【夏の日の想い出・Long Long Ago】(7)
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(C) Eriko Kawaguchi 2022-03-21
青葉たちが郷愁飛行場に着陸すると、なんとコスモス本人が迎えに来てくれていたので仰天する。この超多忙な人が自分で迎えに来てくれるなんて!
それでコスモスの運転するベンツSクラスに乗り、一緒にホテル昭和のコテージ“桜” (No.7721)に入る。
20歳くらいの女性が居て、
「おはようございます、大宮先生」
と挨拶した。
姫路スピカちゃん!?と思ったが少し違う。
「竹中花絵ちゃんだったっけ?」
「済みません。南田容子です」
「ごめーん!」
「スピカと竹中花絵と南田容子は3人顔立ちが似てるからね。三つ子ユニットとして売ってもいいかもね」
などとコスモスは言っている。
「このコテージを作業終了まで自由にお使い下さい。食事、おやつ、お酒、好きな物を頼んで下さい。こちらで支払いますので。制作期間中、南田をアシスタントとして付けます。彼女はギター・ベースとキーボードが弾けます。またCubase を使えますので、入力作業などのアシスタントにお使い下さい。運転免許も持っていますので、お使い、コンビニなどでの買物などにも自由に使って下さい。お酒の相手や性的ご奉仕は勘弁して下さい」
「そんなことはしないよ!」
コテージの中には、小型のグランドピアノ Yamaha C1X, エレクトーン STAGEA, 電子ドラムスセット Yamaha DTX6K-XFS、電子キーボード Yamaha YC88、そしてパソコンが2台あって、いづれも KORG i3 (61鍵)が接続されている。また外付けSSDが5台置いてあった。コテージの居間が楽器でほぼ一杯になっている。
青葉は2台のパソコンを起動し(起動が速いので SSDマシンと分かる)、CPUとメモリーを確認した。11700K (core i7 Rocket Lake-S) 3.6GHz MM=128GB SSD=2TB.
充分なスペックである。このマシンで松本花子自体が楽々動く!
さすがにあのシステムを外に持ち出すことは許されないけどね。
「このコテージは特別仕様で防音になっていますので、夜中でも楽器の音を出して大丈夫ですので」
とコスモスは言う。
「へー」
実は夏には常滑舞音の制作をやったコテージである。あの時、若葉が防音仕様に改造してくれた。壁・屋根を二重化し、外屋根は重たいスレート屋根で、更にサウンドプルーフを貼ったので、実は内部の音も外に響かないが、豪雨の中でも雨音が内部に響かない。
「楽器や機材は、取り敢えず使うかなと思われるものを用意しました。欲しいものがあったら言ってください。すぐ準備します」
「そうですね。何か思いついたら」
これだけあれば充分な気がする。しかしこれだけの楽器を半日程度で集めるコスモスは本当に実行力がある。どうかした会社ならこれだけ揃えるのに1ヶ月かかりそうだ。
コスモスは、今回の制作が行われるに至った経緯を説明し、また楽曲の簡単な解説などもしてくれた。
「それで4つのアルバムが制作されます」
1.『ワンザナドゥ』2004年1月か2月に発売される予定だったCD
2.『インヴィア』↑制作の過程で最終作品に残らなかった楽曲をまとめたもの
3.『The Way to Xanadu(仮題)』アクア歌唱のトリビュートアルバム。音楽の理想境を求める旅路。
4.『Returned the Town(仮題)』理想境から戻って来た後の町中の風景。
「大宮先生にお願いしたいのは、実はアクアが歌う2枚のアルバム26曲のアレンジなんです」
「ああ」
「トリビュートアルバムのコンセプトは、当時のワンティスと同程度の年代のアーティストに演奏させて、当時の雰囲気を再現しようということなのですが、昔の楽曲のアレンジのまま、今の歌手に歌わせるのは、古い袋に新しい酒を盛る行為です」(*29)
(*29) マタイ伝9.16-17 だれも織りたての布から布きれを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば両方とも長もちする。
「だから20歳のアクアに歌わせる曲のアレンジは今20代の人にアレンジして欲しいんですよ」
とコスモスは言う。
「いや、実際ここに来る機内でワンティスのアルバムを聴きましたが、今の時代にこの状態で売っても、今の人には受け入れられないと思いました。趣旨は分かりましたけど、大会が終わってからでもいいですか?」
「それがアクアは11月だけが空いているので、その間にできるだけ多く歌わせたいんです」
「うっ・・・」
「大宮先生にしても26曲のアレンジをまともにしていたら、それだけで多分3ヶ月かかってしまうと思います。それでどうでしょう?桜蘭有好にあらかた編曲させてその後、大宮先生に調整して頂くというのでは?」
「それなら行けるかも知れないね!」
桜蘭有好というのは、松本花子の作曲・編曲システムの中で、青葉が自分の好みで調整しているサブシステムである。青葉が羽鳥セシルに提供している曲は、この桜蘭有好が生み出している。(*30) しかし松本花子にディープに関わっているコスモスだから出て来た提案だと青葉は思った。
「アクアは11月5日からスケジュールが空きます。それまでにできたら伴奏音源を2曲程度は完成させておきたいんです。そのためには11月3日くらいまでにスコアが2曲あるといいなと思って」
「分かった。大会前はあまり時間が取れないけど、取り敢えず今月中に2曲くらいは仕上げるよ」
「ありがとうございます!」
(*30) 青葉は松本花子ラボのシステム面を管理している矢島さんと話した結果、桜蘭有好のコピーマシンを1台作り(桜蘭真知)、それをアクア専用に調整することにした。真知はアリス・リデルの妹・マチルダから取ったものである。このように必要に応じて簡単に分身を作れるのが、全てをパソコンで処理している松本花子の良い所である。
それでコスモスは取り敢えず帰っていった。
現在は10月30日の11:30頃である。
青葉はパソコンにインストールされているソフトも確認した。基本的なソフトのほか、Cubaseもインストール済みである。音源もKOMPLETE 13が入っている。なんかここだけで伴奏全部作れるんじゃない?バンド無しで!
