【夏の日の想い出・十二月】(1)
1 2 3
(C) Eriki Kawaguchi 2019-07-27
2019年2月、鱒渕水帆は鳥取県の湯梨浜町・羽合(はわい)で、“羽合碁王”というハワイアンバンドのメンバーと会った。この名前は町の名前“はわい”に引っかけて、1970年代の人気刑事ドラマHawaii Five-0(ハワイ・ファイブ・オー) にちなんだものと思われる(2010年以降リメイク版が放送中)。
彼らはアマチュアのハワイアン・バンドなのだが、昨年フランス領ポリネシアをテーマにした『プカプカ』というアルバム(自主制作のディストリビューター流通)を発表していたのをケイが偶然見掛け、買ってみたら“当たり”で、けっこう熱心に聴いていた。
プカプカというと、日本ではクック諸島の孤島Puka Pukaが比較的知られているが、実は同名の島がフランス領ポリネシアにもあるのである。こちらも他の島から遠く離れた孤島である。このことはアルバム『プカプカ』に封入されたパンフレットにも記載されており、ケイはフランス領ポリネシアの地図を広げて、その島を見付け「ここだけ他の島と離れている!」などと言って感心していた。
実際のアルバム『プカプカ』は、プカプカ島固有の音楽ということではなく、一般的なポリネシア風の音楽で、使用している楽器も普段彼らが使用しているハワイアンの楽器(ウクレレ・ギター・スティールギターなど)であった。『プカプカ』『タカトコ』『タヒチ』『モオレア』『ヴァナヴァナ』など多数のフランス領ポリネシアの島の名前をタイトルにしていたが、各々の島の写真を見て、そこからイメージを膨らませて書いた作品だと断ってあった。
彼らのプロフィールを調べてみると、男性3人のユニットで、2人は大学2年生、もうひとりは彼らの高校の同級生で居酒屋でバイトをしていることが分かった。それで“ミッション”に都合がいいかもとケイと鱒渕は話しあい、接触してみたのである。
彼らは東京のプロダクションのマネージャーというので、デビューしないかと言われるかも?と期待の目でこちらを見ていた。
「私はローズ+リリーのマネージャーです」
と自己紹介して
《サマーガールズ出版マネージャー/ローズ+リリー担当/鱒渕水帆》
の名刺を3人に配った。そして鱒渕は彼らに言った。
「実は羽合碁王さんが昨年出したアルバム『Puka Puka』を聞いてローズ+リリーのケイが凄く気に入りましてね」
と鱒渕が言うと
「それはよかったです」
と言いながら、小声で
『ケイって誰?』
『確かローズ&リリーのリーダーだよ』
などと会話をしているのが微笑ましい。
ちなみにローズ+リリーのリーダーはマリである!
「私も聴かせていただいたんですが、ほんとに南国にいるみたいで心地よいサウンドですね」
「俺たちも南国の島にいる気分で書いたんですよ。本当は沖縄かせめて奄美にでも行って、書きたかったんだけど、金が無くて。もう想像だけです」
「『モオレア』は本当にエメラルドグリーンの海が見えるみたい」
「実はフレンチ・ポリネシアの写真だけでは想像しきれなくて、沖縄旅行に行って来た友だちから写真をたくさん見せてもらって書きました」
「なるほどぉ!」
「この付近じゃ、あんな明るい海って無いし」
「やはり海流の関係かしらね」
「住んでいるプランクトンの違いとか聞いたことありますよ」
「あと『ボラボラ』はまるで本当に海の中から高い山がそびえているみたいで、飛行機のエンジン音みたいに聞こえるのはあれはシンセサイザで作ったんですか?」
「あれ出雲空港に行って録音してきたんですよ」
「そうだったんだ!でも鳥取空港じゃなくて?」
「鳥取空港にはジェット機しか就航してないんですよ」
「へー!」
「鳥取は今羽田便だけですけど、ボーイング737-800とエアバスA320だけです。米子空港も羽田便だけで使用される機材は同じ737-800とA320。でも出雲空港は福岡便と隠岐便にサーブ社の340Bが飛んでいるんです」
と1人の青年(酒田さん)が答える。
「凄い!あなた飛行機に詳しいみたい。修行僧とか?」
「いや、金が無いので脳内修行僧です」
「それもいいよね!時刻表マニアとかいるし」
「あ、俺わりと時刻表マニアです。JTBの時刻表なら、どの線が載っているページでも3秒以内に開けますよ」
「すごーい!」
と鱒渕は満面の笑顔で言った。
「お金があったら、グアムとかハワイでなくてもほんとせめて沖縄とかに行って曲を書きたいね、なんて言ってたんですけどね」
と1人の青年が言う。
鱒渕の目がキラリと光る。
「あら、だったらちょっと南の島に行って来たりしない?」
「いいですね〜」
「1ヶ月か、よかったら3ヶ月くらい」
と鱒渕が言うと、3人が顔を見合わせた。
「もしかして何かの仕事ですか?」
それで鱒渕は説明した。
「実はローズ+リリーで、タヒチ音楽風の曲を制作する予定があるのですが、伴奏してくれそうなバンドを探したものの、国内でタヒチ音楽をしているバンドとかが見当たらないんですよ。それであなたたちがタヒチ風の曲を発表していたので、もし興味がおありなら、実際にタヒチに行って、現地でタヒチの楽器とかを習ってきた上で監修と伴奏をしてくれたりしないかなと思って」
「それが1ヶ月あるいは3ヶ月と?」
「ええ1ヶ月なら春休みにぶつけていいですよ。3ヶ月なら3月から5月まで。制作は夏以降になると思うので」
彼らは顔を見合わせている。
「現地の民謡団体とは話が付いています。フランス語と日本語の日本人通訳、タヒチ語とフランス語の現地人通訳を付けます。生活費はもちろん全部見ます」
彼らは興味津々である。
「3つお願いしたいことがあるのですが」
「はい」
「現地でタヒチの楽器を習い、歌なども習うとともに、現地の景色とか町の様子を見た上で曲を5−6曲書いてみて欲しいんです。そういう経験がタヒチ音楽を深く理解するのにも役立つと思うので」
「なるほど。5−6曲ですか」
