【夏の日の想い出・モラトリウム】(3)

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2019年8月3日(土).
 
毎年恒例の横須賀サマーロックフェスティバルが行われた。ローズ+リリーは『郷愁』の制作で死んでいた2017年を除いて、2012年以来毎年出演している。ローズ+リリーは2014年以降、苗場ロックフェスティバルにも出演しているが、横須賀の方が出演歴は長い。
 
出演者は苗場の出演者がそのままこちらにも出られる感じになるので、編曲も手間が掛からない。なお今回『愛のデュエット』は省略して、フルートとクラリネットに関しては、世梨奈と美津穂が来られないので風花と詩津紅に頼み、詩津紅がクラリネットを吹くのでキーボードは山下響美(旧姓川原)に頼んだ。また桜野レイアのサックスパートを省略し、彼女にはヴァイオリンを弾いてもらっている。
 
ダンサーは無しのつもりだったが、たまたま会場で遭遇したムーンサークルの2人が「ダンサー用意されてないのなら、やりたい!」と言ったので踊ってもらった。
 

8月31日(土)。そういう訳で、若葉が400億円を掛けて作った“Muse Theater + Arena”でアクアの夏休みライブが行われる。私は2日前の29日に小浜入りして、コスモス社長、山村マネージャー、★★クリエイティブの横田さん、TKRの三田原課長、地元イベンターの社長さんと6人で打ち合わせをした。
 
30日は午前中にシアターとアリーナの間の壁が(手作業で!)外され、両者を結ぶ天井と壁が出現する(これも手作業!)。そして移動観覧席が倉庫から移動してくる。実際には各々にドライバーが乗って運転してくる。全部所定の位置に納まった所で念のため目視で位置を再確認してからフロアを上昇させる。
 
これで7万人を収容する巨大ホールが出現する。出入口の施錠解錠(床と合っていないドアが開(ひら)けたりしないか?)についても全てスタッフが念のため確認して回った。
 
今井葉月、桜木ワルツ、山下ルンバ、研修生の木下宏紀・坂田由里・篠原倉光などに代わる代わる歌わせて音響を確認・調整する。幕の開閉、照明の当たり方の確認。その作業が午後いっぱい続いた。研修生の子はこんな広い会場で歌うのは初体験なので興奮していた。3人とも「気持ちよかったぁ」と言っていた。明日のスターを夢見る子たちである。
 
この日は小浜市をはじめ、敦賀・舞鶴まで、前泊をする人たちでホテル・旅館は満杯になっている。旅館《藍小浜》、および千里が建てた《小浜ラボ》に泊まった人もあるが、Muse Arenaは前泊には使用していない。あくまで後泊のみである。これは保安上の理由だ。
 
ローズ+リリーのカウントダウンの時に《藍小浜》に泊まった人で、今回は《小浜ラボ》の宿泊施設に泊まった人がおり、
 
「移設して合宿所にしたのか!」
と驚いていた。
 
なお、出演者やスタッフはMuse-3のデータセンター(MDC3)内の宿泊施設に泊まっている。ローズ+リリーのカウントダウンの時に泊まったのと同じ場所である。
 

政子は30日のお昼頃、あやめ、およびお母さんと一緒にやってきた。
 
政子はチケットを買ってライブに参戦する。ファンクラブ抽選でも一般枠でも取れなかったが、あまり数は多くない関係者枠で何とか購入した。私も含めて4人でMDC3内の6畳の宿泊室(バストイレ付き)をひとつ使用した。お母さんは、あやめと2人でライブ中もここで過ごす(スタッフ部屋なのでモニターでライブの様子は見られる)。
 
MDC3内でも食事はできるのだが、30日のお昼はせっかくだしということで、若葉の作った《藍小浜》の方に食事に行った。
 

MDC3から旅館の地下に繋がる地下通路を往来専用の Nissan e-NV200(電気自動車のワゴン車)に乗せてもらって移動した。この地下通路はもちろん強制換気ではあるものの、ガソリン車の使用は禁止である。
 
「なんか秘密基地みたいでいい!」
と政子は喜んでいた。
 
「やはりここに可愛い男の娘を拉致してきて女の子に改造して送り出す」
 
政子は“Sex Change Shocker”構想を楽しそうに語っていたが、私は
「犯罪行為は慎むように」
と釘を刺しておいた。
 
地下からエレベータで最上階まであがり、そこの展望レストランで食事をする。ここは和室がほとんどという“旅館”であるが、最上階の展望レストランと、2階のパーティールーム(結婚式の披露宴ができる)は土足でそのまま入れるPタイル仕様になっていて、テーブルと椅子が配置されている(畳を敷いて和室仕様にもできる:実際パーティールームは今日明日は畳を敷いて臨時に人を泊める)。
 
この旅館は1階にもレストラン(むしろ食堂的)もあるのだが、1階食堂も9階レストランも今日・明日・明後日はフル回転になる。大量の冷凍食材を準備していて小浜ランチとかシーフードカレーライスに小浜ラーメンなどはレンジでチンするだけで超高速に提供できるようにスタンバイしている。
 

私たちはスペシャルランチを頼んだのだが、政子は料理が美味しいので喜んでいる。
 
「若狭湾の海の幸、丹後や若狭の山の幸をふんだんに使っているからね」
「やはり地産地消よね」
と言って、甘エビや“若狭ぐじ”(甘鯛に塩を振ったもの。身が引き締まって味が良くなる)などに舌鼓を打っていた。
 
岩牡蠣もあるということで出してもらったが、
「ここでも岩牡蠣が食べられるとは」
と言って喜んでいた。数量限定なので夕方くらいだと食べられない日もあるらしい。ちなみに岩牡蠣は8月で終わりで9月からは普通の牡蠣に切り替わる。
 

「でもきれいな公園になってる」
と政子はミューズタウン側を見ながら言う。
 
「手前側の半分40棟(400室)の作業員用アパートを解体して、そこを公園として整備している。残りの解体は取り敢えず保留。その保留した分に今回は観客を泊めるんだけどね。でも夏だから色々なお花が咲いているよ」
 
「あとでお散歩しよう」
 
約2ha(250m×160m)にお花畑、噴水などが“整備中”である。まだ日々作業をしている所であるが、29日から9月2日までは作業はお休みにしている。実際まだ解体し終わったのは20棟(200室)ほどである。つまり元々建てられていたアパート群の内、40棟(400室:1200人分)に前泊する観客を入れ、20棟は空き家の状態で残っている。
 
その20棟は完全に空き家になっていて、そこに住んでいる作業員は居ない。小浜に残ることにした人も風光台(と命名されるのは年末なので現時点では“ムーラン社員寮”)に移っている。その人たちと市内・近郊からの通いの作業員で整備作業は進めている。
 
