【夏の日の想い出・愛と別れの日々】(1)

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modified 2023-06-16
modufies 2024-01-07
 
「私が運転して行くから寝てるといいよ」
と言われて、亮平は
「そうかい?じゃ頼もうかな」
と言って、自分の愛車マツダRX-9の助手席で目をつぶった。
 
「着いたよ」
という声で目を覚ますと、放送局の駐車場である。
「ありがとう」
 
亮平は政子にキスをして一緒に降りる。ただ一緒にいるところをあまり人には見られたくないので、先に政子が手を振って帰っていき、その後、放送局の通用門から中に入った。
 
入館証を見た守衛さんが一瞬変な顔をしたが、何だろう?と思いながら中に入る。
 
売店でコーヒーを買っていたら、ちょうど近くに居た俳優・高橋和繁が
「わっ、もしかして大林さんですか?」
などと言うので
「え?そうだけど、俺どうかした?」
と答える。
 
「いや、その何というか、路線変更なさったんですか?」
「別に変わってないと思うけど、なんで?」
 
そんなことを言いながらレジを済ませ、一緒に売店の外に出る。
 
「鏡、見られました?」
と高橋が訊く。
「へ?」
と言って亮平はバッグから手鏡を取り出して顔を見た瞬間
 
「ぎゃっ!」
と声を挙げた。
 
その時、大林を見たカメラを持った芸能記者が飛んでくると、いきなりフラッシュを焚いて大林を撮影した。ついでに高橋も並んでいる所を撮られたので、その日の芸能ニュースには、写真入りでこんな記事が載った。
 
《大林亮平が性転換!?高橋和繁と熱愛中?》
 

2019年2月3日、政子は女の子を出産した。
 
政子は前年6月3日に体外受精によりこの子を受精させて妊娠したので、予定日は2月24日だったのだが、少し早く出てきた。政子は妊娠が成功してすぐの頃から、この子が女の子であることを確信し《あやめ》という名前を付けていた。
 
父親が誰かというのは公表しなかったので、世間では随分あれこれ憶測をしていたようだが、それを知っていたのは、体外受精をしてくれたお医者さん以外では、私と青葉くらいであったろう。
 
(千里が巫女の力を取り戻したのは2019年3月)
 
世間で噂されていた《父親候補》の中で、昨年春に交際していた俳優のNさんは『僕は関係無いと思うんだけど、念のため』などと言って、出産祝いを持ってきてくれた。実際政子はNさんと1度だけホテルに行ったものの、裸で抱き合って、まだ入れる前に唐突に政子が詩を書き始めてしまったので、結局1度も実際のセックスはしないままで終わったらしい。
 
もうひとり父親候補と噂された上島先生は『身に覚えは無いけど、愛弟子の出産のお祝いに』と言って、奥さんの春風アルトさんと連名で出産祝いに加えてベビー服やベビーシートなどをプレゼントしてくれた。アルトさん自身もこの時期妊娠中で、3月に生まれたのでこちらも私と政子の連名で出産祝いを贈った。(これは上島先生とアルトさんの間に結婚11年目にして初めて産まれた子供である)
 
政子の妊娠出産に伴う休業期間は2018年10月から2019年7月と設定されていたので、2019年8月にはローズ+リリーの全国アリーナツアーを行った。ちなみに私はこの月、KARIONの1年半ぶりの全国ツアーも同時にやっており、いくつかの地区では、同じ会場でお昼すぎからKARIONのライブ、夕方からローズ+リリーのライブなどとやったケースもあった。(2時間ほどでKARIONのセットを片付けてローズ+リリーのセットを組み立てないといけないので、大変だったようである)
 
私が春以来の絶不調から抜けて、やっと作曲活動も再開したというのを聞き、◇◇テレビの響原部長が同局で秋から始まるドラマ『立つ!』の主題歌の作成を依頼してきた。私たちは著作権をこちらに留保できるという条件なら書くと返事し、部長も局の会議に諮ってそれを了承したので、著作権の1%だけを◇◇テレビ系列の音楽出版社が持つ条件で『朝焼け』という曲を書いた。
 
歌も歌ってくれということだったので、8月中旬にツアーの合間を縫って録音が行われた。この録音をした時に演出家さんが政子を見て、
 
「君、千代姫のイメージにぴったり。千代姫役でドラマにも出ない?」
と熱心に口説いた。
 
政子はこういうのはあまり好きではなかったものの、演出家さんが本当に乗せ上手だったので、
「やってもいいかなあ」
と言い、ドラマにも半年間出演することになった。
 

ドラマは徳川三代将軍家光が亡くなり、若き家綱が後継将軍になり、それまでの幕府の方針を転換していわゆる《文治政治》を始める時期を描いたもので、由井正雪の変がそのクライマックスとなっている。
 
4月20日 家光死去
7月23日 丸橋忠弥捕縛。26日由井正雪自刃 30日金井半兵衛自害
8月10日 丸橋忠弥磔刑。
8月18日 将軍宣下
 
当時家綱は11歳(今の年齢の言い方で言うと9歳)だったのだが、このドラマでは17歳であったことにして、アイドルの前田智士が演じている。千代姫は家綱の姉で本当は当時15歳であったがドラマでは25歳ということにして政子が演じる。大林亮平が千代姫の夫で尾張徳川家の徳川光義(史実通り27歳)を演じており、政子が演じる千代姫と大林が演じる光義が協力して、まだ若い家綱をサポートし、高橋和繁が演じる光義のライバル・紀州徳川家の徳川光貞(25歳)や頭の硬い幕閣たちに対抗していくというのが、物語のプロットであった。
 
私はサービス精神皆無の政子にそんな大役が務まるのか不安だったのだが、政子は本を読むとき、その中の登場人物になりきって没入するタイプである。それでこのドラマでも、完璧に役にはまりこみ、結構な熱演をしたようだ。家に帰ってきても千代姫調に
 
「わらわはお腹が空いた」
「おやつを持て」
「寝るぞよ」
 
などとやっていた。
 
そしてこのドラマでの共演をきっかけに、政子と大林亮平は現実にも恋人として交際するようになったのである。
 
政子はドラマの中でキスした時に
「この人は私の運命の人かも」
と思ったなどと、私の前でおのろけを言っていた。私は少し嫉妬しながらも、政子の言葉を微笑ましく聞いていた。
 

ドラマは比較的好調であった。
 
丸橋忠弥役に、性別非公開の俳優・丸山アイを起用したのがドラマに妖しげな雰囲気を添えており、アイの忠弥は老若男女様々な姿に変装して、あちこちの大名屋敷や豪商の館に入って行っては密談をする。
 
「アイちゃん、本当は男なの?女なの?」
と政子は本人に直接訊いたらしいが
「秘密」
としか言われなかったらしい。アイは男声では男にしか聞こえない話し方をするし女声ではやはり女にしか聞こえない話し方をする。雰囲気もガラリと変わる。アイって男女ふたり居るのではと思いたくなるほどである。
 
