【夏の日の想い出・愛と別れの日々】(上)

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「私が運転して行くから寝てるといいよ」
と言われて、亮平は
「そうかい?じゃ頼もうかな」
と言って、自分の愛車マツダRX-9の助手席で目をつぶった。
 
「着いたよ」
という声で目を覚ますと、放送局の駐車場である。
「ありがとう」
 
亮平は政子にキスをして一緒に降りる。ただ一緒にいるところをあまり人には見られたくないので、先に政子が手を振って帰っていき、その後、放送局の通用門から中に入った。
 
入館証を見た守衛さんが一瞬変な顔をしたが、何だろう?と思いながら中に入る。
 
売店でコーヒーを買っていたら、ちょうど近くに居た俳優・高橋和繁が
「わっ、もしかして大林さんですか?」
などと言うので
「え?そうだけど、俺どうかした?」
と答える。
 
「いや、その何というか、路線変更なさったんですか?」
「別に変わってないと思うけど、なんで?」
 
そんなことを言いながらレジを済ませ、一緒に売店の外に出る。
 
「鏡、見られました?」
と高橋が訊く。
「へ?」
と言って亮平はバッグから手鏡を取り出して顔を見た瞬間
 
「ぎゃっ!」
と声を挙げた。
 
その時、大林を見たカメラを持った芸能記者が飛んでくると、いきなりフラッシュを焚いて大林を撮影した。ついでに高橋も並んでいる所を撮られたので、その日の芸能ニュースには、写真入りでこんな記事が載った。
 
《大林亮平が性転換!?高橋和繁と熱愛中?》
 

2019年2月3日、政子は女の子を出産した。
 
政子は前年6月3日に体外受精によりこの子を受精させて妊娠したので、予定日は2月24日だったのだが、少し早く出てきた。政子は妊娠が成功してすぐの頃から、この子が女の子であることを確信し《あやめ》という名前を付けていた。
 
父親が誰かというのは公表しなかったので、世間では随分あれこれ憶測をしていたようだが、それを知っていたのは、体外受精をしてくれたお医者さん以外では、私と青葉くらいであったろう。
 
(千里が巫女の力を取り戻したのは2019年3月)
 
世間で噂されていた《父親候補》の中で、昨年春に交際していた俳優のNさんは『僕は関係無いと思うんだけど、念のため』などと言って、出産祝いを持ってきてくれた。実際政子はNさんと1度だけホテルに行ったものの、裸で抱き合って、まだ入れる前に唐突に政子が詩を書き始めてしまったので、結局1度も実際のセックスはしないままで終わったらしい。
 
もうひとり父親候補と噂された上島先生は『身に覚えは無いけど、愛弟子の出産のお祝いに』と言って、奥さんの春風アルトさんと連名で出産祝いに加えてベビー服やベビーシートなどをプレゼントしてくれた。アルトさん自身もこの時期妊娠中で、3月に生まれたのでこちらも私と政子の連名で出産祝いを贈った。(これは上島先生とアルトさんの間に結婚11年目にして初めて産まれた子供である)
 
政子の妊娠出産に伴う休業期間は2018年10月から2019年7月と設定されていたので、2019年8月にはローズ+リリーの全国アリーナツアーを行った。ちなみに私はこの月、KARIONの1年半ぶりの全国ツアーも同時にやっており、いくつかの地区では、同じ会場でお昼すぎからKARIONのライブ、夕方からローズ+リリーのライブなどとやったケースもあった。(2時間ほどでKARIONのセットを片付けてローズ+リリーのセットを組み立てないといけないので、大変だったようである)
 
私が春以来の絶不調から抜けて、やっと作曲活動も再開したというのを聞き、◇◇テレビの響原部長が同局で秋から始まるドラマ『立つ!』の主題歌の作成を依頼してきた。私たちは著作権をこちらに留保できるという条件なら書くと返事し、部長も局の会議に諮ってそれを了承したので、著作権の1%だけを◇◇テレビ系列の音楽出版社が持つ条件で『朝焼け』という曲を書いた。
 
歌も歌ってくれということだったので、8月中旬にツアーの合間を縫って録音が行われた。この録音をした時に演出家さんが政子を見て、
 
「君、千代姫のイメージにぴったり。千代姫役でドラマにも出ない?」
と熱心に口説いた。
 
政子はこういうのはあまり好きではなかったものの、演出家さんが本当に乗せ上手だったので、
「やってもいいかなあ」
と言い、ドラマにも半年間出演することになった。
 

ドラマは徳川三代将軍家光が亡くなり、若き家綱が後継将軍になり、それまでの幕府の方針を転換していわゆる《文治政治》を始める時期を描いたもので、由井正雪の変がそのクライマックスとなっている。
 
4月20日 家光死去
7月23日 丸橋忠弥捕縛。26日由井正雪自刃 30日金井半兵衛自害
8月10日 丸橋忠弥磔刑。
8月18日 将軍宣下
 
当時家綱は11歳(今の年齢の言い方で言うと9歳)だったのだが、このドラマでは17歳であったことにして、アイドルの前田智士が演じている。千代姫は家綱の姉で本当は当時15歳であったがドラマでは25歳ということにして政子が演じる。大林亮平が千代姫の夫で尾張徳川家の徳川光義(史実通り27歳)を演じており、政子が演じる千代姫と大林が演じる光義が協力して、まだ若い家綱をサポートし、高橋和繁が演じる光義のライバル・紀州徳川家の徳川光貞(25歳)や頭の硬い幕閣たちに対抗していくというのが、物語のプロットであった。
 
私はサービス精神皆無の政子にそんな大役が務まるのか不安だったのだが、政子は本を読むとき、その中の登場人物になりきって没入するタイプである。それでこのドラマでも、完璧に役にはまりこみ、結構な熱演をしたようだ。家に帰ってきても千代姫調に
 
「わらわはお腹が空いた」
「おやつを持て」
「寝るぞよ」
 
などとやっていた。
 
そしてこのドラマでの共演をきっかけに、政子と大林亮平は現実にも恋人として交際するようになったのである。
 
政子はドラマの中でキスした時に
「この人は私の運命の人かも」
と思ったなどと、私の前でおのろけを言っていた。私は少し嫉妬しながらも、政子の言葉を微笑ましく聞いていた。
 

ドラマは比較的好調であった。
 
丸橋忠弥役に、性別非公開の俳優・丸山アイを起用したのがドラマに妖しげな雰囲気を添えており、アイの忠弥は老若男女様々な姿に変装して、あちこちの大名屋敷や豪商の館に入って行っては密談をする。
 