「なんかヘリポートがあるけど」
「うん。若葉の趣味の世界だね。飛行機が離着陸できる滑走路作ろうとしたけど、滑走路自体はいいけど、付属設備に巨額の費用が掛かるというので、やめたらしい」
「さすがに長さが足りない気がする」
と政子も言う。
「ヘリは買ってないの?」
「レンタルでいいのでは?」
 
「確かに。でも公園整備するなら、ジェットコースターとか作らないの?」
「さすがにこんな所で遊園地とか営業しても人が来ない」
「そうか。さすがに無理か」
 
「北陸新幹線が開業して、大阪と小浜が直結したら分からないけど」
「それいつの話?」
「全く分からない。2026年という話もあったけど、2046年という説もある」
「2046年なら、私、もうおばあちゃんになってる!」
 
「北陸新幹線は東海道新幹線に万が一のことがあった時のためのバイパスなんだから、早く完成させた方がいいと思うけどね」
 

MDC3は、地下3階にMuse-3があり(将来Muse-4を設置するためのスペースも確保している)、地下2階が事務用スペース、地下1階がライブやイベントのスタッフ用のスペースになっている。なお、カウントダウンの時に政子が歌ったスタジオは地下ではなく、ステージ真下の「地上1階」に存在している。
 
私たちは地下1階に泊まっているのだが、アクアたちは地下2階の方に泊まっており、政子に渡したパスではB2には進入不能である(B2に入れるのは§§ミュージックのタレントとマネージャーだけ)。それを残念がっていたが、ライブ前日のアーティストに時間を使わせる訳にはいかない。
 

2019年8月31日(土)。
 
第1部の開演は9時なので、会場は6時に開けた。7万人を本人確認しながら入れるので大変である。但し、藍小浜・小浜ラボ・Muse Townに泊まった客は前日そこに入る段階で入場券のチェックが済んでいるのでそのまま会場内に入ることができる。またアクアが出演する第2部のみを見て、こちらは見ない観客もあるので、第1部から見る観客は恐らく半数くらいではと予想している。
 
6時や7時に来た客は朝御飯を食べていないが、まだ出店(でみせ)は営業開始していないので、藍小浜のレストランに行ったり、Muse Town内のコンビニでお弁当を買ったりしていた。このコンビニも今日は大量にお弁当・サンドイッチ・おにぎり・ドリンクなどが出るとみて、張り切って仕入れているし、追加注文もかなりくると見て配送センターが臨戦態勢らしい。スタッフも普段の5倍!入れて、特設レジまで作っている。チキンや肉まんなどは市内の系列店からもピストン輸送できる体制を取っている(なお、お酒類は全部撤去した)。
 
しかしここにコンビニがあると、食品だけでなく、絆創膏・ティッシュ・化粧品・乾電池!充電器!!生理用品、更には下着なども容易に調達できるので、観客たちには好評であった。
 

9時から第1部が始まる。§§ミュージックの、高崎ひろか・品川ありさ以外の歌手が20分・30分単位で出演しては、歌って行く。歌う曲目や演奏スタイルについては「自分で決めろ」とコスモスは各歌手に言った。
 
トップバッターで出てきた桜野レイアは、友人(実はイグニスのメンバー)のギタリスト(LISA)・ベーシスト(Lucy)を伴い、自分はドラムスを打ちながら、イグニス時代の歌を歌った。アイドル歌謡を期待しているファンを良い意味で裏切るパフォーマンスで、かなり好評であった。まだ2万人も入っていない観客が物凄いノリで踊っていた。オープニングにふさわしい演奏だった。
 
続いて出てきた山下ルンバは振袖を着て出てきて、演歌でも歌うのか?と思わせて、彼女も自分でギターを弾きながら"GO!GO!7188"の和風ロックをたくさん歌った。研修生の佐藤ゆかがドラムスを打ってくれた。
 
その後出てきた原町カペラ(デビューしたて)・石川ポルカ(昨年デビュー)は普通のアイドル歌謡を歌う。カペラはSPEEDの曲、ポルカはモー娘。の歌を歌った。
 
桜木ワルツ(2018デビュー)は全曲アカペラで『庭の千草』『ロンドンデリーの歌』、『スカボロフェア』『スコットランド・ザ・ブレイヴ』と歌った上で最後は『麦畑』で観客をなごませた。
 
花咲ロンド(2017デビュー)、白鳥リズム(2017デビュー)、姫路スピカ(2016デビュー)、西宮ネオン(2016デビュー)は自分の持ち歌でステージを構成した。
 

第1部のトリを務めたのは今井葉月である。葉月のデビュー年は曖昧、というか実はまだ歌手デビューしていない!が2014年からアクアの代役としてのお仕事をしていて、§§ミュージックの中では“古株4人”(山下ルンバの命名。アクア・ひろか・ありさ・葉月)の1人である。
 
しかし葉月はCDを出したことがなく、持ち歌も無いので、彼が今回選択したのは北里ナナの歌である!
 
ナナが『少年探偵団』の中で着たステージドレスを着て登場である。
 
「はづきちゃーん!」
という声の他に
「ナナちゃーん!」
という声まで掛かっている。
 
この時点では観客は既に5万人を越えている。その大観衆の前で彼は可愛くナナの歌を歌った。
 
『ナナの海』に始まって、『花の伝説』『青い城の姫』『シルバークリスマス』、『風車小屋の娘』そして『白雪姫』で締めた。
 
大観衆を前に葉月は堂々とこれらの歌を歌い、大きな歓声・拍手に手を振ってステージを降りた。
 
第1部の司会役であった桜木ワルツが出てきて
「これより1時間の休憩を頂きます。第2部、アクアのステージは14時開始予定です」
とアナウンスをした。
 

ちなみに政子は葉月のドレス姿を見て
 
「きゃー!可愛い!」
と凄い歓声をあげていた。
 
「やはり葉月ちゃんには性転換手術の予約をしてあげよう」
「それ迷惑だから」
 

お昼はスタッフパスでMDC3内に入り、スタッフ用の食堂でランチを食べたが、政子は三田原さんをつかまえて
 
「葉月(はづき)ちゃんに可愛い曲を用意しますから、あの子、ぜひデビューさせましょうよ」などと言っていた。
 
「でもあの子がアクアの代役をしないと、他の人では務まらないからね。身長も体重も、そして雰囲気までアクアによく似ているから、最高の代役なんですよ」
と三田原さんは言う。
 