「あと2つは禁止事項です。ひとつはタトゥの禁止。“タトゥ”という単語の語源がタヒチ語で、現地では盛んですが、勧められても会社から禁止されているのでと断ってください。やはり日本での活動に差し障りが出てしまうので。もうひとつは現地の女性とのセックス禁止。これはトラブルの元になるので。女性の取り合いで喧嘩などになると困ります。まあ相手は女性とは限りませんが。代わりに各自の恋人を連れて行っていいですよ。その分の交通費も出しますから」
「それ凄く興味あります。セックスは我慢します。恋人についてはまた後で回答していいですか?」
と彼らの中でリーダーっぽい中橋さんという人が訊いた。
「いいですよ。ちなみに恋人は女性でも男性でもいいですから」
と鱒渕は答える。
1人の青年(村原さん)が少し考えるようにして言った。
「実は・・・男の娘の恋人がいるんですが」
「全然問題ありません」
と鱒渕は即答する。
「ちなみに経費以外の報酬とかはあるんでしょうか?」
と中橋さんが訊く。
「アルバム制作の際の伴奏料とかはまた後日ご提案しますが、タヒチ遠征の報酬は1ヶ月300万円という線でどうでしょう?3ヶ月行ってくれるなら900万」
「900万か・・・。3人で分けると300万・・・」
と中橋さんは考えるように口にしたのだが、鱒渕は訂正した。
「違います。1人900万です」
彼らは顔を見合わせた。そして即答した。
「やります!3ヶ月コースで」
「ひかるのご?」
と聞いたとき、アクアも葉月もその言葉の意味が分からなかった。
「“のご”って花か何かの名前ですか?」
「違う、違う。『ヒカルの碁』」
と言って中村万作監督は紙に漢字で書いて見せた。
「囲碁の漫画なんだけど知らない?」
「知りません」
とふたりとも答えるので、監督は
「そうか。今の若い子は知らないよなあ」
と嘆いた。
それで監督は物語のあらすじを説明した。
「そんな幽霊に教えられながら碁を打つってズルだと思います」
とアクアは素直な感想を言った。
「うん。だから佐為は消えざるを得なかったんだろうね。これはたぶん原作の基本設定が招いた悲劇だと思う」
「普段の対局中は絶対に口出ししないように厳命しておいて、ネットで思いっきり打たせてあげればよかったのに」
と葉月は言うが
「それはそうなんだけど、その内、sai は実際にはヒカルが打っているというのが、いつかは誰かにバレて面倒なことになったと思うよ」
と監督は言った。
『キャッツアイ』『80日間世界一周』でも脚本を書いた稲本さんに脚本を書いてもらい、両作品で助監督を務めた高原さんも加わって検討していった所、どうしても2回以上に分割せざるを得ないということになり、今年はプロ試験を受ける直前までをひとつの映画にすることになった。
「ところで君たちは囲碁ってやったことある?」
「ボクは一昨年アマ四段の免状を頂きました」
とアクア。
「そうだったんだ!」
「ルールも知りません」
と葉月。
「だったら、囲碁初心者のヒカルが碁盤で対局するシーンは葉月ちゃんが打つところの手を撮影すればいいね」
と監督は言った。
実際そのシーンは“葉月が上達してしまう前に”ということで5月中に撮影した。
「でもルールも知らないというのは困るから、スマホ用の適当な囲碁ソフトを紹介するから、それで勉強して夏までには10級程度にはなっておいてよ」
「分かりました!」
2019年9月“ゴールデンシックス”のツアーが発表されたのに対して、その日程と会場はローズ+リリーのツアーではなかったのか?という問い合わせが大量に発生した。それでローズ+リリーとゴールデンシックスで共同記者会見をおこなった。
出席したのは、私とマリ、リノンとカノン、鱒渕・秩父、菱沼・板橋、氷川の9人である。それでゴールデンシックスがローズ+リリーに「勝負」を挑んで、カラオケ対決に勝ち、ツアー日程を奪い取ったという説明をすると記者たちの間には爆笑が起きていた。
「今回はリノンに完敗でした。鍛え直してまた来年勝負します」
とマリが言うと
「今度はローズ+リリーのドーム・ライブを奪い取ろうかな」
とリノンは言った。
記者会見は和気藹々と進んだが、ネットの声は「マリちゃんが負けたのなら仕方ない」「リノンすげー」とリノンを称讃する声が多かった。
「本当にちんちんを切ってもいいですね?」
と医者は念を押した。
「はい。お願いします。そんなの付いてるなんて可哀相」
と母親は言った。
それで赤ちゃんは手術室に運ばれていった。
2時間後、手術室からまだ麻酔から回復していない赤ちゃんが運び出されてきた。医者は母親に告げた。
「手術は成功しました。赤ちゃんはもう立派な女の子です。出生証明書も女児と記載しておきますね」
「そういう訳でお前はちんちん取って女の子にしてもらったんだよ、ってよく母ちゃんが言ってたからさ、ボクはてっきり自分は男の子だったのが女の子に変えられてしまったんだと思って、男の子に戻りたいと思いながら育ったんだよ」
と鮎川ゆまは言った。
「それ半陰陽か何かだったの?」
と松野凛子が訊く。
「小学校3年生の頃に『ボクって生まれた時はおちんちん付いてたんでしょ?』とあらためて母ちゃんに訊いたらさ『そんな訳ないじゃん』と言うんだよ。でも生まれてすぐお医者さんに頼んでちんちん取ってもらったと言ってたじゃん、と言ったら『そんなのジョークに決まってるじゃん』と言われて。ボクずっと信じていたのに」
とゆまは不快そうに言う。
「ひっどーい」
「それで自分が実は男だったのかもという不安は消えたものの、男になりたいという思いはそのままでさ。だから中学の時も高校の時も、よく学生服着て外を歩いて、男子トイレも使っていたよ」
とゆまは言った。
「今でも男になりたい?」
と樹梨菜が尋ねた。
「びみょー。手術代高そうだし、凄く痛そうだし」
「ゆまちゃん、恋愛対象は?」
「普通にストレートだよ」
「ああ。男の子が好きなんだ?」
「違うよ〜。ボクはホモじゃないし。女の子としか恋愛したことないよ」
「うーん」
と私たちは顔を見合わせた。つまり、ゆまの性別意識は男なのだろうか?