「アイちゃん、本当は男なの?女なの?」
と政子は本人に直接訊いたらしいが
「秘密」
としか言われなかったらしい。アイは男声では男にしか聞こえない話し方をするし女声ではやはり女にしか聞こえない話し方をする。雰囲気もガラリと変わる。アイって男女ふたり居るのではと思いたくなるほどである。
 
この番組は、夏の間野球中継が行われる時間帯のドラマなので3月で終了というのは決まっているのだが、来期もまた大林・高橋の徳川光義・光貞をメインにしてドラマを制作するかもなどという話もあったようである。ただ政子がドラマをやっていると、音楽活動の方に影響が出ることもあり、響原さんと町添さんの話し合いにより、来期は政子は出演しない方針であった。
 

1月。政子は妊娠した。
 
「亮平さんの子供?」
と私が訊くと
「もちろん」
と言って、何だか嬉しそうにしていた。既に番組の収録はほぼ完了しており、撮影には影響ないと本人は言っていた。
 
2月、政子は自宅の敷地内に小さな離れを建て始めた。
「そこで亮平さんと暮らすの?」
「オフの時はね」
 
「マーサの自宅に置いてる私の荷物は引き上げようか?」
「冬とは母屋の方でHして、リョーちゃんとは離れでHする。妻妾同居かな」
「なんかそれ言葉の使い方が違う気がするけど」
 
以前ならボーイフレンドを作りながらも私とのセックスも続けていた政子が、大林さんとの交際開始以来、私をセックスに誘わなくなったので、かなり本気なんだろうなと私は思っていた。
 
「結婚するの?」
「式には何人くらい呼ぼうかなあ。私が考えても漏れそうだから、冬、悪いけど招待する人のリスト作ってくれない?」
「いいよ」
 

このドラマの最終話は2月下旬に撮影が終了した。
 
3月3日、政子の実家で、豪華なひな人形の段飾りを前に、あやめにお乳をあげながら(この時期、政子は新たな妊娠によってお乳は停まっているので、あやめにおっぱいをあげていたのは私だけである)楽曲のアレンジ作業をしながら、晩御飯を作っている政子のお母さんと話していた私は、玄関のドアが開く音を聞いた。
 
「お帰り」
と声を掛けたのだが、政子は疲れたような顔をして入って来て、居間のソファに座った。
 
「亮平さんとデートしてたんでしょ? 遅くなるかと思ったのに」
「別れちゃった」
 
「なんで?」
「うーん。ドラマが終わったら、私の気持ちも冷めちゃったというか」
「そんな。亮平さんすごくいい人なのに」
「冬が付き合ってもいいよ」
「私は既に彼氏がいるから充分」
 
「あんた妊娠してんじゃないの?」
とお母さんが言うが
「赤ちゃんは産むよ。それは産んでいいと言ってくれた。養育費も払うと言われたけどそれは断った」
「なんで?くれるというのはもらっておけばいいじゃん」
とお母さん。
「いつまでも関わりを続けたくないもん。別れたらそれで終わり」
「あんたドライだもんねー」
とお母さんは半ば呆れている感じだった。
 

政子はこの大林亮平の子供を2020年10月18日に出産した。男の子で大輝と名付ける。
 
「私、女の子2人育てたかったんだけどなあ。この子、性転換しちゃったらダメかなあ」
と政子が言う。
「親が勝手に性転換しちゃいけないよ。本人が成長してからそれを望むなら応援してあげるけどさ」
と私は答える。
 
「じゃ、本人が望むようになるように、女の子の服を着せて育てようかな」
「やめときなよー」
 
「じゃこの輝子と命名した出生届は没にして、大輝の方で出生届け出すか」
「男の子で女名前にしちゃ可哀想だよ」
 
大林さんは政子と大輝を病院まで見舞いに来てくれて。1歳半になるあやめとも何だか仲良くしていた。政子は要らないと言ったのだが、実際この出産に伴う病院の費用は、政子のお母さんと大林さんとの話し合いで、大林さんが全部支払ってくれた。
 
「認知は拒否されてるからしないけど、僕の遺伝子を受け継ぐ子供だもん。もし良かったら時々でも会わせてくれないかな」
「うーん。まあ会うくらいはいいよ」
と政子もそれは受け入れた。
 
大林さんはそれから毎月政子に養育費を送ってくるようになる。政子は要らないと言ったのだが
「これは僕が自分の息子である大輝に送るもの」
と大林さんが言ったので、政子は私に頼んで「唐本大輝」名義の銀行口座を作り、大林さんはそこに毎月けっこうな金額を振り込んできた。むろん政子はこの中身に一切手を付けなかったので、この子が高校大学に進学する頃にはかなりの金額になっているだろう。
 
(あやめ・大輝は昔の約束に基づき、出生して間もなく私が養子にしているので、ふたりとも唐本の苗字である。政子は中田のままなので苗字の違う母子であり、そのため不都合が起きる場合もあるので、母子対象の集まりに、私は随分母親としてふたりを連れて出席している)
 

大輝の父親についても、それが誰かは公開していないし、知っている人は少数である。政子と亮平の交際も、○○プロが睨みを利かせていたので一切報道されていない。
 
なお、この妊娠出産の影響で政子は再び2020年5月から2021年2月までライブ活動を休んだ。そして休業明けの3月、政子はまた新しいボーイフレンドを作った。
 
ロック歌手の百道大輔であった。
 
ロックファンの間ではむしろ彼の兄の百道良輔の方が評価は高い。ただ良輔は音楽もぶっとんでいるが生活もぶっ飛んでいて、若い頃は随分週刊誌を騒がすスキャンダルを連発していた。それも数年前に覚醒剤で捕まって以来、なりを潜めているし、レコード会社からも契約を切られてしまったので自主制作で音源を発表しているが、gSongsなどでのダウンロード数は結構あり、おかげで彼も何とか音楽で食べていけているようだ。
 
しかし黒い噂は常にあるので放送局などは彼を絶対番組には出演させないし、音楽のランキングを集計している会社も彼の作品は集計対象から外している。
 
これに対して弟の百道大輔は品行方正で、高校時代には生徒会長を務め、大学でも卒業式の総代になるなど、いつも《良い子》であった。音楽も耳なじみの良い、ポップスに近い曲を発表している。テレビの画面に登場する時もライブでもだいたいスーツを着てネクタイをしていいるし、髪も七三に分けていていて、ちょっと見にはふつうのサラリーマンである。
 