「超多忙なアクアの代役をしているから、実はアクア本人より彼の方が忙しいんだよね。アクアは絶対に学校を休まないけど、葉月(ようげつ)ちゃんは頻繁に学校休んでいるから」
と私も言った。
 
「そっかー。その状態で自身もデビューって無理か」
「過労でダウンしちゃうよ」
 

14時エレメントガードが登場して前奏を始める。7万人の物凄い歓声の中、王子様のような衣装を着けたアクアが下からせりあがってきて登場すると多数の黄色い悲鳴のような歓声がこだました。
 
アクアの歌が始まったのに合わせて信濃町ガールズA班が入って来て後方でダンスをする。彼女たちはヘッドセットも付けていて、部分的にはコーラスも入れるようになっている。
 
客席の最後部はステージから260mある。直接見えるステージ上のアクア(156cm)は比例計算すれば2.6mの距離にある1.56cmの豆人形のサイズである。そこに居るようだというのが分かる程度だが、それでも本当にアクアと同じ空間を共有しているという一体感がライブの醍醐味である。
 
一応彼の姿は場内数カ所に設置した大型スクリーンでも見ることができるので、アクアの表情などもそれで確認できるものの、多くの観客は豆粒のようなアクアの方を見て歓声を送っていた。
 
なお室温は空調を入れていても30℃あり、音速は v = 331.5 + 0.6×気温で計算すると 349.5m/sとなるので260mを伝わるのに必要な時間は0.74sである。それでその付近に設置した補助スピーカーは0.8秒ほど遅れて鳴る。メインスピーカーから来る音より早く補助スピーカーが鳴ってしまうと臨場感が失われるのである。このあたりはアクアの音響を初期の頃から担当している白金さん(麻布先生の弟子の1人で、実は私や有咲の後輩になる)がしっかり設計している。
 
「でもこの会場は床・天井・壁が全部吸音材料で出来ているから、音響が設計しやすいよ」
と白金さんは言っていた。壁や天井の吸音素材貼り付けだけで70-80億は掛かったと思うが、若葉のこだわりのおかげで、良い音響が得られている。
 

今日のアクアのステージは休憩時間も入れて2時間40分くらいの予定(内最後の10分はアンコール)で、1:10歌って10分休憩し、1:10歌ってアンコールとなる。アクアの負担を考えて川崎ゆりこが司会をして、歌と歌の間はアクアが少し休めるようにしている。
 
バックダンサーを務める信濃町ガールズは前半をA班、後半をB班が務める。今回小浜に来ているのはピックアップメンバーで各15人、合計30人である。基本的に中学生以下のメンバーなので、第1部に出演した佐藤ゆかたち、また音響テストに協力した木下宏紀たちは入っていない。高校生のメンバーたちはこの日は主として桜木ワルツたちと一緒に裏方のお仕事をしている。
 
なお今回“アクアたち”は話し合って、前半はアクアF、後半はアクアM、アンコールはアクアNが歌うようにしたようである。それで例によって
 
「アクア様は前半の方が女の子っぽくて良かった」という感想がたくさん出ていた!
 
なお、前半と後半の間のゲストが誰になるかは公表されていなかったのだが、今井葉月と山下ルンバが出てきて、2人で北里ナナの『招き猫の歌』を歌うと物凄い歓声があがっていた。ちなみに2人はルンバが黒猫(♂)の衣装、葉月が白猫(♀)の衣装である。私は「それ性別が逆では?」と言ったのだが、コスモスは「ナナのPVで葉月が白猫だったから、それを蹈襲してルンバには男装してもらいました」と言っていた。
 
2人は『招き猫の歌』の後は『愁末日記』『レジンの首飾り』と歌った。最後の曲は10月発売予定の北里ナナ5thシングルに収録予定であることを葉月が言うと歓声があがっていた。
 
それでアクアに引き継ぐが、後半のアクアの衣装は(男物の)和服風の衣装だった。例によって観客の感想としては「せっかく和服を着るなら振袖着ればいいのに」というものが多かった!
 

ライブが終了したのは予定を少し遅れて16:50くらいである。
 
身代わり役の山下ルンバがアクアと同じ衣装を着けて、ライブ終了の5分後にMDC3の横に付けていた水色のAUDI A4に乗り込むと、山村マネージャーの運転でMuse Parkを出る。これを追っかけるために早めに会場の外に出ていたと思われるファン数人が追いかけようとしたものの、AUDIはそのまま坂を登り、Muse Townの中に入ってしまった。
 
そしてファンがフェンス越しにAUDIの行方を見ていると、アクアの衣装を着けたルンバ(ファンたちはアクアと思い込んでいる)と山村マネージャーはタウン内のヘリポートにいつの間にか駐まっていた AS355 Ecureuil 2 (*1) に乗り込む。そして山村の操縦でヘリは飛び立ってしまった。遙か南東方面に飛び去るヘリコプターを、追っかけファンたちは呆然と見送った。
 
しかし「アクア様、ヘリコプターで会場を去る」としてヘリの写真付きのツイートがあったことから、やはり年末の“立体映像”という建前のアクアは本物だったのでは?という意見がネットでは大勢となった。
 
(*1)Ecureuil(エキュレイユ)はフランスのアエロスパシアル (Aeroespacial) が開発し、エアバス・ヘリコプターズ (Airbus Helicopters 旧ユーロコプター Eurocopter) が販売している軽量ヘリである。単発の AS350 Ecureuil と双発の AS355 Ecureuil 2 (Twin Star) がある。定員は操縦士1名+乗客5名。巡航速度はどちらも200km/h. 航続距離はAS350=600km, AS355=700km.
 
山村は12月31日にこのヘリを米原駅近くの空地からここまで飛ばしている。このヘリは冬子が2014年5月にKARION・ローズクォーツ・ローズ+リリーのライブを掛け持ちするため南相馬から仙台まで飛んだ時に使用したヘリと同型機である。もし買うなら価格は3億円くらいと思われる。
 

もっとも実際のアクアはMDC3内のアクア専用控室でシャワーを浴びた後、第1部に出演した歌手たちと一緒に、18時からMDC3の大会議室で夕食を兼ねた打ち上げに出た。観客は現在規制退場をしている所で、それが19時くらいまで掛かるはずであるが、こちらは中学生も多くいることから、先に打ち上げをさせてもらった。これに出席していないのは、アクアの代役でどこか(?)に飛んで行った山下ルンバと山村マネージャーだけである。
 
アクア本人を含む§§ミュージックの歌手(ここに来ていない高崎ひろか・品川ありさを除く)、研修生、信濃町ガールズ、スタッフの一部、エレメントガード、この施設のオーナーである若葉、小浜市長の代理で来た小浜市議の山崎さん(女性)、TKRの三田原・鮫川、それに部外者?の私・政子・千里・青葉・丸山アイといったメンツが出席した。★★クリエイティブのスタッフ、地元イベンターのスタッフは現在規制退場の制御で忙しくてここには顔を出していない。
 
