【夏の日の想い出・雪が鳥に変わる】(2)

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2019年7月21日(日)午後、東京新宿文化ホール。
 
第6回ロックギャルコンテスト本選(非公開)が開かれた。
 
全国12ブロックの予選で2位以上の人(特に惜しい人がいる場合は3位まで)が全国大会出場の権利を得たが、その27人の中で、ブロック予選を通過後に家族の反対があったり、親の同意書を偽造していたことがバレたり!、また他のオーディションで合格して辞退した人もあり、合計6人の辞退者が出たが、次点の人で連絡したら参加したいと言った人が4人あり、結局25人で争うことになった。
 
コンテスト本選は、3ステップで行われる。第1ステップでは1人ずつ別室の審査員の前で自己アピールをする。第2ステップでは小ホールに全員水着で集合し、その場で先生が踊ってみせたダンスをするというもの。ここまでの成績で足切りすることはない(建前)。
 
第3ステップが歌唱審査で、過去3年以内に国内で商業的に発売された楽曲の中から3曲を予め届けておき、そのどれかをその場で指定されてロックバンドをバックに歌うというものである。自分が用意した伴奏音源ではなく、生バンドの伴奏で歌わなければならないのが、予選より厳しい所だ。
 
採点はこの歌唱審査が70%(公称)なので、第1ステップや第2ステップで失敗した人も挽回のチャンスがある。
 

私は7月16日までにローズ+リリーのシングル『Atoll-愛の調べ』の制作作業が終わっており、25日には苗場ロックフェスティバルのために新潟県に移動する必要があったが、この日は何とかなったので審査員として参加した。
 
実際問題として審査員長を拝命している!
 
私が§§ミュージックのオーナーになってから最初のロックギャルコンテストである。
 
審査員は、私、コスモス、ゆりこ、立川ピアノ、日野ソナタ、シックスティーンの羽鳥編集長、ロックシンガーの堂本正登、新人漫画家の樋元端午(てっきり女性と思っていたら男子高校生だった!)、作曲家の東郷誠一、の9人の予定だったが、東郷先生が風邪を引いてしまったらしく、代りに醍醐春海を行かせたいがよいか?という連絡があり、私は快諾した。それで醍醐春海つまり千里はコンテスト開始の1時間ほど前にやってきた。髪が短いので1番と判断する。立川ピアノ・日野ソナタ・堂本正登は千里が髪を切ったことを知らなかったようで驚いていた。
 
「へー!自分がなまっていると思ったから鍛え直すために髪を切ったのか。凄い」
と堂本さんは言い
「その覚悟に握手」
と言って握手していた。それで結局、立川さん、日野さんとも握手し、ノリで私も千里と握手した。
 
「握手しなくてもしょっちゅう会っている気がするけど」
「それはそうだけどね」
と千里も笑っていた。
 

オーディション参加者の友人や家族(必ず親権者を含み1人につき最大6人)をホールの座席に待機させたまま、第1ステップの自己アピール審査を始める。これはさすがブロック大会を勝ち抜いてきただけあり、全員甲乙付けがたい成績だった。
 
第2ステップのダンス審査では、けっこう差が付く。このコンテストは歌唱力絶対重視なので、ダンスは必ずしも得意ではないという参加者も多い。しかし実はこれは、よほど酷くない限り、次の歌唱が僅差の場合の優劣付けに使うだけである。
 
そして第3ステップの歌唱審査になる。
 
このコンテストでは有力候補者を“分散”させている。私・コスモス・ゆりこの3人で参加者25人の予選での歌唱をビデオで見た上で、有力なのは北陸で1位と2位になった子、九州1位の子、東京1位の子の4人とみた。それで北陸1位の子を最後の25番、2位の子を14番、九州1位の子を21番、東京1位の子を9番に置いたのである。
 
このコンテストはこの場では優勝者を発表しない。結果は1週間以内に郵便で連絡するという建前である。これは優勝した子が辞退したような場合に備えたもので、コンテスト終了後に、成績上位の子から順に呼び出して契約の話をすることになっている。実は過去に1度だけ優勝したのに辞退した子があった。
 

さて第3ステップの歌唱審査は参加者の家族・友人たちだけが見守る中、進んでいく。トップバッターで出てきたのは、北陸3位の子だが、この子は最も緊張するだろうトップで出てきたにも関わらず、堂々とした歌唱をして、度胸の良さを感じさせた。私は彼女には10点を付けたが、他の審査員もかなり高い点数を付けたようだ。
 
その後は1番の子からはやや見劣りする子が続く。しかし優勝候補のひとり9番の子はさすが凄かった。この時点でこの子が1位、1番の子が2位である。
 
その後、14番で出てきた北陸2位の子が東京の子を上回る歌唱を見せた。この子がこの時点でトップ、9番が2位、1番が3位となる。
 
優勝候補のひとりだった21番の九州の子はどうも生バンドに慣れていなかったようで、いきなり出だしのタイミングを誤り、その後はボロボロになってしまった。才能豊かな子と思っていたので惜しい気がしたが、失敗した後のフォローにやや問題があったようだ。残念ながらこの子は落選である。泣き出してしまったのを、ゆりこが出て行って「また頑張ろうね」と肩を抱いて言ってあげたら「ありがとうございます。また頑張ります」と答えた。
 
そしてとうとう最後の25番の子になる。彼女は予選ではかなり難易度のある曲を歌っているのだが、彼女は本選には比較的易しい曲を3つ挙げていた。それで指定されたのは北里ナナ『ナナの海』である。音域は2オクターブあるものの、スローな曲で、声さえ出れば歌うのにそんなに困難のある曲ではない。最終審査でこういう平易な曲というのは不利ではないかと思ったのだが・・・
 
審査員は全員彼女の歌に魅了されてしまった。物凄く情緒にあふれた歌い方であった。この子、中学2年生ということだけど、この年でこんなに情緒ある歌い方ができるのは末恐ろしいと思った。私は自分の足元を揺るがされるほどの思いであった。
 
むろん私は10点をつけた。
 

歌唱が全員終わったあと、別室で待機させておいた高崎ひろかに1曲歌ってもらってから、オーディションは終了し、参加者・観客ともに退場となる。審査員9人はひろかが歌っている間に、近くの新宿Pホテルに移動して、食事をしながら審議をした。
 
歌唱を聴きながら付けた点数の集計では、1位25番、2位14番、3位9番、4位1番、5位23番である。
 
「この点数のままでいいですかね?」
と私は審査員にはかった。
 
「3位と4位の点差は僅差ですよね。1番の子は最初に出てきて不利な条件の中、あれだけ歌ったのは凄いと思うので、ここは逆でもいい気がします」
と堂本さんが言った。
 
頷いている審査員が多い。
 
「ダンスの成績でも1番の子は良かったね」
「ダンスは1番・21番(九州代表)・23番(東北代表)の3人が特に良かった」
「だったらダンスの成績を加味して入れ替えてもいいかもね」
 