私は政子のこの交際に反対した。
 
「冬、嫉妬してるの?」
「嫉妬はマーサがボーイフレンド作る度にしてるけど、今まで私がマーサの交際に反対したりしたことなかったでしょ?」
「うん」
 
「彼はちょっとやばいと思う。深みにはまらない内にやめなよ」
「私は大輔のこと好きだから付き合う」
 
そう言って政子は私の反対を押し切って大輔との交際を継続した。
 

2021年11月、政子は3度目の妊娠をした。
 
「大輔さんの子供?」
と私は尋ねたのだが政子は言葉を濁した。
 
「どうなんだろう。私もよく分からないのよね」
「マーサ、他の男の人とも付き合ってたんだっけ?」
「私は二股してないよ」
「じゃ、大輔さんの子供じゃないの?」
「彼はそう思ってるみたいなんだけどねー」
 
私は政子の真意を測りかねた。
 
しかし政子はこの妊娠をきっかけに、大輔との結婚を考え始めたようにも見えた。大輔には前妻の青島リンナとの間に夏絵という女の子(当時3歳)がいて、ふたりが離婚した後、リンナがすぐに俳優の高橋俊郎さんと結婚したため、夏絵は大輔が引き取って育てていた。とはいっても実質的に育てていたのは大輔のお母さんである。なおリンナは高橋の子供・敦子をこの年5月に産んでいる(敦子は夏絵の異父妹ということになる)。
 
政子はしばしば夏絵を自宅に連れてきて、あやめとも遊ばせていた。一緒に遊園地に行ったりもしていた。夏絵は政子になついたし、あやめとも意気投合した感じであった。夏絵が2018年8月生まれ、あやめが2019年2月生まれで同学年。この3歳の女の子連合に1歳の大輝が完璧に圧倒されていたようであったが、私や政子のお母さんもてんてこ舞いとなる。
 

そして政子は2022年8月3日、女の子を出産。かえでと名前を付けた。くしくも夏絵と同じ誕生日であった(4つ違い)。
 
「夏絵ちゃんの妹だよ」
と私が夏絵に言ってあげると嬉しそうな顔で赤ちゃんを見ていた。
 
「わたし、2人もいもうと、できちゃった」
「敦子ちゃんもいるもんね」
「でもあつこには、なかなかあえないのよね。かえでとはいつでもあえる?」
「もちろん。毎日見に来てもいいよ」
「うん」
 
それで実際、夏絵がうちを訪問する頻度は上がり、政子や大輔が連れてこられない時でも、お祖母さん(大輔の母)に連れられて、こちらにやってきていた。
 
「かえでって、あつこのいもうとにもなるの?」
「うーん。それは妹じゃないのよね」
「なんだかむずかしいね」
 
敦子から見ると、かえでは、異父姉である夏絵の異母妹なので、血縁的に無関係である。しかし「妹と似たようなもの」と言ってあげたので、敦子にも見せてあげたいと言い、私がリンナの家に行って敦子を預かり、政子の家に連れてきて夏絵と一緒に、かえでを《鑑賞》したりもしていた。
 
あやめが3歳半・大輝が1歳9ヶ月で、夏絵もよく来ているし、政子の家はなかなか賑やかなことになった。でも政子は母親の自覚があまり無いようで、お乳もあげない!ので授乳はもっぱら私がしていたし、御飯を作るのも私か政子のお母さんで、政子はのんびりと詩を書いたり、ヴァイオリンやピアノを弾いたりして過ごしていた。
 
「冬子さん、まるでうちのお嫁さんみたい」
と政子のお母さんから言われる。
 
「私、それでもいいですよー。政子さんの奥さんということで」
 

「だけど、最近大輔さん、うちにあまり来ないね」
と夕食時にお母さんが言う。11月頃のことであった。
 
「アルバムの制作に入ったみたいなので、スタジオにずっと詰めていて時間が取れないんだと思いますよ」
と私は答えておく。
 
大輔は、かえでが生まれた時は物凄い喜びようで病院にも毎日来ていたし、退院してからも、かなり入り浸りになっていて、一時期はこの実家の離れが事実上、政子と大輔との新居という感じになっていた。
 
(ただしかえでは私が母屋のほうで育てている)
 
「あの子、大輔さんと結婚するのよね?」
「だと思いますよ。それで私もかえでは私の養子にはせずにそのままにしているんですよ。でも結婚するのなら、かえでを認知してもらっても良かったと思うんですけどねー。なんで認知を拒否したんでしょうね」
 
「大輔さんの子供なんでしょ?」
とお母さんは訊く。
 
「本人は曖昧な言い方してますけど、妊娠した時に他に付き合っていた男性が居たわけでもないから、そうだと思うんですけどねー。でも大輝の時も亮平さんの認知を拒否したし」
 
「認知してもらえばいいのに。あの子の考えは私にもさっぱり分からない」
「私も分かりません!」
 

そして2022年12月24日のことであった。
 
「大輔さん、いらっしゃらないわね」
とお母さんが言う。
 
その日はクリスマスイブなので、大輔も家に来て、政子の両親、政子と私、あやめ・大輝・かえで・夏絵の4人と、合計9人でミニ・クリスマスパーティーをすることになっていた。
 
大輔は8時頃来るということだったので、待っていたのだが9時を過ぎても大輔は来なかった。あやめたちが我慢しきれないので、いったんクリスマスケーキを切って、あやめ・夏絵・大輝に食べさせ、一息付いたところで3人を寝せる。
 
ここの母屋には2階に両親の寝室と六畳と四畳半の部屋がある。この時期には子供たちは六畳の部屋で寝せて、だいたい政子の母か私が添い寝していることが多かった。この日も政子の母が3人を寝かせつけた上で10時半頃、居間に戻ってきた。かえでも既に寝ている。
 
「メール送るけど返事無い」
と政子が言う。
 
結局11時を過ぎたところで、私が
「取り敢えず先に始めてましょう」
と言って、シャンパンを抜き、4人で乾杯してケーキやチキン、ローストビーフなどを食べながら歓談する。それで12時過ぎに両親にも休んでもらった。
 

私と政子は徹夜態勢で、ずっとふたりでおしゃべりしながら大輔を待っていた。
 
「大輔、なんかにハマっちゃったのかなあ」
と政子。
 
「途中で中断できないような作業をしてるんだよ」
と私は答える。
 
楽曲の制作をしていると、そういうのは割とよくあることである。どうかすると数日不眠不休で作業を続けて、やっとひとつの曲が完成することもある。途中で食事などにも出られないので、スタッフの人に買って来てもらったり出前を取ったりすることもある。
 