でも正確なコンピュータ演奏ではなく、不正確でも“若い”伴奏が欲しいのだろう。
青葉はこのコテージで南田容子と一緒にお昼を食べてから、用意されているパソコンから松本花子システムに接続する。容子が入力してくれていた最初の曲『忘れられた座席(Forgotten Seat)』のmidiデータをUSBメモリから読み込む。
コスモスとしては『ザナドゥへの道』が本命と考え、『タウンソング』の方は半ばウォーミングアップを兼ねて作ってもらえばいいという考えのようで、制作はそちらから始まる。
「容子ちゃん、伴奏まで全部入力してくれたんだね」
「はい」
「この後は、メロディーとギターコードだけでいいから」
「分かりました!かなり楽になりますね」
「伴奏まで入れるの大変だったでしょう」
「はい、頑張りました」
それで青葉は、容子が入力してくれた『忘れられた座席』のmidiデータからメロディーだけを抜き出し、ギターコードを指定してから、それを松本花子システムに投入した。そしてポップロック風のアレンジを桜蘭有好(翌日からは桜蘭真知になる)に指示した。
そして郷愁プールに行き、一泳ぎしてきた。
2時間泳いで、プールから戻る。1時間仮眠した後でパソコンを見ると、もうアレンジが出来ていたので、それをCubaseに読み込み、手調整を掛けて行った。
(青葉が泳いでいる間に南田容子は2曲目の入力をしていたようである。キーボードで弾きながらギターコードを確認していたようだ)
(10/30)夕方、コスモスから連絡があり、伴奏者を決めるのにオーディションをするから見ていてくれないかというので、コテージ内に用意されている大型モニターで東京のスタジオの様子を見た。
ColdFly5のメンツが呼ばれていた。なるほど、うまい手だと思う。彼女たちは上手い!でも、ColdFly20が所属していた元の事務所に遠慮して?、放送局などがあまり使ってくれない(ColdFly20は昨年夏に解散した)。だから“上手いし名前も通っているのに時間が取れる”という、貴重なバンドなのである。しかもColdFly5は、§§ミュージックの友好プロダクション♪♪ハウス所属なので使いやすい。
ColdFly5のメンバーがひとりひとり渡された譜面を演奏していた。青葉は、若いのに上手いなあと思って見ていた。
が
ある人物のところで顔をしかめる。
青葉はコスモスに電話をした。
「ですよね」
とコスモスも同意見のようである。そしてコスモスは言った。
「リアちゃん、あんた悪いけど、何か他の仕事をお世話してあげるから、今回のプロジェクトからは外れて」
「はい、すみません」
栗原リアはショックだったようで、泣きそうな顔をしそうになったが何とか我慢した。
「では退席します。お仕事よろしくお願いします」
と言って礼をして退場した(*31).
リーダーの田倉友利恵も「仕方ないか」みたいな顔をしている。キーボードの米本愛心も首を振っている。
それでColdFly5はリア以外の4人が使用されることになった。
4人に仕事の趣旨を簡単に説明してからいったん退場させる。その後入れ替わりで入ってきたのは、Flower Sunshine の7人である。彼女たちは・・・時間が取れるだろうな。実力は分からんけど!
リーダーの桜井真理子は、キーボードが得意ということだったが、キーボードは埋まっているのでヴィブラフォンが打てないかと打診され「やります」と即答していた(即答するのが気持ちいいと思った)。実際に打ってもらったら、うまいので採用する。
安原祥子はフルート・ウィンドシンセ・ピアノ・ギターが弾けるということだったので4つとも演奏してもらったが、どれも上手かった。では君はその中のどれかで使うよと言われた。
立花紀子は「フルート得意です」と言うので吹かせたが・・・
少なくともプロの音源として使えるものではなかったので、不合格を通知した。「えーん」と泣き真似をしていた!(この辺りはリアより芸人としての耐性がある)が彼女のフルートは根本的に勉強し直した方がいい。きっとまともな指導を受けたことがない。でもちょっと面白いキャラだなと思った。
(立花紀子はフルートに憧れていて、フラワーライツを始めてからもらった報酬で自分でフルートを買い練習し始めた。でも前の事務所ではアーティスト教育のシステムも無く自己流で練習していただけである。自己流にしてはうまい部類)
他の4人はギター弾けますとかピアノ弾けますと言ったが、いづれも素人未満だったので不合格とした。彼女たちのレベルに比べたら立花紀子のフルートはまだマシだ。それで結局フラワーサンシャインは桜井と安田だけが使われることになったが、コスモスは立花紀子に訊いた。
「あんた運転免許持ってる?」
「はい」
「免許取ってからどのくらい運転した?」
「免許自体は高3の時に取ったんですけど、在学中は運転禁止されていたので、この春からですけど5000kmくらいかな」
「自分の車?」
「はい。5年ローンで買ったミライースです」
「事故とかは?」
「4月に、雨の日にうっかりエアコン切ったらいきなりフロントガラスが曇って視界喪失して壁にぶつかってヘッドライト交換しましたけど、その後は事故起こしてません」
コスモスが青葉に電話してくる。
「この子、アシスタントに使えません?容子に入力関係を手伝わせて、紀子に雑用やお使いをさせるというのは?」
「その子、面白そうだから採用」
ということで、立花紀子は2ヶ月間、熊谷で青葉のアシスタントをすることになった。他の4人は、信濃町ガールズに準じた基礎教育を施すことにした!
この日のオーディションでだいたい伴奏者は固まったのだが、コスモスは言った。
「トランペットの吹ける人がいないですね。大宮先生は誰か心当たりありませんか?」
「そうですね・・・」
と少し考えた時に、ある人物のことを思い出した。
「男でもいいですか?」
「むしろトランペットは女性奏者が少ないですよね。その人の性格によっては」
「女性から警戒されないタイプなんですよ。彼がいても女性は平気で着替えとかしちゃうし、背中のファスナーあげるの頼んだりするし」
「男の娘ですか?」
「ノーマルな男性だと思いますが、様々な事情でよく女子と間違われます」
「ああ、そういう人なら問題ありません。うちの事務所にはそういう子多いし」
コスモスは少し誤解した気がするなあと思ったが、いいことにした!
