【夏の日の想い出・星導きし恋人】(5)

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『わらしべ長者』の撮影は6月2日まで5日間かけて集中的に行われた。
 
初日の撮影は21時頃終わったが、そのあと各自食事もしてお風呂も入ってということで、22時半頃に、モナ・宇菜・イルザがアクアの部屋にやってきた。
 
アクアがきちんとした上着にズボンを穿いているので
 
「もっとリラックスした格好してればいいのに」
などとモナから言われる。
 
イルザは普通の昼間の格好だが、モナと宇菜はホテルのガウンを着ている。
 
「いや“脱がされやすい”格好してたら、しばしば解剖されるから」
「ああ、だいぶやられてるね」
「数えたらキリがない」
 
「アクアを解剖しちゃうのは女の子だよね?」
「男の人にやられたらレイプだよ」
「それでたくさんの女の子たちから、アクアが確かに女の子であることを確認されているわけだ?」
 

「まあボクの性別問題は置いといて、8月20日に公表することにしているのはボクの両親のことなんだよ」
 
「ああ、小さい頃に交通事故で亡くなったんだっけ?」
「大変だったね」
 
「でその両親なんだけど、実は2人ともミュージシャンだったんだよ」
「なるほどー。アクアの音楽的な才能はその遺伝もあるのか」
 
「もしかして何か有名な人?」
「みんな知らないかもだけど、ワンティスというバンドをやっていて、父はギター兼ボーカルの高岡猛獅、母はコーラス担当で長野夕香という人だったんだけどね」
 
「うっそー!?」
と声をあげたのがイルザである。モナと宇菜は
 
「ワンティスって、上島雷太や雨宮三森のバンド?」
と訊いただけで、やはり高岡猛獅・長野夕香の名前は知らないようだ。
 
千里さんが言っていた通りの反応だな、とアクアは思った。
 

イルザがどうも知っているようなので、モナがイルザに尋ねる。
 
「その高岡さんという人がワンティスに居たんですか?」
 
「高岡さんはバンドの創設者のひとりで元リーダーだよ」
「へー!」
 
「上島先生、雨宮先生、高岡さんの3人がやっていたバンドがワンティスの母体」
 
「じゃアクアちゃんの両親は、そのバンド内恋愛?」
 
「逆だね」
とイルザは言う。
 
「女声コーラスが欲しかったから、高岡さんが恋人の夕香さんと、その妹の支香さんを連れてきた」
「なるほど」
 
「上島先生はその付近の話をどうも誤魔化してる感じだったのよね。でもそうか。その2人の間に生まれたのがアクアちゃんだったのか」
 
とイルザは納得するように語る。
 

「それで交通事故で亡くなったんですか?」
 
「あれは物凄い衝撃的な事件だったんだよ。私今でもその時のニュースを覚えてるよ。私まだ小学3年か4年くらいだと思うけどさ。お昼頃に速報が入って。年末だよね?」
 
とイルザがアクアに確認する。
 
「2003年12月27日なんです」
「ほんとに押し迫ってる」
「2003年か。だったら私は小学4年か。そのまま大晦日までこのニュースばかりでさ。ワンティスは紅白に出場予定だったんだけど、NHKがこの扱いをどうするか大揉めしたらしい」
 
「へ?」
 
「ボクの両親はかなりのアルコールを飲んで、そしてかなりのスピード超過で中央高速を走っていて事故を起こしたんです。幸いにも誰も巻き込まない単独事故だったのですが」
 
「わぁ」
 
「NHKでは不祥事として出場禁止にすべきという意見と、亡くなった人を追悼しようという意見で真っ二つに割れて」
 
「なるほど」
 
「結局NHK会長のトップ決断で、ビデオ出演することになった。紅白史上唯一のビデオ出演となったけど、この放送時間の視聴率が90%越えという凄いことになって、この記録はいまだに破られていない」
 
「なんか凄い」
 
「でも高岡さんと長野夕香さんの間に子供がいたなんて全然知らなかった。あれ?でもアクアちゃんの苗字は長野だと言ってたね?」
 
「両親は婚姻届を出してなかったんです。それで私は母の戸籍に入ったんですよ」
「なるほどー」
 
「でも実はその母の戸籍に入るまでが大変で。上島先生が物凄く頑張ってくれたんです」
 
と言って、アクアは自分の戸籍が“作られるまでの話”をした。みんな本当に驚いていた。
 
「弁護士さん、すっごい頑張ったね」
「ほんと感謝です」
 
「いや、日本には多分アクアちゃんみたいに、戸籍の無い子供というのが、結構いると思う。様々な理由で出生届けを出せなくて」
 
「ボクの場合は、偶然の重なりがあって幸いにも戸籍を獲得できましたけど、両親が既に亡くなっていたり不明というケースでは、単独の戸籍を作る方向で作業を進める場合もあるらしいです」
 

その日は結局3時間くらいこの話をしていた。
 
「ごめんなさーい。みんな遅くまで引き留めてしまって」
「いや、もっとたくさん色々聞きたいけど、これ以上遅くなると明日に響く」
と言ってその夜は2時近くに解散した。
 
「じゃアクアを解剖して性別を確認するのは明日の夜ということで」
「え〜〜〜!?」
 

幸いにもアクアは翌日以降も解剖はされなかったものの、その後はアクアの個人的なこと(特に病気のことや田代さんちの里子になった経緯など)について、かなり根掘り葉掘り訊かれた。
 
「結局その病気の治療で男性器も除去したのね」
「してません」
「じゃやはり半陰陽だったんだ?」
「違いまーす」
「とすると最初から女の子だったという選択肢が残る」
「そういう訳ではないですよー」
 
「やはり解剖してみよう」
「勘弁して下さい」
 
モナと宇菜だけだったら、マジで解剖されていた気もするが、イルザがブレーキ役になってくれたので、アクアは今回のつくばみらい市のホテルでは何とか裸に剥かれずに済んだのであった。でもアクアが女の子であることは間違い無いと3人とも確信したようでもあった。
 