「すると1位25番、2位14番、3位1番、4位9番、5位23番かな」
 
「それでいいと思います」
と多くの人からの声があった。
 
「しかしそうすると北陸の1−3位がそのまま本選の1−3位ですね」
 
「ほんとだ!それは凄い」
「北陸が表彰台を独占かな」
 

それで私たちは1位の子の親御さんの携帯に電話し、Pホテルまで来てもらって契約の話をした。ここに臨席したのは、主催者側では、私とコスモス、ゆりこ、羽鳥編集長、醍醐春海の5人である。
 
契約の際、両親は6月にゆりこが会った時も出てきた懸念点を言ったのだが、それは全く問題ありませんと私は言った。
 
それで彼女はやや不安げな表情だったものの、私が問題無いと断言したことから、笑顔になって私と握手した。ついでにコスモス、ゆりこ、編集長、千里とも握手した。
 
両親はその場で契約書にサインし、彼女のデビューが決まった。
 
私たちは準優勝の子の親御さんの携帯にも電話して来てもらい、彼女に、優勝者と僅差の2位だったので、来春一緒にデビューしないかと勧誘した。ご両親は乗り気だったのだが、本人は自分は1位を目指していたので、2位では嫌だと言い、他のオーディションに出るか、あるいは来年またこのオーディションを受けたいと言った。私たちはそれでは来年待ってますよと言って、私が笑顔で握手して送り出した。来年また受けてくれたら、きっと凄い歌い手に成長しているだろう。
 
3〜5位の子、そして歌唱審査で失敗した九州の子の4人も順次呼び出して、優勝はならなかったものの、研修生になって歌とダンスのレッスンを受け、数年後のデビューを目指さないかと勧誘した。
 
3位の子(北陸3位)は
「月乃は優勝しましたか?」
と尋ねた。
 
「もちろん」
「デビューします?」
「1月から3月の間にデビューさせる方向でこれから調整するよ」
「だったら、彼女は東京の中学に転校しますよね?」
「うん」
 
「それなら私も研修生になって彼女と同じ中学に転校したいです」
「ああ、お友だちだったね。いいよ、それで」
 
レッスンのために東京の学校に転校したいという話に、両親は驚いていたようだが、彼女の意志を尊重した。
 
「だって、月乃は私が付いていないと、危なくて」
「けっこう不安そうな顔してるね。でも芯はかなり強いと見た」
 
「そうなんですよ。あの子、実力あるし、大胆だし、決断は速いのに不安そうな顔をするんです」
 
「ああ、覚悟が足りないタイプだ」
 
「そうなんですよ!」
 
それで落合さんも月乃さんと一緒に東京に出てきて、§§ミュージックの寮に住み、同じ中学に通うということになったのである。
 
4位の東京代表、5位の宮城代表、そして順位としては10位だったものの、明らかに有望な九州代表の3人も研修生になることが決まった。
 

ロックギャルコンテストの本選が行われた21日の夜。私は最後の面談を22時近くに終えると帰宅しようとしたのだが、急に気分が悪くなった。
 
私が座り込んだので、コスモスが寄ってくる。
 
「どうしたの?」
「何か急に気分が悪くなって」
「病院に行こう。私、車を持ってきているから、それで病院まで連れて行くよ」
 
「いや、そこまでしなくても大丈夫だと思う。少し寝てれば治ると思う」
「やはり過労じゃない?あれこれやりすぎだもん。だったらこのホテルに部屋を取って寝てる?」
「そうしようかな」
 
それでコスモスが部屋を取ってくれたので、私はその部屋に入って眠った。やはりコスモスが言ったように疲れが溜まりすぎかなという気もした。
 
朝起きた時にはもう気分の悪いのは治っていた。むしろ自分の身体にエネルギーが満ちてくるような気がした。コスモスがポカリスエットとお茶を置いておいてくれたので、私はポカリを一気飲みした。
 
「爽快!!よし、頑張るぞ!」
と私は声に出して言った。
 

2019年の苗場ロックフェスティバルは7月26-28日(金土日)に行われ、翌日私はコスモスと一緒に福井県小浜市に行き、ミューズシアター・アリーナの引き渡しに出席した。その後私もコスモスも29日は若葉が運営している旅館“藍小浜”に泊まり、30日(火)東京に戻ったのだが、8月3日(土)には横須賀でサマーロックフェスティバルがあるので、私はその週は準備で忙しかった。
 
もっとも準備作業の大半は、鱒渕さん、妃美貴、秩父さんの3人で進めてくれるので以前に比べたら事務的な作業は激減している。スコアの調整も風花と七星さんがしてくれるので楽である。
 
そんな中、あやめのお世話をする以外は暇そうにしていた!政子が言った。
 
「あつーい!どこかで水浴びしたい」
「お風呂でシャワー浴びる?」
「ちがーう!海水浴かプール行きたい」
 
「私忙しいから、ひとりで行ってきてよ。佐良さん呼ぶから」
「冬も一緒に行こうよぉ」
「私忙しいって」
 
「だって、あやめを連れてたら私思いっきり遊べないもん」
「つまり私はあやめのお世話係か?」
 

それで結局ドライバーの佐良さんを呼んで、リーフに乗って出かけたのは、埼玉県熊谷市にオープンしたばかりの“郷愁アクア・リゾート”である。
 
「ここ郷愁村じゃん」
「ここにレジャープールができたんだよ。まだあまり知られていないから人も少ない。今年は穴場だと思う」
 
「おお、若葉も色々やってるね!」
 
現在あるのは、50mプール(一般客は使用禁止)、25mプール(利用には試験!を受けて合格しなければならない)、深さの違う3つのレジャープールと周囲を取り囲む“流れるプール”である。他に噴水が数ヶ所にあり、ナイアガラをイメージして横に長い滝も作られている。
 
若葉はスライダーも作りたかったようだが、安全基準とかが厳しいので今年の夏には間に合わなかった。来年の夏までには作ると言っていた。何しろこのアクアリゾートを思い立ったのが4月というから驚きである。わずか3ヶ月半ほどで完成させてしまった。
 
一応水着は持って行ったのだが(あやめにもおしめ付き乳児用水着を着せる)、入口のところに100年前か?と思うようなレトロな水着が売ってあったので、政子が面白がってそれを買い、私も結局それを着ることになった。
 