この番組は、夏の間野球中継が行われる時間帯のドラマなので3月で終了というのは決まっているのだが、来期もまた大林・高橋の徳川光義・光貞をメインにしてドラマを制作するかもなどという話もあったようである。ただ政子がドラマをやっていると、音楽活動の方に影響が出ることもあり、響原さんと町添さんの話し合いにより、来期は政子は出演しない方針であった。
 

1月。政子は妊娠した。
 
「亮平さんの子供?」
と私が訊くと
「もちろん」
と言って、何だか嬉しそうにしていた。既に番組の収録はほぼ完了しており、撮影には影響ないと本人は言っていた。
 
2月、政子は自宅の敷地内に小さな離れを建て始めた。
「そこで亮平さんと暮らすの?」
「オフの時はね」
 
「マーサの自宅に置いてる私の荷物は引き上げようか?」
「冬とは母屋の方でHして、リョーちゃんとは離れでHする。妻妾同居かな」
「なんかそれ言葉の使い方が違う気がするけど」
 
以前ならボーイフレンドを作りながらも私とのセックスも続けていた政子が、大林さんとの交際開始以来、私をセックスに誘わなくなったので、かなり本気なんだろうなと私は思っていた。
 
「結婚するの?」
「式には何人くらい呼ぼうかなあ。私が考えても漏れそうだから、冬、悪いけど招待する人のリスト作ってくれない?」
「いいよ」
 

このドラマの最終話は2月下旬に撮影が終了した。
 
3月3日、政子の実家で、豪華なひな人形の段飾りを前に、あやめにお乳をあげながら(この時期、政子は新たな妊娠によってお乳は停まっているので、あやめにおっぱいをあげていたのは私だけである)楽曲のアレンジ作業をしながら、晩御飯を作っている政子のお母さんと話していた私は、玄関のドアが開く音を聞いた。
 
「お帰り」
と声を掛けたのだが、政子は疲れたような顔をして入って来て、居間のソファに座った。
 
「亮平さんとデートしてたんでしょ? 遅くなるかと思ったのに」
「別れちゃった」
 
「なんで?」
「うーん。ドラマが終わったら、私の気持ちも冷めちゃったというか」
「そんな。亮平さんすごくいい人なのに」
「冬が付き合ってもいいよ」
「私は既に彼氏がいるから充分」
 
「あんた妊娠してんじゃないの?」
とお母さんが言うが
「赤ちゃんは産むよ。それは産んでいいと言ってくれた。養育費も払うと言われたけどそれは断った」
「なんで?くれるというのはもらっておけばいいじゃん」
とお母さん。
「いつまでも関わりを続けたくないもん。別れたらそれで終わり」
「あんたドライだもんねー」
とお母さんは半ば呆れている感じだった。
 

政子はこの大林亮平の子供を2020年10月18日に出産した。男の子で大輝と名付ける。
 
「私、女の子2人育てたかったんだけどなあ。この子、性転換しちゃったらダメかなあ」
と政子が言う。
「親が勝手に性転換しちゃいけないよ。本人が成長してからそれを望むなら応援してあげるけどさ」
と私は答える。
 
「じゃ、本人が望むようになるように、女の子の服を着せて育てようかな」
「やめときなよー」
 
「じゃこの輝子と命名した出生届は没にして、大輝の方で出生届け出すか」
「男の子で女名前にしちゃ可哀想だよ」
 
大林さんは政子と大輝を病院まで見舞いに来てくれて。1歳半になるあやめとも何だか仲良くしていた。政子は要らないと言ったのだが、実際この出産に伴う病院の費用は、政子のお母さんと大林さんとの話し合いで、大林さんが全部支払ってくれた。
 
大林さんはそれから毎月政子に養育費を送ってくるようになる。政子は要らないと言ったのだが
「これは僕が自分の息子である大輝に送るもの」
と大林さんが言ったので、政子は私に頼んで「唐本大輝」名義の銀行口座を作り、大林さんはそこに毎月けっこうな金額を振り込んできた。むろん政子はこの中身に一切手を付けなかったので、この子が高校大学に進学する頃にはかなりの金額になっているだろう。
 
(あやめ・大輝は昔の約束に基づき、出生して間もなく私が養子にしているので、ふたりとも唐本の苗字である。政子は中田のままなので苗字の違う母子であり、そのため不都合が起きる場合もあるので、母子対象の集まりに、私は随分母親としてふたりを連れて出席している)
 

2021年3月、政子はまた新しいボーイフレンドを作った。
 
ロック歌手の百道大輔であった。
 
ロックファンの間ではむしろ彼の兄の百道良輔の方が評価は高い。ただ良輔は音楽もぶっとんでいるが生活もぶっ飛んでいて、若い頃は随分週刊誌を騒がすスキャンダルを連発していた。それも数年前に覚醒剤で捕まって以来、なりを潜めているし、レコード会社からも契約を切られてしまったので自主制作で音源を発表しているが、gSongsなどでのダウンロード数は結構あり、おかげで彼も何とか音楽で食べていけているようだ。
 
しかし黒い噂は常にあるので放送局などは彼を絶対番組には出演させないし、音楽のランキングを集計している会社も彼の作品は集計対象から外している。
 
これに対して弟の百道大輔は品行方正で、高校時代には生徒会長を務め、大学でも卒業式の総代になるなど、いつも《良い子》であった。音楽も耳なじみの良い、ポップスに近い曲を発表している。テレビの画面に登場する時もライブでもだいたいスーツを着てネクタイをしていいるし、髪も七三に分けていていて、ちょっと見にはふつうのサラリーマンである。
 
私は政子のこの交際に反対した。
 
「冬、嫉妬してるの?」
「嫉妬はマーサがボーイフレンド作る度にしてるけど、今まで私がマーサの交際に反対したりしたことなかったでしょ?」
「うん」
 
「彼はちょっとやばいと思う。深みにはまらない内にやめなよ」
「私は大輔のこと好きだから付き合う」
 
そう言って政子は私の反対を押し切って大輔との交際を継続した。
 

2021年11月、政子は3度目の妊娠をした。
 
「大輔さんの子供?」
と私は尋ねたのだが政子は言葉を濁した。
 
「どうなんだろう。私もよく分からないのよね」
「マーサ、他の男の人とも付き合ってたんだっけ?」
「私は二股してないよ」
「じゃ、大輔さんの子供じゃないの?」
「彼はそう思ってるみたいなんだけどねー」
 
私は政子の真意を測りかねた。
 
しかし政子はこの妊娠をきっかけに、大輔との結婚を考え始めたようにも見えた。大輔には前妻の青島リンナとの間に夏絵という女の子(当時3歳)がいて、ふたりが離婚した後、リンナがすぐに俳優の高橋俊郎さんと結婚したため、夏絵は大輔が引き取って育てていた。とはいっても実質的に育てていたのは大輔のお母さんである。なおリンナは高橋の子供・敦子をこの年5月に産んでいる(敦子は夏絵の異父妹ということになる)。
 