「おっぱいこんなに大きいし」
と胸に触られ
「ちんちんなんて無いし」
と(服の上から)お股!に触られる。
 
「だいたいこうやって近くに居るとアクアからは普通に女の子の香りがするからね」
「それだけでもう性別は確かだよね」
 

「アクアの襲撃的な過去が大きかったから、そこまであまり話が行かなかっけど、『わらしべ長者』ってラッキーだけでお金持ちになったという話じゃなかったのね」
 
と宇菜が言っていた。
 
「広い田畑を譲られて、それを頑張って耕作して豊かになったとか、娘と結婚した後、たくさん働いたから豊かになったとか、そういう筋だったみたいよ」
とイルザは言っていた。
 
「つまり努力が実を結ぶという話ですか」
「わらしべとの交換で得たのは財産を形成するための環境にすぎない。そこから本当に財産を形成したのは本人の物凄い努力」
 
「その環境を得るまでが幸運なんだろうけどね」
 
「幸運だけの人は財産を偶然得ても、それをすぐ無くすだろうね」
「それって宝くじで何億とか当てた人の多くが辿る道だ」
 
「お金は作るより維持する方が難しいんだって、証券マンしてる従兄が言ってましたよ」
「まあ作るのも難しいけどね」
 

6月。
 
多くの学校では衣替えでこの日から夏服になる。中学の場合、女子は夏用のセーラー服に切り替わるが、男子は多くの場合学生服を脱いでワイシャツ姿になる。
 
もっとも上田雅水(中2)はサイズの合うワイシャツが存在しないので中学に入った時からワイシャツの代わりにブラウスを着ており、これは本当は違反なのだが、先生たちも黙認してくれていた。
 
しかし昨年はまだ良かったのだが、今年は雅水は“目立ち過ぎ”た。
 
担任の先生は見て見ぬふりをしていたものの、とうとう生活指導の先生が注意した。
 
「上田、バストパッド入れるにしても、もう少し小さいのにしろよ。それあまりにも大きすぎる」
 
雅水は答えた。
 
「すみません。バストパッドは入れてません。これ本当の胸です」
「え?そうなの?」
 
生活指導の先生は雅水を保健室に連れて行き、保健室の先生に彼(?)が言ったことが本当なのか確認してもらった。
 
保健室の先生は言った。
「この子のバストはCカップあります。この子はむしろ女子制服を着せるべきだと思います」
 

学校は、上田雅水の保護者を呼び出した。
 
校長・教頭・担任・保健室の先生と母親で話し合う。
 
「この子は物心ついた頃から、女性志向があったので、小学生の頃は本人が望むまま女の子の服を着せていました。学校が認めて下さるのでしたら、ぜひ女子制服で通学させてくださると嬉しいです」
 
校長は言った。
「性同一性障害ですよね?」
 
「こういう傾向を“障害”と呼ぶことには賛成できませんが、確かに現在、そのように呼ばれています」
と母親は言う。
 
「もし可能でしたら、医師に診せて、その旨の診断書を取ってもらえないでしょうか?それがあれば、私たちは上田さんに女子制服での通学を認めたいと思います」
と校長は言った。
 
「分かりました。病院に連れて行きます」
 

それで(2021年)6月3日(木)、雅水は学校を休み(公休扱い)、母に連れられて埼玉県K市にある、性別問題に詳しい病院の外来を訪れた。
 
雅水は血液と口腔内粘膜を採られ、MRIに掛けられた。また多項目の問診票を書いたほか、心理テストのようなものも受けさせられた。
 
ほぼ丸一日にわたる検査が終了してから、雅水と母は診察室に呼ばれた。医師は言った。
 
「性同一性障害とは思われません。雅水さんはとってもノーマルです」
 
「そんな馬鹿な!」
と母が言う。
 
「この子は物心ついた頃から、ずっと自分の性別への違和感を訴えていました。幼稚園の時もトイレで随分注意されたので、私はもう退園処分覚悟で幼稚園側と凄い議論して、何とか希望するトイレの使用を認めてもらったんですよ」
 
「しかし雅水さんは染色体にも異常はありませんし、性器にも異常はありませんし、心理的にも完全な女性であって、どこにも男性的な傾向はありませんよ」
 
「ちょっと待ってください。心理的に女であるのなら、性同一性障害ですよね?」
「は?」
 
ここで医師がとんでもない誤解をしていたことが判明した。
 
改めて母親は雅水の保険証を提示し、雅水が法的に男であることを説明した。
 
「すみません。あまりにも完璧に女性だったので勘違いしました」
と医師も謝る。
 
「でも性器的にも女なんですか?」
「そうですよ。普通に卵巣・子宮・膣、大陰唇・小陰唇・陰核があり、尿道口は通常の女性の位置に開口しています。陰茎・睾丸・陰嚢・前立腺などは見られません。男性器など全くありませんし、女性器は完全に揃っています」
 
「え?ボク陰茎無いんですか?」
と本人が驚いている。
 
「君、ペニスがあるつもりだった?」
「あると思ってましたが無いんですか?」
「無いけど」
「うっそー!?」
「いつまであった?」
「・・・分かりません。もうずっと触ったこと無かったから」
「でもおしっこする時に気付かない?」
「いつも座ってしてるから、無いなんて思いもよりませんでした」
「うーん・・・・」
 
「君、生理あるよね?」
「あります」
「いつから生理始まった?」
「先月の頭かなあ。先週もありました
 
「先月の頭から生理が始まったということは、雅水さんは半陰陽で自然に身体が女性に変化して、その女性としての機能が先月から稼働し始めたのかも知れませんね。その少し前からたぶん乳房も急速に発達したんですよ」
 
「するとこの場合、性同一性障害の診断は?」
「性同一性障害ではなく半陰陽のケースになります。診断書を書きますから、裁判所に提出して、“性別取り扱いの変更”ではなく“性別訂正”の審判を受けて下さい」
 
「分かりました!」
 
それで医師に診断書を書いてもらい、雅水の母は弁護士に依頼して裁判所に性別の訂正を申し立てた。信貴・雅水の兄弟の女性化にあまりいい顔をしていなかった父親も、半陰陽のケースだと言われると、雅水の女性化に同意せざるを得なかった。
 