「高岡の人?」
「はい。でも金沢の銀行に勤めてるんですよ」
「銀行ですか!」
「銀行と交渉してみますよ。こういう大きな組織は、小さな会社と違って、1人や2人抜けても人の都合が付く気がします」
「じゃそれお願いします。あと、フルートとサックスでいい人いません?サックスは安原祥子でも合格点だけど、もう少しうまい人がいたらいいなと思って」
「だったらローズ+リリーのライブにもよく参加してる日高久美子と田中世梨奈を呼びましょうか。ここのカウンセラーしてる上野美津穂の親友でもあります。美津穂もクラリネットうまいですが」
「クラリネットは毎日ではないから参加できるかな。それじゃその日高さんと田中さん呼べます?お仕事は?」
「日高久美子は確か今無職だったはずです。会社が倒産したらしくて」
「それはお気の毒に」
「田中世梨奈は〒〒スイミングクラブのスタッフです」
「だったら都合付きますよね?」
「ええ。大丈夫ですよ。ただ彼女は社会人選手権にスタッフとして付きそうから、その後でもいいですか」
「田中さんはどちら?」
「フルートです」
「だったらフルートは3人制にして、3人の内2人が入れたらいいということにしましょうかね」
「ああ、それはいいですね」
この時、コスモスが考えたのは甲斐姉妹を起用することだったのだが、妹の方はわりと忙しいので姉だけの参加になった。姉はフルートが§§ミュージックの中で最もうまい。たぶん、甲斐姉>舞音>安原>セシル>甲斐妹。
しかしそれで北陸から、日高久美子・田中世梨奈・吉田邦生が呼ばれることになったのである。
青葉は翌日、10月31日、吉田が勤める銀行に電話を掛けた。すると課長さんが出て、吉田は今顧客を訪問しているということだった。青葉は〒〒テレビアナウンサーの川上青葉と名乗ったが
「ああ、金沢ドイルさんですね!資金の御用がありましたらぜひうちの銀行を」
などと言われて、その後の話がスムーズに進む!
「なるほど。東京で2〜3ヶ月お仕事ですか」
「そちらの銀行さんには充分な対価をお支払いしますので」
「分かりました。それではそちらに長期出張ということで」
「すみません。お願いします」
ということで“有望な顧客へのサービス”ということから、吉田が出張する話はまとまってしまったのである(ほぼ人身売買)。青葉は2〜3億くらいでもお金を借りてあげないといけないかなぁ、などと思う。別に今借りる必要はないけど、銀行と実績を作っておくと何かの時に助けてもらえる場合もある。
なお課長さんは本人にはこちらから言いますよ、というのでお任せした。
それで吉田は何も話を聞かないまま!、東京へ長期出張することになったのである!
(*31) コスモスは“実力はあるのに仕事が無い”ColdFly5を丸ごと使うつもりだった(コスモスは、花咲鈴美と木原扇歌が上島雷太の娘とは知らなかった)。ところが栗原リアがあまりに下手なのでクビにして、他の4人だけを使うことにした。その時、夏のネットフェスで桜野レイアのバックでギターを弾いてくれた松元蘭のことを思い出し、照会してみたら、
「2ヶ月もお仕事できるって素敵」
などと言うので参加させた。彼女はケイの関係者らしいので、“身内”に入る。
「私、蘭ちゃんが産まれる場に居合わせたんだよ」
とケイは言ってたから、従妹か何かなのだろうか??
しかしこの子、歌手としても女優としても才能無いし、いっそギタリストに転向したら?とコスモスは思った。
また、結果的に仕事にあぶれた栗原リアについては、ちょうどラピスラズリ主演のドラマ『アルプスの少女』の撮影が予定されていたので、監督の美高さんに打診してみた。すると
「じゃ端役だけど、ゼーゼマン家のメイド(美高さんも名前を忘れていた)の役でもしてもらおうか」
ということだった。
ところが、リアに演技をさせてみると上手い!ので、本格的に台本を調整してもらい、出番がたくさんある役になった。そして彼女の演技で、このドラマが物凄く引き締まったのである(美高さんは内心、東雲はるこをクビにして、この子をクララ役にしたいと思った!)。
そういう訳で、女子寮(1号館)8階の住人は、このようになった。
801 日高久美子 (Sax)
802 吉田邦生 (Tp/Tb/Horn)
803 鈴木真知子 (Vn)
804 松元蘭 (Lead Gt)
805 米本愛心 (KB1)
806 田倉友利恵 (Rhythm Gt)
807 花咲鈴美+木原扇歌 (B/Dr)
808 竹原比奈子・神谷祐子・山道秋乃・水端百代
808には(11/2午前中に天羽母娘が退去した後すぐに掃除をしてから)1Kの部屋にフラワーサンシャインの4人が放り込まれた!でも6畳の部屋に何とか布団を4つ敷いて寝たようである。布団はお互いに重なり合うし、朝起きた時は結構カオスになっていた。
「この中にちんちん付いてる子は居ないよね?」
「居たら解剖して、男の子の仕組みを観察しよう」
などと言っていたが、誰もちんちんは装備していなかったようである。
それで信濃町ガールズのレッスンに出たが
「こんなしっかりしたレッスン受けたの初めて!」と彼女たちは言っていた。
なお、山道秋乃と水端百代はまだ高校生なのだが、通っている高校がさいたま市内なので「いっそこちらの高校に転校しない?」と言ったら「転校します」と言うので、転校させることにした。それで他の信濃町ガールズと一緒に高校に通うことになった。
彼女たちが転入したのは、周辺の高校の中で、寮から最も近い、足立区のT女子高校である。ここには現在、太田芳絵、斎藤恵梨香、坂田由里・今川容子・青木由衣子・左蔵真未といったメンツが通っていて、ワゴン車で送迎していた。山道と水端を入れて通学メンバーは8人になったので、朝はマイクロバスが使用されることになった。
彼女たち2人の存在が思わぬ効果を生み出すことになるのだが、その件は後述する。
801-807が今回のアルバム制作の関係者で、制作中ここに泊まり込むことになった(花咲鈴美と木原扇歌は姉妹)。外部との出入りを減らして、コロナ感染を予防するのと共に、制作が深夜に及んだような場合に帰宅する手間を省くというのもある。フラワーサンシャインの4人も雑用くらいにはたぶん使えるだろう!(実際、楽譜の修正やプリント、また食事を運んだり、お茶を入れたり、掃除をしたりという作業で多いに役立った)
コスモスはその日、∞∞プロの鈴木社長と会っていた。