百道家の事情もあり、政子は夏絵を自宅に連れてきて、あやめたちと一緒に育てるようになった。夏絵は政子になついたし、あやめとも意気投合した感じであった。夏絵が2018年8月生まれ、あやめが2019年2月生まれで同学年。この3歳の女の子連合に1歳の大輝が完璧に圧倒されていたようであったが、私や政子のお母さんもてんてこ舞いとなる。
 

そして政子は2022年8月3日、女の子を出産。かえでと名前を付けた。くしくも夏絵と同じ誕生日であった(4つ違い)。
 
「夏絵ちゃんの妹だよ」
と私が夏絵に言ってあげると嬉しそうな顔で赤ちゃんを見ていた。
 
「わたし、2人もいもうと、できちゃった」
「敦子ちゃんもいるもんね」
「でもあつこには、なかなかあえないのよね」
 
「かえでって、あつこのいもうとにもなるの?」
「うーん。それは妹じゃないのよね」
「なんだかむずかしいね」
 
敦子から見ると、かえでは、異父姉である夏絵の異母妹なので、血縁的に無関係である。しかし「妹と似たようなもの」と言ってあげたので、敦子にも見せてあげたいと言い、私がリンナの家に行って敦子を預かり、政子の家に連れてきて夏絵と一緒に、かえでを《鑑賞》したりもしていた。
 
あやめが3歳半・大輝が1歳9ヶ月、夏絵が4歳で、政子の家はなかなか賑やかなことになった。でも政子は母親の自覚があまり無いようで、お乳もあげない!ので授乳はもっぱらお母さんがしていたし、御飯を作るのも政子のお母さんで、政子はのんびりと詩を書いたり、ヴァイオリンやピアノを弾いたりして過ごしていた。
 

「だけど、最近大輔さん、うちにあまり来ないね」
と夕食時にお母さんが言う。11月頃のことであった。
 
「アルバムの制作に入ったみたいだから、スタジオにずっと詰めていて時間が取れないらしい」
 
大輔は、かえでが生まれた時は物凄い喜びようで、かなり入り浸りになっていて、一時期はこの実家の離れが事実上、政子と大輔との新居という感じになっていた。
 
(ただしかえで・大輝は母屋のほうで寝ている)
 
「あの子、大輔さんと結婚するのよね?」
と私が政子の実家を訪れた時、お母さんは訊いた。
 
「だと思いますよ。それで私もかえでは私の養子にはせずにそのままにしているんですよ。でも結婚するのなら、かえでを認知してもらっても良かったと思うんですけどねー。なんで認知を拒否したんでしょうね」
 
「大輔さんの子供なんでしょ?」
とお母さんは訊く。
 
「本人は曖昧な言い方してますけど、妊娠した時に他に付き合っていた男性が居たわけでもないから、そうだと思うんですけどねー」
 
「認知してもらえばいいのに。あの子の考えは私にもさっぱり分からない」
「私も分かりません!」
 

そして2022年12月24日のことであった。その日私は忙しい中、政子に呼ばれて実家に行っていた。
 
「大輔さん、いらっしゃらないわね」
とお母さんが言う。
 
その日はクリスマスイブなので、大輔も家に来て、政子の両親、政子と私、あやめ・大輝・かえで・夏絵の4人と、合計9人でミニ・クリスマスパーティーをすることになっていた。
 
大輔は8時頃来るということだったので、待っていたのだが9時を過ぎても大輔は来なかった。あやめたちが我慢しきれないので、いったんクリスマスケーキを切って、あやめ・夏絵・大輝に食べさせ、一息付いたところで3人を寝せる。
 
ここの母屋には2階に両親の寝室と六畳と四畳半の部屋がある。この時期には子供たちは六畳の部屋で寝せて、だいたい政子の母が添い寝していることが多かった。この日も政子の母が夏江を含めて3人を寝かせつけた上で10時半頃、居間に戻ってきた。かえでも既に寝ている。
 
「メール送るけど返事無い」
と政子が言う。
 
結局11時を過ぎたところで、私が
「取り敢えず先に始めてましょう」
と言って、シャンパンを抜き、4人で乾杯してケーキやチキン、ローストビーフなどを食べながら歓談する。それで12時過ぎに両親にも休んでもらった。
 

私と政子は徹夜態勢で、ずっとふたりでおしゃべりしながら大輔を待っていた。
 
「大輔、なんかにハマっちゃったのかなあ」
と政子。
 
「途中で中断できないような作業をしてるんだよ」
と私は答える。
 
楽曲の制作をしていると、そういうのは割とよくあることである。どうかすると数日不眠不休で作業を続けて、やっとひとつの曲が完成することもある。途中で食事などにも出られないので、スタッフの人に買って来てもらったり出前を取ったりすることもある。
 
そして2022年12月25日の午前4時過ぎ、車が停まる音がして玄関でベルが鳴る。
 
「やっと来たみたいね」
と私はホッとして言った。政子は嬉しそうな顔をして玄関へ飛んで行く。
 
私はてっきり政子が大輔といっしょに入ってくるものと思っていた。ところがどうも様子がおかしい。
 
「どうしたの?」
と言って私も玄関の所に出て行く。
 
玄関の所に立っていたのは大輔ではなく、背広姿の男性2人であった。そして政子が私に抱きつく。
 
「大輔が・・・・」
と言ったまま政子は泣き出してしまった。
 
「どうしたんです?」
私は男性2人に尋ねた。
 
「新宿署の者ですが、百道大輔さんと良輔さんが亡くなられたので少しお話を聞きたいと思いまして」
と男性は警察手帳の身分証明書欄を見せて私に言った。
 

それから数ヶ月は大変であった。
 
百道良輔・大輔のふたりは薬物の大量摂取によるショック死ということであった。1時頃に良輔のガールフレンドが良輔の自宅マンションを訪ねてきて、2人が倒れているのを発見し、119番通報をした。救急車で運ばれたものの、医師はふたりの死亡を確認する。死後半日程度経っており死亡推定時刻は24日の午後2時か3時頃ということであった。明らかに薬物中毒とみられたので警察に通報が行き、病院に駆けつけてきた母親や、通報したガールフレンドからも事情聴取をした。それで大輔が政子と交際中であったことも母親から聞いて、警察がこちらにやってきたということだったようである。お母さんはずっと警察の聴取を受けていたため、政子に連絡ができなかったのである。
 
薬物事件ということで、良輔のガールフレンドも政子も薬物検査を受けさせられた。ついでに私まで検査されたし、前妻のリンナも検査を受けた。むろん私と政子にリンナも陰性であったが、良輔のガールフレンドは陽性で即逮捕された。
 