学校には裁判所に半陰陽による性別の訂正を申請したことを説明し、裁判所に提出した書類と病院の医師による診断書を提示した。学校側は裁判所の審判を待たずに学校の学籍簿上の性別を変更してくれた。
 
それで雅水は6月7日(月)から、女子制服で通学することになったのである。
 
「上田は女子に性別を変えるべきだと前から思ってた」
「雅水ちゃん、女子トイレ・女子更衣室に来ればいいのにと思ってた」
 
と男子も女子も雅水の性別移行を受け入れてくれた。
 
それで雅水は女子中学生になってしまったのである。
 

「雅水ちゃん、女子中生になったのか。女子寮のお姉ちゃんの部屋に移動する?」
と川崎ゆりこは訊いたのだが
 
「中学卒業まではこのまま男子寮に居ていいですか?女子寮からだと通学が大変なので」
「ああ、今の学校でそのまま通学するのね。転校しないんだ?」
 
中高生が性別を変更した場合、色々噂されるのを嫌って、新しい学校に転校して新しい性別で再スタートする人が多い。
 
「ボク、女子中学生のなりたてだから、新たな学校に転校したりしたら、女子としておかしな所が出たりしそうな気がするんです。今の学校なら、ボクが女の子になりたてだということ理解してくれるから、不自然な所とか教えてもらえそうだし。そのままここであと1年半、女子中生をした方がいいかなあという気がして」
 
「それはあるかもね。じゃ男子寮にそのまま居てもいいよ」
「他の寮生さんたちも半分女の子みたいなものだから、身の危険も感じないし」
 
「男子寮生は全員まとめて性転換しちゃってもいいよね。みんな泣いて喜びそうだし」
などと川崎ゆりこは言っていた。
 

今年のビデオガールコンテストは5月7日朝6時に締め切られた。多くの応募者は各自のパフォーマンスビデオが登録された時点で即審査し、100点満点で採点されていた。基本的には80点以上が合格(一次試験通過)で60点未満は落選である。そして締め切り後に60-80点の“ボーダーライン”の応募者を再度数人の審査員でチェックしていった。実は、例年このボーダーラインから結構上位入賞者が出る。この領域には個性が強く評価の割れやすい子が多いのである。姫路スピカ・恋珠ルビーなどがこの領域から優勝を勝ち取っている。
 
さて、今回の応募者は昨年より2割増しの感じだった。
 
「去年も一昨年のロックギャルコンテストより多かった。やはりオーディションそのものの開催が減っていて、開催される少ないオーディションに集中するのかも」
 
「それはあるだろうね。でもそれ以上にラピスラズリが売れてうちの事務所が注目されているのもあると思うよ」
 
(舞音の効果が出るのは多分来年度から)
 
「そのラピスラズリを見いだしたのは白鳥リズムですからね〜」
「うん。リズムがいなかったらラピスラズリは生まれていなかった」
「感謝状でもあげますか」
 
コンテスト予選を“見学”に来ていた東雲はるこに「君ちょっと出てみない?」と声を掛けたのが白鳥リズムだったのである。リズムは彼女に物凄いオーラを感じたと言っていた。
 

6月7日、1次審査の結果が全応募者にメールで通知された。ここで1次合格者が2次審査に進むには親の同意書が必要で、例年この段階で2割ほどが脱落する。
 
今回実は“1次合格”となったのが、予定の100人を大きく上回る140人だったのだが、同意書を提出できない子が結構出るだろうと見込み、あらためて成績下位をカットすることなく140人全員に1次通過の通知を出した。2次審査は6月19日(土)の予定である。
 
川崎ゆりこは
「今年は何人くらい男の娘が入賞するかなあ」
などと楽しそうに言っていた。
 

アクアの音楽活動であるが、3時間ドラマ『火の鳥』を3月29日(月)に放送したので、それに合わせて放送に先立ち3月17日(水)にCD『火の鳥/灰色狼/ライオンの眠り』を発売した。『火の鳥』はドラマの主題歌で『灰色狼』は挿入歌だが、『ライオンの眠り』は自動車メーカーのCM曲で、1年ぶりの自動車CM再登場となった。
 
CFでは、アクア自身が今回もトヨタ・アクアを運転している映像が使用されている。今回の撮影場所は、能越自動車道の山越えの道で、自動操縦ヘリコプター(大型ドローン)からの空撮映像を使用している。
 
助手席に雌ライオンの着ぐるみを着て乗っているのは葉月である!
 

北里ナナ名義では今季も2枚CDを出している。
 
2021.01.20(水) 北里ナナ7th『ロマノフの夢/氷の宮殿』
2021.04.14(水) 北里ナナ8th『ムーランルージュ/モンマルトルの風』
 
『ロマノフの夢』と『ムーランルージュ』は少年探偵団絡みの挿入歌で、『氷の宮殿』と『モンマルトルの風』はそれとは無関係の作品である。
 
『氷の宮殿』は家電メーカーのCMに使用された。北海道の根室市に行き、実際に氷のブロックで組み立てた宮殿の中で多数の家電品を使う様子を撮影している。北里ナナが着ているフェイクファーの防寒コートがとても可愛いのが評判になり、そのコートまで売れる副作用があった。
 
『モンマルトルの風』はバイクのCMに使用された。北里ナナは少年探偵団の中でしばしば Kawasaki Ninja 250 に乗っているが、この曲はその Ninja 250の新型のCM曲になっている。CFでは北里ナナが赤いバイクスーツを着てNinja 250 に乗り、山道を走っている所を撮影しているが、これは国道246号の御殿場より少し東、小山町付近で撮影したものである。
 
なおアクア自身がふだん乗っている車は Yamaha YZF-R25 であるが、乗る時は誰か上手な人に並走してもらうようにし、単独では運転しないこと、とコスモスから言われている。
 
「普段ヤマハのバイクに乗っておられるんですか?いや道理で。結構運転がうまいなと思いましたよ。でももし契約とかの縛りが無ければ、1台差し上げますから、Ninja に乗り換えられません?」
 