小浜市議さんに乾杯の音頭を取ってもらい、全員ジュースで乾杯する。出席者のほとんどが女性で(男性は信濃町ガールズの男子メンバー2人のみ)、未成年が多いことから、この打ち上げはノンアルコールである。
 
食事は若い子たちが喜ぶように焼肉である。それでどんどんお肉が消費されていた。なおこの大会議室は焼肉ができるように排煙システムがしっかりしている。これは丸山アイの趣味で装備されたものである。
 

政子はアクアとたくさん話したがっていたものの、市議さんがくっついていて、コスモスも傍にいるので、政子はなかなかアクアを確保出来ない。結局三田原さんが相手をしてくれていた。青葉は丸山アイと話していたが、チラッと聞こえてくる会話の内容がよく分からなかった。
 
「青葉ちゃん、こちらの本拠地を見せたんだから、そちらの本拠地も見せてよ」
「こちらは性転換済みのメンバーと性転換希望のメンバーが多いんでけど、アイさんも性転換します?」
「ボク性転換は5〜6回したよ」
「ああ。性科学研究所で手術を受けられたんでしたっけ?」
「古い話を知っているなあ。でもあそこでは看護婦してただけだよ」
「師匠が私に宛てた手紙の中で書き残していたんですよ。阿比留文字で書かれていたから、解読に時間が掛かって」
「まあお茶目な子だったね。あの子の小さい頃のこと色々暴露しようか?」
「そのあたりはいづれゆっくりと」
「ところで本拠地探訪は?」
「いつでも来て下さい。歓迎されると思いますよ」
「歓迎ってパイが飛んでくるとか」
「食べ物無駄にするのはいけませんね」
「あ、それ同感」
 

葉月と千里はやや深刻な顔をして話し込んでいたので、私は心配して見ていたのだが、やがてふたりとも笑顔になったので、結果的には何か解決したのだろう。少し聞こえてきた会話はこんな感じだった。
 
「意外とバレないもんでしょ?」
「・・・と思っている人は当然何も疑問を感じないし、***と思っている人もうまく偽装してると思っているし」
 
言葉が完全には聞き取れない。偽装って何だろうか?
 
「だったら、あと1年半モラトリウムにするのね?」
「すみません。お手数ですけど、よろしくお願いします」
 
1年半?もしかして彼が高校を卒業するまで、何かを保留にしておくということだろうか?葉月は千里に何を頼んだのだろう?
 

私は話が落ち着いたふうの所で、ふたりの傍に寄った。
 
「葉月(ようげつ)ちゃん、映画の撮影は終わったの?」
「29日で一通り終わりました」
「それは良かった」
「あとは撮影済みのビデオを編集していく過程で、こういうシーンを入れよう、などということになったら、出演者を集めて追加撮影するかもということです」
「去年もそんなことは言いつつほとんど無かったね」
 
「それで今年もアクアさんミニアルバム作ろうかという話が出ていて。たぶんすぐケイ先生にも話が行くと思うのですが」
「まあ山村さんが今どこか空中を飛んでいるしね」
「あの人も凄いエネルギッシュですね。女性であそこまでパワフルな人も珍しいなと思って見てますよ」
 
ん?まさか葉月は山村が女装者だというのに気付いていない??
 

「でも郷愁村って面白いですね。お芝居のセットでしか見たことのなかったブラウン管テレビとか、トースターとか、黒電話とかが、各自の部屋に置いてあって、全部本当に使えるからびっくりです。トースターでパンを焼くと飛び出してくるのって面白いですね」
 
などと言っている。
 
そうか、西湖の世代はブラウン管テレビを見たことがないのか!?と、つい世代間ギャップを感じてしまった。
 
「監督さんがオーナーさんに、ぜひこのトースターとかブラウン管テレビとかを旅館《昭和》の部屋にも置きましょうよと言っていました」
 
「ああ、そういうのを若葉は面白がってやるかも知れない」
 
郷愁村は、2017年末に試掘で温泉が湧出。若葉が人脈を駆使して温泉開発の許可を得(この許可を取るのは本当に難しくできている)、2018年夏に温泉旅館がオープンしている。
 
若葉は結果的には郷愁村の開発が落ち着いた所で、今度は小浜での開発を始めたことになる。実は藍小浜の仲居頭は、若葉が《昭和》から連れてきた人である。
 

この日の夕食兼打上げは、中学生もいるので、20時でお開きになった。この時点では規制退場も完了し、★★クリエイティブのメンバーも打ち上げの席にやってきていた。
 
「お疲れ様でした」
と言って、三田原さんやコスモスがジュースをワイングラスに注いであげていた。
 
中締めの挨拶はコスモスがしてくれたので、私は今日はずっと座っているだけで済んだ。おかげで私が§§ミュージックのオーナーになっていることは政子にバレずに済んでいる・・・はず!
 

私たちはMDC3内で1泊して9月1日に東京に戻ったのだが、東京駅に着くと、その足で、都内の病院にお見舞いに行った。
 
昨日、8月31日に大学時代の友人・北川博美(旧姓南野)が2人目の赤ちゃんを出産したのである。彼女はローズ+リリーが休養中だった頃、影武者ライブに協力してくれていた。南野博美・丸山小春が街頭ライブをしているかのように装い、実は私と政子が観客に紛れて本当に歌っているという方法で政子のリハビリをやっていた。博美がカホン、小春がギターを弾いて演奏していた。
 
博美は2016年10月に結婚し、2017年に1人目を出産。今回2人目ができた。
 

マリが参加する時代劇『立つ!』の撮影は、役者さんのスケジュールの関係で、9月から開始されることになった。原則として第1・第3火曜日が撮影日なのだが、9月だけは毎週火曜日にお願いしますということだった。
 
有名所を結構使っていることもあり、土日は日程が取れない人が多いので平日に行うことになったようである。撮影は、茨城県のワープステーション江戸で朝から夜中まで行われる。日中しか撮れない映像、夜中しか撮れない映像がある。
 
集合は、つくばエクスプレスの、みらい平駅に朝6時、あるいは新宿に朝5時半集合(送迎バスが運行される)または自家用車などで直接行く(許可証が必要)ということであった。帰りはつくばエクスプレスの最終(みらい平23:26-0:12秋葉原)に間に合うようにはするが、間に合わなかったら全員を都内までバスで送るという話である。
 
みらい平に6時までに着くには秋葉原を5:08の列車に乗る必要がある。ふだんお昼くらいまで寝ている政子に、5時秋葉原でも5時半新宿でも集合できる訳もなく、許可を取って車で行かせることにする。お手数ではあるのだが、朝5時に佐良さんに来てもらい、リーフに乗せて送り出すことにしたものの、政子をベッドから駐車場まで連れて行くのが毎回大変だった!
 