政子は赤、私は白である。
 
「いつもの逆のような気がするけど」
「まあ仕事じゃないし」
 
中に入ってみるとこのレトロな水着を着ている人がけっこういる。しかし色も様々だし、描かれている模様にもバリエーションがあるので、あまりダブっている気はしない。私が着ている白い水着はヒマワリとビーチボールの絵が描かれているし、政子の赤い水着にはイルカと女の子の絵が描かれている。模様の種類は売場の係の人によれば100種類以上あるということだった。実はその場で希望の絵柄をプリントするサービスもやっているということだったが、私たちは既製品の中で好みのものを選んだ。
 

「ここ、いつオープンしたの?」
 
いきなり流れるプールに行き、様々な動物の形のビニールボート(空気で膨らませているもの)に乗って水の流れに押されて場内一周しながら政子は訊いた。
 
「7月20日土曜日だよ。若葉もよくやるね〜。計画したのはこの春らしいんだけど、ヤマハのFRP製プールは1ヶ月半の工期があれば作れるから」
 
「3ヶ月で作ったんだ!」
と政子も驚いていた。
 
「オープニングイベントは、信濃町ガールズのパフォーマンスの後、ゲスト歌手としてUFO, スパイス・ミッション、トライン・バブルと歌わせて、そのファンが大量に集まって、大いに盛り上がった」
 
「おぉ!スパイス・ミッションとUFOってライバル同士じゃん」
「どちらもトライン・バブルの“次”を狙っている感じのユニットだよね」
 
「うん。トライン・バブルもうかうかしてられないだろうと思った」
 
「若葉はUFOとスパイス・ミッションとどちらを先にすべきか悩んでさ。信濃町ガールズのパフォーマンスの後で、ステージ上で公開の場で、トライン・バブルの3人に審判をさせて、UFOの3人とスパイス・ミッションの3人でジャンケンをさせたんだよ。その結果、2勝1敗で先にUFOが歌うことになった」
 
「その演出もうまいね。ジャンケンなら恨みっこ無しだね」
「まあ本人たちより、その所属プロダクションを納得させるためのジャンケンだけどね」
「確かに」
 

「だけどここリゾートとして開発するなら、交通がネックだよね」
と政子は言った。
 
「うん。だからここまで何か交通手段を作ることも検討している」
「交通手段というと、運河を引いて船で運ぶとか?」
 
政子はやはり面白いと私は思った。なぜこんな山の中に船で行こうとするのだろう?
 
「面白いかもね。若葉に提案してみて。一応今の所、新交通システムか路面電車という案が有力」
 
「電車を通すんだ!?」
 
「新交通システムなら高架を作らなければいけないから1000億円くらい。路面電車の場合は、その分の道を拡張しないといけないから300億円くらい掛かるらしい。路面電車は新交通システムより安いけど速度を出せないのが難点」
 
「それどっちでも採算取れない気がする」
「まあそれがネックだけど、新交通システムなら、市も1口乗せてくれと言っているらしいから実現するかも」
「すごーい!」
 
「そもそもここを住宅地として開発した時、交通の不便さが問題になって全く売れなかったんだよ。それで若葉はこの付近一帯の土地をわずか100億円で買ったんだけどね」
 
「100億円がわずかなのか・・・」
「若葉の資産は5000億円以上だから」
「すごーい!さすがお金持ち」
 

「若葉の凄い所はそれを親から引き継いだとかではなく自分で稼いだことなんだけどね」
 
「え?嘘!?お父さんからもらったとかじゃないんだ?」
 
「最初に銀行からお金を借りた時は、親というより伯母さんが資産家だからその信用で銀行は貸してくれた。でもすぐにそれは完済して、あとは自分の資産でやっているから」
 
「すごーい!若葉ってそんな凄い実業家だったのか!」
「まあ青年実業家だね」
 
正確には実業家というよりは投資家かも知れない気はする。
 
「女でも青年でいいんだっけ?」
「少年に対しては少女ということばがあるけど、青年に対して青女という言葉は無いと思う」
 
「日本語は不便だ。中国の古典では青女といえば、雪女みたいなのだよね」
「ごめん。知らない!」
と私はその場では言ったが、確かに辞書を引くと載っていた。
 
でも若い女性の意味ではない!
 
「でもそもそも男女を分ける必要無いと思うんだけどね」
「それは賛成」
 
「概して青年実業家というのは、怪しげな人が多いけど、若葉は本物だね」
 

流れるプールを一周した後は、私が日陰ですやすや眠るあやめを抱いている間に、政子はプールでたくさん遊んでいたようだ。25mプール使えないんですか?と訊いたら、試験受けてくださいと言われ、どんな泳法でもいいから25mプールの端から端まで立ち上がらずに泳げたらOKということだった。それできれいに泳ぎ切って、25mプールの入館許可証をもらった。そちらは競泳用水着でないといけないのでそれを購入して着換え、たくさん泳いで来たらしい。
 
ちなみに50mプールは、一般開放していないとスタッフは言ったのだが、政子が食い下がり、自分はオーナーの友人だからとも言うので、結局若葉に照会が行ったようである。すると若葉から直接電話が掛かってきた。
 
「ごめーん、政子。あのプールは開放してないから。見学だけならいいよ」
 
ということで、結局入場できなかったらしい!それで私の所に戻って来て文句を言っていた。
 
「見学してもいいというのなら、見に行こうよ」
「まあそれでもいいか」
 
それで、あやめも連れて3人で見に行った。
 

私たちが50mプールの周囲に作られた仮設?フェンスの途中にある出入口の所まで行き、呼び鈴を鳴らすと、すぐにドアが開いた。若葉から言われてドアの近くまで来ていてくれたのかなと思った。
 
開けてくれたのは知った顔だ。確か・・・
 
「夏嶺さんでしたね。お久しぶりです」
「わぁ、覚えていて下さって感激です。いらっしゃい、政子さん、冬子さん、あやめちゃん」
 
選手たちが練習しているから、あまり声を立てずに観客席の方へと言われて案内される。もっとも観客席は現在建設中(実際今10人ほど作業員が入って作業している)で、一部しか無い。その一部だけできた観客席に私たちは案内された。
 
夏嶺さんは千里と同じ旭川N高校を出た後KL銀行に入社し、そこのバスケットチーム(ジョイフル・ゴールド)の2軍に相当するジョイフル・ダイヤモンドで活動していたのだが、年齢的な問題(彼女は1991年度生まれで、私たちと同学年)もあり、ひしひしと“圧力”を感じ、その圧力を忖度!してこの春に退職したらしい。
 
それで取り敢えず失業保険が出るまでの間何とか暮らせるかなという程度の退職金をもらい、運動もバイトもせずにおやつとゲーム三昧の日々を送っていたという。それが千里と偶然コンビニで遭遇し、仕事してないならプールの管理人やってくれない?と言われてこの50mプールの管理人になったらしい。
 
