小節演奏しろ」
「そんなー」
「洋子は適当に補いながら演奏してたぞ」
と蔵田さんが言うと
ム?
という感じの顔をして、何とか頑張って演奏していた。
「よし。今のをProtoolsで譜面に書いて」
「どう弾いたか覚えてないですよー」
「洋子、覚えてる?」
と蔵田さん。
「はい」
「じゃ、お前、楽譜係」
「了解です!」
それでその曲『天使の歌』というやや素朴な雰囲気の歌を私は入力し始める。これは多分『And the Angels Sing』から来たんだ。
と思っていたら、蔵田さんが声を掛ける。
「ただちょっと気になった所があって」
「はい?」
「Bメロの3小節目、ミファソラーの所が微妙な気がした」
「ファソファドラーとかでは?」
「ふんふん。じゃそれにして、その部分、Bメロの先頭から階名で歌ってみて」
私が歌ってみると蔵田さんは頷いていたが
「その部分やはり、レソ^レシーにして、次の小節をさ・・・」
それで私と蔵田さんは何度かやりとりをし、試唱する。
「よし。これで取り敢えず譜面を作って」
「はい」
私たちのやりとりを見ていた、葛西さんと谷崎潤子ちゃんが
「なんで、そんなに頭の中で音符をいじりながらやりとりできるんですか?」
と信じられないといった顔をして訊いた。
その後、作曲作業はほんとに昼夜ぶっ通しで行われた。
鳳凰の部屋にはシャワーやキッチンも付いているので、シャワーはみんな適宜浴びていたし、事務所のスタッフさんが簡単な御飯を作ってくれたり、あるいは出前を取ったり、お弁当を買ってきたりしていた。着替えもサイズを訊いて、スタッフさんが買ってきてくれた。着替えを取りに帰る時間が惜しかったし、自宅に戻ることで、この場の独特の昂揚状態が途切れるのを避けたかった。私は一応毎日母に定時連絡を入れていた。
時々蔵田さんが発想に詰まり、気分転換にと外出してくる時は自動的に全員休憩になる。蔵田さんが寝ちゃった場合も休憩だが、それ以外でも眠くなったら各自勝手に寝るようにということだったので、遠慮無く申告して仮眠室に行っていた。私が寝ている間は大守さんが楽譜係をしてくれていた。
ある時は仮眠室で寝ていたら変な感触があるので目を覚ます。
「樹梨菜さん!?」
「あ、起こしちゃったか」
葛西さんは私のお股を触っていた。
「起きますよぉ」
「洋子、やはりおちんちん付いてない」
「あはは。だから、私は蔵田さんには女の子扱いなんですよ」
「いや、女の子扱いというより、実際女の子なのでは?」
「あはははは」
メロディーレベルで書き上げた曲に、前橋さんが遠慮無く駄目出しをする。
「これは売れない」
とあっさり言う。それで没にしてまた新しい曲を模索する。
最後の方は私も谷崎潤子ちゃんも疲れてきたので、試唱の助っ人にドリームボーイズと同じ事務所の田代より子ちゃんも呼び出して歌わせた。
「こんな声域の広い曲、歌えない!」
と言ってたが
「出ない所はオクターブ下げてもいいから」
と言って歌わせていた。
「ね、ね、ヨーコージって、まさか洋子と孝治の合成?」
と今回の作業の最後の方になって葛西さんが訊いた。
「ああ、バレたか」
「今回は参加した全員の名前を入れたりして?」
「そうだなあ。樹梨菜のジは最初から入ってる」
「むむむ」
「清志(大守さん)のキは KI だから、YO-KO-JI の中にどちらも含まれてる」
「俺は分解されるのかい!?」
「谷崎潤子ちゃんのジも既に入ってるな」
「私は別にいいですよー」と潤子ちゃん。
「より子ちゃんのヨも既に入ってる」
「私も別にいいです。ただ歌ってみただけだし」とより子ちゃん。
「まあ、そういうことでヨーコージのままでいいな」
と蔵田さん。
「ヨーコージは蔵田君を中心とした創作集団の名前ってことでいいんじゃないの?参加する人はその時、都合がつく範囲で」
と前橋さん。
「えっと、私も洋子ちゃんも潤子ちゃんも都合付いてた訳じゃ無くてこの1週間学校休むことになったんだけど? より子ちゃんも木金と2日休んだね」
と葛西さん。
「まあ、今回は短期間でアルバム用の楽曲を用意しなければならないということで特別ということで」
と前橋さん。
そういう訳で私たちは結局19日の日曜夜遅くまで、約1週間で松原珠妃のアルバム用の曲12曲を作成したのであった。集中してやったせいか、結構なクオリティだった。ただ、よく楽曲のモチーフが浮かぶなと思ったのだが、その件に関しては、実は半分くらいは昔作った試作品のスクラップ&ビルドであったことを後で蔵田さんから個人的に聞いた。
今回アレンジは$$アーツと契約しているアレンジャーさんに依頼して、松原珠妃のバックバンド(Gt,B,Dr,KB,Vn,Sax)用に編曲して渡すということであった。
ただ蔵田さんは、恐らく表題曲になるであろう『雨の幻想都市』というテクノ風の曲と、それに次ぐ曲かと思われた『君よ歌え』というきれいな曲に関しては、最終的なアレンジは自分でいじりたいと言っていた。
そういう訳で私は日曜日の深夜遅く、無事自宅に帰還したのであった。
帰り道、満月に少し足りない月が出ていて、物凄く明るい星(後で調べたら木星だった)が光り、北斗七星もあって美しい空だと思った。こんなのが見えるのが、都心から大きく離れた「東京都内の田舎」の良さである。
帰宅すると父が
「こんな遅い時間まで合宿やってたのか。大変だったな」
と言った。
母は静花が歌う曲の制作なんて話はとても父にはできないと考えて部活の合宿ということにしておいてくれたのであった。一方、学校には親戚の用事ということにしていたようであった。
でも疲れた!!!