関係者の証言からふたりが常日頃から薬物を使用していたことが明らかになった。
 
政子は全然気付かなかった!と言っていたが、前妻のリンナが「政子のことを考えて、今、薬は我慢している」と大輔が言っていたという証言をしたので、政子の言葉を警察も信用してくれた。リンナ自身は大輔が薬を使っていたことを知っていたことで犯人隠匿罪が疑われ任意で取り調べを受けたものの、検察は通報しなかっただけでは「隠匿」不成立と判断し不起訴とした。ただしリンナは社会的な責任を取るといい、向こう半年間の音楽活動自粛を発表した。
 
結局、良輔のガールフレンドをはじめ数人の友人(全員逮捕済み)の証言から、大輔はしばらく薬をしていなかったものの、今回のアルバム制作中に兄から誘われてまた薬をやってしまったということが推測された。
 
良輔が持っていたメモから、薬物を買っていた芸能人やスポーツ選手が大量にリストアップされ、合計100人以上が事情聴取と薬物検査を受け、多数の逮捕者を出す騒ぎになる。百道良輔は薬物の売人をしていたのであった。テレビ番組やドラマに出演している人も多く、撮影済みのビデオが使えない事態が多発する。出演者が歯抜けになって多くの番組が打切りに追い込まれることになった。主力選手が逮捕されて戦力ががた落ちになった球団などもあった。良輔の過去の交際相手まで調べられたので、元恋人であったUTPの須藤さんまで取り調べを受けたようである。
 

政子は魂が抜けたかのようにしていた。
 
私は政子のお母さんに言い、敢えてかえでの世話を政子にさせるようにした。
 
「ごめんねー。お母ちゃん頑張るね」
と言って、政子もかろうじて自分が母親であったことを思い出し、子供の世話をしていた。
 
「夏絵ちゃん、どうするの?」
と政子のお母さんが訊く。
 
「私の養女にする」
と政子が言った。
 
夏絵は2021年秋頃からずっとこちらの家で暮らしている。
 
「お母さん、今とても孫の世話ができる状態じゃないのよ。私もあまり頻繁には行けないから、ずっと昼間ヘルパーさんに入ってもらっている」
と政子。
 
「ボケちゃったの?」
と政子のお母さんが訊く。
 
「72歳なんだどね。まだボケる年ではないと思うんだけど。でも今はヘルパーさんに来てもらうので助かっているみたい。食事作る気力も、お風呂沸かす気力も出ないなんて本人は言ってた」
 
「自分でそう言えるなら、まだ大丈夫だね」
「うん、私もそう思う」
 
「でも夏絵ちゃん、お母さんの所には渡さなくていいの?」
とお母さん。
「リンナさんは、悪いけどそちらで世話頼むと言っていた」
 
「大輔のお母さんが、夏絵本人に、リンナさんのところに行きたいか私の所に行きたいかって訊いたらしい。そしたら夏絵は私のところに居たいと言ったから」
と政子。
 
「お母さんは、四十九日(2月10日)が終わったら、四国のお遍路に行くと言ってた」
「それもいいかも知れないね」
 

良輔・大輔の兄弟は莫大な借金も残していた。
 
「私、大輔の借金の保証人になってあげてたんだよ」
と政子が言う。
「ふーん。いくら?」
「5ほど」
「500万も?」
「じゃなくて5000万」
「うっそー!」
 
借入先にはけっこう怪しげな業者もあったので、政子は私と、弁護士である私の婚約者・正望とともにそれらの業者を訪れ、支払いを済ませた。中には法外な利子を付けていた所もあったが、正望の弁護士バッヂを見ると素直に法定利息で計算し直した金額を提示した。
 
「正望さん、ありがとう」
「こういう時こそ弁護士の出番だよ。変なこと言ってくる奴がいたらすぐ連絡して。内容証明送りつけたらたいてい黙るし」
と正望は言ってくれた。
 
保証かぶりで苦労したのは、リンナもであった。大輔と結婚していた間に2000万の保証人になっていた。彼女は自分ではとても返せないので、夫が銀行からお金を借りてリンナに貸してくれて、それで精算をした。結局リンナはそのあと数年掛けて夫に借金を返したようである。
 
しかしどうにもならなかったのがお母さんだ。お母さんは数億円の返済を迫られることになり、正望や大輔のレコード会社などからの助言もあって破産を選択した。金額が巨大でもあったことから、その手続きに時間がかかり、お母さんが四国のお遍路に行くことができたのは、一周忌も過ぎた後の2024年の春であった。
 
「でも私、破産の処理を進める中で、だいぶ我を取り戻したよ」
などとお母さんは言っていた。
 
破産に伴い自宅も手放したので、お母さんは政子が自分の名義で借りてあげた横浜市内のアパートに住むようになった。生活費は年金で何とかなっているようで、時々夏絵やかえでの顔を見に来る生活である。
 

政子は大輔が亡くなった後、とても詩が書ける精神状態ではなくなっていた。政子がこんなに落ち込んでいるのを見たのは初めてであった。
 
しかし政子は大輔の四十九日(2023年2月10日−実際には2月5日に法要をした)が終わり、納骨も済ませた後、私に言った。
 
「私、そろそろ復活しなくちゃ」
「そうだね。そろそろ復活してもいいかもね」
と私も言う。
 
「私、また宮古島に行きたいな」
「ああ、いいね」
 
以前宮古島に行った時(2019.6)にお世話になった、元§§プロ社長の紅川さんに連絡したところ「いつでもおいで。好きなだけ居ていいよ」と言うので、政子とあやめ・大輝・かえで・夏絵、政子の両親、それに世話係の女性2人を千里のGulfstream G450で宮古島空港まで運んだ。
 

月があらたまり、4月2日(日)。この日は大輔と良輔の百ヶ日法要の日であった。実際には東京の大輔たちの実家の方に集まる人は皆無で、お母さん・リンナに須藤さんと付き添い役の悠子(ついでに美季)、それに大輔の事務所の元社長・レコード会社の元部長さん(どちらも今回の事件で引責辞職している)という7人でお寺に行き、お坊さんにお経を上げてもらったらしい。
 
ずっと後から聞いたのではこの時、須藤さんは初めて悠子が良輔の娘であることをお母さんに打ち明けたという。お母さんは、自分の孫が夏絵以外にも存在していて、こんなにも立派になっており、可愛い曾孫まで居ることを知って、随分元気づけられ、立ち直りのきっかけをつかんだらしい。その後、お母さんはしばしば悠子の家を訪れては、曾孫の美季と遊んであげる生活になったようだ。
 
宮古島でも政子に夏絵と2人で島内のお寺に行き、お経を上げてもらって故人の冥福を祈った。(「かえでも連れて行かないの?」とお母さんが言ったら政子は「小さいからいい」と言った)政子は向こうのお寺の住職に、大輔の戒名を書いてもらった細長い紙を持ってきていて、それまでは毎朝その紙を取り出して夏絵と2人で「なんまいだー、なんまいだー」などと言っていたのだが、この日このお寺さんにその紙を納めて、それ以降は毎朝のお祈りもやめてしまったらしい。
 