「ゆまちゃん、トイレはどちらに入るの?」
「男子トイレ。実は女子トイレに入ろうとすると悲鳴をあげられる。まあボクは立ってするのが好きだし」
「すごーい!立ってできるんだ?」
「ゆまちゃん、お風呂はどちらに入る?」
「女湯。男湯に入るには、胸があるから無理」
「なるほどー!」
「女湯では必ず悲鳴あげられるから、ちんちん無いことを確認してもらってから入る」
「大変ね!」
「じゃ、ちんちんは無いのね?」
「欲しいんだけどね〜」
2005年1月、中学1年生の冬だった。
私は年末年始は風帆伯母から民謡の演奏会に呼び出されて三味線を弾く一方、所属して“いない”はずの、ζζプロからも$$アーツからも頻繁に呼び出されて、テレビ番組やライブの伴奏でピアノやヴァイオリンを弾いていた。この時期はミュージシャンの予定が詰まっており、うっかりダブルブッキングが発生することもあるらしい。それでピンチヒッターが必要になり、私のような初見・即興に強いミュージシャンは重宝がられる。
その年も1月2日から仕事が入っていたので、私はいつものように“セーラー服を着て”出かけた。私はこの時期、学生服を倫代に取り上げられており、やむを得ず2ヶ月ほどセーラー服で通学していた。でも先生たちから何も言われなかった!
それで麻生まゆりの新年ライブの伴奏のために中野スターホールに出て行くと楽屋口の所に蔵田さんがいて言った。
「おい、洋子。予定が変わった。ちょっと付き合え」
「まゆりちゃんの伴奏は?」
「ミタニ・コーイチとかいう奴に代わってもらった」
三谷幸司さんかな?と思った。彼なら安心だ。
「お前は俺たちと付き合え」
「分かりました」
それで停まっているワゴン車に乗り込む。乗っていたのはこういうメンツである。葛西樹梨菜(ドライバー)、蔵田(助手席)、大守清志・原埜良雄・野村博之(2列目)、未知の男性・松野凛子(3列目)。
「増田さんと滝口さんは?」
「性転換手術受けることになったから、入院中」
「女の子になるんですか!?」
「まさか。実際はダウンして寝てる」
「何か年末ハードでしたもんね!」
私は3列目に乗り込み、車は出発した。凛子の向こう側に乗っている男性が初対面だったので
「お初にお目に掛かります。ダンサーの柊洋子と言います」
と彼に挨拶した。
「あ、よろしく。ボクもダンサーに採用してもらった鮎川ゆま」
と彼は言った。
私は混乱した。
「ダンスチームに男性が入るんですか?」
「ああ。彼女はよく間違えられるらしいけど、女だから」
と凛子が言った。
「え〜〜〜!?」
「まあ普通に男に見えるよな」
と蔵田さんは言った。
その言葉の“行間”から、私は、蔵田さんが彼、いや彼女をナンパしようとして、男の子ではなかったことに驚き、そのままダンスチームに勧誘したのでは?という気がした。
「でもボク、生まれた時は男だったんだよ」
とゆまが言うので、
「性転換して女の子になったんですか?」
と尋ねると
「生まれてすぐに手術して女の子に変えられたんだよね」
「嘘!?」
ということで、ゆまが語ってくれたのが冒頭のストーリーである。
その後、私たちは目的地(どこだ?)に着くまで、彼(彼女?)と色々話していたのだが、ゆまはほとんど男の子に近いことを私は認識した。あまり女性が好むような話題が苦手のようである。野球とかサッカーの話、女性アイドルの話には乗ってくるが、男性タレントについてはほとんど無知な様子だった。
そういう訳で車が辿り着いたのは、関越を走って新潟市であった。今回来ていない増田さんと滝口さんの代わりのドラムス奏者とギター奏者を現地のミュージシャンで補い、またダンサーも地元の女性ダンサーを5人調達していて、それで新潟のテレビ局主催のイベントにゲスト出演したのである。
ちなみに代わりのギター奏者・ドラムス奏者は女性である! これは男性を調達すると“蔵田さんが危ない”ので、女性でドリームボーイズの曲を演奏できる人を探してもらった。ドリームボーイズは女性ファンが多いこともあり、無事見つかったようだが
「万一見つからなかった場合は、洋子ドラムス打って、ゆまギター弾け」
などと蔵田さんは言っていた。
「洋子ちゃん、ドラムス打てるの?」
「こいつは、ギター、ベース、フルート、ヴァイオリン、ピアノ、三味線、尺八、チター、バラライカ、バンドゥーラ、と何でも弾けるから」
「すみません。そのバンドーラとかいう楽器知りません」
「今、蔵田が言った中にドラムスが入っていなかった」
「何でも弾けるから、きっとドラムスも打てる」
「万一の時は頑張ります」
「よしよし」
「ゆまさんはギター弾くんですか?」
「ボクは管楽器が専門なんだけどね〜。まあギターも弾けないことはない」
「じゃそれで」
しかしうまく女性のドラマーとギタリストが調達できていたので、私とゆまは楽器は弾かなくて済んだ。
ちなみにライブの時、アナウンサーから
「ドラムスの人とギターの人がいつもと違う気がするのですが」
と言われて
「ああ、間違い無く滝口と増田だよ。正月の間に性転換したんだよ」
と言って笑いを取っていたが、一部本気にした観客もいたのではという気がした。
イベントでは蔵田さんが審査員も務めていて、私たちは控室でモニターで様子を見ていた。私たちにまで豪華なお弁当が出たので、新潟まで来た甲斐があったなあと思った。
イベント終了後は、温泉に泊まると言われ、磐越道方面に向かう。泊まりになることを母に連絡する。途中で大守さんに代わってもらい、了承を得た。大守さんは!わりと母に信用がある。
私は着替えを持って来ていなかったので、そのことを言うと、しまむらに寄り、樹梨菜さんが私の着替え(下着3組・Tシャツ2枚とロングスカート)とそれを入れるバッグを買ってくれた。
それで磐越道に乗るものの、帰省Uターンの車が多く、所々で渋滞も発生した。しかしその間は車中のメンバーでリレーでたくさん歌を歌い、飽きることは無かった。
「ゆまさん、歌がうまい。歌手になれるよ」
と凛子が言っていたが
「ボク、女の歌手にはなりたくなくて」
「ああ、その気持ちは分かる」
と私は言った。
「私も男の歌手にはなりたくないもん」
と私が付け加えると
「そりゃ女の子が男の歌手になる訳無い」
とゆまから言われる。
「いや、こいつ実は男なんだよ」
と蔵田さん。
「え〜〜〜!?」
「でもセーラー服着てるのに」
「学生服取り上げられちゃったから」
「何それ?」
「そいつに、ちゃんと、ちんこが付いていることは確認済み」
と蔵田さんは言ってから
「もっとも俺が確認した後で取っちまってたら今は分からないが」
と付け加えた。
「信じられない。女の子にしか見えないのに」
とゆまは言っていた。
やがて車は三川ICで降りるが雪道である。ここでドライバー交替し、大守さんが運転して慎重に走り、20分ほどで今夜の宿に到着した。駐車場の枠が狭かったが大守さんは美しく枠に駐め「さっすが」と言われていた。