法令上管理人を置かなければならないということで常駐しているものの、利用者が8人しかおらず暇!だという。それで毎日通勤してきては、ほとんど付属のバスケット練習場(こういうのを作り込むのがさすが千里である)や筋トレ・ルームで汗を流しているので、ジョイフル・ダイヤモンド時代よりレベルがあがったかも、などと言っていた(バスケしてたら監視になってない気がする!)。
 
夏嶺さんの担当は昼の14時から夜22時までで、22-6時の人、6-14時の人と3人交替だが、週2日の休み(夏嶺さんは火水)で有休も規定通りなので、交代要員となるバイトさんが10人以上居るらしい。
 
(なお、8時間の勤務時間の中で1時間は法令で定められた休憩時間となるが、その間は25mプール側の監視員の人が見ていてくれるらしい。向こうは一般客も入れているので、監視員が通常2人以上、特に日中は3人以上いる状態にしているとのこと)
 
朝の担当は夕方から営業する飲食店の従業員さんだが、国体出場経験のある元水泳選手で、端の9レーンで泳いでいいことになっているので、結構自分も泳いでいるらしい。深夜時間帯を担当してくれているのは女子大生でやはり水泳部に所属しているものの、インカレや国体の出場経験は無いらしい。彼女も結構9レーンで泳いでいる。またプール監視しながら勉強ができるのが凄くいいと言っていたという(やはり監視になってない気がする)。彼女は6時で終わると、それから学校に出て行ける。学校が終わってから21時くらいまで仮眠してから出てくる。
 
なお、ここは原則として女子にしかパスを発行しないので、監視員も全員女子で構成しているらしい。水連の基準に従って一応男子トイレ・男子更衣室も設置しているものの、そちらは施錠していて当面使う予定は無いという。それで見学も女性に限っているという。
 
「まあ女装者まではOKということで」
「亮平を女装させて連れて来ようかな」
 
「でも利用者が8人しかいないと、誰も来ない日もあったりしない?」
「あ、それは無いです。千里さんは必ず来ますから」
「へー!」
「千里さん、基礎体力を鍛えるのにいいと言って、日に2回来ることもあるみたいですよ」
「なるほどー」
 
それはきっと3人の千里が、ぶつからないようにだけ気をつけて入れ替わり立ち替わり来ているのでは?と私は思った。
 
「コートを40分間走り回る体力と1500mを水連資格級A程度の速度で泳ぐ体力が同じくらいとか言ってましたよ」
 
「ハードだなぁ!」
 

夜梨子は自宅からバイクで通勤してきているものの、旅館“昭和”の帳場に頼むと、いつでも熊谷駅や小川町駅(八高線)などへ送り迎えしてくれるので、電車通勤の人もいると言っていた。御飯は希望の時間に旅館“昭和”から届けてもらえる。それ以外に自費でピザや丼物・ケーキなどの“おやつ”を注文することもできる。このあたりは勤務中はトイレに行く時以外、現場から離れずに済むように考慮されている。
 
そんな話を聞いていて、若葉は結局、旅館“昭和”をここの《インフラ》として使っているようだと感じた。そうして少しずつ施設拡充させていくつもりなのだろう。
 
ここのプールは利用者の安全性は(水中映像を含む)モニター映像を人工知能に処理させて監視しているし、ハイレベルな人ばかりなので、実際の仕事は入退場の管理と掃除くらいということだった。
 
「夏嶺さんバイクは何?」
「ちっちゃいですよ。もっと大きいの買いたいんですけどね〜。先立つ物が無いし」
「125ccくらい?」
「50です」
「ああ。そういうコンパクトなのもいいよね。車種は?」
「ブルバードM50というのですが」
 
「巨大バイクじゃん!」
 
M50というのは50立方インチ(in3)なので、立方センチ(cm3)に直すと800ccである!
 

この日プールで泳いでいたのは4人の選手である。
 
このプールは今年水泳の日本代表になった青葉と幡山ジャネの2人のために千里が作ってしまったもので、せっかくプール設備を作るならと、若葉が便乗してそのそばに作ってしまったのが、郷愁アクアリゾートらしい。アクアリゾートが使用する水の量はこの50mプールの半分以下である。
 
「誰にも邪魔されずにひたすら泳げる場所が欲しいということで、春先は深川アリーナのサブプールで泳いでいたらしいのですが、水深も浅いし25mなので幡山さんが『50mプール作ったりしない?』と千里さんに言ったら『いいよー』というお返事だったということで。深川アリーナに設置することも考えたらしいんですが、あそこは容積率がギリギリなんですよ。それで若葉さんに電話して『郷愁村にプール1個置かせて』と言ったら若葉さんが『おっけー』ということで」
 
「若葉も千里も返事が良い」
と私は半ば呆れながら言ったが
 
「よく億単位の出費を気軽にOKするなあ」
と政子も呆れているようだ。
 
「取り敢えずプールだけまずは設置して、更衣室とトイレは無いと困るから作って。その後、梅雨に突入するからというので屋根を作って、その後、今観客席を作り込んでいる所です。これが完成したら、壁を作って屋内プールの完成です」
 
と夜梨子は説明する。
 
「面白い建て方するね」
 
「世界選手権に向けての練習場所確保が目的だったので、千里さんとしては夏くらいまでの限定設置でもいいと言っておられたのですが、若葉さんが“ずっと置いておいていいよ”というので、ずっと使える施設に・・・今改造中という感じですね」
 
「なるほど」
 
「バスケットやバレーはチーム・スポーツだから、合宿所に入ってみんなで一緒に練習する時間が絶対的に必要ですけど、陸上とか水泳とかは個人スポーツだから『みんなで仲良く練習しましょう』じゃダメなんですよね。合宿所は限られた練習場所を共用するから、合宿に参加するより、こういう所でひたすら泳いでいた方がいい、と千里さんは言ってました」
 
「それは言えるなあ」
「ふだん、市民プールのような所しか練習場所がない人にとっては合宿所のほうがマシですけど」
「確かに」
 
「だから東京五輪の後は、また若い世代の選手にここを使ってもらおうかという構想もあるみたいですよ」
「ああ、それはいいね」
「普通のプールは採算をとらないといけないから、こういう少人数限定なんて使い方はできませんけどね」
 
「若葉も千里も最初から採算なんて取る気が無いから」
と私は言った。
 
「ご存知のように川上さんも幡山さんも、世界選手権が終わって、今は今週末のワールドカップ東京大会に向けて練習している所なんですよ。その後、幡山さんは10月下旬の短水路日本選手権まで間がありますが、川上さんは全国公・インカレと続いてから短水路選手権ですね」
 