月曜日、私が学校に出て行くと、クラスメイトたちから
「なぜ冬ちゃん、学生服なの?」
と言われる。
「え?ボクいつもこれ着てるじゃん」
「だって、一週間学校を休んで、性転換手術を受けているんだって噂聞いたよ」
「何それ〜!?」
「だからてっきり回復したら、もう女の子の身体だから、セーラー服を着て出てくるんだろうと思ったのに」
「そんな手術受けてないよ〜!」
他のクラスで吹奏楽部の貴理子にまで言われる。
「もう出てきて大丈夫なの? 性転換手術受けたって聞いたから。あれって1ヶ月くらい静養してないといけないのかと思ったのに」
「手術は受けてません」
「ああ、もしかして睾丸だけ取ったとか?」
「睾丸取るだけなら、手術の翌日、普通に学校に出てくる自信ある」
「ふーん。つまり、睾丸はもう取ってるんだ?」
「取ってないよー」
「だけど、女性ホルモン飲んでるよね? あれ飲んでたら、どっちみち睾丸の機能は停止してるんでしょ? 停止してるなら取っても構わないじゃん」
「飲んでないし、停止してないと思うけどなあ」
「冬はホラ吹きだから、どこまで信用していいのか分からん」
「よし、やはりみんなでホラ貝を買って、冬にプレゼントしよう」
とそばで聞いてたヤヨイが言った。
松原珠妃の方は『硝子の迷宮』は4月下旬に作られたc/w曲とともに最初連休明けに録音する予定だったのが、またまたバックバンドのヴァイオリニストが辞任して、ついでにドラムスも辞任して、後任者探しに時間がかかり結局6月頭に録音して8月に発売されることになった。アルバムの方は6月下旬にアレンジ譜を蔵田さんの方からζζプロに引き渡したので7月上旬の、世間が夏休みに入る直前に向こうも集中的に録音作業を行い、結局、シングルと同時発売されることになった。
私は蔵田さんたちとの共同作業が終わった後は、7月7日の、篠田その歌のライブの練習に何度か出て行った他は、普通の男子中学生生活を送っていた(つもり)。
でもある日ヤヨイが本当に法螺貝を持って来て、私の机の上に置き
「プレゼント〜。これ吹けるように練習しておいてね」
などと言った!
7月7日の篠田その歌の横浜ライブは初めての大会場であり、しかも平日ということで少し心配していたものの、チケットは発売後1週間で売り切れていた。
幸いにも?3月に能登半島まで撮影に行った時と同じメンツのバックバンドで演奏したが、公演はとても盛り上がって、私もとても良い気分でヴァイオリンを弾いていた。今回の公演にはRosmarinを持って行ったが、その楽器を見て、杉山さんやフルートの中山さんが仰天していた。
「そのヴァイオリン、1000万円くらいするよね?」
と中山さん。
「あ、借り物なんで分かりません。3月は厳冬の海岸での演奏ということで、この子デリケートだから、もう少し丈夫そうな普段使いの楽器の方を持って行ったんですけどね」
「なるほどー」
幕間で休憩していた時に前田課長(今月3日に係長から課長に昇進したらしい)が寄ってきて、私の耳元で言った。
「伴奏、気持ち良さそうに弾いてるね」
「こういう大きな会場って気持ちいいです。今日持って来た子は、よく鳴るから、この程度の会場だとPA無しでも大丈夫ですね」
「うん。グランドピアノと君のヴァイオリンは生音で行くことにしたからね。あれ?でも君、武芸館とか幕張とかも経験してたよね?」
「バックダンサーでは経験してますが、伴奏はバックダンサーとは全然違います。音で参加しているというのは物凄い興奮です」
前田さんは頷く。
「だったらさ。次はステージのいちばん前でマイク持って歌ってみない?」
「いいなあ・・・3年後くらいに」
「3年後か。でもまあ気が変わったらいつでも言ってね」
「はい」
と私は昂揚した笑顔で答えた。
ライブが終わって、少しぐったりして帰宅したら、母が言った。
「聖見ちゃんとこ、今日赤ちゃんが生まれたって」
「わぁ!それはおめでたい。男の子?女の子?」
「女の子だって。七夕に生まれたから名前は星子にするって」
「へー! 可愛い!」
私はその子が星が輝くように美しい子に成長することを祈った。
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【夏の日の想い出・星の伝説】(2)