「若杉千代さんのトリビュートアルバムか!」
と鈴木社長は驚いたように言った。
「来年は生誕80年なんですよ」
「よくそんなのに気付いたね」
「実は、千代さんの息子さんから母のベスト版みたいなものが入手困難になってる、と嘆く声を聞いたもので」
「息子さん!?」
と鈴木さんが驚く。
「息子さんがいたの?」
「その人と偶然知り合ったので。実は、ワンティスの音源はその人の義理のお兄さん、その人の育ての親の実の息子さんの家に残っていたんですよ。本人は関西に住んでいるんですが、お兄さんは関東在住で。千代さんは自分の子供によく会いに来てたので、お兄さんも千代さんには可愛がってもらっていたらしくて。千代さんは、大事なデータなので、火災などに備えて、バックアップを事務所から離れた場所に置いておきたかったみたいですね」
コスモスが平然と言うので、鈴木さんもそれがまさかコスモスの実家だとは思いも寄らないだろう。
「そんな所から見付かったのか! いや、そんなデータが残されていたということは間違いなく千代さんの関係者だろうね」
と鈴木さんも納得している。
「若杉千代さんの音源の版権をどこが持っているか、上島先生なども分からないと言うのですが、鈴木社長なら、調べられないかと思って」
「うん。調べられると思う。音源自体はたぶん、音源図書館にある」
「ああ、ありそう」
「それは松前君に確認してみるよ。でもその古い音源と、最近の歌手によるカバーをセットで出すのね」
「はい。その方が商業的にうまく行きそうな気がしますので。儲けは山分けということで。ワンティスの幻のアルバムも、アクアに歌わせるカバー版とセットという方向で話が進んでいるから」
「いや、それもうまい商売の仕方を考えたものだと思ったよ。ワンティスはやはり過去のバンドだ。当時ならアルバムはミリオン売れただろうけど、今出しても10万行くかどうか微妙だよ。でもアクア君が歌うなら50万枚は確実」
「高岡さんが歌った歌を、その息子が歌う。とっても自然です」
「あの子、息子なんだっけ?娘なんだっけ?僕も分からなくなった」
「本人は息子だと主張していますが」
「ほんとかなぁ?」
「過去に何度もお医者さんの前で裸になってますよ」
「いや、絶対にあれは替え玉だ」
と鈴木さんは言っている。
たぶん国民の8割はそう思っているだろうな。
「でも千代さんのトリビュート版は誰に歌わせるの?」
「私は、AYAちゃんとか、小野寺イルザちゃんとか、谷川海里ちゃんとか考えていたんですけど」
とコスモスは答えたが、鈴木社長は
「年を取り過ぎてるな」
と言った。
AYAは今年30歳、小野寺イルザ・谷川海里は28歳である。
「若杉千代のヒット曲は彼女が17歳から25歳くらいの時期に集中している。だから20-23歳くらいの女性ソロ歌手がいい」
と鈴木さんは言う。
「やはりソロ歌手ですよね?」
「当然。デュオ、トリオ、グループで歌っている子は、ハーモニーや繋がりを重視するから、行儀のいい歌になっている。千代さんは良く言えば個性派、ハッキリ言えば下手だった」
「それ言えるのは社長だけですよ」
「だからあまり上手くない子がいい}
「なるほど」
鈴木は少し考えてから言った。
「コスモスちゃんとこの松梨詩恩とかどう?」
「ああ・・・」
下手な子と言ってから、詩恩を指名するとか、本人には絶対言わないほうがいいなとコスモスは思った。あの三姉妹(もう姉妹でいいだろう)では、歌の上手さでいうと、ビーナ>ひろか>>詩恩である。それに言われて見ると詩恩の歌は千代の歌い方に似てるかも知れない気がした。
「制作に入るスケジュールは時期さえ選べば取れると思いますよ。白河に話してみましょう」
とコスモスは答えた。
ああ、(リハーサル役の)佐藤ゆかが悲鳴をあげるな、とコスモスは内心思った。
2021年11月10日(水).
政子は“ある場所”からわくわくした顔で帰って来た。
「叱られるかなあ。でも私を放置してる冬が悪いのよ」
などと言っている。また
「楽しみだなあ。今度は女の子がいいなあ」
などと呟きながら恵比寿のマンションのエントランスまで来たら、そこに百道大輔が立っていた。
「何の用?」
「話を聞いて欲しい」
と大輔は真剣な目で政子に言った。
11月11日(木).仏滅の三隣亡!
日本中に衝撃が走った。
元★★レコード社長で、2019年6月の株主総会で株主動議により解任され、その後、MSMレコードを設立したものの半年で倒産させてしまった、村上時二郎(71)が、数日前に亡くなっていたらしいのだが(全く報道されていなかった)、その奧さんが、この日の朝、村上の遺言に基づき、アクアと★★レコードを告発する文書を、報道各社に送ったのである。
その内容は下記のようであった。
アクアが高岡猛獅の娘だと言うのは大嘘である。高岡には子供は居なかった。彼女は詐欺師であり、有名アーティストの娘を偽って、売上を上げようとしている。
その根拠に、自分は2001年当時、ワンティスがデビューする時、★★レコードの制作部次長として彼らのセールス面を担当したが、メンバーに恋愛禁止を言い渡すと共に、妊娠中であった長野夕香には中絶を命じた。それで中絶したのだから、2001年に夕香が子供を産んだ筈はないのである。
高岡の娘の育ての親を自称する志水夫妻は、高岡夫妻の葬儀の歳に、2歳くらいの女の子を連れて来て、それが高岡の子供だと称して、金品を要求したので、自分が叱り飛ばして追い返した。今になって、また詐欺を働こうというのは言語道断だ。
またMSMが倒産に至ったのは、★★レコードが業界での優越的な立場を利用して、CD製造会社や流通業者に圧力を掛け、CDを製造させないようにし、またCDを販売ルートに乗せられないようにして、新規参入会社の営業を妨害したためであり、独占禁止法違反と業務妨害で同社を告訴した。
私が★★レコードの役員を解任されたのは、事務方が不正に投票数を誤魔化して集計発表したせいであり、株主による決定権を侵害する違法行為のせいである。それを指示した自称社長の町添氏を告発するとともに、違法行為に関わった社員が誰か捜査してくれるよう、東京地方検察庁に告訴状を送付した。
また私が解任されたのは違法であるから、私は2019年6月以降も★★レコードの真の社長であった。その地位確認と、支払われなかった役員報酬の支払いを求める提訴も行った。
ネット上には
「2歳くらいの女の子だって」
と呟く声が多数!