「忙しそうだ」
「卒論書く時間が無いとこぼしていました」
「別にあの子は大学卒業する必要はない気もするけどなあ」
「でもせっかくここまで来ましたからね」
「まあね」
 

4人の選手がひたすら泳いでいるのを見ていたら、政子が何か書きたそうにしていた。夜梨子が察して「どうぞ」とレポート用紙とボールペンを渡してくれた。そこに詩を書き綴っている。私も夜梨子も無言でそれを見ていた。
 
「できた!」
と言って、政子は最後に『泳ぐ人魚たち』と書いた。
 
「マリちゃんも妊娠前の感覚が戻ってきた感じだ」
と私は言った。
 
「そうかな」
と言って政子は照れている。自分でもわりと納得のいくできなのだろう。
 
「冬、これに曲を付けてよ」
「OKOK」
 
「冬子さんもどうぞ」
と言って夜梨子が私に五線紙を渡すのでびっくりする。
 
「こんなのいつも持ってるの?」
「千里さんから今朝電話が掛かってきて、郷愁村に行く途中で五線紙を買っていってと言われたので。たぶんここで渡すためだろうと思いました」
 
「さすが千里!」
 

私がほぼ曲を書きあげたところで
 
「でも人魚って、女の子だけかな?」
などと政子は言う。
 
「男の子もいないと種が維持できないと思うけど」
と私は答える。
 
「・・・ちんちん付いてんの?」
 
「うーん・・・収納式では?クジラやイルカと同じ」
「クジラってちんちんは体内に収納してんの?」
「あんなの普段から出てたら泳ぐのにも邪魔でしょ?サメとかにかじられそうだし」
 
「そうだよね!ちんちんは邪魔だから、美少年はみんな取っちゃえばいいよね?」
 
「美少年がみんな取っちゃったら、次世代に美少年の遺伝子が受け継がれないけど」
「むむむ。それは困るな」
 
夜梨子がそんな話を聞きながら苦笑している。しかし興味津々っぽい。
 
「まあそれでクジラ族のおちんちんは収納式になっていて、オスにもメスと同様の割れ目ちゃんがある。セックスする時はその割れ目ちゃんから、おちんちんが出てくるんだよ」
 
「おお!それは素晴らしい。マジンガーZだ!アクアがどうしても女の子になるのを嫌がったら、そういう手術を受けさせて、見た目は女の子だけど、必要な時だけ割れ目ちゃんからおちんちん出せばいいことにしてあげよう」
 
「誰得なの?それ」
 
政子はしばらく考えていた。
 
「だったら人魚ってセックスは正常位?バックではできないよね?」
「人魚に訊いてみて!」
 
「あときっと男の娘人魚もいるよね?」
「知らん!」
 

4人泳いでいた内の1人が休憩するか帰るかするようで水から上がる。さっきまで“男の人魚”の話をしていたこともあり、政子がゴホッゴホッと咳き込んだ。
 
私は思わず夜梨子に訊いた。
 
「あの人、男に見えるんだけど?」
「日本男子代表の筒石さんですね。このプールは女子専用だから、女子水着を着て、と幡山さんが冗談で言ったら本当に着ちゃったらしくて」
 
「それ本当に冗談なの〜?」
と私は困惑しながら言った。
 
「素直に着た?嫌がったりしなかった?」
と政子が訊くと
 
「嬉しそうに着ていたそうですよ」
と夜梨子は答え、私は頭を抱えた。何か不純な動機を感じる!
 
結局彼は帰るようで、シャワー室の方に行った。女子更衣室に入っていく!
 
「女子更衣室使わせていいの?」
「男子更衣室は閉鎖していますし。彼は紳士ですから、女性を襲ったりはしませんよ」
「まあ日本代表を務めるくらいの人ならね」
「それに幡山さんの彼氏ですし」
「だったら安心だ!」
「つまりこれはデートなのか」
 
「千里さんも、よく細川さんと会って、ひたすらバスケやってるみたいですね」
「あの2人どうなってるんだろう?」
「普通に続いているみたいですよ。昨年2人目の赤ちゃんが生まれたし。きっとあと1年くらいで結婚しますよ」
と夜梨子は言ったが、本当にそうなった。
 

「しかし細川さんの会社は新聞やテレビでも報道されて無茶苦茶叩かれたね」
 
「大変だったみたいですね。新しい社長のもとで、他の運動部は全部廃止になったものの、バスケット部だけは取り敢えず存続しているようですが風前の灯火という気がします。選手に対する住宅補助も打ち切られたから、長年住んだ千里(せんり)のマンションも退去して、今は姫路市の自宅から通勤なさっているらしいですし」
 
「姫路って奥さんの実家か何か?」
「ここだけの話ですが、千里さんが所有していた家があったらしくて。たぶん、千里さん、東京オリンピックが終わったら引退して、そこで細川さんと暮らすつもりだったんじゃないですかね」
 
「あぁ」
 
「その家に奥さんを入れるのは千里さんとしては不快だったかも知れないけど、住宅手当も無くなった中、背に腹は代えられないから、細川さんに頼まれてOKしたんでしょう」
 
「大変そうだ」
 
「それでそこに今細川さんと奥さんと息子さんと3人で暮らしているみたい」
「息子?細川さんの2人目の子供って女の子じゃなかった?」
「あれ?そうでした?私は男の子と聞いた気がしたんですが」
 
「男の娘だったりして」
と政子は言ったが、当たらずしも遠からずだった。
 

やがて、もう1人プールから上がってきた。
 
政子が大喜びしている!
 
静かにして下さいと言われているのに思わず
「アクアちゃーん!」
 
と声を掛けてしまった。競泳用の女子水着をつけた彼女(彼?)は観客席のそばまでやってきた。
 
「おはようございます。マリさん、ケイさん」
「おはよう。なんでここで泳いでるの?」
 
「普通のプールに行くと騒がれて全然練習できないので、ここで練習していたんですよ。千里さんから特例でパスもらったから」
 
「アクアちゃんもここのパス持ってる1人なんだ?」
と政子が嬉しそうに言うと夜梨子が説明する。
 
「本来はスポーツ選手にしか発行しないんですが、アクアさんはノンストップで1500mを23分で泳げるので一応水連の資格級女子の1級レベルに達していて、今彼女も言ったように、普通のプールではみんなに騒がれて、まともに泳げないんですよ。それで便宜をはかったそうです。それに今郷愁村で映画の撮影やっていてアクアさんも含めて、主な俳優さんが“昭和マンション”に泊まり込んでいるから、ここは便利なんですよ」
 
「アクアちゃん1500m泳げるんだ!」
「体重が軽いから」
 
しかし今夜梨子は“女子1級”と言ったが、女子でいいのか??
 