「もういいの?」
とお母さんが訊くと
「うん。もう大輔との縁はこれで切れた」
「相変わらずドライだね!」
「千里も前の旦那が死んでから百ヶ日で仕事に復帰したらしいし、私もこれから仕事に復帰するよ」
「へー」
 

実際この頃から政子が日々書く詩の品質も、まだ本調子ではないものの、かなり良くなった。4月も中旬になった頃、やっと政子らしい詩が復活してくる。
 
「良い詩を書くね〜」
と紅川さんが感心したように言うと
「私天才ですから」
と政子は答えた。
 
「じゃ、そろそろ帰る?」
とお母さんは言った。
 

政子は結局4月20日の日食を見てから帰ることにした。それで千里が政子を迎えに行ってくれた。ついでに桃香および自分の子供たち(京平・早月・由美・緩菜)も連れて行った。
 
この日食は東京都区内では見られない。房総半島の館山で0.009くらいのわずかな食分、紀伊半島の潮岬で0.025、九州の鹿児島で0.029 だが、那覇で0.149, 宮古島では0.155まで欠けるのである。それで日食を見るためにわざわざ沖縄まで来る人も居たようである。(南大東島で0.206 小笠原の父島で0.270 海外ならグアムで0.702 オーストラリアの北西のケープレンジ国立公園付近では皆既になるので皆既を見たい人の多くは実際にはオーストラリアに行ったようである)
 

この日、テレビの取材班が乗る観測隊第1群は3機のジェット旅客機で南アフリカのヨハネスブルグを日本時刻の7時(現地時刻で午前0時)頃に離陸して一路観測地へ向かった。時速1100km程度のいわゆる遷音速で4時間ほど飛行し、インド洋南、フランス領南方南極地域ケルゲレン(Kerguelen)諸島付近に到達する。
 
ケルゲレン諸島は地図で見ると一見、紅葉の葉のような形をしたひとつの大きな島に見えるのだが、実はとても小さな島が多数で構成された諸島なのである。島と島を区切る水路はまるで川のようであり、良港に恵まれ、高緯度海域を航行する船のかっこうの待避所になっている。
 
日食が始まるポイントはこのケルゲレン諸島の北西、48゜27.1'S、63゜37.5'Eの位置である。日出直後で最初は金環食で始まる予定だったのだが・・・・
 
雪である。
 
観測ポイントに浮かべた船の上でリポートするNHKの人気女子アナが悔しそうな表情で風雪に荒れる夜明け空の中継をしていた。
 
しかしジェット機は雲の上を飛ぶので雨も雪も関係無い。安全間隔ギリギリの10km程度の間隔をあけて飛ぶ3機の飛行機は、各々アメリカ・日本・NATOに所属していて、共同で取材をしている(パイロットはアメリカ空軍・航空自衛隊・NATO空軍所属の、曲芸飛行の経験もある熟練パイロット)。テレビにはこの3つの飛行機から太陽を映した映像が並んで表示されている。
 
日本所属の観測機に乗る横浜の民放テレビの30代ベテランアナウンサーが「雲の上は晴れです。東の海から欠けた太陽が登ってきました」と報告する。この第1群の観測ポイントはケルゲレン諸島の北東、南緯46.5度・東経71.6度付近、日食開始ポイントから600kmほどの距離の場所である。
 
そして日本時間の11:37(現地時刻6:37)、日食はこの地点で金環食から一時的に部分食に変化した後、皆既食に変化した。テレビの画面では最も西を飛ぶNATOの飛行機の画面が金環食から部分食に変化し、そのわずか2秒後に最も東を飛ぶアメリカの飛行機の画面が部分食から皆既食に変化して「ハイブリッド食」というのがどういうものか中継されている各国の一般家庭に伝わったようである。この変化する間、真ん中の日本の飛行機の映像は部分食のままであった。
 
この様子は日本とアメリカ・イギリスはもとより、韓国や台湾・中国・インドなどにも中継されているのだが、幻想的な天体ショーにかなり沸いたようである。
 
なお、この金環→皆既の変化が起きたのは、時間的には開始点でのレポートがあってからわずか36秒後。日食はこの付近では時速6万kmという猛スピードで移動しているのである。スペースシャトルが宇宙空間を飛行する速度の倍であり、この速度に比べたらジェット機など停止しているに等しい。この様子を飛行機の中から撮影したのは「雲の上で撮影する」という意味しか無い。
 

中継はその後、オーストラリア北西端(12:29)、東ティモール(13:15)、ニューギニア島北西部(13:49)の定点観測地点から、##放送、◇◇テレビ、ΛΛテレビの女子アナがレポートをし、幾つかの洋上観測ポイントでの中継もあった。
 
日食の軌跡→
https://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEsearch/SEsearchmap.php?Ecl=20230420
(NASAのサイト)
 
日食は月が地表に落とす影なので、地球の表面が太陽と成す角度により移動速度は変化する。太陽を真正面に見ることになる中心区域では2000km/h程度だが、端の方になるほど地面が斜めに向いていることになり速度が上昇する。朝と夕方の影が長くなるのと同じ現象である。日食の開始ポイントでの移動速度が物凄かったのはこのせいである。
 
宮古島に居るマリたちは13:25頃、全員日食グラスを持って表に出て南から少し西の方にある太陽を見る。
 
「まだ欠けてないよ」
と政子が言う。
 
「もう少しだよ」
と千里は答える。
 
「あ、左側が少し欠けてきた」
と最初に声をあげたのはあやめであった。
 
宮古島での日食は13:28に始まった。
 
「これもっと欠けるの?」
「いや、ここではちょっと欠けるだけ。一応最大食は14:16くらい」
 
「なんだつまらない」
などと政子は言うが、あやめや夏絵などの4歳児連合、京平や哲夫などは太陽が少し欠けているのを見て、充分大騒ぎをしていた。
 
「でもけっこう長時間継続するね」
と桃香が言う。
 
「終了は15:01かな」
 

日本の白浜友紀レポーターが乗る特別観測機は日本時刻の12時(現地時刻13時)前にグアムを飛び立ち、マーシャル諸島南方海域へ飛ぶ。1000km/h程度で3時間近く飛行し、かつての日本最東端であったミリ環礁(ミレー島)の南南西160kmの海上 4.58N 171.14E 付近に到達する。
 
「太陽は現在皆既食です」
という白浜さんの声がテレビから響いたのが日本時刻14:50(現地時刻17:50)くらいであった。
 
「この人、卓球の元日本代表だよね」
と桃香。
 
「そそ。観測員の選抜オーディションで欺されて参加させられて優勝した青葉が辞退したから2〜4位の3人が訓練を受けて、2位の人が直前にコロナに罹って3位の白浜さんに回ってきたらしい」
と千里は説明する。
 