この報道を聞いた瞬間、コスモスは2人のアクアに、ただちに八王子の家に行って籠もっているよう指示した。それで報道関係の誰もアクアをキャッチすることはできなかった。一部の記者が代々木のアクアのマンション前に詰めかけたが、むろん彼らはマンションの中に入ることはできない。30分くらい騒いでいたのでマンションの警備員が「迷惑行為として警察を呼ぶよ」と言うと、渋々引き上げた。
コスモスの予想通り、代々木のマンションは一部の人に知られていたものの、八王子の家は誰も知らないようで、向こうに来た記者の類いはいなかった。
コスモスがどう対処すべきか悩んでいた時、上島雷太から電話が掛かってきて
「僕に任せて」
と言うので、お任せすることにした。
上島は報道各社にFAXを送り、アクアの出生問題について重要な証人を伴って正午から記者会見をすると述べた。
11月11日(木)正午。
記者会見は、都内のHホテルの記者会見場から、ネット型式で行われた。ネット形式だが、報道陣を代表して、##放送の風海報道局長!が質問をすることになった。報道局長が質問に立つというのは異例だが、この記者会見の内容如何によっては多数の会社の倒産、何万人もの失業、さえあり得る事態なので、若いアナウンサーなどには任せられないということになったのである。
記者会見場に並んでいるメンツを見て、ネットで接続していた記者たち、またテレビ放送を通して見ている全国の視聴者が騒然とした。
並んでいたのはこういうメンツである。
上島雷太
雨宮三森
水上喜子
志水照絵
太荷馬武
鍋島栄子
(福井県在住の志水照絵は本人に車で小浜まで走ってもらい、ミューズ飛行場から、いつもそちらに駐機しているムーランの CRJ900 に乗せて連れてきた。常滑市在住の太荷馬武は、緊急にHonda-Jetをセントレアに飛ばして連れてきた。いづれも熊谷から東京ヘリポートまでヘリコプターで運んでいる。記者会見が12時になったのは彼らの到着を待っていたからである)
しかし記者たちが会見の席に並んでいる人物の中で何と言っても最も驚いたのが、作曲家・鍋島康平(2009年没)の妻、鍋島栄子さん(87)だった。栄子さんは発言した。
「私は実は、若杉千代の遺書を預かっていたのですが、来るべき時まで開封しないでほしいと本人が遺言していました。それで私もずっと開封していなかったので、内容も知らなかったんです。でも今年8月20日にアクアちゃんが自分の出生に関する記者会見をしたので、私は来たるべき時が来たと思いました。それで上島君に相談したんです。それで私と上島君・雨宮ちゃんの3人、それと公正な第三者として、馬佳祥先生に立ち会って頂きまして、4人で開封しました。すると驚くべきことが書かれていました」
文書のコピーと4人の署名・捺印がされた文書を鍋島さんは提示した。
「すみません。若杉千代さんと、鍋島さんのご関係は?」
「実は、若杉千代は、鍋島康平の恋人だった時代があるんです。まだ私が康平と結婚する前ですが。その縁で、康平は千代さんの相談に乗ることがあり、それで千代さんは自分の遺書を康平に託したのです。康平の死後は私が管理しておりました」
明言していないが、千代と康平の関係が、栄子との結婚後も続いていたことを示唆する発言である。しかしここは本題から離れるので、誰も突っ込まない。
上島雷太が発言する。
「私たちは、2013年にワンティスの楽曲の作詞作曲者偽装問題で、事務所とレコード会社の指示でやむを得ず全て高岡の作詞ということにしていたと発表していたのですが、その件に付いては、太荷君が説明できるよね?」
と上島が言うので、太荷馬武が引き継ぐ。
「これに関しては私は死んでお詫びをしなければならないほど申し訳無いです。この作詞者偽装については、当時の制作部次長だった村上さんの指示でやっていました。ワンティスの事務所の社長には、そういう名義にすることで、レコード会社側とワンティスが同意しているからと言って、容認してもらいました」
と彼は言った。
「そのことを2013年の時は言わなかったよね?」
と風海報道局長が訊く。
「業務上知り得た内容を勝手に話してはいけないと考えておりました。しかし今回、村上さんが亡くなったことを知りましたので、だったら、守秘義務より歴史的な事実の公開が優先すると考え、公表することにしました」
当時、太荷馬武は記者たちに何を聞かれても自分は知らないとしか言わなかった。それで彼は偽装問題の張本人として激しく糾弾されたが、それでも何も言わなかった。彼はすっかり悪者になったが、後に特撮番組や時代劇の“悪者”役俳優として人気になってしまう。
彼を放送局が悪役俳優として受け入れた背景には、彼は恐らく誰かをかばっているだけだろうという見方が支配的だったのがある。
上島が発言する。
「若杉千代さんの遺書を拝見してから、ここ数ヶ月、私と雨宮は高岡夫妻が亡くなった時期のことを知っているかも知れない人に可能な限り接触して当時のことを尋ね回りました。それでようやく当時のことの全容が判明したのです」
「高岡の葬儀に、志水夫妻はアクアを連れて参列し、焼香までした後で実は最初に、ワンティスのメンバー水上信次に相談しました。ですよね、志水さん?」
と上島は照絵に確認する。
「はい。そうです」
「でも『馬鹿なこと言うな。頭冷やして出直してこい』と言われた」
「確かにそのようなことを言われました」
すると隣に座っている水上信次の妻・喜子が発言する。
「その件について、水上は、あれは本当に申し訳なかった。アクアに謝らなければならない、と死ぬ間際まで申しておりました」
「すみません。志水さん、その件、どうして今まで明らかになさらなかったのでしょう?」
と報道局長が尋ねる。
「ワンティスの仲間のことを悪く言いたくなかったので。葬儀の席で追い返されたことを説明するには、事務所の社長に追い返されたことだけ言えば充分と思ったので」
と照絵は言った。
「仲間ということでいいんですか?」
と報道局長。
「当時、志水英世君と本坂伸輔君は実質ワンティスのメンバーでした。当時、ギターは志水君、キーボードは本坂君が弾いていて、僕と高岡は楽器は演奏せずに歌だけ歌っていたんです」