そして2022年12月25日の午前4時過ぎ、車が停まる音がして玄関でベルが鳴る。
 
「やっと来たみたいね」
と私はホッとして言った。政子は嬉しそうな顔をして玄関へ飛んで行く。
 
私はてっきり政子が大輔といっしょに入ってくるものと思っていた。ところがどうも様子がおかしい。
 
「どうしたの?」
と言って私も玄関の所に出て行く。
 
玄関の所に立っていたのは大輔ではなく、背広姿の男性2人であった。そして政子が私に抱きつく。
 
「大輔が・・・・」
と言ったまま政子は泣き出してしまった。
 
「どうしたんです?」
私は男性2人に尋ねた。
 
「新宿署の者ですが、百道大輔さんと良輔さんが亡くなられたので少しお話を聞きたいと思いまして」
と男性は警察手帳の身分証明書欄を見せて私に言った。
 

それから数ヶ月は大変であった。
 
百道良輔・大輔のふたりは薬物の大量摂取によるショック死ということであった。1時頃に良輔のガールフレンドが良輔の自宅マンションを訪ねてきて、2人が倒れているのを発見し、119番通報をした。救急車で運ばれたものの、医師はふたりの死亡を確認する。死後半日程度経っており死亡推定時刻は24日の午後2時か3時頃ということであった。明らかに薬物中毒とみられたので警察に通報が行き、病院に駆けつけてきた母親や、通報したガールフレンドからも事情聴取をした。それで大輔が政子と交際中であったことも母親から聞いて、警察がこちらにやってきたということだったようである。お母さんはずっと警察の聴取を受けていたため、政子に連絡ができなかったのである。
 
薬物事件ということで、良輔のガールフレンドも政子も薬物検査を受けさせられた。ついでに私まで検査されたし、前妻のリンナも検査を受けた。むろん私と政子にリンナも陰性であったが、良輔のガールフレンドは陽性で即逮捕された。
 
関係者の証言からふたりが常日頃から薬物を使用していたことが明らかになった。
 
政子は全然気付かなかった!と言っていたが、前妻のリンナが「政子のことを考えて、今、薬は我慢している」と大輔が言っていたという証言をしたので、政子の言葉を警察も信用してくれた。リンナ自身は大輔が薬を使っていたことを知っていたことで犯人隠匿罪が疑われ任意で取り調べを受けたものの、検察は通報しなかっただけでは「隠匿」不成立と判断し不起訴とした。ただしリンナは社会的な責任を取るといい、向こう半年間の音楽活動自粛を発表した。
 
結局、良輔のガールフレンドをはじめ数人の友人(全員逮捕済み)の証言から、大輔はしばらく薬をしていなかったものの、今回のアルバム制作中に兄から誘われてまた薬をやってしまったということが推測された。
 
良輔が持っていたメモから、薬物を買っていた芸能人やスポーツ選手が大量にリストアップされ、合計100人以上が事情聴取と薬物検査を受け、多数の逮捕者を出す騒ぎになる。百道良輔は薬物の売人をしていたのであった。テレビ番組やドラマに出演している人も多く、撮影済みのビデオが使えない事態が多発する。出演者が歯抜けになって多くの番組が打切りに追い込まれることになった。主力選手が逮捕されて戦力ががた落ちになった球団などもあった。良輔の過去の交際相手まで調べられたので、元恋人であったUTPの須藤さんまで取り調べを受けたようである。
 
「私、良輔と別れたの、もう30年も前なのに」
と須藤さんは文句を言っていた。
 
「みっちゃんが良輔さんと付き合ってたなんて全然知らなかった」
「まだ私も若かったからね。なんかああいうのに憧れちゃったんだよ」
「男性と同棲していたことあるって言ってたのが良輔さん?」
「そうそう。まあ若気の至りだよ」
 
事務所でそんな話をしていたら、若手アーティストのツアーに帯同していたマネージャーの英子ちゃんが入って来る。
 
「お疲れ様〜」
「精算したいんですけど、(桜川)管理部長は?」
「あ、今日はお休みなのよ。私が精算するね」
と言って、須藤さんが自分でツアーの精算の処理をしてあげた。
 
「1万円足りない」
「すみませーん。給料から引いといてください」
 
と言って英子ちゃんは恐縮している。ツアーに帯同していると、どうしても使いたくない所でお金を使う必要が出てくる。基本的にそういうのは出すなと言っているのだが、その場の雰囲気で出してしまう場合もある。かくして一般にツアーに帯同しているマネージャーにしても、レコード会社や現地イベント会社の担当者にしても、出張精算が赤になってしまうことがよくあるのである。
 
厳密にいうと使い込みなのだが、仕事の上での営業的な観点からやむを得ないものとして、実際には最終的にボーナスで調整してあげているのが現状である。
 
「でも管理部長は風邪か何かですか?」
「うん。熱があるとかでここ一週間ほど休んでいるんだよ」
 

「マリさんは大丈夫ですか?」
と英子は政子を気遣って言った。
 
「最初の数日はまるで死んだようにしていた。最近やっと自分で動ける状態になってきたよ」
と私は答える。
 
「お葬式はどうしたんですか?」
と英子。
 
「何せ良輔と関わりのあった人が軒並み逮捕されて塀の中だからさ、良輔の彼女も拘置中だし。誰も仕切れる人がいないから、仕方ないから私が仕切って内輪だけの葬式をしてあげたよ」
と須藤さんは言う。
 
須藤さんが事実上の葬儀委員長になり、悠子に受け付けに立たせて親戚やごく少数の大輔の友人だけ出席して、葬儀は行われた(良輔の友人はほぼ塀の中)。喪主はお母さんだが、お母さんはショックで呆然としていた。良輔も近い内に例のガールフレンドと結婚するつもりだったらしく、お母さんとしては息子2人が結婚して幸せな生活をするのを夢見ていたのが、一転しての悲劇で本当にショックが大きすぎたようであった。
 
けっこうな子煩悩であった父親が死んで夏絵が泣きはらしているのを政子は抱きしめていたが、その政子も魂が抜けたようにボーっとしていた。結局、大輔の前妻・青島リンナが状況を見かねて、あれこれ動いてくれたので、須藤さん・私・リンナの3人で葬儀を運用するような感じになった。
 