とメーカーの担当さんから言われる。
 
「うーん。でも“練習するのはいいけど、乗るな”と事務所からは言われてるんですよ」
 
「それは矛盾している気がします」
「ねぇ?」
 
などと言っていたら、CF撮影に付き添っていた高村マネージャーが笑っていた。
 
結局アクアはこの新型 Ninja 250 を頂いてしまったので、自分で買って使用していた Yamaha YZF-R25 は葉月に譲ることにした。そしてカワサキさんのCMは今後もまた頼むということのようであった。(セシルと舞音はホンダのCMをしている)
 

ラピスラズリの代役として急遽登板した『シンデレラ』はさすがに歌まで入れるのは負荷が大きすぎるということで常滑真音に主題歌を歌ってもらった。レコード会社はアクアが歌えばミリオン行くのにと不満げだったが、舞音のCDもミリオンになり、レコード会社は「嬉しい誤算」で喜んでいたようである。
 
6月6日(日)以降放送の『夏の飛び魚』に合わせて、その主題歌を含むCD『Natator Aqua/ 英光に向かって泳げ/綺羅星の如く』が6月2日(水)に発売された。当日はまだ『わらしべ長者』の撮影中だったので、アクアの発売記者会見(ネット)は翌日の6/3に行われた。
 
Natarorは「泳ぐ人」というラテン語。水で泳ぐ人なら本来は Natator Aquis になる所だが“Aqua”という語形を残したかったので Aquaのままにしている。この形で直訳すると“泳ぐ人アクア”になる。
 
『綺羅星の如く』は(女性用)化粧品のCM曲である。“綺羅めくパウダー”という新発売の微粒子ファンデーションのCMで、CFではアクア自身がモデルになってこのファンデーションを付けている。ついでにルージュやアイシャドウまでつけた映像も公開され
「美しい!」
という声が男女双方のファンから出ていた。
 
「やはりアクア様はお化粧しても美しい」
「こんな美しい人のお嫁さんになりたい」
「性別はどっちでもいいから嫁に欲しい」
などという声も出ていた。
 
もっともアクアはこれまでも多数の女役をしており、その時はメイクした姿も公開しているので、アクア本人としてはなぜ今更騒ぐ?という気もした。過去に女性用のドレスを着たCMや振袖のCMもあったし。(アクアに紳士服や男性用化粧品のCMをさせようとする所は無い:紳士服のCMの話は過去にあったが、全部コスモスが断っている−西宮ネオンを推薦し実際彼が出演した)。
 
このファンデーションは若い世代でも気軽に買える低価格商品ということもあり、物凄いセールスになって(男までキャンペーングッズ欲しさに買っているのでは?と噂された)、このメーカーにとっては舞音がCMをした“プレルージュ”とともに今年の大ヒット商品となった。
 
「でもお化粧品のCMに出るということは、もう女の子であることが公然たる事実になっているということかな」
「アクア様が男の子だなんて思ってる人いないと思う」
 
なお少数意見として
「別に男が化粧したっていいじゃん」
というのもあった!
 

ところで記者会見の時に(ノーメイクの)アクア自身が注意したこととして
 
「“綺羅星、の如く”とは読まないで下さいね。“綺羅、星の如く”ですから」
というものがあった。
 
これは割とネットで騒然としていた。
 
アクアがわざわざフリップを持って説明したが、「綺羅(きら)」とは美しい絹、そこから転じて美しい衣服、更に転じて美人のことを意味する。つまり美しい人が星のように並んでいることを「綺羅、星の如く居並ぶ」という。“綺羅星”という単語は存在しない!が言葉の意味が忘れられて“きらぼし”まで続けて読む人がひじょうに多い。この手のよくある区切り誤認としては「間髪を入れず」などもある。
 
しかしこのことを知らなかった人が若い世代だけでなく年輩の人にもかなりあったようで
 
「誤解してたぁ!」
という声が多数あがっていた。
 

6月13日(日).
 
この日、アクアは午前11時にあけぼのテレビに行き、昼間のバラエティ(12:00-13:00 司会:花咲ロンド)にちょっと顔を出したあと、制作室に顔を出して、春風アルト社長と言葉を交わしていた。(あけぼのテレビにも社長室はあるものの、アルトは通常そこにはおらず、制作室にワーキングデスクを置いて執務している)
 
「アクアちゃん、この後の予定は?」
「夕方からFHテレビに行って『クイズ♭&#』ですね。リハーサルは15時から始まるのですが、それは葉月(ようげつ)に行ってもらいます」
「あの子のおかげで随分助かってるよね」
「ええ。彼がいなかったらボクはとっくに倒れてますよ」
とアクアは言った。
 
(葉月を“彼”と呼び“ようげつ”と呼ぶのは多分いまやアクアだけ)
 
「だから今日の午後はマンションに帰ってアルバムの楽曲練習です」
「アルバム出すんだっけ?」
「無茶苦茶と思いません?ボクのスケジュールって」
「信じられない。これだけ忙しくしてる中でアルバム作るなんて」
「もう歌はやめてお芝居に専念したいんですけどね」
「連続24枚ミリオンの歌手が歌手を辞めたいとか、レコード会社が絶対許さない」
「でしょうけどねー」
 

そんな話をしている時に、今日の午後から生中継で放送されるパレエ公演に出演するプリマの赤迫理奈さんとバレエ団主宰の島原須美子さんが来る。
 
「おはようございます、島原さん、赤迫さん」
「おはようございます、ってきゃー、アクアちゃん!」
と赤迫さんが黄色い声を出している。
 
結局、アクアと赤迫さんでお互いのサイン色紙を交換した。
 
「バレエ団の公演いいですね。なかなかリアルでは見られないのでタイムシフト視聴で見させてもらっています」
 
「わぁ、見てくれるんだ?」
「私も中学1年の時までバレエしてたから。でもなかなか劇場までは見に行く時間が無くて」
 
「そうよね。忙しいもん」
「だから、タイムシフトでも見られるあけぼのテレビの放送は期待してたんですよ」
「やはり、そういう人がいるよね!」
「特に今はコロナ下で、劇場まで行って見るのも恐いですしね」
「そういう意見が結構あったのよ」
 