と上島が言うと、記者たちはかなり騒然としていた。
「でもその“事務所の社長に追い返された”というのが誤解だったんだよね?」
と上島が言う。
「そうなんです。先日上島先生にご指摘頂くまで、私も完全に勘違いしていました。事務所の社長さんに申し訳無いです」
と照絵は言う。
「どういうことでしょう?」
と報道局長。
「実は私も夫も、ずっと千代さんとだけやりとりしていたので、私たちは村飼藤四郎社長のお顔を知らなかったんです」
記者達がざわめく。
「葬儀の席で、ちょうど太荷主任を見かけて、太荷主任が『村飼社長』と60歳くらいの男性に話しかけていたので、あ、これが社長さんかと思っちゃったんです」
「それが多分勘違いです」
と太荷本人が言う。
「僕は志水さんたちと、その人物とのやりとりを見てないけど、僕は村飼社長と葬儀の席で話した覚えはない。僕が声を掛けたのは、“村飼社長”ではなく“村上次長”だったと思う」
記者達が騒然とする。
「言われてみたらそんな気もするんです。それで、上島さんからあらためて、村飼社長と村上次長のお写真を見せて頂いて、それで18年前に私たちが勘違いしていたことを知りました。私たちが話したのは間違いなく村上次長です。そして村上さんからヤクザ動かして、その子供も含めて3人海に沈めるぞとか言われて、私たちは帰ることにしました」
と照絵は言う。
「“村飼(むらかい)”と“村上(むらかみ)”、“社長”と“次長”って音が似てるから」
と太荷は言っている。
「それって結果的に村上さんの遺書と内容が一致してますね」
と記者のひとりが言う。
「まさにその通りです。私たちはどうやって村上さんを追及しようと準備を進めていたのですが、本人が遺書に残してくれたので手間が省けました」
と上島は言っている。
「ちなみに私たちは金品など要求していません。私たちは養育のための費用は自分たちで負担するから、この子をこのまま自分たちに育てさせて欲しいと言いました。それを金品の要求と取られたのなら、本当に残念です」
と照絵は言っている。
「村上さんが夕香さんに中絶を要求したという件については?」
と報道局長は尋ねた。
「太荷君はその件は何か聞いてた?」
「私は聞いてません。私はただ、夕香さんが体調を崩していて、しばらく制作に参加できないからと村上次長から聞いて、事務所側と話し合って、代替のコーラスに仮名S子ちゃんを手配しただけです」
と言ってから、
「すみません。彼女の名前は伏せさせて下さい。彼女は本当にこの件には関わってませんから」
と太荷は付け加えた。
「その件に付いては、千代さんの遺書に書かれています」
と鍋島さんは言い、遺書を広げたのでカメラが寄る。
カメラの映像は取り敢えずネットで接続されている記者たちだけに見えるようになった(テレビ映像には映していない)。
「これは間違い無く、千代さんの字だ」
と報道局長が言った。他にもネットで接続している記者の中で年配の記者が数人頷いている。50代以上の芸能記者では彼女の字を知っている人がわりと多い。
「念のため筆跡鑑定もして頂きましたが、若杉千代さんの字に間違い無いという鑑定結果が出ています」
と上島は言い、その鑑定結果書を見せた。彼女はファンレターの返事をまめに書いていたし、手紙魔でもあったので千代の直筆は大量に残っており、筆跡鑑定もしやすかったであろう。
記者たち、そして上島・雨宮・鍋島の同意のもと、この遺書がテレビ画面にも映し出された。
遺書にはこのようなことが書かれていた。
・自分はもう長くないと思うので、この文書を残す。これは、然るべき後に公開して欲しい。たぶん自分が死んですぐ公開すると、様々な面倒な問題を引き起こす。
・志水英世・照絵夫妻が育てている女の子・龍子ちゃんは、高岡猛獅・夕香夫妻の子供である。★★レコードの村上制作次長から中絶を要求されたが、夫妻は絶対に中絶は嫌だと言った。そもそも既に妊娠6ヶ月だったので、どっちみち中絶は不可であった。
この遺書がテレビ画面に映された時、一般視聴者は
「若杉千代さんの遺書にも“龍子という女の子”とあるぞ」
「やはりアクアは女の子だったんだ!」
と騒いでいた!
・妊婦に中絶を要求するというのは、あり得ない暴挙であり、私はワンティスを★★レコードに託したことを後悔した。★★レコードの上層部に抗議しようとしたが、折角デビューが決まったのにここで揉めるのは他のメンバーに悪いから自分たちはワンティスを脱退すると高岡夫妻は言った。
・私と村飼藤四郎は高岡夫妻を支援して、夕香さんに密かに出産させることにした。出生届をすぐには出さなかったこと、高岡夫妻が育てるのではなく、志水夫妻に託されたのは、レコード会社側にバレないようにするためである。私たちは夕香さんの出産費用を出したし、その後、当社社員の左座浪に頼んで必要なものを届けさせていた。だからこのことは、高岡夫妻・志水夫妻、私と社長に左座浪のみが知っていた。
・高岡夫妻は、いつまでも龍子ちゃんを戸籍の無いままにしておく訳にはいかないし、ワンティスの人気も安定しているからもう大丈夫だろうと言って、2004年年明けたら、ワンティスからの脱退を表明するつもりでいた。そのことはメンバーにも言ってなかったと思うが、自分と社長のみが相談を受けていた。私は年明けたら、上島さん・雨宮さんと話し合って、高岡さんの脱退、本坂さんの正メンバー昇格という線でまとめるつもりであった。
・それを進める前に高岡夫妻が急逝したことにショックを受けている。志水夫妻が龍子ちゃんを育てて行く支援のため、毎月夫妻に龍子ちゃんの養育費を高岡さんの名前で振り込むよう、左座浪に頼んで手続きをしてもらった。
この会見を八王子の自宅でテレビで見ていたアクアたちは2人とも涙を流していた。
松田君、彩佳が2人の手を握ってあげたのだが・・・
松田君が握ったのがMの手で、彩佳が握ったのがFの手だった!
「ごめん、逆なんだけど」
とFが言う。
「なんでお前たち、そういう座り方してるんだよ!?」
と言って、松田君と彩佳が立って席を交替した!