「私、お腹空いたー」
と夏絵が言うのに、政子もボーっとしていて何もしてくれない。私も忙しくて手が回らないなあと思っていたら、悠子が
 
「夏絵ちゃん、むこうにおにぎりがあったよ。うちの美季が食べているから、一緒に食べていて。何なら美季と遊んでいるといいよ」
などと声を掛けて、手を引いて連れて行った。
 
「みきちゃんとさっきいっしょにかけっこしたら、しかられた」
「うん。遊ぶのはいいけど、駆けっこはやめとこうね」
 
悠子はなぜか自分の娘・美季を連れて来ていたのである。美季は2018年生まれで夏絵と同い年だ。悠子は美季を産んでまもなく離婚してしまったのだが、通夜にも葬式の日にも「面倒を見てくれる人がいなかったので」と言って、美季を連れて来ていた。私は須藤さんが悠子を助手に連れてくるのなら、美季は窓香か誰かにでも預けさせればいいのにと思ったのだが、実際には夏絵も同い年の女の子が居て、結構元気付けられていたようであった。
 
桜川悠子が実は須藤さんと百道良輔の間の娘であったこと、つまり夏絵の従姉でもあったことを私が知ったのは、それから7年も後のことであった。だから美季は夏絵の従姪でもあったのだ。
 

政子は魂が抜けたかのようにしていた。
 
私はそれで敢えてかえでの世話を政子に押しつけた。
 
「ごめんねー。お母ちゃん頑張るね」
と言って、政子もかろうじて自分が母親であったことを思い出し、子供の世話をしていた。
 
「夏絵ちゃん、どうするの?」
と政子のお母さんが訊く。
 
「私の養女にする」
と政子が言った。
 
実際葬式が終わった後、夏絵はずっとこちらの家に泊まっていた。
 
「着替えとかおもちゃとかも、冬、車に積んでこちらに持って来てよ」
「いいけど」
 
「お母さん、今とても孫の世話ができる状態じゃないのよ。私もあまり頻繁には行けないから、ずっと昼間ヘルパーさんに入ってもらっている」
と政子。
 
「ボケちゃったの?」
と政子のお母さんが訊く。
 
「72歳なんだどね。まだボケる年ではないと思うんだけど。でも今はヘルパーさんに来てもらうので助かっているみたい。食事作る気力も、お風呂沸かす気力も出ないなんて本人は言ってた」
 
「自分でそう言えるなら、まだ大丈夫だね」
「うん、私もそう思う」
 
「でも夏絵ちゃん、お母さんの所には渡さなくていいの?」
とお母さん。
「リンナは、悪いけどそちらで世話頼むと言っていた」
と私。
「大輔のお母さんが、夏絵本人に、自分が世話できなくなったら、リンナさんのところに行きたいか私の所に行きたいかって訊いたらしい。そしたら夏絵は私のところに来たいと言ったから」
と政子。
 
「お葬式の時も、夏絵ちゃん、リンナさんの顔見ても知らんぷりしてた」
と私は言う。
 
「実は夏絵ちゃん、私の前でお母さんのこと嫌いってハッキリ言ったんだよ」
と政子。
 
「母親をそんなに嫌うって何があったんだろうね」
とお母さん。
 
「夏絵は言わないけど、たぶん虐待されてたんじゃないかな」
「育児ノイローゼかもね。あの時期、リンナさんの作品何だかおかしかったよ」
と私は言う。
 
「お母さんは、四十九日(2月10日)が終わったら、四国のお遍路に行くと言ってた」
「それもいいかも知れないね」
 

良輔・大輔の兄弟は莫大な借金も残していた。
 
「私、大輔の借金の保証人になってあげてたんだよ」
と政子が言う。
「ふーん。いくら?」
「5ほど」
「500万も?」
「じゃなくて5000万」
「うっそー!」
 
借入先にはけっこう怪しげな業者もあったので、政子は私と、弁護士である私の婚約者・正望とともにそれらの業者を訪れ、支払いを済ませた。中には法外な利子を付けていた所もあったが、正望の弁護士バッヂを見ると素直に法定利息で計算し直した金額を提示した。
 
「正望さん、ありがとう」
「こういう時こそ弁護士の出番だよ。変なこと言ってくる奴がいたらすぐ連絡して。内容証明送りつけたらたいてい黙るし」
と正望は言ってくれた。
 
保証かぶりで苦労したのは、リンナもであった。大輔と結婚していた間に2000万の保証人になっていた。彼女は自分ではとても返せないので、夫が銀行からお金を借りてリンナに貸してくれて、それで精算をした。結局リンナはそのあと数年掛けて夫に借金を返したようである。
 
しかしどうにもならなかったのがお母さんだ。お母さんは数億円の返済を迫られることになり、正望や大輔のレコード会社などからの助言もあって破産を選択した。金額が巨大でもあったことから、その手続きに時間がかかり、お母さんが四国のお遍路に行くことができたのは、一周忌も過ぎた後の2024年の春であった。
 
「でも私、破産の処理を進める中で、だいぶ我を取り戻したよ」
などとお母さんは言っていた。
 
破産に伴い自宅も手放したので、お母さんは政子が自分の名義で借りてあげた横浜市内のアパートに住むようになった。生活費は年金で何とかなっているようで、時々夏絵やかえでの顔を見に来る生活である。
 

政子は大輔が亡くなった後、とても詩が書ける精神状態ではなくなっていた。政子がこんなに落ち込んでいるのを見たのは初めてであった。
 
しかし政子は大輔の四十九日(2023年2月10日)が終わり、納骨も済ませた後、私に言った。
 
「私、そろそろ復活しなくちゃ」
「そうだね。そろそろ復活してもいいかもね」
と私も言う。
 
「私、また宮古島に行きたいな」
「ああ、いいね」
 
以前宮古島に行った時にお世話になった、元§§プロ社長の紅川さんに連絡したところ「いつでもおいで。好きなだけ居ていいよ」と言うので、お伺いすることにした。
 
「子供はどうするの?」
「もちろん4人とも連れて行くよ」
「そのお世話、誰がするのさ?」
「冬だけで手が回らないなら、誰か連れて行こう」
 
「萌依(私の姉)に声掛けてみようか?」
と顔を出していたうちの母が言ったものの
 
「萌依さん、料理できないし。それにあそこも子供が4人居て倍増する」
と政子。
 
確かに姉は料理が不得意で、あそこの家の御飯はだいたい夫の小山内和義さんが作っているようである。
 
「そうだ。千里に頼もう」
「確かに千里は料理が得意だけど、あそこも子供4人居るじゃん!」
「料理作れる人が2人いれば何とかなるよ」
 

それで私たちは2023年2月下旬、総勢12人で宮古島を訪れたのである。
12人の法的な苗字は実にバラバラであった。
 
中田政子・唐本冬子
 唐本あやめ(4)・唐本大輝(2)・中田かえで(0)・百道夏絵(4)
 (夏絵と政子の養子縁組、私とかえでの養子縁組はいづれも大輔の百ヶ日 法要(4月2日)後に行う予定である)
 