「運の強い人だね!」
と政子は感心している。
 
「白浜さん、なんか凄い服を着てますね」
とスタジオが呼びかける。彼女は耐G耐熱スーツを着ていて顔も宇宙飛行士のようなヘルメットで覆われている。
 
「はい。この服を着ていなかったら数秒で失神するそうです。でもこれ年齢も性別も分かりませんね」
と白浜は応じている。
 
「現在既にマッハ3.2 (3800km/h)で飛行していますが、これより加速するそうです」
という声のあと一瞬画像が乱れる。この特別機が付けているロケットブースターに点火したのである。
 
「現在速度はマッハ7.8 (9400km/h)に到達しました」
と白浜はレポートする。
 
この飛行機はアメリカ海兵隊が管理している最新鋭のジェット観測機で、機体の外装は超音速飛行のため発生する350度もの高温に耐えるチタン合金。単独でもマッハ3.6まで加速することができるのだが、スペースシャトルの打ち上げに使用するような巨大なブースターに点火することで最高マッハ8近くまで加速することができる(スペースシップワン/ツーと同様の方式だが、スペースシップツーでもマッハ3.5程度しか出ない)。
 
ただし最高速で飛べるのはせいぜい6-7分である(もっともその6分間で900km 福岡から那覇くらいの距離を飛ぶことができる)。飛行時にはとんでもないソニックブームが発生するのでこういう海の真ん中でしか最高速飛行はできない。
 
このジェット機は制作費用が1機1兆円も掛かっておりアメリカもわずか3機しか所有していない。定員は操縦士2名を含めて8名。民間人は日米の大学の先生1名ずつと民間観測員=白浜。撮影は同乗している航空自衛隊の技術将校さんがしてくれている。非常に貴重な場所に陣取っているのだが、白浜も大学の先生たちも、加速時に掛かる凄まじいGと、機内冷却装置でも冷やしきれずに50度近くになる室温に耐える宇宙飛行士並みの訓練を受けさせられている。
 
14:54頃「もうすぐ皆既食が終わります。ダイヤモンドリングが光りますからよく見ていてください」と白浜は言う。そしてすぐに「今終わりました。確かに光りましたね!」と興奮した口調で語った。
 
「よくわからなかった!」
などと由美と夏絵は言うが
 
「ひかったのみえたね」
と早月やあやめは言っている。大輝・葉月などは何のことやら分からない様子であった。
 

そして白浜は皆既食の終了を告げると、ほんの一瞬の後、続けて
「今金環食が始まりました!」
とアナウンスした。
 
この間、わずか2秒半、移動距離では数km。速度は9000km/h程度である。
 
そしてこの金環食も2分ほどで終了する。そして金環食の終了後すぐに太陽は(光っている側を上にして)西の空に沈んでしまう。
 
「三日月のような太陽が今沈んでいきます。約3時間の素晴らしい天体ショーを私たちに見せて。この感動をたとえれば、男の子がスカート穿いて魚を釣っているようなとでも言いますでしょうか」
 
この白浜の言葉は中継されている国に同時通訳でその国の言葉で伝えられたが「As if a boy on skirt fishing」と聞いたアメリカやインドの視聴者は、日本人の感覚はぶっ飛んでる!などとネットに書き込んでいたようである。日本のネットワーカーの間では「意味が分からん!」という意見が多かったようだ。
 
天体ショーの終了地点は 北緯2度58.9分、西経178度48.2分で、ハワイの南西300kmほどの場所である。実際この飛行機は観測終了後、速度を次第に落としてハワイに向かい日本時刻の15時半(現地時刻4月19日20時半)頃、ホノルル国際空港に着陸した。
 

この天体ショーを、白浜がレポートする太平洋上の中継まで見てから、マリたちは宮古空港に移動し、帰途に就いた。紅川さん一家が空港まで見送りをしてくれたが、すっかり仲良くなった子供たちが別れを惜しんで泣いたりするので、
 
「また来るよ」
と言ってマリたちは千里のA318に乗り込んだ。
 
2時間ほどの飛行機で熊谷の郷愁飛行場に戻り、そこから政子達は小平市の自宅に、千里たちは浦和の自宅にそれぞれ戻った。
 
実家に戻った政子に私は連絡した。
 

「同窓会の案内が来てるよ」
「どの同窓会?」
「高校の時の。今週末。土曜日、つまり明後日」
「久しぶりだね」
「佐野君が幹事なんだよね」
「ほほぉ」
「今まで生徒会長した飯田君が幹事していたんだけど、もう5年くらい実質活動できない状態が続いていたんで、佐野君が引き継ぐことにしたらしい。それで、コロナもそろそろ大丈夫だろうしということで数年ぶりの同窓会だって」
 
「佐野君が幹事なら行かざるを得ないね」
「まあそうなるね」
 
佐野敏春は、私の姉・萌依の夫である小山内和義の妹の麻央の夫である。麻央は私の小学校の時の親友だし、佐野君自身、私や政子とずっと交流がある。まあ要するにほとんど身内だ。
 
政子はその日佐良さんの運転するアコードで都心に出て来た。そして私と一緒に同窓会会場になっている深川アリーナに行った。
 

会場に入っていくと、
 
「おお、唐本〜、愛してるよぉ」
などと言って佐野君がいつもの台詞を言って寄ってくるが、私に抱きつく前に麻央から蹴りを食らっている。
 
「麻央も来たんだ?」
「私そっちの同窓生でもないし関係無いと言ったんだけど、アシスタントで付いてこいと言われた」
 
「まあ配偶者同伴は構わないはず」
 
「あれ、唐本のフィアンセは来てないの?」
と近くに居た菊池君。
 
「正望は今大きな訴訟抱えていて忙しいみたい。私も1ヶ月くらい会ってない」
と私。
「お前ら七夕夫婦に近いだろ?」
と佐野君。
 
「そうなんだよねー。メールは月に1回くらいしてるけど」
「お前たち実は既に関係消滅してるということは?」
 
私は最後に正望とセックスした日を思い出せなかった。
 

副生徒会長だった紗恵が乾杯の辞を述べて乾杯し、あとは適当に食事を取りながら歓談する。私は政子があまり食べないので、旅疲れであまり食欲が湧かないのかなと思って眺めていた。
 
しかしさすがにこの年齢になると女子の出席者は少ない。女手が足りないので私や政子、麻央もけっこう忙しかった。私たち以外で来ていた女子は、奈緒、琴絵、仁恵、詩津紅、紀美香、理桜、紗恵、など、何だか私と特に親しかった子が多い。学年は400人居たのだが、来ているのは男子100人・女子20人くらいである。
 
「女子は俺が個人的なコネで一本釣りした」
などと佐野君は言っている。
 
「なるほどねー」
 
それでこのメンツか。
 
「私、着ていく服が無いと思ったんだけど、佐野君から聞いた来てくれそうなメンツ聞いて、そのメンツなら普段着でいいかと思って出てきた」
と理桜。
 
「年収億ある人たちが、ユニクロ着てるからなあ」
と紀美香。
「私たちは普段着こんなもんだよ」
と私。
 
「那覇の国際通りで100円で買ったTシャツ着てこようかと思ったんだけど、さすがにやめとけと母ちゃんに停められた」
「庶民的だな」
 

宴が半ばになった頃
 
「ごめーん。遅れた」
と言って入って来た人物がある。政子がドキっとした表情で私の手をぎゅっと握りしめた。政子の表情を見るとどうも来ることを知っていたようだ。それであまり食べていなかったのかと私は思い至った。しかし政子は何だかもじもじしている。
 