照絵が言う。
「私たちは当時高岡さんが借りてくださったマンションに住んでいたのですが、その家賃は高岡さんが亡くなった後も、3年ほどずっとちゃんと支払われていました。養育費もやはり3年ほど支払われていました。私たちはいいのかなあとは思ったのですが、ワンティスの仕事が無くなって収入が激減して生活が大変だったので、家賃が支払われている間はそこに住んでいました」
「家賃を除けば、私たちは自分たちの蓄えも少しはあったし、英世が亡くなるまでは、スタジオ・ミュージシャンやツアー・ミュージシャンの仕事も割とあって、何とか生活していけました。ただ、アクアがピアノを習いたいと言ったので、主としてそのレッスン費用や発表会の費用、また良い音楽を聴かせてあげるためのCDなどの購入費に養育費は使わせて頂きました。残ったお金は龍虎の名前で貯金していたのですが、龍虎が病気で倒れた後は、その診療費に使っていました。でもそれが底を尽きて、英世も亡くなり、私ひとりではどうにもならなくなって、最終的に支香さんに泣きつくことになりました」
と照絵は説明した。
「2006年にその口座の残高が尽きて、養育費送金と家賃の支払いが止まってしまったようです」
と上島。
「それで私たちの収入ではとても家賃が払えなかったので、そのマンションを出て、安いアパートを借りました」
と照絵は説明した。
「でもこの遺書では、千代さんは志水夫妻を支援していくようにしたようですが、そのことは志水夫妻には伝わっていなかったのでしょうかね?」
と報道局長が尋ねる。
「そのあたりの事情は私たちもよく分からないのですが、恐らくはきちんと伝える前に千代さんが亡くなってしまったのではないでしょうか。また千代さんは志水夫妻が“社長”に脅迫されたなどということを知らなかったと思います。左座浪君が生きていたらそのあたりの事情ももう少し分かると思うのですが。当時の事務所の社員を訪ね歩いたものの、事情を知る人は居なかったんですよ」
と上島は言った。
「しかし、中絶要求問題についても、千代さんの遺書の内容と村上氏の遺書の内容がきれいに一致していますね」
と報道局長が言う。
上島が言った。
「その問題でも、僕と雨宮は千代さんの遺書で知って、どうやって村上さんを追及しようかと思っていたのですが、これも村上さんが遺書に書いていたので、全く手間が省けました」
当時村上制作次長がこういうことをしていて、それに松前制作部長が気付かなかったのは当時の★★レコードの指揮系統問題がある。村上次長は無藤清専務から指示を受けており、星原会長系の松前制作部長は彼には何も言えなかったし彼から報告を受けることも無かった。制作部内部が2系統に分かれていたのである。
記者会見は3時間ほど続いたが、記者たちは全員、上島たちの説明に納得してくれた。
★★レコードは緊急役員会議を開いた上で、夕方、町添社長が記者会見して述べた。
・女性アーティストに中絶を要求するというのはあってはならないことである。このようなことが他にも行われていないか、調査委員会を設置した。また今後絶対にこのようなことか無いよう、全社員に向け、通達を出した。
・責任を取って、町添社長は向こう1年間報酬を全額返上する。加藤制作部長は報酬を向こう1年間100分の50返上する。
なおアクアは夕方になって、放送局に姿を現した(ドラマの撮影があった)。
普段は先行して葉月が入ってリハーサル役を務めるのだが、今日アクアは葉月に「ボクがリハーサルから参加するから」と言って休ませ。自分でリハーサルから出て来た。
当然、記者たちにつかまる。彼(彼女?)は言った。
「びっくりしましたが、ワンティスの事務所社長さんのことを誤解していたようで、私も謝りたいです」
「村上さんがアクアさんのことを詐欺師呼ばわりしていましたが」
「村上さんの誤解と思い込みでしょ?ボクは間違いなく、高岡猛獅と長野夕香の息子ですよ。ちゃんとDNA鑑定でも証明されていますから」
「あのぉ、若杉千代さんの遺書には“女の子”と書かれていたのですが」
「どこかで千代さんは私の性別を誤解していたみたいですね」
とアクアは平然として語った。
なお、ドラマのプロデューサーは、今日あの騒動が起きたばかりで、アクアは撮影を欠席するのではと恐れていたので、アクアの顔を見ると
「来てくれたんだ?ありがとう!大変だったね」
と言って、思わずアクアの両手を握って喜んでいた。
なおこの日はトリビュートアルバムの音源制作のほうは元々お休みだった(青葉が社会人選手権の間は休んでいたので、まだ歌うべき曲が無かった)
なお、村上氏が提訴した問題については下記のように処理された。
最初に村上氏が不正があったと主張する2019年6月の株主総会での投票について、検察庁は、株主総会決議取消訴訟の期限が過ぎているとして提訴を却下した。結果的に地位確認訴訟も門前払いとなった。
しかし★★レコードは疑惑が残るのは困るとして、公正な第三者に投票の再集計を依頼した。★★レコードと関わりのない証券会社N証券のスタッフにより再度集計が行われた所、当時の議案の票数は下記であるとされた。
会社案 127万2400株→125万1900株
ライオンペアズ案 394万2200株→394万1100株
鈴木片子案 2498万5300株→2498万6300株
会社案・ライオンペアズ案への投票で無効票が1票ずつ見付かり、逆に無効票とされたものの中に鈴木案への有効投票と認められるものが1票あってこのようになった。
ということで、かえって村上氏を支持する票はもっと少なかったことが判明した!