ドリームボーイズで遠征する時の運転は樹梨菜がすることが多いが、彼女は雪道の経験が少ない。それで大守さんに代わったのである。
部屋はこのように取ってあった。
蔵田部屋 蔵田・樹梨菜
男部屋 大守・原埜・野村
女部屋? 凛子・私・ゆま
「なんか性別が微妙な人が多い」
と凛子が言っていた。
「そうですね。私は男だけど女に見えるし、ゆまさんは女性だけど男性に見える」
と私。
「どっちみち性別が混在しているように見える気がする」
とゆま。
「でもゆまちゃんは物理的には女の子だし、洋子は男性能力は既に無いはずだから、まああまり大きな問題は無いかな」
と凛子は言った。
「男性能力無いって、ちんこ除去済み?」
「この場だから言いますけど、女性ホルモンを摂取しているので、既に勃起能力は無いです」
「なら問題無い」
ゆまは私の胸に触り
「少し胸あるね」
などと言っていた。
「女性ホルモンの影響で少し膨らんでいるんですよ」
「ああ。それなら高校生くらいになるまでには、もっと膨らむよ」
とゆまは言った。
山の中の温泉宿ではあるが、料理は美味しかった。この温泉は鯉料理が有名という話で、鯉のあらい、甘煮、天麩羅などが並んでいた。その他、ちょうど猪が捕れたということで、ボタン鍋、猪肉の生姜焼き、角煮なども並んでいた。
鯉のあらいはずっと以前に風帆伯母に食べさせてもらったことがあったものの、ここの旅館のほうが美味しい気がした。ゆまは鯉のあらいを1切れ食べてから「苦手かも」と言って、私の猪生姜焼き・ボタン鍋と、彼女の鯉料理全部とを交換した。
メンバーの中で未成年は私だけなので、他の人は全員お酒を飲んでいた。地元の酒蔵が製造したものだそうで「きりんざん」とひらがなで瓶に銘が書かれていた。
「やはり地酒はいいねぇ」
などと大守さんが言っている。
「ゆまさんも20歳以上?」
と私は訊いた。
「うん。20歳と9ヶ月くらい」
「へー。まだ18-19歳くらいかと思った」
「女性的発達を抑え込んでいるから若く見えるのかもね」
「なるほどー!」
ごはんをお腹いっぱい食べてから、いったん部屋に戻る。それでしばらくおしゃべりしてから「お風呂行こうか」ということになる。
「お風呂行くのにセーラー服は無いよ」
と言われて旅館の浴衣に着替えた。他の2人も浴衣に着替えたが、ゆまは男物の下着を着けていた。
全員着替えとタオルを持って浴場のある1階に向かう。私もブラとパンティにTシャツを持って行く。
浴室は別棟になっている。渡り廊下を通ってそちらに行き、左が男湯、右が女湯である。私は「じゃまた後で」と言って、男湯に行こうとする。
凛子にキャッチされる。
「待て、どこに行く?」
「えっと、私物理的に男なので男湯に」
「洋子は女湯でよいはず」
「それまずいですよ〜」
「だっておっぱいあるのに」
「ちんちんがあるので」
「隠しておけばいいじゃん」
「逮捕されますよ〜」
多少の押し問答があったのだが、凛子は私を放してくれたので、それで私は男湯に向かった。凛子とゆまは女湯に向かったが、入口の所で
「お客さん、男湯は向こうですよ」
と言われて
「この子、男に見えるけど女なんです」
と凛子が言っていた。
私にしても、ゆまにしても面倒くさい!
私は男湯の脱衣場の戸を開けて中に入った。
蔵田さんがいた。
「洋子、こちらに入るの?」
「不本意ですが、物理的に男だから」
「ふーん。まいっか。今男湯は誰も居ないみたいだから、ふたりでゆっくり入ろうか」
と蔵田さんは言った。
「・・・今ほかには誰も居ないんですか?」
「うん。大守も原埜も野村も飲み過ぎでダウンしちまって。俺ひとりで来た。他の客もいないみたいだし、洋子におっぱいがあっても大丈夫だよ」
私は“身の危険”を感じた!
「すみません。私、女湯に行きます」
「ちんこ付いてるのに女湯に入ったら痴漢と思われるぞ」
「何とか誤魔化します」
それで私は男湯の脱衣場を出ると、女湯の方に向かった。
「あんた何やってんの?」
と女湯の入口の所にいる仲居さんに言われる。さっきゆまに「男湯は向こう」と言った人である。
「すみません。間違って男湯の方に行っちゃって」
「あんたみたいな可愛い女子中生が男湯に入って行ったら、中の人たち仰天したでしょ?」
と言って仲居さんは笑っている。
「中見てびっくりしました」
それで私は女湯の脱衣場に入った。
「あれ?こちらに来たんだ?」
と凛子から言われる。凛子にゆま、それに樹梨菜が居た。
「こちらに入れて下さい。男湯は蔵田さん1人だけだったんです」
「ああ」
「それは間違いなく“やられる”な」
と言って樹梨菜は笑っている。
「貞操の危機だったね」
と凛子も笑っていた。
そういう訳で私はこの温泉宿では女湯に入ったのであった。
「そもそも女子下着を着けてて男湯はない」
と樹梨菜が言うと
「ごめーん。ボク男下着を着けて女湯入って」
とゆまが言っていた。
それで私は彼女たちと一緒に女湯に入ったが、お股の付近はしっかりタオルで隠していた。そのまま身体を洗ってから浴槽に入る。浴槽の中はタオルが使えないので、お股の所に手を当てておく。
「洋子、その手をちょっとのけてみない?」
「地球の平和のために、見逃してください」
「今、私たち以外に客は居ないから大丈夫だよ」
食堂では他にも数組の客がいたが、男性客が多く、女子大生っぽいグループは既にお風呂に入っていたようだったから、本当に私たちだけかも知れない。
「それでも勘弁して下さい」
「まあいいか」
ということで、凛子たちもあまり深くは追及せず、私たちはガールズトークを楽しんだのであった。
それで私は“油断”してしまった。
いきなりだった。
「わっ」
と声を挙げる。何が起きたか分からなかったが、私は足をつかまれ、逆さにされていた。
一瞬「溺れる!」と思ってから体勢を立て直す。
「見た?」
「見た」
「お股には何も無かった」
「縦筋もあった」
「洋子、やはり既に手術して女の子の身体になってたのね?」
「手術なんかしてませーん」
「今更隠しても意味無いのに」
翌朝起きると猛吹雪だった。
「これではスキーは無理かな」
と窓の外を見て凛子が言った。
この近くにスキー場があり、スキーの道具は貸してくれるという話だったのでスキーをしてから帰ろうと言っていたのである。
「そもそも出発を少し待ったほうがいいかも」
実際、大守さんが持っている“洋ぽん”を使ってパソコンをネットに接続して確認すると、磐越道が通行止めになっているらしい。それが解除されるまでは帰りようがないし、だいたい8km先のインターまで行くのも危険な感じである。全く視界がきかない。
旅館の人もこれでは今夜のお客さんも、来れないか来ても遅くなりますし、雪が止むまでそのまま宿に居て下さいと言い、お昼ごはんまで出してもらった。