島原さんたちが来ているのを見て、他の人と打ち合わせしていたコスモスもこちらに来た。
 
「お早うございます、お嬢様方」
「おはようございます。コスモスちゃん。でもここにはお嬢様より奥方の方が多い気がする。お嬢様は理奈ちゃんとアクアちゃんだけじゃないかな」
と島原さん。
 
やはりボクはお嬢さんなのか。
 
「夫のそばに居る時以外は“お嬢様”でいいですよ」
とコスモスが言うので、少し離れた席で田船智史と打ち合わせていた木取道雄が「え〜!?」といった顔をしている。
 
「じゃ全員お嬢様で」
とアルト社長も笑いながら言う。
 
「そういえばアクアちゃん、以前、黒鳥の32回転やってるの見たことあるけど今でもできる?」
と島原さんが訊く。
 
「こないだ2月にもやらされてたね」
とアルト。
 
「##放送さんの『風林鍛冶屋愚愚』でやらされました」
「ここだけの話、いつも練習してるでしょ?」
とコスモス。
 
「できなくなったら悔しいから、基本的な練習は常にしてますよ」
「すごーい」
「さっすが。やはり売れてる人は努力してるのね」
 
「でも島原バレエ団さんのハッピーエンドの『白鳥湖』(*1)良かったですね」
「ああ、ちゃんと見てくれてる」
「ロシア流だとハッピーエンドなんでしょ?」
「そうなのよね。西側では悲劇的結末が好まれたんだけど、ソビエト体制では、悲劇的結末にするのをきっとスターリンが許さなかったんだと思う」
「でもボクもああいう幸福な結末が好きですよ」
とアクアは言った。
 
(*1)『白鳥の湖(はくちょうのみずうみ)』のことをバレエ関係者はわりと『白鳥湖(はくちょうこ)』と呼ぶ。
 
この物語の結末は実に様々である。
 
(1)1877年のチャイコフスキー初版では、ジークフリートがオデットを殺して自分も死ぬ(無理心中)。あまりにも酷い終わり方なのでこのパターンはその後上演されていない。
 
(2)1895年のマリウス・プティパ版では、チャイコフスキーの弟さんなどとも話し合いながら、全体的に大胆な改訂が加えられた。最後はオデットが自殺してジークフリートも後を追うという形になった。それ以降の上演は多かれ少なかれこのプティパ版を下敷きにしている。
 
(3)不確実情報だが1930年代にレニングラード(現サンクトペテルブルク)のキーロフバレエ(現マリインスキー・バレエ)がハッピーエンド版を上演したという情報がある。その後、モスクワのボリショイバレエでもハッピーエンド版が上演されたようである(どちらが先かはよく分からない)。
 
この問題に関する詳細な調査内容は↓
j.pl/swanlake/05/sma
 
現在行われている多数の上演では
 
a) ふたりが死んであの世で結ばれる(西欧系)
b) ジークフリートがロットバルトを倒して魔法が解け、現世でふたりは結ばれる(ソ連系)
c) ロットバルトを倒しても魔法が解けず結局ジークフリートとオデットも死んでしまう
d) ジークトリートとロットバルトが相打ちになり双方死ぬが魔法は解けてオデットは人間に戻る
e) ジークフリートがロットバルトに敗れて死に、それを悲しんだオデットも自殺する
 
などといったパターンがあるようである。他にもあるかも。
 
島原バレエ団は、島原さん自身が若い頃ソ連に留学してマリインスキー・バレエ学校で学んだ経験もあることから、ソ連系のハッピーエンド版を採用している。多分日本国内では少数派に属すと思われる。
 

「今回も多分タイムシフトで、後で見させて頂きますね」
と言ってアクアは島原さんたちに会釈して制作室を出ようとした。
 
その時「キャー!」という悲鳴とドスンという音をほぼ同時に聞いたのである。
 
振り返る。
 
「赤迫さん!」
「理奈ちゃん!」
という声がしている。アクアも駆け寄る。
 
「どうしたんです?」
 
見ると赤迫さんが座り込んで足首を手で押さえている。
 
「私転んじゃって」
「何かに引っかかったのかしら」
「誰かに足首つかまれたような気がしたけど、きっと気のせい」
と赤迫さん。
 
「大丈夫?」
 
「見せて」
と言って寄ってきたのは、男子寮のキュアルームに詰めている海老原看護師だ。偶然こちらに来ていたのだろうか。
 
「これ捻挫だと思う。患部を何かで冷やして足首を固定して、そのまま病院へ」
と海老原さんが言う。
 
「私これからバレエの出番があるんですけど」
「バレエなんて無理です。これ動かしたら筋を痛めてバレエ踊れなくなりますよ」
 
「病院に連れて行ってあげてください」
と島原さんが決断したように言う。
「でも公演は・・・」
「何とかするから」
 
それで冷蔵庫にあった保冷剤を患部に当て、あり合わせの板で彼女の足首を固定し、腕力のある男性が彼女を抱えて車に乗せ、海老原さんも付いて整形外科に連れて行った(プリマは体重が軽い)。
 

「海老原さん、今日は戻られませんかね?」
などと言ってこちらに来るのは、男子信濃町ガールズの**君である。
 
「ああ。海老原さんと話してたんだ」
「個人的な相談事?」
「ええ、ちょっと。他の寮生にはあまり聞かれたくなかったので」
 
「性転換手術受けたいとかなら、行けば即手術してくれる病院に今から連れてってあげようか?」
「性転換手術を今から即ですか?まだちょっと心の準備が」
「どうせ切るなら早い方がいいのに」
 
彼 (今の所まだ彼女ではない)にはいったん寮に帰るように言い、ドライバーを呼んで送らせた。
 

「14時からの放送はどうする?」
と飛んできたタイムキーパーの里中さんが訊く。
 
「どなたか赤迫さんの代わりにオデットを踊れる人は?」
とアルト社長が島原さんに尋ねる。
 
「緑川さんは踊れるけど、彼女が本編のオデットを踊ると、誰かがオデットの人間体を踊らないといけない。オデットの人間体を踊れるのは・・・」
 
「玉突きになってかなり配役が変わってしまうんですね」
「公演の30分前にそういう配役変えをするとかなり混乱するな」
「島原さんはオデット踊れないんですか?」
「こんなおばあちゃんが出て行ったら石投げられるわよ。それに32回転はさすがに無理」
と言ってから、島原さんが
「あっ」
と言った。
 

「アクアちゃん、オデットを踊れない?そしたら配役変えなくて済むし」
「そんな踊ったこともないのに無理ですよ」
とアクアは慌てて言う。
 
「いや。アクアは中学1年の時にオデットを踊っている」
とコスモスが言う。ちょっとぉ、コスモス社長まで私に踊らせる気〜?
 