「でも女子水着なんだね」
「ここではこれ着ろと言われたので」
 
「アクアはいつもそのパターンだ」
と私は言う。
 
「学校の水泳の授業でも女子水着?」
「男子水着持って行った日は、その水着を取り上げられて女子水着を渡されました」
 
「ありがち、ありがち」
 

それでアクアも“女子”更衣室に行った。筒石さんがもう出たかどうかは微妙だと思ったが、まあ男同士?なら問題無いだろう。
 
「でもアクアも女子専用プールに入れていいのね?」
と政子が訊くと
 
「アクアさんは見ての通り、間違いなく女の子ですから」
と夜梨子は言う。
 
「だよね〜!」
と政子は言う。
 
「あの子もそろそろ『実はボク女の子でした』とカムアウトさせたほうがいいのでは?と若葉さんは言ってましたよ」
と夜梨子。
 
「確かに男性俳優になるより、女性俳優になった方が、人気はあまり落ちないよね」
などと私も答えた。
 
↓アクアの人気の落ち方予想(丸山アイ説)
 
声変わりが来た→激減
去勢していることを告白→壊滅的
女の子になりたいと告白→10分の1くらいに落ちる
性転換手術を受け性別も女性に変更したと告白→半減程度で済むかも!?
 

ところで埼玉県熊谷市の郷愁村の方はボーリングしたら温泉が出たので、そのお湯を旅館“昭和”では使用しているのだが、福井県小浜市のミューズタウンに作った“藍小浜”の方は、水道水をMuse-3が出す熱で暖めた、単純なお風呂であった。しかし小浜市長が
 
「ここ温泉だったらよかったんですけどね」
と言ったのに対して、千里は
「掘れば冷泉が出ると思う」
と言った。
 
それで若葉は千里にあらためて1度ミューズタウンまで来てもらい、温泉が出そうな場所を探してもらった。すると千里はミューズタウン内をずっと歩き回った結果
 
「ここから出ると思う」
と1ヶ所を指さした。
 
それはミューズバークとミューズタウンの境界線付近で道路から最も離れた場所だった。若葉はそこを試掘させてみた。業者は「若狭湾のこの付近は掘っても出ないですよ」と言っていたが、1500mまで掘ると、豊かな冷泉が湧き出てきたので業者が驚いていた。湯温は18度くらいで25度未満なので“有効成分”が無いと温泉としては認められない(有効成分が無いと、ただの地下水!)。しかし硫黄が1kg中2mg含まれており、基準値を上回るので温泉(冷泉)と認定された。PH 8.5 の弱アルカリ性(PH7が中性)、泉質は含硫黄ナトリウム塩化物泉とされた。若葉は“昭和”で温泉の営業許可を取った経験をもとに、こちらでも手続きを進めた。保健所の人は若葉が埼玉県でも温泉を経営していると聞くと、スムーズに手続きを進めてくれた。
 
(この世界は実績のある人には寛容だが、新規参入者には敷居が無茶苦茶高く、営業許可を取るまで数年かかる場合もある。だいたい営業許可を審議する委員会を原則として年に1度しか開かない自治体もある。若葉は埼玉では伯母のコネを使いまくってこれを突破した)
 
それで年明けくらいには温泉を営業開始できそうな感じということだった。
 

「時代劇スペシャル?」
と私は耳を疑った。
 
「年末の特別番組で6時間の大作です。私もどうかと思ったんですけどね。考えていたら意外に行けるかもと思って」
 
とコスモスは言った。
 
「主演はアクア?」
 
「アクア、高崎ひろか、品川ありさ、トリプル主演です。そして§§ミュージックのオールスター総出演。信濃町ガールズや研修生たちにもたくさん出てもらいます」
 
「へー!でも女の子ばかりでしょ?時代劇で役を割り当てられる?」
「ほぼ全員男装で」
 
「ほほぉ」
 
「お約束通り、アクアは女装で」
 
「あはは。でも何やるの?忠臣蔵?太閤記?」
 
などと言いながら、アクアは秀吉とネネのダブルロールかな?などと考える。
 
「源平の合戦です。静御前がアクア、弁慶が品川ありさ、源頼朝が高崎ひろか、西宮ネオンが北条政子」
 
「もはや男装・女装が目的化している」
「ネオンが『また女役なんですか〜?』と嫌そうな顔をしていました」
「彼もよく女装させられる」
「実はそうなんです」
「まあ美少女になるよね」
 
と言ってから、私は少し考えてから訊いた。
 
「あれ?義経は?」
「秘密です」
 
「そうなの?でもありさの弁慶は凄く期待できそう」
「でしょ?本人は『また男役ですか?』と言っていたけど、今回は女子タレントが軒並み男性役と聞いて、だったらいいかと」
 
「確かにあの子はよく男役をさせられる。まあそれでローズ+リリーのPVにも男装で出てもらったけど」
 
「あれ格好よかったです!」
 

「ほかに佐藤忠信が今井葉月、木曽義仲が白鳥リズム。2人とも男装で」
 
葉月は男装というより本来の性ではないのか?と思ったが、いいことにした。
 
しかしいかにも野性的な木曽義仲を“立っておしっこするの好き”などと堂々と発言しちゃう白鳥リズムというのは適役っぽい。身長こそ低いものの、運動能力では§§ミュージックのタレントの中で随一である。小学校時代は男子サッカー部のエースだったらしい。テレビ番組で、スカイロードの男子5人とフットサル対決・バスケ対決で勝利して、どちらも1人で点を取りまくり
 
「リズムちゃんは男の中の男だ」
とスカイロードの5人に言われて、得意そうにしていた。
 
実はスカイロードの5人 vs ありさ・ネオン・リズム・ルンバ・レイアという構成で最初バスケ対決で信濃町組が大差で勝った(リズムは1人で24点取った)ので翌週フットサルで再戦したもの。この試合でリズムは20分間の試合で5点も入れて「ハットトリックより凄いからホットトリック」などと言われていた。試合はゴールキーパーの品川ありさが好セーブを連発して5−0で勝ち、司会者がスカイロードに「女の子だからといって手加減しなくてもいいのに」と言ったら「手加減なんかしてないですよ。マジですよ」とkomatsu君が怒ったように言っていた。
 
リズムは男子より女子のファンが多く「リズムちゃんのお嫁さんになりたい」というファンレターは珍しくない。本人が通っていた小学校・通っている中学校でも、女生徒からバレンタインをたくさんもらっているらしい。事務所に毎年送られてくるバレンタインのチョコの量はネオンより多い!
 