佐良さんには現地で待機してもらい、帰りも政子を乗せて帰って来てもらうが、さすがに丸一日稼働すると帰りのリーフの中でも政子はひたすら寝ていたようである。
 
なお、政子が出ている日は、政子のお母さんに来てもらって、あやめのお世話をお願いすることにした。
 
なお、大林亮平は8月いっぱい『ヒカルの碁・棋聖降臨』の撮影をやって、9月からそちらに入る
 
またアクアたちもワープステーション江戸で『ほのぼの奉行所物語』の撮影をしていたが、そちらは7月上旬で終わっている。その後、アクアは郷愁村で『ヒカルの碁』の撮影に入った。
 

ローズ+リリー、KARIONともに、ツアーをやらないかという話もあり、私も一時は乗り気になったのだが、やはりアルバム作りを優先させてもらい、ライブ・ツアーはしない方向にさせてもらった。取り敢えず苗場ロックフェスティバルと横須賀のサマー・ロック・フェスティバルには出場したので、活動しているということは認識してもらえるはずである。
 
KARIONのアルバムを先行して8−9月に制作することにした。ローズ+リリーの制作はどうしても長丁場になるので、KARIONを片付けてから腰を据えてやりたいというのと、9月にマリが時代劇の撮影で毎週火水が使えないと思われたからである。撮影は火曜日だが、丸一日撮影をしたら翌日は丸一日寝ているに決まっている!
 
KARIONのアルバムは7月中に大半の楽曲が揃ったので、苗場が終わった後からスタジオに入って制作を進めた。この作業をしている間(8〜9月)は小風は和泉のマンション、美空は私のマンションに泊まり込むことにした。作業が深夜まで掛かることもあるので、帰宅するのに掛かる時間を節約する。特に小風の場合、遅くなると帰宅出来なくなる場合が多い。
 
しかし・・・美空が泊まり込むということは、凄まじい量の食材が消費されるということであった!
 
うちのマンションではここで御飯を食べていくアーティストもよくいることもあり、毎月30kgの玄米を農家から直送で買っている。私はその農家に電話して当面30kgの袋2個頼めないかと訊いた。
 
「はい。いいですよ。下宿生さんが増えるんですか?」
「あ、そうですね。夏休みもあるので。取り敢えず10月まで」
 
と会話したが、向こうはこちらを下宿屋さんか何かと思っているようだった!!そして、この毎月60kgの米でも足りなくなり、私は間に合わせでスーパーでもお米を買ってくるはめになる!
 
(「いつものお米より美味しくない」と文句を言われた。マリも美空もたくさん食べるくせに、ちゃんと味は分かっているようだ)
 

今回のKARIONのアルバムでは、和泉のコネでM大学のオーケストラの全面協力を得た。それで『星降る朝』のティンパニをはじめ、ストリング・セクションやホーンセクションを含む曲を積極的に入れることができた。
 
元々コーラスなどの世界と親和性のあるKARIONの曲はクラシック・オーケストラとも相性が良い。学生さんたちも、8月は何かバイトをしなきゃと思っていたということで、ちょうど夏休みになる8〜9月の間、毎日いいギャラがもらえるので、バイトには行かず、こちらに専念してくれる人が多かったようである。
 

2019年9月8日(日).
 
政子は朝5時半!?に起きると、徹夜で『十二月』用の楽曲のスコアを書いていた冬子に「ちょっと出かけてくるね。あやめをよろしく」と言う。こんな早朝に政子が起きるなんて何かの間違いでは?と目をゴシゴシしている冬子を置き去りにして、予め呼んでいた佐良さんの運転するリーフに乗って品川駅に向かった。
 
品川発6:00の《のぞみ99号》に乗り、大阪に向かう。新大阪駅で降りるとタクシーでその病院に入った。
 
この階かなぁ〜?と思いながらうろうろしていると、女性看護師さんに声を掛けられる。
 
「何科ですか?」
 
「友人がお産なので。分娩室は何階でしたっけ?」
「B棟の5階ですよ。ここはA棟の5階なので、お手数ですが一度1階まで降りてからB棟という矢印に沿って移動してください」
 
「ありがとうございます!」
 
なるほど〜!A棟とB棟があったのかと政子は思った。
 

それで政子がB棟5階に行くと、廊下を歩いてくる貴昭と遭遇した。
 
「来たの?」
と驚いて彼が言う。
 
「久しぶり」
と言う。彼と顔を合わせるのは紗緒里が産まれた2年前以来である。
 
「赤ちゃんは?」
「さっき産まれた。今新生児室に入っている。露子は自分の病室に戻った」
 
「赤ちゃん見ていい?」
「うん」
 
それで貴昭に連れられて新生児室の前まで行った。
 
「そこの3番目の赤いベビー服着てる子だよ」
「可愛い!」
と言って政子が見ていたら、その子がこちらを見てニコッとした気がした。政子はドキっとする。
 
「名前は?」
「安貴穂(あきほ)。安らかな貴重な稲の穂」
と貴昭は字を説明する。
 
「へー」
それで見ていたが、貴昭は
 
「悪い。会社に呼ばれているから行っていい?」
「あ、ごめん。行って行って」
 

それで貴昭が行った後も、政子は楽しそうに赤ちゃんを見ていた。
 
するとそこに小さな女の子がやってきた。
 
「おばちゃん、どのこ、みてるの?」
「左から3番目の子。左って分かるかな?」
「うん。おはしもつてだよ」
 
えっと、この子は左利きなのかな?
 