「でも振付が違うし、ラストも違うし」
「島原バレエ団の4月の公演は見たんだよね?」
「タイムシフトで見ました」
「アクアは見ていたら踊れるはず」
「だったらお願いしたいわ。振付は多少異なってもいいから。他の子が何とかそれに合わせていく」
 
うっそー!?みんなでよってたかって、私にオデット・オディールを踊らせようとしている!
 
「あるいは予定を変更してアクアのワンマンショーを2時間流そうか?」
「エレメントガードが今招集しても14時に間に合わない」
「でも突然私みたいな素人が主役を踊るといったら、劇団員さんたちが怒りません?」
「わりと客演プリマの公演というのはあるし」
「むしろ主役の客演は難しくない。道化師とか王妃みたいな役が客演だと調子くるうけど」
「四羽の白鳥の1人が客演とかも無理」
「それは絶対無理でしょうね!」
「ということでアクアちゃんやってみよう」
「踊ってくれたら特別ボーナスと3日間の特別休暇もあげるから」
 
えーん!(でも3日間の特別休暇は欲しいかも)
 

そういう訳で、急遽アクアは『白鳥の湖』を生ライブ全国放送で踊ることになってしまったのである。
 
赤迫さんの方がアクアより体格がいいので、赤迫さんが着るはずだった衣装をアクアは着ることができた(プリマはわりと長身)。
 
それで島原さんが、赤迫さんのトラブルを劇団員たちに報告し、急遽アクアさんが踊ってくださることになったと説明する。
 
「突然言われまして、私この公演は1度見たことがあるだけなので、間違うとは思いますが、できるだけ頑張りますのでよろしくお願いします」
とアクアはみんなに言った。
 
「多少の間違いは何とかカバーするよ。よろしく、アクアさん」
とロマンティック・チュチュを着けている人が言った。この人がたぶん島原さんの言っていたオデットを踊れるもう1人・緑川さんなのだろう。今はロマンティック・チュチュを着けているけど、冒頭で“白鳥に変えられる前”のオデットを演じて、その後、道化師を演じるのだろう。
 
「誰かが間違うのは日常茶飯事だしね」
と明るく言っている人がいる。悪魔の衣装を付けている。これが島原さんによれば藤岡さんか。
 
「僕の花嫁さんよろしく」
と王子の衣装をつけている男性。これが佐々木さんのはず。
 

14:00. (2021.6.13 Sun 14:00)
 
赤迫さんが怪我してから30分、オデットをやってと言われてから15分、アクアはプロローグに臨む。
 
最初ロマンティックチュチュを着けた緑川さんが出ていき、そこに悪魔のロットバルトが現れ求愛するが、オデットは拒否する。するとロットバルトは怒ってオデットに魔法を掛ける。
 
ロマンティック・チュチュの緑川さんが岩陰に入り、代わりにそこに隠れていたクラシックチュチュを着てティアラを着けたアクアが、白鳥の動きを表すパ・ド・ブレ(細かく足を動かす動作)で踊り出てくる。2人1役による“早変わり”演出で、オデットが人間から白鳥に変わった場面を表現する。
 
アクアは中学生の時に白鳥の湖を踊った時も自分が変身後のオデットを演じたなあと思い出していた。
 
ここではロマンティック・チュチュは人間、クラシック・チュチュは白鳥を表している。そしてオデットが着けているティアラはオデットの命そのものを表している。(チャイコフスキー版ではジークフリートにこのティアラを奪われることにより死亡する)
 

第1幕第1場。王宮の庭園。
 
ホリゾント幕に王宮の映像が映されている。
 
明日はジークフリートの19歳の誕生日である。昔の西洋では19歳で成人なので、ジークフリートはこれまでの母による摂政を終えて、自分が国王として政治を執らなければならない。
 
この場面の前半では、自分の責任の重さに憂鬱な気分のジークフリートを、道化(緑川さん:人間体オデットと二役)・家庭教師(藤岡さん:ロットバルトと二役 *2)が元気付ける。そして多数の村人を庭園に入れてどんちゃん騒ぎをする。ここで多数の踊りが披露される。その中に三陸セレンも(当然村娘役で)入っていた。
 
まああの子は女子たちと一緒に着替えても問題ないだろうなとアクアは思った。
 
(*2)家庭教師とロットバルトは同じ人が踊る。これについては単に同じ役者が2役しているのか、ロットバルトが宴会に潜入しているのか、解釈が分かれる。
 
しかしたいがい乱痴気騒ぎしている所に母(先王の王妃)が登場。騒いでいた連中は逃げていく。母はジークトリートに立場を考えるよう注意するとともに、弓矢を授けて騎士として一人前になるよう言う。そして明日の舞踏会で自分の妻を選ぶように言われた。
 
夕方、ジークフリートは白鳥が多数飛んで行くのを見て、狩りをしようと思い、弓矢を持って王宮を飛び出す。
 

第1幕第2場。湖。幻想的な場である。
 
ホリゾント幕の映像は夜の湖である。
 
最初、まるで空中を歩くように踊るオデットとジークフリートが出会い、ふたりのグラン・アダージオがある。とても幻想的な場面で、これをアクアとジークトリート役の佐々木さんとで演じた。きれいに息の合った演技になり、ステージ外で見守る劇団員さんたちから拍手が起きていた。
 