彼女は握力や背筋力もスポーツ選手並みで、夜道で襲おうとした男の睾丸を握り潰したという伝説があるが、さすがにそれは根も葉もない噂だと本人は言っていた。しかし体力競争番組でスティール缶やリンゴを握り潰してみせた彼女なら、睾丸くらい握り潰せるかもとネットでは書かれている。
 

「そうだ。東雲はるこにも平敦盛(たいらのあつもり)やってもらいます」
 
「似合いそう!!あの子、いかにも儚げに見えるんだもん」
「見かけと中身にギャップがありますよね。サポート役も兼ねて町田朱美が平教経で」
 
「それもまた似合いそう!あの子堂々とした雰囲気あるし。でも教経は敦盛よりよほど出番が多くない?」
 
「エースに汚れ役はさせられませんし」
「確かに!」
「それにあの子、演技力凄いですよ。リズムは本当にいい子を見つけてくれた」
「ああ」
 
(最終的に平教経は西宮ネオンがすることになり(女役でなくて良かった!と喜んでいた)、町田朱美は平知盛に回った。教経以上の汚れ役だが、彼女は「悪役OK。好きです」と言って熱演してくれた)
 

アクアは7月19日に終業式を迎えて夏休みに入ったが、それに先行する7月上旬から映画『ヒカルの碁・棋聖降臨』の撮影に入った。夏休みに入るまでは、主として、アクア(進藤ヒカル・橘中ミナコ2役)、城崎綾香(藤原佐為役)、元原マミ(藤崎あかり役)、それにボディダブルの今井葉月の4人、および数人のおとなの役者さんでできる範囲で撮影をしている。
 
狩衣衣装を着けた城崎綾香を見て元原マミ(21)は
 
「わぁ。美しい。平安衣装って美しいですね」
と言った。
 
「うん。これ格好いいよね」
と綾香も言っている。
 
「十二単(じゅうにひとえ)とかも着けるんですか?」
「いや。私は男役だから」
 
「・・・もしかしてそれ男性の衣装ですか?」
「そうだけど」
 
「・・・ひょっとして佐為って男なんですか?」
「そうなのよ」
 
「原作読んでて、てっきり女性かと思ってた!」
とマミは驚いていた。
 
「うん。私もふつうに女役だと思ってたから、男役だと言われてびっくりした!」
と城崎綾香(24)も言う。
 
ヒカルの碁が連載されていたのは1999-2003年で、まだ綾香が4-8歳の時であり、彼女もこの物語を今回の映画撮影まで知らなかったらしい。マミは綾香より3つ下である。
 
「でも城崎さん、時々男役もなさってますよね?」
「まあ私は実は男だから」
 
マミは一瞬考えてから言った。
 
「そういう冗談、真(ま)に受ける人もいますよ」
 

撮影は、平日は都内のスタジオで撮れる範囲のものを撮り、土日は郷愁村に作ったセットで撮影する。ここには碁会所のセットが2個(内装を変更して多数の碁会所の場面に使用する)、日本棋院まるごとのセット、棋院の近くにあるという想定のファーストフード店のセット(架空のマクテリアというお店)、囲碁大会や囲碁講座などの場面に使用する広間のセットなどが作られている。
 
当初作る予定だった日本棋院囲碁研修センター(プロ試験会場)のセットは“今年は”作らないことになった。来年“ヒカルの碁・プロ試験編”を制作することになったので研修センターも来年建てることになった。
 
なお極めて無意味に、スクール水着を着た橘中ミナコがイライラをぶつけるためにプールでひたすら泳ぐシーンがあったが(無論女子水着姿のアクアを映すのが目的)、そのシーンは郷愁アクアリゾートの25mプールを使って撮影した。アクアは「この後、男子水着姿のヒカルが泳ぐシーンも撮るから」と言われて渋々女子水着で泳ぐのを承知したのだが、実際には男子水着姿は「ごめん。その場面カットになった」と言われて撮影されず「そんなぁ!」と言っていた。
 
完璧に詐欺である。
 
(アクアの男子水着姿は、ほぼ需要が無い!)
 

ヒカルの祖父・進藤平八役では紅川会長が特別出演しているが、紅川さんにとってアクアは本当に孫のようなものだろう。ちなみに紅川さんは囲碁二段の免状を持っている。アクアの方が強いので平八とヒカルの対局シーンは囲碁初心者の葉月が打っている。最初に撮影した対局はマジで勝負にならないというより“囲碁にならない”状態だったので、2人の最初の対局にピッタリということで本編に収録されることになった。
 
学校での場面は夏休みに入ってから『狙われた学園』なども撮影した埼玉県加須市の廃校で1週間掛けて集中的に撮影した。
 
碁会所の客、囲碁大会の参加者、などは一般の人からエキストラを募集して撮影している。募集はまともにやると大量に希望者が出て収拾が付かないので、熊谷駅構内に貼り紙!をして先着100名に達した所で、貼り紙は剥がしてしまった。実際には貼り紙が貼られていたのは、ほんの1時間ほどである。
 
その他に日本棋院熊谷支部からの紹介で、市内幾つかの学校の囲碁部の生徒たちにも参加してもらったので、彼らが打つ所がしっかりしていて、とてもいい雰囲気になった。
 

さてアクアが映画撮影をしている間は、アクアの楽曲面の事実上の統括者である和泉も時間が取れるので、この間に私たちはKARIONのアルバムの制作を進めた。
 
作業はトラベリング・ベルズを中心に追加伴奏者も多数入れて、例年通り、渋谷のKスタジオで進めていく。気分転換も兼ねて大田区の小ホール(たまたま空いていた)でオーケストラの人と一緒に収録したものもある。
 
各楽曲をだいたい2〜3日練って1日掛けて録音する感じで進め、様々なイベントで中断しながらも9月中旬には完成、10月16日(水)に発売することができた。私たちは★★レコードの社内がまだ大混乱しているさなか、この時点で臨時にKARIONを担当してくれていた、今里さんと一緒に発売記者会見をした。今里さんはこの夏のサマフェスにもKARION担当として同行してくれたが、結局彼女はUFOという女子中生3人組の新人ユニットを担当することになり、KARIONは“出戻り組”の鷲尾海帆さんが担当してくれることになる。
 
なお、KARIONのツアーという話もあったのだが、和泉は9月以降はまたアクアの作業で忙しくなり、私はローズ+リリーの作業で忙しいので、今年はKARIONのツアーは無しということになった。
 
KARIONの活動が停滞すると、美空はゴールデンシックスの方に行っているのだが、結果的に小風が暇になり!、暇そうにしていると親が見合いの話などを持ってくるので、しばしば私のマンションにやってきて、風花から雑用を色々頼まれて便利に使われていた!
 