「わたしもそのこ、みてるの」
「あれ?だったらあんた、さほりちゃん?」
「うん」
と答えてから、紗緒里は何故かはにかむような表情をした。
 
「おばちゃんもあかちゃんうんだの?」
 
「こないだ産んだよ。今日はおうちでお留守番してるけどね」
と答える。
 
「このこ、わたしのいもうとだけど、かわいいよね」
「ほんとかわいいね。さほりちゃんもかわいいよ」
「えへへ」
「さほりちゃん、あきほちゃんを可愛がってやってね」
「うん。かわいがるよ。ぽぽちゃんでもれんしゅうしたし」
 
「だったら、ぽぽちゃんの妹みたいなものか?」
「あ、そうかも!」
 
「でも、うちのぽぽちゃんは、おちんちんついてるけど、あきほには、おちんちんついてないんだって。だからおしめかえるときすこしちがうかな」
「だいじょうぶだよ。ちんちん有る無しなんてどうでもいいんだよ」
 
「おばちゃんは、おちんちんある?」
「私も持ってないよ。さほりちゃんも無いでしょ?」
「わたしもないの」
「ちんちんなんて、おしっこが出てくる所が変わるだけだからね。おしめ換えるのには大差無いよ」
「だったら、ちゃんとおしめかえてあげられるかな?」
 
「さほりちゃん、偉いね〜。おしめ換えてあげるんだ」
「おとうちゃんから、てつだってあげてねといわれたよ。おかあちゃんからだよわいからって」
「へー。身体、弱いんだ?」
「よくびょういんいってるもん」
「ふーん」
 
政子と紗緒里は5分くらい話していたのだが、やがて携帯にメールが着信する。冬子からである。
 
《あやめが泣きやまないよぉ、どこまで行ってるの?》
 
「うちの赤ちゃんが泣いているって。私帰らなきゃ」
「ママはたいへんだね!」
 
「そうだね。じゃ、またね」
「うん、またね」
 
それで政子は紗緒里と別れ、東京に戻った。政子が戻ってくるまで4時間ほど冬子とあやめの格闘は続いたのであった!
 

9月21日(土).
 
私はその日も『十二月』用の楽曲の整理をしていたのだが、なぜか政子は早朝から起きていた。8時頃、唐突に婚約者の正望が来訪した。
 
「なんか久しぶりだね。今日は時間取れたの?」
「23日までは休み。3日も休めるのは久しぶりだよ」
 
政子が訊いた。
 
「冬、正望さんとデートしたのはいつ以来?」
「えっと・・・いつだっけ?」
 
「椿山荘に行った時以来かな」
と正望が言っている。
 
「それ1年半くらい前じゃん!冬、デートしなよ」
「いや、今忙しくてとてもその段では」
 
「だってせっかく正望さんが休めるんだもん。そうだ!ふたりで旅行してきたら?」
「旅行ってどこに?」
 
「こないだ一緒に行った宮古島とかどう?いい所だったよ」
「冬、宮古島に行って来たの?」
「うん。ちょっとリフレッシュにね」
 
「いいなあ。僕も宮古島行きたい」
 
「じゃ、私が予約してあげるよ」
と言って政子は航空会社のサイトを見ていたが、満席のようである。
 
「明日にする?」
「明日宮古島まで行って、明後日東京に帰ってくるというのは辛い」
 
「確かに。どこか離島無いかなあ」
と言っていたら、妃美貴が言った。
 
「隠岐(おき)とかはどうですか? 一度行ったことあるけど、いい所でしたよ」
 
「隠岐って長崎県だっけ?」
「長崎県のは壱岐(いき)。隠岐(おき)は島根県」
 
「じゃそこ行ってきたら?」
と政子。わりとどこでもいいようである!?
 
「隠岐は風帆伯母もいい所だと行ってたし、まあ行ってきてもいいかな」
「よし。予約してあげるよ」
 
と言って政子は羽田から伊丹空港経由隠岐空港行きの往復を予約してくれた。
 
9/21 羽田10:30(JAL113)11:40 伊丹 13:15(J-Air2331)14:10 隠岐
9/23 隠岐14:45(J-Air2332)15:30伊丹16:30(JAL126)17:40羽田
 
「楽天トラベルで宿も確保したよ」
「宿ってどこに取った?」
「えっとね。かいしちょう、とか言う所の**荘。口コミで料理が美味しいって書いてあった」
 
私は頭を抱えた。
 
「何?まずかった?」
「いや。いいんだけどね」
 
と言って私は説明する。
 
「隠岐(おき)は大雑把に西側の島前(どうぜん)、東側の島後(どうご)に分かれて、島後に隠岐空港や、隠岐支庁がある。まあここが隠岐の主島だよね。それで、島前の方は更に西側の西ノ島・東側の中ノ島、南側の知夫里島という3つの島に分かれている。「海士町」と書いて「あまちょう」と読むんだけど、それは中ノ島の町なんだよ」
 
「つまり?」
「空港に降り立ったら、そこから更にフェリーで移動する必要がある。そのフェリーが1日に2便くらいしかない」
 
「あ、ごめーん」
「いや、どうせ隠岐まで行くなら海士町は見たいと思っていたからそれでいい」
 
そういう訳で私たちの行程はこのようになったのである。
 
9/21 羽田10:30(JAL113)11:40 伊丹 13:15(J-Air2331)14:10 隠岐/西郷18:05(高速船)18:36菱浦
9/23 菱浦12:50(フェリー)14:00西郷/隠岐14:45(J-Air2332)15:30伊丹16:30(JAL126)17:40羽田
 
「かなりハードスケジュールのような気がする」
と正望が言うが
「私も同意!」
と私は言った。
 

時刻はもう8時半である。
 
「佐良さん呼んでいる時間が無いから、私が羽田まで送ります」
と妃美貴が言うので、彼女に送ってもらうことにした。
 
「だったら、妃美貴ちゃん、頼みがある」
「はい?」
 
「私と正望を羽田まで送ったら、その帰り、政子をこの住所まで届けて」
 
政子がその住所のメモを見てドキリとしている。
 
「これは?」
「誰にも内緒だよ。政子の彼氏のうち」
「分かりました!誰にも言いません」
「私が不在中に政子はしばしばトラブルを起こしているから、お世話係が必要だから」
「彼氏さんの所なら安心ですね」
「そうそう」
 
そういう訳で、妃美貴には私と正望を羽田まで送ってもらった後、大林亮平のマンションにデリバーしてもらうことにしたのである。
 

私は慌ただしく旅行バッグを持ち、正望と一緒にリーフの後部座席に乗る。政子は助手席に乗る。それで私たちは9時すぎに羽田空港に到着。無事、伊丹行きに乗り込むことができた。
 
そして政子は妃美貴の車で亮平のマンションの前に配達された。
 
「何かあったら呼んで下さいね」
と妃美貴は言って恵比寿のマンションに戻っていった。
 
政子はため息をつくと、自分の持っている鍵でエントランスを通り、32階まで上がって、自分の持っている鍵で部屋のドアを開けた。亮平はまだベッドで眠っていた。亮平が寝言を言う。
 
「さやかちゃん、可愛いね」
 
政子はカチンと来た。
 
5分ほど腕を組んで考えていたが、やがて服を脱いで裸になると、布団の中に潜り込み、思いっきり
 
かじった!
 
「ぎゃー!!」
 
と物凄い声を出して亮平が目を覚ました。
 
この日亮平が男性を廃業したかどうかは定かではない!?
 