「凄い。うちの劇団独自の振付でちゃんと演じていた」
と島原さん。
「こないだ見ましたし」
とアクア。
 
「この子は一度見たものはちゃんと踊れるんですよ」
とコスモス(忙しい筈だが責任上付き添っている)。
 
「それは天才ですね」
と島原さんは感心して言っていた。
 
この後30人のバレリーナによる圧巻の群舞(ワルツ)、静と動の対比が美しい。それから『二羽の白鳥』、ジークフリートとオデットの踊り(アクアは軽いのでとってもリフトしやすい)、『四羽の白鳥』『三羽の白鳥』と続く。
 
前半の見せ場である。
 
アクアは中学生の時にやった時はこんな人数居なかったけど、ちゃんと人数が剃ろうと迫力だなと、踊りながら思っていた。
 

第2幕。王宮の広間。王妃を選ぶ舞踏会の場面。
 
ホリゾント幕の王宮の室内装飾。実は『ロミオとジュリエット』のセットの大広間の映像を撮影したものを映している。
 
最初に6人の王妃候補者が登場して踊りを披露する。
 
その後、舞踏会は宴会と化し、多数の踊り手が登場する。
 
スペインの踊り(男女のペア2組)。
 
ナポリの踊り(男女ペア)。
 
ハンガリーの踊り(男3人・女3人)。
 
マズルカ(男4人・女4人)。
 
第1幕第2場はほとんど女子のみの踊りだが、この第2幕の踊りは男性踊り手の見せ場である。島原バレエ団は男性団員が少ないので、実はここに出演した男性はほとんどが他のバレエ団からの助っ人であった。
 
そして最後に黒鳥の衣装のアクア(オディール)が登場する。ジークフリートは彼女をオデットと誤認し、一緒に踊る(パドドゥ)。この踊りが10分もあるのでバレエ関係者以外は、たいていの人が飽きる!
 
ジークフリートとオディールが踊っている間、背景の窓にオデットの姿が現れ抗議するように窓を叩き「その人は違う」と伝えようとするが、ジークフリートは気付かない。
 
この映像は実は第1幕第1場を上演している間に、小スタジオでアクア本人を使って撮影したものである。第1幕第1場にはオデットは登場しないのである。
 
そしてこの踊りの最後にオディールによる32回転グラン・フェッテがある。
 
これを美事に踊りきると、またステージ外に待機している劇団員たちから大きな拍手が贈られた。
 
オディールに魅せられたジークフリートは彼女に求婚してしまう。それで王妃が決まったと告げられた後、オディールは正体を現し、ロットバルトと一緒に立ち去る。ジークフリートはショックを覚える。
 

「凄く美しいグラン・フェッテだった」
と島原さんが本当に笑顔で拍手しながらアクアに言った。
 
「よく回れるなあぁ」
「あれはもう気合ですね」
「あれって回数が分からなくなったりしないの?」
とコスモスが訊く。
「万一分からなくなったら少し多めに回ります」
とアクア。
 
実は中学時代に踊った時は、回数が分からなくなり、後でビデオを見ながら数えると33回回っていた。
 
「私、35回転した人見たことある」
と島原さん。
「少ないよりいいですもんねー」
 

第3幕。湖。
 
ホリゾント幕の映像は再び夜の湖。
 
再び30人の白鳥たちの群舞から始まる。
 
そこにオデット(アクア)が到着し、嘆き悲しむのを他の白鳥たちが慰める。
 
ロットバルトが現れてオデットに自分の妻になれと要求する。オデットは拒否する。そこにジークフリートが現れ、ロットバルトに決闘を申し込む。
 
2人が戦う。
 
一時はジークフリートが負けそうになるが、オデットがロットバルトの顔に飛び付いて視界を遮り、その隙にジークフリートの剣がロットバルトの身体を貫く。
 
ここは振付上はオデット役のアクアがジャンプして一瞬岩の陰に隠れた所でロットバルト役の藤岡さんが白鳥の人形を自分で顔に当てる。
 
ロットバルトが湖に転落し、オデットは魔法が解けて人間に戻る。
 
ここはプロローグとは逆に、アクアは岩陰に隠れたまま、ロマンティック・チュチュの緑川さんが湖の中から登場して、ジークフリートと抱擁する。
 
それでラストはロマンティックチュチュの緑川さんと、ジークフリートのパドドゥである。クラシックチュチュを着けた白鳥たちが退場し、最初8人のロマンティックチュチュの侍女たちの祝福の踊り、そして最後はクラシックチュチュを急いでロマンティックチュチュに着替えた30人の踊り手も復帰して大規模な群舞となり、明るく華やかな大団円となる。
 

「凄いね。ひとつもミスらなかった」
と島原さんは言った。
 
「ほんとですか?」
とアクア。
 
「第3幕なんて完全にうち独自の展開なのに」
「事前に説明してもらいましたし、1度見ていますから」
 
「1回見ただけでよくあんなに覚えられるね」
 
「流れのようなもので覚えますから。だからひょっとして流れに私自身が解釈しきれなかった所があったらそこは勝手に解釈して踊っちゃうかも」
 
「それは逆にアクアちゃんに一度踊ってもらってチェックしたいくらいだ」
 

アクアFはさすがにこの2時間のバレエ出演の後でテレビ番組の収録には行きたくなかったので、Mに連絡してテレビ局に向かってもらい、自分はこの後マンションに帰宅してぐっすり眠った。
 
しかし実はMもこの公演中はずっと稼働していた。前回公演のビデオを早回しで見て、普通の『白鳥の湖』と違う所をチェックしておいたのである。Mが意識すればそれはFも認識するので、そこを気をつけてFは踊ることができた。
 
特に第3幕はアクアが記憶していたパターンとは全く異なる筋書きで踊りも全然違うので、さすがのアクアも1度見ただけで踊るのは困難だった。しかしビデオでMがチェックして第2幕の黒鳥登場前の時間を使って、自分でビデオを見ながら真似して踊っておいた。それでFはMが踊った記憶をたどって、ちゃんとこのバレエ団のストーリーに従って踊れたのである。記憶が連動する2人でなければできないことである。
 