この状態は11月に鷲尾さんが正式にKARION担当になるまで続いた。
 

その日、私がマンションで『十二月』のスコアの調整をしていたら、ドアホンが鳴る。見るとゴールデンシックスのカノン・リノンに美空なのでエントランスを開ける。部屋の中に入ってきたカノンはいきなり言った。
 
「私たちはローズ+リリーに挑戦するぞ」
「え?そうなの?」
 
このネタは2014年春のローズ+リリーのツアーで随分やったものである。ライブの後半冒頭にローズ+リリーより先にステージに出てきてアピールし、私たちが出て行くと、カラオケ対決をして、もしゴールデンシックスが勝てば、ライブの後半で歌うのはローズ+リリーではなくゴールデンシックス、という趣旨だが、むろん私たちの全勝だった。
 
ももクロのライブ上の演出にヒントを得て実施したものだが、これを発案した氷川さんはゴールデンシックスに「勝つ気でやれ」と唆し、彼女たちが本当にマジなので、こちらは結構必死だった。
 
「私たちとカラオケ対決しろ。それで勝ったら12月のローズ+リリーのツアーはローズ+リリーではなくゴールデンシックスが歌う」
とカノン(花野子)は言った。
 
「何それ〜〜〜?」
「対決するの怖い?」
とリノン(梨乃)が挑発的に言うので
 
「分かった、分かった。対決するよ」
と私は答えた。
 
「私、審査員ね」
と美空は楽しそうに言った。
 

部屋の隅で編曲作業をしていた風花が寄ってきて言った。
 
「そういう話は営業が絡むので、鱒渕さんを呼んで下さい」
と言う。
 
「分かった。★★レコードの人も呼んだ方がいいかな?」
「お忙しいでしょうけど、氷川課長を呼びましょう」
「分かった」
 
それで鱒渕さんは20分ほど、氷川さんも40分ほどで来た。
 
鱒渕さんは
「勝負するのはいいんじゃないですか?ゴールデンシックスは確か2月にツアーやる予定でしたよね?」
と言う。
 
「よく知ってるね〜」
 
「だったら、万が一ローズ+リリーが負けたら、ゴールデンシックスとツアーを交換するというのではどうでしょう?」
と鱒渕さんは提案する。
 
「私たちはそれでもいい」
とカノンが言う。
 
氷川さんは難しい顔をしていたが、やがて言う。
「ケイちゃん、負けないよね?」
「はい」
 
「だったら、やってみよう」
と氷川さんも言った。
 

「ルールはケイ、カノン、マリ、リノン、の順に歌ってマリとケイの合計点、リノンとカノンの合計点で勝負。曲は今年発売された曲の中から自分の好きな曲で」
と“審査員”の美空は言う。
 
「まあいいか」
と私は答えたが、マリの歌唱力にやや不安を感じた。
 
美空が自分のスマホからカラオケ採点アプリを起動する。それで最初に私が歌うことになった。
 
3月に出したローズ+リリーのシングル『天使の歌声』から表題曲を美空のスマホで演奏されるカラオケに合わせて歌った。
 
点数は99点である。
 
うーん。どこが悪かったんだろう?完璧に歌ったつもりだったのに!
 
次はカノンの番である。
 
彼女はゴールデンシックスが今年出したCDの曲『ボクはモップガール』を歌った。ひたすら体育館のモップ掛けをする、補欠部員の意気込みを歌った、元気になる歌である。今は補欠だけど、来年はレギュラーになって、再来年はエースだ!と元気に歌い上げている。
 
点数は98点だった。
 
「悔しい〜。100点狙っていたのに」
とカノンは言うが、確かに今のは100点でもおかしくない歌唱だった。
 
「今のところ1点差。次はマリ」
と美空が言う。
 
マリはちょっと不安げな顔をして『恋愛自動販売機』を歌った。私とカノンの点数が僅差なので、ほぼマリとリノンの勝負になる。物凄く緊張している。もっとも、そんなプレッシャーに負けるようなマリではない。
 
採点は94点だった。
 
この曲はケイ名義の曲だが、実は青葉と千里3!がやっている松本花子システムが生み出した曲であることを既に私は知っている。高校時代の私が書いたようなシンプルな和音の曲なので歌いやすい。ハイスコアが狙いやすい曲だった。
 
マリがひじょうに良い点数を出したので、私はホッとした。マリもホッとしている。しかし後はリノンの出来次第だ。
 
リノンはゴールデンシックスの曲『ケーキ食べ放題』を歌った。私は思わず目を瞑った。物凄くできがいいのである。きっと凄い練習をしてきたのではないかと思った。負けたかも?負けちゃったらどうしよう?と私は必死で頭を回転させる。
 
点数は100点だった。
 
「すごーい!」
と本人が驚いている。カノンも、そして鱒渕さんも驚いていた。
 
私は天を仰いだ。
 

「ケイ+マリは193点、カノン+リノンは198点。ゴールデンシックスの勝ち。よって12月のツアーはゴールデンシックスが取ります」
と美空が判定をくだす。
 
「ごめーん」 とマリが謝るが私は言った。
 
「いやマリは充分頑張った。でもリノンが凄すぎた。今回は完敗。また鍛え治すよ」
 
鱒渕さんは厳しい顔をしていたが、氷川さんは目を瞑り、両手で頭を数回打ってから言った。
 
「こうなった以上仕方ない。ローズ+リリーのツアー日程発表は明日の予定だったから、すぐに電話してゴールデンシックスに差し替える」
 
「分かりました」
 
それで氷川さんはその場でぴあ・e+・ローソンチケットに電話を入れてすぐに変更依頼を出すから、もしデータ提出が間に合わなくても、ローズ+リリーのツアー発表は停めてくれと言った。また広告代理店にも電話して、明日までにデータを差し替えると連絡した。風花は妃美貴に電話して、ファンクラブ向けのメルマガから、ツアー日程の記事を削除してくれるよう言った。このメルマガは今夜発送する予定だった。
 
カノンが言う。
 
「氷川課長、私たちはローズ+リリーに勝つ気で、ホームページの公開用データ、ぴあ・e+・ローソンチケットへの納品データ、広告代理店に渡すCF全部、作ってますよ」
 
「あんたたち、本気で勝つ気で頑張ったね!褒めてあげるよ」
と氷川さんは初めて笑顔になって言った。
 
そういう訳でローズ+リリーのツアーは12月ではなく来年2月になってしまったのであった!
 
「もし変更が間に合わなかったら、ケイとマリがカノンとリノンに変身したということで」
 
「それはさすがに無理がある」
と言って私は苦笑した。
 
 
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【夏の日の想い出・雪が鳥に変わる】(2)