正望と一緒に私は羽田から伊丹に飛び、更に壱岐行きに乗り継いだ。
 
東京から壱岐に行くにはいくつかの方法がある。
 
●東京→伊丹→隠岐(私たちが使ったルート)
 
10:30(JAL113)11:40 伊丹 13:15(J-Air2331)14:10 隠岐
 
●東京→出雲→隠岐
 
羽田18:30-20:00出雲(泊)出雲9:30-10:00隠岐
 
●東京→境港/七類港→隠岐
 
羽田12:30(ANA1087)13:55米子空港14:25(連絡バス)14:52七類港16:50(高速船)17:59西郷/18:36菱浦
 
(フェリーの時刻は季節により大きく変わるので注意:この時刻は2018年夏のもの)
 
要するに、海士町を目指すのであれば、実は12時半の飛行機で米子に飛び、七類(しちるい)港から高速船に乗っても到着するのは同じであった。
 

しかし私たちは島後で4時間も待ち時間が出来たので、その時間に島後の観光をすることにした。観光タクシーに乗って島内を一周する。
 
「夕方6時の海士町方面高速船に乗りたいので、それまでの間に行ける所を見たいのですが」
と伝えたのだが・・・
 
「お客さん、新婚旅行ですか?」
「ええ、まあそれに近いかな」
「だったら、ぜひ日没までいて、ロウソク岩の夕日を見て行って下さいよ」
 
などと言う。
 
「ロウソク岩?」
「こういう岩があるんですよ」
と言って、写真を見せてくれる。
 
「これはすごい」
 
まるでロウソクのような細い岩の上に夕日が落ちていく様である。
 
「今日の日没は?」
「18:06ですよ」
と運転手さんは印刷された表を見て言う。
 
「フェリーの出発時刻と同じかぁ!」
「これ絶対見る価値ありますよ。海士町の宿を予約してるんですか?」
「そうなんですよ。**荘という所に2泊なんですが」
「だったら今夜の分はキャンセルしてこちらで泊まればいいですよ。2泊の内の1泊キャンセルなら文句言いませんよ」
 
「どうする?」
と正望はこちら次第という雰囲気である。
 
私は考えた。このロウソク岩の夕日を見てしまうと、どっちみち島後に泊まるしかなくなる。だから明日見に来るにしても、結局1泊はキャンセルせざるを得ない。
 
それで運転手さんに頼んで、ロウソク岩を見に行く拠点のある福浦港付近の民宿に予約を入れてもらい、そちらが確保できてから、海士町の**荘には予定が変わり、今日そちらに到達できないので、申し訳無いが今日の分をキャンセルし、明日の夜1泊だけにさせて欲しいと連絡。了承してもらった。
 

ロウソク岩の遊覧船に電話で予約を入れてから、島の東側を進む。
 
佐々木家住宅を見てから山道に入り(正望は酔ってる)、展望台からトカゲ岩を見る。トカゲが崖を登っているかのように見える姿に、私たちは思わず歓声をあげた。
 
「トカゲにも見えるけど、チーターかピューマにも見えるね」
「うん。トカゲにしては堂々としすぎ」
 
などと言っていたら、運転手さんが言う。
 
「実は以前はもっとトカゲっぽかったんですが、2000年の鳥取県西部地震で岩が1本落ちちゃったんですよ」
「あらぁ」
 
「それで少し形が変わっちゃったんですよね」
「まあ自然の為すわざは仕方ないですね」
 
私はここに政子がいたら絶対「ちんちん取れちゃって少し形が変わっても仕方ないよね」とか言うなと思った。
 

海岸に出て、浄土ヶ浦を見に行く。
 
「風情のある風景ですね」
と私は言った。
 
「ここの景色は切手になったこともあるんですよ」
と言って、運転手さんはカバンの中のクリアポケットの資料集の中にある切手シートを見せてくれる。
 
《第2次国立公園シリーズ・隠岐浄土ヶ浦 10円切手20枚、1965.1.20発行》
 
というメモが添えられている。
 
「これもしかして貴重なものでは?」
 
「大量に発行されたから、持っている人かなりいるらしいですよ。これはうちの社長のコレクションなんですよ。4シート持っていて、その内の3シートを運転手に持たせているんです」
 

やがて島の北端、白島海岸に到達する(時々誤記されているが“白島”海岸であり、“白鳥”海岸ではない)。ここには白島展望台、白島灯台といったものがある。まずは展望台に行ってみると、眼下に3つの島が見える。
 
「右の長いのが白島(田島)、左の亀みたいな形のが沖ノ島、その手前の小さなのが松島ですよ」
と運転手さんが解説してくれる。
 
「これ流紋岩ですよね。ここ火山島ですか?」
 
「よくご存知ですね!理科系の学生さんですか?隠岐は2つの火山が造った島なんですよ。島前を造った火山と、島後を造った火山。今私たちが居る島後ってきれいな円形の島ですけど、火山の噴出でそういう丸い形の島ができたんですね。島前の方はあらためて地図を見ていただくと分かるんですが、3つの島はカルデラの外輪山なんですよ。元の火口は西ノ島南部の焼火山(たくひやま)ですね」
 
私たちは白島灯台の方も見てから車に戻ったが、運転手さんはカバンの中から隠岐の地図を出して、再度隠岐火山について解説してくれた。言われてみれば確かに島前は美しいカルデラが形成されているのが地図上から分かる。
 

福浦港で確かに私たち2人分の遊覧船の予約が入っているのを確認してから、まだ時間があるので、西海岸にも回ってもらった。
 
油井(ゆい)の池に行く。
 
「きれいな円形の池ですね。昔の火口か何かですか?」
「火口ではとか、隕石の落ちた後ではと言われていたんですけどね。ただの水たまりらしいです」
 
「本当に? だったら物凄い偶然の作用ですね」
 
またもや凄い山道を走って、壇鏡(だんぎょう)の滝に行く(正望は完璧に酔っている)。
 
「立入禁止?」
 
「崖が崩れそうということなんですよ。それで今近づくのが禁止になっています。本当はあそこの神社の所に行くと、滝を裏側から見られるんですけどね」
 
その神社の左右に滝が落ちている。右側が雄滝、左側が雌滝である。
 
「ここは上部の岩石より下部の岩石が柔らかくて、それで下が浸食されやすいので、上の方が出っ張っているんですね。それでこういう滝になるんですよ」
 

山道を戻って那久岬の眺望を見てから、私たちは福浦港に戻った。
 
運転者さんに御礼を言って降りてから、遊覧船に乗り込む。
 
客は私たちを含めてカップル3組だった!!
 