今回のバレエ公演は実は2人3脚のミッションだった。
 

この番組は最初は接続回線数は数万回線にすぎなかった。しかし
 
「アクアが白鳥の湖を踊っている」
 
というのがネットの書き込みで広まると、うなぎ登りに接続回線数が増える。第2幕の黒鳥が出て来た所で400万回線を突破。あけぼのテレビ史上初のフレイムレート落としが行われた。通常 30fps(29.97fps) で配信しているのを 24fps(23.976fps) に落とした。この品質なら500万回線まで接続できるのだが、第3幕のジークフリートとロットバルトの決闘場面で500万回線を突破する。
 
アクアがバレエ公演に生出演するなんて全く聞いていなかった則竹部長は
 
「何でアクアが無料放送に主演してるんだぁ!聞いてないぞ!!」
 
と叫びながら、万一これ以上上がったら更に20fpsまで落とすべくマウスを握りしめていた。幸いにも530万回線くらいがピークだったので、それ以上フレイムレートを落とす事態には至らなかった。遅い端末から接続する人がかなりあるので理論的に500万回線maxでも実際は550万回線程度までは行ける。しかし則竹は後で事情を聞いて、アルト社長に
 
「いきなりこういうのは困ります」
 
と抗議。アルト社長も
 
「ごめーん」
 
と謝っていた。
 
この番組はタイムシフトで見た人を含めると1500万回線に達した。地上波に換算すると視聴率30%に相当する数値である。日曜の14:00-16:00などという通常は視聴率がゼロに近い時間帯でこんな数字が出たのは異例である。
 
あけぼのテレビのスポンサー料は地上波と違って固定料金制なのだが、このバレエ公演のスポンサーである飲料メーカーは、それでは申し訳無いと言ってアクアに特別ギャラを払ってくれた。
 
ちなみに島原さんは最後までアクアが男の子だとは思いも寄らなかったようである。それどころか黒鳥の衣装は胸の膨らみもお股の形もよく見えるので、アクアが完璧に女性のボディラインであることが再度全国の視聴者に印象づけられた放送であった。
 

この日の夕方からは『夏の飛び魚』の第2回放送があったが、『白鳥の湖』の後では、かすんでしまう。
 
「やはり男の格好してるのがどう考えてもフェイクだよなあ」
と言われた。
 
「でもどうやってDカップの胸を隠して男子水着姿とかになれるんだろう」
「吹き替え説は星原琥珀ちゃんが否定していたからね」
「実際『夏の飛び魚』のアクアは演技が上手い。それが本人である一番の証拠だと思う。そっくりさんにあそこまでの演技力があるとは思えない」
 
「多分バストをぎゅっと体内に押し込んで隠して、その上に男性体型のホディスキンを着けてるとか」
「ホディスキンというのはあり得るけど、ほんとにそんな大きなバストが隠せるものなのだろうか」
 

「だけどアクアの緊急対応能力は凄いよ」
とアルト社長は言っていた。
 
「実際あの時、アクアがいなかったら、4月分を再放送する以外の選択肢は無かったと思う」
とあけぼのテレビ専務の坂口。
 
「でもいきなり言われて、全国放送する公演の主役を踊ってしまうなんて、普通、そうそうできることではない」
と松浦常務は言った。
 
「それができるのがアクアだから、私もコスモス副社長(*3)も、やらせたのさ」
とアルトは楽しそうに言った。
 
(*3)コスモスはあけぼのテレビ副社長。
 
実際この事件はアクアが人気だけでなく高い能力を持っていることを、あらためて多くの人に認識させることにもなったのである。
 
なお赤迫さんは軽い捻挫でもあったし、応急処置でしっかり固定してあったのも幸いして翌日には歩けるようになり、1週間で練習再開して、2週間後の公演6/27の『ジゼル』では元気にプリマを務めた。
 

ローズ+リリーの次のアルバム『ラブコール(仮題)』は『ホームワーク』をリリースした直後の1月から準備を始めていたのだが、4月までに収録予定の曲が10曲まで揃い、そろそろ本格的な制作に移行しようと思っていた。
 
マリは大林亮平と別れてしまった後、しばらくフリーでいたのだが、この春から新たな彼氏・百道大輔と付き合い始めていた。彼は離婚歴があり、子供も1人いるが、こちらも結婚こそしていないものの、子供を既に2人も産んでいるのでそれは特に問題無い。ただ私は彼に関して懸念する問題があったので、マリには言わずに彼と直接会い、
 
「マリを辞めるか**を辞めるか」
と迫った。彼は**を絶対やめると誓ったので、私はふたりの交際にはその後は注文をつけないようにしていた。
 
「でも彼ってタバコ吸うのよね。喫煙者はコロナの重症化リスクが高いらしいから、タバコやめない?と言ったけど、タバコ吸わないと楽曲の発想が浮かばないって言うのよ」
 
「まあタバコくらいいいんじゃない?」
「でも彼、タバコ吸うイメージとか全然無かったのに」
「アーティストはみんな多かれ少なかれ演出した自分を見せているからね」
 
「あ、それはあるよね。アクアもいいかげん女の子になりたいって認めればいいのに」
 
「アクアは置いといて、実際問題として今更急にタバコやめたって、これまでずっと吸っていたら、重症化確率はそう変化しないと思うよ」
 
「重症化しやすい因子っていくつかあるよね」
「うん。喫煙者、高齢者、糖尿病などの生活習慣病を抱えている人、ぜんそくなどの肺疾患を抱えている人、男性」
 
「男性?」
「今回のコロナは男女であまりにも明確な死亡率の差が出てる」
 
(日本国内の1月の統計では男性の死亡者が2068人に対して女性の死亡者は1326人である。ニューヨークの4月の統計では男性の死者が4095人、女性は2530人。いづれも男性が女性の倍、死亡している、患者数にはそこまで大きな性差は見られない)
 
「なんで?」
「原因は不明だけど、元々女性の方が免疫能力が高いからという意見もある」
「大輔にはタバコやめないなら性転換して女の子にならない?と言ってみよう」
「まあ好きにして」
 
 
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【夏の日の想い出・星導きし恋人】(5)