「マーサ、挨拶だけでもしてきなよ」
「うん」
 
それは政子の(多分現在の)恋人である松山貴昭だった。彼と政子は2012年秋から2015年秋まで正式の?恋人であった。しかし2014年夏に彼が大阪本社に異動になった後はどうしても会う頻度が落ちていたようであった。また政子はなぜか最初から彼とは《友だち》という立場を崩さなかった。3年間も付き合ったのに、おそらくセックスは10回くらいしかしてない。結局、貴昭は2015年秋に同じ会社に勤める女性と婚約し、2016年春に結婚した。ふたりの間には子供も2人できた。しかしその奧さんは昨年春に亡くなった。
 
政子がなかなか動こうとしないので、私は政子の手を引いて彼の傍に行った。
 
「こんにちは」
と私が挨拶すると、貴昭は政子を見てドキッとしたような顔で
 
「久しぶり」
と言った。政子も何だか乙女のように恥ずかしがりながら
「久しぶり」
と挨拶する。
 
(久しぶりなんて絶対嘘だ!)
 
「でも松山君、大阪から大変だったでしょ」
 
「いや、僕は4月3日付けで東京支社に転勤になったんだよ」
「あれ、そうだったんだ?」
 
(白々しい会話!)
 
「色々佐野君にも唐本さんたちにも世話になったけど、去年の春に妻が亡くなって以来僕も小さい子供2人抱えて途方に暮れて。昼間は保育所に預けてたんだけど、夕方引き取りに行くのが大変で。実際仕事の都合で行けなくて、こういうのは困るって随分保育所からも言われていたんだよ」
と貴昭。
 
「父子家庭って母子家庭以上に辛いんだよね」
と私は言う。
 
「それでうちの母さんにふだんの世話を頼めないかと思って東京に転勤させて欲しいと上司に訴えて、それでこの春にやっと東京に戻れたんだ」
と貴昭。
 
「じゃ、今、実家に住んでるの?」
と私が訊いてあげると
 
「それが実家には兄貴夫婦が同居してるから、さすがに居候はできなくて、小平市の**町にアパートを借りたんだよ」
と貴昭は言う。
 
「私の家の近くだ」
と政子が言う。
 
(全く白々しい。私でさえ知っていた貴昭の東京への移動を政子が知らないわけがない。そしてきっとわざと近くに引越したんだ)
 
「借りた時に、それは一瞬考えた」
と貴昭も言う。
 
「取り敢えず出勤前に娘2人を保育所に連れて行って、夕方は母さんに引き取りに行ってもらっている。そして僕が会社が終わったら実家から回収してくる。母さんができない時は、兄貴の嫁さんが行ってくれる場合もある。でも娘2人がうちの母さんとあまり合わないみたいでさ。行儀がなってないって随分叱られているみたいだし、食事の習慣とかが違うのも困惑してるみたい。うちは関西風というか九州系の食事だったから」
 
「なんだか苦労してるね」
 
「ねぇ、その子たち、昼間はうちの実家につれてこない?」
と政子は言った。
 
お、政子にしては積極的だと私は思った。実際この時、政子がこんなことを言い出していなかったら、その後の展開は無かったろう。
 
「ああ、それはいいね。政子の家なら誰か世話する人がいるよ」
と私も援護射撃をしておく。
 
「うち今4人子供がいるからさ、そこに2人くらい増えても構わないから、うちに連れてきたら、御飯やおやつくらい食べさせるよ」
と政子。
 
「政子のお母さんが九州(長崎県諫早)出身だから、うちの食事も基本は九州系だしね。松山君の娘さんたち(母は鹿児島県甑島出身)とも合うかもよ」
と私は言っておく。
 
「それにうちは行儀なんて存在しないし」
と政子。
 
「まあ、お前たちって、食事以前の生活習慣が問題外だよな」
 
と佐野君は「白々しい会話だ」と思いながらも言ってくれた。
 
「躾にはよくないだろうけどね」
と私。
 
「守らせているのはゲームは1日1時間以内というのと9時までには寝ることかな」
「いや、それはけっこうしっかりしている」
と麻央が言った。
 
「助かるかも」
と貴昭は少し考えながら言う。
 
「じゃ決まったね」
と私は言った。
 

月曜日、早速朝から貴昭がふたりの娘を連れてくることになった。
 
しかしその日朝から政子は(正確には政子の母が)大量のサツマイモと格闘していた。実は桃香の親戚で千葉に住んでいる人がサツマイモを作っていて、大量のサツマイモをもらったらしい。こちらだけでは食べきれないと言って半分くらいを政子の所に持って来たのである。
 
「これどうするのさ?」
「食べるから、お母ちゃん、焼き芋にしてよ」
「結局私がやるの!?」
 
それで政子の母は朝からサツマイモを洗ってはアルミホイルに包み、ロースターで焼くというのを何度も繰り返し、テーブルの上に大量の焼き芋を積み上げた。
 
そこに貴昭が来訪する。
 
「済みません。お世話になります」
と言って貴昭は紗緒里と安貴穂を連れてきた。
 
「いらっしゃい」
と政子の母が2人を笑顔で歓迎する。
 
「おはようございます。私が紗緒里(さおり)、こちらが妹の安貴穂(あきほ)です」
とお姉ちゃんの紗緒里が代表してしっかりと挨拶する。紗緒里は5月で6歳になるのだが母親を失ったことから、かえって自立心が高まっているのかも知れない。
 
「おお、偉いねえ、ちゃんと挨拶できるんだね」
とお母さん。
 
すると焼き芋を食べていた政子は
 
「サホちゃんもアキちゃんも、ほら、お芋食べなさい。美味しいよ」
と言った。
 
紗緒里は一瞬ためらったようだが、3歳の安貴穂が
 
「わあ、おいしそう。どのくらいまでたべていい?」
などと政子に訊く。
 
「10本でも20本でも100本でも食べていいよ。足りなくなったら、誰か買いに行ってくれるから」
などと言う。(きっとお父さんが買い出しに行ってくれる)
 
それで安貴穂が
「いただきまーす」
と言って、食べ出すと、紗緒里も最初遠慮がちに1本小ぶりのを取って食べ出す。
 
「おいしい!」
とふたりとも笑顔になる。
 
「これほんとに美味しい芋だよ。ふたりともどんどん食べなさい」
「はーい!」
 
それを楽しそうに見て、貴昭は出勤して行った。
 
そしてこの日から、政子(のお母さん!)は6人の子供を育てることになったのである。
 

5月24日(火).
 