高園桃香・細川千里
 高園早月(5)・川島由美(4)・篠田京平(7)・細川緩菜(4)
 
 
4歳児が4人いるが、誕生日は夏絵(8.03),緩菜(8.23),由美(1.4),あやめ(2.3)の順序である。
 
「おお、可愛い女の子がたくさん来たね」
と紅川さんは笑顔で私たちを歓迎してくれた。
 
「ぼくは男の子だよ」
と京平が主張する。
 
「お、元気そうだね、君。小学1年生?」
「うん。こんど2年生になるよ」
 
「あ、この子も男の子です」
と政子が手を引いている大輝を示す。
 
「その子可愛いね。女の子にしてしまいたいくらい」
と紅川さん。
「ああ、お姉ちゃんたち(あやめ・夏絵)に唆されて時々スカート穿いてるみたい」
と政子。
 
「スカートならぼくもはくよ」
と京平。
 
「まあ、男の子がスカート穿いても別に構わないよね」
と紅川さん。
 

取り敢えずその日は紅川さんの娘さんの子供(8歳の哲夫・6歳の美優・2歳の葉月)も交えて、焼肉大パーティーをしたが、子供たちはハイキングにでも来たかのような大騒ぎであった。
 
京平と哲夫はアニメの話で意気投合していたし、美優と早月も仲良くしていた。4人の4歳児が破壊力が凄くて、茶碗を割って千里に叱られていた。千里は自分の子供ではない、あやめ・夏絵もしっかり叱る。
 
食事の後は私と千里が後片付けをし、桃香と政子が子供たちを寝かせつけていた。
 
「3年前に来た時はあやめちゃん1人だけだったから、随分増えたね」
と紅川さんが地元産の泡盛を飲みながら言う。千里も私もお酒は飲まないのでコーヒーを飲んでいる。桃香が戻ってくれば泡盛は飲むと思うが、戻ってこないので、おそらく子供を寝かせつけたまま自分も眠ってしまったのだろう。
 
「社長の所もお孫さん1人増えましたね」
「うんうん。まあここまでだろうけどね」
 
「こちらはあの後、マリが大輝とかえでを産んで、夏絵もついてきたし」
と私は言う。
 
「君たち親子関係が複雑みたいだね」
「マリが産んだ3人は全員父親が違うんですよ。夏絵はマリが結婚しようと思っていた男性の前の奥さんとの子供です」
 
「あれ大騒ぎだったね」
「逮捕者はまだ出るのではという説もあります」
「警察も芋づる式にずいぶんつかまえているみたいだし」
「今テレビの番組がガタガタの状態ですけど、4月からの新番組の企画も作れないと響原さんが悲鳴をあげてましたよ」
 
「ああ、大変だろうな。僕は東京に居なくてよかったよ。だけどこれで芸能界の薬物汚染が一掃されたら、雨降って地固まるかもね、とこないだ兼岩さんとも話したんだよ」
 
「紅川さんのところは誰も引っかかってないですね」
「うん。でも運が良かったというレベルだな」
 
○○プロやζζプロに$$アーツ、##プロに卍卍プロなどの大手プロダクションにも軒並み逮捕者が出て、担当マネージャーが謹慎、社長が減給などという騒ぎになっていた。紅川さんは一応∞∞プロの副会長の肩書きを持っていて∞∞プロ内の旧§§プロ系アーティストの統括責任者ということにはなっているが、実際の運営にはほとんどタッチしていない。
 

「鴨乃清見さんとも、久しぶりだね」
と紅川さんは言う。
 
「はい、ご無沙汰しておりました」
と千里。
 
「千里、紅川さんと会ったことあったんだ?」
と私は訊く。
「春風アルトさんの結婚式で会ったし、アルトさんが失踪騒ぎを起こした時も会ってるしね。その後も何度か」
と千里。
 
「春風アルトさんと知り合いなの!?」
「まあ、ちょっとした縁でね」
 
「私と千里ってさ、よく話すようになったのは青葉との絡みで2011年からだけど、それ以前から随分ニアミスしてるよね」
「まあ、私と冬を両天秤に掛けていた、エロい大先生がいるせいもある」
 
「なるほどねー」
 
「もっとも才能にしても売れてる度合いに関しても私は冬の足下にも及ばないけどね」
と千里は笑っている。
 
「でも鴨乃さんはゴーストライトが多いからなあ」
と紅川さん。
 
「それは内密に」
 
「ケイちゃんとこの子供も苗字が3種類だけど、鴨乃さんとこは、4人とも苗字が違うんだね」
「桃香がひとりで産んだ子、私が前夫との間に作った子、今の夫が前の前の奥さんとの間に作って、いったんその人が引き取っていた子、そして夫と前の奥さんとの間の子です」
 
「ややこしいね!」
「桃香もよく分からんと言っています」
 
「でもあの緩菜ちゃんって、男の娘でしょ?」
と紅川さん。
「よく分かりますね」
と千里。
 
「前の奥さんの趣味で女の子の服を着せて育てられていたみたいですが、本人も男の子の服を着たがらないので、そのまま女の子の服を着せて育ててます。4月から幼稚園にやりますけど、女の子の制服を着せることで幼稚園側とも話が付いています」
 
「本人も女の子になりたいのかね?」
「どうでしょうね。男の子になりたいと思ったら男の子に戻るだろうし本人が10歳くらいになるまでに選べばいいと思います」
 
「それでいいかもね。で女の子になりたいと言ったら、女の子にしてあげるの?」
「取り敢えず女性ホルモンを投与しておいて、高校生くらいで性転換させればいいのではないかと」
 
「最近は10代で性転換しちゃう子、結構いるよね」
「私やケイがその先駆けでしょうけどね」
「あれ?鴨乃さんも性転換してるんだっけ?」
「ケイより後ですけどね。ケイは高校1年で性転換したみたいですけど、私は高校2年の時なので」
「ちょっと待って。私が性転換したのは大学2年の時だよ」
と私は言うが
「今更そういう嘘はやめときなよ」
と千里は言う。
 