「うちの死んだじいさんは、こういう吹雪を『雪女が泣いてる』なんて言ってましたよ。じいさんの小さい頃はまだこんな立派な温泉宿とかなくて、知る人ぞ知る湯治場だったらしいですけどね」
と老齢の主人が言っていた。
話を聞いていたら、そのおじいさんを含む7人で、この地を商業的な温泉として開発したのだということだった。どうもそれが昭和初期のことらしい。ということは、おじいさんの小さい頃というのは、まだ明治時代だろう。その頃は、この地は冬季には外部と遮断されてしまっていたのではなかろうかなどと私は思った。
下越地方に暴風雪警報が出ているとかで、磐越道の通行止めも解除されない。私は蔵田さんに付き合って、田代より子ちゃんに渡す曲の作曲作業をした。ゆまが見学したいというので臨席したが、私と蔵田さんが、口頭で階名を言いながら楽曲の調整をしていくので
「ふたりともすごーい」
と言っていた。ゆまはXG Works (*2) が使えるということだったので、楽譜の入力係を務めてくれた。
「XG Worksが使えるって、ゆまさんはシンセサイザかエレクトーン弾くの?あるいは作曲とか?」
「キーボードは弾くけど、どちらかというと作曲のほう。まだまだ曲の作り自体が未熟なんだけどね〜」
(*2) XG Worksはヤマハが開発したDTMソフト、というよりMIDI入力ソフトに近く、Cubaseが普及する以前、一定の利用者層があった。ヤマハのシンセサイザやエレクトーンとの親和性も高く、自分の演奏の記録に使ったり、またその記録を別のエレクトーンで再生させながら自分でも弾いて1人で2台のエレクトーンを合奏する人などもあった(1人合奏自体はXG Worksが無くてもエレクトーン自体のシーケンサー機能で可能)。
結局1月3日の晩もその宿に泊まることになった。私は薄暗くなってきた窓の外の吹雪をじっと見つめていた。
その時、唐突に頭の中にメロディーが浮かんだ。
急いでABC譜で書き留める。
それはまるで吹雪きの風雪がそのまま自分の心の中に流入してきて生まれたような曲だった。
私はその曲に『雪女の慟哭』というタイトルを付けた。
これが中学1年の冬のことであった。
2017年8月。
則竹星児は自分のアパートに戻ると、郵便受けから1枚の封筒を取り出し、部屋に入って開けてみた。
「お祈りしますか!」
と言って手紙を投げ出す。
「ああ、やはり辞めたのは早まったかなあ」
などと思いながら、寝転がってスマホでゲームをしていたが
「お腹空いた」
と声をあげて、近くのファミレスに出かける。それでやはりゲームをしながら料理が来るのを待っていたら
「則竹さん?」
と30代くらい?の女性に声を掛けられた。
「えっと、どなたでしたっけ?」
と則竹はマジで分からずに尋ねた。
「ああ。この格好では分からないかな。私、八重海城(やえ・かいき)です。今は改名して八重美城(やえ・みき)と言うんですが」
「八重さん、女性になったんですか!?」
「うん。この5月に性転換手術を受けて」
「うっそー!?それに若くなってる」
「私、男の格好すると50代に見えるけど、女の格好すると30代に見てくれる人もあるみたい」
「30代に見えます!」
結局、彼(彼女?)のテーブルに移動する。
「なんかフリーダムっぽい格好している」
「実は会社辞めたんですよ」
「あら、独立して自分の会社作るとか?」
「そんな資金あればいいんですけどね〜。今は退職金を食いつぶしている所です」
八重は少し考えていた。
「もし空いているなら、うちの学校に来ません? 実はシンセサイザの講座を持てる人を探していたのよ」
「八重さん、まだSF音楽学院におられるんですか?」
「実は性転換するのに、辞めたのよね」
「やはり性別変更するとなると首にされました?」
「ううん。自主的に辞めた。まあ手術の後は2〜3ヶ月療養したいのもあったし」
「ああ」
「それで私の後任に斎藤さんが校長をしていたのよ」
「シンセサイザの権威じゃないですか!」
「ところが彼が先月、交通事故で急死して」
「えぇ!?」
「東名で7台が絡む事故で、死者8名・重軽傷14名」
「あの事故ですか!」
「斎藤さんも奥さんも即死だった。息子さんは重傷だったけど、何とか命を取り留めた」
「わぁ・・・」
「それで校長できる人が居なくなって、オーナーから、性別のことは気にしないから復帰してくれないかと言われたのよ。それで2年くらいの限定ということにして、復帰することにした」
「なんで2年限定なんです?」
「北海道に移住しようかと思っていたから」
「移住して甜菜(てんさい)でも作りますか?」
「よく分かるね〜!」
「いや、以前そんな話をしておられた気がして」
「そうかな。まあそれで急遽校長に復帰したのよ。もう生徒たちから、質問攻めにあうのは慣れた。でも面白がられているだけで、嫌われてはいないみたいだから」
「最近は性別変更に対する理解は進んだと思いますよ」
「夜の生活まで質問されるし」
則竹は、あれ?という顔をした。
「確か奥さんおられましたよね?」
「性転換手術を受ける前に離婚したのよ」
「ああ」
「でもまた結婚しちゃった」
「今度は男性と?」
「いや、その離婚した元妻と再婚しちゃって」
「それはおめでとうございます!元の鞘に収まったんですか!」
「うん。まあ、鞘に収めるべきものは無くなっちゃったけどね」
「あはは」
と笑いながら、則竹は自分のあのあたりに医療用メスを当てられたような気分だった。
しかしそれならレスビアン婚になるのかな?と則竹は思った。女性同士だから事実婚なのだろうか?あるいは八重さんがまだ戸籍上の性別変更前で戸籍上は男女の婚姻をしたのだろうか?などと疑問を感じたが、そこまで訊くのはプライバシー侵害かな、などと思う。
「それでどうだろう?斎藤さんの後任のシンセサイザの講師を探していたのよ」
と八重美城は言う。
「私で分かる範囲なら教えてみましょうか?」
「うん。お願い!」
それで則竹星児は八重美城と握手したのである。しかし則竹は彼女の手を握ってドキッとした。
「手が女の人の手みたいだ」
「そうね。女性ホルモンの影響かも」
「へー!」
「あなたも女性ホルモン飲んでみる?」
「いえ、私は性転換するつもりはないので」
「あなた女装が似合いそうなのに」
「そういうのハマったら怖いから、唆すの、やめてください」
そういう訳で、★★レコードを退職した則竹星児は2017年8月、横浜のSF音楽学院の講師に就任したのであった。
2019年5月、アクア・葉月・姫路スピカは、アクアの写真集撮影のためタヒチに行ったのだが、その写真集撮影の間を縫って、現地でタヒチの音楽を勉強中という日本人バンド Havai'i 99 と引き合わせられた。男性3人・女性3人のバンドかと思ったのだが、メンバーは男性の3人だけで、女性3人はサポートミュージシャンということであった。実際には各々の奥さんらしい!