この日、貴昭は仕事が残業になってしまい、遅くなるということだったので、紗緒里と安貴穂は政子のうちに泊めることにして、2階の子供部屋に、あやめたちと一緒に寝せた。女の子5人?で随分騒いでいて、普段は温厚な政子の母に5人とも叱られていた。
 
かえでは政子の両親の部屋である。そして政子がひとりで1階の居間で貴昭の帰りを待っていた。
 
貴昭は結局12時すぎに帰って来た。
 
「お帰り、貴昭。お疲れ様」
と政子が声を掛ける。
 
「遅くなってごめんね」
「サホちゃんとアキちゃんは2階で寝ているよ」
 
紗緒里は『さおり』であって『さほり』ではないのだが、政子はいつもこの子を「サホちゃん」と呼んでいて、紗緒里自身もその呼ばれ方がわりと気に入っているようである。
 
「悪かったね。ちょっと一息付いたら連れ帰るから」
「もう遅いもん。起こすの可哀想だよ。このまま寝せておきなよ」
「そうだなあ、そうしようか。明日の朝、顔を見に来るから」
 
「うん。ごはんも食べて行ってね。今シチュー暖めるから」
と言って政子はテーブルに乗っているIHヒーターのスイッチを入れ、こげないようにかき混ぜる。料理が苦手な政子でも、シチューを温める程度はできる。
 
「ありがとう政子」
 
政子は何か考えているようであった。
 
「ビールでも飲む?」
「そうだなあ、もらおうかな」
 
それで政子はファンからのもらいものの、レーベンブロイを開けて貴昭に勧める。
 
「ありがとう」
と言って貴昭も受け取り、1口飲む。
 
「美味しい!」
「仕事で疲れた後の1杯は特に美味しいって、よく言ってたね」
「ちょっと懐かしいね、あの頃」
 
と貴昭も昔を思い起こすかのようであった。
 
ふたりは何となく、高校時代のことに始まって、大学生時代、そして大学を卒業してからしばらくまで、ふたりが熱い関係であった頃の昔話をした。貴昭が遅い晩御飯を食べるのに、政子も付き合って一緒にシチューを食べている。
 
「しかし政子に寝ている間にメイクされちゃって、服まで女物を着せられていて、途方に暮れたことがあったな」
 
「私、基本がレスビアンだから」
「まあ、僕も小さい頃は女の子になりたいと思ってたし」
「今も女の子になりたいくせに」
「まあ隠してもしょうがないな」
「女物の普段着こちらに持って来なよ。生憎私の服では入らないし」
「・・・持って来ようかな」
 
「サホちゃん・アキちゃんが成人した後で性転換手術受けちゃうというのは?手術代くらい出してあげるよ」
「その時考えるよ」
 
政子は少し考えていた。
 
「タックしてる?」
「たまに。でも今はしてない」
「トイレは女子トイレだよね?」
「男子トイレだよぉ。女子トイレに入ったら捕まる」
 
「そんなことはない。入っても絶対騒ぎにならないと思うけどなあ。むしろ男子トイレでお姉ちゃんこっち違うとか言われない?」
「言われないって」
 
「ふふふ。でもこういうの言ってあげると嬉しそうな顔するから、たぁちゃんは面白い」
 
政子はここで初めて彼のことを愛称で呼んだ。すると少しだけ考えて貴昭も
 
「まぁちゃんって、人が自主的に抑えたり控えたりしているものを、刺激して唆すのが趣味だよね。まぁちゃんと付き合ってなかったら、唐本さんもきっと性転換に至ってないよ」
 
と言った。
 
「うん。冬は私が唆してなかったら、きっと30歳近くまで性転換に踏み切れないでウダウダしてたと思う」
 
と政子も自分が愛称で呼ばれたことを自然に受け止めて言った。
 

ふたりの会話は一緒におやつなどもつまみながら2時近くまで続いた。
 
「すっかり遅くなっちゃった。ごめんねー。そろそろ帰るから」
「でもバスとか走ってないよ」
「タクシー呼んで帰るよ」
「それもったいない。うちの離れ、今日は空いてるから泊まっていけば?サホちゃんとアキちゃんも泊まっているんだし」
 
「そうだなあ。じゃ泊めてもらおうかな」
「案内するね」
 
と言って政子は貴昭を案内して離れに行った。玄関の鍵を開けて2階への階段を登る。階段の照明は階段の上でも下でもオンオフできるタイプである。
 
「1階はガレージなんだね」
「車庫はとなりの敷地にもあるよ。だからたぁちゃんの車も置けるよ」
「へー」
 
階段を登ったところで2階の電気のスイッチを入れる。2階は畳敷きの8畳ほどの部屋である。キッチンがあるのでこの離れだけでも大帝の生活ができるようになっている。
 
「あれ?エアコン付けるの?」
「この付近、今くらいの時期までは明け方結構冷えるんだよ」
「ふーん」
 
「今布団敷くね」
と言って、政子は部屋の隅に畳んで重ねている敷布団をひとつ敷いて、シーツもかけ、その上に毛布・掛け布団を掛けた。枕も1個置く。
 
「じゃお休み」
と政子が言うと
 
「うん。お休み」
と貴昭は言う。
 
しかし政子は部屋を去らない。ふたりはしばし見つめ合っていた。
 
「まぁちゃんはどこで寝るの?」
と貴昭は訊く。
 
「1階の10畳のワークルームで。今日は冬が来てないから私1人」
 
「10畳に1人って広すぎない?」
と貴昭。
 
政子はかなり考えてから返事をする。
 
「去年の夏まではピア置いてたからね。それをスタジオに移動したから少し広すぎる感じになった。ここでたぁちゃんと一緒に寝ちゃおうかな」
 
「うん、そうしなよ。ここもうひとつ布団敷けるよね?」
と貴昭。
 
「敷けるけど面倒くさいなあ。布団1個で間に合わせちゃおうかな」
と政子。
 
「それでもいいよね」
と貴昭は言う。
 
それでふたりは微笑んだ。
 
「私、裸で寝るのが好きなのよね」
「前からそうだったね」
「たぁちゃん、スーツで寝るの?」
「まさか。脱ぐよ」
 
と言って貴昭は背広とズボンを脱ぐ。政子もトレーナーとTシャツ、スカートを脱ぎ、お互い下着姿になる。
 
「たぁちゃん、ちゃんと女物の下着をつけてるのね」
「今更だし」
「素直でよろしい」
 
結局ふたりとも裸になってしまう。部屋はエアコンのおかげで既に暖かくなっている。
 
「露子さんのこと好きだった?」
「もちろん。亮平さんや大輔さんのこと好きだった?」
「そんなでもないかも」
「そうなの〜?」
 
それで、灯りを消して一緒の布団に入った。
 
「おやすみ」
「おやすみ」
 
と言い合う。
 
初夏の夜は静かにふけていった。
 
 
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【夏の日の想い出・愛と別れの日々】(1)