「でも私、性転換した時、自分は子供は作れないんだなと思ったのに子供が4人もできて凄く幸せです」
と千里は更に言う。
「それは私も同じだよ」
と私も言った。
 
紅川さんは納得するように頷いていた。
 

「義理の子供だけでなく、遺伝子的にも子供なんでしょ?」
「紅川社長の前だから言っちゃいますけど、あやめの父親は実は私です。私が去勢する前の精液を政子がこっそり保存していて、それを使って体外受精で妊娠したらしいんですよ」
と私。
 
「あやめちゃんだけじゃなくて、かえでちゃんもだよね?」
と千里。
 
「いや、かえでは百道さんの子供だよ。だから夏絵の妹」
「あれ?そうだっけ? あやめちゃんとかえでちゃんって波動が似てるから同じ父親かと思った」
「それはさすがに勘違い。私の精液は1個しか存在しなかったみたいだから」
 
と言いつつ、私は高校時代に若葉に協力してもらって保存した精液は4本あったんだけどねと思い起こしていた。私の精液はあの当時でも精子の密度が低かったので濃縮した上で、半分に分割できる容器に保存した。つまり8回分であった。
 
政子は大学1年の時に私から搾り取って保存しておいた精液であやめを妊娠したと思っているが、実際にはその精液にはほとんど精子が含まれていなかったという。その後ひじょうに複雑な経緯があったのだが、結果的にあやめは高校1年の時の精液で出来た子のはずだ。あの精液の残りはもう処分してもいいかなあ、などと私は考えた。
 
「鴨乃さんとこも難しいことしたみたいね、雨宮君から聞いたけど」
「あの人、何でもしゃべってるなあ」
と千里は苦笑している。
 
「私も去勢前に冷凍保存した精液があったんで、早月はそれを使って人工授精で桃香が妊娠したものです。由美は前夫の子供なのですが、体外授精に代理母さんまで使っていますし、私の娘にするためにとんでもない法的なテクニックを使っています。京平はケイのあやめちゃんと同様の体外受精。緩菜は実は妊娠の経緯が不明なんですよ」
 
「不明?」
「緩菜の母親はセックスしないまま妊娠しちゃったらしくて」
「そんなことあるんだっけ?」
 
「彼が勃起しないまま割れ目ちゃんにはさんで遊んでいたらしいんですよね。でもいわゆる我慢汁の中にも精子は含まれているので、それが膣口から進入して、膣と子宮の中を泳ぎきって、卵子に出会って受精したのではないかと」
「それは大冒険だね。映画にしたいくらい」
と紅川さん。
 
「産んだ母親はその時期、他の男性とは決して性行為はしていないと言うので、それで妊娠したとしか考えられないんですけどね」
と千里。
 
「DNA鑑定はしたんだっけ?」
と私は尋ねる。
「してない。しなくても私の子供ということでいいと思うから」
と千里。
 
「まあ育てる人が母親ということでいいよね」
「うん。そう思っている。それに緩菜って自分の子供の頃見ているみたいでさ」
 
「つまり、千里って小さい頃から女の子してたんだ?」
「冬もでしょ?」
 
思わぬ指摘をされて私は咳き込んでしまった。
 

「でもケイちゃんと鴨乃さんって、何だか家族関係が似てるよね」
と紅川さんは指摘する。
 
「どちらも子供が4人で、生まれた経緯が複雑で」
「どちらもレスビアンだけど、そちらのマリちゃんにしてもうちの桃香にしても浮気性」
「言えてる!」
「私もケイも長年の男性の恋人と結婚したし」
「私はまだ結婚してないよ」
「実質的には結婚してるんでしょ?」
「うん。まあ確かに籍を入れてないだけという感じではある」
 
「君たちって実質妻妾同居状態だよね。鴨乃さんもケイちゃんも男の夫と女の夫を持っている」
 
「それ実はマリも言ってました」
「私と桃香の関係では桃香が男役。ケイちゃんとこもマリちゃんが男役でしょ?」
「うん、まあどちらかというとそうかな」
 
「ただマリちゃんって他では男の恋人ばかり作るみたいね」
「うん。マリはレスビアンは私とだけでいいと言うんだよね。桃香は女の恋人しか作らないみたいね」
「うん。桃香は男嫌いなんだよ。若葉と似てるよ」
「なるほどー」
 
「若葉ってもしかして山吹若葉君?ムーラン社長の?」
と紅川さんが訊く。
 
「ええ、そうです」
「あの人もシングルマザーで3人の子持ちだよね。父親非公開で。ケイちゃんや和泉ちゃんの同級生だったんでしょ?」
 
「ええ、私と中学の時の同級、和泉とは高校の時の同級なんです」
 
と言いつつ、若葉の件については正直あまり突っ込まれたくない問題がある。
 
「子供の名前が凄いよね。冬葉(かずは)・若竹(なおたけ)・政葉(ゆきは)」
と千里が指摘する。
 
「まあ、名前が読めないよね」
「いや、そういう問題じゃなくて、ケイとマリの本名が入っている」
 
「その問題はしばしば古い友人から突っ込まれる。まあ別に名前には著作権無いけどさ」
 
「政葉ちゃんって、冬の子供でしょ?」
「それ、秘密にしといてよ」
 
若葉の子供たちの父親が誰か全員を知っているのは私と和実くらいかなと私は思う。長女の冬葉の父親は、私や若葉の中学時代の陸上部の同輩・野村治孝。長男の若竹の父親は和実の高校時代の同級生・紺野吉博。そして次女の政葉の父親は私である。高校時代に冷凍保存していた精液は私と若葉の共有物だったので、私があやめを作るのに1本使い、若葉が政葉を作るのに1本使ったのであった。
 
野村君は若葉の3人の子供たちの父親役をしてあげていて、3人の誕生日にはバースデイカードを送っているし、自分の息子(芳数)も連れ遊園地に一緒に行ってあげたこともあるらしい。野村君の奥さん・貞子は冬葉が野村君の子供であることも承知であるし、若葉が仕事の都合で子供たちの面倒を見てあげられない時に手伝いに行ってあげたりもしているようである。人工授精で作ったのなら構わないよと貞子は言っていたが、実は若葉と野村君は1度だけセックスしているらしい。冬葉は後に女子マラソン選手として活躍した後、若葉の伯母が作った商社の後継社長に就任する。マラソン選手としての経歴が彼女のビジネスにも有利に働いたようである。
 