「ああ、奥さんと一緒に勉強に来たんですね」
「実はトラブル防止のため、現地の女性とのセックス絶対禁止を言われたので、代わりに恋人連れていっていいよと言われて」
「なるほどー」
「そんな南の島に1週間の旅行ならいいけど、3ヶ月もって嫌だぁ!コンビニのある所にしてくれ!と思ったんですけど、来てみたらほんとに楽園みたいで、日本に帰りたくない気分ですよ」
と笛を吹いている女性が言った。
アクアはその女性が笛の端を当てる場所が気になった。
「口の上に当ててます?」
「これは鼻笛なんだよ。鼻から出す息を唄口に当てて吹く」
「すごーい!」
「アクアちゃんも練習してみる?」
「あのぉ。日本に帰ってからでいいですか?」
「今日は忙しいよね。私たちも来月頭には帰国するから、その時お土産に1本買って、持って行くよ」
「わぁ!ありがとうございます」
彼らが書いた曲というのを1曲その場で譜面を見せられてアクアが歌った。
『Hei Tiare』という南国情緒あふれる、そして可愛い曲である。
Hei(ヘイ)というのはクック語ではEi(エイ)、ハワイ語ではLei(レイ)と呼ばれる花の首飾りである。ティアレはポリネシアでは一般的な白い花で、つまりティアレの花で作った首飾り(レイ)のことである。
もちろん全部撮影したし、スティルが2枚写真集にも収録されたが、初見歌唱とは思えない上手さで、葉月もスピカも
「さすがアクアさん!」
と感心していた。
この曲は Havai'i 99 が帰国後にあらためて日本のスタジオで録音することになったが、この日は彼らの演奏に合わせて、アクア・葉月・スピカの3人が彼らの前で踊るシーンも撮影した(3人ともティアレのヘイを掛けてもらった)。この撮影はポジションを変更して3通り撮影して、後で全員アクアに変換!することもできるようにしておいた。
(実際にはアクアを中心に左に葉月・右にスピカが踊るものが公開された)
なお Havai'i というのはポリネシア民族の自称らしい。
元々は sawaiki という単語だったらしいが、ポリネシア各地の“方言”により微妙に音韻が変化している。
マオリでは s が h に置換されて Hawaiki
クックでは s→' w→v と置換されて 'Avaiki
ハワイでは s→h k→' と置換されて Hawai'i
サモアでは w→v k→' と置換されて Savai'i
タヒチでは s→h w→v k→' と置換されて Havai'i
むろん「ハワイ」の語源である。
ここで「'」という音は《声門閉鎖音》glottal stopと言い、喉を一瞬閉じて息の流れを止めるような音である。ポリネシア語ではひじょうによく見られる子音である。日本語では標準語には無いが、方言にはこれを含む地域がある。たとえば薩摩方言では「柿」が「ka'」のように発音される。琉球方言にはわりとこの音がある。また、本来は声門閉鎖音の無い地域に住んでいる人でも個人の個性で、子音を伴わない母音の前などにこの音を挿入する癖のある人がいる。
アクアの2019年のスケジュールは昨年と同様のパターンになった。
-2月ドラマ『少年探偵団II』
3-6月ドラマ『ほのぼの奉行所物語2』
7-8月映画『ヒカルの碁・棋聖降臨』
12-月ドラマ『少年探偵団III』
9-11月の3ヶ月間はドラマも映画も(レギュラー出演は)外してもらったのでこの期間は多少の余裕がある。それで
「いよいよ高校卒業前に性転換手術を受ける?」
と川崎ゆりこから訊かれたが
「性転換はしません」
とアクアは即答した。
「どうせ手術するのなら高校生の内にやっておいた方がいいよ。卒業した後は忙しくてとても手術なんか受けていられなくなるから」
「ボク、別に女の子になるつもりは無いですよ〜」
「隠さなくてもいいのに」
そんな会話をしていると、例によって葉月がドキドキした顔をしている。きっと性転換したいのだろう?などと、ゆりこは思っていた。
そういう訳でアクアは性転換手術を受けることもなく、昨年に続いてミニアルバムを作ることになった。ラインナップされたのはこのような曲である。
『Hei Tiare』(Havai'i99作詞作曲)
『Bandai』(醍醐春海)
『Sky Mountains』(大宮万葉)
『Beforte the Kettle boils』(マリ&ケイ)
『Motorbike built for two』(琴沢幸穂)
『Winter's tale』(森之和泉/水沢歌月)
今回は全てアルファベットのタイトルの曲となった。制作は多くの楽曲において先にPVの制作を行い、そのイメージを持ってもらって、音源製作を行った。そのため音源製作は10-11月に掛けての作業となった。
2019年6月27日の★★レコード株主総会における“クーデター”で村上社長らの旧MMレコード系の取締役が追放され、MM系により権限をほとんど剥奪され、首寸前の状態になっていた町添さんが一転して新社長に就任した。そして追放されたMM系幹部は、MM系の中心人物、元大阪支店営業部長の無藤鴻勝氏を中心に新しいレコード会社MSMを設立した。これに伴い、MMレコード系の社員が大量に退職。そちらに移籍して★★レコードは大混乱に陥った。機能不全に陥る支店や部署もあり、新経営陣はその建て直しに必死であった。
そんな中、私は新しいアルバム『十二月』のPVをこれまでのように★★レコードに委託して制作してもらう(予算はこちらが7割を出す)のではなく、独自のスタッフで制作しようと考えた。新しくJPOP部門の課長に就任した氷川さんに一応照会したのだが
「確かに今とても余力がない。そちらでできるならお願い」
と言われたので、私はそれをいいことに鱒渕・風花とともに、サマーガールズ出版の映像制作部門を臨時編成することにしたのである。
このプロジェクトの事務的な中心として、私はトラベリングベルズの黒木さんと海香さんにお願いした。黒木さんは私の友人のミュージシャンの中で、取り敢えず手が空いている人の中では最も信頼できる人物である。風花や七星さんとの交友もあるし、私と音楽的な価値観も近い。また海香さんは音響学の専門家で昨年春に工学博士の学位も取った。