1組はあきらかに新婚さんで、イチャイチャしている。これはせっかくの風景も全く見ていないなという感じ。もう1組は熟年の夫婦で、フルムーンかなぁという感じ。仲よさそうで、自分もこういう雰囲気の夫婦になれたらと思った。
 
その熟年夫婦の男性の方が正望に話しかけてきた。新婚さんがとても見てはいられないので、こちらと少し話そうという感じか。
 
「どちらからですか?」
「東京なんですよ」
「結婚して7-8年くらい?」
「実は婚約しようと約束してから8年で、昨年やっと婚約しました」
「不思議なことしてますね!」
 
向こうはこちらをペーパーレス婚なのだろうと思ったようである。まあそれに近いかもね、という気はする。
 
「そちらはどちらからですか?お言葉が九州っぽい気がしましたが」
と正望が尋ねる。
 
「よく分かりますね。ご存知無いでしょうが、菊池という所なんですよ」
と向こうが言うので
 
「熊本県の菊池ですか?」
と私が訊くとびっくりしていた。
「その菊池なんですよ」
 
「そういえば僕たち高校の修学旅行で菊池温泉に泊まったね」
と正望も思い出したように言う。
 
「どちらのご出身ですか?」
「生まれは岐阜県の高山という所なんですが、東京の高校を出ました。この人とは高校の同級生で修学旅行も一緒だったんですが、長崎・島原・阿蘇・別府というコースで」
 
「それで菊池に泊まったんですか!」
「菊池に別府にと温泉三昧でした」
「そのコースならハウステンボスとかも見ました?」
 
「それがハウステンボスもグリーンランドも城島高原も安心院もハーモニーランドもうみたまごも無しで」
 
「なんて詰まらない!」
 
「遊ぶような所を全然見てないですね」
 

正望が向こうの男性と名刺を交換した。
 
「弁護士さんですか!」
と驚いていた。まあ私の名刺は出さぬが花だろう。向こうの男性の名刺は、
 
《八重製紙・代表取締役 八重龍宮》
 
と書かれていた。社長さんだったのか!
 
「お名前は“たつみ”さんですか?」
と私が言うと
 
「凄いですね。一発で読んでくださったのはあなたがちょうど10人目です」
などと言う。
 
「そうだ。10人目の記念にこれを」
と言って、美しい切り紙の栞を頂いた。
 
「きれいですね!」
「まあ、うちの製品なんですけどね」
「へー!」
 
「でもこの模様は特別なお客様にだけお渡しするもので、これまで30枚も渡してないです」
「それは貴重なものをありがとうございます」
 
私はこの社長と話していて、どこかで似たような雰囲気の人と話したことがあるような気がするなと思ったが、誰だったかは分からなかった。
 

遊覧船は17時すぎ頃に福浦港を出港して、17時半頃、ロウソク岩の傍まで行き、ちょうど太陽がロウソク岩の上に沈む位置で停泊した。2つの遊覧船が隣り合ってその位置にいる。2隻出ていたのかな?と思ったが、そちらは別の海上タクシー会社の船らしい(この船は海上タクシーとして認可を取得している)。
 
私たちはその美しさに見とれていた。正望、そして熟年夫婦は2人とも盛んにカメラのシャッターを押している。
 
そして新婚夫婦は気にせずイチャイチャしていた!!
 
遊覧船は太陽の高度が低くなったら島の北端側の白島まで行き、白島海岸で日没を見た。これも美しかった。
 

その日は福浦港近くの民宿で1泊し、翌日お昼のフェリーで菱浦港に移動した。菱浦に到着する少し前、海上に“三郎岩”が見えて、乗客の間から歓声があがっていた。海岸から300mほども離れた海上に唐突に3つの細長い岩が並んで屹立しているのである。背の高い方から順に太郎・二郎・三郎と呼ばれている。
 
菱浦に着いたら、私たちはすぐに元々予約していた旅館に行った。前夜キャンセルしたことをお詫びしたが、全然大丈夫ですよ、とまだ20代っぽい若女将さんが笑顔で言っていた。直前キャンセルなので私はキャンセル料払いますからと言ったが、1泊はするのだからキャンセル料は不要と言われた。
 
「実はロウソク岩を見ていたらもう便が無くなってしまって」
「ああ、あれは見る価値のあるものです。見れました?」
「ええ」
「天気が悪くて太陽が雲に隠れちゃって、見れない人も多いんですよ」
「そうか。私たち運が良かったんですね!」
 

「中ノ島の観光スポットといったら、どんな所でしたっけ?」
「257mのスコリア丘断崖・明屋の断崖とか、七尋女房岩とか、木路ヶ崎灯台とか、あと後鳥羽上皇の足跡いくつかとか」
「本当はキンニャモニャが見られたら良かったんですけどね」
「あれは毎年、凄い人出ですよ!」
 
キンニャモニャは今年は8月24日に終わってしまっている。
 
「私の親戚が数人、あれを見ているんですよ」
「ああ、ああいうのがお好きな方なんですか?」
「まあ民謡の先生している人が多くて」
「あら、そういう家系?お名前とか訊いていいかしら?」
 
「うちの伯母は若山鶴音というのですが・・・」
「有名人じゃないですか!」
 

うっかり伯母の名前を出してしまったので、その後が大騒ぎになってしまった。
 
この若女将さんのお祖母さんが、キンニャモニャ保存会の中心人物のひとりらしい。それで私はそのお祖母さんの所に引っ張っていかれる。するとお祖母さんは言った。
 
「鶴音さんとは若い頃一晩飲み明かした仲だよ。その姪御さんと会えるとは嬉しい」
と言って、キンニャモニャの伝授が始まってしまった!
 
三味線など持って来ていないが、貸してくれて教えてもらう。
 
「さすが若山流の名取りさん、すぐ覚えちゃうね」
と褒めてくれる。
 
そして私が演奏を教えてもらっている間に、正望は
「あんたは踊りを覚えなさい」
と言われて、しゃもじを2つ持たされ、40代くらいの男性(若女将のお父さんらしい)からキンニャモニャの踊りを習った。
 
これで結局この日の午後は丸ごと潰れた!
 
でも免許皆伝をもらった!!
 

結局旅館の料理をこの家に運び込んできて、お祖母さん、次女夫婦(旅館の若女将の両親)と一緒に夕食を頂くことになる。
 
「美味しい!」
と私は声をあげた。
 
「まあ新鮮な海の幸がたっぷりだからね」
と若女将のお母さんも笑顔で言っていた。
 
結局この夜は22時頃までお祖母さんたちに付き合うことになった!
 
 
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【夏の日の想い出・モラトリウム】(3)