独占禁止法違反と業務妨害の件に付いては、公正取引委員会は告訴状を受理するかどうかを決める前に、MSMレコードの元役員である、無藤鴻勝氏と佐田博栄氏に非公式に事情を聴いた。
その結果、MSMは営業活動以前に、会社として運営すること自体が困難な状況であったことが分かった。
何の準備もないまま設立し、いきなり150人ほどの社員を抱えたため、執務のための机・椅子、パソコンなどを買い、電気の配線をするのに1ヶ月掛かった。
社内の派閥対立のためPBXもLANも導入できず、結局固定電話の使用を諦めて大量のスマホを社員に配布した。LANが無いからデータ交換はUSBメモリに頼っていたし、パソコンをネットにつなぐのに、スマホのテザリングを使うという恐ろしい状態になった。パケット量をオーバーして“ギガ死”により接続不能=稼働不能に陥るパソコンが相次いだ。セキュリティも適当だったため、コンピュータウィルスが蔓延した。
指揮系統が混乱し、当時、制作部長が4人、営業部長が5人、経理部長が7人居た。
会計システムを導入しようとしたが、組織も事務の流れも混乱しているため、ソフトハウスも会計事務所も匙を投げた。
派閥対立から、社員名簿自体を作ることができず、早い話が、誰を雇っているのかも分からなかった。給料も「まだ今月の給料もらってません」と言われたら現金で渡していたので、誰にいつ、いくら払ったかも分からない。二重取り・三重取りした社員どころか、社員を装って給料をもらった者もあったと思う。
会計システムが無いまま、大量の手書き伝票が積み上げられ、収拾が付かなかった。請求書は処理されず、スマホが全部止められた。結果的にパソコンも稼働不能になった。やがて家賃も払えなくなって退去を求められたが、その時点では退去作業をするお金も無かった。
要するに、レコード会社を運営するという以前に、会社というものを運営できる状態では無かった。
無藤氏も佐田氏も「あれは完璧に準備不足のまま会社を立ち上げてしまった。自分たちの明確な失敗であり、営業妨害されたような認識は無い。村上氏の思い違いだと思う」と述べたので、告訴状は不受理となった。
「あれは無藤レコード、村上レコード、佐田レコード、黒岩レコード、板居レコード、形原レコード、島長レコード、河内レコード、三ノ輪レコードって、9つのレコード会社を各々が設立してたら、その内の3つくらいは生き残ってたかもね」
と佐田氏が言うと、無藤氏も
「あ、その可能性はある。とにかく派閥対立の酷い会社だった。それと1年間は無給で働いてもいいという少数の社員だけで始めるべきだった。150人も社員がいてもさせる仕事が無かった」
と言っていた。
(実際MSMのアーティストの受け皿となった湯河原レコードは、ほぼ無給に近い数人の精鋭社員で始めて、業務の流れが確立してから社員を増やす手法で成功している。場所代もかからない湯河原を選んだ。MSMはいきなり都内の一等地にオフィスを借りてしまった)
★★レコードとTKRは村上氏の妻に対して、★★レコードおよびTKR所属アーティスト・アクアの信用に重大な毀損を与えたとして損害賠償請求の民事訴訟を起こした。その結果、村上氏の妻に5000万円の損害賠償支払いが命じられた。
アクア本人は「奧さんは村上さんに欺されただけで、ぼくは気にしないから」と言ったのだが、同様の事件の再発を防ぐには、きっちり損害賠償を提訴してこちらが“手強い”ことを示しておかなければならないのである。
そういう訳でこの事件は、ワンティスに関する3つの問題、名義書き換え事件、なぜアクアの出生届けは出されなかったのかという問題、志水夫妻が葬儀の場で追い返された問題、の真相が明らかになり、龍虎は詐欺師どころか、失われたかも知れない命を事務所社長夫妻の機転で救われたことが判明して、かえってアクアに同情が集まることになった。
そして千代さんに対しても「よくやった」と評価する声が多数あがったのを見て∞∞レコードの鈴木社長は
「これで千代さんのトリビュートアルバムが出せる!」
と喜んだのであった。
なお千代さんの歌唱の版権は、当時千代さんが所属していたSHレコードが所有していたが、同社が経営危機に陥った時、その権利をBXレコードに売却しており、BXレコードは後に∞∞プロ傘下の אא レコードに吸収されていた。つまり現在は∞∞プロの子会社が原盤権を持っていることが分かった。
それでこの企画は∞∞プロ・§§ミュージックの共同企画で進めることになったのである。
音源自体は、鈴木の予想通り、音源図書館に千代が吹き込んだ全てのレコード(ドーナツ盤およびLP)が残っていた。実はデビュー曲の『銀の首飾り』のみSP盤(10inch 78回転)で当初出たのだが、後にドーナツ盤(7inch 45回転)で出し直されており、そのドーナツ盤が収納されていた(*32).
(*32) アナログレコードの規格
SP 78回転 7,10,11,12inchなど(ポピュラー音楽は10inchが多い)
LP 33回転 12inch
ドーナツ盤(シングル盤)45回転 7inch
EP 33回転 7inch
SPは、酸化アルミニウムなどの磁性体を混ぜたシェラック(shellac) という樹脂でできていたが、脆く割れやすかった。LP以降の世代はプラスチックなので丈夫である。
上記以外にビニール製のソノシートと呼ばれるレコードがあり、よく雑誌の付録に添付されていた。33回転のものと45回転のものがあった。
シングル盤はジュークボックスに使用されたため、中央に大きな穴(38mm)が空いており、その形状からドーナツ盤とも呼ばれた。時々、ドーナツ盤のことをEPと言う人がいるが、それは誤り。EPというのはドーナツ盤と同じ直径だが、ドーナツ盤とは違って中央の穴は小さく(8mm), 33回転のものである。つまり小さなLPである。EPには普通の長さの曲なら4曲入るので、現代のマキシシングルのような使い方がされた。
11月13日(土)“みつ”。
熊谷の郷愁村で朝食後、編曲作業をしていた青葉は、母から戸惑うような声の電話を受けた。
「新居が竣工したと言われたんだけど」
「もうできたの〜〜〜!?」
だって、だって、10月27日に工事始まったばかりなのに!
半月くらいしか経ってないじゃん。南田さん、11月下旬の竣工と言ってたし。
「取り敢えず今から現地に行って受け取りしてくるけど、引越とかどうしよう?」
「桃姉には連絡した?」
「まだ。これから」
「桃姉とちー姉に行ってもらおう」
「あ、千里ちゃんがいたら安心よね!」
うん。桃姉だけだと物凄く不安がある。
それで朋子が“千里に”電話したところ、千里と桃香の2人で手伝いに行くということであった。2人はその日の内に彪志および子供4人と一緒に、Honda-Jetで熊谷→能登に移動し、現地で男性の友人?4人と合流して、伏木に行った。
そしてこの日の内に全ての荷物を移動させてしまったので朋子が驚いたらしい。千里が呼んだ男性4人が凄くて、彪志も貴重品などを運んだだけだった。桃香はビール飲んでた!
結局その日の夕方、新居で焼肉をして引越祝いをしたということであった。子供たちが大はしゃぎだったという。
千里姉からは
「新居の結界は張っておいた。あと“ピアノ1個”置いといたから」
という連絡が入っていた!!
日曜日は子供たちを新湊に連れて行って帆船・海王丸を見せ、夕方“彪志・千里・京平の3人”がHonda-Jetで熊谷に帰還し、浦和の家に戻った。
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【夏の日の想い出・Long Long Ago】(7)