そのふたりが実作業の中心として白羽の矢を立てたのは映像作家の美原友紀さんであった。
美原さんはアクアのデビュー・ビデオ作品を撮った人である。しかしその後は、あまり大きな仕事には当たらず、売れていないアイドルのPVを撮って細々と生きていたらしい。誰か結婚してくれる人が居たら主婦になっちゃおうかなとも思っていたらしいが、鱒渕さんが誰かいい撮影者がいないかあちこち照会している内に、事実上空いていることが分かり、勧誘したのである。彼女はローズ+リリーは好きだし、予算も潤沢そうだからやりたいと言った。アイドルのPVは概して低予算のものが多い。酷いのになると3日掛けて伊豆大島で撮影して報酬が3万しかもらえなかったこともあったらしい(ほぼ赤字)。
彼女を支える技術スタッフとして私たちが勧誘したのが元★★レコード技術部の則竹星児さんだった。
則竹さんはプログラミングに強いし、シンセサイザを含むデジタル音楽技術、更には映像技術にも詳しい。絵も上手いのでひとりで音楽付きFlash作品を作り上げたりもしていた。
彼はまた“天才プログラマー”である。1000行くらいまでのプログラムなら、調子のいい時なら、書き上げてから1発でコンパイルが通り、1つのバグも無くちゃんと動作するプログラムを作ってしまう。彼が書くコードは読みやすくかつコンパクトでしかも高速に動作する。
ただ天才にありがちなムラ気があり、やる時は人の10倍の速度で仕事をするが、仕事が進まない時は一週間くらい何もせずにボーっとしている時もあり、自分でもあまりサラリーマンには向かないと言っていた。
彼は寛容な上司に恵まれると、大きな仕事ができるタイプである。
彼は2008年に九州の国立大学を出てから★★レコード東京本社に入社。私とマリの覆面プロジェクト“ロリータ・スプラウト”の制作に深く関わってもらった。ローズ+リリー本体の制作でも、主としてツアーのサウンドやライティングのテクニカルな面で対応してもらっていた。2017年に★★レコードが村上社長の体制になり、経費のチェックが細かくなって、自由裁量での活動がしにくくなったのを嫌って退職。2年ほど横浜のSF音楽学院という所でシンセサイザの講師をしていた。しかし彼を可愛がってくれていた校長が退職したのを機に、この夏に彼も退職して、次の仕事を探していた。
それを私は実は千里から聞いて、このプロジェクトに参加しないかと誘ったのである。彼は「ケイちゃんたちの仕事なら楽しそうだ」と言い、トラベリングベルズの黒木さんとも旧知なので、参加してくれた。次の仕事先は今回のアルバム制作が終わってから、改めて探すと言っている。
2019年のローズ+リリーのアルバムは紆余曲折の末『十二月』(じゅうにつき)のタイトルで制作することになった。
ここで“十二月”というのはロシアの児童文学作家サムイル・マルシャーク(Самуил Яковлевич Маршак Samuil Yakovlevich Marshak, 1887-1964)の「Двенадцать месяцев」、英訳するとTwelve Monthsという作品から採ったタイトルである。Decemberのことではなく、月(Month)を司る12人の神様(1月の神、2月の神、・・・、12月の神)が出てくる物語で、日本では「森は生きている」の邦題で出版されている。
主人公のアーニャが吹雪の森の中で春の花である「マツユキ草」を探すシーンが、私は中学時代に書いた『雪女の慟哭』を連想させるなと、以前から思っていた。あの曲は非常に激しい曲なので、使う機会がなかなか無かったのだが、2017年に制作するはずだったアルバム『Four Seasons』の企画が潰れてしまい、それをリブートする際に『十二月』という名前を考えたのだが、その時、あの曲をここで使おうと私は思ったのであった。
『十二月』は元々2017年に『Four Seasons』のタイトルで制作するつもりだった作品である。しかしこのタイトルが2017年春の制作会議で否決!されてしまった。代わりに★★レコードの村上社長が指定したタイトルは『郷愁』であった。何の構想も無かったタイトルを指定され、しかも発売を11月上旬と指定された。
私はかなり努力し、8月にミュージシャン全員に“郷愁村”に泊まり込んでもらって制作するという異例の制作体制で臨み、何とか10月頭までにマスターを作り上げた。しかし、それを聴いた友人たちは声を揃えて、こんなものを発売してはいけないと言った。
「これは未完成というより、作品以前」
「料理の素材を鍋に放り込んだだけ。掻き混ぜも煮込みもされていない」
みんな発売を延期すべきだと言って、結局、アクアの新マネージャー・山村さんが交渉してくれて、発売時期は翌年春以降となった。私は夏の集中制作に参加しながらも「こんなのでいいんですか?」と完成度に疑問を提示していたミュージシャンたちに謝り、再度ゼロから制作しなおしたのである。作り直したアルバムは2018年3月に発売。一方『Four Seasons』の方はシングル(4曲入り)として2018年1月、アルバムに先行して発売した。
またこれを機会に「ケイたちには交渉力があって、レコード会社や大手プロダクションの意向に影響されずに、絶対的なローズ+リリーの味方になってくれるマネージャーが必要だ」と言われ、アクアの前マネージャーの鱒渕さんがその役割をしてくれることになったのである。
『郷愁』が発売され、一息ついたところで、私は『Four Seasons』のコンセプトを焼き直した『十二月(じゅうにつき)』の制作に取りかかることにした。村上社長も昨年は自分の指示がこちらを大混乱に落とし込んだことを反省して、この方針を追認してくれた。
ところが、ここで上島雷太先生の不祥事が発覚し、先生は無期限の謹慎をすることになった。それで業界に大激震が走る。上島先生は年間1000曲ほどを書き、その作品は日本のポピュラー音楽業界の根幹を支えていたのに、それが供給されないということになると、みんな発売できる楽曲が無いのである。