紺野君は大学卒業後、ドイツの自動車メーカーの日本支店に就職したのだが、現在ドイツ本社に行ってしまっている。紺野君は東日本大震災で婚約者を失っていて結婚はしないつもりらしい。結果的に紺野君の子供は若竹だけになってしまうのかも知れない。竹の字は実は紺野君の亡き彼女の名前から取ったものである。若竹は父とは全く交渉が無かったし自分の父親が誰かも知らなかったのだが、後に偶然にも父親が勤める自動車メーカーのデザイナーとなり、21世紀後半を代表する車のデザインを手がける。
 
物凄く将来、野村君の息子・芳数と政葉が結婚して詠子という娘が生まれる(2043生。冬葉は芳数の異母姉だが、芳数と政葉には血縁関係は無い)。詠子は祖父である私の血を引いたのか音楽の才能があり、音楽大学に進学して高校の音楽の先生になる。その詠子の子供が、やまと(2067生)である。
 
一方かえでの娘・つばめ(2047生)の娘がキララ(2067生)で、やまととキララは奇しくも同じ高校に入り、(ハトコであることは知らないまま)意気投合して一緒に曲作りをするようになる。2090年代から2100年代に掛けてそのふたりは日本のポピュラー音楽界に大きな足跡を残すことになるだろうと青葉は亡くなる直前に私に言ったが、そのふたりの活躍を見るのは私と同世代の登場人物の中では、千里のみとなりそうだ。
 

宮古島での生活は、本当にのんびりとしたものであった。
 
京平は長期間学校を休むことになるので、当地の小学校の校長先生と話して一時転校に準じた扱いとして、紅川さんの孫・哲夫君と一緒に小学校に出て行ったが、速攻で宮古の言葉を覚えてしまった。子供の言語能力は大したものである。
 
私にしても千里にしても、東京と連絡を取りながらかなり作曲の仕事をこなしているのだが、私たち2人を放置して、政子は桃香とふたりで小学生および0歳児のかえでを除く8人の子供たち(紅川さんの孫を含む)を連れて毎日遠足みたいなことをして、もう保育所の保母さんみたいな感じにしていた。その中で政子は着実に元気を取り戻して行っていた。
 
政子は3月中旬頃から、時折ペンと紙を持ってアルファ状態になっているようであった。やがて短い詩を書き始めたが、やはり初期のものは政子的な深さに欠ける詩だった。私は滞在を延長した。
 
「ねえ、冬」
と政子は深夜に私と一緒に寝ている布団の中で小さな声で言った。
 
「何?マーサ」
「私が大輔と付き合い始めた頃、冬、やめとけって言ったよね。なんで?」
 
「それは大輔さんが明らかに薬をやっていたからだよ」
「知ってたの!?」
「あの人の作品を見れば明らか」
「全然気付かなかった!」
 
「だから、私、大輔さんに会って申し入れたんだよ」
と私は言う。
「え?なんて?」
と政子。
 
「政子と別れるか薬やめるか、どちらかしてくれって」
「そんなこと言いに行ったんだ?」
 
「大輔さんは薬を辞めると私の前で誓った。それで私もその後はマーサを停めなかった」
「リンナさんが後で言ってたね。私と付き合っていた間は、大輔、薬を我慢していたって」
「死んじゃった時は魔が差したんだろうね」
「禁断症状とかフラッシュバックとか、そういうのあったかも」
 
「大輔さん、政子と付き合っている間、ずっとタバコ吸ってたでしょ」
「うん。大輔、タバコを吸うなんて知らなかったから、やはり品行方正なアーティストのイメージ作りのために、表向きには吸わないことにしてたのかなと思ってた」
「たぶん薬を我慢するために、タバコで気を紛らせようとしてたんだよ」
と私は言う。
「あ、そうだったのかもね」
 

「私ね」
と政子はおもむろに言った。
 
「実をいうと大輔のこと好きだったのは最初の3ヶ月くらい」
「ああ。マーサって、だいたいそのくらいしか普通男性関係が続かないのにいやに長持ちしているなと思ったよ」
 
「そのあとはちょっと惰性だったかも」
「かえでが出来ちゃったので、結婚してもいいかなと思ったんでしょ?」
 
「うーん・・・。結婚するつもりは無かったんだけどね」
「ほんとに〜!?」
 
政子はその理由をその晩は語らなかった。政子がその理由、つまりかえでの真の父親について私に打ち明けるのは、この2年後である。
 

政子は少しずつ気力を回復させていった。実際問題として大輔が亡くなった後しばらくは政子は性欲も無くしていたようだったが、宮古島に来てから半月ほどしたあたりから、私を毎晩のように求めるようになる。そして私との愛の確認をする度にパワーを回復していくようであった。
 
「へー。また皆既日食があるの?」
と政子は訊いた。
 
前回宮古島に来た時はちょうど地球の裏側で皆既日食があった。
 
「4月20日だよ」
と私は手帳を確認して言う。
 
「じゃ、それまでここに居る?」
「ここでは部分食しか見られないよ」
「皆既はどのあたりで見られるの?」
 
「南インド洋で金環食で始まってすぐに皆既食に変わり、オーストラリアの端をかすめて、インドネシアの付近を通り、ミリ環礁付近でまた金環食に変わって終わる」
 
「皆既食になったり金環食になったりするの!?」
「ハイブリッド食というんだよ。物凄く珍しい現象。2013年11月の日食も金環食から皆既食に変わったね」
 
「すごーい、その変わる所を見たい」
「その瞬間をジェット機に乗って見るツアーがあるけど既に定員はいっぱいだよ」
「残念!」
「もっともふつうのジェット機の速度は日食の移動速度よりずっと遅いから、そのツアー、1人200万円もするのに見られるのはほんの数秒間」
「ひぇー、もったいない」
 
「どうせ飛行機から見るツアーなら、インドネシアで機上から見るツアーの方がお勧め。これは皆既を1分半近く見られる。料金も80万円くらいだし」
「それでも1分半か」
 
「地上では1分しか見られないからね。でも青葉はアナウンサーとして更に速い超音速ジェット機に同乗してレポートする。これは日食を完全に追いかけて皆既食から金環食に変化する様子を5分くらいに渡って中継する」
 
「いいなぁ!」
「地方民放のアナウンサーから3人レポーターに選んだんだよ。抽選だったらしいけど」
 
「でも青葉、結婚するんだよね?」
「結婚後も仕事は続けるみたいだから、いいんじゃないの? でも結婚前の最後の大仕事になるね」
 
 
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【夏の日の想い出・愛と別れの日々】(上)