そこでUDP(上島代替プロジェクト)が発足して、多数の作曲家で上島先生の作曲量を何とかカバーしようということになった。私もこれに駆り出されて、とても自分たちのアルバムの制作どころではなくなってしまった。また私は物凄いペースで楽曲を書いたため、一時まともな作品が全く書けなくなってしまった。
和泉・風花・政子・千里が共同で私に「作曲禁止」を宣言し、私は月に1曲だけなら書いてもいいと言われたのを書きながら、リハビリをはかっていた。その間に私は一方では丸山アイ・若葉たちと一緒に“ミューズ”プロジェクトを立ち上げ、人工知能による作曲をしてこれで不足する楽曲の供給の助けとした。スーパーコンピュータ Muse-1, Muse-2 が作り出した楽曲は夢紗蒼依のクレジットで、主としてЮЮレコードで使用され、ЮЮレコードは積極的に新人を開拓するとともに楽曲不足から引退に追い込まれた歌手を受け入れた。これで復活した歌手が多数いた。
一方で私は引退して宮古島に移り住むことになった紅川会長から§§ミュージックの株式を全て引き継ぎ、§§ミュージックのオーナーとなった。紅川さんからは会長になってくれと言われたが、私はそれは遠慮してとりあえず副会長の肩書きになることにし、紅川さんは名前だけ会長の地位に留まった。
私が作曲家として復活できなかった場合、私はひょっとしたら、その後、ミューズの専務兼§§ミュージックの会長か何かとして、この業界で生きていくことになっていたかも知れない。
しかし私は作曲が禁止されていた期間に少しずつ精神力を回復させ、最後は2019年6月に政子・あやめと一緒に宮古島に行って来たことで、作曲家として復活した。そして8月頃にはまた精力的に楽曲が書ける状態まで戻った。むしろ以前よりパワーがみなぎっている気もした。
但し私は今まで書いていたような“埋め曲”は自分で書くのをやめた。それは全部、夢紗蒼依や松本花子に任せて、私は年間20-30曲くらいのゆるやかなペースで、ローズ+リリー、KARION、アクア、貝瀬日南(秋穂夢久名義)、三つ葉(紅石恵子名義)向けの楽曲だけを書くことにしたのであった。
そういう訳で『十二月』の制作は2019年の夏、8月くらいから開始できそうな気がした。その時期にはKARIONの『天体観測』の制作も一段落するだろうと考えた。この時期私が考えていた制作スケジュールはこんな感じである。
8月上旬『トロピカル・ホリデー』
8月下旬『泳ぐ人魚たち』『砂の城』
9月上旬『ヴィオロンの涙』『雨の金曜日』
9月下旬『メイクイーン』
10月上旬『うぐいす』『草原の夢』
10月下旬『紅葉の道』『時の鏡』
11月上旬『雪女の慟哭』『雪が白鳥に変わる』
それで11月前半までに楽曲の制作が一段落するなら、12月に全国ツアーをしてもいいかなと考え、11月下旬から12月にかけて会場を押さえてもらっていたのである。最後まで決まらなかった東北の会場も、復興支援イベントを宮城県ですることにしたので、ツアーの方は福島ですることにした。
私とマリは鱒渕さんから叱られた!!
実はだいたいのスケジュールを引いていた所で、時代劇の主題歌を頼まれ、それは7月に制作して引き渡したのだが、それを納品に行った時に演出家さんがいて
「いい曲ですね〜」
などといった話をしていた時、唐突にマリがこの時代劇自体に出演しないかと誘われたのである。演出家さんが乗せかたが上手く、マリは千代姫役での出演をOKした。それで9月から撮影を開始し、原則として月に2回、第1・3火曜だが、9月だけは毎週火曜日にお願いしますということだった。
「そういうの勝手に入れられたら困ります!」
と鱒渕さんは言ったのである。
「アルバムの制作とまともにぶつかるじゃないですか」
「それはそうなんだけど、マリだけなら大丈夫かなと思ったんだけど」
と私は言い訳をする。
「たとえ出番がなくても、これはマリさんとケイさんのユニットの制作なんです。その主役が他の仕事で席を外しているというのは、本気度を疑われます。他の演奏者たちは泊まり込みで頑張ってくれるのに」
「ごめん」
それで鱒渕さんは演出家さんの所に会いに行き、違約金を払ってもいいから、マリの出演は外してくれと交渉した。しかし演出家さんも「マリちゃんはこの役のイメージにピッタリで、他の人ではありえない」と頑張った。
それで結局、マリの出番を減らしてもらうことになったのである。9月中は毎週一回(火曜日)の制作に参加することにしたが、10月以降は月に1回だけにしてもらったのである。それでそれ以外の仕事は入れずにアルバム制作に集中する。
一方で、8月には終わるかなと思っていたKARIONのアルバム『天体観測』の制作は結局9月中旬までずれ込んでしまった。そういう訳で、『十二月』の実質的な制作着手が遅れることになってしまい、結果的にエンドもずれ込むことになった。
これが苗場ロックフェスティバルくらいの時期に私と風花が引き直したスケジュールである。
7月『トロピカル・ホリデー』
8月『泳ぐ人魚たち』
9月『砂の城』
10月上旬『メイクイーン』『うぐいす』
10月下旬『草原の夢』
11月上旬『ヴィオロンの涙』『雨の金曜日』
11月下旬『紅葉の道』
12月上旬『雪女の慟哭』『時の鏡』
12月下旬『雪が白鳥に変わる』
結局本格的な着手は2ヶ月遅れて10月になってしまう。それで学生さんたちの夏休みからは完全に外れてしまった。これは制作方法自体の変更が必要になった。
そうなると、制作は年内にやっと終わる感じとなり、予定していたツアーとぶつかってしまい、どうしよう?と思っていた時に、ゴールデンシックスが「勝負」を掛けてきて、彼女たちのツアーと日程が交換になってしまった。
それで私は本音としては助かったのである。
恐らくはあの事件は、誰か(千里?ゆま?和泉?あるいは丸山アイ?)がこちらの事情を察して仕掛けてくれたのではないかという気がする。
1 2 3
【夏の日の想い出・十二月】(1)